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八十路ストーマ・ランナーの手記(442)再出発できるのか  文科系

2023年01月08日 00時02分48秒 | スポーツ
ここで書き続けてきたこのシリーズだが、去年7月28日、第441号「やはり走れなくて・・・」で終わっている。これは膀胱癌患者の手記になってから第11回目に当たる。以降半年の今やっと「走り始めた??」僕ははて、ランナーに戻れるのか。何から書くか迷うが、今の走り?の状況と、ランナーだった最後の頃とを今日は記録しておこう。

今できることは1時間ほどの速歩き、と言っても時速6・5キロほどまでだが、その途中などで「走ってみて」、2分がやっと。これが、ランナーだった最後の頃はどうだったのか、今後のために振り返り、残しておく。

10キロを80分ほどかけて走っていた最後が5月23日、最高速度は9・5キロ時。その直後26日に尿道経由内視鏡的膀胱癌削除術をやったが、ちょっと削っただけで癌の深度も探れなかった。膀胱内壁表面しか削れず、「第2~3ステージ、悪性度は強い」と。以降のラン再開は7月13日になり、同月20日の1時間7・2キロが最後、入院での抗がん剤治療が6月22日から始まって、その2回目7月22日以降は苦しくて走れなくなった。抗がん剤は、速く育つ若い細胞なら健康なものも痛めるが、僕の場合は赤血球が減って走りが苦しくなった。酸素不足では無理もないというその次第は、7月28日第441号までに書いてあり、今日がそれ以降初の442号ということになる。

ちなみに、5月以前の走力を書いておくと、一昨年12月~昨年4月の各月間距離は、156キロ、160キロ、120キロ、98キロ、88キロだった。距離が減って来たのは、コロナの注射や調子の悪さからだが今思えばこの癌のせいもあったろう。4月ころはすでに、掛かり付け医の紹介状から癌を意識していたし。

入院延べ日数は、4ヶ月はくだらない。だからこそ、走れるようになるかどうか半信半疑の今「やっと2分の走り?」なのだ。ただ、医者の許可が得られた時にその範囲で、階段往復や歩行はできるだけやっていた。


さて、真実走れるようになるのか。半年以上のブランクを押し返すことができるのか。僕はできると思えた。1月に入ってからの60分散歩途中の最初の1分走行、次の2分などでも、次第に脚が軽くなってきたと感じられた。そして、頭に残っている以前の走りの感覚とこの2分とを比べてみると、脚は苦しくなくって、息だけがとても苦しくなる。これは、ゆっくりゆっくりと長く、日数かけて心肺機能の上がりを待ち、はてどうかということになる。人生まだ、続きそうだし。振り返れば5月26日、最初の手術から半年以上かかって落ちたものなら、半年かけて戻せるかと、気長に行こう。
「不整脈ランナー」、「(心臓カテーテル手術を経た)よたよたランナー」、そして普通に「八十路ランナー」と来て、今度は「ストーマ・ランナー」と呼べるように、果たしてなるのかどうなのか。
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