8月22日(月):
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※朝日新聞の
安倍・麻生の犬、アイヒマン曽我豪は、安倍に対する薄っぺらな
阿諛追従のコラムを、朝日の購読者である我々に読ませる前に、
まず本書を読め!。そうすれば自分がどれほど恥知らずで醜い存在であるかがわかるだろう。穢れたコラムを破棄したくなるだろう!
232ページ 所要時間3:45 図書館→読了後、付箋の山を見ていて発作的にアマゾンに発注697円(440+257) 高い!痛い!
著者58歳(1958生まれ)。
著者自身の人生を振り返る形で、手探りしてきたジャーナリストという仕事のあり方についての考えを述べる。著者は自らの弱さについて正直に語りながら、現代のジャーナリスト、メディア関係者のあり様に対して厳しい目を向ける。著者ははじめから反権力のジャーナリストを目指してきたわけではないが、様々な事件を通じて権力側に立つ者たちの信じられないような理不尽さ・権力志向・差別意識を思い知るなかで自然と今の立場になった。
最近、ジャーナリズムが卑賎な仕事に見えてきていたが、本来のジャーナリズムの姿を見せてくれる内容だ。最近、どんどん深まっていく日本社会の変化に対するいわく言い難い「こんな国じゃなかったはずだが…」という違和感に承認を与えてくれる内容だ。崩れそうな戦後日本の平和と人権を護りたいと思う人々の指針になる内容だ。著者が本書で述べる内容について、その弱さも含めて、ほぼすべて俺は腑に落ちて同意できる。
著者と俺の考え方や感性は、ほぼ同じだ。
本書を読んでると、池上彰さんは言っていいことと言ってはいけないことを上手に使い分けて、マスコミを泳いでいるのがよくわかる。池上彰さんを俺は支持するが、もう少し踏み込んでほしい気はする。例えば、三浦朱門や江崎玲於奈の優生学的教育思想などは池上さんは話さない。でも
池上彰さんには、今のままうまく泳ぎ切ってほしいと祈っている。
【目次】
1 ジャーナリストって何だろう?:ジャーナリストの基本とは/誰のためのジャーナリズムか/「知」への課税?/「ジャーナリズム」は死語なのか?/ジャーナリズムと権力/六〇年安保闘争における「七社共同宣言」/情報の宿命/情報が氾濫する中で/危機の時代に
2 取材のイロハ―新聞の世界に飛び込んで:真っ白い表紙の衝撃/「ニュージャーナリズム」の新しさ/鉄屑屋という家業/「シベリア帰り」の息子だから?/行き当たりばったりの末,新聞記者に/業界紙の記者としてのスタート/何を聞いたらよいか/質問する力とは/特ダネを手がける/取材対象者との関係性の難しさ/抱き始めた仕事への疑問/何のための記者なのか/記者クラブをどう考えるか/問われるべきものは/「研修日報」より
3 「なんでも取材してやろう」―週刊誌記者の世界へ:「取材の幅を広げたい」/週刊誌記者としての新たな一歩/週刊誌記者としての最初の手ごたえ/情報を引き出すために/「詐欺事件」の原点にあったもの/取材相手との関係/東京電力とマスコミ/取材した事実と記事の内容/容疑者家族の訴え/取材し,報道することがもたらす傷/再びの疑問/経済社会と人間のかかわりをテーマに/「自分で人事異動」の成果
4 誰の視点に立つか―フリーであることの意味:「二年で辞めなさい」/「梅田事件」をめぐって/善意の市民を「犯人」に/週刊誌に求められる取材方法への違和感/「あの人はいま」の取材で/フリージャーナリストに/誰も取材したがらないテーマを/公共事業に消えた「国民の財産」/初めての著書/娘を連れて行った病院で/MMRをめぐるさまざまな矛盾/短すぎる一生/取材し報道することの力/人の暮らし,命を軽視する姿勢
5 価値判断が問われる―留学と『機会不平等』をめぐって:フリーで生きていくのに欠けているもの/イギリス留学の成果/多国籍企業の本音/規制緩和の「影」/教育にも「規制緩和」?/「できん者はできんままで結構」/能力は遺伝で決まる?/「平等など大きなお世話」/『機会不平等』の出版/何をもってニュース・バリューとするのか/常に問い続けること
6 岐路に立つジャーナリズム:主張するジャーナリストたらん/改めて問うジャーナリストの役割/「知る権利」の行使こそ使命/「従軍慰安婦」検証報道と朝日バッシング/権力批判は「国益」に反するのか/カン違い記者の横行/ネット言説に引きずられる“プロ”/不可解な『朝日新聞』の対応/「吉田調書」取り消しで何がもたらされるのか/調査報道の否定/くさいものにフタをする習性/歴史はくり返されるのか/安倍政権のメディア・コントロールと「公平中立」の罠/権力を利用するのか,権力に利用されるのか/ジャーナリズムを育ててほしい
おわりに
【内容紹介】
著者の斎藤貴男さんは,「反骨のジャーナリスト」として,多岐にわたるテーマについて取材し,骨太の発信を続けています.この本では,斎藤さんが自らの体験を振り返りながら,ジャーナリズムとは何か,どうあるべきか,などを熱く語ります.いわば,斎藤さんによる〈体験的ジャーナリズム論〉です.
斎藤さんは,業界新聞の記者として自らのキャリアをスタートさせました.「世の中のため」「弱者のため」といった大志を抱いて記者となったわけでなく,「なんとなくカッコいいから」といった憧れも大きかったといいます.しかし,そんな斎藤さんが,その後,週刊誌記者となり,そしてフリージャーナリストとなっていく過程で,メディアのあり方,ジャーナリズムの役割などに真剣に向き合うことになります.誰の視点に立って何を伝えるか.悩んだり,傷ついたり,葛藤しながら,ジャーナリストのすべきことを追求していきます.
メディアなどの職に就くことを目指す人たちだけでなく,日々のニュースをどう見るか,といったメディア・リテラシーを養う本としても役に立つことと思います.また,仕事を通して,社会や自分と真剣に向き合った斎藤さんの体験は,仕事の本質を考えるうえでも,大いに示唆を与えてくれると期待しています.