もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

160830 一年前:150830 安保法案反対デモに参加した。見知った顔もいた。国会前は警察の規制線決壊!

2016年08月30日 23時25分24秒 | 一年前
8月30日(火):
150830 安保法案反対デモに参加した。見知った顔もいた。国会前は警察の規制線決壊!
8月30日(日): *今、5月17日の大阪都構想、住民投票否決のTV録画を観ているが、橋下の嘘つきぶりには呆れ果ててしまう。「僕みたいな政治家はワンポイントリリーフです。それが......


160829 一年前:150828 「辛酸佳境に入る」(田中正造):国会前ハンストの学生 深夜、警察が強制排除匂わし圧力

2016年08月30日 01時19分50秒 | 一年前
8月29日(月):
150828 「辛酸佳境に入る」(田中正造):国会前ハンストの学生 深夜、警察が強制排除匂わし圧力
8月28日(金):「辛酸佳境に入る 楽また其の中に在り」(田中正造)「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変え......


5 068 重松清「小さき者へ」(新潮文庫:2002) 感想3+

2016年08月29日 23時35分37秒 | 一日一冊読書開始
8月29日(月):  

460ページ   所要時間2:05    ブックオフ108円

著者39歳(1963生まれ)。

無性に人と人の言葉のやり取りに触れたくなって手に取った。十分な時間はないので、1ページ15秒のペースで飛ばし読み。それでもいい、温かくなくてもいい、何か丁寧で厚い心の作品に触れたかった。細かいやり取りを読み取ることはできないが、全6話について、どういった内容の物語りなのかは、感じ取ることができた。感想3+はあくまでも、十分な時間をかけて味わえなかったことによるものだ。本書の評価ではない。重松清の作品には、見落とされ、忘れられそうだが、本来あるべき人間の精神が柔らかく息づいている。俺は、それに触れることによって少しだけ元気をもらうことができる。

【目次】 海まで/フイッチのイッチ/小さき者へ/団旗はためくもとに/青あざのトナカイ/三月行進曲

【内容情報】お父さんが初めてビートルズを聴いたのは、今のおまえと同じ歳ー十四歳、中学二年生の時だった。いつも爪を噛み、顔はにきびだらけで、わかったふりをするおとなが許せなかった。どうしてそれを忘れていたのだろう。お父さんがやるべきこと、やってはならないことの答えは、こんなに身近にあったのに…心を閉ざした息子に語りかける表題作ほか、「家族」と「父親」を問う全六篇。

5 067 杉山登志郎「発達障害のいま」(講談社現代新書:2011) 感想5

2016年08月29日 01時38分37秒 | 一日一冊読書開始
8月28日(日):  

259ページ    所要時間4:20    アマゾン376円(119+257)

著者60歳(1950生まれ)。静岡県生まれ。久留米大学医学部卒。あいち小児保健医療総合センター心療科部長などを経て、2010年より浜松医科大学児童青年期精神医学講座特任教授。日本小児精神神経学会常務理事、日本トラウマティック・ストレス学会理事

数年前に著者の『発達障害の子どもたち』を読んで以来、ずっと読みたくて仕方なかった本である。しかし、なかなか値が下がらなくてずっと待っていた。結局、待ち切れずにアマゾンで買ってしまった。

読み始めると、1ページ30秒では歯が立たないのがすぐにわかった。たくさん付箋をしながら読んだが、よく理解できなかった。それでもとてもスリリングな内容が書かれていることは十分にわかった。本書を読んだ後、確かに社会を見る目が変わって新しくなった気がした。一回目を通しただけでは、全く足りない。何度も熟読玩味すべき本格派のテキストである。

従来の精神医学には、発達障害、自閉症スペクトラムを関連付ける視点が欠けていたので、今後学問的枠組みの大きな組み換えが必要な過渡期にきているという立場である。

・(大人の発達障害に関して:)脱線に近いが、このタイプのクレーマーに対応するコツは、発達凸凹の子どもに対応するのと同じ方法でよい。つまり枠をしっかりと示すということだ。必ず複数で対応し、記録をとる。できること、できないことを明確にし、曖昧な口当たりの良い言葉でごまかさない。/子ども本人の側も大体は迷惑をかけまくっているので、その点に関しての事実を正面からきちんと伝える。教育委員会に言いつける云々の言葉にたじろがない。/学校の側が保護者を訴えた裁判があったが、筆者はこのような裁判はどんどんやるべきだと思う。保護者であれば何を言ってもよいというということではないし、学校と保護者とが協力をしあって云々といった情緒的かつ相互的な交流が成立しない基盤がクレーマーの側にもあるからこそ、問題がこじれるのである。/もちろん学校側も、発達凸凹への柔軟な配慮が必要であることはこれまでにも述べてきたが、この点に問題があることと、クレーマーの問題とはまったく別ものである。235ページ
・今日のこころの臨床におけるテーマは、大人子どもを問わず、精神分析ではなく、発達障害とトラウマであると実感する。逆に言えば、この二つの問題に対する十分な知識と技能と経験とを持たなくては、これからのこころの臨床は成り立たないのではないか。257ページ


【目次】序章  母子並行治療をおこなったヒナコ /第一章 発達障害はなぜ増えているのか /第二章 発達凸凹とは /第三章 発達凸凹の可能性 /第四章 トラウマの衝撃 /第五章 トラウマ処理 /第六章 発達障害とトラウマ /第七章 発達障害と精神科疾患 その1 /第八章 発達障害と精神科疾患 その2 /第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 /終章  療育、治療、予防について 

【内容紹介】18万部のロングセラー『発達障害の子どもたち』に、待望の続編が登場!  発達障害児の陰に潜む家庭の問題とは? こころの骨折・トラウマはどう治す?  脳と神経に何が起こっているのか? 「発達凸凹」という新しい考え方とは?  保護者、教育関係者から小児科医まで必読の書。

160828 冷酷な壁片山さつきに対して怒りが収まらない。子どもの貧困問題を絶対的貧困にすり替えて誤解と偏見と差別意識を助長する確信犯だ!

2016年08月28日 14時20分00秒 | 片山さつきは、市民社会の敵、福祉の敵!!
8月28日(日):    

  日本は見下げ果てた国になってしまった!
  国会議員が国民(愚民)の生殺与奪の権を握ると考える冷酷な壁、片山さつきに対する心の底からの怒りが収まらない。6人に1人と言われる「子どもの貧困」、すなはち「相対的貧困」の問題を戦争・独裁や途上国・難民の「絶対的貧困」の問題にすり替えて、世の中の偏見・劣情を助長して弱者切り捨てに向かわせ、「見せしめ」「公開処刑」の人気取りをしようとする穢い確信犯だ!

  相模原市の障害者大量殺人犯の歪みきった価値観の相当部分が片山さつきがもたらす偏見誤解による差別意識とつながっている。片山さつきをたしなめず、言動を野放しにしている安倍自民党も同じ考え方であると言わざるを得ない。もう一度言う!日本は見下げ果てた国になってしまった!


  片山さつきに投票した日本人は恥を知れ!

BuzzFeed JapanNHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した  8月28日(日)11時0分配信
  NHKがニュース番組で紹介した女子高校生に、ネット上で批判が殺到した。NHKは「貧困女子高生」と報じたが「生活に余裕がある」「捏造」という内容だ。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】
  片山さつき・参議院議員も報道に疑問を呈したことで、事態はさらに炎上した。
  バッシングは、本来、NHKが伝えようとした「子どもの貧困」の問題を覆い隠した。なぜ、このようなことが起きたのか。そして、問題の本質とは。

「経済的に困難な女子高生」への批判
  家計が苦しいために、パソコンを購入することはできない。だから、キーボードだけ買って、タイピングの練習をする。進学だって、諦めざるを得ない。
  今回、NHKのニュース7(8月18日放送)で取り上げられたのは、母親と二人暮らしをする、神奈川県内の女子高生だ。
  「経済的な壁に直面」しているとして紹介されていた彼女。しかし、その部屋のなかに、アニメグッズやイラスト用のペン、エアコンのようなものが映り込んでいたことから、ネット上で「貧しくない」という批判が渦巻いた。
  その後、生徒のツイッターアカウントが「発見」されると、炎上は拡大。「アーティストのライブに行っている」「1千円以上のランチを食べている」などと、生活のあらゆる側面がバッシングの対象となった。
  この炎上騒動に加わったのが、自民党の片山さつき参院議員。番組放送後、ネット上で批判が拡散すると、こうツイートした。
  ”拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう。経済的理由で進学できないなら奨学金等各種政策で支援可能!”
  片山議員はNHKに説明を求め、3日後にその回答を掲載している。
  ”本日NHKから、18日7時のニュース子どもの貧困関連報道について説明をお聞きしました。NHKの公表ご了解の点は「本件を貧困の典型例として取り上げたのではなく、経済的理由で進学を諦めなくてはいけないということを女子高生本人が実名と顔を出して語ったことが伝えたかった。」だそうです“

「相対的貧困」への無理解 
  そもそも今回、NHKが取り上げたのは、「相対的貧困」に苦しむ子ども達の問題を同世代の高校生や教員に発信するために、神奈川県が主催したイベント。女子高生は、そこに参加していた当事者2人のうちの一人だった。
  「相対的貧困」とは、その社会において、平均的な暮らしを送ることができていないことを指す。たとえば戦争で焼け出された難民のように、食べるものや着るものに困窮している「絶対的貧困」とは違う。
  病院に行けない、進学ができない、満足な学習を受けられない、友達と遊びに行けないーー。貧困状態にない人が当たり前に送っている、そんな生活が難しい人たちだ。
  「絶対的貧困」と比べれば、生活の苦しさは伝わりづらい。そうした見えづらい問題を、当事者の高校生自身が伝えるのがイベントの趣旨だった。
  神奈川県子ども家庭課の小島厚課長は、BuzzFeed Newsの取材にこう語る。
  「子どもたちはスマートフォンだって持っているし、着るものもある。食べられなくて飢餓状態にあるわけではない。それでも修学旅行にいけなかったり、大学にいけなかったりして、将来を諦めている。そうした見えにくい貧困の現状を伝えるためのイベントでした」
  「高校生の生の声を広げる機会と思っていましたし、イベント自体は大成功でした。バッシングには正直びっくりしましたし、ショックです。『見た目が変わらないから、貧困じゃない』と、問題そのものが理解されず、現実も伝わらなかった。相対的貧困が社会に理解されていないことが露呈した」
  当事者の女子高生は大きなショックを受けているという。小島課長は、こう訴える。「顔を出して勇気を振り絞ってくれた彼女の個人攻撃をするのは、本当に辞めてほしい」

6人に1人の子どもが貧困
  日本の子ども貧困率は、想像以上に深刻だ。所得の中央値の半分(貧困ライン)を下回っている「相対的貧困」の家庭にいる子どもは、実に6人に1人、約325万人いるとされている。
   内閣府の子ども・若者白書(2015年版)によると、子どもの「相対的貧困率」は、1990年代半ばごろから上昇傾向にある。2012年は、16.3%と過去最悪を更新。1人親世帯に限ってみれば、54.6%と先進国でも最悪水準だ。
  経済的理由により学校に通えないため、「就学援助」を受ける小・中学生は約155万人(2012年度)。率でみれば、過去最高の15.64%となっている。
  「そういう家庭の所得を計算してみると、子ども1人の一人親家庭で月に14万円代。夫婦と子ども2人だと、20万円代です。そんな人たちが6人に1人いるという現実があるんです」
  そうBuzzFeed Newsの取材に説明するのは、子どもの貧困問題に長年取り組み、「子どもに貧困を押しつける国・日本」などの著書がある山野良一・名寄市立大教授だ。
  「さらに、貧困ライン未満の人の所得の中央値を出すと、月々の所得は10万円とか15万円になる。つまり、12人に1人がそれ未満で暮らしている。東京で家族4人が15万円で暮らすことが、果たしてできるでしょうか」
  この金額からは税金が差し引かれているが、児童手当や扶養手当は含まれるという。いかに生活に困窮しているのかが、よくわかる。
  このような家庭の子どもたちは、病院に行く、塾に通う、友達と遊びや修学旅行を楽しむなどの「当たり前」な暮らしが送れていない。「ワーキングプア」である保護者は、長時間労働ゆえに子どもとの時間が作れない。
  そのため、子どもの学力や健康状態、発達状態に悪影響が及ぶケースが多い。
  「貧困とはまさに、(NHKが取り上げた)彼女のような状態のこと。お金はなくて、自分が希望する進路が選べない。本当に必要なパソコンなどが買えない。ごく普通の平均的な家族ができることを、できないことなんです」
  では、なぜ相対的貧困の子どもたちは「可視化」されにくいのか。
  「親が貧困であることを周りに隠してしまう。無理をしてでも、子どもにはいい服を着せようとか、おいしいご飯を食べさせようとか。今回の女子高生のケースでも、本人には、できる限り周囲と見劣りしない生活をさせて、母親が我慢しているということだってありうる」
  「そうすると“普通”に見えてしまいますよね。いろいろなものが安く手に入るようになった今、確かに昔の『食うや食わずや』みたいな、冷蔵庫も持たないみたいな人はすごく減っている。一見貧困かどうかも、わからなくなってきているのです」

許されない「当たり前」の生活
  では、炎上が拡大した理由はどこにあるのか。山野教授は、いまの日本社会が「貧困の人たちは当たり前のことができなくても仕方ない、と思う社会」になっていると、指摘する。
  「親が貧困だとなんでお前は進学するんだ、と。それはおかしいですよね。子どもと親は切り離して考えてあげなきゃいけない。どんな親に生まれるなんて誰も選べない。子どもは所得をつくれないし、両親に依存をしなければならない」
  「経済的に大変な家に生まれていたって、友達との付き合いや趣味を楽しむこともある。美味しいご飯だって食べたいし、ディズニーランドに行くことだってあるでしょう。それは全然普通のことですよね。貧困家庭の人たちは、普通の暮らしをしてはいけないんでしょうか」
  こうした批判は、社会全体に広がる「自己責任論」に依拠しているとも分析する。
  「貧困は自己責任だから、真面目にやっていないとか、怠けてばっかりいるとという風潮になっている。これはもはや、弱いものいじめですよね。なんらかの理由で努力をできない人たちが貧困になっている。だから、叩くという論理です」
  「それに対し、子どもたちは反論できない。そもそも声をあげられないわけで、反論できるわけはないですよね。そういうところを突いて、追い込められればいいと思っているのではないでしょうか」
  そんな「いじめ」に乗じた片山さつき議員の振る舞いにも、「政治家が本来すべきことはバッシングでない」と、苦言を呈した。
  「政治家がすべきなのは、いまの子どもをめぐる制度を変えるためにエネルギーを注ぎ、社会合意を形成することのはず。これでは、女子高生のようにようやく勇気を出して声をあげた若者たちが、また、声を出しにくくなってしまう。ネット上だけではなく、学校などでいじめを生み出すきっかけを作ってしまう可能性すらあります」

日本社会に欠けている視点
  山野教授は、「どういう家に生まれたかによって、その子の将来が変わり、学力などにも差が出てしまう社会」を、変えなければならないと強調する。
  「子どもを平等にするということは、彼らが将来、納税者になって社会を豊かにしてくれるということを意味しています」
  「貧困家庭の子どもたちがそのまま大人になると、税金や年金代が払えなくなったり、医療費や生活保護費がかさんだりする可能性もある。つまり、社会的なコストをもっと生み出してしまうことになります。社会全体にとっても、子どもの貧困を放置することはお得ではない」
  日本は、子育て支援に使う予算が、GDP比率で1.0%(2009年)、教育予算が3.5%(2012年)と、いずれも先進国でも最低だ。高齢者に使う予算は10%と、その差は歴然としている。
  「貧困とは、努力が報われないこと。生まれたときから、機会が平等でないこと。どんな家に生まれても、努力するための基礎がある、スタート地点には平等に立てる社会を目指すために、子どもの平等を社会全体で考えること。いまの日本には、その視点が欠けていると思うのです」

160827 一年前:150827 イケてる小熊英二:戦後70年は、建国70年!日本国とは、第1条、第9条、東京裁判、日米安保の体制

2016年08月28日 01時20分49秒 | 一年前
8月27日(土):
150827 イケてる小熊英二:戦後70年は、建国70年!日本国とは、第1条、第9条、東京裁判、日米安保の体制
8月27日(木):職場で昼食の弁当を食べながら、新聞を読みはじめ、当然のごとく高橋源一郎さんの論壇時評を最初に披いた。その後、ふと横を見ると小熊英二の評論が載っているではないか......

160827 一年前:150824 必見!内田樹師匠、スピーチ(8.23 SEALDs_Kansai)がすごく良い!YouTubeでぜひ見て下さい!

2016年08月28日 01時20分30秒 | 一年前
8月27日(土):
150824 必見!内田樹師匠、スピーチ(8.23 SEALDs_Kansai)がすごく良い!YouTubeでぜひ見て下さい!
8月24日(月): 昨日の行進の後遺症で、今日は一日体の節々ががたがたで悲鳴を上げていた。もちろん参加して本当に良かったと思ってるけどね。8月30日(日)も仕事が入らなければ必ず参......


160825 分かりやすい!:「(時事小言)多数派と少数派 共存の民主主義どこへ 藤原帰一」

2016年08月25日 19時38分25秒 | 時々刻々 考える資料
8月25日(木):
朝日デジタル(時事小言)多数派と少数派 共存の民主主義どこへ 藤原帰一  2016年8月24日16時30分
  小学校の先生に教わった民主主義とは、要するに多数決のことだった。ほんとうに多数決がいちばんよい制度なのか、その頃から疑問だった私は、どうして多数決がいいんでしょうと先生に質問したことを覚えている。
  先生は質問に答える代わりに、どこがいけませんかと私に質問を返した。民主主義と多数決を同じものにすればどんな問題が発生するのか、小学校五年生の私は答えることができなかった。
  半世紀経ったいまも自信はない。でもあえて答えるなら、多数決だけの民主主義から取り残されるのはマイノリティーの問題だと思う。
  多数決によって選挙や議会の投票結果が決まったとしても、負けた側がその決定に従わなければ制度は成り立たない。今度は負けても次の機会には自分が勝つことが期待できるのであれば、自分に不利な決定を受け入れることもできるだろう。だれが多数派で誰が少数派かが固定していない場合、多数決は必ずしも不合理な制度ではない。
     *
  それでは、国民の一部に過ぎない少数民族とか宗教など、人口が少ないために国内社会の多数となることができない人についてはどうだろう。民族や宗教によって差別されることがなく、それが政治の争点となっていなければともかく、民族や宗教の違いによる差別が厳しい場合には紛争の発生は免れない。政治社会の決定が多数決によって行われ、その多数決が多数派の考えばかりを反映するなら、少数派が迫害の排除を求めても成果は期待できない。制度によって解決ができないのであれば、力に訴える人も生まれてしまう。多数決だけに頼る民主主義だけでは多数派と少数派が共存する社会をつくることは難しい。
  欧米諸国における民主主義は、決して多数決だけを指すものではなかった。森政稔氏が「変貌(へんぼう)する民主主義」(ちくま新書)で触れているように、現代の民主主義は自由主義を源流として、そこに民主政治という統治の仕組みが加わったものとして捉えることができる。もし民主主義が政治権力を多数派の手に委ねるだけのものであるなら、民主主義が独裁への道を開くことになりかねない。民主政治の前提は多数派と少数派の別を問わない自由な公共社会である。
  移民は少数派の代表である。移民を受け入れてきた背後に国内労働力不足の解消という要請があったのは事実だが、とはいえ、移民との共存は欧米諸国における政治社会の基礎であり、誇りでもあった。移民国家であるアメリカはもちろん、域内の人の移動を自由化したヨーロッパでも、文化や歴史の異なる人々が一つの制度の下で暮らす公共社会を実現したと考えられていた。
     *
  そのような社会観念は、いまではすっかり衰えてしまった。欧米諸国の周辺においてISIS(いわゆる「イスラム国」)と結びついた武装勢力が生まれ、その暴力行為がそれまでにも存在してきた国内における移民排斥をさらに強めたからである。
  新たな移民がその社会に受け入れられ、根づくことは常に難しい。ことにイスラム地域からの移民の場合、宗教の相違もあって文化的な摩擦は厳しく、フランスやベルギーなどにおけるテロの背景となった。アメリカにおけるメキシコなどからのラテン系の移民は、それまでの住民との人口比率を変える規模に及んでいた。
  多民族や多文化の共存などという綺麗事(きれいごと)を拭い去り、少数派の排除を公言する政治が生まれる背景は、このような多数派の少数派に対する恐怖があった。メキシコとの間に壁をつくって不法移民を排除しろと訴えたドナルド・トランプ氏は、アメリカ共和党の大統領候補者になった。去る六月にイギリスで行われた国民投票において欧州連合(EU)からの離脱派が勝利を収めた原因の一つにも移民流入への反発が挙げられている。
  事態を誇張すれば誤りになるだろう。世論調査を見る限り、共和党候補に指名されたとはいえ、トランプ氏が次期アメリカ大統領となる可能性は低い。国民投票後のイギリスでは政治的混乱が続いているが、EU離脱に加え移民排斥を正面から主張するイギリス独立党は支持を落としている。欧米諸国が多数派と少数派の共存を放棄したなどということはとてもできない。
  それでも、多数派と少数派が不寛容に向かい合う構図は不気味だ。既に自由主義は、自分の自由とともに他者の自由を認める制度ではなく、国家が市場から出て行けば自由な社会が保たれるという観念となって久しい。いま民主主義は、自由な公共社会における統治の仕組みではなく、多数派が少数派を排除する制度の別名に変わろうとしている。(国際政治学者)

160824 一年前:150823 シールズのデモに参加した。自分の意志でデモに参加したのは初めてだ。2時間歩いてくたびれた。

2016年08月25日 01時56分10秒 | 一年前
150823 シールズのデモに参加した。自分の意志でデモに参加したのは初めてだ。2時間歩いてくたびれた。
8月23日(日):今日はシールズのデモに参加した。自分の意志だけでデモに参加したのは初めてだ。当初、参加場所近くにいて、本当に参加するのか、人の目も気になり躊躇していた。しかし......


160825 土下座で当選した片山さつきは弱者に土下座を求める。口害殺人鬼!投票した日本人は無知無恥の恥知らずで同罪!

2016年08月25日 01時44分16秒 | 片山さつきは、市民社会の敵、福祉の敵!!
8月24日(水): 

弱者を切り捨てるのではなく、社会でしっかりと支えて立ち直れる人には立ち直ってもらうことで納税者になってもらえる。「老人」や「障害」他事情があって正規で復帰できなくてもゆったりと受け入れ支える。弱者は一人ではない。彼らの存在を心の支えにしている家族や友人・知人がいる。弱い立場の人を社会がしっかりと支えるしくみがあることで、彼らを取り巻く人たちも安心して働くことができる。結局、納税額は増加してその社会・国家は豊かで強い国になる。情けは人の為ならず。弱い立場の人々をしっかり社会・国家が責任をもって支えることによって、かえってその社会・国家は強靭になるのだ。人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり(武田晴信)。 これがビスマルク以来の近代国家の社会保障制度に通底している考え方である。また、そんな理屈などなくても、弱い立場の人が憲法で保障された基本的人権である「生存権」に基づいて安心して暮らせる社会に俺は住みたいと思う。

片山さつきは、俺が最も軽蔑し忌み嫌っている政治屋だ。こんな化け物に投票した日本人がいることに俺は絶望している。あまりにも民度が低く、知的レベルが低すぎる。そして、何よりも投票した日本人らの性格が卑し過ぎる。

雨宮処凛がゆく!第386回「非の打ち所のない貧しい人」ってどこにいるの? 〜高校生バッシング、もういい加減やめませんか〜の巻 2016年8月24日up 

  自民党の片山さつき氏が、また余計なことを言っている。
  発端は、8月18日にNHKのニュースで放送された「子どもの貧困」特集。私は見ていないのだが、そこに出ていた母親と2人暮らしの高校3年生の女子生徒について、部屋にアニメや漫画関連のグッズがたくさんあったとか、果ては本人らしき人物のTwitterによると、1000円以上のランチを食べてるとか同じ映画を何度も見てるとかコンサートに行ってるとか、そのようなことから毎度恒例の「本当に貧困なのか」といった声が上がる――という展開に。そんなネット上での騒動に対し、片山さつき氏は以下のようにコメント。
  「拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう。経済的理由で進学できないなら奨学金等各種政策で支援可能!」「追加の情報とご意見多数頂きましたので、週明けにNHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!」
  またか…。今、私は「嫌な予感」に包まれている。そして2012年の悪夢が蘇る。芸人の母親が生活保護を受けていたということが発覚した際の騒動だ。この問題に関しては散々「不正受給では」と叩かれたのだが、生活保護問題対策全国会議の見解を見れば明らかにように、この件は不正受給には当たらない。「強い扶養義務」があるのは夫婦間と未成熟の子に対する親だけだ。
  しかし、片山さつき氏はこの件に関して厚生労働省に調査を依頼。「一芸人の家族のこと」が一気に政治問題のトップに躍りだし、当人ももちろん大変なバッシングに晒されたものの、多くのメディアはこの件をきっかけに「生活保護バッシング」へと走り、中には「生活保護受給者の監視」を呼びかけるものまであった。
  その果てに起きたことは何か。生活保護を受ける人はスーパーなど買い物にも行けなくなり、精神的な病気を抱える人は病状が悪化。私のもとにも当事者から「生きていてはいけないと言われてる気がする」「生活保護受給者は死ねということでしょうか」などという悲鳴のようなメールがいくつも届いた。そうして実際に、自殺者も出ている。自らが支援してきた人を自殺で失った埼玉の男性は、「自死したという一報を聞いた時、頭に浮かんだのは、ある自民党議員の顔でした」と述べている。
  生活保護バッシングという国会議員が仕掛けたブームと、それを「ネタ」として手軽なガス抜きの娯楽として消費した大勢の人の「悪意ですらない暇つぶし行為」によって、実際に奪われた人の命。しかし、生活保護受給者が自殺したところで、当然報じるメディアなどない。
  さて、このような経緯がたった数年前にあったことから、今回の高校生の報道に対する片山氏の姿勢について、私は非常に憤っているわけだが、彼女に同調する人も多いことを知っている。
  しかし、ここで「自分だったら」と置き換えてみてほしい。もし、あなたがそんなバッシングを受けたらどう思うだろうか。どうやったら自分が「貧困」だと証明できるだろう。どうしたらすべての人に大変だと理解してもらえるような「貧困プレゼン」ができるだろう。とびきり悲惨なエピソードでも語ればいいのだろうか。というか、土下座して謝れば「みんな」に「許して」貰えるのだろうか。だけど、みんなって誰? 誰があなたに土下座をさせる権利があるの?
  もう、10年もこんな光景を繰り返し繰り返し見せられてきた。一斉に始まる、「あいつは貧困とか言ってるけど、楽して得して甘えてるじゃないか」というバッシング。その正反対の光景も見てきた。それは、貧困とされる人が死んだ時。餓死や凍死、孤立死、心中などが起きると一斉に「可哀想!」「役所は何をしてたのか!」「この国の福祉はおかしい!」という大合唱が始まる。前者と後者で声を上げる人は、おそらく、一部かぶっている。
  さて、今回、高校生の部屋にアニメグッズなどが多かったということから、ある事件を思い出した。それは銚子で起きた母子心中事件だ。
  事件が起きたのは14年9月。千葉県銚子の県営住宅で、44歳の母親が中学2年生の娘を殺害した。
  母親はシングルマザー。給食センターで働いていたものの月収は14万円ほど。生活は苦しく、事件の2年前からは、娘の制服代などの購入のため闇金にも手を出していた。一方、各種の支払いも滞っていた。健康保険料は未納で、保険証は使えない状態。1万2800円の家賃は2年以上滞納が続いていた。娘を殺したのは、家賃滞納が原因で県営住宅の明け渡し強制執行が行われることになっていた日だった。
  執行官が足を踏み入れた時、母親は放心状態で、既に息絶えた娘の頭を撫でていたという。居間のテレビには、その4日前に開催された娘の運動会の映像が流れていた。母親はその日、娘が運動会で使っていた赤いハチマキで首を締めたのだった。
  母親は、本当は自分が一人で自殺するつもりだった。しかし、様子がおかしい母親を心配して娘が学校を休んだことから、事件が起きてしまったのだ。
  15年6月、13歳の娘の命を奪った母親には、懲役7年の刑が下っている。
  誰もが胸を痛めるこの事件。
  母親の裁判では、検察官によって、あることが指摘されている。それは支出について。殺された女の子はアイドルが好きだったようで、アイドル関連の支出が多かったことを指摘されているのだ。また、液晶テレビやブルーレイプレーヤー、エアコンなどを購入したことも検察官に指摘されている。
  しかし、この事実をもって殺された女の子や逮捕された母親をバッシングする声を私は聞いたことがない。また、今初めてこの事実を知ったという人も、バッシングしないだろうことはなんとなく予想できる。理由は、死者が出ているから。母親も、実刑判決を食らっているから。あまりにも痛ましい事件によって、親子は「非の打ち所がない可哀想な貧困者」としての揺るぎないキャラを確立したから。
  嫌な言い方をしてしまったが、そういう見方と線引き、もうやめにしませんか、とずっと言ってきたし、書いてきたつもりだ。
  元大蔵省という超エリートの片山氏には、生活保護をはじめとした貧困対策が、すべて「コスト」に見えるのかもしれない。しかし、命よりも財源論が優先される社会では、命はどんどん軽くなる。
  7月、相模原の施設で障害者19名が殺害された。障害者の生存を否定し、「お荷物」扱いするような容疑者の歪んだ差別意識は、そんな社会の空気とは決して無関係ではない気がするのだ。生産性がない人間、税金で生きる人間を否定するような空気。
  翻って、国会議員である片山氏の給料である歳費も税金だ。が、私は片山氏のランチ代がいくらかを詮索するつもりはないし、どんなものにお金を使い、どんな映画を見てどんなコンサートに行き、いくらくらいの服や化粧品を買っているかなどを公開してほしいなどとは思わない。国会議員のひと月の歳費は、生活保護を受ける単身の人の1年分の生活保護費に相当するほどだが、そのことをバッシングするつもりはない。
  最後に。
  貧困状態の人や、生活保護を受けている人は、なかなか声を上げられない。バッシングされるに決まってるからだ。政治的に力を持つような当事者団体もない。もっとも手軽に叩きやすい存在なのだ。よって政治家にとって、「貧困者バッシング」は、最高にリスクが少なく、かつ有権者に「仕事してますよアピール」が、もっとも手間ひまもコストもかからずできるという、非常に「おいしい」パフォーマンスなのである。
  そのことを、覚えておいてほしい。







5 066 林修「受験必要論」(集英社:2013)感想3

2016年08月24日 00時40分23秒 | 一日一冊読書開始
8月23日(火):    副題「人生の基礎は受験で作り得る」

222ページ    所要時間3:00    ブックオフ200円

著者48歳(1965生まれ)。東進ハイスクール現代文講師

トンデモ本ではない。随所でまともなことを言っているし、正直さもあって、ところどころ面白く読めるが、全体として散漫な印象を受ける。部分としては明確に言い切っているのだが、振り返ると「著者が何を言いたかったのか?」あまりイメージが残らない。

最後の灘高の英語教師との対談はかみ合ってるようでいてズレていたが、終盤は修正もせず「金持ち喧嘩せず」で何のための対談なのかよくわからなかった。「ダイバーシティ(多様性)が大事」「公文式が良い」は分かったが、二人の言葉が今ひとつ腑に落ちてこない。

著者自身について語ってる部分と東京大学についての論が一番面白かった気がする。生まれつき、環境・才能ともに恵まれ、小さい時からこの人は、本当によく勉強ができたのだ。この人にとって、勉強は押し付けられるものではなく、やりたいことをやっていたらそのまま受験勉強につながっていた。全く労せずして、東大文Ⅰに合格してしまったそうだ。それを隠さず、彼の予備校での現代文授業のやり方を自分の生い立ち・人生と全く切り離してドライにサービス業と言い切っているのは悪くない。

難しい本ではないが、よくわからない本だった。付箋はたくさんしたので今度入浴でもしたときにその部分を中心に読み直してもいいかなと思う。著者に対する俺の感じ方は、プラスでもマイナスでもない、ニュートラルである。

【内容紹介1】 夢を追いかけて勉強を重ねる現役の受験生、受験を終えてその意味を考えたい元受験生、受験生の子どもを持つ親世代、教育に携わる先生たち…… 受験の意義を問うすべての人々に捧げる真剣メッセージ!

受験とは特権的なことである/受験1ヵ月前に生徒に贈る言葉/「積極的受験」と「消極的受験」/今の受験競争はゆるすぎるのでは/東大理Ⅰ、理Ⅱに飛び級を導入せよ/日本史を必修に/詰め込み教育では頭はパンクしない/結果が出る科目を1つ作れ/浪人を勧めない理由/なぜ本気でやって成績が上がらないのか/国立の難関大学では良問が多い/日本の入試は公平だ/都会と地方で受験環境に差はあるか/受験はつらくないと危険だ/受験にはフライングもスピード違反もない/僕の受験生時代/東大は一番いい大学か/予備校講師としての責任のあり方/受験生は彼氏彼女を持つべきか/受験勉強をする目的は何か……ほか。
★灘校・英語教諭、木村達哉先生とのスペシャル対談も収録。

【内容紹介2】テレビでお馴染みの予備校講師・林修先生が、「受験」の利点も欠点も包み隠さずお教えします。ガリ勉せずとも最難関の東大に現役合格した“林修式勉強法”も満載。受験勉強は社会に出たら役に立たないかもしれない。けれど、やり方一つで社会を生き抜く上で不可決な“考える力”を高める。「受験」に関わる全ての人、そして受験を終えた大学生や社会人にもタメになる林修からの熱きメッセージ。

5 065 斎藤貴男「ジャーナリストという仕事」(岩波ジュニア新書:2016)感想5 ※安倍の飼い犬曽我豪は、まず本書を読め!

2016年08月23日 01時36分31秒 | 一日一冊読書開始
8月22日(月):    ※朝日新聞の安倍・麻生の犬、アイヒマン曽我豪は、安倍に対する薄っぺらな阿諛追従のコラムを、朝日の購読者である我々に読ませる前に、まず本書を読め!。そうすれば自分がどれほど恥知らずで醜い存在であるかがわかるだろう。穢れたコラムを破棄したくなるだろう!

232ページ    所要時間3:45    図書館→読了後、付箋の山を見ていて発作的にアマゾンに発注697円(440+257) 高い!痛い!

著者58歳(1958生まれ)。

著者自身の人生を振り返る形で、手探りしてきたジャーナリストという仕事のあり方についての考えを述べる。著者は自らの弱さについて正直に語りながら、現代のジャーナリスト、メディア関係者のあり様に対して厳しい目を向ける。著者ははじめから反権力のジャーナリストを目指してきたわけではないが、様々な事件を通じて権力側に立つ者たちの信じられないような理不尽さ・権力志向・差別意識を思い知るなかで自然と今の立場になった。

最近、ジャーナリズムが卑賎な仕事に見えてきていたが、本来のジャーナリズムの姿を見せてくれる内容だ。最近、どんどん深まっていく日本社会の変化に対するいわく言い難い「こんな国じゃなかったはずだが…」という違和感に承認を与えてくれる内容だ。崩れそうな戦後日本の平和と人権を護りたいと思う人々の指針になる内容だ。著者が本書で述べる内容について、その弱さも含めて、ほぼすべて俺は腑に落ちて同意できる。著者と俺の考え方や感性は、ほぼ同じだ。

本書を読んでると、池上彰さんは言っていいことと言ってはいけないことを上手に使い分けて、マスコミを泳いでいるのがよくわかる。池上彰さんを俺は支持するが、もう少し踏み込んでほしい気はする。例えば、三浦朱門や江崎玲於奈の優生学的教育思想などは池上さんは話さない。でも池上彰さんには、今のままうまく泳ぎ切ってほしいと祈っている。

【目次】
1 ジャーナリストって何だろう?:ジャーナリストの基本とは/誰のためのジャーナリズムか/「知」への課税?/「ジャーナリズム」は死語なのか?/ジャーナリズムと権力/六〇年安保闘争における「七社共同宣言」/情報の宿命/情報が氾濫する中で/危機の時代に
2 取材のイロハ―新聞の世界に飛び込んで:真っ白い表紙の衝撃/「ニュージャーナリズム」の新しさ/鉄屑屋という家業/「シベリア帰り」の息子だから?/行き当たりばったりの末,新聞記者に/業界紙の記者としてのスタート/何を聞いたらよいか/質問する力とは/特ダネを手がける/取材対象者との関係性の難しさ/抱き始めた仕事への疑問/何のための記者なのか/記者クラブをどう考えるか/問われるべきものは/「研修日報」より
3 「なんでも取材してやろう」―週刊誌記者の世界へ:「取材の幅を広げたい」/週刊誌記者としての新たな一歩/週刊誌記者としての最初の手ごたえ/情報を引き出すために/「詐欺事件」の原点にあったもの/取材相手との関係/東京電力とマスコミ/取材した事実と記事の内容/容疑者家族の訴え/取材し,報道することがもたらす傷/再びの疑問/経済社会と人間のかかわりをテーマに/「自分で人事異動」の成果
4 誰の視点に立つか―フリーであることの意味:「二年で辞めなさい」/「梅田事件」をめぐって/善意の市民を「犯人」に/週刊誌に求められる取材方法への違和感/「あの人はいま」の取材で/フリージャーナリストに/誰も取材したがらないテーマを/公共事業に消えた「国民の財産」/初めての著書/娘を連れて行った病院で/MMRをめぐるさまざまな矛盾/短すぎる一生/取材し報道することの力/人の暮らし,命を軽視する姿勢
5 価値判断が問われる―留学と『機会不平等』をめぐって:フリーで生きていくのに欠けているもの/イギリス留学の成果/多国籍企業の本音/規制緩和の「影」/教育にも「規制緩和」?/「できん者はできんままで結構」/能力は遺伝で決まる?/「平等など大きなお世話」/『機会不平等』の出版/何をもってニュース・バリューとするのか/常に問い続けること
6 岐路に立つジャーナリズム:主張するジャーナリストたらん/改めて問うジャーナリストの役割/「知る権利」の行使こそ使命/「従軍慰安婦」検証報道と朝日バッシング/権力批判は「国益」に反するのか/カン違い記者の横行/ネット言説に引きずられる“プロ”/不可解な『朝日新聞』の対応/「吉田調書」取り消しで何がもたらされるのか/調査報道の否定/くさいものにフタをする習性/歴史はくり返されるのか/安倍政権のメディア・コントロールと「公平中立」の罠/権力を利用するのか,権力に利用されるのか/ジャーナリズムを育ててほしい
おわりに

【内容紹介】著者の斎藤貴男さんは,「反骨のジャーナリスト」として,多岐にわたるテーマについて取材し,骨太の発信を続けています.この本では,斎藤さんが自らの体験を振り返りながら,ジャーナリズムとは何か,どうあるべきか,などを熱く語ります.いわば,斎藤さんによる〈体験的ジャーナリズム論〉です.
 斎藤さんは,業界新聞の記者として自らのキャリアをスタートさせました.「世の中のため」「弱者のため」といった大志を抱いて記者となったわけでなく,「なんとなくカッコいいから」といった憧れも大きかったといいます.しかし,そんな斎藤さんが,その後,週刊誌記者となり,そしてフリージャーナリストとなっていく過程で,メディアのあり方,ジャーナリズムの役割などに真剣に向き合うことになります.誰の視点に立って何を伝えるか.悩んだり,傷ついたり,葛藤しながら,ジャーナリストのすべきことを追求していきます.
 メディアなどの職に就くことを目指す人たちだけでなく,日々のニュースをどう見るか,といったメディア・リテラシーを養う本としても役に立つことと思います.また,仕事を通して,社会や自分と真剣に向き合った斎藤さんの体験は,仕事の本質を考えるうえでも,大いに示唆を与えてくれると期待しています.

5 064 司馬遼太郎「城塞(下)」(新潮文庫:1972)感想5

2016年08月22日 02時34分24秒 | 一日一冊読書開始
8月21日(日):  

583ページ    所要時間5:45     アマゾン292円(35+257)

著者49歳(1923生まれ)。1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去

できるだけ早く読み進めることを心掛けた。下巻にきて、ようやく面白くなった。豊臣秀頼を殺すために病的なまでに用意周到な徳川家康と彼の歓心を得ようとする大名たち、蟻地獄のように深刻な状況に引きずり込まれてるのにのにどこか他人事でのんきで幼稚な大阪城の淀君・秀頼とその取り巻きの人々、堀を埋められた大坂城で滅亡を覚悟し後世に名を遺す滅びの美学に生きる外人部隊の武将たち、三者三様の生きざまが下巻では有無を言わさずに<夏の陣>という大きな渦巻きの中にうねりながら飲み込まれていく。もはや傍観的、中庸的態度は許されない。大坂城という無類の要塞を頼る人々の挽歌。ぐいぐいと物語が動いていく。

読んでいて大坂城内の箱庭の世界が、今の日本社会のあり様と重なって見える瞬間が何度かあった。日本もこのままでは滅びの道を歩むのだろうか。ちょっと考え込んでしまった。

まず登場人物のあまりの多さにあきれてしまった。しかも、一人一人に多彩な人格が与えられている。40代、50代の司馬遼太郎はすごいの一言に尽きる。

魅力的だったのは大坂城に外人部隊として入城した武将たち(例外あり)である。後藤又兵衛、真田幸村、木村長門守重成、長曾我部盛親、毛利勝永、明石全登、塙団右衛門らの列伝風に描かれた最期の姿は皆よかった。いや、塙団右衛門はいまいちだったかな。

一番魅力的でなかったのは、淀君・秀頼をはじめとする大坂城という箱庭に安住して外を見ようとしない人々である。淀君には嫌悪しか感じない。秀頼も空疎すぎる。大野修理治長も蓋世の英雄家康と対峙するには保身的小役人のようで小さすぎる。大蔵卿の局をはじめとする女官連中も愚か過ぎる。真田幸村が力尽きて死んだあとは、大坂城が落城するのがむしろ小気味よかった。

徳川家康は、「覇王の家」の時の土臭いが真に頼りになる本多平八郎忠勝をはじめとする三河武士の家臣団に囲まれて練達の武将というイメージからがらりと変わっている。大坂の役では、本多正信を除いて苦楽を共にし支えてくれた家臣の多くが死んでしまい、世代交代が進む中で、後継ぎの将軍秀忠も器が小さく安心できない。家康の生きているうちに豊臣秀頼を何とかしておかねばならないが、淀君の牛耳る大坂方は全く家康の意を汲むことができない。結局、「秀頼を殺す」という汚い仕事を家康自身の手でやらざるを得なくなり、その手法で晩節を汚すことになる。

【裏表紙】外濠も内濠も埋められて裸城となった大坂城に対して、家康は最後の戦いをしかける。夏ノ陣を前にして、大坂方には、もはやいかなる勝機も残されてはいなかった。数十万の東軍を相手に、真田幸村、毛利勝永らは、家康の本営にまで斬り込む働きをするが、後続の部隊がなく、いずれも城を墳墓に討死してゆく。秀頼、淀殿は自尽し、巨城の炎上をフィナーレに戦国時代はその幕を閉じる。

5 063 小熊英二「社会を変えるには」(講談社現代新書:2012)感想5 ※SEALDsの原点か?

2016年08月20日 22時50分43秒 | 一日一冊読書開始
8月20日(土):   帯文:広く、深く、「デモをする社会」の可能性を探った本。(高橋源一郎:朝日新聞「論壇時評」より)

517ページ     所要時間2:45     ブックオフ510円

著者50歳(1962生まれ)。

短時間で読める本ではない。でも、長時間ではまず読まない。憧れの書として手元に置いてあった本書を「眺めるだけでもいい」という気分になれたことを幸いとして、1ページ15秒でひたすらページをめくり続けた。いやな妄想が浮かぶ瞬間もあったが、短いが集中した時間を送れた。感想5を付ける資格が自分にあるか、はなはだ疑問だが、第7章「社会を変えるには(73ページ)」だけでも、俺には十分に価値のある内容だったといえる。だからと言って、並外れてすごいことが書かれているというわけでもない。「俺が著者のファンである」という事実が前提にあり、その著者の言葉として読めたことが俺にとって値打ちがあったというだけのことかもしれない。第7章の「こうすると失敗する(484ページ)」の項は特に印象的です。

・冷たい壁にとりまかれていて、声が出せないという人がいます。それは逆だと思います。声を出さないあなたは、他人から見れば壁の一部です。あなたが声を出さない状態が、周りの人を壁にしています。関係は作り作られます。関係は待っていても変わりません。動かないと変わりません。声を出せば、一時的に敵対関係になる人も出るかもしれませんが、味方になる人も出るでしょう。500ページ
・おもしろいことに、弾圧する側は、よく運動の個体論的な考え方を利用します。486ページ


本書を眺めていて、もちろん雰囲気を嗅ぐ程度しか解らないけれど、昨年デモに参加した時のSEALDsの学生たちの姿が重なってきた。本書は、反原発デモに対して「大きな音だね」と吐きやがった民主党野田汚物内閣の時に書かれたものである。そして、安倍極右反知性主義内閣と闘ったSEALDsの学生たちの多くが本書を読んで影響を受けたことは間違いない、と本書のページをめくりながら俺には感じられた。そう思って少し見返したら、まえがきに「第4章から第6章は、そもそも民主主義とは何か、代表を選ぶとはどういうことなのか、それがどう行き詰っているのか、を考えます」と書かれていた。これって、SEALDsの学生たちのデモで使われた「民主主義ってなんだ?!」とそのままつながっている。この本から引用されたかは別にして、本書と戦争法案反対の大運動を導いたSEALDsのスローガンが同じ精神を持っているのが、俺には少し嬉しかった。

【目次】はじめに/第1章 日本社会はいまどこにいるのか/第2章 社会運動の変遷/第3章 戦後日本の社会運動/第4章 民主主義とは/第5章 近代自由民主主義とその限界/第6章 異なるあり方への思索/第7章 社会を変えるには/おわりに

【内容紹介】〈私はしばしば、「デモをやって何か変わるんですか?」と聞かれました。「デモより投票をしたほうがいいんじゃないですか」「政党を組織しないと力にならないんじゃないですか」「ただの自己満足じゃないですか」と言われたりしたこともあります。しかし、そもそも社会を変えるというのはどういうことでしょうか。〉(「はじめに」より)/いま日本でおきていることは、どういうことか? 社会を変えるというのは、どういうことなのか? 歴史的、社会構造的、思想的に考え、社会運動の新しい可能性を探る大型の論考です。




160819 一年前:150817 毎日新聞「<首相70年談話>:「反省」天皇陛下と対照的 米メディア」 低能安倍は従米の逆臣!

2016年08月20日 02時25分00秒 | 一年前
8月19日(金):
150817 毎日新聞「<首相70年談話>:「反省」天皇陛下と対照的 米メディア」 低能安倍は従米の逆臣!
8月17日(月):別に勉強なんかできなくたって立派に生きていけるさ!とよく言われるが、今の安倍晋三を見ていると、学力が低いこと、知識・知性が無いことがどれほどお粗末で格好悪くて......


150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)