もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

188冊目 司馬遼太郎「項羽と劉邦(中)」(新潮文庫;1980) 評価5

2012年03月31日 07時05分33秒 | 一日一冊読書開始
3月30日(金):  すみません、明け方寝ぼけて入力ボタンを押し忘れました。

366ページ  所要時間8:45

1977~79年連載(著者54~56歳)。内容をある程度理解しようとすると、全く速読ができない。途中、何度か読み切るのを諦めかけた。一日の読書時間としては限界ぎりぎりの境目で、何とか最後まで到達できた。これだけ長く時間がかかると、始めに読んだ内容を、終りには忘れてしまっている感じで、何か虚無感を覚える。

それでも、印象に残った内容を、断片的にメモっておこうと思う。

*軍事的に圧倒的に強かった項羽の楚軍が天下を取れず、百戦百敗で弱体な劉邦の漢軍が最終的に天下を取った根本的原因は、全く明らかである! つまり、鴻門の会で劉邦の命を助けたことよりも、その後で項羽が<関中>の軍事的・経済的価値を認めず簡単に放棄してしまったことである。項羽が、守り難い四通八達の地である楚の彭城(現在の徐州)に本拠地を置き、いつ果てるともない各地の反乱鎮圧に出撃し続けている隙に、一度は、漢中と巴蜀に左遷された劉邦が、いとも簡単に<関中>を取り返し、本拠地を置いてしまった。これが、すべてだと言える。

*項羽に率いられる楚軍の戦いぶりの姿が、旧日本軍と重なって見えてしまった。

また、書けたら書きます。

120330 初めて500PV超えました。感謝です。

2012年03月31日 06時05分23秒 | 閲覧数 記録
3月30日(金):ブログの開設から 173 日

本日初めて、一日の閲覧が500を超えました。信じられません。

一日:閲覧 501 PV  訪問者 128 IP

トータル:閲覧 47022 PV 訪問者 16851 IP

勿体無いことです。恐れ多いことです。m(_ _)m






メモ:3月31日(土):174日目
一日:閲覧 400 PV  訪問者 106 IP
トータル:閲覧 47422 PV 訪問者 16957 IP

187冊目 鈴木光司「バースデイ」(角川ホラー文庫;1999)  評価4

2012年03月30日 03時23分28秒 | 一日一冊読書開始
3月29日(木):

263ページ  所要時間4:45

著者42歳。「リング」「らせん」「ループ」シリーズの完結編。スピンオフ作品が3編掲載されている。

「空に浮かぶ棺」  49ページ:
・「らせん」で山村貞子を再生するための蛹(さなぎ)として処女懐胎し、ビルの排気溝で出産後、廃棄されねばならなかった高野舞の悲劇の死の様子が、本人の意識と共に克明に描かれる。
・それにしても再生した高山竜司の記憶が維持された理由は、「ループ」によって説明されたが、再生した山村貞子の記憶と意識が維持された理由は何だったんだろう。怨念?、ここはオカルトのままかな?

「レモンハート」  122ページ:
・1990年リング事件の24年前の1966年に小劇団・飛翔の新人女優山村貞子が消息を絶つ。当時18歳の山村貞子と愛し合っていた劇団・音響効果員遠山(23歳)が、1990年(47歳)M新聞記者吉野賢三の取材を受けて、貞子との不可思議な日々を思い出し、悪夢を再発する。当時貞子と遠山との交情の録音テープを聴いた5人がすべて、時間差こそあれ心臓病で死んでいた事実が明らかとなる。しかも、その録音テープは、貞子本人の念写によるものだった。貞子との交情を自分の耳で直に聞いている遠山にも死が迫る。期せずして、心臓病で路傍に行き倒れる47歳の遠山は、高野舞の子宮を通して再生した昔と全く変わらない若い貞子に抱かれて死ぬ。それは遠山の願いを果たすことでもあった。
・24年前の劇場・音効室にあった神棚の臍の緒は、一体誰の臍の緒なのか? 流れから言えば、貞子の臍の緒ということになるのだろうが、貞子が自分の臍の緒を持ち歩く理由は何なのか?
映画「リングΦ(ゼロ)バースデイ」の原作

「ハッピー・バースデイ」  80ページ:
・「彼女は、ループとは子宮のようなものであると考える。」という一節がある。「リング」「らせん」「ループ」シリーズは、映画「マトリックス」(1999・2003)との近似性を云々する話があるが、著者の着想と作品世界の独創性は明らかであり、マトリックスに匹敵・凌駕するものと断言できる
・前作「ループ」で、高山竜司の生まれ変わりである二見馨は、現実世界での転移性ヒトガンウィルスの危機と、仮想現実空間「ループ」でのリングウィルスの危機を解決して、二つの世界を救うために自らの身を犠牲にした。本作では、仮想現実空間「ループ」に世界を救う<神>として転生・降臨した二見馨の高山竜司としての活躍ぶりを、彼の子を妊娠した杉浦礼子の目を通してレポートしている。現実世界での二見馨の死を知り、当初深刻なショックを受けた礼子は、戸惑いながら、その事実を受け入れていく。
・本作では、高山竜司は、タカヤマ(リュウジ)となり、山村貞子も、ヤマムラサダコという風に半ばウィルスを呼ぶように記号化されている。遺伝子のテロメアによるサダコ駆除の着想もなかなかよくできている。

※鈴木光司は、やはり優れた作家だ。何よりエンターテインメントとして素晴らしかった!


120329 野田バカ総理の<財政>に対する根本的疑問。

2012年03月29日 06時21分12秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
3月29日(木):

 財政でもっとも重要な機能の一つは、貧富の格差を是正するための<所得再配分>つまり、大企業・大金持ちから多くの税をとり(累進課税)、社会保障政策などによって貧しい人々に再配分する。これによって、貧富の格差を是正し、社会を安定的に支える<中間層の厚み>を確保することにある。OECD諸国(先進国)では、唯一の例外を残してすべて財政により貧富の格差は是正されている。唯一例外の国が日本だ。日本だけが、国の行う財政の所得再配分により貧富の格差が拡大している現実がある。これは財政とは言えない。国家として非常に歪んだ危機的状況だ。

 よく見れば、誰でもわかることだが、意味もなく駄々をこねて消費税増税に反対と言っている国民はほとんどいない。所得再配分機能を果たしていない、貧富の格差を拡大悪化させている財政の歪みを肌身に感じて強い不信感を持っているのだ。「先にやるべきことをやって下さい」と言っているだけなのだ。財政の根本的歪みをまったく棚上げにして、さらなる貧富の格差拡大につながる逆進性の強い消費税の増税に向かって一点突破をはかって突進している姿に白けているのだ。

「せっかく総理大臣になれたのだから何か手柄を残したい」という個人的功名心で厚く塗り固められたあの表情を見ていると、「もうこの男の頭の中には、民意を尊重しようという考えは無いのだな…」と暗澹たる気分にさせられる。

 野田バカ総理は、歴史観・財政政策・原発再稼働ともに<本来の民主党?>にいるべき政治家ではないだろう。自民党の中でも保守右派(神の国発言の蜃気楼や僕ちゃんお腹が痛いから総理大臣辞めまちゅ君)と非常に近い黴臭い政治屋の立ち位置だ。20年辻立ち説法をしてきたか何か知らないが、あまりにも目線が財界・官界と、短い総理大臣任期中の功名心とに向き過ぎている

 我々庶民の生活を本当に考えたグランド・ビジョンというものが全く感じられない。そのグランド・ビジョンこそが民主党のマニフェストだったはずだから、当然と言えば、当然であるが…。この男の後について行っても、マニフェスト完全無視を決め込んだその場しのぎの増税政策によって、国民生活に安心がもたらされるとは誰も考えられないだろう。

 どうして財政の所得再配分の歪みを是正する根本的姿勢を示してくれないのだろう。彼を支える民主党議員たちは、民主党のマニフェストのことを今、何だと考えているのだろう。俺は、民主党を全否定する気は無い。裏切らないで欲しいだけだ。大切な問題で、自民党と大連立するような自らのアイデンティティをどぶに捨てるようなことをして欲しくないのだ。大切な問題で、大連立できるなら、それは同じ政党になればよいのだ。きっと国民の政治不信は途方もなく深まるだろう。

※少し矩をこえてしまったかもしれません。世の中を見ていると、ボソボソとでも言いたくなることがあり、ちょっとつぶやいてしまいました。ご気分を悪くされた方には、お詫び申し上げます。

120324 都合によりしばらく休ませて頂きます。

2012年03月24日 21時26分52秒 | 閲覧数 記録
3月24日(土):

都合によりしばらくお休みを取らせて頂きます。m(_ _)m
また、再開の折には、お運び下さいませ。

                          もみ

186冊目 鈴木光司「ループ」(角川ホラー文庫;1998) 評価5

2012年03月24日 07時58分19秒 | 一日一冊読書開始
3月23日(金):

431ページ  所要時間6:45

著者41歳。著者の力業には脱帽。鈴木光司が「天才」という評価にも頷ける。

映画「マトリックスⅠ」(1999)が、この世界をコンピュータ内の「仮想現実」と見るのが、本書のアイデアをパクったと見るかどうかは、時期的に微妙だが、「マトリックスⅡ、Ⅲ」が、本書の内容の影響を受けているのは、ほぼ間違いは無いし、本書の内容の方が、映画を凌駕し、洗練されていると観る見方があることにも頷ける。

前作「らせん」の安藤と再生した高山のラストシーンの背景にある壮大な秘密があったことが明かされる。

西暦2040年頃を主な舞台として、物語は語られる。「リング」「らせん」で描かれた物語は、実は、アメリカ、日本が中心になった巨大コンピュータ実験の仮想現実空間「ループ」の中で起った思いもかけないトラブルであったことが明かされる。話の意外性とスケールの大きさにひっくり返った。

主人公二見馨は、「リング」で非業の死を遂げ、「らせん」で再生した高山竜司が、仮想現実空間「ループ」から、現実の世界に再生を遂げ、それを知らされることなく成長する。転移性ヒトガンウィルスによる人類の危機を救うために、アメリカの砂漠地帯にでかけ、ヒトガンウィルスの「ループ」内でのリングウィルスとの近似性に気が付き、自らが「ループ」内での死から現実世界での再生時に、リングウィルスが下界に流出して変異したことを知らされる。

高山竜司の生まれ変わりである二見馨は、愛する人々をヒトガンウィルスから救うため、また「ループ」内の世界をリングウィルスから救うために、生身の体を犠牲にして、「ループ」内の高山竜司として戻ることを決意する。

著者の言葉:「全体の構想があった上でこのシリーズを書きはじめたわけではない。『リング』を書き終えたとき、『らせん』はまったく頭になかったし、『らせん』を書き終えたときも『ループ』の展開などまったく浮かびもしなかった。略。特定の宗教を信じているわけではないが、小説を書くことはひたすら祈り続ける作業であるような気がする。物語を意識的に徐々に構築していくのではない。頭上近くに浮遊する物語を腕力で強引にひきつけ、自分の身体を通して吐き出すのが、ぼくにとっての小説を書くという作業である。正直言って一寸先は闇、物語がどう展開するかなんて、作者であるぼくにとってもまったくわからなかった。」
このように、言いながら、出来上がった三部作(「バースデイ」を入れれば四部作か?)は、オカルト兼サイエンスフィクションのスケールの大きな金字塔だと思う。


185冊目 鈴木光司「らせん」(角川ホラー文庫;1995)  評価5

2012年03月23日 05時18分55秒 | 一日一冊読書開始
3月22日(木):

422ページ  所要時間6:30

著者38歳。めっちゃ面白かった!。特に前作「リング」を<序章>としてしっかり読んでおくと、<本編>としての本作の面白さは格別である。途中の怖さも、山村貞子の正体が分かるまでは、格別だった。文体も、ストーリーも前作の続編ながら、格段に良く練られていて、進歩のあとが見て取れる。

あまりにもストーリーが、荒唐無稽で、度外れていて、あ然・ボー然でかえってすがすがしい。本作を読む時には、あまり細かいことに拘らずに、話のスケールの大きさや展開の意外性に大らかに身を委ねて、「はあー…、そう来ますかー…」と素直に驚き、素直に面白がるのがいい。高尚な文学だけが、文学ではない。「楽しませてくれれば、読者としては何の異存もないのだ!」という気分にさせてくれる作品である。

時間があれば、もっと何か書き込みたいのだが、明日は早朝から出勤せねばならず、貫徹は老体には厳し過ぎます。せめて1時間半程度の仮眠は必要なので、この辺で寝させてもらいます。とにかく、著者の荒唐無稽だけど、雄大なスケールのSF(サイエンス・フィクション)は、十分に楽しめる値打ちのある作品だと思います。楽しむための唯一の条件は、「リング」から読み始めることだけです

それでは、お休みなさいませ。



184冊目 鈴木光司「リング」(角川ホラー文庫;1991)  評価4

2012年03月22日 05時29分28秒 | 一日一冊読書開始
3月21日(水):

331ページ  所要時間4:10

著者34歳。「マトリックス」にアイデアをパクられたという噂に魅かれて、ブックオフ巡りをして、リング、らせん、ループ;バースデイ4冊を買い集めた。

1ページ30秒のペースを目指し、終盤減速したが、何とか読み通せた。映画化された作品のホラー映画の印象が強くて、予めすごく怖いイメージがあった。

実際に読んでみると、俺自身の頭のイメージ力の低さによるものか? 「怖くて仕方がない」ということは無かった。むしろ、「ふむふむ、そういことか。」「なるほど、そう来ますか。」という理詰めな印象が強かった。最後に2度目のクライマックスを持ってきて、to be continued の終わり方には、感心しつつも、「おいおい、待ってえなあ…、まあ…、続編があるよ!ということかいな?」という気分になった。

怖いというのであれば、142冊目 立花隆「証言・臨死体験」(文春文庫;1986)評価4の方がぞくぞくした。子供の時に読んだつのだじろうの漫画『うしろの百太郎』『恐怖新聞』は本当に怖かった。これらが、<情的な怖さ>だとすれば、本作は<理知的な怖さ>なのだと思う。映画化の際には、情的な怖さに変換されていたのだろう。

◎ネタばれOKかな? *もう21年も経ってるし、いいよね? それにこれからどう展開するか、俺は本当に知らないんだから。
・映画で有名な「テレビの画面から長い髪を垂らした女が出てくる」シーンは無かった。
・スピード感のある展開だが、やや「始めに結論ありき」のご都合主義的印象を受けた。
・山村貞子は、強力な念力と非常な美しさを持つ女である、と同時に半陰陽(両性具有?)で、XY染色体を持つ男性でもある(*)。自らの存在に絶望し、自分たち親子を迫害した世の中全体に深い恨みを抱きつつ、サナトリウム医師長尾城太郎医師に自分を襲わせ、殺害させる。   (*)「男性仮性半陰陽のひとつである睾丸性女性化症候群は、外見的には完全に女性のからだで、乳房、外陰部、膣はもっていても子宮のない場合が多い。性染色体はXYで男性型、そして、なぜかこの症候群の人間は美人ぞろいなのである。」
・主人公の雑誌記者浅川和行とその親友大学講師高山竜司は、自らにかけられた貞子のビデオの呪いを解くための<おまじない>を探し求め、ついに貞子の葬られた古井戸を捜し出し、貞子の頭蓋骨を収容し、親族に届けて供養することに成功する。しかし、貞子の骨を捜し出して供養するというのは、壮大な読み違いであり、結果として高山竜司は命を落とす。
・貞子の呪いを解くための真の<おまじない>とは、ビデオの内容に残された「おまえは来年子供を産む」という、<ばーさんの謎>を解明することだった。子供を産むとは、即ちウィルスの<増殖>であり、ビデオのダビングとそれを他の人間に見せる行為であったのだ。結論から言えば、「チェーンメールかよ…」となるのだが、勿論これだけの作品にまで仕上げた著者の才能はすごいと言える。ただ、現時点では噂ほどに「天才だ!」とは言えない。文体も、マッチョで粗さを感じた。


183冊目 永積安明・上横手雅敬・桜井好朗「太平記の世界」(NHK市民大学1982.10~1983.3)評価3

2012年03月21日 06時39分19秒 | 一日一冊読書開始
3月20日(火):

133ページ  所要時間4:30

30年前の本。紙は完全に劣化して黄ばんでしまっている本棚の肥やし。折に触れて、所要時間1時間程度の流し読みは繰り返してきている。十分な時間をかけて読み込んだのは、今回が初めてか?

「1982年10月から1983年3月まで、半年間毎週45分の全25回の講義番組テキスト」。評価3は、「教科書の評価は難しい」の一言に尽きる。専門家の目から見れば、恐らくもう手に入らない<垂涎の書>だと思う。ただ、日々の読書の対象として読みこなすのは、それなりに大変で苦しい。読み通せたのは、やはり「太平記」の時代世界と、登場する人々の魅力であった。

『太平記』は四〇巻の大作です。『平家物語』でも十二巻、軍記文学の中ではいうまでもなく、日本文学の歴史の中でもっとも大きな作品の一つです。何しろ半世紀にわたる内乱(*)を対象にした、登場人物の総数も2,200人という厖大な作品ですから、云々」
 (*)文保2年(1318)の後醍醐天皇即位から、貞治6年(1367)室町幕府二代将軍足利義詮の死去、三代将軍足利義満就任と細川頼之管領就任までの半世紀間。

大学生の時、一念発起して、「中公文庫版・日本の歴史(全26巻)」の読破に挑戦したことがあり、1巻~20巻までで挫折した。その時、第9巻『南北朝の動乱』(佐藤進一)が、飛び抜けて面白かった記憶がある。とにかく「なんだこりゃ!」と、あまりの荒唐無稽・混沌ぶりにびっくりしたのだ。なんせ、軍事的にも政治的にも圧倒的に微弱・非力な南朝が短期間とはいえ、4回も京都を奪還したりするのだ。重ねて、「なんなんだこりや!」である。戦国や幕末が面白いのは当たり前だが、それ以外でこんなに面白い時代が日本史にあったというのは、ちょっとしたカルチャーショックだった。

ダメ押しは1991年NHK大河ドラマ「太平記」放送である。勿論、吉川英治『私本・太平記』(全8巻)で予習は万全である。まず、NHK制作陣の勇気ある決断を褒め称えたい。なんせ戦前だが、足利尊氏を少し前向きに評価した国務大臣が「逆臣を褒めるとは何事ぞ!」と簡単に、その首を飛ばされた歴史を持つ国である。当時俺は「よくぞやってくれた!」と賞讃していた。また、キヤストが最高に良かった! ある意味、これ以上は考えられない奇跡的なキャストだった。間違いなく歴代大河ドラマトップ3に入る出来栄え!だった。

当時、兄との関係がうまくいっていなかった俺にとっては、尊氏と直義の関係の変化は、もう気持ちが入り込んでしまって、作品世界に完全にのめり込んでしまった。そして、満足していた。直義役の高島政伸が、毒を飲まされ、瀕死の息の中で尊氏役の真田広之と抱き合って、「(それでこそ)兄上は、大将軍じゃ」と言ってこと切れる。残された尊氏が「弟を殺した―…、母上―…」と天に向かって叫ぶシーンには、もう言葉は要らない。そのシーンを只管目に焼き付けていた。

すみません、本書の内容について、何も述べられてませんよね。とにかく、この書は、太平記関係では、垂涎の書ですよ。内容は、云々する以前の素晴らしい本です。

目次:
第1章 『太平記』の課題
1『太平記』の魅力―軍記文学の系譜/2『平家物語』と『太平記』/3『太平記』と史実/4『太平記』の構想
第2章 『太平記』の展開
1後醍醐天皇と護良親王/2楠 正成(1)/3楠 正成(2)/4後醍醐天皇/5新田義貞/6足利尊氏/7佐々木道誉/8高師直/9観応の擾乱―室町幕府の内紛/10「飢人身を投ぐる事」/11内裏と幕府
第3章 『太平記』の諸相
1『太平記』の成立と作者/2『太平記』の思想/3『太平記』と『神皇正統記』/4南朝君臣の怨霊/5「不思議」と未来記/6民間信仰と芸能/7落書の時代/8あぶれ者たち/9「太平記読み」/10『太平記』の終焉

182冊 鹿野政直「歴史を学ぶこと」(岩波高校生セミナー;1998) 評価5

2012年03月20日 07時14分16秒 | 一日一冊読書開始
3月19日(月): ※一日の閲覧487PVは新記録更新です。申し訳なさと、感謝の念でいっぱいです。有難うございます。m(_ _)m

132ページ  所要時間4:10

2度目(3度目?)。テキスト。著者67歳。俺が最も尊敬する歴史家の一人。向き合うべき歴史的問題にきちんと向き合い、しっかりとした答えを持っている人。とにかく、まなざしが丁寧で優しい。

俺の歴史に対する見方・考え方は、俺独自のものであり、決して著者の影響で形成された訳ではない。しかし、不思議なぐらい著者の考え方には納得ができ、満足を覚えさせられる。勿論、厳密に細かく見れば理解が食い違う部分もあるのかもしれないが、ある程度のレベル以上の考え方の枠組みでは、ほぼ同じである。俺は、著者の言説に違和感なく納得して学ぶことができる。これは、センスの問題だと思うが、俺にとって著者は最も優れたセンスの歴史家の一人と言える。

暗記モノではなく考える歴史。大文字の歴史に対する小文字の歴史の重視。女性史。沖縄史。アイヌ史。東北史。マイノリティ。戦争・天皇と報道・新聞。天皇制とキリスト教。水俣病以前の水俣(「聞書 水俣民衆史」)=朝鮮植民地支配(創氏改名他)、解放運動史(未開放→被差別;階級史観と身分差別史観)、日韓歴史教育の交流について、共通の歴史を創るよりもお互いが相手国の歴史教科書を併用するのが現実的!。

すごく残念ですが、感想を十分に書く時間がありません。また、書けたら書きます。視野の広い歴史に関心のある方には、自信をもってお勧めします。但し、幼稚な自慰的歴史観をお持ちの方には、決して勧めません。

もう寝ます。

120318 明日人間ドックで、今日は読書休みます。

2012年03月19日 03時59分53秒 | 日記
3月18日(日):

入院している高齢の父の容体が、芳しくなく、見舞いその他、仕事との両立が難しく、読書習慣の維持はなかなか厳しいものがあります。さらに、明日はam8時起きで人間ドックに行かねばなりません。誠にもって申し訳ありませんが、読書習慣、本日もお休みとさせていただきます。何とぞお許し下さいませ。m(_ _)m

それでは、もう寝ます。

120318 アーカイブ

2012年03月19日 03時38分10秒 | アーカイブ
三好徹「近代日本史・陰の主役たち」(NHK人間大学;1996)評価4 所要時間2:00 124ページ  2007年10月20日
  読んでしまった。再読。面白かった。明治天皇は、高潔な人柄の人間を好んだ。伊藤は財閥と結ばず、明治天皇から愛された。

鎌田慧「反骨のジャーナリスト」(NHK人間講座;2002)評価5 所要時間1:30 142ページ 2007年10月22日
  眺め読みだが、面白かった。権力に阿らない反骨の人間は大変だが、尊敬すべきだ。陸羯南、横山源之助、平塚らいてう、大杉栄、宮武外骨、桐生悠々、鈴木東民、斎藤茂男

樋口一葉「にごりえ・たけくらべ」(岩波文庫;1927)評価3 所要時間1:30 115ページ  2007年10月31日
  ニ作品。文の切れ目が分かりにくい。話の主語が次々と変わる。廓と貧困のはかなげな女性たち。永遠の作品という評価は理解できない。

北尾トロ「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」(文春文庫;2003)評価4 所要時間4:00 333ページ2007年12月27日
  裁判傍聴を通じて下世話な人間模様をさまざまに描きまくる。不謹慎ではあるが、随分と可笑しがってしまった。世の中、変な奴がいっぱいいる。

坂野潤治「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書;2004)評価5 所要時間3:30 221ページ 2008年1月27日
  問題提議が斬新で興味深いが、歯がたたない。昭和11/12年の政治(宇垣&林)の再評価。民主化の頂点で日中戦争が起こり、その戦争が民主化を圧殺し、8年後民主化が再開された。

東嶋和子「科学・知ってるつもり77 気にかかっていたことをはっきりさせる!」(ブルーバックス;1996)評価3 所要時間1:25  350ページ  2008年1月24日
  1ページ15秒でひたすら眺め読み。頭の後ろが凝ってしまった。じっくり読めば、絶対に縁の無い本。こんな接し方でもゼロよりはるかにまし。

池上彰「池上彰の「世界がわかる!」国際ニュースななめ読み」(小学館;2007)評価5 所要時間3:40  222ページ  2008年2月8日
  テキスト!。「週刊ポスト」の連載。10月発刊で内容が新鮮かつ大変分かりやすい。満足感があった。今の世界の問題がトータルによくわかる。

島田裕巳「日本の10大新宗教」(幻冬舎新書;2007) 評価4 所要時間3:20  215ページ  2008年2月15日
  天理教。大本。生長の家。天照皇大神宮教と璽宇。立正佼成会と霊友会。創価学会。世界救世教、神慈秀明会と真光系教団。PL教団。真如苑。GLA(高橋信次;48歳死去)。

佐高信・魚住昭「だまされることの責任 佐高信×魚住昭」(高文研;2004)評価4 所要時間2:30 167ページ  2008年2月24日
  佐高は批判に徹する「座標」として信頼できるが、泥沼の蓮的人間に対する評価は「過酷」過ぎる。野中広務に対する評価が分かれ目。安田好弘弁護士の評価はびっくり。

牧口一二 「何が不自由で、どちらが自由か ちがうことこそばんざい」(河合ブックレット;1995)評価4 所要時間1:05  84ページ  2008年3月31日
  心は(中略)ひょっとしたら人と人との間にあるのかもしれないよ。ベッド式車椅子の彼=宇都宮辰範。 自立とは何でも一人でできるということではない。人と関係を結ぶことができるということ。孤立は自立ではない。

181冊目 五木寛之「下山の思想」(幻冬舎新書;2011) 評価2

2012年03月18日 05時10分09秒 | 一日一冊読書開始
3月17日(土):

223ページ  所要時間2:15

著者79歳(1932生まれ)。かつて数々のベストセラーをものにした著名な老作家である。敗戦をピョンヤンで迎え、歩いて38度線を越えて日本に戻った過去をもつ。

本書は、「山登りは下山も含めて山登りなのであり、それを楽しみ味わうことが大切である。そこからまた次の山登りにつながっていくのだ」という程度以上の思想的内容はほとんどない。目次はあるが、ほとんど系統的ではなく、事実上の雑文集である。中には、???、の部分もかなりある。

正直言って、評価1にするべきか、迷った。ただ、それほど悪い印象の本ではなかったので、評価2にしておいた。先ず字が大きい。難解な表現がほとんどない(が、内容もほとんどない)。お年寄りのとりとめなく続く昔話のような内容。図書館で借りた本なので、金も掛っていない。法然の話が紹介されている。何よりも、短時間で一日一冊のノルマを処理できた。金も、時間も、苦労もなく読めたことだけが値打ちの本である。他人には、特に読むことは勧めません。

目次:いま下山の時代に/下山する人々/いま死と病いを考える/大震災のあとで/ノスタルジーのすすめ

「東日本の大災害と福島原発の事故は、大きなショックだった。しかし、いま(11月)では復興と除染がもっぱらの話題である。それはなぜだろう。放射能の深刻な事態を知りつつ、それが社会全体の持続したテーマとならないのは、なぜか。/私が思うに、それは人々が、わたしたちの住む世界は、すでに十分に汚染されつくしていることを感じているからではないだろうか。」

「法然の思想をもっとも明確にあらわしたものが、『選択本願念仏集』(43歳)である。これを法然は限られた弟子数人にしか書写させなかった。末尾には、この書を読み終えたら隠して他人に見せてはならない、とわざわざ書きそえてある。略。いま読んでも『選択本願念仏集』はすごい。手を触れればたちまち血が流れそうな激しさにあふれている」

郷愁を自信をもって楽しもう、というのが私の提言である。人に隠れて、こっそり自分だけの時間にひたるのは各人の勝手だ。略。郷愁はできるだけ独りで楽しむ。/考えてみれば、今の私たちの日々の暮らしも、人生という刑務所につながれて生きているようなものだ。一見、自由でありながら人は生にしばりつけられて生きている。せめて贅沢な郷愁ぐらいは心ゆくまで楽しみたいものだ。/何かを行うことと、何かを思うことは、両方とも人間的な行為である。/未来を夢みて心を躍らせることと同じように、人は過去をふり返って思いにふける。そのどちらにも優劣はない。ともに私たちの人生の確かな一部ではあるまいか。」

120317 原発の<地元>は、断じて福井だけではない! 野田バカの食い逃げの犠牲だけは絶対にごめんだ!

2012年03月17日 18時16分29秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
3月17日(土):

2月8日(水)に俺は、「福井県の大飯原発再稼働について、「地元の声」と夜のニュースでやっていたが、原発の地元って何?何処のこと?。<地元の了解>を得ればって、どういうことですか???。原発の建っている周辺町村だけが<地元>なのか?バカバカしい!原発で事故が起これば、必ず琵琶湖に放射能・放射性物質が降り注ぐ。ならば、関西の広域すべてが<地元>だろう!。」と記した。

今日の朝日新聞朝刊に、「藤村官房長官は「地元に滋賀県は含まない」という認識を初めて示した。」と出ていた。呆れ果てて、言葉もない。

民主党はどうしてこれほどまでに民意からかけ離れてしまったのだろう?

逆進性の高い消費税増税を<自分の勲章>として<食い逃げ辞職>をめざす野田バカ総理が、さらに福井県大飯原発3,4号機再稼働という勲章まで目指し始めた。この二つの勲章で、辞職・解散・民主党大敗北後も、野田バカ前総理の将来だけは財界お歴々の覚え目出度く、前途洋洋として開けるのだろう。この男の頭の中には、もはやオブラートに包まれた私利私欲しかない。

この食い逃げこそまさに、「一将功成りて、万骨枯る」の典型だ。一将とは、野田バカ一人であり、万骨とは<日本そのもの>だ。ビジョン無き愚者に政治を任せることの危険性はここに極まれりだ。俺は、この男の食い逃げの犠牲になるのだけは、ぜったいにごめんこうむる。

志ある民主党議員は、絶対に<再稼働反対>に向けて行動すべきである。俺は、マイクロ政党の社民党支持者だが、選挙における投票行動では非自民・非共産(・今回は反大阪維新)として、消去法ではあるが、民主党候補にずっと投票してきた。しかし、万が一にも、「福井県大飯原発3,4号機再稼働への道が民主党によって開かれた」とすれば、間違いなく<反民主党>の旗を立てることになるだろう。原発問題の取り扱いに対する国民・市民の視線の厳しさを再度重く重く思い知るべきだ!

ちょっと、怒りで冷静に書けないが…、「原発の地元は日本国全体だ!」、そして近畿の水がめ琵琶湖をもつ滋賀県に対して「地元に滋賀県は含まない」という発言は、民主党が滋賀県だけではなく、少なくとも近畿の全府県の住民を敵に回す覚悟を持って発言するべきだろう!。民主党にとって、この発言に対する国民の反発によるダメージは、財界の支援よりもはるかに大きいはずだ。次の総選挙では、子どもたちに放射能汚染の被害が広がる危険性>に対して全く鈍感で無責任な民主党に投票する人間は間違いなく激減する。

180冊目 武田邦彦「偽善エコロジー 「環境生活」が地球を破壊する」(幻冬舎新書;2008)評価5

2012年03月17日 06時45分53秒 | 一日一冊読書開始
3月16日(金):

著者65歳(1943生まれ)。

「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉(*)を思い出した。環境問題の背後には、大きな利権が生まれている。それを、利権屋(財界)と政治屋が暗躍し、官僚の天下り、無気力で放恣な地方自治体の流され体質までが絡まって、「白い物でも黒い」、「鹿を馬だ」と言いくるめる頓珍漢な状況が、環境問題をめぐって世の中では生まれてしまっている。要するに、利権が生まれれば、それにたかる勢力によって真実は簡単にねじ曲げられ、実態が隠されてしまっている。利権を維持するために、ご都合主義的に科学が利用され、人々の恐怖心をあおる、ということだ。  (*)ちなみに「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」だそうである。

本書を読んでいて、自分の世界を見る目が変わっていった。「世の中はきれいな言葉で簡単に言い切り、判断してしまえるほど単純ではない。多面的で、多層的で、複雑な構造の中でさまざまなバランスがはたらいている」、「こちらから見れば善でも、あちらから見れば悪なんてことはいっぱいある」という分かり切っていたはずのことが、あらためてこと分けされ、自覚銘記させられた。特に、「科学的知見から見れば、めぐりめぐって結局どうなのか」ということが解き明かされていくのは、自分自身の世間に対する見方が深く耕されていく感じで心地よかった

たまに、著者の言動には行き過ぎやズレを覚えることもあるが、著者は科学者(サイエンティスト)であって、社会科学者ではない。当然、世の中のすべてのことを論じ切れる訳ではないのだ。時おり奇矯ともとれる印象を受けても、それはご愛嬌である。それを論って、著者の主張の正しさを批判するのは、本末転倒だろう。

環境問題に真剣に取り組むべきだと本気で考えている“善良な人”、“善意の人”ほど、「物事にはよいことと悪いことがあり、そのバランスこそが大事である」「有害かどうかは物質ではなく量で決まる」etc.と言う著者の声に先ず耳を傾けるべきである。著者は、立派な科学者であり、その科学的合理主義の目を通して下される事象への判断に対して、賛成するか、反対するかは、著者の話を聴いてから自分で決めればいい。しかし、著者の話を聴かずに、偏見で“世の常識(思い込まされているだけ?)”に従えば、本当に間抜けな(でも罪深い)道化師を演じさせられることになるだろう。

◎目次:  まえがき

第1章 エコな暮らしは本当にエコか?
 検証1 レジ袋を使わない→判定:ただのエゴ…石油を大事に使おうと思ったら、是非レジ袋を使ってください。
 ・レジ袋は石油の不必要な成分を活用した優れもの
 ・レジ袋を追放すると石油の消費量が増える理由
 検証2 割り箸を使わずマイ箸を持つ→判定:ただのエゴ
 ・「端材」からつくっていた割り箸
 ・国内の森林を 荒らし、 中国の森林を破壊する逆転現象に
 ・日本の森林利用の未来
 検証3 ペットボトルより水道水を飲む→判定:悩ましい
 ・問題は二つ。「ガソリンで運んでるくる水」か「全体の使用量か」
 ・家庭や学校でしている節水はほとんど意味がない
 検証4 ハウス野菜、養殖魚を買わない→判定:ただのエゴ
 ・農業や漁業を支えるという視点の方が大事
 ・付加価値をつけるとエネルギー消費は上がる
 ・第一次産業に対するお門違いの“環境問題”
 検証5 石油をやめバイオエタノールに→判定:ただのエゴ
 ・飢えた人でなく自動車に食料をくべる不思議
 ・バイオエタノールは本当にクリーンなエネルギーなのか
 検証6 温暖化はCO2削減努力で防げる→判定:防げない
 ・温暖化を防ぐために、日本人にできることは何もない
 ・「ストップ温暖化」は「ストップ台風」というのと同じこと
 検証7 冷房28℃の設定で温暖化防止→判定:意味なし
 ・エアコン調整は経費削減になるだけ
 ・行為の矛盾に気づいていない大人たち
 検証8 温暖化で世界は水浸しになる→判定:ならない
 ・「北極と南極の氷が解けて海水面が上がる」は間違い
 ・温暖化で海水面は膨張するので10センチは上がる

第2章 こんな環境は危険?安全? 
 検証1 ダイオキシンは有害だ→判定:危なくない
 ・人間にとってはほぼ無害
 ・焼き鳥でも囲炉裏でも、ダイオキシンは発生する
 ・ダイオキシンが悪者にされた背景とは
 検証2 狂牛病は恐ろしい→判定:危なくない
 ・肉を食べていれば、危険はゼロ
 ・狂牛病のウシ自体が今、ほとんどいない
 ・「ウシの全頭検査」よりもたいせつなこと
 検証3 生ゴミを堆肥にする→判定:危ない
 ・生ゴミの堆肥は畑の栄養になる、は大間違い
 ・日本の生ゴミは有害物質だらけ
 ・食品リサイクルより食べ残しを減らすこと
 ・食品リサイクルで儲ける人々
 検証4 プラスチックをリサイクル→判定:危ない
 ・リサイクル品の「毒物含有」と「劣化」が危険
 ・リサイクル率は高いほうがいいわけではない。
 検証5 洗剤より石けんを使う→判定:よくない
 ・合成洗剤は適量なら問題なし
 ・石けんのほうが環境にいい、はまったくの誤解
 ・リンは有害物質ではない
 検証6 無毒、無菌が安全→判定:危ない
 ・人間が“危険”を感じる原則とは→被害者意識は1000倍感じる
 ・有害かどうかは物質ではなく量で決まる

第3章 このリサイクルは地球に優しい?
 検証1 古紙のリサイクル→判定:よくない
 ・紙のリサイクル幻想はどこからきたか
 ・紙を使っても森林は破壊されない
 ・紙の消費量が増えたときにすべきこと
 検証2 牛乳パックのリサイクル→判定:意味なし
 ・牛乳パックは紙全体の消費量の0.3%しかない
 ・意味がない行為は意味がないと認める勇気を
 検証3 ペットボトルのリサイクル→判定:よくない
 ・ペットボトルを燃やしても有害物質は出ない
 ・ペットボトルの円筒形は、資源節約の優等生
 ・ペットボトルは生ゴミを燃やすエネルギーにもなる
 ・ペットボトルのリサイクルのお粗末な現状
 検証4 アルミ缶のリサイクル→判定:地球にやさしい
 ・リサイクルに適したアルミ缶
 ・自治体ではなく業者にまかせる
 検証5 空きビンのリサイクル→判定:よくない
 ・ビンの利用自体が減っている
 ・ガラスは大量消費・大量廃棄には向かない
 検証6 食品トレイのリサイクル→判定:よくない
 ・容器プラスチックはリサイクル不可能
 ・ドイツ人より日本人のほうが資源を節約している
 検証7 ゴミの分別→判定:意味なし
 ・ゴミは「金属」と「それ以外」に分けるだけでいい
 ・意味のないリサイクルはやめる

第4章 本当に「環境にいい生活」とは何か
 第1節 もの作りの心を失った日本人
 ・リサイクルより、物を大切に使う心を
 ・自治体と業者を野放しにしていいのか
*「ペットボトルは丈夫で長持ちする容器ですから、万が一にでも何回か使ってもらうと売り上げが減って困ります。そこで、メーカーが率先してリサイクル制度を作り、環境の負荷を計算する会社にお金を渡して、「新しく作るよりリサイクルしたほうが石油を少なく使う」というウソの計算報告書を出してもらい、新聞社を説得して大々的なキャンペーンをしたのです」
 第2節 幸之助精神を失う
 ・家電リサイクル、儲けのカラクリ
 ・国民は無駄金を払い、バカをみている
 ・海外にも広がるリサイクル汚染
 ・廃棄物を途上国へ売りつける日本
 第3節 自然を大切にする心を失う
 ・自然を使えば「環境破壊」になるか
 ・自然と人間の共生とは
 ・自然を大事にする国は自国の農業も大切にしている
 ・日本人の行動は矛盾に満ちている
 第4節 北風より太陽、物より心
 ・リデュース、リユース、リサイクルの3Rにだまされるな
 ・心が満足していると物は少なくてすむ

あとがき

※結局、著者は偽善エコロジーがはびこる現状に対して、リサイクルによる<エコ>よりも「もったいない」意識による<節約>の方が、本質的に<エコ>である、と結論付けている。

疲労困憊。もう寝ます。また書き足します。とにかく、著者は、本物だ!

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)