もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

221227 わかりやすいクジラの利用イラスト図(KEIZINE様ブログより)

2022年12月27日 12時33分49秒 | その他
12月27日(火): 過去の歴史として「捕鯨」を考える。

ヒゲクジラ類:肉を加工したり刺身にしたり、食品としての利用が多いですね。ハリハリ鍋なんて食べたことないですが、美味しいんでしょうねー。



マッコウクジラ類:ヒゲクジラ類と違って工業製品が多いようですね。香水の原料で有名な龍涎香(りゅうぜんこう)もとれます。


190910 佐藤優著作付録対談(加藤陽子)&書評(松岡正剛)

2019年09月10日 21時13分18秒 | その他
9月10日(火):

「8 095 佐藤優「君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話」(新潮社:2016)感想4」付録対談
いつか、この国を支える君たちへ
加藤陽子、佐藤優
日本屈指のエリート高校生たちに、自らの知識と経験を熱く語った佐藤優氏(作家、元外務省主任分析官)。その講義録に、歴史学者の加藤陽子氏(東京大学大学院教授)が鋭く、しなやかに切り込む!
加藤 この講義は灘高生からのアプローチで実現したものだそうですね。
佐藤 そうです。3年前に新潮社を通じて彼らから連絡がありました。灘高には社会で活躍するOBを訪問する行事があって、私は灘高OBではないんだけれども、その一環で話を聞きに行きたいと。
加藤 私も栄光学園の中高生たちへの講義を『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』という本にまとめたこともあって、たいへん興味深く拝読しました。高校生への講義には特別な面白さがあります。やはり、彼らが人生の大きな選択をする前の非常に緊張感を持った年頃だということと、生まれ育った地域や文化圏を離れる前の状況だというところに、その醍醐味があるのではないでしょうか。
佐藤 同感です。専門の領域を選択する前であることは重要ですね。それに、この生徒たちは偏差値で言えば日本の上位0.1%に入る超エリート高校生です。自分の理解力や情報処理能力が月並みの大人以上だとよく心得ている。ただし、洞察力や人生経験に基づいた判断力が弱いことにも気づいているので、わざわざ春休みに新幹線に乗ってOBの話を聞きに来たりするわけです。
加藤 そういう高校生が佐藤さんを「選んだ」理由に興味をそそられます。
佐藤 彼らは狭い世界で同質化することを恐れているように見えました。だから灘の先輩にはいないような、異質な人間に触れなくてはならないという強迫観念があるように思えました。もしかすると私が逮捕されていることが関係しているのではないでしょうか(笑)。
エリートたちの不安と選択
加藤 ますます面白い。この本では政治・経済・思想・国際関係から大学選びのアドバイス、読書のしかた、人間関係の注意点に到るまで、灘高生の求めに応じて佐藤さんがお話しになっていますが、私は生徒たちの発した質問に注目して読んでみたんです。すると彼らが〈大きいと小さい〉とか〈複雑と単純〉といった、二つの事柄の連関を捕まえたいんだということがわかりました。たとえば。
 佐藤さんの本を何冊か読ませて頂いて、すごく興味を持ったのが、今、世界が帝国主義化しているということでした。そんな帝国主義化が進んでいく世界で、僕たちは大学でどんなことを学んでいけばいいのか、どういう知識や能力を獲得していけばいいのだろうかということをお聞きしたいです。(本書18頁)
 世界の帝国主義化という大きな話から一転、自分たちの将来の選択に焦点を当てる。また、政治家の人間性が政治にどのくらい影響を及ぼすのかという、人間性と政治を結び付けた質問もありました。こうした発想というのはトップ0.1%の生徒たちならではなんでしょうか?
佐藤 他の高校生のことはよく分かりませんが、彼らと話しているとモスクワ大学の学生たちとの共通性を感じましたね。自分自身の選択と大きな物事は、どこかで関係していると捉えている。
加藤 なるほど。それと関係するのかもしれませんが、灘高生たちはヒューミント(人間関係から得る情報による分析手法)がなくてもオシント(公開情報による分析手法)だけで世界のリーダーの思考を分析できないかとも聞いていました。「できる」という答えを期待しながら訊いた高校生に対し、佐藤さんはこう答えていらした。
佐藤 というか、オシントから真実の姿をつかむためには実体験も必要になってくる。たとえば、政治エリートはこういう思考をするだろう、ロシア人はこういうことを考えるだろうという行動原理を知るためには、実際にその世界で仕事をした経験がないと難しい。
生徒 それは本とかを通じて得るのは無理なんですか?
佐藤 本を通じて得られることはもちろんあるし、その世界にいた人の話を聞いて分かることもあるよ。けれども、やはり限界がある。(同111頁)

 ここに私は彼らの不安を感じました。「『オシントだけで大丈夫。学問でロシアもアメリカも中国も理解できる』と佐藤さんに言ってほしい」という不安です。
佐藤 それは確かにあったと思います。しかし、こういうエリート予備軍がいるということは日本にとって決して悪いことではないのです。
加藤 そう思います。講義でもおっしゃっていましたね。日本ではエリートという言葉はあまりいい意味で使われないが、エリート層がきちんと生かされない社会は滅びる、と。
佐藤 ですが、実際のところ灘高の卒業生には、官僚になることができるのに官僚を選択していない人が結構多いんじゃないかという気がします。というのも、彼らは先が見えすぎてしまうので、東大文Ⅰから法学部に進んで3年生までに司法試験の予備試験に合格して法曹界に進む、もしくは高級官僚になるといったエリートの常道を歩むことへの抵抗感がある。学部時代に天文学や歴史や哲学を勉強してから法科大学院に入って法曹界に進むとか、理IIIから医学部に進んでも、ちょっと変わった感じの開業医になるとか、あえて一筋縄ではいかない選択をする人も多い。それは〈競争から降りる〉のとは違う。先が見えてしまう選択をしたくないのだと思います。
加藤 ああ、それで一つ謎が解けました。なぜ「イランとイラクの場所を正確に指し示せる国会議員は半分もいないよ」とか「選挙に出るならエリート高校の出身者より偏差値五〇台半ば以下の高校のほうが圧倒的に有利だ」と、なかば煽るようなことをおっしゃっていたのか。佐藤さんは日本国民として、彼らに今よりもっと積極的に国を背負う組織に入って活躍してほしいと考えているんですね。
佐藤 そうです。灘高生たちには「良民は官吏にならず」という思想がある。私はその殻を破ってほしいんです。
「佐藤さん、逃げてます?」
加藤 不安といえば、「ノブレス・オブリージュは自分たちに必要なのか。必要だとすると、それはなぜなのか」との質問がありました。でも、この時の返答が、私には「あれ、佐藤さん、ちょっと逃げてる?」と思えまして(笑)。
……女性問題で転ばないでね(一同笑)。つまらない女性に入れ込んで、人生のエネルギーをほとんどそこに注ぎ込んじゃって、研究に手が付かなくなる研究者の卵とか、あるいは、いつの間にかストーカーみたいになっちゃって、取り返しのつかない人生を送る官僚とか、結構あるケースなんだから。ほかの人は誰も言わないと思うから私が言っておくけど、そこは気を付けてください。(同77~78頁)
 彼らは「君たちは選ばれた存在なのだから義務を負え」と言われることに強い恐怖を覚えていて、犠牲を求められても何をしたらいいかわからないと感じている。その恐怖に対し、なぜ佐藤さんは、ずらした答え方をしたのでしょう。
佐藤 私に言わせれば、彼らはすでにノブレス・オブリージュを持っているんですよ。この質問をすること自体、そして私に会いに来るという合理的に考えれば無駄な事柄に時間を使うこと自体がその証しです。そこで私はこの質問を「今の僕たちに欠けているものは何でしょうか?」だと解釈し、あえて絶対に関心があるはずなのにそれまで一言も話題に出てこなかった異性の問題に振ったんです。そうしたら彼ら、顔が真っ赤になっちゃうんですよ(笑)。
加藤 なってましたか。
佐藤 なっちゃう。そこが一番弱いところだという感じで(笑)。
加藤 うーん。この佐藤さんの〈お兄ちゃん〉としての間合いの取り方は私には真似できないところです。
〈新しい物語〉の担い手として
佐藤 ところで、灘高生たちと話すことによって、日本の教育の矛盾は中学にあることがはっきりしました。今の日本の高校は中学のカリキュラムをやり直しているだけです。率直に言うと、ある程度の成績以上の生徒なら中学教育はスキップできる。事実、灘レベルの中高一貫校では、中学時から高校の教科書で学習させます。先生の母校である桜蔭学園もそうだったんじゃないですか。
加藤 ええ、そうでした。
佐藤 それによって彼らは「一般の中学校の生徒たちは三年間まったく無駄に過ごしているんじゃないか。今のシステムに従っていてもロクなことにはならないぞ」と達観することになる。
加藤 たしかに私の周りにも「じゃあ余った数年間は映画だけ見て過ごそう」と考えるような人がたくさんいました。こうした中高一貫校の生徒たちを批判するのは簡単ですが、達観するがゆえに彼らが獲得できているものもあるはずで、それを社会にどう生かすかが重要です。そういう生徒がつぶされずに育つシステムがもっと地域や学校にあっていい。
佐藤 だから僕は途中から灘高生たちを応援したくなったんですよ。
加藤 「遠藤周作が自分を劣等生だと言ってるのはウソだぞ」とか「受験勉強は必ず役に立つからバカにしてはいけないぞ」と言うことで彼らを肯定し、背中を押してあげていましたね。
佐藤 彼らを肯定すると同時に、私がこの講義で本当に伝えたかったことは何だったかというと、〈新しい物語〉を作る努力をしてほしいということなんです。人間は本質的に物語を好む生き物ですが、かつてあった社会主義のような〈大きな物語〉がポストモダン以降に消滅し、ぽっかり空いた隙間をグロテスクで反知性主義的な物語が埋め尽くそうとしています。だからちょっと危険な考えかもしれないけれど、彼らが一種の創作者になって、国と国民が共有できる新しい〈大きな物語〉を作ってほしいのです。
加藤 その物語の持つ虚構性もよく認識した上で、ということですね。
佐藤 そうです。その意味においては今のイギリスが格好の反面教師になります。党議拘束を掛けず、ポピュリズムに流されてしまったことで、イギリスでは本来起きないはずのEU離脱という選択が起きてしまった。スコットランドの独立を阻止するところまでは情報操作とエリート層の画策でうまくいったけれど、今回はそれが機能せず、イギリス政治はパニックを起こしています。では、イギリスのような状況を作らないためには何をすればいいか。やはり国民が共有できる物語が必要になってくる。それは安倍首相の唱える一君万民論のような完全に消費し尽され、話している本人すらどれくらい信じているのかわからない、そういう古い物語では決してないのです。
〈人間対人間〉だから伝えられること
佐藤 また今の地政学ブームの中で私は、地政学の本を書いたり、発言したりしていますが、それは地政学の論理構成を理解し、さっさと脱構築を図らなければならないと思っているからです。あれはナチスのイデオロギーですから。
加藤 日本人を戦争に導いた思想家・大川周明の言説や文部省のイデオロギー文書「国体の本義」を読み解く本を出されたのも、脱構築を促すためですね。
佐藤 おっしゃる通りです。ソ連崩壊に際してロシア人エリートが依拠した論理は啓蒙の思想であり疎外論でした。そしてバルト三国のエリートたちが依拠した論理はナショナリズムでした。しかし双方とも自分たちが依拠した論理がインチキだと分かった上でそこに乗っかっていた。逆に言うと、インチキだと分かっているから歩留まりがある。
加藤 民族のナショナリズムはエリートによって人為的に作られるものである、という説が講義に出てきました。であるならば、そのことを認識している国が操作すれば一定の制御が可能だけれども、日本はそれを観念や情緒でやってしまおうとするから制御不能に陥る可能性が高いということになる。佐藤さんにもそれを懸念するお気持ちがあって……。
佐藤 その気持ちは非常に強いです。
加藤 情緒的なナショナリズムというのは、まさに反知性主義につながります。反知性主義にはどう対応すればいいのか。灘高生たちは講義の中で繰り返し佐藤さんに尋ねていました。
佐藤 この問題は彼らにとって非常に切実なんですよ。一番大きな不安材料かもしれない。自分たちが大人になった時、反知性主義が「理屈じゃない。とにかくムカつくんだ」といった感じでこちらに向かってくる気配を確かに感じているんです。
加藤 そこで佐藤さんの出した喩え話がすごく面白かったんですが。
 たとえば、中学校を卒業したかどうかも分からないようなチンピラに、西宮あたりの駅前でからまれて、ナイフを突きつけられたらどうするかと考えてみる。筋を通して理路整然と話をして解決するのか、有り金を渡して逃げちまったほうがいいのか、あるいはいきなり「先輩みたいな人が好きなんです!」と抱きついて、訳わからない感じで丸め込むのがいいのか(笑)。いろんなやり方がある。(同144~145頁)
 最後のやり方は絶対にエリートには思いつかない(笑)。
佐藤 これ、実は元ネタがあるんです。鈴木宗男さんが初めて選挙に立った時、車から降りて鈴木さんに近づいてきて、いきなりビンタを張った人がいた。すると鈴木さんはその人の手をグッと握って目を見つめ、「鈴木宗男です」。
加藤 すごい……。
佐藤 横にいた松山千春さんは「腰が抜けた」と言っていました(笑)。不良に抱きついてっていうのはその時の鈴木さんのイメージなんですよ。
加藤 相手の呼吸に飲まれないようにするというのは、エリートの一番苦手とするところですものね。佐藤さんが安倍首相を例に挙げて、「反知性主義は決断主義だ」と言い換えていらしたのが印象的でした。安倍さんはよく「絶対に」「確実に」と言いますが、スタンフォード大学のエイモス・トヴェルスキー教授は「確実に」と言われた時に人間の選択がどうずれるかを研究しました。「確実に」と言われた時に人は騙されるんです。ですから、そこで騙されない、決断主義をステキだと思わないための方策を考えることはすごく重要だと思います。
佐藤 そこで必要なのが文学的なセンスを持つことですね。
加藤 じつに大切です。「小説を通じて代理経験を積んでおきなさい」と何度も強調されていましたね。ヒューミントが苦手で、オシントのみで世界を知りたいと思う高校生にとって、違う人生になりきってみる経験は不可欠です。
佐藤 たとえば一生懸命勉強して外務省に入ったとしても、御殿女中のイジメみたいな理不尽極まりない話がいっぱい待っている。でも、そんな状況をあらかじめ小説で読んでおいたり、私から聞いていれば、対処のしようがあります。
加藤 人間対人間のコミュニケーションでしか伝えられない知識を、エリート高校生たちに伝える空間となったこの講義には大きな意義がありますね。また、こうしたところから反知性主義に対抗する有効な手段も生まれるのだと思います。
(かとう・ようこ 東京大学大学院教授)
(さとう・まさる 作家、元外務省主任分析官)

波 2016年8月号より


「9 004 佐藤優「君たちがわすれてはいけないこと 未来のエリートとの対話」(新潮社:2019)感想特5」付録書評
マイケル・サンデルではまにあわない
松岡正剛
 最近はあまり現場の仕事をしなくなったけれど、編集の仕事をしていると、いろいろな才能の持ち主に出会う。書けばうまい、インタヴューに強い、対談が巧みだ、講演で聴かせる、タイトリングに長けている、あとがきで泣かせる、書評が適確だ、等々。いろいろである。
 こうした才能には逆もあるし、片寄りもある。書けるけれど話すとめちゃくちゃ、相手との距離が保てずに話す、予定どおりの講演しかできない、文章は妙にレトリカルなのに授業は通りいっぺん、すべて上等だが実は人格が破綻している、論文は書けるがエッセイはへたくそ。こちらもいろいろだ。だから、おもしろい。
 佐藤優はリテラルもオラルも抜群で、かつ多産であって、どんなときも焦点が間抜けにならない。人倫もすばらしく、付きあってみるとすぐわかるが、配慮にも富んでいる。
 読書派であることは夙に知られているけれど、たんに読書量を誇っているのではなく、文脈の中でも「その書物」(著者・版元・刊行期・内容)との遭遇距離をまちがえないで引用したり挿入できる才能がある。私が知るかぎり、最近の日本ではピカ一だ。
 加えてさらに気付かされたのは、セッションにも強いということだ。作家でこの能力を見ることはめったにないのだが、佐藤さんはナマの「多勢に無勢」にも強い。外交官の経験にもとづくのか、熾烈な裁判をくぐり抜けてきたせいかはわからないが、私も何度か現場を共有して目を見張った。
 灘高の生徒を相手に話しこんだ『君たちが忘れてはいけないこと―未来のエリートとの対話―』にも感心した。高校生エリートを相手にしていることを活かして、生徒たちが用意した論点・質問・疑問をみごとに采配している。通りいっぺんのセッションではない。誘導の場面、切り込みの場面、諭しの場面、転換の場面、いずれも申し分なく配分されていた。
 灘高生が気になっているのは、日米関係、グローバルスタンダードの行き過ぎ、ベーシックインカムの実現可能性、天皇制の行方、SNSやAIの限界のこと、基地問題、民主主義とポピュリズムの関係、トランプや北朝鮮やイスラム過激派の動向といったもので、まあ、予想のつく論題が多い。ただ、そこには灘高生なりの憂慮と不安、日本の将来の見えなさ、納得のいかない思い、深められない苛立ちなどがある。これらを佐藤さんは、まさに「知の鵜匠」や「インテリジェンスの伯楽」のように捌いていくのである。
 当然、高校生には無知も誤解も先走りも思いこみもある。とくに歴史観が乏しい。それを適切な事例をふんだんに出しながら補い、必須なところは解説し、あっというような判断基準を惜しみなく出していく。事例は軍事情報から小説・映画・マンガに及び、そのつど読むべき書物が差し出されるのだ。
 しかし、この本を読んで感心したのは、こうした対応力の愉快だけではなかった。2020年代の世界情勢のなか、令和の時代に入った日本および日本人が何を考えなければならないのか、このことを実に分厚く、鋭利に、証拠だてて展開している問題設定力と解読力に感心した。たんに深めようとしているのではなく、設定された問題のレベルを問うて、その設定問題なら打ち切ってしまうという、さしずめ「知の地政学」ともいうべき「知政学」が発揮されているのも魅力的なのである。
 もうひとつ感心するのは、「踏み込むべきところ」と「怖いところ」をちゃんと示していることだ。高校生にはどこで踏み込んでどこで控えるかが、わからない。そういう社会感覚的なアフォーダンスを扶けてあげているのだ。大学で取り組むべきことも、社会で仕事をするときの心得も、存分に助言されている。この親心は、実は佐藤さんの隠れた魅力だろう。
 当然、オトナたちも読むべきである。私はどこかでオトナたちに苦言を呈することに倦きてしまったところがあるのだが、佐藤さんのリテラシーやオラリティとなら筏を組んで同舟できそうだ。思想議論としても、民主主義、反知性主義、ポピュリズム、ボナパルティズム、帝国主義、ファシズム、リバタリアニズム、統計主義などの、歴史的で未来的な捉え方が、大いに参考になる。マイケル・サンデルなどではまにあわない。
(まつおか・せいごう 編集工学研究所所長)
波 2019年6月号より

190727 拡散希望:<れいわが始動!>8月1日新宿で山本太郎がみなさんに決意表明!

2019年07月27日 13時24分08秒 | その他
7月27日(土):

「れいわ新選組」からのお知らせ

#れいわが始まる
山本太郎 街頭記者会見
8月1日(木)19時〜
東京・新宿駅西口小田急デパート前

ご家族、お友達お誘い合わせの上、ぜひお越しください。
遠方の方は、近くにお住まいのお知り合いへ広めてください!

※ボランティアでお手伝い下さる方は、18時に現地へお集まりください。 pic.twitter.com/uNWUClSUnr


171017 やっぱり今回だけは、比例区で「社民党」ではなく、私(もみ)も「日本共産党」に投票します。

2017年10月18日 01時49分06秒 | その他
10月17日(火):    赤旗10月16日

比例代表で俺の支持政党である「社民党」は議席に届かない。今回だけは、野党共闘に献身的に貢献してきた、そして実際の議席に結びつく可能性のある「日本共産党」に比例代表で投票することにします。

赤旗自由党共同代表 山本太郎さん 「比例は共産党しかない」10月16日(月)
  長野4区は、もり栄子さん。当然です。県議会で3度当選し2度はトップ当選。議会というものがどういうものか隅々まで分かっている即戦力の方です。
  そして、どこの政党を応援していいか分からない方もいらっしゃると思います。参議院議員になって4年、参議院の最前列で政治のとんでもない部分を見て、参加してきたものとして、一切ブレなかった政党を応援していただきたい。比例は日本共産党でよろしくお願いします。自由党共同代表が共産党にお願いしますというのは変な話ですけどね。でもぜひお願いします。いい仕事されています。
  政治の中で国家を私物化し続けて、自分のお友達や自分のつながりのある大企業だったり既得権益に皆さんの税金を横流しし、そして、タダ同然で国有地を差し上げるような政治を続けている者が今多数派を握っています。
  これを変えるためには、しっかりとした監視役が必要なんですよ。ものすごい調査能力を持ち、理詰めで相手からしっかりと言質を取るような能力のある政党に今投票することが私は必要だと思います。
  だとするならば、比例は共産党しかないじゃないですか。力貸してください。
長野4区では、もうり栄子さん。比例では日本共産党にお力をお貸しください。

171017 無党派層の皆さま、「立憲民主党」に<戦略的集中投票>をお願いしますm(_ _)m! ※自公圧勝・アベ暴走阻止のためです!

2017年10月17日 18時37分30秒 | その他
10月17日(火):     
もみさんからのお願いです。投票先に迷われている4000万票を持つ無党派層の皆さま、自公圧勝、アベ独裁政治に待ったをかけるために、是非とも実効ある<戦略的集中投票>をお願い致しますm(_ _)m。

まず、”小選挙区”は「立憲民主党」の候補に必ずご投票くださいませm(_ _)m。もし立憲民主党の候補がいない選挙区では、前原詐欺師に騙された「前民進党の希望の党」候補にご投票くださいませ。また、”比例代表”は、「立憲民主党」または「日本共産党」にご投票くださいませm(_ _)m。
これが一番実効ある投票行動だと考えます。「希望の党」は、選挙後必ず分裂します(しなければ見捨てるのみ!)。そして「立憲民主党」に合流する勢力がいます。「立憲民主党」は、野党第一党になります。


私(もみ)自身は、選挙区に立憲民主党候補がいないので、前原詐欺師に騙された前民進党の希望の党候補に投票し、比例代表は社民党(実を結びませんが…)に投票いたします。
  

160814 気になる記事を保存:福田ますみ『モンスターマザー ――長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』(新潮社:2016)

2016年08月15日 01時00分08秒 | その他
8月14日(日):

すごく気になる記事なので記録として残しておく。こういう人間は確かに存在するし、こういう真相の冤罪事件もたくさんある。恐ろしい時代を生きているという強い自覚が必要だと思う。

ニューズウィーク日本版「お母さんがねたので死にます」と自殺した子の母と闘った教師たち   8月9日(火)16時26分配信
  <バレー部でのいじめが原因だったのか、異常な母親に追いつめられたのが原因だったのか――。2005年に起きた「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」の真相を描き切ったノンフィクション『モンスターマザー』は絶望的な読後感>
  『モンスターマザー ――長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』(福田ますみ著、新潮社)が取り上げているのは、2005年に起きた「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」。当時マスコミ報道されたので記憶に残っている方も少なくないであろう、同校のバレー部に所属していた高山裕太くんが自殺した事件の真相を描き切ったノンフィクションである。
  読み終えたあと、いいようのない疲れと絶望感に襲われた。こんなことが本当にあったのなら、いったいなにを信じて生きればいいのだろうか。しかも、どこで起きてもおかしくないことだとも思えるだけに、出口のない袋小路に追いやられたような、どうにも複雑な気持ちになってしまうのだ。
  当時1年生だった裕太くんが、所属していたバレー部でのいじめを苦に自殺したとされた事件である。
  この事件は全国ネットのテレビニュースやワイドショーでも報じられた。7日のテレビ朝日「報道ステーション」、8日の同じくテレビ朝日「スーパーモーニング」、フジテレビ「とくダネ!」などである。裕太君の母親・高山さおり(仮名)は、自宅に入ったテレビカメラの前で実名を名乗り、素顔も晒して取材に答えている。彼女は涙にむせびながら自転車のチェーンロックを示した。「これで首を吊っていました。そしてこれ(マスク)を口に当てて、たぶん声を、苦しい声を出さないように我慢したのよ。苦しかったに違いない、苦しいに決まっているじゃないですか。お母さんとかに聞こえないように、心配かけない......」(3ページ「はじめに」より)
  乱れた字で書かれた遺書には、「お母さんがねたので死にます」と書かれていたという。そして、続いてニュース番組の画面には丸子実業高校の太田真雄校長(仮名)の言葉が映し出された。
  記者「じゃ、学校での問題よりも、やはり校長先生はその家庭......」校長「絶対私はそう思ってます。はい」記者「それが原因だと。母親が原因だと」校長「はい、これは、確実に言えます」 校長は言い切ったあと、こう付け加えた。「物まねということがですね、いじめであれば、もう世の中じゅういろんな行為がですね、いじめにされてしまうんじゃないかなというような、ただそれには不満なんだよね」 その時、校長が薄笑いを浮かべたように見えた。このテレビ報道の直後から、丸子実業高校には抗議の電話が殺到したのである。(4ページ「はじめに」より)
  たしかにこれだけを読めば、学校が悪いと感じたとしても無理はないだろう。ちなみに、校長の発言にある「物まね」とは、裕太くんが学校でかすれ声をまねされて笑いものにされていたという、さおりがマスコミに話した自殺原因のことを指している。
  しかし、そうではなかった。たとえば「校長が薄笑いを浮かべたように見えた」という部分については、校長が、話をする際、意思とは無関係に笑ったような表情に"なってしまう"人だということが証明される。そういう人は、たしかにいるだろう。
  つまり、同じように真実は誤解の上塗り状態だったのである。そして読み進めていくにつれ、原因は母親のさおり、そして彼女を不必要に煽るマスコミにあったことが明らかになっていく。
  さおりは虚言癖があり、しかも自分に反論した人間を、巧みな(矛盾だらけなのだが)論調によって徹底的に糾弾する性格なのだ。たとえば裕太くんの同級生と教師を前に、彼女はこう告白している。
  さおりは彼らを前に、お盆の頃、「バレーが苦しい」とこぼした裕太君を、こう言って叱ったと明かした。「バレー部をやめるなら、学校もやめて死んで。家を出る時は携帯を置いていけ」(26ページより)
  この「死んで」という彼女の発言が自殺の引き金になったわけだが、ここにも矛盾がある。教師や同級生の証言から明らかになるのは、バレーを楽しんでいる裕太君の姿であり、「苦しい」というような片鱗はどこにもないのだ。「そうはいっても、現実は違うってことなんでしょ」と思われるかもしれないが、ここから、本当の意味で裕太くんのことを心配し、手助けしていた教師陣、そして同級生によって、真実が次々と明らかにされていく。たとえばさおりの異常性は、離婚した2番目の夫の証言にも明らかだ。
  大手企業のサラリーマンだった彼は、インターネットの出会い系サイトでさおりと知り合って結婚したという。裕太くんとその弟はさおりの連れ子だ。以下は、その夫による証言で、ここにはさおりの真の姿が映し出されている。
  〈例えば、食事の後、私が台所で食器を洗っていると、いつの間にか傍に来ていた被告が、突然大きなため息をつき、聞きとれないくらいの小さな声で愚痴らしきことをしゃべり始め、「これ飲んだら死ねるかな」と手にした何か錠剤らしき物の入った小瓶を私に見せます。私が「なにバカなこと言ってるんだよ」と言うと、被告は突然大きな声になって「生きていたくねえんだよ」「てめえのせいでな」等怒鳴り始め、だんだんと声が大きくなっていき、最後にはキャーと叫びました。(174ページより)
  ちなみにこれは、このときに限ったことではない。「死んでやる」と叫ぶのはさおりの常套手段であり、実の母親も「死にませんから」と語っている。つまり、「そういう人」なのだ。しかし問題はそんな光景を日常的に見せつけられていた子どもたちである。弟は気にしていないそぶりだったというが(真意はわからない)、裕太くんには、それがつらかったということだ。
  さて、ことの顛末である。裕太くんのため真摯に対応していたにもかかわらず、虚言によって真実を覆され、私生活までめちゃくちゃにされた校長は、生徒の親たちの協力を得ながら裁判に勝つことになる。その過程においては、先に触れた「お母さんがねたので死にます」という遺書についての疑問が明らかになった。
  さおりによれば、遺書にはこう書いてあった。〈お母さんがねたので死にます〉 ところが、遺書の文字の読み方を巡って大きな謎が浮上する。 裕太君の自殺直後の12月8日に開かれたバレー部保護者会の記者会見で、保護者たちは重大な指摘をしたのである。「ねた」という字が「やだ」と読めるのではないかと疑問を呈したのだ。「ね」か「や」かは微妙だが、次の「た」にははっきりと濁点が確認できる。「やだので」という言い方自体は一般的とは言えない。しかし、この佐久地方では、「やだかった」「やだから」といった言い方を多用する。事実、裕太君自身が綴ったと思われるメモには、「やだかった」という言葉が何回も登場していた。(245~246ページより)
  だからといって、これだけですべてを断定するわけにはいかないだろう。しかし、ここに至るまでのプロセスを目にすると、「ひょっとして......」と思いたくなるのも事実だ。
  奇しくも先ごろ、全国の児童相談所が2015年度に対応した児童虐待が初めて10万件を超えたという報道があった。暴言や脅しなどの「心理的虐待」が、特に増えたという。それはつまり、裕太くんと似たような境遇の子が増えたということではないだろうか? そう考えると、この問題は決してこの一冊のなかで完結するものではないと思わざるをえないのである。
  『モンスターマザー――長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』福田ますみ 著 新潮社
[筆者]印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。


福田 ますみ「モンスターマザー:長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い」(新潮社:2016)
【内容紹介】第22回 編集者が選ぶ 雑誌ジャーナリズム賞作品賞 受賞! 〈息子を自殺で失った母〉、しかしその実態は「恐るべき怪物」だった。 たった一人の母親が学校を崩壊させた。 不登校の高一男子が自殺した。久々の登校を目前に──かねてから学校の責任を追及していた母親は、学校に全責任があると校長を殺人罪で刑事告訴する。 人権派弁護士、県会議員、マスコミも加勢しての執拗な追及に、 高校は崩壊寸前まで追い込まれ、教師と同級生、保護者たちも精神的に追い詰められていく。だが教師たちは真実を求め、法廷での対決を決意した。 前代未聞の裁判で明らかになっていったのは、子供を死に追い込んだ母親の「狂気」だった。どの教育現場にも起こり得る「恐るべき現実」を描ききった戦慄のノンストップホラーノンフィクション。「被害者」の皮を被った「加害者」に気をつけろ!
【目次】はじめに/第1章 家出/第2章 不登校/第3章 悲報/第4章 最後通牒/第5章 対決/第6章 反撃/第7章 悪魔の証明/第8章 判決/第9章 懲戒/終章 加害者は誰だったのか/事件の経過
【出版社からのコメント】モンスターペアレントという言葉はずいぶん広く使われるようになりました。しかし、わたしたちは「教育現場の現実」をどのくらい知っているのでしょうか。 本書は、最悪の経過をたどり、長野県の教育史に深く刻まれることになった
「いじめ自殺事件」の真相を描ききるノンフィクションです。 校長が自殺した生徒の母親から殺人罪で起訴される、という出来事はセンセーショナルで、大きく報じられました。ところが、事件はそうした第一報からかけ離れた結末に至ります。いったい何があったのか。 膨大な裁判資料を丹念にひもとき、当事者への取材を重ねる中で、 著者は「教育現場の現実」を目の当たりにします。 最近ではモンスターペアレントに対して提訴する教師も出てきましたが、 今回の事件のように、保護者から訴えられ、それに対して訴え返し、
なおかつ謝罪広告まで求めるという例はおそらく初めてではないでしょうか。 異様な事態に直面した教師たちの苦悩、そして毅然とした闘いぶりは、いまなお最良のケーススタディとして大きな示唆に富むと確信しています。

160720 覚えておきたい言葉「下品なナショナリズムと上等なパトリオティズム」(司馬遼太郎)

2016年07月21日 01時27分20秒 | その他
7月20日(水):
NHKテキストView(教養)ナショナリズムの暴走が生んだ「鬼胎の時代」 2016.04.16
  司馬遼太郎が晩年に執筆したエッセイ『この国のかたち』の中に、司馬が昭和について語った代表的な文章が収められている。
  「昭和ヒトケタから同二十年の敗戦までの十数年は、ながい日本史のなかでもとくに非連続の時代だった」(一、4「“統帥権”の無限性」)
  さらに、『この国のかたち』の「“雑貨屋”の帝国主義」という章では、日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦に至る四十年間は、日本史の連続性から切断された「異胎」(一、3)の時代だとし、同じ章の別の箇所では、「明治憲法下の法体制が、不覚にも孕(はら)んでしまった鬼胎(きたい)のような感じ」(同前)とも表現している。
  「鬼胎の時代」とは何か。歴史家・静岡文化芸術大学教授の磯田道史(いそだ・みちふみ)氏が詳解する。

*  *  *
「鬼胎の時代」とは何か
  この「異胎」「鬼胎」とは、つまり「鬼っ子」──自分の子どもではあるが親に似ていない子ども─で、司馬さんは、この時代が日本史上の特異な、非連続の時代であったという意味で用いています(「異胎」と「鬼胎」はほぼ同じ意味ですので、ここでは「鬼胎」で統一します)。日本の歴史であるけれども、他の時代と大きく違う。明治と昭和は切断されている。この違いというものをどうとらえるか──と司馬さんは問うわけです。
  しかし、司馬さんが本心から、明治と昭和が完全に切断されている、と考えていたのか、私には疑問に思うところがあります。社会の病というのは、現実の病気に似て潜伏期間があり、昭和に入ってとんでもない戦争に突入してしまう菌や病根は、やはり明治に生じていたのではなかったか。明治という時代は、まだそれが発症していない「幸せな潜伏期間」だったのではないか。
  たとえば日露戦争の折、ロシア軍の機関銃が据えられている二〇三高地に対して、乃木希典の率いる軍は突撃を繰り返し、大量の死体の山を築きました。戦術的には明らかに誤っているにもかかわらず、決行されました。そして、それを悲壮な美談としてとらえる国民も当時からいたわけです。これは、司馬さんが「鬼胎」と称した昭和前期の病巣につながる病根であったといっていいでしょう。『坂の上の雲』の主人公の一人で、「明るいリアリズムと合理主義の体現者」として描かれた海軍軍人・秋山真之ですら、日本の軍には天の助けがある、あるいは天皇の率いる軍は天佑を保有している、といった超自然的な考え方から完全に抜け出ることはありませんでした。
  そもそも日本の宣戦布告の詔勅は、明治このかた昭和まで「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践(ふ)メル大日本帝国皇帝ハ」で始まります(「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅」「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」)。「天佑を保有する日本国の天皇は」という文言が付き物で、「天皇は戦いに勝つための天の助けを生まれながらに持っている」と宣言してから戦(いくさ)を始めます。極端な場合は、日本は、天の助けを持っているから、神風も吹いた。だから、この国は負けたことがない、と考えます。国家をあげて超自然的なことがらを信じ教えているのは、その国家がある種の宗教団体であり、宗教国家に近い色彩を帯びていることを意味します。つまり、明治の日本国家は確かに合理的な法にもとづく近代国家をめざしていましたが、超自然的な力を完全に排除したリアリズムと合理主義を持っていたかというと、そうでもなかったのです。

ナショナリズムとパトリオティズム
  では、なぜそのような「鬼胎の時代」が生まれたのか。その背景には、ナショナリズムの暴走があると司馬さんはとらえていました。ナショナリズムという言葉は、一般には国家主義と訳されるものですが、司馬さんは、お国自慢や村自慢、お家自慢、自分自慢につながるもので、あまり上等な感情ではないと思っていたようです。一方で、ナショナリズムと混同されやすい概念にパトリオティズム(愛国主義)がありますが、司馬さんは、愛国心と愛国者というものは、もっと高い次元のものだと考えていました。
  ナショナリズムとパトリオティズムの違いについては、お家自慢のたとえで考えてみるとよくわかります。たとえば、ある地域社会で、自分はよい家に生まれたのだといって誇りに思っている人がいます。その人が家柄を自慢し、ほかの家を馬鹿にする。何ら自分の努力で手に入れたわけではなく、ただその家に生まれただけなのに他人を見下していると、自分は金持ちなのだから、貧乏人を従えて当然だという考えに陥っていきます。自分がかわいいという感情が、自分の家がかわいいと変形したにすぎず、その「自分の家がかわいい」を「自分の国がかわいい」と国家レベルまで拡大したものがナショナリズムだというわけです。
  対して、「いや、自分はたまたま名家に生まれついたのだから、一層きっちりとして、さらに周りから尊敬される良い家にしよう」と考える人もいます。これは言わば「愛家心」ですが、この感情を国家レベルでおこなうのが、司馬さんのいう「愛国心」に近いと思います。自分の家をよくするだけではなく、周りの人たちのお世話までできる家にする─その高い次元の、真の愛国心を持った人が支配層にいる間はまだしも、持ちにくくなってきたときに国は誤りをおかします。そんな姿を司馬さんは活写しています。国の単位だとわかりにくいのですが、家の単位に転換して考えてみると、このあたりの問題はよくわかるのではないでしょうか。
                           ■『NHK100分de名著 司馬遼太郎スペシャル』より

160206 (座談会)寂聴×SEALDs 今や寂聴師の存在自体が有難い。合掌。

2016年02月06日 12時02分08秒 | その他
2月6日(土):

朝日デジタル(座談会)寂聴×SEALDs 2016年2月5日05時00分

対談後、スマホでパシャッと自撮り。左から中川さん、寂聴さん、溝井さん、谷さん=東京都中央区、関田航撮影

 こんにちは、瀬戸内寂聴です。あら、みなさん、かわいいのね。去年の国会前デモを見ていて、ぜひSEALDs(シールズ)(安保関連法に反対する学生団体)のみなさんとおしゃべりしたいと思って、お招きしたの。若いっていいわね。ケラケラ笑って、よく食べて。幸福は笑顔が好きなの。さぁさぁ、今日は、いろいろ聞かせてくださいね。
 ◇瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さん(93) 作家。天台宗の尼僧。06年、文化勲章受章。SEALDsメンバーとは、京都・嵯峨野に開く寺院「寂庵(じゃくあん)」での再会を楽しみにしている。
 ◇中川えりな(なかがわえりな)さん(19) 上智大学神学部1年。SEALDsではSNSを担当。雑誌のモデルとしても活動。映画や音楽などの表現活動に興味がある。
 ◇溝井萌子(みぞいもえこ)さん(20) 津田塾大学国際関係学科2年。デモの企画から仕切りまでを担当。甘いものが好きでケーキ屋さんでアルバイトをしている。
 ◇谷こころ(たにこころ)さん (20) 高校卒業後、スペインや米国などに遊学。春から劇団で演出の勉強をする予定。デモの企画を担当。趣味は映画鑑賞、ダンス。
    *
 寂聴 私が若い人たちを特に好きになったのは「3・11」の後です。被災地を慰問に回ったら若い人たちがびっくりするほどたくさん来て、黙々と働いていたんです。どうして来たのって聞くと、直接の被害を受けていない自分もある日、突然、日常が壊された。会社にも行けなくなった。原因を確かめたくて来たが、あんまりひどいので「手伝わずにいられなくなった」って。その姿を見て、話を聞いて、いっぺんに今の若い子たちが好きになってしまった。だから私はSEALDsがごひいきなの。あなたたちは、どうしてSEALDsで活動するようになったの?
 中川 勉強会で安保法制反対のビラをもらったんですが、座り込みとかデモに行くのって怖いなって迷ったんです。けど、ちょうどその日が19歳の誕生日で。誕生日に初めての座り込みに、ってインスタグラムやツイッターに写真を載せたらおもしろいかもって思ったんです。その時は若い人は全然いなかったんですが、あっちに若い人たちがいるよって、知らないおじさんが教えてくれました。
 谷 私は、知人が沖縄の辺野古のドキュメンタリー映画を撮っていたんです。それもあって辺野古に行ってみたら、特定秘密保護法に反対していた同い年の子に出会って、今度新しい団体を立ち上げるって聞きました。それがSEALDsでした。同年代の子が社会に対してどう声をあげるかに興味があったんです。
 溝井 祖父母の家が福島なので生活を捨てて逃げざるを得ない人たちのことを身近に感じていました。高校生の時に脱原発デモに1人で行ったんです。ただ制服姿で行くとすごい居心地が悪かった。大学に入ると、SEALDsの前身が特定秘密保護法に反対するデモをしていました。若い人たちが政治に声を上げている姿を初めて間近で見たんです。新しいデモのスタイルが衝撃的だった。こういう声の上げ方もあるんだなって。寂聴さんは私たちの活動を、どういう思いで見てらしたんですか。
 寂聴 みなさん、一生懸命にがんばりましたね。でもね(安倍晋三)首相に負けたでしょ。負けたと言うしかないわね。向こうの案が通っちゃったんだから。私も1人でデモに行きましたけど、本当は初めから負けると思ってたの。それでもやっぱり立ち上がらなきゃいけないのね。負けたけど、反対がこれだけあった、若い女の子ががんばった、私みたいなおばあちゃんまでデモに行った、ということは、歴史に残ります。夏の参院選が山だけど、勝つかどうか分からない。もし負けても、これだけ反対してがんばる人間が出てきたということで、向こうは肌寒い思いをしてるでしょう。完全な負けじゃないのよ。だから希望を持って。今はダメみたいだけども、自分の信念をやってみようと思ったほうが、人生が開けます。
    ■     ■
 溝井 学校で政治の話をしにくい空気があると思ってたんです。でも実際に話してみると、実は安保法制、気になってたんだ、という反応が返ってくることもある。政治について話しにくい空気を作ってたのって、実は自分自身だったんじゃないかと気づきました。
 谷 私は小中高と「シュタイナー教育」っていう欧州の教育思想をもとにした学校に通いました。政治のことも話しやすい環境だったので、クラスメートと、そういう話もしてました。私とは違う考えの子もいて、時にぶつかったけど、歩み寄ろうかな、みたいな時もあった。考えは違っても、お互いに何でも話せるのが楽しかった。
 寂聴 話せる、聞いてくれるというのがいいですね。それが人間が人間を信用する一番最初ね。お友達ができるもとだし、恋人ができるもとですよね。
 中川 1960年安保や70年安保のデモって、何か怖い感じがして。もしかして、男の人が多かったからかな。その点、女性は柔軟なところがあって、海外ではビビアン・ウエストウッドとか、世界的に有名な女性デザイナーが、ファッションショーで気候変動とか政治の問題をおしゃれに華やかに訴えている。私も渋谷で買い物してる女の子みたいな感じで、ヒールにミニスカートでデモに行きました。でも疲れたら帰っちゃう。不真面目でしょうか。
 寂聴 楽しければいいのよ。見てる人が、ああいうのいいな、自分も参加しようかな、と思うのがいいんです。
 谷 私はヒッピーな格好とか、その時の気分、遊び心ですね。今日はカラフルなデモにしよう、っていう時は、服装もカラフルにして行きます。
 溝井 夏のデモは、汗だくになるから、おしゃれのことは考えてなかったけど、今はスカートはいて行こうかな、メイクもばっちりしようかな、みたいな感じです。
 谷 寂聴さんの本を読んだら、生まれ変わっても女になりたい、と書かれていました。女性に生まれてよかった、と思うのは、どういうところですか。
 寂聴 思いがけず93年も女として生きてきて、こんなに生きると思わなかったけど、後悔はしてないの。生まれ変わっても、女に生まれて小説家になりたい。まだまだ書くことがありますから。来世では男をいっぱいたぶらかして、困らせてやるわ。私のころは、お嫁に行くときは、処女が第一条件だったんですよ。でも今は処女なんて死語に近いでしょ。そういうこと言うから不良ばあさんって言われるのね。女も、性も自由でいいんです。
 溝井 女性の自由とか自立、解放を考えると、貞操とか伝統、道徳には縛られるべきじゃない。私も寂聴さんと同じ考えです。
 寂聴 百年前、女性の自由のために「青鞜(せいとう)」という運動をした平塚らいてうが、恋愛の自由と言ってます。女性のあるべき理想を掲げて、全国から女性が集まって運動に参加しました。今、あなたたちは、彼女たちが望んだすべてを持っています。百年かかったわね。戦争に負けて、アメリカから女性の自由も参政権ももらった。でも百年前から運動をしてきた人たちの基礎があったから、受け取って活用できたんだと思います。
    ■     ■
 寂聴 3年ぐらい前かしら。若い人たちが何万人も参加するイベントに呼ばれて、何かしゃべらなきゃならなくなってね、「青春は恋と革命だ!」って言ったの。そしたら、うわーっ!って。去年の国会前デモで、「瀬戸内寂聴が『青春は――』って言ってた。俺たちも、それで行こう」って盛り上がったらしいのね。伝えてくれる人がいて、うれしかったわ。
 中川 恋と革命が、どう結びつくんですか。
 寂聴 私は大杉栄とか伊藤野枝とか管野スガとか、社会運動をして政治に殺された人たちの伝記を書きました。彼らは可哀想です。でも、不幸な人だとは思わない。百年経って、私が小説に書いて、あなたたちが読んでくれる。彼らの命は生きている。彼らは安穏と暮らすこともできたのに、革命をやらずにいられなかった。そういう人たちは、とっても情熱的で、恋愛もたくさんしています。恋も革命も若い情熱と命を注がなきゃ、できないことよね。
 溝井 女性解放運動をずっとやられてきた先人たち、戦争体験者の方。そういう積み重ね、先人の思いを、すごく感じた夏でした。
 寂聴 SEALDsも自由のための運動でしょ。幸せになるということは、人間が自由になることね。民主主義は、自由を獲得して生きることでしょ。そのための運動なのね。
 中川 民主主義って、自分たちが自由にのびのび生きるために払わなきゃいけない代償とか、そういうものじゃないと思う。責任とか義務とか、重たいものでもない。一人ひとりが主権者として政治に応答する能力だと思う。私、デモに行って、そのことに気づきました。
 寂聴 私は、もうすぐ死にます。年寄りは逆立ちしたって何もできないんですから、もう死んでもいいの。ただ、私が死ぬ前に声を大にして言っておきたいのは、未来は若い人たち、あなたたちのものですよ、ってこと。あなたたちは未来を作らなきゃいけない。だから戦ってください。恋と革命に殉じてください。
 一同 はい。
 寂聴 私が死んだらね、彼岸で迎えてくれる男たちがずらっと並んでるでしょうね。誰に最初に声をかけようかしら。今は、それが悩みね。あなたたちは今を精いっぱい、楽しみなさい。戦争で殺されないように。
 溝井 精いっぱい楽しみます。
 中川 楽しくやりたい。
 谷 デモも楽しみのひとつ!
 寂聴 そうよ。元気に楽しみなさい。 (構成=編集委員・秋山訓子、岡田匠)

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)