OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ラストダンスに辿り着き

2014-05-11 15:24:21 | Soul

ラスト・ダンスは私に / The Drifters (Atlantic / 日本ビクター)

さて、キング・トーンズによって、そのルーツたる黒人R&Bのコーラスグループに興味を惹かれたサイケおやじが、どうにか最初にゲットしたのが本日掲載のシングル盤でした。

それはもちろん中古だったんですが、何よりも手を出せたのは、A面収録の「ラスト・ダンスは私に / Save The Last Dance For Me」が知っている曲だったという事が大きいわけで、当然ながら越路吹雪の日本語詞バージョンに馴染んでいましたからねぇ~♪

だからでしょうか、結論から言えば、黒人グループが演じていながら、それは今日の一般的な認識による所謂黒っぽさとは無縁というか、そこには越路吹雪が歌っているのだから、それはシャンソンのカパーなのか?

なぁ~んていう、とんでもない勘違いの先入観念かサイケおやじにあったのは確かです。

さらにドリフターズの「ラスト・ダンスは私に / Save The Last Dance For Me」が、1960年に全米チャートのトップに輝くメガヒットになっていた事実を知ってみれば、その洗練されたボーカル&ハーモニーとサウンドの魔法が黒人音楽のひとつの魅力である事を認めざるを得ない気持にさせられました。

そして後追いで探索したドリフターズの歴史において、実はグループが初期のドゥー・ワップからポピュラー系コーラスのスタイルに変遷する過程には、メンバーチェンジとグループ名の権利諸々という音楽ビジネスの内幕があり、つまりは黒人音楽と言えども、世界的なヒットになる歌や演奏には、それが必須という真相には深いものを覚えましたですねぇ~。

なにしろ最初期のリードシンガーだったクライド・マクファターが在籍した1953~1956年頃でさえ、幾つかのヒットを放ちながら、本人が軍隊にとられた事から、その間にリードシンガーを含めて数次のメンバーチェンジがあり、ついには「ドリフターズ」というグループ名の使用権を持つマネージャーの画策(?)から、ベン・E・キングをリードシンガーに据えた新生ドリフターズの登場が、1959年と言われています。

で、既に述べた洗練されたスタイルは、当然ながらクライド・マクファター在籍時にも強く感じられますが、それがさらにモダンなフィーリングへと彩られたのがベン・E・キング加入後である事が、残された音源を時代順に聴けば納得でしょう。

しかし、この時代のドリフターズは決して白人音楽に迎合していたのではありません。

むしろ白人音楽へ与えた影響力の凄さこそをビートルズを筆頭とするブリティッシュピート勢の活躍の中に感じるのですが、いかがなものでしょう。

「ラスト・ダンスは私に / Save The Last Dance For Me」を書いたのはドグ・ポーマス&モート・シューマンという、アメリカの音楽史にその名を刻する偉大なソングライターコンビであり、プロデュースを担当したのが、業界では神様的な存在のジェリー・リーバー&マイク・ストーラーであれば、それが後年の美しき流れに連なっていくのもムペなるかな!

そうした脈流が根底にあってこそ、大ヒット曲の永劫性も証明されると思うばかりです。

ということで、いよいよサイケおやじは黒人ソウルグループを聴いていく、その端緒に巡り会えたわけなんですが、既にその頃にはウィルソン・ピケットオーティス・レディング等々の本当にネチネチのディープソウルが我国でもヒットしていましたから、ドリフターズあたりのレコードは軽くて、未だ夢中になれるものではありませんでした。

ところがそれでも気になってしまうのは結局、それだけキング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」の存在が強かったからという逆説に!?

そのあたりの続きは、追々に書かせていただく所存です。

 

 

コメント (2)
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