10月27日(土):
昨夜「もののけ姫」の放送録画を観た。故合って3日前にもDVD録画を観ている。3日前に見たDVD録画よりも、昨夜の放送録画の方が音声が鮮明だった。その分、前に聞き取れなかった部分が聞き取れた気がする。「もののけ姫」は数えきれないほど見直してきたが、そのたびごとに新たな感慨と前向きな疑問を与えてくれる。
「穢れ」とは、”け(生命力)枯れ”を引き起こすものだろう。それは死、血液、怪異(癩などの病者も含まれるか?)などである。生理、出産に伴う穢れとして女性差別にもつながる。聖地への<女人禁制>や時代錯誤な大相撲<土俵での女性差別>にもつながる。そして、言うまでもなく<被差別部落>の人々への<差別・偏見のもと>である。
俺の母は、幼い時、手を引いて近所の神社をお参りする時たまに俺だけ鳥居をくぐらせ、自分は鳥居の脇を通ってお参りすることがあった。今ならそれが生理の日であったことは、容易に想像がつくが当時は幼心に「妙なことをする」と思ってみていた。ことほど左様に「穢れ」による差別意識の根は深いのだ。
「もののけ姫」では、大量の火をつかい、鉄を作る<聖なるたたら場(製鉄所)>の労働力の中心に(穢れてるはずの)女性たちを置き、経営者のえぼし(烏帽子?)自身も女である。「誰もが恐れて近づかない」一角で癩病者に居場所といたわりと仕事を与えている。また、その仕事が殺人の兵器開発という皮肉!。
数え上げればきりがない多くの矛盾と限界、境界(境い目)を抱え込みながら、物語自体はまとまりよく流れていく。ただ「これはどういうことだろう」、「これは何を象徴しているのだろう」と、ふと立ち止まると案外と底の見えない淵に立たされている気にさせられる。
奈良朝の五色の賤(陵戸、官戸、公奴婢;家人、私奴婢)や平安朝の朝廷に降伏、移住させられた蝦夷<俘囚(ふしゅう)>、中世の下人・所従などは<奴隷>的存在であろう。
中世の散所?、芸能民や山水河原者と呼ばれた存在から江戸の穢多・非人へとつながる<被差別民>の系譜と<奴隷的存在>の系譜との違い、関係性が、俺には未だにわからない。どうしても整理がつかない。わかりたい!、知りたい!のだけれど、どうしてもわからない。誰も教えてくれない。時代から忘れ去られている。
しかし、「もののけ姫」が構想16年、制作3年と言われた1990年代は、網野史学が席巻し、横井清さんらをはじめ日本史学会が果敢にこの差別・非差別の問題に切り込んでいた。そんな中、白土三平の「カムイ伝」も1970年代、80年代と変わりなく、大いに読まれていた。今、そういう熱気は日本から消え失せた気がする。
何のための歴史学だ・・・?と正直思う。「もののけ姫」は、1990年代まで日本史学会が持ち続けていた本当の意味での挑戦的なアカデミズムの集大成のような作品だったのではないかと思う。しかし、そのあとに続くものがない。
鑑賞後に調べてみて、宮崎駿監督が堀田善衛と司馬遼太郎の愛読者あり、司馬さんらと対談集「時代の風音」(朝日文芸文庫:1992)を出していて、俺はそれを蔵書しているのが分かった。「もののけ姫」に網野善彦の影響があるのはよく知られているが、宮崎駿と司馬、堀田両氏との交流も見逃せない。できれば近いうちに「時代の風音」(朝日文芸文庫:1992)なども読んでみたいと思う。
以下、断片的に、
・冒頭、蝦夷の集会所が、鳥取県三仏寺投入堂(奥の院)によく似ていた。
・はじめの方で出てきた市場のシーンは有名な備前福岡の市をモデルにしてるのかな。
・サンという少女は、どういう経緯でシシガミの森に捨てられたのか。
・ディダラボッチとなる夜のシシガミの姿は何となく腑に落ちる。一方で、昼のシシガミの姿、特に顔のモデルは俺には恐ろしげに感じる。それでいて既知の印象を受ける。いったい何なのか。オリジナルと言っても、そこにはやはり何かもとになる複数の図像や発想があるはずだろう。その<もとになるもの>が知りたい。
・祟り神となったイノシシの体から出てくる粘り気を伴なう生き物のような<にょろにょろ>は何なのか。何の象徴なのか。
・朝日を受けたシシガミ(ディダラボッチ)が倒れて、すさまじい旋風を引き起こした後、アシタカの祟り(おそらく癩病)のあとは癒され薄くなり、湖に避難していた癩病の女性は癒され治っていた。一瞬のシーンだが印象的だった。このシーン(特に後者)は「何のためにつけられたのだろう」「アシタカはともかく、この女性ひとりの癩病が癒されても、癩病に苦しむ人間はどんどん生まれ続けるのだ。単なるハッピーエンドの象徴としては軽すぎるだろう・・・?」「それとも業病に苦しむ癩病者として差別され居場所のない人々の癩病という病を取り除いた下にはこんなに<健やかで美しい人間性>があることを見せつけているのか、そのために必要だったのか」これもまた考えさせられるシーンだった。