妻の実家は象潟町で、若い頃団地に10年ほど住んでいた。
実家は芭蕉が通ったメインストリートに面し、昔の区割りなので間口が狭い。いわゆる「ウナギの寝床」だ。
例えば車が置ける玄関前から入ると、廊下が真っ直ぐ伸びて客間、床の間を横に見て茶の間に入る。茶の間の奥は、もう一部屋分あって、風呂などがある。勝手口を出ると小屋があって、その奥はめいめい野菜や草花を植える畑が広がっている。
由緒あると思うのは、会話の中に出てくる言葉だ。姉の家は近く100mほどだが、「稲荷小路」と呼ぶ。姉は妹を「大町」と言う。ちょっとしたおかずは、150mほどの「やんぜん商店」で済ます。行くと会話が長引き、なかなか帰ってこない。
スーパーかくぜんが閉店したおかげで、象潟人は町はずれのイオンまで行かなくてはならない。やんぜん商店は貴重だが、採算が合うわけがない。もう趣味でやっているというしかない。
池田修三の生家である池田医院を池田医者というが、家から500m江戸方面にさかのぼる。版画家池田修三は、ここで生まれた。もう100mも行くと、芭蕉が泊まった宿だ。
鳥海山の山頂が山形県となっているように、観光も庄内地方に奪われてしまった。
文字通り「奥の細道」というしかない。
にかほ市というより、芭蕉市にしとけば、良かったのに。名前は重要ですよ。
と合併前に書いたような気がする。