もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

0072 加賀乙彦「悪魔のささやき」(集英社新書;2006) 感想4

2013年05月30日 02時08分50秒 | 一日一冊読書開始
5月29日(水):

220ページ  所要時間3:05    ブックオフ105円

著者77歳(1929生まれ)。精神科医。文豪である。

49歳まで大学で犯罪心理学を研究。28年後の現在、昔は考えられなかった犯罪や行為が頻発している。その原因に「悪魔のささやき」と名付けて考察を展開。

丁寧に分かりやすく綴られているが、内容的に、いま一つ切れ味に欠ける。整理してるのに、何を言いたいのか、今ひとつ響いてこない。最大の理由は、俺の読み取り能力の低さにあるが、著者の二日間の話を出版社の人が、整理して口述筆記したものだからという側面もあると思う。筆記者の誠実な姿勢は認めるが、やはり弱い。印象が薄い。

犯罪やおかしな行為(自殺、子殺し、死刑になるための殺人etc.)は、意識の核心部分ではなく、日常のぼんやり、ふわふわ浮遊する辺縁意識にふと「悪魔のささやき」が働くことで起こる。そのため、犯した原因・理由や自覚も実は定かでない場合が多い。

*麻原彰晃弁護団側の精神鑑定で麻原を「詐病ではない、拘禁反応である」と断定。150ページ

目次:(コピペではない)
はじめに:二十一世紀の日本を蝕む悪魔のささやき
第一章:悪魔はいかにして人を惑わすか
 ・人が悪事に走るとき
 ・人が自殺を思い立つとき
第二章:日本人はなぜ悪魔のささやきに弱いのか
 ・第二次世界大戦前後の歴史から見る日本人の精神構造
 ・「個」のない戦後民主主義の危険性
第三章:人間を嘲笑い破滅させる、ささやきの正体
 ・悪魔とは何か
 ・悪魔のささやきの特徴
第四章:豊かさを餌に太り続ける現代の悪魔
 ・オウム真理教事件が私たちに問いかけるもの
 ・悪魔をはびこらせる物神礼拝社会と精神の飢餓
第五章:いかにして悪魔のささやきを避けるか
 ・悪魔につけこまれない本物の「知」の育て方
   視界を三百六十度に広げ、より遠くを見はるかす
   宗教の本質について理解を深める
   死のむごさ、醜さと向かい合う
 ・「個」を育てることで悪魔を退散させる
   自分を主体に考え、「私」から出発する
   人格を育て、確固とした人生への態度を持つ
   真の個人主義とは
おわりに
(※第五章のみ、見出しを詳細にした。)


130525 閲覧 14万を超えました。140,330 PV 55.202 IP。ブログ開設 595日。 感謝ですm(_ _)m

2013年05月26日 13時20分48秒 | 閲覧数 記録
5月25日(土):

記録です。有難うございますm(_ _)m。

ブログの開設から 595日

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※0071 重松清「せんせい。(「気おつけ、礼。」改題)」(新潮文庫;2008)感想4
 に対する閲覧 347 PVにはちょっと驚いた。前日が 182 PVで、最近200弱PVぐらいが良い方で300 PV超えはあまり記憶が無い。TBSドラマ「とんび」以来、俺は、重松清にはまっているが、「ああ言えば、ハシズム」のような<品性下劣な詭弁モンスター>の姿を見せつけられ続けて、世の中でも重松清の丁寧・繊細かつ寛容で優しい感性が希求されているのかもしれない重松清が受け入れられる日本社会に俺は「希望」を覚える。

0071 重松清「せんせい。(「気おつけ、礼。」改題)」(新潮文庫;2008) 感想4

2013年05月25日 01時48分08秒 | 一日一冊読書開始
5月24日(金):

277ページ  所要時間3:20       図書館

著者45歳(1963生まれ)。

「白髪のニール」「ドロップスは神さまの涙」「マティスのビンタ」「にんじん」「泣くな赤鬼」「気をつけ、礼。」全6話の作品集。

20年後、30年後の先生・生徒との再会から、過去の先生と生徒の関係を照射し直す手法が多用されている。当然だが、生徒の年齢は、当時の先生を超えているか、ほぼ同じ年になっていて、先生を一人の人間として客観的にみることができる。生徒の側にも、先生の側にも、それぞれの思い(多くは悔恨・後悔)があり、先生だって確信があって生徒の前に立ってきた訳ではない。しかし、一方で、それでも先生は、生徒にとって大人社会の中で特別な存在なのだ。それは親とも違う。親では務まらない特別な大人である。親の評価も大事かもしれないが、先生の評価も生徒にとって大きい意味を持つ。

生徒の目から見た先生の生態、存在感、手応え。無愛想な先生の優しさがイジメられてる生徒に寄り添う。長い年月を経ても理解できない先生の思い出。先生自身の目から見た生徒と自己の関わり合い。学校を辞めた生徒と先生の関係、先生を辞めた男を軽蔑してるはずなのに「せんせい」としか呼べない生徒。

著者は先生と生徒の人間的交流の一瞬を大切に物語り化する。少し不満なのは、先生の仕事は、生身の最も近い大人・社会人として生徒に接すること以外にも、勉強・専門教科を生徒にしっかり教えることがあるだろう。この部分について著者は、あまり意義を感じていない印象を受ける。作品にし難い、ってこともあるだろうが…。まあ…、確かに俺だって、高校時代の勉強が今どれほど自分の中に残っているか、と問われれば「あまり残っていない」としか言えないが、五教科七科目で苦しみ尽くした記憶と、各教科の内容の断片は、それなりに懐かしく大切な記憶であり、思い出だ。好きだった教科の先生(数人だけど)には、これまで何度も「一度会いに行きたい」と思ったものだけど…。もうみんな鬼籍に入ってるか、ご存命でも随分耄碌されてるだろうなあ…。

今回は、泣けなかったが、帰宅後pm9:00~0:20まで3:20一気に読んだ。俺は、著者の作品世界の中に浸っているのが、何とも言えず気持ちが良い。穏やかで優しい気分になれるのだ。

面白い順で行けば、

1位「にんじん」…教師5年目、20歳代後半、突然持たされた6年2組の担任。どうしても一人の生徒を好きになれず、理不尽だが、その一挙手一投足を不快に感じてしまう。理不尽に、一人だけ厳しく冷酷に扱ってしまう自分を抑えられなかった記憶は、ベテラン教師となってからも決してぬぐい去れない。20年後躊躇しつつ出席した同窓会で、その生徒は32歳の中学教師になっていた。彼は先生を恨んではいなかったが、自分への仕打ちを理解し覚えていた。彼に裁かれることで、ベテランの先生は初めて心の平安を得る。

2位「泣くな赤鬼」…甲子園を狙える工業高校野球部顧問だった先生が、才能はあるのに努力できず、退部、中途退学した生徒に10年ぶりに出会う。良き妻と、幼子に恵まれ一人前の社会人として生きている姿を喜んだのもつかの間、その元生徒がガンに侵され、余命短いことを知らされる。過去の自分の指導・先生としてのあり方を悔いるが、だからと言って、正しい選択肢があった訳でもない。著者の作品集のいつものパターンでは、この作品で泣かされる感じだが、今回は泣かなかった。でも、いい物語りだった。

3位「気をつけ、礼。」…吃音の生徒に「どもり」とはっきり告げて、直す方策を正面から処方する先生が、一方で博打に狂い、周りの教師、次いで生徒・卒業生保護者に寸借詐欺をして、バックレル。「騙された」と反発して、不良化した吃音生徒が、実際に先生を辞めたその男を見つけ出し出会ってみると、その吃音の口から発する言葉は「先生…」という言葉だけだった。「先生」というのは、<肩書き>ではなくて、<存在>であることを暗示する結末。吃音の生徒は、20年後「作家」になっても、その男の教えをテレビや講演会で話をする前に守っている。それが、「気をつけ、礼。」である。この作品は著者自身の実体験が下敷きになっているようだ。

4位「ドロップスは神さまの涙」…一見恐いし邪魔くさそうだけど、実は校則を少し破ってでも体を張って、生徒に逃げ場所を保障してくれる養護の先生。いそうでそういない。でも本当にいて欲しい先生。こんな先生がいてくれないと、行き場を失う生徒たちが大勢いるのだ。社会には、アジールが必要なのだ。理屈はいらない。寄り添い、居場所を残してくれれば生きていける人が大勢いる。再起できる人も大勢いる。

5位「白髪のニール」…生徒にギターを習う先生とその後。このタイプ、意外とたくさんいる気がする。

6位「マティスのビンタ」…一番不可解な作品。美術の教師って変な奴が多かったよなあ。いまいち。

0070 斉藤英治「王様の速読術」(ダイヤモンド社;2006)感想2

2013年05月22日 22時21分38秒 | 一日一冊読書開始
5月22日(水):

220ページ  所要時間1:25     ブックオフ105円

著者66歳(1940生まれ)。

1冊30分読書を提案しただけの本。昔、読んだ記憶があるので2度目ということになるが、内容皆無に近い本だ。「時間は大事だから、割りきってパレートの2・8の法則で行きましょう」。結局、割りきって、時間を制限した中で、読みましょう。とのこと。まあ、ひどいものだ。


130520 爆問学問の『爆笑問題のニッポンの教養 京大編』は、とっても面白い!

2013年05月21日 01時07分57秒 | 日記
5月20日(月):

 昨日と今日で、2008年3月25日の『爆笑問題のニッポンの教養』(特別90分)で「爆笑問題×京大 独創力」(塚本勝巳(海洋生命科学)、上田泰己(システム生物学) カール・ベッカー(宗教学)、尾池和夫(地震学;京大総長)、佐伯啓思(社会思想史)、阿辻哲次(中国文化史)、中辻憲夫(発生生物学)、鎌田浩毅(火山学)、山極壽一(霊長類社会生態学)、小山勝二(エックス線天文学)を録画しているDVDを繰り返し観ている。

 あれこれ言わないが、とっても面白かった。爆笑問題は面白い。京大の先生方も学生もとっても人間的で面白かった。このDVD録画は、俺の財産だ。羨ましいでしょう。えへん、プイ! 機会のある人は、是非ご覧になることを勧める。

 太田光と田中裕二、特に太田光の西田幾多郎『善の研究』論には、感心した。俺は、『善の研究』『三太郎の日記』『愛と認識との出発』の内、『愛と認識との出発』以外は挫折しているので、『善の研究』を読破した太田光を認めてしまった。本当にインテリジェンスのある才能だと思った。酔っ払ってるので、もう寝ます。京都大学っていいな、って素直に思えた。

0069 湯浅誠「どんとこい、貧困! よりみちパン!せ」(理論社;2009) 感想5+

2013年05月20日 03時23分43秒 | 一日一冊読書開始
5月19日(日): かなり酒精を摂取してるのでご無礼御免!

295ページ  所要時間4:45      アマゾン

 著者40歳(1969生まれ)。巻末の重松清との対談がまた秀逸。この対談では、重松の「流星ワゴン」や「とんび」を思わせる箇所があり、「ああ、作品の中の言葉は、作者の本音だったんだなあ」という感慨をもった。

 2度目。昨年(2012年)3月3日に図書館で借りて読み、その後アマゾンで取り寄せて手元に置いてあった本を付箋と線引きで読んだ。2度目であっても満足度は色褪せない。何よりも著者や重松清氏の社会や弱者に対する眼差しの丁寧かつ柔軟な強靭さに魅かれた。

 貧困問題に取り組む、湯浅氏の「活動家」としての思考回路は、外国籍市民や障害者問題などマイノリティの人権問題・差別問題の解消に取り組む人々の思考回路とほぼ同じと言える、と感じた。何よりも、「きめ細かい感性」と「必要な文句を役所に言う」、そして談じ込みつつ具体的な落とし所を冷静に模索する、柔・剛とり合わせたフレキシブルさに強い共感を覚えた。

目次:
第1章 どんとこい、自己責任論!
  その1 努力しないのが悪いんじゃない?
  その2 甘やかすのは本人のためにならないんじゃないの?
  その3 死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?
  その4 自分だけラクして得してずるいんじゃないの?
  その5 かわいそうだけど、仕方ないんじゃない?
コラム どんとこい通信
  知らなきゃソンする!働くときの基礎知識
  目ん玉飛び出る!日本の教育費
  おかしくないか!富の再配分
  とっても大変!「ネットカフェ難民」
  どうなってるの!派遣労働と「派遣切り」
  関係なくない!ホームレス問題
  頼りにしてるぜ!生活保護
  どえらいこっちゃ!世界大不況
  そうだったのか!社会保障の歴史
  なんじゃこりゃあ!グローバル化経済競争
まとめ 自己責任論は上から目線――そんな社会で、まだ暮らしたい?
ちょっとひと休み あなたの「溜め」度を測ってみよう!
第2章 ぼくらの「社会」をあきらめない。
  その1 きみがいま、あるいは将来そのさなかにいるのならば
  その2 変わるべきはぼくらの社会だ、ときみが思うならば
  その3 きみが、生きやすく暮らしやすい社会を目指すならば
どんとこい対談 真摯に、そしてひとかけらの笑いを 重松清×湯浅誠



※追記(泥酔状態なのでご容赦。炎上したら、即日、削除します!):

本書を読みながら、今日の午後、不愉快さを噛み潰して横目で見ていたYTV「たかじんのそこまで言って委員会」のことが、思い出された。この番組の内容と、本書の内容は全く対極に位置する。そして、番組を流していた時の言葉にし難い不愉快さの根源が本書を読んでいるとよくわかった。要するに、本書の弱者に対する細やかで丁寧な眼差しから見れば、この番組の内容が、如何に幼稚で虚仮脅しに満ちた滑稽なものであるのかが見え見えにあぶり出されるのだ。辛坊治郎は、確信犯なので心の底から軽蔑する。こいつは恥知らずだ。津川雅彦は、名優なのに、無知をひけらかして、まさに晩節を汚しているのを悲しむ。金美齢、「おまえ、誰やねん? 日本国籍取得しても、おまえ台湾人やろう。日本を政治的に利用しようとするな!下種ババア。竹田恒泰、TVで<国体>って言葉使うな! おまえのために天皇制の印象は激悪になってるぞ!この馬鹿下種野郎!。

 今、日本には「菊のタブー」とともに、「北朝鮮拉致被害者問題」という一切批判を許さないタブーが存在し、戦前日本が朝鮮の人々に対して「数十万人(含む、従軍慰安婦の女性たち)の強制連行」という<大大規模な拉致行為>をしたことが、公にされずにいる。

それどころか、「北朝鮮拉致被害者問題」よりもずっと深刻な「年間自殺者三万人が10年以上続いている問題」がなおざりにされてきたことを声を大にして言えない雰囲気で、民主党内閣も自民党内閣も、この問題にまともに取り組んでこなかったことが隠蔽されてきた。

確かに「拉致問題」は大事かもしれないが、国内で「年間自殺者三万人が10年以上続いている問題」は、深刻さと喫緊の課題としては、桁違いにはるかに重要な問題だろう!

それを安倍自民政権は、保守の立場から「拉致問題」を声高に叫ぶことで、「自殺者三万人問題」への取り組みを平気でなおざりにしている。これは、明らかに本末転倒だろう!

俺は、拉致被害者家族に同情は惜しまないが、一方で全く共感はできないでいる。それは、彼らの悲しみも大きいと思うが、「毎年出る三万人の自殺者本人たちが抱える問題と家族・親族の悲しみ」は想像を絶する大変な社会問題だ。それに対して、日本国政府が哀悼のまことと適切な解決への明確な意志を強く示さないで、一種の<棄民>化していることへのバランスの悪さに対する違和感があるのだ。

安倍自民は、北朝鮮政策に「拉致被害者家族」を利用し、「拉致被害者家族」の方も、その立場を利用して、安倍保守政権を利用している。その<もたれ合い構造>に強烈な嫌悪感と違和感を覚えるのだ。「毎年出る自殺者三万人の本人と家族・親族の悲しみ」に身を摺り寄せる姿勢をしっかり示せ!

130519 「ああ言えば、ハシズム」 橋下は、オームの上祐とそっくりだ!辞めてもらうしかない!

2013年05月19日 18時37分22秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月19日(日):

 連日の橋下の「妄言、反省しない」発言記事を見ていてウンザリする。この感情には既視感がある。18年前のオーム真理教事件での上祐史浩の様子と重なる。「ああ言えば、ジョーユー」と同様、「ああ言えば、ハシズム」だ。

 その心は、自分の発言の誤りや非は絶対に認めず、相手の言葉尻をとり、上げ足をとって、激しくキレてみせて、論点をずらし、いつの間にかイーブンの引き分けにみせてしまう。その実、誰もこいつの詭弁に騙されてはいない、という意味だ。

 許容される範囲では、政治家としての頼もしさに見える時期があったかもしれない。あくまでも国内、もっと言えば大阪府内であれば、洒落で済んだだろう。しかし、基本的人権とナショナリズムを国際的に踏みにじるレベルになれば、国益を損ない絶対に洒落では終わらない。それでも、謝罪せず、居直って、「それじゃあ、俺が政治家を辞めようか」「俺を選挙で落とせばよい」と強弁するのが、「ああ言えば、ハシズム」だ。

 改めて見れば、<恐ろしいモンスター>である。今のうちに、しっかりと糾弾して、改心させるか、政治から撤退してもらうしかない。ああ間違った…。こいつに改心はありえない。政治から、消えてもらうしかないだろう。

130517-2 慶応大学のAO入試の軽量ぶりがひど過ぎる。「合格者」でなく、「入学者」の偏差値が知りたい。

2013年05月18日 02時03分22秒 | 日記
5月17日(金)

  全然話は飛ぶが、慶応大学のAO入試の軽量ぶりは「何とかならんものか…」。はっきり言って、<学歴板のタブー>である大学「合格者」偏差値ランキングと大学「入学者」偏差値ランキングの格差のズレにおける<国公立大と私立大の違い>を思わずにいられない。国公立大学では、合格者と入学者の偏差値がほぼ同じであるのに対して、私立大学では、合格者と入学者の偏差値があまりにもかけ離れ過ぎている。10ぐらい低いのではないか…?

  職場でお客様からお子さんの受験の話を聞かされる時、耳にする慶応大学のAO入試の実態はひど過ぎる。スポーツ推薦ならスポーツ推薦で納得できるが、AO入試の仮面を被った実質的スポーツ推薦は、実態を聞けば聞くほど世間で慶応大学を、「軽量義塾大学」と呼ぶのを肯定せざるを得ない。

  慶応大学は、相当の比率でまともな受験勉強もしていない<小論文・筋肉馬鹿>が占めている。彼らが偏差値48未満の英語能力しかもたない(他教科は言わずもがな!)で、慶応大学生を名乗っているのは間違いのない事実だ。

  一方で、入学しない受験生を含めた合格者ランキングが偏差値70を超えて、一般国公立大学を凌駕している。これは実態とかけ離れた異様で異常な風景だろう。
<表口>から正々堂々、一生懸命に受験勉強をして、MARCH未満の大学に進学した学生の方が、<軽量義塾生>よりも基礎学力はずっと高いはずだ。慶応大学のAO入試については<裏口入学>に近い印象をどうしてもぬぐえない。

  言わずもがなの下品な話題だが、近年のパンツも穿かない風潮・言説の影響か…、大昔のシンプルな受験勉強しか知らない俺の目に映った一流大学の<裏口>の異様さについて、一言口をはさんでしまった。慶応大学が一流大学であることは間違いはありません。ご気分を害された<小論文・筋肉馬鹿>さんがいれば、ご容赦下さい。

130517 共感!転載。 朝日新聞朝刊「声」欄「人を傷つける橋下氏の発言」 精神科医 山本裕子(松江市 46)

2013年05月17日 21時26分39秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月17日(金)

 先日来、ポピュリスト橋下と利己主義慎太郎の極右発言に胸くそ悪さが高じていた。公の場で、TPOをわざと無視して、「俺は本音で話してるんだ」と粋がって偉ぶり、ズボンどころかパンツまで下ろして陰部を見せて回っている露出狂の変態を見ているような気分だった。

 見たくもないし、見てはいけないものを、無理やり見せられた不快感に似ている。この期に及んで、どうしてこんな戯言(たわごと)を聞かせられないといけないのか。世の中には、言ってよいことと悪いことがある。ほんと馬鹿じゃないのか。

橋下が頭を下げるのは強者アメリカのみ、そのアメリカにも見放され橋下維新はお終いだろう。

 そんな中、本日の朝日新聞朝刊「声」欄に強く共感する投稿があったので転載する。


「人を傷つける橋下氏の発言」      精神科医 山本裕子(松江市 46)

 心の痛む事件は毎日のように耳にする。しかし日本維新の会共同代表で大阪市長を務める橋下徹氏の旧日本軍慰安婦をめぐる発言は、それらのニュースとは違う。戦時中の慰安婦を「必要」と発言し、批判を浴びたが撤回しない。憤りを通り越して不快だ。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状を持つ女性は、このようなニュースを聞くと病状が悪化する。心理的に再被害を受けるのである。

 橋下氏も維新の会共同代表石原慎太郎氏も、買春行為が合法的であったとしても性暴力であることが根本的にわかっていない。戦争中には合法的に人を殺す、だから人を殺すのは皆がやっていることで必要だと言っているのと同じではないか。「間違ったことであっても必要なら人を傷つけてもよい」という思想だと私には思えてならない。

 恐ろしいのは、明らかに間違っていると思われることを彼らが堂々と発言し、高圧的な態度で相手に無力感を与え、思考を停止させ、何も言えなくさせることだ。もし私が対談してもやり込められるだろう。

 発言は世界に発信され、日本の政治に影響している。放っておくわけにはいかない。一人一人が声を上げなくては大変なことになると感じ、初投稿した。


            (※すみません。一部写し間違えてました。訂正しました。5月25日)


 全く同感である。<人権>・<歴史>を軽んじる橋下ら右翼・保守政治屋らが一番好きな言葉が<国益>だが、その<国益>を今まさに冒しているのが、こいつらの妄言だ!

0068 重松清「ビタミンF」(新潮文庫;2000) 感想4

2013年05月15日 23時38分51秒 | 一日一冊読書開始
5月15日(水):

362ページ  所要時間2:00   ブックオフ105円

著者37歳(1963生まれ)。

疲れて帰宅したが、寝るには早い。pm9:10に読み始めた。原則1ページ15秒の眺め読みでは、細部は入ってこない。辛うじて、どういう感じの話が展開しているのか雰囲気がわかる程度だ。それでも重松作品の世界が好きだ。もう少しゆっくり読めば、感想5だろう。

この作品は、すこし硬さを残した果実のような雰囲気を感じさせる。堀江敏幸(って誰?)の巻末解説「ここにもパンドラの箱はある」が、重松清をよく語り得ている気がした。

130514 ポピュリスト橋下よ、パンツを穿け! 政治野合集団“維新の会”の終りの始まりだ!

2013年05月14日 19時58分41秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月14日(火)

 まともに相手をするのも馬鹿馬鹿しいが、今回の橋下の従軍慰安婦問題に関する妄言は、この迎合主義者に人権思想が無いことと幼稚園児並みのバランス感覚しかないことをはっきりと示してくれた、と思う。人権を知らない法律屋が、野合集団の頭目を務めてるのだ。維新の会の烏合の衆の質の低さも推して知るべしである。

 こんなレベルの低い連中と、歴史修正主義者と国際的に認定されることがどれほど恐ろしいことかも理解できないお頭の弱い安倍晋三が、日本国民の最大の財産である現憲法にレッテルを張って改悪しようとしているのだ。この事実のおぞましさを日本国民は再確認すべきだ。

※自民党の野田聖子総務会長の「日本人の男性は、風俗が無ければ、頑張れない、という恥ずかしい誤解を世界に発信した」というコメントが、もっとも妥当な指摘だと思った。


0067 重松清「青い鳥」(新潮社;2007) 感想5

2013年05月14日 02時37分09秒 | 一日一冊読書開始
5月13日(月):

326ページ  所要時間5:20     図書館

著者44歳(1963生まれ)。

仕事から疲れて帰り、夕飯も取らず、pm8:00からam1:20まで一気に読んだ(読ませられた)。重松清の力量に今回も満足である。<短編連作>長編作品である。

通しの主人公は、さすらいの?中学国語科非常勤講師にして重症吃音者である村内先生である。この先生は、さまざまな中学に短期の非常勤講師として現れ、その学校の中で、孤独、孤立に苦しみ、自暴自棄となり、息も絶え絶えに破滅(自滅)しかけている中学生に「独りじゃないよ」と身を寄せ、「間に合ってよかった」と言いながら孤独な魂を救いあげていく。

読んでいて、村内先生は、「悲(抜苦)」の人であり、教師版イエス・キリストであり、教師版観世音菩薩のイメージである。

半ば過ぎまで坦々とした話で「今回は大丈夫かな」と思っていたのだが、突然たった一言(193ページ)で心をぐらりとゆすぶられたり、最終話ではもう有無を言わさずに泣かされる。著者にとって、読者の心は、まさに掌にあり、自由自在に動かされてしまう。そして、それが読者にはこの上ない快感でもあるのだ。著者の感性・価値観への信頼に基づく「重松清になら騙されてこそ本望なり!」という気分にさせられるのだ。

著者の最大の魅力は、人間存在に対する眼差しの細やかさと、「あたりまえ」や「ふつう」の側にいる者たちの傲慢さ・暴力性に対する怒りと、弱き立場の人々への優しさ・いたわりの心であろう。「こんなところまできちんと見てるんだ」「言われてみれば確かにそうだよ」「重松清の語録を作りたい!」と繰り返し思わせられた。

*教室に陽射しを入れるためには、窓は南向きでないといけない。略。左が南、右が北、だったら必然的に黒板は西の壁、ということになる。250ページ

*でもなあ、ひとりぼっちが二人いれば、それはもう、ひとりぼっちじゃないんじゃないか、って先生は思うんだよなあ。/先生は、ひとりぼっちの。子の。そばにいる、もう一人の、ひとりぼっちになりたいんだ。だから、先生は、先生をやってるんだ。272ページ

*私たちが、だっ、だまされなきゃ、生徒は安心して嘘もつけないじゃないですか。略。嘘をつくのは、その子がひとりぼっちになりたくないからですよ。嘘をつかないとひとりぼっちになっちゃう子が、嘘をつくんです。略。嘘は悪いことじゃなくて、寂しいことなんですよ。304/305ページ

*さすがに様子がおかしいから、先生方もいろいろと問いただしたんです。でも、てっちゃんは嘘をつきとおしました。もうほとんどばれてるのにね、必死に嘘をつくんです。中学生の子どもなりに必死の嘘なんです、それは。両親をかばってるわけじゃなくて、両親に愛されてないっていうのを認めて、打ち明けたら、その瞬間、この子はひとりぼっちになっちゃうから……。306ページ

*あのなあ、人間はなあ、おとなになる前に、下の名前で、たっ、たくさん呼ばれなきゃいけないんだ。下の名前で呼んでくれるひとが、そばにいなきゃいけないんだ」313ページ


※現在am2:40。寝不足で明日の仕事が恐ろしい。

以下、新潮社HPのコピペ:

先生はうまくしゃべれない。だから、“たいせつなこと”しか言わない――。涙を超えたほんものの感動に出会える最新作!
村内先生は中学の非常勤講師。国語教師なのに吃音を持つ先生の、一番大切な仕事は、ただ「そばにいること」。「ひとりぼっちじゃない」と伝えること。いじめ、自殺、学級崩壊、児童虐待……子どもたちの孤独にそっと寄り添い、だからこそ伝えたい思いを描く感動作。すべての中学生、中学生だったすべての大人に捧げる救済の書。





0066 石川晶康「NEW石川日本史B講義の実教中継⑤文化史」(語学春秋社;2002) 感想3+

2013年05月13日 01時22分36秒 | 一日一冊読書開始
5月12日(日):

この1週間、たちの悪い風邪に苦しんだ。治らないでどんどん悪くなるのだ。意識はしっかりしてるのだが、喉を痛めて、まったく声が出なくなる中、仕事を休まず、無理に振り絞ったかすれ声で業務を最後まで勤める自分自身に対して疑心暗鬼に陥った。「俺はバカではないのか? これではまるで木口小平は死んでもラッパを話しませんでした、と同じではないか。まったくナンセンス!」である。風邪は、未だに治っていない。嫌な汗が、一日中出ている。喉も痛い。今も…。

284ページ  所要時間1:55         蔵書

著者56歳(1946生まれ)。予備校講師。

あまり高い評価を付けるつもりはなかったが、化政文化~明治・大正・昭和の細かい事象の整理・工夫ぶりには少し同情を覚えてしまったので好意的に感想3+とした。参考書としては、まずまずと言ったところだ。

高校の日本史B・世界史Bともに文化史の量は半端ではない。しかも、近代に近づくにつれて覚えるべき内容は急激に多くなる。勿論、理の当然と言えるし、これを楽しいと言えば、これほど楽しい事は無いが、受験生の立場に立てば、まったく理不尽な膨大さといえる。

最近NHKの時論公論で、私立大学の入学定員数の45%以上が推薦入試だ(国立は10%程度で健全だ)というのを聞いた。国語・英語の2教科入試なども含めると、早慶をはじめ、私立大学では文科系の大学生でも、日本史や世界史を受験勉強して入学する学生が極めて少ないと言わざるを得ない。

政府が「愛国心」教育を声高に叫ぶ一方で、学生の多くが自国の歴史も他国の歴史も十分に学力として付けていない現状は嘆かわしいとしか言えない。

お馬鹿の安倍晋三も、歴史の基礎学力が無いのに、国際社会の目も見えずに、思い込みの自己本位の歴史ばかりを振りまわして、中国・韓国にやらでもがなの口実を与え、アメリカの不要な警戒心を呼び起こして、国益を損じている。

世襲でないと総理大臣になれない政治構造、政治状況はやはり無理がある。そう思うと、「民主党というリベラル政党の瓦解」は、極めて残念としか言えない。中途半端な保守の信念のもと、国民が民主党にかけた「リベラルへの期待」を見事なまでに踏みにじり尽くした野田汚物に対する憎悪と嫌悪感が改めて強く蘇ってくる。野田汚物、前原詐欺師、仙石原発屋の3人が民主党を出て行けば俺はいつでも民主党支持に戻るつもりだ。お願いだから、この3人を民主党から追放して、リベラル勢力の再建をしてほしいものである。

130507 BS朝日録画で山本一力原作「あかね空」(2007)を観た。感想4.佳品だ。

2013年05月07日 22時33分50秒 | 映画・映像
今日は、一昨日からの風邪が治っていなくて、仕事をしていても体の節々が痛く、微熱と頭痛が波のように繰り返される。なんとか一日を乗り切った感じだ。

5月7日(火):

20分ほどカットされてるようだったが、旬な内野聖陽(39歳)と中谷美紀(31歳)の主演で、江戸情緒あふれる佳品に仕上がっていた。

若い時に、子どもを迷子で失った豆腐屋夫婦の年寄ってからの寂しさ。失くした息子と同じ年代の誠実な豆腐職人の姿に、力を貸して功徳を積んでやりたいという人情。

18年後裏店から、表店に移った「京や」で跡取りの息子が、同業の大店にはめられて土場(博打場)に出入りをするようになり、身をもち崩していく。親子、兄弟の関係の難しさと根っこで切れない関係の複雑な人情の機微。

勘当した息子のことを思い、そぞろな父親は、大通りで急ぎ馬に引っ掛けられて急死する。弱みにつけ込むように、土場の頭の数珠持ちの伝蔵親分をバックに大店の主人が「京や」を乗っ取ろうとする。

しかし、この伝蔵親分が、その昔豆腐屋夫婦の行方不明になった子だった。「京や」の誠実な仕事ぶりと、母親の気丈な姿と覚悟に一肌脱ぐ気になり、絶体絶命に追い込まれた「京や」が、親分によって一気に逆転、救われて、スカッと終わる。これぞ、江戸もの作品という感じである。

大店主人役の中村梅雀さんの悪者振りもなかなかに物語りを盛り上げてくれて良かった。


130506 憲法96条改悪って、政治屋どもは本当に本当に本気なのか? 過半数なら、憲法=法律になるぞ!

2013年05月06日 23時43分33秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月6日(月):

憲法記念日前後の新聞の論説などを読んでいて、最も強く感じたのは、

①96条という搦め手(裏口)からの改変の堪えられない<小賢しさ>、<姑息さ>。
②政治屋どもが搦め手だと思っている96条が実は、憲法と法律を分ける根本であり、意外と表門ど真ん中なのだ。衆参両院の過半数で改憲発議出来るとしたら、憲法と法律の違いが無くなる。憲法そのものを否定することになる。それは立憲政治ではない。

 この素朴な取り違いに説得力を発揮して国民・市民を納得させられると本気で思っているのだろうか。もしそうだとすれば、これほどの思い上がりは無い。たまたま民主党が自壊して相対有利が、議員数では絶対優勢につながったとは言え、政権政党はしっかりと説明責任を果たす(実際には無理だが!)必要がある。

 96条は、戦後何度も改憲を行っているアメリカやドイツの憲法と比較して決して厳しい内容とは言えない。アメリカやドイツは、議会が国民へのきちんとした説明責任を果たすことを通して改憲を行っているのだ。

 安倍総理の弱いお頭で国民を納得させられるのか?

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)