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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

カリフォルニアに憧れた歌

2010-01-21 11:59:50 | Pops

夢のカリフォルニア / The Mamas & The Papas (Dunhill)

今となっては、何故もあそこまでアメリカ西海岸、所謂ウエストコーストが持て囃されたのか不思議になるほどですが、しかし実際、何時も青空が広がっている開放的な雰囲気は、やっぱり憧れの地だったのが1960年代を知っている者には共通の認識だったと思います。

で、そんなイメージを増幅させたのが、あまりにも有名な本日ご紹介の大ヒット曲「夢のカリフォルニア / California Dreamin'」でしょう。

ハリウッドポップスとフォークロックの美味しい部分を抽出凝縮し、最高に上手く融合させたサウンドと曲メロの素晴らしさ、気だるく、そして爽やかなコーラスで歌われる自由の天国を綴った歌詞より、カリフォルニアという理想郷の存在が世界に広められたのです。

まあ、しかし現実は明らかに違っているわけですが、そんなドロドロしたものを打ち消してくれるだけの力が、この歌にはあったということだと思います。

そして演じているママス&パバスは、主な曲を書いているジョン&ミシェール・フィリップスの夫婦、太った天使と呼ばれたキャス・エリオット、シブイ歌声のデニー・ドハーティという男女混声の4人組でしたが、メンバーは本来、ニューヨーク周辺でフォークソングや伝承ブルース曲を歌っていたキャリアがありました。

また、今では良く知られているように、ママス&パパスはアメリカの音楽業界では敏腕プロデューサ&マネージャーとして活躍していたルー・アドラーのプロジェクトだったわけですから、つまりは東海岸のハードな部分とハリウッドの虚構が巧みに混ぜ合わせられた、ある種の産業ロックだったという解釈もあるようです。

それは実際、この「夢のカリフォルニア」で聴かれる演奏パートが、間奏のジャズっぽいフルートや完璧なビートを提供するスタジオミュージシャンの助太刀によって作り出された点を考慮しても、あまりに業界主導の成果として、イヤミさえ感じられるほどの素晴らしさだと思います。

だからこそ、「夢 / Dreamin'」という言葉が、最高の効果を上げたのかもしれません。

とにかく「夢のカリフォルニア」は1966年に世界中で大ヒットし、我国でも国民がアメリカに、まだ純粋に憧れていたリアルタイムで大当たりしています。と、同時に、ママス&パパスの歌声から滲み出る一抹の儚さも魅力的に感じられ、それは追々、日本人にも分かってくるわけですが、そうした光と陰が甘酸っぱい1960年代の魅力に繋がっているのも事実でしょう。

今日、ママス&パパスといえば、完全に「夢のカリフォルニア」だけといって過言ではないと思いますが、ジョン・フィリップスは他にも素敵な曲を沢山作っていますし、グループとしてジャストミートするコーラスの魅力、その時代を象徴する存在感は、例え意図的に作られたものであったとしても、所謂ヒッピー文化のひとつの側面として評価されるべきでしょう。

いや、そんなことよりも、素直にママス&パパスの音楽を楽しむことが第一義でしょうねぇ。実際「Manday, Manday」「Dedicated To The One I Love」等々、他にも出ているヒット曲は、心地良いものばかりですよね。イーグルスが登場する前までは、このあたりがアメリカ西海岸に憧れる源のひとつだったのです。

そして連日、書いているうちに理屈が先行してしまうサイケおやじは、この歌を聴きならがら、反省しているのでした。

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いきなりシビれたイーグルス

2010-01-20 12:22:45 | Rock

Eagles (Asylum)

最近は有名人の訃報が連続したり、日本を代表する大企業が潰れたり、また永田町が瀕死状態だったり、とにかく歴史の流れが加速しているのを感じます。そして、なればこそ、OLDWAVE な私の魂も熱くなるのでしょうか、なんとなく時の流れの中でハッとさせられた思い出のレコードを取り出してしまいます。

例えば本日ご紹介のアルバムは説明不要、ウエストコーストロックを確立させたイーグルスのデビューアルバムで、発売された1972年当時はカントリーロックと呼ばれていた歌と演奏が、実に新鮮でした。

というか、そのカントリーロックとは一線を画す、何かがあったからこそ、若き日のサイケおやじは惹きつけられたのです。

ご存じのように、件のカントリーロックとはバッファロー・スブリングフィールドから派生したポコ、結果的に解散が近づいていたザ・バーズ、ストーンズ経由で知ったアラン・パーソンズとフライング・ブリトー・ブラザース、さらにはCSN&Yや諸々のフォーク&カントリー系の歌手も含めて、そのカラッとして長閑なサウンドと覚えやすいメロディは、安心して聴けるアメリカの大衆音楽そのものでした。

つまりアブナイ雰囲気の魅力に惹きつけられ、乏しい小遣いから迷って買ったレコードが失敗するケースも間々あったサイケデリックやハードロックとは、明らかに異なっていたのです。そして、それゆえに、若き日のサイケおやじには、イマイチの刺戟が不足していたわけですが……。

そこでラジオから流れてきたのは、イーグルスのデビューヒットになったシングル曲の「Take It Easy」で、その軽快にしてハードなノリ、せつなさがそこはかとなく滲むコーラスワーク、そして何よりも和みの曲メロを活かした演奏♪♪~♪

本当に聴いた瞬間、もう一度、聴きた~い! そう思いましたですねぇ~♪

ただし当時の我国では、カントリーロックそのものが市民権を得ていなかったというか、それほど人気のあるジャンルではなく、むしろ歌謡フォークにも一脈通じた軟弱系音楽と受け取られていたフシがあります。

当然ながら、その頃の洋楽ロックの王道は所謂ブリティッシュであり、ハードロックやプログレが全盛期でしたし、それに対するシンガーソングライターという流行の中ではニール・ヤングやキャロル・キング、ジェームス・テイラー等々の歌と演奏に、カントリーロックの味わいが認められていたに過ぎませんから、そのどちらにも属さないイーグルスは中途半端だったのが、我国での実相ではなかったでしょうか。

しかし、その中途半端さが、後々に効いてきたのは言わずもがなです。

 A-1 Take It Easy
 A-2 Witchy Woman / 魔女のささやき
 A-3 Chug All Night
 A-4 Most Of Us Are Sad / 哀しみの我等
 A-5 Nightingale
 B-1 Train Leaves Here This Morning / 今朝発つ列車
 B-2 Take The Devil
 B-3 Earlybird / 早起き鳥
 B-4 Peaceful Easy Feeling / 愛のやすらぎ
 B-5 Tryin'

デビュー時のメンバーはグレン・フライ(g,vo,key)、バーニー・レドン(vo,g,b,etc)、ランディ・マイズナー(b,vo)、ドン・ヘンリー(ds,vo) という4人組で、リンダ・ロンシュタットのバックバンドが独立したというエピソードが定着していますが、リアルタイムの我国ではリンダ・ロンシュタットという歌手その人が一般には知られていませんでした。また後追いで聴いた彼女の当時の音源にも、イーグルスの面々が揃って参加した演奏は無いと思うんですが……。

それでも業界はかなり期待した宣伝をやっていたように記憶していますし、何よりも前述した「Take It Easy」に続き、このアルバムからカットされた「魔女のささやき」と「愛のやすらぎ」のヒットが連発されたのは、なかなか凄いことだったと、今は感慨深いのです。

そして私は、このアルバムが当時のNHKラジオFM放送で丸ごと放送された時、しっかりとエアチェックしての聴きまくり♪♪~♪

まずは最高という「Take It Easy」が、軽快な演奏とは逆もまた真なりという重たいドラムス、さらに後半で素晴らしい彩りとなるバンジョーがあってこその完成度ですよねぇ~♪

また続けてヒットした「魔女のささやき」はインディアンの太鼓のリズムをハードロックに融合させた、まさに温故知新の名曲名演ですし、個人的にはこのアルバムの中で一番好きな「哀しみの我等」は、シンミリと歌われる曲メロの良さとせつないコーラスが絶品♪♪~♪ そしてA面ラストの「Nightingale」が、これまたウエストコーストロックの典型的な響きを確立する、ギターロックの痛快な歌と演奏になっています。

こうしてB面のパートに入ると、そこにはリラックスしたカントリーロック王道の「Train Leaves Here This Morning」、妙にテンションが高く、ちょいと異端なムードさえ感じられる「早起き鳥」が、実はとても新しかったのがリアルタイムだったと思います。

その意味で、これまたシングルヒットした「愛のやすらぎ」は、ロックを通じて盛り上がっていた「ウエストコースト中華思想」を確実に煽るものでしょう。

そこにはバンドとしての纏まり、アコースティック&エレキのギターが巧みにミックスされたアレンジとサウンド作りの新鮮な感覚、コーラスの上手さとムードの良さは、何度聴いても魅力的♪♪~♪

ですから、どーしてもレコード本体が欲しくなって、ついに年末恒例だった某デパートの輸入盤セールでアルバムをゲットすると、またまたびっくり!

なんと制作には「ブリティッシュロックの音」を作り出したエンジニアにして、ストーンズやザ・フーのプロデュースにも大きく関わっていたグリン・ジョンズの名前がクレジットされていたのです。

う~ん、その瞬間、イーグルスが聞かせてくれたヘヴィな演奏のミステリが氷解しましたですねぇ。

実は私がイーグルスで特徴的に感じていたのが、ドン・ヘンリーの失礼ながら鈍重なドラミングで、それが英国伝来のヘヴィロックなムードと結びついていたといえば、贔屓の引き倒しでしょうか。ウエストコーストのバンドでありながら、セッションがイギリスで録音されたあたりも、意味深です。

そして個人的には、それだからこそ、軽快なノリが命のカントリーロックに、もうひとつの新しい命が吹き込まれたのではないかと推察していますし、新しさの源だったと思います。

もちろん録音そのものも、従来の西海岸ハリウッドポップスに共通していたヌケの良さよりも、幾分ですが曇った感覚で、このあたりの検証は今日まで、各方面でなされていますが、拙稿「レット・イット・ビーの謎13回」も、ご一読願えれば幸いです。

ということで、このアルバムはウエストコーストロックの聖典となりましたが、何よりもカントリーロックの「ロック」という部分が極めて強く出ているのが、その秘密かもしれません。例えばバーニー・レドンが聞かせてくれるバンジョーやマンドリンからは、破天荒なほどにロックビートがピンピンに感じられますし、重心の低いドラムスとベースのコンビネーションは、当たり前過ぎるほどロックしていると思います。

それと哀愁たっぷりのコーラスワーク♪♪~♪ 胸キュンフィーリングが随所に現れては消えていく、まさに刹那の曲メロ♪♪~♪ まあ歌詞についてはリアルタイムでは真意を測りかねるところもありましたが、日本人の洋楽の楽しみ方としては、充分に許容出来るヒット盤でした。

結局は、これがイーグルスでは一番に好きなアルバムかもしれません。特にA面の流れは最高の極みつき!

最後に個人的な夢想ではありますが、オーラスの「Tryin'」にストーンズバージョンがあったらなぁ~~、そう思う気持が続いているのでした。

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浅川マキは生きている!

2010-01-19 11:20:44 | 浅川マキ

Maki Live / 浅川マキ (東芝)


最近は各方面での訃報に驚く毎日ですが、昨日もまた、浅川マキの……。

故人は決してメジャーな活動はやっていませんでしたが、少なくとも私の世代ではファンが多いはずですし、新しいファンも今日まで増え続けていたと思います。

昔っからのメモをひっくり返したら、私が初めて浅川マキの歌を聴いたのは昭和44(1969)年末、曲は「かもめ」でしたが、やるせなく、そしてせつないほどの熱さを持った彼女の歌は、当時のラジオ深夜放送の大人びた世界に憧れていた中学時代のサイケおやじを、忽ち新しい場所へと導くものでした。

なんというか、ジャズでもロックでも、歌謡フォークでもなく、ブルース歌謡に近いような、モダンジャズで言えばデイヴ・ブルーベックの「Take Five」調のリズムパターンを使ったノリ、さらに「あばずれた」た歌いっぷりが、新鮮だったのです。

そして以降、ハッと気がつくと、ラジオでも深夜放送では人気が急上昇していた浅川マキの歌は、アングラと言われながら、所謂「文化人」にもファンを増やしていったと思います。

例えばライプの会場には某有名人が来ていたとか、映画やテレビドラマの劇中では、彼女の歌が意図的に使われることも、スポーツ紙の芸能欄のニュースになっていたほどです。

もちろん音楽マスコミも浅川マキを積極的に取り上げ、私がサングラスや衣装も含めて、全身ダークなイメージに徹している彼女の写真を最初に見た時には、失礼ながら決して美人ではなくとも、その雰囲気の「濃さ」に圧倒されましたですね。

また当然ながら、浅川マキの歌そのものの存在感の強さも素晴らしです♪♪~♪ それは聴いているうちに、歌われている情景が自然と心の中で映像化されてしまうほどですから、例えばロマンポルノでは彼女の歌が挿入歌として使われた作品が幾つも、残されています。

特に加藤彰監督は相当にファンだったようで、白川和子主演の「恋狂い(昭和46年)」では「夜が明けたら」、中川梨絵と宮下順子が出た「OL日記・牝猫の情事(昭和47年)」では「こんな風に過ぎて行くのなら」と「さかみちけ」が最高に効果的に使われていて、もう泣きそうになりますよ。

それほど浅川マキの歌はハードボイルドですし、彼女の存在そのものが、そうした小説の登場人物だと錯覚させれるのは、私だけでしょうか。イメージ的に浅川マキといえば、新宿や渋谷、池袋あたりの街が似合うというのは、如何にも1970年代的ではありますが、実際、私は彼女のライプには全く接したことがありませんし、唯一度、東京駅で彼女を見かけた時も、あぁ、やっぱり浅川マキという歌手は実在したんだなぁ……、と妙な感慨に浸ったほどです。

で、本日ご紹介のアルバムは浅川マキが確か3枚目に出した、初期のライプを収めた傑作盤です。

 A-1 別れ
 A-2 赤い橋
 A-3 にぎわい
 A-4 ちっちゃな時から
 A-5 朝日樓(朝日のあたる家)
 A-6 かもめ
 B-1 少年
 B-2 死春期
 A-3 ピアニストを撃て
 A-4 オールド・レインコート
 A-5 ガソリン・アレイ
 A-6 さかみち

録音は昭和46(1971)年12月31日の紀伊国屋ホール、つまりは大晦日のライプなんですが、浅川マキにとっては毎年恒例のイベントとして、以降も、ずぅ~~っと続いていくものです。

そして演目は代表曲と新曲、ライプだけの選曲もあり、特にB面収録の「オールド・レインコート」と「ガソリン・アレイ」はご存じ、ロッド・スチュアートの人気レパートリーを日本語で歌った快演♪♪~♪ 完全に日本語ロックになっているのが、たまりませんし、お馴染みの「朝日のあたる家」にしても、ジャズブルース仕立が良い感じです。

ただし残念なのは、浅川マキの歌が現在、オリジナル仕様でCD化されていないことで、この名盤にしても、CD化は不明です。

このあたりは何故なんでしょう……。

一説には浅川マキ本人がCDにされた「音」を嫌っているらしいのですが、確かに彼女の歌にはアナログ特有の温もりが似合うのは確かです。

今となっては天国へ召された彼女の意思を確かめる術もなく、そのあまりの急な出来事に後事は全く不明ですが、ひとりでも多くの皆様に浅川マキを聴いていただくためにも、善処を望みたいところです。

ということで、昨夜は浅川マキを聴こうとして、まずはこのアルバムを取り出したんですが、途中で悲しくなって、針を上げてしまいました……。

そして前述したロマンポルノ「OL日記・牝猫の情事」のDVD鑑賞に切り替えた次第は、如何にもサイケおやじ的日常かもしれません。

中川梨絵が成り行きのお見合いを終え、自宅に帰って簡単な料理を作り、ひとりで食べているシーンでの「こんな風に過ぎて行くのなら」は、あてどないムードが最高♪♪~♪ また宮下順子が好きな男の幸せを思って、ひとりで去っていくバスの中での「さかみち」には、本当にじんわりとせつなくさせられますよ。

既に述べたように自分の中では、不思議なほどに虚構性の強い歌手でしたから、突然の悲報も実感というよりは、妙な悲しさが強くなるばかりです。

浅川マキは生きている!

そんな風にさえ、自然に思ってしまうのが、これまた不思議……。

謹んで衷心より、ご冥福をお祈り致します。合掌。

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破れても、突っ込め!

2010-01-18 12:47:15 | Weblog

昨日、世論調査ってやつの電話を初めてもらいました。

もちろん対象は現在の政治状況です。

はっきり言えば、今さら小沢一郎が汚れたお金を云々したって、AV女優が特出しストリップで挙げられた程度の衝撃しかありません。

しかし、それ以上に仰天させられたのは、鳩山総理の検察批判と受け取られても当然の発言でした。

確かに三権分立とはいえ、これはもう、常軌を逸したと思いましたですね……。

尤も「私腹を肥やさなければ、法令違反もOK♪」なんて居直った人ですからねぇ。

同様のことは友党の某代議士も熱弁をたれていましたが、そんなチンケな者とは立場が違うし、それに対して苦言を呈することもない、だんまりの法務大臣にも呆れ果てるばかりです。

また、小沢一郎は、自分が仕えた親分の田中角栄と金丸信が同様の事犯で失脚した過去の何を見てきたんでしょう。こんな、あまりにも古典的な事件を揉み消すことも出来ないようでは、この先の前途多難な日本を安心して任せられないという、なんとも不条理な憤りを感じるばかりです。

しかし、そんな中にあって、これまで一貫して「政治とお金」の汚い姿を糾弾してきた社民党、そのトップである女史の発言の歯切れの悪さが痛快至極!

ざまあみろっ!

いい気になってやがるからだっ!

思わず溜飲が下がりますねぇ~~~♪

ど~せ、国会なんて審議の必要は無駄の骨頂という多数決ですから、さっさと数の力で押し通して、一刻も早い予算成立を目指すのが、政治の王道でしょうね。

民主主義は国民の気持を大切にすることが第一義ですよ。

今日は暴言、失礼致しました。

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ワイルドでいきたい!

2010-01-17 10:28:14 | Rock

ワイルドでいこう! / Steppenwolf (Dunhill / 東芝)

アメリカ産ハードロックといえば、本日ご紹介の「ワイルドでいこう! / Born To Be Wild」は絶対、外せないでしょうねぇ~♪

キリッとしたロックビートで初っ端からテンションが上がりまくっているイントロは、実にシンプルなリズムギターとタイトなドラミングが、その全て! そして野太いボーカルとエグ味の強いオルガンの響き! なによりも刹那的な雰囲気さえ滲む曲メロのカッコ良さ!

ところが最初に発売された1968年初夏には売れず、翌年になってバイカームービーの傑作「イージーライダー」の挿入曲のひとつとして、リバイバル的に大ヒットしたのもムペなるかな! 本篇での橋を渡るシーンで使われた「ワイルドでいこう!」の印象は、人生を変える勢いさえあるんじゃないでしょうか。

父親からの遺伝の所為か、子供時代からバイクが大好きだったサイケおやじには、梅宮辰夫主演の「不良番長」シリーズの主題歌「番長シャロック」と並ぶ、決して避けることが出来ない運命の名曲名演だったかもしれませんから、映画のスチール写真が転用デザインされた掲載のシングル盤をゲットしたのは、必然の成り行きでした。

ちなみに映画「イージーライダー」は制作がピーター・フォンダ、監督&脚本がデニス・ホッパーで、もちろん2人が主役を務めたという、ちょいとばかりインディーズ系の作品ですから、資金の関係でオリジナルの音楽を頼む余裕がなく、そこで既成のロックや大衆音楽を使ったと言われています。そしてサントラ音源にはザ・バーズ、ジミヘン、ザ・バンド等々といっしょに、ステッペンウルフの「ワイルドでいこう!」が使われたというわけですから、ある意味では瓢箪からなんとやらでした。

しかし、そのキャッチーで勢い満点の歌と演奏は永遠に不滅の魅力として、これまでにも度々、放送CMに使われてきたことを思えば、嬉しくなるのです。実際、あのイントロを聴くだけでワクワクしてきますし、さらに全篇を聴きとおせば、オルガンソロの最後で炸裂するブレイクのドラムスのカッコ良さにシビレが止まらなくはずです。

肝心のステッペンウルフは1968年初頭にレコードデビューしたアメリカのグループで、メンバーはジョン・ケイ(vo)、ゴールディ・マックジョン(org,p)、ジョン・セント・ニコラス(b)、ジェリー・エドモントン(ds) をメインにマイケル・モナーク(g)、あるいはラリー・バイロン(g) が交代参加していた5人組という、当時の典型的なロックバンドですが、その魅力はハードドライヴィングな演奏とワイルドな声質で歌いまくるジョン・ケイの存在でした。

そして実際、我国でも1970年代に入ってからの最初の1~2年は人気絶頂で、本国アメリカではヒットしなかったシングル曲も、ラジオ中心の洋楽チャートに入っていたほどですし、個人的にも「スキ・スキ・スー / Sookie」あたりを聴くと、今でも血が騒ぎます。

で、この機会に書いておきたいのは、ロックとバイカーに関する個人的なポジションです。

一般的なイメージではバイク愛好者はロック好きで、皮ジャンにヘビメタ、あるいはキャロルや横浜銀蝿なんかのツッパリR&R、それが高じた暴走族御用達の外道! そんな「つるんだ」アウトローな受け取られ方になっているんでしょうが、サイケおやじは若い頃から暴走族は大嫌いで、ちなみに当時は狂走族と呼ばれていたんですが、所謂「飛ばし屋」なんて言われるのも迷惑でした。

というのも、私は「つるんで」何かをやるというのが自分の感性に合っていません。

そして映画「イージーライダー」で描かれたような、バイクとロックを自由の象徴にしながら、結局はある日突然、自然に不条理な死を迎える生き方に共感を覚えるのです。

それは悪いクスリの運び屋をやって稼ぎ、気儘な旅に出る2人のバイク野郎に仮託された夢と現実の儚さとして、今日に至るも私に大きな影響を与えてくれたものです。

もちろんサイケおやじにしても、若い頃は歩道橋をバイクで駆けあがったり、本当に気の合う仲間とツアーしたり、遠く離れた映画館や中古盤屋を巡る時には必要不可欠な道具として、自分のマシンと関わってきましたから、清廉潔白だとは決して言えません。

そして今では、すっかり中年者の変態バイカーを「きどる」だけになっています。

だからこそ、「ワイルドでいこう!」を聴き、ワイルドでいきたい!

ますます、そう思うのでした。

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愛しのウォ~ク・アウェイ

2010-01-16 11:18:48 | Rock

Walk Away / The James Gang (ABC / 東芝)

ヘビメタが嫌いなサイケおやじにしても、ハードロック、もっと言えばヘヴィロックやアートロックが大好きという自己矛盾は常に周囲から失笑されているわけですが、中でもキメが一発の重厚なイケイケ曲には何時もシビレが止まらない体質になっています。

で、もちろん本日ご紹介の1曲も、そのひとつとしてリアルタイムの若い頃から頭の中に鳴り続けてきた名演で、これに共感される皆様も大勢いらっしゃるはず! と自己弁護しながら、これを書いているというわけです。

演じているジェームス・ギャングはアメリカのバンドで、1960年代中頃からメンバーチェンジを繰り返しながら活動していたらしく、一応の正式レコードデビューは1969年でした。そしてこのシングル盤を出しのは、既にアルバム3枚を作った後のことで、メンバーはジョー・ウォルシュ(g,key,vo)、デイル・ピータース(b,vo)、ジム・フォックス(ds,vo) という3人組!

ですから、所謂アメリカンハードでありながら、実は妙にジャズっぽかったり、意識過剰のフォークソングみたいな曲を演じてしまったり、その音楽性がイマイチ定まらなかったのも、後追いで聴いたアルバムに感じられるところです。

しかし私に、その「後追い」をさせるきっかけとなったヒット曲「Walk Away」は、昭和46(1971)年の我国深夜放送ラジオから流れまくり、忽ち洋楽ファンを狂喜させた、実にストレートな意気込みが潔い名曲名演♪♪~♪

なによりもブリティッシュ丸出しなスタイルでシンプルなコードワークやリフを弾き、熱を帯びたギターソロを聞かせてくれるジョー・ウォルシュには瞠目させられましたですね。そして実際、イギリスのバンドからは誘いが幾つもあったと言われています。

それはこの「Walk Away」のヒットが出た後、自らジェームス・ギャングを辞めた頃の話ですが、なんと1976年になって、西海岸派ど真ん中のイーグルスに加入するとは、夢にも思いませんでした。

ちなみにジョー・ウォルシュに去られたジェームス・ギャングは、ドン・トロイアーノやジョン・トロペイ、トミー・ボーリン等々のフュージョンロック系ギタリストを助っ人して活動を継続したのも、バンドの方向性を思えば意味深でした。

もちろんその間、ジョー・ウォルシュは自己名義のバンドを率いて、数枚のリーダーアルバムを作り、それらは玄人筋からは評価されていますが、個人的にはイマイチ……。

それもこれも全ては、このシングル曲「Walk Away」の出来がジャストミートし過ぎた所為かもしれません。

ただし、そうだからと言って、私はジョー・ウォルシュが嫌いになったわけでは決して無く、イーグルスのハードロック化に果たした役割は絶大だと思いますし、知っている人には分かってもらえでしょうが、例のトーキングモジュレーターの使い手としては、ジェフ・ベックやピーター・フランプトン以上の味わいを醸し出せる名人だと思っています。

そして恥ずかしながら、感化されて、件のアタッチメントを買ってしまったのが、サイケおやじの本性です。

ということで、最近はハードロックも愛おしい毎日なのでした。

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ジミヘンの虹の架け橋

2010-01-15 15:07:19 | Jimi Hendrix

Rainbow Bridge / Jimi Hendrix (Reprise)

ジミヘンの死後、確か1971年末頃に出た未発表テイク集で、ジャケットには「レインボウ・ブリッジ」という映画のサントラみたいな記載もありますが、中身は全くの別物!

実は後にビデオですが、その映画を観た印象は、確かにジミヘンのライプステージも映ってはいたものの、ほとんど意味不明……。画質が悪いなぁ……、なんていう嘆きのほうが強かったですね、正直。

しかし、このアルバムは当時としては内容が充実の極みでした。

 A-1 Dolly Dagger / 1970年7月1日録音
 A-2 Earth Blues / 1969年12月19日録音
 A-3 Pali Gap / 1970年7月1日録音
 A-4 Room Full Of Mirrors / 1969年11月17日録音
 A-5 Star Spangled Banner / 1969年3月18日録音
 B-1 Look Over Yonder / 1968年10月22日録音
 B-2 Hear My Train A Comin' / 1970年5月30日録音 (live)
 B-3 Hey Baby (New Risinig Sun) / 1970年7月1日録音

まあ、今となっては各曲が様々な復刻CDに纏められ、なんか個人的には分散という気もしているんですが、とにかくこのアルバムは無かったことにされています。

それでもサイケおやじは、ジミヘンの死後に出た作品群の中では、些かの詐術も憎めないほどに愛聴した1枚です。

まず冒頭の「Dolly Dagger」からしてジミヘン流儀のファンキーロックが敢然と披露され、もちろんこれは未完成ながら、本来はシングル曲候補になっていた真相も理解出来るところです。本当にジミヘン自らの手で作られた完成テイクが聴きたかったですねぇ~。しかし、これでも相当に熱くなれるんじゃないでしょうか。

そして続く「Earth Blues」が、フィル・スペクター関連の黒人女性コーラスグループというロネッツを迎えての演奏として、その周辺のマニアからも熱い注目を集めたテイクなんですが、結論から言えば、彼女達はキメのコーラスフレーズを短く歌う程度です。しかしジミヘンの歌とギター、そして強靭なドラムスやベースと共謀した、しなやかな感性がたまりません。

それはフュージョン前夜祭という感じの「Pali Gap」へも受け継がれています。

ちなみに参考として記載したセッション年月日には様々な諸説があり、また後年に出たCDのプックレット等々を勘案しつつ、全くの個人的推察なのを御断りもしたうえで書きますが、このアルバムの中で一番に古いと思われ録音の「Look Over Yonder」はもちろん、またウッドストックでの強烈な陶酔演奏が印象的だった「Star Spangled Banner」にしても、その前向きな姿勢が実に潔いというあたりは感服するしかありません。

特に後者はアメリカ国家というよりも、ギターの執拗な多重録音や各種効果音の複合ダビングが本当に熱い、聴けば納得の反逆のテーマ!

そんな流れの中で違和感があるライプ録音の「Hear My Train A Comin'」でさえ、やっぱりジミヘンは、これでなきゃ~~ねっ!

ということで、これまたリアルタイムでの思い入れがなければキツイ作品集かもしれませんが、逆に言えば、今日の纏まった編集CDは音が良いかもしれませんが、私のような者にはちょいと構えて聞かされるのが正直な気持です。

ご存じのように、ジミヘン関連の音源は本年より契約会社がソニーになったとかで、またまたこれまでのオリジナルアルバムや編集盤が出直しになるようですが、もちろん様々なお楽しみやお宝の御開帳が予定されているとはいえ、実は初出の形態が無視されていくのは、いかがなもんでしょう。

それらは確かに、ジミヘン本人の意思とは無関係に節操なく出されたものではありますが、歴史であることも否定出来ないでしょう。

個人的には音質や音圧に幾分のバラツキも散見されるこのアナログ盤が、紙ジャケ仕様で当時の雰囲気を大切にしたリマスターによって発売されるなら、買ってしまうでしょうねぇ。

そんな儚い夢をジミヘンは許してくれるでしょうか。

最後になりましたが、前述した映画の「レインボウ・ブリッジ」に映し出されていたジミヘンの演奏は、全くこのアルバムには入っていません。しかし今日では準公式盤として、その1970年7月30日のライプ音源が出回っていますし、映画の演奏シーンだけ纏めた30分程度のビデオやLDも存在しています。

もしも願いが叶うなら、そうした未確定の音源や映像も抱き合わせて復刻し、リアルな「レインボウ・ブリッジ」アルバムの登場も熱望しているのでした。

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ボブ・ディラン偏食主義

2010-01-14 11:49:11 | Singer Song Writer

Highway 61 Revisited / Boy Dylan (Columbia)

若い頃、もはや強迫観念のようにボブ・ディランを聴かなければっ!?! そう思っていた時期がありました。

それは爆破的ブームになっていた歌謡フォークに対する反発もありましたし、ジョージ・ハリスンが主催した例の「バングラデシュ」のコンサートに登場した、初めて接する動くディランの圧倒的な存在感とカッコ良さ! 何よりも、いったいこの偉人は何を歌って、神様扱いになったんだろう!? という素朴な疑問がありました。

そこで友人から借りたベスト盤の1&2集、また自分で買った新譜の「新しい夜明け」を聴きこんで、ついに辿りついたのが、本日ご紹介の歴史的名盤アルバルです。

 A-1 Like A Rolling Stone
 A-2 Tombstone Blues
 A-3 It Takekkkkks A Lot To Laugh, It Take A Train To Cry
 A-4 From A Buick 6
 A-5 Ballad Of A Thin Man
 B-1 Queen Jane Approximately
 B-2 Highway 61 Revisited
 B-3 Just Like Tom Thumb's Blues
 B-4 Desolation Raw

ご存じのとおり、ボブ・ディランのフォークロック期の傑作にして、アメリカンロックの代表曲とされる「Like A Rolling Stone」がA面ド頭ということで、如何にも尖がった印象があろうかと思います。

しかし収録の曲メロは全てにおいて、妙に人なつっこい「ディラン節」が全開していますし、それを彩るバックの演奏はツッパリR&Rやブルースロックはもちろんのこと、不思議にメロディアスで和みすら滲んでくる親しみ易さがあると思いますが、いかがなもんでしょう。

特に個人的にはB面トップに収録の「Queen Jane Approximately」が大好きで、お好みの曲を入れたカセットを作る時には必須でしたねぇ~。実際、こればっかり聴いていた時期が確かにありました。

ちなみにセッションに参加したメンバーはマイク・ブルームフィールド(g)、チャーリー・マッコイ(g)、アル・クーパー(p,org)、ポール・グリフィン(p,org)、ハービー・ゴールドスタイン(b)、ボビー・グレッグ(ds) 等々、いずれもがニューロックやスタジオミュージシャンの世界では有名な者ばかりですから、演奏の充実は納得する他はありません。

特に「Like A Rolling Stone」における、バカでかい音のオルガンはアル・クーパーが生涯の名演だと思いますが、実はセッション当日にはギターを弾くためにスタジオにやって来たところ、現場には名人のマイク・ブルームフィールドが既に到着しており、居場所を失った末に、ほとんど弾いたこともなかったオルガンを担当したとか!?

まあ、事の真偽は出来過ぎというか、エピソードとしては面白いと思いますが、何よりも、そういう瞬間的な判断が、ファジーな成り行きとして許されていたところに歴史の必然があったように思います。

それは現場を仕切った黒人プロデューサーのトム・ウィルソンの手腕でもあり、この人は実は1950年代中頃、自らのモダンジャズ愛好癖を満たすために「トランジション」というマイナーレーベルを主催し、極僅かですが、最高に素晴らしい作品を送り出した辣腕オタク派! しかも、このディランのセッションの最中、同じく担当していたサイモン&ガーファンクルの「Sound Of Silence」のアコースティックバージョンに、歴史的なエレクトリック&ロックビートのダビングを施して大ヒットに結びつけたという功労者でもあります。もちろん、それを演じさせたのは、ここに参加したセッションミュージシャンなんですねぇ~♪

そして肝心のボブ・ディランは、何時にもまして強い存在感を打ち出す歌いっぷりが、何を歌っているのか分からない現実とは裏腹の説得力! こういう聴き方は邪道かもしれませんが、私が入手したのは輸入盤ですから、対訳付きの歌詞カードはもちろんありませんし、例えあったとしても、結局は理解不能の世界なんですよ、私には……。

しかし、それでも「ディランが聴きたい!」という衝動は大きくなるばかりでした。

告白すれば、それは1970年代中頃までのザ・バンドと共演していた頃や、それに続く「ローリング・サンダー・レビュー」とか「ラストワルツ」を経て、待望の初来日公演があった時期がメインという、非常に偏った嗜好です。

そういう偏食が許されるのか否かは、本当のディラン信者には堪え難い話でしょうね。

ということで、本日は「私のディラン」というお粗末でした。

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バッファロー・スプリングフィールドの栄光と宿業

2010-01-13 11:09:26 | Rock

Buffalo Springfield (Atco)

サイケおやじがレコードやCDをゲットするのは、あくまでも聴きたいという衝動を優先させている! なぁ~んて、何時も姑息な言い訳をしている見苦しさですから、現実的には持っていないと安心出来ないブツが確かに存在しています。

例えば本日ご紹介のアナログ盤2枚組LPは、スティーヴン・スティルスやニール・ヤングが在籍していたバッファロー・スプリングフィールドが解散後の1973年に出したベスト盤なんですが、当時は初出となった、たった1曲のために買わされたアルバムです。

 A-1 For What It's Worth
 A-2 Sit Down I Think I Love You
 A-3 Nowadays Clancy Can't Even Sing
 A-4 Go And Say Goodbye
 A-5 Pay The Price
 A-6 Burned
 A-7 Out Of My Mind
 B-1 Mr. Soul
 B-2 Bluebird
 B-3 Broken Arrow
 B-4 Rock & Roll Woman
 C-1 Expecting To Fly
 C-2 Hung Upside Down
 C-3 A Child's Claim To Fame
 C-4 Kind Woman
 C-5 On The Way Home
 C-6 I Am A Child
 D-1 Pretty Girl Why
 D-2 Special Care
 D-3 Uno Mundo
 D-4 In The Hour Of Not Quite Rain
 D-5 Four Days Gone
 D-6 Questions

その罪作りな1曲は「Bluebird」で、なんとオリジナルバージョンではカットされていたギターパートが残された9分超のロングバージョン!?! もちろんスティーヴン・スティルスとニール・ヤングのバトルもどきが大きなウリというわけですが……。

個人的には、それほど気にいっていません。

しかし、持っていないと明らかに安心出来ないものがあるんですねぇ。まさにファンの宿命というか、マニアの宿業というか……。

さらに今日でも、このロングバージョンは未CD化だというのですから、尚更です。

その原因はメンバーが嫌悪(!?)しているからだそうで、以前に出た集大成的な4枚組CD箱でも、無かったことにされているのは、その証かもしれません。

ただしアナログ盤そのものは、現在でもそれほどの高値では無いようですし、我国でも確か「栄光のバッファロー・スプリングフィールド」なんていう邦題で発売されていましたから、入手は容易です。

う~ん、それにしても、物を集めるという行為は子供っぽくあり、己の業の深さを痛感させられる所業でもありますね。そして音楽を聴き始めた当時、こんな「持っていないと安心出来ない」なんていう境地があろうとは、思いもよりませんでした。

ちなみにバッファロー・スプリングフィールドが出したシングル曲では、例えば「Mr. Soul」や「Expecting To Fly」が別テイクだったり、編集バージョンだったするアメリカプレスの7インチ盤がありますから、またまだ奥の細道は続いてくのでした。

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シングル盤でも満足のザ・フー

2010-01-12 10:34:45 | The Who

I'm A Boy c/w In The City / The Who (Reaction / ポリドール)

私は少年時代から、ザ・フーというバンドが大好きでしたが、そのリアルタイムの1960年代後半の我国では、からっきし人気がありませんでした。

それは契約や権利の関係等々からイギリスで作られていたオリジナル仕様のアルバムが、そのままの形では日本発売が無かったことにもよりますが、ザ・フーの楽曲に特徴的なポップなメロディと素晴らしいコーラスワーク、そして反比例するかのように暴れる強靭なペースと爆裂ドラミングによる強いビートで形作られた歌と演奏が、当時の洋楽を楽しむ最も手軽な手段になっていたAMのラジオ放送では、その魅力が充分に伝わらなかったことによるものと、今は冷静な分析も出来るところです。

また普通のロックバンドではサウンドの要となるはずのギターが、ザ・フーでは一番に目立たない存在というか、燃えるようなギターソロも少なく、どちらかと言えば縁の下の力持ち的な役割だったのも、我国でウケなかった要因かもしれません。

とにかくリアルタイムの我国で、ザ・フーのファンは今とは比較にならないほど少なかったと思われますし、必然的にアルバムも日本独自の編集盤ばかりという偏ったものでしたから、経済的な理由も合わせれば、若き日のサイケおやじはシングル盤を買う他はなく、本日ご紹介の1枚も昭和42(1967)年の初夏に買ったものです。

もちろん本国イギリスでは前年夏に発売され、大ヒットしていたわけですが、我国では全くヒットしなかったと思います。

しかし両面ともに、ザ・フーの持ち味を最高に楽しめることは請け合いで、A面の「I'm A Boy」は一抹の哀愁を含んだ綺麗なコーラスと覚えやすい曲メロが力強いビートで煽られていくという、幾分屈折したポップフィーリングがクセになるほどですが、それは幼い頃から女装で育てられた主人公のせつない叫びを綴った歌詞があればこその説得力が絶大!

またB面の「In The City」はザ・フーの面々が大ファンだというビーチボーイズ風味が極めて強い、実にマニアックな歌と演奏ですから、思わずニヤリ♪♪~♪

ちなみにザ・フーが恒常的に使うコーラスワークは、当然ながらビーチボーイズからの影響も大きく、またオペラチックに展開されるあたりとバックの暴虐的な演奏のコントラストは、後のムーブ、イエス、クイーン等々に受け継がれていくものと確信しています。

ということで、本国イギリスでもシングル盤オンリーの発売ということで、後には様々なベストアルバムに収録される代表曲ですが、唯ひとつ、「I'm A Boy」に関しては、1971年に発売された「ミーティ・ビーティ・ビッグ・アンド・バウンシィ (Track)」に収録の同曲は再録加工した別バージョンなので要注意です。

今では常識になっていますが、ザ・フーのライプステージの凄さは、例の「ウッドストック」の記録映画が我国で公開されて以降の話ですら、個人的にはザ・フーといえば、リアルタイムで発売されていたシングル曲に魅力があるというのが、グループ初期の真相だと思っています。

その意味で当時、小遣いの乏しさからチビチビとシングル盤しか買えなかったザ・フーのレコードも、今ではそれで正解だったのかもしれないと自己満足しています。そしてラジオ放送よりも遥かに勢いが強く感じられるレコードからのザ・フーの歌と演奏は、まさに「ロックの音」の象徴なのでした。

コメント (8)
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