8月24日(土):
192ページ 所要時間3:35 ブックオフ105円
著者51歳(1953生まれ)。宗教学者。1995年のオーム真理教事件の時には、教団との距離の近さで社会的に制裁を受ける。本書「おわりに」で「距離が近すぎれば教団寄りとみなされ、逆に遠すぎれば、本質をとらえることが困難になってくる。略。結局は客観的であることをつねに意識しながら、対象に対して果敢に肉迫していくしかないのではないだろうか。191ページ」と述べている。
2012年版で24刷なのを見て、即購入。創価学会に対する入門書としては、かなりよくできていて、分量もお手頃である。ただ、創価学会に対する厳しい批判を期待していたのだが、むしろ再評価・礼讃に近い印象を受けた。特に、池田大作のカリスマ性をほぼ追認しているのには少し戸惑った。
初代会長牧口常三郎から、2代目戸田城聖、3代池田大作と創価学会の歩みを丁寧にたどり、発展過程における激しい折伏や学会批判書への出版弾圧なども書かれているが、なんとなく過ぎ去った歴史のように書かれてるのは、少し肩透かしだった。
創価学会の本格的発展は、高度経済成長期である。当時地方の農村を出て都市に流れ込んだ貧しい農家の次男・三男たちは、労働運動ですら捕捉できない都市の下層労働者となった。同時に、彼らは故郷喪失者でもあり、新たなコミュニティとしての“村”を欲していた。そこに学会の折伏と謗法払いをともなう激しい布教活動が行われ、彼らは学会員同士の相互扶助的つながりによる新たな巨大な“村”の一員となった。
当時、創価学会の活動が無くて、都市流入した最下層の労働者階級を労働運動や共産党が組織化していたら、社会主義か、共産主義の革命が起こったかもしれない。結果として、権力者や支配政党にとって都合の良い存在でもあった。
創価学会の発展にとって、日蓮正宗との関係を維持することは「葬儀を営む」際に決定的に重要だった。そのため、小さな勢力だった日蓮正宗は、創価学会の発展とともに急速に繁栄・堕落していった(学会員は、墓地が無くても、正宗寺院の檀家になってくれた!)。やがて両者は対立する。
1978年の対立は、池田大作の大石寺への「お詫び登山」で学会の敗北。1990年、創価学会側から日蓮正宗を厳しく批判、両者は完全決裂する。最大の焦点は、「葬儀をどう営むか?」である。答えは、日蓮正宗の僧侶を呼ばず、自前で葬儀を営む「学会葬(のち友人葬)」になる。2002年創価学会会則の改正で脱日蓮正宗化を明確にする。但し、日蓮の教えは従前どおり大切にする。
最後まで読むと、創価学会が、現代日本社会が失いつつあるさまざまな相互扶助的つながりを唯一維持できている貴重な組織であると再評価している部分が強く打ち出されているように感じられた。著者は、対象に近づきすぎたようだ。
思わず、学生時代に大学の寮で勧誘(折伏ではなかったが、ひつこかった!)を受けて、断るのに苦労したことすら忘れて、「俺も創価学会に入ろうかなあ」と思ってしまったほどである。
でも正気に戻れば、四箇格言にみられる「謗法払い」など、地域や親戚の付き合いすらもし難くなる排他性のことを忘れてしまうところだった。創価学会は、江戸時代幕府から繰り返し弾圧を受けた「不受不施派」の現代版である(148ページ)そうだ。
池田大作名誉会長が亡くなった後の創価学会の受ける影響は、よく言われるような混乱は無いだろう。既に池田名誉会長の権威は会則で確立されており、後継は夫人か、長男が行い、集団指導体制となる。「学会員たちは、創価学会という組織と、信仰によって結びついているというよりも、略、利害で結びついている面が大きい。彼らが会員であり続けるのは、たんに池田を信奉するからではなく、相互扶助組織としての創価学会の一員であることが、現実的なメリットをもたらすからである(170ページ)。よって、ポスト池田になっても、大きな脱会騒動は起こらないだろう。
※また書けたら書きます。
目次: *コピペ
序 章 日本を左右する宗教
公明党は宗教政党か/結党当時の政治目的/実質のある巨大組織/熱心な会員たち/学会研究の難しさ/排他性と客観的分析
第一章 なぜ創価学会は生まれたのか
創価学会の誕生――初代・牧口常三郎/日蓮正宗との出会い/現世利益の思想/教育団体から宗教団体へ/躍進の基盤――二代・戸田城聖/「実業家」の宗教体験/肉声が伝える実像/折伏大行進の掛け声/高度経済成長と新宗教/都市下層の宗教組織/農村出身者の受け皿/ひとり勝ちの理由/伝統的信仰の否定
第二章 政界進出と挫折
折伏の戦闘性/軍旗のある宗教/日蓮の志を継ぐ政治活動/日蓮正宗の国教化/国立戒壇という目標/各界からの批判/頂点に向けて――三代・池田大作/自公連立のきっかけ/大義をなくした政治活動/言論弾圧事件の余波/在家仏教教団として/蜜月の時代/全面対立と決別
第三章 カリスマの実像と機能
独裁的権力者への批判/偉大なる指導者への賛辞/人を惹きつける率直さ/庶民の顔/既成イメージのはざまで/カリスマの武器/「一人も人材がいない」/不可避のジレンマ
第四章 巨大な村
学会は「池田教」か/排他性の根拠/相互扶助の必然性/幹部の役割/実利をもたらす選挙活動/経済組織という機能/最強にして最後の「村」
終 章 創価学会の限界とその行方
カリスマなき時代に向けて/ポスト池田の組織運営/進む世俗化/公明党の未来/被害者意識と組織防衛/学会の限界/戦後日本の戯画として
主要参考文献
おわりに
192ページ 所要時間3:35 ブックオフ105円
著者51歳(1953生まれ)。宗教学者。1995年のオーム真理教事件の時には、教団との距離の近さで社会的に制裁を受ける。本書「おわりに」で「距離が近すぎれば教団寄りとみなされ、逆に遠すぎれば、本質をとらえることが困難になってくる。略。結局は客観的であることをつねに意識しながら、対象に対して果敢に肉迫していくしかないのではないだろうか。191ページ」と述べている。
2012年版で24刷なのを見て、即購入。創価学会に対する入門書としては、かなりよくできていて、分量もお手頃である。ただ、創価学会に対する厳しい批判を期待していたのだが、むしろ再評価・礼讃に近い印象を受けた。特に、池田大作のカリスマ性をほぼ追認しているのには少し戸惑った。
初代会長牧口常三郎から、2代目戸田城聖、3代池田大作と創価学会の歩みを丁寧にたどり、発展過程における激しい折伏や学会批判書への出版弾圧なども書かれているが、なんとなく過ぎ去った歴史のように書かれてるのは、少し肩透かしだった。
創価学会の本格的発展は、高度経済成長期である。当時地方の農村を出て都市に流れ込んだ貧しい農家の次男・三男たちは、労働運動ですら捕捉できない都市の下層労働者となった。同時に、彼らは故郷喪失者でもあり、新たなコミュニティとしての“村”を欲していた。そこに学会の折伏と謗法払いをともなう激しい布教活動が行われ、彼らは学会員同士の相互扶助的つながりによる新たな巨大な“村”の一員となった。
当時、創価学会の活動が無くて、都市流入した最下層の労働者階級を労働運動や共産党が組織化していたら、社会主義か、共産主義の革命が起こったかもしれない。結果として、権力者や支配政党にとって都合の良い存在でもあった。
創価学会の発展にとって、日蓮正宗との関係を維持することは「葬儀を営む」際に決定的に重要だった。そのため、小さな勢力だった日蓮正宗は、創価学会の発展とともに急速に繁栄・堕落していった(学会員は、墓地が無くても、正宗寺院の檀家になってくれた!)。やがて両者は対立する。
1978年の対立は、池田大作の大石寺への「お詫び登山」で学会の敗北。1990年、創価学会側から日蓮正宗を厳しく批判、両者は完全決裂する。最大の焦点は、「葬儀をどう営むか?」である。答えは、日蓮正宗の僧侶を呼ばず、自前で葬儀を営む「学会葬(のち友人葬)」になる。2002年創価学会会則の改正で脱日蓮正宗化を明確にする。但し、日蓮の教えは従前どおり大切にする。
最後まで読むと、創価学会が、現代日本社会が失いつつあるさまざまな相互扶助的つながりを唯一維持できている貴重な組織であると再評価している部分が強く打ち出されているように感じられた。著者は、対象に近づきすぎたようだ。
思わず、学生時代に大学の寮で勧誘(折伏ではなかったが、ひつこかった!)を受けて、断るのに苦労したことすら忘れて、「俺も創価学会に入ろうかなあ」と思ってしまったほどである。
でも正気に戻れば、四箇格言にみられる「謗法払い」など、地域や親戚の付き合いすらもし難くなる排他性のことを忘れてしまうところだった。創価学会は、江戸時代幕府から繰り返し弾圧を受けた「不受不施派」の現代版である(148ページ)そうだ。
池田大作名誉会長が亡くなった後の創価学会の受ける影響は、よく言われるような混乱は無いだろう。既に池田名誉会長の権威は会則で確立されており、後継は夫人か、長男が行い、集団指導体制となる。「学会員たちは、創価学会という組織と、信仰によって結びついているというよりも、略、利害で結びついている面が大きい。彼らが会員であり続けるのは、たんに池田を信奉するからではなく、相互扶助組織としての創価学会の一員であることが、現実的なメリットをもたらすからである(170ページ)。よって、ポスト池田になっても、大きな脱会騒動は起こらないだろう。
※また書けたら書きます。
目次: *コピペ
序 章 日本を左右する宗教
公明党は宗教政党か/結党当時の政治目的/実質のある巨大組織/熱心な会員たち/学会研究の難しさ/排他性と客観的分析
第一章 なぜ創価学会は生まれたのか
創価学会の誕生――初代・牧口常三郎/日蓮正宗との出会い/現世利益の思想/教育団体から宗教団体へ/躍進の基盤――二代・戸田城聖/「実業家」の宗教体験/肉声が伝える実像/折伏大行進の掛け声/高度経済成長と新宗教/都市下層の宗教組織/農村出身者の受け皿/ひとり勝ちの理由/伝統的信仰の否定
第二章 政界進出と挫折
折伏の戦闘性/軍旗のある宗教/日蓮の志を継ぐ政治活動/日蓮正宗の国教化/国立戒壇という目標/各界からの批判/頂点に向けて――三代・池田大作/自公連立のきっかけ/大義をなくした政治活動/言論弾圧事件の余波/在家仏教教団として/蜜月の時代/全面対立と決別
第三章 カリスマの実像と機能
独裁的権力者への批判/偉大なる指導者への賛辞/人を惹きつける率直さ/庶民の顔/既成イメージのはざまで/カリスマの武器/「一人も人材がいない」/不可避のジレンマ
第四章 巨大な村
学会は「池田教」か/排他性の根拠/相互扶助の必然性/幹部の役割/実利をもたらす選挙活動/経済組織という機能/最強にして最後の「村」
終 章 創価学会の限界とその行方
カリスマなき時代に向けて/ポスト池田の組織運営/進む世俗化/公明党の未来/被害者意識と組織防衛/学会の限界/戦後日本の戯画として
主要参考文献
おわりに