11月17日(月): ※副題「「生きてていい」、そう思える日はきっとくる」
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221ページ 所要時間 3:10 図書館
著者31歳(1983生まれ)。児童養護施設などで生活した人たちが気軽に集えるNPO法人「日向ぼっこサロン」創設者かつ元代表。現在は二人の子育てのため引退(充電?)している。
すでに時計は日付をまたいでいるのに、またしてもひどい地雷を踏んでしまった。存分に感想を書きたいが、時間も気力・体力も残りわずかだ。
始め、31歳の著者の若さを甘く見ていた。少し拙くても誠実で正直で一所懸命な著者の文章の格調は高い。スピード感に満ちて、刃をあてれば、切れて血の出る文体だ。本書中、両親の離婚、母のネグレクトという最悪の「育ち」の中で、眠ったように動かなかった著者の心が、突如運命に抗して疾走し始める。変化とテンポは速いが、カラカラカラカラと空回りを繰り返しながら、何かに取り憑かれたかのように出口を求めて走り続ける。
養護施設を出た後、アルバイトで貯めたなけなしの138万円をはたいて、NGOが企画した3ヶ月半の世界一周の船旅に飛び出し、帰国後も、居所もない経済的苦闘の中で夜間大学に進学し、社会福祉の勉強を始める。そして、寄る辺なき孤立したはずの著者の周りに人が現れ始め、「勉強会日向ぼっこ」の立ち上げから、突如道が開け、その道に向かって著者は息もつかせず突進していく。
ついには厚生労働省が動く、追い風優先の中で、付いて来られない仲間は振り落としながら、国のモデル事業の認可を受け、「社会的養護の課題と将来像」という国の報告書がまとめられる。
しかし、二人目の子を身ごもった著者の心身が悲鳴をあげる。自身の心の傷も残したまま走り続けてきた著者だが、「子どものために」と突然活動を放棄してしまう。引き継ぎではなく、放棄である。俺はこのあたりの正直さが人間らしくて好きだ。
本書は、知られることの少ない「児童養護施設」について、そこで「育ち」、経済的に切迫した窮状の中、心に重い傷を持ちながら自分の道を探し続けた著者による紹介である。ノンフィクションだが、「人間失格」からの<再生>の物語りとして、下手な小説よりはるかに“読み物”として面白い。
明日の仕事に差し支えるので、この辺でペンを擱くが、何のことだ…? という人も多いと思うが、実のところ俺自身も「児童養護施設」「母子生活支援施設」「一時保護所」「大舎制」「里親家庭」「児童福祉司」「生い立ちの整理」「措置延長」「児童心理司」「ユニットケア」「社会的養護の課題と将来像」etc.
一読、すべてを了解とはいかないが、本書は時間をおいて是非もう一度読み返そうと思う。その価値がある。
以下、岩波書店HPから
■目次
1 子どものころ:父と母,そして私/母子生活支援施設での暮らし/転校を繰り返して/大舎制の児童養護施設での暮らし/一時保護所とグループホームでの暮らし/父の死/アルバイト/高校卒業
2 施設を巣立って:地球一周の船旅/フリーター/自傷行為/生きる意味/退所者支援/社会的養護の変遷
3 子どもの自分を育てる:瞼のおじいちゃん/もう,ひとりじゃないよ/子どもたちのおかげで/親からの解放/「私」を生きる
■内容
親に愛された記憶を持たず,母子生活支援施設や児童養護施設で長く暮らした著者が自らの生い立ちを辿ります.孤独と疎外感,深い絶望のなか,自分は何のために生きているのかと問い続けた日々….
困難と向き合いながら生きる意味を探し,当事者が集い語り合う場「日向ぼっこ」の活動などにたずさわってきた著者が,やがて「生きててもいいんだ」という思いに辿りつくまでの歩みを綴ります.
■著者紹介
渡井さゆり:1983年,大阪府生まれ.家庭の事情で,幼少の頃から母子生活支援施設や児童養護施設など社会的養護のもとで暮らす.高校卒業と同時に施設を退所し,フリーターを経て東洋大学社会学部社会福祉科に進学.在学中の2006年に「児童養護の当事者参加推進勉強会 日向ぼっこ」を立ち上げる.2007年,大学卒業と同時に児童養護施設などで生活した人たちが気軽に集える「日向ぼっこサロン」を開設.2013年に引退し,現在は家族(夫・一男一女)との時間を大切に過ごしている.著書に「大丈夫.がんばっているんだから」(徳間書店)がある.