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もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

180928 アベに贈る言葉:「おごる平家久しからず。ただ春の夜の夢のごとし」(平家物語)、「つゆと落ちつゆと消えにし我が身かな、なにわのことも夢のまた夢」(秀吉)、「天下は天下の天下なり」(家康)

2018年09月28日 06時26分35秒 | つぶやき
9月28日(金):

私利私欲のアベに贈る言葉:「おごる平家久しからず。ただ春の夜の夢のごとし」(平家物語)、「つゆと落ちつゆと消えにし我が身かな、なにわのことも夢のまた夢」(秀吉)、「天下は天下の天下なり」(家康)
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180927 植民地支配の過去の歴史に目を閉ざし、向き合えない臆病で卑怯なアベは「やるやる詐欺」にしかなれない。こいつにまともな日朝交渉は絶対できない。

2018年09月27日 23時04分10秒 | 時代の記憶
9月27日(木):     日本のメディアは突っ込まないが…(C)共同通信社

植民地支配の過去の歴史に目を閉ざし、向き合えない臆病で卑怯なアベは「やるやる詐欺」にしかなれない。こいつに日朝交渉は絶対できない。アベの誤魔化しのしわ寄せは<日本国民の血税>の全く無意味な垂れ流しの廃棄に変換される。

日刊ゲンダイ米紙がチクリと指摘 安倍首相の日朝会談“やるやる詐欺”  2018/09/26 16:00 
  日本のメディアも見習ったらどうだ――。23日の夕食会で、拉致被害者家族からのメッセージをトランプ大統領に伝達した安倍首相は、会談後、「次は私自身が金正恩委員長と向き合っていく」と語った。
  何度も聞いたセリフだ。一体いつ向き合うのか。
  “やるやる詐欺”にしか見えないが、米ワシントン・ポスト紙(23日付)が、この点をチクリと指摘した。
  <日本の安倍シンゾー首相は「自ら金正恩氏と会って相互不信の殻を打ち破る」と、何度も“決意”を表明してきた。ところがこれまで、会う“兆し”すら、まったく見えてこない。決意と現実は全く逆である
  日本の大メディアは突っ込まないが、米紙は安倍首相の“ポーズだけ”を、とっくに見抜いている。米国の読者は、かわいそうな日本国民に同情しているだろう。

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8 009 是枝裕和「万引き家族」(宝島社:2018)感想5

2018年09月27日 02時29分02秒 | 一日一冊読書開始
9月26日(水):          

276ページ     所要時間4:00      図書館

著者56歳(1962生まれ)。日本の映画監督、脚本家、ドキュメンタリーディレクター、映画プロデューサー。東京都練馬区出身。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。ドキュメンタリー出身の映画監督として知られ、国内外で高い評価を受ける日本人監督の一人である。

今日、図書館で見つけ、今日読んだ。もともとが映画作品なので文章やストーリー展開が映像的でわかりやすい。映画作品のキャストの写真をネットで眺めながら読み続けた。読み終わったら、確かに映画を一本見終わった気分になっていた。

6人のごく普通の家族が全員赤の他人だった。息子の家族から見放された老人、母親から虐待を受け続けた女性、両親からのネグレクトとDVを受けている幼児、妹の存在により家族内で強い疎外感を感じる若い女性など、「血縁による家族」という”制度”の中で、居場所のない、居場所をなくした者たちが、吹き溜まりのように集まって疑似家族を形成する。

多少の窮屈さと不満を抱えながら各自がそれなりに疑似家族関係に居場所と充足感を覚え、その関係に救われていた。しかし、それは今の日本社会では正当性を持たない違法な存在である。

血のつながりを家族の最重要な要件とする考え方の危うさ、血がつながらない疑似家族関係によって救われる状況が十分にありうることを題材にした作品である。そして、登場人物に対して、きめ細やかに行き届いた人格と背景が与えられて読み手を白けさせないで牽引するストーリー展開に安心して乗っかることができた。

人間存在に対するきめ細やかさと敬意、尊重は表現者としての著者の真骨頂と言える。途中、主人公の一人信代の姿を見ていて、最近読んだ角田光代「八日目の蟬」とオーバーラップした。欲しくても得ることができなかった家族、母親となることは、必ずしも血がつながっていなくても可能なのではないか?

これまで「家族」のあり方の問題を追究してきた著者が、ある意味、究極の「突き抜けた家族像」を作り上げ、そこから現実社会での固定観念化した「家族」制度に対する盲目的信頼、依拠、血縁による<絆(きずな)>に対して、「その観念的<家族像>、<家族制度>から漏れ墜ちて救われない人々が大勢生まれてきている。もっと自由に家族像を捉えなければいけない時代になっているのではないのか」と強く問いかける作品になっている。

「捨てたんじゃない」/信代は小声でそう言った。/宮部はその言い方に含まれた信代の反抗を見逃さなかった。/「捨ててるでしょ」/信代のような罪の意識の低い犯罪者を、宮部は特に嫌悪していた。/信代も正義を振りかざし、断罪し、人のあるべき正しさを説く宮部のような人間は大嫌いだった。/「拾ったんです・・・・・・」/信代が何を言おうとしているのか宮部には分らなかった。/誰かが捨てたのを拾ったんです。捨てた人は、他にいるんじゃないですか?」/私たちがいったい誰を捨てたというのだ。息子夫婦に捨てられた初枝と同居し、居場所を失った亜紀を居そうろうさせさせ、放っておいたら死んでいたかもしれない翔太とりんを保護した。それがもし罪に問われるのだとしたら、彼らを捨てた人々はもっと重い罪に問われるべきじゃないか。信代はまっすぐに宮部を見た。/(どうせあんたみたいな人には、わからないだろうけど)/信代は心の中でそう呟いた。241~242ページ

【内容情報】第41回日本アカデミー賞にて、最優秀作品賞をはじめ6冠を獲得した、『三度目の殺人』の是枝裕和監督が最新作「万引き家族」を自ら小説化。 是枝監督が小説で描き出す、「家族の絆」とはーーー。 「彼らが盗んだものは、絆でした」 とある住宅街。柴田治と息子の祥太は、スーパーや駄菓子店で日々万引きをして生計をたてていた。 ある日、治はじゅりという少女が家から閉め出されているのを見かねて連れて帰ってくる。 驚く妻の信代だったが、少女の家庭事情を案じ、 一緒に「家族」として暮らすことに。 年金で細々と生きる祖母の初枝、JK見学店で働く信代の妹・亜紀。 6人家族として幸せに暮らしていた。 しかし、ある出来事を境に、彼らの抱える 「秘密」が明らかになっていくーーー。 //「犯罪」でしかつながれなかったー。万引き・年金不正受給・虐待…。是枝監督が自ら描く、映画ではかたり尽くせなかった「家族」の在り方。
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180924 一年前:170923 この期に及んで共産党を批判する前原詐欺師は、未熟な中高生のガキであり、国民に対する犯罪者だ。まず政権交代を見せろ!

2018年09月24日 21時59分22秒 | 一年前
9月24日(月):  前原詐欺師のいる国民党は消滅しろ!

「170924 内弁慶の前原詐欺師よ!安倍に勝つ気が無いなら辞めろ!なぜ地方の選挙共闘努力の足を引っ張るのか?アベの味方か?!」もあります。

170923 この期に及んで共産党を批判する前原詐欺師は、未熟な中高生のガキであり、国民に対する犯罪者だ。まず政権交代を見せろ!

9月23日(土): イライラがつのる。今の思いを殴り書きをする。この期に及んで、国民に対して(党ではない)責任ある野党第一党代表であるのに、協力してアベ自公政権を倒さなければな......

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180920 二年前:160711 なぜ、安倍が勝つのか?安倍が増殖していく。恥ずかしい国ニッポン。

2018年09月21日 00時02分01秒 | 一年前
9月20日(木):          

160711 なぜ、安倍が勝つのか?安倍が増殖していく。恥ずかしい国ニッポン。
                        2016年07月11日 21時01分42秒 | 徒然・雑感
2016年)7月11日(月):

なぜ、安倍が勝つのか?安倍が増殖していく。恥ずかしい国ニッポン。

平気でうそをつく。言動に責任を取る意思すらない。弱者に目を向ける感性を欠き、自らを強者連合の代表と考え、一掴みの偏ったステークホルダーの利益代表としてふるまい続けることを政治だと勘違いしている。底の浅い思い込みや拝金主義の理屈はあっても、決して哲学や理想と呼べるものは存在しない。

唯一存在するのは、人間の存在に対して徹底的になめ切った軽蔑のみだ。「へたに理屈を言わない方が良い。吐く言葉に意味など不要だ。命に別条がない限り、権力が見せ金をばら撒けば、連中(大衆)は付いてくる」という確信で動いている。

手玉に取られた振りをして、儲けまわっているごく一部の金持ちと命に別状はないと無関心な大衆が、弱者切り捨ての政策を受容している。横で涙を流している子供やお年寄りやシングルマザーがいても、「自己責任でしょ」で済まされると思っている。

安倍(的なるもの)はどんどん増殖する。坂道を転がり落ちるように容易なことだ。なぜなら、人間の最も浅ましい感情のふたを開放する存在なのだ。「なんだ、それやってもいいんだ。」今まで人間を自然に任せてはいけないということで常に意識的に封印されてきた欲望や差別意識や利己心、無責任な言動などすべてを開放する運動のようなものだ。

逆の行動をとることは大変苦労して築き上げねばならないが、壊すだけなら簡単だ。昨日の参議院選協の結果を受けて、今日の日経平均は601円高だ。今吸える甘い汁を吸えるだけ吸って、(安倍の)あとは野となれ山となれ、である。

この浅ましさのエネルギーに対抗するためには、よほどの覚悟がいる。帝政ロシアのナロードニキのような過激派になることなく知識人や学生の正義を実現する闘いは、やはり困難なのだろうか。派遣や契約社員、ブラック企業に搾取される若者、貧しい母子家庭、貧しいお年寄り、それでもまだまだ日本人は苦しみが足りないということなのか。日本の有権者の投票行動を見ていると、「結局、こいつら(大衆)も頭の悪い無責任な安倍なのか」と思えてくる。

最後は、戦争で死ぬ羽目になってもこいつらは「仕方ないよ」で終わるのか。それであれば、人間の英知は不要ということか。致命的な過ちが繰り返される。歴史学も哲学も法律学、政治学さえ無意味に終わってしまう。

安倍を勝たせるということは、日本人から気高さが失われていくことだ。安倍自民党に一票を投ずるたびに、そいつも安倍になる。安倍が日本中に増殖していく。日本社会は、どんどん恥知らずの巣窟となっていく。恥ずかしくもみにくい鬼胎の時代がまた訪れようとしている。
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8 008 国谷裕子「キャスターという仕事」(岩波新書:2017)感想5

2018年09月20日 00時38分47秒 | 一日一冊読書開始
9月19日(水):  

256ページ      所要時間3:05      ブックオフ108円

著者60歳?(1957生まれ?)。大阪府生まれ.1979年,米国ブラウン大学卒業.1981年,NHK総合〈7時のニュース〉英語放送の翻訳・アナウンスを担当.1987年からキャスターとしてNHK・BS〈ワールドニュース〉〈世界を読む〉などの番組を担当.1993年から2016年までNHK総合〈クローズアップ現代〉のキャスターを務める.1998年放送ウーマン賞'97,2002年菊池寛賞(国谷裕子と「クローズアップ現代」制作スタッフ),2011年日本記者クラブ賞,2016年ギャラクシー賞特別賞を受賞.

著者は、NHKの良識ともいうべき「クローズアップ現代」のキャスターを23年間続け、使命感と職業倫理に殉じた結果、意に反する契約解除となった。先日、ブックオフで見つけ、迷わず買った。

1993年~2016年の23年間は、俺の人生と重なっている。いつもではないが、何か大きな出来事があった時には必ず録画したりして参考にし続けてきた番組である。非常に重要な時代の証言者>による番組の<回顧と展望と言える。著者を退職に追いやった現在の状況を含めて、今後の”展望”はあまり良くない。

眺め読みで、なかなか細かい内容をしっかりと抑えるというところまではいかなかったが、素直に「こういう人だったんだ」とご本人に出会ったような気分になれた。「非常に聡明で良識的なのは勿論のこと、事にあたって恐れることなく筋を通して、いま一歩を強く踏み出すことのできる人だったんだ」と思えた。それだけ感じられただけでも読んだ甲斐が十分にあった!

著者はキャスターという仕事に対して非常に強い心意気をもって取り組んできた。そして、筋を通して貫いた結果、NHKとの契約解除、キャスター退職となった。変節したのはNHKであり、日本の社会状況である。その意味では、時代の座標軸たりうる存在でもある。

23年間、3784本の番組を一冊の本で振り返ることは無理であり、タイトルだけでも触れられたのがわずかに80本程度に過ぎなかった。「終章」と「あとがき」だけでも読む価値が十分にある。

番組を担当した四半世紀近くの間に、何が一番変化したのか。それは経済が最優先になり、人がコストを減らす対象とされる用になったこと。そして、一人ひとりが社会の動きに翻弄されやすく、自分が望む人生を歩めないかもしれないという不安を早くから抱き、自らの存在を弱く小さな存在と捉えるようになってしまったのではないかと思っていた。略。一人ひとりの個性が大切だと言いながら、組織の管理強化によって、社会全体に「不寛容な空気」が浸透していったのではないだろうか。<クローズアップ現代>がスタートしたころと比べて、テレビ報道に対しても不寛容な空気がじわじわと浸透するのをはっきりと感じていた。(231~232ページ)

NHKは従来一つの番組の中でバランスをとる、公平を担保するというのではなく、番組の編成全体の中で公平性を確保する、としてきた。個々のニュースや番組の中で異なる見解を常に並列的に提示するのではなく、NHKの放送全体で多角的な意見を視聴者に伝えていく、というスタンスだった。/略。/ここ二、三年、自分が理解していたニュースや報道番組での公平公正のあり方に対して今までとは異なる風が吹いてきていることを感じた。その風を受けてNHK内の空気にも変化が起きてきたように思う。(236~237ページ)

【目次】第1章 ハルバースタムの警告 :スクープ930/ニュースとNHKスペシャルとの間で/ハルバースタムの警告/言葉の持つ力/テレビ報道,3つの危うさ/風向きの原則
第2章 自分へのリベンジ :英語放送からのスタート/駆け出し時代/「伝えること」の出発点/ジャーナリズムへの入り口/誰も観ていないテレビ/大学か,それとも仕事か/挫折/なりたい自分が見えた/時代の現場に立つ/歴史が私を押し出した/試練のインタビュー/リベンジの時
第3章 クローズアップ現代 :この人,大丈夫なの?/私の役割は何?/初めての政治家インタビュー/時代の変化に背中を押されて/初めての震災報道
第4章 キャスターの役割 :キャスターとは何者か/クローズアップ現代の構成/キャスターの役割=視聴者と取材者の橋渡し役/キャスターの役割=自分の言葉で語る/キャスターの役割=言葉探し/細分化する言葉
第5章 試写という戦場 :クローズアップ現代が放送されるまで/2回の全体試写/真剣勝負/キャスターとして発言する/それは本当に必要ですか?/一番伝えたいことは何ですか?/「時間軸」からの視点/最後のバトンを受けて走り切る
第6章 前説とゲストトーク :「熱」を伝える/言葉の力と怖さ/フェアであること/キャスターとしての視点/生放送へのこだわり/「俺は帰る」/対話の空気をそのままに/見えないことを語る/あともう一問
第7章 インタビューの仕事 :インタビューへの興味/「聞く」と「聴く」/失敗するインタビューとは/17秒の沈黙/準備した資料を捨てるとき/聞くべきことを聞く/しつこく聞く/それでも聞くべきことは聞く/額に浮かんだ汗
第8章 問い続けること :アメリカのジャーナリズムとテッド・コペル/「言葉の力」を学ぶ/「同調圧力」のなかで/インタビューに対する「風圧」/失礼な質問/フェアなインタビュー/残り30秒での「しかし」/言葉によって問い続けていくこと
第9章 失った信頼 :「出家詐欺」報道をめぐって/問われるべきこと/「編集」の持つ怖さ/もう一つの指摘/壊れやすい放送の自律
第10章 変わりゆく時代のなかで :海外からの視点/進まない中東和平/逆戻りする世界/二人のゲスト/派遣村の衝撃/しっぽが頭を振りまわしている/「暗いつぶやき」を求めて/東日本大震災/原発事故報道/ある医師の声/伝え続けること
終章 クローズアップ現代の23年を終えて :新しいテーマとの出会い/誰一人取り残さない/年末の降板言い渡し/危機的な日本の中で生きる若者たちに八か条/再びハルバースタムの警告を
あとがき


【内容紹介】今という時代を映す鏡でありたい──.従来のニュース番組とは一線を画し,日本のジャーナリズムに新しい風を吹き込んだ〈クローズアップ現代〉.番組スタッフたちの熱き思いとともに,真摯に,そして果敢に,自分の言葉で世に問いかけ続けてきたキャスターが,23年にわたる挑戦の日々を語る。

読者のみなさんへ  国谷裕子番組を離れて10か月が経ち,〈クローズアップ現代〉に自分なりの区切りをつけたいと思いました.私には,次に向かって進むために,番組とともに過ごしてきた時間を整理することが必要だったのです.番組との出会いと別れ.キャスターの仕事とは何かと悩んだ日々.記憶に残るインタビューの数々.そしてテレビの報道番組が抱える難しさと危うさ.偶然のようにしてキャスターになり,大きな挫折も経験し,そのことへのリベンジとしてキャスターをやめられなくなった私.番組を制作する人々の熱い思いに突き動かされながら,様々な問いを出し続けてきました.この本は,言葉の力を信じて,キャスターという仕事とは何かを模索してきた旅の記録です.

【雑誌記事】「クロ現」と共に歩んだ40代から支持を集め8万部。国谷裕子さん初の著書
1993年4月から2016年3月までの23年間、硬派な情報番組として多くの視聴者に愛されてきたNHKの〈クローズアップ現代〉。その番組の顔として活躍してきた著者が、キャリアの一区切りという意識で書き上げた新書が、順調に売れ行きを伸ばしている。番組に抜擢される前の挫折、放送開始後の悪戦苦闘、阪神・淡路大震災や9・11テロといった大事件と向き合った記憶……自らの波乱万丈のキャリアを、番組の制作事情や時代背景と重ね合わせつつ振り返る筆致は冷静だが、ぐいぐいと読者を引き込んで行く。
 「本書は国谷さんの初めての著書なのですが、まるでそうは思えない書きぶりでした。お書きになる文章に思いというか、熱がすごく宿っていたんです。ですから編集する上では、文章に手を入れすぎず、国谷さんらしさを活かすことを心がけました。目次だてもほぼ国谷さんからご提案いただいたものそのままです」(担当編集者の永沼浩一さん)
 新書の読者は一般的に50代の男性が中心だという。しかし本書の読者層は違う。
 「読者の比率は6対4で女性の方が多いです。年齢層は幅広いですが、中心となっているのは40代。〈クロ現〉の放送が始まったころちょうど社会人になった世代が手に取っている感触があります。そうした方々には、国谷さんと一緒に歩んできたという意識があるのかもしれませんね」(永沼さん)
 評者:前田 久  (週刊文春 2017.06.15号掲載)
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180918 一年前:170918 「160802 戦後日本政治の<分水嶺>、2001年ナチス麻生の野中広務氏部落差別事件」

2018年09月19日 01時00分01秒 | 一年前
9月18日(火):
170918 「160802 戦後日本政治の<分水嶺>、2001年ナチス麻生の野中広務氏差別事件」
9月18日(月):まだ見に来てくれる人がいるので、「160802 記事のタイトルを入力してください(必須)」に遅ればせながら、タイトルを付けました。「160802 戦後日本政治......

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8 007 原作内藤みか、漫画あらた真琴「数学しかできない息子が早慶国立大学に合格した話。」(ぶんか社:2016)感想3+

2018年09月18日 22時44分36秒 | 一日一冊読書開始
9月18日(火):  

152ページ      所要時間3:00       ブックオフ200円

原作者 45歳?(1971?生まれ)。作家、エッセイスト、脚本家として幅広いジャンルの著書を多数手がけるほか、イケメン評論家として女性誌コメントなどでも活躍中。脚本を手がけたラジオドラマ「婚活バスは、ふるさとへ」(YBS)は文化庁芸術祭優秀賞&日本民間放送連盟賞優秀賞受賞。

数学の適性には、やはり生まれながらの遺伝的素質(ギフテッド)があるのを再認識させられた。一方で、集中するあまり、物忘れや不注意による事故などが多く、受け皿のない社会で心無い教師や同級生からのいじめを受けることもままあることを考えれば、一概に羨ましいと言ってもいられない。全体としてのバランスが取れてることに越したことはないのだ。

ただ、突き抜けて数学の才能がある場合には、もちろん親子で相当頑張って工夫・努力する必要はあるが、数学だけで超進学高校にも合格できるし、早稲田、慶応、それに匹敵する国立大学への進学も可能な仕組みに世の中がなっていることを再認識した。

私立の進学校で使用される検定外教科書の存在も知っていたような、知らなかったような…、再認識をした。そういえば、俺も高校の時に通っていた塾でプログレスという恐ろしく難しい英語のテキストに日々苦しめられていたことを思い出した。ウィキペディアで調べたら、「プログレス」は代表的な「検定外教科書」ということだった。

本書の内容は、おおよそ「そういうことだろうな」と思っていた通りの内容だったので、改めて「やっぱりそうか」という”再認識”に終始したということである。それにしても「やっぱりそういう人間がいるんだ」という驚きとも、ため息ともつかない気分が残った。「家庭環境や人との出会いに恵まれて、数学に集中して生きられれば幸せだし、大多数はそういう条件に恵まれることはないだろうし、その場合どんな人生が待っているのか・・・」、良いとも悪いとも言えない。

普通の人にはない能力を持ち合わせていること自体には、やはり羨ましさを覚えるのも確かである。感想3+は、この辺が妥当だと思う。下らなくもないが、それほど大した内容の本(漫画)でもない。

【目次】妊娠・出産編(天才を産むために/数を数えるとごきげんに ほか)/小学生編(問題児だといわれても/息子は病気じゃありません! ほか)/中学生編(数学少年の特徴/難問に集中すると忘れ物が増えるの法則 ほか)/高校・大学生編(数学少年だらけの高校へ/「ぼくは素数になりたい」 ほか)

【内容情報】ちょっとズレた発言&行動から発達障害を疑われたりいじめにあうことも…そんな息子の「個性」をどう守り、伸ばし、育ててきたのか!?「笑い」と「闘い」の日々を描いた奇跡のコミックエッセイ!
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180918 昨夜の報道ステ、ニュース23でアベの低い知能と愚劣な人格が、さらにひどく壊れているのを確認。正常な石破の圧勝。

2018年09月18日 19時03分36秒 | つぶやき
9月18日(火):

 シンゾーは、画像の中で落ち着きなく目をきょときょとさせて、一人で勝手に感情的になって意味もなく早口でまくし立てて話し続けるが、聞いていてあとに「何が言いたいのか」全く残らない。これほど脈絡もなく内容の無い言葉を延々と羅列する人間を俺は周りで見たことがない。もしそんなバカがいれば、絶対に職場ではやっていけない。

 現総理という一方的に有利な立場の人間は度量を示して、相手候補に対して少し譲ってこそバランスが取れるというものだが、恐慌状態のアベは明らかに石破の発言時間を奪っているのに、それを気にする様子すらない。

 一方、石破の言葉は、短い時間に肝心なことを簡潔に語り切っていて、聞いた後に「何を言いたいのか」が、よく残った。話している内容から言っても石破の方が圧倒的に常識的で納得のいくものだった。俺は別に、政治家として石破を好きでもないし、支持をしている訳でもないが、この討論?話し合いに関しては、明らかに石破の圧勝だった。

 自民党はさらに3年間もこの愚か者のシンゾーでやっていくつもりなのか。正気か?! 本当に日本も終わりだ。
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8 006 司馬遼太郎「播磨灘物語(下)全三巻」(講談社:1975)感想5

2018年09月18日 01時48分04秒 | 一日一冊読書開始
9月16日(日):       

二段組276ページ     所要時間8:35      図書館リサイクル本

著者52歳(1923~1996:72歳)

今日一日で一冊を読み切ったが、所要時間8:35に少し呆然としている。「そんなにかかったのか・・・」。意味は二つ、「一冊にこんなに時間をかけていては話にならん。」と、「時間をあまり意識せずに読み切れたのはやっぱり司馬さんの力である。」ということ。

一方で、振り返ってみて、読んだ内容をぼーっとしか思い出せない。司馬さんの下調べ、調査能力のすさまじさは記憶に残っている。司馬さんの著作のすごさは会話文などは極力少なく、時代背景や人物紹介の細やかさ、たくさんのトリビアな知識などが物語りの中でが展開されていく。その中で、深い思慮分別が説教臭くなくさまざまに示される。司馬さんの精神性のすがすがしさも、人物への嫌悪感も自然に伝わってくる。

下巻では、三木城落城後の、城主逃亡後の御着の無様さ、秀吉の本軍2万人+宇喜田軍1万人の計3万人での本格的毛利攻め、備中高松城水攻めの様子、信長の影に怯え苦しむ毛利、清水宗治の潔さを持て余す毛利、安国寺恵瓊の動き、中国大返し、山崎合戦での明智光秀討滅(本能寺の変から11日後!)までで、事実上本編は終わった。大河ドラマ「軍師官兵衛」では、全50話中の第30話「中国大返し」までであり、残り20話分、すなわち豊臣政権と関ヶ原での官兵衛の存在は本編では書かれていない。

そのあと残り22ページを使って、駆け足でその後の秀吉政権成立、無謀な朝鮮侵略、秀吉の死、豊臣政権の亀裂に便乗する徳川家康、関ヶ原の戦いと同時に官兵衛が九州制圧を目指して挙兵、関ケ原の戦いが半日で決着がついたのを知り、あっさりと撤収する、までが非常に読みやすくまとめられていた。

・備中高松城の水攻めでは、堰堤を作ることよりも、本当に難しかったのは足守川の流れをせき止めて変える工事だった。
・印象に残った魅力的人物は、小早川隆景と清水宗治。
・小早川隆景が、安国寺恵瓊を危険視していたのは知らなかった。
・関ヶ原の戦いを前にした黒田長政の徳川方に立った政治工作は官兵衛の指示であったのも知らなかった。

【目次】野火/山陽道/備中の山/備中高松城/安国寺殿/変報/東へ/尼ヶ崎/遠い煙/如水/あとがき
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180917 (政治断簡)キリない怠慢、華麗なる欺瞞 編集委員・高橋純子

2018年09月17日 15時39分42秒 | 時代の記憶
9月17日(月):  

朝日デジタル:(政治断簡)キリない怠慢、華麗なる欺瞞 編集委員・高橋純子
                                  2018年9月17日05時00分
  過日。出張先にて立ち寄った喫茶店のトイレ、個室の右側の壁に貼り紙がしてある。
  「最近、トイレットペーパーを大量に使用しているお客様がいらっしゃり、便器が頻繁につまっております」「そのたびに従業員が便器に手を突っ込んで取っています」
  なんとストレートな愁訴であろうか。黙ってトイレを詰まらせるとは迷惑千万、後に続くは当然、「大量に使うのはお控えください」だろうと読み進めると……むむ?
  「たくさん使っても構いませんので、少量をこまめに流していただけるとつまらなくなると思います。ご協力をよろしくお願い致します」
  なぜだ。なぜ「構わない」なんて言うのだ。
     *
  便器に手を突っ込む事態さえ回避できればいい。その気持ちはわかる。わかるから余計に、元凶を正さずに対処法でしのぐということではいけないと思う。おかしいことをおかしいと言わずにいたら人は、生きていく上で土台となる部分をすり減らし、しゃんと立つことができなくなってしまうから。
  でもこういうこと、あちこちで起きているんだよねと、個室で独りごちる私。膿(うみ)を温存したまま講じられた“再発防止策”、「行政をゆがめても構いませんので、公文書として残さずメモもこまめにとらないで頂けるとバレなくなると思います」みたいなことをやらされる官僚とかさ。
  「強者」の理不尽にさらされ続けると、抵抗する気力を奪われ、そのうち粗末な「エサ」をもらっただけで大変な恩顧を受けたかのごとく感じるようになる。かくして「強者」はますます増長し、さらなる理不尽が横行する。「正直、公正」なんて当たり前のことを言うと叱られるこの国、なんて美しい国
  無理が通れば道理はわりと簡単に引っ込むことを思い知らされたこの6年。ボーッとしていたら飼いならされる。おかしいことはおかしいと声を上げ、気弱な道理を励ましてあげなければならない。見えない首輪をふりほどき、当たり前を取り戻すのだ。
     *
  さて自民党は総裁選のさなかである。政策の中身よりも、恫喝(どうかつ)、締め付け、乗れ乗れ勝ち馬、諸センセイ方のお尻の穴の小ささがいやに際立つ低調な選挙戦、それでも首相は憲法改正が争点だったということにしておきたいのだろう、先月末、横浜市で開かれた自民党の会合で「憲法改正に取り組んでいく責任がある」「発議をしないのは国会議員の怠慢ではないか」と述べたという。
  へー。怠慢だって。へー。
  ならば教えて頂きたい。
 同性カップルを念頭に「生産性がない」と主張し、当事者らから強く批判されたのに公式に会見も謝罪もしない国会議員は怠慢ではないのか。それをなんだかよくわからない「指導」で済ませている自民党は怠慢ではないのか。言い出したらキリがないほど累積している怠慢を放置して憲法改正に固執する首相は怠慢傲慢(ごうまん)華麗に欺瞞(ぎまん)ではないか。
 「責任」を言うならまず、自分のお尻を自分で拭く。
 話はそれからである。
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180917 再掲 :180518 132万PV超:【政治季評】忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く 豊永郁子  ※朝日新聞にも曽我豪というアベのアイヒマンがいる(もみ)

2018年09月17日 11時46分41秒 | 考える資料
9月17日(月):

 昨日、朝日新聞に忖度の犬アイヒマン曽我豪のコラムが載っていたが、”目の穢れ”でそのページ全体を読めなかった。朝日新聞はそのページ分の購読料を返せ!。それとも、購読者に購読を止めさせたいために、アイヒマン曽我豪の記事を載せているのか。腐った果実はその周りを、やがて全体を腐らせるのだ。アベの犬曽我豪は朝日新聞を辞めろ。それとも朝日は、長年の購読者の方こそ購読を辞めろというのか?

180518 132万PV超:【政治季評】忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く 豊永郁子  ※朝日新聞にも曽我豪というアベのアイヒマンがいる(もみ)
                    2018年05月19日 12時18分10秒 | 閲覧数 記録
2018年)5月18日(金):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2414日。   

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  ※朝日新聞にも曽我豪というアベのアイヒマンがいる(もみ)
朝日新聞【政治季評】忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く 豊永郁子 2018年5月19日05時00分
 アイヒマンというナチスの官僚をご存じだろうか。ユダヤ人を絶滅収容所に大量輸送する任に当たり、戦後十数年の南米などでの潜伏生活の後、エルサレムで裁判にかけられ、死刑となった。この裁判を傍聴した哲学者のハンナ・アーレントは「エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」を執筆し、大量殺戮(さつりく)がいかに起こったかを分析した。
 前国税庁長官・財務省理財局長の佐川宣寿氏の証人喚問を見ていて、そのアイヒマンを思い出した。当時、佐川氏ら官僚たちの行動の説明として「忖度(そんたく)」という耳慣れない言葉が脚光を浴びていた。他人の内心を推し量ること、その意図を酌んで行動することを意味する。私はふと、アーレントがこの日本語を知っていたらアイヒマンの行動を説明する苦労を少しは省けたのではないかと考えた。国会で首相の指示の有無を問いつめられる佐川氏の姿が、法廷でヒトラーの命令の有無を問われるアイヒマンに重なったのである。
     *
 森友学園問題――国有地が森友学園に破格の安値で払い下げられた件、さらに財務省がこの払い下げに関する公文書を改ざんした件――については、官僚たちが首相の意向を忖度して行動したという見方が有力になっている。国会で最大の争点となった首相ないし首相夫人からの財務省への指示があったかどうかは不明のままだ。
 アイヒマン裁判でも、アイヒマンにヒトラーからの命令があったかどうかが大きな争点となった。アイヒマンがヒトラーの意志を法とみなし、これを粛々と、ときに喜々として遂行していたことは確かだ。しかし大量虐殺について、ヒトラーの直接または間接の命令を受けていたのか、それが抗(あらが)えない命令だったのかなどは、どうもはっきりしない。
 ナチスの高官や指揮官たちは、ニュルンベルク裁判でそうであったが、大量虐殺に関するヒトラーの命令の有無についてはそろって言葉を濁す。絶滅収容所での空前絶後の蛮行も、各地に展開した殺戮部隊による虐殺も、彼らのヒトラーの意志に対する忖度が起こしたということなのだろうか。命令ではなく忖度が残虐行為の起源だったのだろうか。
 さて、他人の考えを推察してこれを実行する「忖度」による行為は、一見、忠誠心などを背景にした無私の行為と見える。しかしそうでないことは、ヒトラーへの絶対的忠誠の行動に、様々な個人的な思惑や欲望を潜ませたナチスの人々の例を見ればよくわかる。
 冒頭で紹介したアーレントの著書は、副題が示唆するように、ユダヤ人虐殺が、関与した諸個人のいかにくだらない、ありふれた動機を推進力に展開したかを描き出す。出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄(みえ)、ちょっとした意地の悪さ、復讐(ふくしゅう)心、各種の(ときに変質的な)欲望。「ヒトラーの意志」は、そうした人間的な諸動機の隠れ蓑(みの)となった。私欲のない謹厳な官吏を自任したアイヒマンも、昇進への強い執着を持ち、役得を大いに楽しんだという。
 つまり、他人の意志を推察してこれを遂行する、そこに働くのは他人の意志だけではないということだ。忖度による行動には、忖度する側の利己的な思惑――小さな悪――がこっそり忍び込む。ナチスの関係者たちは残虐行為への関与について「ヒトラーの意志」を理由にするが、それは彼らの動機の全てではなかった。様々な小さなありふれた悪が「ヒトラーの意志」を隠れ蓑に働き、そうした小さな悪が積み上がり、巨大な悪のシステムが現実化した。それは忖度する側にも忖度される側にも全容の見えないシステムだったろう。
     *
 このように森友学園問題に関して、ナチスに言及するのは大げさに聞こえるかもしれない。しかし、証人喚問を見ていると、官僚たちの違法行為も辞さぬ「忖度」は、国家のためという建前をちらつかせながらも個人的な昇進や経済的利得(将来の所得など)の計算に強く動機づけられているように感じられ、彼らはこの動機によってどんなリーダーのどんな意向をも忖度し、率先して行動するのだろうかと心配になった。また、今回の問題で、もし言われているように、ひとりの人間が国家に違法行為を強いられたために自殺したとすれば、そこに顔を覗(のぞ)かせているのは、犯罪国家に個人が従わされる全体主義の悪そのものではないか、この事態の禍々(まがまが)しさを官僚たちはわかっているのだろうか、と思った。
 以上からは、次の結論も導かれる。安倍首相は辞める必要がある。一連の問題における「関与」がなくともだ。忖度されるリーダーはそれだけで辞任に値するからだ。
 すなわち、あるリーダーの周辺に忖度が起こるとき、彼はもはや国家と社会、個人にとって危険な存在である。そうしたリーダーは一見強力に見えるが、忖度がもたらす混乱を収拾できない。さらにリーダーの意向を忖度する行動が、忖度する個人の小さな、しかし油断のならない悪を国家と社会に蔓延(はびこ)らせる。 すでに安倍氏の意向を忖度することは、安倍政権の統治の下での基本ルールとなった観がある。従って、忖度はやまず、不祥事も続くであろう。安倍氏が辞めない限りは。
     ◇
 とよなが・いくこ 52歳(1966生まれ)。専門は政治学。早稲田大学教授。著書に「新版 サッチャリズムの世紀」「新保守主義の作用」。

   アベのアイヒマン 曽我豪
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8 005 司馬遼太郎「播磨灘物語(中)全三巻」(講談社:1975)感想5

2018年09月16日 22時25分16秒 | 一日一冊読書開始
9月16日(日):       

二段組286ページ     所要時間6:05      図書館リサイクル本

著者52歳(1923~1996:72歳)

本を一冊読めば、一冊分だけ心が軽くなる。心がしなやかになる。

性懲りもなく大河ドラマ「軍師官兵衛」(2014)を繰り返し見続けている。今は、三木城攻めを終え、御着小寺氏が滅び、播磨征圧が完了し、宇喜田直家が八郎(のち宇喜田秀家)を秀吉に託し、いよいよ本格的な毛利攻めにかかるところである。この大河ドラマのキャスティングは非常に適切であり、人物像もしっかりしている。歴代大河ドラマの中でも、相当上位に位置づけられる傑作である。

久しぶりに一日で一冊を読み切れた。読んでいて、登場人物が映像として非常にイメージしやすいのが理由だ。ドラマと小説を重ね合わせて見ていくうちに、この「播磨灘物語」と大河ドラマ「軍師官兵衛」の筋書きは、かなり違うが、肝心な人物像や時代背景などのベースに司馬さんの「播磨灘物語」が存在することは疑う余地がない。

ドラマの題を「播磨灘物語」としないことによって、司馬作品をベースとしながら、ストーリー展開や登場人物の選択にフリーハンドを得ている気がする。そしてその試みは十分に見ごたえのある作品として成功している。ドラマでもそうだが、そのベースにある本作「播磨灘物語」では登場人物ひとりひとりの性格付けが非常にしっかりしていて、人間観察力がすごい。すご過ぎる。

信長、秀吉をはじめ、当時の武将たちの姿が手に取るように表現されている。織田軍団の性格、信長の思考の特異性など。特に黒田官兵衛については、勝手に利発・冷静な軍師という印象をもっていたのが、血も涙もあり過ぎる、私欲の極めて少ない当時としては極めて稀な武人であったことが分かり、印象ががらりと変わった。竹中半兵衛が官兵衛に相似形で深い親しみを抱いていたこと、結核で余命わずかなことを見越して、官兵衛の息子松壽丸(のち黒田長政)の命を信長の怒りから救ったこと、など秀吉幕下の両兵衛の関係も面白かった。

司馬さんの手に掛かれば、その時代のその場所やその人物がまさに今そこにあるかのように実感を持って語られるのが本当にすごい。難点を言えば、虚実皮膜、その境界が分からないことであろう。

(中)巻では、いったん織田方に靡いたはずの播磨の国人たちが、加古川評定で三木城の別所長治の叔父賀相(よしすけ)が毛利に付くと表明したことで、大分裂状態に陥り、長い長い三木城攻めの始まり、織田の六将の一人摂津の荒木村重が離反、摂津伊丹の有岡城攻城戦、説得に行った官兵衛は主君である御着の小寺藤兵衛に裏切られ一年以上の土牢幽閉、村重逃亡と有岡城落城、大量殺戮、官兵衛救出、三木城落城、別所長治一族自決まで。

(下)巻では、宇喜田の調略、備中高松城水攻め、中国大返し、秀吉の天下や朝鮮侵略はどの程度描かれるのか、そして何と言っても関ヶ原と並行して天下を狙って行われる九州平定活動など興味が尽きない。

【目次】加古川評定/三木城/風の行方/秋浅く/村重/御着城/摂津伊丹/藤の花房/夏から秋へ/村重の落去/別所衆
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180916 二年前:161203 安倍お子様外交の失敗を佐藤優に学ぶ。7月29日~12月2日「本音のコラム」(東京新聞)

2018年09月16日 13時42分43秒 | 一年前
9月16日(日):

※白痴(あえて使う)のアベが、外交でこれだけのことを踏まえてわかっているとは到底考えられない。それが日本の悲劇・不幸である。

161203 安倍お子様外交の失敗を佐藤優に学ぶ。7月29日~12月2日「本音のコラム」(東京新聞)
                         2016年12月03日 17時50分45秒 | 時々刻々 考える資料
2016年)12月3日(土):

国民の血税を世界中にばら撒いて、どぶに捨てるだけの安倍外交によって、国民の社会保障費がそら恐ろしいほど削られていく日々が続きます。「安倍ガキの、安倍ガキによる、安倍ガキのための政治」の失政・失策・失態を、特に直近の「ロシア外交」にフォーカスして学びましょう。テキストは東京新聞連載の佐藤優氏の「本音のコラム」です。





































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180915 二年前:161230 外交で「逃げ恥」は通じない! 一年前:151230 白井聡FB、斎藤美奈子:日韓合意は従米の歴史修正主義者安倍の恥知らずで身勝手な田舎芝居

2018年09月15日 21時26分31秒 | 一年前
9月15日(土):

161230 外交で「逃げ恥」は通じない! 一年前:151230 白井聡FB、斎藤美奈子:日韓合意は従米の歴史修正主義者安倍の恥知らずで身勝手な田舎芝居
                    2016年12月31日 01時27分20秒 | 徒然・雑感
2016年)12月30日(金):      

  今日、プサンの日本総領事館前にも慰安婦像が設置されたそうだ。学ばない安倍のインチキ外交の馬脚がわずか一年で現れている。これほど速く破綻する外交もあまり聞いたことがない。というより、昨年の戦後70年首相談話も、最近の対ロシア(北方領土)、対アメリカ(真珠湾訪問)の件も含めて、安倍内閣はまともな外交が全くできていないのだ。理由は明らかだ。歴史修正主義団体「日本会議」の傀儡である安倍晋三には歴史に学ぼうという謙虚な姿勢が決定的に欠けているのだ。そのくせ”未来志向”という名の逃げ腰の言い訳で相手の心を捉えることなどできるわけがない。当たり前のことだ。きちんと目を合わせて謝りもせずに「そんなことはもう終わったことだから前を向いて歩いて行きましょう」なんて言動をとる奴が信用されるわけがないのだ。

  「幽霊の正体見たり枯れ尾花。」過去の歴史は、この幽霊みたいなものだ。誤魔化しをせずしっかりと見つめて、存在を認めてきちんと謝罪をすれば、相手はあなたを許そう。しかし、決して忘れることはない」という形で信頼を回復し、関係の再構築をしていくことになる。ユダヤのことわざにも、「歴史から逃げようとすればするほど、かえって歴史はどこまでも追いかけてくる」というのがある。ドイツのヴァイツゼッカー大統領は偉かった。外交で「逃げ恥」は通じないという簡単なことだ。

  過去の歴史問題を私の代で終わらせる」という軽率な安倍の口癖は、命題のたて方自体が根本的に間違っているのだから、正解にたどり着けるわけがないのだ。やってしまったことは絶対になかったことにはできない。犯してしまった過ちについては、謝罪をした上で歴史としてきちんと記憶する努力をやり続けるしかないのだ。その上でしっかりと胸を張って生きていけばよいのだしかし、そのためにはまず歴史に鑑みて自己省察、自己批判をする心の強さが必要だ。その心の強さ、覚悟が相手の国にびしっと伝わった時にこそ外交はうまく機能するのだ。金をばら撒けば、金を積めば何とかなるというものではない。しかもその金は社会保障費が削られ、子供の貧困が放置されている日本の国民から搾り取られた血税なのだ。本当に洒落にならない。意志薄弱で学ぶことから逃げて、本質的問題・課題と向き合い決断する覚悟のない安倍クソガキにまともな外交などできるわけはないのだ。これは、国内問題でも同じだ。特に、天皇の退位問題への取り組み方にも如実に表れている。しかも不幸なことにそれに本人が一番気がついていないのだ。向き合おうとしていないと言った方が適切かな。

 甘ったれで弱虫な世襲の愚か者を宰相に頂き、日本人であることが情けなくつらい時代だと思う。

151230 白井聡FB、斎藤美奈子:日韓合意は従米の歴史修正主義者安倍の恥知らずで身勝手な田舎芝居
12月30日(水):白井聡フェイスブック 12月29日 9:29http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php…本件に関し、私は......
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)