もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

0021 立花隆「ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論」(1995)評価4

2012年12月29日 02時10分10秒 | 一日一冊読書開始
12月28日(金):

311ページ  所要時間4:30         蔵書

著者55歳(1940生まれ)。二度目だが、前回は0:50の眺め読みで、「面白そう」という感想しかなかった。今回は、やはり眺め読みだが、犬耳と線引きをしているので、かなり堪能して味わえたと思う。

さすがに9.11NYテロよりずっと前で、阪神大震災、オウム事件のすぐ後に出版された古さを感じない訳にはいかないが、内容的面白さは抜群だし、1995年当時において21世紀の現代社会・世界の問題点(中国の台頭、羊水検査他数々の問題)をこれほどまでに正鵠を射て明確に指摘できていることに対して、「お見事!」と言わざるを得ない。

前半の読書論、読書術、書斎論は、いまいちだったが、後半の「私の読書日記」で紹介される書評は、前回同様まさに達人による読書案内であり、<本の博物館!>であった。「ゲー、ほんまかいな!?」という驚きの中で興味尽きない楽しい散策をさせてもらった気分である。読みながら、何冊もの本をアマゾンで検索してしまった。

実際には確認埋蔵量がどんどん増加している。化石燃料はもはや量的に生物起源説では説明しきれないところまできている。略。化石燃料のもともとの起源は地球深層に閉じこめられた宇宙起源の炭化水素で、それが地表に出てくる間に、生物起源の物質と出会って、それをとかしこんだのであろう」(192ページ)

性病に罹ったポンパドール夫人が、こしけに悩んでいた。の“こしけ(帯下)”って分かりますか?

「私が見るところ、どう考えても朝日ジャーナルをつぶしたのは、下村満子編集長である。」(214ページ) やっぱりそうか!

死海文書によると、イエスの教えは、当時のユダヤ教の中にすでにあったもので、「イエスおよび彼のメッセージには何もユニークなものはないということ、彼のメッセージのなかには、当時すでに流行していた考えや概念以上のものは何もない」のだという。それが本当だとすると、キリスト教の根幹がくずれてしまうのである。」(198ページ)

鶴見済『完全自殺マニュアル』:「実用性ももちろんあるが、自殺するつもりが全くない人にも実に興味深く読め、人の生と死について考えさせられるところが多い。説教じみたところが皆無で、淡々と向勘定に書いているところがいい。241ページ」 愛する細君を残して死ぬ気はないが、高コレステロールに悩む俺もこれを読んで、今アマゾンにこの本を発注したぞ。

大文豪ヴィクトル・ユゴーが晩年の二年間ほとんど毎日のように降霊術の会を催していた。略。これはほとんど「幸福の科学」の大川隆法の世界である。略。出てきた霊というのは、すべてユゴーの無意識の世界であり、霊との一問一答は、ユゴーの意識と無意識の対話にほかならないだろう」220ページ

赤塚不二夫の半自叙伝、『これでいいのだ』(NHK出版)は、感動的である。」 名優大滝秀治さんが亡くなる直前に読んでいた本が赤塚不二夫の本だということに対する違和感が、立花隆のお墨付きで完全に払拭された。

鄭義『食人宴席』(カッパブックス):「これは文化大革命に起きた広西大虐殺事件の詳細な報告である。文革で反革命分子糾弾の集会があるとかならず死者が出て、死者が出れば、かならず食われるという惨劇がくりひろげられた。276ページ」 820円のこの本は今プレミアが付いて中古品でも2942円である。

「1861年に夫君のアルバート公に死なれたヴィクトリア女王はしばらく孤閨をかこっていたが。三年後、彼女が四十五歳のときに、三十八歳のブラウンに出会い、たちまち、ほとんど人目をはばからぬ関係になっていしまう」223ページ  貞節なヴィクトリア女王のイメージは俺の中で一変した

※頭が、固まってしまった人は是非、立花隆の「私の読書日記」を読んで多様で理屈で説明のつかない虚実ないまぜの情報を収得して、思考を揉み解して下さい。
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S121228 5202板硝子

2012年12月28日 15時16分42秒 | 96万円からの株式投資
12月28日(金):

5202板硝子:8000株を112円購入→113円売却:+8000円
 (手数料1162+400円;税890円) 最終利益:5548円
現在口座資金:970569円

感想:もっとと思うと動けない。辛うじて損せず1円抜きだが、来年に向けて仕込みの買いを入れられなかったのが、退屈だ。
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S121227 塩漬けの5480冶金工10000株が96円で売れた。

2012年12月28日 00時20分30秒 | 96万円からの株式投資

 塩漬けだった5480冶金工10000株が96円で売れた。昨日の91円より+50000円だが、今日の117円の爆上げを思えば、むしろ20万円程損した気分である。現場に立ち会えないサラリーマンの悲哀というか、何というか…。

まあ、それでも96万円という資金が確保された。この程度の金額は、株式市場ではゴミも同然、だからこそここから気楽に現物の売り買いでどの程度資金を増やせるのか、減らしてしまうのか。しばらくやってみようと思います。

 今なら小型株を買って、上がりを待って寝かせれば幾許か儲けられそうと観るが、果たしてどうなるものやら。明日に向けて、某銘柄に釣り糸を垂れておいた。

 実験的にしばらく実況してみます。ご笑覧あれ。

※HYPER SBI(1ヶ月)に登録:1029円掛かった。



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0020-2 立花隆「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」(2001)感想5

2012年12月28日 00時14分54秒 | 一日一冊読書開始
12月27日(木):今日の分153ページ  2:30

総計407ページ  所要時間5:50  評価5(面白かった!本の博物館だ!)蔵書

半歩前で知の巨人が、「これは良いですよ。あれも良いですよ。」と導かれていく気分であり、立ち止りたいが、そういう訳にもいかず歩きつづけている感じである。とにかく、次々と繰り出されてくる話題が、A級・特A級の内容ばかりで舌を巻いた。抑え気味にページの端を折るが、2~3ページおきに犬耳することになり、単行本の上部がかさ張って厚くなってしまった。

 すぐに情報が古臭くなってしまう世知辛い現代にあって、「やっぱり高い値段を出して買われた本の情報というのは、簡単には古くならないし、色褪せないんだな」と再認識させられた。本書で取り上げられる本の多くが外国の文献の貴重な翻訳書であるのも頷ける。

 魅力あふれる多くの本が紹介される中に、自分が死蔵している本の名前を見つけると、「やった!」という気分になる。例えば、「吉田満『戦艦大和の最後』を再読した。学生時代に読んで衝撃を受けた本である。その内容もすごいが、文章もすごい。吉田はこれを、終戦直後ほとんど一日で書いたという。略。この簡潔で濃密な文章は、近代日本語散文の傑作中の傑作である。文語体の格調の高さ、内容の悲劇性、ほとんど昭和の平家物語といっていいくらいだ。」(292ページ)どうだろう、尊敬する著者がここまで書いてくれれば、モチベーションMAXであろう!当時、世界三大無用の長物として、ピラミッド、万里の長城、戦艦大和と乗組員らが自嘲したそうだ。

 遺伝子組み換え食品を恐れる空騒ぎを、「遺伝子組換えで何が起こるかといえば、略、体内に入っても、他のタン白質と同じく消化酵素で分解されるだけなのだ。略。私は、あの騒いでいる連中は、明治維新のとき廃刀令に反対してチョンマゲに日本刀をひっさげ、電信柱の電線を切って歩いた熊本神風連なみの連中だと思っている。」(307ページ)まさに快刀乱麻を断つである。

 ハンナ・アーレントとハイデガーの不倫を暴き、ワーグナーの下品な実像に触れ、ナチズムの思想的核をなすと誤解されているニーチェについて「実際のニーチェは、反対の極にいた」と指摘して、彼の「ドイツでこんにち私の著書を読むのは、私自身と同様に、底の底まで予め自分を非ドイツ人化した人である。つまり、<良きドイツ人であるとは、ドイツ人であることをやめる>化、もしくは―ドイツ人のあいだでは少なからぬ差別意識があるのだが―ユダヤの出自であるというのが、私の公式である。―ただドイツ人たちに比べれば、ユダヤ人はいずれの場合にもより高いレベルの人種であり―繊細で、知的で、愛すべき人種だ…」という草稿を紹介して見せてくれる。(325ページ)

 明治の横山源之助を柳田国男、柳宗悦と並び称す。その上で、紀田順一郎「東京の下層社会」を推奨する。(363~4ページ)

 最後の章では、辰巳 渚『「捨てる!」技術』に対して強烈な批判を展開し、「この著者が新しい美徳として説く行動は、消費社会の生活習慣病がもたらした、異常行動でしかない。略、この本は一種の強迫神経症にかかった人が書いた本だ。略、この本の中核をなす、捨てるテクニックと称するくどすぎるメモも、神経症の患者がよく書くパラノイア的メモと読めるだろう。」
「ストックをためるということは、未来に現実化可能なポテンシャルを高めるということである。ストックを捨てるということは、ポテンシャルを捨てることであり、未来の可能性をそれだけ捨てることである。」
「人間存在というのは、裸一貫肉体だけの存在としてあるのではない。頭の中の意識世界全部を含めて「その人自身」として存在している。そして意識世界の相当部分はポテンシャルとしてある。略、その大きさは人によってちがうが、何千倍も何万倍も大きいだろう。略。「捨てる技術」を安易に行使して、モノをどんどん捨てていくことは、そのようなポテンシャルを切り捨てるということなのだ。自己を切り落とすということなのだ。」
個体だけではない。社会も無駄な部分をいっぱいかかえたポテンシャルの高い社会のほうがよりよく生きることができるのである。個人の生だって同じことだ。略。だが、日本社会の現状を考えるとどうか。略、教育界では教育内容の削減という名の「捨てる技術」がまかり通っている。それによって教育崩壊というポテンシャルの一大レベルダウンが起きている。」
 ここまでくると、ポピュリズム政治家橋下徹大阪市長による文楽補助金カット政策や、今日ニュースで観た大阪市所有の帆船<あこがれ>の売却が、いかにナンセンスかも自然に見えてくるのだ。

※日本未来の党の分党騒ぎは、残念だけど、選挙に負けたのだから仕方ない。それでも総選挙で<脱原発の選択肢>を作ってくれたと思えば、もって瞑すべしである。朝日新聞12月22日朝刊オピニオン欄で小熊英二さんが「脱原発は民意 反映されない選挙 正当性また下がる」と考察しているように、むしろ日本の政治的状況こそ嘆くべきだろう。自民党を批判しても仕方ない。彼らは、ただ単に彼らの道を歩いているだけだ。それを選挙という制度で止められない国民、野党のあり様をもう一度問い直すしかない。残り時間は、もうあまり無いだろう…。
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0020-1 立花隆「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」(2001)感想5

2012年12月26日 23時27分06秒 | 一日一冊読書開始
12月26日(水):254ページ(残り153ページ)  3:20

著者61歳(1940生まれ)。俺が最も憧れる知の巨人の一人。「週刊文春」連載の「私の読書日記」をまとめたもの。ブックオフ105円で入手!10年以上前の著作だが、間口の広さで全く古さを覚えない内容である。また、3000円以上でなかなか購入し難い高価な本を多く取り上げていて、大衆向けでない良書・専門書を積極的に紹介してくれているのが良い。前著「ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論」(文芸春秋;1995)、「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」(文芸春秋;2007)等と同様に面白かった。「異常に敏感・興味を持つのが正常の証拠」という著者の関心の多岐さ・広さは驚くべきものだ。小さくまとまった知識人ではない。

 読書法について、「全部はじめからじっくり読み」方式は絶対にしてはならない無謀な方式だと退け、「全体は絵画読み、局部的に音楽読み」が良い。具体的には、まず最初にその本の全体像をつかむ。コツは、とにかく頭から終りまで、とりあえず、続き具合がよくわからなくても、パラグラフ単位で飛ばし読みをして、強引に目を通してしまうということにある。まず終りまでいってから二度目の読みはどうするかを考える。略。要するに、本は必ずしも、はじめから終りまで全部読む必要はないということである。」(30~37ページ)は、興味深かった。

 紹介される本については、興味をそそられることが非常に多かった。その本が、適度に古くなっていて、アマゾンで調べると1円になってるので、それも嬉しい。例えば、『日本の国家予算』(講談社;1996)も1円だが、当時国債残高240兆円、国民ひと世帯当たり585万円の借金に立花氏が怒っているのだが、今や1000兆円を超えた国債残高の我々は鈍感過ぎることを痛感した。

 ダイオキシン問題等をめぐり、慢性毒性試験で、「危険がきちんと証明されていない。ゆえに安全」という奇妙な論理のすりかえが往々にしてまかり通ってきた。「安全を確認した場合に販売を認める」という原則が、いつのまにか「危険性が確認されてから禁止する」という原則にすり替わっている。しかし、環境毒性に起因する病気・障害はすべて「多因子性」であり、多因子性障害の厳密な因果関係証明は、厳密性にこだわるかぎり事実上不可能である。行政が怠慢の根拠にしている「科学実証至上主義」では手遅れとなることが必定なのである。と、著者は怒っている。これを読んでいて、現在の活断層と原発の稼働を求める東北電力や関西電力の醜い姿とがダブって見えて、「結局、日本っていうのは、形は違っても同じなんだな」とウンザリしてしまった。同時に、立花隆の視点の確かさを確認できた。

本書の帯文:「この本一冊で三百冊分の威力!」「本書はヒマ人のための読書案内ではない。私がすすめる本の中身についての情報を、圧縮して、濃密に詰め込んである。」



※ニュース23xの解説員播摩某は相変わらず弱い。何のためにいるのか分からない。厳しい意見をすべて田原さんや水道橋博士ともう一人に外注して任せて、自分の考えを何も発信できない解説員の存在意義は何なのだろう。ご意見拝聴の膳場さんが二人いても仕方がない。

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121226 結局、野田汚物は最後まで自らの非を認める勇気をもてない意気地なしだった。

2012年12月26日 13時24分03秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
12月26日(水):

 最後の閣議後、野田汚物の最後の声明も独り善がりの自己賛美だった。結局、この男は最後まで反省し、国民に対して自らの非を認める勇気すらない意気地無しだったということ結論として、この男とそれを支えた民主党の流れからは、未来が生まれない!ということだ。

 今回の新しい海江田民主党が、自民党としっかり対決して、<中道・リベラル軸を再建>することを願う。そのためには、<脱原発の立場を堅持すること>だろう。原発政策に対する立場は、単なるエネルギー政策ではない。国家の形に関わる根幹の問題だ。

 今回の総選挙での民主党の致命的な敗北は、いろいろな原因が存在するのも事実だが、決定的に<嫌民主党>意識を植え付けたのは、6月の大飯原発の再稼働だ。それしか考えられない。もし野田汚物が「決められる政治」なんて寝言を言わずに自制して再稼働を思いとどまっていれば、民主党のアイデンティティは揺らがず、敗北はもっと軽微だっただろう。比較第一党も十分にあり得ただろう。

 海江田民主党が、二大政党制の中道・リベラル軸のアイデンティティをしっかりと自覚して、野田汚物や前原詐欺師に象徴される松下政経塾的な理念の無い<亜流自民党>化しなければ、もう一度支持を考えたいと思う。できれば、来年の「日本維新の会」分裂後に、「橋本徹系維新の会」と「みんなの党」と組んで、<脱原発>、<憲法改悪自制>、<行政改革>、<地方分権>でもう一度対立軸を作って欲しいと思う。その際、野田汚物だけは、二度と前面に出てこないことを願う。今回の民主党の致命的大敗が、野田汚物の独り善がりが国民の憎悪を呼んだことを忘れないことだ。大飯原発を再稼働させた野田汚物や前原詐欺師が前面に出て来れば、民主党に対する生理的憎悪が間違いなくフラッシュバックしてくる。



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0019‐3 タミム・アンサーリー「イスラームから見た「世界史」」(紀伊國屋書店;2011)評価5+

2012年12月24日 20時12分19秒 | 一日一冊読書開始
12月24日(月):通読による最終評価=5+のテキスト

685ページ  所要時間11:45       図書館

 第17章潮流の変化、後記他まで計685ページ。今日は193ページを3:40で読んだ。近代に近づくにつれて、内容が生々しくなっていくので、どうしても眺め読みがし難くなって速度が落ちた。

最後までの眺め読みで、著者は65歳前後(1945頃生まれか?)の男性でアフガニスタン人の父とフィンランド系アメリカ人の母の間に生まれ、個人と同等の部族意識の中で育ち、高校でアメリカに留学したムスリムとわかった。著者のアフガニスタン出身でアメリカ在住というのは、本書を意味あらしめる上で、実は絶妙な立ち位置かもしれないと思う。

 本書は、ムスリム自身による間違いなく日本語類書の無いイスラームのテキストである。何よりも、ムスリムが、ムスリムのことを批判的に、時に非難しつつ、イスラーム通史を叙述するのはとても読みごたえを覚えた。手元に置いて、折に触れ読み直したい。しかし、685ページというのは現実には、やはり膨大であり、結局生きてる間に再読できる自信は無い。本書のような本を、気楽に自由自在に短時間で読みこなせるような読書力と若さが欲しいのだが…。

 とにかく読み易い、詳しい所は詳しく、そうでないところもそれなりに、興味尽きないように配慮された、まさにイスラームから見た世界通史である。通常の世界史では、一面的で薄っぺらにしか知り得なかったイスラームの世界が、さまざまな思想や立場に分かれ、それが重層的に関連しあい、ジレンマを抱えながら現在に至ることを教えてくれる。

 特に第14章「産業・憲法・ナショナリズム」は興味をそそられた。蒸気機関は西洋より3世紀以上早くイスラームで発明されていたし、中国人は10世紀には、製造工程の機械化と大量生産に必要な技術はすべて発明していた。世界を変える可能性を秘めた技術に対して中国やイスラーム世界が無頓着だったのは、これらの社会が機能不全に陥っていたからではない。事実はその正反対だった。何かがあまりにうまく機能していたために、これらの社会は「高水準均衡の罠」に陥ってしまったのだ。云々(494~496ページ)

 第一次大戦でのイギリスの三枚舌外交、シオニズム、エジプトの英雄ナセル、第三次中東戦争(六日間戦争1967)とパレスチナ「民族」の成立、

 ホメイニーが狡猾に立ちまわって、イラン革命の成就に貢献したほかのグループを出しぬいた。(620ページ)/フセインのクウェート占領が、イラン・イラク戦争の損失挽回の二倍かゼロかの賭けだった。/超国家主義者のアフマディーネジャード 等々刺激的な表現に満ち満ちている。内容は、2011年の「アラブの春」のリビア波及まで記述されている。

 一方で、この膨大な著述の中で、「日本」という言葉が出てきたのは、第二次大戦の記述で「日本が軍事強国として台頭していた」(573ページ)と、わずか1か所だけである。「後記―日本の読者へ」でも日本に関する言及はほとんど無く、イスラムの歴史と日本の存在の無縁さがかえって新鮮に感じられた。

目次 : ミドルワールド/ ヒジュラ/ カリフ制の誕生/ 分裂/ ウマイヤ朝/ アッバース朝の時代/ 学者・哲学者・スーフィー/ トルコ系王朝の出現/ 災厄/ 再生/ ヨーロッパの状況/ 西ヨーロッパの東方進出/ 改革運動/ 産業・憲法・ナショナリズム/ 世俗的近代主義の隆盛/ 近代化の危機/ 潮流の変化


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0019‐2 タミム・アンサーリー「イスラームから見た「世界史」」(紀伊國屋書店;2011)評価5

2012年12月24日 02時29分20秒 | 一日一冊読書開始
12月23日(日):

第13章改革運動まで計492ページ。今日は192ページを2:45で読んだが、まだ192ページ残っている。

オスマン帝国は、意外と深くて面白い。サファビー朝、ムガル帝国との鼎立。アウラングゼーブはやはり残念な皇帝だ。忍び寄るヨーロッパに、やがて大きく翻弄・侵食されていくイスラム世界の姿は哀しい。サウード・ワッハーブ同盟の原初イスラムへの回帰、サイイド・アフマドの世俗的近代主義、アフガーニーの汎イスラム的活動は興味深い。

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0019‐1 タミム・アンサーリー「イスラームから見た「世界史」」(紀伊國屋書店;2011)評価4+

2012年12月22日 22時49分45秒 | 一日一冊読書開始
12月22日(土):        304ページ  3:20

著者年齢不明。女性のような気がするが、性別も不明だ。アフガニスタン出身でサンフランシスコ在住の作家。小沢千重子訳。全部で685ページの量は、半端ではない。丁寧に読むことはできない。1ページ30秒のペースを守って、現在3:20で第9章「災厄」、304ページまで読み進んだ。

欧州と中国に挟まれた広大な中東・北アフリカ・インドをミドルワールドと位置付け、この地域の歴史を追うとともに、外部世界からの侵入・影響の様子や被害を描く。読み物としてのスタイルを大事にしているせいか、理屈よりも事実・逸話が詳しく語られているし、無理に新しい視点を出そうとしてないので違和感も少なく分かりやすい。眺め読みなので、細かな事柄や人名を味わえないが、高校で学んだ知識が蘇り、再確認されて心地よさもある。

ササン朝ペルシャとビザンツ帝国の対立、ヒジュラ暦のBHとAH、4人の正統カリフのごたごた(アブー・バクル→ウマル→ウスマーン→アリー)、ジハードとササン朝の滅亡、ムアーウィアの簒奪とウマイヤ朝、爆発的拡大、東方からのアッバース革命、バグダード建設、後ウマイヤ朝とファーティマ朝、トルコ族の台頭、ブワイフ朝、ガズナ朝、セルジューク朝、アサッシン教団、十字軍の残虐、エルサレム占領、アイユーブ朝による奪還、歴史的大災厄としてのモンゴル襲来、バグダード消滅、ムスリム神学の危機、世襲でないマムルーク朝の踏ん張り(特にバイバルス)、破壊者ティムールへの憎悪(でも、彼ってムスリムじゃなかったっけ?)、モンゴルのイスラム化、等々。

イスラム世界の拡大・分裂・発展・教化浸透は、ダイナミックなのがすごく面白い。アラブに始まり、ペルシャ、トルコ、モンゴルに広がる。

明日はオスマン帝国の話から、近代史の中でのイスラム世界の展開になる。この辺は、断片的知識しかない時代なので、新鮮な記述が多くなるような気がして楽しみである。できれば、明日中に最後まで読み切りたいと思うが、さて…。

まあ、壮大な歴史を読んでいると、俗な言い草だが、あまりうまくいかない自分の人生の意味、それなりに大きかった蹉跌の経験なども、「衆目で暗殺後、自らも死ぬことで支配者を恐れさせたアサッシン教団の若者たち、ムスリムの大人をスープにし、子どもを串焼きにして食べた十字軍の野蛮、ムスリム世界で大殺戮をしたモンゴルの残酷さなどの犠牲者のことを思えば、小さい、小さい、まだ幸せな方だよな」って少しだが思えてしまう。歴史の効用としては最低かもしれないが、とりあえず想像力の翼を<時間>軸を含めた四次元に広げられることは、悪くないだろう。
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121215-2 何故、原発事故の想定・避難対策等にびくびく生きてるのか。反原発より大事な争点はあるのか?

2012年12月15日 17時46分21秒 | 日記
12月15日(土):転載


朝日新聞12月14日版 「声」欄  作家 赤川次郎(東京都港区 64)

三つの光景 安全を選ぶ原点

 三つの光景を思い出そう。第一は昨年3月11日、東北地方を襲った大津波の人間の想像力を超えた凄まじい破壊力。第二は福島第一原発の原子炉建屋が爆発し、屋根が吹っ飛び白煙が上がった瞬間の身も凍る恐怖。第三はその原発を「安全だ」と言い続けてきた専門家たちの、現実の事故を前になすすべもなく、ただ、茫然自失していた姿。
 その後の言いわけや責任転嫁を消去すれば、その三つの現実こそが私たちの安全を選ぶ原点である。狭い地震大国に原発を作り続けてきた政党が政権を獲れば、原発を再稼働させる可能性が高い。首都直下型地震も南海トラフの地震も、すべてはこれからなのだ。必ず近い将来、日本はまた大地震を経験する。
 次の地震が起きればすべての原発が無傷でいられるなどと信じる人はいないだろう。再び大事故を起こせば、どれだけの国土が汚染されるか。自衛隊を軍隊にすれば、放射能が防げるとでも言うのだろうか。
 再び原発が爆発したら、子供や孫までも放射能の恐怖にさらされるのだ。有力な政党のスローガンは「日本を、取り戻す」だそうだが、ならば福島の人々に元通りの故郷を取り戻させるのが先決だろう。
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121215 世も末、日本の政治も幼稚園化したなあ。自民安倍総裁が、普通列車で初老男性に逆切れしたそうだ。

2012年12月15日 13時16分50秒 | 日記
12月15日(土):

 今朝の朝日新聞朝刊4面: 「自民・安倍総裁が普通列車で移動中、初老の男性に注意される。『すみませんって言ってるじゃないか』と怒る」

 14日(金)15・30 自民党の安倍総裁が遊説のため、静岡県内をJR東海道線の普通列車で移動中、初老の男性に注意される。JR職員がおさえていた席に、後から乗ってきた安倍氏が座ったため。男性は安倍氏の隣に立って苦言を続ける。安倍氏はしばらく聞いていたが、「だから、すみませんって言ってるじゃないか」と怒り、その後は座ったまま目を閉じる。男性は隣に立ち続けた。

 これが次期総理大臣の姿である。<美しくない国 日本>これからますます日本は、マッチョでエモーショナルな情緒的反応ばかりが強くなって、弱者・少数者に無関心・大切にしない国になって行くんだなあ…。

 頭の悪い生まれつきのぼんぼんでは、仕方がない。ハルスオプソヨ…。近衛文麿はまだしも東京帝国大学から京都帝国大学法学部に転学・卒業の秀才だったが、まもなく日本の総理大臣となる男は意志薄弱で幼稚園並みの苦労知らずの国粋主義者である。ウンザリの日々がいつまで続くのだろう。日本人の劣化が激し過ぎるのが原因だろうか。良い政治を実現できないのも、結局日本人自身の自業自得ということだろうか。

 我々は、これから数年間幼稚園児を総理大臣に仰がなければならない…。何かの罰ゲームのようだ。とほほ。今回の件で、反原発の<社民党><日本未来の党>に少しでも票が流れて増えてくれればいいのだが。

※笑える:
35 :名無しさん@13周年:2012/12/15(土) 12:48:42.88 ID:SXcRb2ZA0
小泉純一郎「失礼(笑)お譲りするので是非自民党に一票を!これ買収になっちゃうかな(笑)」
麻生太郎「老人だから立ってた方がいいんだよ?あっ、オレも老人か(笑)」
福田康夫「えー、警備上の問題があるのですが・・・ご容赦願いたい」
谷垣禎一「(SPと小声、うなずく)(晴れやかな笑顔で)どうぞ!お座り下さい!」
安倍晋三「だからすみませんって言ってるじゃないですか(ふて寝)」

せめて自民党総裁が谷垣禎一氏だったらなあ…、とつくづく思う。


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121214 また民主党からハガキが着た。若造、金はどうやって儲けた!反民主党!反野田汚物!反前原タカ派!

2012年12月14日 20時43分36秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
12月14日(金):

 これでカラーのチラシ2枚とカラーのはがき1枚。他党派のチラシ1枚と比べると突出して多いぞ。短い与党時代にどうやって儲けたんだ!子供たちの放射能被害を見ない振りして財界にすり寄って、大飯原発を再稼働した見返りで儲けたんだろう!バッキャロー<自民党野田・前原派>を支える民主党候補には断じて投票なんかするか!重ねてバッキャロー! チラシやはがきで野田汚物の写真を見るたびに民主党に対する憎悪感が増幅されるので、ますます入れたくなくなるどころか対立候補に入れたくなるんじゃ! 民主党は今回みんな落ちて一度顔を洗って、<第二自民党>化した自らを根本から反省(例えば、ウソつき野田汚物とタカ派前原詐欺師の党からの追放、鳩山元総理の復帰など)して次の選挙で出直せ、その時にはまた考えてやる。大坂10区の権力亡者辻本清美も今回は絶対に負けてしまえ!
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121212 民主党の新聞、テレビ、ネットの莫大なCM費用は一体どこから出ているのか? 民主党は消滅しろ!

2012年12月12日 23時33分50秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
12月12日(水):

 「大事なことは、決めることです」だと? 弱者いじめと経済音痴の逆進性の高い消費税増税、福島過酷事故後の復旧・復興を忘れ、検証・同意無き大飯原発再稼働と新原発工事許可の強行同意無きTPP参加政局に明け暮れ、自公と手を結ぶ一方で、党内の多様性を認めず自分と意見の違う鳩山元総理や小沢元代表の排除・追放、そして何よりも二大政党のリベラル・中道軸である民主党をここまで無残に破壊しておきながら、「大事なことは、決めることでした」ですか?  
 

 この男は、日本の政治を少なくとも10年以上後退させてしまった。もし平和憲法の破壊になれば、取り返しのつかない後退となるかもしれないという反省が全くない非を認め反省する勇気すら無く、国民から民主党というせっかくできたリベラル・中道軸の選択肢を奪い去ってしまった。空虚な強弁に終始して、国民の真の声に「大きな音だね」と言って見ないふり、見えないふりをして、民主党という国民の財産を破壊し尽くしてしまった。これを<愚人による権力の私物化>と言わずして何と言うのかを知らない。

 そもそも始めに戻るが、民主党の新聞、テレビ、ネットの莫大なCM費用は一体どこから出ているのか? これらの広告はすべて国民の視線とずれてしまっている。恐らく誰も見ていないだろう。与党としての政党助成金の最後の大盤振る舞いってわけですか。金をどぶに捨ててるくせに、一方で国民の声を感じて飛び出した離党者にみみっちく「金返せ、金返せ」と言っている。もうこの党は終わり。一度きれいに消えてくれれば、その更地から新しい芽が育つというものである。

※自民党の安倍お腹痛いので辞めまちゅ君が、近頃<近衛文麿の再来>に見えて仕方がない。ということは、大政翼賛会的国会になって憲法改悪ですか。こんな状況を作ったのも野田汚物の独りよがりの「決められる?政治」が最大の戦犯ってことだ。それにしても、憲法が改悪された後には、ネオ産軍複合体が日本に出来上がり「戻れないいつか来た道」を我われの子供たちは歩むことになるのだろう。国際的孤立を深め、国内も息の詰まるようなもの言えない社会でみんなで坂道を転がり落ちていくのだろう。アメリカ、中国、ロシア、韓国、北朝鮮…、さてどこと…?となると、どことも戦争はできないのに、結局日本の中に行き場の無い息苦しいガスがどんどんどんどん溜まっていく。そして、お国のために弱い立場の人々が切り捨てられていくのだろう。
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121208-2 BS朝日で「八甲田山」(1977)を観た。感想4

2012年12月09日 02時21分55秒 | 映画・映像
12月8日(土):

 1902年(明治35年)の八甲田雪中行軍遭難事件を題材にした新田次郎「八甲田山死の彷徨」を原作に作られたずっと観たかった映画である。

 青森歩兵第5聯隊を率いる神田大尉(北大路欣也)も、弘前歩兵第31聯隊を率いる徳島大尉(高倉健)も立派な軍人だ。しかし、神田大尉は厳しい自然条件に備えることよりも、人事を優先し上官(三國連太郎)の介入への対応を優先した。徳島太尉は、あくまでも自然に対して謙虚であり、人事においても現地の住民の知恵と案内を優先した。厳しい雪山という大自然を前に対照的な姿勢で雪中行軍演習に臨んだ両者の結果が描かれている。

 ただ八甲田山での雪山撮影は過酷を極め、観ていて迫力は十分に伝わった。無事に演習を完遂した徳島大尉率いる弘前歩兵第31聯隊の人々も2年後の日露戦争黒溝台の戦いで全員戦死したという後日譚も感慨を残した。

 2:50の長編だが、やはり原作の緻密さには届かないのと、画面がすごく暗くて不鮮明なために俳優の顔の識別が難しかった。健さんの姿もあまり目立たなかった。
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121208 苦情!目の穢れ。CMで目つき悪い野田汚物を見て生理的嫌悪感がはしった。民主党は消えてしまえ!

2012年12月08日 15時11分12秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
12月8日(土):

 俺は、もちろん憲法改悪反対、原発反対である。支持政党は社民党で、第三極の未来の党を応援しているが、「小選挙区制では、結局消去法として前回と同じ民主党候補に投票するしかないのかなあ…」と思っているのが現状だったが…。
 
 しかし、ウソつき野田汚物のマニフェスト無視大飯原発再稼働逆進性の高い消費税増税を<自民党野田派>と揶揄されるほどの裏切りを居直って談合を「決断力」と強弁して何ら恥じない厚顔を延々一年近く見せられ続けて生理的な嫌悪感が根づいてしまった。党内リベラル派の鳩山元総理をいびり出したのも印象が暗過ぎる。

 三年前の民主党に入れた民意をこの男は自分のためにだけ費消して、国民の多くが期待した二大政党のリベラル軸を完全に壊して踏みにじってしまった。今なお反省も無く、民自公連立すら企み、CMで恥知らずな厚ぼったい汚い顔で国民に「からいばり」の厳しい目つきを見せている

 「本当の政党を育てるために、もう少し長い目で民主党を見るべきなのかなあ」と思ったり、この数日していたがこの野田汚物の恥知らずなCMを見ると「この男を支えている連中には絶対に投票したくない」と改めて思った。絶対に民主党には投票しない!
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)