松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

芭蕉と池田修三の象潟

2018-05-12 07:09:30 | 日記・エッセイ・コラム

 妻の実家は象潟町で、若い頃団地に10年ほど住んでいた。

 実家は芭蕉が通ったメインストリートに面し、昔の区割りなので間口が狭い。いわゆる「ウナギの寝床」だ。

 例えば車が置ける玄関前から入ると、廊下が真っ直ぐ伸びて客間、床の間を横に見て茶の間に入る。茶の間の奥は、もう一部屋分あって、風呂などがある。勝手口を出ると小屋があって、その奥はめいめい野菜や草花を植える畑が広がっている。

 由緒あると思うのは、会話の中に出てくる言葉だ。姉の家は近く100mほどだが、「稲荷小路」と呼ぶ。姉は妹を「大町」と言う。ちょっとしたおかずは、150mほどの「やんぜん商店」で済ます。行くと会話が長引き、なかなか帰ってこない。

 スーパーかくぜんが閉店したおかげで、象潟人は町はずれのイオンまで行かなくてはならない。やんぜん商店は貴重だが、採算が合うわけがない。もう趣味でやっているというしかない。

 池田修三の生家である池田医院を池田医者というが、家から500m江戸方面にさかのぼる。版画家池田修三は、ここで生まれた。もう100mも行くと、芭蕉が泊まった宿だ。

 鳥海山の山頂が山形県となっているように、観光も庄内地方に奪われてしまった。

 文字通り「奥の細道」というしかない。

 にかほ市というより、芭蕉市にしとけば、良かったのに。名前は重要ですよ。

 と合併前に書いたような気がする。

コメント
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