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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

あの頃が懐かしい越美晴

2011-07-21 15:44:50 | Singer Song Writer

ラブ・ステップ / 越美晴 (RCA)

夏になると無性に聴きたくなる歌のひとつが、本日ご紹介のシングル曲です。

演じている越美晴は昭和53(1978)年、この「ラブ・ステップ」で颯爽とデビューしたわけですが、決して安直な歌謡アイドルではなく、自作自演のシンガーソングライターとしてピアノを弾き語り、さらにそのアクションも相当に男好きのするルックスと相まっていましたから、今日でも活動を続けているコシミハルの初期が忘れられないという中年者も多いと推察しております。

もちろんサイケおやじも、ちょいとしたスケベ心優先ではありましたが、越美晴は気になる存在♪♪~♪

というか、実は18歳で芸能界に登場した時の越美晴はその前段階において、いろんなオーディション番組やプロダクション主催のコンテストに出場していた履歴があり、こうしてデビューのスマッシュヒットを放った時には、サイケおやじの仲間内ではそのあたりの経緯を詳しく知っていた者から彼女の情報を得ていた事もあり、さらには知り合いのバンド仲間の妹ではないか!?

なぁ~んていう噂もあったほどです。

肝心の楽曲は既に述べたとおり、越美晴の作詞作曲に矢野誠のアレンジが上手く融合し、ラテンフュージョン系のサウンドとメロディはセルジオ・メンデスからダイレクトに影響された夏向きフレィヴァーがいっぱい♪♪~♪

しかもライプで歌う時の彼女はピアノを弾きながら、要所で「のけぞりのポーズ」をキメるという、なかなか激ヤバのアクションが人気を呼び、同時にサイケおやじは彼女の足首の雰囲気の良さにも、グッと惹きつけられていましたから、いゃ~、なかなか人気が沸騰していましたですねぇ~~♪

ある意味では決して露出度の高い衣装なんか必要としない、本質的な着エロだったような気もしていますが、まあ、そういう部分は同性から嫌われるポイントでもありました。

ということで、機会があれば越美晴は初期の映像をご覧になるのが一番に理解し易い存在ではありますが、残された音源も貴重だと思います。

なによりも、相当に質の高いシティポップスが、そこに凝縮されているのですからっ!

ただし、残念ながらサイケおやじが好きな越美晴は、そこまで……。

時代の流れと彼女の音楽的成熟が後には所謂テクノとか、それっぽい方向へと進化していったのには、ちょいと刺激も受けましたが、流石についていけませんでした。

その意味で、「ラブ・ステップ」を夏になると聴きたくなるのは、不思議と甘酸っぱい思い出に浸るという、この年齢になっては些か恥ずかしい気分ではありますが、好きなものは好きっ!

そういう告白をご理解願えれば、幸いでございます。

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本音の歌には好感を覚える

2011-07-20 15:38:10 | Pops

ビキニスタイルのお嬢さん / Brian Hyland (Kapp / 東芝)

サイケおやじの世代にはお馴染みの洋楽ポップスのひとつが、本日ご紹介のシングル曲だと思います。

と言っても、それは決してブライアン・ハイランドが歌っていたオリジナルバージョンではなく、パライダイス・キングや田代みどり等々が日本語の歌詞で聞かせてくれた所謂和製ポップスの楽しいカパーでありました♪♪~♪

ですから、当時のを知らない皆様にしても、必ずや一度は耳にしたことのあるメロディでしょうし、ついついリアルタイムの日本語詞を歌ってしまわれることは、実に素晴らしいパブロフの犬でしょう。

ちなみにパラダイスキングのバージョンではリードを歌っていたのが石川進という、後には「オバケのQ太郎」の主題歌で永遠の大ヒットを飛ばす人気者でしたが、実はレコードも含めて、一般的には坂本九の十八番と思い込まれている不思議も侮れません。

まあ、それほど日本人ウケした洋楽ポップスとして、夏場には必ず何処かから流れてくる名曲ではありますが、さて、その本家たるブライアン・ハイランドも決して忘れてはならないアイドルシンガーだと思います。

なにしろ「ビキニスタイルのお嬢さん / Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polkadot Bikini」を全米で大ヒットさせた1960年が16歳で、その前曲としてブレイクのきっかけとなった「Babyface」を歌っていたこともあり、忽ちベビーフェイスの愛称で人気者になったのですからっ!  翌年の初来日の狂騒はテレビでも報道されたほどです。

こうして夏になると必ずや利用価値の高い歌として、懐メロ番組には欠かせない演目ではありますが、オリジナルの歌詞は結構ヤバイ感じもしますねぇ~♪

 彼女は極小水着だから、素敵にちがいない♪♪~♪

的なその内容は、十代の男達が青春ど真ん中で何に興味を抱くのかを端的に表現している感じでしょうか、。

もちろんリアルタイムでは、ちょうどビキニスタイルの水着が世界的な流行になりつつあった過激(?)な時期だったんですけどねぇ。当然ながらサイケおやじもビキニの水着姿には女性であればこその魅力を感じ、平たく言えばギラギラした若い欲望を隠しようも無く……。

ですから、ブライアン・ハイランドがその後に奮闘及ばず、少しずつヒット曲優先の芸能界から遠ざかってしまったのは自然の成り行きでしたし、1970年代に入って妙にガッツが入ったフォークロック中心主義の楽曲を歌ってカムバックしたのも、それほど不自然ではないように思います。

つまり何時までたってもアイドル性が失せない歌の表現力は、実に素直なフィーリングの持ち主という証であり、そのキャリアは様々なレコード会社を転々としているので無理かもしれませんが、願わくば集大成的なアンソロジーが作られ、そのあたりを確認出来ることを切望しています。

ということで、今年の夏はますます節電が必須になるようですから、せめてサイケおやじの職場だけは女性にビキニ姿を義務づけたい目論見を捨てきれず……。それが本日の本音の結論というわけです。

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ワトキンス・グレンはあの日の夢

2011-07-19 14:48:49 | Rock

The Band Live At Watkins Glen (Capitol = CD)

「ワトキンス・グレン」という地名を耳にして少なからず心が揺れてしまうのは、きっと1970年代前半のアメリカンロックをリアルタイムで聴いていた現代の中年者、あるいは後追いでそうしたジャンルの虜になったファンにちがいありません。

と、本日も初っ端から独断と偏見のテンションが高いサイケおやじは、もちろんそのひとりである事を否定致しません。

それはニューヨーク州の北西部に位置するワトキンス・グレンという場所であって、1973年7月28日に行われた大規模な野外コンサートを指すという真実は、今やロックの歴史になっているといって過言ではないでしょう。

なにしろ集まった観客が60万人という、あのウッドストックを凌ぐ規模というだけで、極東の島国に住む日本のロックファンには想像を絶する出来事だったわけですが、しかしオールマン・ブラザーズ・バンド、グレイトフル・デッド、そして本日の主役たるザ・バンドという、まさに当時のアメリカンロックでは三大実力派ライプバンドが揃い踏みとあっては、さもありなんと羨ましくも納得するばかりでした。

そしてリアルタイムでの熱演が洋楽マスコミを通じて喧伝される時、ファンは例外なくワトキンス・グレンの音源を切望し、当然ながらブートと公式盤によって追々に発売されたわけですが、中でもザ・バンドのそれについては様々な紆余曲折があったらしく、オールマンズとデッドがその全てでは無いにしろ、比較的早い段階からブートも含めて流通していた事からすれば、些か待ちくたびれたザ・バンドのファンは1995年になってようやく発売された本日ご紹介のアルバムに対し、かなり大きな期待をしていたわけですが……。

 01 Back To Memphis (outtake from Moondog Matinee)
 02 Endless Highway (outtake from Moondog Matinee)
 03 I Shall Be Released (outtake from Rock Of Ages)
 04 Loving You Is Sweeter Than Ever (outtake from Rock Of Ages)
 05 Too Wet To Work
 06 Don't Ya Tell Henry (outtake from Rock Of Ages)
 07 The Rumor (outtake from Rock Of Ages)
 08 Time To Kill (unknown live ?)
 09 Jam
 10 Up On Cripple Creek
(unknown live ?)

現代的な視点からの結論としては、これがトンデモ系のフェイク盤!

上記した演目の後に注釈したとおり、大部分が当時は未発表になっていたスタジオアウトテイクに拍手を被せたり、ワトキンス・グレンとは関係無い場所のライプ音源をリミックスして寄せ集めたのが、その真相でした。

例えば臨場感溢れるメンバー紹介のMCに続いて披露される「Back To Memphis」と「Endless Highway」は、1973年に発売されたザ・バンドの履歴書的なカパーアルバム「ムーンドッグ・マチネー」制作時の未発表音源に拍手を被せたものというのが定説で、そのネイキッドなスタジオバージョンは、2001年にリマスターされた同アルバムのCDのボーナストラックとして、ようやく正体を現しています。

しかし、ここに聴かれる疑似ライプバージョンの熱いエモーションは決して捨て難く、実はここに纏められる以前にも、アンソロジー的なベスト盤「ディフィニティヴ・コレクション」やボックスセットの「グレイト・ディヴァイド・ボックス」では注目のウリになっていたほどです。

それが更にリミックス&リマスターされて再収録されたのは、続く「I Shall Be Released」以下、「Loving You Is Sweeter Than Ever」「Don't Ya Tell Henry」「The Rumor」という、あの名作ライプ盤「ロック・オブ・エイジズ」と同じステージからの未発表音源とのバランスを考慮しての事でしょう。

実際、曲や演奏の流れが、なかなか自然でグイグイ惹きつけられてしまうんですねぇ~~♪

もちろん、このCDを初めて聴いた時には、そのような詐術が使われていようとは夢にも思いませんでしたが、しかし、だとしても、ザ・バンドならではの素晴らしいグルーヴは些かも変質してはいないでしょう。

いや、むしろ、これはストーンズあたりならば常套手段として許せる部分も、ザ・バンドというリアルな実力派が、何故にそんな事をやったのかという業界の裏の掟を知る手掛かりとしても興味深々!?!?

ちなみにワトキンス・グレン当時のザ・バンドは、前述したアルバム「ムーンドッグ・マチネー」セッションの仕上げをやっていたと言われていますが、実はメンバーのほとんどが悪いクスリ等々の問題を抱え、また音楽的な煮詰まりや人間関係の縺れもあったそうで、なんと18ヵ月(!?)ぶりのステージ復帰は当然ながら公式レコーディングも行われています。

ところが出番前日、既に客入れされていたステージでみっちりとリハーサルをやった準備万端が裏目というか、いよいよの本番では天候が急変した所為もあり、電源トラブルや機材の不備が頻発……!!

したがって現実的に録音された音源は様々なプートでも確認出来るとおり、到底許容範囲ではなかったのでしょう。

しかし、このCDには「Too Wet To Work」と「Jam」が、 そこからリアルに用いられ、特に前者は突然の雷雨の中で混乱する観客を絶妙に癒し、和ませ、さらにエキサイトさせるガース・ハドソンの一人舞台によるオルガンソロが素晴らしい存在感を示していますよ♪♪~♪ もちろん雷鳴や滝のような豪雨の様子はSEによる大袈裟な強調なんでしょうが、そうしたスタジオの魔法が、真に魔法となった結果は最高!

アルバムの流れを盛り上げ、纏まった展開に仕立てるうえでは、絶妙のスパイスになっていると思います。

ただし、そうであればこそ、収録されたのが全10曲というのは本当に短く、「Time To Kill」と「Up On Cripple Creek」は「ステージ・フライト」制作時のアウトテイクに拍手を被せたとされる定説も虚しくなるばかり……。尤も個人的には、この「定説」にはちょいと納得しがたいものを感じていて、どっかのライプ音源じゃないんですかねぇ~。特に「Time To Kill」は思わせぶりなイントロから悶絶するほどテンションの高い間奏を激演するギターは言わずもがな、もっさりしながらシビアなグルーヴを満喫させてくれるザ・バンドのライプ真骨頂が堪能出来るのですからっ!

ということで、今となっては完全廃盤の仕打ちも当然の如く受け取られる珍作ではありますが、既に述べたようにアウトテイクを加工した曲に関しては最新リマスターCDでリアルな現実に触れることが出来たとしても、ワトキンス・グレンという魅惑の響きは決して疎かにされるものではないでしょう。

なによりもザ・バンドの歌と演奏は驚異的に素晴らしく、ドタバタしたドラムスが実はタイトでグルーヴィなビートを叩き出し、グイノリで蠢くベースやカキクケコの悶絶ギター、さらには鋭いオルガンと弾むピアノの響きにバックアップされたボーカル&コーラスがそこに出てくる時、少なくともサイケおやじは心底シビれが止まりません。

そして今となっては二度と取り戻すことが出来ない唯一無二の輝きが、何時の日かリアルな現実の完全版になる事を願っているばかりです。

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なでしこジャパンはプリティ・フラミンゴ

2011-07-18 15:36:23 | Rock

Pretty Flamingo c/w You're, Standing By / Manfred Mann (HMV/ 東芝)

やってくれましたねぇ~~♪

なでしこジャパンの大快挙っ!

もはや、これは奇蹟でもなんでもありませよっ!

全ては彼女達の実力が呼び込んだ時の運であり、決して最後まであきらめない不屈の闘志が全人類を感動させた源だと思います。

しかし、告白すれば、早朝に起床してのテレビ観戦も、サイケおやじは幾分の諦観を抱きつつの行動であり、それゆえに先制された後の同点ゴール、延長戦に入っても繰り返す劣勢からの同点劇、そして執念のPK合戦と歓喜爆発の勝利には、本当に気が抜けた思いも確かにあるほどです。

あぁ、久々に心地良い疲労を伴う喜びを与えてくれた「なでしこ」は、本当に美しく輝いていました。

そして、その姿は「なでしこ」というよりも、足一本で華麗に舞う「プリティ・フラミンゴ」に見えましたですねぇ~~~♪

ということで、強引ではありますが、それでも彼女達は確かに美しいフラミンゴでしょう。そうした勢いにまかせて、このシングル盤を出してしまったサイケおやじの浮かれた気分をどうか、ご推察くださいませ♪♪~♪

もちろん大好きなマンフレッド・マンが1966年春~初夏に放った大ヒット「Pretty Flamingo」は、現在までも大勢のミュージシャンにカパーされていますが、実はマンフレッド・マンのバージョンもアメリカンポップスのカパーだったと言われています。

しかし爽やかなラテンフレィヴァーを十八番のジャジーなオルガンとビートの効いたリズムアレンジで演出し、しぶといソウルフィーリングを秘めたフォークロックに仕上げた目論見はズバリ、直球ど真ん中のストライク!

実は当然ながら後追いで楽しんだサイケおやじには、こういうソフトでお洒落な味わいこそがマンフレッド・マンの本質か? なぁ~んて思い込んだ時期もあったんですが、リアルタイムではバンド内のメンバーチェンジや音楽的方向性の迷いが隠し様も無いことが分かってきてからは、尚更に愛おしくなりました。

ちなみに当時のマンフレッド・マンは所謂オリジナルのメンツからマイク・ヴィッカーズが脱退し、トム・マッギネスがギターに専念する事により、後にクリームを結成するジャック・ブルースがベース奏者として新参加! しかも看板スタアのポール・ジョーンズも独立を宣言していたという、非常に苦しい頃だったようです。

そこで実際の現場では当然の如く複数のホーンセクションや助っ人セッションミュージシャンが参加していたようで、この「Pretty Flamingo」も例外ではありません。資料的にも、おそらくはポール・ジョーンズが歌った最後のシングル曲じゃないでしょうか。

ですからB面収録の「You're, Standing By」にしても、従来のR&B路線を踏襲していながら、アメリカ南部のサザンソウルを中途半端に意識した部分が賛否両論かもしれません……。

ただし、そこはポール・ジョーンズという稀代のボーカリストが未だ強い存在感を示していますから、これはこれで侮れませんよ。

ということで、やっぱりこのシングル盤はA面の「Pretty Flamingo」で決まりですっ!

そして穏やかで開放的な歌と演奏の雰囲気の良さは、激闘の末に全国民に勇気とあきらめない力を与えてくれた「なでしこジャパン」の彼女達に相応しい!

プリティ・フラミンゴ♪♪~♪ 万歳っ!

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帰国して口ずさんだ歌謡ボサノバ

2011-07-17 15:43:10 | 歌謡曲

真夜中のピエロ / 城千景 (ピクター)

どうにか無事に帰ってまいりました!

まずは不在の間、訪れていただきました皆様には、心から御礼申し上げます。

しかし、それにしても日本は異常な暑さですねぇ……。

という驚愕の嘆きが真っ先に出るほどの猛暑は、いったい何っ!?

実は出張先は決して涼しいところでは無かったのですが、なにか日本は粘りつくような熱気が社会情勢を反映しているというか、鬱陶しさばかりが強くなっていると感じました。

もちろん、最近は「なでしこ」の素晴らしい活躍が全国民を鼓舞している事も、そのベクトルは良い方向に作用していると思いますが、同時に放射線に汚染された食物の問題や呆れかえった政治状況も逐一に発信され、それは世界中を不安に陥れているといって過言ではありません。

そして実際、行く先々で、ダイジョウブデスカ?

なぁ~んて、心配されていたんですよ……。

ただし、それはそれとして、やっぱり母国の良さは捨てられるもんじゃありません。

とにかく家に辿りついた昨日深夜から今の今まで爆眠していた現状は、ひとつの安心感でありました。

尤も本音を言えば、今回の出張では我ながらピエロを演じてしまった感が無きにしもあらずでしたから、帰途には思わず本日ご紹介のシングル曲を口ずさんでしまったですよ。

真夜中のピエロ!

これぞ、今のサイケおやじには相応しい!

心底、そう思う他はなかったんですが、しかし城千景が歌ってくれるメロディは歌謡ボサノバの決定版として、昭和45(1970)年春に発売されたリアルタイムでヒットしたとは言えませんが、それでもラジオの深夜放送では根強い人気がありましたし、今日に至ってみれば作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平という黄金のヒットメーカーコンビによる隠れ傑作として評価されていますから、皆様も一度は耳にしたことがあるんじゃないでしょうか。

と言うよりも、実はメロディの元ネタはカルロス・リラの「Maria Montia」でしょうし、アレンジのキモはセルジオ・メンデスからのモロパクリが潔いほど♪♪~♪ しかも後には、あの「ハチのムサシは死んだのさ」のメガヒットを出す我国のセルスターズに直結する美味しさが絶品なんですねぇ~♪

もちろん歌っている城千景の基本に忠実なボーカルも良い感じ♪♪~♪

ほどよいお色気とキュートな節回しは、流石に宝塚出身者らしい演技力重視(?)の歌唱法が全開していると思います。

また橋本淳の綴る歌詞のせつないムード、儚い諦観が如何にも「昭和」の風情を露わしていて、「ピエロになって泣きたい私」なぁ~んていう一節には、思わず感情移入してしまいますよ。

ということで、とにもかくにも終りなき日常を続けるサイケおやじには、こうした歌が必要だと再認識しております。

そして皆様の御厚情に感謝を忘れず、相変わらずの独断と偏見ではありますが、拙ブログをなにとぞひとつ、よろしくお願い申し上げます。

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今日もメチャ暑!

2011-07-10 19:47:41 | Weblog

ほとんど目眩しそうな暑さですねぇ~。

皆様、お元気でしょうか?

という、ありきたりの挨拶しか出来ないサイケおやじは本日、明日からの出張に備えて様々な準備をやりつつも、届いていた復刻DVDを鑑賞したり、それなりに日本の休日を楽しんだ次第です。

で、明日からは、しばらく更新出来ないかもしれませんが、これからも、よろしくお願い致します。

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今後の予定

2011-07-09 17:41:17 | Weblog

死ぬほど暑いなぁ~~~!

と思っていたら、もう、梅雨明け!?

これじゃ、今年の夏は計画停電が決定的でしょうか……。

さて、サイケおやじの今後ですが、月曜日から因縁のU国へ旅にでます。

それは以前にもご報告したとおり昨年秋、皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけした健康問題もありますから、やはり些か神妙です。

ということで、今回は短期5~7日で帰る予定ですが、どうやら件の某国もネットで高速回線が使えるらしいので、機会があればブログも更新したいと思います。

肝心の明日は明日の風ということで、今後ともよろしくお願い致します。

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爽やかにお洒落な1968年のセルメン

2011-07-08 16:19:39 | Pops

Fool On The Hill / Sergio Mendes & Brasil '66 (A&M / キング)

早々と異常な猛暑としか言えませんよねぇ~~。

そして混迷する国内状況は本日も同じく、そこで結果的に涼しい音楽を求めてしまうのがサイケおやじの本性ですから、このシングル盤を取り出したのも自然の成り行きというわけです。

もちろん「Fool On The Hill」は、ビートルズがオリジナルの素敵なメロディとして、誰もが一度は耳にしているはずでしょう。実際、何時聴いても和みます♪♪~♪

しかしセルジオ・メンデスは流石というか、もちろんオリジナルの和みは大切にしつつも、更にお洒落でクールな味わいを存分に醸し出し、これぞっ、傑作カバーバージョンの極みつきとして、世界中で大ヒットさせたのも当たり前田のクラッカーでした。

その要因は、とにかくセルジオ・メンデスの天才的なアレンジ能力と涼やかなエレピの響き、そして女性ボーカルの素っ気無いほどの節回しを彩るラテンパーカッションの上手い使い方だと思います。

ちなみにセルジオ・メンデスはボサノバのミュージシャンと分類されますが、確かに注目された時にはそうだったとしても、この「Fool On The Hill」が世に出た1968年当時は既に一般的なボサノバのブームは終わっており、そこから新たに進化した大衆音楽としての仕上がりはソフトロックとか、あるいはシティミュージックと呼ばれる後のフュージョンにも一脈通じるスタイルになっていました。

ですから、当時のメンバーはセルジオ・メンデス(key) 以下、ラニ・ホール(vo)、カレン・フィリップ(vo)、セバスチャン・ネト(b)、ドン・ウン・ロマン(ds)、ルーベンス・バッシーニ(per) とされていますが、おそらくはレコーディングセッションに助っ人が参加している事は確実であり、鮮やかな印象を残すストリングスはデイヴ・グルーシンの編曲でしょうか。

ということで、サイケおやじはセルジオ・メンデスの代表曲「Mais Que Nada」とならんで、この歌と演奏が大好き♪♪~♪ また、この時期に作られたアルバムも夏には手放せない必需品になっていますので、機会があれば、皆様もぜひ、どうぞ♪♪~♪

このぐらい爽やかで和みある世界が、本当に求められますねっ!

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白い波の心地良い倦怠

2011-07-07 15:50:24 | 歌謡曲

白い波 c/w 長い夜 / ユキとヒデ (ポリドール)

連日のゴタゴタが続く永田町のザマは鬱陶しいばかり!

しかも季節は梅雨のジメジメと蒸し暑さがあって、節電からクーラーも抑制され、おまけに仕事も上手く進捗しないとあっては、倦怠感ばかりが増幅するのはサイケおやじだけではないでしょう。

そこで、ど~してもボンヤリした心地良さを求めてしまう気分に素直であれば、本日ご紹介のシングル盤を取り出してしまうのも、ムペなるかなとご理解願います。

歌っているユキとヒデは今日、和製ボサノバの人気曲「スノー・ドルフィン・サンパ」で有名でしょうが、その前のデビュー曲「白い波」も忘れられません。しかしながら、実はレコードが世に出た時、ユキこと佐藤由紀は実質的にユキとヒデの活動からは抜けており、藤ユキと改名してのソロ歌手になっていたと言われています。

まあ、このあたりの経緯については諸説があって、サイケおやじには真相を知る由もありませんが、とにかくボサノバ歌謡と言えば、まずはユキとヒデが昭和42(1967)年初夏に発売した、この「白い波」を外して楽しむことは出来ないでしょう。

ちなみにヒデとは、後にヒデとロザンナを結成し、お洒落なデュエット歌謡曲を連続ヒットさせていく出門ヒデであり、歌手デビュー以前には水木英二として日活で俳優もやっていた事は、今や有名だと思います。

しかし、この「白い波」の頃は泣かず飛ばずで、このシングル盤がどの程度売れていたのかは不明とは言え、それでも第二弾シングルとして秋頃に発売された「スノー・ドルフィン・サンパ」と同等の人気曲として、時折はラジオで流れることが今日まで度々ありました。

もちろんそれは夏の風物詩ではありますが、やはり日本人である以上、こういう歌謡ボサノバも楽しまなければ勿体無いですよ。

なにしろ演奏は渡辺貞夫のグループが全面的に担当した本格的なものですし、作編曲も同じくですから、水木英二名義でヒデ本人が書いた日本語の歌詞も蔑にされていません。というか、ボサノバの魅力ひとつとしてサイケおやじがグッと惹きつけられる、心地良い倦怠感が、これほど上手く表現された和製ポップスは画期的だったんじゃないでしょうか♪♪~♪

それはB面収録の「長い夜」にも同じであって、イントロやバックの演奏は相当にモダンジャズなんですが、その気だるいムードの良さは本当にたまりませんねぇ~♪

ということで、相変わらずモヤモヤが晴れない日々の連続ではありますが、クーラーが思うように使えないのであれば、せめてBGMぐらいは涼しく爽やかなものを選びたいと心がけているのでした。

ただし、あくまでもBGMですから、音量は小さく、節電しましょうね。

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がっかりさせないで、とフィービは歌った

2011-07-06 15:42:28 | Singer Song Writer

Don't Let Me Down c/w 瞳を閉じて眠らないで / Phoebe Snow
                                                                         
 (Columbia / CBSソニー)

バカヤローの松本某が大臣を辞めたのは当然が必然で、その潔さは最低限の矜持だったでしょう。

しかし、その会見の中でサイケおやじが大好きなフィービ・スノウの名前を出されたのには、またまた抑えがたい憤怒の気持を覚えました。

まあ、これは個人の好き嫌いですから、なにもダメな人格云々の話ではないんですが、おまえには言われたくないっ!

そういうことです。

ただし、これを不幸中の幸いとして、フィービ・スノウという素晴らしい歌手に興味を抱いていただければ、あのトンデモ政治屋にも存在価値が少しはあったという事になるのでしょうか……。

で、肝心のフィービ・スノウは1974年夏に突如としてブレイクした黒人女性歌手なんですが、そのスタイルはギターの弾き語りを基本としながらも、決して普通(?)のフォークシンガーではなく、ブルースやジャズスタンダード、さらには中南米エスニックからニューソウルの領域もカバーする、なかなか奥深い音楽性がジワジワと迫ってくる逸材でした。

そして実際、同年に発売されたデビューアルバム(Shelter)ではテディ・ウィルソン(p)、ズート・シムズ(ts)、チャック・イスラエル(b) 等々のジャズの大御所が参加している話題に負けず、本当に芯がブレない魂の歌を披露し、忽ち注目されたというわけですが、確か我国でもジャズのラジオ番組で異例とも言える彼女の特集が放送されたと記憶しています。

こうして、言わば実力派としての地位をいきなりに築いたフィービ・スノウは、如何にもニューヨーク出身らしい都会的な部分と決してこじつけではない原初的な歌の魅力を両立させる活動に邁進し、多くのファンを獲得していったのですが……。

ご存じのとおり、本年4月、享年60歳で天国へと召されました。

実はその時、サイケおやじは追悼文をここに掲載しようと思ったのですが、やはり様々な思いが去来して纏めることが出来ず、それがあまりにも酷すぎる今日の社会情勢によって、少しは書けるようになったのは皮肉としか言えません。

そこで幾つも残された彼女の素晴らしい歌の中から、思わず取り出したのが、ビートルズでお馴染みの「Don't Let Me Down」を素敵にカバーしたシングル盤です。

言うまでもなく、がっかりさせないで、と訴えるフィービ・スノウの魂の歌心は、松本のバカヤローはもちろんの事、迷惑な存在以外の何者でもない総理大臣以下、内閣の面々には絶対に届いて欲しいものです。

ちなみにフィービ・スノウの魅力のひとつには、歌のフェイクの上手さがあって、良く知られた曲メロを独得のフィーリングで変化させていく味わいは、当然ながらジャズやブルースの常套手段を用いつつも、イヤミがありません。

それはこの「Don't Let Me Down」でも存分に楽しめますし、中盤でのレゲエ&カリプソ風味のアレンジに横溢する不思議なムードは、サイケおやじの稚拙な文章力では説明不能の素敵さですよ♪♪~♪ なによりも、こういう歌を力まない説得力で表現出来るという感性が凄いと思いますねぇ~~♪

そしてB面収録の「瞳を閉じて眠らないで / Don't Sleep With Your Eyes Closde」が、これまた軽くて楽しいカリプソ調の隠れ名曲で、当時はアルバム未収録がウリになっていましたですね。もちろんサイケおやじが、このシングル盤をゲットしたのも、それが目当てだったのです。

ということで、フィービ・スノウは所謂シンガーソングライターとして、自作の歌もどっさり持っていますし、ヘッドアレンジの力量やカパーの選曲センスも素晴らしいミュージシャンでした。

今となっては、プライベートでの様々に不条理な問題を抱えながらの活動も、その虚実が各方面で語られほど、ファンは尚更にせつない気分にさせられると思いますが、例えなんであろうとも、フィービ・スノウという歌手の存在と歌ってくれた楽曲音源の魅力は不滅だと思うばかり!

こういう人の歌は、本当に大切に聴きたいもんです。

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