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幻の「石門小唄」    中野寂音

2008年10月18日 09時07分13秒 | Weblog

私は昭和十九年十二月から一年間軍隊にいた。
そのあいだに思い出す曲は「勘太郎月夜唄」の一曲であった。
戦後三十年後経った頃、戦友会で誰かが、石門劇場の演芸大会で
「石門小唄」があった。
たしか最後の舞台で、日本の着物姿で華やかな総踊りであった。
私達全員この時初めて聞く「石門小唄」である。
戦後三十年、思い出そうとしても歌詞はもちろん、
曲も思いだすことはできなかった。
石門とは当時の中華民国河北省の石家荘である。
現代の地図の表記は石家荘である。

昭和二十年八月この教育隊に到着したとき、この町は石門と呼ばれていた。
いつ石家荘から石門に地名が変更になったかは知らない。
確か日本軍が占領後、石家荘は赤化を連想するとして、
日本軍が地名を勝手に変更したと聞いている。
当時の日本は占領するとすぐ現地の地名入りの小唄を必ず作った。

南京小唄、北京小唄、南方の島のラバウル小唄はレコードになり流行歌となった。
八月から石家荘に三カ月暮らしたが、
この後一回もこの「石門小唄」を聞いてはいない。戦友たちも同じであった。頭の中に残っている幻の「石門小唄」であった。

戦後この部隊は戦友会事務局が出来て、戦友会名簿が送られてきた。
部隊到着の時終戦となり、この部隊の戦友会には一度も出席はしていない。
昭和二十年末中国から九州佐世保港に帰還。
復員列車に乗り三日がかりで東京に着いた。
その時同行した八名の戦友たちと戦友会を始めた。今年で五十八年目になる。

戦後五十年ぐらい経った頃、戦友会名簿の最初のページに
「部隊歌」と「石門小唄」の歌詞があるのに初めて気がついた。
一度も歌ったことはない部隊歌があることを知った。
部隊歌の二番に

 西に昆倫ヒマラヤを 北に長城をへいげいし
 歴史もゆかし石家荘 開きて培ふ翼もて
 集まる健児の意気高く 厳然立てり我が部隊

石門小唄

 かすむ鉄路に 春風吹いてよ 
 におうアカシヤ 柳も新芽
  一寸行きます 朝陽大路
  可愛いクーニャン 紅の靴
  石門よいとこ ほんに ほんに
  よ~いとな  よ~いとな  

私達は。この歌詞にはいくらか覚えがあったが、
メロデイはひとりも思い出すことはできなかった。
当時日本のどこにもある小唄と同じメロデイであったと思う。
石門の地名と共に永遠に消えてしまった「石門小唄」である。

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