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「ジダンの愚行」を原理的に考えてみた  文科系

2006年07月13日 00時38分05秒 | Weblog
まず、「切れてしまい、トロフィーをフイにした愚か者」、「相手の狙いを百も承知で応えてしまった大馬鹿野郎」、「何があっても暴力はいけない」には違いない。しかしジダンは大会最優秀選手にも選ばれているし、フランスのアンケート調査で「彼の行為は理解できる」が51%という結果も出ている。背景に人種差別問題があることはヨーロッパでは常識だからだろう。頭突きの相手の言葉は正確にはまだ分かっていないが、ジダンがアルジェリア系移民2世であるということと、最近のヨーロッパサッカー界の常態から総合判断した結果でもあるらしい。そこでこの背景を改めて調べてみた。確かに酷いようだ。

フランス守備陣の要、センターバックのテュラムはイタリアでプレーしているのだが、猿の鳴き真似ヤジの連発に退場で応えたことがあった。スペインの監督が、フランスとのゲームで今回ワントップを張ったアンリ選手に「黒いクソ野郎」と叫んで、FIFAから制裁措置を受けたという事件もある。良い選手ほどやられるらしい。味方がゴール寸前まで入り込んだのにあっさりカットされてしまった、その敵に対して。接戦の最後に、余りにも優雅に取られてしまった1点に対して。移民が多く、超一流チームの超一流選手が多いフランスチームには特に怨念がほとばしりでるらしい(以上、主として毎日新聞などの拾い読みから)。
こうして見ると、ことは重大になる。「人種的偏見嫌悪」の方がジダンにとっては国やチームの勝利よりも、トロフィーよりも強かったのではないか。単一民族で、朝鮮の方の被害意識にも疎かったように見える日本人には、分かりづらいことのようだ。同じような例を今思い出す。オシム監督が「これでおしまいだ! 私のサラエボが戦争にあるのに、サッカーなどやってられない」と、ユーゴ連邦代表監督とチーム・パルチザン(旧ユーゴ首都ベオグラードの世界的な一流チームだ。この2チームへの監督在任中にユーゴ連邦軍によるサラエボ包囲戦が起こった)監督とを同時に辞任した出来事を。

さて、僕はこれほど強い人種的アイデンティティーを持っているだろうか。ふとそんなことを考えていた。すると「コスモポリタンなんだけど、やっぱり持ってるよ」、そう思った。偏見の強いボストンのホテルでおなじような目にあって非常に腹が立ったし、テポドンが我が国に飛んで来たなら怒り心頭だろうと気づいたから。でもそれだけに、「我が身をつねって人の痛さを知れ」。「日本人のことだけじゃなく、ジダンの痛みも、オシムの怒りも、我が身と同じように分かりたい」。これがコスモポリタンの心だろうと主張したいと考えた。
そういうことを「瞬間に感じてしまった」からなのだろう。ジダンの行為を実況中継で見ていたとき、僕は何の抵抗感もなかった。まして、アホなどいう感じ方はゼロだった。それどころか、レッドカードに文句一つ言わずに、厳つく広い肩幅がショボンと退場していく姿は、何か「確信犯的で」可愛いくすらあった。

問題のこの場面、マテラッティ選手に歩み寄っていく瞬間、ジダンの頭に「あっいかん! これで終わりだぞ。でもまっ、抑えられない」と閃いたには違いないのだと思う。積年の問題がかかわる夫婦げんかの際に、数は少ない決定的な「言」動に及んだ瞬間の自分を振り返ってみたら、これが実感だった。すると、ふと思った。逆に、僕から見れば「日本主義者」の方も、僕などにはこう言いたいのではないだろうかと。
「俺だって、できるものなら世界、他民族を信じたいよ。だけどなー、民族、部族、宗教、そして利害。これだけ酷いいさかいを相も変わらず現に見せつけられると、親和よりも対立、それが現実だと思うしかないじゃないか。コスモポリタンなんてやっぱりお坊ちゃんの幻想だと言うしかないね。世間並みの世事を経てくれば、軍備論者になるはずだ」
こう考えるに至った時、やはり考え込んでしまった。僕の信念は変わらないが。
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13 コメント

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譲れぬ魂 (弱虫)
2006-07-13 05:19:35
 あの男の行為に、どのような非難があろうとも、築き上げた栄光を失い、その後どのような人生を歩もうとも「譲れぬ魂」の炸裂を見たように思う。

 うつ病の人は何気ない励ましの言葉にさえ追い込まれ発症し地獄に落ちるという。

 人には、誕生した時から築かれ染み付き背負わされてきた魂がある。

 それを言葉の刃で切りつけられた時純粋に生きようとする人間ならどうするだろう。



 飛躍して言えばこの「譲れぬ魂」こそ、「思想」なかんずく平和の思想の原点になるべきものではないのか。戦争体験のある人は「核」としてそれを持っている。しかし体験のない者は、「想像力」と言う力に頼り、磨く他無いだろうと思う。
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イタリア選手は? (落石)
2006-07-13 09:13:22
ジダン選手の方は、まあ分かるけれど、

イタリア選手のほうについて、もっと知りたい。

彼は沈黙し続けるのだろうか?

そちらの方が問題の根は深そう。

イタリアには移民選手が少ないのかな?



お国柄もあるのか?

サッカー事情は分からないけれど。









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人間を知る良い機会。 (マンウオッチャー)
2006-07-13 10:03:33
 平和思想までは「飛躍」出来ませんが、なかなか示唆に富んだやりとりですね。

 

 きっとイタリア選手にも、条件反射のように飛び出

してくる「身に染み付いた思想」を「背負って」いるにちがいありません。

 

 でもそれを完全に拭い去るのは容易なことではなさそうですね。

 協会が調査を開始するそうですがどんな事実が明らかにされ、どんな裁定が下るのか?

 協会の思想も試されていますし。



 人間について巨石を投じてくれた2選手に感謝しましょう。      
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皆さん、ありがとう (文科系)
2006-07-13 12:38:44
早速のコメントを下さった御3方、有り難うございました。今後も、他の方の投稿へも是非気軽にご応答下さいと、まずお願いしておきます。



さて、ジダンとマテラッティのやりとりで分かっていることはこれだけ。

ジダンが、接触プレーでシャツを引っ張るマテラッティにこう言った。「そんなに俺のシャツが欲しいなら、あとでやるよ」と。反則を当てこすられたマは、身内の誰かを侮辱した言葉を吐いたとだけは、言明している。

なおあのゲーム、あそこまでイタリアの反則がかなり酷いと、僕は思っていた。イギリスの選手もよく切れるのだが、彼らがフェアプレーに徹していて、「そういう(イギリスのような)奴はちょっとやってやると切れやすい」ということを作戦として対するチームもあるようだ。



弱虫さん。相手の「譲れぬ魂」をもありのままに見ようとし、それが可能ならば、人間たちがどれだけ平和に暮らせることでしょう!でも、これが難しいのだし、今どんどん苦手にもなっているんじゃないでしょうか。心配。



落石さん。マは「侮辱した」とだけは最近認めました。ただ、「イタリアではしょっちゅうやられてるようなことだよ」と逃げを打った。FIFAが調べて、両成敗にすると思います。



マンウオッチャーさん。問題の言葉以前の事情は今書いたとおりです。「我が身をつねって人の痛さを知れ」が各国民の習慣になっているなら、戦争は起こらないのではないでしょうに。ただ、そんな余裕すらない国、民族が増えていることも確かですね。ルワンダ・ブルンジとか、ハイチとか、中国とか。インドであんなことが起こって、一体さらにどうなることでしょうか。
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ヨーロッパに吹き荒れる風 (マンウォッチャー)
2006-07-13 13:16:44
 今日の朝日のネット記事によれば、フランスのテレビの取材に応じて、ジダンが事情の一端を語ったと言いいます。その中でイタリアのある政党の幹部の「仏代表は黒人とイスラム教徒と共産主義者で構成されている」と発言したことに「それは私の行為より悪質ではないのか。」と批判したそうです。ヨーロッパに吹き荒れる差別の風潮は我々が想像できないほどのものかも知れません。
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空気は流れています。 (風見鶏)
2006-07-13 16:22:53
 ヨーロッパに吹き荒れる差別の風。

 日本では、吹き荒れる程に顕在化していませんが、昔酒場で「外国人、、共産党が無かったら静かな日本。」と言った奴がいました。

 日本にもそんな差別偏見の空気が底流には流れているのではないでしょうか。
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拍手!拍手! (へそ曲がり)
2006-07-13 16:39:25
 文科系さんのご意見、そして、これまでに寄せられたコメントの全てに拍手!拍手!また拍手!!!
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差別意識は根深い (落石)
2006-07-13 16:52:53
家庭教育・学校教育のなかで

差別はダメと教えられてきたので

自分のなかには差別意識はないと

思っていました。

ところが、何だったか、キッカケは

忘れてしまいましたが、自分の中に

差別意識があることに気づきました。

うーん!!と、考え込んだことがあります。どこから忍び込んできたのでしょうか?









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母と差別 (へそ曲がり)
2006-07-13 21:44:11


 いずれ私の戦争体験を投稿する中で、亡くなった母のことに触れようと思ったのですが、「差別」の問題が出たので、この場をお借りして述べさせていただきます。



 母は、明治の後半、日本海側の県の山奥で生まれ育ちました。この県の特徴なのかどうかは解りませんが、もの静かな心の中にも強い意志と忍耐心を持っていました。尋常小学校しか出ておらず、書いた文字も下手で、人に見られることをとても恥じていました。



 そんな母でしたが、子どもたちへの躾は厳しいものがありました。彼女が口癖に言っていた言葉があります。“えこひいきをするな、弱いものいじめをするな。”でした。



 わたしが結婚して家を出て、時折訪問した時でも挨拶の始まりは必ず決まっていました。“悪いことはしていないだろうな?、えこひいきはしていないだろうな?、弱いものいじめはしていないだろうな?”でした。生存中、決まってこの言葉の繰り返しでした。 



 言葉だけではありません。実際に実行に移しました。戦時中、近所に朝鮮人の家族が住んでいました。貧困というよりも、乞食に近い生活でした。正義感の強い母にとって、これは見過ごすことが出来ません。しばしば出かけては世話をしていました。当時、朝鮮人に対する蔑視はひどいものでした。このプログの中で“日本人が朝鮮人に対してひどい目に合わせた証拠を見せろ。”との批判を受けましたが、私はこの目で見てきています。あの家族が困っていても、助けようとする人はいなかったのです。冷たい目で見ているだけだったのです。そんな風潮に母は我慢が出来なかったのです。



 しかし、この母の行動は、父にとっては我慢の出来ないことでした。“男の生き方は、立身出世・地位・名誉・金、妾の一人や二人を持つことは男の甲斐性。”と口ぐせのように言い、実際にやりのけた典型的な明治男でした。当時、町内会の役員をしていた父にとって、この母の行動は何と言われるかという不安もあったのでしょうが、止めるように怒鳴り付けるのです。それも毎日なのです。母は一切口答えしません。畳に座ったまま沈黙しています。しまいには父は母を殴りつけます。一度や二度ではなく、殴り続けるのです。その間、母は一切抵抗しません。ただじっと下を向いたままです。兄たちも怖がって、ただ見ているだけです。やがて、父は殴り疲れます。その時、母はハアハア息を吐いている父に向かって一言だけ言います。“これで気が済まれましたか。”と。



 そしてまた、翌日になると世話に出かけるのです。



 毎日がこんな繰り返しでした。私の幼児期のいちばん強い思い出は、父にいつも殴られている母の姿です。戦後になって、子どもたちの腕力が父を上回るようになってから、殴ることを止めました。父を羽交い絞めにして止めさせることが出来るようになったからです。後になって、母から、背中と肩に「お灸」を据えるようよく頼まれました。もろ肌脱いだ母の肩と背中は痣だらけになっていました。顔にも残っていました。そのひとつひとつの「痣」について、母はじつによく覚えていました。“こっちの痣はあの時のもの、そっちの痣はこの時のもの。”ひとつひとつ説明するのです。“なんであんな父さんと一緒になったの?”と尋ねても「ニコッ」と笑うだけで何も語ってくれません。未だに謎です。



 母は昭和の最後の年に老衰でこの世を去りましたが、その生き様はいまでも私の心の中で生きています。
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多くの人に参加してもらってください。 (立ち上げ人)
2006-07-13 23:52:55
 へそ曲がりさんの「母と差別」の体験をふまえてのコメントに感銘しました。

 ところで 最近アクセス数も吃驚するくらい増え感謝しています。

 自由な試聴、討論の場の提供といった趣旨が少しは理解されてきたのではと思っています。

 今後ともよろしくお願いします。

          
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