もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

121028 松下政経塾が牛耳る限り民主党は詐欺師集団であり、リベラルの敵だ!今回は絶対に投票しない!

2012年10月29日 01時13分59秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
10月28日(日):

朝日新聞朝刊に<ウソつき詐欺師集団民主党>の幹事長代行の安住馬鹿が「中道リベラルの結集が民主党の軸」と語り、次の衆院選で中道リベラルの対抗軸を掲げる、のだそうだ。

こんなウソ言葉を誰が信用できるというのか! 民主党から<松下政経塾のコソ泥保守政治家ども>が出ていけば信用できるが、野田汚物、前原タカ派などの偽リベラル連中が出て行かない限り、今回の衆院選だけは、この詐欺師集団に絶対投票をしてはいけない。

大飯原発の稼働を止めれば、少しだが信用できるかもしれないが、大飯原発が稼働する限り、<ウソつき詐欺師集団民主党>の言葉は一切信用できない!信用してはいけない!

121024 違和感… ◎原発避難訓練が真顔で報じられる不思議な光景

2012年10月24日 22時55分45秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
10月24日(水):

 この国の政府も財界も、福島原発事故で懲りてない。マスコミが避難訓練を真顔で報道し、原発周辺住民も真顔で「大変だ」「怖い」「どうしていいかわからない」云々と言っている。まだ二度目の破滅的な原発事故を想定して、原発継続を前提にした取り組みが進められているのは異常だろう。
 
 もはや原発事故を起こす余裕など、日本列島のどこにもない。二度目の事故は日本の破滅・崩壊でしかない。

 避難訓練・対策よりも、原発を廃止する方に進んでいくしかないのが真実だろう。原発の廃止しか選択肢は無いのだ。

 琵琶湖が汚染されれば、関西はもうお終いだ。如何なる対策・対応も取り返しがつかない。

 問題は、極めて単純であって<原発廃止>しかないはずなのに、避難訓練・対策や、放射能汚染の想定が真顔で論じられている。いつの間にか<原発継続>が既定路線化されていると錯覚させられる。

 
 ウソつき詐欺師集団の民主党による権力の私物化と日本社会の混迷の中で、<活断層の上に建つ大飯原発>が稼働し続けている。まず、この原発を止めることを最優先に取り組むべきだろう。  
 
 避難訓練も、放射能汚染の危険の想定も、その後でやるべきだ。根本的に順序が逆である。そして、それを未必の故意で生みだしているのが、野田汚物民主党詐欺師内閣なのだ。


 とりあえず、次回の総選挙ではウソつき民主党には責任をとってもらう。絶対に民主党候補には投票はしない!<本当のリベラル政党>の誕生のために、詐欺師集団の民主党には消えてもらわなければならない。

PS:それにしてもニュース23の解説員播摩何がしの批判精神の貧困さには気分が冷めて、白々とした気分になってチャンネルを切り替えてしまう。この解説員は、早急に更迭すべきだ!

121020 40年間の日中関係をどぶに捨てた野田汚物の権力亡者の素人外交 ◎民主党は消滅しろ! 

2012年10月21日 00時47分33秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ
10月20日(土):

「修復に40年以上」=中国大使だった丹羽氏講演―名古屋大学
時事通信 10月20日(土)13時16分配信
 中国大使を務めた丹羽宇一郎氏は20日、名古屋大学で講演し、最近の日中関係の悪化について「このままほっておいたら最悪の場合、40年間の総理(全員)の努力が水泡に帰すかもしれない。(関係修復に)40年以上の歳月がかかる」と強い危機感を表明した。
 尖閣諸島の「日本の主権は間違いのない事実で、立場を譲る必要はない」と強調。ただ、国有化以来、中国では「日本が盗んだ」という認識が広がっていると指摘し、「イメージが若者にすり込まれるのは大変憂うべきこと」と訴えた。
 丹羽氏はまた、尖閣問題により日本企業の中国市場進出に悪影響が出ることに懸念を示した。


これが野田汚物民主党の素人外交の結果だ。俺は丹羽宇一郎氏の意見に最大限賛成だ。野田汚物民主党が権力に執着すればするほど、国内政治も、国際政治も取り返しのつかないことになっていく。野田汚物は、迷走の中、国民の生活も、戦後の外交努力もすべて野田汚物と党利党略のためにすべてをむちゃくちゃの荒野にしてしまった。民主党を絶対に赦さない。民主党は、消えて無くなれ。速く無くなってくれ。本当にお願いだから消えて無くなってくれ。民主党は、国民を騙し、戦後の国家の努力をすべて灰燼に帰してしまった。すべては野田汚物の権力の執着によってもたらされた最悪の事態だ。


 

0010 渡辺尚志「百姓たちの江戸時代」(ちくまプリマー新書;2009) 評価4+

2012年10月21日 00時03分25秒 | 一日一冊読書開始
10月20日(土):

175ページ  所要時間3:20         図書館

 著者52歳(1957生まれ)。一橋大教授。新鮮な良書である。図書館の本だが、読んでいて「武士の家計簿」を読んだ時とよく似た感慨をもった。即ち、「自分の本だったら、一杯線を引いて、折り目を付けて手元に置いておけるのに…」という悔しさである。

 江戸時代の百姓たちの生活について、非常に具体的かつ平易に書かれていて、何度もノートに取りたいという衝動に駆られた。また、思い込みの常識の間違いを正されたり、やっぱりそうだったんだなと自分の理解を再確認させてくれたりして、実践的かつ面白い内容になっている。

 しかし、本書には、教科書に名前が出るような有名人はほとんど表れない。まさに、名も無き百姓たちの営みが記されているだけなのだ。<首尾一貫した百姓目線>の書である。再読の価値あり。願わくば、ブックオフで出会いたい。蔵書にしたい!

*百姓には苗字があった。百姓も「家」意識は非常に強かった。田畑も祖先から子孫への流れの借り物である。
*1反の土地で、米1石がとれ、1両になる。1町で米10石。
*江戸時代の百姓が、コメを食べられなかったというのは、迷信であり、現代人を上まわるコメを食べていた。云々。
「無年季的質地請戻し」慣行は面白かった。
*江戸時代の村には「割地」という土所有制度があった。割地というのは何年かに1度、くじ引きなどで村人が耕地を交換するシステムである。
*一村が複数の領主の所領に分かれている場合があった。これを「相給」といい全国各地に広く見られた。そうした場合、同じ村でも領主によって年貢率が違ってくる。有力百姓は、村内の年貢率の低い土地を入手して負担率を軽減する努力をした。

目次:
第一章 江戸時代の家と村
第二章 百姓たちの暮らし
1貨幣経済が暮らしに浸透する/2百姓の生業/3百姓の日々の暮らし
第三章 働く百姓たち 1日々の労働と経営努力/2家を支える村
第四章 百姓の育ち・学び・遊び 1江戸時代の子どもたち/2江戸時代の子どもはどんな勉強をしたか./3文化を楽しむ百姓たち
第五章 たたかう百姓たち1百姓一揆をおこす/2自然災害とたたかう


121019 「週刊朝日の連載中止」は適切。朝日新聞は部落差別問題の特集連載記事に取り組むべし。

2012年10月20日 01時05分28秒 | 日記
10月19日(金):

朝日新聞デジタル社会記事 2012年10月19日23時12分

週刊朝日の連載中止 橋下氏巡る不適切な記述で関連トピックス橋下徹
 朝日新聞出版は19日、同社発行の「週刊朝日」が10月26日号に掲載した、ノンフィクション作家・佐野眞一氏らによる橋下徹・大阪市長に関する連載記事「ハシシタ 奴の本性」について、地区などに関する不適切な記述が複数あったことを理由に、第2回以降の中止を決めた。

 河畠大四・週刊朝日編集長がコメントを出して連載中止を発表するとともに、改めて謝罪した。河畠編集長は18日の談話でおわびをし、週刊朝日の次号に「おわび」を掲載する考えを表明していた。

 また、筆者の佐野氏は19日、「今回の記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』側に任せています。記事中で地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」とのコメントを出した。

 橋下市長は18日の記者会見で、週刊朝日の連載記事について「僕の人格を否定する根拠として、先祖や縁戚、DNAを挙げて過去を暴き出していくのは公人としても認められない」と批判していた。

■週刊朝日編集長 改めて深くおわび

 《河畠大四・週刊朝日編集長の話》 第1回の連載記事中で地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至りました。橋下徹・大阪市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再発防止に努めます。本連載の中止で、読者の皆様にもご迷惑をおかけすることをおわびします。

■朝日新聞社、深刻に受け止め

 《朝日新聞社広報部の話》 当社は、差別や偏見などの人権侵害をなくす報道姿勢を貫いています。当社から2008年に分社化した朝日新聞出版が編集・発行する「週刊朝日」が今回、連載記事の地区などに関する不適切な記述で橋下徹・大阪市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています。


 「週刊朝日の連載中止」判断は最も適切だと評価できる。週刊朝日のブランド価値は維持されたと思う。

 ただ、TVのコメンテーターの多くが、「橋本大阪市長が今回、大朝日新聞グループをへこませたので、橋下氏はまたもやうまくやった」というコメントを吐いているのには、強い違和感を覚えた。もしも橋下氏が、精神的に潰されたとしたら、どうなったのか、「おまえらコメンテーターは責任をとれるのか。差別に対して適正なフォローをおまえらは出来るのか。その責任意識も持っているのか。」と思った。

 橋下氏は、公人であっても、<生身の個人>であり、彼には子どもがいて、親戚がいて、さらに被差別の差別問題の解決のために闘っている無数の大勢の人々が全国にいるのである。今回の一件で、本当に多くの人々が取り返しのつかない形で、傷つけられたのだ。

 何度も言うが、俺は政治家橋下氏に対しては、批判的であり、むしろ<アンチ橋下>であるが、今回の「連載中止」は、全く正しい判断だと思う。朝日新聞社グループにとっては本当に苦渋の判断だったと思うが、俺は高く評価する。しかし、朝日新聞グループは、今回の件で国民全体に<取り返しのつかない差別意識>を再刻印してしまった大きな罪に対して責任をとらなければいけない。差別問題の現状に対して、最終的に一冊の本にまとめるような根っこから取り組む特集連載シリーズを掲載するべきである。

PS:それにしてもテレビ朝日はともかくとして、NHKの無関心ぶりは不自然であり、かえって目立ったなあ…。




121018 週刊朝日の速やかな謝罪は、最も賢明な判断である。<連載中止>を求めて、今後に注目する!

2012年10月19日 01時31分07秒 | 日記
10月18日(木)

◎週刊朝日編集長が謝罪コメント 橋下氏連載「次号で『おわび』掲載」  産経新聞 10月18日(木)21時49分配信
 日本維新の会代表の橋下徹大阪市長の出自を題材にした連載記事について、週刊朝日を発行する朝日新聞出版は18日、「不適切な記述があった」とする週刊朝日編集長名の謝罪コメントを発表した。
 ■河畠大四・週刊朝日編集長のコメントは次の通り。
 「記事中で、地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。私どもは差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて、深刻に受け止めています。弊誌の次号で『おわび』を掲載いたします」


◎橋下市長らに「深くおわび」…週刊朝日編集長
 朝日新聞出版は18日、同社の週刊誌「週刊朝日」10月26日号(16日発売)に掲載した、新党「日本維新の会」代表の橋下徹大阪市長に関する連載記事「ハシシタ 奴の本性」第1回について、河畠大四・週刊朝日編集長名で、「地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました。橋下市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします」との謝罪コメントを発表した。
 連載の継続について、同社は「答えられない」としている。
 同社は朝日新聞の100%子会社。河畠編集長のコメントでは、「差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて、深刻に受け止めています。弊誌の次号で『おわび』を掲載いたします」としている。
(2012年10月18日23時49分 読売新聞)


 週刊朝日が、居直らずに、速やかに謝罪を表明したことは、とりあえず最も賢明な判断だった。しかし、今回の連載記事は、佐野眞一氏の表現手法から見て、今後も継続されれば、被差別に対する差別意識の助長を必然とする内容展開になることは明らかだ。<連載の中止>も含めて、週刊朝日編集局が、どのように具体的で誠意ある対応・措置を行なうのかを熟視して注目していくべきだ。

 口先だけの謝罪では、断じて赦さない。今回既に、週刊朝日は、被差別とそれに関係する多くの人々に対して、<取り返しのつかない大きな苦痛>を与え、国民全体に<取り返しのつかない差別意識>を再刻印してしまった<罪深重な加害者>となっていることを強く強く自覚し続けるべきなのだ。

 週刊朝日は今後この連載を中止して、<差別解決に向けた特集>に取り組むべきだ! <口先だけの謝罪>で、今回の連載が継続掲載され続けるならば、それは全く反省にも謝罪にもなっていない! 断じて赦さない!


0009 日本経済新聞社編「ルポ 日本の縮図に住んでみる」(日本経済新聞出版社;2009)評価3+

2012年10月19日 00時13分00秒 | 一日一冊読書開始
10月18日(木):

245ページ  所要時間2:00

 正直に言えば、読んだと言えるのかは、怪しい。限られた時間の中で、細かな内容の理解を割り切って捨て去りながら、ひたすらページに目を這わせ続けた。それでも集中していたせいか、内容の雰囲気や問題意識の所在はそれなりに感じることができた。図書館で借りていた本でもあり、このままだと読まずに返却することになったかもしれないのを、不十分でも関係を結べたことは良いことだった、と思う。

 読書にしても、運動にしても、良い習慣を創造・維持するためには、できるだけ基準は甘い方がよい。厳格な基準で玉砕・挫折するぐらいなら、緩い基準で継続・維持をはかる方が絶対に良い。回数をこなせば、必ず充実した読書も交じってくる。習慣を失えば、良き読書のチャンスも逃してしまうのだ。

 副題「大丈夫!どこからでもがんばれる」 日本経済新聞夕刊「こころのページ」で連載された08年4月から09年9月までの企画記事を一冊にまとめた本。空間的または意味的に日本の辺境と呼ぶべき場所で50~60歳のシニア記者が一カ月間住みついて腰を下ろして地に足のついた見聞記をルポするというもの。評価3+は俺の中途半端な読書によるもので、本来はもっと高い評価になるだろう。

目次:
まえがき
第1章 最西端の孤島 与那国に住んでみる
「国」との摩擦――行政処分でタクシー消える/ドクター孤島――ひとりで預かる1600人の命/援農隊の果実――出直しに燃える3人娘/密貿易時代の証人――戦後、台湾と一瞬の繁栄/島のリズム――マイペースな仕立屋さん/最果ての希少生物――島の外から来た支援者/謎の海底遺跡――巨石の文明都市があった?/おばあの人生哲学――夫の死後、島の語り部に/4人の卒業生――先生になって戻りたい/東から来た海人――カジキを求めて家族で船出/風の防人――台風との闘いは24時間
 【住んでみた後記】島の暮らし――1カ月考えた人生。この先は「今を楽しむ」へ/炊事や洗濯に充実感/島民 生活厳しく──物価高、生協に頼る/助け合いと対立と──町長選のしこり随所に
第2章 変わりゆく労働者の街 横浜・寿町に住んでみる
空き室目立つ簡易宿泊所――外国人や若者客の笑顔/求人なく干上がる日雇い――宿泊券や食券が頼り/炊き出しのある温かい街――雑炊を待つ行列は交流の場/自殺・孤独死多く――支援活動に生きた人も/ホームレスの手でNPO――街を変えた謎の男、どこへ/牧師夫婦のゴスペル――生死・善悪の間で揺れる心導く/アルコール依存症克服――雇用の場作る原動力に/空き部屋でホステル経営――観光・出張客も抵抗感なく/病を抱える暮らし――医師ら、見守る体制作り/街中での授業に学生は真剣――老いと貧しさに向かい合う/若者との「夢の一本道」――外の社会に連れ出したい/振り返れば花開く街――「癒やし」のうねりが生まれる
 【住んでみた後記】新しい風景──外との交流活発に、高齢化の日本にヒント/謎の男現る「寿を去り一時カナダへ」「土台は作った、後は頼む」/Yさんに会って
第3章 奈良・吉野町 若者自立寮に住んでみる
共同生活の家を訪ねて――農作業から社会復帰の道/新たな学校生活に自信得る――「友と行く」大切さを学ぶ/当番は、じゃんけんぽん――「農家の大家族」に抱かれ/いじめで傷ついた心――「やればできる」感触が力に/寮生活をさらけ出す――園児と触れ合うコメ作り/進学校で心と体の悪循環に陥る――生きる実感を取り戻す日々/太鼓の練習で達成感――地元の祭り盛り上げる/「脱走」を経て成長する――シイタケ園の仕事に充実感/山里でビーチボールバレー――週2回、動き回って元気に/運営の裏に家族の苦労――仕事に没頭する親に子は葛藤/一歩引いた妻の視点――逃げ場を作り均衡保つ/自信を持たせるスタッフ――「小さな成功」に気を配る
 【住んでみた後記】共同生活で生きる楽しさを知る――打たれ強さを身に付け立ち直る/短所認め互いに成長/吉野の山里――傷負った寮生をゆったり包む/ある寮生OBと母の軌跡――距離を置く「大人の関係」に
第4章 田舎暮らしを体験 北海道浦河町に住んでみる
丘と海のまきば――馬を眺めて癒やされる/馬に魅せられて――一緒に暮らす幸せを満喫/夏イチゴに賭ける――移住就農、自ら道を開く/アイヌの語り部――仲良く暮らせる日を夢見て/映画の灯を消さず――名画座を守る館主と支援者/馬を生活の糧に――カメラ・若駒鍛錬で力わく/障害者が集う家――悩む仲間と自立目指す/豊かな漁場――高齢化・後継者難に悩む/ホースセラピー――心身癒やす馬上の笑み/温故知新――庶民史編み、未来の糧に
 【住んでみた後記】平和疎開――異文化と触れ合って/アイヌ民族から学ぶ/純朴さ失わないで――夏場を別荘で過ごす佐藤愛子さんに聞く/観光客誘致に苦戦――全国への情報発信が課題
第5章 日本ブラジル共存の街 豊田・保見団地に住んでみる
「一日派遣村」に姿見せぬ住民――この不況に深まるナゾ/失業給付で持久戦――親せき・友人が安全網に/不況で帰国する子どもたち――学費負担重く、家族が離散/難しい再就職――日本語力が決め手に/共生へボランティア団体――日本人との融和を目指す/不就学児を支援――就労を目指して進路指導/外国人比率6割の小学校――多文化共生へ先生奮闘/子どもの健康が心配――食事・医療に親の手回らず/団地の希望の星――言葉の壁越え、大学合格/独立心旺盛な実業家――「派遣」脱して生活ビジネスの担い手に/NPOは女性が主役――我が子同然に親身の指導/遠い共生への道――「違い」認めて解決を模索
 【住んでみた後記】「未来の日本」を見た旅――移民受け入れの実験場/生活習慣で摩擦──子どもの教育が課題/3カ月ぶりの再会――失業給付切れ帰国する人も/日系ブラジル人は働き者だが――刹那的で孤独を抱え生きる
第6章 岡山・邑久(おく)光明園 ハンセン病療養所に住んでみる
ゲバラは素手で握手――治癒しても残る後遺症/100周年の静かな生活――小学生が来園、談笑の輪/バングラの赤ひげ――アジアの啓発に奮闘する園長/宝物を見つけた人生――助け合い、乗り越える美しさ/看護師の鑑――災害救助で殉職、滅私の心/外国人宗教家の献身――教会設立、人間の尊厳守る/実の母との再会――突然の電話で真実を知る/労働奉仕で共に汗――「希望のネット」生まれる/2人の文学者の対照的な航跡――無念の夭折と病を超えた安寧/住職の英断は布袋さまの御利益?――地元の人が園でそば打ち/県立高校、希望の学び舎――全国から受験、大学進学も/多難な社会復帰――頑張る人も園に戻る人も
 【住んでみた後記】ぎゅっと握手、心から/老いてゆく入所者――家族の絆もう一度/地域に溶け込む施設作り/世界をつなぐ――国際支援、若者たちの汗

121018 橋下大阪市長を全面的に支持する! 巨大メディア朝日新聞グループは恥を知れ!

2012年10月18日 16時58分47秒 | 日記
10月18日(木):橋下市長の報道記者会見をTV放送で見た。

 橋下大阪市長が、朝日新聞、朝日放送、朝日新聞出版という<巨大なメディア組織>と、どうして<個人>として闘わねばならないのか? 橋下氏は市長であっても、<生身の人間>である。彼が、この対立の図式の中で、擦り切れてしゃがみ込み、精神的に潰されてしまえば差別を助長した巨大メディアの方はシメシメということなのか? 俺は、朝日新聞の配達を受けている読者であり、橋下市長に対しては批判的であるが、今回の一件はあまりにもひど過ぎる

 近年、人権問題の多様化の中で差別の問題が取り上げられることが少なくなってきたが、被差別の差別問題は現在も日本社会の抱える最大の人権問題である。共同通信のバカ記者がいちゃもんをつけていたが、本当に馬鹿じゃないのか!

 こんな形で、差別問題を雑誌でおもちゃのように扱ってはいけないのは、基本中の基本だろう。「一義的に朝日新聞出版と話し合うべきだろう」とは、何を眠たい事を言ってるんだ! こんな差別が巨大メディア朝日新聞グループによって引き起こされ、まかり通っているのに、あまりにも鈍感過ぎる!

 橋下市長は、公人であっても彼は<生身の個人>である。彼には子どもたちや親戚が大勢いるのだ。報道は「とりあえず橋下に言い返しておけば、自分たちの犯した卑劣な差別が誤魔化せる」とでも思っているのか!TV放送を観る限りでは、朝日新聞の記者は差別に反対する意志すらも発言できないロボットのようだった。週刊朝日の誌中で被差別の特定地域の地名まで悪意とともに垂れ流しされているそうだ。現在、に住んでいる大勢の人々、またにルーツを持つ大勢の人々に対してなんという<ありえない差別事件>を朝日新聞グループが惹き起こしてしまっていることに気がつかないのだ!

 朝日放送の記者や共同通信社は、橋下市長の抗議を、解放同盟の糾弾闘争と混同してるのではないか?彼は組織ではなくて個人である。その個人に糾弾闘争をやれとでも言うのか!彼が身体や精神を病んだら誰が責任をとると言うのか! 今回の件は、間違いなく巨大メディア企業による個人に対する暴力であり、人権侵害である。それ以上でも以下でもない。週刊朝日及び、朝日新聞本社は居直ることなく明確に謝罪すべきだ!

 怒りが収まらないので、乱文のまま、とりあえず橋下大阪市長の言い分に対する全面的支持を表明するとともに、責任を自覚せず、しらばくれる朝日新聞グループを強く糾弾する! どうしてこんな<明白な差別>が公然と行なわれているのか! この社会は、これ程までに思考停止状態に陥っているのか…、まるで脳死状態である。

 メディアの堕落は、間違いなく戦争への道を開いている。行政、立法、メディアのこの体たらくは、不慮の危機に対する免疫力の低下以外の何ものでもない。

121017 週刊朝日に対する橋下大阪市長の怒りはわかる気がする…

2012年10月18日 01時31分35秒 | 日記
10月17日(水):

<橋下市長>朝日新聞の取材拒否…週刊誌連載記事に反発
毎日新聞 10月17日(水)12時28分配信
 橋下徹大阪市長は17日、週刊朝日(10月26日号)が掲載を始めた橋下氏の出自に関する連載記事「ハシシタ 奴の本性」について「血脈主義、身分制に通じる極めて恐ろしい考え方だ。一線を越えている」と批判し、朝日新聞社の見解を聞くまでは同社と朝日放送からの質問に答えないと表明した。橋下氏が取材拒否の措置を取るのは異例で、議論を呼びそうだ。
 記事は、ノンフィクション作家の佐野眞一氏らが執筆。橋下氏の実父の縁戚者のインタビューや家系図を掲載。佐野氏は記事で「解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのもの」「橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」と意図を記している。
 これに対し、橋下氏は市役所で記者団に「言論の自由は尊重されるべきだが、一線を越えている」と批判。「ナチスの民族浄化主義につながる非常に恐ろしい考え方だ」と話し、18日の会見で見解を示すよう朝日新聞社に求めた。同社は取材に対し「コメントできない」としている。
 週刊朝日は、朝日新聞社の100%子会社「朝日新聞出版」が発行。朝日放送は、朝日新聞社が筆頭株主。


 俺は橋下大阪市長を好きではない。彼の政治手法も、政治思想も強く批判的に見てきている。しかし、上の記事を読む限りでは、橋下さんの怒りは当然だと思えてしまう。

 俺は佐野眞一氏の孫正義氏に関する「あんぽん 孫正義伝」を読んでいる。佐野氏の取材能力の高さを非常に高く評価している。しかし、「あんぽん 孫正義伝」の取材・出版については、血脈まで掘り下げる取材に対して孫正義氏が同意・協力している事実がある。これに対して、橋下氏は強く拒否をしている。

 そして、何よりも俺が強く懸念するのは、孫正義氏の場合は、在日朝鮮人という異質な存在を異質なものとして尊重する視点が重視される。これに対して、橋下氏については、差別という同じ日本人を同じ日本人が差別する、即ちそこに尊重されるべき異質さが無いのに差別をするという根の深い理不尽な被差別に対する長くて深刻な差別の問題が横たわっている。

 差別問題は、在日朝鮮人に対する差別よりも複雑で根が深い。長くて複雑で不毛な学問的・政治的対立の背景がある。解放同盟(社会党系)、全解連(共産党系)、会(自民党系)などの不毛の対立がある。巷説のように橋下氏の血脈にが関係しているとするならば、民を<属地主義>で捉えるのか、<血統主義>で捉えるのか、の見解も関係するだろう。

 佐野氏自身に、差別問題に対するしっかりした見識・見解があることを俺は疑わないが、この政治の潮目の大きな変わり目に、朝日新聞社が自らの責任ある立場・見解を放棄して、一ドキュメンタリー作家に、現在の政局の最重要キーパーソンに対する差別の血脈を外注して公表させる朝日新聞社自身の姿勢は、卑怯・卑劣極まりないとしか言いようがない気がするのだ。

 今回の週刊朝日での橋下大阪市長への連載特集は、やはり取りやめるべきだと思う。
それができないならば、朝日新聞社は、全責任を持って、最近下火になっていた<被差別の差別に対する大朝日新聞社としての公式の見解>をはっきりと公表・明示すべきである。それも無くて、差別に関わる問題を一ドキュメンタリー作家に外注するなどは、ジャーナリズムとして「恥を知れ!」としか言えない

 
俺は、橋下氏は好きではないが、今回の週刊朝日の連載に関しては、橋下大阪市長の怒りに対して全面的支持をしたいと思う。


PS.もう民主党よ!<権力の私物化>をやめてくれ!正直、苦しい。野田、輿石、蓮ほう、みんな見苦し過ぎる。生理的に受け付けない。

0008 石川直樹「いま生きているという冒険」(理論社よみきりパン!セ;2006) 評価4+

2012年10月18日 01時26分19秒 | 一日一冊読書開始
10月17日(水):

286ページ  所要時間2:35     図書館

著者29歳(1977生まれ)。2002早稲田二文卒、東京芸大博士後期課程在学中。高校2年?の夏休みに、バイトで稼いだ12万円で、親を騙してインド・ネパール1カ月旅行を敢行。2001年、チョモランマ(8848m・チベット)に登頂し、当時の世界最年少(23歳)で七大陸最高峰登頂を達成。

 本書では、写真掲載が多くて数十ページにわたる。ひとつずつが一冊の本になりそうな体験の数々が、無造作に一冊のジュニア向けの本にまとめられて、事も無げに達成されたように提示されている。

大きな赤ん坊。幼児たちが歩行や言葉、手習いを無意識に習得してしまうのと同様に、著者は常人にはとてつもない経験を苦労を苦労と意識する前に、体ごと跳び込んでやり遂げてしまった感じである。早熟な冒険家とも言えるが、苦労はしてるが人間のスケールが非常に大きくて、冒険すらも成長過程の中でやり遂げてしまった、という方が適当な感じだ。

 体当たりの経験の数々を読んでいて、「自分の人生はなんだったんだろう」と、久しぶりに内面の何かがくすぐられる感じがした。俺も、ネパールやインド、タイなど少しだが行ったことがある。

■目次
1章 世界を経験する方法としての旅  インド一人旅
2章 冒険に出かけよう  アラスカの山と川
3章 自分の目で見て、身体で感じること  北極から南極へ
4章 いま生きているという冒険  七大陸最高峰とチョモランマ
5章 心のなかに島が見えるか  ミクロネシアに伝わる星の航海術
6章 惑星の神話へ  熱気球太平洋横断
7章 もう一つの世界へ  想像力の旅


0007 姜尚中「悩む力」(集英社;2008) 評価4

2012年10月16日 01時11分00秒 | 一日一冊読書開始
10月15日(月):

190ページ  所要時間3:10        ブックオフ105円

 著者58歳(1950生まれ)。昨年9月8日(木)に読んで以来、2度目の読書。前回は、評価3で今一つ良い内容とは思えなかったのだが、既に初版から4年になるというのに、書店でお薦めの本の上位になっているので気になっていた。先日週刊誌で、この書を執筆当時、姜さんの御子息がご病気で亡くなられていた、という記事を読んで、「姜さんが、当時必死の思いで著された書なんだ」と思い、再度読むことにした。

 今回は鉛筆で線を引き、ページの耳を折りながら読んだ。漱石とマックス=ウェーバーをさまざまな角度から引き合いに出してさまざまなことについて論じている。

 大切なことがあまりにあっさりと盛りだくさんに書かれているせいなのかよくわからないが、部分部分が心に残り難い。全体として、コモン・センス(常識)の内容であり、「悩むことは悪いことではない。悩むことを通して次のステージを目指せ!」みたいな印象を受けた。

 折に触れて、手に取って読み返し、スルメのように噛めば噛むほど味の出る内容のようにも思う。

序章「いまを生きる」悩み/第1章「私」とは何者か/第2章世の中すべて「金」なのか/第3章「知ってるつもり」じゃないか/第4章「青春」は美しいか/第5章「信じる者」は救われるか/第6章何のために「働く」のか/第7章「変わらぬ愛」はあるか/第8章なぜ死んではいけないか/終章老いて「最強」たれ

0006 井上治代「よりよく死ぬ日のために」(理論社よりみちパン!セ;2010) 評価3+

2012年10月15日 00時01分21秒 | 一日一冊読書開始
10月14日(日):

226ページ  所要時間2:30        図書館

 著者60歳(1950生まれ)、NPO法人エンディングセンター代表。東洋大学ライフデザイン学部教授。腰を据えて読むほどではないが、それなりに面白く眺め読みした。
 子ども向けの内容としては、少し不適切な気がするが、近年母親・父親を見送った俺には、確かに身につまされる内容だった。本書の内容は、40歳以上の高齢者ほど切実に迫ってくる。
 仏壇や墓の帰属問題は、見ないふり、考えないふりをしていてもやり過ごせるが、この本のような形で具体的に迫られると家制度や仏教思想の矛盾、樹木葬(特に桜が良い)など考え込まされる。極楽往生したはずの肉親の追善供養を繰り返すことのおかしさが、日本古来の荒魂が祖霊化していく信仰との習合の結果だというのも学ばされた。

 骨拾いで、「フォッサマグナ」を境にして東北は全骨収骨で、西南は部分収骨という分布図が描ける。
 火葬は意外と贅沢な葬法であり、土葬や、野辺送りの風葬が長い間主流だった。
 「埋める」は墓地以外の区域でやってはいけない。しかし、「まく」は「埋める」とは違う。「まく」については日本の法律のどこにも禁止条項が無い。だから、まける。散骨を「自然葬」と呼ぶ。「お墓」でなければ、自分の骨を希望のところで「自然に還す」ことはできる。
 お墓は「永代供養料」以外に「年間管理料」が払えなければ、「土地の使用料」を没収できる。
 娘しかいない家族の墓は誰が見るのか。
 人寄せできるふすまの部屋
 「墓」を「家」から解放したい。
 イギリスはキリスト教国だが、火葬が一般化しているそうだ。

目次:
第1章 葬式とお墓には、ナゾがいっぱい •死んだら、人はどこへいくの?
•死んだら、どうして「名前」が変わるの?/ •「戒名」って、自分でつけてもいいの?/ •お葬式で、赤い服を着てはダメ?/ •「お香典」って、誰にあげてるお金なの?/ •葬儀式と告別式、分かれているのはなぜ?/ •お葬式のあと、「生もの」を食べるのは?/ •「四十九日」って、なんですか?/ •遺骨は、どうして「箸」で拾うの?/ •お葬式の帰り、家に入る前に「塩」を体にふりかけるのはなぜ?/ •お葬式、そもそも絶対やらないとダメなの?/ •自分の葬式、自分でやり方を決められる?/ •死体になったとはいえ、焼かれるなんてイヤよ〜!/ •土葬はどうして少なくなったの?/ •家の庭に、お墓をつくってもいい?/ •墓石って、どうしてみんな四角いの?/ •お墓には、家族としか入れないの?/ •継ぐ人がいなくなったお墓はどうなるの?/ •人間のお墓に、ペットも入れる?/ •人が死んだら、花を供えるのはなぜ?
第2章 わたしたちの「死」のかたち/ •遺体を焼くバーナーの炎/ •ふすまの部屋と、母の死/ •火葬料金のランク表/ •墓からはじかれる「娘」たち/ •跡継ぎをもたない人たちの声/ •「生者」と「死者」の接点/ •葬祭のルーツをたどる/ •彼岸の日、墓参りの張り込み/ •死者は、いったいどこにいる?/ •「愛しい」と「恐ろしい」を結ぶ観念/ •「死霊」から「祖霊」へ/ •仏教と民間信仰との出会い/ •「村」が囲い込む「寺」/ •江戸の人間、総仏教徒化計画/ •柳田國男『先祖の話』/ •「死」をめぐるミステリー
第3章 死の味のする、生の幸福
•明治に制度化された「家」/ •父から息子へとつながる墓/ •旧民法の幽霊/ •葬送の山が、動く!/ •死後の自立をめざす人たち/ •死後結婚、死後離婚/ •他人が「喪主」となる時代/ •桜の花に託す想い/ •死の味のする、生の幸福


0005 夏川草介「神様のカルテ3」(小学館;2012) 評価5-

2012年10月14日 00時44分11秒 | 一日一冊読書開始
10月13日(土):

382ページ  所要時間5:00         図書館

 著者34歳(1978生まれ)。信州大医学部卒の現役医師。前作、前々作の続編。この若さで、これだけの文章力と構成力を持ち合わせているというのは、やはり非凡な才能なのだろう。阿吽の呼吸のウィットもよく効いている。始めから終りまで、良質の物語りとして、一気に読み通すことが出来た。前の作品も良かったが、今作では著者の技量は確実に進んでいる気がする。医療をテーマにした作品として、現役の若手医師が書くというのは他の追随を許さない強みを持っている。

 医療問題を臨床医、病院経営者、患者、医局(象牙の塔)、それぞれの立場から分かりやすく提示してくれている。特に、現場の医療従事者たちの一筋縄で割り切って語れない多層的で複雑な状況や思いを伝えようという意欲を感じた。生老病死の病に対して、誰もが他人ごとではいられない世界を垣間見させてくれる作品なので、よく売れるだろうことも容易に予測できる。

 基本的に臨床医の立場から、性善説的に医療現場を描こうとしている。ある程度、それが真実なのを疑いはしないが、「本当のところはどうなんだろう…」という感想は残った。癌診断の可能性と、手術の度合いを加減できないという論理は、非常に良くわかった。癌手術に、80%、60%などというものは存在しない。全か無かなのだ。理屈では良くわかるが、現実の患者の立場からすれば、やはり…、だよなあ。

 主人公夫婦、とりわけ妻のハルさんの透明感は素直に素敵だと受け容れたい。女優では宮崎あおいさんが演じていることに、俺も賛成の票を投じたいと思う。




121008 昨日でブログ開設1年経ちました。閲覧:101,665PV  訪問者:35,754IP 

2012年10月08日 15時58分55秒 | 日記
10月8日(月)

※10月7日(日):ブログの開設から 365 日 アクセス状況記録

 10月7日 = 閲覧数:146PV 訪問者数:80IP

 トータル= 閲覧:101,665PV  訪問者:35,754IP 



150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)