もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

0099 重松清「きよしこ」(新潮文庫;2002) 感想5

2013年08月31日 23時07分05秒 | 一日一冊読書開始
8月31日(土):

291ページ  所要時間 4:15     ブックオフ105円

著者39歳(1963生まれ)。

頭の老化によって、読んだ尻から忘れていくのが情けない…。しかし、最初から最後まで、休みなしで一気に読んだ。読まされた。無理せずに、こんな読み方ができる作家は、俺の場合、重松清以外にはあまり思いつかない。

文章が平易なことだけでは説明がつかない。まず、作者のまなざしが限り無く優しく丁寧で、繊細・微妙な感情の襞を絶妙に描き切ってくれていて、ある種の爽快感がある。そして、話の展開に無理が無く、安心して自分の思いや人生を重ね合わせることができる。これらがそろって、初めてこのような一気読みはできるのだ、と思う。

本作は、吃音を「しょうがない」と捉えれた小学校低学年から、障害」と教師に決めつけられ、嫌でも吃音を自覚して悩まざるを得なくなって成長していく「少年」が主人公である。物語りは、基本的に「彼」ではない、「少年」という三人称で展開する。

少年の名は「白石きよし」、彼は作者重松清の分身である。本作は、吃音者である重松清自身の<自伝的小説>といえる。

少年は父の仕事の関係で、小学生の時に5回の転校を繰り返し、その度に自己紹介で「吃音」を笑われ続けることに苦しむ。転校だけでも辛いのに、「吃音」を知られて笑われることを繰り返すことは厳しい経験という他ない。

中学以降は、親父が出世を犠牲にしてくれたおかげで転勤がなかったので、瀬戸内の山口県(広島県)?の中学は野球小僧として、高校は進学校で学生生活を送り、受験は重松作品お決まりの、山口大学(広島大学)?と早稲田大学の併願、早稲田大学で東京へ! というコースを歩む。

そして、小学校、中学校、高校、大学受験の中で、激し過ぎるような体験はそれほど出て来ない。日常的な無神経さ、いじめ、交友、部活動などの他にたまに変な人なども出てくるが、いずれの話も「何か自分の人生でもどこかで体験したことがあるよね」、という普遍的「あるある話」になっているのだ。けれども、それらが重松清によって丁寧に描き出されることによって、「日常の生活の中にこそダイナミックで劇的な物語りがあるのだ」と読者に感じさせてくれるのだ。

最近、仕事が忙しいせいもあって、少々疲れ気味で読書もなかなか儘ならず、本を読むことに用心深くなってしまっている。ましてや読書で泣くこともめったにないが、重松作品では必ずウルウルっとくる。これは、結局「他人事ではない」と思わせる普遍性を重松作品が持っているからだと思う。

そう遠くはない老後、とりあえず「前へ、前へ!」と思わなくて済む日が来たら、俺は先ず重松清の作品の<読み直し>から読書を始めるだろう、と思う。そもそも重松清の作品を読んだからといって、知識が増進して何かの役に立つなんてことは全くない。しかし、<心が求める栄養>として、そして<人生に「イエス」と言う為の知恵の源泉>として俺は重松作品を読み続けるのだろう、と思う。

目次: きよしこ/乗り換え案内/どんぐりのココロ/北風ぴゅう太/ゲルマ/交差点/東京
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130831 ウィキペディアの「偏差値操作」項目は、すごく納得がいく!

2013年08月31日 17時14分18秒 | 日記
8月31日(土): 徒然のネットサーフィンで見た。

最近、大学の入試制度に対して感じていた強い違和感が、ウィキペディアの「偏差値操作」項目を読んでかなり氷解した。やはり昔とは違うのだ。私立大学では昔の裏口が、表門になっているのだ。

※以下、ウィキペディア「偏差値操作」より

偏差値操作は、大学などの教育機関が入学試験において、大手予備校が学力偏差値を算出する際に対象外としている推薦入試などの入試形式の難易度を大幅に下げて、大量の入学者を確保すると共に、入試難易度が偏差値として表れる一般入試での募集人数を少なくし、更に回数を増やしたり複数回の受験による受験料の割引などにより一般入試の競争率を高めることにより外見上の大学のレベルを上げさせる方法。

概要
日本では学力偏差値が大学を語る上で、重要な役割を担ってきた。偏差値はランキングという形で公開されるなど、各大学の学力的な実力を測る指標として用いられており、大学受験を控えた受験生たちにとって大きな役割を果たす。日本は大学の序列が意識されることも多く、偏差値が高いというだけで、ポジティブなイメージを持たれる傾向がある。それゆえ、将来的に淘汰も予見される地方の小規模の大学等もあり、ブランド作りの一貫として偏差値操作を行っているのではないかと、BBSなどで語られ、インターネットスラングとしてもよく用いられる。

偏差値操作の手口
1.定員を減らす
 100人募集を50人へ減らしたとする。そうすると、入学試験で1位 - 100位まで合格するところを、1位 - 50位までしか合格しなくなるわけだから、より高い学力の人50人しか合格出来なくなり、偏差値は上昇する定員を減らすためには、AO入試や各種推薦入試、内部進学などの偏差値を測定する際に算入されない入試方法で多くの学生を確保し、一般入試での募集人数を減らすという方法が一般的である。また、入試形態を多様化し、日程を複数用意するなどして、各入試方法の定員を減らすという方法もとられる。また、科目数を減らす事による偏差値操作よりも操作している事実が表面化しない方法である為に見た目の偏差値を上げる上で多くの大学で行われている。この点は読売新聞社教育取材班「大学の実力2012」で多くの主要大学の推薦比率について確認が可能ではあるが、普通にしていれば受験生はこの操作に気付く事が非常に困難である。科目数が少ない訳ではないから偏差値操作をしていないと判断して、入学してから内部進学他の多さに唖然とする者も少なくない。内部進学の有無がはっきり分かるとすれば、せいぜい附属高校の有無で判断するしかないのが実情である。実態が表に出難いので偏差値操作の手段としては学生に悟られず行える事から多くの大学で行われている。特に推薦入試の場合はペーパーテストを受けずに大学合格している者も多い事から、実質的に科目数を減らした軽量入試で入学している者より学力的に見て質が低い場合が多いと多々指摘されている。この傾向は推薦を貰う事が難関私大と比較すれば比較的簡単な中堅私大や地方国公立大あたりから顕著に表れる。大学によっては推薦比率・一般比率を公開している大学もあるが、推薦比率が極端に高い大学は都合の悪い情報として非公開にするケースも存在する。私立大学であれば推薦比率4~5割台でも比較的健全な部類であり、酷い物であれば8割超えが推薦入学者という中堅以上の私立大学も存在し、推薦比率を見直せば実質的には偏差値がある程度違う事に成りかねないという場合もあり、問題となっている。因みに私立大学では約3/4以上が半分以上を推薦入学で埋めている。国立大学も平均16%、公立大学も平均26%がAO入試や推薦入試であり、一部の公立大などだと一般入試以外の入学者が4~5割を占める大学もある。国立大でも一部国立大で3~4割程度が一般入試以外の入学者というケースもある。
2.科目数を減らす
 科目数が少ないと、特定教科だけ得意とする学生が受験し、偏差値が高く出る傾向がある。故に、1教科受験などで、偏差値を高く見せる大学がある。
3.論述学力試験の配点を減らす
4.センター試験・論述学力試験のどちらか一方しか利用しない
5.成績優秀かつ入学意思のない学生を有償で募り受験させる。

問題点
現在、偏差値操作ないし他の目的で、AO入試や推薦入試が拡充されており、2009年の春に私立大学を受験した人のうち一般入試を受験したのは、『読売新聞』の調査では44%であり、何らの学力審査を経ないで大学生になる人は相当数に上る。ゆえに、大学生の学力低下の一因との指摘がある。

※ダメ押し!

知りたい!:偏差値≠難易度の怪 推薦・AO入試で一般枠減り 大学側が倍率操作? 毎日新聞 2013年02月16日 東京夕刊

 偏差値を頼りに大学を選んだ共通一次世代の子供たちが大学入試の季節を迎えている。親はつい偏差値が気になるが、最近は偏差値が大学の入学難易度とかけ離れている場合もあるという。今どきの偏差値、どうなってるの?【小国綾子】

 首都圏の私立大の文系学部で偏差値が最も高いのはどこだろう。早大政経学部か、あるいは慶大経済学部か。いえいえ。今年の大手予備校の偏差値を見れば、答えは慶大法学部。えっ、いつの間に?

 受験情報会社、大学通信の安田賢治・常務取締役によると「慶大法学部は90年代に指定校推薦・AO(アドミッション・オフィス)入試の枠を広げた。一般入試枠が狭まったため合格ラインが上がり、偏差値も上昇したのです」

 偏差値は一般入試だけが対象で、推薦・AO入試は対象外。「偏差値の高い学部でも推薦・AO入試枠が広ければ、コツコツ型で普段の成績がいい子や一芸に秀でた子は入りやすい。偏差値だけで入学難易度を測れない時代です」と説明する。

 大学通信によると、私立大進学者のうち推薦・AO入試は50・5%を占めるようになった。「受験生を多角的に評価するため導入された制度が、少子化による『全入時代』到来で、学生獲得手段になった。特に不人気校が一般入試枠を狭めて競争倍率を上げ、イメージアップを図る一方、AO・推薦枠を広げて学生を青田買いし始めた」と安田さん。

 18歳人口は減っているのに、大学や学部の数は増えている。全国に約800校の大学があるが、私立大一般入試の志願者数上位約20校に約5割の受験生が集中している。

 人気校でも一般入試枠を狭め偏差値を上げる「操作」がささやかれる。「偏差値が上がれば優秀な学生が来る可能性が高まる」(安田さん)からだ。逆に数年前、中央大理工学部情報工学科はホームページに「『偏差値操作』をすることなく、競争入試による入学枠7割を堅持します」と明記し話題になった。

 同科の鈴木寿教授は「偏差値が他学部や他大学より低い理由を調べると一般入試枠の広さが原因だった。それでも7割を維持した結果、学力検査に裏付けされた学力のある学生を集められている」。

 推薦・AO入試で将来有望な人材を集める大学もあれば、学力低下を招く大学も。事情は大学のレベルや人気度によりさまざまだ。だが、親世代は我が子に少しでも偏差値の高い大学を勧めがちだ。
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130831 今朝の朝日新聞朝刊記事に目を疑った。民主党は、もう大分裂せよ! もう今しかない!

2013年08月31日 14時40分25秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
8月31日(土):

今朝の朝日新聞朝刊を見ていたら、「民主党の海江田万里代表は党改革の目玉として、<総合政策調査会>を新設して、野田政権の中心メンバーだった<6人衆>を起用して、挙党態勢をアピールする考えである」ということだ。

海江田ももう終わっている。国民の側でなく、この腐った党の内側しか見られないようだ。<6人衆>というのは、恥知らず野田汚物、前原タカ派詐欺師、岡田克也、枝野幸男、玄葉、北沢の6人である。

まさにこいつらの野田汚物内閣が、<大飯原発を再稼働>し、逆進性の高い<消費増税>を決め、利己主義慎太郎に踊らされて<尖閣諸島国有化>という拙劣な外交失敗をしでかした。尖閣は個人所有を支える従来の形を維持し続けるべきだったのだ。そして、あの目つきの悪い厚ぼったい<威張った詐欺師>面(づら)と<虚しい雄弁>で国民を威圧し続けたのだ

国民の期待を裏切って、<第二自民党>化することで、二大政党制における<中道・リベラル軸>の芽を摘んで国民から三行半を出されたメンバーを総結集するとは、完全に居直ってしまったとしか言いようがない。民主党はもうダメだ。

ちょうど<総合政策調査会>に結集した連中と袂を分かって、民主党内の護憲・反原発の<中道・リベラル勢力>は、民主党を分党するべきだ! ぽろぽろ離党しても先は無い。もはや、二大政党制の可能性はよほどの大事件でもない限り無理だ。むしろ中規模の中道・リベラルの<第三勢力>を作れば、有権者の一定数は必ずついていく。それによって、その勢力は間違いなく歴史的役割を果たし、意義ある存在感を持つことができるようになるに違いない。

松下政経塾出身の保守気取りが牛耳る民主党は、衆院選・参院選完全敗北の反省が全く無いことでもう未来は絶対にない。俺は、生涯、恥知らずの野田汚物と前原詐欺師のいる政党には絶対に投票しない。
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0098 大平光代「大平光代のくじけない生き方」(三笠書房;2012) 感想 3+

2013年08月30日 01時01分59秒 | 一日一冊読書開始
8月29日(木):

253ページ  所要時間 2:00     図書館

著者48歳(1965生まれ)。弁護士(休業中)。副題は「“自分らしい”幸せをつかむ75のヒント」である。

著者の名前は、前から知っていたが、著書は読んだことが無かった。時間・気力ともにきついので、「とりあえず、この有名人と短時間でもお付き合いしてみる気分で眺め読みしよう」と思った。実際には、平易な文章なので、ふつうに読めた。

不思議な感触の読書だった。イメージしていた人ではなかった。まじめで誠実そのものなのだ。斜めに構えるところが全くない。やろうと思えば少しはできるのだろうが、意識的にストレートにまじめに親切であろうとしている。それでも、伝えるべきメッセージがあるということなのか…。

読み進むにつれて、頭に浮かんできたのは、江戸時代の石田梅岩の「心学」だった。昔からおれは、「心の持ちようによって、生き方が変わる」という内向きの此の思想が好きになれなかった。

しかし、大平さんが本書で語っているのは、まさに<心の持ち様>、すなわち<ポジティブシンキング>と<感謝の念>なのだ。正直、戸惑ったが、「何をぬけぬけと白々しいことを云々」とまでは、思わなかった。理由は、この本のあちこちで語られる著者の人生の来歴のすさまじさによって、言葉自体に薄っぺらさを感じる訳にいかない感じになったからだ。

中学でのいじめがもとで、14歳で割腹自殺をはかり、16歳でヤクザの組長と結婚、背中に入れ墨を彫る。22歳でホステスをし、離婚後、養父に引き取られ、宅地建物取扱主任、司法書士と資格を取り、28歳で司法試験に合格する。しかし、司法修習生の期間も、その後の弁護士活動も結構大変で苦労していた。大阪市の助役に就任してからは、あらぬ噂をたくさん流され人間不信に陥り、40代になったら出家する予定だったのが、急転して11歳年上の現在の夫である弁護士と知り合い、結婚。一方で、実父、養父、養父の実子で著者の妹となり、著者をずっと支えてくれていた妹が、皆ガンで死んでしまう。妹は不妊治療でようやく授かった6歳の男女の双子を残した無念の死である。やがて、著者は41歳の高齢出産で娘を授かるが、出産自体が命懸け、産後も重い病気になる。生まれてきた娘は、白血病や心臓疾患など生死にかかわる重篤な合併症をいくつも抱えて生まれてきていて、その上でダウン症だった。それでも、著者は娘が生きていてくれるだけで幸せ。「私にしかできないダウン症の娘の子育てという弁護士よりもずっと遣り甲斐のある仕事を娘が与えてくれて幸せ!、と言い切るのだ。もって瞑すべきだろう。娘を持って14歳の自分が割腹自殺をはかった時の父母の思いを理解し謝罪したいが、ガンで既に実父無く、実母はアルツハイマー症で娘である著者を理解できない。舅、姑は大変よい人たちであったが、この人たちとも既に死に別れた。ダウン症の娘のために、夫とともに少しでも長生きをしなければ、と考える日々であるが、大平さんは、弁護士を休業しながら、毎日が幸せ、なのである。 何をかいわんや、瞑すべし瞑すべしである。

訴えている内容は、<通俗的>であるが、それを実際に実践し、幸福感を得ているところが、<通俗的>になっている。もはや、この書は、<宗教家の書>と考えるべきだ。大平さんは、子どもを産み育てながら、在家で出家しているのだと思う。

本当に生きるのに行き詰まって死ぬことを考えた時には、この本をもう一度読もうと思う。

目次 : ※コピペ
はじめに 「自分らしい幸せ」をつかむには
1章 <自分をよりよく変えるヒント>あなたはもっとラクに生きられる
2章 <働き方のヒント>今日から“いつもの仕事”がもっと楽しくなる
3章 <恋愛・結婚のヒント>ベストパートナーと幸せになるために必要なこと
4章 <健康に生きるヒント>自分の心と身体の声を聞いてみよう
5章 <お金と賢くつきあうヒント>上手なお金の使い方・下手な使い方
6章 <生きがいのヒント>今日から始める「夢をかなえる」生活
7章 <いい関係づくりのヒント>夫婦・家族関係を円満にする秘訣はどれもシンプル
8章 <素敵に年を重ねるヒント>人生には一つも無駄はない
9章 <大平流・前向きに生きる六つの習慣>「今、どう考えたか」でその後の人生が決まる
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0097 堀辰雄「風立ちぬ」(ちくま日本文学039所収;1936) 感想3

2013年08月28日 01時08分21秒 | 一日一冊読書開始
8月27日(火):

128ページ  所要時間 2:15    図書館

著者32歳(1904~1953)。

若い時から、名前だけは知っていた文学作品だ。今回、宮崎駿映画の題名にもなって、ようやく「読んでみよう」と思った。疲れて帰宅して、限られた時間と体力にちょうど良い128ページという量である。

読み始めて分かったのは、「これは所謂“小説”ではない。実話に題を採った“日記私小説”とでも言うべき作品だ」ということだった。1935(昭和10)年、婚約者節子(矢野綾子)が、結核のために八ヶ岳山麓のサナトリウム(結核療養所)に入所するのに付き添って一緒に入所、同棲生活に入る。

残り少ない二人でいられる生活を愛しむ様に、日々の生活が綴られる。患者である節子は、勿論大きな身動きはできない。やがて寝たきりになり、さらに喀血。外から見れば動きに乏しい倹しい生活であるが、婚約者同士の二人には掛け替えのない幸せな日々である。しかし、その年の末12月、節子の気力は失われ、亡くなる。

翌年冬12月、雪山の人里外れた別荘地帯に節子の鎮魂(レクイエム)も兼ねて、著者は貸別荘に移り住む。雪に閉ざされ、誰も住んでいない貸別荘で孤独な生活を始まる。著者は、昨年亡くなった節子に思いを馳せながら、日々の日記に感慨を書き連ねる。終わり方もよく分からなかった。

著者の鋭い感性はある程度感じるが、何か読み物の体をなしていなくて、とらえどころが無い。これは昔、確かに体験した<つかみどころのない名作たちの一冊>である。正直、俺にはこの作品の値打ちがあまり理解できなかった。

堀辰雄自身、1953年結核で亡くなった。享年49歳。若すぎる。
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130826 小泉純一郎には正直度肝を抜かれる。彼は「脱原発」だ。安倍晋三バカを説得してくれ!

2013年08月26日 23時25分21秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月26日(月):

毎日新聞に、驚かされた。時間も体力もないので、掲載だけしておく。


風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男 毎日新聞 2013年08月26日 東京朝刊

 脱原発、行って納得、見て確信−−。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。
 三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」
 小泉が答えた。
 「オレの今までの人生経験から言うとね重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ
 「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」
 3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。
 呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。
 その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。
 原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。
 原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。
 帰国した小泉に感想を聞く機会があった。
 −−どう見ました?
 「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」
 −−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。
 「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」
 「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」
 「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」
 「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」

 もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)
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0096 水木しげる「白い旗」(講談社文庫;1961(2010、1991)感想 4 「特攻」は「永遠の0」のモデルだ!

2013年08月26日 21時51分23秒 | 一日一冊読書開始
8月26日(月):

306ページ  所要時間 1:30      図書館

著者39(88、69)歳(1922生まれ)。

水木しげるの<戦記物のマンガ>である。当時一頁二百円(今の7000円ぐらいか?)の<貸本マンガ>の原稿は“捨てる”風習だった。原稿は無かったが、一冊、本が残っていたので30年前の本が出版できた。本書は、1991年、30年ぶりに株式会社コミックスより復刻された本の再刊本である。「それにしても、三十年も日の目を見なかった戦記物が本になるということは、それこそ夢みたいな話だと喜んでいる。」(306ページ、水木さん談)

水木しげるは、<妖怪関連>だけではない。<近代史を題材にしたマンガ>などでも間口と奥行きの非常に深い作家である。特に、彼自身が左腕を失った陸軍二等兵としての従軍体験をもとにした戦記物は出色である。例えば『総員玉砕せよ!』を読めば、<詭弁モンスター橋下>が弄する「従軍慰安婦は軍との関与無し」という虚しい言葉遊びのウソが簡単にあぶり出されてしまうのだ。水木しげるの戦記物における仕事は、もっと再評価されてよいと思う。

最近の超低知能<ヘイトスピーチ>の国益バカどもの愚劣な申し入れに、何の見識も持てずに屈して「はだしのゲン」の小学校図書館での閉架を決め、世論の批判を受けて慌てふためいて撤回する定見の無い醜態をさらした島根県と鳥取県の教育委員会他の恥知らずな醜さ、見苦しさを見るにつけ、水木さんの戦記物マンガをもっともっと図書館に入れるべきだと思うのだ。

目次

◎白い旗(硫黄島玉砕で奇跡的に生き残った傷病兵6名を活かすために海軍大尉(水木さんの兄の親友)が、米軍に白旗を振る。そして、生き残った味方の日本陸軍23名に射殺される実話)

◎ブーゲンビル上空涙あり(米軍の最大の獲物である山本五十六長官の飛行機が、待ち伏せされ撃墜される話)

◎田中頼三(ガダルカナルに飛行場を作れば、日本の「不沈空母」になる。ガ島をめぐる日本軍と米軍の死闘、圧倒されていく日本軍にあって、米軍をきりきり舞いさせた第二水雷戦隊(駆逐艦部隊)司令官田中頼三の活躍)

◎特攻(半分近い141ページを割いて描く水木しげる版「永遠の0(ゼロ)」。というより、こちらの方が元です。特高はにわか仕込みの飛行機乗りでは、目標の空母まで到達できない。熟練の最高レベルのてだれの飛行機乗りにしてようやく可能だった。主人公は沖縄出身の撃墜王上代守(かみしろまもる)海軍大尉というゼロ戦乗り最後のシーンは、「永遠の0」とまったく同じ! 水木しげる、恐るべし!
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0095 重松清「かあちゃん」(講談社文庫;2009) 感想5 パーフェクト!

2013年08月25日 17時36分50秒 | 一日一冊読書開始
8月25日(日): ※事情はわからないが、時刻表示が間違っている。正しくは、08月26日の 2時30分頃です

539ページ  所要時間 8:00      図書館

著者46歳(1963生まれ)。 いじめとは、居場所を奪うこと。

面白かった! ほぼパーフェクトな小説だ! 話の流れ、間の取り方など、絶妙である。すべての微妙?な表現が腑に落ちるし、得心がいった。重松清は本当にうまい小説家だ、と思う。夕方5:40に読み始めて、夜半1:40まで、8時間を休憩無しで一気に読み上げた。苦痛では全くなかった。これは作品のもつ力である。読了後、すぐにアマゾンで352円(102円+250円)で注文を出した。手元においておきたいのだ。

「謝罪」と「償い」の違い、取り返しのつかない問題とどう向き合うべきか、をテーマに据えた作品。話の中心に中学2年生のイジメ自殺未遂事件を据えて、中学生のさまざまな家庭問題、学校教師も問題を抱える個人として描く。多くの家庭の、特に母と子のさまざまな関係のあり方を描き分ける。

作品の登場人物の感受性や思考の深さの表現が、中学生にしては深すぎる気がするが、これが高校生に設定すると、心の有り様が純粋、真面目過ぎるので、やはり中学生しかないかなあ…、と思えるのだ。主人公たちを中学2年生に設定したのは絶妙としか言いようがない。

「青い鳥」などでも明らかだが、本作品を通して、重松清の学校におけるイジメ問題のような取り返しのつかない問題の解決策は、「謝罪」のゆるす/ゆるされる、ではなく、「償い」であり、それは自らが他人に対して行ったひどい行為を誤魔化さずに、忘れることなく自覚し続けること。いじめられた側も、忘れることは不可能だし、受け入れても忘れないことしかできない。

無粋かもしれないが、いじめを早く忘れて無かったことにしようとする態度は卑怯であり、「償い」としていじめの事実を決して忘れることなく覚え続け背負い続けることが<和解>のために一番大切なことだ、という結論は、<いじめ>という言葉を、<侵略戦争>、<植民地支配>、<従軍慰安婦>などの言葉と置き換えれば、そのままアジア諸国との「歴史認識問題」とぴったりと重なる。ユダヤの古い箴言に「歴史は忘れようとすればするほど、追いかけてくる」というのがあった、と思うが、今の日本政府の<歴史修正主義>的態度は、まさにこの轍を踏む愚行としか言いようがない。

過去の過ちは、正々堂々と認め、真摯に謝罪をした上で、歴史教育としてしっかりと次世代に記憶として受け継ぐことが、結局、国家としての誇りを保ち、大切な隣国だけではなく、国際社会での誇りある地位を占めることにつながるのだ。自民党の安倍・アホウの知性が、もう少し高ければ、この簡単な真理に気がつくはずなのだが…、詭弁モンスター橋下や身内愛慎太郎も含めて残念としか言いようがない。

「いじめ」も、「侵略戦争」の歴史認識も、結局<解決策>は「誤魔化さず、忘れないこと」に尽きる。「覚えているのが苦しいからといって、忘れようとしても、いじめられた方は、決して忘れられないのだから覚悟を決めて忘れないでい続けるしかないのだ」という点で、全く同じなのだ!
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130824  閲覧 16万を超えました。160,022 PV 63,937 IP。ブログ開設 685日。 感謝ですm(_ _)m

2013年08月25日 01時18分05秒 | 閲覧数 記録
8月24日(土):

記録です。有難うございますm(_ _)m。

ブログの開設から 685日

アクセス:閲覧 239PV /訪問者 127 IP

トータル:閲覧 160,022 PV /訪問者 63,937 IP 

ランキング:日別 10,645 位 /週別  15,451 位
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0094 多田文明「ついていったらだまされる よりみちパン!セ」(理論社;2007) 感想2

2013年08月25日 00時48分34秒 | 一日一冊読書開始
8月24日(土):

212ページ  所要時間1:10     図書館

著者42歳(1965生まれ)。

冊数を稼ぐためだけの読書になってしまった。この「よりみちパン!セ」シリーズは、優れた良書があるのだが、今回は本当に子ども向けの幼稚な内容で、既知のことばかりで、まいってしまった。悪質な独り善がりの内容ではないが、大人の読む本ではなかった。

キャッチセールス/デート商法/出会い系/「ボランティア」「オーディション」/スピリチュアル
著者自身が、実際に騙されてみた体験をレポート。
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0093 島田裕巳「創価学会」(新潮新書;2004) 感想4

2013年08月24日 20時25分39秒 | 一日一冊読書開始
8月24日(土):

192ページ  所要時間3:35       ブックオフ105円

著者51歳(1953生まれ)。宗教学者。1995年のオーム真理教事件の時には、教団との距離の近さで社会的に制裁を受ける。本書「おわりに」で「距離が近すぎれば教団寄りとみなされ、逆に遠すぎれば、本質をとらえることが困難になってくる。略。結局は客観的であることをつねに意識しながら、対象に対して果敢に肉迫していくしかないのではないだろうか。191ページ」と述べている。

2012年版で24刷なのを見て、即購入。創価学会に対する入門書としては、かなりよくできていて、分量もお手頃である。ただ、創価学会に対する厳しい批判を期待していたのだが、むしろ再評価・礼讃に近い印象を受けた。特に、池田大作のカリスマ性をほぼ追認しているのには少し戸惑った。

初代会長牧口常三郎から、2代目戸田城聖、3代池田大作と創価学会の歩みを丁寧にたどり、発展過程における激しい折伏や学会批判書への出版弾圧なども書かれているが、なんとなく過ぎ去った歴史のように書かれてるのは、少し肩透かしだった。

創価学会の本格的発展は、高度経済成長期である。当時地方の農村を出て都市に流れ込んだ貧しい農家の次男・三男たちは、労働運動ですら捕捉できない都市の下層労働者となった。同時に、彼らは故郷喪失者でもあり、新たなコミュニティとしての“村”を欲していた。そこに学会の折伏と謗法払いをともなう激しい布教活動が行われ、彼らは学会員同士の相互扶助的つながりによる新たな巨大な“村”の一員となった。

当時、創価学会の活動が無くて、都市流入した最下層の労働者階級を労働運動や共産党が組織化していたら、社会主義か、共産主義の革命が起こったかもしれない。結果として、権力者や支配政党にとって都合の良い存在でもあった。

創価学会の発展にとって、日蓮正宗との関係を維持することは「葬儀を営む」際に決定的に重要だった。そのため、小さな勢力だった日蓮正宗は、創価学会の発展とともに急速に繁栄・堕落していった(学会員は、墓地が無くても、正宗寺院の檀家になってくれた!)。やがて両者は対立する。

1978年の対立は、池田大作の大石寺への「お詫び登山」で学会の敗北。1990年、創価学会側から日蓮正宗を厳しく批判、両者は完全決裂する。最大の焦点は、「葬儀をどう営むか?」である。答えは、日蓮正宗の僧侶を呼ばず、自前で葬儀を営む「学会葬(のち友人葬)」になる。2002年創価学会会則の改正で脱日蓮正宗化を明確にする。但し、日蓮の教えは従前どおり大切にする。

最後まで読むと、創価学会が、現代日本社会が失いつつあるさまざまな相互扶助的つながりを唯一維持できている貴重な組織であると再評価している部分が強く打ち出されているように感じられた。著者は、対象に近づきすぎたようだ。

思わず、学生時代に大学の寮で勧誘(折伏ではなかったが、ひつこかった!)を受けて、断るのに苦労したことすら忘れて、「俺も創価学会に入ろうかなあ」と思ってしまったほどである。

でも正気に戻れば、四箇格言にみられる「謗法払い」など、地域や親戚の付き合いすらもし難くなる排他性のことを忘れてしまうところだった。創価学会は、江戸時代幕府から繰り返し弾圧を受けた「不受不施派」の現代版である(148ページ)そうだ。

池田大作名誉会長が亡くなった後の創価学会の受ける影響は、よく言われるような混乱は無いだろう。既に池田名誉会長の権威は会則で確立されており、後継は夫人か、長男が行い、集団指導体制となる。「学会員たちは、創価学会という組織と、信仰によって結びついているというよりも、略、利害で結びついている面が大きい。彼らが会員であり続けるのは、たんに池田を信奉するからではなく、相互扶助組織としての創価学会の一員であることが、現実的なメリットをもたらすからである(170ページ)。よって、ポスト池田になっても、大きな脱会騒動は起こらないだろう。

※また書けたら書きます。

目次: *コピペ
序 章 日本を左右する宗教
公明党は宗教政党か/結党当時の政治目的/実質のある巨大組織/熱心な会員たち/学会研究の難しさ/排他性と客観的分析
第一章 なぜ創価学会は生まれたのか
創価学会の誕生――初代・牧口常三郎/日蓮正宗との出会い/現世利益の思想/教育団体から宗教団体へ/躍進の基盤――二代・戸田城聖/「実業家」の宗教体験/肉声が伝える実像/折伏大行進の掛け声/高度経済成長と新宗教/都市下層の宗教組織/農村出身者の受け皿/ひとり勝ちの理由/伝統的信仰の否定
第二章 政界進出と挫折
折伏の戦闘性/軍旗のある宗教/日蓮の志を継ぐ政治活動/日蓮正宗の国教化/国立戒壇という目標/各界からの批判/頂点に向けて――三代・池田大作/自公連立のきっかけ/大義をなくした政治活動/言論弾圧事件の余波/在家仏教教団として/蜜月の時代全面対立と決別
第三章 カリスマの実像と機能
独裁的権力者への批判/偉大なる指導者への賛辞/人を惹きつける率直さ/庶民の顔/既成イメージのはざまで/カリスマの武器/「一人も人材がいない」/不可避のジレンマ
第四章 巨大な村
学会は「池田教」か/排他性の根拠相互扶助の必然性幹部の役割/実利をもたらす選挙活動/経済組織という機能/最強にして最後の「村」
終 章 創価学会の限界とその行方
カリスマなき時代に向けて/ポスト池田の組織運営/進む世俗化/公明党の未来/被害者意識と組織防衛/学会の限界/戦後日本の戯画として
主要参考文献
おわりに
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130823 東京が「来月7日、マドリードに勝つ!」と気炎を上げていた。福島の汚染水を忘れたの…?

2013年08月24日 01時56分14秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月23日(金):  ※炎上したら、すぐに削除します。

夜、仕事から帰ると、東京が「来月7日、マドリードに勝つ!」と気炎を上げていた。何か、すごく空々しい違和感を覚えた。世界中の注目・困惑を受けている、深刻なレベル3の福島の放射能汚染水問題を忘れたのだろうか…。日本国内でも東京と福島は目と鼻の先だ。世界地図で見れば、隣接して一体に見える。

北京の排気ガスでさへ、世界の選手のオリンピック参加辞退問題を引き起こしていたのだ。それをはるかに上回る東京電力の福島原発放射能汚染水処理の杜撰さ・無責任さが、世界中の人々の目に白日の下にさらされた。

また、<震災と放射能汚染の被災者>を放置して本腰を入れて取り組まないのに、アジア諸国に対して原発建設技術を輸出する日本政府の姿は矛盾に満ちている。

安倍総理の村山談話・河野談話軽視発言、詭弁モンスター橋下の従軍慰安婦妄言、アホウ財務大臣の「ナチスに学べ」妄言など一連の<歴史修正主義者の国家>イメージ、福島原発事故収束への取り組みの杜撰さ、いずれも日本国内では終わったように誤魔化せたつもりかもしれないが、国内でも多くの国民・市民が納得はしていない。ましてや国際社会で、<夜郎自大な国内での詭弁>が通じているとでも思っているのだろうか…?

福島原発のレベル3の放射能汚染水の問題は、トルコの政変の比ではない深刻なスキャンダル(醜聞)だろう。

つらつら考えれば、常識的には東京でのオリンピック開催の可能性は極めて低いだろう、と思ってしまうのだ。

来月7日のオリンピック開催都市が、トルコのイスタンブール、スペインのマドリード、日本の東京のいずれになるのか、本当にわからない。そして、IOCがどの都市を選ぶのかを見ることによって、<国際社会を動かしている原理>に対する俺自身の認識が大きく影響を受けると思う。その意味で、9月7日は、本当に楽しみである。

さて、国際社会は、何を最も大切な価値・原理として動いているのだろう。勉強させてもらいたいと思う
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0092 内海聡「精神科は今日も、やりたい放題」(三五館;2012) 感想4

2013年08月22日 02時46分33秒 | 一日一冊読書開始
8月21日(水): ※気楽に借りた本だったが、当たりである!

222ページ  所要時間2:30        図書館

著者38歳(1974生まれ)。内科医。副題は「“やくざ医者”の、過激ながらも大切な話」である。

多種・多量の抗精神薬を処方されて覚醒剤中毒と同様の依存状態に陥り生命の危機にすら瀕する精神科患者たちを、減薬指導し、薬物依存から救出する取り組みをしている内科医らしい。

内科医の立場から、現代の精神科医療を「患者を薬漬けにして薬物依存により搾取する詐欺行為である!」と断罪し、そもそも論として「精神科の患者のほとんどは病気ではない、精神科医療に関わることによって病気にされ、無用な薬を処方されることによって、かえって依存性の強い病人に仕立て上げられてしまう。しかも、その依存は生涯続くのだ。」として<精神科医療不要論>をぶち上げる内容である。<衝撃の告発本>とでも言うべきだろう。

この本の中では、発達障害なども、否定的に論じられている。正直、いままでの記述だけを読むと、所謂<トンデモ本>に思われるかもしれないが、実際の内容は、真に重篤な精神疾患の存在は認めた上で、多くの場合、

*そもそも精神とか心とかの問題は、人間的な問題であり、社会的な問題であって、医学の問題ではない。それを医学の問題であるかのようにすり替え、自分たちの利益へ誘導した精神医学界の策略は、奸智のひと言に尽きる。それとともに人々が根本的な問題から逃げ続け、精神科という見せかけの看板と専門家に問題を丸投げしたともとらえることができる。略。精神的問題の解決に抜け道などあろうはずがない。素人が考えてもわかるように、解決策とは、原因の除去、トラブルへの取り組みしかあり得ない。略。人々は安楽しか求めていないし、略、その結果、問題に対して正面から取り組むのではなく、ごまかしに走ろうとする。そのごまかしこそが精神科であり、精神薬である。飲めば気分はよくなるかもしれないが、それは覚醒剤を飲んで逃げているのとまったく同じことだ。だからこそ何度でも言おう。精神科は存在してはいけない。185~187ページ

などと論じ、精神科がなくても済む、問題解決の道をかなり具体的に説得力を持って論じているのだ。

ある種、誰もが腹の中では思っている本音を内科医的立場から思い切って暴き出した<正論の書>といった印象である。俺自身の中にも「よくぞ言ってくれた! これで新しい視点を一つ得られた!」という快哉を叫ぶ気分も生まれたのも事実だ。医学的真相はやはりわからないので、感想4としたが、感想5もあり得る気もしている。

目次(以下、コピペ)
はじめに
第1章 精神医学は、やりたい放題!
精神医学はなぜ生まれたか? 12/ 非科学としての精神医学 14/ その日の気分で決まった「診断基準」 15/ アメリカ精神医学界・大御所の反省 17/ 効果のない拷問治療・電気けいれん療法 19/ 安全な精神薬はあり得ない 22/ 薬が効かない実例 25/ 心理療法だから良いわけではない 29
ある患者の入院体験 31/ なぜ精神病院でこれほどの人が死ぬのか 32/ 都内不審死から続々検出される精神薬 36/ 一〇日間の医療保護入院 39/ 副作用の報告 45/ 精神医学は「やりたい放題」の世界 51
第2章 私は精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ
あなたも絶対当てはまる!ADHDチェックリスト 54/ 人間は怒り、泣き、笑い、悲しむもの 61/「睡眠キャンペーン」の真実 63/ 否定されている「仮説」 65/ 精神科医ごとに異なる診断 68/ 一八〇度変わった「日本うつ病学界」理事長の発言 70/ ファイザー社のデッチアゲ研究 72/ 早期介入、早期支援という一大詐欺について 74/ 精神医学幻想からの脱却 76/ 「ダメでも結果は隠せる」 78
第3章 これは病気ではない
1.最も流行の精神疾患「発達障害」
流行の「発達障害」という概念を広めた、わが反省 82/ 隠れ蓑としての発達障害 84/ 「昔はADHDなんて言わなかった。子どもって言ったんだ」 86/ ADHD治療薬は、ほとんど覚醒剤 88/ 入院なんかしなきゃよかった 91/ 発達障害という撒き餌 95
2.いい加減でおかしい病名「うつ病」
脳のどこの疾患なのか? 97/ 幼児期に精神治療薬を使うと… 99/ 「うつ」のほとんどは社会ストレスが原因 101/ じつは最も多い「医療薬物性うつ病」 107
3.大々的キャンペーンの成果「うつ病」
うつでないから躁うつ病? 109/ 本物の躁うつ病とはどんなものか? 111/ 躁うつ病診断の本当の理由 113
4.万人に当てはまる「強迫性障害」
強迫観念と強迫行為 115/ 人ならだれでも強迫性障害? 118/ 抗精神病薬の問題 119/ 「手洗いを頻繁にする青年」のケース 121
5.顧客マーケットを掘り起こす「不安障害・社会不安障害」
緊張する人は社会不安障害 123/ 「病気」を作れば儲かります 125/ 依存症患者の作り方 127/ 三〇年前の警告 128
6.親の詐欺的行為?「心的外傷後ストレス症候群(PTSD)」
トラウマは人生の原動力なのに… 131/ 精神科医と親による「共同虐待」 134/ PTSDで精神科に行くと… 136
7.優秀な精神科医は治療しない「人格障害」
精神医療業界からすれば、私も人格障害 140
8.治療の先に悲惨な結果「気分変調症」
薬依存の優良顧客 143/ 精神科の感情喪失患者 145
9.やけ食いと何が違うの?「摂食障害」
食欲がないというだけで拒食症 147
10.“本物”は三〇〇〇分の一「統合失調症」
統合失調症も精神科医の主観が決める 152/ 「キャバ嬢になりたい」は精神病か 154/ だれでも支離滅裂なときがある 156/ 私が定義する統合失調症 158/ 薬で統合失調症になる原理 160/ 一〇〇人に一人という数字のマジック 162
第4章 精神科にダマされないために
良心的精神科医さえ薬を使う 166/ 精神科は存在自体が悪 168/ 「良識」と「権威」も罠である 172/ 精神科を受診する前の一〇の心得 174/ 精神科不要論 184
第5章 私の実践する「精神症状」対応策
もう一歩踏み込んだ薬以外の対処法 190/ 生きる上で大切な「痛み」 194/ 薬害にあわないためにはどうするかと薬害の対処法 196/ 薬を減らす原則 200/ 薬ごとの対応法 201/ 東洋医学(漢方や鍼灸治療)の利用について 205/ 漢方の副作用について 206/ 鍼灸治療のススメ 215/ サプリメントをどう考えるか? 216
おわりに‐まともな精神科医に出会うためには 219

※23日(金):チェックを入れた部分を読み直しながら、「やはり合理的な内容だ。けれど、逃げ場をなくした厳しい内容でもあるなあ」と思えた。
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130821 日の丸・君が代の強制、歴史教科書と「はだしのゲン」の制限、次は愛国心の押し付けだろう。

2013年08月21日 21時44分01秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月21日(水):

日の丸・君が代強制の次は、歴史教科書と「はだしのゲン」の制限ですか…、被爆国の自覚すら放棄するのか! 次は、学校と社会で「愛国心の押し付け」が始まるだろう。そして、自分の頭で自由に考える人間が排斥され、処罰されていくのだろう。本当に息の詰まる世の中になってきた。「表現の自由」の無い国に未来は無い。こんな考え方の自民党が<憲法改正>を行おうとしているのだ、この事実のそら恐ろしさを我々国民・市民は痛切に感じるべきだ。


「教育的配慮は必要」=はだしのゲン閲覧制限に下村文科相   時事通信 8月21日(水)17時54分配信

 下村博文文部科学相は21日の閣議後記者会見で、松江市教育委員会が広島の原爆被害を描いた漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を市内の小中学校に要請したことについて、「学校図書館は子どもの発達段階に応じた教育的配慮の必要性がある」と述べ、要請は市教委の権限に基づく行為で問題ないとする認識を示した。
 下村文科相は、「漫画の描写について確認したが、教育上好ましくないのではと考える人が出てくるのもありうる話だ」と指摘。「学校図書館以外で、読みたい人が読める環境が社会全体で担保されていれば良いのでは」と話した。
 
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130819夜半 NHKスペシャル「最期の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災~」を観た。落涙、感想5

2013年08月20日 01時19分06秒 | 映画・映像
8月19日(月):

番組を観ていて、落涙を止められなかった。「はだしのゲン」を閲覧制限する島根県・鳥取県の愚劣・愚昧さ東日本大震災の被災者の悲しみの深さに向き合おうとしない政治家の惨状を思い知る。番組の中の被災者の深い悲しみと、今の日本中に蔓延する戦争に対する意識の安易さとの落差に呆然とする。戦争が最大の基本的人権の侵害であり、人を殺すこと、殺されることの重みを知らず、軽んじる風潮には暗澹たる思いになる。

社民党の村山元総理が「社民党の解散、リベラル勢力の再結集の礎となるべきだ」と述べているが、俺もそれに賛成だ。半藤一利さんは「日本は海岸線が長くて、原発54基が海岸線に立ち並ぶ状況で、武力によって守れる国ではない」と言っている。

矛盾を承知で、護憲(憲法9条)、基本的人権・表現の自由重視、反原発、多文化共生、侵略戦争の歴史直視の一方で、経済貿易重視、日米安保・自衛隊を容認・堅持(集団的自衛権は認めない)して、強かな外交により平和国家を維持する政策をめざす<リベラル勢力の結集>をはかって欲しい。勿論、引き裂かれるような困難を伴うと思うが、戦争をしない、社会保障の充実した強かな国家をめざし政治勢力を結集して欲しい

社会保障を充実することは、国を弱くすることではない。むしろ強い国民・市民を作って強い国を作ることなのだ。そもそも国家による社会保障政策の充実の先鞭をつけたのは、プロイセンのビスマルクである。彼は、プロイセンを強国にするために社会保障の充実を行ったのだ。

とにかく、<人間の悲しみに敏感な国家>になって欲しいのだ。これは政治家だけでなく、国民・市民についてもそうだ。


NHKスペシャル「最期の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災~」            2013年8月19日(月) 24時30分~25時20分 の放送内容

巨大津波に流され、損傷した遺体の傷をボランティアで修復してきた納棺師・笹原留似子さん。家族の最後の対面を描いた絵とその時に交わされた慈しみにあふれた対話の記録。

番組内容
岩手県の納棺師・笹原留似子さん(39)。東日本大震災による巨大津波に流され、損傷した300人を超える遺体の傷をボランティアで修復、家族に最後の対面をさせてきた。修復された遺体は皆、安らかな微笑みを浮かべた表情になり、家族と最後の対面を果たした。番組では、笹原さんによって描かれた家族の対面場面を描いた絵を通じて、震災という悲劇の中に見いだされた家族の愛情の深さと慈しみ、そして人の優しさを見つめ直す。




※記録:8月20日(火) 367 PV/124 IP
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)