もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

3 072 池上彰「池上彰が読む小泉元首相の「原発ゼロ」宣言」(径書房;2014) 感想5

2014年02月27日 23時09分55秒 | 一日一冊読書開始
2月27日(木):

221ページ  所要時間 4:20      図書館

著者63歳(1950生まれ)。ジャーナリスト。報道解説者。

この数日間、妙に熱っぽたさが続き、鼻水が流れ、目もしょぼつく日々である。本書も、速読はできず、3日がかりで読んだ。時間をかけたから、理解や記憶が冴える訳ではない。あまり効率の良い読書とは言えなかった。

しかし、1月に出版されたもので、ぴちぴちの鮮度で、かつ話題性の高い本である。内容もそれなりに充実していて、まさに現時点“今”を考える上で有用だと思ったので、感想5にした。何よりもけっこう面白かった。池上彰さんのタイムリーな取材能力には脱帽である。小泉元総理の「原発ゼロ」宣言への過程を2003年ごろに遡って現在までの変化を掲載し、池上さんが客員教授を務める東京工業大学の学生たちに意見を聞く。そして、小泉元総理の発言を追った毎日新聞政治専門委員山田孝男、細川護煕元総理、城南信用金庫理事長吉原毅、元三菱銀行NY支店長取締役末吉竹二郎らの反原発論の取材・池上解説を載せたものだ。

ちょうど1年前の2013年1月に逝去した経済学者の加藤寛慶応義塾大学名誉教授は、「原発を即時なくしても、日本の経済は十分に発展できる」と断言していた。教え子には、小泉元首相、橋本元首相、小沢一郎、竹中平蔵ら多くの実力者がいる。

人選と言い、解説と言い、池上さんも福島原発事故も何も起こってないかのように知らぬふりをして、原発を再稼働させ、ベース電源として位置づけ、高速増殖炉もんじゅの研究再開すらにおわせる安倍内閣に対して相当強い違和感を持ち、批判的であることは間違いない。っていうか、ふつうの知性を持っている人間であれば、野田汚物民主党から安倍極右自民に至る日本の政治状況、原発再稼働の動きに強い批判(非難?)の目を向ける方が「コモンセンス」だろう。

読むにつれて、小泉・細川両元総理の「原発ゼロ」「反原発」の意識が本物であること。やはり、都知事選での二人の活動が<義挙>であったことを確信した。

東京工業大学の学生たちへの意見聴取では、小賢しさと「東工大生も大したことないな…」という印象を持った。城南信用金庫理事長の話は、一番読み応えがあったが、特に、「憲法9条を護り、原発に反対して国土を守ろうとする人々は左翼ではなく、よっぽどの保守である。それに対して新自由主義の経済効率のみを追求して原発再稼働し、集団的自衛権を改悪して戦争のできる国にする動きの方がよっぽど左翼であり、革新である」という指摘は、そのとおりだと思った。他の人たちの話も十分読む価値があった。そして、今の日本では恐ろしいほどの言論統制が行われていて危険な状況であることも分かった。「やっぱり、そうだったんだよな!」って感じである。

今、東電では優秀な人間ほど自分の意志で退職者があとを絶たない状況だそうだ。逆に言えば、よそに移れない能力の低い人間の比率が高まっているそうだ。これはこれで深刻な問題だ。東電は一度潰した方がよい。責任の所在を明らかにした上で分解して立て直すべきだ。

全然まとめになってないけど、熱っぽいし、体もだるいので、もう寝ます。それにしても、自民党の強引な拙速さには、薄っぺらな幼稚さしか感じない。その隙だらけの自民党を攻められない野党のふがいなさは情けなさを通り越して哀しみを覚える。民主党は、一日も早く野田汚物や前原詐欺師と袂を分かって分裂せよ。今のままでは、まったく無価値どころか、マイナスの存在だ。分裂してしかるべき中道勢力を結集して、多少小さくても2年後の核になれる勢力を築きあげろ。それが一番の課題だ。

今度こそ、本当に寝ます。

140227 風邪ひいてます。目が熱っぽくてしょぼつきます。

2014年02月27日 19時28分43秒 | 日記
0033 山内昌之「嫉妬の世界史」(新潮新書;2004) 感想5
2月27日(水):206ページ  所要時間3:30             蔵書著者57歳(1947生まれ)。言わずと知れた現代を代表する世界史学者(イスラーム地域中心)で...

140223 山田太一ドラマ「時は立ちどまらない」(1:43;2月22日)の録画を観た。感想4 とても良かった!

2014年02月24日 01時49分16秒 | 映画・映像
2月23日(日):

久しぶりの山田太一ドラマ。東日本大震災を正面から取り上げたドラマである。このレベルで、このキャストでよくぞやってくれました。中井貴一と柳葉敏郎はやっぱり良い!橋爪功も吉行和子も良い!有難うの一言です。山田太一の健在ぶりを確認できて嬉しかった。東日本大震災と福島原発の過酷事故を過去のこととして忘れようとする安倍晋三自民党内閣の無作為の故意の悪質さを改めて告発する内容にもなっている。今まさに日本社会に求められているドラマを、しっかりと先駆けて製作するところに山田太一の真骨頂を見た!

山田太一の山田組の俳優と、東京家族の山田洋次の山田組の重なりに少し驚いた。二人とも高齢だが、日本映画・ドラマ界の良識・良心である。

3 071立花隆「ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊」(文藝春秋2007)感想5

2014年02月23日 20時49分32秒 | 一日一冊読書開始
2月23日(日):  

542ページ  所要時間 3:25        図書館
  風呂に入って、マッタリとしながら付箋をしたページだけ+α1:15読み返した。至福の時間だった。

著者67歳(1940生まれ)。知の巨人。

本書は、俺にとって「0020-1 立花隆「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」(2001)感想5 2012/12/26」、「0021 立花隆「ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論」(1995)評価4 2012/12/29」、「3 043 立花隆・佐藤優「ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊」(文春新書;2009)感想4 2013/12/27」に続く、4冊目の立花隆による「読書案内本」である。とても読みたかった本だが、その分量に圧倒されてなかなか踏み出せなかった。

しかし、図書館の返却日が近づいている。今日を逃せば無理だ。せめて<縁結び読書>だけでもしておきたい。ということで、1ページ15秒を厳守して眺め読みを敢行した。付箋もできるだけ遠慮するつもりだったが、結局ハリネズミのようになってしまった。
付箋ページ:7,8,45,63,86,109,144,147,176,190,193,198,215,219,222,238,250,259,270,282,296,299,300,303,317,352,366,373,403,406,412,415,420,431,447,490,494,498,506,508,514,519

本書の内容は、多岐多彩で圧巻である。著者の膨大な本を購入して、咀嚼し尽くす様子は圧倒的である。本当に刺激的で面白い内容に満ち満ちている。時間があれば少しでも、その片鱗でも紹介したいと思うが…。

担当編集者より:立花さんの仕事場である通称「ネコビル」には、三万五千冊の蔵書がところ狭しと並んでいる。その本棚の前を行きつ戻りつすること十数時間。立花さんを作り上げた本について語り尽くしてもらった。『田中角栄研究』『日本共産党の研究』『宇宙からの帰還』『サル学の現在』……それらを書くにあたって使用した本のことはもちろん、立花さんの根幹をなす哲学・宗教、さらには大好きな古代史の本、あまり人には言えないエッチな秘蔵本……、そのワールドはまさに広大無辺。本を読む人にとってはたまらない、知的宇宙の大公開です。(IT)
【目次】(「BOOK」データベースより)
ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊/私の読書日記ー2001・3~2006・11(リヒテル、マネー、マリア/肉食、経世会、人磨呂/日銀、ダ・ヴィンチ、浮世絵メディア/金融工学、痴呆、妖怪学/小泉内閣、宮崎駿、弥生人/テロ、ジハード、ハディース/スクープ、恋愛遺伝子、べん毛モーター/朝鮮戦争、今村昌平、KGBマル秘調書/検査値、土門拳、テストステロン/老子、二・二六、日本崩壊 ほか)

140222閲覧21万超えました。1586年天正地震で「原発銀座」若狭湾に津波!1948年福井大地震!再稼働反対!

2014年02月23日 13時48分42秒 | 閲覧数 記録
2月22日(土): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から 868日(2年4ヶ月半)

東京都知事選の影響か? 初めて、1か月未満で閲覧数1万PVを超えました。

アクセス:閲覧 486 PV /訪問者 192 IP

トータル:閲覧 210,286 PV /訪問者 86,379 IP 

ランキング:日別 12,297位 / 1,990,976ブログ中 /週別  13,129 位

※2月22日(土)付け朝日新聞beの【磯田道史の備える歴史学】「天正地震後に「大波」の記録」で、ルイス=フロイスの記録として1586年天正地震で「原発銀座」若狭湾に津波が襲ったことが記されている。傍証として、公家の日記や秀吉の伝記『豊鑑(とよかがみ)』にも同様の記録があるそうだ。

フロイスの記録では「若狭の国(福井県)には海に沿って、やはり長浜(高浜の誤り!by東大地震研究所)と称する別の大きい町があった。そこには多数の人びとが出入りし、盛んに商売が行われていた。人々の多いなる恐怖と驚愕のうちに、その血が数日間揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が、遠くから恐るべき唸りを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。高潮が引き返す時には、大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海に呑みこまれてしまった」

他にも福井県では、1948年に福井大地震が起こっているではないか!

「発生当時戦後最多となる死者を出し、大正関東地震(関東大震災)、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)などと並ぶ、日本の災害史上最悪クラスの震災となった。2011年現在も東日本大震災、阪神・淡路大震災に次ぐ戦後3番目の規模の震災である。死者のほとんどが、当時あわせて人口20万余りにすぎなかった福井市・坂井郡(現坂井市)に集中しており、その被害率(死者は人口の1%超)は、日本の近代史に他例を見ない。(ウィキペディアより)」

地震直後の大和百貨店 倒壊した北陸本線福井駅-森田駅間の九頭龍川鉄橋(九頭龍川橋梁)

いずれも福井県が「原発銀座」になる前の話である。原子力ムラのカネの力で、大飯原発の活断層もなかったことにされそうだが、誰も信用なんてしていない。「疑わしきは被告の有利に」は、人間の裁判の話であって、原発の場合、特に福島原発事故後の場合、「疑わしきは稼働せず!」が絶対の鉄則だ。そもそも福井県は、原発の立地場所としてまったく安全ではないのだ。原発の再稼働に絶対反対する!




3 070 内田樹「日本辺境論」(新潮新書;2009) 感想4

2014年02月23日 01時16分38秒 | 一日一冊読書開始
2月22日(土):

255ページ  所要時間 3:50      図書館

帯文:日本人とは何ものか? 鍵は「辺境」にあり! これ以降、私たちの日本人論は、本書抜きでは語られないだろう。養老孟司さん絶賛。
裏書:日本人とは辺境人である――「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。


著者59歳(1950生まれ)。

冒頭、著者は「日本文化論を書いた著作はたくさんある」と本書のオリジナリティを否定する。「忘れられている優れた日本文化論を掘り起こして補正するための「雪かき」「どぶさらい」をするのだ」と述べているが、実際には十分にオリジナルな日本文化論になっている。

著者は、とっても話し好きの先生である。読んでると、何かしら大学の先生と一緒に居酒屋で飲みながら(経験ないけど)、いい塩梅になっている気分になる。縦横無尽、型破りだけど、いい加減ではなく、けっこう難しいことを語っているようなのだが、わかりやすく噛んで含めるように説明してくれているので、なんとなく面白げに拝聴してしまう。

また、著者の文体は、武道家らしく腰を落としてしっかりしてるが、けっこう身軽で、時に独特のおかしみが匂ってくる。また、問題意識は、世間一般の常識や感性とは同質化しないように気を配り(?)、常に一定の間合いを保って、反対するでもなく、賛成するでもなく、角度を変えて、「こんなふうにも見えるんだけど」みたいな見方を新たに提示してくれる感じである。

しかし、いざ本書で何が語られていたのかをまとめるとなると、あまりにも幅広くいろいろなことが語られていて、しかも気の利いた言い回しの内容もあちこちにあったりするので、何からどうまとめてよいのやらわからない。図書館の本なので、線を引いたり、犬耳する訳にもいかず、たくさんの付箋をすることになった。やはり、自分の本でないというのは、ハンディだと思う。

付箋ページ:51,52,68,70,88,93,95,100,102,112,116,120,144,146,148,156,163,166,173,178,183,184,197,212,217,218,220,222,224,227,233,240,242

目次: ※コピペ
はじめに
I 日本人は辺境人である
「大きな物語」が消えてしまった/日本人はきょろきょろする/オバマ演説を日本人ができない理由/他国との比較でしか自国を語れない/「お前の気持ちがわかる」空気で戦争/ロジックはいつも「被害者意識」/「辺境人」のメンタリティ/明治人にとって「日本は中華」だった/日本人が日本人でなくなるとき/とことん辺境で行こう
II 辺境人の「学び」は効率がいい
「アメリカの司馬遼太郎」/君が代と日の丸の根拠/虎の威を借る狐の意見/起源からの遅れ/『武士道』を読む/無防備に開放する日本人/便所掃除がなぜ修業なのか/学びの極意/『水戸黄門』のドラマツルギー
III 「機」の思想
どこか遠くにあるはずの叡智/極楽でも地獄でもよい/「機」と「辺境人の時間」/武道的な「天下無敵」の意味/敵を作らない「私」とは/肌理細かく身体を使う/「ありもの」の「使い回し」/「学ぶ力」の劣化/わからないけれど、わかる/「世界の中心にいない」という前提
IV 辺境人は日本語と共に
「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか/「もしもし」が伝わること/不自然なほどに態度の大きな人間/日本語の特殊性はどこにあるか/日本語がマンガ脳を育んだ/「真名」と「仮名」の使い分け/日本人の召命
終わりに


140222 全く同感!「反知性主義のプリズム」(2月21日掲載の日刊ゲンダイの一節)

2014年02月22日 16時15分16秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2月22日(土): ※全く同感なので、掲載する。

元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は19日の朝日新聞で、安倍側近の問題発言の背景にあるのは「反知性主義」だと言っていた。自分の主義信条というか、狂信的とも思える極右思想にコリ固まり、異なる考えを排除し、物事を客観的に見ることができない。佐藤氏は<自分が理解したいように世界を理解する「反知性主義のプリズム」が働いているせいで、「不適切な発言をした」という自覚ができず、聞く側の受け止め方に問題があるとしか認識できない>と分析する。正鵠を射た指摘だろう。
 取り巻きがこれだから、トップのオツムの程度も知れる。というか、首相がバカだから同じレベルの人間を集めてしまう。かくて、知性のカケラもなく、合理的な判断能力もない連中が、国の舵取りを担うことになる。ゾッとすると同時に、国民として情けなくなる。(2月21日掲載の日刊ゲンダイの一節)



140221 「河野談話」(1993):これの一体何が問題なのか?当然の内容だ!ここから出発するしかないだろう!

2014年02月21日 23時37分35秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2月21日(金):

※水木しげる(91歳;1922/3生まれ)の一連の戦記物作品群は、作者自身の実体験や当時の世間での見聞に基づくので大変歴史的価値が高いと思う!

     (水木しげる作品より)

慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

140221 雑感:「アンネの日記」大量破損事件は、安倍極右政権の<反知性主義>が生んだ当然の結果だ!

2014年02月21日 23時22分14秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2月21日(金): *昨夜の内容に、加筆・修正をしました。22日(土)

破損された「アンネの日記」  トラブルメーカーの利己的靖国参拝   
世界中を感動させた真央ちゃんの美しい涙。俺ももらい泣きした。

東京の公立図書館で、「アンネの日記」や関連書籍290冊以上がページを破られるなどの被害に遭ったそうだ。過去の歴史の深刻な意味を知らない低レベルで愚劣な犯罪行為だが、ただ事では済まされない事件だ。幼稚さと悪質さにおいて、ヘイトスピーチと同根の行為だ。日本社会は石原慎太郎や橋下徹、安倍晋三など<反知性主義>の歴史修正主義者による扇動の影響で、どんどん幼稚化、単細胞化されていっている。

浅ましい世相の反映とは言え、「選挙に勝った者が何をしても良い。それが民主主義だ! 選挙の結果がすべてなんだ!」と詭弁を弄して強弁する橋下徹から、悪い影響を無邪気に幼稚に丸ごと受けて暴走しているのが現在の安倍晋三だろう。一国の首相として、この男にもう少し分厚い教養があればよいのだが、まったく薄弱な精神しか持っていないので、自分のしていることを理解できていない。 

国際社会からの厳しい目をまったく無視して、安倍政権が、河野談話、村山談話を否定・撤回しようと躍起になっている光景はもはや異常である。無知と無責任が身勝手な志を持って大手を振っている。当然、それは国内の恵まれない状況にあって不満を抱えた若者の目に「それでいいんだ」という誤解を与えて刷り込むことになっている。

今回の事件は、昨年8月1日の麻生副総理兼財務相による「ナチスの手口に学んだら」発言を謝罪も丁寧な説明も必要ないとした<反知性主義>の安倍晋三極右政権の姿勢に対する非常にわかりやすい日本社会の反応である。因果関係がわかりやす過ぎて白けてしまう。

先日のダボス会議での、安倍による「第一次世界大戦の英独関係を、現在の日中関係に重ねる」無神経発言もあったことを考え合わせれば、この問題を国際社会が見過ごしにすることはまずないだろう。

ユダヤ人の団体は今のところ「あくまでも日本の一部の勢力である」と冷静な反応を見せているが、それは好意的に過ぎるのであって、今回の事件は日本社会で進むネオ=ナチの歪んだナショナリズムの潮流が隠しおおせないところまできたことの証拠なのだ。

このまま、<反知性主義>の安倍政権が適切な対応をできないままであれば、日本の歴史修正主義が、韓国・中国だけではなく、国際社会全体で今以上に注目され、問題化し、アメリカ、ヨーロッパなど世界中から危険な存在として位置づけられることだろう。

まあ、よく考えてみれば、ヒトラーのナチスも世界恐慌下で雇用を生むために、アウトバーン建設などの公共事業政策を推進し、経済を牽引して見せ、一方でユダヤ人差別を煽ることによって、ドイツ国民にファシズム的体制を受け入れさせた。アベノミクスという見せ金政策と靖国参拝、ヘイトスピーチの横行黙認も含めてマイノリティや他国への憎悪を煽っている。今の自民党は、まさに麻生の「ナチスの手口に学んだら」発言どおりのことをやっているのだ。

安倍晋三自身は薄っぺらな教養と薄弱な精神で、松岡洋右や近衛文麿のように小賢しく振る舞い、国際社会を手玉に取っているつもりのようだが、実際には手玉に取られていることに気づいていないだけだ。まもなく行き詰まるだろう。何故なら、素直に常識的に考えてみて、アフリカやインド、ロシア、ダボス会議でEUと世界中を飛び回っていても、一番肝心かなめの足元の中国、韓国、米国との関係改善に取り組めていない現実は、本質から目をそらして周縁を回り続けている薄弱な精神そのものである。

北方領土問題にしても、俺には、安倍の手で解決できるとはどうしても思えない。安倍は、強かな大国ロシアを相手にするには、知力も胆力も足りなさ過ぎる。松岡や近衛がヒトラーやスターリンに手玉に取られたように、プーチンに人間としての底の浅さを見透かされてしまうだけだろう。

事態の重大さを理解できないまま、中国・韓国との緊張関係を煽動・放置して、集団的自衛権、解釈改憲、原発再稼働に突き進み、日本社会に取り返しのつかない傷を残して、あと一年以内ぐらいで安倍政権は自壊するだろう。それ以上は、日本の社会がもたない。衆参選挙で公約していない極右的政策を強引に推進する安倍自民党は言わば<火事場泥棒!>をしているようなものである。安倍は<火事場泥棒>なのだ。国民の意志を無視して、自分のやりたいことをやり散らかして終わるのだからさぞ満足なことだろう。その後に、穏健派と称する自民党政権が成立するが、安倍極右政権が日本の立憲主義に残した大きな傷跡、莫大な負の遺産は温存され続け、日本社会を確実に蝕んでいくはずだ。

急ではないが、近い将来日本は確実に行き詰まり、衰退・破滅への道を進み続け、やがて弾けるだろう。その時に何が起こるのか。想像するだけで暗澹とした気分にさせられる。中国との限定的開戦か、劣化ウラン弾使用か、自衛隊で戦後初めての戦死者が出るのか、医療・年金破綻か、ウクライナのような内戦か、1000兆円超の国債のデフォルトか、安倍バブルの崩壊か、再度の原発事故(大飯か、もんじゅか、伊方か、浜岡か)、不当な人権侵害に対する在日外国人のテロか、沖縄の安保闘争か、首都圏・関西圏大地震か。

誰かが、本気で国民を目覚めさせてもう一度民主主義とリベラルを立て直さないと、この国は同じ轍を踏み、恐ろしい歴史が繰り返されるだろう。

とりあえず、<反知性主義>の頭の悪い低レベルな政治屋には、退場して欲しい。自民党もせめて、三角大福中や後藤田正晴、野中広務、加藤絋一レベルの政治家が出てきてほしい。もう一方に、自民党内のリベラル派(旧宏池会、旧田中派など)、野田汚物と前原詐欺師を除いた民主党、生活党、社民党、公明党などが反原発と護憲平和、経済・社会保障重視でまとまって、アメリカの民主党やイギリスの労働党のような中道勢力が生まれて欲しい。まあ、難しいか…。

まとまりの悪い内容になったが、SPの失敗にめげずFSを頑張ってやり遂げて世界中の人びとに感動を与えた浅田真央ちゃんの爽やかさと対比して、「アンネの日記」破損事件にみられるヘイトスピーチとネオ=ナチ的動き(=安倍晋三の独り善がりの日本)のウザッたさとはとても対照的だ。今の日本は、本当に醜い国になろうとしている、と思う。

140219 1年前 0027 住谷悦治「河上肇 人物叢書85」(吉川弘文館;1962) 感想?

2014年02月19日 23時22分49秒 | 日記
0027 住谷悦治「河上肇 人物叢書85」(吉川弘文館;1962) 感想?
2月16日(土):339ページ  所要時間3:05           蔵書著者67歳(1895~1987)。同志社大学経済学部教授。河上肇逝去16年後の伝記。何も盗まなか...

3 069 森達也「誰が誰に何を言ってるの?」(大和書房;2010) 感想5

2014年02月19日 01時03分24秒 | 一日一冊読書開始
2月19日(火):

243ページ  所要時間 1:50     図書館

著者54歳(1956生まれ)。映画監督。作家。
「自然と人間」(2006年4月号から2010年1月号), 「週刊金曜日」(2007年8月10日号・24日号)掲載の原稿を大幅に加筆, 修正。

内容説明:テロ警戒中・特別警戒実施中・防犯カメラ作動中、これ、多すぎじゃない?やがて規制が変わり、システムが変わる。世相が変わり、法が変わる。そして、意識が変わる。僕たちが知らない間にゆっくりと。
目次
•1章 監視するのは誰か。そしてされるのは誰か(監視カメラで安心する人たち;トイレで「テロ警戒中」 ほか)
•2章 暴走する正義(「薄汚い男」の話;拘置所からの帰り道で考える ほか)
•3章 平和な国で想う戦争の空気(靖国問題と東京大空襲の死角;何か見た?(ならば)何か言って! ほか)
•『坂の上の雲』と、日本で一番おだやかな街、松山
•心細いからこそ、僕たちは間違える


著者の作品には多少出来ばえに幅がある。本書に対しては、1ページ15秒をめざしつつ眺め読みをした。まずまず当たりの内容だった。

街の中や、街外れを歩いていて、恐怖や危機感を煽る言葉や看板や監視カメラが当り前に存在することに対して、ふと「変だよな、これって…」という思いに気づいたことを改めて考えてみると恐ろしい所に迷い込まされている。それを素通りせずにきちんと指摘していく。著者の感性は、異常な日常に慣れさせられて、おかしいことをおかしいと言えなくなっている俺が取り戻したい感性である。

本書は、著者のメディアリテラシー随想とでもいうべきものだ。この感性を俺も身につけたい。著者は、よく「左翼」と呼ばれるのだそうだ。しかし、資本論も丸山真男も読んでいない著者を左翼と呼ぶのは、軸の方が右にブレ過ぎているのだ。これだと俺も「左翼」になってしまう。日本共産党が生理的に大嫌いで、社民党を見捨てつつある俺だって左翼なのか?原発ゼロを求め、憲法9条を護り、ヘイトスピーチの馬鹿者どもを指弾するのは「コモンセンス」だろう。

本書の内容は、眺めた尻からどんどん忘却していくが、ほぼすべてに「異議なし!」「同意!」を心の中で叫びながら読み続けた。今度、もう一度、眺め読みしたいと思っている。できれば、アマゾンで50円未満(定価1500円+税)になったら購入しようと思った。

それにしても、先日の都知事選でも明らかになったことだが、日本のマスメディアの劣化ぶりは本当にひどい。戦前の戦争協力に対する反省は全く無い。戦前とまったく同じ轍を踏んでいる。細川・小泉の原発ゼロの訴えを、公正な選挙という題目を隠れ蓑にして報道としての矜持を捨てた新聞・TVの報道はひどかった。当時、細川・小泉を徹底的に無視する読売、徹底的に誹謗中傷する産経、文春、新潮に比べて、朝日、毎日、ゲンダイはまだましだったといったが、その差は非常にわずかで微温的にマシだったというだけである。

今にして思えば、マスメディア全体がグルになって、細川・小泉の原発ゼロ候補を封じ込める談合をして、朝日や毎日も少しだけ進歩的ポーズを取らせてくれるように報道姿勢をシェアしていただけだったんだとようやく気がついてきた。本当に自立した報道が存在したのであれば、もっともっと都知事選は盛り上がったはずだ。まあ、朝日や毎日だって所詮「原子力ムラ」という「満州国」に対して完全に腰が引けた同じ穴の貉に過ぎないのだ。だからこそ、森達也氏のメディアリテラシーのセンスは是非観につけたいセンスなのだ。

3 068 轡田隆史「1000冊読む!読書術」(三笠書房;2009/12) 感想3

2014年02月17日 01時24分15秒 | 一日一冊読書開始
2月16日(日):

245ページ  所要時間 1:05     図書館

著者73歳(1936生まれ)。元朝日新聞社記者。
副題「本がどんどん読める、頭のいい方法」

ページの字数が少ないので、1ページ15秒のペースで読んだ。だいたい意味は分かった。

読書術の本ではない。読書礼讃の本である。1000冊というのに、あまり大事な意味は無い。たくさん読んだらいろいろいいことがあるよ。それに本を読むと言うのも形式張って考えることはないんだ。いろんなことが読書になっているんだよ! 「読んだふりをしてもいい」「新聞の書評欄を読むのだって立派な読書だ」「三笠書房の背表紙の本の題名を読むのだって読書になる」 「村上春樹の『1Q84』は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』のもじりである」「本を読んで、まねることですごく表現力がつく」「本を読まないのは重い罪だし、もったいない」etc.

内容的には、ほとんど無いに等しいが、読書することを讃えて励ましてくれる内容に悪い気はしない。70歳を超えて、読書にこれだけの情熱を持てるというのは、佐藤一斎『言志四録』の一節「少にして学べ ば、壮にして為すあり。 壮にして学べば、老いて衰えず。 老いて学べば、死して朽ちず。」を思い起こさせてくれる。

目次: コピペ
1章 「多読」は絶対、あなたを変える!―本を1000冊読むと、何が起こるのか?(「1000冊読破」への最初の一歩/人はすべて、本から学んできた! ほか)
2章 本を読めば読むほど、頭は良くなる―読書習慣がある人、ない人の「埋められない差」(本はどんどん読み手に問いかけてくる!/1000冊読むと、人生に何が起こる? ほか)
3章 「できる人」は、なぜ読書家なのか?―人間的魅力とその遊び心とは?(日常は常にどこかで“本”とつながっている/頭の中にいっぱい「引き出し」を作ろう ほか)
4章 「読む力」は何を与えてくれるのか?―要約力、表現力、発想力を育てる方法(「書くこと」は、自分自身と対話すること/「短いことば」のほうが気持ちは伝わる ほか)
5章 「1000冊読破」からの贈り物―もし、本がなかったら世の中はどうなる?(読書こそ「考える力」の源である/「焚書」の歴史が証明!「読書の力」 ほか)


※面白い詩が紹介されていた。
恋人よ。/たうとうぼくは/あなたのうんこになりました。
そして狭い糞壺のなかで/ほかのうんこうといつしよに/蠅がうみつけた幼虫どもに/くすぐられている
あなたにのこりなく消化され、/あなたの滓になつて/あなたからおし出されたことに/つゆほどの怨みもありません。
うきながら、しづみながら/あなたをみあげてよびかけても/恋人よ。あなたは、もはや/うんことなつた僕に気づくよしなく/ぎい、ばたんとでていつてしまつた。  /(金子光晴1895~1975)

3 067 半藤一利「昭和史 1926-1945」(平凡社;2004) 感想5

2014年02月16日 18時28分55秒 | 一日一冊読書開始
2月16日(日):

510ページ  所要時間 9:00     ブックオフ200円

著者74歳(1930生まれ)。「週刊文春」「文藝春秋」元編集長。

単行本の体裁は大分な感じだが、決して視野広く、深く書かれた内容ではない。基本的には、作者の関心に沿って、通俗的な記憶の中身を文献を参考に語り下ろした感じである。内容としては、国際関係の推移や軍部・政府の動向及び昭和天皇と近臣たちの言動、軍部とともに戦争への道を鼓吹し二人三脚するマスコミの姿などに、こだわりを見せながら記述が進む。

たまに、触れられたりすることはあるが、本書を通して、当時の経済状況や日本人の生活ぶりを豊かに知ることは無理である。あくまでも本書は大文字の歴史を語るものであり、小文字の歴史は基本的に関心の埒外である。

では、価値がないのかといえば、そうではない。著者は学者ではないが、現実にその時代を生きていたことは本書の価値を高めている。最近の著者の反戦・護憲のリベラルな発言の背骨になる知恵の源流となる歴史観が示された著作と言える。

特に、満州某重大事件で天皇の叱責を受けた田中義一首相が辞職・急逝(自決か?)、ショックを受けた天皇が政治的発言を封じてしまう中、軍部の独走で、満州事変が起こり、5・15事件、満州国、国際連盟脱退での松岡洋右・マスコミのいい加減さ、軍部内での統制派・皇道派の暗闘、2・26事件後の広田弘毅内閣は城山三郎「落日燃ゆ」では良く書かれてるが、やはり取りかえしのつかない罪深さを持つ。

その後に現れる近衛文麿については、俺と全く同じ厳しい評価を下している。陸軍に比べて海軍は、独伊との防共協定はともかく、英米を刺激する軍事同盟には慎重だったという一般の印象に対して、慎重だったのは米内光政=山本五十六=井上成美の3人のラインだけで、海軍の大勢も好戦的なものだったことなどを指摘。そして、いよいよ英米戦を強く意識せざるを得ない段階で見せた、近衛文麿と松岡洋右の醜悪さはひどかった。

近衛は、新体制運動で作った大政翼賛会をすぐに軍部と内務省に奪われる。松岡は、ヨーロッパでの英独の逆転が始まるタイミングで、ヒトラーとスターリンに手玉に取られるお調子者を演じている。独ソ戦目前に軍事同盟・北部仏印進駐に踏み込み、日独伊ソの四国協商でアメリカを圧倒しようとする甘過ぎる見通しで、近衛・ルーズベルトの首脳会談による状況打開をめざす「日米諒解案」を妨害して、みすみす捨ててしまう愚行を演じる。

第二次近衛内閣の登場に際して、著者は「近衛さんはどちらかといえば反英米主義者で、アングロサクソンの世界制覇に対して懸念の強い人でした。しかも、他人の意見を聞く振りをしながら自分の意見を頑固に押し通し、まずくなるとすぐ逃げだすという、まことに頼りない人なのです。276ページ」と書いているが、近衛と安倍晋三の近似性は全く洒落にならない。

軍事同盟に反対して、連合艦隊司令長官に左遷された山本五十六が、最期の瞬間まで対英米戦に反対し続けたのに、真珠湾攻撃で日米開戦の戦端を開かせられたのは、気の毒という他ない。

日米開戦に至る過程で、ずば抜けて罪が重いのは、近衛文麿と松岡洋右で決まりだ! この二人に比べれば、東条英機というのは単に当時の愚劣な軍部の一人に過ぎない。東条を弁護する気など全くないが、東条なんてタイミング的に、アジア・太平洋戦争のA級戦犯の代表と位置付けられただけで、実際には“小物”であり、あの戦争は、もっと大きな政治家、陸海軍軍人、外務省、内務省、マスコミ、知識人、昭和天皇、天皇側近など多くの愚劣さと情報封鎖された風通しの悪さの中で、国民も踊らされて、出来上がった無謀な侵略戦争の流れを変えられず、雰囲気の中に飲み込まれた愚かで絶望的な戦争だった。

みんなが悪かったと責任の在り処を誤魔化す気はない。当然だが、戦争指導者は、政治家も、軍人も、天皇及び天皇側近も、マスコミも重い責任がある。しかし、思考停止状態で流され戻れなくなる社会の有り様は「恐ろしい」の一語に尽きる。

第一:国民的熱狂をつくってはいけない。
第二:最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない。
第三:日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある。
第四:ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際的常識を、日本人はまったく理解していなかった。
第五:何かことが起こった時に対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想。その場その場のごまかし的な方策で処理する。時間的空間的な広い意味での対局感がまったくない。
結論:あらゆることを見れば見るほど、何とどこにも根拠がないのに「大丈夫、勝てる」だの「大丈夫、アメリカは合意する」だのということを繰り返してきました。そして、その結果がまずく言ったときの底知れぬ無責任です。今日の日本人にも同じことが多く見られて、現代の教訓でもある。

「昭和の歴史というのはなんと多くの教訓を私たちに与えてくれるかがわかるのですが、先にも申しました通り、しっかりと見なければ見えない、歴史は決して学ばなければ教えてくれない、ということである」503ページ

3 066 堀江貴文「刑務所わず。塀の中では言えないホントの話」(文芸春秋;2014/1)感想4

2014年02月13日 02時10分23秒 | 一日一冊読書開始
2月12日(水):

255ページ  所要時間 4:55       図書館

著者41歳(1972生まれ)。元・ライブドア代表取締役社長。2004年、社名を「ライブドア」に変更、旧近鉄バファローズの買収を表明して脚光を浴びる。05年、ニッポン放送の筆頭株主となり、グループ会社のフジテレビと騒動に、06年、証券取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕され、07年に懲役2年6月の実刑判決、11年、最高裁が上告を棄却、6月20日に収監され、長野刑務所にて服役。メールマガジンでの発信を続け、13年3月27日に仮釈放され、11月10日に景気が終了した。現在は実業家、、民間でのロケット開発を行うSNS株式会社のファウンダー。

【目次】
第1章 刑務所わず。
1 地獄の沙汰も「人しだい」/2 僕の仕事は「介護」だった/3 これがリアル刑務所だ!/4 働け!ひたすら働け!/5 快適ライフを求めて/6 刑務所サバイバル術/7 塀の中から見えたこと
第2章 刑務所なう。ラストシーズン
仮釈放までの21週、獄中からのリアルタイム日記をおとどけ! 実録マンガで塀の中のリアルがわかります。


良くできた本だと思う。特に第1章は出色の出来だったと思う。終盤少し散漫になった感があったので感想4としたが、かなり面白かった。ホリエモンは、読みやすくて、ユーモアのある文章を書く。

ライブドアの一連の騒動では随分と世の中を引っかき回して、被害者も大勢出したが、刑務所に入っても、刑務所を出ても、高いテンションと好奇心を維持して、こんな著作をできると言うのは、やはり尋常な人間ではないのだ、と再認識した。毀誉褒貶、いろいろな評価をされていても、彼自身の中には太い幹のようなものがあってぶれていないのだろう。

これまでに「3 034 山本譲司「獄窓記」(新潮文庫;2003) 感想4」で、刑務所の話に興味を持ち、「3 041 佐藤優「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮文庫;2005、2007) 感想5」で512日間に及ぶ拘置所拘留の話を読んでいたので、その関心の延長で本書を手にした。実際に、読むと前二著にみられた重苦しさ、暗さは意識的に排されて、ライトで軽い感じで刑務所の洒落にならない実態が語られていた。

眺め読みをしようとしたが、体調が悪くて無用に時間がかかってしまった。

140211 徒然:東京の選択に俺自身の意志を投影したのは愚かなことだった。都民も利己的な田舎者である。

2014年02月11日 15時20分00秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2月11日(火):

東京都民といえば、何か知的な響きを感じるが、圧倒的多数はあまり優秀ではなく、目先のことしか観る余裕がない<大衆>であり、それに期待し、善導しようというのも出過ぎたことである。30年おきにバブルは繰り返される。83年前の満州事変、77年前の日中戦争、73年前のアジア・太平洋戦争と並べてみても、当時日本の将来を危ぶみ、さらには必ず負けると分かっていた人々は、それなりの学歴と視野を持っている人々の中に相当大勢いた。

しかし、近衛文麿をはじめ政治指導者の多くは分かっていながら、威勢の良い言葉を吐く軍部・右翼を止められないどころか、便乗までしてしまった。

現在は、国の外でなくとも、狭い国土の中に、また仮想空間の中に広大な植民地を持つことができる。それが、原発及びその先にある原子力兵器に転用可能な核廃棄物であり、1000兆円を超えてまだ増え続ける赤字国債という負の遺産だ。

誰もが気づいていながら見ない振りをしていたものが、これからは、特定秘密保護法の厳格化、憲法改正による基本的人権の制限と公共の福祉の拡大解釈、国防軍による軍事機密の増加が進められ、本当に見えなくなる。一方で不安と不満は「とりあえず世界一の東京オリンピック」という演出された熱狂の中で封印され押し切られていくのだ。

原発ゼロという最も大事な切所で市民運動と共闘できなかった共産党とポンコツ迷走社民党以外、総保守化が進んだ政党勢力の現状では最大の国の宝である「現行憲法」を守り切ることは極めて困難だろう。一方で、20代・30代の若者世代ほど、信じられないことだが田母神という人権・人命を軽視する見え見えの軍国主義者(石原慎太郎の亡霊)を支持しているのだ。

この背景には、「反日」を国内矛盾への批判をそらすための道具にしてきた中国・韓国も決して罪無しとは言わせない!天安門事件後の江沢民の愛国・反日教育、盧ムヒョン、李ミョンバク、朴クネの自己保身的反日批判。竹島も尖閣もちっぽけな話だ。双方に話し合う気さえあればいくらでも棚上げにできる。それで紛争が起こったとしたら、それは異常過ぎることだ。

日本の平和憲法、平和主義をあてにして、弱みにつけいるように、中国・韓国は国内で反日教育を行い、反日世論を生み育てて、国内矛盾を隠すのに利用してきたつけとして、日本のナショナリズムに火をつけてしまったことに気づくべきだ。中国・韓国で行うことのできる愛国心・反日教育は、日本国内でも行えるのだ。愛国心が鼓吹され、「反中国教育」「反韓国教育」に転化することを思い知るべきだ。平和憲法によって、火がつき難い国柄であり、国民性だが、逆にいったん火がつくと激しく燃え上がる可能性があるのを忘れたのか。特に、格差社会の矛盾が急速に拡大している中で、強硬外交、愛国心が支持されやすい条件は、日本国内でも十二分に整いつつあるのだ。俺の身の周りでは、仕事帰りに寄る本屋さんで最近まで置かれていたNHKラジオハングル講座のテキストが置かれなくなった。これも意外と深刻な変化だと思う。

俺は、中国・韓国と平和な関係を強く望んでいるし、国内での多文化共生社会を実現することの必要性を強く強く感じている人間だ。しかし、この2年ほどで、日本の体温は急速に上がり続け、熱に浮かされてきているように思う。昔当り前にできた人権や多文化共生、LD・ADHD、貧困などの問題、弱者へのまなざしの話がやり難くなり、格差を合理化するための競争が急速に助長されているように感じるのだ。

俺でさえ、こう感じているのだ。格差化が進み、非正規雇用の急速に増えた日本の若者たちが、本来知っておくべき歴史を知らず、一方的に中国・韓国から「歴史を忘れた、背信者」呼ばわりされ続けた時、彼らの中にどのような感情が芽生えるか。その耳もとで、田母神のような軍国主義者の亡霊が、愛国心を叫び、反中国、反韓国を叫び続ければ、若者たちが影響を受けるのは当然だろう(と、俺自身今回思い知らされた!)。日本で極右安倍に抵抗することは、俺たちの使命だ。しかし、同時に、中国・韓国も「反日」をおもちゃにしてきたことを猛反省すべきだ。

今回、田母神を支持した20代、30代の勢力は、あと10年後には、20代、30代、40代になる。20年もあっという間で、20代、30代、40代、50代になる。中国・韓国との軋轢は進み、戦争の惨禍を知らない人々に、様々な作り話とデフォルメされた英雄譚が刷り込まれていく。それは大きな趨勢である。くい止めるためには、国家の意志として断固として断ち切らなければ止められない。しかし、その可能性も、今回の都知事選で無理だとわかった。

俺は、かつての戦争で、「戦争自体に反対(非戦)」「この戦争は必ず負ける」「勝っても測り知れない惨禍を生む」と分かっていながらごく近い身内に「勝てるだって?!いや、負けるね」とぼそぼそとつぶやいていた人々のポジションにいて生き延びるのが精一杯になるのかな、と思う。

昭和のはじめの1927年に35歳で自殺した芥川竜之介は、少しあざと過ぎるが、日本のこの流れを止めてくれる人間はいないのだろうか。そもそもこの大きな<閉塞感>自体が、ものすごく危険なことなのだ。「一気にすかっとしたい!」という思いが世の中に充満すればするほど、対外紛争や国内テロなど不測の事態が起こり易いものなのだ。

戦後69年間、時には脱兎のごとくだが、そろりそろりと綱渡りのようにして歩んできた平和の歩みを何とかして守りたかったのだが、宇都宮候補と共産党が原発ゼロ候補の一本化を拒否したことによって本当に残念なことになった。細川候補が譲るべきだった、という言い分は単純な相殺論であって、あの場合宇都宮候補で一本化しても共産党色が強過ぎて原発ゼロの声をまとめることはできなかった。結局、政党色を薄めた細川候補と小泉純一郎元総理のグループを信じて、原発ゼロの一点突破を果たすしかなかったのだ…。まあ、繰り言だが…。

俺には、自民党本部で安倍・石破の極右コンビと握手する桝添新都知事が恐ろしくて仕方がない。高々8000人余の待機児童の解消を恩着せがましく、4年かけて解消するのが公約だ、という桝添に人間として信を置くことができない。

いきなりの核戦争は無くとも、一人でも戦死すれば、たちまち神話が創作されて、流れができていくだろう。

日露戦争勝利の1905年から、1918年のシベリア出兵まで13年、1931年の満州事変まで26年、1937年の盧溝橋事件まで32年、1941年の真珠湾攻撃まで36年。それを思えば、前回が敗戦で戦後は核兵器時代だったこともあり、憲法9条を守り、平和を何とか貫いて、戦死者ゼロで69年目を迎えていることは奇跡のようである。

何とかしてこの平和国家を守りたいが…。返す返すも、二人の元総理の“義挙“を活かせなかったのが勿体無くて悔しいことだった。

徒然草の一節、「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」ってこんな気分かなあ。精神の排泄作用である。お目汚しの方々には、ここらで御免蒙る。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)