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”日本大好きさん”との旅(4)   文科系

2009年09月08日 11時24分58秒 | 文芸作品
2日目の夕食の席に着くやいなや、いきなり僕はKさんにこんな話を始めた。Hさんに翻訳(中国語だった)をお願いしておいて、かなり長時間にわたって。Kさんと、短いやりとりをどんどんと進めていったのだが、その僕の話を1本に要約してみる。
「僕がお二人に親切すぎるように見えるのは、きっとこういうことだと思います。
まずお祖母さん、大お祖母さんたちに親切にして、彼らやお母さんをこんなにも日本大好きにしてくれた日本人たちにあやかろうと思ってね。
貴女に親切なのは、さらに特別な理由があります。貴女がカナダで将来の職業選択、就職に悩んでいらっしゃるように見えることが、僕には他人事には思えないんです。日本の30代から下はすごい就職難でして、一生苦労がついて回る就職氷河世代と呼ばれるほど。僕も二人の子どもにとても苦労しました。上の子が、今はやっと何とかやれていますけど、特にいわゆるできが悪くて悩みました。きっと、サブプライム・バブル爆発以降は、カナダでも事情は全く同じでしょう。貴女も頑張って、一生の仕事をじっくりと見付けて下さい。僕がやったことは、それへの励ましだと思って下されば嬉しいです。分かりましたか?」
これに対してKさん「分かりました」ときれいな日本語で応え(彼女は高校時代に日本語を習っていて、時に日本語で応える。日本語が得意なHさんよりも、発音はずっときれいだ)、僕の目をしっかりと見つめ返したその目をきらきらと微笑ませて、答えてくれたものだった。ちなみに彼女は、その両目に相手を大きく肯定するよとでもいったようなまばゆい表情がある女性だ。僕にはそのように見えたのだが、その時のなんか、嬉しかったこと!

それからである。彼女の方から絵画の質問をしてきたところから、こんな会話が始まった。
K「Tさん、絵は誰が好きですか。私はゴッホが好きなんですが」
僕「ほー、僕もゴッホは好きです。僕の家に泊まった時、あなた達の寝室へ行く通路にあった机を見ませんでした? あそこに彼の絵、『寝室』が飾ってあったはずですけど」
K「見ました。あの絵はゴッホにしては珍しく『安らぎ』がある絵と言われていますね」
僕「そうなんです。あのやすらいだ色が見たくて、パリのオルセーに行ったほどにあれが好きなんです。自殺直前の彼が憧れた感じだったんでしょうか」
(中略、しばらくゴッホの自殺前後の話が続く。親友ゴーギャンとか弟テオ夫妻などのことが出てきた)
K「ゴッホが日本の絵を真似たのを知ってますか? 浮世絵は誰が好きですか?」
僕「ゴッホも北斎が好きだったようですが、僕らも断然北斎です。夫婦二人で、北斎を見るたびにいつも、凄い絵だなーと言い合ってますよ」
と、こんな話があったあと夕食を終えて彼女らの部屋にギターを弾きに行った時だった。いきなり彼女が、色鉛筆書きのような小さな絵の写真を見せてくれたのだ。空に星とか月とかがあるが、一目でゴッホのタッチと分かる。その下に大きくうねっている青い波が、驚いたことに、こっちはまぎれもなく北斎のタッチだった。これに対する僕の応対が、しばらく後で考えて分かったのだけど、考えなしでいけなかったと後悔した。稚拙な殴り書きのようにも、いたずら書きのようにもみえたし、多少酔ってもいたらしく、こんな感じで対してしまったのだった。
「こりゃー! ゴッホはともかく、北斎の方がちょっと違うよー。やっぱり、違う。色も薄いし」
以降その夜は、2時間もギターを弾いて部屋に帰った。すべて初歩的な二重奏だけで過ごしたが、その楽しかったこと!

さて翌日、Hさんの話から、こういう事実が分かった。あの絵は、Kさんの美術史時代の殴り書きではあるが、その力強さを先生に褒められたという大事な代物であったらしい。そういわれてもあの絵に対する僕の評価が変わるわけではないのだけど、あれ以降ちょっと気になっていたことが蘇って、すぐにこういう謝りの言葉を出さざるを得なかった。
「夕食の時の話の延長としての『ゴッホと北斎』! それをあなたが自分で一つに合わせたものを偶然持参していたから、だからこそその我々の偶然の一致を喜んで、あれを見せてくださったにちがいないはず。僕は先ず、そのことに喜ぶとか、お礼を言うとかをしなければらいけなかった。あんな、批評だけでごめん。悪かった」
このあとはすぐ、Hさんがこう引き取ってくれた。
「Kにいくら愛着があるものでも、絵として一端他人に見せたものならば、何でも言われる覚悟でなければならないのであって、怒るのは間違っているとは言ったんです。でも若い子はデリケートですから」
これは正論、ごもっとも。やはりHさんは非常に聡明な方だと改めて感嘆した次第。僕はさらに重ねて何度も謝ることになったという次第でもあった。

どれだけ謝っても良いという、謝罪でもやはり、気持ちの良い謝罪だったなー!

(続く)
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2 コメント

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流石、人間大好きさん (誤解ほっとく族)
2009-09-08 13:41:42
 文科系さんのお年で、外国人しかも世代差のある方との交流を楽しみ、互いの齟齬を解こうとなさる熱意は見上げたものです。
 たぶん人間大好き族なのでしょうね。
返信する
憲法改正について (七生)
2009-09-08 20:30:12
塩野七生『ローマ人への20の質問』より
Q:
憲法改正について、
もしもこの日本人にローマ人が助言を与えるとしたら、
どのように言うでしょうか。
 
A:
一部の日本人が主張するような、
普通の国になるための憲法改正ではなく、
普通の憲法にするための憲法改正を勧めるでしょう。
日本人は、ユダヤ教徒ではない。
日本国憲法は、神が人間に与えたものではありません。
ゆえにそれを死守するのは、自己矛盾以外のなにものでもない。
この自己矛盾から抜け出すのが、まずは先決されるべき課題ですね。
憲法改正には国会議員の三分の二の賛成を必要とし、
さらに国民投票で過半数を得る必要があると定めた第九十六条を、
国会の過半数さえ獲得すれば改正は可、とするように改めるのです。
これにも国会議員の三分の二の賛成と
国民投票での過半数が必要になるのは、もちろんのことです。
しかし、憲法改正条項である第九十六条の改正が成ってはじめて、
ユダヤ教徒でもない日本人が、
神が与えたわけでもない憲法にふれることさえ不可能という、
非論理的な自己矛盾から解放されることになる。
第九条を改めるか否かは、その後で議論さるべき問題と思います。
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