もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

140928 池澤夏樹さんによる白井聡『永続敗戦論』(太田出版)の書評を転載します。

2014年09月29日 00時43分38秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
9月28日(日):

ブログ「さぶろうの WORDS OF LOVE」様で、池澤夏樹さんによる白井聡『永続敗戦論』(太田出版)の書評を発見し、転載させて頂きます。

池澤夏樹 「戦後」の実態を明確に解析  (『週刊文春』2013年7月18日号)

何かおかしい、ということがいくつも重なる。一言で言えば筋の通らないことが多すぎる。

なぜ福島県をボロボロにした東電がああまで居丈高なのか?なぜオスプレイは勝手放題に飛んでいるのか?なぜ自民党が選挙で圧勝するのか?

どれにも明快な答えが見つからない。それはたぶん我々が時代から充分に距離を取っていないからだ。ぼくなど「戦後」を六十数年も生きてきたから、すべての問題は間近すぎて客観視できない。紋切り型の対応しかしていないと自分でも焦っているのだが。

もっとカメラを引いて視野を広くし、見逃していたものを取り込まなければならない。例えば白井聡の『永続敗戦論――戦後日本の核心』を読むとかして。

戦後という時代の実態が何だったか、これほど明確に解析した本はなかった。読んでいて慄然とするほど。

我々は「敗戦」という事実をスルーしてきた。「終戦」と言い換えて見ないようにしてきた。そこまではぼくも考えていた。しかし、日本が民主主義国でいられたのは朝鮮半島の共産化が38度線で食い止められたからだとは気づかなかった。

日本は戦後すぐに民主化されて選挙で成立した政権がことを仕切ってきた。しかし韓国と台湾ではずっと軍事独裁政権が続いた。理由は簡単で、ソ連との対決の前線である両国にアメリカは民主主義を許さなかったから。戦争をするには民主主義は邪魔になる。

国家とは巨大な利益追求組織であり、そこに倫理を求めるのは筋違いだ。それなのに日本はこの数十年間、敢えてアメリカは善であるという妄想の上に立って国を運営してきた。

この状態を白井は「永続敗戦」と呼ぶ。

それが今、破綻しかけている。アメリカにはひたすら追従、近隣三国には強硬姿勢という構図が崩れようとしている。頼むアメリカにはもう頼れない。頼んだのが間違いだった。

具体的には、「米国に対しては敗戦によって成立した従属構造を際限なく認めることによりそれを永続化させる一方で、その代償行為として中国をはじめとするアジアに対しては敗北の事実を絶対に認めようとしない。このような『敗北の否認』を持続させるためには、ますます米国に臣従しなければならない。隷従が否認を支え、否認が隷従の代償となる」

ここまでならば白井が言うのは若い論客の卓見に過ぎないかもしれない。しかし彼はこの「永続敗戦」の仮説を昨今の三つの領土問題に応用してみせる。外交文書を精緻に読んで関係各国の言い分を客観的に精査すれば、日本がそうそう強気なことを言えないのが明らかになる。

うちには強いお兄ちゃんがいるんだぞ、と言って振り向くとそこにお兄ちゃんはいない。アメリカは尖閣諸島に属する久場島と大正島を射爆場として実効支配しているのに、尖閣諸島の帰属問題については「中立の立場」と言っている。

それでは筋が通らないというのはこちらの勝手な思いであって、利を考えればアメリカの選択は当然。些細なきっかけから尖閣で軍事衝突が起きたとしてもアメリカ軍は出動してくれない。オスプレイは来ない。日米安保は基本的に不平等なのであり、それは日本が敗戦国だったから、今もなお敗戦国であるからだ。

多くの謎があきらかになる。日米地位協定の改革一つアメリカに申し出ることもできないのに「主権回復の日」を祝う理由、この国の指導者が誰も失敗の責任を取らない理由、右翼が親米である理由……。

なぜこの欺瞞の体系がかくも長きに亘って存続してきたか?経済の繁栄があったからだ。「平和と繁栄」はセットだった。二つはただ並置されているのではなく本質において結びついている。そして今、繁栄が失われようとしている。となると平和も危ない。

白井は現実を見ないままスローガンを繰り返す平和主義者に対しても厳しい。「唯一の被爆国である日本は……」という言葉のあとになぜ自動的に「いかなるかたちでも絶対に核兵器に関わらない」が続くのか。もう一つの選択肢、「二度と再び他国から核攻撃されないよう進んで核武装する」という方を熟考して捨てた上での前者でなければ意味がないのだ。しかし後者はアメリカが許すはずがない……で済ませてしまうのが「永続敗戦」思考なのだろう。

昭和二十年、天皇をはじめとする日本の指導者は革命を嫌って敗戦を選んだ。それが今も続いている。

この現実を認めない無責任は国家という概念を軽くする。原発の事故で犠牲を覚悟の措置が必要になった時、国民がテロリストに人質として拘束されて国家が脅迫された時、前線に立つ者の生命に対抗するだけの重さを日本という国家は持っていない。寺山修司が「……身捨つるほどの祖国はありや」と言ったのはこのことだ。

この本を土台にこれから多くの議論が構築されるだろう。   


4 003 白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」(太田出版;2013) 感想5⇒特5

2014年09月27日 21時47分08秒 | 一日一冊読書開始
9月27日(土):

最近、体力、気力、特に視力の衰えが目立ってきた。読書の根気が維持できない。立て直さないといけないとは思うが、体がしんどいのとかすみ目でまったく捗らない。

221ページ  所要時間 5:45    図書館
( 9/25木、72ページ  所要時間 1:20 / 9/26金、22ページ  所要時間 0:40 / 9/27土、127ページ  所要時間 3:45 )

著者36歳(1977生まれ)。社会学博士。文化学園大学助教。2015年度から京都精華大学人文学部教員(教授?)就任予定。

あとがきで著者が「本書は、これまで何度も指摘されてきた、対内的にも対外的にも戦争責任を極めて不十分にしか問うていないという戦後日本の問題を改めて指摘したにすぎない。いま必要なことは議論の目新しさではない、「真っ当な声」を一人でも多くの人が挙げなければならない、という思いに駆られて私は本書の執筆に取り組んだ。201ページ」と書いているとおり、当り前のことが書かれている。

しかし、それは現在の世間の常識ではない。1990年代までは、ふつうに耳にできた正統な議論であったが、すでに耳にしなくなって久しい「真っ当な声」だ。そのため、ページを繰るごとに妙に新鮮で「やっぱりそう考える方が当り前なんだよなあ」と安心させてくれる内容だった。

昔、独ヴァイツゼッカー大統領の『荒れ野の40年』演説(1985) を読んだ時の感動をもう一度取り戻さねばならない! あの頃、「歴史は、逃げれば逃げるほど追いかけてくる」というユダヤのことわざがあったことも思い出した。

マスゴミ全体が、安倍自民の反知性主義の軍門に下り、批判能力を失いつつある。数日前7時のNHK全国ニュースが、放送時間の半分をつかって拉致被害者横田めぐみさんの同級生(50歳近いおっさん・おばはんたち)のへたくそな「翼をください」合唱を延々と流し続けるのをあっけにとられて見ながら、「もっと他に大事なニュースがたくさんあるだろう!」と強い怒りを覚えたのを思い出していた。NHKも終わっている。

いまの日本は間違いなく異常だ。デング熱やセアカゴケグモと猟奇殺人事件の“(まだ)容疑者”の身辺情報ばかり流して、本当に大切なことを報じるのを忌避している。

本書は、敗戦を認めることから逃げまわって卑屈なまでの従米と表裏対をなす中国、韓国・北朝鮮への過剰な対抗意識によってアジアで孤立を深め、なおさらアメリカへの屈従を深める。敗戦の事実から逃げれば逃げるほど見苦しく醜くくなることに気付かないでいる戦後日本の状況を<永続敗戦(状態)>と論じる内容である。

読んでいくと、毎日接するマスゴミ報道の言説に対するウンザリ感をしっかりと共有しつつ、本来あるべき正しい認識の原点をきちんと整理し、急速におかしくなっていく日本、特に反知性主義の安倍自民党政権と民主党・維新などのまちがいを指摘してくれる。「やっぱり俺の感じ方、考え方でいいんだよな…!」と安堵させてくれる。

「王様は裸だ!」と、知的本音の暴露によって溜飲が下がる気分にしてくれる。ちょっとドラマの「リーガル・ハイ」シリーズの快刀乱麻を断つ小気味よい語りを思い出させられた。手元に置いておきたいテキストだと思う。

目次:
第一章 「戦後」の終わり: 第一節 「私らは侮辱のなかに生きている」――ポスト3・11の経験 / 第二節 「戦後」の終わり / 第三節 永続敗戦
第二章 「戦後の終わり」を告げるもの――対外関係の諸問題: 第一節 領土問題の本質 / 第二節 北朝鮮問題に見る永続敗戦
第三章 戦後の「国体」としての永続敗戦: 第一節 アメリカの影 / 第二節 何が勝利してきたのか?
エピローグ――三つの光景

安倍首相の発言の非論理性・無根拠性は、悲惨の一語に尽きる。なぜ憲法第九条が無ければ拉致被害を防ぐことができたと言えるのか、そこには一片の根拠もない。現に、中国や韓国は「平和憲法」を持っていないが(韓国に至っては戦争状態にありながら)、拉致被害の発生を防ぐことはできなかった。この発言の無根拠性を自ら意識していないのだとすれば、首相の知性は重大な欠陥を抱えていると判断するほかない。逆にそれを承知でこうした発言を行っているのだとすれば、首相の「拉致問題解決への意欲」と評されてきた姿勢の本質は、被害者の救済を目指すものではなくこの問題の政治利用にこそある、とみなさざるを得ない。言うまでもなく、こうした姿勢は、拉致被害者とその関係者に対する侮辱にほかならない。そして、その「政治利用」の意図は、平和憲法の改訂によって敗戦のトラウマを払拭すること、言い換えれば、「敗戦の否認」をやり遂げることである。これが実現されるとき、「戦後」は「清算」されると同時に「完成」する。/かくして、安倍のような政治家にとって、北朝鮮による拉致事件は、、永続敗戦レジームを持続・強化するための格好のネタとして取り扱われている。この事件は、その衝撃の強さゆえに「戦後の終りの始まり」を、その強烈な両義性とともに到来させた。118ページ

・「両義的な歴史的時点」とは、略、一方で、潜在的な戦争の露呈によって、「戦後」は確かに終わった。ところが他方で、「戦後」を事実上終わらせることにおいて、「戦後」の本質が継続されることを最も強く願い、またそれを体現する人物・勢力が相も変わらず権力の枢要に位置しているのである。「戦後」は実質的に終わりながら、それはさらに際限なく永続しようとしている。しかしながら、「戦後の終わり」は疑いなくすでに始まっている。それはとどめようのない歴史の流れである。してみれば、問題は、われわれが主体的にそれを終わらせるのか、それとも外からの力によって「強制終了」させられるのか、ということにほかならない。119ページ

140522 チェーン・メール希望!大飯原発差止「控訴審」に勝つため、福井地裁判決文を広めましょうm(_ _)m

2014年09月25日 00時53分21秒 | 考える資料
   5月23日<日刊ゲンダイ>:日刊ゲンダイさんは、いい記事を載せてくれる!

5月22日(木):         2014年05月22日 19時09分21秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

今朝の朝日新聞一面に「生存の権利と電気代 並べて議論できぬ」の見出しに驚き、昨日の大飯原発運転差止の福井地裁判決の記事と判決要旨を熟読した。原発再稼働を巡るニュース・報道に対してこれまでずっとわだかまっていた理不尽さに対する違和感を「やっぱりそうだよね」とすべてぬぐい去ってくれる内容の判決だった。「コスト論より<人格権>優先」という根っこの理念が非常にしっかりしているので、非常に格調高く、納得し腑に落ちる内容だった。「理の当然を、理の当然とできなかった」社会を明確に目覚めさせてくれる「コモンセンス(常識)」の内容だった。この福井地裁判決の内容を、本当に<常識>として社会で定着させることができれば、遅ればせながらだが、東日本大震災と福島原発事故の教訓に学び、よりよい社会の実現に向けて日本を立て直すことができるはずだ。ちなみに、2011.3.11震災・原発事故後、大飯原発3・4号機を再稼働したのは、「大きな音だね」の民主党野田汚物である。

「大飯原発3,4号機運転差止請求事件」に対する福井地裁の判決内容が<社会全体の常識>となるように「判決要旨」を<チェーン・メール>にして広げることで、関西電力、高裁、政府に圧力をかけましょうm(_ _)m。


大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨

主文

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

1 はじめに

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断することはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1)  原子力発電所に求められるべき安全性

 1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

 新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係

 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

4 原子力発電所の特性

 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

 したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある

5 冷却機能の維持にっいて

(1) 1260ガルを超える地震について

 原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

 しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、①我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、②岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、③この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、④この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

 被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

 しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

 深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

 また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

 第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

 第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

 第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

 第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

 第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

 第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

 弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

 このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、①主蒸気逃がし弁による熱放出、②充てん系によるほう酸の添加、③余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手段にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

 原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

 被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である

ア 冷却水喪失事故について

 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に囲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない

8 原告らのその余の主張について

 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明彦

    裁判官 三宅由子


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2014年09月17日 23時21分50秒 | 閲覧数 記録
9月16日(水):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1074日。

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4 002 金谷俊一郎「金谷の日本史 近現代史」(東進ブックス;2000)感想3

2014年09月17日 00時33分31秒 | 一日一冊読書開始
9月16日(火): 副題=「なぜ」と「流れ」がわかる本

201ページ  所要時間 2:20    借り物

著者32歳(1967生まれ)。東進ハイスクール・東進衛星予備校日本史講師。

2014年2月で第29版。相当売れてる。詳しさを追求するのではなく、如何に簡単かつ印象的に歴史の梗概を記述するかを追求した参考書。まず、大きな流れを頭に入れてから、詳しい内容を今後入れていくための準備・地ならしの先行学習のための本である。

しかし、このシリーズは、他に「原始・古代」、「中世・近世」、「文化史」がある。合計すれば、4冊で800ページになる。日本史の受験勉強の準備・地ならしの先行学習に800ページ、さらに400ページの超詳細な教科書と分厚い図説を使いこなし、分厚く難解な問題集と赤本を解くのか…? タカが日本史、されど日本史。今の高校生は、大変だな…。

本書の内容は、正直とるに足らない。強いて言えば、詳細に丁寧に説明するのも大変だが、膨大な歴史のあらましを簡単印象的な記述に書きかえるのも大変だよと思い知らせることかもしれない。しかし、本書の随所に「ホンマかいな、そんな説明、解釈をしてええんかいな。やっぱりそらちゃうで!」とちゃちゃを入れたくなるところがあった。しかし、

【歴史を見る眼】:
景気が悪いと人々は,「政治が悪い」と思います。
逆に景気がよければ,「政治がよいから」と思う人はあまりいないにせよ,少なくとも「政治はまちがっていない」と思うようです。

金融恐慌の後に出された銀行法と,昭和恐慌のときに出された重要産業統制法によって,財閥が日本の経済界をいわば独占するということは,現在の歴史学においては通説となっています。そのとき,国民は戦争に突入する危険性を察知しなかったのでしょうか。実際,その危険性を察知していた人たちは少数派と言えるでしょう。
なぜか。それは,当時の日本は空前の好景気だったからです。日本がファシズムに進む大きなきっかけとなった五・一五事件や国際連盟の脱退などの事件の直後には,決まって景気が上向きになるのです。それで,人々の政治を見る目が甘くなってしまったようなのです。166ページ


上記の記述は、今から14年前に書かれた内容としては、アベノミクスの見せ金に踊らされて、世襲の愚か者に高支持率を与えている今の浅ましい日本の状況を恐ろしいほどに言い当てている予言的言説として感動を覚えた。この一節に触れただけで、一読の価値はあった。

最後に、今の安倍晋三愚か者が、日本国民・市民を心の底から軽んじて馬鹿にしていること、我々が本当に軽んじられ馬鹿にされていることがふつふつと思い知らされる気分になった。くそったれ!

140912 一年前:130908 東京五輪決定。勉強になった。自縄自縛、錦の御旗ができた。日本の終りの始まり。

2014年09月12日 22時48分48秒 | 一年前
9月12日(金):

なんだかなあ…、全然いいことが無いよなあ…。

この国のコモンセンス(常識)は、一体全体どうなってしまってるんだろう。マスコミはほぼ死滅しつつある。戦前の<マスコミの戦争協力>という今まで単に観念的な知識だったことが、妙に生々しく現実味をもって感じられる。

我々は、こんなにも非力なのか。明らかにおかしいとわかっている政治・経済状況をどうして手も足も出せないで見過ごさざるを得ないのか。完全に政府広報化した読売新聞、産経新聞をはじめ、週刊ポスト、週刊現代、週刊新潮、週刊文春、さらに読売・フジTVで安倍晋三まで出演して、はしゃぎまわって朝日新聞を血祭りに上げ、潰しにかかっている。本当に稚拙極まる風景だ。為政者の知的レベルが低いと社会全体がこんなに冷たく荒んでしまうことを思い知る日々だ。盲導犬や弱い十代の全盲女性に危害を加える弱者いじめの常態化。

この国は、本当に醜くなり果てた。

朝日新聞の誤報が、国益を傷つけたって? 「国益」ってなんだ? どうも「国家益」の意味のようだが、それって「国民・住民益」じゃない。誰の幸福に資する利益だ? 少なくとも俺のような庶民は、この「国益」には与かれないし、同化もできない。俺には向いていない「国益」って、結局世の中のごく一部の連中の「利益」のことのようだ。

朝日新聞の誤報道を「国益」を傷つけたと批判する連中を見ていると「無責任に尻馬に乗る」という言葉が浮かぶ。それならなぜ、自民党の総務大臣と政調会長と世襲参議院議員の西田昌司カスが、極右団体「国家社会主義日本労働者党」という日本版ナチス信奉者と写っている写真が、国際的に日本の信用をがた落ちにして「国益」を明確に傷つけていることをどうして大々的に報道しないのだろう。櫻井よし子、どうだよ。辛坊次郎どうだよ。その他有象無象のちょうちん評論家さんたち、どうだよ。

長く生きてきて、これほど善悪の価値が逆立ちをして倒錯状態になった時代を生きるのは初めてだ。

130908 東京五輪決定。勉強になった。自縄自縛、錦の御旗・大義名分ができた。日本の終りの始まり。
9月8日(日):今朝未明5:00頃、2020年東京五輪が決定した。国際社会の論理・コモンセンスが一瞬分からなくなった。理由は、IOCの良識を信じていたからだ。過去の侵略戦争・植...

4 001 大岡昇平「レイテ戦記(中)」(中公文庫;1971) 感想5

2014年09月11日 00時59分52秒 | 一日一冊読書開始
9月10日(水): ※グーグル・マップでレイテ島やフィリピン諸島を見比べながら、読んだ。
           便利な時代になったものである。

474ページ  所要時間 9:45   アマゾン302円(45円+送料257円)
内訳:
8/31日 181ぺージ  所要時間 3:30 
9/7日  192ページ  所要時間 3:40
9/9火  37ページ  所要時間 1:05
9/10水  61ページ  所要時間 1:30 ※仕事で忙しく、疲れていて、しんどい読書だった。

著者62歳(1909~1988;79歳)。昭和19(1944)年3月召集の後、フィリピン、ミンドロ島に派遣され、昭和20(1945)年1月米軍の俘虜となり、12月復員。

やっぱりバラバラに読むのはよくない。特に本書の場合はそうだ。それなりに時間をかけて読んだが、細かい場面展開の理解には苦しんだ。というか、あまり個々の作戦の状況や全体の構造が頭で形を結ばなかった。時間をかければ可能かと言えば、「研究者として、ノートでもとって月日をかけて詳細に分析するのならともかく、そこまでの熱意も根気もとても持てない」と言うしかない。

しかし、逆に、数か月の短期戦の負けいくさの過程だとわりきれば、リモン峠の日米の戦闘が激化しつつ、膠着化して、作戦計画の中心から外れて無意味な死闘が続く。一方、脊梁山脈を超えてブラウエンの米軍飛行場への攻撃と、南方のアブヨグ・バイバイ方面からの北上攻撃から日本軍の補給・兵站根拠地のレイテ島西部のオルモックを防衛するためのダムラアンの戦闘に、全戦局の中心が移っていく。

やがて海上権、航空権を完全に喪失した日本軍に対して12月7日アメリカ本隊の海上オルモック湾からの上陸作戦が敢行される。数日後、レイテ島日本軍の総司令部のある根拠地オルモックが陥落する。そして未来の無い悲惨な抵抗を続けていた日本軍が四分五裂して壊滅、組織的戦闘がまさに終わる。といったところで中巻の終りを迎える。

だからと言って、何の意味があるのか。肝心なのは、著者が一行一行に精魂こめて書いた論評、挙げられた戦死者・生き残り者の名前、そして何よりも名前も記されずに、45人が死んだ、250人の日本兵の死体が確認された、などと無数に記された死者の数とその地名・日時こそが大事なのだ。まさに、この大きな島の各地で斃死した無数の日本兵の、一人一人のそれぞれの異なる死の数々を頭にイメージすることこそが大切なのだと思う。

とにかく名も分からないたくさんの日本兵たちの死を著者は克明に日時と場所を特定していく。一行一行が、著者の精魂込めて刻み込んだ墓碑銘のような作品なのだ。熱帯の異国の地で斃死・朽ち果てて白骨化した兵士たちへの墓碑銘のような一行一行を流し読み、飛ばし読みをする俺は何をしてるんだろうと思う。しかし、そうでもしなければ、この本を俺は読めないのだ。

本書は、戦記物の記録文学の白眉かもしれないが、物語り性はほとんどない。わずか数カ月の局地戦の敗戦をひたすら、その愚劣と膨大な虚しい死を克明に記録することを通して、読者は、当時、アジア・太平洋全域で同様の戦場が無数に存在していたことを連想させられる。

本書は、局地戦を克明に描き出すことによって、当時すべての戦場であったであろう日本兵すべてが置かれていた戦場の愚劣と斃死という虚しい死への想像力を喚起する。ある意味で、沖縄の「平和の礎(いしじ)」と同じ役割を果たす書なのだと思う。

つまり、本書を一度だけ読んで「なかなか細部の理解まで出来ない」と言って嘆くのは筋違いであって、わかろうとわかるまいと、毎年夏に、あるいは数年毎に読み返して戦死した兵士たち、若者たちの死を思い出すための「平和の礎(いしじ)」「墓碑銘」のような書なのかもしれない。我々は、本書を死んでいった兵士への「墓参り」をするような気分で、繰り返し手にすべきなのかもしれない。

本書は、そういう本なのかもしれない。と、思ったのである。

140906 批判覚悟! 安部改造内閣の出身大学に思う。低学歴で、頭悪過ぎないか?

2014年09月06日 12時38分18秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
9月6日(土): 下世話で申し訳ないが…。

19閣僚の内訳、東大2人、京大1人、早大3人、慶大3人、その他国立大2人(東農工大、神戸大)、その他私大8人(中央、学習院、法政、聖心、青学、日本、国際基督、成蹊、)である。これは、閣僚・大臣の出身大学として、ちょっと…、寂し過ぎないか?

菅のような苦労人もいるが、多くは何らかの世襲の恵まれた環境の出身者だろう。十二分な勉強の環境を与えられた上で、この程度の学歴(=学力)ってよほど勉強嫌いの低学力だろう。本当に不安になる。その典型が、安倍晋三である。

批判覚悟で言うが、問題なのは、彼らが手足として使わねばならない霞が関の官僚のトップの連中の多くは、東大・京大以上の出身で、かつ各分野の専門家集団である。鉢植えのように、当座の閣僚席に座っただけのこの連中が、霞が関のトップ集団にリーダーシップを発揮できるとは、どうにも思えない。

むしろ、一年前後の任期を大過なく済ませて、履歴に箔をつけるのが精一杯だろう。そのためには、各省庁トップの次官らのロボットになるのが一番確実だ。国民には、格好をつけさせてもらって、裏では霞が関の言いなりになるのが関の山だ。

すべては首相が、成蹊大という低学歴だからだ。自分の低レベルの頭で理解できるお友達しか近づけないのだから、内閣の学歴が低くなるのも仕方がない。

※安倍晋三政権の言動に対して、平田オリザがライターを務めた「いのちを守りたい」をキーワードとする「120929② 懐かしき鳩山総理大臣「施政方針演説」(2010年1月29日)」(約50分間;ぜひ読んでみて下さい!)を比較すれば、その知的レベルの落差に愕然とする。「鳩山政権は、政策を実現できなかったではないか!」などという陳腐な批判はナンセンスであり、どうでもよい! 鳩山政権の中に含まれる弱者への優しい眼差しと平和への意志の格調の高さをこそ大切にしたい。今後、自民党の新自由主義に対する<リベラル対抗軸のモデル>は、この中にすべて含まれていると確信する。

 鳩山由紀夫内閣の18閣僚の内訳、東大8人、京大2人、東工大1人、早大2人、慶応2人、中央大2人、神戸大1人である。安倍内閣と出身大学のレベルの差は明白だ。この学歴(=知力)の差こそが、まさに安倍晋三内閣の<反知性主義>の原因なのだろう。安倍内閣の閣僚は、どうしようもなく知性・学力が低いし、知性・学力を軽視し、反感すら持ってしまっているのだ国民よりも馬鹿な鉢植えの閣僚に何を期待できるというのか。俺には全く分からない。

140905 大本営発表読売よ、朝日のネガティブ・チラシを止めろ。恥を知れ! 金田一秀穂の安倍晋三論が良い。

2014年09月05日 21時49分52秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
9月5日(金):

 今日仕事から帰ると、玄関に朝日新聞の「従軍慰安婦記事訂正問題」攻撃のビラが投げ入れられていた。読売新聞による朝日新聞攻撃のチラシだった。朝日新聞購読者の俺に、読売新聞に乗り換えろというチラシだ。カチンときたので、一筆だけ書く。
 特定秘密保護法案大賛成、原発推進再稼働大賛成、消費増税10%大賛成、世襲安倍晋三愚か者政権大礼讃、<政財界の犬>として政府の発表を大本営発表よろしく一方的に読者に垂れ流すだけで飽き足らず、世論操作まで行って、読者の知性と批判精神を舐め切っているこの<愚民新聞>をどうしてカネを払って読まねばならないのか。朝日新聞を、100%支持する気も、擁護する気も全くないが、朝日は間違いも犯すが、<社会の木鐸>としての役割意識が少しは残っている読売のような<政府広報新聞>にカネを払って読むのは、「市民新聞」にカネを払って読むのと同じだ。そんな暇も金も無いぞ、俺は愚民ではない。馬鹿野郎!

以下の「金田一秀穂さんの安倍晋三論」は、わかりやすい。そろそろ安倍晋三という愚者の論評よりも、どうしたら自民党政権を早期に倒すことができるかを考えるべき段階だなと思う。

「(耕論)風向きは変わったか 金田一秀穂さん、守和彦さん、小林よしのりさん」朝日デジタル 2014年9月4日05時00分

 安倍晋三首相が内閣を改造した。高支持率に支えられた1年8カ月。首相の言葉、地方の経済、社会を取り巻く空気、そして風向きがどう変わったのかを考えた。

 ■言葉の力、信じない首相 金田一秀穂さん(杏林大学教授)

 安倍晋三さんの言葉で面白いもの、印象に残るものってほとんどないですね。
 「質問に答えない」と批判されるけど、国会答弁や記者会見を見ていると、ごまかしや言い逃れという感じでもない。ずっとすれ違ったままでかまわないと思ってるんじゃないか。言葉で人を説得しよう、動かそうという気がないみたいに見える。
 言葉には、描写の言葉と行為の言葉があります。「椅子に座る」は描写の言葉です。でも、「椅子に座ってください」とか「ありがとう」と言うのは、それ自体が行為ですよね。
 政治の言葉は、約束するとか、宣言するとか、基本的には行為としての言語です。でも安倍さんは、言葉は「飾り」のようなもので、行為は別にやればいいと思ってるんじゃないか。
 政治家は、言葉それ自体が行為だと自覚しなくてはいけません。吉田茂や佐藤栄作はそこがわかっていた。安倍さんの祖父・岸信介は「私には声なき声が聞こえる」と言って、安保改定を強行した。善しあしは別として、言葉に重さがありました。
 でも、今の政治家は言葉が軽い。小泉純一郎さんあたりから、白か黒かのデジタル的で単純な言葉が増えました。わかりやすいことはわかりやすいけれど、薄くペンキを塗るような言葉づかいになってきている。
 安倍さんも勇ましい言葉は多い。「まさに」という言葉をよく使うんですね。スパッ、スパッと言い切っていく。深く考えてないから言い切れるんです。考えている人間は、なかなか言い切れないですよ。
 その割に失言が目立たないのは、やっぱり言葉が軽いからです。「国民の命を守る」「日本を取り戻す」とか言っておけば文句が出ない。集団的自衛権も「おじいさんやおばあさん、子どもたちが乗る米国の船をいま私たちは守ることができない」といった薄っぺらな言葉で語られる。つるつるした言葉しか使わないから、非難されにくい。
 政治だけでなく、社会全体が耳に快い言葉しか受け付けなくなってしまった。反感を買うような「強い言葉」は排除されて、誰も傷つけない言葉が受け入れられる。だから安倍さんに人気があるのかもしれません。
 昔のように政治が小難しい言葉で語られ、政治家が強い言葉で人々を熱狂させるのもどうかとは思いますけど、ふわふわした言葉ばかりになるのもすごく危なっかしい。誰も反対できない言葉だけを言っていればいいという雰囲気になると、何かあれば一気に流されてしまう。
 安倍さんは言葉に鈍感すぎる。
広島と長崎の原爆式典のあいさつが昨年と同じコピペではないかと指摘されたのがいい例で、さすがにみんな気づいてきたんじゃないか。結局、あの人は言葉の力を信じていないんですね。(聞き手・尾沢智史)
     *
 きんだいちひでほ 53年生まれ。専門は日本語学。「金田一家、日本語百年のひみつ」など著書多数。海外での日本語教育の経験も豊富。言語学者の金田一京助氏は祖父、春彦氏は父。


※こんな記事を<阿修羅サイト>で見つけた。まあ、わかっている人はみんなわかってるということだ! あとはいつその大きな堰が切れる時が訪れるかということだろう。今、読売新聞は、旗幟を鮮明にするのはいいが、新自由主義の安倍自民党政権側について国民・読者を欺く悪徳をどんどん積み上げて将来の大崩壊に向かっているということだろう。読売新聞大崩壊のカタストロフィーは確実に近づいている。<社会の木鐸>という本分を忘れ果てて、朝日・毎日と読売の逆転という第二の代々木ゼミナールになるのかもしれない。

「安倍内閣支持者だけが残ると計算上讀賣新聞は60%の読者を失うことになります:内田樹氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/15160.html 2014/9/5 晴耕雨読
https://twitter.com/levinassien
> 読売新聞が急速に発行部数を減少させている。消費税増税の影響を直接受けている, 2013年10月 9,882,625 11月 10,007,440 しかし、2014年7月 9,248,446
讀賣新聞の部数は昨年の11月の10,007,440部から今年7月の 9,248,446部まで76万部減少しました。
半年で52万部減で、さらにそれから2ヶ月で24万部減。
月8万部ペースでの減少です。
この勢いはどこで止るのでしょうか。
総選挙がないので、有権者の政権批判は「政権を無条件支持する新聞を取るのをやめる」という迂回的なかたちをとるしかないということなのかも知れません。
安倍内閣支持者だけが残ると計算上讀賣新聞は60%の読者を失うことになります。
そこまではゆかないでしょうけれど。
たぶん社内的には「このままではどこまで減るかわからない」という悲鳴が上がっているのでしょうけど。
問題は讀賣新聞自身が「部数激減」を記事にして、なぜそのような事態が起きたのかについてきちんとした自己分析を加えているかどうかです。
それが新聞の最後の批評性の「砦」だと思いますけれど。

140905 9月3日(水)の閲覧数1404 PV/訪問者数842 IP  もはや感謝しかございません。恐惶頓首頓首謹言。

2014年09月05日 20時56分52秒 | 閲覧数 記録
9月5日(金):

昨夜、パソコンを開かず、今ブログを開いて吃驚仰天しました!
9月3日(水)の閲覧数1404 PV /訪問者数842 IP でした。今まで、最高でも700 PV程度でした。正直、ありえないことが昨夜起こっていたんですね…。もはや感謝感謝感謝の一言しかございません。
今後も、無理せず休まず皆様と読書中心の生き方を共有させて頂きたいと考えております。
よろしくお願い申し上げますm(_ _)m。

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2014.09.04(木) 416 PV 128 IP  5631 位 / 2056386ブログ
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140903 3年目【ブログリスト 後半】

2014年09月03日 21時54分00秒 | 書籍&ブログリスト

タイトル 投稿日時 カテゴリー
140903 3年間で合計451冊、ご来訪に深謝致します。冊数はリセット。4年目突入です。恐惶頓首謹言m(_ _)m 2014/9/3 閲覧数 記録
20:51:55
140902 池澤夏樹さんのレジスタンスに賛成! 2014/9/2 徒然
21:42:48
140831 高橋源一郎さん 2014/8/31 徒然
22:45:50
3 130 大岡昇平「レイテ戦記(上)」(中公文庫;1971) 感想5 2014/8/31 一日一冊読書開始
0:40:04
3 129 湯浅誠「ヒーローを待っていても世界は変わらない」(朝日新聞出版;2012) 感想 特5 2014/8/25 一日一冊読書開始
1:19:06
140820 閲覧26万超え:何故、マスコミは、福島の子供を描いたアニメ「Abita(アビタ)」を報道しない!? 2014/8/23 閲覧数 記録
1:19:05
3 128 坂井修一「知っておきたい情報社会の安全知識」(岩波ジュニア新書;2010)感想3 2014/8/23 一日一冊読書開始
0:02:56
140820 一年前:NHKスペシャル「最期の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災~」を観た。落涙、感想5 2014/8/20 日記
23:35:22
140819 一年前:雑感ノート「日本の改憲論の危険性とエジプト・アラブの春の失敗の近似性について」 2014/8/19 日記
20:52:38
3 127 孫崎享(うける)「戦後史の正体1945-2012」(創元社;2012) 感想 特5  久しぶりのすごい本! 2014/8/19 一日一冊読書開始
19:21:41
140816 近代史上最悪の暗愚の宰相安倍晋三の正体。冷酷で浅薄な化け物。自民党は自民党のために存在する。 2014/8/16 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
23:37:14
140816 民主党は分裂しろ。今集団的自衛権に反対しない前原・長島・野田を、立憲主義否定の罪で追放せよ! 2014/8/16 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
17:46:15
3 126 牧野剛「人生を変える大人の読書術」(メディアックス;2009)感想3+ 2014/8/16 一日一冊読書開始
1:53:10
140815 1年前:130809 もはや、ポピュリスト橋下を放置してはおけない! 民主主義の核が傷つき、 2014/8/16 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
1:49:48
3 125 菅原文太と免許皆伝の達人たち「ほとんど人力」(小学館;2013) 感想3+ 2014/8/15 一日一冊読書開始
3:09:48
3 123・3 124 重松清「カシオペアの丘で (上)・(下)」(講談社文庫;2007) 感想4 2014/8/14 一日一冊読書開始
1:04:44
3 122 赤坂真理「愛と暴力の戦後とその後」(講談社現代新書;2014/5月):感想5 2014/8/9 一日一冊読書開始
20:18:04
140809 憲法で保障された「健康で文化的な生活」を解釈変更する違憲政治屋の片山さつきを全面糾弾する! 2014/8/9 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
14:52:44
140805 今の天皇のことを思い、泣きそうになった。朝日新聞夕刊の池澤夏樹【終わりと始まり】 2014/8/5 徒然
20:21:13
140804 江戸城「天守閣再建」に断固反対する。太平の世を築いた江戸幕府の知恵を無にする無粋の極みだ! 2014/8/4 徒然
22:42:01
140802 安倍晋三よ、おまえは一体何をしてるのか? 仮設のお年寄りを泣かせるな!(怒) 2014/8/2 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
20:49:16
140728 閲覧 701 PVで、初めて 700 PV超です! 2014/7/30 閲覧数 記録
0:12:53
3 121 立花隆「読書脳 僕の深読み300冊の記録」(文藝春秋;2013/12月) 感想 特5(少し複雑) 2014/7/27 一日一冊読書開始
2:34:56
140725 NHK「復興・正念場の夏―建設バブルと被災地」感想5。東北の棄民化進む!五輪より復興が先だ! 2014/7/25 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
23:13:11
140721 閲覧25万超え:一年前 ※民主党内の野合継続は戦後史に対する犯罪。前原は100%維新に出ていけ! 2014/7/22 閲覧数 記録
22:26:45
3 120 師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書;2013) 感想4 2014/7/17 一日一冊読書開始
0:32:12
140712 明日は滋賀県知事選。嘉田知事推薦候補に一本化をお願いします!自公が勝てば、大飯原発再稼働だ。 2014/7/13 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
1:19:39
140712 安倍政権のNHK乗っ取りは、悪質の極み。まさにファシズムの手口だ。NHKの権力に対する弱さは深刻。 2014/7/13 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
1:02:56
140712 久しぶりにNHK大河「風林火山」総集編(2007;58分×4回)を観た。 感想4 2014/7/13 映画・映像
0:44:16
3 119 佐高信・姜尚中「日本論 増補版」(角川文庫;2004) 感想5 2014/7/12 一日一冊読書開始
1:19:45
3 118 小林美希「ルポ 産ませない社会」(河出書房新社;2013) 感想5 2014/7/10 一日一冊読書開始
22:18:49
140709 ブログ開設から1000日(140704)が経った。知らぬ間に過ぎていた…。毎日忙しいから…。 2014/7/10 閲覧数 記録
1:26:16
140709 東京新聞の解釈改憲に対する抗議自殺未遂の記事。無視するNHKの背信と読売はもはや市民の敵だ。 2014/7/9 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
23:23:14
3 117 池上彰「池上彰のやさしい教養講座」(日本経済新聞出版社;2014/5月) 感想3+ 2014/7/7 一日一冊読書開始
1:10:35
140706 野中広務氏の発言を拝聴・賛同!弱者への限りなく優しい眼差しの政治家。言葉に強い根っこがある! 2014/7/7 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
0:29:16
140706 真理は覆い様もなく露見している。その2。断じて戦争を認めない。安倍自民と公明党は、恥を知れ! 2014/7/6 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
15:30:04
140706 マスコミの地図:140704追加部分を独立。結局、皆政府に及び腰の同じ穴の貉。NHK大越も終った。 2014/7/6 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
10:57:32
140704 高校生のとても良い文章。真理は覆い様もなく露見している。安倍晋三と公明党は、恥を知れ! 2014/7/4 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
21:12:40
140704 一年前:0083 重松清「卒業」(新潮文庫;2004) 感想4+ 2014/7/4 日記
21:11:01
140701 憲法違反の集団的自衛権閣議決定。確認!自民党獲得票数、2012衆院選26%、2013参院選22% 2014/7/1 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
22:29:04
140630 日本のマスコミTV報道はほぼ死んでいる。特にNHKと読売はほぼ大本営発表に堕している。 2014/7/1 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
0:40:32
140629 「たゆたえど沈まず」で生きるのみ :一年前 笑うべし!東京都。 ここは何国、今は何時代、私は誰? 2014/6/29 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
17:17:31
140629 さすが内田樹先生! 抜群の現状分析、引用させて頂きます。 2014/6/29 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
14:38:17
140628 所感 憲法崩壊・滋賀県知事選:<日本の政治構造>前門の橋下徹・前原詐欺師、後門の日本共産党…。 2014/6/28 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
15:19:50
140626 月末の高橋源一郎さんの朝日新聞<論壇時評>はとても良い。 2014/6/26 考える資料
21:41:34
140624 BSで映画「阪急電車 片道15分の奇跡」(2011年)を観た。“佳品“である。感想4 2014/6/25 映画・映像
0:04:30
140624 一年前:0080 重松清「トワイライト」(文芸春秋;2002) 感想5 2014/6/24 一日一冊読書開始
1:13:54
140623 「貧しい家の子は無視」:麻生太郎の酷薄な差別意識は、もはや病気であり、公職に堪えない。 2014/6/23 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
22:59:58
3 116 齊藤貴男「ちゃんとわかる消費税」(河出書房新社;2014) 感想 特5 2014/6/22 一日一冊読書開始
18:41:43
140622 集団的自衛権解釈改憲強行を前に、正しい証言の記憶を残しておく。その2 2014/6/22 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12:18:59
3 115 奥野宣之「読書は1冊のノートにまとめなさい」(Nanaブックス:2008)感想3 2014/6/22 一日一冊読書開始
1:17:07
3 114 黄文雄・石平「中国はもう終わっている」(徳間書店;2013) 感想 1(昨夜の感想2から変更) 2014/6/21 一日一冊読書開始
23:28:00
3 113 若宮啓文「新聞記者 現代史を記録する」(ちくまプリマー新書;2013) 感想3+ 2014/6/21 一日一冊読書開始
12:12:08
140617 閲覧24万超え:一年前 0078 ユン・チアン「ワイルド・スワン 土屋京子訳」(講談社;1993) 特5 2014/6/18 閲覧数 記録
23:12:30
140614 ETV特集「本当は学びたい~貧困と向き合う学習支援の現場から~」 感想5 2014/6/15 映画・映像
2:03:41
3 112 湯浅誠「岩盤を穿つ 活動家湯浅誠の仕事」(文藝春秋;2009) 感想5 2014/6/15 一日一冊読書開始
0:11:39
140614 いやな時代が始まった。それでも絶望はできない。「過ちは二度と繰り返しません」と言い続ける。 2014/6/14 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
15:51:57
3 111 齊藤貴男「「非国民」のすすめ」(筑摩書房;2004) 感想5 2014/6/14 一日一冊読書開始
0:18:14
140522 チェーン・メール希望!大飯原発差止「控訴審」に勝つため、福井地裁判決文を広めましょうm(_ _)m 2014/6/13 考える資料
0:25:36
3 110 中野信夫「軍医殿!腹をやられました インパール作戦ビルマ敗走記」(2014復刊) 感想3+ 2014/6/13 一日一冊読書開始
0:18:11
140612 集団的自衛権解釈改憲強行を前に、正しい証言の記憶を残しておく。本来の良識ある考え方の記録だ。 2014/6/12 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
21:40:30
140610 「王様は頭の悪いガキだ!」の声。「他国に人を殺しに行く」のは絶対ムリ筋!国民の目を恐れよ! 2014/6/10 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
23:14:50
140608 トータル訪問者10万IP超えました。 2014/6/9 閲覧数 記録
20:38:45
3 109 宮崎市定「水滸伝 虚構の中の歴史」(中公新書;1972) 感想3 2014/6/8 一日一冊読書開始
21:51:20
140608 安倍自民に連立解消・解散総選挙の胆力は無い!公明党は集団的自衛権反対をつらぬけ! 2014/6/8 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
15:33:37
3 108 重松清「ゼツメツ少年」(新潮社;2013/2007~09に加筆修正) 感想5 2014/6/8 一日一冊読書開始
2:29:47
140607 一年前:0073 山岡淳一郎「医療のこと、もっと知ってほしい」(岩波ジュニア新書;2009) 感想5 2014/6/7 日記
21:02:06
140607 集団的自衛権行使容認は、<憲法停止状態>を生む。それは国家乗っ取り、クーデターと同じ。 2014/6/7 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
14:01:03
140603 山田洋次監督「学校Ⅲ」(1998;133分)DVDを観た。感想4.良かった。 2014/6/4 映画・映像
0:25:59
3 107 広島大学「大学新入生に薦める新版101冊の本」(岩波書店;2009) 感想4+ 2014/6/1 一日一冊読書開始
17:04:46
140601 斯くある「べき」「はずだ」論の危険性。与野党保守の集団的自衛権解釈改憲は現実が見えていない。 2014/6/1 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11:58:23
140530 つぶやき:気の所為か?国内政治の重大局面になると北朝鮮拉致被害者問題でニュースが独占される。 2014/5/30 徒然
22:38:59
140529 保阪正康氏の傍聴席からのコメント。「自民の先人泣いている」を悲しく読む。 2014/5/30 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
0:12:42
140525 原発反対!生活第一!戦争好きの平和ボケ世襲内閣打倒!で、第三次護憲運動を起こすしかない! 2014/5/25 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
14:31:51
140524 反面教師。敵の思考パターンを知ろう!:読売新聞の痛過ぎる社説を読む。朝日・毎日の社説も併載! 2014/5/24 考える資料
14:53:55
140524 迂闊だった!「美味しんぼ」非難の佐藤雄平・福島県知事は原子力ムラずぶずぶ。県民見殺し…か? 2014/5/24 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
13:28:53
140523 米映画「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年)録画を観た。感想4 2014/5/24 映画・映像
2:05:07
3 106 水木しげる「敗走記」(講談社文庫;1991)感想3+ 2014/5/19 一日一冊読書開始
1:31:49
140518 民主党議員事務所が活動を始めた。解散選挙が近いのか?安倍の解釈改憲は、ムリ筋! 2014/5/18 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
16:02:43
3 105 佐藤優「読書の技法」(東洋経済新報社;2012)感想5 2014/5/18 一日一冊読書開始
2:29:21
140516 一年前:0067 重松清「青い鳥」(新潮社;2007) 感想5 2014/5/16 日記
23:18:02
3 104 野田聖子「生まれた命にありがとう」(新潮社;2011) 感想5 2014/5/16 一日一冊読書開始
0:30:11
3 103 池上彰「池上彰の政治の学校」(朝日新書;2012) 感想5 2014/5/14 一日一冊読書開始
1:43:46
140513 一年前:0066 石川晶康「NEW石川日本史B講義の実教中継⑤文化史」(語学春秋社;2002) 感想3+ 2014/5/14 日記
1:34:41
140512 「美味しんぼ」に対する言論・表現の自由を封殺する空気が恐ろしい。戦前と同じ。窒息しそうだ。 2014/5/13 徒然
1:28:11
3 102 筆坂秀世「日本共産党」(新潮新書;2006)感想4  共産党という<裸の王様>を発見した! 2014/5/11 一日一冊読書開始
17:33:40
3 101 池上彰「憲法はむずかしくない」(ちくまプリマー新書;2005)感想3+ 2014/5/11 一日一冊読書開始
0:57:25
140510 「行使対象国 限定せず」は、国民を愚弄する吹っ掛け商法!安倍極右自民よ、恥を知れ! 2014/5/10 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12:49:48
3 100 田中宏「在日外国人―法の壁、心の溝 第三版」(岩波新書;2013)感想5 テキスト! 2014/5/7 一日一冊読書開始
0:40:55
3 099 池内了「現代科学の歩きかた」(河出書房新社;2013) 感想5 2014/5/6 一日一冊読書開始
1:49:44
140504 閲覧23万超えました。雁屋哲氏を支持!ブログ転載。今の日本は異常!原子力ムラに反対! 2014/5/5 閲覧数 記録
16:49:38
3 098 山本博文「歴史をつかむ技法」(新潮新書;2013) 感想4⇒5 2014/5/5 一日一冊読書開始
16:20:38
140502 高校生に教えられた。戦後民主主義の破壊は、憲法「改正」ではない、憲法「改変」だ! 2014/5/3 <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
0:54:53
3 097 石井光太「世界の美しさをひとつでも多く見つけたい」(ポプラ新書;2013) 感想5 2014/5/1 一日一冊読書開始
1:44:18
3 096 和田竜「村上海賊の娘 下巻」(新潮社;2013) 感想5 2014/4/29 一日一冊読書開始
21:29:14
3 095 ジョージ・オーウェル「一九八四年 (高橋和久訳2009)」(ハヤカワepi文庫;1949) 感想特5 2014/4/27 一日一冊読書開始
22:27:18
140426 山田洋次監督の映画「学校」(1993)を観た。日本が取り戻すべき原点・コモンセンスがある。感想5 2014/4/27 映画・映像
1:41:01
3 094 和田竜「村上海賊の娘 上巻」(新潮社;2013) 感想4 2014/4/26 一日一冊読書開始
21:12:44
140424 昨日23日、NHK大河「太平記(6)」(1991)見終わり、コンプリート! 2014/4/25 映画・映像
0:08:56
3 093 池上彰「〈わかりやすさ〉の勉強法」(講談社現代新書;2010)感想3+ 2014/4/25 一日一冊読書開始
0:02:29
3 092 和田秀樹「定年後の勉強法」(ちくま新書;2012)感想2+ 2014/4/20 一日一冊読書開始
18:07:57
3 091 中上健次「紀州 木の国・根の国物語」(朝日文芸文庫;1978) 感想4⇒5 2014/4/20 一日一冊読書開始
1:54:18
140419 小保方さんをめぐる「STAP細胞」騒動は、「ガリレオ裁判」に似ている。 2014/4/19 徒然
13:04:05
140413 3年目【ブログリスト9/1~ 中間報告】 民主党は分裂しろ!/<原発=満州国>から即時撤退せよ! 2014/4/13 書籍リスト
17:49:45

140903 3年間で合計451冊、ご来訪に深謝致します。冊数はリセット。4年目突入です。恐惶頓首謹言m(_ _)m

2014年09月03日 20時51分55秒 | 閲覧数 記録
9月3日(水): ご挨拶遅れまして申し訳ありません。

2014年8月31日段階(ブログの開設から 1058 日)で、
アクセス: 閲覧 382 PV / 訪問者 76 IP
トータル: 閲覧 264,474 PV/ 訪問者 106,377 IP

ランキング: 日別 10,947 位 / 2054694ブログ

3年前の9月1日に始めた一日一冊読書(ブログ自体は10月9日(日)開始)は、当初の「毎日」一冊の本と付き合うという目標は実現できていませんが、多くの皆さまの訪問が励みとなり、出不精で引き籠りの私の読書生活に生き甲斐を与えてくれています。1年目は222冊、2年目は99冊、3年目は130冊で、合計451冊でした。この他にも、カウントしない本も含めれば、3年で500冊程度ってことでしょうか。

現在、少々夏バテが高じて疲れ気味です。ちょうど1年前のブログを見ると、ほぼ同じ様なことを感じていたようでした。長距離走では無理は禁物なので、その記事を掲載させて頂きます。まあ、あまり成長が無いということですが…、おもさげながんす。おゆるしえってくなんせ。

130901 2年間有難うございました。とりあえず再度リセットします。一日一冊、3年目突入です。       2013年09月01日 01時36分35秒 | 閲覧数 記録

9月1日(日):

 2年間本当にお世話になり有難うございました。2年前の今日、一日一冊を目指して始めた試みです(ブログ自体は10月9日(日)開始)が、結局1年目は222冊、2年目は99冊で終わりました。自分としては忙しい仕事の中で善戦したつもりですが、一日一冊はやはり厳しかったです。一方で「一日一冊」と自分に言い聞かせ続けなければ、どんなに時間的余裕があっても読書という行為に結びつかない。「一冊の本に、何日でもかけてよい」というのであれば、この取り組みは続かなかった。

勿論、例外はありますが「どんな本であっても、一日で読む(眺める)」という原則を守ることによる気楽さがあったからこそ、続いたことです。どんなに難解な本や文豪の作品であっても「一日の中に収める。そのためには読むのではなく、眺めることになっても了とする」、「現実には会えない偉い作家、文豪、学者・研究者他関心のある人物に毎日一人ずつ会わせて頂けると考えるだけで贅沢で有難いことだ」という姿勢だからこそ良かった。

 また、読書専門ブログのつもりが、徒然に思う疑問・不安・怒りの吐け口になってしまい、兼好法師の気持ちが少しだけわかる気がしました。言わないでおくと腹ふくるる、物狂おしくなるので書き散らしてしまって申し訳ありません。

 この2年間を振り返って一番記憶に残っているのは、やはり、いっぱしの保守政治家気取りで、国民の中道・リベラル軸結集・定着の期待を理解できず見事に裏切り続けた<野田汚物「僕って偉いでしょ!」オナニー内閣>に対する怒りだった、と思う。期待が大きかっただけに、政治に対してこれほど腹が立ったことは本当にない。大飯原発再稼働、消費増税の食い逃げ、尖閣国有化素人外交、いずれもむかっ腹が立っておさまらない。理屈じゃない! 野田汚物だけは絶対に赦せない! 生理的な嫌悪感だ!

 松下政経塾の民主党は消えてなくなれ!おまえら自民党に合流してしまえ! 志ある中道・リベラル政治家は、護憲(九条堅持)、日米安保堅持、自衛隊賛成、反原発、多文化共生、アジア外交重視、生活・社会保障重視で結集してくれ。選挙の受け皿になる、しっかりした<第三極>を作ってくれ! 護憲(九条堅持)と日米安保堅持の両立が難しいなんて泣きごとは聞きたくない! その矛盾を何とかやり繰りするのが政治家の務めだろう。戦争は最大の基本的人権の侵害である! 自衛隊に他国の人間を殺させない平和国家を維持することが最も大切なことだろう。

 とりあえず、3年目突入です。読書カウントは、0冊にリセットさせて頂きます。

8月31日段階(ブログの開設から 693 日)で、
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※手抜きして、すみませんm(_ _')m。とりあえず、4年目突入です。読書カウントは、0冊にリセットさせて頂きます。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)