①事前の期待がおおきくなかったこと。
これでヨブンなプレッシャーから自由になれた。
②チームがひとつになれたこと。
チームが編成されてからが本番で、意見が自由に
言えたこと。
③幸運。
これが最後のハズミ。一勝をあがてチームに自信がつき、
それが良い回転を始めた。
これがマッタク逆にいった国もあった。
感動を貰った国民はボーナスを貰ったようなもの。
ありがとうございます。
教訓。余計な期待をかけないこと!
これでヨブンなプレッシャーから自由になれた。
②チームがひとつになれたこと。
チームが編成されてからが本番で、意見が自由に
言えたこと。
③幸運。
これが最後のハズミ。一勝をあがてチームに自信がつき、
それが良い回転を始めた。
これがマッタク逆にいった国もあった。
感動を貰った国民はボーナスを貰ったようなもの。
ありがとうございます。
教訓。余計な期待をかけないこと!
しかしながら日本もテストマッチ4連敗と、ワールドカップドイツ大会に続く惨敗の予感によるあまりに大きな「負のプレッシャー(もしそうなってしまえば日本のサッカー人気・注目度はどうなってしまうのか!?)」というのもありましたが…………監督も選手も戦術的にも開き直りましたね。
思い出しますね。
中日春秋などは期待しないから
期待していると書いていました。
只今さんのご指摘の点は、関係あるみたいですね。
クラブサッカーがお金にあかして
外国選手を連れてきたために
ヨーロッパの選手が育たないといった
指摘はあるみたい。
以前、ちょっと触れましたが
あれだけいろいろな民族が混成で
サッカーを競っていて、
いまさらのように国別にして
世界一を競うことには、
どんな意味があるんですか?
朝日の「天声人語」を始め、毎日「余録」、サンケイ「産経抄」、日経「春秋」のいずれも「非情なPK」に涙し、「サムライ・ジャパン」は「国民に元気」を与えたと、ほぼ同一論調でした。
その中で、読売の「編集手帳」だけがほんの少し違う語りをしていました。
20年前、オシム率いるユーゴチームの対アルゼンチン戦でのこと。退場者とゴールキーパを除くと残るは九人、その中の7人が私を外してほしいとオシムに申し出た。オシムは、くしびきに当たったと諦めろ」とキッカーを指名し、ロッカーへ消えた逸話を紹介したあと、こう結びました。
《勝利より深く胸を刺す敗北の情景もある。戦争にまつわる用語をスポーツに持ち込むのは趣味に反するが、「戦友」という言葉がこれほど似合う集団をほかにしらない。ありがとう》
ワールドカップは一応選手の国籍別ですが、高校野球は決して県別ではありません。
逆に、「県別」に興味がある人がしらける内容です。
いわゆる左翼のおかしなところは、国は自分(国民)を守るべきだと考えるが、自分は国を守らなくてよいと考えるところだ。
左翼もたまにはリンカーンの有名なスピーチ(言葉)だけでなく、ケネディの有名なスピーチ(言葉)も思い起こして熟考してみるのも悪くないのではないか。
熟考→熟慮のほうがよかったかな?
①「自国とは、好きになるべきものだ」は誤りである。そんなことは、人に強制的すべきこと、強制できることではない。
②「自国が好きだ」という人がいたとして、その人に「それは『ナショナリズム』であって、誤りである」というのもおかしいと思う。自国愛が誤りになる場合、条件というものがあると、僕は考える。①のように語ったり、人類の差別につながったりするときだ。自国愛と人類差別とは同じではないと主張したい。
ありがとうございます。
まず、愛国心について私の考え。
国の柱は憲法。その憲法を愛することが
愛国心。
でも、サッカーについて書いたことは
私のなかでは、愛国心とは
まったく関係がない関心でした。
単純で、ヨーロッパで国際的なチームで
一番を競っているということが一方にあって、
もう一方に、国別の一番を決めることって、
ヘンじゃない?
ヘンに感じない?
というちょっとへそ曲がりな
地球のそとから見ているような
関心のもちかたなんですが、
わかってもらえないようですね。
余りにユニークで・・・