もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

231029 ドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」(満若勇咲監督:2022)感想特5

2023年10月29日 15時40分12秒 | 映画・映像
10月29日(日):   

 上映時間 205分(3時間25分 途中休憩あり)は、長かった。しかし、「今この時代に、よくこれだけ充実した内容の映画を撮れたな。と言うか、撮れる人がいたな。」という驚きでいっぱいの気分だった。観ながら疲れはしたが、自然に背筋が伸びていくのを覚えた。また、制作した監督の若さ(30代!)が、今後への希望に思えた。はじめ見に行くことを躊躇していたが、心から見てよかったと思った。

 上映時間の長さは、無駄ではなく、観る者に納得させるために必要な長さだった。部落の中に「同和地区という表現自体が新たな部落の名称になる」と言って忌避する人がいるという指摘をはじめ、天皇制との関係性なども含めて、丁寧な気付きに満ちた内容だった。

 強いて不満を言えば、部落差別を扱いながら、昔の部落内の様子は描かれているが、現在の部落内のコミュニティーの存在については十分に描き切れていなかった気がする。ある種の残滓としての描き方になっていた。ただ、そのこと自体が「部落差別が部落の人々に問題がある内在的なものではなく、外から差別する側の問題という外在的なものであることの反証になっている」気がする。部落の人たちは特別な人たちではないのだから、あえて部落的なコミュニティーのあり方を探し出すのもナンセンスな気がする。一方、矛盾するようだが、それを踏まえたうえで、監督には「現代の部落のあり様に迫る」更なる作品を期待したい。

 この作品を多くの人に観てもらいたいとは思はない。この作品の内容と時間に付き合うには、前向きな意思と自制心をかなり求められるから。ただ日本の近代史や部落差別問題について真面目に考えようとする人々には避けて通ることのできない、必ず観ておかないといけない映画が新たに生み出されたのだと思う。満若勇咲監督に感謝したい。
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211016 映画「あん」(2015:監督 河瀨直美/原作 ドリアン助川)感想4+

2021年10月16日 03時00分21秒 | 映画・映像
10月16日(金):    

録画DVDで映画「あん」(1時間53分)を何度目かで観た。今回が、一番心に響いた。原作の本は持っているがまだ読めていない。ドリアン助川さんの積極的感受の考え方が随所に出ているように感じた。

ハンセン病患者をめぐる現状を静かに押しつけがましくなく、しかし必要なことは自然にきちんと伝えてくれる映画である。前半はごく普通に話が進むが、中盤から以降今の日本で実際に起こるであろう厳しい現実が示されて俄然話が深まっていく。

監督  河瀨直美/脚本 河瀨直美/原作 ドリアン助川
出演者 樹木希林/永瀬正敏/内田伽羅/市原悦子

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210505 映画「ベン・ハー」(1959)を観た。感想5

2021年05月05日 22時02分45秒 | 映画・映像
5月5日(水):  

若い時以来、数十年ぶりに、この映画を最後まで通して観た(3h36m)。
最後のイエスの死によるハンセン病者救済のシーンだけは、印象として残っていた。
「もののけ姫」の最後の癒しのシーンがこのシーンと重なって見えた。
壮大な叙事詩ではあるが、宗教色の非常に強い映画だったのだ改めて認識した。
アメリカが最も自信にあふれていた当時、ティベリウス帝のローマ帝国は、
アメリカそのものであり、それを批判するユダヤの指導者ベン・ハーは
より強くキリスト教への回帰を求めるアメリカのもう一つの面なのかもしれない。

時間数だけで言えば、わずかなはずのイエスの存在と彼が生きたローマ時代が印象的で
わかりやすかった。キリスト教とローマ帝国の関わりをイメージするのによかった。
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200502 映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」(2017)感想5

2020年05月02日 23時25分00秒 | 映画・映像
5月2日(土):  

この映画の録画を観終わった感想は、「良かった。ありがとう。」だった。いい加減な作品になっていたらどうしようという心配があったのだ。原作を読んだ人間は、映画での編集内容を楽しめる。400ページを超える作品を2:10ほどの映画にまとめるには相当の編集の力が必要だ。原作の味わいを壊さないでよい作品を作るためには思い切った選択と集中、創作による改変も必要だろう。

この作品では、1章と4章を思い切ってカットし、作品の大枠と2章、3章、5章で作品を組み立て直している。また、交換される手紙の文章も大事な部分に絞られて、作品の流れにうまく織り込まれている。原作の読者として「妥当な選択だ」と納得し、賛成できる。その代わりに、浪矢雄治の最期の帰宅、32年後の未来からの数々の手紙を受け取るシーンに「丸光園」創立者の元恋人皆月暁子を若い姿で立ち会わせるという原作にはない趣向が盛り込まれた。この試みは成功していると思う。

最後まで観終わった時のもう一つの不思議な印象は「配役によってイメージを壊されなかった」「意外と一流の俳優が多く集められている」ということだった。しかし、俺が知らなかっただけで、この作品は国内だけではなく海外でもベストセラーになっている。韓国、中国でも映画化されている。その意味では、この映画は大ヒットを約束された(義務付けられた)作品でもあるのだ。その視点から見ると、キャストの俳優陣の充実ぶり、人選の妙にも十分に納得ができる。

この作品は<作られて良かった作品>に分類されると思う。映画だけの評価を言えば、佳品として4ぐらいが妥当かもしれないが、原作の読者にとって<心地よい映画>になっている。やはり感想5を付けたいと思うのだ。
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200316 大森一樹監督「ヒポクラテスたち」DVD(1980)感想4+

2020年03月17日 02時08分42秒 | 映画・映像
3月16日(月):  

ヤフオクでDVD入手(1080円)、今日届いて即観た。作品自体の視聴は数えきれないほどだが手元に置いておきたかった。やはり良い作品である。
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200224 スティーブン・スピルバーグ監督「シンドラーのリスト」(アメリカ:1993)感想5

2020年02月25日 01時37分42秒 | 映画・映像
2月24日(月):      

久しぶりに映画「シンドラーのリスト」を観た。ユダヤ系アメリカ人のスティーブン・スピルバーグ監督の作品で3h16mの大作だ。細かいストーリーを説明する余裕はないが、とにかくたくさんの涙が出た。シンドラーに救われた1100人のユダヤ人からタルムード(ユダヤ教の経典の一つ)「ひとりの生命を救う者は、全世界の生命を救う」の言葉が贈られたのを観て、最澄の「照一隅(一隅を照らす)」と同じだ、と思い至り、さらにこの言葉を大切にしていた中村哲医師のことが思い浮かんだ。そして、アフガニスタンで多くの人々の命と生活を守る活動を続けた中村哲医師の偉大さを改めて再認識した。
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200119 久しぶりに大河ドラマ「真田丸 全50回」(三谷幸喜:2016)コンプリート 感想特5

2020年01月19日 22時49分12秒 | 映画・映像
1月19日(日):  
            

先週1月12日(日)から観始めた大河ドラマ「真田丸 全50回」を今日で最終回まで観終わった。三谷幸喜は大河ドラマの魅せ方を知っている。コメディタッチも含めて、物語にたるみがなく最後まで魅せられた。前に観た時、不満に思えた部分も含めて今回は堪能できた。

全体の構成は、①武田氏の滅亡・本能寺の変後の争乱から秀吉の時代、②秀吉死後の石田三成と徳川家康の対立・関ヶ原(犬伏の別れ)、③九度山から大坂入城・冬の陣(真田丸)・夏の陣とざっくり三部構成になっていた。いずれも面白さにあふれ、ついつい次を観たくなるようにできていた。また、映画作品をはるかに凌駕する膨大な予算で作られる大河ドラマならではの贅沢なキャスト陣をこの大河ではほぼすべてに所を得た配役でしびれさせてくれた。

中でも、真田昌幸役の草刈正雄の演技と存在感は群を抜いていた。役を全て知り抜いた者にしかできない出色の出来栄えだった。次いで石田三成役の山本耕史が印象的で良かった。何か、とても良かった。真田氏という北信濃・上野の国衆上がりの頭脳集団から観た戦国・織豊・関ヶ原・江戸初期の風景は格別だった。そして最後に、大坂の陣における豊臣方の人材不足、牢人集団にこそ義がある構図を再確認した。これは寂しいifの世界だ。もう少し大坂方の人間に人物がいれば、豊臣はひとかどの名門大名として残れたものを…。残念だが、自業自得である、としか言えない。

ウィキペディアで人間関係を調べまくってしまった。例えば、真田幸村が嫡子大助以外の妻子らに同い年の伊達政宗を頼らせた意外な関係など非常に面白かった。
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191014 TBSドラマ「流星ワゴン 全10回」(2015)を観た。感想5:重松清原作。香川照之が良い!

2019年10月14日 15時22分37秒 | 映画・映像
10月14日(月):       

最近、本が読み通せない。視力、体力、気力の減退による。年齢的に過去の同年配の人々の死を意識することが多くなった。未来を見つめながら、「何時死が訪れても不思議ではない。そろそろ(死に対して)文句を言えない歳が来ている」「でももうちょっとだけ。12年くらいは元気に活動できれば」などと考えることが多くなった。

以前に録ってあったTBSドラマ「流星ワゴン」(2015)DVDを一昨夜から少しずつ観始めて、昨夜は夜通し今朝6:30まで、一気に8話を観て最終回までコンプリートした。二度目なのか、初めてなのかはわからない。最終回まで見通したのは初めてのような気がする。以下、コメント。

妻は浮気?で連絡が取れない。中学受験に失敗した息子は引きこもり、金属バットを振り回す暴力。夫・父親を失格の上、会社をリストラされた主人公が誰もいない寒い夜の広場で独り「もう死んでもいいか・・・」とつぶやいた。その時、ワゴン車が「待たせてごめん!」と現れる。乗っているのは、5年前の自動車事故で不慮の死を遂げ成仏できない父子。二人は血がつながっていない。

このワゴン車は、死を念じた人を乗せて彼を過去の大切な“その日”に運んでくれる。主人公の永田一雄は、家族を心から大切にしてきた“よくできた父”、“よくできた夫”だったはずだ。しかし、現実は正反対の絶望の淵にあった。永田さんは結局、大切な家族について何もわかっていなかったのだ。

ワゴン車で、過去の大切な“その日”に戻る旅が始まろうとしたその時、子どもの時から乱暴で無神経、頑固さに反発して大嫌いで、彼が故郷を飛び出す原因となった父親の永田忠雄が、43歳の永田さんと同じ歳の精悍な姿で同乗してきた。地元の金融業で大をなした父親は、今故郷の病院で人工呼吸器で余命をつないでいた。自分を「チュウさん」と呼べというこの若い父は、その死の床にある73歳の父の“強い後悔”が生み出した生き霊であった。

4人の「流星ワゴン」での旅が始まる。行き先は誰もわからない。ただ、絶望的な現在から「いつだったらやり直せたのか」という思いだけが指針となる。過去の“その日”に戻った永田さんは、懸命に未来を変えるために努力する。そこに若き父のチュウさんが乱暴で無神経に介入してくるが、なんとかうまくいく。何度も、過去の“その時”に戻っていくうちに、二つのことが明らかになっていく。

ひとつは過去の“その時”を、どんなにうまく修復し、やり直しても現実の現在を変えることには全くならない。最後は「死んでもいいか」と思わせる絶望的な現在が全く変わることなく待ち受けていること。もう一つは、子どもの時から、あれほど乱暴で無神経、頑固だと軽蔑していたチュウさんが、実は不器用だが人間的で息子の自分に対して強い愛情を持ってくれていたこと。表面でしか永田さんは父を見られていなかったこと。そして何より、同い年の父チュウさんとはすごく気が通じ合えること。

5年前の事故で「血のつながらない息子を死なせてしまった」強い後悔を持つ父橋本義明と、生きている母にもう一度会いたい思いにつかれた息子橋本健太の二人は成仏できないでいる。幽霊の橋本さん父子は、希死念慮の人々に“思い残しを作らない旅”をワゴン車で手伝い続けていた。

永田さんとチュウさんは、幽霊の橋本さん父子のために、健太を生きている母に会わせてやるが、再婚した母には既に幼い子供がいた。違う男性の血を引く男の子だ。母に声をかけられずに身を引く健太。原作では、この残酷なシーンだけで終わっていたような気がするが、ドラマではもう一度健太を母親に会わせてくれる。そして、母と存分に語らせ、「(健太を)絶対に忘れない」という言葉を聞かせる。最後に、それは母の良い夢だったとされるが、この優しい終わり方に異論があろうはずがない。

過去の大切な“その日々”に何度も戻って、どうすれば良かったのかを懸命に実践し努力しても、結局「死にたくなる」“現在”を変えることはできなかったという絶望的な事実を前に、ドラマの途中で、この物語の行方を見失いそうになった時があった。しかし、終盤になると気付かされるのだ。

過去を変えることはできなくても、ある意味過去を通して自分の見方や考え方を変えることで今の自分を変えることができる。今の自分を変えることができれば、絶望的現実に見えていたことに対しても覚悟を持って取り組むことができる。幸いにもこのストーリーでは周りの人間を変えられないが、永田さんには記憶が残っている。現状に対して物理的有利さは皆無だが、判断する際の精神的有利さは計り知れない。

結局、永田さんは死なない。家族の置かれた厳しい現実は変わらないが、永田さんが変わることで最悪の危機は回避され、家族を立て直すことができた。何度も暴走して永田さんを困惑させながら、多くの気づきを与え続けたた朋輩の生き霊チュウさんの旅は、死の床にある父永田忠雄にとっても“思い残しをなくす旅”だった。ドラマではその旅も報われた。

観るために、それなりの根気と想像力を必要とするドラマだったが、良い作品だった。特にチュウさんを演じた香川照之の演技力と存在感は群を抜いていた。彼でなければ、この作品は成立しなかったと言っても過言ではないだろう。また、子役二人も良かった。西島秀俊には、途中何度もイライラさせられた。役柄によるのか、演技によるのか、わからない。吉岡秀隆はやはり上手い。いじめを見るのは、たとえドラマであっても、心が痛み、消耗する。いじめは、殺人に匹敵する気がする。

重松清の作品に共通する深い人間観察、真実の悪人を作らない作風はやはり良い。

※よければ下の記事も読んでみてください。
82冊目 重松清「流星ワゴン」(講談社文庫;2002)  評価5
                          2011年11月26日 07時27分42秒 | 一日一冊読書開始」
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190821 意外と?面白かった!「英雄たちの選択「100年前の教育改革~大正新教育の挑戦と挫折~」感想4

2019年08月21日 22時11分08秒 | 映画・映像
8月21日(水):      

「どうせ大したことない内容だろう…」とチャンネルを合わせ、英雄たちの選択「100年前の教育改革~大正新教育の挑戦と挫折~」見るともなく見始めたが、最後まで観切ってしまった。2020年の教育改革、すなわちアクティブラーニングを大正時代にあだ花のごとく先取りし、戦争で潰え去った与謝野晶子らの私立文化学院の運動、雑誌「青い鳥」による自由作文運動や及川平治による子どもたちの生活格差の大きい公立小学校の実践について、そのあり様を知らしめてくれるだけでなく、生徒の家庭環境(特に経済的)の格差の拡大の中で大きな矛盾が生まれそれを抱え込み、さらに受験競争の激化の中で詰め込み教育とのはざまに苦しむことになったことなど、戦後70年を過ぎた現代日本にもそのまま通じる非常に貴重な教育面での社会的実験だったことを知った。

2020年の教育改革の行方について、出演者が「うまくいくかどうかは、まあ運を天に任せるようなものだ」と述べ、一同苦笑して終わったのを見て、ある種の我が意を得たりと思った。その意味で、案外、面白かった!

アクティブ・ラーニングは、子どもの家庭教育でこそ効果を発揮するという磯田氏の指摘は正鵠を射ている、と思う。

【内容紹介】目前に迫る2020年の教育改革。子供の自発的学習を促すアクティブ・ラーニング等が、教育現場を大きく変えようとしている。今から100年前、それを先取りするような改革があった。大正新教育運動だ。与謝野晶子など名だたる芸術家や教師たちが、草の根から子供中心の教育を掲げて活躍した。しかし、運動は20年ほどで下火に。大正新教育は、何を目指し、なぜ挫折したのか?現代にも通じる教訓を徹底討論で明らかにする。2019年8月21日(水)20時00分~21時00分放送。
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】高橋源一郎,小針誠,山辺恵理子,【語り】松重豊
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190807 山田洋次監督「母と暮らせば」(2015)感想5

2019年08月08日 00時54分34秒 | 映画・映像
8月8日(水):  

原爆で息子を亡くした母(吉永小百合)のもとに息子が戻ってくる物語り。周囲からは奇異な目で見られることもあるが、悲しみを抱えながら亡くなった息子とのやり取りは救済でもある。むごくて残酷な境遇にある母親に可能な限りの優しさをほどこした物語である。しかし、息子二人、上の子をビルマで、下の子を長崎の原爆で喪った母は少しずつ衰弱していくしかない。下の子の婚約者で、小学校教員になっていた誠実な女性が新しい婚約者を義母となったはずの母のもとに紹介に訪れる。祝福をしながらも息子が生きていればと理不尽な運命を思わずにいられない母。その夜、現れた息子に導かれて母は天に召される。

最後のシーンで涙が気持ちよく流れた。そのシーンを何度も何度も見返した。年を取ると、厳しいシーンやカッコよさで涙は流れないが、優しいシーンや思いやりのあるシーンで簡単に涙があふれる。

子どもを喪った母の取り返しのつかない悲しみ、原爆さへなければ生きられた息子の無念さ、悲しみが伝わってくる映画だった。この世で最も納得のできない理不尽なことが戦争と核兵器だ。反戦・反核はイデオロギーを超えた最重要課題だ。母親という存在も理屈を超えた存在、生命体そのものだ。母親を悲しませる世の中を作ってはいけない。吉永小百合さんは、やはり別格の女優さんである。
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190805 アニメ「この世界の片隅に」(2016年11月公開:2h5m)感想特5 ※2回観た。

2019年08月05日 22時34分18秒 | 映画・映像
8月5日(月):

話題の作品だが、二回観ただけでもわかり切れない奥行きと幅のある内容だった。昭和8年(1933)から敗戦の昭和20年(1945)の広島から隣の軍港呉の郊外に嫁いだ女性の目を通した当時の世の中の様子が描かれている。変に力を込めずのんびりと脱力的なストーリー展開が深刻な内容も一緒にして自然に受け入れさせてくれる。人の死は重い。子どもの死はさらに重い。何度も繰り返し観て行きたいと思う。

・玉音放送で敗戦が知らされ主人公たちが泣き崩れるシーンの傍らで、一瞬だが長い竿に掲げられた太極旗がはためく。日本の敗戦は朝鮮の人々にとっては解放なのだ。

・主人公ののん(能年玲奈)さんの自由な芸能活動を邪魔する芸能事務所・芸能界に対しては、「お前らいつの時代の人間だ?」と言いたい。ジャニーズ事務所による元スマップ3人に対する排除も含めて、江戸時代初期の黒田長政による後藤基次(又兵衛)に対する「奉公構(ほうこうがまえ)」を想起させる。有能の才を締め出し、野垂れ死にに追い込む陰湿さは、あまりにも印象が暗く前近代的過ぎる。
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190616 映画「ヒポクラテスたち」(大森一樹監督:1980、126分)感想5

2019年06月16日 22時39分37秒 | 映画・映像
6月16日(日):    

多感な学生時代、二本立てか三本立てか?街の名画座または学園祭の上映会かで観た作品である。その後何度か、DVDで観て、今回が4~5度目だろうか?ともかく久しぶりに観た。今のような特撮技術の全く存在しない中で、大した製作費もなしでこれだけの作品を作っていたのだ!と改めて感心した。また、ベテランも若手も、当時は映画の中だけでしか評価できなかったが、40年近い歳月が流れて、その後の俳優(名優)たちの歩みを重ね合わせて観られて、さらに味わい深い作品になっていると思われた。
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190506 NHK時代劇「風の果て(藤沢周平原作)」(2007年放映) 感想5

2019年05月06日 23時37分55秒 | 映画・映像
5月6日(月):    

明日からの仕事を前にやらなければならない雑用をするためにBGMとして久しぶりに45分×8回を全部通して観た。藤沢周平の作品はあまり読んでいない。「密謀(上)(下)」「市塵(上)(下)」ぐらいしか読んでいない。しかし、映像化された作品世界はドラマ、映画ともにもれなく良い。切なく、已むに已まれぬ思いの世界。また、本作品は特にキャストの全俳優たちががあまりにもはまり役で素晴らしかった。逐一の感想を再現はできないが、この作品世界に浸っているのは幸せな時間だった。

野瀬市之丞の遠藤憲一が特に良かった。桑山又左衛門の佐藤浩市、杉山忠兵衛の仲村トオル、藤井庄六の野添義弘、いずれも良かった。
分かれ道/太蔵が原 /春雷 /出世/政変/最後の敵/果たし状 /尚、足を知らず

近いうちに原作を読みたいものだ。
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190316 是枝裕和監督「誰も知らない」(2004)感想5 しかし、哀し過ぎる。

2019年03月16日 03時54分02秒 | 映画・映像
3月15日(金):        

母子家庭で母親に遺棄(置き去り)された4人兄妹弟妹(父親がみんな違う!)の物語り。周囲の無関心の中で、主人公の男の子(小6~中1:学校には行かせてもらってない)が、児相だと家族がバラバラにされるので「自分がしっかりしなければ」と精一杯踏ん張って頑張り続ける。しかし、大人や制度に助けを求めることを理解できずに、彼が頑張れれば頑張れるほど、子どもたちの事態は取り返しのつかない状況へと進んでいく。

主人公の子どもだけでなく、出演する子どもたちみんなの演技力のすごさが印象的だった。観ながら、頑張っている主人公の少年にイライラしている自分に気が付いて、「この子が悪いわけではない。親と社会が理不尽なのだった」と慌ててしまった。

本作品は、巣鴨子供置き去り事件をもとに是枝裕和監督が創作した物語である。この事件は、東京都豊島区で1988年に発覚した保護責任者遺棄事件。父親が蒸発後、母親も4人の子を置いて家を出ていき、金銭的な援助等を続けていたとはいえ実質ネグレクト状態に置いた(ウィキペディア)。

また何か書ければ書きます。とりあえず、もう寝ます。

「Nobody knows 」だけど「Somebody knows 」なのだ。
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190122 大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」(2002)DVD全49話コンプリート 感想5+

2019年01月22日 21時56分45秒 | 映画・映像
1月22日(火):   4280円!  

1月8日夜、アマゾンで大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」(2002)全49話DVDの台湾からの逆輸入版(音声:日本語 / 字幕:中国語)を超破格の新品4280円!で見つけた。膝を打って即注文を出した。翌日、早々に届き、それからは連日「利家と松」三昧だった。そして本日、めでたく全49話を見終わった。

感想は、「十分満足した。楽しかった!」に尽きる。やはり視覚、聴覚で脳に焼き付けられたイメージは強力だ。そして、最近のハズレ大河とは違って、本作はキャストの俳優陣が実に、非常に良かった。切れっ切れの名演技につい心がほだされて見続けてしまった。

佐々成政、前田慶次郎、山上宗二など、今まで断片的にしか知らなかった人物をはじめ、当時の戦国武将たちの人間関係の機微が、松(前田利家妻)、おね(豊臣秀吉妻)、はる(佐々成政妻)ら女性側から描き出されているのでわかりやすかった。

女性の立場から映されたちょっと甘たるい<戦国のホームドラマ>みたいな印象を受ける時もあったが、俺には新鮮さの方が勝った気がする。通常の内助の功も含めて、戦国時代の女性が果たした役割・存在の大きさを改めて知ることができた。最終回、利家の死後、関ケ原の戦いを前にして、前田の松(芳春院)が自ら江戸に人質として向かったことが、その後の前田家を救い、120万石の大大名たらしめたことは間違いないのだ。

また、賤ケ岳の敗戦後、利家が籠もる越前府中城に秀吉が大胆にも単騎で乗り込み、それを利家の妻松が味噌汁で迎える。「豪姫の母上殿」と秀吉が呼びかけ、松が微笑みつつ来訪への感謝を述べる。そこに利家が現れ、「おやじさま(柴田勝家)を討つのは、自分でなくてはならない」と秀吉に先陣を申し出るシーンなどは、圧巻であった。語り尽くされた感のある信長、秀吉の時代の物語りだが、本作品はなかなか味わい深かった。百姓上がりで家柄のない、譜代の家臣のいない<成り上がりの天下人>の秀吉にとって、前田利家がどれほど得難い親友・知己であったのか。

秀吉の後を追うように亡くなった前田利家が、詮無き想像ではあるが、あと5年元気で生きていれば、家康側に付いた加藤清正、福島正則、黒田長政ら豊臣恩顧の大名の多くが前田利家への人望で反家康で結束した可能性は十分にあっただろう。少なくとも豊臣恩顧の諸大名の無様な分裂を避けることはできたであろうことを考えるなら、徳川の天下も危うく、豊臣氏の天下維持も十分に考えられた。もし、利家が10年元気で生きていれば、家康は老い、秀頼は元服、成人する。大坂の陣も視野に入れて、さて天下の帰趨はどうなっただろう。徳川の天下も、必ずしも既定の路線という訳ではなかった。

利家の死後、松(芳春院)が自主的に江戸に人質として向かい、関ヶ原で前田利長が徳川方に付いたことは、徳川家康にとって確かに合掌したいような有難さの極致であっただろう。その後、利長が江戸へ参勤をして諸大名に範を垂れて参勤交代制が始まることを思い合せれば、徳川政権下で前田家が加賀・能登・越中120万石もむべなるかなである。

こうして話の内容をあれこれ思い出し始めると、見ごたえのある名シーンが次々と浮かんでくるので切りがない。ここらで終わるが、歴代大河ドラマの中でもかなり出来の良い作品だったと思う。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)