「シリア化学兵器」、記事をよく読むと、こんなことに気付く。
シリアへのミサイル攻撃の原因になった今回の「化学兵器使用」問題の新聞をよく読むと、こんなことが分かった。今朝の中日新聞全ての記事を対象とした。ポスト真実とか言ってテレビなどで「印象操作」が多すぎる現在、要注意点だと思う。
①今回「使用された」のが、化学兵器かどうかもまだ確定していない。これを化学兵器と断定した管官房長官に記者団から質問が出たほどである。サリンとか、塩素ガスとか伝えられているが、その内容さえ確定していない。
②ましてや、これを使ったのがシリア政府軍だとは、管官房長官さえ断定できていなくって、「国連調査を待つ」と語るだけだった。ただし、トランプはシリアがやったと断定している。断定しなければ、今回の爆撃はできなかったはずだ。こういう点からも、国連という機関が凄く大事なものだと分かるのである。
③前回13年のこの同じ問題発生の時でも「シリアがやった」との国連発表はできなかった。アメリカ大統領オバマが、ネオコンの挑発、指弾を跳ね退けて軍事行動に出なかったのも、これが理由だったのだろう。この時のオバマは「弱腰過ぎる」と猛烈に批判された。この時の「弱腰」を、今のトランプもそう語ってきた。
④独仏首脳は、アサド政権を今回も批判はしているが、アメリカの攻撃を支持はしていない。
シリアへのミサイル攻撃の原因になった今回の「化学兵器使用」問題の新聞をよく読むと、こんなことが分かった。今朝の中日新聞全ての記事を対象とした。ポスト真実とか言ってテレビなどで「印象操作」が多すぎる現在、要注意点だと思う。
①今回「使用された」のが、化学兵器かどうかもまだ確定していない。これを化学兵器と断定した管官房長官に記者団から質問が出たほどである。サリンとか、塩素ガスとか伝えられているが、その内容さえ確定していない。
②ましてや、これを使ったのがシリア政府軍だとは、管官房長官さえ断定できていなくって、「国連調査を待つ」と語るだけだった。ただし、トランプはシリアがやったと断定している。断定しなければ、今回の爆撃はできなかったはずだ。こういう点からも、国連という機関が凄く大事なものだと分かるのである。
③前回13年のこの同じ問題発生の時でも「シリアがやった」との国連発表はできなかった。アメリカ大統領オバマが、ネオコンの挑発、指弾を跳ね退けて軍事行動に出なかったのも、これが理由だったのだろう。この時のオバマは「弱腰過ぎる」と猛烈に批判された。この時の「弱腰」を、今のトランプもそう語ってきた。
④独仏首脳は、アサド政権を今回も批判はしているが、アメリカの攻撃を支持はしていない。
こういう現在進行形の陰謀とか権謀術策とかが絡む問題には後智恵とか、結果論とかで批判することが伴うもの。つまり、後から「あの時間違っていただろう」というのは無意味である。というように振る舞うことの方が、陰謀に乗せられたり、これを支持してしまったりすることよりも遙かにマシであると言っておく。戦争(決意、決定、賛否)には慎重な態度こそ望まれるという主張である。
情報と判断が難しい時こそ、太平洋戦争やヒットラーへの熱狂、イラク戦争大賛成の狂乱マスコミなどを、人は思い起こすべきだと思う。
これだけ走ったら死ぬというのが、普通の人では先ず無いような数字が多かった。これでは全く、羊頭狗肉である。ランナーとか、これからやろうとしている人さえも含んで、誰でも関係在りというような題を掲げて、内容は非常に限定されたアスリートを対象に「警告」しているのだ。
記事を売らんかなというのは、そういうことなのである。改めて、マスコミって、「羊頭狗肉」と覚えておいた方がよいと思った。そして、こういう記事がどんどん印象操作、「ポスト真実」を生んでいくのだなと、感じた所だった。
陰謀に乗せられたり、これを支持してしまったりすることよりも遙かにマシ・・と言いつつ、自分が陰謀論をブチ上げるのはOK
文ちゃん論の真髄だね。
アメリカが言うように、アサド政権の化学兵器使用の証拠が事実としてそろっていれば、国際法違反になるからこんなことにはならなかったはず。アメリカがシリア犯人説の証拠を示せなかったということである。としたら、アメリカの襲撃は国際法違反になる。という論議が起こらないこと自体、今の国連諸国がねじ曲がっている証拠だ。各国がアメリカを恐れているのだろうが、反米行動などはいつも何らかの報復があったのだろう。
アメリカとはそういう国連法無視の常習犯国だったのである。トランプなどIMF無視の発言もしているが、ならば国連を出ればよいのに。そうすれば「完全な悪人」になれる。、「そういう確信犯」には流石なれないとみえる。つまり、利用したい時にこの大義名分を利用する。そして、無視や違反はへいちゃらと。とはいえ、以上全ての論述からも分かるように、国連はやはり平和組織として役立っているのである。