3月30日(土):
448ページ 所要時間8:50 蔵書
今日は少し無茶をしてみた。
<世界史教科書の一日一冊読み>である。たまには骨の折れる読書も良いか…、と思い朝から読み始めた。
言わずと知れた
受験世界史の代表選手のような教科書である。手に入れる機会があったので、読んでみることにした。
大昔、
共通一次試験で、電話帳のような山川出版社の教科書で
「日本史」と「世界史」を受験して轟沈した苦い思い出がある。一浪(当時は“ひとなみ”と読んだ!?)後、「世界史」の代わりに
「倫理・社会」と「日本史」で受験した。「倫理・社会」はほとんど勉強の必要が無かったのに98点取れた。2年越しの「日本史」の93点よりも高得点だった
。「いくら歴史が好きでも、やってはいけない組み合わせというものがある」ということを経験的に思い知った。
それにしても、この教科書は、昔にもましてページ数が一段と増えているような気がする。
本文418ページ。年表・目次を入れて448ページは尋常ではない。本当に電話帳のようだ。まともに相手はできないので、
1ページ、1分を徹底することで読み進んだ。それでも、苦戦は明らかである。そもそも意識をシャンとした状態に維持できないと読み続けることすら覚束ないのだ。
昔の教科書より新しい事項・人名がそれなりに加わり、アフリカ史や東南アジア史などに充実感が増している。特に日本史への言及は大幅増だ。ただ基本的な叙述・構成は昔とそれほど変わっていない。しかし、
とってひっつけたような枠組み(章立て)のため、つながりが途切れて読みにくかった。
恐らく、
指導要領の影響で枠組み(章立て)を変えねばならなかったのだろう。たとえば、
「国・地域毎の縦割り過ぎてはいけない。時代ごとの横断的な広がりに留意させよ」などと言われているのだろう。
昔と同じ叙述・構成に、新しい枠組み(章立て)を接ぎ木したことで、内容が不自然に断ち切られて、随分流れが悪くなって理解し難い憾みが遺る。
指導要領に従って
枠組みを変えるなら、包括的に内容を組み替えるべきではなかったか。未出の内容が、先に出てきたりして分かりにくい。
縦割りの叙述・構成を、機械的に横に切っても分かり難くなるだけだ。東大の名誉教授様がお書きになった内容を、今さら若手教授陣が根本的な組み換えをほどこす訳にはまいりません、ってことなのか…。下世話に少し勘繰りたくなる。
教科書が新しくなれば、分かり易く改善されるべきなのに、変なこだわり(例えば、概説、まとめ、主題学習、世界史への扉など)ばかり目立って、
理解し難く、覚え難くなるとは、本末転倒も甚だしい。しょうもない小ネタを書いてるくせに、
なぜ話をわかりやすくする一言を省くのか? 例えば、「(処女王)エリザベス死後、ステュアート朝が成立した」と書けばいいのに肝心の「(処女王)エリザベスの死後」が抜け落ちている。
ルネサンス以降あたりからは、前後関係がめちゃめちゃに思える部分が多かった。近現代になると、特にひどかった。まとめようがないほど、さまざまなことが羅列的に紹介されていて、前後関係もめちゃくちゃであった。この教科書を読んで、近現代史の知識を整理できる高校生(社会人も)って存在するの…? って、素朴に疑問を持ってしまった。
勿論、世界史自体は面白いので感想は5だけど、
教科書としては、ちょっと厳しいかもしれないが、評価3が精一杯だ。あまり良質な教科書とは思えない。