もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

140530 つぶやき:気の所為か?国内政治の重大局面になると北朝鮮拉致被害者問題でニュースが独占される。

2014年05月30日 22時38分59秒 | 徒然・雑感
つぶやきです:政府にとって北朝鮮の拉致被害者問題は、原発再稼働反対、集団的自衛権反対の運動の盛り上がりに水を差す絶好の材料(免罪符)になっている気がしてしまう…。このパターンを過去に何度も見させられてきた気がする。

電力会社をJALのように責任を明らかにして破綻処理することができるし、すべきだ!それによって電力供給は何の影響も出ないという古賀茂明はなかなか良いことを言う。

140529 保阪正康氏の傍聴席からのコメント。「自民の先人泣いている」を悲しく読む。

2014年05月30日 00時12分42秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月29日(木):

朝日新聞朝刊の保阪正康氏のコメントを載せる。

・保阪正康氏: 略。安倍晋三首相も東条と似たようなことを言いだしそうだと思いました。安倍さんは「安保環境が厳しい」「国民を守る」を繰り返し、ただ集団的自衛権の行使が必要だと言っているだけで、何の論理も根拠も必然性も説明できない。あまりにあやふやな議論で驚きました。
 民主党の岡田克也さんとの質疑でも安倍さんは「あなたは分かってない」といらだった様子でした。集団的自衛権は正義だ、日米同盟の軸なんだ―。安倍さんの頭の中にはそんな思考回路ができあがっていて、認めない人は「おまえが悪い」となってしまうのでしょう。自分の世界に入ってこられない人は、異質に見える。きっと物事を論理的に考えることができない。悲しいほど自己陶酔型の人物だと感じました。
 歴代の自民党政権はある意味、偉かったんですよ。戦前、軍部が国民の生命や財産を根こそぎ動員してバクチのような戦争をやり、国をめちゃくちゃにした。その反省から、、憲法9条の非軍事主義を守りながら、日米安保や自衛隊という現実を懸命に整合させるために知恵を絞ってきたのです。戦後の日本は、軍事力を背景にした外交をしてこなかった。自民党の先人たちは今の様子を見て嘆き、泣いていると思いますよ。略。

日本人は、まもなく取り返しのつかない過誤に気づき、その大きなツケに呆然として支払いながら、後悔することになるだろう。

140525 原発反対!生活第一!戦争好きの平和ボケ世襲内閣打倒!で、第三次護憲運動を起こすしかない!

2014年05月25日 14時31分51秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
つぶやきです…

早稲田大の長谷部恭男教授が現安倍バカ政権を評して、「保守の反対はリベラルではなく、おっちょこちょいであり、安倍政権は保守ですらない」旨、前に読んだ朝日新聞で話ていた。日本の運命が、苦労知らずで頭の悪いおっちょこちょいに握られている。この危険さから目を逸らしてはならない。

杉田 つまり、安倍内閣は保守ではないと。
長谷部 保守ではないと思います。何も守っていないんじゃないか。ちなみに、保守の反対概念はリベラルではありません。おっちょこちょい、とでも言うべきものです。壊れてもいないものを直したり作り替えたりしたがる。「壊れてもいないものを直そうとするな」。これが保守主義の基本です。」
(朝日新聞3月28日朝刊、杉田敦×長谷部恭男対談より)




以前に読んだ俺のブログ記事の再掲載をする。
「0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5   2012年11月12日 01時25分11秒 | 一日一冊読書開始

読んでいて、この内容が第二次大戦前の1930年に書かれたことに、まず驚きを禁じ得なかった。大衆論、国民国家、ヨーロッパ合衆国、ボルシェビキとファシズムは根っこは同じで自由主義を敵視する、など予言的で瑞々しい記述にあふれている。

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:
 
 オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。

 「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。

 「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。

140524 迂闊だった!「美味しんぼ」非難の佐藤雄平・福島県知事は原子力ムラずぶずぶ。県民見殺し…か?

2014年05月24日 13時28分53秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
つぶやきです…。

調べれば、明白!

例えば:

美味しんぼ抗議は「表現の自由侵害」 福島の市民団体
2014年5月15日22時19分 朝日新聞

 週刊ビッグコミックスピリッツの人気漫画「美味しんぼ」の東京電力福島第一原発事故をめぐる描写に対し、福島県が発行元の小学館に抗議したのは、「表現の自由の侵害にあたる」として、県内の市民団体が15日、抗議文を佐藤雄平知事に送った

 県内の子どもたちの「被曝(ひばく)しない権利」の確立を求める「ふくしま集団疎開裁判の会」など4団体。「風評被害を助長する」という県の批判に対し、同会の井戸謙一弁護士らは「事実の歪曲(わいきょく)。(描写は)根拠のない風評ではなく、体験に基づく見解だ」と反論した。

【声明】漫画「美味しんぼ」の表現の自由を抑圧する福島県に抗議する
2014年5月15日木曜日 ふくしま集団疎開裁判の会
「週刊ビッグコミックスピリッツ」4月28日及び5月12日発売号の「美味しんぼ」の表現に対し、福島県が表明した抗議文『週刊ビッグコミックスピリッツ「美味しんぼ」に関する本県の対応について』に対し、本日、ふくしま集団疎開裁判の会は、以下の抗議を福島県に申し入れました。 

抗議文

 周知のとおり、人権のカタログにおいて最も重要な1つが表現の自由です。世界最初の人権宣言である米国のヴァージニア人権宣言もこう宣言しました「言論出版の自由は、自由の有力なとりでのひとつであって、それを制限するものは、専制的政府といわなくてはならない」(12条)。重要なことは、表現の自由を保障する意義があるのは、政治的、学問的権威に盲従する自由ないし賛成する自由のときではなく(そもそも制限されることがない)、こうした権威を批判する自由ないし反対する自由つまり少数者の意見のときです。表現の自由を保障する真髄とは、「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」を保障することにほかなりません。

 去る4月28日と5月12日に発売された雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」に連載の漫画「美味しんぼ」に福島県双葉町の前町長や福島大学の准教授が実名で登場し発言した内容をめぐって物議をかもしています。
 およそ良識を備えた人なら、次の認識は共有できるものです。「被ばくによる人体への影響は、いまも科学的に十分解明されていないことが多くあり‥‥内部被曝によって起こる病気や症状のほとんどが、明らかに外部から被曝していない人にも発症するものだということです。それでいて、原因が被曝によるものだと特定する検査方法が確立されていませんから、病院に行ってもよほどのことがない限り、それが被曝によるものだと確定診断されることはありません」(1991年から5年半チェルノブイリに医療支援活動を行った菅谷昭松本市長「原発事故と甲状腺がん」52頁)

 被ばくと健康被害の関係が科学的に十分解明されていないとは、或る健康被害が発生したとき、現時点の科学ではそれが被ばくの影響である(危険)とは断定できず、影響がない(安全)とも断定できないことを意味します、つまり危険の可能性を帯びた灰色だということです。それが今日の科学の到達点であり限界です。その結果、この「灰色の評価」をめぐって、限りなく黒(危険)に近い灰色から、限りなく白(安全)に近い灰色まで複数の見解が生じ得ることになります。

 前述の「美味しんぼ」に紹介された双葉町の前町長や福島大学の准教授の見解も今日の科学の限界を踏まえて、自身の被ばく体験と同様の境遇に置かれた市民たちから得た情報から導かれる範囲で、自身の見解を述べたものであって、根拠のない噂=風評ではありません。事実、被ばくの鼻血と関係を明言する専門家(西尾正道北海道がんセンター名誉院長)もいれば、除染の効果が十分上がらないことがチェルノブイリで証明済みであることもつとに指摘されている専門家も存在します(菅谷昭松本市長「これから100年放射能と付き合うために」67頁以下)。

 しかし、福島県は、この「灰色の評価」をめぐって、福島県の見解と異なるというだけで、これらの見解を根拠のない噂=風評と決めつけ、「本県への風評被害を助長するものとして断固容認できず」と非難しています。それは前述した「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」を保障しないことにほかならず、表現の自由に対する重大な侵害です。
のみならず、双葉町の前町長や福島大学の准教授の見解は彼らの個人的な見解にとどまらず、世界で最も過酷な「福島の現実」と向き合おうとしている多くの人たちにとって注目し共感せずにおれない重要な見解です。福島県の非難は、こうした人々の声を上げる自由をも抑圧するものであり、民主主義社会の基盤である自由な発言と討論の広場を奪う結果になっているという由々しき事態を深く自覚すべきです。
 福島第一原発事故の後、福島の人たちの間で、鼻血が多発したのは明白な事実です。そのことについては多くの記録があります。そして、人々がその原因が放射能ではないかと考えたのも当然のことです。福島県が今回公表された見解は、今、福島で、放射能に対する不安を抱きながら生活している人たちが、自由な意見表明をすることを抑圧する結果を生じさせます。それは、福島の人たちを二重に苦しめるものです。「物言えば唇寒し」の社会を作ってはなりません。

以上より、私たちは、福島県のかかる侵害行為は断固容認できず、ここに厳重な抗議を表明すると共に、ただちに福島県の抗議を撤回することを求めるものです。
                                以 上

※「佐藤雄平・福島県知事が原子力ムラとずぶずぶ」の記事は他にもたくさんある。最悪の不都合な真実だ!

140523 米映画「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年)録画を観た。感想4

2014年05月24日 02時05分07秒 | 映画・映像
5月23日(金):

1時間45分。なんとなく観始めて、最後まで観た。一回ではピンとこない内容だったが、なんとなく最後まで観てしまった。ラストで「天の啓示」は亡父との手遅れな和解を求めるインテリ農夫の主人公(ケビンコスナー)の深層心理だったとわかった。一度観ただけでは味わうには足りない。何度も観ないと俺の頭ではなじまないが、良い作品なのだろうと思った。また、アメリカのある面の深層を知ることができる内容でもあった。アメリカ映画には、作品の中に現れるシーンを通して「アメリカ社会の理解を深める」という楽しみ方もあるのだな、と当り前のことを確認できた。

それにしても田舎のファンダメンタリスト(キリスト教原理主義者)と高学歴リベラルの対立の溝の深さもけっこうすごい。多数派のノンポリもきちんと描かれていた。

映画の中のニクソンって、ちょうど今の極右安倍みたいだ…って考えたが、それはニクソンに失礼だった。ニクソンは、安倍ほど知能は低くない! ああ我々は、胆力も知性もこらえ性もない苦労知らずで自信満々(劣等感の裏返しだが…)の世襲の青二才(豎子)をどうしたら早く辞めさせられるのだろう。その後に、完全に目の据わった戦争好き石破が首相になったら…。もう絶望的だが、子どもたちのために絶望もできない。

3 106 水木しげる「敗走記」(講談社文庫;1991)感想3+

2014年05月19日 01時31分49秒 | 一日一冊読書開始
5月18日(日):  

271ページ  所要時間 1:55    図書館

著者69歳(1922生まれ)。

戦記漫画の復刻版6編収録:
「敗走記」(1970・月刊別冊少年マガジン2月号・講談社)
「ダンピール海峡」(1970・文春漫画読本7月号・文藝春秋) 
「レーモン河畔」(1980・ビックゴールドNo.6・小学館)
「KANDERE」(1979・カスタムコミックNo.1・日本文芸社)
「ごきぶり」(1970・サンデー毎日増刊これが劇画だ・毎日新聞社)
「幽霊艦長」(1967・月刊少年9月号付録・光文社)

著者は、漫画という表現手段をもった人間が、実際に絶望的な南方激戦地に赴き、下級兵として九死に一生を得ている稀有な例である。戦地で終戦を迎え(23歳)ている著者は貴重な語り部である。漫画の中の物語を実際の人間の実体験として想像力を膨らませば、戦争の理不尽さ、悲惨さの断じて赦されないことを容易に想像させてくれる。

水木さんの戦記漫画は、彼の重要な業績の一つである。俺としては、BC級戦犯を描いた「ごきぶり」が、なんとも理不尽・不条理で忘れられない作品になった。もちろん、他の作品もひとつずつ印象深いし、この作品でしか得られない戦争の実相を伝えてくれている。

140518 民主党議員事務所が活動を始めた。解散選挙が近いのか?安倍の解釈改憲は、ムリ筋!

2014年05月18日 16時02分43秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月18日(日):

日刊ゲンダイに安倍晋三バカが、集団的自衛権の解釈改憲を国民に認めさせるために筋違いの「早期解散」をするかもしれない、と書かれていた。しかも、表向きの争点は「農協改革」だそうである。東京都知事選挙後の政治の展開は、怖いほど予想していた通りになっている。都知事選で2位・3位争いに血眼になっていた正義の味方の宇都宮健児先生は、今頃どのようなお気持ちでいらっしゃることでしょうね。

今選挙があれば、自民党は間違いなく勝つだろう。国民の真の声を活かすためには、共闘の進まない野党勢力が過去の轍を踏むことになるが仕方がない、「解釈改憲反対」、「原発再稼働反対・福島県再建」、「国民の生活が第一」で大同団結して<歴史に学べ!(戦争は殺し、殺されること! 戦争は中毒になる! 戦争は人権の墓場! 一度始めた戦争は終われない!)・立憲政治堅持>のスローガンで闘うしかない。

これに共闘できるのは、民主、生活、社民、共産、旧みどりの風、旧未来及び労働組合、市民運動団体だろう。維新、みんな、結、マスゴミ、連合東京都?は、安倍自民についていく。民主党内の似非<現実的>保守の連中もこの際、安倍自民につくべきだろう。

そして、野党が安倍自民に必ず負ける。肝心なのは、その負け方だ。現在3分の2を超える与党の議席をどれだけ減らせるかだ。解釈改憲に対する「反対」が50%である現実をいかに選挙結果として吸い上げることができるかだろう。ただ東京都知事選のように明確な争点を全国で徹底するのは難しい。少なくとも現時点では、安倍自民の経済政策は破綻していない。

第2次山県有朋内閣を支えた「憲政党」が<自己矛盾>に気づいて、藩閥内閣支持を止めたのと同じように、「公明党」が安倍晋三極右内閣を支えることの矛盾を自覚して安倍内閣打倒に向かえば話はまったく違ってくるだろうが、まず野党の側に公明党の受け皿をしっかりと作れる政治家がいない。次に、もし公明党が離れる素振りを本気で示せば、自民党内で<安倍下ろし>が本格化して「解釈改憲」路線自体が中止となるだろう。安倍政権は失速し、内閣改造か、首相交代となるかもしれない。

今のところ、最も期待できるのは、やはり公明党・創価学会による本気の抵抗のみであるとしか言いようがない。なんといっても、まったく国民的議論の無いままに、安倍の仲間だけで作った変な審議会の答申だけで<集団的自衛権>の「解釈改憲」を行うことができるというのは、どういうふうに考えても<ムリ筋>だ一内閣の意志(好み?)で憲法の解釈を自由に変えてもよいという前例を作ってはいけない、などとこと改めて言うまでもない、<ムリ筋>だ。

しかも、第九条は、現憲法のアイデンティティそのものである。火事場泥棒ならぬ<憲法泥棒>にしか見えないどう考えてもこれは<ムリ筋>だ。公明党・創価学会と、自民党内の本来の保守本流勢力の人々によくよく考えてもらいたいと思う。政治の目的は陣取りゲームではなかろう。やったから偉い、取ったから偉い、なんてものではないはずだ。究極は、<国民の幸せ>の実現だろう。その後に<国家の誇り>もついて来るものだ。この順番を、逆にしてはならない。

公明党・創価学会と自民党内の保守本流勢力の人々にはこの際、姑息な道を選ばず<王道の政治>を守ってもらいたい。また、野党も早急に自己のアイデンティティをしっかりと捉え直して、東京都知事選の轍を踏まないように真の<大同団結>をして、リベラル・中道勢力の結集をして欲しい。

特に、都知事選で共産党と共闘したバカ社民党には猛省を促したい。共産党と共闘するのであれば、共産党と合併すればいいのだ。言ってることは、ほとんど違わないのだから! 社民党の存在意義は、共産党と主張が似ていても、他のリベラル・中道勢力や自発的・自生的な市民運動団体(例えば、湯浅誠さん)と共闘ができ、社会民主主義的主張を広げることができることにこそあるのだ。

そこをはき違えて、共産党と共闘することは、社民党の自己否定であり、残り少ない俺のような強固な社民党支持者を失望させ路頭に迷わせることになるのだ。分かってますか? 福島瑞穂さん! あなたのことを言ってるんですよ! 入るのであれば、福島さん一人で共産党に入党して下さい! 繰り返しておきますが、社民党のアイデンティティは、共産党とほぼ同じ社会民主主義的な主張をもちながら、他のリベラル・中道勢力や市民運動団体と共闘でき、その社会民主主義的主張を共闘勢力全体に広げることができる立ち位置にこそある。日本社会党以来の戦後の歩みをしっかりと復習して下さい。それを忘れれば、社民党の存在意義はない。俺の様な支持者がいることも忘れて、潔く共産党に吸収されて消滅するべきである。

何か、妙な結論になったが、まあ安倍晋三は今回の「解釈改憲」で<ムリ筋>の墓穴を掘ったということだ。そして、こんなことが政権の墓穴にならないのであれば、日本の政党政治自体が<終わってしまった>ということだろう。無力な野党を前にして、自民党保守本流の<自制心>と、公明党・創価学会の<存在意義の自覚>が問われているということだろう。それにしても高村正彦ってこんな<憲法泥棒>をするような政治家だったとは、思わなかった。「(小泉調で)残念だ!失望した!」

3 105 佐藤優「読書の技法」(東洋経済新報社;2012)感想5

2014年05月18日 02時29分21秒 | 一日一冊読書開始
5月17日(土):副題「誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門。

279ページ  所要時間 4:15    図書館

著者52歳(1960生まれ)。作家・元外務省主任分析官。鈴木宗男事件に連座して検察の追及を受け、500日超の長きにわたり不当な拘留を受けた後、外交官から作家に転身。

「3 041 佐藤優「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮文庫;2005、2007) 感想5 2013/12/22」を読んで以来、著者に対する俺の印象は「途方もない器の人間というのが世の中にはいるものである」というものである。2005年の作家転身以後の旺盛で内容の充実した活動には感心しつつ憧れをもっている。

本書も、2年前書店で立ち読みしたとき、欲しくて欲しくてしようがなかった。その思いを忘れた頃になって、今日図書館で偶然本書を発見したのだ。即決で借りた。読み始めると、立ち読み時に感じたマニュアル本的要素がいまいち弱く感じて失望し評価4だったが、読み進むに従ってロシア語、英語、ドイツ語、朝鮮語、アイルランド語など多言語を扱い原書を話題にする能力、膨大な読書量だけでなく、著者の言葉は具体的で、全く奇をてらったり、衒学的なところがなく、落ち着いていて、かえって控え目なぐらいの語り口なのに取り上げられる専門書のレベルの高さに驚かされた。また、読書にとって高校レベルの基礎教養の重要性を語り、勉強のやり直し方を紹介する内容の説得力があった。

<熟読>は、いまいちだが、5分間の<超速読>と30分読書+30分まとめの<速読>は是非実践に生かしたい。

何やら著者のスケールが大き過ぎて輪郭を捉えられなくなったか、と思うと「(52歳の)自分の人生はあと20年だから全然足りないからこそ大事にする」旨の自己の生の有限性への表明があり、己を知る<地に足のついた知の巨人>を感じさせられてしまった。

読了したら、感想5になっていた上に、「数IA・IIB・IIICがこの1冊でいっきにわかる もう一度 高校数学」高橋一雄 (著)日本実業出版社 (2009/7/16) 定価3024円をアマゾンで注文(1875円;1618円+257円)してしまっていた。数学をもう一度やり直したい、と思いつつ良い参考書が思いつかなかったので、著者の紹介に乗ってしまったのだ。

一読で終われる本ではない。そばに置いて何度も読み返したくなる内容だが、悲しいかな図書館の本である。

※以下、アマゾンHPより:
目次:【第I部 本はどう読むか】第1章 多読の技法――筆者はいかにして大量の本を読みこなすようになったか
第2章 熟読の技法――基本書をどう読みこなすか
第3章 速読の技法――「超速読」と「普通の速読」
第4章 読書ノートの作り方――記憶を定着させる抜き書きとコメント
【第II部 何を読めばいいか】第5章 教科書と学習参考書を使いこなす――知識の欠損部分をどう見つけ、補うか
【世界史】【日本史】【政治】【経済】【国語】【数学】
第6章 小説や漫画の読み方
【第III部 本はいつ、どこで読むか】 第7章 時間を圧縮する技法――時間帯と場所を使い分ける
【特別付録】本書に登場する書籍リスト

内容紹介(一部):月平均300冊。多い月は500冊以上! 佐藤流「本の読み方」を初公開! /冒頭カラーページでは、著者の仕事場や本棚の中身、本やノートの書き込みの写真も掲載!
●佐藤流「熟読」の技法―どうすれば難解な本を読みこなせるか?
・知りたい分野の本は3冊買って、まずは真ん中から読む
・本全体にシャーペンで囲みを作り、重要箇所を抜き書きした「読書ノート」をつくる
・熟読の要諦は、同じ本を3回読むこと。基本書は最低3回読む
●佐藤流「速読」の技法―どうすれば大量の本を速読できるか?
・1冊5分の「超速読」と30分の「普通の速読」を使いこなす
・「超速読」で、読むべき本の仕分けと、本全体の中で当たりをつける
・「普通の速読」は「インデックス」をつける読み方。新聞の読み方を応用する
●佐藤流「教科書や学習参考書」「小説や漫画」の実践的な読み方
・読書の要は「基礎知識」。基礎知識のない本は、速読しても指の運動にしかならない
・基礎知識を身につける最高の本は、じつは高校の教科書と学習参考書
・小説や漫画は「娯楽+代理経験+社会の縮図・人間と人間の関係の縮図」として読む
著者の読書術を初めて完全体系化!
巻末には特別付録「本書に登場する書籍リスト」付き!

※前に紹介した著者の安倍政権批判:
140222 全く同感!「反知性主義のプリズム」(2月21日掲載の日刊ゲンダイの一節) 
                 2014年02月22日 16時15分16秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2月22日(土): ※全く同感なので、掲載する。
元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は19日の朝日新聞で、安倍側近の問題発言の背景にあるのは「反知性主義」だと言っていた。自分の主義信条というか、狂信的とも思える極右思想にコリ固まり、異なる考えを排除し、物事を客観的に見ることができない。佐藤氏は<自分が理解したいように世界を理解する「反知性主義のプリズム」が働いているせいで、「不適切な発言をした」という自覚ができず、聞く側の受け止め方に問題があるとしか認識できない>と分析する。正鵠を射た指摘だろう。
 取り巻きがこれだから、トップのオツムの程度も知れる。というか、首相がバカだから同じレベルの人間を集めてしまう。かくて、知性のカケラもなく、合理的な判断能力もない連中が、国の舵取りを担うことになる。ゾッとすると同時に、国民として情けなくなる。(2月21日掲載の日刊ゲンダイの一節)

140516 一年前:0067 重松清「青い鳥」(新潮社;2007) 感想5

2014年05月16日 23時18分02秒 | 一年前
0067 重松清「青い鳥」(新潮社;2007) 感想5
5月13日(月):326ページ  所要時間5:20     図書館著者44歳(1963生まれ)。仕事から疲れて帰り、夕飯も取らず、pm8:00からam1:20まで一気に...

3 104 野田聖子「生まれた命にありがとう」(新潮社;2011) 感想5

2014年05月16日 00時30分11秒 | 一日一冊読書開始
5月15日(木):

191ページ  所要時間 2:05   図書館

流し読みするにはもったいない内容の本だったが、時間も体力もないので仕方がない。

著者50歳(1960生まれ)。

本書は、40歳から不妊治療(ジェットコースター;14回)をはじめた著者が、「私は生みたい」とアメリカでの卵子提供を受けて7歳年下の再婚相手の精子で体外受精、移植・妊娠50歳での出産に至るまでの著者の10年にわたる苦難の体験を赤裸々に公表したものだ。ゴーストライターがいるのか、わからないが、読みやすい文章である。そして、語られる内容・言葉、価値観は首尾一貫したまごうこと無き著者自身のものである。

著者は、自民党の世襲議員だが、俺が最も信頼・期待を寄せる政治家の一人である。同じ世襲でも知能の低い硬直した安倍晋三や冷酷で厚顔無恥な元官僚の片山さつきらとは対極に位置する政治家だ。

俺の中では尊敬する元自民党官房長官野中広務氏の後継者のように思える存在である。弱者に対する優しさ・配慮を忘れず、柔軟な思考力をもち、選択的夫婦別姓をはじめ社会の多様なあり方を肯定・発展させていく進歩的性格、多様な存在・価値観を認め合う社会を目指す。自らの弱さを隠さず認めることができ、そこから社会を見直すことのできる人間的懐の深さを感じさせられるのだ。

人間の価値は、窮地に陥ったとき、よく分かるというが、本書の中で、苦しい時に著者がもらす言葉の数々がとてもよく光っている。自らの弱さや非を認めることによって、かえって著者の考えは社会に強く訴える力をもつ。空々しい正論でないからこそ、本音の誠実さ・優しさが伝わってくる。小狡さを覚えた<裸の王様>安倍晋三とは大違いである。

著者は、ただでさえ貴重な存在の女性代議士だが、それ以上に社会民主主義政党でもあった自民党の保守本流(大平派・田中派)の正当な継承者であると思う。野田聖子こそが、本来の自民党保守の主流であり、今の安倍晋三や石破らの極右化した自民党は、非主流派が暴走しているに過ぎない。そして、著者と比較すると、民主党の野田汚物や前原詐欺師、長島戦争屋の似非<現実的>保守の連中がいかに如何わしい存在かがよく分かる

※アマゾンの評価の低さ(2.5)に驚いた。さて、俺の感覚がおかしいのだろうか…。まあ、ええわい!

3 103 池上彰「池上彰の政治の学校」(朝日新書;2012) 感想5

2014年05月14日 01時43分46秒 | 一日一冊読書開始
5月13日(火):

236ページ  所要時間 3:25   図書館→アマゾン(258円)注文

著者62歳(1950生まれ)。

本当に仕事に草臥れ果てて帰ってから読んだ。最後まで行けるか不安だったが、なんとか読了できた。読み易くて、わかりやすいし面白かった。本当に勉強になった。池上さんの時代を観る目は確かだ! 今さらだが、政治を観る目が随分開かれたし、もやもやしていた思いもかなり解けて整理された。風通しの良い気分になれた。このコンパクトさで、これだけの濃い内容! 政治記者出身の池上さんの面目躍如たる著作である。政治家や官僚、ポピュリストと対峙する池上さんの胆力はやはりすごい。

明日も朝早いので内容紹介する時間はないが、付箋をしながら読了した後に改めてアマゾンで本書を注文したことはご報告させて頂きます。増補版が出ているそうだが、是非立ち読みしようと思う。

目次:ホームルーム 日本の政治、どこがおかしい!?
1限目 選挙―小選挙区制で様変わり
特別授業・1 米国大統領選挙でわかる民主主義
2限目 政党―政策よりも票集めと席取り
3限目 国会―国会の主役はあくまで国民
4限目 官僚―表で裏で政治家を操る
特別授業・2 「国家元首」をめぐるアラカルト―世界政治から見える日本
5限目 ネットと政治―新聞・テレビの特権が崩壊
6限目 ポピュリズム―民主主義政治の病
ホームルーム 良い政治家と国民を育てるために

140513 一年前:0066 石川晶康「NEW石川日本史B講義の実教中継⑤文化史」(語学春秋社;2002) 感想3+

2014年05月14日 01時34分41秒 | 一年前
0066 石川晶康「NEW石川日本史B講義の実教中継⑤文化史」(語学春秋社;2002) 感想3+
5月12日(日):この1週間、たちの悪い風邪に苦しんだ。治らないでどんどん悪くなるのだ。意識はしっかりしてるのだが、喉を痛めて、まったく声が出なくなる中、仕事を休まず、無理に振...

140512 「美味しんぼ」に対する言論・表現の自由を封殺する空気が恐ろしい。戦前と同じ。窒息しそうだ。

2014年05月13日 01時28分11秒 | 徒然・雑感
5月12日(月):

140504の文章を再掲載する。

問題なのは、鼻血と放射能の因果関係ではない。一方で、福島の避難民に対して未必の故意で<棄民>化を許している連中(政治屋・御用学者・御用評論家・マスコミ・産業界 etc.)が、単に取材に基づく実体験を記しているに過ぎない内容にだけ思い出したように、「不正確だ」、「偏見や差別を助長する」、「風評被害を助長する内容ではないか」とお為ごかしに喰いついて封じ込めようとする<風通しの悪いその行為自体>である。取材による実体験を、実体験として表現して何が悪いのか??? そっちの方が、よほど問題であろう。

3 102 筆坂秀世「日本共産党」(新潮新書;2006)感想4  共産党という<裸の王様>を発見した!

2014年05月11日 17時33分40秒 | 一日一冊読書開始
5月11日(日):

191ページ  所要時間 1:30   ブックオフ105円

著者58歳(1948生まれ)。共産党ナンバー4の政策委員長となるも不祥事を契機に議員辞職。2005年7月に離党。

俺の最も嫌悪する政党の一つである。この政党のために貴重な時間を割く気はないので流し読みにした。それでも雰囲気は十二分にわかった。結論から言えば、今まで外から観て、俺が感じてきたことが間違いでなかった。ほぼ正確に評価し、観えていた!ということだ。ズレているところがあったとすれば、「ここまで硬直的でひどい組織だったのか…」という、言わば「もっとひどかったのか…!」という驚きであった。本書によって、官僚主義的で非民主主義的な集団、独善的な無謬性を主張し、その実自分たちの<党勢拡張しか頭にない市民社会の敵>という公然の秘密が、秘密でなくなったという印象である。

読んでいて、日本共産党という組織が、オーム真理教のサティアンと重なっていった。宮本憲一や不破哲三らの独裁の下で、党員には、恣意的に「自己批判」が迫られ、思想・良心の自由もない。言論表現の自由もない。世界を良くすると標榜しながら、反対すること以外に実のあるビジョンを持つこともできない政党なのだ。

一方で、大江健三郎や加藤周一の「九条の会」のような自発的な市民の会を、赤旗一面で取り上げ、あたかも共産党傘下の組織であるかの様な利用をする。何かものすごくいかがわしい組織・集団にしか見えない。共産党とともに壮大な人間のエネルギーの無駄遣いが行われ、時間と精神がカラカラと空回りしている感じである。

著者に対する印象は、サティアンから解放されて、ふつうの思考を回復した人間が自分の目で見てきた事実をありのままに語り、感想を述べているように見えた。共産党幹部として生きてきた自分自身を棚に上げている(ある意味仕方のないこと)こと以外は、違和感を覚えることはなかった。

・ある新聞記者の指摘:「共産党の選挙総括は読まなくてもわかります。いつでも共産党は正しいということですから。そうすると、それが理解できない国民多数が馬鹿だと言っているのと同じではないですか」156ページ

・佐高信氏は、略、「(2005年)5月3日の新聞に、共産党が全面の意見広告を打ち、中で『九条の会』を紹介している。これでは、この会が共産党と深い関わりをもつように映ってしまうが、同会呼びかけ人の大江健三郎や加藤周一は了解したことなのだろうか。略。何党であれ、こうしたことをしたら、私は断固抗議する。略」/こんなことを続けていては、どれだけ「憲法九条改悪反対の一点での共同」と訴えても、誰も信用などしない。利用できるものは何でも使い、結局は日本共産党の票と議席を増やすことだけしか考えていないと勘ぐられても仕方ないだろう。/「わが党こそが九条を守る『たしかな』政党です」と訴えたいのかもしれない。だが、いまやるべきことは、なんとか改憲反対で共同の輪を広げることだ。憲法が改悪された後に、「筋を通してがんばったのは共産党だけです」と自慢しても仕方ないのである。略。/憲法が改悪され、消費税の税率が引き上げられたあと、またしても「共産党は正しかった」という虚しい歴史だけが残るのだろうか。169~170ページ
 ☆この議論には、すごく既視感がある。まさに極右安倍自民にストップをかけ、<絶対悪の原発>の再稼働反対をかけた2月の東京都知事選での共産党の党利党略しか考えないで、宇都宮の馬鹿に<原発反対候補の2位・3位争い>をさせた摩訶不可思議な政治行動と通底している。共産党は結局変わることなく党利党略の政党であり続け、今後の憲法改悪についても、原発再稼働反対についても、沖縄基地問題についてもすべてで他の勢力との協力を拒み、<市民社会の前進・成熟>の足を引っ張り続けるのだろう。将来、日本が、日本の市民社会が、道を踏み誤ったと歴史が記録される際、共産党の独善的で身勝手な行動が常に市民社会の前進を邪魔してきたことも同時に記されることだろう。そもそも志位書記局長がどういう人間であろうと、共産党という組織自体が夜郎自大で腐り果てているのだ。組織の内部系統が完全にいかれてしまっているのだ。そうでなければ、都知事選での理解不能な動きは説明できない。

・「科学的社会主義」といえば、すべてが科学的になるわけではない。日本共産党自身、「科学、科学」と言いながら、どれほど見通しを誤り、政治的な誤りを犯してきたことか。略。「私は正義でありたい」と思うことと、「私は正義だ」と主張することは決定的に違う。/人間が生きていくのは、白と黒だけではない。グレーもある。だが共産党は、党を離れた人間、党を除籍された人間をすべて「黒」にしてしまう。そして「自分たちだけが真っ白」だという。自ら仕立てた孤高の道を歩むのなら、それはそれでよい。だが、それで真の変革者になりえるのであろうか。国民は、日本共産党のそういうところに胡散臭さを感じるのである」188ページ
 ☆<裸の王様>は、安倍晋三だけではなかった。日本共産党の方が<裸の王様>である。しかも、こっちの方が、戦後市民社会の歴史でマイナスが大きかったのではないか…、と俺は思っている。

・私は党自身「共産党」という名前に自縄自縛に陥っているように思えてならない。189ページ

目次:
序 章 なぜ私は入党し、離党したのか: 「生き方」を求めての入党/銀行員から議員秘書、そして国会議員へ/プライドを取り戻すための離党/共産党を見つめ直す
第一章 日本共産党とは如何なる政党か: 創立八四年の最古参政党/党組織の頂点「中央委員会」/時間をかけて選出される党幹部/党運営の要「常幹」/党がすべて指名する議員候補/「調査の共産党」を支える秘書軍団/年間収入は三〇〇億円/路線論争は過去の話/日本共産党は何を目指しているのか
第二章 革命政党の実像: 給与遅配も珍しくない地方組織/募金責めの一般党員/政党助成金を受け取れば楽になる/巨額秘書献金の行方/形骸化する「民主集中制」/活動参加率三割の革命政党/組織を蝕む「党勢拡大運動」/「赤旗」が増えれば政権を握れるのか/党内に真の選挙は存在しない/すべての人事はトップが決める/不破氏自身が決めた議長退任
第三章 見えざる党指導部の実態: 不透明な党内序列/物言わぬ幹部たち/大言壮語が飛び交う党大会/建前に過ぎない「自己批判」/自分で質問もつくれない議員たち/宮本顕治という存在/宮本議長引退の真相
第四章 不破議長時代の罪と罰: 不破氏は現代のマルクスか?/拉致問題棚上げを主張した党首討論/不破氏はなぜ拉致問題を見誤ったのか/お蔵入りになった不破質問/自画自賛の「野党外交」/「沈黙の交流」も外交のうち/遠ざかる一方の民主連合政府/無意味な五〇年先の目標
第五章 日本共産党の無謬性を問う: ご都合主義の選挙総括/責任回避のレトリック/疲弊する党員たち/「正しい共産党」など正しくない/迷走する自衛隊政策/田原総一朗氏に突かれた矛盾/皆無の政権担当能力
終 章 立ちはだかる課題: 地に落ちた社会主義/「正義」こそが胡散臭さの根源/共産党の存在意義とは/自戒をこめて

3 101 池上彰「憲法はむずかしくない」(ちくまプリマー新書;2005)感想3+

2014年05月11日 00時57分25秒 | 一日一冊読書開始
5月10日(土):

189ページ  所要時間 2:00     図書館

著者55歳(1950生まれ)。

良い状態の読書ではなかった。なんとか眺め通せたって感じだ。それでも、集団的自衛権を巡る問題が急を告げる現在とよく似た状況にある自衛隊のイラク(サマワ)派遣が話題になった小泉内閣2005年当時の著作であり、著者のわかりやすい解説で憲法を巡る意識が刺激された。まずまず読んだ甲斐はあった。

憲法9条について池上さんの思いも割れているそうだ。もっともなことだと共感できた。

・イラク・サマワで:もし日本の自衛隊が攻撃されたら、オランダ軍が助けてくれます。しかし、オランダ軍が攻撃されても、自衛隊は助けにいけないのです。/もしオランダ軍が攻撃を受けたら、どんなことが起きていたでしょうか。自衛隊を守っているオランダ軍が、自衛隊基地のすぐそばで武装勢力から攻撃を受けた。しかし、自衛隊は宿営地に留まっていて、オランダ軍を助けにいかない。/こんなことが起きたら、日本は世界の笑いものになるでしょう。いや、笑い者ではなく、国際的な信用は一気に失われるでしょう。略。/イラクにいる自衛隊は、二重の危険にさらされているのです。武装勢力から攻撃される危険と、日本の国際的信用を失墜させる危険です。137ページ
 *たとえ国際的信用を失ったとしても、日本は戦後69年間、戦争で外国人を殺していないというより高次の国際的信用を最重要な守るべき規範としたい。戦争容認による<人殺し>は絶対悪だ、と俺は考えている。他国からの毀誉褒貶よりも、日本の戦争放棄という信念を国際社会に対して示すことの方をより大切にしていきたい、と俺は考えている。

・私個人としては、憲法第九条を変えて、自衛隊を軍隊として認めるという考え方には、それなりの合理性があるようにも思えます。憲法第九条の第一項の「戦争放棄」はそのままにして、「戦力を保持しない」という第二項だけを削除するという方法です。これにより、自衛隊の存在は憲法に違反しなくなります。守れる憲法に変えた上で、その憲法は何が何でも守り抜かなければいけない、ということです。今度こそしっかり守る。略。/しかし、子どもの頃から憲法第九条の大切さを教えられ、勉強してきた人間としては、「憲法第九条改正」には、感情的に大変な抵抗があります。私の頭の中のもうひとりが、「とんでもないことだ」と怒っています。略。戦争の悲惨さを知らないままで勇ましい発言をする政治家が増えてくることは、とても不安だ。憲法第九条の第二項を削除すると、自衛隊は、世界各地でアメリカ軍と行動を共にすることになるのではないか。それはとても危険なことだ。略/私は、この「二人の私」の間で悩んでいるのです。158ページ
 *俺としては、戦後69年間、戦争で、日本人が一人の外国人も殺していないし、一人の日本人も外国軍から殺されていないという事実だけは、俺自身の生命を賭けてでも守りたい。そのためには、現行の憲法第九条が、巨大化した自衛隊の存在と矛盾する現実を自覚してはいるが、戦争容認による<人殺し>を「絶対悪」として、憲法が抱えている矛盾を俺が力尽きる限界まで維持して守っていきたいという気持ちが強い。

目次:はじめに
第1章 憲法があって初めて国家がある(政府がなくなると混乱が起きる/まずは「とりあえずの政府」から ほか)
第2章 日本国憲法はこうして生まれた(戦争に負けて憲法を改正することになった/日本案は明治憲法と大して変化がなかった ほか)
第3章 日本国憲法を読んでみよう(戦争への反省から始まった/明治憲法とはどんなものだったのか ほか)
第4章 第九条が常に争点になってきた(「兵隊も軍艦も持たない」と言ったはず/憲法を作る途中で修正が入った ほか)
第5章 憲法は変えるべきなのか?(自衛隊はイラクへ行ったけど/自民党は憲法改正案をまとめた ほか)
おわりに

主要参考文献の冒頭に、芦部信喜/高橋和之補訂『憲法 第三版』(岩波書店;2002)が出ていた。どうやらスタンダードらしい。アマゾンで、中古の『第四版』(2007)を注文した。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)