もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

181030 映画「ホタル」(2001)感想5

2018年10月31日 03時30分14秒 | 映画・映像
10月30日(火)深夜:  

何となく観て、最後まで観切ってしまった。朝鮮人特攻兵をめぐる物語。寝不足で明日の仕事が心配だ。
敬愛してやまない高倉健さんは、本当に良い仕事を残したと思う。この映画は、理屈を超えた映画だ。
2018年の腐り果てたアベ政権下の日本では制作できなかった映画だろう。
2001年の日本は、まだまともな時代だったということだ。

【あらすじ】鹿児島県知覧。カンパチの養殖を生業としている山岡は、肝臓を患い透析を続けている妻・知子とふたり暮らし。子供がいない彼らは、漁船“とも丸”を我が子のように大切にしている。激動の昭和が終わり、平成の世が始まったある日、山岡の元に青森に暮らす藤枝が雪山で自殺したとの報せが届いた。山岡と藤枝は共に特攻隊の生き残りだった。それから暫く後、山岡はかつて特攻隊員に“知覧の母”と呼ばれていた富屋食堂の女主人・山本富子から、ある頼みを受ける。それは、体の自由が利かなくなった自分に代わって、南の海に散った金山少尉、本名、キム・ソンジェの遺品を、韓国の遺族に届けて欲しいというものだった。実は、金山は知子の初恋の相手で、結婚を約束した男でもあった。複雑な心境の山岡は、しかし知子の余命が長くて一年半だと宣告されたのを機に、ふたりで韓国へ渡ることを決意する。だが、金山の生家の人たちは、山岡夫妻の訪問を決して快く迎えてはくれなかった。それでも、山岡は遺族に金山の遺品を渡し、彼が残した遺言を伝えた。金山は日本の為に出撃したのではなく、祖国と知子の為に出撃したのだと。やがて歳月は流れ、21世紀。太平洋を臨む海岸に、その役目を終えた愛船・とも丸が炎に包まれていくのを、ひとり見つめる山岡の姿があった。

181028 覚えておこう。安田純平さん無事帰還に対するダルビッシュ有選手の立派な言葉。

2018年10月28日 23時55分40秒 | 時代の記憶
10月28日(日):   ダルビッシュ有公式ツイッター『ホーム』より

リテラダルビッシュが安田さんへの自己責任バッシングを次々論破 2018.10.26

 昨日、シリアで拘束されていたジャーナリストの安田純平氏が無事、日本に帰国した。数日間は検査入院の予定だというが、約3年4カ月もの長期の監禁生活を余儀なくされたことを考えると、まずはゆっくり心と身体を休めるのが先決だろう。

 だが、命からがら帰国した安田氏に鞭を振るわんばかりに、国内には「自己責任」の合唱が起こっている。既報の通り(https://lite-ra.com/2018/10/post-4334.html)ネット上では「どのツラ下げて帰ってくるのか」「国に迷惑をかけるな」という安田氏を攻撃するコメントが溢れているが、本日放送された『バイキング』(フジテレビ)でも、司会の坂上忍が「安田さんの記事とかTwitterとか拝見して、結構な勢いで政権に対するバッシング(をしてきた)」「そう言っておきながら向こうに渡って結果的に拘束された。叩いていたというか意見を言っていた側(安倍政権)に助けてもらうってことになる。(中略)政府に尽力してもらって身代金が発生しているのであれば、国民の税金使って命助かっちゃってるっていう現実もある」などと発言。そのほかのコメンテーターたちも自己責任なのではと同調したのだ。

 安倍政権に批判的だから助けてもらうのはおかしいって、それこそ筋違いの批判だ。時の政権に無批判に迎合するジャーナリストなどジャーナリストと名乗る資格もないし、本サイトでは何度も繰り返してきたが、自国民の生命保護はほかでもない国家の責務だ。それがたとえ犯罪者であったとしても政府は法の範囲内において人命を救うために最大限の努力をする義務があり、国民はそれを国家に要求する権利がある。だいたい、命の危険に晒されていた人物が無事に帰ってきたというのに、身代金の不確定情報に乗って「国民の税金を使って」などとさっそくがなり立てるとは。そんなに税金の使途にこだわるならば、約8億円も国有地が値引きされた上、自殺者まで出した森友問題や、93億円もの補助金が交付される加計問題にももっとスポットを当てたらどうなのか。

 しかし、こんな荒んだ状況のなかにあって、声をあげた者がいる。メジャーリーガーでシカゴ・カブス所属のダルビッシュ有選手だ。

 ダルビッシュは安田氏の帰国が伝えられた昨夜、こうツイートした。

〈一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かったなぁと思います。自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います〉

 吹き荒れる安田氏への「自己責任」の声に対し、「助かって良かった」「助け合って生きていこう」とメッセージを発信したダルビッシュ。この投稿には本日18時時点で約4万件の「いいね」が押されているが、同時に自己責任論者からの反論や批判も殺到。だが、ダルビッシュはそれらの意見にも怯まず返答し、持論を展開していったのだ。

 たとえば、「旅行に行って巻き込まれたならまだしも、安田氏の過去の言動を考えると助かって良かったとは思えない」という反論には、ダルビッシュは〈逆に旅行じゃなくあの場所に命張っていける人間が世界にどれぐらいいるでしょうか〉と返答。「もっとほかに対策できたはず」という意見にも、〈対策できてたら世界のジャーナリスト何人も拘束されないと思いますよ。現地のガイドとか通訳が売ったりするらしいですし〉と返した。

■自己責任厨からの反論を次々と論破したダルビッシュ
 しかし、このダルビッシュの意見に対しては、「政府からも止められている、ジャーナリストが何人も拘束されている場所に行って、さらに結果としてテロ組織にお金が流れて、どれだけの命が奪われるのか」という反論が。このほかにも、“救出時に支払われた身代金がテロリストに渡り、それで購入された武器によって多くの人が危険に晒される可能性があるのに、救出されて良かったと言えるのか?”という意見はかなり目立った。

 そもそも、こうした意見をダルビッシュにぶつける者たちは、反政府組織をアメリカが支援し、市民を虐殺するアサド政権をロシアが支援していることを知っているのだろうか。さらに言えば、この日本が武器輸出3原則を撤廃して武器輸出国になっていることを知っているのだろうか。しかも、一旦、海外に輸出された武器がどこで使われるかは追跡不可能で、日本が製造・販売した武器が中東の紛争地域で過激派組織の手に渡っている可能性もある。そこまで過激派組織への武器流出に強く関心があるのであれば、ダルビッシュに文句をつける前に安倍政権の防衛装備移転に猛反対するべきだと思うが、結局は、安田氏の自己責任だと叫びたいがために身代金問題を取り上げているにすぎないのだろう。

 だが、このような反論にも、ダルビッシュは根気強く、こう返していったのだ。

〈でも誰かがいかないと内情がわからないわけじゃないですか。そういう人たちがいるから無関係な市民が殺されるのを大分防いでいると思いますけど〉
〈別にテロ組織の資金源って身代金だけじゃないと思うし、だいたい身代金要求なんてほぼ成功してませんけど〉
〈(解放と引き換えに3億4000万円が支払われたという報道について)まずこの記事が本当かも現時点でわからないですし、本当だったとしても一人の人間が助かったわけでそれに安堵するのって変でしょうか?後悔とか反省って自分でするもので、他人が強要するものではないと思うんですよね〉


 さらに、「自衛隊も派遣できないような場所なのだから、内情を知ったところで誰も助けられない」という批判にも、ダルビッシュは〈いやだから日本の力とかじゃなくジャーナリストが現地にいるだけで、非人道的な殺戮はだいぶ抑制できているでしょって話です〉と畳みかけたのだ。

■ルワンダ虐殺に触れジャーナリストの存在意義について語ったダルビッシュ

 また、ダルビッシュへの反論で目立ったのが、“安田氏は過去4回も拘束されたのに、何度迷惑をかけたら気が済むのか”というものだが、これにもダルビッシュはこのように切り返した。

〈逆に4回も捕まっていて5回目も行こうって思えるってすごいですよね。毎回死の危険に晒されているわけですよ。でも行くってことは誰かがいかないと歴史は繰り返されると理解しているからではないでしょうか?〉

 ダルビッシュが繰り返し強調したこと。それは、事実を伝える人がいなければ多くの人の命が危険に晒されていることも知らされず、その結果、多くの人の命が犠牲になる危険がある、ということだ。

〈ジャーナリストがゼロになったら世界に情報も出ないんだから、殺戮が加速するに決まっているでしょう。ルワンダのジェノサイドなんかまさにそうでしょう〉
〈ルワンダのジェノサイドなんかも50万から100万人が亡くなってる。約100日と短期間すぎたのもあったけど、もっと他国が介入出来ていたら絶対こうなっていないはず。世界の国々もジャーナリストもこういった歴史から人間の弱さ、怖さを学んできたはずなんですよ〉
〈危険な地域に行って拘束されたのなら自業自得だ!と言っている人たちにはルワンダで起きたことを勉強してみてください。誰も来ないとどうなるかということがよくわかります。映画だと「ルワンダの涙」が理解しやすいと思います。ただかなり過激な描写もあるので気をつけてください〉

 そしてダルビッシュは、いまSNS上で多く拡散されている、しりあがり寿の4コママンガの画像をリツイートした。それは、学校の教室での児童と教師のこんなやりとりだ。

児童「なぜジャーナリストはわざわざ危険な場所にいくんですか?」
教師「うーん それはね…」「誰かが危険な場所で何がおこっているか、世界に知らせないといけないだろう」「何がおこっているかわからなければ世界は対策もたてられないからね」

 そこで教師は、児童に向かって「みんなは危険な場所で何がおこっているか知りたい?」と尋ねるが、児童たちは顔を見合わせて「……」と沈黙。しかし、次に教師が「じゃあ逆に、君たちが危険な場所でくらしていたとしたら、世界にそのことを知ってもらいたい人?」と訊くと、児童たちは揃ってみんなが手を挙げる──。

■サッカー・本田圭佑もダルビッシュに賛同ツイート
 ダルビッシュはこの4コママンガをリツイートしたあと、〈本当にこれですよ。日本が戦争していてたくさんの人が殺されているなかで世界のどの国もが知らんぷりだったらどうするんだろう? って妻と話してました〉とつぶやいている。

 今回、ダルビッシュによるツイートがあぶり出したのは、自己責任論の根深さと同時に、世界で起こっている問題への関心の希薄さだろう。

 実際、国内メディアにおけるシリア情勢についての報道はかなり少なく扱いも小さく、さらには政府によるシリア難民の受け入れも、2017年度に難民認定されたシリア人はわずか5人だけ。こうした状況に疑義を呈する声はごくわずかだが、一方でシリアへの関心を喚起する貴重なレポートを発表してきた安田氏の問題には多くの人が食いつき、群がって自己責任を叫んで叩き潰そうとしている。この状況は、あまりにいびつすぎると言わざるを得ないだろう。

 そんななか、報道の意義や価値を理解し、ルワンダの悲劇に学ぼうと呼びかけるダルビッシュは、あまりに真っ当だ。そこにはダルビッシュがアメリカで暮らし、国際的な視点をもっていることも関係しているのかもしれない。現に、メルボルン・ビクトリー所属のサッカー選手・本田圭佑〈フリージャーナリストの安田さん、色々と議論がなされてるみたいやけどとにかく助かって良かったね〉と投稿した後、ダルビッシュのツイートにも反応し、こう返した。

〈僕も色んな国に好きで行くので、しかも政治やビジネスに関して好きな事言うので、このまま拘束されたりしたら、ホンマにヤバいかもっていつも思ってます。ダルビッシュさん夫婦がいればもっとガツガツいけそうです〉

 本田は今年7月19日にもサプライズで神奈川朝鮮中高級学校、横浜朝鮮初級学校を訪問、インタビューでも「自分の国しか愛せないこと。それは悲しいことだし違うと思う」と話し、国際関係における日本と政治家が果たすべき役割について「すべてにおいて簡単なことではないですが、結果から言うと世界を平和にすることではないでしょうか? 国益だけを考える政治家は、今後は必要とされなくなっていく時代になると思います」と答えていた。
 
「日本スゴイ!」に慰撫されるばかりで、世界の惨状を伝えるジャーナリストさえも迷惑者扱いするガラパゴスのこの国。ダルビッシュの一連のツイートや、本田の発言は、日本の異常さをあらためて浮彫りにしたと言えるだろう。

181027 一年前:7 011 佐々木正美「「育てにくい子」と感じたときに読む本」(主婦の友社:2008)感想5

2018年10月28日 02時12分04秒 | 一年前
10月28日(土):
7 011 佐々木正美「「育てにくい子」と感じたときに読む本」(主婦の友社:2008)感想5
10月26日(木):  192ページ    所要時間3:40    古本378円(350+税8%)著者73歳(1935生まれ)。群馬県前橋市に生まれ、幼児期を東京で過ごす。......


8 019 隂山英男「学力は家庭で伸びる」(小学館:2003)感想3

2018年10月27日 22時26分32秒 | 一日一冊読書開始
10月27日(土):  

174ページ     所要時間1:10      ブックオフ200円

著者45歳(1958生まれ)。

「当たり前のことを当たり前にやりましょう。実践するのは難しいけど、それが一番大事です」という内容の小ネタ集みたいな内容。少し、小さな自慢話が多い気はした。あまり学問的ではない。おそらく直感でやってきた人なのだろう。特に参考になったということはないが、飛ばし読みができたので悪い印象もない。ただ、大した本ではない。著者が世間で騒がれるほどの教育者とは、特に思えない。

子どもの教育で親が寄り添うことの大切さを説いている。特に、子どもを読書好きにするためには、親自身が読書好きでなければいけない。という点では、8 018 樋口裕一「「本を読む子」は必ず伸びる!」(すばる舎:2005)と同じだった。これも当たり前のことだ。

【目次】第1章 ジワジワ効いて結局「学力」が上がる16か条(翌日の時間割は自分でそろえさせる/宿題は食卓でさせよう/宿題を親がやらない ほか)/第2章 毎日の生活で「会話力」がつく13か条(食事のときはテレビを消す/ゴミ出しは子供にやらせる/今日あったことをお風呂で聞いてあげる ほか)/第3章 「自分でできる力」を育てる12か条(机の上を親が片づけない/サッカーの応援に毎回行かない/説教は「誉める」「叱る」「誉める」のサンドイッチで ほか)

【内容情報】子供の学力低下が叫ばれる今、親は何をしたらいいか?「生活改善なくして学力向上なし」を持論に子供の学力を伸ばしてきた陰山英男先生の「今すぐ親ができること」をまとめた家庭教育論です。小学生はもちろん、幼稚園でも早すぎない!子供たちの力はこうすれば引き出せる!教師生活の現場から贈る、誰でもすぐできる、どの子も必ず伸びる秘訣がいっぱいです。リビングに図鑑をおこう、宿題は食卓でさせよう、机の上を親が片付けない、朝食は必ず食べさせるなど、すぐに実践できることばかりです。

8 018 樋口裕一「「本を読む子」は必ず伸びる!」(すばる舎:2005)感想3

2018年10月27日 20時52分18秒 | 一日一冊読書開始
10月27日(土):  

190ページ     所要時間2:00      古本市場86円

著者54歳(1951生まれ)。大分県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、立教大学大学院博士課程修了。「小論文の神様」と呼ばれる、大学入試小論文指導の第一人者。現在は小学生から社会人までを対象に、通信添削による作文、小論文の専門塾「白藍塾」を主宰する。東進ハイスクール客員講師。アフリカ、フランス文学翻訳家の顔も持つ

内容は当たり前のことが書かれていて驚きも発見もない。悪い本ではないが、大した本ではない。流し読みだが、それで十分だった。たまに見直して確認に使えばよいかもしれない。

【目次】第1章 「本を読む子」はここまで大きく伸びる!(子供が伸びるかどうかは「国語力」が決め手だった!/計算や暗記が得意なのに成績が上がらない理由 ほか)/第2章 ホンモノの学力は「勉強」だけでは育たない(学校の授業だけでは国語力がつかないワケ/「答え」を探さない、自由な読み方が大切/「朝の10分間読書」は本当に有効?/学校でも塾でもなく、家で子供の学力は伸びる/書く力も鍛えると、読む力はもっとつく!)/第3章 「読書の楽しさ」に目覚めさせる誘導作戦(本を読むワクワク・ドキドキ感を植えつけよう/本屋や図書館へ上手に誘導する方法 ほか)/第4章 親の少しの手助けで、子供は必ず本好きになる!(「本を読むのが当たり前」な環境をつくる/初めのうちは「読み聞かせ」も大切 ほか)/第5章 もう、本の世界にやみつき!樋口セレクトお薦め本(ファンタジーで、知らない世界にワープ!-子供を本の世界にハマらせる、いちばんの近道/旅へ、大冒険へ、いざ出発ー主人公の活躍の追体験で本に夢中に ほか)

【内容情報】「本当の学力」は国語力が基礎になる!お母さん、お父さん!小学生のうちは大いに本を読ませてください。いざ中学、高校で本気で勉強を始めたとき、確実にグングン伸びるからです!“小論文の神様”樋口裕一、満を持しての教育論。

181027 感慨:昨夜、ジブリ「もののけ姫」(1997)放映について

2018年10月27日 14時26分43秒 | 映画・映像
10月27日(土):                      

昨夜「もののけ姫」の放送録画を観た。故合って3日前にもDVD録画を観ている。3日前に見たDVD録画よりも、昨夜の放送録画の方が音声が鮮明だった。その分、前に聞き取れなかった部分が聞き取れた気がする。「もののけ姫」は数えきれないほど見直してきたが、そのたびごとに新たな感慨と前向きな疑問を与えてくれる。

「穢れ」とは、”け(生命力)枯れ”を引き起こすものだろう。それは死、血液、怪異(癩などの病者も含まれるか?)などである。生理、出産に伴う穢れとして女性差別にもつながる。聖地への<女人禁制>や時代錯誤な大相撲<土俵での女性差別>にもつながる。そして、言うまでもなく<被差別部落>の人々への<差別・偏見のもと>である。

俺の母は、幼い時、手を引いて近所の神社をお参りする時たまに俺だけ鳥居をくぐらせ、自分は鳥居の脇を通ってお参りすることがあった。今ならそれが生理の日であったことは、容易に想像がつくが当時は幼心に「妙なことをする」と思ってみていた。ことほど左様に「穢れ」による差別意識の根は深いのだ。

「もののけ姫」では、大量の火をつかい、鉄を作る<聖なるたたら場(製鉄所)>の労働力の中心に(穢れてるはずの)女性たちを置き、経営者のえぼし(烏帽子?)自身も女である。「誰もが恐れて近づかない」一角で癩病者に居場所といたわりと仕事を与えている。また、その仕事が殺人の兵器開発という皮肉!。

数え上げればきりがない多くの矛盾と限界、境界(境い目)を抱え込みながら、物語自体はまとまりよく流れていく。ただ「これはどういうことだろう」、「これは何を象徴しているのだろう」と、ふと立ち止まると案外と底の見えない淵に立たされている気にさせられる。
 
奈良朝の五色の賤(陵戸、官戸、公奴婢;家人、私奴婢)や平安朝の朝廷に降伏、移住させられた蝦夷<俘囚(ふしゅう)>、中世の下人・所従などは<奴隷>的存在であろう。

中世の散所?、芸能民や山水河原者と呼ばれた存在から江戸の穢多・非人へとつながる<被差別民>の系譜と<奴隷的存在>の系譜との違い、関係性が、俺には未だにわからない。どうしても整理がつかない。わかりたい!、知りたい!のだけれど、どうしてもわからない。誰も教えてくれない。時代から忘れ去られている。

しかし、「もののけ姫」が構想16年、制作3年と言われた1990年代は、網野史学が席巻し、横井清さんらをはじめ日本史学会が果敢にこの差別・非差別の問題に切り込んでいた。そんな中、白土三平の「カムイ伝」も1970年代、80年代と変わりなく、大いに読まれていた。今、そういう熱気は日本から消え失せた気がする。

何のための歴史学だ・・・?と正直思う。「もののけ姫」は、1990年代まで日本史学会が持ち続けていた本当の意味での挑戦的なアカデミズムの集大成のような作品だったのではないかと思う。しかし、そのあとに続くものがない。

鑑賞後に調べてみて、宮崎駿監督が堀田善衛と司馬遼太郎の愛読者あり、司馬さんらと対談集「時代の風音」(朝日文芸文庫:1992)を出していて、俺はそれを蔵書しているのが分かった。「もののけ姫」に網野善彦の影響があるのはよく知られているが、宮崎駿と司馬、堀田両氏との交流も見逃せない。できれば近いうちに「時代の風音」(朝日文芸文庫:1992)なども読んでみたいと思う。

以下、断片的に、
・冒頭、蝦夷の集会所が、鳥取県三仏寺投入堂(奥の院)によく似ていた。
・はじめの方で出てきた市場のシーンは有名な備前福岡の市をモデルにしてるのかな。
・サンという少女は、どういう経緯でシシガミの森に捨てられたのか。
・ディダラボッチとなる夜のシシガミの姿は何となく腑に落ちる。一方で、昼のシシガミの姿、特に顔のモデルは俺には恐ろしげに感じる。それでいて既知の印象を受ける。いったい何なのか。オリジナルと言っても、そこにはやはり何かもとになる複数の図像や発想があるはずだろう。その<もとになるもの>が知りたい。
・祟り神となったイノシシの体から出てくる粘り気を伴なう生き物のような<にょろにょろ>は何なのか。何の象徴なのか。
・朝日を受けたシシガミ(ディダラボッチ)が倒れて、すさまじい旋風を引き起こした後、アシタカの祟り(おそらく癩病)のあとは癒され薄くなり、湖に避難していた癩病の女性は癒され治っていた。一瞬のシーンだが印象的だった。このシーン(特に後者)は「何のためにつけられたのだろう」「アシタカはともかく、この女性ひとりの癩病が癒されても、癩病に苦しむ人間はどんどん生まれ続けるのだ。単なるハッピーエンドの象徴としては軽すぎるだろう・・・?」「それとも業病に苦しむ癩病者として差別され居場所のない人々の癩病という病を取り除いた下にはこんなに<健やかで美しい人間性>があることを見せつけているのか、そのために必要だったのか」これもまた考えさせられるシーンだった。

181025 一年前:7 010 津野田興一「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書:2013)感想4

2018年10月26日 01時28分32秒 | 一年前
10月25日(木):
7 010 津野田興一「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書:2013)感想4
10月25日(水):  267ページ     所要時間1:40     アマゾン323円(66+257)著者48歳(1965生まれ)。東京都立大学人文学部史学専攻卒業、同大......


8 017 佐藤優「知性とは何か」(祥伝社新書:2015)感想4+→11月4日 感想5

2018年10月26日 00時46分46秒 | 一日一冊読書開始
10月25日(木):  

266ページ    所要時間1:25(11月4日重点的に再読2:00)   古本市場216円

著者55歳(1960生まれ)。

今日買って、今日目を通した。1ページ15秒の<縁結び読書>、<偵察読書>である。まじめに読めば、6~8hはかかるだろう。そんな時間も体力もない。今日買ったという微熱であっても利用しなければ、このまま終わってはもったいない。ふと「眼だけでも這わせてみよう」という気になって勢いでやった。

各ページを読み取ることは出来ていないが、章ごとにだいたいどういうことを言いたいのか、雰囲気は辛うじてわかる。それを通じて、著者の立ち位置も感じることができる。著者の社会や時代を見る<知性>には、非常にしっかりした筋が通っている。俺自身が共感し学びたいと思わせられる十分な内容がある。

少しだけ付箋もした。本書は「再読の価値がある」と確認できた。

【目次】第1章 日本を席捲する「反知性主義」-安倍政権の漂流/第2章 歴史と反知性主義ーナショナリズムをどうとらえるか/第3章 反知性主義に対抗する「知性」とは?(1)言葉の重要性/第4章 反知性主義に対抗する「知性」とは?(2)反知性主義の存在論と現象論/第5章 どうすれば反知性主義を克服できるか?/第6章 知性を身につけるための実践的読書術

【内容情報】いま、日本には「反知性主義」が蔓延している。反知性主義とは、「実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」だ。政治エリートに反知性主義者がいると、日本の国益を損なう恐れがあると、著者は主張する。実際、その動きは安倍政権下で顕著だ。麻生副総理の「ナチスの手口に学べ」発言や、沖縄の基地問題を巡る対応などに、それは現われているといえるだろう。本書では、この反知性主義が日本に与える影響を検証し、反知性主義者に対抗するための「知性」とは何かを考える。あわせて、本当の知性を私たちが身につけるための方法も紹介する。///ナショナリズム、歴史修正主義、国語力低下…日本を蝕む「反知性主義」。それに負けない強靱な「知性」を身につけるには?

※11月4日(日):
 仕事の出張先で時間があまり、付箋をしたところを重点的に見直して、横線を引いた。読めば読むほど味わいが出る。
 感想5に変更する。

8 016 齋藤孝「10分あれば書店に行きなさい」 (メディアファクトリー新書:2012)感想3+

2018年10月25日 00時52分05秒 | 一日一冊読書開始
10月24日(水):  

198ページ     所要時間4:00      ブックオフ108円

著者52歳(1960生まれ)。

先日久しぶりに大型書店に足を踏み入れた。古本屋や図書館ではついぞ味わえない何とも言えない感覚に襲われた。欲しくて仕方がない本がたくさんあることへの驚きと買えない切なさ。取り残されて追いつけない、いたたまれないような焦り。でも、ピカピカの魅力的な本に囲まれた幸福感。複雑な気分だった。「もういい年なんだし、寿命の先も見えてるんだし、これまで真面目に働いてきたんだから、本ぐらい新しいのを何冊だって買ってもいいだろう」と自分に呼びかけるのだが、「新本一冊900円で、古本5~8冊は買える」と思うとやはり心にストップがかかる。うーん、つらいなあ・・・。

悪い印象の本ではない。大した本でもない。本好きによる本好きのための提案が満載された書である。共感できるところがたくさんあった。俺は著者と藤原和博の「世渡り上手」の印象がよく似ていると感じているのだが、本書では決定的とも言えるスタンスの違いを見つけた。

藤原和博は、「必要最小限の本だけを手元に残して、読んだ本はすべて処分してしまい図書館を活用する」と言っている。これに対し、著者は数万冊に上る蔵書をもち、「本は手放さないで、本棚に並べておくのが肝心。その並べ方を<編集>することによって常に新鮮な発想につなげる」と述べている。

勿論、俺は蔵書派の著者を支持する。俺の部屋の壁に作り付けた本棚に並んだ本を眺めるのは俺にとって至福の一つである。     

【目次】序章 書店の潜在能力を、あなたは知らない/第1章 書店で知性と精神力を磨け/第2章 書店はアイデアの宝庫/第3章 コーナー別・書店の歩き方/第4章 書店をもっと使い倒す「裏技」/第5章 「心のオアシス」としての書店/第6章 本への投資を惜しんではいけない/終章 分水嶺の時代

【要旨】忙しい毎日のなかでも、10分あれば書店に行く習慣を身につけよう。アイデアの発想や資料探しも、思うがまま。「今」の空気を感じられるため、雑談のネタを仕入れたり市場調査を行うにも格好の場所といえる。日々書店を利用する齋藤孝が、訪れる準備から棚への目の配り方、集中力を上げるテクニックまで伝える、究極の書店活用術!/// 何かを調べたいとき、ネット検索だけでわかったつもりになる、リンク先のネット書店で関連書を買い「調査終了」のつもりになる…、そんな情報収集では、知識に「広がり」や「深み」は生まれない。街の書店へ行こう!そこでは隣の本から新しいヒントが、平台から時代が、ふと惹かれた本から、気づかなかったあなたの内面が立ち上がるのだ!「世界一、書店通いをした」著者が縦横に語り尽くす、知性を鍛えて明日からの仕事に役立つ、書店の使い方・楽しみ方。

181023 近頃、一番聞きたかった話:古賀茂明「70歳まで働くと年金は失業保険化する? 安倍総理は真実を語れ」

2018年10月24日 00時27分39秒 | 時代の記憶
10月24日(火):   

俺の父親は55歳で定年を迎えた。その後しばらくは働いていた。俺も今や父親の定年の年齢を越えて、50代後半で体はがたがたである。「70歳まで元気で働け」というアベの無神経な言葉を聞いていて「おいおい、おまえ正気かよ?!」と最近ずっと思い続けていた。65歳までも正直言って、自信はない。青息吐息なのに、70歳まで働けと平気で言える感覚がわからない。国民を奴隷だと思っているのか。

AERA dot.古賀茂明「70歳まで働くと年金は失業保険化する? 安倍総理は真実を語れ」 10/22(月) 7:00配信

  年金は大丈夫だろうか?
  これは高齢者だけでなく、今や、若者にも共通の懸念だ。多くの人々が、老後のことが心配だから、ひたすら働き、ひたすら貯蓄に励む。銀行預金にほとんど金利が付かなくなってから久しく、貯金は少しも増えない。株を買えと政府は勧めるが、そもそもそんな余裕がないし、そんな言葉を信じてよいのかもわからない。八方塞がりの庶民は、ますます将来が不安になって、財布のひもを固く締める。消費は伸びず、円安の恩恵を受けた大企業や一部の富裕層だけが「好景気」と「不動産バブル」の恩恵を享受するといういびつな経済状況には変化の兆しが見えない。
  政治状況を見ても、「格差拡大」を批判する野党は頼りなく、安倍一強には陰りが見えると報道されるが、その割に内閣支持率はかなり高いままだ。他に有効な選択肢がないからなのだろうが、今の政権の経済政策の恩恵を享受できない庶民にとって、それは当分希望がないというのと同義だ。
  そんな不安な状況が続いても、政府はいつもいい加減な経済予測を作って、「年金は大丈夫」と言い続けている。最後に行われた2014年の「財政検証」でも、「100年安心」の標語は変わらなかった。厚生年金保険料率は若干の引き上げを行うが、18.3%を上限として固定し、年金受給開始年齢を65歳に引き上げることにより、現役世代の平均的な所得に比べて現在の6割程度よりは下がるが、概ね5割以上の年金を支給するというものである。そして、これが実現できれば、まずまずだと考えられてきた。そして、今年は2018年だから、最後の検証から4年しか経っていない。
  しかし、安倍政権は、ついに、年金破たんに備えた具体的な準備に着手した。もちろん、「このままでは破たんです」とは口が裂けても言わない。来年の統一地方選と参議院選挙が終わるまでは、とにかく有権者に余計な心配をさせないように、「明るい未来が待っている」かのような装いで、長寿化社会の負の側面を徹底的に隠しながら、年金改革の下準備を始める作戦なのだろう。そして、参議院選が終わったら、驚きの「年金大改革」に乗り出すことになるのは確実な情勢だ。
  そもそも、年金制度がスタートした1961年の平均寿命は男66歳、女71歳だった。しかし、長寿化によって、2017年には男81歳、女87歳まで寿命が延びたことにより、年金を受け取る平均期間が大幅に延びている。さらに、生産年齢人口が減り、今は現役世代2人で高齢者1人を支えているが、少子高齢化はこれからさらに深刻になり、60年には1.3人で一人を支える計算だ。そして、そのこと自体、今からどんな努力をしたとしても変えることができない。
  こうした状況を見れば、抜本的な改革か大増税でもしない限り、いずれ年金制度が立ち行かなくなるのは自明なことのように見える。だから、難しい知識はなくても、誰もが不安を感じている。そして、専門家も、そもそも政府の試算は、非常に現実離れした楽観的な前提に立っており(ここでは、この点についての詳しい解説には立ち入らないが)、実現不可能なシナリオだと具体的に指摘し、批判している。どう考えても、この制度を「100年安心」などと偽り続けることはできないところに来ているというのが現実だ。
  もう間もなく迎える2019年は、5年に1度行うことになっている年金制度の検証(財政検証)の年だ。この機会に、年金制度を根本から見直して、必要な対策を一日も早く採ってもらいたいというのが、国民の切なる願いだろう。

■「生涯現役」でバラ色の老後を演出しようとする安倍総理
  こうした国民の不安と関心をとらえて、安倍総理は、自民党総裁選の公約などで、「生涯現役社会」などという夢のある言葉を連発した。その中で、生涯現役を目指す人は、70歳を超えても年金受給をせずに働き続けたいと考えるはずだということで、「受給開始年齢を70歳を超える年齢とする選択も可能にする仕組みづくりを3年で断行したい!」と声高に訴えた。
  もちろん、そんなことを言っても、70歳までみんなが働けるのかという声が出る。そこで、まずは、現在企業に課されている65歳までの雇用義務を70歳まで引き上げることを検討するとしている。当初は義務ではないが、おそらく、将来的には義務化ということになるだろう。
  70歳まで働ければ、老後を年金に頼る高齢者は減る。さらに年金の繰り下げ受給(現在の制度では、受給開始を1カ月遅らせるごとに0.7%ずつ、年金額が上乗せされる)を奨励し、なるべく70歳以上まで年金をもらわないように促していく。安倍総理が、これらによって年金財政への負担を緩和しようと狙っているのは明らかだ。
  年金が70歳までもらえないと言うと、国民に大きな不満が出る可能性がある。ロシアのプーチン大統領が年金受給開始年齢を男性60歳、女性55歳から段階的にそれぞれ65歳と63歳に引き上げる案を出した途端、国民は強く反発し、各地でデモが起きた。慌てたプーチン大統領は、女性について、63歳とした案を60歳に引き下げると提案し直したが、それでも8割前後あったプーチン氏の支持率はつるべ落としに下がって、調査によっては3割台にまで下落した。年金の受給開始年齢引き上げは、政治家にとって、時に致命傷となることを示している。
  しかし、だからと言って、日本の場合も、この問題に手を付けなければ、本当に年金破たんというリスクが顕在化するかもしれない。したがって、その制度を持続可能な仕組みに変えようとする安倍総理の目的は大きな意味では正しいと言ってよいだろう。このままでは若い世代の負担はさらに重くなり、世代間の公平も保てなくなる。やらなければならないのなら、早く手を付けた方が良い。これは、政権が自民党か立憲民主党かと言ったことにかかわらず、誰かが手を付けなければならない国民的課題なのだ。
  ただし、現在安倍総理が採っている改革の手法には疑問が残る。総理は「一億総活躍社会」のかけ声のもと、「生涯現役で働ける仕組み」「70歳でも元気に働ける社会」など、バラ色の夢ばかりを語っているが、それでは、とても真実を語っているとは言えないからだ。こんなことをしていると、いずれ、国民は騙されたと怒り、必要な改革が政治的に実行不可能になってしまうかもしれない。 

■「勤勉な」国民に年金繰り下げ受給を勧めると何が起きるか
  私は、雇用延長と年金の繰り下げ受給が定着すれば、日本国民の「勤勉な」国民性のために、年金制度の性格は様変わりするのではないかと見ている。どういうことが起きるのだろうか。
  70歳まで働けますということになれば、人生100年と言われて不安に駆られる高齢者の多くは、多少無理してでも70歳まで働くだろう。さらに、その先には、後期高齢者になる75歳くらいまでは働けるという声が出て来る。現に75歳でも元気な人はたくさんいる。75歳雇用はすぐそこに来ていると思った方が良いだろう。その先には80歳雇用が待っている。
  当然、働き方も変わる。これまでは、60歳を過ぎると、再雇用される人が大半で、給料が半分くらいに大きく下がる代わりに仕事も軽くなるケースが多かった。しかし、今後70歳まで、あるいは、75歳まで働こうと言われても、今のような仕組みのままでは、働く意欲を失う人が出て来るだろう。そういう人が増えると企業にとってのお荷物になるので、最近は、「いかに高齢者にやる気を出させるか」が大きな課題として企業の間で議論されている。
  具体的には、やりがいのある仕事にするために、真面目に頑張れば、給料もボーナスも増える仕組み、昇進もある仕組みなどがもてはやされている。「高齢者も切れ目なく活躍してもらい、充実した人生にしてもらいたい」という経営者の言葉を聞くと、素晴らしいことだと感じる人もいるかもしれないが、それは、高齢者も最後まで(死ぬまで)競争社会を生き抜きましょうと言っているのと同じだ。もちろん、頑張ったかどうかは厳しく評価されることになり、75歳だから大目にということにはならない。
  おそらく、マスコミも、「75歳で昇進した○○さんの輝く笑顔」というような報道をするようになるだろう。「頑張り屋」が高く評価される社会は当たり前だという声が広がって行く。こうして、企業は人手不足の中で、生涯頑張って働く高齢者を戦力として期待できるようになるのだ。

■「生涯現役」で年金の失業保険化へ
  こうなると、とにかく生きていて、体が動く限りは働くのが当然だという価値観が蔓延して来る。ほとんどの人は働けるのだから、年金受給開始は、原則65歳から68歳、そしてすぐに70歳、いや75歳まで上げるべきだという意見も増えるはずだ。給料を結構もらう人が増えてくれば、給料をもらっているのだから、健康保険料だけではなくて、年金保険料も払い続けるべきだというような声も出て来るだろう。
  日本社会の特徴は、同調圧力が非常に強いことだ。世の中の流れに逆らって、「元気だけど働かない」という選択をすると、年金財政が苦しい中で、自分の生活さえ良ければいいと考えて努力しないのは非国民だというような目で見られたり、あるいは、そんな贅沢ができるのかと妬まれたりする。さらに進んで、「働かずに遊んでる奴らには年金を払うな」などと、厳しい声が投げかけられることになるかもしれない。挙句の果てには、働ける間は年金を払わないという制度改正が行われることもないとは言えないだろう。
  もちろん、病気などで働けない人は、働かなくても年金をもらうことは認められるだろうが、何となく後ろめたい気持ちにならざるを得ない社会の雰囲気になって行くような気がする。他の人たちは、働いて年金ももらわず、保険料まで納めているのに、自分は年金のお世話になっているという負い目を感じる社会になるのだ。こうなると、年金は、もはや失業保険や生活保護と同じような性格になってくる。働きたいが仕事が無いときに限り年金というのであれば、年金の失業保険化だし、身体を壊して働けないから年金ということであれば、年金の生活保護化と言ってもよいだろう。運が悪くてかわいそうな人のための制度というイメージに変わってしまうのだ。

■「老後をのんびり楽しく」という庶民の夢は消えるのか
  つい、この前までは、60歳以降の雇用を人生の余禄(よろく)ととらえるシニアも多かった。しかし、これからは、せっかく活躍の場が広がっているのに機会を生かさないのはもったいないと言われ、家でのんびりしていても落ち着かない、そんな気分になる社会が、もう始まっている。
  そういう社会が本当に幸福な社会なのだろうか?と考えて、私は、バートランド・ラッセルの「怠惰への讃歌」を思い出した。
  私は、元々怠惰なのか、そもそも、何のために働くのかときかれれば、それは、楽な暮らしをするためだと答える。「働くことは社会のためだ」とか、「働くことに生きがいを感じるはずだ」と言われてもどうもしっくり来ない。こう言うと、「働く喜びがわからないなんてかわいそうだね」「働くことは、労働ではなくて、創造だよ」とか「自己実現だ」「社会貢献だ」「人間としての義務だ」とか、「単なる道楽と同じで楽しいもんだよ」などと言ってくる恵まれた? 人もいそうだ。
  しかし、私は、お金をもらって働くのではない活動の方に喜びを感じ、のんびり老後を過ごしたいと思う人たちがたくさんいる社会がおかしな社会だとは思わない。
  ただ、それは人の価値観によるから、その是非を議論しても仕方ないだろう。
  むしろ、私が心配なのは、日本の社会保障制度が、そんな価値観の議論などしても全く意味がないほど深刻な状態になっているのではないかということだ。
  普通の人に、「老後はのんびり」などということを許せるほど、日本の経済も財政もゆとりはない。とにかく働けるなら働いてもらうしかない。働いて保険料を納める側に回ってもらわなければ、制度が持続可能ではない。だから、働けるなら働いて、保険料も納めてもらうしかない。それが今日の状況なのではないだろうか。
  そして、そう考えているのは、決して私だけではないはずだ。おそらく、かなりの人は、そう言われても、「やっぱりそうだったのか」と思うだけ。それが、多くの人の実感かもしれない。

■安倍総理は真実を語るべき
  安倍総理は、今の制度が持続可能でないことを率直に国民に語るべきだ。「高齢者が活躍できる社会」などという耳に心地よい言葉で、改革に伴う「負の側面」を隠そうとしてはいけない。
  「働ける間は働こう」「若い世代の負担を軽減するために、収入のあるうちは高齢者も保険料を払おう」「しかし、老いや病気で本当に働けなくなった時にはしっかり国が老後の面倒を見る。そんな年金制度に根本から変える時が来た」「それが嫌なら、大幅な保険料引き上げか増税を受け入れよう」――そう国民に正直に語りかけ、少子高齢化社会に対応した新しい年金制度を再構築する議論を急いでスタートさせるべきだ。
  しかし、現実はそううまくはいかない。残念ながら、安倍政権の戦略は、来年夏の参議院選までは、厳しいことは言わず、ただ、70歳までの雇用延長だけを打ち出して人気取りをするということのようだ。選挙が終われば、前述した年金関連の厳しい話はもちろん、医療や介護などあらゆる面での「改革」、すなわち、年金支給開始年齢の引き上げ、様々な給付の切り下げと負担の引き上げの議論が本格化する。ただし、企業や富裕層に大きな負担をかける選択肢は採用されない。あれよあれよという間にそれらが実現し、中負担低福祉の格差社会になって行く可能性がかなり高いのではないか。私には、そう思えてならない。

8 015 重松清「十字架」(講談社文庫:2009)感想4+

2018年10月23日 00時16分12秒 | 一日一冊読書開始
10月22日(月):      

395ページ      所要時間6:20     古本市場86円

著者46歳(1963生まれ)。

安く手に入れたと思っていたら、すでにブックオフ108円で買ってあった。本書を俺は二冊所有している。俺の本棚にはこのパターンが結構多い。何をしていることやら・・・。

どうして著者はこんなに微妙な心の機微を書き続けられるのだろう。感想4+は、終わりまで読み通してだった。「いじめ」を題材にした作品ということで、「何か良い知恵でものってないか」という気分で手に取った。しかし、描かれているのは、取り返しのつかない事実を突きつけられることばかり。いじめの傍観者にこそ焦点をあてた内容は、時として理不尽であり、そこまで責任を感じさせること自体に物語りとして無理を覚えた。

それでも著者の筆力と、いじめ見殺し自殺の傍観者への責任追及という切実なテーマに引っ張られて、最後まで読んだ。前半は、重い内容に対してあまり面白くなかった。日を改めて、後半を読んで、いじめ自殺で子供を失った親の思いに出口は無い。20年近い時の流れの中で、やや薄明がさすが、決して明るくはならない。親の悲しみは死ぬまで続く。恨みや憎悪は消えても、決して赦されることはない。面白くないが、苦痛を覚えず最後まで読み通し、それなりの満足感を覚えることができた。

著者は、何かを一義的に決めつけることをしない。でも、こういうことだったかもしれない、と多義的に捉える。それが心地よく腑に落ちる。構想4年、執筆2週間。

結婚をして、息子が生まれて、父親になった。/略。僕はいま、この子が僕の息子として生まれてきたことを、無条件に喜んでいる。誰かと比べてどうこうというのではなく、自慢の息子で、僕のなによりの誇りは、自分がこの子の父親だということにある。327ページ

【目次】いけにえ/見殺し/親友/卒業/告白/別離/あのひと
 
【内容紹介】いじめを止めなかった。ただ見ているだけだった。それは、「罪」なのですか――?/自ら命を絶った少年。のこされた人々の魂の彷徨を描く長編小説。///いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。吉川英治文学賞受賞作。

181019 一年前:171019 無党派層の皆さま、「立憲民主党」に<戦略的集中投票>をお願いしますm(_ _)m! ※自公暴走・アベ戦争改憲阻止のためです!

2018年10月19日 23時09分12秒 | 一年前
10月19日(金):
171019 無党派層の皆さま、「立憲民主党」に<戦略的集中投票>をお願いしますm(_ _)m! ※自公暴走・アベ戦争改憲阻止のためです!
10月19日(木): ※夕方、期日前投票に行ってきました。手続きは簡単でした。”選挙区”に立憲民主党候補がいないので、前原詐欺師に騙された「前民進党の希望の党」候補に投票し、”......


181016 一年前:7 008 池上彰「この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 」(文芸春秋:2013)感想4+

2018年10月16日 21時46分04秒 | 一年前
10月16日(火):
7 008 池上彰「この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 」(文芸春秋:2013)感想4+
10月15日(日):    副題:池上彰教授の東工大講義 日本編253ページ     所要時間4:40     アマゾン461円(204+257)著者62歳(1950生まれ......

181014 一年前:171014 山本太郎は信用できる!日刊スポーツ:山本太郎氏「戦略的投票を」海江田氏らをはしご応援

2018年10月15日 00時30分43秒 | 一年前
10月14日(日):
171014 山本太郎は信用できる!日刊スポーツ:山本太郎氏「戦略的投票を」海江田氏らをはしご応援
10月14日(土):   衆院選の有権者に“戦略的投票”の必要性を訴える自由党の山本太郎共同代表(撮影・村上幸将)(外部リンク:http://www.taro-yamamoto.......


8 014 六六(リュウリュウ)「上海、かたつむりの家 (青木明子訳)」(プレジデント社:2012)感想3+

2018年10月13日 23時36分08秒 | 一日一冊読書開始
10月13日(土):      

446ページ     所要時間7:00     アマゾン719円

著者42歳くらい?(1970年頃生まれ?)。

もう一度読み返そうという気にはあまりならない。物語の終わり方が気に食わない。あまりにも粗雑、お粗末な感じである。急転直下と言えば、聞こえは良いが読者を置き去りにして「何してるの?」、中国的?勧善懲悪?であっという間に終わった。余裕も必然性のかけらもない。ここまで物語りを引っ張ってきたのであれば、もう少し丁寧な描き方で終わらせたらどうだ!、と少し怒りに近い感情を抱いた。

弱肉強食上等!”法治”でなく”人治”がのさばり、賄賂、収賄、ごますり、便宜供与がはびこる究極のコネ社会の中で金欲、物欲、性欲(愛人)、支配欲が、堂々巡りのようにのたうちまわり続ける。いささか食傷気味で「またかよ、もうわかったから、もうその辺でやめておいてよ。」というシーンが繰り返された挙句が冒頭の結末である。これを現代中国的というのであれば、そうなのかもしれないが、少なくとも日本的情緒とは異なる気がする。まあ、日本的感性というのも質の低いものはあるが・・・。

【内容紹介】中国じゅうを熱狂させ、突如打ち切りとなったテレビドラマ『蝸居』の原作。中国人さえ「大事実了!(あまりにもリアルすぎる!)」と驚愕した大ベストセラー小説。地方出身、大卒、共働き、離れて暮らす子どもひとり……。上海で暮らす若いカップルのささやかな夢は、“かたつむりの殻のような狭すぎる住まい”から一刻も早く抜け出すことだった。
貧富の差の拡大、拝金主義、住宅問題、官僚の汚職、ローン地獄……。上海を舞台に、中国人男女4人(+もう1人:もみ注)の可笑しくてやがて切ない夢と希望と現実を100%リアルに描く、かつてない問題作。
──中国人は年収の100倍近い家をどうやって買うのか? /──発覚すれば厳罰なのに、なぜ公務員は汚職を繰り返すのだろう? /──中国人のホワイトカラーは日系企業をどう見ているのだろう? /──中国人のイメージする「日本人」とは?
「中国の不思議」を解き明かしてくれる本書は「小説上海現代史」の側面をもつ。小説としてはもちろん、中国に、上海に関わり関わろうとする人、今のリアルな中国を知りたい人の参考書がわりとなる1冊。


【64ある目次より抜粋】貯金の増える速度は物価上昇の速度に、永遠に追いつかない/処女のような新築の家が欲しいの/消費は欧米にならえ、収入は南米・アフリカにならえ/先に豊かになった人のために奉仕する/結婚なんて、つまりは金勘定よ/彼女にとって、家とはお墓なんです/残業はアジアの文化だ/愛人のいる男の生活はブルーカラーと同じである/心の傷はなんとかなっても、面子をなくしたら男は終わり

よろしければ以下の記事もどうぞご覧下さいませ。中国は魅力ある永遠のテーマですm(_ _)m。
7 105 原口純子+中華生活ウォッチャーズ「踊る中国人 21世紀完全増強版」(講談社文庫:1997/2002)感想4
7 037 星野博美「転がる香港に苔は生えない」(情報センター出版局:2000)感想 特5
6 041 中井貴一「日記 「ヘブン・アンド・アース」中国滞在録」(キネマ旬報社:2004.2)感想4+
111冊目  池上彰「そうだったのか!中国」(集英社;2010(2007))  評価5
0074 ユン・チアン「ワイルド・スワン(単行本・上)」(講談社;1993) 感想 特5
0078 ユン・チアン「ワイルド・スワン 土屋京子訳(単行本・下)」(講談社;1993) 感想特5

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)