もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

220715 再掲:「 4 012 大岡昇平「野火」(新潮文庫;1951)感想 特5 」

2022年07月15日 23時55分50秒 | 一年前
7月15日(金): 再掲する。

特に、以下の部分は、今の時代に読み返されるべきだと考える。

・この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人たちを私は理解できない。おそらく彼らは私が比島の山中で遇ったような目に遇う他はあるまい。その時彼らは思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。171ページ 」

4 012 大岡昇平「野火」(新潮文庫;1951)感想 特5
2014年10月17日 01時16分29秒 | 一日一冊読書開始

10月17日(木):

189ページ  所要時間 3:30    ブックオフ50円

著者42歳(1909~1988;79歳)

大変な地雷を踏んでしまった。既に日付をまたいでしまって感想を書く時間が限られてるのが悔しい。

戦場はレイテ島である。「レイテ戦記 全三巻」の下巻をまだ読めていないが、作中のレイテ島について土地勘が働き、読み易かった。本書は、ちょうど下巻と重なるあたりの内容だと思う。即ち、オルモックの陥落前後から、日本軍が潰走し、総退却のためにパロンポンに集結しようとするところである。

主人公は、小泉兵団村山隊歩兵を結核のため追放された田村一等兵である。作中では、一人称の“私”で語られる。日本軍崩壊前後から、ひりひりするような死の気配の中、逃げまどう主人公が、敵の陰に怯え、飢えに苦しみ、山中を彷徨するなかで、無辜の比島女性を撃ち殺し、原罪を背負い込む。手に入れた塩と引き換えに、小部隊に拾われてパロンポンを目指すが、米軍の圧倒的武力を前にして“降伏”を念慮するが、敗残の日本兵同士が互いを監視し合い、また何者かの目を感じて実現しない。

出会った多くの日本兵が次々と死ぬ中で、パロンポン行きを諦めて、逆方向の山中に逃れた“私”は、そこらじゅうにある日本兵の死体のなかに、臀部などを齧られたものがあることに気付く。「山中には、死肉をあさる犬もいないのに…」。やがて、“私”は、多くの日本兵たちと同様に、極限の飢餓状態に陥るが、互いが相手の弱り方(「もうちょっとで死ぬかどうか」)を窺い合ってしまう。

人肉食への誘惑を嫌悪し排除しようとしながら、格好の死にかけた将校と出会い、その死に立ち会う。その将校は、亡くなる間際、締まった筋肉の胸をさして「食べてもいいよ」という。しかし、その言葉がかえって“私”にブレーキをかけるが、山ビルたちが、その将校の死体にたかって吸った血を、狂ったように引き剥がした山ビルを絞ってその血をすすってしまう。もはや、間接的には人肉食をしてしまっている。

いっそ、直接食べてしまおうと、右手に軍刀をかざした時、不思議なことが起こる。左手が勝手に右手首を持って、人肉食を止めたのだ。大いなる何者か(神か?)の意志を感じ、敢然と人肉食を放棄するが、その後には、死の覚悟と極限の飢えの苦しみによる彷徨の果てに死を迎える。

しかし、その直前に、永松に助けられ「猿」の肉を与えられる。本当は、何の肉なのか(つまり、さ迷う日本兵を狩りした人肉)を知りながら、“私”はそれを食べて回復する。永松が大勢の日本兵を殺して肉に捌くキル=サイトを発見した“私”は、永松から同行の安田との殺し合い(その後、人肉食)を持ちかけられる。安田を殺した永松を、“私”は殺すが、肉は食べなかった。

その後、記憶が無くなり、10日後気付いたときには、比島ゲリラにつかまり、頭蓋骨折で米軍の医療を受け、捕虜となり日本に送り届けられ、妻と再会するが、5年後、精神病院で治療の一環として、この作品を書いている。

極限の場での「人肉食」をこれほどまでに描き切った作品に出会うのは、戦場ではないが、竹田泰淳の「ひかりごけ」以来であり、本書はそれをはるかに凌駕する作品になっている。戦場でカニバリズムがあったことは、漠然と知識では知っていたが、これほどリアルで、切迫した事実を教えられた作品は初めてだ。

本書は、現代日本人が読むべき必読の書だ。「レイテ戦記 全三巻」が、俯瞰的な戦争(負けいくさ)の記録であるとすれば、レイテ戦記は、時と場所と戦死者の数字で示された記録だとすれば、「野火」は、レイテ島で存在した兵士たちの単に数字で示すだけではいけない、疎かにされてはいけない無数の顔と意志を持った兵士一人一人の記録である。

司馬遼太郎の「坂の上の雲 全八巻」を読んで熱くなった人は、必ず、大岡昇平の「レイテ戦記 全三巻」、「野火」、「俘虜記」を読んで、バランスをとるべきだという言葉が、今はとても良く分かる。

・この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人たちを私は理解できない。おそらく彼らは私が比島の山中で遇ったような目に遇う他はあるまい。その時彼らは思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。171ページ
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220425 一年前:210423【政界地獄耳】共産次第で立憲民主すぐにひ弱な政党に逆戻り

2022年04月25日 22時44分07秒 | 一年前
4月25日(月):
210423 【政界地獄耳】共産次第で立憲民主すぐにひ弱な政党に逆戻り

4月23日(金):  日刊スポーツ:【政界地獄耳】共産次第で立憲民主すぐにひ弱な政党に逆戻り2021年4月22日8時51分★今年の初めまでは立憲民主党に旧民進党が再結成して......

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211021 再掲:191215 自宅の壁に「れいわ新選組」のポスターを貼った。初めての経験。立民エダノは、れいわ・共産と組んで<政権交代>を実現しろ。

2021年10月21日 18時42分14秒 | 一年前
10月21日(木):
191215 自宅の壁に「れいわ新選組」のポスターを貼った。初めての経験。立民エダノは、れいわ・共産と組んで<政権交代>を実現しろ。
2019年12月15日 23時14分45秒 | 今、思うこと&意見

(2019年)12月15日(日):  

連日、れいわ新選組山本太郎代表の街頭記者会見をユーチューブで観続けている。長年作り上げてきた俺自身の政治に対するあるべき姿、コモンセンス(常識)がほぼすべて山本太郎代表が話す内容と重なり合う。ある意味、山本太郎代表の姿は俺の分身であると言える。

政治家のポスターを自分の家の壁に貼るというのは初めてのことであり、自らの姿を世間にさらすことに感じられて多少の躊躇はあった。しかし、彼を応援せずして、誰を応援するというのか?!日和見をして声を上げるべき時に声を上げれずに終わるのは後悔を残す。それだけは嫌だった。

れいわ新選組の公約すべてに対して納得して賛成できるが、同時にすべて実現は極めて困難であることもわかっている。俺が山本太郎代表に最も共感できるのは、ストレートな政策もさりながら、彼の国民・市民に対する寄り添う姿勢と、自らの言葉に対する誠実さと覚悟が見て取れるところである。彼の言葉にはウソがない

今の世に最も必要な政治家が奇跡のように現れてくれたのだ。山本太郎代表を見殺しにしてはいけない。彼と駆け引きをしているつもりの立憲民主党のエダノやレンホウは、醜く滑稽の極みである。2年前の立憲民主党に対する大いなる支持の波は、「義を見てせざるは勇なきなり」と、捨て身で民意の受け皿を作ろうとしたエダノの姿勢に対するエールであって、エダノの政見に対する支持は一部に過ぎない。

今、国民・市民の期待は「れいわ新選組」山本太郎代表の本気の政権交代への挑戦に支持を送っている。政権交代を本気で狙わず小さくまとまろうとする立憲民主党、国民民主党に風は吹かない。愚劣と愚かの極みだ。

願わくば、前原詐欺師、野田ブタを切って、立憲・国民は消費税率5%引き下げを掲げて、れいわ・社民・共産党と組んで本気で<政権交代>を目指してほしい。きっと政権交代は実現するはずだ。そして、逆も真なりである。どうか我々国民・市民を失望させないでほしい。



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211008 再掲:141211 内田樹:対米従属を自己目的化した歴史修正主義者たちが私的利益にはしる恥ずかしい国、日本

2021年10月08日 14時30分34秒 | 一年前
10月8日(金):
141211 内田樹:対米従属を自己目的化した歴史修正主義者たちが私的利益にはしる恥ずかしい国、日本
2014年12月11日 23時53分40秒 | 考える資料

2014年)12月11日(木):

【内田樹の研究室】にまた良い論考が載っていた。スパッと乱麻を断つお話である。この先生の話は、突飛なことではない。自分が感じている当り前のことを「それでいいんだ!」とわかりやすく腑分けして語りかけてくれる感じである。とにかく歯切れがよい。しかも引用掲載フリー!である。今回の論考を読んで、大岡昇平の「レイテ戦記」を読んで、あの戦争の悲惨さを疑似体験したことは、大変重要な経験だったと思った。以下、掲載する。

【内田樹の研究室】2014.12.10
週刊プレイボーイインタビュー記事

週刊プレイボーイから『街場の戦争論』についてのインタビューを受けた。
かなり長い行数を割いてくれたので、こちらに転載。

“本”人襲撃でも以前取り上げた白井聡氏の『永続敗戦論』や赤坂真理氏の『愛と暴力の戦後とその後』、そして矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』など、ここ最近、日本の戦後史を再検証する本が数多く出版され、大きな注目を集めている。
今回紹介する内田樹氏の最新刊『街場の戦争論』もまた、「日本の戦後史」や日本人の「戦争観」に、独自の角度から切り込んだ、話題の一冊だ。
現代フランス哲学の研究者でありながら武道家としての顔も持つ内田氏は、昨年末から今秋にかけて10冊以上という驚異的なペースで著書を刊行するが、なぜ今、「戦争論」をテーマに選んだのか? 神戸にある自宅兼道場「凱風館」で話を聞いた。

黙して語らぬ戦中派と断絶された歴史の罠

――『街場の……』シリーズや、憲法論など、このところ立て続けに新刊を出されている内田さんですが、今回はなぜ「戦争論」なのでしょう?

内田 僕たちが今いるのは、ふたつの戦争、「日本が負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」に挟まれた「戦争間期」なのではないかという気がなんとなくしています。実際に、近年に僕よりずっと若い書き手たち、例えば白井聡、赤坂真理、中島岳志、片山杜秀といった方たちが申し合わせたように「先の戦争の負け方」について独自の論考を展開している。現代日本の本質的な弱さを「戦争の負け方」の総括が間違っていたからではないかというのが彼らの問いかけだと思いますが、僕自身もそれを共有しています。
1950年生まれの僕は戦争を経験していませんが、戦争を経験してきたばかりの父親たち世代のたたずまいを記憶しています。「証人」として、戦争についての語る世代的な責務も感じています。

――世代的な責務とは?

内田 父親たちの世代、「戦中派」には「戦争経験について語らない」という一種「暗黙の了解」のようなものがあったように思います。戦地で実際に行なわれたことや見たことについては子どもたちには語らない。もとは「善意」から出たことだと思います。「戦争がどれほど醜悪で過酷なものか、自分たちがどれほど残酷で非情だったか、そういうことは子供たちには伝えまい。無言で墓場まで持って行こう。子供たちは無垢な戦後民主主義の申し子として未来の日本を担って欲しい」そういう思いだったのではないかと思います。だから「黙して語らず」を貫いたのだと思います。
しかし、そのせいで「戦争の記憶」は次世代に語り継がず、僕たち世代は戦争を「済んだこと、早く忘れるべきこと」として、戦争について深く踏み込んで総括する機会を逸してしまった。そのことの負の側面が、現代日本の足腰を致命的に劣化させている、そう感じます。
なぜ「戦中派」は戦争を語らなかったのか? あるいは語れなかったのか? そしてそれが戦後70年にどんな影響を与えたのか?世の中から「戦中派」がどんどんといなくなっている今、少なくとも「沈黙を貫いた父親世代」の屈託した表情だけは記憶している僕たちの世代が証人として、その〝沈黙の意味〟を再構成しなければならない、そう思ったのです。

――「戦争」が語り継がれなかったことによる歴史の断絶によって表面化した「負の側面」とは、具体的にどういうことですか?

内田 最も顕著なのは「歴史修正主義」の登場でしょう。これは日本に限らず、ドイツやフランスでも同じなのですが、戦争経験者世代が社会の第一線から退場しはじめると、どこでも「歴史修正主義者」が現れます。
彼らは歴史の「生き証人」がいなくなった頃を見計らって登場します。「戦中派の沈黙」ゆえに戦争の記憶が伝えられなかった戦後日本では、とりわけ歴史修正主義は暴威をふるいました。現場を見た生身の人間がいなくなった頃になって、断片的な文書だけに基づいて、戦争について言いたい放題の「事実」を語り出した。
従軍慰安婦の問題にしても、実際に戦地で慰安所に通っていた兵隊たちが生きていた間は「強制性はなかった」「軍は関与していない」などということをうるさく言い立てる人間はいなかった。慰安婦がどういう制度であるかを誰でも知っていたからです。
証人たちがいなくなった頃になってはじめて「慰安婦問題は捏造だ」と言い出した。ヨーロッパにも「極右」の政治家はいますけれど、安倍晋三のような極右が総理大臣になれたのは世界で日本だけでしょう。

――なぜそうなってしまったでしょう?

もともとの自民党はイデオロギー政党ではありません。党内に極右からリベラルまで含んだ「国民政党」でした。国民の生活実感を汲み上げることで長期政権を保ってきた。
そして外交戦略は「対米従属を通じての対米自立」一本槍だった。従属することで主権を回復するというトリッキーな戦略ですが、それが戦後日本の戦略として最も合理的で現実的だったわけです。現に、その戦略のおかげで日本は敗戦から6年後にはサンフランシスコ講和条約で主権を回復し、1972年には沖縄返還で国土を回復した。対米従属は「引き合う」というのは自民政権の歴史的成功体験だったわけです。しかし、この成功体験への固執がそれから後の日本外交の劣化をもたらした。
沖縄返還後の42年間、日本はひたすら対米従属を続けましたが、何一つ回復できていない。世界中から「アメリカの属国」だと思われているけれど、その見返りに「対米自立」としてポイントを獲得できた外交的成果は一つもない。ゼロです。米軍基地は縮小も返還もされない。年次改革要望書を通じてアメリカは日本の政策全般についても細かい指示を続けている。
対米従属は本来は主権回復のための手段だったはずですが、それが三世代にわたって受け継がれているうちに「自己目的化」してしまった。対米従属を手際よく効率的にこなすことのできる人たちが政治家としても官僚としても学者としても「出世できる」システムが出来上がってしまった。
自民党が国民政党からイデオロギー政党に変質したことは、この「対米従属の自己目的化」の帰結だと僕は見ています。安倍首相はじめ対米従属路線の主導者たちがその見返りに求めているのは日本の国益の増大ではなく、彼らの私的な野心の達成や、個人資産の増大です。
今回の解散・総選挙はどのような国益にもかかわりがありません。政権の延命が最優先している。かつての自民党政権は列島住民の雇用を確保し、飯を食わせることを主務とする「国民政党」たらんとしていましたけれど、現在の自民党は限定された支配層の既得権益を維持するための政治装置に変質してしまいました。

――実際、日中関係や日韓関係はこじれたままですし、集団的自衛権の行使容認や秘密保護法の制定などで、日本が「戦争の出来る国」になろうとしているという声があります。近い将来、この国が「戦争」に巻き込まれる可能性はあるのでしょうか?

内田 現実的にはあり得ないと思います。安倍さんや石破さんは日本を「戦争の出来る国」にしようとしていますけれど、本気で戦争になるとは思っていません。一体どこと戦争するんです?
韓国には米韓相互防衛条約があります。今も韓国軍の戦時作戦統制権を持っているのは在韓米軍司令官です。日本と韓国が戦争するということはアメリカと戦争するということです。そんな覚悟がある人がいますか?
日中が戦争することをアメリカは全く望んでいません。
日本と中国が例えば尖閣問題で軍事衝突を起した場合、日本人は安保条約に基づく米軍の出動を期待しますが、アメリカは中国と戦争する気なんかない。だから、調停は試みるでしょうけれど、同盟軍として中国と戦うことはない。だから、何としても軍事的衝突そのものを事前に抑え込もうとする。
日本で対中国で好戦的な発言をしている人たちは、うしろから羽交い締めにされている酔っ払いが怒号しているようなものです。止めてもらえると思って安心しているので、威勢の良いことを言っていられるのです。
そもそも、安倍さんも石破さんも、今の日本の政治家に実際の戦争を指揮できるだけの基礎的な能力がありません。
戦争というのは国の根幹に関わる死活問題ですから50年後、100年後のこの国をどうするのかという長期的なヴィジョンがなくてはすまされない。ところが「領土」や「国威」にこだわるナショナリストたちの発想は、市場でのシェアを競争しているビジネスマンと同一の発想しかしていない。自分たちの「シェア」が増えたか減ったか、そういう二次元的な、空間的な数値の変化しか見ていない。経済戦争とほんとうの戦争を同じものだと思っている。株式会社の経営者の発想です。ビジネスマンに戦争ができるはずがない。

――つまり、本気で戦争をする気も、またその能力もない人たちが、この国を「戦争ができる国」にしようとしていると? 

彼らは戦争の生き証人である「戦中派」の退場を狙って、あるいは「語られなかった歴史」の断絶を利用して、知りもしない戦争を語り、自己都合で書き換えた歴史を信じさせようとしている。そして、その目的が国益の増大ではなく、私的利益の増大であることが問題なのです。
安倍さんたちが目指しているのは、北朝鮮とシンガポールを合わせたような国だと思います。
政治的には北朝鮮がモデルです。市民に政治的自由がなく、強権的な支配体制で、自前の核戦力があって国際社会に対して強面ができる国になりたいと思っている。
経済的な理想はシンガポールでしょう。国家目標が経済成長で、あらゆる社会制度が金儲けしやすいように設計されている国にしたい。
万が一、日中が戦争状態になったときに米軍が出動しなければ、日本はこれまでの対米従属の反動で、間違いなく極端な「反米」路線に走るでしょう。安保条約即時廃棄、米軍基地即時撤去となれば、日本はアメリカ、中国、韓国、ロシア、すべてを仮想敵国とみなすハリネズミのように好戦的な「先軍主義」の国になるしかない。先の世界大戦前と同じです。そういう北朝鮮のような国になることを無意識的に願っている日本人は少なくないと僕は思っています。

現実には「強い現実」と「弱い現実」がある

――一方、内田さんは今回の著書で、「もし、日本の敗戦が決定的となったミッドウェー海戦の直後にアメリカと講和を結んでいたら……」という仮定の下に、今とはまるで異なる「日本の戦後」があり得たと書かれています。そして「現実」には、この「もし」で大きく変わり得た「弱い現実」と、「何があっても、結局はこうなっただろう」という「強い現実」があるという視点を示されています。

内田 ミッドウェー海戦に敗れて太平洋戦争の帰趨がほぼ決した直後に、すでに吉田茂や木戸幸一は対米講和を考えていました。でも、ずるずるしているうちに機会を失した。
 もし44年までに対米講和が成っていれば、本土への空襲も、玉砕も、特攻もなく、広島や長崎への原爆の投下もなかったはずです。そう考えると今、我々が直面している現実も、過去の小さな「もし」によって、大きく違っていたかもしれない「弱い現実」だということがわかります。

――それが「弱い現実」である以上、我々の行動次第で変えることもできるということですか?

内田 歴史のなかに「もし」という視点を置くことで、少なくとも、「結局、日本はこうなるしかなかったんだ……」という宿命論からは逃がれられます。何かの要素がほんの少し違っていただけで「もっとましな今になっていたチャンスはあった」と考えることで、少しは希望が持てる。
もちろん、先の戦争が証明しているように、いくつかの「偶然」がもたらした「弱い現実」によって、国が壊滅的な危機に直面するということもあります。たとえそれが「弱い現実」であっても、ものを破壊することはできるからです。
安倍政権もそうです。歴史的必然性があって誕生したわけではない政権ですが、それでも日本社会の根幹部分を破壊するだけの力はある。でも、この痛ましい現実も、所詮は偶然が重なって生じた「弱い現実」に過ぎませんから、わずかの入力変化で大きく変化するでしょう。
目の前に迫った衆議院選もひとつの「分岐点」です。これが日本の歴史を大きく変える「節目」になる可能性はあると僕は思っています。
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211007 再々掲:190809 参院2議席しかない山本太郎氏へのネガ・キヤンの激しさは、山本氏の可能性の証である。枝野氏は立憲、れいわ、共産の大連立を目指せ。国民党は消滅しろ!

2021年10月07日 19時41分13秒 | 一年前
10月7日(木):     

190809 参院2議席しかない山本太郎氏へのネガ・キヤンの激しさは、山本氏の可能性の証である。枝野氏は立憲、れいわ、共産の大連立を目指せ。国民党は消滅しろ!
2019年08月09日 11時37分54秒 | 今、思うこと&意見

2019年)8月9日(金):  
「山本太郎が政権をとったらヒトラーになりかねない」と識者たちが言っているのだそうだ(デイリー新潮)。他にも、夕刊フジをはじめ「あああれね。アベのつかいっぱしりの御用マスゴミね!」と思うメディアが書き立てている。東国原某や橋下徹らが「山本太郎は総理になれない」など参院2議席しかない<れいわ>に対するとち狂った対談が垂れ流されている。また、わざと<れいわ>と<N国>を並べて論じることで、<れいわ>のイメージを<N国>と同じレベルのインチキ勢力という見え見えの印象操作をしようとしている。

正直「現段階で参議院2議席しかない<れいわ>に対して、ここまで山本太郎氏を見え透いたウソで貶めるのか・・・。」参議院2議席しかない<れいわ>山本太郎氏に対してこれほど卑怯で不当なネガティブキャンペーンが張られるということは異常を通り越して恐ろしくもある。それだけアベを支える利権屋集団が、今後の衆議院議員選挙に向けて山本太郎氏の実力、影響力の大きさに恐怖していることの表れだろう。

どうしてこんな見え見えのウソで固めたネガティブキャンペーンをするのか。そんなことをすればデイリー新潮も、夕刊フジも大企業からスポンサー料を受け取っている雑誌、新聞(産経)などが自らの記事のいい加減さをわざわざ示して、読者から見放され無視されることにつながる危険性を冒していることはわかっているはずだ。もはや彼らは読者の良識に期待する自己を持たない完全なる御用フェイク・メディアであることにアイデンティティを固めているようだ。

たった2議席しか持たない<れいわ新選組>山本太郎代表に対してここまでアベを支える周辺勢力が<山本潰し>を仕掛けるのを観ているとそんなに<れいわ>山本太郎氏の持つ潜在的可能性は大きいのか。今後の野党共闘の有り様によっては、次の衆院選での政権交代までは難しいかもしれないが、与野党伯仲状態に持っていき、その勢いで実際に次の段階で政権交代が実現するかもしれない」といやが上にも<れいわ>への期待が膨らんでしまう。

そう考えると、小泉顔だけ進次郎による公私混同の<官邸できちゃった婚発表>のおバカ騒ぎも、与野党伯仲アベ退陣後の自民党・創価学会から巻き返しのスペア(隠し玉)として用意してのことだと理解できる。それにしても今の自民党は国民・有権者をつくづく舐め切っていると思う。全くもってどうでもいいことなのに、キャーキャー言ってるおばさんたちの姿がテレビで繰り返し流され続ける。我々も本当に舐められたものだ。

そういえば、報道ステーションもニュース23も含めてテレビのニュース番組がお天気ニュースばかりを流し続けている。大切なニュースはいつもお天気ニュースの後だ。天気ニュースならNHK一局で十分足りている。ニュース番組がニュースを流さない時代に我々は生きているのだ。鳴り物入りのニュース23の小川キャスターもプーである。

閑話休題。願わくば、立憲民主党の枝野党首に頑張ってもらい、連合という労働者・庶民と乖離した労働組合の皮を被った既得権益集団と距離をとって、インチキ国民党の分裂・右派の切り離し(維新・自民に行けばよい)、中道・左派の立憲会派への取り込みをはかり、山本太郎氏の<れいわ新選組>や共産党との本格的な選挙協力により、本当の<政権交代>を見せてほしい。

連合や国民党などのフェイク集団に右顧左眄することなく本当の国民・市民の生活安定の願いの実現をはかってほしい。そのために山本太郎氏の消費税5%の提言を受け入れてほしい。

枝野氏をはじめ立憲民主党の有力者たちが、民進党時代に野田汚物政権で消費税10%を取り決めたメンバーに入っていたなどはどうでもいいのだ。2年前の衆議院選挙の際、ゼロから立憲民主党は立党したのだ!そこで別の党、すなわち憲法を遵守し、国民の生活、国民の願いを第一に考える<真っ当な政治>を目指す集団に立憲民主党はリセットされたことを忘れるな。

野田汚物や連合(電機)の奴隷のインチキ国民党など国民の支持の無い連中なのだ!そんな奴らに抱き着かれて、ああだこうだと言われて国民・市民の真の声を聴き洩らすな、忘れるな! 立憲民主党が傾聴・提携すべき国民の真の声は山本太郎氏の<れいわ新選組>の提言にこそあることを忘れるな。

<れいわ新選組 山本太郎氏>に勢いがある内に共産党、社民党、沖縄、被災地、などと一緒になってロスジェネを含む無党派層をも取り込み、一気に政権交代に持っていくべきである。その時総理大臣が、枝野でも、山本でも国民・市民にとってはどっちでもいい。好きにすればいい。山本太郎氏も総理の椅子に執着はない。ただ、この衰退の一途、戦争への一途にある日本を救いたいという思いだけなのだ。くれぐれも「この闘いが、血は流れないが、革命を目指す<戦争>なのだ!」ということを忘れないこと。「やられる前にやってしまう」覚悟が絶対に必要なのだ。

立憲民主党党首の枝野氏にはそこの分別をしっかり持ってもらって、くれぐれも組べき相手を間違わないでほしい。立憲内部での旧体制に執着するバカな連中がいれば、そんな奴らを振り切って党を割ってでも<れいわ新選組>、<共産党>と組んで、一気に政権交代を目指してほしい。勢いが大事で「今しかない!」ということも言っておきたい。
   
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210905 再掲:210310 私(もみ)はれいわ新選組山本太郎代表と社民党の福島瑞穂党首を強く支持しています。

2021年09月05日 13時26分55秒 | 一年前
9月5日(日): 以下、再掲させて頂きます。m(_ _)m。

210310 私(もみ)はれいわ新選組山本太郎代表と社民党の福島瑞穂党首を強く支持しています。
2021年03月11日 01時22分01秒 | 今、思うこと&意見

2021年)3月10日(水):   

私もみは令和新選組山本太郎代表を強く支持しています。社民党の福島瑞穂党首も強く支持しています。彼らの言葉と姿勢には真実がある。一方で、国会質問で目を怒らせ批判ばかりで我が事なれりと勘違いして、国民の前に出てきて具体的な野党共闘のビジョンを語らない立憲民主党のレンホウは嫌いです。共産党との提携に乗り出さず、真に政権交代する覚悟を示さない立憲民主党のエダノ(枝豆)にも愛想が尽きかけています

どうして立憲民主党は、共産党、れいわ新選組と組んで本気で政権交代をしようと考えないのか。一種絶望的気分になってきています。選択的夫婦別姓を看板にして政権奪取できると考える枝豆の感覚、国民と本気で向かい合わない姿はもはや奇異と言ってもよい。小選挙区制で、政権交代を目指しビジョンを示さない野党は、腐敗した政権の<補完勢力>に堕していることにどうして気づかないのだ。

私はれいわ新選組の政策すべてに賛成しているわけでもないし、実現可能だと思ているわけでもない。山本太郎代表のものの考え方と国民と向き合おうとする姿勢、地道な努力に対して強く共感し、信頼を寄せているのだ。
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210607 一年前:9 052 司馬遼太郎「竜馬がゆく(七)」(文春文庫:1963)感想5

2021年06月07日 20時28分34秒 | 一年前
6月7日(月)
9 052 司馬遼太郎「竜馬がゆく(七)」(文春文庫:1963)感想5

6月7日(日);      4101ページ       所要時間9:30         蔵書著者40歳(1923~1996:72歳)。セリフのある司馬さんの小説として......

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210527 再掲:150914 日刊ゲンダイ:評論家・森田実氏が指摘「橋下徹氏は極右幼児性ニヒリスト」 「150808」も読んで!

2021年05月27日 22時35分47秒 | 一年前
5月27日(木):

150914 日刊ゲンダイ:評論家・森田実氏が指摘「橋下徹氏は極右幼児性ニヒリスト」 「150808」も読んで!
2015年09月14日 22時56分46秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」


(2015年)9月14日(月): 賛成議員を落選させよう!」(SEALDs)

「150808 諸悪の根源は、橋下徹だ!次いで慎太郎、次いで野田と前原の民主党 下っ端安倍ガキと一緒に消えろ!」と読み比べて下さい。  
  沖縄に学ぶべきと森田実氏(C)日刊ゲンダイ
日刊ゲンダイ評論家・森田実氏が指摘「橋下徹氏は極右幼児性ニヒリスト」  2015年9月14日
■気に入らないものを手当たり次第に破壊
 安保法案の審議が大詰めを迎える中、路線対立の末、維新の党から“創業者”の橋下徹大阪市長が離党した。今後、橋下氏は安倍首相に近い新党をつくるとみられるが、政界引退を表明しながら新党とは言動がメチャクチャだ。長年政界を見てきた政治評論家の森田実氏は既に3年前、著書「『橋下徹』ニヒリズムの研究」でズバリ、橋下氏の危うい本質を言い当てていた。
――維新の党の分裂騒ぎでは橋下さんの発言が毎日のように変わり、一体、何が起きているのか訳がわかりませんでした。
 あれほど無責任に発言がくるくる変わる政治家は、普通は大手マスコミから叩かれ、潰されるものです。ところが橋下さんだけは別格扱い。マスコミが許してきたので、言いたい放題が助長され、今回のように分裂する、しないで前言撤回しても批判されない。おかしなことです。
――橋下徹という政治家はどんな人物だとお考えですか。著書では「ニヒリズム」とおっしゃっていましたが。
 橋下さんは「極右」で「幼児性」を伴った「能動的ニヒリスト」だと思います。ニヒリズム(虚無主義)の圧倒的多数は「受動的」なんです。何もせずに、世の中なんて潰れてしまえばいいとひねている。歴史的には「左翼」が多く、一般大衆が虐げられている状況を改善するため、虐げている者たちをやっつけようというのが出発点でした。社会主義者や共産主義的な思想の人たちの一部が「左翼ニヒリスト」になったのです。一方、「能動的ニヒリスト」は、積極的に自ら秩序をブチ壊そうとする。「右翼ニヒリスト」は、絶対平和主義や戦争をしない戦後体制を壊す。民主主義や国民第一はけしからんという考え方。これに橋下さんの場合は「幼児性」が加わります。
――幼児性とはどういう特徴ですか。
 第1に、わがまま。前言を簡単に撤回する。発言とは別のことをどんどんやってしまう。子供が「あれが欲しい」と泣きわめくようなもので、欲しいものは我慢しない。第2に、礼儀を知らない。礼儀の根底にあるのは、自分以外の周囲の人に対する最低の思いやりです。礼儀は形だけのものじゃないかと言うけれども、少なくとも対人関係を重視する思考が伴う。つまり礼儀というのは、大人にだけ備わっているもので、子供にはありません。幼児が権力を握って、極右になり、手当たり次第に自分の気に入らないものを破壊している。それが橋下さんです。併せて、橋下さんに同調し、味方しているマスコミも幼稚化が著しい。
――マスコミも幼稚化している?
 マスコミは社会にとって一種の教育機関です。文化や学問、理想など、さまざまな考え方を供給する役割がある。ところが、ある時期からマスコミはその使命を放棄した。理想を失い、行き当たりばったりになり、権力の流れに身を任せるようになった。自分の力で立つことをやめ、幼児の特徴である「甘え」の論理がはびこるようになった。大新聞の社員は会社に甘え、会社は広告を出稿する企業や政府に甘える。その構造の中で育ってきた人たちが、マスメディアを支配している。そこに、橋下さんの幼児性を見抜けないメディアの堕落もあると思います。
――堕落したメディアが橋下さんを「カリスマ」にしてしまったということでしょうか。
 それに加えて、社会の欲求不満が橋下さんを押し上げた面もあります。日本全体が衰退していく中でも、大阪は衰退の色が濃い地域です。豊臣秀吉の時代は、大阪は日本の中心だった。大阪の人には、関東大震災の後は大阪が東京を支えたんだ、という誇りもある。だから、今はそれがないがしろにされているという、何ともいえないフラストレーションが大阪の人にはあるのです。特に主婦層や中小企業の経営者などが橋下さんの強力な支持者です。
■安倍首相と橋下市長は“双子”の同志
――そんな橋下さんに、安倍首相はエールを送り続けています。
 橋下さんと安倍首相は同質だからでしょう。2人は“双子”ですよ。私は安倍首相も橋下さんと同じ「能動的極右幼児性ニヒリスト」だと思います。やりたい放題、言いたい放題。戦争もいとわず、戦後の安定した秩序を破壊しようとしているのですから。安倍首相の「積極的平和主義」は戦争をしたいというのを隠すための“包装紙”にすぎません。もうひとり、石原慎太郎さんも橋下、安倍の2人と共通項がある。「目の寄るところへ玉が寄る」という昔の古い言葉がありますが、同類は集まるのです。橋下さんが政治の世界に出てきて、まず結びついたのが石原さんですが、彼は元祖極右ニヒリスト。戦争をやれ、中国はけしからんというのが石原さんの主張。右翼のキーワードである反共を強く打ち出し、平和共存という戦後体制の考え方を壊そうとした。石原、安倍、橋下という系譜です。
――彼らのような極右ニヒリストが、日本社会で権力を持つのはなぜでしょう。
 本質的には日本がいまだ米国の植民地になっていることと関係が深いと思います。左翼を嫌いな米国が極右的な思想を持った政治家を育ててきた。安倍首相は米国の対日政策の産物ですよ。戦争をしたがる政治家を育てることによって、半永久的に自衛隊を米国の下請け軍隊にさせる。集団的自衛権の解釈改憲と安保法案で、いまそれが成功しつつある。米国では共和党と民主党で政権交代がありますが、対日政策に関わっている連中はずっと代わっていないのです。アーミテージ(元国務副長官)、ジョセフ・ナイ(元国防次官補)、マイケル・グリーン(米戦略国際問題研究所アジア日本部長)ら、いわゆるジャパンハンドラーズが、もう30年くらいずっと携わっている。米国が対日政策の中で育て上げたのが安倍首相や橋下さん。そして、いまや安倍・橋下は同志の関係です。
――12月に大阪市長の任期が満了したら引退すると言っている橋下さんに対し、安倍首相は国政進出を促しています。
 橋下さんは今度は国政の場に出てくると思います。結局、橋下さんがこの時期に維新分裂に動いたことは、安保法案成立への援護になりました。与党は維新の対案の扱いで頭を悩ませていましたが、維新の混乱で対案を無視する理由ができ、原案のまま通すことができるようになった。これはすごい恩義です。だから安倍首相は橋下さんを利用するとともに、橋下さんに借りができたわけです。その借りにどう報いるか。来年の参院選での連携です。安保法案で支持率が下がった安倍自民党にとって、参院選は最大のピンチになる可能性もありますからね。連携とともに、橋下新党は安倍別動隊になり得る。例えば自民党が議席を15減らしても、橋下新党が15議席を取ればつじつまが合う。“双子の兄弟”が同志として連帯していく。そういう流れになるのは必然だと思います。
――極右幼児性ニヒリストの2人が連携し、この国のリーダーとして君臨するなんて恐ろしいことです。
 彼らは幼児ですから、指導者としての本質が備わっていない。ニヒリズムだから理想がない。日本人としてよって立つものがなく、米国の対日政策の手先になって戦争をしかねない人たちです。日本にとって大変な危機です。そこで、参院選に向け、いまモデルにすべきは沖縄なんですよ。
――沖縄ですか?
 沖縄では自民党が、これまで通り東京の政府と米国にぶら下がって生きていこうとする勢力と、革新を含めた草の根に支持される翁長知事を中心とする勢力に割れた。そして翁長さんら「オール沖縄」はいま、米軍基地の辺野古移設反対の一点に絞って戦っている。争点を複数にすると分裂のもとですから、一点でまとまるのは賢い。しかも「沖縄アイデンティティー」を強く打ち出している。同じことを日本全体でやれるかどうかです。「ジャパンアイデンティティー」の下で、「オール日本」を形成し、民主党も解党して、安倍・橋下政権を拒否するという一点で結集する。全選挙区で「オール日本」の候補者を立てれば、参院選で自民党をコテンパンにやっつけることができると思います。そうすればこの国は救われます。
▽もりた・みのる 1932(昭7)年、静岡県伊東市生まれ。東大工学部卒業。日本評論社出版部長、「経済セミナー」編集長などを経て、73年に政治評論家として独立。精力的な評論、執筆、講演活動を続けている。現在、東日本国際大学の客員教授も務める。
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210523 再掲:130517 共感!転載。 朝日新聞朝刊「声」欄「人を傷つける橋下氏の発言」 精神科医 山本裕子(松江市 46)

2021年05月23日 00時57分33秒 | 一年前
5月23日(土):

130517 共感!転載。 朝日新聞朝刊「声」欄「人を傷つける橋下氏の発言」 精神科医 山本裕子(松江市 46)
2013年05月17日 21時26分39秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

2013年)5月17日(金)

 先日来、ポピュリスト橋下と利己主義慎太郎の極右発言に胸くそ悪さが高じていた。公の場で、TPOをわざと無視して、「俺は本音で話してるんだ」と粋がって偉ぶり、ズボンどころかパンツまで下ろして陰部を見せて回っている露出狂の変態を見ているような気分だった。

 見たくもないし、見てはいけないものを、無理やり見せられた不快感に似ている。この期に及んで、どうしてこんな戯言(たわごと)を聞かせられないといけないのか。世の中には、言ってよいことと悪いことがある。ほんと馬鹿じゃないのか。

橋下が頭を下げるのは強者アメリカのみ、そのアメリカにも見放され橋下維新はお終いだろう。

 そんな中、本日の朝日新聞朝刊「声」欄に強く共感する投稿があったので転載する。


「人を傷つける橋下氏の発言」      精神科医 山本裕子(松江市 46)

 心の痛む事件は毎日のように耳にする。しかし日本維新の会共同代表で大阪市長を務める橋下徹氏の旧日本軍慰安婦をめぐる発言は、それらのニュースとは違う。戦時中の慰安婦を「必要」と発言し、批判を浴びたが撤回しない。憤りを通り越して不快だ。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状を持つ女性は、このようなニュースを聞くと病状が悪化する。心理的に再被害を受けるのである。

 橋下氏も維新の会共同代表石原慎太郎氏も、買春行為が合法的であったとしても性暴力であることが根本的にわかっていない。戦争中には合法的に人を殺す、だから人を殺すのは皆がやっていることで必要だと言っているのと同じではないか。「間違ったことであっても必要なら人を傷つけてもよい」という思想だと私には思えてならない。

 恐ろしいのは、明らかに間違っていると思われることを彼らが堂々と発言し、高圧的な態度で相手に無力感を与え、思考を停止させ、何も言えなくさせることだ。もし私が対談してもやり込められるだろう。

 発言は世界に発信され、日本の政治に影響している。放っておくわけにはいかない。一人一人が声を上げなくては大変なことになると感じ、初投稿した。


            (※すみません。一部写し間違えてました。訂正しました。5月25日)


 全く同感である。<人権>・<歴史>を軽んじる橋下ら右翼・保守政治屋らが一番好きな言葉が<国益>だが、その<国益>を今まさに冒しているのが、こいつらの妄言だ!

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210509 一年前:200508 一事が万事だ!:内田樹「『マスクを配る』って言ってからもう5週間。検査件数一日2万件にすると言ってからももう4週間。」

2021年05月09日 22時55分48秒 | 一年前
5月9日(日):

200508 一事が万事だ!:内田樹「『マスクを配る』って言ってからもう5週間。検査件数一日2万件にすると言ってからももう4週間。」

5月8日(金):   神戸女学院大名誉教授の内田樹氏 朝日新聞を熟読しても時代の問題点が漠然としてあやふやになるだけだが、日刊ゲンダイやリテラ、他スポーツ紙などのコラム記事を読......

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210502 一年前:9 043 東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇跡」(角川文庫:2012)感想4+⇒やっぱり5

2021年05月03日 01時23分05秒 | 一年前
5月2日(日):

9 043 東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇跡」(角川文庫:2012)感想4+⇒やっぱり5

5月1日(金):      413ページ       所要時間8:40       古本市場86円著者54歳(1958生まれ)。大阪府出身。年齢、仕事、体力、視力、子育......

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210429 一年前:9 042 重松清「小学五年生」(文芸春秋:2007)感想4+

2021年04月29日 21時42分25秒 | 一年前
4月29日(木)

9 042 重松清「小学五年生」(文芸春秋:2007)感想4+

4月28日(火):  266ページ        所要時間3:35        ブックオフ200円著者44歳(1963生まれ)。岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。出版......

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210323 一年前:200322 210万PV超:政権交代後の第一の仕事は、アベ・アソウの一味をしかるべく裁き、刑務所に送ることである。

2021年03月23日 23時03分40秒 | 一年前
3月23日(火):

総務省官僚の接待汚職のニュースが空々しくて心に響かない。
はるかに大きな不正が大手を振って見逃されている。
小者たちを全力でたたくワイドショーや橋下徹は、アベ・アソウについてはだんまり。

朝日新聞(社説)世論調査不正 説明責任果たさぬまま
2021年3月17日 5時00分

  FNN(フジテレビ系ニュースネットワーク)と産経新聞が合同世論調査(電話)を再開して2カ月になる。
  データの不正入力が明らかになったのが昨年6月。再発防止策を講じたというが、問題発覚前はもちろん、事後の対応もおよそ適切とは言いがたい。このままでは信頼の回復はおぼつかないと知るべきだ。
  両社によると、昨年5月までの1年間に実施した計14回の世論調査すべてに不正があった。全体の12・9%にあたる1886件の回答が架空のものだった。業務を委託された調査会社が、無断で別会社に再委託し、その現場担当者がうそのデータを入力していたという。
  信じられないことに、フジ・産経いずれの社員も調査に一度も立ち会っておらず、再委託されていたことにも気づかなかった。あまりに無責任・お粗末な話で、世論調査とその報道に誠実に向きあっていたとは到底思えない。
  加えて納得できないのは、両社が社会に対して当然行うべき説明をしていないことだ。
  放送倫理・番組向上機構(BPO)は先月、フジから提出された報告書や関係者へのヒアリング結果などを踏まえ、「重大な放送倫理違反があった」とする意見を公表した。
  その中で初めて、▽不正が起きる以前も、現場を見た回数は数えるほどしかない▽担当者は1人だけで、その当人も調査について深く理解していなかった▽局内で調査はルーチン作業と受け取られ、強い関心は寄せられていなかった――などの事実が明らかになった。フジは弁護士2人を含む調査チームで検証したというが、メンバーも報告書も公表していない。
  しかもBPOの所管は放送分野だけのため、産経側の態勢や認識はなお不明のままだ。朝日新聞の取材に、産経は「原則として編集に関することは答えていない」としている。
  疑問は尽きない。
  不正入力によって内閣支持率などにどんな影響が出たのか。両社は調査結果を報じたニュースを取り消したが、調査を引用して放送・掲載したコメントや記事、コラムについての説明はない。フジは社内処分をしたというだけで内容を公表せず、産経に至っては処分の有無すら明らかにしない。なぜなのか。
  メディアが実施するものに限らず、世論調査は調査する側と調査対象となる市民との間に信頼関係があって成り立つ。両社の対応はそれを傷つけ、調査全般に対する疑念や不信を引き起こしかねない。態度を改め、遅まきながら報道機関として説明責任を果たすべきだ。


200322 210万PV超:政権交代後の第一の仕事は、アベ・アソウの一味をしかるべく裁き、刑務所に送ることである。
3月22日(日):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から3088日。アクセス:閲覧 861PV/訪問者 486IPトータル:閲覧 2,100,663PV/訪問者 56......
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210203 一年前:200202 一年前:190202 苦戦!2019年度センター試験:日本史B98点(完全ミス!悔しい!)、世界史B88点(力不足・・・)

2021年02月04日 00時40分03秒 | 一年前
2月3日(水):
200202 一年前:190202 苦戦!2019年度センター試験:日本史B98点(完全ミス!悔しい!)、世界史B88点(力不足・・・)

190202 苦戦!2019年度センター試験:日本史B98点(完全ミス!悔しい!)、世界史B88点(力不足・・・)2月2日(土):今年もやってみましたセンター試験。結果はかなり不本......

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210202 一年前:200201 桜を見る会再論(内田樹):今我々は、世襲の恥知らずの虚言の下でどんな状態にあるか。

2021年02月02日 22時31分30秒 | 一年前
2月2日(火)
200201 桜を見る会再論(内田樹):今我々は、世襲の恥知らずの虚言の下でどんな状態にあるか。

2月2日(日):桜を見る会再論(内田樹):アベはあらゆる「申し開きのできない証拠」に対して「論理的に思考できないふり、日本語がわからないふり」をしてみせる2020-02-01 ......

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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)