もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

120929② 懐かしき鳩山総理大臣「施政方針演説」(2010年1月29日)

2012年09月30日 00時00分27秒 | 考える資料
9月29日(土):

民主党の原点を振り返りたくなり、ネットで2010年1月29日の鳩山総理大臣による施政方針演説を検索してみた。俺はこの演説の様子をすべて録画して持っている。この演説を聴いて、当時どれほど感動したことだろう。ルーピーなどと馬鹿にされているが、俺は鳩山総理大臣の民主党に投票したと思っている。俺も所詮ルーピーなのかもしれないが、それで結構だ! 俺は、このような内容のリベラル政党を求めているのだ! 今の民主党は、<詐欺師集団>である。速く消えて、新たなリベラル勢力の結集が進むことを願っている。


鳩山首相の施政方針演説の全文を公開!
 鳩山首相は29日午後の衆院本会議で就任後初の施政方針演説を行った。「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと、願うのです」というフレーズからはじまったスピーチは、「いのち」という言葉が計24回盛り込まれたことをはじめ、「新しい公共」を提唱するなど、理念型の演説となった。首相官邸ホームページに公開された演説の全文は下記の通り。
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一 はじめに
 いのちを、守りたい。
 いのちを守りたいと、願うのです。
 生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。
 若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。
 働くいのちを守りたい。
 雇用の確保は、緊急の課題です。しかし、それに加えて、職を失った方々や、様々な理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体のあり方を考えていきたいと願います。
 いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはなりません。
 一人暮らしのお年寄りが、誰にも看取られず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければなりません。誰もが、地域で孤立することなく暮らしていける社会をつくっていかなければなりません。
 世界のいのちを守りたい。
 これから生まれくる子どもたちが成人になったとき、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います。
 世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません。
 今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたいと思います。
 地球のいのちを守りたい。
 この宇宙が生成して百三十七億年、地球が誕生して四十六億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの一万年は、ごく短い時間に過ぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約三千万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約四万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気づかなければなりません。
 私たちの叡智を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。
 私は、このような思いから、平成二十二年度予算を「いのちを守る予算」と名付け、これを日本の新しいあり方への第一歩として、国会議員の皆さん、そして、すべての国民の皆さまに提示し、活発なご議論をいただきたいと願っています。

二 目指すべき日本のあり方
 私は、昨年末、インドを訪問した際、希望して、尊敬するマハトマ・ガンジー師の慰霊碑に献花させていただきました。慰霊碑には、ガンジー師が、八十数年前に記した「七つの社会的大罪」が刻まれています。
 「理念なき政治」
 「労働なき富」
 「良心なき快楽」
 「人格なき教育」
 「道徳なき商業」
 「人間性なき科学」、そして
 「犠牲なき宗教」です。
 まさに、今の日本と世界が抱える諸問題を、鋭く言い当てているのではないでしょうか。
 二十世紀の物質的な豊かさを支えてきた経済が、本当の意味で人を豊かにし、幸せをもたらしてきたのか。資本主義社会を維持しつつ、行き過ぎた「道徳なき商業」、「労働なき富」を、どのように制御していくべきなのか。人間が人間らしく幸福に生きていくために、どのような経済が、政治が、社会が、教育が望ましいのか。今、その理念が、哲学が問われています。
 さらに、日本は、アジアの中で、世界の中で、国際社会の一員として、どのような国として歩んでいくべきなのか。
 政権交代を果たし、民主党、社会民主党、国民新党による連立内閣として初めての予算を提出するこの国会であるからこそ、あえて、私の政治理念を、国会議員の皆さんと、国民の皆さまに提起することから、この演説を始めたいと、ガンジー廟を前に私は決意いたしました。
(人間のための経済、再び)
 経済のグローバル化や情報通信の高度化とともに、私たちの生活は日々便利になり、物質的には驚くほど豊かになりました。一方、一昨年の金融危機で直面したように、私たちが自らつくり出した経済システムを制御できない事態が発生しています。
 経済のしもべとして人間が存在するのではなく、人間の幸福を実現するための経済をつくり上げるのがこの内閣の使命です。
 かつて、日本の企業風土には、社会への貢献を重視する伝統が色濃くありました。働く人々、得意先や取引先、地域との長期的な信頼関係に支えられ、百年以上の歴史を誇る「長寿企業」が約二万社を数えるのは、日本の企業が社会の中の「共同体」として確固たる地位を占めてきたことの証しです。今こそ、国際競争を生き抜きつつも、社会的存在として地域社会にも貢献する日本型企業モデルを提案していかなければなりません。ガンジー師の言葉を借りれば、「商業の道徳」を育み、「労働をともなう富」を取り戻すための挑戦です。
(「新しい公共」によって支えられる日本)
 人の幸福や地域の豊かさは、企業による社会的な貢献や政治の力だけで実現できるものではありません。
 今、市民やNPOが、教育や子育て、街づくり、介護や福祉など身近な課題を解決するために活躍しています。昨年の所信表明演説でご紹介したチョーク工場の事例が多くの方々の共感を呼んだように、人を支えること、人の役に立つことは、それ自体が歓びとなり、生きがいともなります。こうした人々の力を、私たちは「新しい公共」と呼び、この力を支援することによって、自立と共生を基本とする人間らしい社会を築き、地域の絆を再生するとともに、肥大化した「官」をスリムにすることにつなげていきたいと考えます。
 一昨日、「新しい公共」円卓会議の初会合を開催しました。この会合を通じて、「新しい公共」の考え方をより多くの方と共有するための対話を深めます。こうした活動を担う組織のあり方や活動を支援するための寄付税制の拡充を含め、これまで「官」が独占してきた領域を「公(おおやけ)」に開き、「新しい公共」の担い手を拡大する社会制度のあり方について、五月を目途に具体的な提案をまとめてまいります。
(文化立国としての日本)
 「新しい公共」によって、いかなる国をつくろうとしているのか。
 私は、日本を世界に誇る文化の国にしていきたいと考えます。ここで言う文化とは、狭く芸術その他の文化活動だけを指すのではなく、国民の生活・行動様式や経済のあり方、さらには価値観を含む概念です。
 厳しい環境・エネルギー・食料制約、人類史上例のない少子高齢化などの問題に直面する中で、様々な文化の架け橋として、また、唯一の被爆国として、さらには、伝統文化と現代文明の融和を最も進めている国のひとつとして、日本は、世界に対して、この困難な課題が山積する時代に適合した、独自の生活・行動様式や経済制度を提示していくべきだと考えます。
 多くの国の人々が、一度でよいから日本を訪ねたい、できることなら暮らしたいと憧れる、愛され、輝きのある国となること。異なる文化を理解し、尊重することを大切にしながら、国際社会から信頼され、国民が日本に生まれたことに誇りを感ずるような文化を育んでいきたいのです。
(人材と知恵で世界に貢献する日本)
 新しい未来を切り拓くとき、基本となるのは、人を育てる教育であり、人間の可能性を創造する科学です。
 文化の国、人間のための経済にとって必要なのは、単に数字で評価される「人格なき教育」や、結果的に人類の生存を脅かすような「人間性なき科学」ではありません。一人ひとりが地域という共同体、日本という国家、地球という生命体の一員として、より大きなものに貢献する、そんな「人格」を養う教育を目指すべきなのです。
 科学もまた、人間の叡智を結集し、人類の生存にかかわる深刻な問題の解決や、人間のための経済に大きく貢献する、そんな「人間性」ある科学でなければなりません。疾病、環境・エネルギー、食料、水といった分野では、かつての産業革命にも匹敵する、しかし全く位相の異なる革新的な技術が必要です。その母となるのが科学です。
 こうした教育や科学の役割をしっかりと見据え、真の教育者、科学者をさらに増やし、また社会全体として教育と科学に大きな資源を振り向けてまいります。それこそが、私が申し上げ続けてきた「コンクリートから人へ」という言葉の意味するところです。

三 人のいのちを守るために
 私は、来年度予算を「いのちを守る予算」に転換しました。公共事業予算を十八・三パーセント削減すると同時に、社会保障費は九・八パーセント増、文教科学費は五・二パーセント増と大きくメリハリをつけた予算編成ができたことは、国民の皆さまが選択された政権交代の成果です。
(子どものいのちを守る)
 所得制限を設けず、月額一万三千円の子ども手当を創設します。
 子育てを社会全体で応援するための大きな第一歩です。また、すべての意志ある若者が教育を受けられるよう、高校の実質無償化を開始します。国際人権規約における高等教育の段階的な無償化条項についても、その留保撤回を具体的な目標とし、教育の格差をなくすための検討を進めます。さらに、「子ども・子育てビジョン」に基づき、新たな目標のもと、待機児童の解消や幼保一体化による保育サービスの充実、放課後児童対策の拡充など、子どもの成長を担うご家族の負担を、社会全体で分かち合う環境づくりに取り組みます。
(いのちを守る医療と年金の再生)
 社会保障費の抑制や地域の医療現場の軽視によって、国民医療は崩壊寸前です。
 これを立て直し、健康な暮らしを支える医療へと再生するため、医師養成数を増やし、診療報酬を十年ぶりにプラス改定します。乳幼児からお年寄りまで、誰もが安心して医療を受けられるよう、その配分も大胆に見直し、救急・産科・小児科などの充実を図ります。患者の皆さんのご負担が重い肝炎治療については、助成対象を拡大し、自己負担限度額を引き下げます。健康寿命を伸ばすとの観点から、統合医療の積極的な推進について検討を進めます。
 お年寄りが、ご自身の歩まれた人生を振り返りながら、やすらぎの時間を過ごせる環境を整備することも重要です。年金をより確かなものとするため、来年度から二年間を集中対応期間として、紙台帳とコンピューター記録との突き合わせを開始するなど、年金記録問題に「国家プロジェクト」として取り組みます。
(働くいのちを守り、人間を孤立させない)
 働く人々のいのちを守り、人間を孤立させないために、まずは雇用を守ることが必要です。雇用調整助成金の支給要件を大幅に緩和し、雇用の維持に努力している企業への支援を強化しました。また、非正規雇用の方々のセーフティネットを強化するため、雇用保険の対象を抜本的に拡充します。
 労働をコストや効率で、あるいは生産過程の歯車としか捉えず、日本の高い技術力の伝承をも損ないかねない派遣労働を抜本的に見直し、いわゆる登録型派遣や製造業への派遣を原則禁止します。さらに、働く意欲のある方々が、新規産業にも活かせる新たな技術や能力を身につけることを応援するため、生活費支援を含む恒久的な求職者支援制度を平成二十三年度に創設すべく準備を進めます。
 若者、女性、高齢者、チャレンジドの方々など、すべての人が、孤立することなく、能力を活かし、生きがいや誇りを持って社会に参加できる環境を整えるため、就業の実態を丁寧に把握し、妨げとなっている制度や慣行の是正に取り組みます。社会のあらゆる面で男女共同参画を推進し、チャレンジドの方々が、共同体の一員として生き生きと暮らせるよう、障害者自立支援法の廃止や障害者権利条約の批准などに向けた、改革の基本方針を策定します。
 また、いのちを守る社会の基盤として、自殺対策を強化するとともに、消防と医療の連携などにより、救急救命体制を充実させます。住民の皆さまと一緒に、犯罪が起こりにくい社会をつくり、犯罪捜査の高度化にも取り組んでいきます。

四 危機を好機に  ─フロンティアを切り拓く─
(いのちのための成長を担う新産業の創造)
 ピンチをチャンスと捉えるということがよく言われます。では、私たちが今直面している危機の本質は何であり、それをどう変革していけばよいのでしょうか。
 昨年末、私たちは、新たな成長戦略の基本方針を発表いたしました。
 鳩山内閣における「成長」は、従来型の規模の成長だけを意味しません。
 人間は、成人して身体の成長が止まっても、様々な苦難や逆境を乗り越えながら、人格的に成長を遂げていきます。私たちが目指す新たな「成長」も、日本経済の質的脱皮による、人間のための、いのちのための成長でなくてはなりません。この成長を誘発する原動力が、環境・エネルギー分野と医療・介護・健康分野における「危機」なのです。
 私は、すべての主要国による公平かつ実効性ある国際的枠組みの構築や意欲的な目標の合意を前提として、二〇二〇年に、温室効果ガスを一九九〇年比で二十五パーセント削減するとの目標を掲げました。大胆すぎる目標だというご指摘もあります。しかし、この変革こそが、必ずや日本の経済の体質を変え、新しい需要を生み出すチャンスとなるのです。日本の誇る世界最高水準の環境技術を最大限に活用した「グリーン・イノベーション」を推進します。地球温暖化対策基本法を策定し、環境・エネルギー関連規制の改革と新制度の導入を加速するとともに、「チャレンジ25」によって、低炭素型社会の実現に向けたあらゆる政策を総動員します。
 医療・介護・健康産業の質的充実は、いのちを守る社会をつくる一方、新たな雇用も創造します。医療・介護技術の研究開発や事業創造を「ライフ・イノベーション」として促進し、利用者が求める多様なサービスを提供するなど、健康長寿社会の実現に貢献します。
(成長のフロンティアとしてのアジア)
 今後の世界経済におけるわが国の活動の場として、さらに切り拓いていくべきフロンティアはアジアです。環境問題、都市化、少子高齢化など、日本と共通の深刻な課題を抱えるアジア諸国と、日本の知識や経験を共有し、ともに成長することを目指します。
 アジアを単なる製品の輸出先と捉えるのではありません。環境を守り、安全を担保しつつ、高度な技術やサービスをパッケージにした新たなシステム、例えば、スマートグリッドや大量輸送、高度情報通信システムを共有し、地域全体で繁栄を分かち合います。それが、この地域に新たな需要を創出し、自律的な経済成長に貢献するのです。
 アジアの方々を中心に、もっと多くの外国人の皆さんに日本を訪問していただくことは、経済成長のみならず、幅広い文化交流や友好関係の土台を築くためにも重要です。日本の魅力を磨き上げ、訪日外国人を二〇二〇年までに二千五百万人、さらに三千万人まで増やすことを目標に、総合的な観光政策を推進します。
 アジア、さらには世界との交流の拠点となる空港、港湾、道路など、真に必要なインフラ整備については、厳しい財政事情を踏まえ、民間の知恵と資金も活用し、戦略的に進めてまいります。
(地域経済を成長の源に)
 もうひとつの成長の新たな地平は、国内それぞれの地域です。
 その潜在力にもかかわらず、長年にわたる地域の切り捨て、さらに最近の不況の直撃にさらされた地域経済の疲弊は極限に達しています。まずは景気対策に万全を期し、今後の経済の変化にも臨機応変に対応できるよう、十一年ぶりに地方交付税を一・一兆円増と大幅に増額するほか、地域経済の活性化や雇用機会の創出などを目的とした二兆円規模の景気対策枠を新たに設けます。
 その上で、地域における成長のフロンティア拡大に向けた支援を行います。
 わが国の農林水産業を、生産から加工、流通まで一体的に捉え、新たな価値を創出する「六次産業化」を進めることにより再生します。農家の方々、新たに農業に参入する方々には、戸別所得補償制度をひとつの飛躍のバネとして、農業の再生に果敢に挑戦していただきたい。世界に冠たる日本の食文化と高度な農林水産技術を組み合わせ、森林や農山漁村の魅力を活かした新たな観光資源・産業資源をつくり出すのです。政府としてそれをしっかりと応援しながら、食料自給率の五十パーセントまでの引上げを目指します。
 地域経済を支える中小企業は日本経済の活力の源です。その資金繰り対策に万全を期するほか、「中小企業憲章」を策定し、意欲ある中小企業が日本経済の成長を支える展望を切り拓いてまいります。
 さらに、地域間の活発な交流に向け、高速道路の無料化については、来年度から社会実験を実施し、その影響を確認しながら段階的に進めてまいります。
 地域の住民の生活を支える郵便局の基本的なサービスが、地域を問わず一体的に利用できるようユニバーサルサービスを法的に担保するとともに、現在の持株会社・四分社化体制の経営形態を再編するなど、郵政事業の抜本的な見直しを行ってまいります。
(地域主権の確立)
 地域のことは、その地域に住む住民が責任をもって決める。この地域主権の実現は、単なる制度の改革ではありません。
 今日の中央集権的な体質は、明治の富国強兵の国是のもとに導入され、戦時体制の中で盤石に強化され、戦後の復興と高度成長期において因習化されたものです。地域主権の実現は、この中央政府と関連公的法人のピラミッド体系を、自律的でフラットな地域主権型の構造に変革する、国のかたちの一大改革であり、鳩山内閣の改革の一丁目一番地です。
 今後、地域主権戦略の工程表に従い、政治主導で集中的かつ迅速に改革を進めます。その第一弾として、地方に対する不必要な義務付けや枠付けを、地方分権改革推進計画に沿って一切廃止するとともに、道路や河川等の維持管理費に係る直轄事業負担金制度を廃止します。また、国と地方の関係を、上下関係ではなく対等なものとするため、国と地方との協議の場を新たな法律によって設置します。地域主権を支える財源についても、今後、ひも付き補助金の一括交付金化、出先機関の抜本的な改革などを含めた地域主権戦略大綱を策定します。
 あわせて、「緑の分権改革」を推進するとともに、情報通信技術の徹底的な利活用による「コンクリートの道」から「光の道」への発想転換を図り、新しい時代にふさわしい地域の絆の再生や成長の基盤づくりに取り組みます。本年を地域主権革命元年とすべく、内閣の総力を挙げて改革を断行してまいります。
(責任ある経済財政運営)
 当面の経済財政運営の最大の課題は、日本経済を確かな回復軌道に乗せることです。決して景気の二番底には陥らせないとの決意のもと、この度成立した、事業規模で約二十四兆円となる第二次補正予算とともに、当初予算としては過去最大規模となる平成二十二年度予算を編成いたしました。この二つの予算により、切れ目ない景気対策を実行するとともに、特にデフレの克服に向け、日本銀行と一体となって、より強力かつ総合的な経済政策を進めてまいります。
 財政の規律も政治が果たすべき重要な責任です。今回の予算においては、目標としていた新規国債発行額約四十四兆円以下という水準を概ね達成することができました。政権政策を実行するために必要な約三兆円の財源も、事業仕分けを反映した既存予算の削減や公益法人の基金返納などにより捻出できました。さらに将来を見据え、本年前半には、複数年度を視野に入れた中期財政フレームを策定するとともに、中長期的な財政規律のあり方を含む財政運営戦略を策定し、財政健全化に向けた長く大きな道筋をお示しします。

五 課題解決に向けた責任ある政治
 以上のような政策を実行するのが政治であり、行政です。政府が旧態依然たる分配型の政治を行う限り、ガンジー師のいう「理念なき政治」のままです。新たな国づくりに向け、「責任ある政治」を実践していかなければなりません。
(「戦後行政の大掃除」の本格実施)
 事業仕分けや子育て支援のあり方については、ご家庭や職場でも大きな話題となり、様々な議論がなされたことと思います。私たちは、これまで財務省主計局の一室で官僚たちの手によって行われてきた予算編成過程の議論を、民間の第一線の専門家の参加を得て、事業仕分けという公開の場で行いました。上から目線の発想で、つい身内をかばいがちだった従来型の予算編成を、国民の主体的参加と監視のもとで抜本的に変更できたのも、ひとえに政権交代のたまものです。
 「戦後行政の大掃除」は、しかし、まだ始まったばかりです。
 今後も、様々な規制や制度のあり方を抜本的に見直し、独立行政法人や公益法人が本当に必要なのか、「中抜き」の構造で無駄遣いの温床となっていないか、監視が行き届かないまま垂れ流されてきた特別会計の整理統合も含め、事業仕分け第二弾を実施します。これらすべてを、聖域なく、国民目線で検証し、一般会計と特別会計を合わせた総予算を全面的に組み替えていきます。行政刷新会議は法定化し、より強固な権限と組織によって改革を断行していきます。
(政治主導による行政体制の見直し)
 同時に、行政組織や国家公務員のあり方を見直し、その意識を変えていくことも不可欠です。
 省庁の縦割りを排し、国家的な視点から予算や税制の骨格などを編成する国家戦略局を設置するほか、幹部人事の内閣一元管理を実現するために内閣人事局を設置し、官邸主導で適材適所の人材を登用します。
 こうした改革を断行するため、政府と与党が密接な連携と役割分担のもと、政府部内における国会議員の占める職を充実強化するための関連法案を今国会に提案いたします。
 さらに、今後、国民の視点に立って、いかなる府省編成が望ましいのか、その設置のあり方も含め、本年夏以降、私自身が主導して、抜本的な見直しに着手します。
 税金の無駄遣いの最大の要因である天下りあっせんを根絶することはもちろん、「裏下り」と揶揄される事実上の天下りあっせん慣行にも監視の目を光らせて国民の疑念を解消します。同時に、国家公務員の労働基本権のあり方や、定年まで勤務できる環境の整備、給与体系を含めた人件費の見直しなど、新たな国家公務員制度改革にも速やかに着手します。
(政治家自ら襟を正す)
 こうした改革を行う上で、まず国会議員が自ら範を垂れる必要があります。国会における議員定数や歳費のあり方について、会派を超えて積極的な見直しの議論が行われることを強く期待します。
 政治資金の問題については、私自身の問題に関して、国民の皆さまに多大のご迷惑とご心配をおかけしたことをあらためてお詫び申し上げます。ご批判を真摯に受け止め、今後、政治資金のあり方が、国民の皆さまから見て、より透明で信頼できるものとなるよう、企業・団体献金の取扱いを含め、開かれた議論を行ってまいります。

六 世界に新たな価値を発信する日本
(文化融合の国、日本)

 日本は四方を豊かな実りの海に囲まれた海洋国家です。
 古来より、日本は、大陸や朝鮮半島からこの海を渡った人々を通じて多様な文化や技術を吸収し、独自の文化と融合させて豊かな文化を育んできました。漢字と仮名、公家と武家、神道と仏教、あるいは江戸と上方、東国の金貨制と西国の銀貨制というように、複合的な伝統と慣習、経済社会制度を併存させてきたことは日本の文化の一つの特長です。近現代の日本も和魂洋才という言葉のとおり、東洋と西洋の文化を融合させ、欧米先進諸国へのキャッチアップを実現しました。こうした文化の共存と融合こそが、新たな価値を生み出す源泉であり、それを可能にする柔軟性こそが日本の強さです。自然環境との共生の思想や、木石にも魂が宿るといった伝統的な価値観は大切にしつつも、新たな文化交流、その根幹となる人的交流に積極的に取り組み、架け橋としての日本、新しい価値や文化を生み出し、世界に発信する日本を目指していこうではありませんか。
(東アジア共同体のあり方)
 昨年の所信表明演説で、私は、東アジア共同体構想を提唱いたしました。アジアにおいて、数千年にわたる文化交流の歴史を発展させ、いのちを守るための協力を深化させる、「いのちと文化」の共同体を築き上げたい。そのような思いで提案したものです。
 この構想の実現のためには、様々な分野で国と国との信頼関係を積み重ねていくことが必要です。断じて、一部の国だけが集まった排他的な共同体や、他の地域と対抗するための経済圏にしてはなりません。その意味で、揺るぎない日米同盟は、その重要性に変わりがないどころか、東アジア共同体の形成の前提条件として欠くことができないものです。北米や欧州との、そして域内の自由な貿易を拡大して急速な発展を遂げてきた東アジア地域です。多角的な自由貿易体制の強化が第一の利益であることを確認しつつ地域の経済協力を進める必要があります。初代常任議長を選出し、ますます統合を深化させる欧州連合とは、開かれた共同体のあり方を、ともに追求していきたいと思います。
(いのちと文化の共同体)
 東アジア共同体の実現に向けての具体策として、特に強調したいのは、いのちを守るための協力、そして、文化面での交流の強化です。
 地震、台風、津波などの自然災害は、アジアの人々が直面している最大の脅威のひとつです。過去の教訓を正しく伝え、次の災害に備える防災文化を日本は培ってきました。これをアジア全域に普及させるため、日本の経験や知識を活用した人材育成に力を入れてまいります。
 感染症や疾病からいのちを守るためには、機敏な対応と協力が鍵となります。新型インフルエンザをはじめとする様々な情報を各国が共有し、協力しながら対応できる体制を構築していきます。また、人道支援のため米国が中心となって実施している「パシフィック・パートナーシップ」に、今年から海上自衛隊の輸送艦を派遣し、太平洋・東南アジア地域における医療支援や人材交流に貢献してまいります。
(人的交流の飛躍的充実)
 昨年の十二月、私はインドネシアとインドを訪問いたしました。
 いずれの国でも、国民間での文化交流事業を活性化させ、特に次世代を担う若者が、国境を越えて、教育・文化、ボランティアなどの面で交流を深めることに極めて大きな期待がありました。この期待に応えるために、今後五年間で、アジア各国を中心に十万人を超える青少年を日本に招くなど、アジアにおける人的交流を大幅に拡充するとともに、域内の各国言語・文化の専門家を、相互に飛躍的に増加させることにより、東アジア共同体の中核を担える人材を育成してまいります。
 APECの枠組みも、今年の議長として、充実強化に努めてまいります。経済発展を基盤として、文化・社会の面でもお互いを尊重できる関係を築いていくため、新たな成長戦略の策定に向けて積極的な議論を導きます。
(日米同盟の深化)
 今年、日米安保条約の改定から五十年の節目を迎えました。この間、世界は、冷戦による東西の対立とその終焉、テロや地域紛争といった新たな脅威の顕在化など大きく変化しました。激動の半世紀にあって、日米安全保障体制は、質的には変化を遂げつつも、わが国の国防のみならず、アジア、そして世界の平和と繁栄にとって欠くことのできない存在でありました。今後もその重要性が変わることはありません。
 私とオバマ大統領は、日米安保条約改定五十周年を機に、日米同盟を二十一世紀にふさわしい形で深化させることを表明しました。今後、これまでの日米同盟の成果や課題を率直に語り合うとともに、幅広い協力を進め、重層的な同盟関係へと深化・発展させていきたいと思います。
 わが国が提出し、昨年十二月の国連総会において採択された「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」には、米国が初めて共同提案国として名を連ねました。本年は、核セキュリティ・サミットや核拡散防止条約運用検討会議が相次いで開催されます。「核のない世界」の実現に向け、日米が協調して取り組む意義は極めて大きいと考えます。
 普天間基地移設問題については、米国との同盟関係を基軸として、わが国、そしてアジアの平和を確保しながら、沖縄に暮らす方々の長年にわたる大変なご負担を少しでも軽くしていくためにどのような解決策が最善か、沖縄基地問題検討委員会で精力的に議論し、政府として本年五月末までに具体的な移設先を決定することといたします。
 気候変動の問題については、地球環境問題とエネルギー安全保障とを一体的に解決するための技術協力や共同実証実験、研究者交流を日米で行うことを合意しています。活動の成果は、当然世界に及びます。この分野の同盟を、そして日米同盟全体を、両国のみならずアジア太平洋地域、さらには世界の平和と繁栄に資するものとしてさらに発展させてまいります。
(アジア太平洋地域における二国間関係)
 アジア太平洋地域における信頼関係の輪を広げるため、日中間の戦略的互恵関係をより充実させてまいります。
 日韓関係の、世紀をまたいだ大きな節目の今年、過去の負の歴史に目を背けることなく、これからの百年を見据え、真に未来志向の友好関係を強化してまいります。ロシアとは、北方領土問題を解決すべく取り組むとともに、アジア太平洋地域におけるパートナーとして協力を強化します。
 北朝鮮の拉致、核、ミサイルといった諸問題を包括的に解決した上で、不幸な過去を清算し、日朝国交正常化を実現する。これは、アジア太平洋地域の平和と安定のためにも重要な課題です。具体的な行動を北朝鮮から引き出すべく、六者会合をはじめ関係国と一層緊密に連携してまいります。拉致問題については、新たに設置した拉致問題対策本部のもと、すべての拉致被害者の一日も早い帰国を実現すべく、政府の総力を挙げて最大限の努力を尽くしてまいります。
(貧困や紛争、災害からいのちを救う支援)
 アフリカをはじめとする発展途上国で飢餓や貧困にあえぐ人々。イラクやアフガニスタンで故郷に戻れない生活を余儀なくされる難民の人々。国際的テロで犠牲になった人々。自然災害で住む家を失った人々。こうした人々のいのちを救うために、日本に何ができるのか、そして何が求められているのか。今回のハイチ地震の惨禍に対し、わが国は、国連ハイチ安定化ミッションへの自衛隊の派遣と約七千万ドルにのぼる緊急・復興支援を表明しました。国際社会の声なき声にも耳を澄まし、国連をはじめとする国際機関や主要国と密接に連携し、困難の克服と復興を支援してまいります。

七 むすび
 いのちを守りたい。
 私の友愛政治の中核をなす理念として、政権を担ってから、かたときも忘れることなく思い、益々強くしている決意です。
 今月十七日、私は、阪神・淡路大震災の追悼式典に参列いたしました。十五年前の同じ日にこの地域を襲った地震は、尊いいのち、平穏な暮らし、美しい街並みを一瞬のうちに奪いました。
 式典で、十六歳の息子さんを亡くされたお父様のお話を伺いました。
 地震で、家が倒壊し、二階に寝ていた息子が瓦礫の下敷きになった。
 積み重なった瓦礫の下から、息子の足だけが見えていて、助けてくれというように、ベッドの横板を
 とん、とん、とんと叩く音がする。
 何度も何度も助け出そうと両足を引っ張るが、瓦礫の重さに動かせない。やがて、三十分ほどすると、音が聞こえなくなり、次第に足も冷たく なっていくわが子をどうすることもできなかった。
 「ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな。」
 これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこにも持って行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました。
 息子さんが目の前で息絶えていくのを、ただ見ていることしかできない無念さや悲しみ。人の親なら、いや、人間なら、誰でも分かります。災害列島といわれる日本の安全を確保する責任を負う者として、防災、そして少しでも被害を減らしていく「減災」に万全を期さねばならないとあらためて痛感しました。
 今、神戸の街には、あの悲しみ、苦しみを懸命に乗り越えて取り戻した活気が溢れています。大惨事を克服するための活動は地震の直後から始められました。警察、消防、自衛隊による救助・救援活動に加え、家族や隣人と励ましあい、困難な避難生活を送りながら復興に取り組む住民の姿がありました。全国から多くのボランティアがリュックサックを背負って駆け付けました。復旧に向けた機材や義捐金が寄せられました。慈善のための文化活動が人々を勇気づけました。混乱した状況にあっても、略奪行為といったものは殆どなかったと伺います。みんなで力を合わせ、人のため、社会のために努力したのです。
 あの十五年前の、不幸な震災が、しかし、日本の「新しい公共」の出発点だったのかもしれません。
 今、災害の中心地であった長田の街の一画には、地域のNPO法人の尽力で建てられた「鉄人28号」のモニュメントが、その勇姿を見せ、観光名所、集客の拠点にさえなっています。
 いのちを守るための「新しい公共」は、この国だからこそ、世界に向けて、誇りを持って発信できる。私はそう確信しています。
 人のいのちを守る政治、この理念を実行に移すときです。子どもたちに幸福な社会を、未来にかけがえのない地球を引き継いでいかねばなりません。
 国民の皆さま、議員の皆さん、輝く日本を取り戻すため、ともに努力してまいりましょう。
 この平成二十二年を、日本の再出発の年にしていこうではありませんか。
投稿者: 《THE JOURNAL》編集部 日時: 2010年1月29日 15:05 |

120929① 安倍政権というパンドラの箱を開いた責任は誰にあるのか?

2012年09月29日 14時59分20秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
9月29日(土):

 この2ヶ月間ほど、どんどん壊れていく日中・日韓の関係を観ていて、野田内閣の出来の悪い優等生の仮面を被って、真の泥を被る勇気の無い拙劣な外交に絶望的な気分になっている。野田内閣の政治に通底する姿勢は「私たちは、当り前のやるべきことを政治家としてやっているのだから絶対に引かない。どうしてみんなこんな当り前のことをやらずに避けて来たんだろう。ぼくは避けないでやっていくよ。みんなきっと本音では褒めてくれてるにちがいないさ」という意識だ。野田が本当に広い知見と奥深い洞察力と実力をもった政治家なら、それでも良かったかもしれない。しかし、彼はそうじゃない。端的に言えば、自民党右派にいても不思議でない松下政経塾出身の知恵の浅い、視野の狭い保守的我意の持ち主に過ぎなかった。三角大福中を始めとして、野中広務氏、河野洋平、村山、橋本、小渕、そしてサメの脳みその森、強かな小泉ですら、用心に用心を重ねて進めてきた東アジアの外交、国内政治に対して、野田が自覚すべきだったのは、彼よりも数段上の過去の老練でてだれの政治家たちが慎重に慎重に取り組んできた問題を扱うことに対する畏怖の念だっただろう。

 その後の安倍、麻生らの愚か者たちが総理をやるのを観ていて、野田は「それなら俺でもできる」と勘違いをしたのかもしれない。出発点から彼の狭小な保守的我意に基づく常識?を押し通すことで「俺は今までの誤魔化しの政治に対して「王様は裸だ!」と言っているのだ。本当は簡単なことなんだ。公式通りに、言うべきことは言う。やるべきことはやる。それで何の問題があるの? みんなきっと喝采を贈ってくれるさ」と勘違いし続けた。結局今日、彼自身が戦後稀に見る愚かな「裸の王様」になってしまい、雪隠詰めになった今も自分の誤りを認め、泥を被る勇気が無いまま、肩肘を張って、東アジアのナショナリズムを煽り、日本という国が戦後営々と積み重ねてきた民主主義の伝統に、右翼を呼び込み衆愚政治を生み出し、東アジアの国際関係でパンドラの箱を開けて日本を危機に陥れている。

 そもそも政治の基本中の基本は、虚心坦懐に相手の話をよくよく聴くことだ。自分の主義主張はあって当然だが、あくまでも相手の立場に立って、想像力を精一杯に働かせ、表からだけでなく、裏からも何本ものパイプを作って、二枚腰、三枚腰、いやもっともっと先を見据えて読みながら、慎重に前に進めていくのが常道だろう。その点から見ると、野田内閣の政治は、全くもって素人であって児戯に等しい。まず、民主党が政権をとれた原点は、自民党とは明らかに違う政治を行うことを約束したからだ。それは、マニフェストであり、国民の声を丁寧に聴く姿勢そのものだったはずだ。

 野田は、その国民との約束を反故にしてでも、コンセンサスの無い自らの狭小な保守的我意に基づき政策実現に突き進むことを「決められる政治」、「本当の政治をすることだ」と完全に勘違いしてしまった。国内では、マニフェストの最大のセールスポイントを次々と撤回し、国民との距離を生み出し、それを埋めるために官僚・財界との関係を深め、事実上の<官僚・財界言いなり内閣>となって、マニフェストと真逆の消費税増税を行なった。

 3.11の未曾有の震災と原発事故は、日本国民が全身全霊で乗り越えねばならない国難であると同時に、日本という国を大きなビジョンで生まれ変わらせる千載一遇のチャンスでもあった。最大の不幸は、菅内閣のあとを引き継いだ首相が、コソ泥のようなこの男だったことだ。原発問題と、今後の日本の将来を日本人自身が決めるべき最も大切なこの時期に、野田内閣は、保守的我意と功名心で塗り固められた厚顔で国民の声を全く無視して「消費税増税」を推し進め、民主党の内紛を引き起こし、下らない政局ごっこにうつつを抜かし始めた。そして、東北被災者たちの苦しみから、国民の目が逸らされ、被災者と原発問題に対する関心が薄められていった。将来のエネルギー問題に対するグランドビジョンを指し示して国民を導くこともできないまま、目先の支持率低下に汲汲とし、大飯原発を再稼働させる姿を通して、この男の目が、財界と官僚とアメリカにしか向けられていない自民党右派と全く同じであり、野田民主党は、出来の悪い<亜流の自民党>であることが国民に広く知らしめられた。全国で盛り上がる脱原発の声に耳を傾けることもせず、周囲の側近政治屋(前原・仙石)と経済官僚や恐い財界の親分たちの声しか信じられなくなったこの男に、われわれ国民は失望し、日本人としての誇りを深く深く傷つけられた

 ふと、もしも3.11のとき、日本の首相がF.D.ローズヴェルトだったら、どうだろうと夢想する。ニューディールのような根本的で雄々しく国民を奮い立たせるような地に足のついた力強く聡明な政治が行われていたら、今頃日本人は一生懸命に働き、前進し、誇りに満ちていただろう。失敗によって誇りを失うのではない。失敗から学べないことが誇りを奪うのだ。ドジョウのように厚かましく保守的我意を推し進め、国民の声に耳を傾けない訓練を自らに課したこの男は、やがて外交で同じ事をしでかしてしまう。

 東京都民最大の過ちは、自らが自立できない存在であることを埋め合わせるため、家父長的指導者を求めるあまりに石原慎太郎を都知事に選んだことだろう。石原は、文弱の徒に過ぎないのに、妙に威張り散らし、ナショナリズムを刺激し、自らの指導力の強さを見せるパフォーマンスだけは長けている。しかし、その実態が、三文芝居に過ぎないことは、彼自身の身内に対する甘さ、都政の失敗に対する強弁、何よりも国政に対する言いっ放しの無責任と「戦争を辞さない」内容の強弁で明白だ。

 その石原が、性懲りも無く持ちだした東京都による尖閣諸島買い取り問題で、野田内閣は過去の老練な政治家たちの積み上げてきた外交努力に学ばず、安易に政府による尖閣諸島買い取りが事態を穏便に済ませる最良の方法だと単純に決定してしまった。それ自体は、悪くは無い。ただその後、中国はあらゆるルートを通して裏から「尖閣国有化」の不都合さを日本側に伝えて来ている。この時、この男は、小沢グループの離党問題を抱え、脱原発を求める国民の声を「大きな音だね」と振り切って強引に「拙速な原発継続」路線を推し進めていた。当時のこの男の国民に対する原発継続必要性に関する恫喝のような説明のウソの白々しさは、今も怒りと共に鮮明に覚えている。そして、自民・公明との三党合意による消費税増税をめぐる民主党内外の政局にばかり情熱を注ぎ、中国からの声やシグナルを無視し続けた。外交を、つまみ食いの片手間程度にしか考えていない軽率さに驚かざるを得ない。自らの保守的我意を形にする小さな功名心を実現することに集中するあまりに恐ろしく視野狭窄状態になって気が付かないでいた。まさに、大局を過ったのだ。

 やがて、野田内閣の足元を見透かすように、退任後の保身を考えるイ・ミョンバク韓国大統領の竹島(独島)上陸・天皇謝罪要求問題が発生した。竹島問題の根の深さを慎重に考える余裕も無く、この男は、「竹島は日本の領土である」ことを国際社会に訴える、と言いだす。そんなことは誰でもわかるし、誰でもできる。野田が考えるべきことは、どうして過去の首相たちは、その誰にでもわかることを敢えてしてこなかったのか?ということを深く再検討し、慎重に取り組むべきだった。そして、何よりも、歴代韓国大統領の退任後の末路が、悲惨であり、イ・ミョンバク大統領の退任後も危険水域にあり、彼が韓国国民に向けて何らかの派手なパフォーマンスに出るであろうこと、そして最も効果的なのは竹島問題であることにどうして気が付かなかったのか?ということだ。分からなかったとは言わせない。超優秀?なはずの外務官僚たちが野田政権を背後から支えていたはずだ。要するに、その問題の重大さに対する想像力が野田内閣にあったかどうかの問題なのだ。

 そして、中国からは、国連で胡錦濤主席から直接対面で「尖閣国有化をしないように」という事態の深刻さを知らせる最後通告があった。その二日後に、尖閣諸島の国有化を強行して、中国との関係を国交正常化以来40年間で最悪と言わしめる事態にまで陥れた。「国有化の方が問題が穏便に済むと思ってました」とは、迂闊にもほどがある。結果的に、この男は石原慎太郎との対決で弱腰と呼ばれる泥を被ることを避けるあまりに、日中国交40年の努力を破壊してしまったことの重みを自分で認めることができないのだ。

 昨夜の国連での日本代表と中国代表とのむき出しの罵り合いは、見ていて心が冷え切ってしまった。絶対に観たくない風景だった。江沢民による反日教育を受けた小皇帝の若者たちによる反日デモは本当にひどかった。日本人のナショナリズムにも火がつき、日本の右翼までが勢いづいたのが、これまたひどい。韓国との対立も、きっかけはイ・ミョンバクの軽率な振る舞いであったとは言え、日本国内での弱腰という泥を被ることを恐れて、売り言葉に、買い言葉で、「日本としては冷静に対処する」という意味の無い言葉を繰り返しながら、実際には見通しの立たないその場しのぎの国際司法裁判所提訴を持ち出して、あたふたしている。その挙句に、韓国・中国に「過去の歴史問題」というカードまで切らせてしまったのは、どう考えても、こちらの負けだ。俺は、今回の韓国・中国の歴史問題カードの使い方を正当だなどと決して思ってはいない。しかし、それを両国に使わせてしまうようなところまで低次元の子供じみた争いを続けていることに大きな不満と不安を覚えるのだ。

 この男の政治を見ていると、通奏低音のように「僕は、政治家としてやるべき当り前のことをやっているんだから、ほめられこそすれ、絶対に批判なんてできないはずだ。公式通りに押し通していけばいいんだよね」という模範解答を書いてるから褒めてよ!と言いながら、実際には目先の毀誉褒貶に右往左往している心理がずっとつきまとう。表面的な模範解答ならば、誰でもできる。それこそ官僚に任せておけばよい。政治家は不要だ。一筋縄ではいかない問題を、国内政治でも、外交でも、とにかくよく相手の言い分に耳を傾けつつ、自らの信念も捨てずに針の穴にラクダを通すような困難さを抱えながら、一歩ずつ進めていくのが政治家だ。この男の、視野はあまりにも狭く、近視眼的で言い訳が多過ぎる。目先のことにしか反応できず、しかも自己の冗舌さに酔っているのが、見てとれてなんとも稚拙である。

 結果として、自民党では、谷垣総裁という最も知性的なベテランが退けられて、どう見ても見劣りのする石原伸晃という口の軽い安っぽい男がとって代わり、しかも総裁選で惨敗して、開けてビックリの<首相施政方針演説2日後にお腹痛いので辞めまちゅ君>が、総裁に選ばれた。しかも、幹事長は石破茂防衛オタク君である。どう考えても、次期自民党政権は、強烈なナショナリズム政権として、戦後民主主義を否定し、現憲法を毀損する方向に邁進し、選挙の洗礼を受けたとして「原発政策継続」、「沖縄普天間基地移設強行」へ舵を切るだろう。開けてビックリである。そして、韓国、中国も野田内閣の稚拙な外交を攻撃していたはずが、日本人に対して徒にナショナリズムを刺激することになり、ウルトラ右翼政権樹立に期せずして協力することになってしまったのは、皮肉としか言いようがない。

 日本では、少なくとも、中国や韓国が現実に今行っているような<歴史教育の政治利用>は行なわれてこなかった。これだけは、断言できる。不十分だと言われれば、それまでだが、むしろ人権教育、国際教育その他で、日本の行なった侵略戦争・植民地支配への反省は、確実に進められてきていた、と思う。しかし、今回の自民党谷垣総裁失脚、安倍・石破ウルトラ右翼体制の成立で、これから5年、もっとかもしれない。もう取り返しはつかないかもしれない。日本は右傾化していくだろう。

 その責任は、誰がとるべきなのだろう…。俺は、やはり国民の声にも、近隣諸国の声にも、誠実に耳を貸さなかった<野田コソ泥・アマチュア内閣>石原慎太郎・伸晃親子の罪深さに帰さずにはいられない。野田ほど、雄弁の虚しさを思い知らせてくれた政治家はいない。麻生のような言葉を知らない馬鹿も困りものだが、虚しい雄弁さも見苦しすぎる。二人に共通しているのは、引き際の見苦しさで国民をうんざりさせていることだけだ。そして石原慎太郎・伸晃親子も日本の歴史を大きく歪めたと言わざるを得ない、と思う。

 次の総選挙では、やはり民主党には責任をとってもらうべきだ、と思う。マニフェストなんて言葉は、もはやどうでもよい。民主党は、国民との約束をはっきりと破って、無視したのだ。日本国民は、とりあえず次の総選挙では、民主党に投票してはいけない。かといって、「原発継続」の右翼自民党に圧倒的多数を取らせては危険すぎる。橋下維新は「脱原発」を標榜している限りでは、選択肢として有り得るだろうが、俺には橋下維新を信用することができない。日本共産党は、生理的に受け付けない、この政党もある意味、根本的ウソつき政党だから。誇りをもって投票することのできるリベラル勢力、3年前の鳩山民主党のマニフェストには、俺は大人気も無く熱狂した。候補者事務所までマニフェストのパンフレットをもらいに行った。もう二度としない。政権を取れなくても良いから、3年前の鳩山民主党と同じレベルの内容で「ウソをつかない」政治勢力が結集して欲しい。少なくとも、もう「民主党」という名前の政党には、決して投票しないので、名前だけは別の名前にして下さい。特に、現民主党内の原口グループの政治家たちには、詐欺師政党を早く飛び出して、内閣不信任案を可決させて欲しいと思う。

 俺は、支持政党は、福島党首の社民党だが、小選挙区では非共産のリベラル政党に投票するつもりなのだ。


※もう少し、文章を整えるつもりですが、とりあえず掲載します。すみません。


120920 政治屋どもの言葉の耐えられない軽さ。野田汚物、民主党詐欺集団、頼むから消滅してくれ!

2012年09月20日 23時22分44秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
9月20日(木):

昨夜の報道ステーションでの、野田汚物の重々しい空虚過ぎる冗舌に耐えた。赤松(旧社会党系)、鹿野の空虚な愚劣さにも耐えた。しかし、性懲りも無く、今夜もニュース・ゼロに出るのか!?。この醜汚な詐欺師集団が、恥知らずな姿を公共の電波に現れること自体、耐えられない。赤松も死ね。鹿野も消えてしまえ。恥を知れ。原口だけが辛うじて存在価値がある。あとの3人は、一生懸命に聴けば聴くほど、何を言ってるのかわからない。要するに、3人は詐欺師の詐欺師なのだ
正直「もう勘弁して下さい…」。野田汚物よ、おまえの重々しい虚言と、詐欺師面(づら)を見るのは生理的に苦痛過ぎる。本当にお願いだから、解散して消滅してくれ!。民主党員にもひれ伏すから、皆この世から消滅してくれ。赤松、しゃべるな!誰もおまえを信用していない。鹿野しゃべるな!おまえは意味がない。どうか助けて欲しい。こんなに醜汚な輩を見せられるのは、苦痛以外の何でもない。おまえら,何のためにTVに出てるんだ!。おまえらの言葉は全く理解できないし、反吐が出る。民主党を断じて赦さない!!。民主党に断じて投票しない!!。こんな詐欺師集団にいる民主党代議士どもは皆同類だ。断じて絶対に赦さない。速く速く速く速く速く速く解散して消えて無くなれ!。国民の支持の無い政党が政治を続けるのは最も重い犯罪だ。民主党消えてしまえ!。民主党消えてしまえ!。民主党消えてしまえ!。民主党消えてしまえ!。民主党消えてしまえ!。野田汚物は速く消えてくれ。お願いだから速く消えてくれ!

0004 重松清「みんなのなやみ」(新潮文庫;2009;理論社2004&2005) 評価3

2012年09月18日 23時28分32秒 | 一日一冊読書開始
9月18日(火):

378ページ  所要時間2:00          ブックオフ105円

 著者41歳&42歳(1963生まれ)。中学3年と小学3年の娘を持つ父親。理論社「よりみちパン!セ」シリーズの『みんなのなやみ』と『みんなのなやみ2』の合本。
「この本の中でぼくが伝えたかったことは、「なやんでいても、よし!」の一言に尽きる /人生は長い。長い人生であってほしい、マラソンのように、ときどき水分補給も必要です。よかったら読んでみてください。でも、走りつづけるのは、あなたです。完走しような、それぞれの人生。」っていうスタンスの本である。
 読むというよりも、たまにページの耳を折りながら、ゆるりとページの上に目をはわせ続けた。途中でちょっとシビィアな内容も織り込みながら、全体としてはゆるい感じで展開するQ&A。ちょうどいい具合に、2hで終りまでたどり着けた。
 
目次
まえがき
1章 家族
2章 「からだ」と「恋愛」
3章 学校生活
4章 友だちのこと、いじめのこと
5章 「自分」のこと
6章 大人の常識って正しいの?
7章 親だって、なやんでいる
あとがき


 野田汚物がニュース23Xに出ている。恥知らず!厚顔無恥!中国・韓国との外交を拙劣な「厳正に対処」などの無知の題目で台無しにした責任の重さを全く自覚していない面(つら)に反吐が出る。聞くところによれば、民主党は圧倒的多数で野田汚物を総裁として再選しようとしているそうだ。国民の目線を全く見ようとしない「赤信号、みんなで渡れば恐くない!」状態である。レミングネズミの集団自殺状態!。民主党員どもよ!おまえらに自立心のかけらも無いことは十分にわかった!野田汚物と一緒にみんな一緒に迷わず成仏してくれ! とにかく民主党は一瞬でも速く消滅してしまえ。 断じて赦さない! 絶対に投票しない!から安心して消えて亡くなれ! 権力亡者の裏切り者辻本清美も消えてしまえ!

 社民党頑張れ!福島瑞穂党首頑張れ!

0003冊目 加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」(ディスカバー携書;2010-11) 評価4

2012年09月17日 21時27分35秒 | 一日一冊読書開始
9月17日(月):

331ページ   所要時間3:35        図書館

著者26歳(1984生まれ)。今、中国で最も有名な日本人の一人だそうである。本書は、2010年に中国で出版された著作に、大幅に加筆・修正したもの。26歳の年齢を考えれば、論理の明晰さと早熟さに驚かされる。しかし、「尖閣諸島をめぐる中国各地(100都市?)の文化大革命の造反有理を思わせるような反日暴動を理解するよすがになればよい」という期待は外れた。すでに知っている一般的な背景・知識を上まわるほどの内容は無かった。
この本を読んでも、生々しい中国社会の矛盾や息遣いは感じられなかった。若さゆえの問題意識の希薄さ。中国共産党政権下での優等生的な日中相殺の論評。公式発言的喰い足りなさ。いろいろ理由は考えられるが、北京大学卒業生として中国共産党政府と共存し、外務省官僚に憧れる著者の目線の高さも理由の一つだろう。関心が高い階層に集中して、貧富の格差に苦しむ庶民の思いに向いていない気がするのだ。著者は、ジャーナリストではないのだ。ただ、内容は、読み易くそれなりに面白かった。
高校を卒業して、そのまま中国留学をやってしまう行動力と、著者の人生そのものには大変な憧れを覚える。

「ぼくが北京を拠点に人生と向きあったのは、2003年―2010年という時間だ。中国は、北京五輪や上海万博という国家の威信を賭けたナショナルイベントを前に、とにかく、「発展!発展!そして発展!」という押せ押せムードだった。改革開放という大義名分のもと、国民もありとあらゆる社会矛盾・不公正に屈せず、現状と向きあっていた。/しかし日中関係は荒れた。歴史認識、毒入りギョーザ事件、尖閣問題などなど、両国間の国民感情は、お世辞にも良好とは言えなかった。/日中間で突発的な事件が起こるたびに、中国で活動するビジネスマンや留学生は苦労していた。中国は日本にとっては特殊な国だ。反日感情もあるし、日本バッシングもある。
 中国、そして日中関係にとっては向かい風でも、僕にとっては追い風となった。現状が不安定で、関係が悪化したからこそ、ぼくのような若い人間に、情報発信者としてのミッションが回ってきたのだ。」(322ページ)

はじめに
第1部 ぼくが見た中国人
第1章 中国人は、なぜ感情をあらわにするのか
第2章 中国人女性は、なぜそんなに気が強いのか
第3章 中国の「八〇後」は、30歳にして自立できるか
第4章 中国人は、なぜ値切ることが好きなのか
第5章 中国人は、なぜ信号を無視するのか
第6章 中国の大学生、特にエリートは真の愛国者なのか
第2部 ぼくが見た中国社会
第7章 中国は、なぜ日本に歴史を反省させようとするのか
第8章 中国は、実はとっても自由な国だった!?
第9章 中国は、すでに安定した経済大国なのか
第10章 中国社会は、計画が変更に追いつかない!?
第11章 中国では、「政治家」と「官僚」は同義語!?
第12章 中国の「ネット社会」は成熟しているのか
第13章 日中関係は、なぜマネジメントが難しいのか
おわりに 中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか



野田汚物と前原詐欺師の姿をTVなどで見かけると正直反吐が出そうになる。民主党は速く消滅しろ!。
絶対に民主党を赦さない!絶対に投票しない! 2030年代に原発ゼロだと?、今さら詐欺師政党の言葉を誰が信じると思ってるんだ!この大バカヤロウ! 大飯原発を即時停止せよ! 民主党内のリベラル勢力は速くそのウソつき団体を出ろ!。
批判精神のかけらもないニュース23Xの播摩某解説員も速く消えろ!。天国の筑紫さんが泣いてるぞ!

0002冊目 トニー・ラズロ「トニー流 幸せを栽培する方法」(ソフトバンククリエイティブ;2005) 評価2

2012年09月12日 23時58分54秒 | 一日一冊読書開始
9月12日(水):

135ページ  所要時間1:30         図書館

著者45歳(1960生まれ)。ハンガリー人の父とイタリア人の母の間に生まれ、米国に育つ。自他ともに認める語学好き。1985年来日。漫画家の小栗左多里と結婚。
 反論できないコモンセンス(常識)の本。入浴しながら読んだ。特に感想は無い。良い言葉もたくさんあったので、褒めようと思えば、褒めれるが、特に必要ないだろう。


0001冊目 井村和清「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」(祥伝社黄金文庫;1980、2002) 評価4

2012年09月11日 00時36分38秒 | 一日一冊読書開始
9月10日(月):

236ページ  所要時間2:15        図書館

 著者(31歳、1947-1979)。医師の子として生まれ、15歳で受洗、自らも医師となる。30歳で右膝に悪性肉腫発生、右足太腿から切断。リハビリ、職場復帰、再発、執筆、享年31歳で逝去。生まれて間もない娘飛鳥とまだ生まれていない娘(清子)への父からの心の形見。
 「納棺夫日記」の青木新門さんが強く推奨していた本なので、ブックオフで見つけたとき、迷わずに買った。評価4は失礼かもしれないが、そもそも俗的評価が無意味な本なのだ。
 キリスト教信仰に裏付けられた独特の語り口と静謐さがある。何となく、八木重吉の詩を思い出した。


120904 民主素案(会長前原バカ)で「原発ゼロ、2050年代実現」(朝日夕刊一面) 民主党は即時消滅せよ!

2012年09月04日 20時43分45秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
9月4日(火):

呆れてものが言えない。民主党政治屋たちの感覚は超不誠実かつ異常だ。総選挙直前でも、国民の声に対してこれだけKYを発揮出来るのは、ある意味であっぱれである。ついでに、野田汚物と一緒に前原詐欺師(誠司を改名せよ)も消えて無くなってくれ! この期に及んで原発にしがみついて、放射能まみれの利権屋集団の民主党は即刻消滅せよ!

120901 1年間有難うございました。とりあえずリセットします。

2012年09月01日 16時17分14秒 | 閲覧数 記録
9月1日(土):

 1年間本当にありがとうございました。1年前の今日、一日一冊をめざして始めた試みですが、結局222冊で終わりました。年間読書量では自己記録更新だが、仕事に忙殺される日々で一日一冊はやはり厳しかったです。一方で、一日一冊というルールを作らなければ多少時間的余裕があっても本を読もうという気になれないのも事実としてよくわかりました。
 読書の無い人生はやはり淋しい。何か良い方法を考えようと思うが…。
 とりあえず、読書カウントは、0冊にリセットさせて頂きます。

8月31日段階(ブログの開設から 328 日)で、

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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)