もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

0097 堀辰雄「風立ちぬ」(ちくま日本文学039所収;1936) 感想3

2013年08月28日 01時08分21秒 | 一日一冊読書開始
8月27日(火):

128ページ  所要時間 2:15    図書館

著者32歳(1904~1953)。

若い時から、名前だけは知っていた文学作品だ。今回、宮崎駿映画の題名にもなって、ようやく「読んでみよう」と思った。疲れて帰宅して、限られた時間と体力にちょうど良い128ページという量である。

読み始めて分かったのは、「これは所謂“小説”ではない。実話に題を採った“日記私小説”とでも言うべき作品だ」ということだった。1935(昭和10)年、婚約者節子(矢野綾子)が、結核のために八ヶ岳山麓のサナトリウム(結核療養所)に入所するのに付き添って一緒に入所、同棲生活に入る。

残り少ない二人でいられる生活を愛しむ様に、日々の生活が綴られる。患者である節子は、勿論大きな身動きはできない。やがて寝たきりになり、さらに喀血。外から見れば動きに乏しい倹しい生活であるが、婚約者同士の二人には掛け替えのない幸せな日々である。しかし、その年の末12月、節子の気力は失われ、亡くなる。

翌年冬12月、雪山の人里外れた別荘地帯に節子の鎮魂(レクイエム)も兼ねて、著者は貸別荘に移り住む。雪に閉ざされ、誰も住んでいない貸別荘で孤独な生活を始まる。著者は、昨年亡くなった節子に思いを馳せながら、日々の日記に感慨を書き連ねる。終わり方もよく分からなかった。

著者の鋭い感性はある程度感じるが、何か読み物の体をなしていなくて、とらえどころが無い。これは昔、確かに体験した<つかみどころのない名作たちの一冊>である。正直、俺にはこの作品の値打ちがあまり理解できなかった。

堀辰雄自身、1953年結核で亡くなった。享年49歳。若すぎる。

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