もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

160331 安倍は「人物」ではなく「現象」として捉えるべき。公共電波を私物化するNHK島田敏男の背任糾弾

2016年03月31日 23時01分08秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月31日(木):

たまには心に浮かぶよしなしごとを吐き出したくなることもある。ほとんど推敲してません。乱筆乱文お許しください。

今さらかもしれないが、だんだんと身に染みてわかってきたことがある。「なぜ安倍晋三のような堪え性のない無知蒙昧で恥知らずな世襲政治屋が総理大臣に君臨し続けることができるのか。本来あってはいけない現実がなぜあるのか。」「そもそも安倍のような馬鹿で実力のない人間が国会議員になれて、総理大臣にすらなっている異常さ。これを安倍個人についていくら論評しても仕方がない。彼の実力で政治家になっていないのだから」

安倍晋三の”人物論”は、ある意味では無意味であり、愚痴にしか過ぎない。今の状況は安倍の「人物」の問題ではなく、大きく安倍を取り巻く「現象」として捉えるべき問題なのだ。安倍という政治屋の値打ちは「愚かで自身の中身が空虚であること」自体なのだ。つまり、99%の国民を自在に操り、支配し、搾取しようと考える1%の権力集団は、自分たちの主張や欲望を無批判に受け入れ実現してくれる”うつわ“(器;傀儡、ロボットと言い換えてもよい)が欲しいだけなのだ。そのためには、器・傀儡に自らの意志や思考・判断能力は必要ない。

安倍が憲法を破壊し、集団的自衛権を強行し、沖縄を蹂躙し、反省なしで原発再稼働を強行できることを、「自分の考えで、信念でやっている」と反発することに意味はない。なぜならそれは自らの意志と判断力のある人間として安倍を扱うことになるからだ。ロボットに腹を立てているようなものだ。

たとえ安倍自身が「自分の意志と信念でやっている」と思わせられてるとしても関係ない。肝心なのは安倍の背後にいる巨大な権力集団(財界、霞が関、アメリカ、他アンシャンレジームの復活を求める勢力)の意志を安倍が自分の意志として刷り込まれているだけなのだ。

もし安倍に主体的な意志があるとすれば、それは保護者にほめられたい子ども(ガキ)の意識だ。つまり「背後で自分を支える巨大な利害関係者(ステークホルダー)たちの意思を先読みし、忖度することが一番大事な基準であり、そこから絶対に逸れてはいけない。背後の勢力のエージェント(代理人)としてふるまえば絶対に間違いはない。」安倍の視野に国民の生活や視線は入らない。「民主主義とはあくまで権力者にとって方便であり、握った権力はあくまで私物化して、やり逃げをすればよい。後の責任逃れなどは、いくらでも言い訳することができる」と考えている。だから、平気でうそが言えるし、安倍の言葉は軽く、有権者の心を引き付ける言葉はないのだ。

安倍の「人物像」を論じて批判することは、糠に釘であり、何の意味も効果もない。「恥知らず」という批判が有効なのは、恥を知る者に対してのみだ。恥を知らず、理解もできない者に「恥知らず」を論うのは気持ちはわかるが愚痴にしかならない。

安倍に対する最も効果的な対処法は、彼のアイデンティティ(自己意識)が、財界・財閥、官僚、アメリカ、ほか旧制度の復活を望む有象無象の利益代表・代弁者であるという意識をしっかりと押さえた上で、安倍本人よりもその背後にいる存在の意思を知ることに力を注ぎ、その存在に狙いを定めて、彼らに対してどうすれば大きな打撃・ダメージを与えることができるのかを考えて行動することだ。安倍というのはただの「記号」に過ぎない。権力を握るために悪魔に魂を売る恥知らずは無数に存在する。安倍はたまたまタイミングよく現れ、家柄が高くて、しかも知性が極めて低いのにわがままで恥知らずな性格が利用するのにおあつらえ向きだっただけだ。

このままでは間違いなく形を変えて安倍という「現象」は繰り返し現れ続ける。安倍の背後にいる勢力を見抜き、痛撃をくらわし、危機感を抱かせ、彼らの意思の修正を図らせるような取り組みを考えるべきなのだ。

安倍の取り巻きの政治屋集団や、公共放送の電波を見え見えで私物化して安倍に取り入る(これを「背任」という)NHKの島田敏男、朝日新聞のアイヒマン曽我豪らが、本当に本心から安倍のようなガキに心酔して安倍を支えているわけがないことは誰でもわかる。それではなぜこの恥知らずな連中が安倍に群がっているのか。当たり前のことだが安倍を通じて背後に広がる巨大な権力集団とコネクションを作り、その端っこにくっついて甘い汁のおこぼれを頂戴しようという腹でしかない。だからこそ、この連中は卑しい、最低の人間集団なのだ。おこぼれの甘い汁は、経済面以外にも組織で虎の威を借る夜郎自大な振る舞いであったりいろいろあるだろう。汚らしいうんこバエ野郎たちだ。

今俺が、特に赦せないのは、冷酷な爬虫類面の総務相高市早苗、公共放送の電波を見え見えで私物化して安倍に取り入るNHK島田敏男朝日新聞のアイヒマン曽我豪の三人だ。先日、島田敏男の時論公論を聞いてみたが、まったく公論になっていない。こいつは視聴者を完全に操作可能な愚民として観じているが、その安倍という権力者に阿る姿がどれほど醜く全国の人々の目に映っているのかが、本人なりにはわかっているつもりかもしれないが、本当の怖さが解っていない。天に向かって唾を吐くことの怖さが解っていないという点で、NHKの島田敏男の頭脳は相当に低劣であると言える。朝日新聞の小役人アイヒマン曽我豪は、もうすぐ辞めるだろう。醜く居座りたければ居座ればいい。俺は軽蔑して断固として糾弾し続けるだけだ。そして今、もっとも強い糾弾を全国民から受けるべき下衆の極みは、NHKの背任島田敏男だ!こいつの存在がNHKに対する受信料を払い続ける意志をどれほど傷つけていることか!島田敏男の姿を見るたびに、そのレベルの低い恥知らずな言説を公共電波で耳にするたびにNHKに受信料を支払う気持ちが傷つき萎えてしまう。いっそ反対運動でも起こしてやろうかと思うこともある。

 安倍の走狗NHKは期待を裏切らない。 
↓“よもつへぐい”した宦官去勢豚、権力の腐れ犬ども↓絶対に赦さない!特に朝日新聞の曽我豪とNHKの島田敏男

160330 一年前:150329朝日の外注記事は、まだ読み応えがある。コモンセンスを保つために良い。

2016年03月31日 00時42分41秒 | 一年前
3月30日(水):
150329 朝日の外注記事は、まだ読み応えがある。コモンセンスを保つためにとても良い。

3月29日(日):(考論 長谷部×杉田)「我が軍」「言論の自由」…透けるものは 2015年3月29日05時00分 朝日デジタル 自衛隊を「我が軍」と表現した安倍晋三首相。...


160330 一年前:150329 朝日には珍しい骨のある「安部批判」社説。筆者が宦官の幇間曽我豪でないのは明白

2016年03月31日 00時41分42秒 | 一年前
3月30日(水):
150329 朝日には珍しい骨のある「安部批判」社説。筆者が宦官・去勢豚の幇間曽我豪でないのだけは明白だ!
3月29日(日):こういう社説を読むと「やっぱり腐っても朝日新聞(しか購読できんなあ)」と思わせられる。安倍政権の激走―「いま」と「わたし」の大冒険  2015年3月29日...

160329 映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」(2011) 感想5

2016年03月30日 00時48分11秒 | 映画・映像
3月29日(火):  

映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」の録画を観た。俺は幼稚で観る目が無いのか…?めちゃめちゃ面白かった! 娯楽に徹していて痛快で見ごたえがあった。アトス、アラミス、ポルトス、ダルタニアン、プランシェ;ミレディ;少年王ルイ13世;リシュリュー枢機卿、ロシュフォール;バッキンガム公;コンスタンスの名前とともにあらすじは、以前に観たNHK人形劇(三谷幸喜)で人間関係とともに知ってはいた(岩波文庫で原作を持っているが、まだ読めていない、とほほ)が、わずか2時間弱の短い中でよくぞこれほどまでに表現し楽しませてくれたと言えるできばえだった。

特にミラ・ジョヴォヴィッチのミレディは出色の存在感だった。この映画を観ると、マンガ「ルパン三世」の峰不二子のモデルが、「三銃士」のミレディだったと気づかせてくれる(当たってるかどうか知らないが)。ついでにこれは冗談だが、三銃士やダルタニアンたちに斬られまくる枢機卿の衛兵たちはショッカーの原型のようだった。

160327 一年前:150326 福島の放射能汚染を描いた映画『A2-B-C』、急遽上映中止に!(イアン監督)

2016年03月28日 00時15分25秒 | 一年前
3月27日(日):
150326 真実を探すブログ:福島の放射能汚染を描いた映画『A2-B-C』、急遽上映中止に!(イアン監督)
3月26日(木):  言論・表現の自由が一番大事だ。【これは酷い】福島の放射能汚染を描いた映画『A2-B-C』、急遽上映中止に!イアン監督「一方的に中止が決まった。検閲?自己検...


160327 一年前:4 063 オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」(光文社古典新訳文庫:1932)感想5

2016年03月28日 00時13分08秒 | 一年前
3月27日(日):
4 063 オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界 黒原敏行訳」(光文社古典新訳文庫:1932、2013訳)感想5
3月26日(火):433ページ(本文372ページ)の内現在346ページ  所要時間 9:05(現在進行中)  図書館→4月1日(水):本文372ページ  所要時間10:10...


160326 東京新聞【社説】高校生と政治 届け出なら違憲の疑い ※恥を知れ田舎者の愛媛県

2016年03月26日 22時23分13秒 | 時々刻々 考える資料
3月26日(土):
東京新聞【社説】高校生と政治 届け出なら違憲の疑い 2016年3月25日
  高校生の政治への関心をなえさせるだけでなく、表現や内心の自由を侵しかねない。校外での政治活動を届け出るよう求める学校の動きである。文部科学省は届け出制容認の見解を改めるべきだ。
  十八歳以上への選挙権年齢の引き下げを前に、愛媛県の全県立高校が校則を変え、校外での政治活動に参加する生徒に、前もって学校に届け出る義務を課すという。
  この校則の変更について、中村時広知事は「公選法違反事件に巻き込まれる可能性がある。今の段階では未成年を守るのは大事だと思う」と語り、理解を示した。教育行政の権限をやたらと広く解釈していないか。
  主権者としての権利を自らの責任で適切に行使できるよう、生徒を教え、導くことまでが、学校の権限であり、責任である。生徒を疑い、恐れるあまり、校外での個人的な活動まで管理下に置くのは、越権行為というほかない。
  届け出制にすれば、どんな政治集団に関わり、どんな信条や主張を持っているのかを、おのずと学校に把握されてしまう。就職や大学受験に響くのではないかと不安や不信を抱くかもしれない。
  政治活動は憲法上の表現の自由に根ざす権利である。それは思想や良心の発露だったり、幸福追求や学問としての取り組みだったりもするだろう。子どもの権利条約も同様の権利を保障している。
  生徒が制約を感じたり、戸惑ったり、また自主的な活動を控えたりすれば、そうした基本的人権の侵害にも等しいといえる。
  全国の高校は、事前と事後とを問わず、憲法違反の疑いもある届け出を強いるべきではない。生徒たち、親たちもよく考えたい。
  愛媛県での動きは、教育委員会が昨年十二月、校則の変更例を学校側に示したことが発端となった。今年に入り、文科省が届け出制を認める見解を打ち出したことも、背中を押したに違いない。
  文科省は昨年十月、校外での生徒の選挙運動や政治活動を解禁した。ただし、違法なものや暴力的なもの、学業や生活に支障を来す場合などには制限、禁止しうるとの条件をつけた。これが届け出制の出発点となっている。
  個人的な政治的信条の是非を問わないよう、文科省は学校に配慮を促している。だが、生徒の内心に踏み込むことに変わりはない。
  高校生か否かによって、同年代の若者たちの間で、政治活動の自由と権利をめぐる格差も生じている。これも重大な問題である。




160326 室井佑月 野田・元民主代表に「ええかげんにしぃや!」〈週刊朝日〉 ※異議なし!(もみ)

2016年03月26日 01時04分12秒 | 時々刻々 考える資料
3月25日(金):
週刊朝日室井佑月 野田・元民主代表に「ええかげんにしぃや!」  2016年4月1日号
  自民党に対して、共闘が叫ばれる野党。しかし、そんな流れに水を差すような発言をした元民主党代表の野田佳彦氏に対して、作家・室井佑月氏は「バッサリ切ってしまった」ほうがいいと憤る。
*  *  *
  「反対だといって党を出た小沢さんのほうが正しかった」
  あっという間にもう3月。夏の参議院選も間近だ。
  今回は良いニュースを一つ、悪いニュースを一つあげる。まず、良いニュースから。
  共産党宮城県委員会と民主党宮城県連は話し合いを重ね、参議院選選挙区候補を民主党現職の桜井充氏に一本化することで纏(まと)まった。共産党の岩渕彩子氏は立候補を取り下げ、比例候補となる。
  纏まるに当たって、「政策協定書」というものが作られた。
  その内容は、多くの有権者が望んでいたもの。
 (1)立憲主義に基づき、憲法違反の安保関連法廃止と集団的自衛権行使容認の7.1閣議決定の撤回を目指す。
 (2)アベノミクスによる国民生活の破壊を許さず、広がった格差を是正する。
 (3)原発に依存しない社会の早期実現、再生可能エネルギーの促進を図る。
 (4)不公平税制の抜本是正を進める。
 (5)民意を踏みにじって進められる米軍辺野古新基地建設に反対する。
 (6)安倍政権の打倒を目指す。
  ずうっと、ずうっと、それで纏まってくれと声を上げている人は、多くいた。たったこれだけのことに、どれだけ時間がかかるんだか? いやいや、でも纏まったんだから、文句いわない。ほんとうによかった。てか、宮城県以外の県はどうなってる?
  逆に悪いニュースもあった。
  ここに来て、元民主党代表の野田佳彦さんが、3月3日の連合・春闘決起集会に参加し、野党共闘に水を差すような発言をしたよ。
 「一番(私の)足を引っ張った(小沢)元代表さえ来なければ、あとは全部のみ込もうと思っている」「方針が決まってもゴチャゴチャいうのが民主党の悪いクセだ。一番ゴチャゴチャいったのは(小沢)元代表だ」
 だってさ。
  ええかげんにしぃや! ゴチャゴチャいってるのは、あんただがね。はんかくさい男だよ(全国からの怒りの声が届くよう、わざといろんな地方の方言で怒ってみました)。ついこの間もこの人、テレビ番組に出て、消費税増税の大切さを語っていたし。
  社会福祉費が増えつづけているのはわかるけど、なぜそれを消費税増税だけで補わなきゃならない。莫大な防衛費を削ればいいじゃん。シロアリ退治はどうなった? 格差が広がってしまった今、消費税増税はギリギリの暮らしをしている人々をさらに痛めつけるだけ。反対だといって党を出た小沢さんのほうが正しかった。あたしからすると、野党共闘を邪魔する野田さんがシロアリなんですけど
  さあ、民主党代表の岡田さん、大鉈(おおなた)を振るう場面ですよ。リーダーシップを見せてくれ。
  元首相の野田さんを、バッサリ切ってしまったらいかがでしょう?
  あたしだけじゃなく、野党共闘を願っている人間は、みなそう思っているはず。バッサリ、いけいけ

160325 乙武さん謝罪コメントに思う。「不徳の致すところ」という言葉が嫌いだ。

2016年03月26日 00時32分33秒 | 徒然・雑感
3月25日(金):

「不徳の致すところ」という言葉が嫌いだ。

 若い時分から今に至るまで、職場や世間を問わず、何か問題・不祥事を起こした人間が「不徳の致すところ」という言葉を使う場面で常に感じてきた違和感がある。

 まず、この言葉を使う人間は納得も反省もしていない。次に、問題を明確にすることを避け、うやむやな形で終わらせようとしている。さらに、それを言う本人に権力志向が強く、自分は周りの人間よりも上に立つ特別な存在だという自意識が透けて見える場合が多い。この3点だ。
 
 本当に謙虚に反省している人間は、「不徳の致すところ」などとは言わない。やってしまったことを誤魔化さず、たとえ強い抵抗感はあっても、自らの口で何が問題だったのかを具体的に述べて、今後どう反省していくのかを恰好悪くて見苦しくても自分の言葉できちんと話して説明するものだ。

 「不徳の致すところ」という表現は、問題点そのものを明確にせず、周りよりも自分を高みに置いた表現である。そして、聞き手との本当の意味での理解・交流を拒んでいる。この言葉を聞く時、俺はいつも「あんた何様だよ?きちんと省略せずに話せよ!」と感じてきた。職場でも、世間でも、俺はこの言葉を使う人間を信用できないし、嫌いな場合が多かった。
 
 これと似た印象の言葉に「遺憾に思う」「粛々と(進める)」という言葉がある。

160325 一年前:150325週刊金曜日:大手新聞やテレビキー局上層部「メシ友」実態―安倍内閣支えるメディア

2016年03月26日 00時08分43秒 | 一年前
3月25日(金):
150325 週刊金曜日:大手新聞やテレビキー局の上層部「メシ友」の実態――安倍内閣を支えるメディア
3月25日(水):大手新聞やテレビキー局の上層部「メシ友」の実態――安倍内閣を支えるメディアhttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=...


160324 一年前:150323 内田樹と白井聡の2人が安倍首相を「人格乖離」「インポ・マッチョ」と徹底批判

2016年03月25日 02時18分15秒 | 一年前
3月25日(木): ぜひ読んで下さいm(_ _)m。
150323 リテラ:内田樹と白井聡、気鋭の学者2人が安倍首相を「人格乖離」「インポ・マッチョ」と徹底批判

3月23日(月):内田樹と白井聡、気鋭の学者2人が安倍首相を「人格乖離」「インポ・マッチョ」と徹底批判http://lite-ra.com/2015/03/post-963....


160323 日刊ゲンダイ:“安倍首相の天敵”山尾議員…無知な総理の改憲論議に異議

2016年03月24日 02時43分48秒 | 時々刻々 考える資料
3月24日(水):

本来国会議員と言うなら、このレベルの人々によって構成されるものだと思っていたが、今はごみクズのような破廉恥な馬鹿ばかりだ。政治家の質があまりにも低すぎる。このままでは日本は滅びてしまう。山尾志桜里議員は理路整然としていて、とても頼もしい。

日刊ゲンダイ注目の人 直撃インタビュー “安倍首相の天敵”山尾議員…無知な総理の改憲論議に異議  2016年3月22日

「総理はいざ対等になってくると不安になる」(C)日刊ゲンダイ

  安倍首相が一番嫌いな女性議員と言われる山尾志桜里議員。国会審議では舌鋒鋭い追及や、ひるまない姿勢が際立つ。しかも理路整然。首相の憲法観の乏しさや無知を浮き彫りにしたのも、「保育園問題」で政府を動かすきっかけをつくったのもこの人だ。1強多弱の永田町だが、新たな野党のヒロイン登場で面白くなってきた。

■ニヤニヤ、言い訳、批判は不安の裏返し
――予算委員会では4度も質問に立ち、安倍首相から注目される答弁をたくさん引き出しました。首相と対峙してみて、どうでしたか。
  総理と議論するのは今回初めてだったんですけど、自分の庇護の下にある女性には紳士だけれど、自分の範疇を超えてくると、ものすごく不安になるんだなということがよくわかりました。前の女性活躍担当の有村大臣に「看板娘です、頑張れ」と言いましたが、自分の範疇にいる女性には「応援するよ、サポートするよ」と言う。しかし、いざ対等になってくると不安になる。その不安がニヤニヤしたり、言い訳をひたすら続けたり、批判してかぶせてきたり、尋常じゃない対応になって表れるんだなと思いました。
――「精神的自由の経済的自由に対する優越的地位」という憲法の基本について質問されましたが、安倍首相はまともに答えられなかった。あれには驚きました。
  実は私の前に同僚の大串議員が同じ質問をしたんです。その際、総理は「自由の証しである」と、法律的には使わない、歌詞に出てくるような言葉でごまかした。たぶん知らないんだなと思ったので、あらためて質問してみることにしたのです。
――知らないものだから、最後は「クイズは意味がない」と逆ギレでした。
  憲法の技術的な議論をしようと思っているわけではありませんが、次の参院選で憲法改正を争点にすると言っている総理だから、だったら今の憲法の中核部分は知っていないと困る。メディアの規制を含め、放送法を巡る表現の自由の問題もあるし、デモがテロだと言った大臣もいる。個人に表現の自由があるということを、この政権がどう捉えているのかは、国民の関心事です。
――まさに憲法を改正しようとしている首相が憲法をわかっていない。恐ろしい話です。
  象徴的なのが「自民党改憲草案」です。憲法を知らない政党で憲法を知らない人が書いたんだということが一目瞭然。例えば「個人の尊厳」ですが、自民党改憲草案では、個人を全部、人あるいは人間に置き換えて、個を消している。人間であるための最低限の権利は保障するけれども、人と違う個人であるという最低限の権利は保障しない。個の抹殺です。憲法を少しでも学んだことのある者なら本当にびっくりします。
――放送法について高市総務相が「停波もあり得る」とした発言も大問題です。
  あれは2つのポイントがあります。ひとつは政治的公平を判断するのが政治家では本来ダメだろうということ。もうひとつは、ひとつの番組だけで政治的公平性がないと判断されれば停波し得るとしたこと。第1次安倍政権ですらそこまでは踏み込まなかったのに、去年、自民党参院議員の質問に高市大臣が呼応する形で出てきた。マッチポンプじゃないかと私は思っているんだけれど、「ひとつの番組でも判断し得る」という“高市基準”が、ある市民団体の質問書に答える形で「高市ペーパー」となり、今年の予算委で「安倍ペーパー」に格上げされた。強権的な解釈が政府の統一見解となったことは重大です。
――高市大臣はブログで「テレビでテロを呼びかけるような放送があったら、停波しなくていいのか」と、突拍子もない事例を挙げていましたね。
  テロは犯罪ですから、停波の問題ではなく、現行犯逮捕ですよ。それに、これまでは一応、「ひとつの番組でも繰り返し直らない場合には」と言っていたんですが、テロを呼びかける番組を停波する場合には、たぶん繰り返し要件もない。瞬間的に停波し得ると解釈できる。どうしてそんな現実離れした事案を出してくるのか。結局、問題があるから解決しなきゃいけないのではなく、発言が先にあって、事案を後付けするから、おかしな話になってしまう。憲法改正もそうだと思うんです。最初は96条改正だった。しかし、国民的な常識の中で潰れ、今度は緊急事態条項だと。
――参院予算委で首相はついに「私の在任中に憲法改正をしたい」と明言しました。
  「そんなこと起きない」「実際、困っていない」と潰されても、「僕、やりたいんだ」と思いが募る。これから先もいろんな事案を出してくるでしょう。憲法に無知な総理が自己実現のために憲法に手をつけようとしているというこの国の不幸な状況を、次の参院選で脱しなければならないという思いを強くしています。
  政府の「待機児童ゼロ」は“打ち上げ花火”にならないかチェックが必要
 「保育園問題は今後も見ていて欲しい」と山尾志桜里議員(C)日刊ゲンダイ
――保育園問題でも首相を追い詰めましたね。「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログに対する答弁はひどかった。
  あれは匿名なんで私は知らないけどね、というのがいまの政権です。世論の支持が広がったのは、社会問題だからです。2月29日に質問した後、涙の電話も来るし、涙のあとが付いた手紙も来ましたよ。「子供が待機児童になって、自分は仕事に戻れない。でも仕事に復帰しないと、これから先、絶対子供を大学にも入れられない。将来のことを考えて泣いている」と言うんです。保育士さんも、「自分は保育を20年以上やってきた。子供の未来のために誇りを持って仕事をしてきたけれども、給料が低いうえ、最後は心身を壊して辞めた」って言う。
――批判が広がり、塩崎厚労相が署名を受け取って、安倍首相は「待機児童ゼロを必ず実現させていく」と言いだしましたが……。
  最初は冷たい態度だった総理が、社会が動いたら手のひら返しの対応です。塩崎大臣は「山尾さんと総理が向いている方向は同じ」と言っていましたが、まったく違います。勘弁して欲しい。安倍政権は政策の“打ち上げ花火”がうまいので、保育園問題についても、今後、本腰を入れて取り組むのかどうか、チェックする必要があります。(消費増税とセットで決まった)子育て支援3000億円について、きちんと財源をつけて実現させるのか。私たちが提出する「保育士の給与を引き上げる法案」に政府は賛成するのか。国民のみなさんも、しっかり見ていて欲しい。

■日本のリアルが総理の風景には見えない
――パートで25万円とか、景気が良くなったから働く女性が増えたとか、安倍首相は感覚がズレていませんか。
  総理の言う女性活躍って、子育てを終えたゆとりのある主婦が、カッコいいスーツを着て、能力高く、正社員となって、成長戦略に貢献する。そういうイメージなんでしょうね。一般庶民というのは、得であっても、損であっても働かないといけない。子供のため、家族のため、自分の老後のために。そういう日本のリアルが総理の風景には全く見えていない。
――結局、女性活躍って掛け声だけですね。
  来年度予算の女性活躍の大柱のひとつが「トイレの整備」ですよ。女性が力を発揮するためには快適な環境が必要だと。被災地のトイレや男性のトイレも整備するっていうんです。子供の貧困対策や男女の賃金格差改善など、他にやるべきことがある。要は本気じゃないということ。一昨年の秋に女性活躍を打ち上げ、解散をした時に、総理の中の女性活躍の役割は終わった。だから、1億総活躍に衣替えして、今回の女性活躍の予算の柱がトイレになってしまった。それが証左です。
――最後に、甘利前経済再生相の口利き疑惑について。元検事の郷原信郎弁護士などは、捜査機関がすぐ着手できる案件だと言っています。山尾さんは元検事として、どうご覧になっていますか。
  郷原先生がそうおっしゃるのは理があると思います。でも私は、三権分立で立法府の国会議員なので、個別の事案について、捜査に入るべきだとか、起訴すべきだということは控えるべきだ、と思っているんです。ただ、ひとつ言えるのは、恐らく「あっせん利得」が法制化されたのは、今回のような事案でも、行われたことが適法か違法かにかかわらず、お金の力で政治を曲げちゃいけない、ということだった。こういう事案も、しっかり法の網がかかるようにすることで、再発を防ぐというのが国会の意思だったと思います。

▽やまお・しおり 1974年、宮城県仙台市生まれの東京育ち。小6と中1の時、ミュージカル「アニー」で初代アニー役を務める。東大法卒。2002年司法試験合格、04年検察官任官。東京地検、名古屋地検などに勤務後、09年の衆院選で民主党から出馬し、初当選(愛知7区)。12年衆院選は落選するも、14年に政界復帰。現在2期目。

160322 一年前:150321安倍の地球俯瞰外交も、中国・韓国・オバマ・プーチン・メルケルの不信でピエロだ!

2016年03月23日 01時22分52秒 | 一年前
3がつ22にち(g
150321 安倍の地球俯瞰外交も、肝心要な中国・韓国・オバマ・プーチン・メルケルの不信を受けてピエロだ!

3月21日(土): 安倍晋三の知能の低さは、ドイツの新聞でも見放された!日本の国際的信用をどんどん下げて、まさに「国益」と「国民の人的・財政的資産」を大幅に損なっている。一番大...


160321 64万PV超:保科正之の言葉:恥を知れ、届け出制の愛媛県!:ヒュブリスとポレモス

2016年03月23日 00時21分02秒 | 閲覧数 記録
3月21日(月): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1627日。 

アクセス:閲覧 868PV/訪問者 195IP

トータル:閲覧 640,057PV/訪問者 180,890IP

ランキング:5,937位 / 2,425,249ブログ中 週別 5,888位

BS歴史館「保科正之」録画を久しぶりに観た。磯田道史が保科正之の言葉を以下のように引用していた。「 『昔から地位にある者が学んでいないほど国家を病気にするものはない。害になるものはない。(保科正之)』いろんな時代の状況だとか、過去の状態だとか、学んでないことそのものが害になることを自覚せよと言う訳ですね。」
今の時代を生きる日本人には一段と身に染みる言葉だ。

朝日新聞【社説】高校生と政治 届け出制は自由を侵す  2016年3月18日05時00分
  「18歳選挙権」に逆行する動きと言わざるを得ない。
  愛媛県立高校の全校がこの春から校則を改め、校外での政治活動に参加する生徒に、事前の届け出を義務づける。
  デモに参加しようとする高校生をためらわせ、政治への関心をそぎかねない。
  政治活動は、憲法が保障する思想良心、表現の自由にかかわる権利である。学校は、指導の名でその基本的な権利を縛るべきではない。
  まして校外の活動だ。「危険がないか把握する必要がある」とする高校もあるが、そこまでの管理は必須とはいえない。
  愛媛県立の全高校に再考を求めたい。全国各地の高校も追随すべきではない。
  文部科学省は昨年、校外でのデモなどの政治活動への参加を解禁した。その一方、ことし1月には届け出制も容認した。
  個人的な政治的信条の是非を問うようなものにしないことなど、配慮が必要としている。
  だが届け出れば、教員は生徒にどんな活動か尋ね、指導することになりかねない。そうなると事実上の許可制ではないか。
  何歳であれ有権者には、どんな政治主張に関心があるかを自分の胸にとどめる自由がある。
  愛媛県で届け出制の端緒をつくったのは県教委だ。教頭らを集めた主権者教育の研修会で、校則などの変更例を示した。
  海外旅行や地域行事への参加とともに「選挙運動や政治活動への参加」を挙げ、「1週間前に保護者の許可を得てホームルーム担任に届け出る」とした。
  判断は各校に任せたと県教委は言うが、校則を変えた場合は報告するよう求めていた。
  学校は無言の要請と受け止めたはずだ。だからこそ、全校が一斉に見直したのだろう。
  朝日新聞が2月、全都道府県と政令指定市を調べた結果、6自治体が「届け出不要」としたが、愛媛県を含む27自治体は「各校に任せる」と答えた。
  33自治体は「検討中」「未検討」などと答えた。どの自治体も、高校に届け出制の導入を求めるべきではない。
  そもそも18歳選挙権を決めたのは大人たちである。投票を認めながら、政治活動への参加を管理する姿勢は筋が通らない。
  学校や教委がすべきなのは規制ではない。生徒の主体性を大切にしながら、政治への意識を高める「主権者教育」である。
  校則や高校生の政治活動のありかたは本来、生徒自身が考えるべきことだ。彼らに議論する場をつくることこそ、主権者を育てる教育にふさわしい。

朝日新聞【天声人語】閣僚たちの失態と傲り  2016年3月18日05時00分
 ものごとがうまくいって得意の絶頂にある人が、自分を過信し、神をも恐れぬほど傲(おご)り高ぶる。こういう状態をギリシャ語でヒュブリスというそうだ。傲慢(ごうまん)などと訳される。古代ギリシャの神は嫉妬し、怒り、その人に天罰を下す、とされた▼大臣の座を射止めた政治家が、我が世の春を謳歌(おうか)しても不思議はない。大勢の官僚に世話を焼かれ、警護官がつき、常に言動が注目される。しかし、そこには同時に、ヒュブリスという落とし穴が待ち構えていることも確かである▼少し前の丸川環境相の発言を思い出す。講演で福島の原発事故に触れ、「反放射能派」が「わーわー、わーわー騒いだ」などと語った。揶揄(やゆ)なのか侮蔑なのか。その口ぶりに悪乗りという言葉が浮かんだ▼今度は林経産相である。原発政策に関する野党議員の質問に窮し、自らの「勉強不足」を認めてしまった。素直とも見えるが、それでも閣僚が務まるという認識なら思い上がりの裏返しとも見える。石破地方創生相ら、他の閣僚の失態も続く。得意淡然の戒めを守るのは難しい▼ちなみにヒュブリスは『イソップ寓話(ぐうわ)集』にも登場する。ここでは女神の名前として。彼女は神々の結婚式で伴侶を得られず一人だけ取り残され、遅れて来たポレモスと一緒になる。ギリシャ語で戦争を意味する彼はヒュブリスを一方ならず恋い慕い、どこにでもついていったという▼短いお話はこう結ばれる。民衆に笑顔を振りまく傲慢の後から、たちまち戦争がやって来る、と。

160321 在日コリアンの問題は日本の国内問題だ:朝日【社説】朝鮮学校補助 子どもらに責任はない

2016年03月21日 13時10分18秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月21日(月):
  在日コリアンの問題は、結局「日本社会の一員であるマイノリティに対して(歴史的背景も踏まえて)日本社会がどうあるべきか。どのような社会を構築するか」という極めて日本の国内的問題だ。それを外交と勘違いする、ないしはすり替える論理はナンセンスであり、姑息である。ああ恥ずかしい国ニッポン。

朝日新聞【社説】朝鮮学校補助 子どもらに責任はない  2016年3月21日(月)付
  全国各地にある朝鮮学校は、在日コリアンの子どもたちが通っている。日本の学習指導要領に準じた各教科のほか、民族の言葉や文化も学ぶ。
  どの学校も財政的に運営は厳しく、所在地の自治体の多くが他の私学や国際系の学校と同じように、補助金を出している。これに対し、自民党などから補助を打ち切るよう文部科学省に求める声が出ている。
  拉致問題に加え、核実験などを繰り返す北朝鮮への制裁の一環だという。いくつかの自治体はすでに補助を止めている。
  だが、朝鮮学校に通う子どもたちには、核開発や拉致問題の責任はない。北朝鮮の国に問題があるからといって、日本で暮らす子どもの学びの場に制裁を科すのは、お門違いの弱い者いじめというほかない。
  そもそも地方自治体が権限を持つこの問題について、文科省が介入するのは適切ではない。

  日本では、民主党政権だった6年前から高校の無償化が始まったが、これも朝鮮学校には適用されていない。民主党政権は適用を保留し続け、その後の安倍政権は発足後すぐに無償化対象からはずしてしまった。
  政治的理由による除外は違法だとして、朝鮮学校の生徒らが国を相手どり、東京や大阪など各地で裁判に訴えている。
  国際的にも、人種差別撤廃委員会など国連の場では、高校無償化の適用除外は「差別だ」と認めたり、日本政府に対し、無償化の適用や、地方自治体に補助の維持を勧めるよう求めたりする見解が相次いでいる。
  国内でも、埼玉弁護士会が昨年、補助を止めている埼玉県の上田清司知事に「極めて重大な人権侵害」と警告した。
  朝鮮学校では、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者が運営にかかわっているケースは多い。だが、政治と教育は別だ。神奈川県の黒岩祐治知事は「子どもたちに罪はない」として、学校ではなく、生徒たち個人への補助を続けている。
  歴史観の違いはともかく、教育内容に問題があれば話し合いで解決すべきだ。実際、朝鮮学校の教育も変化してきている。
  在日コリアンの社会は多様化しており、多くの朝鮮学校で、韓国籍の子どもが過半数となりつつある。北朝鮮の体制を崇拝している人々の子どもだけが通うと考えるのは誤りだ。
  何より朝鮮学校の子どもたちも私たちの社会の一員だ。日本と隣国の懸け橋になりうる子どもたちを排除しようという思想であれば、逆に日本に反感を持つ人々を増やすだけである。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)