もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

190227 見過ごしにしてはいけないこと。忘れてはいけないこと。

2019年02月27日 20時29分46秒 | 沖縄と共に生きる
2月27日(水):   小沢一郎氏



東スポWeb小沢一郎氏 安倍首相を糾弾「もはや人間としてあり得ない」
2019年2月26日 10時40分
 
  自由党の小沢一郎共同代表(76)が26日、公式ツイッターで安倍晋三首相(64)を厳しく糾弾した。
  小沢氏は「美しい海に打ち込まれる7万本もの杭は、同時に沖縄の人々の心にも打ち込まれることになる。人々が基地で苦しもうが、悲しもうが、総理には喉に刺さった魚の小骨程度のものなのか」とつづり、反対派が多数となった県民投票の結果を受けても辺野古埋め立てを継続する安倍首相を批判。
  さらに「かつての沖縄戦では19万人もの人々が犠牲となった。投票結果を黙殺する総理の姿勢は、もはや人間としてあり得ないもの」と太平洋戦争を引き合いに断罪した。
  小沢氏は安倍首相が25日、投票結果を巡り「真摯に受け止める」と話したことにも反発。
「総理は『真摯に受け止める』と言って、真摯に受け止めたためしがない」と言行不一致を指摘している。

190226 一年前:180224 121万PV超:(論壇時評)移民と自衛隊 現実、追認せず合意形成を 歴史社会学者・小熊英二

2019年02月26日 17時07分12秒 | 一年前
2月26日(火):
180224 121万PV超:(論壇時評)移民と自衛隊 現実、追認せず合意形成を 歴史社会学者・小熊英二
2月24日(土):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2331日。  アクセス:閲覧 1,042PV/訪問者 145IPトータル:閲覧 1,210,615PV/訪......


190224 ドナルド・キーン「戦後70年 今も続いている国民への忍耐押しつけ」(2015年)

2019年02月24日 11時53分34秒 | 時々刻々 考える資料
2月24日(日): 
毎日新聞戦後70年 今も続いている国民への忍耐押しつけ  2015年2月26日
鬼・怒鳴門(きーん・どなるど) ニューヨーク市ブルックリン生まれ。92歳。東日本大震災後の2012年に日本国籍を取得した。菊池寛賞、毎日出版文化賞など受賞。02年に文化功労者、08年に文化勲章を受けた。米コロンビア大名誉教授

ドナルド・キーンさんインタビュー
 お国のために我慢すること、お国のために死ぬことが、日本の伝統なのだろうか。若き日に「源氏物語」と出合った感動を抱き続け、日本国籍を取得した日本文学研究者のドナルド・キーンさんに聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】

 米国海軍の日本語将校として、太平洋戦争に従軍しました。武器は取りたくなかった。だから、語学の能力を生かそうと思ったのです。1943年2月に海軍日本語学校を卒業し、日本軍から押収した文書の翻訳任務に就きます。ある日、小さな黒い手帳の山に行き当たりました。同僚たちは避けていた。なぜか。悪臭が立ちこめていたからです。それは死んだ日本兵たちが所持していた日記でした。血痕がついていたんです。軍事機密が漏えいする恐れがあることから、米軍は兵士が日記をつけることを禁止していました。日本軍は違いました。部下が愛国的かどうか、上官が検閲する目的があったのでしょう。
 「軍紀旺盛なり」。部隊が内地にいるころはまだ、勇ましい言葉で埋まっています。ただし、やがては南洋の最前線に送られる。輸送船団の隣の船が突然、雷撃を受ける。乗船していた部隊もろとも、海の藻くずとなる。戦争の現実に日記の調子が変わってきます。上陸したガダルカナル島(1942年8月〜43年2月の戦いで日本兵約2万800人が戦病死)はもちろん、南の楽園ではなかった。食糧はない、水はない。マラリアは流行する。米軍の爆撃は激しい。覚悟したのでしょう。最後のページに英語でつづっているものもありました。「戦争が終わったら、これを家族に届けてほしい」
 我々と同じ人間なんだ。戦時プロパガンダが伝えるような「狂信的な野蛮人」などではないのだ。胸を打たれました。従軍前はコロンビア大学で日本人教授(故・角田柳作氏)に師事し、日本の文化を学んでいました。それでも、中国大陸における日本軍の蛮行を聞くにつれ、日本は怖い国だと思うようになっていました。それが皮肉にも、自分が戦争に参加することによって、一般の日本人を知った。心から、彼らに同情しました。日本文学において、日記は一つの伝統的なジャンルを形作っています。平安朝の昔から、優れた日記文学が残されています。しかし、無名の日本兵たちが残した日記ほど、感動的なものはめったにありません。
 最初の玉砕となったアッツ島の戦い(1943年5月)に参加し、手りゅう弾を胸で破裂させて自決した日本兵の遺体を目にしました。沖縄戦(1945年3〜6月)では乗船した輸送船をめがけ、特攻機が突入してきました。なぜ、日本人は死を選ぶのか。ハワイ・真珠湾に設けられた捕虜収容所で出会ったのは、文学、映画、音楽を愛する日本人たちでした。彼らのためにレコード鑑賞会を開いたとき、敵も味方もなかった。ところが、そんな彼らは「日本には帰れない」という。ホノルルのハワイ大学の図書館で、日露戦争の資料を探し回りました。実はロシア軍の捕虜になった日本軍将兵は数多かった。それを教えたかった。「俺は将校だから、ロシア軍将校と同じようにウオッカを飲ませろ」などと要求したケースもあったそうです。
 捕虜になることは恥−−などということは軍部が強要した大うそです。戦争なのだから、命のやり取りは仕方がありません。しかし、相手に敬意を払うことはできる。能「敦盛」で源氏方の武将、熊谷直実は平氏の武将を一騎打ちで組み伏せるが、元服間もない自分の息子と変わらぬ若さと知り、見逃そうとしました。なんと、人間的でしょうか。味方が押し寄せてきたために熊谷は仕方がなく、敦盛を討ち取ります。その後に出家し、菩提(ぼだい)を弔うことを選ぶことになります。
 熊谷のような心を持たず、ひたすらに敵を殺すことを誇ることは、本当に恐ろしいことです。京都には(豊臣秀吉の朝鮮出兵で)切り落とした敵の耳を埋めた「耳塚」が残っています。これが武士ですか。「源氏物語」に魅了されたのは、そこに日本の美しさがあふれていたからです。西洋の英雄物語の主人公たちと違い、光源氏は武勇をもって、女性たちに愛されたわけではありません。彼が活躍した平安朝期にはたったの一人も、死刑になっていません。憲法9条を改正すべきだとの主張があります。現行憲法は米国の押しつけであると。しかし、忘れてはいませんか。この戦後70年間、日本は一人の戦死者も出さなかったではないですか。それならば男女平等だって、土地改革だって、押しつけではないですか。改めるべきなのですか。
 政府と軍部は都合良く、日本人の美徳である我慢強さを利用しました。作家の高見順(1907〜65年)は昭和20(1945)年の日記で「焼跡で涙ひとつ見せず、雄々しくけなげに立ち働いている」国民の姿を記しました。彼は敗北であっても、戦争の終結を望んでいました。戦争指導者は国民に愛情を持っているのだろうかと疑っていました。何やら、東日本大震災(2011年3月11日)に重なるものがあるように思えてなりません。あれほどの地震と津波に見舞われながら、互いに助け合う日本人の姿に世界が感動しました。けれども、国民は理不尽に忍耐を押し付けられてはいないでしょうか。
 杜甫(712〜770年)の有名な詩「国破れて山河あり」について、松尾芭蕉(1644〜1694年)は反論しています。山も河も崩れ、埋まることもあるではないか。それでも残るのは人間の言葉である、と。終戦直後の日本文学も言論統制が解かれ、一つの黄金期を迎えました。谷崎潤一郎、川端康成らに加え、三島由紀夫、安部公房などの新しい才能が咲き誇ります。
 東日本大震災の福島原発事故では放射能によって、国土の一部が汚染されてしまいました。しかし、国民の半数が反対しているにもかかわらず、世界中を震撼(しんかん)させた事故がまるでなかったかのように、原発再稼働の動きは進んでいます。戦後70年を迎え、言葉の力が再び試されています。

190224 ドナルド・キーンさん逝去。ご冥福をお祈り申し上げますm(_ _)m。再掲:151010 NHK「私が愛する日本人へ ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」感想5

2019年02月24日 11時38分53秒 | 日記
2月24日(日):

私自身の日本文学に対する見方の根っこを作って頂いた方だと考えています。司馬遼太郎さんとの交流も忘れられません。ご冥福をお祈り申し上げますm(_ _)m。

151010 NHK「私が愛する日本人へ ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」感想5 ノーベル賞は谷崎だった!
2015年10月10日 23時00分40秒 | 映画・映像

2015年10月10日(土):  
NHKスペシャル「私が愛する日本人へ ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」(午後9時00分~9時58分放映)を見るともなく見ていたが、意外なほど手厚く丁寧に作られていた。文化勲章受章者。録画してるので、もう一度ゆっくり見ようと思う。

【番組ナビゲーター】渡辺謙
【ドラマ出演】川平慈英、篠井英介、斉藤由貴、南野陽子、温水洋一、パトリック・ハーラン、木下隆行、蛭子能収(順不同)ほか


1963年(昭和38年)にドナルドキーンさんは、ノーベル文学賞委員会に1位谷崎潤一郎、2位川端康成、3位三島由紀夫で推薦をしていた。谷崎潤一郎(1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)が、あと少し長く生きていれば、1968年(昭和43年)のノーベル文学賞は川端康成ではなく、谷崎潤一郎が受賞していただろうことを再確認できた。

内容紹介:「日本人と共に生き、共に死にたい――」東日本大震災の直後、日本国籍を取得したアメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん(93歳)。キーンさんは戦後70年に渡って、日本の文学の魅力を世界に伝え続けた。吉田兼好から太宰治や三島由紀夫までを次々と英語に翻訳。キーンさんの功績なしに、日本文学が世界で読まれるようにはならなかったとも言われ、その見識の高さからノーベル文学賞の審査に影響を与えたほどだ。太平洋戦争の最中、敵国・日本の情報分析係として日本語を身につけたキーンさんは、戦場で出会った様々な日本兵の姿から日本人に深い興味を抱いた。そして戦後、文学者となったキーンさんは、幾度となく滞在した日本で、数多くの文豪たちとの交流を重ねながら「日本人とは何者なのか」という壮大な問いを考え続けてきた。番組では、ドラマとドキュメンタリーを交差させながらキーンさんの波乱に満ちた歩みを描き、キーンさんが長い時間をかけてたどり着いた日本人への暖かくて厳しいメッセージを伝えてゆく。

以下に、ドナルド・キーンさんの読書記録を再掲する。

「110冊目 ドナルド・キーン「日本の面影」(NHK人間大学4月-6月;1992) 評価5」
                         2011年12月27日 07時44分34秒 | 一日一冊読書開始
2011年12月26日(月):
130ページ  所要時間:5:35
  著者70歳、コロンビア大学教授。速読どころか、お勉強をしてしまった。著者は先日89歳で、日本に骨を埋める意志で帰化(国籍取得)して、日本人となられた、<日本文学・文学史>の生き字引の碩学ドナルド・キーン大先生。
  非常にわかりやすい説明で、頭にすらすら入ってくる。本の帯文「日本文学のさまざまな流れや作家と作品などの話を中心に、日本人の論理と感性、日本人の伝統文化と現代社会など、キーン教授が愛する「私の日本」を語る。」     
目次:
  第1回 日本と私=最初の出会いは『源氏物語』の翻訳(18歳)。中国語の勉強から日本語へ。1942年、海軍の日本語学校入学、11ヶ月集中授業後、海外で軍務。書類・日記の翻訳。沖縄戦は一番悲劇的体験。京都大学留学(2年間)。
  第2回 「徒然草」の世界―日本人の美意識=随筆は、エッセイとは違い、東洋的な文学。徒然草243段は、ある家の壁に貼ってあった。今川了俊が発見、整理。暗示性(余情)、象徴主義。不規則性、いびつへの嗜好。偶数嫌い、7・5・3が好き。簡素(白木の美)。
  第3回 能と中世文学=京都今熊野社での17歳の義満と11歳の世阿弥の出会いが決定的事件。義満の庇護。舞台装置は影向(ようごう)の松のみ。能の象徴性。シテ(中心人物)、ワキ(観衆のためにシテに質問するだけの人)、ツレ、子方;囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓)、地謡(誰でもない8人)。能の台本「謡い」は多層的で素晴らしい文章(一番翻訳しにくい)。題材は『平家物語』の悲劇が多い。夢幻能(幽霊)と現在能(現実の人間)。世阿弥の時代の能は今の2倍のスピード。遅くなったのは、徳川時代の権威付けによる。;狂言=太郎冠者(頭のいい召使い)、大名(威張って失敗する人)、女性(全部悪人)、僧侶(エラクない)。面白さは、話の筋と独特の発声法。
  第4回 芭蕉と俳句=芭蕉はキーン氏にとって最高の詩人。俳句は完成した詩型として世界で最も短い。芭蕉の俳句は、発句であって明治の俳句(正岡子規が発明)とは違う。紀行文もよい。非常に翻訳しにくい。俳句は、取り替えのできない言葉を用いるのが鉄則。ユーモア。俳句第二芸術論(桑原武夫)には反対。
  第5回 西鶴の面白さ=中世の憂き世から江戸の浮き世へ。西鶴の一番は「好色物」だが義務教育ではNG。西鶴は写実主義的、近松はロマンティック。「町人物」のテーマは、金持ちになること。「武家物」は失敗。
  第6回 近松と人形浄瑠璃=平安の傀儡子たちは、西アジアの外国人。クグツは外国語。近松は世界的な劇作家、世話物(普通の庶民の悲劇)が断然面白い。『曽根崎心中』の道行き「この世の名残り夜も名残り、死ににゆく身をたとふれば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそ哀れなれ」は名文。万国共通でオというのは悲しい音。イは高い音で、むしろ華やか。
  第7回 近代文学1―漱石と鷗外=二葉亭四迷(ロシア語翻訳家)の言文一致は大きい。漱石の「道草」は私小説だが、読むと本当に暗くなるので要注意。
  第8回 近代文学2―谷崎と川端=谷崎は意地の悪いサディスティックな女性が好き。関東大震災で作風が変わる。「細雪」が最高峰。ノーベル賞を受賞すべき作家だった。川端はもともと前衛文学者、一番の傑作は「雪国」だが、何度も書き直している。男性をあまり書けない。キーン先生は谷崎・川端・三島と直接深く付き合っている。
  第9回 近代文学3―太宰と三島=大宰の「斜陽」は20世紀日本文学の最高傑作のひとつ。40歳自殺。太宰と三島の本質は同じ。逆に三島は太宰を毛嫌い、作風が重ならないようにした。最高峰は「金閣寺」、最大の作品は「豊饒の海」四部作。45歳自殺。おそらく神武天皇以来、外国で最も知られてる日本人は三島由紀夫である。それは自決事件のせいではない。
  第10回 日本人の日記から1―子規と一葉=日記文学というジャンルは日本だけ。「更級日記」「成尋阿闍梨母集」、阿仏尼「うたたね」、「とはずがたり」、芭蕉の紀行文。一葉の「たけくらべ」は傑作だが、日記も素晴らしい。23歳死去。子規は短歌・俳句よりも日記が最高にいい、「墨汁一滴」「病しょう六尺」、特に本音は「仰臥漫録」(自殺念慮まで記述)。
  第11回 日本人の日記2―啄木、荷風、有島武郎=啄木は天才だったという他ない。啄木が焼き捨てるように遺言した「ローマ字日記」は鷗外・漱石を凌駕する面白さ・傑作。日記の比較だと「子規は近代人、啄木は現代人」。27歳病死。戦争非協力を貫いた荷風の日記「断腸亭日乗」。有島武郎は学習院で大正天皇のご学友。札幌農学校進学は周囲を驚かせた。有島の日記「観想録」
  第12回 古典と現代―「源氏物語」を中心に=日本文学の際立った特徴①時間的継続性(時代的切れ目がない文学)、②源氏物語の影響力の巨大さex.源氏名。日本料理の席での美的宇宙の創造。手紙の料紙・墨の濃淡・字の形すべてにこだわる。<ますらおぶり>より<たおやめぶり>のほうが強い。
  第13回 日本文学の特質=余情の文学。主観の文学。座の文学。美術との密接な関係。特殊性より普遍性が強い。 
※12月27日(火)に見直して、追加・整理しました。参考になれば、うれしいです。

毎日新聞ドナルド・キーンさん死去 96歳 日本文学研究者、翻訳で国際化に貢献  2019/02/24 09:37
© 毎日新聞 ドナルド・キーンさん=東京都北区で2014年10月21日、宮間俊樹撮影
 日本文学の国際化に貢献した文化勲章受章者で米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさんが24日、心不全のため東京都内の病院で死去したことが分かった。96歳。通夜・葬儀の日程は未定。お別れの会を後日開く。喪主は養子のキーン誠己(せいき)さん。 
 1922年、米ニューヨークで貿易商の家庭に生まれた。コロンビア大の学生だった18歳の時、英訳された「源氏物語」を偶然手に取り、みやびな世界に魅了された。太平洋戦争中には、米海軍語学将校として日本兵捕虜の尋問・通訳に従事。彼らが残した日記を解読するうちに、日本への関心をより深めていった。
三島由紀夫ら多くの文学者と交流
 戦後、大学に戻り、本格的に日本文学研究に打ち込み、53年には京都大大学院へ留学。後の文相で教育社会学者の永井道雄と親交を結ぶ中、中央公論社の嶋中鵬二社長を紹介されたのを機に、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫ら多くの文学者と交流。古典から近現代文学まで幅広い日本文学作品に精通し、太宰治や三島、安部公房らの作品を積極的に翻訳、紹介した。谷崎、川端、三島らの名前が候補に挙がったノーベル文学賞の事前選考にも、大学の同僚だった日本文学研究者エドワード・G・サイデンステッカー(2007年死去)とともに関わった。
2012年に日本国籍取得し話題に
 11年3月の東日本大震災の津波被害と原発事故を憂えて、「大好きな日本に永住し、日本人になる」と表明。生涯独身で、後に養子に迎える新潟県出身の文楽三味線奏者、上原誠己さんと06年秋に知り合ったことが日本国籍取得(12年)の最大の契機になったという。13年には、研究業績などを紹介する「ドナルド・キーン・センター柏崎」(同県柏崎市)がオープンした。
 日記文学を論じた「百代の過客」で読売文学賞と日本文学大賞(85年)、力作評伝「明治天皇」で毎日出版文化賞(02年)を受賞するなど多数の論考を著した。
 近年でも評伝「正岡子規」(12年)、同「石川啄木」(16年)を刊行するなど晩年まで創作意欲は旺盛だったが、18年3月の米ニューヨーク訪問後に体調を崩しがちになり、都内の病院で入退院を繰り返していた。公には、同年5月に埼玉県草加市で上演された「幻」の古浄瑠璃「越後国柏崎 弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」の記念座談会で元気そうな姿を見せたのが最後となった。【中澤雄大/統合デジタル取材センター】

190221 卓論!全面支持 :藤原帰一【時事小言】厳しさ増す日韓関係 映し鏡の犠牲者意識 

2019年02月21日 23時58分38秒 | 考える資料
2月21日(木):  

今、世の中に最も必要な言論が出るべくしてようやく出てくれた。俺は全面的に支持する。俺の心にわだかまっていた思いや考えが最もきれいに整理された形で語られていて大変満足である!さすが藤原帰一である。要するに、過去を知らないで今を語るな、ということ。われわれはオルテガが言うように「後ろ向きに前進しなければならない」ということだ!

朝日デジタル(時事小言)厳しさ増す日韓関係 映し鏡の犠牲者意識 藤原帰一
2019年2月20日16時30分

 日韓関係は国交樹立以来もっとも厳しい情勢を迎えた。まず、2018年10月、韓国最高裁は元徴用工による訴えを認め、新日鉄住金に損害賠償を命じた。1965年の日韓請求権協定で最終的に解決したとされた請求権に関する合意は個人の賠償請求権に及ばないという判断である。
 翌月、韓国政府は慰安婦財団の解散を発表した。2015年に当時の朴槿恵(パククネ)政権が安倍政権と結んだ日韓慰安婦合意によって生存している被害者への支払いを行う財団であり、かつて村山政権の下で設立されたアジア女性基金が民間の募金に多くを頼ったのと異なり、日本政府の拠出によるものだった。この財団の解散により、日韓慰安婦合意は事実上破棄されたことになる。
 事態はさらにエスカレートする。12月には海上自衛隊の哨戒機がレーダー照射を受けたと日本政府が発表し、照射は行っていないと主張する韓国国防省と対立した。最近では、韓国の国会議長文喜相(ムンヒサン)が慰安婦問題解決のために天皇陛下は謝罪すべきだと発言し、批判を受けた後も発言撤回を拒んだ。
     *
 どうしてこんなことになるのか。日本で広く行われる解釈は、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が左派のポピュリストであり、反日感情を煽(あお)ることで政権を支えているというものだ。確かに韓国政治における左派は、朝鮮半島における南北対話と並んで慰安婦問題を筆頭とする歴史問題を重視しており、文在寅大統領は金大中(キムデジュン)、盧武鉉(ノムヒョン)につながる左派に属している。だが、文在寅政権が煽ったから問題が生まれたというだけでは、なぜ韓国で反日感情が強いのかという問いが残される。
 国際的には徴用工と慰安婦について韓国政府の主張に賛同する声が多いといっていい。私も慰安婦は性犯罪であり、売春一般と慰安婦を同視する議論は暴論に過ぎないと考える一人だが、それでも日韓両国における歴史の言説の極度な違いにはたじろいでしまう。
 『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)は慰安婦自身の言葉を踏まえてこの問題の抱える多面的で時には矛盾する側面を解き明かした著作であるが、著者の朴裕河(パクユハ)は慰安婦の名誉を毀損(きそん)したとして起訴され、ソウル高裁は歴史を歪(ゆが)め被害者に苦痛を与えたとの理由から有罪判決を下した。朴は慰安婦を連れ去った中間業者に注目してはいるが軍の役割は否定しておらず、むしろ女性をモノに還元してしまう男性のための社会を告発しており、慰安婦の存在を否定する議論とはまるで違う。朴の示した単純化のできない多面的な歴史認識は、韓国国民の共有する、明確な信念としての歴史と相容(あいい)れないものであるかのようだ。
 日韓の歴史問題を論じた木村幹は、歴史認識問題は沈静化するどころか1990年代に入って悪化したと指摘し、この問題は過去の事実ばかりでなく現在の政治、ポピュリズムの台頭とナショナリズムの高揚のなかで捉えなければならないと主張した(『日韓歴史認識問題とは何か』、ミネルヴァ書房)。木村は韓国政治の展開を振り返りつつ日本における「新しい歴史教科書をつくる会」の活動にも触れ、ポピュリズムを韓国だけの現象とは見ていない。
     *
 やるせない思いに襲われる。日本の犠牲者という認識を韓国国民が共有し、その韓国の訴えが国際合意を踏みにじる行いとして日本で伝えられるとき、「われわれ」は「やつら」の犠牲者だという認識が両国で加速し、鏡で映し合うように犠牲者意識とナショナリズムが高揚してしまう
 韓国で語られる歴史が「正しい」わけではない。それでもここで問いかけたいことがある。植民地支配のもとに置かれた朝鮮半島の社会、そして戦時に動員された労働者や女性が強いられた経験について、日本でどこまで知られているのか、ということだ。
 日本の朝鮮半島支配を正当化し、徴用工は強制的に動員されていない、慰安婦は売春婦だなどと切って捨てる人が日本国民の多数だとは私は信じない。だが、そのような言説が日本で行われていることは事実であり、さらに植民地支配と戦時動員という過去を見ようとせず、知らないことのなかに自分たちを置いている日本国民が少なくないことも否定できない。これでは、過去を知らない責任を問われても仕方ない
 歴史問題では謝罪の有無が繰り返し議論されてきた。日本政府が謝罪を行ったと私は考えるが、何が起こったのかを知らなくても謝罪はできる。謝る前に必要なのは、何が起こったのかを知ることだ。自分たちを支える国民意識に引きこもって日韓両国民が非難を繰り返すとき、ナショナリズムと結びついて単純化された国民の歴史から自分たちを解放する必要は大きい。 =敬称略 (国際政治学者)

190219 一年前:180219 言論の府は完全崩壊 新聞が書かないデタラメ国会の惨状/憲政史上最低首相の最悪国会

2019年02月20日 00時28分26秒 | 一年前
2月19日(火):
180219 言論の府は完全崩壊 新聞が書かないデタラメ国会の惨状/憲政史上最低首相の最悪国会
2月19日(月):日刊ゲンダイ 文字起こし:言論の府は完全崩壊 新聞が書かないデタラメ国会の惨状  2018年2月17日 ◇大マスコミは1行も書かない/憲政史上最低首相の最悪......


190218 1年前:180215 高校の新指導要領案について

2019年02月19日 00時42分34秒 | 一年前
2月18日(月):
180215 高校の新指導要領案について

2月15日(木):朝日:(社説)高校指導要領 木に竹を接ぐおかしさ  2018年2月15日05時00分  「多面的・多角的な考察」が全体の基調なのに、こと愛国心や領土問題となる......


190218 一年前:180215 寂聴 残された日々 32みんな先に逝く 「野中広務さん、今ごろ筑紫哲也さんと」

2019年02月19日 00時39分06秒 | 一年前
2月18日(月):
180215 寂聴 残された日々 32みんな先に逝く 「野中広務さん、今ごろ筑紫哲也さんと」
2月15日(木):      以下の記事を発見したので、転載させていただきますm(_ _)m。朝日新聞 書き起こし:寂聴 残された日々 32みんな先に逝く「野中広務さん、今ごろ......


8 040 冲方丁「麒麟児」(角川書店:2018)感想4+

2019年02月14日 23時31分40秒 | 一日一冊読書開始
2月14日(木):  

312ページ      所要時間5:10       図書館

著者41歳(1977生まれ)。

ちょっと意外感のある本だった。江戸城無血開城を中心に、その後の彰義隊の鎮圧、奥羽越列藩同盟の東北戦争、榎本武明の函館五稜郭の闘いに触れ、最後はポンと飛んで西南戦争2年後の留魂碑建立での回想で終わる。語り手の中心は勝海舟であり、彼の目を通して西郷隆盛との二人の麒麟児の交流を語り尽くす。魅力的わき役として、山岡鉄太郎と薩摩人益満休之助が登場する。

正直言って、江戸城無血開城の逸話やその難しさについてはある程度は知っているつもりだった。しかし、これだけをメインにして、単行本一冊が書けるとは思わなかった。もちろん小説ではあるが、動かぬ事実、記録が残っている出来事でもある。そこを当事者の勝、西郷、山岡、益満の置かれている立場や心理の細かなひだまで描き尽くして飽きさせない。「そうか、そんな状況の中で、そんな思いとともに、”いつ死んでもよい”という覚悟をもって双方ともにふるまっていたのか」「江戸城無血開城は、勝海舟と西郷隆盛という”麒麟児”にして初めて成立した際どい綱渡りであり、互いに相手を知り抜き、信じぬく中で実現したのだ。当たり前ではないのだ」と考えさせてくれる。

付箋も控えめに、読むことに集中したが、それなりの時間はかかってしまった。本書は、あらかじめ司馬遼太郎などを通じて幕末・明治を熟知した人ほど、読むと面白いと思う。通説の世界を非常に深めてくれているし、通説では触れきれない心理のやり取りを知ることができるし、知っているつもりの人物たちを違った角度(勝海舟という達人の目)から見直すことができるからだ。途中まで、感想4だったが、最後まで読み切るとやはり感想5に近い4+になった。冲方丁の感性は、俺にはとても好ましい。相性が良い気がする。

【内容紹介】『天地明察』の異才が放つ、勝海舟×西郷隆盛! 幕末歴史長編! /慶応四年三月。鳥羽・伏見の戦いに勝利した官軍は、徳川慶喜追討令を受け、江戸に迫りつつあった。軍事取扱の勝海舟は、五万の大軍を率いる西郷隆盛との和議交渉に挑むための決死の策を練っていた。江戸の町を業火で包み、焼き尽くす「焦土戦術」を切り札として。/和議交渉を実現するため、勝は西郷への手紙を山岡鉄太郎と益満休之助に託す。二人は敵中を突破し西郷に面会し、非戦の条件を持ち帰った。だが徳川方の結論は、降伏条件を「何一つ受け入れない」というものだった。/三月十四日、運命の日、死を覚悟して西郷と対峙する勝。命がけの「秘策」は発動するのか――。/幕末最大の転換点、「江戸無血開城」。命を賭して成し遂げた二人の“麒麟児”の覚悟と決断を描く、著者渾身の歴史長編。

【絶賛の声!】
・勝と西郷が対峙した二日間に焦点を定めて、物語をぎゅっと凝縮されたのはさすがの慧眼で、素晴らしい――出口治明氏(立命館アジア太平洋大学(APU)学長・「本の旅人」1月号より)
・江戸城で繰り広げられる会談は、緊迫感に満ちており、 何度も固唾を呑んだ。ふたりの会談を、これほどのドラマに 仕立てた作者の力量が素晴らしい。――細谷正充氏(文芸評論家・「本の旅人」1月号より)

190210 今朝の朝日新聞「日曜に想う 曽我豪」、読まずにはさみで切って捨てた。”目の穢れ”で周囲の記事が読めないためだ。金返せ!

2019年02月10日 13時27分23秒 | 日記
2月10日(日):

今朝の朝日新聞「日曜に想う 曽我豪」、読まずにはさみで切って捨てた。”目の穢れ”で周囲の記事が読めないためだ。金返せ!

190209 一年前:7 034 内田樹「街場の教育論」(ミシマ社:2008)感想5

2019年02月10日 03時08分32秒 | 一年前
2月9日(土):
7 034 内田樹「街場の教育論」(ミシマ社:2008)感想5
2月9日(金):  294ページ     所要時間8:40     古本市場378円著者58歳(1950生まれ)。東京生まれ。東京大学仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程......


190209 一年前:180208 希望の党の<分党>:前原詐欺師、長島某、細野某が残留すれば全く意味なし。存在価値無し。消滅するのみ。

2019年02月10日 03時04分07秒 | 一年前
2月9日(土):
180208 希望の党の<分党>:前原詐欺師、長島某、細野某が残留すれば全く意味なし。存在価値無し。消滅するのみ。

2月8日(木):希望の党が<分党>するそうだ。前原詐欺師、長島某、細野某が残留する<希望の党>勢力は党名を変えても、存在価値無し。どこを向いてるか分からない鵺(ぬえ)に誰も投票......


190207 7 033 「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」(阪急コミュニケーションズ;2013.9)感想5+

2019年02月08日 01時48分56秒 | 一年前
11月7日(木):

7 033 「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」(阪急コミュニケーションズ;2013.9)感想5+
2月6日(火):  246ページ     所要時間5:10     アマゾン351円(1+350)在中日本人108人プロジェクト【編】二度目。最初は4年前。テキスト......


190208 (私の視点)外国籍教員の処遇 差別改め管理職への道を 李智子  ※私(もみ)は支持する。

2019年02月08日 01時17分32秒 | 考える資料
2月7日(木):   李智子さん  

私(もみ)は以下の主張を明確に支持する。「外国籍市民」の地方参政権も支持しているし、国政への参政権への前向きな検討を強く期待する。そもそも、採用試験に合格して採用となった人たちに対して<教諭>ではなく<期限を付さない常勤講師>というのは明らかに基本的人権に反する差別である。「外国籍市民」は、日本国の多様な発展の可能性を伸ばす必ずプラスであり、彼らを排除することは日本国発展の可能性の芽を摘む損失(マイナス)である、と考える。また、<差別>自体を取り除くことで「外国籍市民」の人々が日本国籍を取得することへのこだわり自体も低減していき、もっと自然な国際化にふさわしい国家・社会の有り様が生まれていくと考えるのだ。

デジタル朝日(私の視点)外国籍教員の処遇 差別改め管理職への道を 李智子
2019年2月7日05時00分

 在日韓国人3世の私は、2006年に横浜市教育委員会に採用され高校で国語を教えている。しかし、国籍が韓国のため、「教諭」ではなく「期限を付さない常勤講師」とされ、管理職の校長や教頭はもちろん主任にもなれない。外国籍(ルーツ)教員研究会の12年の調査では、全国の公立の小中高校で私のような外国籍の常勤講師は約250人いる。多くは植民地支配下の朝鮮半島から日本に来た者たちの子孫である在日韓国・朝鮮人だ。
 文部省(当時)は1991年、韓国政府との協議を踏まえ、日本国籍でなくても公立学校の教員採用試験の受験を認めたが、合格者は期限のない常勤講師として任用するよう各教育委員会に通知した。このため外国籍教員は、学級担任など日本人の教諭と全く同じ仕事をしているにもかかわらず、昇進の道が閉ざされてきた。ある自治体で、校長で退職した場合と常勤講師とでは、生涯賃金で1800万円の格差が生じるとの試算もある。生徒たちに「差別はダメ」と教える学校現場で、明らかな差別が放置されているのだ。
 「日本国籍でないと日本人に尽くす気持ちになれない」という声を聞く。しかし私は人種、性別に関係なく目の前の生徒のために最善を尽くしてきた。「韓国籍にこだわるなら国に帰ればよい」「管理職になりたいなら日本国籍を取得せよ」という批判もある。だが、日本生まれの私は、韓国に生活基盤がない。親から継いだルーツを大切にもしたい。社会に国籍による明確な差別があることを解決しないまま、個人に国籍変更を強いるのは納得できない。
 法の明文規定はないが、日本政府は「公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍が必要だ」という「当然の法理」を根拠としてきた。私は昨年8月、ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会にNGOメンバーとして日本の現状を訴えた。同委員会は、日本政府に「外国人長期在留者およびその子孫に対して公権力の行使または公の意思の形成にたずさわる公職へのアクセスを認める」よう勧告した。日本弁護士連合会も憲法14条の「法の下の平等」に反し、同22条の職業選択の自由を侵害するとして外国籍教員の管理職への登用を求め、文部科学省や教育委員会に勧告している。
 少子化に直面した日本は、単純労働を含め外国人に門戸を開く政策をとろうとしている。外国人を排除しては、日本の経済も社会も立ち行かなくなるだろう。日本政府が法治国家としてこれらの勧告を受け止め、外国籍の人を教諭として採用し管理職への道を開くよう求めたい。   (リチジャ 横浜市立高校常勤講師)

190206 再掲:0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

2019年02月07日 00時30分20秒 | 一年前
2月6日(水):        NHK「100分で名著」でやっていた。
0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5
2012年11月12日 01時25分11秒 | 一日一冊読書開始

2012年11月11日(日):

259ページ  所要時間5:00        蔵書

 著者47歳(1883-1955;スペイン人)。18年前(1994年)に線を引きながら読んだ本の再読である。いい加減な気分で手の出せる本ではないが、気真面目過ぎても手を出せる本ではない。何となく本棚に手が伸びてなんとなく読んでみようと思ったのだ。正直、5hで歯の立つ内容ではないが、逆に一日で読み切れずに毎日テキストとして付き合うような根気も意欲も無い。最後まで、目を這わせることが出来ただけ良かった!

 18年前の線引き部分を読みながら、「あの時、何を考えてたんだろう」と思いつつ、18年前とは理解の度合いや注目箇所がズレているところもあるのを実感した。「このズレが成長の証であってくれればいいが…。何となく昔よりは考える視野は広がったようだなあ」と思った。思えば、この18年だけを取り出しても世界も日本も激変してきた。視野が広がるのは当然か…。

 読んでいて、この内容が第二次大戦前の1930年に書かれたことに、まず驚きを禁じ得なかった。大衆論、国民国家、ヨーロッパ合衆国、ボルシェビキとファシズムは根っこは同じで自由主義を敵視する、など予言的で瑞々しい記述にあふれている

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:
 
 オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。

 「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。

 「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)