もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

140831 高橋源一郎さん:(論壇時評)戦争と慰安婦 想像する、遠く及ばなくとも

2014年08月31日 22時45分50秒 | 考える資料
8月31日(日): ※最近気に行ってます。

(論壇時評)戦争と慰安婦 想像する、遠く及ばなくとも 作家・高橋源一郎       朝日デジタル  2014年8月28日05時00分

 映画「父親たちの星条旗」の冒頭、「ほんとうに戦争を知っているものは、戦争について語らない」という意味合いのことばが流れる〈1〉。深く知っているはずのないことについて、大声でしゃべるものには気をつけたい。これは自戒としていうのだが。
 読売新聞主筆・渡辺恒雄が文芸春秋に書いた文章のタイトルは「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」〈2〉。それは、消えつつある「ほんとうに戦争を知っている」世代から、そうではない世代の指導者への遺言のように、思えた。
 渡辺は、「先の戦争」の責任について語り、その象徴として「靖国問題」を取り上げた。宗教性を持たせぬようにしたため、対立を報じられることの殆(ほとん)どない、他国の追悼施設に対し、特異な宗教的施設である靖国を戦没者の追悼の場所とすることへの強い疑念を表明した渡辺は、さらに、「戦争体験者の最後の世代に属する」ものとして、自分が経験した軍隊生活の悲惨な実態についても語っている。わたしは、渡辺とは多くの点で異なった考えを持つが、戦争を語るときの真摯(しんし)さにはうたれる。彼のことばには、「戦争について語りすぎるもの」への不信が覗(のぞ)くが、その不信は、大きな声ではなく、ただ呟(つぶや)くように、書かれている。
 「先の戦争」が残した、大きな傷痕の一つ「慰安婦問題」に、今月、大きな動きがあった。朝日新聞が、「慰安婦強制連行」の証拠としてきた「吉田清治発言」を「虚偽だと判断し、記事を取り消」すと発表したのだ〈3〉。「強制連行」があったかどうかは、もともと本質的な問題ではなかったはずだ。なのに、この一連の記事によって、いつしかそれは「慰安婦問題」の中心的論点になってしまった。そのことの責を新聞は負わなければならないだろう。だが、わたしが取り上げたいのは、そのことではない。
 たとえば、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は、この問題について、広範で精密な資料を提示する「代表的」な文献とされる〈4〉。けれど、わたしは、この、「正確な事実」に基づいているとする本を読む度に、深い徒労感にとらわれる。
 秦は、慰安婦たちの「身の上話」を「雲をつかむようなものばかり」で、「親族、友人、近所の人など目撃者や関係者の裏付け証言がまったく取れていない」と書いた。慰安婦たちのことばを裏付ける証言をするものなどおらず、彼女たちのことばは信ずるに足りない、と。ほんとうに、そうなのだろうか。

    *
 先の戦争で、数百万の日本人兵士が戦場へ赴いた。その中には、多くの小説家たちがいた。生き残り、帰国した彼らは、戦場で見たものを小説に書き残した。そこには、歴史家の「資料」としてではなく、同じ人間として生きる慰安婦たちの鮮やかな姿も混じっている。
 田村泰次郎は、次々と半ば強制的に様々な部隊の兵士の「慰安」の相手をさせられながら過酷な列車の旅を続けてゆく女たちを描いた「蝗(いなご)」や、全裸で兵士たちと共に行軍を強いられる女の姿を刻みつけた「裸女のいる隊列」を書いた〈5〉。
 強姦(ごうかん)と殺戮(さつりく)が日常である世界を描いた田村と異なり、古山高麗雄(こまお)の作品群には不思議な静けさが漂う。主人公の兵士である「私」は、戦場で自分だけの戒律を作った。「民間人を殺さない」こと、そして「慰安所に行かない」ことだ。それは「私」にとって「正気」でいるために必要な手段だった。そんな「私」は、慰安婦たちに深い同情と共感を覚える。なぜなら、「彼女たちは何千回となく、性交をやらされているわけだ。拉致されて、屈辱的なことをやらされている点では同じだ。(略)私たちが徴兵を拒むことができなかったように、彼女たちも徴用から逃げることはできなかったのだ」〈6〉。
 戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた〈7〉。「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。
 「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。
そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」
    *
 戦後70年近くたち、「先の戦争」の経験者たちの大半が退場して、いま、論議するのは、経験なきものたちばかりだ。
 紙の資料に頼りながら、そこで発される、「単なる売春婦」「殺されたといってもたかだか数千で、大虐殺とはいえない」といった種類のことばに、わたしは強い違和を感じてきた。「資料」の中では単なる数に過ぎないが、一人一人がまったく異なった運命を持った個人である「当事者」が「そこ」にはいたのだ。
 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないのだろうか。性急に結論を出す前に、わたしは目を閉じ、静かに、遥(はる)か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。それが仮に不可能なことだとしても。

    *
 〈1〉映画「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督、2006年)
 〈2〉渡辺恒雄「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」(文芸春秋9月号)
 〈3〉本紙記事「慰安婦問題を考える(上)~『済州島で連行』証言」(8月5日付)
 〈4〉秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(1999年)
 〈5〉田村泰次郎「蝗」「裸女のいる隊列」
 〈6〉古山高麗雄「白い田圃」(70年、『二十三の戦争短編小説』所収)
 〈7〉同「セミの追憶」(93年、同)
    ◇
 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。近刊『還暦からの電脳事始(ことはじめ)』は、デジタル化が進む自身の生活をつづったエッセー集。


※俺は、秦郁彦のような歴史家を歴史家として認めない。

3 130 大岡昇平「レイテ戦記(上)」(中公文庫;1971) 感想5

2014年08月31日 00時40分04秒 | 一日一冊読書開始
8月30日(土):

450ページ  所要時間 6:35+1:30   アマゾン310円

著者62歳(1909~1988;79歳)。昭和19(1944)年3月召集の後、フィリピン、ミンドロ島に派遣され、昭和20(1945)年1月米軍の俘虜となり、12月復員。

「レイテ島の戦い(約2カ月)」は太平洋戦争の“天王山”と言われるそうだ。

目次:1第十六師団/2ゲリラ/3マッカーサー/4海軍/5陸軍/6上陸/7第三十五軍/8抵抗/9海戦/10神風/11カリガラまで/12第一師団/13リモン峠

大分な著作である。まじめに読めば最後まで行けない。1ページ30秒を目指したが、すぐに不可能を悟り、できるだけ「速く読む」を心掛けて取り組んだ。

いつものことだが、本書の場合、特に「縁結び読書」のバランスを意識する必要があった。どんなに眺め読みであっても、よい本は読後、必ず良い何かを残してくれる。本書も、頭に入ってこない部分以外に、随所に考えさせられる箇所があった。付箋でハリネズミのようになった本書を手に、「一読だけで太刀打ちできる本ではない」、「何度も読み返すべき本なのかな」と思った。

「戦記文学」の白眉と聞いていたが、読みだして「ああ、なるほど、こういう書き方か」と思った。即ち、主人公はいない。戦後公開された日本側、アメリカ側の戦記資料を広範に集めて、日米双方の資料内容の矛盾点をあぶり出し、実際はこういうことだったんだろうと真相に迫り再現を試みながら、あちこちで著者の見解・感想を述べている。

日本側を中心にしながら、時にはアメリカ側の資料で拘りなく米軍の目線で記述が進められる。大勢の人の名が出てくるが、その誰もが、取り立てて主人公として書かれるわけではない。あくまでも上空から見下ろす様に、俯瞰的に話が進められている。一方で、司令官よりも兵士の目線が重視されている。

そのせいか、<戦場の悲惨>がたくさん書き込まれているのに、坦々と勤めて冷静な筆致のため、あまり悲惨さを感じない。そして、ふと「人の命が恐ろしく安かった」ことに気がつく。

詳細な地図が巻末や本文中に配されている。また、日本軍、米軍の記述の仕方を変えることによって、複雑な戦況を読み間違えの無いよう工夫されている。しかし、詳細克明な戦場・戦況の推移の記述を一読、しかも速読ですいすい頭に入れるのは無理だった。だからと言って読む速度を減らせば、最後まで行けず、全貌を知ることもできないで終わってしまう。まあ、仕方がない。塩梅が大切ということだ。

上巻は、第十六師団が、レイテ島進出の命を受ける昭和19(1944)年4月5日から、10月20日米軍のレイテ島上陸、10月24日~26日の比島沖海戦(日米海軍の最後の決戦、世界の海戦史上最大のもの)、神風特攻隊の考察などを経て、レイテ島リモン峠をめぐる戦いの11月10日までが記されている。

※中巻、下巻をいつ読むか(読まないか)? 未定である。

・山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである。略。レイテ島を防衛したのは、圧倒的多数の米兵に対して、日露戦争の後、一歩も進歩していなかった日本陸軍の無退却主義、頂上奪取、後方撹乱、斬込みなどの作戦指導の下に戦った、十六師団、二十六師団の兵士たちだ。72ページ

・私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ詳しく書くつもりである。75ミリ野砲の砲声と三八銃の響きを再現したいと思っている。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私にできる唯一つのことだからである。74ページ

・「武蔵」沈没に際して:空から降ってくる人間の四肢、壁に張り付いた肉片、階段から滝のように流れ落ちる血、艦底における出口のない死、などなど、地上戦闘では見られない悲惨な情景が生まれる。海戦は提督や士官の回想録とは違った次元の、残酷な事実に充ちていることを忘れてはならない。「まわりには人影はなかった。僕は血のりに足をとられながら、自分の配置のほうへはうように駆けだした。足の裏のぐにゃりとした感触は、散らばっている肉のかけらだ。甲板だけじゃない。それはまわりの構造物の鉄板にもツブテのようにはりついて、ぽたぽた赤いしたたりをたらしているのだ。めくれあがった甲板のきわに、焼けただれた顔の片がわを、まるで甲板に頬ずりするようにうつむけて、若いへいたいが二人全裸で倒れていた。一人はズボンの片方だけ足に残していたが、いずれもどっからか爆風で吹き飛ばされてきたものらしい。皮膚はまともにうけた爆風で、ちょうどひと皮むいた蛙の肌のように、くるりとむけて、うっすらと血を滲ませている。とっつきの銃座のまわりにも何人かころがっていたが、一人はひっくりかえった銃身の下敷きになって、上向きにねじった首を銃身がジリジリ焼いていた。そこから少しさきへ行くと、応急員のマークをつけたまだいかにも子供っぽい丸顔の少年が、何かぶよぶよしたものをひきずるながら、横むきになってもがいている。歯を食いしばっている顔は、死相をだして土色だ。みると腹わたを引きずっているのだ。うす桃色の妙に水っぽいてらてらした色だった。少年は、わなわなふるえる両手で、それを一生懸命裂けた下腹へ押しこめようとしていたのだ。が、突然喉をぜえぜえ鳴らして、もつれた縄のような腸(はらわた)の上に前のめりに倒れたまま、ぐったりと動かなくなった。彼は息をひきとるまで、赤く焼けただれた指先でその腸をまさぐっていた。痙攣が走った。僕はそれを横目にみながらかけだした」(渡辺清「海ゆかば水漬く屍」)191~192ページ

・すべて大東亜戦について、旧軍人の書いた戦史及び回想は、このように作為を加えられたものであることを忘れてはならない。それは旧軍人の恥を隠し、個人的プライドを傷つけないように配慮された歴史である。さらに戦後25年、現代日本の軍国主義への傾斜によって、味つけされている。歴史は単に過去の事実の記述に止まらず、常に現在の反映なのである。257ページ

・特攻という手段が、操縦士に与える精神的苦痛は我々の想像を絶している。自分の命を捧げれば、祖国を救うことが出来ると信じられればまだしもだが、沖縄戦の段階では、それが信じられなくなっていた。そして実際特攻士は正しかった。/口では必勝の信念を唱えながら、この段階では、日本の勝利を信じている職業軍人は一人もいなかった。ただ一勝を博してから、和平交渉に入るという、戦略の仮面をかぶった面子の意識に「動かされていただけであった。しかも悠久の大義の美名の下に、若者に無益な死を強いたところに、神風特攻の最も醜悪な部分があると思われる。/しかしこれらの障害にも拘らず、出撃数フィリピンで400以上、沖縄1900以上の中で、命中フィリピンで111、沖縄で133、ほかにほぼ同数の至近突入があったことは、我々の誇りでなければならない。/想像を絶する精神的苦痛と動揺を乗り越えて目標に達した人間が、われわれの中にいたのである。これは当時の指導者の愚劣と腐敗とはなんの関係もないことである。今日では全く消滅してしまった強い意志が、あの荒廃の中から生まれる余地があったことが、われわれの希望でなければならない。285ページ

・初の特攻隊の部隊名の由来:「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」(本居宣長) 288ページ

・戦闘において、あれほど頑強だった日本兵が、一度捕虜になってしまうと、比島人と同じ阿諛を示すのも、米兵を驚かせた事の一つだった。彼らは例外なく米兵を親切で紳士的だといい、軍部を憎んでいたといった。略。/「とても同じ日本兵とは思えない」という感想に対し、情報部将校が答えた。「日本軍の訓練は厳しく、階級の差別はひどい。兵隊は奴隷みたいなもんだ。一度義務から解放されると、彼等が極端から極端に移るのは当然なのだ。われわれの軍隊とは違うんだ」341~342ページ

・草の中に倒れた負傷者は火から逃れようともがいていた。生きながら焼かれる日米の兵士の叫び声、尾根全体に燃え上がる音は、機関銃の音より高かった。/壕の中にうずくまって火が頭の上を通り過ぎるのを待っていた日本兵は、激しい息遣いを近くに聞いて、首を出して見た。真赤な顔をした兵士が匍って通りすぎるところだった。声をかけたが聞こえないらしく、はあはあ息をしながら、両手で焼けた萱の根をつかんで匍って行った。腰から下も真赤だった。腰から下に脚はなかった。427ページ

3 129 湯浅誠「ヒーローを待っていても世界は変わらない」(朝日新聞出版;2012) 感想 特5

2014年08月25日 01時19分06秒 | 一日一冊読書開始
8月25日(日):

190ページ  所要時間 3:20     図書館

著者43歳(1969生まれ)。社会活動家。2014年から法政大学教授。反貧困ネットワーク事務局長。元『年越し派遣村』の”村長”。元内閣府参与(緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長、内閣官房震災ボランティア連携室長、内閣官房社会的包摂推進室長)。

読んでいて「本当に熱い血の通った優しい人だ」と思う。為政者に望むべくもなくなった柔軟で奥行きのある格調高い見識と優しさを感じさせられる。肩ひじ張らないで、強靭さを持つ著者の思考回路は、俺自身がもっとも我がものとしたいものだ。著者の本を読めば、俺の言いたいことがすべて書かれている気になる。

著者の優しさは、重松清の作品世界とも通底している。と、ここまで考えたところで、そういえば「0069 湯浅誠「どんとこい、貧困! よりみちパン!せ」(理論社;2009) 感想5+」の巻末で著者と重松清とが対談をしていたのを思い出した。やはりつながっているのだ。本書は、俺が大感動した「どんとこい、貧困!」の正当なる続編と言える。

2009年10月~2012年3月(途中、一度辞任)の2年間、民主党政権において、内閣府参与を務め、政府の中に入って貧困問題に取り組んだ著者が、その経験も踏まえて、さらに民主主義の問題を取り上げたもの。気になる言葉に付箋をしだすと、ほとんどのページに付箋することになった。本書では、特に詳細なデータなどが記されているわけではないが、著者の一言一言が珠玉の如く心に刻みたくなる良い言葉が続くのだ。

目次:はじめに
第1章 民主主義とヒーロー待望論
第2章 「橋下現象」の読み方
第3章 私たちができること、やるべきこと
付録 ウェブ掲載資料
おわりに

著者は、民主主義をとても手間ひまのかかるめんどくさいものだが、そこから逃げ出すこともできない。民主主義から逃げ出そうとした時、水戸黄門のような勧善懲悪のヒーロー政治家を求めてしまう。善悪を色分けして、ヒーローが悪をたたっ斬る爽快感はあっても、実は善悪は主観的なものであり双方に必死で生きてる人々のニーズがあり、一時的にスカッとしても、社会全体としては何も解決されていない。

ヒーロー政治家に快哉を叫んで付いていっても、突然彼が後ろを振り向いて向かって来て自分も容赦なくたたっ斬られるのがおちである。世の中、複雑にできている。弱者を抵抗勢力、既得権益団体としてたたっ斬っても、結局社会全体の硬直化が進み活力も失われていくだけだ。

全く著者の言うことをうまくまとめられないが、文句なく良い価値観と美しく優しい格調高い言葉と精神が記されている。

・「足湯」「炊き出し」ボランティアの真の目的は。136ページ

・しかし、そうやって議会政治はダメだ、政党政治はもうダメと壊していった時に、それよりマシなものが出て来たことがない、というのも歴史的な事実です。いまの政治の体たらくには目を覆いたくなるものがありますが、それを壊したら自動的に少しでもマシなものが作られるのかと考えたとき、私には楽観的な見通しが持てません。/「壊す時には、壊す前にその建物がなぜ建てられたかを考えてみよ」という格言がヨーロッパにあるそうですが、それを思い出します。/だから私は、いま、ほとんど誰もそれを大事と思えなくなっているからこそ、議会制民主主義や政党政治をあえて擁護する側に立つ必要があるのではないかと考えています。64ページ

・政治とは「悪さ加減の選択」である。悪さ加減とは、悪さの程度が少しでも少ないものを選択するということ。65ページ

・較差・貧困が広がる中で、生活と仕事に追われて余裕のない人が増えていき、それが不正義に対する義憤を嵩じさせて「強いリーダーシップ」待望論となり、切り込み隊長であるもある水戸黄門型ヒーローを求める。/求めても裏切られる幻想と幻滅のサイクルの果てに、政治不信が政治システムそれ自体を対象とするように質的に変化し、橋下徹さんという得難いヒーローを得て、いよいよ議会政治と政党政治そのものに手をつけつつある。75ページ
  ⇒著者の危機意識は、結局正鵠を射たことになる。

140820 閲覧26万超え:何故、マスコミは、福島の子供を描いたアニメ「Abita(アビタ)」を報道しない!?

2014年08月23日 01時19分05秒 | 閲覧数 記録
8月20日(水):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1047日。

アクセス:閲覧 400PV/訪問者 82IP

トータル:閲覧 260,370PV/訪問者 105,553IP

ランキング:日別 11,974 位 / 2,050,540ブログ中 / 週別 13,8?? 位

以下、「真実を探すブログ」より転載する。

福島の子供を描いたアニメが国際賞を受賞するも、日本のマスコミは一切報道せず!作者は日本人学生!「Abita(アビタ)」





ドイツに在住している日本人学生が作ったアニメが国際賞を受賞しました。このアニメのタイトルは「Abita(アビタ)」で、福島原発事故の放射能汚染で苦しむ子供が主人公になっています。欧州だけではなく、世界中で様々な賞を受賞しており、色々な所で取り上げられているようです。

しかしながら、日本ではマスコミが報道した痕跡が殆ど見られず、完全に無視されているような状態となっています。アビタはユーチューブなどの動画サイトで見ることが出来るので、興味のある方は是非とも見てみてください。

☆Abita
URL http://vimeo.com/51297975
引用:福島の子供たちが、放射能のため外で遊ぶことができない。彼らの夢と現実について。

Awards:
Best Animated Film, International Uranium Filmfestival, Rio de Janeiro, 2013
Special Mention, Back-up Filmfestival, Weimar, 2013

Upcoming Competitions:
Eco-Filmtour, Potsdam, 2014 (nominated)
Winter Film Awards, New York City, 2014 (nominated)

Screenings:
International Festival of Animated Film ITFS 2013, BW-Rolle
Japanese Symposium, Bonn, 2013
Nippon Connection, 2013
International Uranium Filmfestival, Rio de Janeiro, 2013
International Uranium Filmfestival, Munich, 2013
International Uranium Filmfestival, New Mexico, 2013
International Uranium Filmfestival, Arizona, 2013
International Uranium Filmfestival, Washington DC, 2013
International Uranium Filmfestival, New York City, 2013
Back-up Filmfestival, Weimar, 2013
Mediafestival, Tübingen, 2013
zwergWERK - Oldenburg Short Film Days, 2013
Konstanzer Filmfestspiele, 2013
Green Citizen’s Action Alliance GCAA, Taipei, Taiwan, 2013
Stuttgart Night, Cinema, 2013
Yerevan, Armenien, ReAnimania, 2013
Minshar for Art, The Israel Animation College, Tel Aviv, Israel, 2013
IAD, Warschau, Gdansk, Wroclaw/Polen, 2013
IAD (BW-Rolle, Best of IC, Best of TFK) Sofia, Bulgarien, 2013
05. November 2013: Stuttgart Stadtbibliothek (BW-Rolle) , 2013
PISAF Puchon, Southkorea, (BW-Rolle, Best of IC, Best of TFK) , 2013
Freiburg, Trickfilm-Abend im Kommunalen Kino (BW-Rolle), Freiburg, 2013
Zimbabwe, ZIMFAIA (BW-Rolle, Best of IC, Best of TFK), Zimbabwe, 2013


※俺も今、ユーチューブで観た。3分49秒の佳品で、本当に心に響いた。これを報道しない日本のマスコミ及び日本社会の現状は異常を超えて、とてつもなく醜悪で危険である。福島と東北の被災者にもっともっと目を向けるべきだ。それが今の日本にとって最も大事なことだ!絶対に間違いない!

3 128 坂井修一「知っておきたい情報社会の安全知識」(岩波ジュニア新書;2010)感想3

2014年08月23日 00時02分56秒 | 一日一冊読書開始
8月22日(金):

195ページ  所要時間 2:35    図書館

著者52歳(1958生まれ)。東京大学大学院情報理工学系研究科教授。専門はコンピュータシステムとその応用。

バリバリの理工系教授による高校生へのコンピュータ社会との付き合い方に関するメッセージ。正直、ちんぷんかんぷんの部分も多かったが、ふだん職場で厳しく声をかけられている例えばICT、暗証番号管理云々など、過剰と考えていたパソコン情報の厳重管理の問題が、やはり専門家、特に技術者の目から見ると本当にやばいこととして見えてるんだなという雰囲気は伝わってきた。

ITの世界は、ベストエフォート(最善を尽くす型)の世界であって、完全補償の世界ではない」という自覚が何より大事である。

ネット上の最悪の<悪意>の存在として、ドストエフスキー『悪霊』主人公のスタブローギンのような奴を常に想定すべきだと、書中で繰り返し繰り返し述べながら、一方で「私が教えている学生で『悪霊』を読んでいるのは3年に1人だとごちている。そして、高校生向けの本書で、人間の<悪意>を理解するために「まだ読んでない人はぜひ読むべきだ」と、ドストエフスキー『悪霊』を読むことが強く推奨されていたのは少し可笑しかった。ちなみに、この本は俺の本棚の比較的新しい肥やし(10年物?)である。そろそろかなあ…。

本書の感想3は、評価ではない。俺の能力不足だ。旬な東大の先生が高校生に向けて書いた良識的な内容の本というのが俺の印象だ。それにしても、ICT技術・環境の変化の激しさは、俺ぐらい以上の人間をどんどん振り落して進んでいく。多少の資力があれば、それなりに高価なネット環境を無駄遣いできるだろう。しかし、貧乏ではないが、ゆとりも無い俺のように新書すら定価で買うのをビビってしまい、ブックオフやアマゾンの古本を漁るのが精一杯の人間には、年々ガラガラと変わっていくICT技術・環境についていくのは無理だ。

テレビの地デジ、BSすら一人で設定できない俺のような人間には、何やらつらい時代になったものだ。ふだん見ないようにしてきたが、本書のような情報社会の現状を理系の目で突きつける本を手にすると本当につらい。実際本書を読んでいて、途中IPアドレスとかインターネットプロトコル群とかを目で追いかけるうちに、何故か…?、頭の中に全く関係の無い嫌な思考が増大してきて、物狂おしく、気分が悪くなり、一度読むのを止めてしまった。「地獄は、どこでもない。自分の心の中にこそ存在するのだ」と一人ごちて、わけの分からない気分に陥ってしまった。どうも、ITの話題は俺にはどうしようもなく鬼門になってしまったようである。

でも…、まあ…、いつかまた近いうちに本書に再挑戦すべきなのかもしれない…。

■目次  ※コピペ
プロローグ 幸福な情報社会と不幸な情報社会: 幸福な情報社会/不幸な情報社会
第1章 情報社会の爆発的発展:1 コンピュータとインターネット=いつでも,どこでも,誰とでも/コンピュータの誕生と発展/インターネットの誕生と発展/インターネットの使い道;  2 ITの発展が社会を変えた=あらゆる場面で使われるIT/便利さ・効率とその影にあるもの/情報社会の発展によって失われてゆくもの・変化するもの;  3 ITにはどんな問題があるかベストエフォート/性善説で作られたIT/複雑化と質感・量感の喪失
第2章 情報社会で何が起こっているのか:1 どんな事故や事件が起こっているのだろう=情報システムの事故・事件/個人情報の流出/違法コピー/出会い系サイト・学校裏サイト/誰もが被害者にも加害者にもなる/携帯電話の事故・事件;  2 ITとは何なのか=道具を知ること/ITの基本は「数」にある/コンピュータとは何か/コンピュータの動作/基本ソフトウェアと応用ソフトウェア/インターネットとは何か/IPアドレス/プロトコル階層/インターネットの特徴;  3 なぜ事故や事件が起こるのか=「数」をあつかうことの弱点/設計ミスとバグ ― ベストエフォート/故障/盗み見と改ざん/ぜい弱性に対する攻撃/ITの外の世界でのミス・盗み見・改ざん・攻撃/ネット通販・オークションのトラブル/社会悪がITの世界に持ち込まれる/なぜ事故や事件がおこるのか;  4 さまざまな攻撃=フィッシング/資源を浪費させる迷惑メールなど/コンピュータへの〈侵入〉/総合的な攻撃
第3章 どんな安全対策をとればいいのだろう:1 事件や事故に巻き込まれないために=性善説の「数」の世界を安全・安心にする/はじめの一歩/ネットの向こうにはどんな人がいるのか/絶対安全・絶対安心はない;  2 日常やるべきこと=パスワードなどの認証情報の管理/システムの更新/ウィルス対策ソフト/電子メール/外部記憶媒体のあつかい/ウェブページを見るときの注意/無線LANを使うときは/書類や画面を他人に見せない工夫/携帯電話での注意/ネット通販やネットオークションでの注意/悪意を見抜く/ネチケット/機密性が非常に高いことをするとき;  3 失敗したとき・困ったとき=人間としてのミスや過ち/ウィルスに感染したらどうするか/不当な料金請求が来たらどうするか/迷惑メールや勧誘電話が急増したとき/盗撮・盗聴されたとき/ネット上で人間関係に失敗したとき;  4 暮らしと個人を守る=どんな法律があるのだろう/善悪の判断基準をもつ/誰に相談すればよいか/情報教育のたいせつさ/教養を身につけること
エピローグ     付録 IT関連の法律の条文(抜粋)
あとがき

140820 一年前:NHKスペシャル「最期の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災~」を観た。落涙、感想5

2014年08月20日 23時35分22秒 | 一年前
130819夜半 NHKスペシャル「最期の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災~」を観た。落涙、感想5
8月19日(月):番組を観ていて、落涙を止められなかった。「はだしのゲン」を閲覧制限する島根県・鳥取県の愚劣・愚昧さ、東日本大震災の被災者の悲しみの深さに向き合おうとしない政治...


海江田民主党は分裂を恐れず、集団的自衛権反対、消費税増税反対などで生活の党や社民党、旧未来の党勢力などとのリベラル軸再建のための連立を断行せよ! そして、前原詐欺師、野田汚物、長島戦争屋ら国民を裏切り、民主党政権崩壊のA級戦犯の<第二自民党>勢力を断固として民主党から追放しろ! 俺は絶対に民主党を支持・応援して、投票する!


140819 一年前:雑感ノート「日本の改憲論の危険性とエジプト・アラブの春の失敗の近似性について」

2014年08月19日 20時52分38秒 | 一年前
130818 雑感ノート「日本の改憲論の危険性とエジプト・アラブの春の失敗の近似性について」
8月18日(日):アラブの軍事独裁体制を倒すことは正義だった。しかし、その後に複雑な国内の民族対立・宗教対立を整理して民主的体制を樹立する能力が、国民に備わっていないことがわか...

3 127 孫崎享(うける)「戦後史の正体1945-2012」(創元社;2012) 感想 特5  久しぶりのすごい本!

2014年08月19日 19時21分41秒 | 一日一冊読書開始
8月19日(火):

386ページ  所要時間 8:00   図書館⇒アマゾン注文(1044円)

著者69歳(1943生まれ)。元外交官。

日本の戦後史で、アメリカと距離をおき、自主外交を目指した政権は総じて短命となり、アメリカべったりの追随路線をとった政権が長期政権化してきた、ということは、吉田茂、中曽根康弘、小泉純一郎の例を引くまでもなく、おおざっぱにだが周知のことである。

帯文・前「えっ、これは驚いた! 元外務省・国際情報局長が最大のタブー「米国からの圧力」を軸に、戦後70年を読み解く!」
帯文・後「いま、あなたが手にとってくださったこの本は、かなり変わった本かもしれません。というのも本書は、これまでほとんど語られることのなかった<米国からの圧力>を軸に日本の戦後史を読み解いたものだからです。こういう視点から書かれた本は、いままでありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。「米国の意向」について論じることは、日本の言論界ではタブーだからです」(孫崎享・著者)


本書では、戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、米国から加えられる圧力と、それに対する「自主路線」と「追随路線」のせめぎ合い、相克だったと位置付け、戦後史を対米外交を軸に徹頭徹尾語り下ろされている。そして、何よりも「日米地位協定が、安保条約よりも上位にある。」ことが指摘されている!
戦後の歴代内閣とアメリカ政府との関係が、各々刻銘に記されていて、そのこと自体大変興味深いし、知らなかったり、思いもよらなかったこと、常識とされていることが実は逆だったということなどが随所にあって面白い本である。

しかし、読んでいて、ふと気付くと自分の目線が外務官僚の目線になっている。具体的には、対米外交ですべてを説明しようとする論理の中では、その時代に生きていた日本の人々の取り組みや活動がすべて過少に評価されてしまい、戦後史に新しい視点と奥行きを与える試みのはずが、戦後史自体を随分と矮小化してしまう印象を受けるのだ。

悪く言えば、高いところから見下ろしたエラそうな見方になるということだ。正直言って「日本の外務官僚って、本当に無能だ!」と普段考えている俺から見ると、一面で外務省を見直しつつ、一方ではやはり外務省の上から目線にだまされてはいけない!という気分にもなるのだ。そんな目線をもつと、日本に生きる人々の歩みや努力をすべて矮小化・否定することになるのだ。

俺たちは、アメリカによって生かされてるわけではない!ということは当たり前だ。しかし、知らぬ間にアメリカの掌(たなごころ)で踊らされてるんだよ、という視点を改めてしっかり持つことも重要だと思い知らされた。

俺が好きな田中角栄も、鳩山由紀夫も結局、アメリカの虎の尾を踏んだということらしい。さらに言うなら、保守の側から親米を働きかける読売新聞、革新の側から親米を働きかえる朝日新聞をはじめとして、日本のマスコミも一貫して、アメリカの手先となってきた事実がある。

沖縄返還に最初に本気で取り組んだのは、アメリカの意に反することを恐れる日本の政治家たちではなく、日本生まれ、日本育ちの親日アメリカ大使のライシャワーであり、彼が先ずロバート・ケネディ司法長官を通じて、ケネディ大統領に働きかけたのが始まりだったというのも面白かった。

昭和電工疑獄事件とロッキード事件が「自主路線」をめざす芦田均と田中角栄がアメリカによって排除された同じ構造の事件だった。

目次:はじめに/序章 なぜ「高校生でも読める」戦後史の本を書くのか/第一章 「終戦」から占領へ/第二章 冷戦の始まり/第三章 講和条約と日米安保条約/第四章 保守合同と安保改定/第五章 自民党と経済成長の時代/第六章 冷戦終結と米国の変容/第七章 9・11とイラク戦争後の世界/あとがき

・すべてを妄信する訳にはいかないが、戦後史の多くが、その時の<アメリカの意志>でとりあえず説明がついてしまうところが恐ろしい。深き知恵の書か、はたまたハッタリの書か…。

・日本の原発は第五福竜丸事件後の原水爆反対運動の盛り上がりの目先を変えるために、<アメリカの意志>により「原子力の平和利用」という“目晦まし”としてはじめられた。

・結局、日本にとって踏んではいけない米国の「虎の尾」とは、「在日米軍基地の見直し」「中国との関係改善」と「米国債の売却」、特に前の二つにつきる。その二つの尾を一緒に踏んだのが民主党の鳩山首相だった。

・「戦後史の正体」重要ポイント3点
 ①米国の対日政策は、あくまでも米国の利益のためにあります。日本の利益とつねに一致しているわけではありません。
 ②米国の対日政策は、米国の環境によって大きく変わります。占領時代&冷戦崩壊後
 ③米国は自分の利益に基づいて日本にさまざまな要求をします。それに立ち向かうのは大変なことです。しかし冷戦期のように、とにかく米国のいうことを聞いていれば大丈夫だという時代はすでに20年前に終わっています。どんなに困難でも、日本のゆずれない国益については主張し、米国の理解を得る必要があります。
・戦後の首相たちの分類:
 (1)自主派:重光葵、石橋湛山、芦田均、鳩山一郎、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護煕、鳩山由紀夫
 (2)対米追随派:吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎、その他(海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田佳彦
 (3)一部抵抗派:鈴木善幸、竹下登、橋本龍太郎、福田康夫
 「年代的に見ると1990年代以降、積極的な自主派はほとんどいません。細川と鳩山という、自民党から政権を奪った首相が二人いるだけです。しかもどちらも九ヵ月弱という、きわめて短命な政権に終わりました。それ以前の歴史を見ても、いわゆる「自主派」と見られる首相は、佐藤首相をのぞいて、だいたい米国の関与によって短期政権に終わっています。/ ここで指摘しておきたいのは、占領期以降、日本社会のなかに「自主派」の首相を引きずり下ろし、「対米追随派」にすげかえるためのシステムが埋め込まれているということです。/ ひとつは検察です。なかでも特捜部はしばしば政治家を起訴してきました。この特捜部の前身はGHQの指揮下にあった「隠匿退蔵物資事件捜査部」です。終戦直後、日本人が隠した「お宝」を探しだしGHQに差し出すのがその役目でした。したがって検察特捜部は、創設当初からどの組織よりも米国と密接な関係を維持してきました。/ 次に報道です。米国は政治を運営するなかでマスコミの役割を強く認識しています。占領期から今日まで、米国は日本の大手マスコミのなかに、「米国と特別な関係をもつ人びと」を育成してきました。占領時代は仕方がなったかもしれません。しかし今日もまだ続いているのは異常です。さらには外務省、防衛省、財務省、大学などのなかにも、「米国と特別な関係をもつ人びと」が育成されています。/ そうしたシステムのなか、自主派の政治家を追い落とすパターンもいくつかに分類できます。

 ①占領軍の指示により公職追放する:鳩山一郎、石橋湛山
 ②検察が起訴し、マスコミが大々的に報道し、政治生命を絶つ:芦田均、田中角栄、少し異色ですが小沢一郎
 ③政権内の重要人物を切ることを求め、結果的に内閣を崩壊させる:片山哲、細川護煕
 ④米国が支持していないことを強調し、党内の反対勢力の勢いを強める:鳩山由紀夫、福田康夫
 ⑤選挙で敗北:宮沢喜一
 ⑥大衆を動員し、政権を崩壊させる:岸信介

 この六つのパターンのいずれにおいても、大手マスコミが連動して、それぞれの首相に反対する強力なキャンペーンを行っています。今回、戦後七〇年の歴史を振り返ってみて、改めてマスコミが日本の政変に深く関与している事実を知りました。/このように米国は、好ましくないと思う日本の首相をいくつかのシステムを駆使して排除することができます。難しいことではありません。たとえば米国の大統領が日本の首相となかなか会ってくれず、そのことを大手メディアが問題にすれば、それだけで政権は持ちません。それが日本の現実なのです。」
(以上、「おわりに」365~370ページ)

・よく見れば、暗愚の宰相安倍晋三が崇めている祖父の岸信介も大叔父佐藤栄作も「自主派」であり、安倍が盲目的「対米追随派」である事実は、笑えない不都合な真実である…。

・読了後、本が付箋でハリネズミのようになった。⇒☆pm19:15 アマゾンで注文を出した。1044円(本体787円+送料257円)。定価は1620円なので、あまり安くならないが、どうしても手元に置いておきたくなったのだ!

140816 近代史上最悪の暗愚の宰相安倍晋三の正体。冷酷で浅薄な化け物。自民党は自民党のために存在する。

2014年08月16日 23時37分14秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月16日(土):一事が万事! 手遅れにならないうちに、国民・市民は早く気付いて引き返さねばならない。

    以下、日刊ゲンダイの記事を掲載する。
戦没者式辞から「自由」と「民主主義」を削った安倍首相の独善   2014年8月16日

広島と長崎の平和式典の挨拶で「コピペ」批判を浴びた安倍首相。15日の終戦記念日の戦没者追悼式はどうするのか注目されたが、さすがに今回は昨年と文面を変えていた。しかし、その変更点には首相の“意思”が透けて見える。昨年あった〈戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進してまいりました〉という文章が今年はスッポリ消えていたのだ。

 安倍首相は、解釈改憲という“禁じ手”で集団的自衛権の行使を容認するような人物だ。「国民の前に国家」という思想だから、自由や民主主義を軽視する傲慢な本心が表れたのだろう。歴代首相が繰り返してきた「不戦の誓い」に断固として触れないことといい、安倍首相の言う「平和」のなんと空虚なことか。

 民主主義の軽視は沖縄でも行われている。安倍首相はいま長期の夏休み途中。今年は内閣改造を前に「心静かに」過ごしているのだというが、辺野古の現状を分かったうえで「心静かに」と言っているのなら、その神経を疑う。

米軍普天間基地の移設先、名護市の辺野古沖合では、沖縄防衛局が14日、突如、埋め立て地域への立ち入り禁止を示すブイを設置。反対住民がカヌーやボートで海上へ出て抗議活動をし、緊張状態が続いている。11月の知事選で現職の仲井真知事が劣勢のため、少しでも埋め立ての既成事実化を図ろうということだが、「ブイの設置を急げ」と防衛省幹部に強く指示したのは首相本人だという。「地元に丁寧に説明」なんてウソっぱち。混乱を招いた張本人が、一方で他人事のように「心静かに」とは開いた口が塞がらない。

 沖縄の事情にも詳しい元外務省国際情報局長の孫崎享氏はこう呆れる。

防衛当局はブイの設置を躊躇していましたが、安倍首相が『急いでやれ』と声を荒らげて叱責したと報道されています。世論調査では沖縄県民の7割以上が普天間基地の辺野古移設に反対です。そんな状況で、強硬に埋め立て作業を進めれば、緊張状態が生まれるのは当然。沖縄県民はますますかたくなになる。ゴリ押しで短期的には成功しても、長期的には安倍首相にとってマイナスでしかない。工事はうまくいかないでしょう。どうして短絡的な考え方しかできないのか

 国民は安倍首相の本性をもっとよく見た方がいい。

140816 民主党は分裂しろ。今集団的自衛権に反対しない前原・長島・野田を、立憲主義否定の罪で追放せよ!

2014年08月16日 17時46分15秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月16日(土):

安倍自民による憲法の根幹である<第9条の平和主義>を手続き無視で否定した解釈改憲の暴挙(クーデター)に対して、正面から反対することなく、限定的に?集団的自衛権を認めようという民主党内の勢力(前原・長島・野田)は、現行憲法を尊重する意識の極めて薄い人間であり、<立憲主義>の原理原則の大切さを置き去りにして状況に便乗しようとする卑怯な心根の輩(やから)である

安倍自民の解釈改憲の暴挙に対して是々非々などの言葉や対応は全くあり得ない。まず反対をして、白紙に戻してから正式な手続きを回復するべきなのだ。

海江田民主党内の「解釈改憲」反対の足を引っ張る松下政経塾系の前原詐欺師、長島戦争屋、野田汚物らの動きは、単に憲法9条だけでなく、広く立憲主義に対する<根本的認識の違い>と考えるべきである。憲法に対するこの考え方の違いは、同じ政党を構成することを許さない。

海江田党首は、はっきりと集団的自衛権反対、憲法を護る姿勢を打ち出し、社民党や生活の党など中道左派・社会民主主義勢力との<リベラル軸>づくりを明確に打ち出して、前原・長島・野田らの中途半端<第二自民党>勢力をいぶり出して追放すべきだ。「100%維新と合流する」発言の前原詐欺師も、アメリカの手先の長島戦争屋も、「大きな音だね」の野田汚物も、これまでの発言・約束に責任を持って、ポピュリスト橋下徹の「維新の会」と合流すべきだ。それが政治を分かりやすくする道だ。民主党の看板の陰に隠れていないで、旗幟鮮明にして正々堂々と闘え!

海江田民主党が、今やるべき最大の仕事は、一日でも早く、有権者から投票・選択権を奪ってしまい、戦後史に大きな汚点を残し続けている<現在の犯罪的野合状態>を解消して、<中道リベラル軸>の再建を果たすことである。俺のような護憲、反戦平和、反原発、経済重視、反貧困、多文化共生の立場の人間が心置きなく投票できる<中道リベラルの器>を確立することだ。まず、<民主党・社民党・生活の党他>のグループが、衆参で第二または第三の勢力をしっかりと築くべきだ。俺は絶対に応援する。

今朝の朝日新聞朝刊:(ザ・コラム)戦後69年 抑えきれない怒りの行方 大久保真紀 2014年8月16日05時00分
 9日。長崎市で開かれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場にいた。台風11号の影響で時折強い風が吹く中、午前11時10分すぎ、被爆者代表が壇上で、「平和への誓い」を読み始めた。

 会場で配られた式次第に印刷されている文面を目で追っていると、異変が起きた。

 「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」

 暴挙!? なんと強烈な表現なのだろう。式次第にあった文面は「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、武力で国民の平和を作ると言っていませんか」だった。

 異変は続く。「日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうというのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか」。文面にない怒りの言葉が、被爆者代表の女性の口から発せられた。

 ここ数年、私は現地で式典を見てきた。事前に用意した「原稿通り」がふつうだった。この日も、田上富久市長が「長崎平和宣言」を、来賓の安倍晋三首相があいさつを、配られた文面と一字一句違わず読み上げている。

 なぜ、異変は起きたのだろう。式典後、「平和への誓い」を読み上げた被爆者代表の城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(75)を、長崎市内の自宅に訪ねた。
(以下略)


3 126 牧野剛「人生を変える大人の読書術」(メディアックス;2009)感想3+

2014年08月16日 01時53分10秒 | 一日一冊読書開始
8月15日(金):

251ページ  所要時間 2:15      図書館

副題:「河合塾の超人気講師が教える魔法の読書スタイル」

著者64歳(1945生まれ)。河合塾国語科講師。

・高校1年生の頃、「一日一冊は本を読む」ことを決心した。今も、早朝3:00から出勤まで読書する日々を過ごしている。哲学者の故・廣松渉はひと月に1万ページ以上必ず読んだそうだ。31日として、1日322ページ以上を読まなければならない計算になる。
「「一日一冊」というノルマを自分に課し、無理やりにでも読書をする時間を作っていくと、それが習慣となり、ついには快感となっていくから不思議だ。朝、顔を洗ったり食事をしたりするのと同じように、生活の一部として読書が、毎日にとけ込んでいくのだ。略。そうやって繰り返し読書を続け、日常化することで、結果的に凄い量の本を読むことになっていく。十年で三千冊以上、略、である。略。繰り返す。本を読むという行為は自覚的行動だ。朝、顔を洗ったり食事をしたりするのと同じように、生活の一部として毎日、同じ時間に続けていくことが基本である。」22~23ページ
 *考えてみれば、俺の読書も、1年目222冊、2年目99冊、3年目の現在126冊で、計447冊。おまけとして紹介した過去の本もあるので、本ブログで紹介した書籍数は、既に500冊を超えているだろう。それでも、日暮れて道遠し。言うは易く、行なうは難しである。光陰矢のごとし、死ぬまでに後悔の無い読書生活を送り切りたいものだ。今の俺にとって、「一日一冊」の実践、十年で3000冊の実現というのは、<大いなる“野望”>だ!

・名古屋大では社学同同盟員として活動、離脱後は一貫して全共闘・新左翼思想家としての道を歩む。河合塾の黎明期を支えたメンバーである。

学生運動家のせいか? 間口の広い人物である。さまざまな有名人と出会い、さまざまな自由な発想をし、本書の内容も統一性はないが、読書をめぐる興味深い話題が展開している。

・広島の「唯一の被爆国」への強い懐疑の念と違和感。理由は、原爆で亡くなった在日韓国人・朝鮮人の「被爆の碑」が平和公園ではなく、外に建てられ、本来は8月6日に行う記念集会も、日にちを一日前へずらして行われていたことにある。原爆によって被害を受けた外国人は多い、決して日本人だけではなかった。アメリカ軍捕虜10人も命を落とした。

・導入部分が読みにくい場合は、あえて後ろから読んだり、途中から読んだりする。その方がかえって面白く、内容が頭にあひることがある。本の読み方は自由でいい。85/86ページ

・「中島みゆきは、中山みきである」というお題に対して、実は中島みゆきは、天理教徒だったというオチ。

・日本の私小説に否定的。小学5年生で、志賀直哉の『暗夜行路』にダメ出し。高橋和巳『邪宗門』に冷たいのには、少しカチンときた。

・読み終わる頃に、多少手前味噌が鼻について評価を下げたが、受験を控えた浪人生などが読めば相当大きな刺激を受けるだろう。残念ながら、俺は受験生ではないが、高校教員から名古屋大助教授となった頃の網野善彦さんが、後者をロックアウトした著者ら学生に対して、「授業をさせろ」と要求して追い返される話、さらに著者が「網野さんの講義を受けておけばよかった」と後悔する話は面白かった。

・「砂の器」をきっかけにして、松本清張の全作品を読破したという著者の話を読むと、俺も少しだけその気になってしまった。

・子供に本を読ませたかったらまず親である自分が率先して読書すること。そして、本棚にはできるだけ様々なジャンルの本を並べておけば、子どもは勝手に盗み見るようになる。

・七三一部隊の行き先は、ミドリ十字と京都府立医科大、新潟大学医学部。

目次 : 第1章 牧野流 僕はこんな本の読み方をしてきた:本は自由だ!読みたいように読む/ 読書を無理矢理に習慣づける/本の中に部屋がある/生まれ初めて手に入れた本/父親が持っていたヘンな本/反権力の原点は「カストリ雑誌」/誤解を生み、誤解を解くのも読書/著者本人に出会える幸せ/自分だけの真実を見つける楽しみ/稀有な存在だからこそ面白い
第2章 牧野流読書術の勧め:我慢して読むな!/「嫌い」を読め!/今読むべき本を探せ!/分かりやすい翻訳で読め!/子供のために、本を置け!/「古典」は進化する!/日本文学のココがけしからん!/辞書は読むものである!/文化の違いを認めろ!
第3章 牧野流 大人のための読書術:「教養」は「ビジネス」の武器だ/ピンチを乗り切る読書術/これからの「ビジネス」はイスラムだ/斬新なアイデアはこうして生まれる/世界を読み解く鍵は特殊分野の本/あえて違う分野に詳しくなる/漫画をバカにするなかれ/写真集の読み方・楽しみ方/親の権威を刷り込む方法/要約が役に立つ
第4章 牧野流真実!その発見読書術:松本清張から受けた衝撃//感想は飲み込め!/七三一舞台に見る牧野流真実/下山事件における牧野流真実/疑問が解決する瞬間

140815 1年前:130809 もはや、ポピュリスト橋下を放置してはおけない! 民主主義の核が傷つき、

2014年08月16日 01時49分48秒 | 一年前
130809 もはや、ポピュリスト橋下を放置してはおけない! 民主主義の核が傷つき、戻れなくなる。
8月9日(金):橋下大阪市長、市立大学長選認めず 「選ぶのは市長」  朝日新聞デジタル 8月9日(金)13時30分配信 かつても歴史はこんな風に転落していったのか…。戦前の...

3 125 菅原文太と免許皆伝の達人たち「ほとんど人力」(小学館;2013) 感想3+

2014年08月15日 03時09分48秒 | 一日一冊読書開始
8月14日(木):

190ページ  所要時間 4:00    図書館

菅原文太 80歳(1933生まれ)。大御所映画俳優。2012年12月「いのちを大切にする社会」をテーマとした、国民運動グループ「いのちの党」結成。2014年2月の東京都知事選では、細川護煕候補を応援。俺は党派性のないリベラルさに好感を持った。小沢一郎の支持者らしい。早稲田中退だが、仙台第一高校卒業の値打ちがよくわかる知識人である。

本書の内容は、菅原文太氏による対談集であるが、玉石混交といった感じだった。共通点は、真実(本音)を叫ぶアウトサイダー的人物ないしは地域代表が選ばれている。前半の議論は充実していたが、後半は少し物足りなかった。

特に印象的だったのは、大田昌秀氏による<沖縄独立論>だった。日本語圏に国が二つあっても構わない。沖縄がその気になれば、“シンガポール以上”をめざすことができるだろう!

文太さんは、「松下政経塾で洗脳された議員たちがまた、見せかけのハリボテばっかりで。101ページ」と述べている。全く同感だ。文太さん自身は、反戦平和、護憲、反原発、反官僚、生活が第一、一次・二次産業の原点に返れ!同じ考えの勢力は連帯すべし!で揺るぎないリベラルさを持っている。俺はこの人の立場にほぼすべて賛同できる。日本の政治を、立て直せるかの可能性は、この価値観に、日本共産党が同調できるかの一点だろう。日本の政治の最大の宿痾は、社会民主主義的勢力が、共産党の別行動によって分断され、新自由主義勢力に漁夫の利を与えていることに尽きる。

目次 : 第1章 「のど元過ぎれば…」で、また戦争するのか?:
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る(金子兜太・俳人)/ 第九条は国民を守る要塞。壊したら国民を守れない(樋口陽一・憲法学者)/ まやかしの集団的自衛権(堀田力・公益財団法人さわやか福祉財団理事長、弁護士)
第2章 「知らぬが仏」では、すまされない:
『震える牛』に震えてしまった(相場英雄・作家)/ 第五福竜丸と原発は、深く結びついている(大石又七・第五福竜丸元乗組員)/ ほとんど人力(中村哲・医師、ペシャワール会現地代表)
第3章 アメリカよりアジアを向いた脱官僚の国へ:
沖縄の苦闘、本土の怠慢(大田昌秀・沖縄国際平和研究所理事長、元沖縄県知事)/ 対中関係とアベノミクスの行き着く先(丹羽宇一郎・前駐中国大使)/ アメリカの策謀で、アジア人同士戦うな(副島隆彦・民間人国家戦略家)/ TPPぐらいのことがないと変わらない(古賀茂明・大阪府市統合本部特別顧問、元経産省)
第4章 人間力を取り戻すために:
大災害は日本の構造転換のチャンスだ(松島令・作家、金融・経済評論家)/ 人類は生き残れるのか(関野吉晴・探検家、医師)/ 誰も知らないタネの怖い話(野口勲・野口のタネ・野口種苗研究所代表)/ 近所と家族があれば、最低生きていけるよ(西部邁・評論家)
第5章 人は「資源」ではない。型破りのススメ:
アートも人間も土に還れ(黒田征太郎・イラストレーター、グラフィックデザイナー)/ 人は消耗品でいいのか(吉田敏浩・ジャーナリスト)/ 清潔社会がもたらす罪(鳥越俊太郎・ニュースの職人)

3 123・3 124 重松清「カシオペアの丘で (上)・(下)」(講談社文庫;2007) 感想4

2014年08月14日 01時04分44秒 | 一日一冊読書開始
8月13日(水):

(上)415ページ  所要時間 1:25   ブックオフ 108円

(下)410ページ  所要時間 1:45   ブックオフ108円

著者44歳(1963生まれ)。

最近、TVドラマ「あすなろ三三七拍子」を録画して楽しんでいる。先日まで、ドラマ「とんび」の録画も見直していた。本を読めない分、重松清のドラマに少しはまっているのだ。その延長で、手元にあった本書を手にした。

しかし、アマゾンで評判の下調べをしたところ、「悪くはないが、長過ぎる」「むやみに長い」といった意見が目立ち、その分だけ評価も下げられていた。読書能力の落ち込み激しい今日この頃、この本の上下巻2冊を読み通すには、ゆっくりでは絶対ダメだ。1ページ15秒=240ページ/時のペースで、2冊一度に読むしかない。「そんなことが許されるのか…」、わからない。分からないまま、ページに目を這わせ始めた。

1977年、夜空を眺めてボイジャー1号・2号に思いを馳せながら、シュン(俊介)、ミッチョ(美智子)、トシ(敏彦)、ユウ(雄司)4人の小学4年生が、カシオペアの丘に将来遊園地を作ることを夢見る。29年後40歳を目前にして4人は、シュンの肺ガンをきっかけに再会することになる。もちろん細かい経緯は読みとれないが、ざっと以下のような内容だ。

シュンは、かっての北都の石炭王で今も札幌に拠点を持つ地方財閥「倉田」の経営者ケンの弟で、創業者の祖父倉田千太郎への敵意から東京の大学へ進み、北海道には戻らなかった。ミッチョを、学生時代に妊娠させてしまうが、流産。その後、二人は別々に家庭を持つ。シュンは東京で恵理と結婚し、その養子として「柴田」姓を名乗り、小学5年生の哲生の父である。

トシの父は、40年前に北都(ほくと)市であった炭鉱事故でシュンの祖父倉田千太郎([リア王」)の判断で注水が行われ、多くの坑夫たちとともに落命する。トシの母は、終生、孫のシュンに対してつらく当たり続けて死ぬ、さびしい人であった。

ミッチョは北都で小学校の先生、トシは現在車いす生活でミッチョの夫である。

ユウは東京でテレビ関係の仕事についている。さらに、変質者に、娘の真由を殺された川田夫妻が物語に絡んでくる。

前述のとおり、細かいやり取りは分からないが、肺がんとなったシュンは二度と帰らないと決めていたふるさとへ向かう。小学校幼なじみに会うために、妻子を連れて東京から北都へ一泊二日の旅に出るが、そこで重篤な状態となり動けなくなる。

下巻裏:「二十九年ぶりに帰ったふるさとで、病魔は突然暴れ始めた。幼なじみたち、妻と息子、そして新たに出会った人々に支えられて、俊介は封印していた過去の痛みと少しずつ向きあい始める。消えてゆく命、断ち切られた命、生まれなかった命、さらにこれからも生きてゆく命が織りなす、温かい涙があふれる交響楽。」

細かくは分からないが、この作品は、様々な人々の、それぞれの<罪の赦し>をテーマにした物語りである。その意味では、典型的な重松清の作品と言えるだろう。また、著者の作品としてはいささか重厚過ぎて重たい印象は否めない。ちなみに、本作のことを「文庫版のためのあとがき」で著者自身が「いままで僕が書いた中で最も長いお話である」(408ページ)と述べている。

とにかく、ただひたすら、一所懸命に、最後まで到達できてよかった。

3 122 赤坂真理「愛と暴力の戦後とその後」(講談社現代新書;2014/5月):感想5

2014年08月09日 20時18分04秒 | 一日一冊読書開始
7月9日(土):

301ページ  所要時間 4:10     図書館

著者50歳(1964生まれ)。16歳の日本人少女が「昭和天皇は戦争犯罪人である」を論題にアメリカの高校でディベートする物語り『東京プリズン』(河出書房新社)で毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞・紫式部文学賞を受賞。

16歳でアメリカに留学したが、失敗。学年を一つ落として、日本の教育制度に復帰できたが、若年での経験としては、心の傷となり、他人とは別のものを考える契機となった。

まえがき「これは、研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録である。/それがあまりにわからなかったし、教えられもしなかったから。私は歴史に詳しいわけではない。けれど、知る過程で、習ったなけなしの前提さえも、危うく思える体験をたくさんした。/そのときは、習ったことより原典を信じることにした。/少なからぬ「原典」が、英語だったりした。//これは、一つの問いの書である。/問い自体、新しく立てなければいけないのではと、思った一人の普通の日本人の、その過程の記録である。」

「天皇の戦争責任」「靖国神社参拝」「日本国憲法改革に対する保守安倍晋三の矛盾」「60年安保と70年安保の違い」をはじめ、日本の戦後に「見て見ぬふりをして」または「何故か関心をもたれてこずに」やり過ごされてきたことに対して、「隠されてきたものを、敢えて見る」意志を持って、例えば地域の運営委員経験など足元の日常生活から、新たに見直そうとした書である。

著者自身述べるように、歴史家でも学者でもない著者の論は、時に空虚な印象を受けることもあったし、正確ではないようにも思えるところがあったが、俺とほぼ同世代の目を通した肉声は、実のあるうるおいを感じさせ、正鵠を射ている部分もたくさんあった。

「天皇の戦争責任」など、時に緊張の走る内容に対しても、著者独自の新しい視点によって、「勇気」を免れた形で論が展開されていた。前半よりも、後半が俺には面白かった。付箋でハリネズミのようになった。

著者の文章は読みやすくわかりやすいが、生温い印象もあるが、読み通して観ると斬新な内容の本だったと言える。

目次:まえがき/プロローグ 二つの川/ 第1章 母と沈黙と私/ 第2章 日本語はどこまで私たちのものか/ 第3章 消えた空き地とガキ大将/ 第4章 安保闘争とは何だったのか/ 第5章 一九八〇年の断絶/ 第6章 オウムはなぜ語りにくいか/ 第7章 この国を覆う閉塞感の正体/ 第8章 憲法を考える補助線/ 終 章 誰が犠牲になったのか/ エピローグ まったく新しい物語のために

・敬宮愛子内親王について:しかし、生まれてこのかた「おまえではダメだ」「要らない」と暗に言われ続けた子として見たならば、けなげなくらい、問題を出さないいい子ではないか。逆に、そのよい子すぎぶりに、私は涙が出そうになり、もっと荒れていいよ愛子! などと、一人の子供としての彼女を応援したくなった。そしてそんな彼女に対して無条件の肯定と抱擁を与えられるとしたら、母親しかいない。/その世界にあるのは、こういう命題だ。/後継者は、世襲で、かつ男系の男子でなければいけない。/オウム真理教のような、シャーマニズム的な新興カルトまでが、ごく素朴にそうするとしたら、そこには近代天皇制が水のように染みているとしか言いようがない。//そしてどこまでも「近代天皇制」であり、近代以前の天皇のことではない。202~203ページ

・でも、不思議なことだが、「改革」と言うと、なぜか、いいことがなされるような響きがある。/それが「改革」が不思議と大衆的支持を得てしまう理由なのかもしれない(往々にして、改革の犠牲となった層が、改革を支持してきたのが近年の特徴でもあった)。238ページ

・日本国憲法について:しかし一方で、「アメリカの押し付けだから破棄すべきだ」という物言いにも、与する気にはなれない。他者が書いたということと、内容の価値は、いったん別ものとして精査すべきであると思う。もらおうが拾おうが押し付けられようが、いいものはいい、と言ったっていいはずだ。/なぜ正直に、/「私たちがつくったものではないが、美しく、私たちの精神的支えとなってきた」/と言えないのだろうか。日本人がそう世界に向けて言えれば、それは日本人の度量を示すことにもなる。うまく敗けることは、ただ勝つよりおそらくむずかしい。プライドの示し方は、強さの誇示だけではない。男らしさの誇示でもない。/あるいはこれを外交カードに使えないのだろうか? 望まない戦役に巻き込まれることを、この憲法の来歴と内容を盾に、断るようなことはできないだろうか? /戦争は多量の破壊と喪失以外に何ももたらさないけれど、ごくまれに奇跡のような言説や概念を世に出そうとすることがあるのか、と、あらためて思う。/だったらばそれを、共同体や世界の財産と考える、という憲法のとらえ方があってもいい。/それはノーベル文学賞にも平和賞にも値すると私は思う。/しかしそれには、敗北から始めるという自らの立場をごまかさずに明らかにして、その前と後にあるすべての経緯を、すべての人に、明らかにしなければならない。/そうして初めて、とれる第三第四の道も、見えてくるだろう。266~267ページ

・靖国は本当に死者を慰めることができているのか? /略/だったらどうしたらいい? /ここが、実際的な議論がすべて止み、永遠の感情論がすれ違い始めるポイントである。政治と宗教がくっつき、国家をなし、それが大量の死を生み出してしまったとき、その死をどうしたらいいのか、誰がどう責任をとれるのか。救うのは政治家なのか神官なのか、はたまた同胞の集合意識なのか国際世論なのか。/こう考えるとき初めて、私は、叩きのめされるほど身にしみて知るのである。/「近代国家」の要件が、政治と宗教の分離であったわけを。/そうでなければならなかったわけを。/それが、「国民軍」が戦える理由であることを。/日本には義勇軍からなる国民軍は、歴史上一度も存在しなかった。自らの意志で日本人となり、日本国のために戦った人は、いなかった。288ページ







150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)