もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

0033 山内昌之「嫉妬の世界史」(新潮新書;2004) 感想5

2013年02月27日 23時39分58秒 | 一日一冊読書開始
2月27日(水):

206ページ  所要時間3:30             蔵書

著者57歳(1947生まれ)。言わずと知れた現代を代表する世界史学者(イスラーム地域中心)である。「この先生がこんな本を書くんだ!?」というのが、読みはじめの印象である。この本の内容は、数年前にNHK教育のシリーズで部分的に取り上げられていたように記憶する。

嫉(ねたむ)妬(そねむ)という文字には、女偏が使われるが、本書で扱われているのはほとんどが「男の嫉妬」である。歴史の裏の裏まで知り尽くした碩学の目から、歴史上「嫉妬」が果たした役割が印象深く描き出されている。一流の人間が「嫉妬」から逃れるのは極めて困難であり、避け過ぎればつまらない人間で終わらざるを得ない。悩ましいことである。

「嫉妬」の目で見ると、よく知られた日本史・世界史上の英雄・人物像、人間関係、事件の真相が全く違った姿になって現れてくる。歴史上の偉人達も、自分自身、ライバル、周りの人々、民衆、兄弟などの「嫉妬」の中で、激しく浮かんだり沈んだりしている。

嫉妬という視点から見ると如何なる英雄・偉人・独裁者・有名人も、皆歴史上、他者から受ける嫉妬の炎から逃れることができない。「歴史の陰に女あり」ではなく、まさに「歴史の陰に嫉妬あり!」である。

そして、さんざんそういう「嫉妬」の世界史を論じ尽くした挙句の果ての最後に、真っ直ぐに生きて、しかも誰からも「嫉妬」されなかった人物を一人だけ挙げて本書は締め括られる。その男が意外や意外、日本史上の人物だった! 即ち、会津藩藩祖の保科正之である。著者は保科正之の来歴と善政について詳述・称揚した上で、最後に古代ギリシアの直接民主政治の大成者ペリクレスと並べ讃えて筆を擱く。

世界史に燦然たる民主政治家ペリクレスと並べて、<世界史上の一級の人物>として保科正之だけを挙げるとは、あざと過ぎるではないか! 折しも、大河ドラマ「八重の桜」松平容保公に京都守護職という超貧乏くじを引かしめた会津藩「家訓(かきん)」を制定したのが、藩祖保科正之公である。「そんなにすごい政治家だったんだ!」といやが上にも関心が高まってしまったのである。

*吉良上野介は、旗本なのに大名よりも高い従四位上少将で老中より上席の格式を持っていて多くの大名の妬みをかっていた。
*慶喜より家茂の方がはるかに将軍にふさわしかった。
*呂后による「人ブタ」は許し難い所業。
*漱石よりも落ち着いた印象のある鷗外が、陸軍内で醜い出世競争をしていたというのは意外だった。
*ヒトラーとロンメルの関係は、反主流のつながりであり興味深かった。
*スターリンと毛沢東は人類史上最低最悪の悪魔だと思う。毛沢東を否定できない現在の中国共産党も全く信用できない独裁政権だ。
*島津義弘は、大変魅力的だ!
*19世紀のゴードンは、20世紀のロレンスとともにイギリス人の心を最も揺さぶった英雄である。
*永田鉄山が意外と一流の人物であり、彼が惨殺されていなければ、東条英機の悪夢は無かった。さらに、石原莞爾の天才性を無駄にすることも無かった。相沢事件による永田鉄山の死は大変残念だった。(注意:侵略戦争の是非は棚上げ)

*もし、保科正之に補佐された、4代将軍家綱がいま少し長らえて、子孫を残していたら、綱吉のようなパラノイアは現れず、幕府政治はもっと安定した健全なものになっていただろう


以下、新潮社HPから採った目次を転載しておく。

目 次(新潮社HPから):
序 章 ねたみとそねみが歴史を変える
嫉妬は女の特権ではない。色恋沙汰ならまだしも、身過ぎ世過ぎに関する男のねたみそねみは国をも滅ぼす。忠臣蔵関ヶ原の合戦も、もとを辿れば抑えきれない妬心に行き着くのだから──。
第一章 臣下を認められない君主
上杉定正と太田道灌、アレクサンドロス大王、徳川慶喜と勝海舟、ナースィルとサラディン孫権島津久光と西郷隆盛。上司の心の奥底にあったのは、やっかみか、老醜か、意地か、はたまた政治リアリズムか。
第二章 烈女の一念、男を殺す
息子のために名宰相を殺したスレイマン大帝の寵姫ロクソランは帝国を衰亡させ、権力欲の果てに功臣を次々と殺戮した劉邦の糟糠の妻・呂后は、一族を滅亡に導いた。時に男より残酷になれる、女たちの執念。
第三章 熾烈なライヴァル関係
軍医として文士として、自らに向けられた嫉妬に激しく反応した森鷗外は、終生あらゆる手段を用いた足の引っ張り合いの只中にあった。いっぽう近藤勇は、伊東甲子太郎の闇討ちに至る。同志が一線を越える時。
第四章 主人の恩寵がもたらすもの
殉死を許されないほど重用された阿部一族は死に絶え、ヒトラーとロンメルの蜜月もやがて不幸な結末を迎える。実業界も同様だが、パトロンの寵愛が深いほど、その死はもちろん、すれ違いもまた悲劇をもたらす。
第五章 学者世界の憂鬱
都会の洗練をまとった人格者で、研究に文筆に社交にと才を発揮した雪の博士、中谷宇吉郎の沈黙。小学校中退の自由奔放な植物学者、牧野富太郎の饒舌。嫉妬をめぐる対応に見る、スター学者二人の人生観。
第六章 天才の迂闊、秀才の周到
稀代の戦略家・石原莞爾をはじめ、山下奉文らをも追い落とした東条英機。組織運営の実務にあたる秀才の論理は、天才を駆逐する。一介の“努力の人”は、いかにして陸相、果ては総理にまで昇りつめたか。
第七章 独裁者の業
共和制ローマで突出したカエサルが闇に葬られたのと反対に、のちの独裁者、なかでも共産主義の指導者は嫉妬を体制に組み込む。かくしてスターリンはトハチェフスキー毛沢東は劉少奇を死に追いやった。
第八章 兄弟だからこそ
島津義久と義弘、中大兄皇子と大海人皇子、源頼朝と義経、長尾晴景と上杉謙信、徳川家光と忠長──。弟を前に心穏やかでいられない兄は、枚挙に遑がない。稀な例外は武田信玄の信頼を勝ち得た信繁
第九章 相容れない者たち
冒険心と義侠心で突っ走るスター軍人ゴードンと、透徹したエスタブリッシュメントの辣腕官僚ベアリング。いくらそれぞれが自らの任務に才能を発揮しても、水と油の二人。そして英雄は非業の死を遂げた。
終 章 嫉妬されなかった男
決して手の内を見せないボケ元こと杉山元、軍人離れした飄逸さの寺内寿一。そして悪意を持ちようもない家光の庶弟・保科正之の人となりと、世界に先駆けた善政の数々。歴史上の人物に学ぶ、処世の知恵。
主要参照文献

あとがき

0032 岸本葉子「がんから始まる」(文春文庫;2003) 感想4+

2013年02月26日 22時26分28秒 | 一日一冊読書開始
2月26日(火):

270ページ  所要時間1:35      ブックオフ105円

著者42歳(1961生まれ)。40歳でガンになった話。前半で入院・告知・手術まで、後半で手術後の再発リスクを見つめる日々が綴られている。時間が無くて2ページ30秒の眺め読みになったのは、著者には失礼だし、俺にとっても勿体無いことをした。ただ、著者の文章が非常に読み易くて、分かりやすいことはよく伝わった。名文家だと思う。読み易いからと言って、決して浅い訳ではない。自身の思いを真摯に見つめ、簡潔・丁寧・正確に力みのない自然な感じで表現しているのだ。もっとじっくり読めば、感想は5だったと思う。

今や日本の国民病ともいうべきガンになり、変化していく著者の心の変化は、著者の個人的体験であると同時に現代人が持っておくべき普遍的心構え、覚悟と言えるものになっている。

俺自身、数年前に大きな手術をし、今もって年一度(本当は二度だがさぼっている)の定期検査を続けているので、著者の思いはよくわかる。ただ残念ながら、著者ほど明晰でなく、表現力のない俺は、その貴重な体験を今の人生に反映できていない。この作品を読んで、あの時の入院・手術、その後の不安を思い出した。もう一度人生観を見直すべきだろうと思うようになった。

作家として脂ののった「人生の絶頂期」にガンによって可能性を喪失したと嘆きながら、その体験を作品にすることによって自らの代表作を作ってしまうのだから、著者をすごいと思うとともに、人事を尽くして天命を待つ、人間万事塞翁が馬、というのも銘記しておくべきだなあと思った。

今後、機会を作って読み返し、著者の普遍的知恵を学ばせてもらおうと思う。

ガン患者の間で子規の『病牀六尺』『墨汁一滴』が読まれているのを知り、改めて子規を読みたくなった。36年であれだけ人生を凝縮して生き切ったのは凄絶かつ壮観と言っていいだろう。
「痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや」
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ねる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」


0031 星野仁彦「発達障害に気づかない大人たち」(祥伝社新書;2010) 感想4

2013年02月25日 22時08分57秒 | 一日一冊読書開始
2月25日(月):

252ページ  所要時間2:55         図書館

著者63歳(1947生まれ)。心療内科医。

この本の価値は、「周囲の理解とサポートを得るためには、まず専門医の力を借りて、正確な診断を得て、できるだけ客観的で偏りのない科学的な説明を受けることが肝心です。精神科医の間では「100回の心理療法より一回の診断」と言われ、正確な診断は何よりも重要です。」(175ページ)のたった一言に尽きる。この一言で、この本は有用な書であると言えると思う。

前半では、発達障害を注意欠陥・多動性障害(ADHD);広汎性発達障害(PDD)、自閉症、高機能自閉症HFPDD、自閉症スペクトラム障害(ASD)、アスペルがー症候群(AS);学習障害(LD);知的障害(精神発達遅滞);発達性強調運動障害、及びこれらの複合体プラス年齢的変化によって非常に多様であると強調していた。

それが、「第2章 こんな人は、発達障害かもしれない」では、当初職場のわけのわからん憎たらしい連中に発達障害のレッテルを張ってやろうと思って読みだしたのに、むしろ読んでいる誰もが、自分自身のことを発達障害に当てはまると思わせられるはめになってしまう。しかも具体的にはどの発達障害かは分からない、という記述が続くのだ。後半になると、特に「第5章 大人の発達障害は治せる」では、大雑把に発達障害という言葉を使って、多様性はほとんど問題にされなくなる。薬の処方以外では、環境や条件を整えることなど一般的な治療・対症療法が羅列されるが、その内容が「発達障害者」の部分を「健常者」に置き換えても全く問題ないことが書かれているに過ぎない。健常者と同じ健全な生活を営むことが、発達障害者にとって治療・社会性を身につけることに通じると解釈すれば良いのだろう。

しかし、叙述の仕方に一貫性を欠いているのは否めない。本書は「どこか惜しい感じの本」なのだ。目の付けどころも、志操の高さも良いのだが、どこか現実社会とのカラ振り感がつきまとう。著者自身が、自らを発達障害で、現実社会とのズレを埋められず、優秀な細君の働きでようやく折り合いをつけていることをカミングアウトしている通り、叙述が現実と際どくかみ合ってないのだ。しかも、著者は、自らが具体的にASなのか、ADHDか、自閉症か明らかにしていない。隔靴掻痒。発達障害に対する解決策の提示の仕方も、○○してはいけません、○○しないといけません、NPO団体はこんなのがあります、云々と書かれても、「実際にその受け皿はどこにあるの…、どうコンタクトするの」みたいな疑問がついてくる。空論ではないが、机上の論で、読み手としては地に足が付いた気がしないで落ち着かない。

あまり読み易い本ではなかった。奥さんの代筆によるのか、本としての内容構成が、いまいちまとめ切れていない感じがしたのと、特に終盤は、偏見の助長にもなりそうな、言いっ放しの無責任さと表裏の帳尻合わせのまとめ方にも思えた。

大人のうつ病などの不調の背景に、ADHDやASがあることが多い。

※2月26日(火):この本は、もっと丁寧に読まないといけないようだ。俺自身の非力さで十分に内容を読み切れていない。一方で、そこまでの時間を掛けて読む義理も感じない。有用な本なので、間を開けて再度読み直すことにしようと思う。評価も3+から4に変更する。ただ、5にはできない。どうしても違和感も残るのだ。




0030 青木和夫「日本の歴史 3奈良の都」(中公文庫;1965) 感想4

2013年02月25日 01時10分21秒 | 一日一冊読書開始
2月24日(日):

504ページ  所要時間5:10         蔵書

著者39歳(1926~2009;83歳)。701年から770年まで、大宝律令制定から称徳天皇の死まで。

本棚の隅に置かれて、「死ぬまで読み通せないだろうな」と思っていた本である。アマゾンで☆5つの高評価を受けてるのを目にして、ふと手に取り、「1ページ30秒だったら、まあ5時間ほどかなあ」と気まぐれに読みだした。風邪のために、昨日、今日と死ぬほど寝倒していたせいか、意外に根気が続いて一気に最後までページに目を這わせ続けることができた。

元より5hで、歯のたつような柔な内容ではない。だからと言って、気構えれば、絶対に読み通せないし、時間も無い。既に48年前の著作であり、古過ぎる部分もあって、ゆっくりではなおさら縁を持てないのは明白。今回幸いにも目を通せたことでこれからは折に触れて本書を参考書に使うきっかけ・縁(よすが)を得た気がする。

読み通してみて、戦後日本史学第一世代ともいうべき著者のこの本が現在の奈良時代の教科書的内容のスタンダードをつくりあげていることだけは確認できた気がする。いわば保守本流って感じである。

奈良時代を女帝の時代と読んではばからないのは、新鮮な認識だった。確かに、(文武の陰には持統がいる)、聖武、淳仁の内、まともな男の天皇は聖武だけだ(しかも同い年の光明皇后とセットだ)。光仁、桓武は、奈良時代だけど平安とイメージが重なる。

続日本紀や懐風藻、万葉集の引用は当然だが、日本霊異記からの引用が意外と多かった気がする。

橘奈良麻呂の乱の粛清リストに、橘奈良麻呂自身が載っていない理由を、奈良麻呂の孫娘で嵯峨天皇に嫁した檀林皇后の影響力を指摘している部分は、歴史の持つ真実の一面を感じさせてくれて面白かった。

マルクス主義や唯物史観的見方という言葉がよく出てくる一方で、奈良(なら)という言葉の考察に韓国語のナラ(=国)からきているという発想が全く出て来ないところなどに戦後間もない50年前という時代性が出ているように思った。古い所は古いが、まだまだ歴史書としての賞味期限は切れていない古典である

目次:
国家と百姓/律令公布/平城遷都/あいつぐ女帝/貴族の生活/郡司の館/家族と村落/村人の日々/和同開珎/長屋王と藤原氏/聖武と光明/大仏開眼/大唐留学/正倉院宝庫/恵美押勝/道鏡と女帝

0029 本田直之「レバレッジ・リーディング」(東洋経済新報社;2006) 感想3+

2013年02月23日 00時42分15秒 | 一日一冊読書開始
2月22日(金):

171ページ  所要時間1:25         図書館

副題は「100倍の利益を稼ぎ出すビジネス書「多読」のすすめ」である。著者によれば、「多読」は「速読」ではない。

著者年齢不詳。巻末の著者紹介は、肩書き・説明がやたら長いのに年齢が書いてない。ちょっとバンコクの正式名称と、寿限無を連想した。肩書きの長さが、怪しさ感を煽っている。しかもアメリカの某大学でMBA取得だそうである。ネットにはマッチョな写真が出ている。その写真記事で見ると執筆当時は36歳前後(1970前後生まれ?)に思えた。それほどの年齢ではない。意外と若い!。

平均1500円の本を一年で600冊ほど買い込んで、400冊を読む。本代は年間100万円程になるが、「本に投資すれば、100倍になって戻ってくる」という価値観で、1500円の本は、15万円を生み、100万円の本代は1億円になって還ってくる計算になる。早朝に起きて入浴とセットで、1時間で1冊を義務付け、長く掛かってもても2時間まで、本は書き込みや、ページ折りをして自由に活用するために必ず購入するし、長く続けると空間を占拠するので例外を除いて、メモを記録した本は出し殻として捨ててしまう

ブックオフで105円の本を買いあさり、欲しい本が疾く半額から105円にならないか、と待ち望んでいる貧乏ったれの俺から見れば、実に豪儀で景気のよい、羨ましい読書生活である。俺もビジネス書に定価はさすがに勿体無いが、欲しい新書や文庫程度は定価で買いたいものだ。本当にしみったれた話ですみません。

前半の第1章、第2章を読んでいる時、「これは、<とんでも本>ではないか?」と大いに怪しんでいた。特に、後に会社を潰すことになる安田佳生の「千円札は拾うな」(サンマーク出版)を推奨しているところを見て、「<とんでも本>に違いない!」と思った。

しかし、後半の第3章、第4章で実際の本との対し方が具体的に記される段になると、ひとつの読書法として「これもありかな…」と認めざるを得ない感じになった。特に第4章「読んだままで終わらせるな!」で「読後のフォローが最も大切なのであり、その過程をシステム化してレバレッジメモをを作れ。そしてそのメモを持ち歩いて少しでも実践・活用できるよう努力せよ」という内容が解説されるに及んで少しだけ「お見逸れしました」という感じを受けた。

俺自身、<読書と忘却の関係>に悩んでいたが、第4章は、確かにひとつの明確な解決法を示してくれていると言える。

※第3章のまとめ
・本を読む前に、「この本から何を学ぶか」とはっきりさせておく。そうすれば重要なポイントがよく目に入るし、余計なところを読まずにすむ。
・一日の生活のリズムに読書を組み込む。
・読書時間は意識的にとらないと、いつまでもとれない。
・読む前に、「何時間以内で読む」と決める。
・「まえがき」「目次」「あとがき」などに目を通し、あらかじめ本の概略をつかむ。
・本のストックは切らさない。ダメ本は、さっさと読むのをやめる。
・ポイントに線を引き、ページの角を折る。読みながら考えたことは、どんどん書き込む。
・読むスピードは一定でなく、緩急をつける。
・読みながら自分に置き換えてシミュレーションする。

※第4章のまとめ
・読書後のフォローは絶対必要
・線を引いたところを抜粋した「レバレッジメモ」を作る。
・メモは常に持ち歩き、空き時間に何度も読む。
・メモはパソコンで作ってプリントアウトするだけ。
・メモはテーマ別、データ別、引用文に分類すると使いやすい。
・基本的に一度読んだ本は、余程の良書でない限り、もう読み返さない。
・メモの内容を実践で活用し、条件反射的に行動できるようにする。


勿論、これは著者の個人的方法論に過ぎない。立花隆とは、全く逆のことを言っている部分もある。まあ、それでよいのだ。読書法は、人それぞれ個人的なものなのだ。他人様の読書法を参考にさせてもらうのは悪いことではないだろう。

気力が無いので柔らかい内容の本しか咀嚼できていない後ろめたさがつきまとう。まあ、それも仕方がないか…。量をこなしていれば、いつか質を凌駕するかもしれないし、いつか質をともなう時が来るかもしれない。ともかく活字から離れないことが今は一番大事だと思っておこう。

0028 田村耕太郎「君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?」(マガジンハウス;2012) 感想2

2013年02月21日 23時35分19秒 | 一日一冊読書開始
2月21日(木):

222ページ  所要時間1:05           図書館

著者49歳(1963生まれ)。自民党から民主党に移った元参議院議員(それを知っていれば、決して読まなかったのに…)。表題と、目次をペラペラめくって、深く考えずに借りてしまった本だ。

世界の情勢や、世界を旅する本が好きなので手にしたが、読んでいて、ピントがずれてるのが気になって不快感が強くなった。ある意味「ステイツマン(政治家)気取りのポリティシャン(政治屋)の頭の構造を知ることができる本である」と考えれば、この連中が如何にエリート意識が強くて、有権者である一般市民の生活感からかけ離れているか、成功者にしか関心が無く、失敗者や弱者に対する眼差しが全く入ってこない点だけは、すごく徹底している。この男にとっては、アメリカの有名大学でMBAを取ってる人間が一番えらいようだ。

読んでいて、強く感じたことは、読者と何かを共有しようという意志ではなく、「俺はわかってるよ」という上から目線の強さである。口先だけで、小賢しい教えを垂れながら自分をえらく見せようという意識だけは感じた。問題の掘り下げが成功者(著者自身を含む)の追認と自己との同一化に集中していて、本当に薄っぺらい内容である。こいつは成功者のサークルでも作って自慰的な世界を作りたいのだろうか。開かれた目を持てとのたまいながら、こいつ自身の目は恐ろしく閉鎖的である。「金持ちのええとこのぼんぼんの嫌な奴が何をほざいてるんじゃ」という感じで全く共感できなかった。ある意味、片山さつきと通底する感じだ。

書中での著者は「君たち」という言葉を使っているが、こいつのアドバイスを「ごもっとも」と参考にできる人間は、百人に一人ではあるまい。千人に一人か? エリート意識とエリート主義が強烈過ぎることに気が付いていない。読者をどこに設定してるのか、全くわからない。著者が読み手のことを全く見えていないで、自慢話ばかりの自己満足の内容に終わっているのを見ていると「新手のバカじゃないか?」と思えてくる。ある意味ですごく恥ずかしい内容の本である。

優越感に満ちたぼんぼんの政治屋の心象風景というのは所詮こういうものなのだ。こんな奴が政治家なのだ。人間として薄っぺら過ぎる。もっと地に足のついた、弱者へのまなざしをバランスよく持ち、自らを反省することのできる人間に政治家になって欲しい。

※こんな俗物に比べれば、我が支持する絶滅危惧種<社民党>党首の福島瑞穂さんの方がはるかに立派である。読者諸兄姉よ、来るべき参議院議員選挙では、ぜひ絶滅危惧種の社民党に清き一票をお願い申し上げます m(_ _)m 。




0027 住谷悦治「河上肇 人物叢書85」(吉川弘文館;1962) 感想?

2013年02月17日 00時23分00秒 | 一日一冊読書開始
2月16日(土):

339ページ  所要時間3:05           蔵書

著者67歳(1895~1987)。同志社大学経済学部教授。河上肇逝去16年後の伝記。何も盗まなかった泥棒のエピソードは、書かれていない。河上肇晩年に書かれた「自叙伝」を主たる下敷きにして、吉野作造門下であり、京都同志社に赴任後、河上肇から直接経済学の手ほどきを受けた著者が思いを込めて綴った伝記である。河上肇に対して清冽な人物像を感じた。

泥棒のエピソードに触発されて、本棚に死蔵されていた本をとりだしてきて流し読みをした。50年前の本である。真面目に読むほどの義理も、時間も無いので、2ページ1分のペースを意識して読んだ。

「貧乏物語」の著者としても有名な河上肇(1879~1946.1月衰弱死;66歳)は、日本における最初のマルクス主義者ではなかったが、正統派経済学を極め尽くした先にマルクス主義に到達したマルクス主義経済学の確立者であり、かつ宗教との親和性を維持した全く独自の東洋的マルクス主義者でもあった。「正四位勲三等・元京都帝国大学教授・法学博士という肩書きをもち、学者・思想家として長く天下にその名をうたわれてきた人が、しかも齢五十四歳にして非合法「日本共産党」の党員となって地下に潜入するということは、まことに日本歴史はじまっていらいの驚異であった。」(240ページ)、その後逮捕、治安維持法違反で5年間(55歳~59歳;1933~37)の懲役刑に服するも非転向を貫いた信念の学者であった。ただ釈放後は、<学者引退>という形で自らの思想を守った。

これからの日本は右傾化し、生き難い時代になりそうだが、そんな中でも節を守り通す上で河上肇の晩年の生き方は覚えておきたいと思った。

「河上博士の人間的魅力としてあらゆる階層の人々の心を打つ共通的なものは、必ずしも博士の経済学者としての学問の深さとか高さとか、理論の精緻や鋭さとか、流麗な文筆とか、該博な知識とか、さらにマルクス主義経済学者であるとか、わが国におけるマルクス主義経済学の高揚とその確立者であるとか、いう点にあるわけではないと思う。もちろん、これらの学者としての才幹と業績とは十分に尊敬と魅力に値する要素であることに相違ないが、人々が博士の前に頭を垂れて博士を思慕するところは、博士がその若き日より生涯を通じて人生の「真実」に徹しようと不断に努力した思想家であり、大正・昭和の思想弾圧下を通じて、苦難に耐え断固として学問的良心を守りぬいたその学者的節操の凛々しい人間的態度とにあると言ってよいと思う。」(4ページ)

河上肇の墓は、彼が晩年熱愛した京都の法然院にある。


※3月3日(日):先日立ち読みした本に「河上肇の道義的マルクス主義の教えは、同時並行的に中国語訳が進められ、一方で中国からの留学生たちによって中国へ輸出されている。現代の中国共産党にも河上肇の教えは濃厚に入っている<河上肇の評価>は、日本近代史という狭い枠組みを脱して、東アジア全体の近代史の中で捉えなおすべきだ」という旨が書かれていた。そう言えば、毛沢東が河上肇の著作を愛読していたという話も聞いたことがあるよな。

130216 河上肇と泥棒の手紙

2013年02月16日 16時29分27秒 | 日記
2月16日(土):

土曜の午後、パソコンに向かいながら、NHK『日本人は何を考えてきたのか』第8回「人間復興の経済学をめざして ~河上肇と福田徳三~」のDVD録画をぼんやり流し見していた時に、

河上肇が1946年66歳で亡くなって2年後の夏、岩国の彼の生家に泥棒が入った。朝、遺族が気付いたが、何も盗まれていなくて不思議に思っていると、泥棒の書いた紙切れの「書置き」が残されていて、
「汗が出たからハンカチだけもらって行く/悪かった御免なさい/せっかく入ったけど/河上博士の生家だと氣付いたから/盗らない」
と記されていたというシーンに出合って、思わず落涙しそうになった。毛沢東が、内戦の中国で河上肇の著書を愛読していたそうだ。

泥棒に寝返りをうって掛け布団を与え、「盗人に とり残されし 窓の月」と詠んだ良寛和尚の話を思い出した。

0026 菊間千乃「私が弁護士になるまで」(文芸春秋;2012)感想4

2013年02月16日 00時32分56秒 | 一日一冊読書開始
2月15日(金):

212ページ  所要時間1:25         図書館

正直、仕事の疲労と帰宅後の飲酒で、なかなか本が読めない日々が続いている。今日は、疲労の間隙をぬって、2ページ、30秒を目安に強引に本のページに目を這わせた。こうでもしなければ、仏縁を、もとい、本との縁を結ぶことができないのだ。細かい部分は無理だが、著者の心意気と、制度や状況の概略はつかめたと思う。

これまでの人生の折節、何度となく、「もしやり直せるなら、医者か、弁護士だ…」と思ってきた人は多いのではなかろうか。俺もご多分にもれずその一人だ。今の仕事に特別不満がある訳ではないが、環境と巡り合わせが良ければ、医者(勿論、国公立大卒である! 卒業するのに6千万円+αかかる私大医学部なんてもっての外だ!)や弁護士にもなれたと思う。ただ、そこを踏み出して実際に弁護士になって、やり直せる人は千人に一人ぐらいだろう。

著者39歳(1972生まれ)。元フジテレビアナウンサー。早稲田大学法学部卒。未成年との飲酒問題で、テレビ局を退職したと思っていたが、あくまでそれはきっかけであり、その前から「アナウンサーとして伝えるだけの生き方ではなく主張したい」気持ちが強くなっていて、夜間の法科大学院に通って法曹を目指しはじめていた。

2007年末、35歳で退社、2009年37歳不合格、2010年38歳で合格! 「受け控えはしない」という受験における勢いの大切さも本質をついている。

始まったばかりの法科大学院による新司法試験制度について、掛かる費用は年120万円、実費含めて計1000万円程掛かることも含めて、詳しい説明が示されている。実際にその制度に基づいて著者は厳しい受験生活を駆け抜けたのだから、今もし、法科大学院を目指す人間がいるとすれば大きな参考になると思う。

ロースクールは、2年の既修者コースと3年の未修者コースがあり、卒業者は5年以内に3回まで司法試験を受験するチャンスがある。著者は、未修者コースを選び、2年目には退社して勉強一本の生活に入り、一日14/15時間の勉強を仲間と励まし合いながら続けたようだ。

難しい試験を受ける際、この不安感と苦楽を共有できる<仲間>の存在というのは、キーポイントだ!と思う。困難な道は、団体戦だと思った方が正解だ。これは普遍的真理だと思う。自分以外の人間を蹴り落とすような孤高の合格者を決して手本にすべきではない!と思う。<仲間>と励まし合い、一緒に合格することを目指すのが王道だ!

新制度は旧司法試験よりも、定員を大幅に増員するという触れ込みだったが、現実に受験してみれば、やはり決して並大抵ではない険しい道のりであることが知れる。そうは言っても、著者が現実に2度目のチャレンジで合格しているのだから、超難関とされた旧司法試験よりは随分と広き門なのも事実だと思う。

眺め読みで終わったが、読みごたえのある本だと思う。


※アマゾンのレビューを見て、感情的な批判が多いのに驚いた。ジャニーズの男の子に飲酒をさせたことを非難され、東京キー局アナウンサーを退職に追い込まれてもまだ赦せないで、「反省がない」という人が大勢いることに対して、違和感とともに、<大衆>の本質を見る思いがした。著者は、人を傷つけた訳でも、殺した訳でもない。

0025 藤井誠二「「悪いこと」したら、どうなるの? マンガ:武富建治」(理論社;2008) 感想5

2013年02月11日 01時36分55秒 | 一日一冊読書開始
2月10日(日):

251ページ  所要時間3:00          図書館→アマゾン

年齢的にボケてきて、本を読んでも内容を片っ端から忘れていくし、「こんなことしてても意味無いなあ…」と思わないでもないが、一冊の本を読み上げるとやはり気持ちが良いし、ましてや感動や新しい視点を獲たときには「やったね!」と思える。本書は、後者である。読んで良かった。読むべき本を読んだ!って気分である。本書はもっともっと社会全般で広く読まれるべき本だ! 

 「よりみちパン!セ」シリーズの一冊だ。増補改訂版が出ているようだが、アマゾンで売っていた11円の元版の古本(送料250円)を購入・送信した。

 折しも、このブログを書いている真っ最中に、yahooのHPに、「大分19歳暴行死、中高生ら男女6人を殺人容疑逮捕」「2時間休みなく暴行」の記事が載っていた。今の俺には、この加害少年の中高生ら男女とその家族らが、これからどういう道を歩むのか。殺された19歳の少年の被害者家族がどういう扱いを受け、どんな地獄に突き落とされていくのか。そして、それがいかに理不尽で残酷な現実であるのか。暗澹とした気分で、容易に想像ができるのである。少年法は、抜本的に見直すべきである!!

 著者43歳(1965生まれ)。非常に多角的視点から多くの事実を提供するとともに、加害者、被害者自身にはなれないが、綿密な取材により得た生の声を通して当事者たちの立場に寄り添って現行少年法の考え方と問題点について丁寧に整理してくれている。メディアに溢れる声高な空虚さとは対極の、自らが得心した事実のみを「自分にそれを語る資格があるのか」と自問しながら、静かに語り知らせてくれる感じである。

 とにかく少年法について俺自身がいかに無知であるか、いかに無関心であり、それが許されない罪深いことであるか。現行の少年法が、戦後50年間見直されることなく、近年少し改正されてはいるが、本当に矛盾に満ちた不完全・不十分な内容であり、その故に犯罪被害者の多くの人々をいかに苦しめ、刑務官や保護司のあり方を歪め続けてきたのか、加害少年や加害少年家族の本当の更生をいかに阻害し続けているのか、という現実を教えてくれた。

 また、少年法について考えることが、社会と人間について深い考察や理解・気付きをもたらせてくれるテーマであることを知らされた。

 著者自身は、現行少年法は選挙権の18歳低年齢化と共に「少年」の定義も20歳から18歳になるだろう。少年法の存在意義について、万引き・窃盗など軽犯罪に適用するために残す意味はあるが、傷害・殺人のような重罪犯に関しては、ある程度重い刑罰を科すべきであり、少なくとも加害少年の真の更生にもつながらないし、犯罪被害者への配慮を著しく欠いた現行の少年法は適用すべきではない、と考えているようである。

 多くの若者と大人たちに是非読んでもらいたいテキストである。

目次:
第1章 子どもでも、死刑になるの?
第2章 「少年法」は、子どもを守ってくれるの?
第3章 少年院って、どんなところ?
第4章 「少年法」が改正されたのは、なぜ?
第5章 犯罪少年の家族は、どうしているの?
第6章 被害にあった人は、ゆるしてくれるの?

130209 人間臨終図巻(新装版)全4巻を手に入れた!

2013年02月09日 12時54分57秒 | 日記


2月9日(土):

 山田風太郎著「人間臨終図巻(新装版)」全4巻を手に入れた。立花隆が推奨していて前から欲しくて、図書館やブックオフを巡ったり、アマゾンで探したが、定価以外で手に入らない本だった。7日(木)夜、ブックオフのサイトで送料込みで、定価2880円のところ2101円と少し安いので購入した。古本だけど2011年末発行初版で新本同様である。15歳で死んだ八百屋お七、大石主税から、108歳の大西良慶、121歳の泉重千代まで、1986年までに亡くなった923人の死に様を手に入れた訳だ。山田風太郎は2001年に亡くなるまでに続編が書けたはずだが、続編は無い。少しご機嫌だ。折に触れて、自分を見直す糧にしていこうと思う。

 10代、20代、百代はまとめて、30歳以降は、99歳まで1歳ずつに気の利いた箴言が添えられている。 

 今後、素敵な死に様(生き様?)だなと思える人物に出会えたら、少し紹介していこうかなと思う。


※22:15 夜、1巻(15歳~49歳)、2巻(50歳~64歳)を持って風呂に入ったが、半身浴状態で読むのをやめられなくなって、2.5h出て来られなかった。決して高慢ちきな本ではないし、ふざけてもいない。ふつうに真面目だ。受けた感慨もさまざまだった。死を目前にして何人かは、通説と異なる取り乱し方があったことも書かれていた。その方が人間らしい、と思う。井伊直弼の項目では、薩摩脱藩の有村次左衛門が水戸浪士になってしまってるのが少し気になったが、これもご愛嬌ってこと。吉田松陰の死に際も、「安政6(1859)年10月27日に斬った武士の最期が最も堂々として潔かった。」という幕府の首切り役人の言を調べると、それが吉田松陰だった、という司馬遼太郎の描く吉田松陰の最期が俺には良かったなあ…。まあ、それもご愛嬌ってことだ。
3巻(65歳~76歳)、4巻(77歳~121歳)だが、できれば俺も第3巻までは、この世で元気に活動したいものだ。

0024 雨宮処凛「14歳からの原発問題」(河出書房新社;2011.9月)感想4+

2013年02月05日 01時02分24秒 | 一日一冊読書開始
2月4日(月):

238ページ   所要時間3:00       図書館

時間を掛けて読んだからといって内容の吸収率が比例して良くなる訳ではない…。

著者36歳(1975生まれ)。著者は自らを素人と称して著者の信じるに足る識者を選び、当然で真っ直ぐな質問を展開する。それはまるで、読者の俺になり代わって訊きたいことを聴き出しててくれているような気分にされる。池上彰さんに少し切れが無くなってきた当節、分かり易さと鋭い批判精神と行動力に裏打ちされた著者の言論活動は大変貴重である。

いつの間にか、原発存続が既定路線化されているが如く、原発問題が日常のひとつになってならされてしまっている現実に、もう一度原点に戻って敵の正体と見過ごしにしてはならない問題を呼び起こさせてくれる。

「NUCLEARって「核・原子力」って和訳ですが、なにがどう違うのでしょうか。;基本的には同じですよね。兵器のことをいう場合には核と言って、そうじゃない時は原子力。日本語で違いがあるように言ってるけど海外では区別はほとんど無いんです。だから「NO NUKES」という時には、原子力発電も含んでいる。核と原子力で訳が分かれているのは、たぶん日本だけじゃないでしょうか。」162ページ

目次:
第1章 「原発いらない!」と気付いた日
    ――3・11からの「反原発」   
第2章 原発の中では何が起きている?
    ――元・原発労働者 Aさんに聞く   
第3章 なぜ日本に原発ができたのか
    ――社会学者・開沼博さんに聞く  
第4章 世界の動きと日本の原発
    ――歴史社会学者・小熊英二さんに聞く  
第5章 そもそも原子力発電ってなに!?
    ――「はんげんぱつ新聞」編集長・西尾漠さんに聞く
第6章 20キロ圏内にとり残された動物たち
    ――獣医・なかのまきこさんに聞く 
第7章 「総被曝時代」に立ち向かうために
    ――映画監督・鎌仲ひとみさんに聞く  

0023 雨宮処凛「14歳からわかる生活保護」(河出書房新社;2012.10月) 感想5

2013年02月03日 20時38分41秒 | 一日一冊読書開始
2月3日(日):

203ページ  所要時間1:30        図書館

著者37歳(1975生まれ)。読書リハビリに読んだが、思わぬ収穫だった。簡潔で無駄が無く、人間らしい優しさに満ちた本当に実(じつ)のある内容である。はっきりと言おう!良書である!生活保護に関する最も良い入門書だと思う。

著者の行動力と取材力は既に有名だが、改めて<今一番格好いい女性の一人>であるのを確認できた。また、弱者の権利に対する確かな目と不法・不当な権力のあり方を許さない姿勢に大変共感した。

生活保護に対する偏見と誤解を確信犯として助長し、スティグマ(恥の烙印)を印象付けることで、社会保障を削ろうとする政治屋(本書中では、自民党の片山さつき議員の名前が何度も出ていた!)や、「水際作戦」と称して生活保護を必要とする人々から不法に生きる権利を奪おうとする役所の手口が暴露されるとともに、それによって死ななくてもよい大勢の人の死がもたらされた罪深さが示されている。

権利としての生活保護という制度が十分に生かされていない。人間の再生のために生活保護の活用が大切であること、誰かが身を寄り添わせてあげるだけで、多くの死ななくてもよい人たちを救えること、NPOの「もやい」の存在などが丁寧に示されている。

扶養義務者には、「強い扶養義務者」と「弱い扶養義務者」があり、「河本準一さんは仕送りをして、福祉事務所とも、どれくらいだったら援助できるかを話し合い、親御さんが仕送りを受けてもなお最低生活費に足りない分を福祉事務所から保護費として支給されていたので、手続き的にまったく問題ない。148ページ

役所は「個人情報保護」という題目のもと、自らの不作為と死んでもよいという未必の故意を合理化している。生命よりも大切な個人情報があるというのか。

目次:
不正受給額はたったの0.4%以下!
受給者の約8割が高齢者や病気・ケガで働けない人……
間違いだらけの生活保護バッシングをキチンと改める「生活保護」入門。
第1章 札幌姉妹「孤立死」事件 ——見捨てられた命が教えてくれること
「他人事ではない」孤立死事件/2012年に相次いだ、餓死・孤立死/一日一食、非常用のパンだけで生き延びろ?/言い逃れをする区の職員たち/ありえないほどいい加減な面接/申請を諦めさせる「水際作戦」
第2章 そもそも生活保護ってなに!? ——自立生活サポートセンター・もやい 稲葉剛さんに聞く
生活保護を受けるための3つの要件/リーマンショック以降、相談件数が増加した/申請書を受理しないのは違法行為/生活保護の受付がガードマン?/生活保護費の半分が医療費である理由/人体実験のごとき貧困ビジネス/「生活保護=恥」を作り出す国会議員/仕事に就けないのは本人の責任なのか/「かわいそうだから助けましょう」は危険
第3章 生活保護を受けて暮らすということ ——受給者A子さん(40代・女性)・B男さん(20代・男性)に聞く
受給者のA子さん(40代・女性)に聞く/役所がDV夫に連絡してしまう/生活保護を知っていたから逃げ出せた/見過ごせない母子家庭の貧困率/受給者のB男さん(20代・男性)に聞く/親も貧困だから戻ることが出来ない/ネットカフェ難民のカップル/「やっと布団で寝られる……」/発見されなかった病気・障がい/「失業する→ホームレスになる」は日本だけ/「助けて」という声を封じていないだろうか/「人を見捨てない」人たちがたくさんいる
第4章 なぜ生活保護は誤解されるのか? ——弁護士・尾藤廣喜さんに聞く
河本さんは不正受給にはあたりません/生活保護を受けている世帯は公務員にはなってはいけない?/恥をかかなくてもいい制度に/『ハリー・ポッター』は生活保護を受けながら書かれた/国によってこんなにも違う生活保護/年金と雇用に向き合えば受給者は減る/貧困は自己責任じゃない、社会の構造に問題がある/人間は誰しも、弱みも可能性も持っている
【申請用紙付き】簡単に分かる『生活保護』申請のやり方/全国の相談所一覧


150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)