もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

231029 ドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」(満若勇咲監督:2022)感想特5

2023年10月29日 15時40分12秒 | 映画・映像
10月29日(日):   

 上映時間 205分(3時間25分 途中休憩あり)は、長かった。しかし、「今この時代に、よくこれだけ充実した内容の映画を撮れたな。と言うか、撮れる人がいたな。」という驚きでいっぱいの気分だった。観ながら疲れはしたが、自然に背筋が伸びていくのを覚えた。また、制作した監督の若さ(30代!)が、今後への希望に思えた。はじめ見に行くことを躊躇していたが、心から見てよかったと思った。

 上映時間の長さは、無駄ではなく、観る者に納得させるために必要な長さだった。部落の中に「同和地区という表現自体が新たな部落の名称になる」と言って忌避する人がいるという指摘をはじめ、天皇制との関係性なども含めて、丁寧な気付きに満ちた内容だった。

 強いて不満を言えば、部落差別を扱いながら、昔の部落内の様子は描かれているが、現在の部落内のコミュニティーの存在については十分に描き切れていなかった気がする。ある種の残滓としての描き方になっていた。ただ、そのこと自体が「部落差別が部落の人々に問題がある内在的なものではなく、外から差別する側の問題という外在的なものであることの反証になっている」気がする。部落の人たちは特別な人たちではないのだから、あえて部落的なコミュニティーのあり方を探し出すのもナンセンスな気がする。一方、矛盾するようだが、それを踏まえたうえで、監督には「現代の部落のあり様に迫る」更なる作品を期待したい。

 この作品を多くの人に観てもらいたいとは思はない。この作品の内容と時間に付き合うには、前向きな意思と自制心をかなり求められるから。ただ日本の近代史や部落差別問題について真面目に考えようとする人々には避けて通ることのできない、必ず観ておかないといけない映画が新たに生み出されたのだと思う。満若勇咲監督に感謝したい。
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231022 れいわ新選組のポスターをさらに追加して貼りました。

2023年10月22日 14時43分56秒 | 日記
10月22日(日): 追加分。  既に貼ってます。

れいわ新選組、山本太郎、大石あきこ、頑張れ!
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231009 折々の言葉「NGリストは手元にあったが使わないことにしたので使ってません。」(松本和也)

2023年10月09日 13時28分23秒 | 徒然・雑感
10月9日(月):

「NGリストは手元にあったが使わないことにしたので使ってません。」(松本和也)

先日のジャーニーズ会見司会者の松本和也の言葉に強い違和感を覚えてきた。
今朝、ふと“NGリスト”を“カンニングペーパー“に置き換えたら、違和感が氷解した。
学校の定期テストで、大学受験の会場で、
「カンニングペーパーは手元にあったが使わないことにしたので不正行為はしていません。」
と胸を張って学生から言われたらどうだろう。それで済まされるのか?
NGリストを手元に持っていた時点で、不正は成立している!当然、会見は無効である!
松本の言葉はあり得ない感性であり、居直り以外の何物でもない。絶対に許されない!

自民や維新の政治屋の発言としては、聞き慣れてしまった感があるが、
そもそも松本和也とは何者か?!
政治屋以外の人間が平気でこのような言動をとることは、日本社会の劣化にさらに拍車を
かけたことであり、断じて許してはいけない。破廉恥の責任を糾弾されるべきだと思う。
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231005 れいわ新選組の新しいポスターを自宅の壁に貼り直しました。

2023年10月05日 19時17分03秒 | 日記
10月5日(木):新しいポスター! 貼り替え前。お疲れ様。 

 ポスターも3代目半か? れいわ新選組(山本太郎代表)に対する信頼と支持は全く不変です。早くれいわ新選組が30人規模以上の政党になって、日本の政治が新たなステージに進むことを願っています。

  
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231003 郷原信郎:「大阪・関西万博」問題は、維新吉村知事などによる“戦後最大の自治体不祥事”

2023年10月03日 23時55分35秒 | 時代の記憶
10月3日(火):  
郷原信郎:「大阪・関西万博」問題は、維新吉村知事などによる“戦後最大の自治体不祥事”
 
郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士 10/2(月) 15:45

地方自治体にとってのコンプライアンス
2004年に、桐蔭横浜大学特任教授・コンプライアンス研究センター長として、本格的にコンプライアンスに関する活動を始めて以降、私が、常に世の中に訴え続けてきたのが、
コンプライアンスは、「法令遵守」ではなく、「組織が社会の要請に応えること」
法令の趣旨目的を理解し、背後にある社会的要請を知ること

というテーゼである。
そのようなコンプライアンスの視点から、組織をめぐる様々な問題の解決、コンプライアンス体制の構築・運用等に関わってきたが、その中で、特に、重要な領域としてきたのが、地方自治体のコンプライアンスである。
初めてのコンプライアンス講演が、2005年2月、職員厚遇問題で揺れていた大阪市の幹部研修だった。「暴力団の妻」から再起して弁護士となり、女性初の大阪市助役を務めていた大平光代氏からの依頼だった。それ以降、多くの自治体で講演を行い、横浜市では、2007年からコンプライアンス外部委員、2017年9月から2021年6月まではコンプライアンス顧問として、各部局・各区で生起する様々な不祥事やコンプライアンス問題について対応の助言を行うほか、各部局・各区の幹部に対するコンプライアンス研修も担当した。
民間企業の「社会的要請」が、需要に反映された社会の要請に応えることがベースとなり、それが、組織の存続・成長にもつながるのに対して、地方自治体の場合、住民のニーズに応えることが最も重要な社会の要請であることは間違いないが、その時点での直接的なニーズに応えることだけで地方自治体の役割が果たせるものではない。自治体には、住民にとっての短期的利益、長期的利益のほか、その時々の国家的、社会的利益も含めて様々な社会の要請が交錯する。地方自治体の日々の業務や実施する事業に関して、「社会的要請に応えること」は、複雑かつ困難な問題となる。

最も深刻かつ重大なコンプライアンス問題に直面する大阪府・市
日本の地方自治体の中で、最も深刻かつ重大なコンプライアンス問題に直面しているのが、「日本維新の会」が首長を務める大阪府・市だ。
2025年に大阪市此花区夢洲で開催が予定されている大阪・関西万博をめぐっては、海外パビリオンのうち、各国が自前で建設する「Aタイプ」について、基本計画すら提出されておらず、建設業者も決まらず、着工が大幅に遅れ、予定どおりの開催が危ぶまれている。万博の開催延期・断念などの事態に至れば、日本に対する国際的信用の失墜、大阪府・市、そして国に、計り知れない損失を生じさせることになる。
吉村大阪府知事(前大阪市長)や、その前任の松井一郎氏などが、これまで首長として行ってきたことが、本当に、地域住民に、そして、社会の要請に応えるものであったかどうかが問われている。この問題は、日本における「今世紀最大の自治体不祥事」に発展する可能性がある。

夢洲への万博誘致計画自体に重大な問題
第一の問題は、そもそも、大阪・関西万博の計画自体が、地域社会の要請に応えるもの、大阪府民・市民全体のためになるものだったのか、という点である。
大阪への万博誘致の構想が具体化し、2016年6月に、大阪府(松井一郎知事)は、「2025年万博基本構想検討会議」を設置した。この会議の初回で、大阪府が、「2025年日本万国博覧会 基本構想案」を提示しているが、この試案で、万博の会場は、「夢洲地区(大阪市此花区)を想定」とされ、その理由については、「地勢的に日本の交通・物流の結節点である大阪」の中でも、
「夢洲地区は、神戸、京都など各都市からのアクセス面の利便性が高く、環境・エネルギー等の先端産業の集積やMICE機能と国際的エンターテイメントなど魅力ある観光拠点形成をめざす地区であり、世界への情報発信拠点として、ふさわしい地である。」
とされている。
しかし、これは、一部にコンテナターミナルや物流倉庫などの物流施設がある以外、施設がほとんど無く、アクセスも道路が一本しかない夢洲の現状とは、かけ離れたものである。要するに、夢洲を万博会場にしようという構想は、維新の会が進めようとしていた、夢洲を「環境・エネルギー等の先端産業の集積やMICE機能と国際的エンターテイメントなど魅力ある観光拠点形成」に形成しようとする大阪府・市の構想が前提だったのである。
海外パビリオンの建設の遅れについて、開催主体の「公益社団法人2025年日本国際博覧会協会」(以下、「万博協会」)や大阪府などは、資材価格高騰や人出不足を理由に説明しているが、海外の国からすれば、5割程度建設費が上がっても、今の円安であれば、相当程度相殺されるはずである。円ベースの建設費の増額はそれほど困難ではないはずだ。パビリオンの建設に向けての動きが遅れている最大の原因は、夢洲の軟弱地盤、アクセスの悪さ、インフラの未整備等のために、日本の建設業者が受注に消極的であることだろう。
特に、軟弱地盤の問題では、建物の基礎工事で50メートルの杭を打つ必要があるなど、想像を超える悪条件の工事になると言われている。それを、建設業者が2024年問題によって労働時間の制約を受けつつ施工するのは至難の業だ。
万国博覧会についての「基本法」と言える「国際博覧会条約」によれば、博覧会とは、
公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう。
とされている。
そのような万博の本来の目的を実現することを最優先に考えるのであれば、1970年に大阪万博の会場となった大阪府吹田市千里のような地にすべきだった。夢洲を万博会場とする計画自体が、夢洲でIR事業を含む「夢洲での国際観光拠点形成」をめざす維新の会の政策実現という政治的な理由からなのである。
その夢洲でのIR事業も、軟弱地盤のため、大地震が発生した際の液状化の問題など、多くの問題が指摘され、認可が遅れていた。今年4月の統一地方選挙での維新の圧勝でIR推進賛成の民意が示された後に、府・市と運営事業者による区域整備計画が認定されたが、今後、IR関連施設の建設を進めていく中で必要となる液状化対策費は、すべて大阪府民・市民の負担になる。夢洲を会場とする万博誘致と、その前提とされていたIR事業は、IR事業とセットになった万博開催という大阪のバラ色の将来ビジョンを示すための、維新という政党の政治的目的なのであり、万国博覧会の本来の目的を実現するためでも、地域社会や府民・市民の要請に応えるためでもなかった。そこに、大阪・関西万博の根本的なコンプライアンス問題があるのである。

海外パビリオン建設の遅れに対する「維新首長」の対応
第二の問題は、このような重大な問題がある夢洲の万博会場でのパビリオンの建設工事が遅れ、予定どおりの開催が危ぶまれる事態に至っていることについて、万博誘致を進めてきた吉村大阪府知事や、維新の側がとってきた対応である。
海外パビリオンの着工の遅れは、既に、今年の春の時点で、万博協会の内部では認識されていたはずだ。しかし、4月10日の統一地方選挙において、大阪府知事選挙で夢洲での大阪関西万博・IR事業の推進を公約に掲げた吉村氏が圧勝し、全国で維新の党が躍進するまでは、海外パビリオンの建設の遅延など、大阪関西万博についての「負の側面」はほとんど表に出ることがなかった。統一地方選挙後の今年5月になって、この問題が取り上げられるようになり、5月末、吉村知事が岸田文雄首相を首相官邸に表敬訪問した際に、「このままいくと海外パビリオンの建設が間に合わない」と言って泣きついたのである。それを受けて、岸田首相は、8月末に、関係閣僚や吉村知事らとの会合を開き、海外のパビリオン建設に遅れが生じていることなどに危機感を示したうえで、予定どおりの開催に向けて政府が主導して準備を加速させていく考えを強調した。

海外パビリオンの建設の遅れについて吉村氏が生出演
今年8月10日に、吉村氏は、関西ローカルの読売テレビの番組に生出演し、大阪・関西万博の開催が危ぶまれていることなどについて質問に答えている模様が、YouTubeにアップされている(【大阪府・吉村知事を生直撃!「間に合う?成功する?どうなる?大阪・関西万博」】)。
(YouTube)
番組関係者は、フリップを示しつつ、大阪・関西万博をめぐって、タイプAの海外パビリオンは、当初の計画では今年4月から着工する予定だったのに、まだ手続きに入ってる国も出ていない状況について質問している。
[質問①]吉村さん。ズバリお伺いしますが、間に合いますか。 
(吉村)え、これはあの、間に合うように。我々関係者やってますので。ま、僕自身も責任者ですから、間に合うように、あの、しっかりやります。
[質問②]延期ってことは、やっぱり視野に入ってきたりしてるんでしょうか。
(吉村)あの延期は今、視野には入ってないです。で、あの、これはあの、焦って中途半端なことをやるつもりもなくてですね。2025年のこの万博に向けて、これたとえば大阪地元パビリオン、これまあ着実に進んでいますし、いろんな関係者が2025年の春に向けて、あの、合わせて、あの実は安定的に進めているところもあるんです。
で、海外パビリオンとか取り上げられるので、ここはしっかりやっていこうというふうには準備をしておりますけど、それ以外の工事っていうのは、あの、きちんと進んできているところもありますし、それ以外の準備もやっぱりある中で、よりよい万博っていう意味では2025年4月に、あの、この期限を決めて、これ、もともとここでやるってわかってるわけですから、あの、それを延ばしたらじゃあさらに良くなるかというと、必ずしもそうではないので、状況が変わるかというと、必ずしもそういうわけではありませんので、ここに目がけてみんなで一所懸命、あの、あの、やっていきましょうというのが今の方向性です。
[質問③]2019年に改正労働基準法が施行、5年後の2024年から建設業にも残業規制が適用されることによる人手不足、2020年にドバイ万博が1年延期されたことで各国の出足も鈍くなるだろうとの予想、2022年秋に、日本建設業連合会から建設の遅れについて危機感表明など、もっと早く気付けたのではないか、手を打てていたのではないか、後悔していないか、との趣旨の質問  
(吉村)後悔ポイント。ちょっと、時期、時期っていうのがあの分かりにくい、難しい点はあるんですけど、僕自身が、あの、ちょっと後悔するのを敢えてというのであれば、僕自身は「たて割り意識」というのがちょっとあったのではないかと、ここを反省すべきじゃないかなと思ってますね。
―どこの縦割り意識ですか。
(吉村)たとえば、そこ(フリップを指して)、2022年にありますね。あの、確かに建設業の、あの、連合会の皆さんが万博協会に、2020年の秋に、あの、このまま行くと海外パビリオン遅れるんじゃないかっていうその懸念は指摘をされてるんです。これはもう事実なんです。だから博覧会協会は受けてるんです。ま、僕も副会長だからこれ受けてるっていうことになるんです。だから、あの、そういう実務的にはそうだったんですけれども、やっぱり、あの、僕自身がそれを直接ちょっと聞いてないところもあって。
―その話が耳に入ったのか、入ってなかったんですね。
(吉村)ええ、入ってないです。なので、これは僕は責任者ですから、あの、すべての責任は負います。ただ、どうしてもその、あの僕自身はたぶん、たて割り意識というのがあって、その話というのはやっぱり聞いてない。で、他のメンバーもやっぱり聞いてないんですね。なので、あの、そういった意味では、あそこで、あの、私も含めてあの重要な関係者が全員認識をしていれば、今とはちょっと違った状況になってた可能性はあるとは思いますが、でもこれはもう言っても仕方のないことなので。
―吉村知事の耳に入ったの。そしたらいつ頃だったんですか。
(吉村)今年の春ですね。今年の春ぐらいに、このまま行けば、海外パビリオンがちょっとタイトになってきてます。しかも、それはまあ、完全に遅れるという話じゃなくて、このまま行けば、ちょっと海外パビリオンが、あの、遅れ始めている傾向にあるっていうのがやっぱり今年の春、あの、聞きましたんで、で、そっからあのいろいろ情報を僕自身も入手して、あの、グッと、あの、国も含めて大きく今動かしているところですね。
[質問④]4月の知事選挙の際は万博の成功を掲げていたが、そのとき、危機感の話が入っていたのに、選挙で、成功といういい面だけをアピールしていたのではないかという街の声も聞かれますが、
(吉村)いや、それはないですよ。それはないです。あの3月に受けた説明も、あの、もう間に合わないって話じゃなくて、やっぱり時期がタイトになってきてますねっていう報告を受けましたので。ま、そういう意味で3月の段階でも春の段階でもこれが遅れそうだっていうのではないですね。で、実際には5月に入ってからですね。5月に入っていろんな情報を聞く限りで、これはちょっとまずい、時期がかなりタイトになってきてるんじゃないかっていうので、あ、こういうのありますけど、その5月に直接、あの、僕自身も岸田総理に、えー、あの、このまま行くと、遅れる可能性があるから、あの、ちょっとかなり力を入れてやっていかないといけないと思いますっていうのは、あの、総理に直接、あの、会った時に話をしました。

[質問①]で、「間に合いますか」と端的に聞かれ、「間に合うようにしっかりやります」と答えているが、その後の質問に対する答を聞く限り、吉村氏がしっかりやっているから間に合うだろうとは到底思えない。
[質問②]に対する答は、支離滅裂である。「延期は視野に入っているか」と聞かれ、「今、視野には入ってないです。」と答えた後に、「大阪地元パビリオンなど、2025年の春に向けて安定的に進めているところもある」などと言っているが、海外パビリオンあっての「万国博覧会」であり、地元パビリオンがいくら順調でも意味がない。しかも、「2025年4月に期限を決めて、ここでやるってわかってる、それを延ばしたらじゃあさらに良くなるかというと、必ずしもそうではない」などと言っているが、少なくとも、海外パビリオンの大幅な遅延で間に合わないのではないかと言われているのであり、延期することで時間の余裕ができれば、少しでも「良くなる」のは当然だろう。
[質問③]では、海外パビリオンの建設の遅れにはもっと早く気づいて対策が打てたのではないか、後悔していないかと聞かれて、後悔するのは「僕自身に縦割り意識があった」などと答えている。しかし、組織が「縦割り」というのは、部署間の情報共有ができていないということであり、各部署の情報が上位者に上がらない「風通しの悪さ」とは異なる。大阪府の組織のトップである知事に「縦割り意識があった」というのは全く意味不明である。
その「縦割り意識」というのを、自分は「海外パビリオンの遅れ」のことを聞いていなかったという弁解で言っているようだが、その後、「ではいつ知ったのか」と聞かれ、「今年の春」と答えた後、知った内容について、海外パビリオンが「ちょっとタイトになっている」「遅れる」「遅れ始めている傾向」にあると、変転を繰り返している。
そこで、「4月の知事選挙の際には、危機感の話が入っていたのに、選挙で、成功といういい面だけをアピールしていたのではないか」という問題の核心について聞かれている。
吉村氏は、「それはないです」と答え、それについて「3月に受けた説明も『もう間に合わないって話』じゃなくて、『時期がタイトになってきている』という報告を受けた」、「3月の段階」では、「遅れそうだ」という話ではなかった、という説明している。しかし、「その後、5月に入っていろんな情報を聞いて『これはちょっとまずい、時期がかなりタイトになってきてるんじゃないか』と思った」と言っており、結局、「タイトになってきている」というのは、「3月の段階の話」と同じである。
そもそも、海外パビリオンの基本計画書の提出予定が3月だったのに、参加国が費用を負担してパビリオンを建設する「タイプA」の50か国余りのうち9か国が建設の許可申請をしなかったのであり、その原因が、資材価格の高騰や2024年からの建設業への残業規制の適用などにあることは、その時点で容易に認識できたはずである。4月の大阪府知事選挙の前には、海外パビリオンの建設の遅れに気づかず、選挙が終わって初めて気づいたなどという話は到底信用できない。
そのような番組でのやり取りの模様を端的に表現しているのが、以下の画面である。

この番組では、今年4月の統一地方選挙までに、予定どおりの万博開催が困難であることに気づくべき局面が山ほどあったのに、選挙までは、それをおくびにも出さずに「万博PR」を行い、選挙が終わると、掌を返したように、パビリオン建設の遅れ等の問題を表に出し、岸田首相に泣きついて「国の財政支援」を求める、という経過であったことをフリップで示しつつ、吉村氏に質問している。その際の吉村氏の表情は、いわゆる「ひょっとこ面」であり、質問に誠実に答えているとは思えないことが、その表情からも窺える。 テレビ番組に長時間にわたって生出演し、ここまでいい加減で支離滅裂なことを平然と言い放つ府知事を、テレビ局関係者は、どう受け止めたのか。追及材料をいろいろ提示しているわりには、吉村氏へのツッコミがほとんどないのも、「維新びいき」の関西マスコミだからこそなのであろうか。

「荒唐無稽な夢物語」の当然の結末
前述したとおり、夢洲を会場とする万博誘致は、地域社会の要請に応えるものでも、大阪府民・市民の利益になるものでもない。維新という政治集団の党利党略のための、「夢洲での国際観光都市形成」という「荒唐無稽な夢物語」の一環として計画されたものだ。
しかし、大阪府民・市民は、その維新が描く「大阪のバラ色の未来」に熱狂し、選挙の度に、維新を圧倒的に支持、その政治的な力は、関西では、立憲民主党等の他の野党はおろか、政権与党の自民公明も太刀打ちできないほど高まり、その絶頂の中で行われた今年4月の統一地方選挙では、その強さを遺憾なく発揮した。
そして、その政治的パワーをもって、吉村氏らは、大阪・関西万博は「国家プロジェクト」などと言って、そもそも維新の党利党略のための万博誘致であったことを棚に上げて、責任を国に押し付けている。一方で、政権維持のためには、国家予算を大盤振る舞いすることなど全く厭わない、しかも自ら責任を負うべきいかに重大な問題が発生しても、「責任を痛感している」「丁寧に説明していく」などと言ってあらゆる問題をごまかしてきた岸田首相にとって、当面の解散総選挙に向けて最大の政敵である維新の共同代表であり、その人気の中心にいる吉村氏が、自らの前にひざまずき、恭順を誓ってくれるのであれば、「大阪・関西万博は国の威信をかけて行う」などと言って、国の予算人員を惜しげもなく投入する方針を示すことなど「お安い御用」だった。
それによって、もともとは、大阪を中心とする関西の地方自治体を支配してきた維新という政治集団が引き起こした「自治体コンプライアンス問題」だった大阪・関西万博問題が、日本政府を巻き込んだ「国家的コンプライアンス問題」に発展しつつある。
大阪・関西万博をめぐる問題は、海外パビリオンの建設遅延だけではない。大会運営費の大部分は入場券収入によって充てられる計画だが、「万博の華」と言われる海外パビリオンが予定どおり建設されるかどうかも不明、プレハブによる貧弱な建物になる可能性もある、ということであれば、わざわざ高額の前売り券を自前で購入しようとする人が限られるのは当然だ。万博協会は、前売り券の大部分を関西の企業などに「押し売り販売」しようとしているが、企業の側は、万博の前売り券の購入などという無駄な支出に充てるお金があれば、物価高に苦しむ社員の賃上げに回したい、というのが本音であろう。このようなことを繰り返していれば、有力企業が関西地域から逃げていくことにもなりかねない。
 万博会場へのアクセス確保のための対策費、軟弱地盤でのくい打ち工事等、大幅な建設費増の補填など、今後、政府が大阪・関西万博につぎ込む国費は、雪だるま式に膨れ上がっていく可能性がある。しかし、それでも、予定どおりの万博開催にこぎつけられるかは不明であり、巨額の国費を投入して開催したとしても、入場者は僅かにとどまる惨憺たる万博になることは必至だ。

「維新の会」という政治集団が描いた、夢洲での国際観光拠点形成という「荒唐無稽な夢物語」に踊らされてきた大阪府民・市民は、大阪関西万博、大阪IR等のビッグプロジェクトによる「破滅的なツケ」に払わされることになる。それだけではない、その「尻ぬぐい」を国費で引き受けることで維新に貸しを作った岸田首相の目論見どおり、次の解散総選挙で政権を利することになる可能性がある。自治体首長の政治目的による大阪・関西万博誘致という“戦後最大の自治体不祥事”は、国民全体にとっても大きな「災い」になりかねないのである。

郷原信郎: 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
1955年、島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。
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231001 室井佑月 維新の「身を切る改革」って? 大阪府民やあたしたちの国民の負担になるんじゃん

2023年10月01日 15時00分42秒 | 時代の記憶
10月1日(日):   
どうして半グレのチンピラ“維新”を信用する馬鹿がこんなに多いのか。大阪は<ナチス時代のドイツ>か?
日刊ゲンダイ維新の「身を切る改革」って? 大阪府民やあたしたちの国民の負担になるんじゃん 室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」
2023/09/29 

当初の予算から8割以上のアップとは…(C)共同通信社
『防衛費増額43兆円を賛成されていますけど、いってるような「身を切る改革」で賄えるわけないじゃないですか。維新の方は嘘をいってて虚しくないんですか』(大石あきこ・衆議院議員・れいわ新選組)
  ◇  ◇  ◇
  これは24日、『NHK 日曜討論』の中での大石さんの発言。
  そうじゃ、そうじゃ!『身を切る改革』って、みんなのために自分らが犠牲になりますみたいな、なんか一見、綺麗な言葉。が、維新はいってることとやってることが違うんだよ!
  43兆円もの防衛費に賛成しているのもそうなんだけどさ、維新が推してる大阪万博のことも見過ごせないよね。
  9月25日の『SmartFLASH』、「恥を忍んでやめたら?」大阪万博、当初予定から1000億円以上増加…“後出しジャンケン”に怒りの声という記事によると、『2025年国際博覧会(大阪・関西万博)の会場建設費が、現在の1850億円から450億円上振れし、2300億円程度になる見通しになったという。』
  記事によれば、これは9月25日、万博を運営する日本国際博覧会協会の関係者への取材でわかったこと。これからもっと増えるっぽい。
  はじめは1250億円だったから、8割以上のアップだという。
  というか、大阪の夢洲の万博からカジノ構想に関しては、そのインフラ整備費用は約3400億円から約7500億円になっているという(8月29日付『しんぶん赤旗』より)。
  それってさ、大阪府民やあたしたちの国民の負担になるんじゃん。
  あたしはね、議員の歳費を削れっていうのではなく、政治家と業界や企業の癒着をなくすルールを一刻も早く作った方がいいと思うわ。
  カジノは、それを指揮する自民党の内閣府副大臣・IR担当だった人間(秋元)まで、利権を貪っていたのがバレた。
  利権で政治を動かされてちゃ、そりゃ、この国は良くならない。

室井佑月:作家 1970年、青森県生まれ。銀座ホステス、モデル、レースクイーンなどを経て97年に作家デビュー。TBS系「ひるおび!」木曜レギュラーほか各局の情報番組に出演中。著書に「ママの神様」(講談社)、「ラブ ファイアー」(集英社文庫)など。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)