花紀行

トレッキングしたりその時々に出会った花たちの思い出
デジカメで撮った写真など・・・

真間の手児奈伝説の地1

2015年02月22日 | 千葉県内
長年生きてきて高校生の頃思っていたことが全く見当違いだったということが分かった瞬間
居ても立っても居られなくなり出かけてみよう!ということになって!
事の起こりは一か月に一度行く調剤薬局 たいてい空いているのですぐに順番が来るのですが
このときは何人も待っており時間つぶしのために雑誌を開いていました。

そこに!!!「真間の手児奈」のことが載っていたのです。  真間という場所が問題
今までずっとその地はふる里群馬の大間々のことを指すのだとなんの疑いもなく思っていました。
ところが雑誌に掲載された「真間の手児奈」伝説の地は千葉の市川にある!!!
群馬の「大間々」と市川の「真間」この年になってようやく知ることになり遅すぎる感慨にふけったのです。 
早速 雑誌に掲載された真間の手児奈伝説にかかわりのある場所を訪ねてみることにしました。


↑ 松戸駅から市川駅行きバスに乗って「国府台(こうのだい)」駅に下りると周辺案内のポスターが
貼ってありました。江戸川沿いから矢切の渡しの方面まで歩いても行かれるようです。
お手製の ≪マイ 駅からハイキング≫ に出発~~~

下↓は江戸川  土手沿いに出てみました。風が強くてとっても寒い日でした。出かけたのは 1/31



走っている電車は京成線  右にはスカイツリー♪


地図を頼りになんとか真間川に出会うことができました。江戸川にすぐ近いです。

調べたとき真間川沿いを行くといいとなっていました。そうなったのでほっとして左を歩いていきます。

まぁ~  これは「てこなばし」! 伝説なのにちゃんと橋までありました。


”真間の手児奈” ※真間に住んでいて身なりは粗末ながら絶世の美女 あまたの殿方から言い寄られ
むげに断ることもできずひとり悩み続け自分がいなくなればいいと真間の入り江に身を投げ
自ら命を絶った薄幸の人という伝説です。
伝説にもかかわらずその真間の手児奈のことは古くから歌人によりうたわれているのです。
「真間」とは「がけ」を意味するそうでこのあたりは崖になった地形が多い
この看板の説明にあるようにこの辺一帯は私の家から見ると低い土地になっているのが分かります。




てこなばしからほど近いところには! 真間の「継ぎ橋」がありました。
後ろのこんもりした森は後から行くことになる「真間山」 左は名前からして「つぎはし」という茶店
昔からこのあたりは「砂州」という地形だったようです。
真間川の河口付近からいくつもの入り江ができていてその入り江にはいくつかの「州」ができており
州から州にかけて渡された橋が万葉集に詠われた真間のつぎ橋なのだそうです。
とはいってもこの橋はたまたまここに作っただけで因果関係は全くなし・・・ですって!







水の流れる気配さえもなく想像を巡らせるだけのようです。



伝説が万葉集に詠われしかも今に至るまで伝説の地がそのまま生き続け残されているなんて
不思議な思いにかられます。なにしろ「伝説」ゆえ真偽はどうのということではなくおそらくは
奈良時代から伝わってきたという歴史の流れに興味がわいています。

これは自分のための覚えとして残しておきたいのでスルーされて全く構いませんので
そのまま通り過ぎてくださいますように!気の向いたときに続編を記したいと思っています。

 ♪オペラ真間の手児奈♪ は高校のときの文化祭の伝統の出し物の演目でした。
最初から最後まで聴いたことはなかったものの手児奈に愛の同意を求める
「てこな 今日こそ 言ってくれ~」と男性が悲痛に訴える場面ははっきり覚えています!
友達がその真似をよくしていたのでなお更脳裏に焼き付いて離れないのかもしれません。