もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

0050 木村靖二・佐藤次高ほか「詳説世界史B」(山川出版社;2012) 感想5、評価3

2013年03月31日 00時46分39秒 | 一日一冊読書開始
3月30日(土):  

448ページ  所要時間8:50 蔵書

今日は少し無茶をしてみた。<世界史教科書の一日一冊読み>である。たまには骨の折れる読書も良いか…、と思い朝から読み始めた。

言わずと知れた受験世界史の代表選手のような教科書である。手に入れる機会があったので、読んでみることにした。

大昔、共通一次試験で、電話帳のような山川出版社の教科書で「日本史」と「世界史」を受験して轟沈した苦い思い出がある。一浪(当時は“ひとなみ”と読んだ!?)後、「世界史」の代わりに「倫理・社会」と「日本史」で受験した。「倫理・社会」はほとんど勉強の必要が無かったのに98点取れた。2年越しの「日本史」の93点よりも高得点だった「いくら歴史が好きでも、やってはいけない組み合わせというものがある」ということを経験的に思い知った。

それにしても、この教科書は、昔にもましてページ数が一段と増えているような気がする。本文418ページ。年表・目次を入れて448ページは尋常ではない。本当に電話帳のようだ。まともに相手はできないので、1ページ、1分を徹底することで読み進んだ。それでも、苦戦は明らかである。そもそも意識をシャンとした状態に維持できないと読み続けることすら覚束ないのだ。

昔の教科書より新しい事項・人名がそれなりに加わり、アフリカ史や東南アジア史などに充実感が増している。特に日本史への言及は大幅増だ。ただ基本的な叙述・構成は昔とそれほど変わっていない。しかし、とってひっつけたような枠組み(章立て)のため、つながりが途切れて読みにくかった。

恐らく、指導要領の影響で枠組み(章立て)を変えねばならなかったのだろう。たとえば、「国・地域毎の縦割り過ぎてはいけない。時代ごとの横断的な広がりに留意させよ」などと言われているのだろう。昔と同じ叙述・構成に、新しい枠組み(章立て)を接ぎ木したことで、内容が不自然に断ち切られて、随分流れが悪くなって理解し難い憾みが遺る。

指導要領に従って枠組みを変えるなら、包括的に内容を組み替えるべきではなかったか。未出の内容が、先に出てきたりして分かりにくい。縦割りの叙述・構成を、機械的に横に切っても分かり難くなるだけだ。東大の名誉教授様がお書きになった内容を、今さら若手教授陣が根本的な組み換えをほどこす訳にはまいりません、ってことなのか…。下世話に少し勘繰りたくなる。

教科書が新しくなれば、分かり易く改善されるべきなのに、変なこだわり(例えば、概説、まとめ、主題学習、世界史への扉など)ばかり目立って、理解し難く、覚え難くなるとは、本末転倒も甚だしい。しょうもない小ネタを書いてるくせに、なぜ話をわかりやすくする一言を省くのか? 例えば、「(処女王)エリザベス死後、ステュアート朝が成立した」と書けばいいのに肝心の「(処女王)エリザベスの死後」が抜け落ちている。

ルネサンス以降あたりからは、前後関係がめちゃめちゃに思える部分が多かった。近現代になると、特にひどかった。まとめようがないほど、さまざまなことが羅列的に紹介されていて、前後関係もめちゃくちゃであった。この教科書を読んで、近現代史の知識を整理できる高校生(社会人も)って存在するの…? って、素朴に疑問を持ってしまった。

勿論、世界史自体は面白いので感想は5だけど、教科書としては、ちょっと厳しいかもしれないが、評価3が精一杯だ。あまり良質な教科書とは思えない。

130328-2 閲覧13万を超えた。130,031PV 50,106IP ブログ開設 536日

2013年03月29日 22時42分14秒 | 閲覧数 記録
3月28日(木):記録です。有難うございます。

ブログの開設から 536日

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130328-1 アニメ・キングダム主人公「信」を発見!?

2013年03月29日 01時28分20秒 | 日記
3月28日(木):

今日は疲れていた。帰宅、夕食後、本を読もうと2冊の本で試みたが、すぐに諦めた。ページの上を目が動かない。

入浴に本と新聞を持って入った。その中で、陳舜臣「小説十八史略(一)」(講談社文庫;1992)の始皇帝に関するページを376ページから100ページ程を流し読みをしていた。

*13歳で即位した秦王政(始皇帝)が、秦王室の血を全くひいていない。というよりも呂不韋の実子である経緯が詳しくわかった。

*秦の“王き将軍”が趙の邯鄲を包囲攻撃した記事。383ページ。

*成人後、政が呂不韋を退けて(自殺に追い込んで)、自らが人材を登用して中華平定に乗り出していく中で、新世代の将軍として“李信”という将軍が、活躍を始める。458ページ。この李信の子孫に漢代の悲劇の将軍“李陵”が出る。459ページ。李信は、楚平定の際に油断から大敗を喫するが、秦王政の信頼は失わなかった。479ページ。

*王き将軍の部下“騰”が、「韓を伐ったのが内史の騰であった」(472ページ)と書かれていた。騰が韓を滅ぼしたのだ。



*アニメの主人公“信”は、確かに<天下の大将軍>になったのだ!。「キングダム」はそれなりに史実に忠実に制作されていることが確認できた。

0049 津村記久子「ポトスライムの舟」(講談社;2009)  感想3+

2013年03月28日 00時31分32秒 | 一日一冊読書開始
3月27日(水):

186ページ  所要時間2:45      図書館

著者31歳(1978生まれ)。芥川賞受賞作。

表題作「ポトスライムの舟」と「十二月の窓辺」の二作所収。
どちらかと言えば、「十二月の窓辺」の方が面白かった。

「ポトスライムの舟」:
両親の離婚で、母一人、娘一人の母子家庭に育った29歳の娘が、貧しい派遣社員として、小銭の出納にすら動揺する日々にあって、ある日NPO団体の世界一周のポスターに目を止める。費用は163万円。彼女の派遣社員としての年収だ。有り得ない、と思いながらその世界一周に心を引かれる日々のなか、3人の女友達のそれぞれの人生が絡む。1人は奈良で店を出し、彼女も週末にそこで働く。2人は既婚で子供がいるが、一人が娘を連れて家を出て、彼女と母の築50年の家に転がり込んでくる。はからずも、離婚の手伝いとして間貸しする主人公。体調を崩して会社を1週間ほど休んでしまう。その間に、わずかだが賞与が振り込まれ、貯金通帳の額が初めて163万円を超えていた。……っていうか、こんな内容だったと思う。
芥川賞のレベルを知りたかったので読んだ。文章は流暢ではなく、少し読みづらい。切れ目が無く、割り合いまとまった量の固まりとして文章が続くのだ。ただ一つ一つの文に、工夫というか、捻りのようなものを効かせている。ある種の積み木細工のような構造物を繰り返し積み上げていっている感じなのだ。その分、読み手としては目と肩が凝るのだ。
小説を離れて、離婚などによる母子家庭の貧しさ、派遣社員の貧困と立場の弱さ、母子家庭の母親の再就職の困難さ、など現代社会の問題が突きつけられている、と思った。

「十二月の窓辺」:
職場における生々しいパワハラの物語り。今も企業は男性社会であり、女性は弱い立場である。その弱者であるはずの女性の上司による女性の部下に対する激しいいじめ。それを見て見ぬふり、時にはいじめを囃し立てる取り巻きの先輩女性社員たち。V係長(女性)の暴言・人格否定のパワハラにさらされる平社員の女性主人公は、毎日が生きた心地もしない、かろうじて会社に足を運ぶ生活を送る。そして、ついに仕事上の大きなミスをしでかして、徹底的に人間性を叩き潰される。しかし、それが冤罪であり、非は上司にあることが明らかになるが、上司であるV係長は悪びれもせず、流してしまう。抗議すらできない主人公は、自死まで意識するが、翻意して辞表と、自殺未遂の演出を計画するが、結局実行できない。一方で、将来唯一の駆込寺と思っていた雇用環境促進公団で理不尽な女性への暴力を偶然目撃する。自棄気味にそれを通報したあと、逡巡しつつみすぼらしい姿で公団の対応を確認行くと、暴力を受けていた「彼女」が実は、若い優しげな彼であると知る。その時、主人公は、ふっつりと、退社して広い世界に出ることを思い定め、辞表を部長に提出する。V係長をはじめ、多くの社員から受ける悪罵を尻目に、主人公は後悔を背負いながらも退職を完遂する。
女性同士は、男社会で助け合っているもの、という思い込みが粉砕された。男性からのパワハラ、いじめという構図はわかりやすい。しかし、女性同士がこれほど職場でいがみ合い、というよりも地位を利用した同性へのいじめ、暴言、人格否定をしている現実があるとは、露知らなかった。弱者が、弱者をいじめる現実。考えたくないけれど、当然のことだ。人は、自分より弱い立場の人間をいじめ、人格否定することによって安心を得る。女性からすれば、男性は強者のグループだから、女性をいじめるのが安易な選択となりうる。
著者は、現実に下っ端事務として働く中で、その現実をしっかりと目撃、明記している。それを、紹介するだけでも、作品の面白さは保証済みだ。ただ、著者の作品は、女の世界がメイン過ぎて、男性社会との絡みは遠い背景になってしまっている憾みを残している気もした。

もう少しわかりやすい文体なら、感想は4以上だが、なかなか31歳で重松清のような芳醇な文章にはならないのだろう。

あと、芥川賞作品というのは、眺め読みがとてもやりにくい。一つ一つの文に、行間を読ませるようなところがあるから、なかなかとばして読めないのだ。でも、時間を掛けて、じっくり読むとなれば、仕事を終えて疲れて帰宅した中で、短時間でこの本を読むことは不可能だ。限られた時間に、流し読みをしないと結局、本との縁を結べない、しかし短時間では読み切れない。これは大人の読書の永遠の課題だ、とつくづく思った。



130326 違憲国会による憲法改悪に断固反対する!

2013年03月26日 23時31分32秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月26日(火):

朝日新聞 【夕刊】記事:

素粒子:「きっと最高裁が救ってくれるとは電力会社的な問題先送り執行猶予の身の国会で憲法改正を論じる思い上がり。」

井上達夫・東京大教授(法哲学)の話
 (憲法改正手続きを定めた)憲法96条の改正方針を安倍首相が打ち出し、今夏の参院選が迫るなか、裁判所が立憲主義の危機を感じ取り、判決につながったと思う。評価すべきだが、遅きに失した感もある。96条は、多数派であるからといって簡単に変えてはならない規定だ。判決は、一票の格差にとどまる話ではなく、政治家に対し「憲法をまじめに受け止めろ」というメッセージだ。

現行憲法によって、戦後68年間日本は一度たりとも戦争をしていない重みの大きさを再認識すべきだ。これは重過ぎる事実だ! 1889年~1945年の明治憲法体制下の56年間に日本は、1894年の日清戦争、10年後の1904年の日露戦争、10年後の第1次世界大戦(1914~1918)、10年後の1928年満州某重大事件、3年後の1931年満州事変、1932年国際連盟脱退、5年後の1937年日中戦争、4年後の1941年太平洋戦争、4年後の1945年無条件降伏による亡国的敗戦
 現行憲法下で68年間「戦争をしていない」ということが、どれほど大きな意義を持つのかを、強調して、強調し過ぎることはない! 戦争は、最大数の人々の生命を奪い、不幸にする最大の人権蹂躙問題であり、最大の罪である。現行憲法9条は、絶対に護る。俺は臆病者だが、憲法9条を護る為だけは、命懸けで取り組むと覚悟している。 

0048 秋元康「自分地図を描(か)こう」(大和書房;2000)感想3+

2013年03月26日 22時49分17秒 | 一日一冊読書開始
3月26日(火):

157ページ  所要時間2:30         図書館

著者44歳(1956生まれ)。作詞家。先日NHKで、AKB48を生み出し、大成させた著者の一瞬も休むことない日々の活動を見て、「単なる興行師だろ…」と斜に眺めていたのが、驚きとともに「一体、どういう人なんだろう…」と関心を持ってしまった。

『毎日中学生新聞』(1998年4月~12月)連載の「君たちの地図」に加筆・再編集したもの。

10代の若者に向けて書かれた39のメッセージ。10代の子をもつ親にも、それ以外のすべての人にも、それぞれの立場で読める内容にもなっている。

求められているテーマを見極めて、わかりやすい文章を書く人だ。クレバーな職人的冷静さ、確かさを感じた。しっかりとした眼差しの下で、さまざまなニーズに応じた作詞が行なわれているのだ。

平易に坦々と書かれた文章に、膝を打つほどではないが、触発される。若かりし頃の思いがジワリと蘇る。もし若い自分に会えたら、少しだけ耳打ちしてやりたいような見方・考え方、人生観が書かれている。今の自分の生き方を見直すよすがを得られる内容にもなっている。

目次
プロローグ:人生は勝ち越せばいい
1 自分のスタイル
2 恋愛の基礎
3 友達の方程式
4 学校の使い方
5 勉強のヒント
6 親との距離
7 将来を考える
エピローグ:あとは自分で考えなさい

*でも、大人になって気づいたんです。「この世の中、少しでも長く生きているほうが偉い」と……。つまり、年上は単に早く生まれただけですが、長く生きている分偉いんです。/なぜでしょうか?/答えは簡単です。どうにか、ここまで、生き残ったのですから。生きるということは大変です。1ページ

*「バラ色の瞬間」はあっても、「バラ色の人生」はないのです。早い話、全勝の人生なんてあるわけないのです。必ず、どこかで負けます。「バラ色の瞬間」があれば「暗黒の瞬間」があるのです。同じように全敗の人生もありません。つまり、「暗黒の人生」も無いのです。勝ったり、負けたりしながら「できれば、勝ち越して死にたいね」と思うのが、人生なのです。4ページ

*僕にも「親友」と呼べる人が何人かいるのですが、彼らとの関係を考えると,“近さ“よりも“長さ”に比重を置いて考えてしまう。略。もしかしたら「親友」とは、同じ時代を生き抜いている者同士が、たまに声を掛け合うような関係のことかもしれません。今、隣にいなくても、また、どこかできっと会える、また、どこかで会いたいと思った友だちがいるとしたら、それは君の「親友」です。63ページ

*もうわかるでしょう? ナイフを持った以上、それが、“脅し”の道具であろうが、どこかで、本当に使わざるを得ない状況に追い込まれてしまうのです。66ページ

*だから新聞を読みなさい。新聞は、略、すべての科目が混ざった教科書です。しかも、答えがすぐ、そこにあるわけではありません。もっと言えば、設問だって、そこにある訳ではありません。社会の“今”を読んで、自分も設問し、自分で答えを探すのです。102ページ

*テクニックより君の頭の中にあるイメージを大事にしてほしい。テクニックなり、知識なり、ルールというのは、あとからついてくるものなのです。110ページ


0047 加賀乙彦「小説家が読むドストエフスキー」(集英社新書;2006) 感想5

2013年03月25日 02時05分34秒 | 一日一冊読書開始
3月24日(日):

217ページ  所要時間3:00 図書館本

著者77歳(1929生まれ)。精神科医。

表紙裏「19世紀ロシアを代表する作家ドストエフスキー。21世紀の今日なお読者を魅了してやまない作品の現代性の秘密はどこにあるのか……。長編小説の名手、作家加賀乙彦が『死の家の記録』『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』の五作品をテキストに、小説の構造、伏線の張り方、人物の造型法などを読み解く。小説に仕掛けられた謎や隠された構造を明らかにするとともに、ドストエフスキーの宗教的な主題に光を当てた画期的な作家論、作品論である。」

2003年秋、朝日カルチャーセンターで、月1回1.5hの講義を7回行なった。このテープ起こし原稿に加筆・修正を行ってできた本だ。

著者は文豪クラスの作家であり、かつ日本ではまだ数少ないキリスト者(50代で入信!)である。「私は、ドストエフスキーが小説に仕掛けた謎や隠れた構造を、小説家としての自分の目で読み解こうとした。とくにこの作者の宗教的な主題に光を当てようとしたのは、私の好みである。従来、ドストエフスキーを宗教抜きで、近代的自我の分析や真理解析だけで読もうとする傾向が日本ではあるが、私はあえて、そういう傾向には反対して、彼を宗教小説家としても読み解こうとした。」(215ページ) これが著者の基本的スタンスである。

面白かった。ドストエフスキーに関心のある人間には大変有用な本だ。難解かつ長編のドストエフスキーの作品には憧れてもなかなか手が出ない。そんな人には、ドストエフスキーの人間性・作風から、各作品の時代背景、ネタばれを含めた内容紹介が行われている。難解長大な作品の門戸を著者が、その掌中で造作なくわかりやすく解説してくれているのだ。

前提として、多少のネタばれで作品の価値が下がるはずがなく、むしろネタばれも含めて多少の下知識がなければ、ドストエフスキーの作品に挑戦してもなかなか実り多い読書にはなり得ない、という現実があると解釈するべきなのだと思った。

本書中には、ドストエフスキーのファン、憧れをもつ人々には、堪らないほどの情報がたくさん盛り込まれている。紹介したいが、多過ぎて、限界がある。曰く、

*ソ連時代はトルストイ(大地主)の評価が高かったが、ソ連崩壊後はドストエフスキー(小地主)の評価が高くなっている。

*『罪と罰』は七日ぐらいの物語り。『白痴』も九日ぐらいの出来事を凝縮。『カラマーゾフの兄弟』は最初が三日間、それから二ヶ月経って三日間、あの裁判のシーンはわずか一日。長大な作品だが、実際には極めて短い時間の中に膨大な人々の動向が盛り込まれているのが特徴。これは歴史小説家としてのトルストイとの極めて大きな作風の違いである。

*小説を皆さんに書いて頂くと、どなたもストーリーから考えていく。ストーリーから考えてはいけないのです。どんな人物を自分は描きたいか―そこからはじまって小説ができてくる。絵と同じです。

*ドストエフスキーの作品は。主人公と登場人物が対等に向き合い最後まで、理解し合い収束する様なことはない。ポリフォニー小説である。

*原稿用紙70枚、2時間の『大審問官』のやり取りができた時、ドストエフスキーは作品の成功を確信した。

*1866年、45歳のドストエフスキーが、18・19歳の速記者アンナと結婚したのが、その後の数々の対策の成功に大きな貢献を果たしている。

*ドストエフスキーのてんかんの発作。

*ドストエフスキーは、モスクワ正教の立場から、強烈なカトリックの堕落を批判している。





0046 重松清「とんび」(角川書店;2008) 感想5

2013年03月22日 02時44分41秒 | 一日一冊読書開始
3月21日(木):

382ページ  所要時間7:50          図書館本

著者46歳(1962生まれ)。読んでいて、涙は出なかった。涙は、先日終わったTBSドラマで流し過ぎて、しぼり尽くした感じなのだ。今回の読書は、ドラマの内容と原作である本書の内容の比較・確認と、ドラマの内容を上まわる物語りの厚み付けである。

本書が面白くなかったのではない。昨日と今日の二日間7:50の読書時間は結構長かった。しかし、その間、一度として、読むのが嫌にならなかった。苦痛にならなかった。ごく自然な営みのように物語りに引き付けられた。本来、自然でない営為の読書を自然にできたこと自体が、著者の実力なのだ。

あまりに自在に溢れてくる巧みな文章、深い人間洞察、物語の展開を目の当たりにし、さらに著者が大変多作な作家であることを重ねて、何度も「重松清は、モーツアルトのようだ」という思いになった。また、「作品世界の敷居を下げた現代の山本周五郎だ」など、埒のないことを考えてしまった。

今回は図書館で借りた本だが、数年後ブックオフで105円で買ったら、ページを折って、線を引いてもう一度納得いくまで読み直したいと思う。

本書を読みながら、TBSドラマの脚本家森下佳子の力量にも感心した。原作では父ヤスさんの思いを中心に据えて物語りが進行するが、ドラマでは大人になった息子アキラの記憶を蘇らせるという手法も混ぜて父と子の双方向の物語りとして見事に再構築している。そして、原作の風景・心意気を見事に活かし切っている。

最後のアキラの台詞「とんびに見えるタカと、タカに見えるとんびかもしれないよ」という言葉は、原作にはないがドラマを見事に締め括る脚本家による主人公ヤスさんへの最大限の讃辞である。そう言えば、原作には、亡くなる海雲和尚からヤスさんへの手紙も、「この辺りではヤスさんのバカを甘く見る(それで失敗・読み間違いをする)、と言う」という言葉も、存在しない。原作の味わいを生かした脚本家の創作であり、造語である。蛇足でない、まことに必要不可欠な素晴らしい創作・造語である!

脚本家森下佳子には既に数年前、俺はその才能に打ちのめされている。東野圭吾「白夜行」(860ページ)にはまった時、TBSドラマDVD(全6巻)を繰り返し観て、舌を巻いたのだ。原作者の東野圭吾は、主人公の唐沢雪穂と桐原亮司の起こす事件の表面をを淡々と重ねることで、裏の二人の動きや心の有り様を読者に想像させる手法を取っていたのに対して、脚本家の森下佳子は、その明記されていない事件の裏での二人の接触・会話や葛藤などを作者が書いていない部分を中心に完璧に描き切り、見事なドラマに作り上げていたのだ。

謂わば、原作のポジではなく、その裏にあるネガを描き切ることによって原作を完全ドラマ化しているのだ。それは、原作の否定ではない。むしろ映像ドラマとして原作をもっとも活かすことである。「測り知れない才能だ!」と、その時本当に思った。他にも、「世界の中心で愛をさけぶ」「仁;パート1、パート2」の脚本家としても、俺はいずれも感心して舌を巻いている。

今後、森下佳子の脚本ドラマは、要チェックである。

※重松清「とんび」語録を作ったら結構素敵な箴言集が作れそうである。

※TBSドラマ「とんび」の成功の陰の殊勲は、美佐子さんを常盤貴子さんにしたことだと思う。


3月22日(金)

2.5hで、2度目の眺め読みをした。覚えておきたい言葉やシーンがたくさんあることを改めて確認した。手元に置いておいて、時間のある時、懐かしいお気に入りのページをパラパラと眺めるようにしたい、と思った。

0045 和田秀樹「人は「感情」から老化する」(祥伝社新書;2006) 感想3

2013年03月20日 01時54分04秒 | 一日一冊読書開始
3月19日(火):

209ページ  所要時間1:45       ブックオフ105円

著者46歳(1960生まれ)。精神科医。副題は「前頭葉の若さを保つ習慣術」 

読書習慣維持のため、流し読み。ブックオフ105円。

一部上場企業の40~50代の管理職一歩手前の人々を読者に想定しているようだ。著者の学歴・経歴からみても、その階層にもっとも親しみをもっているのだろう。この辺が俺とは視点がずれるので、あまり信用も親しみも覚えないのだ。本書には、目下(めした)との付き合い方という言い回しがよく出てくる。嫌みではなく、著者の目線では、社会に明確なヒエラルキーを見出しているのだろう。

さして面白くもないし、触発されるような感動も無い。だからと言って、読んで損したという感じも無い。読者に世俗的、お得なハウ・ツーをたくさん並べて見せてくれるので、無駄骨感も無いのだ。ある意味で頭の良い人だから、平均点以上は必ずとる、のでそこそこ売れる。

*若い頃に比較して、加齢によって大きく違う点は「使わないときの衰え方」である。身体能力も知能も同じ。

*落ち込んだり、カッとなったときの感情の受け皿があるかないかは、感情のコントロールに大きな違いとなって表われる。愚痴は抱え込まないで、意識して吐くことが重要なのだ。略。お互いに愚痴を言い合えるような相手を一人でも確保しておきたい。

*落ち込んだときは、決して反省しない。得意なことや、簡単にできる作業をする。

*イライラしたら「ちょい寝」して休息を取る。

*一度老化してしまうと、ウジウジは治りにくい。老成すれば精神は安定する、不安などなくなると思われがちだが、これは全くのウソである。略。気分が落ち込んでつらい状態が二週間ほど続いたら、医者にいったほうがいい。ウツには薬がある。

*偉くなればなるほど、頭を下げる価値が上がることを利用して、人にものを聞く。

*海馬は、一ヵ月ほどの期間に二回以上、同じ情報が入力されたときは必要と判断している。だから貯蔵をよくする方法には、「復習」しかない。

*覚えておきたい本は一ヵ月以内に二回読む、目次をパラパラと見てよかったところや必要なところだけ、もう一度読むといった、ちょっとした復習をすればずいぶん記憶力が良くなる。

*「受け売りで話す」のも効果的。

*小学生がするような単純な「読み・書き・計算」の練習で前頭葉が鍛えられる。

*年を取って惨めなのは、ボケた年寄りよりもバカな年寄りなのだ。略。何らかの形で、人の役に立っていることが実感できないと、人は幸せを感じられない。

*不安はコントロールできないが、行動はコントロールできる。不安は不安のままでいい。ありのままに受け入れた上で、どうするかと行動をすすめる。(森田療法)

*今の50代(注意:2013年では60代)に「お金への不安」は必要ない。40代(2013年では50代前半)より若い層は危ない。※詳しくは193~194ページ

*「リバースモーゲージ」制度。


0044 ヘレン・ケラー「わたしの生涯 (岩橋武夫訳)」(新潮文庫;1903、1929)感想5+

2013年03月17日 20時40分54秒 | 一日一冊読書開始
3月17日(日):

464ページ  所要時間2:45      蔵書

ヘレン・ケラー(1880~1968;86歳)の『The Story of My Life』(23歳;1903;本書では「暁を見る」)、『Midstream』(49歳;1929;本書では「濁流を乗りきって」「闇に光を」)の1937年の初来日(57歳)直前の翻訳。盲・聾・唖で、障害者福祉活動に活躍した「奇跡の人」。(※すみません。訂正です。「奇跡の人」とはサリバン先生を指す言葉らしいです。)

1973年11版発行の文庫本。分厚さと細かい字に圧倒されて、ずっと昔から手が出ず、本棚の肥やしになっていた本だ。午後、偶然気まぐれで手にした。劣化が進んで、ページの周囲が1cm以上茶色く変色している。まともに読めば、6時間以上かかる。とてもじゃないが気力も必然性も感じられない。

でも、ずっと心の隅にあった人生の宿題でもある。「まともに読まなくてもいいじゃないか。どんなことが書かれているのか、概略を少し感じられるだけでも十分だ。もしこのまま本棚に戻せば、縁が切れて一生読むことはないだろう。それなら、1ページ15秒、1時間200ページ以上、のペースで眺め読みをするだけでもいいじゃないか」って気分になった。

即、実行!したのが良かった。所謂「奇跡の人」が書いた本書は、ただ単に書かれただけでも「奇跡の書」のはずだが、「奇跡以上の書」だった。流し読みをしただけなので、細かい記述は読みとれないが、それでもヘレンの文章のもつ生気、格調、美しさ、精神の充実、気高さ、瑞々しさ、柔軟さが十二分に伝わってくる。翻訳としても文章の読み易さから言って抜群の名訳である。戦前の1937年の訳とはとても思えない。

ヘレンが生きた盲聾の人生を描くということが、実は「盲聾の女性が、充実した<奇跡の人>となることができる背景には、本当に多くのさまざまな人々との出会いと支援なくしては有り得ない」ということがすぐにわかる。この本の中には、膨大な人々との出会いが出てくる。また、聖書をはじめ、実に膨大な量の文学作品や詩、作家や文豪、思想家の名が出てくる。多くの人々や文学・思想との出会いこそが、ヘレンの人生だった。吃驚したのは、レーニンの名前すら出てきたのだ。

そして、それを可能にしたのが、神が彼女に与えたもう守護神で、ヘレンに陰のように寄り添い続けたサリバン先生との出会いだった。ラドクリフ・カレッジ(現ハーバード大学)を卒業した後も、ヘレンの活動には常にサリバン先生がいるし、ヘレン自身、この著書の一番最後にサリバン先生への感謝を記している

ヘレンの人生を語る本書を読むことは、南北戦争の余韻残る19世紀末から、第1次・第2次大戦を含む20世紀前半のアメリカの様子を、一人の盲聾の女性活動家の目(?)を通して、生き生きと描き出されることにもなるのだ。世界史で名前しか知らない有名人たちが、ヘレン・ケラー自身の息遣いとともに生き生きと描き出されている。この部分の面白さに気付くと、本書の面白みは倍増するのだ

例えば、マークトゥェインやグラハム=ベルらが、ヘレンに対して大変深く関心を寄せる大切な存在として登場する。富豪カーネギーも支援者として登場する。新聞に潰されたヘレンと若者との短命な恋。ヘレンの人生がハリウッドで映画化された時の様子。エリザベス・ノーディンというスウェーデンの偽善的教育者が、ヘレンとの出会いを利用して、いい加減な神話を言いふらしたことで大変な迷惑を受けたこと。40歳から4年間寄席芸人になった話。チャップリンや、エジソン、ヘンリー・フォードらとの出会い。

特に、発達障害とも言われるエジソンの「聾者は高い城壁を周囲にめぐらしているようなものだから、何者にも邪魔せられることなく、自分だけの世界に住むことができてつごうがよい」という偏屈な発言に対するヘレンの対応ぶり、とまどい?も面白かった。

ヘレンが1904年ハーバード大学を卒業した翌1905年にサリバン先生はジョン・メイシー氏と結婚。その後、書中でメイシー夫人として登場する。アン・メイシー・サリバン先生。指話文字。

「私たちは甘やかされたいとは思いません。甘やかされるということは、盲人にとっていちばん不必要なことであります。盲人が造ったのだからといって、役に立ちもしない、つまらない物を買うということは、少しも善いことでないばかりではなく、結局においてはかえって盲人のためにならないことであります。しかし、長い間、多くの人々はそうしてきました。云々。」351ページ

翻訳者岩橋武夫は1935(昭和10)年世界13番目の盲人福祉施設ライトハウスを大阪に建設した活動家。ヘレン・ケラーは戦前・戦後3回来日した親日家で、戦後焼け野原の大阪にいた岩橋の行方をマッカーサーを通じて見つけ出し手紙を書いたそうだ。

※読むのが2:45だったのに、この文章を書き出してもう2:30を超えた。それでも、まだまだ書き足りない。文章も整えねばならないが、何よりも伝えたいことが多過ぎる。

※結局、結論としては「是非読んでみて下さい! 損はさせません!」ってことに尽きるのだろう。ちなみに映画「奇跡の人」で有名な「ウォーター(ワラーか?:水)」を連呼するシーンは、一番初めの30~31ページに書いてあるエピソードに過ぎません。とにかく、ヘレン・ケラーはすごくスケールの大きな人です。

0043 池上彰「池上彰の大衝突―終わらない巨大国家の対立」(集英社文庫;2010)  感想5

2013年03月17日 00時37分10秒 | 一日一冊読書開始
3月16日(土):

419ページ  所要時間5:50        蔵書

著者60歳(1950生まれ)。ジャーナリスト。

とりあえずくたびれた…。ブックオフで105円で手に入れて、以前から持ち歩いていた本だ。存分にページの耳を折り、たまに線を引きながら読んだ。最近、粗製乱造も目立ってきたが、今回も「池上彰にハズレなし!」は、健在だった。

本書の膨大な内容を一度に頭に収めるのは無理だ。今回、ひと通り目を通したので、改めて座右の書の一冊として、折に触れて読み直しをしていこうと思っている。

【目次】 *コピペじゃないよ!
※以下、各章ごとに、まず仮想衝突勃発の想定記述が施されていて面白い。

第1章 中国vsアメリカ「太平洋をめぐる対決」
 1 米中の軍事衝突はあるのか
 2 米中の世界戦略
 3 ドルvs人民元
 4 「握手しなげら蹴り合う」関係へ
 ■中国vsアメリカの対決の行方―三つの数字から今後を読みとる

第2章 ロシアvsアメリカ・EU「異質な国との対決」
 1 強硬姿勢が目立ち始めたロシアの外交姿勢
 2 豊富なエネルギーを国家戦略に活用する
 3 国際的な警戒感を呼ぶロシアの闇
 4 ロシアの抱える問題点
 ■ロシアvsアメリカ・EUの対決の行方―三つの数字から今後を読みとる

第3章 EUvsアメリカ「グローバルスタンダードをめぐる対決」
 1 国際社会の注目を集めるEU
 2 「世界基準」をつくるEUの変革力
 3 EUは一日にしてならず
 4 問題も山積みのEU
 ■EUvsアメリカの対決の行方―三つの数字から今後を読みとる

第4章 サウジアラビアvsアメリカ「中東への影響力をめぐる対決」
 1 9・11テロ犯を「排出」したサウジ
 2 石油で結ばれたサウジとアメリカ
 3 中東問題が影を落とす
 4サウジに流れ込む巨額の資金
 ■サウジアラビアvsアメリカ対決の行方―三つの数字から今後を読みとる

第5章中国vs日本「アジアの覇権を賭けた対決」
 1 東シナ海めぐり緊張
 2 食品の安全性で亀裂深まる
 3 中国の「反日」は和らぐのか
 4 アフリカめぐり援助合戦
 5 相互依存を深める日中経済
 ■中国vs日本の対決の行方―三つの数字から今後を読みとる

結び 新たに生まれている対立
  サミットの限界
  北米vs中南米
  アメリカvsイスラム
  グローバリズムが世界を呑み込む
  そして日本は


※当然のことかもしれないが、覇権をかけて対立してる国々は、互いに有力な存在であればある程、裏(経済面など)では抜き差しならない交換不能なほどに深く利害関係が結ばれている。「握手しなげら蹴り合う関係」であったり、お互い嫌ってるが仲良くしていた方が得な「戦略的互恵関係」だらけだ。

だからこそ「紛争」、「戦争」にまでこじらせてしまうというのは、どこかに大きな無理がかかってる。どこかで大きなミスをしている。ということだろう。

その最も良い例は、野田汚物の「民主党素人内閣」による<尖閣諸島国有化>だろう俺みたいな、物見高いだけのオッサンの<岡目八目>で見ても、石原慎太郎自己愛ジジイに乗せられて、「軽率な事をしてしまった!」ことは明白だ。

俺は、中国の肩をもつ気は全くない。むしろ、毛沢東崇拝の呪縛を解けないで、卑怯にも「反日」「愛国」を利用して、一党独裁を維持しようとし続ける共産党腐敗政権が一日も早く崩壊することを強く望んでいるそして、民族自決を認める民主主義国家として正常化するべきだと思っている。

しかし、野田汚物が自浄能力のない共産党腐敗独裁政権に、偏狭なナショナリズムの口実を与えてしまった罪は免れない。さらに、弱者いじめの逆進性の強い消費税増税を決定した。そして、大飯原発再稼働、新しい原発工事に許可を与えた。少なく見ても、この<三大失政の大罪>を犯した野田汚物とそれを支えた連中が「民主党」の旗を掲げて、いまだに国会議員を続けているのが、本当に赦し難い。

久しぶりに言わせてもらおう。「野田汚物と松下政経塾の素人政治屋の<民主党>は消滅しろ! 絶対に支持しない! おまえらの<中途半端な保守政治屋意識>による素人政治の所為で掛け替えのない二大政党の<リベラル軸>が失われてしまった罪は万死に値する! おまえらみんな民主党から出ていけ! 代議士をやめてしまえ! おまえらから新しい軸は無理だ! 」




0042 伊藤史子「高校留学アドバイス」(岩波ジュニア新書;2010)感想3+

2013年03月16日 01時32分49秒 | 一日一冊読書開始
3月15日(金):

203ページ  所要時間1:25        図書館

習慣維持のための流し読みだが、結構面白かった。

著者40歳(1970生まれ)。

1988年にYFU日本国際交流財団32期生としてアメリカのミシガン州テカムシー高校に1年間交換留学した経験をベースにして、高校での海外留学のやり方と効用・問題点について語られている。

高い倍率を乗り越えねばならないYFUによる交換留学は、参加費118万円に参加費以外の諸経費52万円を加えて170万円、総額にして200万円弱かかる。YFU以外では、AFS日本協会という団体もある。一方で、私費留学であれば通常、約400万円以上かかる

内容が極めて具体的なので、自ずと説得力と魅力にあふれた記述になっている。高校生が読めば、留学意志の有無に関わらず、有用で多大な刺激を受けるだろう。

約20年前の留学体験を、現在の留学事情と絡めて、高校生たちに留学を勧めている。今は、制度改革により留学先での単位も認定されるので、日本の高校を留年することなく卒業することが可能である

英語という言語から最も遠い日本語文化圏で、チマチマ学ぶのは全くナンセンスだ。若い脳力・体力・気力に任せて、一気に英語圏のど真ん中に飛び込んでどっぷりと異文化と英語漬けになるのが、一番良い語学学習であることは、今なら自明のことだ。頭脳の柔軟な高校留学は、本当に羨まし過ぎる。まだまだ多少資金的に無理はあるが、経済的に可能であれば、ぜひ選ばせてやりたい経験だ。

*3カ月後のブレイクスルーが、ある日突然「あれっ? わかる!」となる、というのは、如何にも! って感じで得心がいく。

*1年後の日本への帰国が、同調圧力というリエントリー体験で留学生を苦しめる、という指摘も納得である。

裏表紙:「考え方は柔軟だが、語学力が十分とはいえない一高校生が、留学先の海外でどうやったら順調な留学生活をおくれるのか。最初の混乱期を乗りきり、英語がわかるようになる「ブレイクスルー」体験を経て、充実した1年を過ごした体験から、留学準備、現地でのトラブル対処法、勉強法のコツなどをていねいに解説した高校留学案内!」

■目次(岩波書店HPから引用)

I 部 留学準備をするには
 1 高校留学決定に一番必要なもの/2 高校生海外留学のメリット・デメリット/3 なぜ「高校での海外留学」か?/4 なぜ「アメリカ留学」か?/5 留学形態の決定/6 試験に備える/7 留学前までに個人でやっておくこと
II 部 充実した留学生活を送るには
1章 混乱期
 1 ルールを決める/2 バカなことでも発言/3 世話人を確保せよ/4 英語のとっかかりをつかめ/5 利用度の高いクラブに入れ/6 日本の両親や友人とのつきあい方/7 ホームシック克服法/8 三ヵ月めのブレイクスルー
2章 成長期
 1 ARとよく話そう/2 ホストチェンジ/3 「日本」とのつきあい方/4 春のイベント積極的参加術/5 甘みと苦みのある宗教活動/6 後悔しない友人とのつきあい方
3章 充実期
 1 共通テストにトライ!/2 アメリカの大学をめざすには?/3 プロム/4卒業式/5 帰国までの過ごし方/6 復帰に備えて
III 部 留学体験を未来にいかすには
 1 鍛えた判断力をフル活用しよう/2 時間を有効活用しよう/3 適応力を応用しよう/4 特定分野に興味をもつ/5 多言語習得に意欲的になる/6 異なる文化バックグラウンドをもつ人々を理解できる

0041 広瀬浩二郎・嶺重慎「さわっておどろく! 点字・点図がひらく世界」(岩波ジュニア新書;2012)感想4

2013年03月15日 01時00分29秒 | 一日一冊読書開始
3月14日(木):

179ページ  所要時間1:00         図書館

読書習慣維持のための読書。短時間でもその本の世界観は感じ取れることを重視した読書。たとえ流し読みでも、「縁」を結ばず、読まずに終わるよりはるかに大きな体験が残る実際、そういう読書になった。

広瀬浩二郎45歳(1967生まれ)、京都大学を受験・合格した初めての全盲学生、日本史を専攻し、文学博士号を持ち、国立民族学博物館准教授。嶺重慎55歳(1957生まれ)、京都大学教授、宇宙物理学。

こういうのを意外過ぎるが、魅力的学際コラボというのだろう。

片や、視覚障害者を触常者とし、「見常者」の「見る文化」に対置して「さわる文化」の存在と意義を広めようとする全盲の博物学者。

片や、宇宙を支配しているのはダークマター、ダークエネルギーであり、目に見えるのは全体のほんの1%に過ぎない。目に見えない世界のリアリティを追及している点で天文学者と触常者に共通点があると言う宇宙物理学者。

前者(広瀬)の提案は、多文化共生の立場で「触常者のさわる文化」を独自の文化と捉える斬新な見方を提供してくれる。

後者(嶺重)は「見常者に何ができるのか?」手探りする姿で、「触常者のさわる文化」をどうやって尊重し支えていくのかを具体例で示してくれる。特に、天文学と障害者福祉の遠い距離感の印象が、逆に「触常者のさわる文化」への関わりがあらゆる立場から可能であることを教え、励ましてくれる。

表紙や書中に点字・点図が撒かれ、内容的に類書が無い?ことを考えれば、画期的であり、評価5で良いだろう。

*1906(明治39)年1月1日、日本初の点字新聞『あけぼの』発刊。「発刊の言葉」→日本の近代史研究の重要な新資料となることを確信!

*大正デモクラシーの隠れた重要文献:1922(大正11)年五月に創刊され『点字大阪毎日』(現『点字毎日』)の「発刊の言葉」→「普通市民と肩を並べて活動するための知識、勇気、慰安を盲人に与える」


以下【目次】を書き写した。

まえがき 嶺重慎
 1「さわって愕く」とは?/2見えない世界のリアリティ/3さわってわかること・さわらないとわからないこと/4点字・点図がひらく豊かな世界/5本書で用いる、視覚障害に関係した基本用語


Ⅰ したたかな創造力――点から宇宙へ 広瀬浩二郎

第1章 ブラインドサッカーは視覚障害者文化なり!
 1「視覚障害者文化を育てる会」の趣旨/2視覚障害者がサッカーをする!?/3 4しょく(食・色・触・職)会イベント前後の思い出 //コラムⅠ 共活という思想/コラムⅡ 壁を崩せ―「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の見えない力/闇の反撃

第2章 さわる文化を育むユニバーサル・ミュージアム
 1「さわる文化」の開拓/2さわって学ぶ少年時代/3さわって楽しむ青年時代/民博での「さわって楽しむ」実践/5さわって愕く壮年時代/6ユニバーサル・ミュージアムの理念/7「障害」を超克する探検へ //さわる宇宙へ/コラムⅢ みねさんと広瀬六三郎先生の「点字入門・最初の一歩」

第3章 “点字力”の可能性
 1「点字の展示」がめざしたもの/2「by」―誰が点字を作ったのか/3「for」―誰が点字を使うのか/4「of」誰が点字を伝えるのか/5[from]―誰が点字を生かすのか/6“点字力”の未来に向けて//付録Ⅰ 点字の考案者 ルイ・ブライユ関連年表/付録Ⅱ 日本点字の翻案者 石川倉次関連年表/付録Ⅲ 民博を活用した点字に関する授業提案  他

Ⅱ しなやかな発想力――点図の魅力  嶺重慎

第4章 眼で見えないものを探究する
 1天文学と私/きっかけ?/3アメリカ・テキサスにて/4天文の入門書を書こう/5プロジェクトの始動/6マルチモーダル図書とは/7私の点図初体験/8天文学習教材―三つのプロジェクト/9盲学校で出前授業/10生徒へのインタビューから

第5章 誰もが楽しめる点図の魅力
 1点図のつくり方/2点字・点図プリンタと立体コピー/宇宙点図の実例/4点図の難しさとおもしろさエーデルソフトの可能性と限界//コラムⅣ 「さわる体験」へのヒント/コラムⅤ  一度は行ってみたい自然科学系博物館

おわりに 「さわる文化」のチカラ  広瀬浩二郎

0040 堤未果・湯浅誠「正社員が没落する―「貧困スパイラル」を止めろ!」(角川oneテーマ21/2009)感想5

2013年03月14日 01時04分31秒 | 一日一冊読書開始
3月13日(水):

270ページ   所要時間4:35      アマゾン

堤未果38歳(1971生まれ)、ジャーナリスト。湯浅誠40歳(1969生まれ)、NPO法人「もやい」事務局長、2008年末「年越し派遣村」村長。

2人の著作は5、6冊は読んでいる。いずれも評価5である。日米の「貧困」問題に関する最も活きの良い論客・活動家による共著。双方が深く共鳴し合って、より高い視野を獲得している好著と言える。日本とアメリカの現状の問題点を最も具体的、正確につかみ取った著作だ。当然、感想は5だ。

しかし、時間を掛けて読んだからといって、十分理解できた! ってことにはならない。ページを折り、所々に線を引いたが、一読では無理だった。 

*貧困を利用する軍隊ビジネス、は特に嫌悪を覚える。

*「寮付、日払い可」というのは低賃金・不安定就労の象徴のような労働形態である。略。しかし、それ以外は選べない。略。これを私は「NOと言えない労働者」と呼ぶ。10ページ。

*わずか20年前、公務員はぱっとしない職種の代表格だった。今は特権階級の代表格のように言われ、急速な非正規化が進んでいる。地方公務員の3割は非正規の「官製ワーキング・プア」だという調査もある。11ページ

*アメリカの貧困問題を救うカギは国民皆保険です。60ページ。

*世の中が地盤沈下しているんだから、自衛隊の魅力は相対的に上がらざるをえない。83ページ

*私は、「正社員=勝ち組」という構図は大嘘だと考えている。何故なら、正社員の労働環境もまた悪化しているからだ。95ページ。

*2004年からは、それまでには禁じられていた製造業でも派遣労働者が働けるようになり、日本の労働市場は激変した。98ページ

*「正社員VS非正規社員」がニセの対決であったように、「福祉事務所VS生活保護申請者」もまた、作られたニセの対決なのである。どちらもっもっと大きな貧困化の進行と、日本社会の歪みの中で、互いにいがみ合うよう追い込まれているのだ。101ページ。 → 何か江戸時代の農民と被差別の人々の関係に似ている。「上見て暮らすな。下見て暮らせ。あいつらよりはマシ。」

*総合的にセーフティネットを整備して安定感を持たせて、安心して消費できる内需拡大に向かう道があるのに、それを選択肢として考えない。企業を通じた分配から人を支え合う分配に変えなくてはいけない。193ページ。

*命を値切る行政。略。努力する人は支援されるに値し、努力しない人は支援されるに値しないんだったら、それはもう、持っている人と持っていない人がいるだけ。人権じゃない。225~6ページ。


※以下、角川書店HPから、転載。

正規も非正規も関係なく落とされる貧困社会!「まさか自分がこんな目に遭うとは」。貧困に墜ちたとき、誰もが言う。中間層の衰退と貧困層の拡大はセットだった! 貧困問題を暴いた二人が、日米の「中流の貧困化」という本当の「現実」と「処方箋」を示す!!

【目次】

まえがき―「貧困スパイラル」を止めろ!

第一章 没落するアメリカンドリームの主役たち―社会の価値が崩れる
 転落する医師/あまりにも法外な保険料/「僕はロボットでした」という教師/転がり落ちる中間管理職/信じてきた社会の価値が根こそぎ崩れている

第二章 職と誇りを奪われるホワイトカラー―アメリカの現実
 教師さえ貧困層に転落する!/テスト用紙に広告を入れてコピー代にあてる教師/ワーキング・プアに墜ちる医師/三十分から三分に削られる診察時間/身を守るコストがあがっていく/異常な高コスト体質/歯が悪くなると、貧困層に落ちてしまう!?/サービス産業で「必要とされる人材」が変わった/気がついたらワーキング・プアになっていた!/苛酷な取り立てを受ける学資ローン/社会人生活をマイナスでスタートする若者たち/チャリティはセフティネットではない/餓死者は出ないが、生活保護まで競争になった/軍隊へと囲い込む/「もやい」にも自衛隊が勧誘に来た!

第三章 没落する日本社会の主役たち―労働者の存在が崩れる
 貧困大国ニッポン/正規も非正規も関係なく墜とされる/働く者すべてが負け組になる/小泉改革で「底辺への競争」が激化した/作られたニセの対決/厚労省そのものが「溜め」を失っている/日本型経営も崩壊する!/貧困ラインは正社員に迫っている

第四章 急速に転がり落ちる中間層―日本の現実
 若手が急速に食えなくなっている!/ホームレスになるか自殺するか/「自助努力しない人間」などいない!「すべり台社会」では誰もが貧困に転がり落ちる/労働市場でかみ合わない世代間の会話/仕事を干され、所持金二十円となった二十六歳/「給与明細を求めない」を書かされた二十八歳/最低生活ラインの下にある貧困ビジネス/労働の質を高めなければならない/非正規を切り捨てるのは、自分の首を絞めること!/正社員も生きるのが苦しい社会になっている/異常な高コスト社会を変える!/中間層は振られた恋人をいつまでも待っている

第五章 アメリカと日本はすでに並んでいる―拡大する貧困社会
 政府は「モノ」を守らない/日本にも進出する「命の商品化」/国民を脅す段階にまできた厚労省/年次改革要望書は単純な命令ではない/年次改革要望書には「労働者」が消されてる/現実を知らない政治家/日本では餓死がすでに起こっている/アメリカのチャリティを支える合理的発想/ワーキング・プアにお金をだすのは外資ばかり/「自殺対策」には福祉事務所が出てこない/日本人のほとんどが知らない「生活保護」/制度を知らせない、使わせない国/今までの「分配の頭」を変えろ!

第六章 貧困社会は止められる―無力でない運動
 正社員にまで貧困が押し寄せる/貧困ラインに割り込む生活をする正社員/企業の姿勢が問われた世界金融危機/「自分だけは生き残れるはず」という幻想/消費者を巻き込んで運動をする/9・11以来のショック、ペットボトルウォーター事件/行政だけでなく運動も縦割りだった/アメリカの運動、思想には敗者復活がある/マスコミ内部の激しい意識格差/非正規雇用ばかりのマスコミ/できあがった「貧困」ストーリー/保護に値しない人間を作りだす、人権を値切っていく行政/当事者が語ることで時代が動きはじめた!/ニュースの役割が大きく変わってきた/裁判で七割勝っているのに、運動としての広がりが弱い/メディアを健全にしていく方法

第七章 市場にデモクラシーを取り戻せ!―「NO」と言える労働者へ
 「NO」と言える労働者になるために/自分たちの労働力は安売りするな!/私たち消費者として力を持っている/政治家を巻き込む/企業も巻き込め!/これからためされる、弁護士とメディアの役割/「税を払わない」というボイコット/楽しいメニュー(選択肢)を出し続ける!

あとがき―試されているのはオバマでなく私たちだ


0039 白井恭弘「外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か」(岩波新書;2008) 感想3

2013年03月13日 00時25分37秒 | 一日一冊読書開始
3月12日(火):

213ページ  所要時間2:20          図書館

著者、年齢不詳はあまり良い印象ではない。40歳ぐらいか?  ピッツバーグ大学言語学科教授。

図書館で別の本と天秤にかけて、結局選んでしまった本である。英語コンプレックスは根深い…。でも美味い話はない。感想3はあくまで感想であって評価ではない。真面目に取り組めば、良書に属するのだろう。

常識的な内容が、少しくどいくらいに書かれている。2:20(140分)で良い思いをしよう、ってのは虫が良すぎるのだ。

Listen more ,speak less. Read more,write less.(松本亨)
→アウトプットに対するインプットの優位性。 


■目次
プロローグ
第1章 母語を基礎に外国語は習得される
第2章 なぜ子どもはことばが習得できるのか―「臨界期仮説」を考える
第3章 どんな学習者が外国語学習に成功するか―個人差と動機づけの問題
第4章 外国語学習のメカニズム―言語はルールでは割り切れない
第5章 外国語を身につけるために―第二言語習得論の成果をどう生かすか
第6章 効果的な外国語学習法:
あとがき
用語索引
参考文献



150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)