もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

170430 河瀬直美監督 映画「あん」(ドリアン助川原作:2015)感想4(特5)*3回観た。

2017年04月30日 21時09分51秒 | 映画・映像
4月30日(日):        

3度繰り返して観た。感想4は楽しめたかどうかだけのこと。理屈や評価を超えて社会に必要な作品というものはある。河瀨直美監督が物語りも画面も非常に美しく作り込んだ作品という意味でも、本作が存在する価値は、特5だろう。

街角の小さなどら焼き屋さん、店長はやる気がなく、味は良くない。ある日「ハンセン病(癩(らい)病)」療養所から、バイトで通って来るようになったおばあさんから、どら焼きの美味しい「あん」の製法が伝授される。一時は大繁盛するが、無知による心無いうわさが広がり、偏見・恐怖心と差別に火がつき、立ち寄る客が激減する。おばあさんを店長と客の一人の中学生が療養所へ訪ねていく。筋立てはシンプルだ。我々が、忘れようとして、実際に忘れかけている人間の存在を丁寧に思い出させてくれる作品なのだ。

この作品では、「ハンセン病(癩(らい)病)」療養所(保菌者はいない)の人々が描かれているが、世の中には形を変えて様々な忘れてはいけない存在がある、と立ち止まって思い起こすべきだろうと思う。

子どもの時、親から「近所でらい病の人が出るとその人はいつの間にかいなくなって、二度と戻って来なかった」というのを聞かされたことがある。それがハンセン病患者に対する厳しい差別政策によるものだと知ったのは大人になってからだった。

・「お墓を作れない私たちは誰か一人亡くなるたんびに一本ずつ木を植えてきたのよ。徳ちゃんの木、これよ。」

・「ねえ店長さん、私たちはこの世を、見るために、聞くために、生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちは、私たちには生きる意味があるのよ ウフフ」(徳江おばあさん)

ウィキペディアの解説はまとまりが悪くて分かりにくいので、少し探してみた。分かりやすい解説は、国立ハンセン病資料館」のホームページの「キッズコーナー」に載っていた。一部転載する。

Q1 ハンセン病はどんな病気?
A1
 ハンセン病は「らい菌」に感染することで起こる病気です。発病にはその人の免疫力めんえきりょく(抵抗力)や衛生状態、栄養事情などが関係しますが、日本では、感染し、発病することはほとんどありません。治る薬がない時代には手足に変形を起こすことがありました。その変形のせいで、社会の人から嫌われてしまうこともありました。今ではよく効く薬が作られ、早く病気を見つけて正しい治療を行えば治ようになりました。

Q2 ハンセン病はいつ頃から出現したのですか?
A2
 大変古くから存在する病気です。今から4000年前(紀元前2000年ごろ)に、エジプト、中国、インドの古い文書にハンセン病について書かれています。日本では、1300年前(8世紀前半)につくられた「日本書紀」という歴史書に100年前(7世紀前半)の出来事として「白らい」(皮膚にできる白い発疹)のことが記されています。

Q3 昔の人はどのようにしてハンセン病のことを知ったのですか?
A3
 ハンセン病は、皮膚と末梢神経が侵される病気です。治療薬のなかった時代には、顔や手足に皮疹(皮膚の発疹)ができたり、顔・手・足の形が変わったりすることからハンセン病と考えたようです。

Q4 ハンセン病はどのようなことが原因で感染や発病するのですか?
A4
 ハンセン病は、らい菌による普通の病気です。らい菌が体に入っても、多くの場合、体の抵抗力でらい菌は、排除されます。らい菌は、発病させる力が弱く、たとえらい菌に感染しても、現在の日本のように、十分な栄養がとれ、衛生的な社会では発病することはほとんどありません。しかし、免疫力が弱い乳幼児の頃、多くのらい菌が何回も体の中に入った時に感染し、その人が年を取り病気などで抵抗力が低下したときに発病することがたまにあります。

Q5 ハンセン病は、どのような薬で治療するのですか?
A5
 現在は、ダプソン、クロファジミン、リファンピシンなど多くの優れた治療薬があります。ハンセン病は、これらの薬を組み合わせた多剤併用療法で治ります

Q6 ハンセン病患者から感染しますか?
A6
 らい菌は、多剤併用療法により数日で感染力を失うので、他の人に感染させることはありません。ハンセン病は、治療中でも治療終了後も社会で共に働き・学び・一緒に過ごすことができる普通の病気です。

Q7 早期発見とは、どの段階なら早期ですか?
A7
 早期の症状としては、顔や手足などの体温の低いところに現れる皮疹(皮膚の病変)と、末梢神経炎により、痛い、熱いなどが感じにくくなるなどの知覚障害が出てきます。さらに運動障害を伴うこともありますが、この段階で、治療を始めればほとんど障害を残さず治ります。もちろん治療中でも患者さんは、学校に通うことも、家族と一緒に過ごすこともできます

Q8 ハンセン病になると、ハンセン病療養所に入れられるのですか。
A8
 ハンセン病療養所に入る必要はありません。1996年に「らい予防法」が廃止されハンセン病の治療に保険が使えるようになり、大学病院や一般病院皮膚科で通院して治療ができるようになりました。

Q9 現在のハンセン病患者さんは、日本に何人ぐらいいるのですか?
A9
 世界全体で新規患者数は年間約22万人、日本人は年間0~数人です。日本人の新規患者は、70歳前後の高齢者がほとんどです。ほかに治ったあとに再発する人が年間3~5名人出ることから、日本人のハンセン病患者数は10人前後です。

Q10 ハンセン病は治る病気だとわかっているのに、なぜ差別や偏見が続いたのですか?
A10
 国は、1931年以降、らい予防法によってハンセン病患者をハンセン病療養所に強制的に入所させました。患者の出た家を真っ白になるほど消毒をしたり、国民を指導して「無らい県運動」を進めるなどして、ハンセン病は国の恥、恐ろしい病気という誤った意識を国民に植え付けました。終戦後の1947年から、日本の療養所でもアメリカから輸入したプロミンや東大の石館守三(いしだてもりぞう)教授の合成したプロミンの治療でハンセン病は治る病気になりましたが、一度、植えつけられた差別意識はそう簡単になくすことはできません。それどころか国は、日本国憲法下においても、らい予防法を廃止せず、強制隔離政策や「無らい県運動」を継続したため、ハンセン病患者と回復者への偏見・差別による人権侵害が助長されることになりました。

Q11 有効な薬が開発されてからも、なぜすぐにハンセン病患者に薬を投与しなかったのですか?
A11
 1941年、アメリカのカービルにあるハンセン病療養所でプロミンによる治療が始まり「カービルの奇跡」と言われるほどよく効きました。しかし、太平洋戦争のため、アメリカからプロミンの輸入ができず、 終戦後、1947年にアメリカから輸入したプロミンや東大の石館いしだて守三もりぞう教授の合成したプロミンによる治療が開始されました。患者自治会の働きかけで1949年には、5,000万円のプロミン予算が組まれ、希望者へのプロミン治療が可能となりました。

Q12 ハンセン病が治る病気だとわかっても、なぜすぐにらい予防法が廃止されなかったのですか?
A12
 日本では1947年にプロミンによる治療が始まり、治る病気になったにもかかわらず、国は療養所での生活や医療の改善の予算の確保を優先して、らい予防法を廃止しないで、強制的に隔離する政策を継続しました。医師や弁護士も積極的に予防法廃止の声を上げませんでしたし、さらには私たち国民の無関心、あるいはハンセン病についての理解不足も、1907年の最初の法律の施行から1996年のらい予防法廃止までの90年間の長期にわたり、らい予防法による人権侵害を通用させました。じつは病気が治った回復者のみなさんたちも、らい予防法の廃止により、生活の場である療養所が閉鎖されてしまうことを恐れました。故郷との絆きづなも断たれていて、病気の後遺症もある、そしてまだまだ社会には根強いハンセン病への差別・偏見が残っていました。回復者のみなさんは、らい予防法の廃止を強く主張できない事情があったのです。回復者のみなさんに、そのような想いを抱かせてしまった国や医学会、法律家、そして社会を構成する私たち国民も反省しなければならないと思います。

Q13 日本以外の国、海外ではハンセン病とどのように向かい合っていきてきたのですか?
A13
 ハンセン病の治療薬がなかった時代は、多くの国で隔離かくり政策が取られていましたが、第5回国際らい会議でハンセン病の治療薬であるダプソンの有効性が確認されてからは、隔離して治療する政策から通院治療に変わりました。

6 059 吉田秋生「海街diary 3 陽のあたる坂道」(小学館:2010)感想4+

2017年04月29日 23時19分34秒 | 一日一冊読書開始
4月29日(土):  

191ページ     所要時間2:30     アマゾン312(55+257)円

著者54歳(1956生まれ)。

コミックの世界に入り込むと、丁寧で優しくて懐かしい物語りに引き込まれて心地よい気分に浸れる。それにスパイスのような刺激を与えてくれるのが、「どうして当事者にしかわからないような機微に触れた心理描写ややり取りを著者は描けるのだろう」と舌を巻くようなシーンに出合うことである。

想像力だけで描くには限界があるはずだ。著者は相当取材をしているのと、日々の生活をよほど意識的に銘記するようにしているのだと思う。

浅野すずが、山形から鎌倉の香田三姉妹のもとに引っ越してきて、ようやく一年が経った。鎌倉は良い感じのところだけど、世間が狭いというか、人と人がどこかで意外とつながっている。かなり程よく狭苦しい土地の様な印象を受けた。映画で採用されたシーンもたくさん出ていた。

【目次】「思い出蛍」「誰かと見上げる花火」「陽のあたる坂道」「止まった時計」

【内容紹介】最初の出会いから季節がひとめぐりした夏---。すずと三人の姉たちは、父の一周忌で再び河鹿沢(かじかざわ)温泉を訪れた。複雑な思いを胸に抱くすずだが…?家族の「絆」を鎌倉の美しい自然とともに描く、大注目のシリーズ第三巻!四人姉妹それぞれの時間がゆっくりと動いていきます。楽しいことも悲しいことも家族の中で彩られ昇華され、いつしか美しい思い出になる。

170429 本当に恐ろしいこと!総理大臣夫婦が明白な嘘をつき反省もせず誤魔化して逃げ続ける姿を日本中の子どもたちが日々見続けている!

2017年04月29日 17時32分12秒 | 時々刻々 考える資料
4月29日(土):

本当に恐ろしいこと!総理大臣夫婦が明白な嘘をつき反省もせず誤魔化して逃げ続ける姿を日本中の子どもたちが日々見続けている!

  
日刊ゲンダイ北朝鮮危機でゴマカシは効かない 森友疑獄に新事実続々  2017年4月27日 
  「幕引き」だと思っていた安倍首相は今頃、狼狽しきりだろう。森友学園問題のことである。
  北朝鮮の暴発危機で、世論の関心を森友問題からそらせ、昭恵夫人の国会招致も突っぱねて、まんまと蓋をしたつもりだった。
  ところが、国会では野党がしつこく質問。テレビ中継がない委員会だから、北や米軍の動向を伝える報道に隠れてきたが、実は見過ごせない新事実が次々出ている。ついには、財務省サイドと籠池泰典前理事長夫妻との面談を録音した音声テープまで公開され、知らぬ存ぜぬで言い逃れてきた財務省は、もはやアウトだ。
  森友問題の核心は、なぜ鑑定価格より8億円も安い大幅値引きで国有地が売却されたのか、である。共産党の宮本岳志衆院議員が独自に入手した資料を基に、価格決定の経緯に関わる事実を委員会でこれでもかと暴露している。
  今月21日には、小学校開設の可否を判断する大阪府の審議会の開催前日(2014年12月17日)に、近畿財務局の担当者が森友側に売買契約締結までの手順を書いたペーパーを“ご丁寧”にも渡していたことが発覚。これまで「(審議会前は)一切、予断を持って先方に内容を申し上げることはない」と強気だった佐川理財局長も、実物を見せられ、認めざるを得なくなった。

■「特例」発言の音声テープの衝撃
  25日には、工事業者が作った記録に、15年9月に財務省が「ごみの埋め戻しを指示した」との記載があることについても、新事実が発覚した。財務省はこれまで「埋め戻しの指示はしていない」と突っぱねてきたが、宮本議員は、16年3月に行われた田村国有財産審理室長と籠池前理事長らとの面談に言及。「埋め戻しの事実を知った籠池前理事長が抗議をしたのではないか」と迫った。
  そうしたら同日夜、田村―籠池の面談音声テープがテレビ朝日の「報道ステーション」で流され、TBSや朝日新聞なども報じたのだった。
  その生々しいやりとりで、田村室長は森友との土地取引を「特例」と表現。ごみについては「重大な問題だと認識している」と答えているのだ。この3カ月後、ごみ撤去費用として8億円の大幅値引きで売買契約が成立。ここまでの経緯を見てくれば、財務省が森友に対し“特別扱い”した結果だろうことは想像に難くない。
  あらためて宮本議員が言う。
  「財務省はゴミの処理費用が巨額になるため、工事業者に場内処分(埋め戻し)を指示していた。そうした違法措置を知った籠池氏に事実を突き付けられ、それを糊塗するために大幅値引きで売却したのでしょう。8億円という金額も、近畿財務局と大阪航空局が『連携』して、赤字にならない値引きの最大ラインに合わせて、ゴミの撤去費用を逆算して算出した。籠池氏の言う“神風が吹いた”というのはそういうことですよ」
  
   チンピラ無能大臣ばかり(C)共同通信社

主犯・安倍夫妻、共犯・財務省
  しかし、なぜ財務省が法律違反にまで手を染めたのか。
  「財務省は、途中でこの国有地の取引をストップさせることはできた。そうならなかったのは、安倍昭恵夫人の“口利き”があったからでしょう。面談の半年前には、夫人付職員の谷氏が田村室長に問い合わせもしています。取引をやめる選択肢はなかった」(宮本議員)
  問題の音声データを入手した著述家の菅野完氏もこう言う。
  「ゴミ撤去に巨額の費用がかかるのだから、財務省はあの土地をもともと欲しがっていた大阪音大に売っておけばよかった。それでも森友と取引したのは、そうしなければならない何らかの意思が働いたとしか思えません」
  昭恵夫人は森友の小学校用地の視察時に、「いい田んぼができそうですね」とうれしそうだった。「安倍晋三記念小学校」と名付けられるはずだった学校である。財務省がゴミを理由に邪魔するわけにはいかない。そんな中で、タダ同然の異常な国有地売却が断行されたのではないか。主犯・安倍夫妻、共犯・財務省だ。
  財務省は森友の交渉資料を「事案終了」として「廃棄した」としているが、会計検査院は25日、「支払いが完了しないケースは、事案自体が完全に終了したと認めるのは難しい」との見解を示した。
  森友絡みの資料は、まだまだゴッソリあるとされる。幕引きどころか疑惑追及第2幕に突入だ。

■安倍首相夫妻の権力私物化で国政が歪められた
  安倍が北の脅威を煽っている間に、昭恵夫人の公私混同のデタラメも次々、明るみに出ている。夫人には現在、常勤2人、非常勤3人の公務員が付いている。“私人”なのに、この人数だけでもフザけた話なのだが、ナント選挙応援には15回も職員を同行させていた。
  さらには田植え、スキー、ハワイ訪問まで。“召し使い”である。
  「第2の森友」といわれる加計学園問題も炸裂している。
  安倍の“腹心の友”が理事長を務める学園が、愛媛・今治市に新設する岡山理科大の獣医学部を巡る疑惑だが、理事長が“首相の後ろ盾”をほのめかしたというリポートも今月、月刊誌で発表された。「国家戦略特区」を悪用して、友達においしい思いをさせたのではないのか。いやはや、安倍夫妻の権力の私物化は目に余る。
  政治学者の五十嵐仁氏がこう言う。
  「いずれも森友問題を契機に明らかになったわけですが、いかに首相夫妻が政治を私物化し、忖度を構造化して国政を歪めてしまったのかが白日の下にさらされた。酷い話で、本当に大問題です」

■1強政治の弊害、極まれり
  そこへきて、トンデモ大臣の更迭である。「東北だからよかった」とは、復興相の資質ゼロどころか、人としてどうかという発言だが、戦後最低のデタラメ内閣には、他にもチンピラ無能大臣がたくさんいる。「学芸員はがん」の山本地方創生相、「土人」発言を「差別と断定できない」と繰り返した鶴保沖縄北方相、稲田防衛相に金田法相と、挙げればキリがない。
  その上、驚くのが自民党幹事長の暴言だ。二階は自派閥に所属する今村前復興相の辞任について、パーティーでの発言を報じたマスコミが悪いと言ってのけたのだ。「そんな人は(会場に)入れないようにしないといけない」と取材拒否の姿勢まで見せた。不倫スキャンダルで辞任した前経産政務官は、いまだ記者会見せず、雲隠れ。どこまで驕り高ぶっているのか。自民党はロクでもない議員ばかり。1強政治の弊害、ここに極まれりだ。
  「もともと問題だらけの政権なのですから、もはやごまかし切れなくなったということでしょう。当然の展開です。北朝鮮危機でそうした問題を全部チャラにしようと考えていたが、そうは問屋が卸さなかった。今村大臣の辞任で、安倍首相は『任命責任は私にある』と言いました。その言葉通り責任を取って欲しい」(五十嵐仁氏=前出)
  米朝の緊張を扇動し、トランプ米大統領との蜜月ぶりをアピールして、森友問題で下がった支持率を戻し、強いリーダー復活……というのが安倍のシナリオだったのだろうが、全部吹っ飛んだ。森友爆弾も再び破裂し、もう世論を騙くらかし続けられない。マトモな国民は、倒錯政権の正体を見抜いている。

170429 2013年のBS歴史館「保科正之」録画を観た。安倍晋三は存在そのものが犯罪だと思った。

2017年04月29日 14時33分02秒 | つぶやき
4月29日(土):    
日本史上最高の政治家のお手本と最も愚劣な世襲政治屋バカボンの比較。ナチス麻生も同罪。
絶望感…。わかる人だけ、わかって下さい。ため息。
わかりたい人は、少しだけ調べて下さい。磯田道史の言葉は本当に味わいが深い。

・僕は保科正之の言葉ん中で一番好きな言葉で「昔から地位にある者が学んでいないほど、国家を病気にするものはない。害になるものはない。」という風に言ってんですね。いろんな時代の状況だとか、過去の状態だとか学んでないことそのものが害になるということを自覚せよ、という風に言うわけですね。(磯田道史 番組中の談)

6 058 吉田秋生「海街diary 2 真昼の月」(小学館:2008)感想4+

2017年04月29日 03時14分26秒 | 一日一冊読書開始
4月28日(金):  

191ページ     所要時間2:25     ブックオフ360円

著者52歳(1956生まれ)。

普通に読んでいて、何度もヒヤッとするような言葉のやり取りや場面展開に出くわす。時には一人の人間の中で、また時には複数の人間の間で、すべてが一面的でなく、少ない時でも四重、五重くらいの思いの輻輳が背景にある。その上で、言葉が紡ぎだされ、ぶつかったり、すれ違ったり、割り切れなかったり、重なり合ったりする。漫画という表現手段を+α(プラス・アルファ)の武器にした小説のように読める。よく意味が解らないところも、たまにあるが、それも人間の割り切れなさとして読めてしまう。

感想4+は、何となく感想5にしてしまうことへの畏れを感じてしまって抑えている感じである。コミックだけど、コミックらしくないコミックである。

作者の創作能力に驚くとともに、この物語りの核はどこにあるのだろうと考えてしまう。夫に逃げられた後、三人の娘を実家の母(三姉妹の祖母)のもとに置き捨てにして自分も他の男と駆け落ちした三姉妹の母親(*映画では大竹しのぶさんが演じていた)が、この物語の核になると思えてならない。他の誰から考え始めてもそれは周縁部を固める感じで継ぎ接ぎを重ねる感じになる。

一方で、三姉妹の母親のある意味、思いもよらない薄情過ぎるとも言える行動を起点にして、いろいろな人々の関係性や内面の思いを考えると、ちょうど真ん中からズレることなく物語り全体が広がっていく感じがする。理解もしやすい。登場する機会は少ないが、人間としての弱さを隠さない三姉妹の母親こそがこの物語りの起点ではないか、と確信めいた思いを持ってしまう。

【目次】「花底蛇」/「二人静」/「桜の花の満開の下」/「真昼の月」

6 057 吉田秋生「海街diary 1 蝉時雨のやむ頃」(小学館:2007)感想4+

2017年04月28日 21時26分00秒 | 一日一冊読書開始
4月28日(金):  

192ページ    所要時間2:10     ブックオフ108円

著者51歳(1956生まれ)。

昨夜観た映画の原作のマンガである。古本として4巻まで買い置きしてあった。マンガを読書のカウントに入れるのはどうかと思ったが、読みたかったのだ。「ヒカルの碁」のようにコミック2冊を1冊にカウントすることも考えたが、既に「やっちまったよ一戸建て」や「あさきゆめみし」でコミック1冊を読書1冊にカウントしている。それなりに内容の良い漫画なら、じっくり読んで味わって、1冊にカウントしてもいいではないか!と自分に対して思うのだ。どうせそう長くない人生の残り時間を考えて、「大好きな<読書の習慣>を維持するためなら、何でもかまわない!大いに自分を甘やかせばいいのだ!と思っています。それで本との縁を継続できるのであれば……。すまし込んで偉そうにして、本読みに消極的になるよりも「所詮、わたくし大した者ではございません。この程度の<本読みサイト>です。それでよろしければ、ようこそお越し!ウェルカムでござりまするm(_ _)m!!!」って方が良いのです。マンガも一冊です

ごたごた言い訳をしてしまいましたが、これで4巻まで買い置きしてある「海街diary」を心置きなく読めそうです。本書の感想は本当は5です。良い感性の作品だし、気持ちよく読めた。感想4+にしたのは、俺自身の吹っ切れなさだろう、と思う。でも、読書に対するそういう見栄・虚栄を持ってしまうことも大事にした方がいいかなとも思うのです。

昨夜観た是枝裕和監督の映画「海街diary」の原作だが、映画の中身は第1巻だけでは、カバーし切れていないことを確認した。同時に、採用されているシーンはセリフも含めてほぼ正確に再現されているのも確認できた。優れた映像作品の原作は必ず優れている」という俺自身が実感して見つけた法則は、今回も実証された。このコミックの一番良いところは、何よりも言葉と物語りだと思う。

俺は是枝裕和監督の作品に見られる「人間の存在をを丁寧・正確に再現し、優しく描き表現しよう」という作風を非常に気に入っているが、第39回日本アカデミー賞、最優秀作品賞、最優秀監督賞(是枝裕和)に輝く映画「海街diary」の成功は、是枝監督がこの吉田秋生原作のコミックを「映画にしよう」と決めた時にすでに約束されていたと思う。何も足す必要はない。すべてが原作の中にある監督は、その素敵な物語りの数々の中から気に入ったシーンをチョイスして、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずらの素晴らしい女優陣を選び、演技を任せればよいだけである。

要するに、是枝裕和監督が、この原作コミックを「映画にしよう!」と決めた時に、この映画の成功は約束されていたのだ!と俺は思う。

【目次】蝉時雨のやむ頃/佐助の狐/二階堂の鬼

【内容紹介】海の見える街、古都・鎌倉を舞台に清新なタッチで描く、家族の喪失と再生のものがたり。吉田秋生が新境地に挑む、畢生(ひっせい)の感動シリーズ! 男の部屋で朝を迎えた三姉妹の次女・佳乃(よしの)に父の訃報(ふほう)が届いた。母との離婚で長い間会っていない父の死に、なんの感慨もわかない佳乃は…。鎌倉(かまくら)を舞台に家族の「絆(きずな)」を描いた限りなく切なく、限りなく優しい吉田秋生の新シリーズ!!

6 056 杉原泰雄「憲法読本 第3版」(岩波ジュニア新書:2004)感想 特5

2017年04月27日 02時03分45秒 | 一日一冊読書開始
4月27日(水):  

288ページ     所要時間6:20      蔵書

著者74歳(1930生まれ)。旧制中学三年のとき、動員されていた軍需工場で「八月一五日」を迎え、翌年、日本国憲法に出会う。一橋大学大学院法学研究科博士課程修了。一橋大学教授、東海大学教授、駿河台大学教授を経て、現在、一橋大学名誉教授。専攻は憲法学

初版(1981年)、新版(1993年)とともに所蔵している。いずれも読了してるので、今回は最低でも4~5回目ぐらいの読み返しになる。第4版(2014年)は、まだ高くて買えない。俺は、本書を旧版も含めて繰り返し読んできたことになる。有名な芦部信喜『憲法』を、少し前にアマゾンで取り寄せたがまだ読めてないが、 俺にとっての憲法の基本テキストは本書だと言える。

内容を改めて抄訳・紹介する気力も時間もないが、既に前の付箋をしてある本書にさらにたくさんの付箋をして、線まで引きながら読み始めると、たしかに<俺自身の憲法観>が本書によって基礎づけられていることがよく確認できた。本書を丁寧に読むのは、6時間でも全く足りないが、大きく歴史的背景から今の憲法を位置づけ、その座標と護るべき必然性を教えてくれる貴重なテキストである。

そもそも日本国憲法がこれほどに進歩的で素晴らしい内容になったのは、第二次大戦に敗北して日本人自身の自覚が高まったからではない。つまり、日本人が市民革命を成し遂げた結果ではない。そうではなく、日本に対する占領政策を円滑ならしめる上で「天皇制」の利用価値を高く評価したGHQ(アメリカ)マッカーサーが、オースとラリアなど他の連合国の昭和天皇への戦争犯罪人訴追をかわすためには、その国々をも納得させるに足る進歩的・民主的・平和主義的内容の憲法を大急ぎで作らざるを得なかったのだ。

日本国憲法は、ある意味「不幸な憲法」である。内容の素晴らしさに対して、敗戦直後の日本の権力層も、日本の市民勢力も追いついてなかったのだ。そのため、権力を縛る立憲主義からすれば、権力層は窮屈だと言って「押し付けられた」を連呼するし、日本国民、市民勢力はポカーンとして今の憲法が「世界史的に見ても奇跡のように素晴らしい憲法である!」という自覚が十分に持てていなくて、まさに「宝の持ち腐れ」状態で、権力層からの「解釈改憲」攻撃を受け続けている。しかも、その攻撃を受けているという自覚すらも極めて乏しい。

著者は言うのだ。「憲法の成立の経緯なんてどうだっていい!要は中身の素晴らしさだ!この憲法を護り続けることが、日本人が経験していないままの<「市民革命」の実現>なのだ!そして、この憲法を護るためには、もっともっと多くの市民(国民+在日外国人)が憲法の中身をもっともっともっとしっかりと学び理解して自覚を高めるしかないのだぞよ!」と。

【目次】1 現代社会と立憲主義/2 日本の立憲主義のはじまりー大日本帝国憲法(明治憲法)/3 日本国憲法の制定/4 日本国憲法のしくみ/5 日本国憲法はどのように運用されてきたか/6 明るい未来を求めて

【内容紹介】戦争の放棄、人権の尊重、国民主権、地方自治など、世界に先駆ける日本国憲法。自衛隊が海外派兵され、改憲が声高に叫ばれるいま、憲法の成り立ちとしくみを積極的に学習することが大切です。憲法を理解するうえで、最適の入門書として読みつがれてきた本の第3版。

6 055 三井美奈「イスラム化するヨーロッパ」(新潮新書:2015、12月)感想5+

2017年04月23日 03時33分45秒 | 一日一冊読書開始
4月22日(土): まさに”今”読むべき本です! 

208ページ     所要時間5:30     古本93円+税

著者48歳(1967生まれ)。読売新聞記者、一橋大学社会学部卒。ブリュッセル支局員、エルサレム支局長、ハーバード大学日米関係プログラム客員研究員などを経て、2011~15年パリ支局長。

本書は、情報の新しさが命である。欧州諸国(特に仏英)とイスラム教の葛藤の今を活写してくれる現代欧州理解のテキスト(必読書)と言える。昨日の夕刊一面に出ていたパリのテロ事件も本書を読めば、背景が手に取るように分かった。

読書としては、付箋に線まで引き始めて、なかなか前に進まなくてイライラする失敗読書だった。だが、手にした情報、新しい世界観の量も多かったので、感想は5+となる。

まもなく世界の3人に1人がムスリムになる。2070年には、キリスト教を追い抜いて信者数でイスラム教が最大の宗教になる。中近東はともかく、人口の大きいトルコ、パキスタン、バングラデシュ、インド、マレーシア、インドネシアなどのムスリムのイメージは俺の中ではけっこうゆるかった。まあ、エジプト、アラビア半島、パレスチナ、シリア、イラク、イラン、アフガンなどの中近東諸国はちょっと(戒律に)厳しそうだよな。

最近、ヨーロッパでムスリムの若者たちがテロを起こしてるようだが、それも旧宗主国として植民地支配していたイスラム世界からの移民の一世ではなく、二世・三世の欧州生まれのムスリム青年たちの貧困と疎外感が、アルカイダやISなどのイスラム過激組織に利用されてしまってるのだろうな。根本の問題は、宗教対立ではなく、移民二世・三世の貧困と疎外感が問題だし、そのうちヨーロッパだったらうまく解決するだろうな。

何と言っても、イスラム教がどんな異なる文明とも組むことができる普遍的性格を持つ世界宗教であることは、「世界史」の基礎知識としてよく知られている。きっともう少しすれば何とかなって収まるさ。ただキリスト教もイスラム教も融通が利かない”一神教””ドグマ”なのがいけないんだよなあ。これが、俺のイスラム教に対する基本的認識だった。そして、百年・二百年単位の歴史の流れで観ればこの理解は恐らく間違っていないはずだ。

しかし、本書を読んで、「一番の問題はまさに”今”だ。直近の五十年前後で見通した場合、下手をすれば世界は大変な混乱を経験することになる。最悪”十字軍”というとんでもないことも世界史では起っているのだ」ということを、すべて具体的な事実を取り上げて、かつ直接間接に関わっている当事者の肉声を本書では知らせてくれる。著者は、読売新聞の2011~15年パリ支局長を務め、まさにシャルリーエブドのテロにパリで直に出合っている。しかも、著者は女性だ。ヨーロッパキリスト教のイスラム批判・偏見の重要項目に”女性蔑視の宗教”という視点がある。現在のヨーロッパの現実・現況について語ることのできる最適格者と言える。

本書で一番感じたのは、ヨーロッパは何もしていないのではない。無責任、無関心で知らぬ顔をきめ込んでいる日本に比べれば、ヨーロッパのムスリムの人口比率ははるかに高く、かつ精一杯ムスリムの移民・難民をヨーロッパ社会は受け入れてきたし、その人々がヨーロッパ社会に溶け込めるように精一杯の努力をしてきている。勿論、政教分離の世俗主義を徹底しすぎるフランスのような失敗もあるが、一方で多文化主義でかえってロンドニスタンを増やしてしまうイギリス、戦略的にシリア難民を積極的に受け入れるドイツ、「高負担、高福祉」と経済成長を両立しながら移民受け入れをしたものの行き詰まった北欧などさまざまではあるが、ヨーロッパは努力してきた。だが、その努力が限界になりつつあるのに、移民の二世・三世は、欧州社会で疎外感を解消できない現実をムスリムとしての自覚を再認識することに求めようとしてしまい、そこをイスラム過激組織に簡単に利用されてしまい、普通の青年が突然ホームグロウン・テロリストに切り替わってしまうのだ。

要するに、欧州は不作為ではなく、かなり意識的・継続的に努力をしてきても増加するムスリムの二世・三世のテロ問題の悪化を押しとどめられないで、急速にイスラム憎悪感を強めてしまい、「反イスラム」「反移民」「反EU」「反ユーロ」のポピュリズムが席巻するようになってきている、まさに現在、その真っただ中にいるのだ。その臨場感を、今読めば本書からそれを感じ取れる!。

それにしても、「移民受け入れ」に非常に消極的な日本政府の姿勢についてであるが、「だからこそ日本政府の判断は正しいのだ」などとは、著者は決して言ってはいない。先述したようにまもなく3人に1人がムスリムであり、キリスト教を抜いて世界最大の信者を抱えるイスラム教と日本が無縁でい続けられる訳がない。まもなく来る「隣りのムスリム」の時代に備えて、日本は、ヨーロッパがやってきた様々な試行錯誤と失敗から一日でも早く、少しでも多くのことを学んで来るべきイスラム教徒の人々とより良き「共に生きる社会」をいかにして築くのかを学び、実践に移すべきであると著者は強く提言しているのである。

まことにもって、本書は現代日本人・日本政府にとって必読のテキストというべきものである。特に、フランスで急速に勢力を伸ばしているポピュリズム政党の「国民戦線」とその党首「マリーヌ・ルペン」や、移民受け入れに戦略的に積極的なドイツのメルケル首相のことについて非常に詳述されているので、本当に役に立つ内容の本になっているので、ぜひ読んでみて下さい。

疲れたので寝ます。

【目次】はじめに
一 過激派志願の若者たち :消えた少女/戦闘員の妻/ネットの罠/サラの家出/豹変する若者/満たされぬ心
二 ホームグロウン・テロリスト :一九九〇年代のハイブリッド/第一号ハリド・ケルカル/ロンドニスタン/第四世代戦争/拡大するテロリズム
三 共存の葛藤 :戦後復興の担い手/ルネサンスの伝道者/ベール論争/学校からの追放/覆面ベール禁止法
四 立ちはだかる壁 :バンリューの移民街/若手議員の奔走/埋まらない格差/著名人たち/暴動発生
五 シャルリー・エブド事件の衝撃 :シャルリーとは何者か/諸刃の剣/テロ発生/犯人たち/過激思想の伝道師/自由を守れ/奪われた生命
六 イスラムと欧州政治 :悪夢ふたたび/移民の時代/人道危機と不安のはざまで/反ユダヤから反イスラムへ/地方への浸透/変わる「北欧の寛容」/オランダの変貌/政治参加の道/欧州流イスラムとは/世界とイスラム

【内容情報】終わりなき非常事態! 多発するテロ、移民二世・三世の増加、押し寄せる難民――欧州は今まさに「イスラム化」の危機に瀕している。西欧育ちの若者が、なぜ過激派に共鳴するのか。自由の国フランスで、なぜベールの着用が禁止されるのか。戦後復興の担い手は、いかにして厄介者となったのか。そして、欧州の「自由」と「寛容」は、いかに失われつつあるのか――。長年の現地取材に基づき、欧州を覆う苦悩から、世界の明日を読み解く!

追記:激しく流動し苦闘するヨーロッパに比べて、沈滞・沈黙する日本、今でこそ表面は穏やかだが、エネルギーは絶対に消えない。今、愚か者の安倍晋三政権の下で日本社会は深いところで負のエネルギー、負の矛盾がずっしりと確実に溜まってきている。遠くないいつか、激しく混乱を伴なって噴出することだろう。そのとき安倍の愚か者はいない。そして、日本社会に分断と深い亀裂が残るのだろう。

170422 逆臣安倍晋三は、「行政」の長に過ぎない。天皇の意思を踏みにじってもいいのか?

2017年04月22日 17時55分17秒 | 時々刻々 考える資料
4月22日(土):

 俺は「天皇制」に対しては批判的な立場だ。一方で、戸惑うほど、現天皇を尊敬している。そして、「天皇の退位」問題に対する政府の取り組みの姿勢・現状を観ると「異常」を通り越して、「非道」だと断ぜざるを得ない。

 安倍に選任されたから仕方がないと言うのかもしれないが、「有識者」と称される者たちが、どうして明らかに将来に禍根を残す杜撰な取り決めをこともあろうに「天皇制」に関わってやってしまっているのか」がさっぱりわからない。

 意に反すれば、委員を辞退すればいいだけのことではないか。真理や正義を捨ててまで、それほどに安倍(安倍に象徴される勢力)が怖いのか、気に入られたいのか。現天皇と国民の思いを、踏みにじってまでも安倍(安倍に象徴される勢力)の意に沿う謂われは、一体全体どこにあるのか。

 今回の「有識者」たちの名前と取り決めの内容は将来にわたって歴史に残る。歴史に汚名を残すことをこそ恐れるべきだと思うのだが、最近俺は、日本の人々のことがさっぱり理解できなくなってきている。あえて口汚く言うが、安倍を野放しにしているこいつら日本人は、必ず政治的に厳しい報いを受ける。そのことに全く無自覚だ。そして、子どもたちの未来から責任を問われ、指弾される。

朝日デジタル【社説】退位報告書 政権への忠実が際立つ  2017年4月22日(土)付
  天皇退位の是非やそのあり方などを検討してきた有識者会議が、最終報告をまとめた。
  「国民の総意」づくりに向けた骨太の論議を期待した。だが任命権者である安倍政権の意向をうかがった結果だろうか、踏み込み不足が目立ち、最終報告も退位後の称号などに関する見解を並べるにとどまった。
  この問題に対する政権のスタンスは明らかだった。
  退位を認めず、摂政の設置や皇族による公務の分担で対応する。やむなく退位に道を開く場合でも、今の陛下限りとし、終身在位制を維持する。一部の保守層が反発する皇室典範の改正は行わない――というものだ。
  昨年秋に設置した会議の名を「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」という分かりにくいものにしたことからも、その思いは明らかで、国民の意識とのずれが際立っていた。
  有識者会議はこれを踏まえ、疑問の多い運営を続けた。
  ヒアリングでは、明治憲法下の特異な天皇観に郷愁を抱き、象徴天皇制への理解を欠く論者を多数招いた。年末には早々と「退位は一代限りということで合意した」と説明し、その線に沿ってまとめた「論点整理」を今年1月に公表した。
  こうしたやり方に各方面から批判があがり、会議は求心力を失って議論は国会に引き取られた。各党・会派の意見を受けた衆参両院の正副議長による3月の「とりまとめ」は、今回の退位を例外的措置としつつ、「将来の先例となり得る」と明記するものとなった。いま政府はこれに反する特例法骨子案をまとめ、押し返そうとしている。
  象徴天皇のあるべき姿や、高齢社会における円滑で安定した皇位継承の進め方について、有識者会議が突っ込んだ話をしなかったことが、なお混乱が続く原因のひとつといえよう。
  最終報告は末尾で、皇族の数が減り、活動の維持が難しくなっていることに触れている。
  「先延ばしのできない課題」「対策について速やかに検討を行うことが必要」とする一方、5年前に野田内閣が打ちだし、国会の「とりまとめ」に盛りこまれた「女性宮家」への言及はない。女性・女系天皇の容認につながるとして、女性宮家構想を議論すること自体を忌避してきた政権の影を、こんなところにも見ることができる。
  天皇退位という、扱いを誤ると政権基盤を揺るがしかねない重いテーマを前に、振り付けられたとおりに動くしかない。そんな「有識者」会議になってしまったのは、きわめて残念だ。

朝日デジタル【社説】退位の政府案 国会の軽視が過ぎる  2017年4月20日05時00分
  憲法は国会を「国権の最高機関」と定める。その国会の合意をないがしろにする行いだ。
  天皇陛下の退位を実現するために、政府が検討している特例法の骨子案が明らかになった。衆参両院の正副議長のもと、各党各会派が議論を重ねて練りあげた「とりまとめ」とは、根底において大きな違いがある。
  政府はすみやかに案を撤回して、作り直すべきだ。
  まず法律の名称である。「とりまとめ」は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」としたが、骨子案は「天皇陛下の退位に関する…」となっている。一見大きな違いはないが、「陛下」の2文字を加えることで、退位を今の陛下お一人の問題にしようという意図が明白だ。
  あわせて、典範を改正して付則に盛りこむことになっていた特例法の趣旨が削られた。「この法律(=典範)の特例として天皇の退位について定める」という文言で、今回の退位が次代以降の先例になる根拠と、野党などは位置づけていた。
  改めて経緯を確認したい。
  この問題をめぐっては、終身在位の原則にこだわり、退位をあくまでも例外措置としたい与党と、退位のためのルールを設け、将来の天皇にも適用されるようにすべきだという多くの野党との間で、見解がわかれた。
  与野党対決法案になれば、憲法が「国民の総意に基(もとづ)く」と定める象徴天皇の地位を不安定にしかねない。危機感をもった正副議長の音頭で、政府案が固まる前に国会が協議を始めるという異例の手続きがとられた。
  ぎりぎりの調整を経て、1カ月前に文書化されたのが「とりまとめ」である。朝日新聞の社説も、妥協の産物であることを指摘しつつ、「国民の『総意』が見えてきた」と評価した。
  政府の骨子案はこうした努力と工夫を踏みにじるものだ。野党の声に耳を傾けようとせず、国会を軽視する政権の姿勢が、ここでもあらわになった。
  安倍首相はかねて「退位問題を政争の具にしてはならない」とし、正副議長から「とりまとめ」を手渡された際は「厳粛に受けとめる」と応じた。あれはいったい何だったのだろう。
  自民党の対応にもあきれる。「とりまとめ」について高村正彦副総裁は「党として全く異存はない」、茂木敏充政調会長は「いい形で全体の意見を反映していただいた」と述べていた。立法府の一員として骨子案に異を唱えてしかるべきなのに、このまま押し通すつもりか。
  「国権の最高機関」の名が泣いている。


170421 90万PV超:蟻川恒正「真実に生きる 自らの言葉と歩む天皇」 

2017年04月22日 17時08分38秒 | 閲覧数 記録
4月21日(金):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2022日。  

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朝日デジタル(憲法季評)真実に生きる 自らの言葉と歩む天皇 蟻川恒正  2017年4月20日05時00分
  「やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました」「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方に向かって進んでいけることを願っています」
  これは、2013年10月27日、熊本県水俣市を初めて訪れた天皇が水俣病患者の話を聞いた後に述べた言葉である。事前に用意された「おことば」ではない。天皇が返礼に自らの思いを述べるのは異例である。日本の公害の原点とされる水俣病は、胎児も含め、筆舌に尽くし難い病苦を患者に与えただけでなく、差別や偏見の故に患者であることを隠す生き方までを多くの患者と家族に強いた。その苦しみに寄り添い「真実に生きる」ことを励ます天皇の言葉は、当時、優しい言葉と報じられた。
  優しい言葉である。だが、優しい以上の言葉である。差別と偏見の只中(ただなか)にあって自らを晒(さら)すことは勇気と覚悟を要するからである。それを励ますことは、ひとつの生き方を励ますことである。その生き方こそ「真実に生きる」ことである。
  「真実に生きる」という言葉、殊(こと)にその「に」には、どこか日本語として聞き慣れない響きがある。英語に堪能な天皇はlive trueという表現を想起していたかもしれない。live true (to)は、何かに忠実に生きるということである。「真実に生きる」とは、あるべき自分の生き方に忠実に生きることであり、それを天皇は、全ての個人に励まし、それができる社会へと向かう努力を自他に求めたのである。
     *
  天皇にとって、それは自らがそうありたいと思う生き方であったに違いない。2013年4月28日、政府は「主権回復の日」の式典を挙行した。第2次世界大戦後占領下に置かれた日本が独立したのが1952年4月28日。沖縄は本土復帰が叶(かな)わなかった。その61周年を祝う式典への出席を求める政府の事前説明に対し、天皇は「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘した(毎日新聞2016年12月24日付)。先の大戦で国内最大の地上戦の戦場となった沖縄に対して、天皇は特別の思いを寄せ続けている。その天皇が、国政に関与したとの疑いを抱かれないよう細心の注意を払ってした発言が、この指摘である。
  この指摘は、短いが、あるべき自分の生き方に照らしての真実からする指摘であった。皇太子時代の1975年、沖縄を初めて訪れることになった天皇は、本土復帰から3年での訪問に「何が起こるかわかりません」と危惧した関係者に対し、「何が起きても受けます」と答えている。「受ける」という言葉には、父たる昭和天皇の名で行われた大戦で沖縄に甚大な被害を「与えた」以上、沖縄から何かを「受ける」のは自分であるとする苛烈(かれつ)な覚悟が見える。はたして、沖縄入りしたその日、過激派から火炎瓶が投げつけられた。その夜、皇太子(現天皇)は異例の談話を発表している。「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」
  即位後の天皇は、あるべき自分の生き方として自らのこの言葉に忠実に生きる道を選んだ。「長い年月をかけて、これを記憶し」、「深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていく」は、ほかならぬ天皇自身の今日までの歩みそのものだろう。「一人ひとり」がすることをおいて考えられないことを、天皇自らがする。それは天皇が国民「一人ひとり」を「象徴」しているということではないか。天皇は、沖縄の人々をめぐって国民と自己との間に作られることを願った、ここに見たような関係の在り方に、憲法に書かれた「象徴」という概念の生きた姿を見出(みいだ)したように思われる。
     *
  「真実に生きる」ためには、あるべき自分の生き方に忠実であろうとする意思が必要である。天皇の場合、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法1条)であるとはいかなることかを考え、絞り出すようにして出したその答えにふさわしく生きることが「真実に生きる」ことであった。それは、あるべき自分の生き方にしっかり向き合うこと――do justice (to)――であり、そうすることが「自分が正しくある」ことにほかならない。
  沖縄の人々が「屈辱の日」と呼んだその日を「希望と決意を新たにする日」(安倍晋三首相)と呼んで祝う式典――それが象徴するのは「国民統合」ではなく分断だろう――に天皇は出席した。それは、天皇にとって、「真実に生きる」ことではなく、「自分が正しくある」ことでもない。その半年後、天皇は、水俣病患者たち、そして全ての個人に、「真実に生きる」こと、「自分が正しくある」ことを励ましたのである。
  天皇退位をめぐる政府の検討が大詰めを迎えている。天皇が自らの歩みをもって国民に問いかけ続けた「象徴」に関する議論は、まだほとんど聞こえてこない。
     ◇
  ありかわ・つねまさ 1964年生まれ。専門は憲法学。日本大学大学院法務研究科教授。著書に「尊厳と身分」「憲法的思惟」。

170420 語りつぐ戦争「妹に薬飲ませ… 失った記憶」無職 村上敏明(京都府 82)

2017年04月21日 01時27分14秒 | 時々刻々 考える資料
4月20日(木):
のんきに介護」さんのサイト(4月19日)で紹介されていた記事。こういう記憶は大事にしたい。

朝日デジタル(声)語りつぐ戦争 妹に薬飲ませ… 失った記憶  2017年4月17日05時00分
無職 村上敏明(京都府 82)
  敗戦翌年、1946年の春、旧満州(中国東北部)四平で、中国共産党軍と国民党軍は内戦中だった。父は徴兵されて音信不通。砲火の中、母子5人で暮らした。
  7月、日本引き揚げが決まり、家に日本人会の男性数人が来た。1歳の一番下の妹について、「長い旅に耐えられないから殺しなさい」と言い、液体の毒薬を渡された。母が抱き、小学6年の長男の僕がスプーンでのませると妹は死んだ。その後の幾つもの記憶を僕は失った。
  後年再会した小学校同窓生によると、その日僕は泣きながら毒をのませた様子を話したらしい。
  心身共に不調だった母が荷車に横たわっていたのは覚えている。弟2人と共に貨物列車に乗せた。引き揚げ船出発地の葫蘆(ころ)島に到着。病院で、母は畳の上に寝かされた。処方された薬を母はのんでいたがある日、僕は別の粉薬を医師から渡された。
  僕がのませると、母は泡を吹いて死んでしまった。ぼうぜんとした僕。通夜で弟2人と僕は黙りこんだ。8月、3人で父母のふる里、京都へ。祖母の懐に飛び込んだが、上の弟はすぐに病死。
  今、75歳の下の弟と私。安保法制や、昔の治安維持法を想起させる「共謀罪」法案に反対だ。「誰の子どもも殺させない。いつまでも平和を」と声を上げ続けている。

6 054 伊藤真「中高生のための憲法教室」(岩波ジュニア新書:2009)感想4

2017年04月20日 20時08分01秒 | 一日一冊読書開始
4月20日(木):  

212ページ    所要時間4:10     アマゾン280円(23+257)

著者51歳(1958生まれ)。弁護士。

2度目。失敗読書だった。著者は「民主主義」が少数者・弱者の権利を侵しやすいことを指摘する。「日本国憲法」は、「民主主義」で起こりやすい<多数派の横暴>を予め抑制する機能をもつこと強調している。俺は「今の憲法を護れるのであれば死んでもいい」と思っている。著者の立場に全面的に同意・共感する。

【目次】第1限 「憲法の理念」ってなんだろう/第2限 自分の幸せを自分で決める権利とは/第3限 「自由」と「義務」について考える/第4限 憲法改正は必要なのだろうか/第5限 国民としての主体性とは何か/第6限 平和な社会がつくるもの

【内容情報】改憲論議の高まりのなか、教育基本法が改正され国民投票法も成立。その流れに危機感をおぼえた著者が、明日の主権者として未来を生きる若者たちに、日本国憲法のもつ力と価値をあますところなく伝えるとともに、自立した市民としていかに生きるかを説く。雑誌『世界』連載中から大好評だったコラムをまとめた一冊。

前回の分
213冊目 伊藤真「中高生のための憲法教室」(岩波ジュニア新書;2009) 評価4+    2012年05月07日 02時52分20秒 | 一日一冊読書開始

5月6日(日):

222ページ  所要時間2:55

評価5を付けられなかったのは、俺の読み取り能力の低さの所為である。記述も解かり易く、流し読みでは本当に勿体無かった。テキスト。図書館で借りた本だが、是非購入して手元に持っておきたい本である。

著者50歳(1958生まれ)。直球ど真ん中の護憲法律家。著者が、現行憲法をどれほど掛け替えのないものと考えてるか、非常によく伝わってくる。こんな正統派のベテラン論客の存在は頼もしい限りである。本書は、月刊誌『世界』に連載した「伊藤真の中高生のための憲法教室」(2004年4月号~2008年3月号)を、加筆・修正したもの。

小泉・安倍内閣時代の自民党による壊憲(憲法破壊)の動きに対して反駁するQ&A集的な内容になっていて興味深く読めた。目線も非常に行き届いていて、さまざまな社会問題と憲法の関わりについて、きめ細やかに説明されているので、憲法を武器として闘う人間にとって非常に良い手引書になっている。

著者は、安倍バカ内閣での、教育基本法改悪、憲法改正国民投票法案が成立したことに、強い憤りを覚えている様子である。

俺だって、差別・偏見発言と承知の上で、敢えて書くが、教育基本法改悪を強行する者は、せめて東大・京大卒業のたたき上げの政治家首相であって欲しかった。安倍のように何不自由の無い恵まれた環境に育ちながら、成蹊大学程度の大学しか出られなかった低い知能の世襲議員に<教育の憲法>とも言うべき法律に手を触れて欲しくなかった。傍で見ていて「このバカ(安部晋三のこと)は、自分のやってることの意味が何も解かってないやろう!」と思いながら、当時その愚行・暴挙を見ているのは、本当に切ないことだった。憲法改正国民投票法案成立の時も同じだった。せめて、自分の犯した行為の重大さを十分に理解できる悪党政治家に確信犯的に強行されたのであれば、ある種諦めと、今後の闘いへの闘志も起きるというものだが、視野の狭い・浅薄な理解力しかもたない世襲バカがやってしまうところに、なにか<世の中の常>の“不条理”を覚えた。しかも、その愚物の世襲バカが、「僕ちゃん、お腹痛いから、総理大臣辞めまちゅ!」で総理を辞めていながら、最近は元総理としてはしゃいでいる姿に呆れ返って吐き気を催させられる始末である。もう何をかいわんや…。

■目次
はじめに
第1限「憲法の理念」ってなんだろう:
「世界に一つだけの花」/守らなくてはならないのは誰? /「憲法改正」を考えるヒント /「戦争放棄」の理由 / 攻められたらどうするの?
第2限 自分の幸せを自分で決める権利とは:黙っていたら人権はない/オリンピックは誰のため? /プロ野球選手がストしていいの?/「公共の福祉」ってなんだろう? /公務員の人権が制限されるワケ /「普通の国」と「日本の独自性」
第3限 「自由」と「義務」について考える:「表現の自由」はなぜ大事? /嫌いなのは自由,歌うのは義務? /教育は何のために?/あなたも私も納税者 /「教科書検定」を憲法からみると /教科書を選ぶとはどういうことか /私たちはなぜ選挙にいくのか /「よくわからないけど小泉さんが好き」? /首相の靖国参拝と裁判所の役割/ビラ配りは犯罪か?
第4限 憲法改正は必要性なのだろうか?:憲法は押しつけられたか? /平時になんで新憲法? /「国民投票法」を考える/学校で強制される「愛」? /表現の自由と国民投票 /住基ネットはなぜ危険なのか /戦後レジームからの脱却
第5限 国民としての主体性とは何か:女性天皇の是非も私たちが決める /黙秘権は何のために? /犯罪の相談だけで処罰される!? /被害者の人権と被告人の人権/被害者参加制度/裁判員制度
第6限 平和な社会がつくるもの:「敵基地攻撃論」と暴力の連鎖/日本の国際貢献 /米軍再編と地方自治/憲法から考える自民党総裁選挙/安倍「改憲」で「美しい国」に? /平和と福祉の強いつながり
第7限 憲法の持つ力:違法でなければそれでいいのか /環境問題/議員定数不均衡問題/力と民主主義/明確性の理論/外国人の人権/貧困と憲法/憲法の力
おわりに

170419 愚か者安倍の驕り。戦後70年、日本の底が抜けた。人々の長い努力が蹂躙される。天皇すら例外でない。

2017年04月19日 23時34分01秒 | 時々刻々 考える資料
4月19日(水):  愚か者安倍の驕り。戦後70年、日本の底が抜けた。人々の長い努力が蹂躙される。天皇すら例外でない。

朝日デジタル「朝鮮人虐殺」含む災害教訓報告書、内閣府HPから削除
4/19(水) 5:03配信
  削除された報告書の一部。第2編の第2節では、関東大震災時の「朝鮮人虐殺」について報告されている。
  江戸時代以降の災害の教訓を将来に伝えるため、政府の中央防災会議の専門調査会がまとめた報告書を、内閣府がホームページから削除していることがわかった。一部に関東大震災時の「朝鮮人虐殺」についての記述が含まれており、担当者は「内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした」と説明している。
  削除されているのは、同会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」(2003~10年度)が作った報告書。過去の大災害について、被害や政府の対応、国民生活への影響などを整理し、教訓をまとめている。
  09年に作成した関東大震災についての報告書の第2編では、「殺傷事件の発生」(計15ページ)として朝鮮人虐殺を扱っている。内閣府によると、この内容について「なぜこんな内容が載っているんだ」との苦情が多く、4月以降のホームページの改修に合わせ、安政の大地震や雲仙普賢岳噴火などを含め、すべての報告書の掲載を取りやめることにしたという。
  「担当部局内での判断」だとし、順次削除を進めている。掲載していた資料は今後も保管され、希望者にはメールでの配布を検討するとしている。
  「殺傷事件の発生」では震災全体の死者・行方不明者が10万5千人を超え、このうち殺害による死者数を1~数%と推計。収集した史料などをもとに「官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。虐殺という表現が妥当する例が多かった。対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」などと指摘。「大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」と記している。(山本孝興)


朝日デジタル「天皇の退位」文言を削除 特例法案の骨子案に反発も  二階堂友紀、藤原慎一
2017年4月19日09時25分
  天皇陛下の退位を実現する政府による特例法案の骨子案が判明した。衆参両院の正副議長が3月にまとめた「議論のとりまとめ」で、皇室典範の付則に盛り込むことになっていた「天皇の退位」との文言は削除。陛下の退位をより例外的とする色合いが強まっており、野党から反発の声が上がっている。
  骨子案によると、法案名は「天皇陛下の退位に関する皇室典範特例法」。3月の「議論のとりまとめ」では、単に「天皇」と記されていたが、「天皇陛下」に差し変わった。政府関係者は「『陛下』の文言を入れることで、一代限りの退位であることを強調する狙いがある」と説明する。
  正副議長下の与野党合意に至る過程で、最大の焦点になった皇室典範の付則の書きぶりもあっさりと変更された。骨子案は「皇室典範特例法は、この法律と一体を成すものである」と記したが、与野党合意ではこの前に「この法律の特例として天皇の退位について定める」との文言があった。削除された部分は、民進党が「退位の先例化と解釈できる」と、最もこだわった部分だった。
  また、骨子案は皇室典範の付則を改正する手法について、特例法の付則に書き込む形で行い、「提出法案は(特例法の)1本とする」とも記した。民進党は、皇室典範改正案と特例法案を別々に国会に提出するよう主張していた。
  第1条の「退位に至る事情」では陛下が被災地訪問などの公的行為に精励してきた経緯に触れ、高齢で活動を続けることが困難となることに「ご心労」を抱かれていると明記。その「ご心労」を国民が「理解」し、「共感」しているとした。「天皇の意思」に配慮する民進党の意向でとりまとめに入っていた「お気持ち」の文言は除かれた。
  骨子案をもとに、自民党の茂木敏充政調会長が公明党の北側一雄副代表、民進党の馬淵澄夫・党皇位検討委員会事務局長と18日までに、個別に非公式協議を行った。大型連休明けの5月上旬にも、正副議長の下で各党・各会派の代表者が集まる全体会議に法案の要綱を示す方針だ。
  だが、これまで各党が積み上げた議論が軒並み変更された骨子案に、民進党からは「国会のとりまとめを何と心得るのか」(幹部)との批判が上がる。野田佳彦幹事長は17日の記者会見で、「とりまとめが換骨奪胎されていないかが最大のチェックポイントだ」と指摘。今後、野党内で骨子案への反発が強まる可能性もある。(二階堂友紀、藤原慎一)
 ◆「天皇陛下の退位に関する皇室典範特例法」の骨子案(要旨)
 【皇室典範改正】
 ▼皇室典範付則に「特例法は、この法律と一体を成すものである」との規定を置く▼「特例法」付則により皇室典範付則を改正し、提出法案は1本とする。
 【特例法の内容】
 ①天皇陛下が83歳とご高齢になられ、ご活動を天皇として自ら続けられることが困難となることに深いご心労を抱かれていること②国民は、この天皇陛下のご心労を理解し、これに共感していること③皇嗣(こうし)である皇太子殿下は57歳となられ、ご公務に長期にわたり精勤されておられること――という状況に鑑み、皇室典範第4条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現する。


朝日デジタル解釈次第で…法律は怖い 周防監督が語る「共謀罪」
金子元希 2017年4月18日19時38分
■問う「共謀罪」 映画監督・周防正行さん(60)
  「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が国会で議論されている。政府は「テロ対策に必要」との立場だが、捜査当局による乱用や「表現の自由」などの侵害を危惧する声もある。痴漢冤罪(えんざい)事件を扱った「それでもボクはやってない」などで刑事司法をテーマにしてきた映画監督周防正行さんはどう考えるか。
  自由を奪われることで、社会は安全になるのだろうか
  映画「それでもボクはやってない」(2007年)で刑事司法のあり方を世に問うた。一審の有罪を覆し二審で逆転無罪を勝ち取った痴漢事件を新聞で知り、刑事裁判に興味を抱いたことが作品を撮ったきっかけだ。当時は、なぜこんな冤罪(えんざい)が起きるのかと疑問だった。
  10年には大阪地検特捜部の証拠改ざん事件が発覚した。後に厚生労働事務次官となる村木厚子さんが逮捕されたが無罪になり、大きな社会問題となった。その後、刑事司法制度の改革を議論するための国の会議の一員になった。
  警察官や検察官、裁判官と話して感じたのは、法律とは怖いもので、解釈と運用により、どうにでも使われてしまう。今回の法案は解釈の幅が広い。事件が起きてからではなく、それよりも前の段階で処罰されるため、犯罪になるのかどうかの線引きは捜査機関が判断する。政府は否定するだろうが、権力に都合の悪い運動や主張をする人を立件する武器を手に入れることになる。
  時の政権に声を上げることがはばかられる社会になるだろう。表現をする立場には確実に影響が出る。例えば「反原発」や「基地問題」をテーマに、政府を批判する映画を準備するとどうなるのか。法案では「組織的犯罪集団」が捜査の対象とされる。撮影は監督を中心にスタッフが組織的に動く。「治安を乱すおそれがある」と、日常的に情報を集められるのではないか。
  権力としては、新設する罪を使って有罪にしなくてもいい。「話を少し聞きたい」と任意の捜査をするだけで、萎縮効果は抜群だ。「私たちが何を考えているのか」を国家が絶えず監視する社会になる。密告や自白といった証拠に頼らざるをえず、冤罪は確実に増える「映画監督としてどう思うか」の前に一人の人間として許せない法案だ。
  政府は「一般人は対象ではない」とも言う。では、そもそも「一般人」とはどんな人か。誰でも犯罪をする可能性があり、誰でも「犯罪をした」と疑われる可能性がある。だから全ての人が対象になる。
  警察は捜査の手段が増えた方がよいと考えるはずだ。権力側がその力を強くしようと動くのは宿命だ。その捜査機関に対しては裁判官がチェックするシステムだと政府は言う。だが、裁判官は人権を守る最後の砦(とりで)ではなく、国家権力を守る最後の砦と化している。
  十数年前に「共謀罪」が議論された当時とは社会が変わった。世界でテロが多発し、東京五輪の開催を控える。「怪しい人は捕まえてほしい」と考え、社会がこの法案を許してしまうのではないかと心配している。自分には関係ないからと無関心でいれば、知らぬ間に自由が失われる。
  運用が始まれば、捜査機関や裁判所による抑制やチェックに期待はできない。権力が新たな制度をつくろうとするときは、私たちが抑制をかけなければならない。民主主義の成熟度が問われているときだ。(金子元希)
     ◇
 すお・まさゆき 主な作品に「Shall we ダンス?」や痴漢冤罪事件を題材とした「それでもボクはやってない」など。

6 053 湯浅誠・茂木健一郎「貧困について とことん考えてみた」(NHK出版新書:2012)感想4

2017年04月19日 00時37分25秒 | 一日一冊読書開始
4月18日(火):  

206ページ    所要時間1:05      古本93円+税

湯浅43歳(1969生まれ)。社会活動家。2009~12年、内閣府参与。
茂木50歳(1962生まれ)。理学博士。脳科学者。

対談本である。1ページ15秒読みを実践した。細かい内容は読み切れないが、内容全体の良し悪しは十分に判別できた。本書を30秒読みにすれば、おそらく感想5になる。

久しぶりに貧困問題の本質を論じる湯浅氏の言葉と再会することができた。また、茂木氏が湯浅氏の考え方とシンクロできる人物であることを知れたのはとてもよかった。

貧困問題の視点から、今の安倍政権を見ると異様さが一段とくっきりと見えてくる。観桜会を開いてはしゃぎ回っている安倍夫婦を見ていると「それどころじゃないだろう。こいつらには何も見えていない。こんな頭のいかれた連中が日本の権力を握っているというのは異様な風景だ」としか言えない。言葉を失うほど異常な状況である。

本書で、最も強調されてることは、今の世の中にあふれかえっている「自己責任論」の誤り、不当さに対する徹底的糾弾である。人間は一人で生きられる存在ではない。「健康で文化的最低限度の生活」とは、お金だけで保障されるものではない。身の置き「場所」、人生・生活の「溜め」としての人間関係の回復がどうしても必要である。

貧困問題では、小さな関係性の修復の積み重ねが非常に大事であり、それはお金がかかるものではない。小さな工夫、イノヴェーションの問題である。

湯浅  ですから、一律が好きだというのは、やはり、自分に自信がない、自分自身の判断基準を持っていないということなんじゃないでしょうか。
茂木  そうですね。日本は、世論も一方向にスイングする傾向があるから、それはパブリック・センターに留まらない。この社会に一貫した「脆弱性」だと思います。
湯浅  いわゆる「空気」と言われるものですね。最近の生活保護に対する世論を見ても思いますが、いったん一方向に流れ出すと、誰から言われなくても、みんながそこに配慮して動く雰囲気がありますね、忖度文化とも言われますが。”一つの流れができた”と多くの人が感じると、個々人がそれを所与のものとして動き出して、結果的にそれが強化されるという、妙な増幅過程です。誰かが何かを言い出して初発の勢いを持ったときというのは、それはまだ少数の話なんですね。では、その後に続いた大量のフォロワーたちが、本当にその考えに強く賛同しているかというとそういうわけでもない。略。そうやって受け入れられていって、結果的に、7割、8割になったりする。これは、一人ひとりが誰かに説得されたというよりも、忖度文化の影響が強いと私は思うんです。/でも、略、そういったことで生活困窮者の人たちが実際に潰されてきた面がある。「潰されてきた」というのは、繰り返し言ってきたことですが、単にお金がないだけではなく、精神的にも排除されてきた。略、あるいは、孤立してきた。
  166ページ

【内容紹介】貧困と貧乏の違いって、なんだ?  社会活動家と脳科学者という異分野の二人が日本を縦断、新たな貧困支援策=パーソナル・サポートの現場を訪ねた。多くの貧困者と支援者の生の声に耳を傾けることから見えてきた、貧困の現状、本当に必要とされる支援、そして日本社会の未来—。貧困をテーマに“人と社会が再び輝きを取り戻すための条件"について徹底的に語り合った、刺激的な対論!

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)