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もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

130818 雑感ノート「日本の改憲論の危険性とエジプト・アラブの春の失敗の近似性について」

2013年08月19日 01時39分23秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月18日(日):

アラブの軍事独裁体制を倒すことは正義だった。しかし、その後に複雑な国内の民族対立・宗教対立を整理して民主的体制を樹立する能力が、国民に備わっていないことがわかった。エジプトでは民主的選挙が否定され、多くの流血と混乱の中、再び軍部が台頭し、見通しは極めて不透明かつ悲観的だ。

国民に基本的人権に基づく民主政治を創り上げる能力が不足している以上、軍事独裁体制による政治経済の安定を優先し、拙速より巧遅な変革を選んでいた方が良かったのではないか、と思わされることがある。

この図式は、無関係のようでいて、今の日本の改憲論議に当てはまると思う。自主憲法を謳い憲法改正を叫ぶ勢力の力が大きくなっている。その声と、目先のアベノミクスによる経済改善に踊らされて、多くの国民が憲法改正を安易に受け入れようとしている。これは「アラブの春」の一面的社会の発展の錯覚に似ている。

しかし、肝心なのは、憲法を改正し易くして、その結果として、今の憲法よりもすぐれた憲法を作る能力と、しくみが今の日本に備わっているかと冷静に考えてみることだ。そして、答えは勿論、NO!だ。壊すのは簡単だが、その後に自分たちがきちんとしたものを作れるのか? 「憲法を壊すべきかどうか」は、本来そこから考えるべきだ。そしてその答えは、全く明らかである。重ねてNO!だ。

憲法を将来変えることが、ありうることは否定できないが、ウルトラ保守の安倍自民党が圧倒的多数の議席を持つ今、憲法を改正することは、エジプト、イラクの例を待つまでもなく、国民を不幸にする結果しか生まないことは全くもって明瞭だ。基本的人権や表現の自由よりも、国益・国家の体面を重視する国家主義的風潮の中で、原発の問題も抱える我々にとって唯一の杖となるのは現行憲法だ。全力で憲法を守るべきだということに、一人でも多くの国民・市民に気づいてほしい。

※記録:本日もまたまた何故か…? 348 PV/120 IP で閲覧数が多かったです! まことに感謝に堪えません。本当にありがとうございます m(_ _')m
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130814 BS録画で映画「明日への遺言」(110分;2007)観た。感想4

2013年08月15日 04時47分36秒 | 映画・映像
8月14日(水): ※実質、15日(木)未明

観る気もなく、BS録画を横目で眺めていた。東京裁判の戦犯映画を、忌避する気分が俺にはある。はじめは、途中で切ってさっさと寝るつもりだった。

B級戦犯裁判において、あくまでも正々堂々と法廷闘争をおこない、潔く死を覚悟し、自らの責任を明らかにして、多くの部下の減刑をかち得た岡田資(たすく)陸軍中将の物語りであり、何よりも原作が大岡昇平「ながい旅」(1982)であることを知り、最後まで観てしまった。

岡田資陸軍中将役の故藤田まことの演技は、さすがに名優による抑制の利いた名演だった。また、故田中好子さんも出ていた。わずか6年の間に名優が亡くなっている。感慨も覚えた。

これは戦争賛美の映画でも、歴史修正主義者の映画でもない。戦争の悲惨と、立派に責任をとる軍司令官もいた事実を後世に残す映画だ。佳品だと思う。

以下、ウィキペディアよりコピペです。
「第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官で陸軍中将だった岡田資は、名古屋大空襲の際に撃墜され、脱出し捕らわれたB29の搭乗員を、ハーグ条約違反の戦争犯罪人として略式命令により斬首処刑する。
戦後この行為に対し、「捕虜虐待」の罪(B級戦犯)として横浜法廷(軍事裁判)で裁かれる、岡田は戦勝国による結論ありきの理不尽な裁判と戦うため、裁判闘争を『法戦』と称し、アメリカ軍による無差別爆撃の非人道的行為の違法性を主張し、アメリカ軍側の無差別爆撃の正当化を批判する一方で、捕虜処刑に関わった部下を庇い「私ひとりが一切の責任を負う」と述べて裁判に臨む。岡田の高潔な人柄と態度は、敵側であったアメリカ軍裁判長と検事の心も次第に揺り動かしていき、裁判の様相は次第に岡田に対し同情的な様相を展開していく・・・。」


※333ページの原作は読めるかどうかは、わからないが、アマゾンに発注した。
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0091 橋爪大三郎・大澤正幸「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書;2011) 感想5

2013年08月14日 21時36分25秒 | 一日一冊読書開始
8月14日(水):

349ページ  所要時間8:25       ブックオフ400円

12日  81ページ 所要時間1:05
13日 79ページ 所要時間1:50
14日 190ページ 所要時間5:30

2度目の読書である。前回は、図書館の本だったので、今回はブックオフで購入して読んだ。今後、付箋や線引き部分を中心に読み返して行こうと思う。

橋爪大三郎63歳(1948生まれ)、大澤正幸53歳(1958生まれ)。キリスト教徒でない?社会学者によるキリスト教をめぐる対談。基本的に大澤が問題提議・質問者役で、橋爪が解答解説及び問題の再提議を行う、という形で、議論が流れていく。

読みながら、頭に去来した言葉は、小賢しい、胡散臭い、ご都合主義、必ず答えを出す<上から目線の御託宣>、調子に乗り過ぎ、などの否定的文言と、自由自在で、小気味よい、興味深い、良い所を衝いてる、などの肯定的文言とがほぼ半々だった。

感想5は動かない。それだけの価値はある。キリスト教に関する本として類書が無い、かなり異色・出色な内容だというのが本書の最大の価値だ。

本書は、キリスト教の信者や研究者から見れば、疎漏で乱暴・雑な議論だとムカムカ腹を立てる内容、言い回しがたくさんあるだろう。つまり<信仰を持つこと(内からの視線)>と<知識を語ること(外からの視線)>は全く次元の違うことであることぐらいは、わかっているつもりだ。

俺は、遠藤周作「イエスの生涯」「私のイエス」「沈黙」や三浦綾子「旧約聖書入門」、小学館・ラルース共同制作「聖書―Color Bible」全8巻など他多数、かなり聖書の関係書を読んできている。また、加賀乙彦の洗礼にまつわる話などいろいろ見聞きして、クリスチャンではないが、キリスト教や洗礼に強い関心を持ってきた。

俺のようにキリスト教に関心があり、一般的なキリスト教の紹介書をそれなりに読んできた人間にとって、もう一歩踏み込んで知りたい。と思ったときに、手をつけられる本が無いのだ。

俺にとって一番の関心は「ヨブ記」である。なぜ、神は善なる者を執拗に痛めつけ試み続ける必要があったのか…? 以前、クリスチャンの同僚に尋ねたことがあったが、ろくでなしは、どんな宗教・宗派にもいるもので、ひどい答えと仕打ちを受けた記憶があって、結局クリスチャンに訊けば、簡単にわかるということでもない、と思っている。特に、日本のクリスチャンは、上層階級に偏していて、人の痛みがわからないろくでなしのばかやろう(例えば、三浦朱門・曽野綾子)が多い気がするのは偏見か?

その点、本書では、ヨブ記をはじめ、「原罪」はユダヤ教には無い、イエスの存在、不可解な話の解釈の仕方、「精霊」の存在と意味、4福音書とパウロの書簡、「ユダの裏切り」の意味、「復活」の意味etc. 非クリスチャンの社会学者の目を通して、社会学的に冷めた目でキリスト教のさまざまな側面にアプローチしてくれているのだ。

正直、俺の目から見ても、明らかに間違っていると思える部分もあり、すべてに納得できてるわけではなく、眉つばで読んでいる部分も結構あった。特に、近現代のイスラム教に対する評価があまりにも低いことには違和感を覚えた。しかし、キリスト教に関する<+αの新鮮なたたき台>を提供してくれていることが、何よりも有難い値打ちなのだ。

■目次(コピペ)
まえがき
第1部 一神教を理解する――起源としてのユダヤ教
 1 ユダヤ教とキリスト教はどこが違うか
 2 一神教のGodと多神教の神様
 3 ユダヤ教はいかにして成立したか
 4 ユダヤ民族の受難
 5 なぜ、安全を保障してくれない神を信じ続けるのか
 6 法律の果たす役割
 7 原罪とは何か
 8 神に選ばれるということ
 9 全知全能の神がつくった世界に、なぜ悪があるのか
 10 ヨブの運命――信仰とは何か
 11 なぜ偶像を崇拝してはいけないのか
 12 神の姿かたちは人間に似ているのか
 13 権力との独特の距離感
 14 預言者とは何者か
 15 奇蹟と科学は矛盾しない
 16 意識レベルの信仰と態度レベルの信仰
第2部 イエス・キリストとは何か
 1 「ふしぎ」の核心
 2 なぜ預言書が複数あるのか
 3 奇蹟の真相
 4 イエスは神なのか、人なのか
 5 「人の子」の意味
 6 イエスは何の罪で処刑されたか
 7 「神の子」というアイデアはどこから来たか
 8 イエスの活動はユダヤ教の革新だった
 9 キリスト教の終末論
 10 歴史に介入する神
 11 愛と律法の関係
 12 贖罪の論理
 13 イエスは自分が復活することを知っていたか
 14 ユダの裏切り
 15 不可解なたとえ話1 不正な管理人
 16 不可解なたとえ話2 ブドウ園の労働者・放蕩息子・九十九匹と一匹
 17 不可解なたとえ話3 マリアとマルタ・カインとアベル
 18 キリスト教をつくった男・パウロ
 19 初期の教会
第3部 いかに「西洋」をつくったか
 1 聖霊とは何か
 2 教養は公会議で決まる
 3 ローマ・カトリックと東方正教
 4 世俗の権力と宗教的権威の二元化
 5 聖なる言語と布教の関係
 6 イスラム教のほうがリードしていた
 7 ギリシア哲学とキリスト教神学の融合
 8 なぜ神の存在を証明しようとしたか
 9 宗教改革――プロテスタントの登場
 10 予定説と資本主義の奇妙なつながり
 11 利子の解禁
 12 自然科学の誕生
 13 世俗的な価値の起源
 14 美術への影響
 15 近代哲学者カントに漂うキリスト教の匂い
 16 無神論者は本当に無神論者か?
 17 キリスト教文明のゆくえ
あとがき
文献案内


前回の分:
おまけ 31冊目 橋爪大三郎・大澤真幸著「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書;2011)  評価5
2011年10月10日 16時13分33秒 | 一日一冊読書開始


9月30日(金)の分:

349ページ 所要時間5:30

プラスα用テキスト。読むのにくたびれた。

キリスト教に関する一段上の興味深い話題が延々展開される。例えばキリスト教の教義のゆらぎ。ヨブ記の解釈。パウロの書簡。ユダの福音書。十二使徒のヘブライ語と国際派パウロのギリシャ語。精霊とは。宗教法(ユダヤ法、イスラム法)の伝統なきキリスト教の自由な創造活動。

「一神教では、神は世界を創造したあと、出て行ってしまった。世界のなかには、もうどんな神もいなくて、人間がいちばん偉い。(略)世界の中心で、人間が理性をもっている。この認識から自然科学が始まる。」312ページ

「マルクス主義は、神がいないだけで、ほとんどキリスト教と同じ。教会の代わりに共産党がある。共産党はカトリック教会のように、一つでなければならない。(略)やがてやってくる世界革命は、終末とよく似ている。プロレタリア/ブルジョワの二分法も、救済される/されない、の分割線なのです。もう全体が、キリスト教の部品装置でできている。」327ページ

※アマゾンのレビューでは、信者さん?から激しく批判されていた。あくまでも<社会学者のキリスト教論>として楽しんでおくということか。
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0090 瀬戸内寂聴「無常を生きる 寂聴随想」(講談社文庫;1996) 感想4

2013年08月12日 17時23分00秒 | 一日一冊読書開始
8月12日(月):

234ページ  所要時間1:30

著者74歳(1922生まれ)。

俺は、寂聴さんのファンである。小説はほとんど読んだことはないし、読む気もない。熟読したのは「寂聴 般若心経―生きるとは」 (中公文庫)とNHKの市民大学講座テキストぐらいしか記憶にない。「孤独を生ききる」(光文社文庫)などのような軽い随想集は、意識せず、それなりに読んできたと思う。

10年程前、心がつらい時期、3カ月ぐらいかかって俺は般若心経を暗誦するようになったが、テキストは寂聴さんの本だった。

ファンになったのは、NHK等のTV番組で寂聴さんの話を録画し、何度も見直すようになってからだ。何なんだろう…? 寂聴さんの話を聞いているとつらい心が少しだけ軽く楽になるのだ。流し読みする随想も結局、寂聴さんの語りを聞かせてもらっている気分になるために読むのだ。

寂聴さんの語りは、心を楽にしてくれるが、空疎ではない。内容があって、その上でつらい気持ちをしっかりと受け止めてくれている気分になれるのだ。

本書を読んで、改めて思ったが、寂聴さんは、出家後も世の中の出来事に対して実に強い関心を持ち、怒り、悩み、関わりを持とうとされている。その意味では、出家と矛盾するのかもしれないが、常に弱い立場、傷ついた人々を励ますために発言・行動されているので、<衆生済度>の行の実践には世間との関与が必要ということなのだろう、と思う。

本書の内容は、人生相談あり、昔の思い出あり、物故者の追悼あり、この本が書かれた当時の話題など多岐にわたって語られている。
円仁「入唐求法巡礼行記」とライシャワー駐日大使
元従軍慰安婦のハルモニを寂庵に迎え、話を聞き、「これでも私たちを、日本人は戦場の娼婦と言えますか」と泣きながら詰めよられて、絶句する。
阪神大震災
オウム真理教事件・裁判には、本気で怒っている。
薬害エイズ問題での菅直人厚生大臣の答弁を評価していた。
『源氏物語』現代語訳の苦労話
西行についての考察(待賢門院璋子との一度限りの不倫、出家
etc.

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0089 池宮彰一郎「島津奔る(下)」(新潮文庫;1998) 感想4+

2013年08月12日 03時31分55秒 | 一日一冊読書開始
8月11日(日): ※「130809 もはや、ポピュリスト橋下を放置してはおけない!」の末尾に追記しました。 そちらもお読み頂ければ幸甚です。         

451ページ  所要時間8:45   ブックオフ105円

10日  160ページ  所要時間3:15
11日  291ページ  所要時間5:30

著者75歳(1923~2007)。ネットで調べると、本書は、司馬遼太郎「関ヶ原」(1966)との類似点が指摘され、2003年4月に回収・絶版となっているようです。骨太な名作だけに、非常に残念なことです。全体を通して、北政所を「無知蒙昧な老媼」と評するなど、時おり言葉遣いや見方が粗雑で汚くなったり、現代の官僚・政治家批判で説教臭くなる部分があり、やや興を醒まされる時があったので、感想は4+とした。

「島津奔る (上) (下)」は、兄の島津龍伯義久の嫉妬によって国元から援軍を得られない弟の島津惟新義弘の朝鮮、上方での奮闘に照準を当てつつ、秀吉没後から関ヶ原の戦いまでを克明に描き切った作品と言える。司馬遼太郎の「関ヶ原」も蔵書として持っているので、そのうち読み比べてみようと思う。

下巻の内容は、下野の小山会議から始まり、後は関ヶ原に至る家康・三成をはじめ諸大名の動向が、西軍敗退後の島津義弘の敵中突破撤退、虎口を逃れて薩摩に帰国するまでの物語りが、ひたすら詳細に記述されている。詳し過ぎて、史実と創作部分の見分けがつかなくなって不安にすらなった。

島津義弘も当初、家康に与しようとして断られたり、長宗我部が関止めで西軍につかざるをえなかったり、武将たちが関ヶ原で東軍、西軍どちらにつくかは、一部を除けば、相当数が運のようなものでもあった。

歴史の授業では、家康の行動は考え抜かれた必然のように教えられるが、現実には随分と行き当たりばったりで、見通しもあいまいで、後悔ばかりしている。その点では、官僚的思考の強い三成の方が後悔が少ない。実際東軍・西軍いずれが勝っても不思議ではなかった。

戦争というのは、いつの時代も優秀さを競うものではなく、互いの愚劣さ・失敗を競うものであって、家康の天下も決して必然ではなかった。

家康も、家康につき従う東軍大名たちも、上杉景勝・直江兼続(&佐竹義宣)と戦って勝てるとは全く思っていなかった。家康は、三成の挙兵に期待していたし、それが無くても上杉と適当なところで和議を結ぶつもりだった。

家康が下野小山から西へ転進したあと、上杉&佐竹が連合して江戸を襲えば、家康は確実に負けていた。なぜ上杉景勝が、家康を追わなかったのかは著者にとってもどうしてもわからない謎だった。「豪勇景勝と戦略の兼続、その両名の胸中に描いた未来像は、今以て不明である」62ページ

関ヶ原直前、中央情勢に疎い義久の中立方針で援軍無用方針で、上方に置き捨てられた状態の義弘のもとに領内の地頭集中が・衆中が関ヶ原前夜に義弘難儀と聞いて、自分たちの意志で義久の禁令を侵しながら300里(1200km)を「疾走」した逸話にはやはり感動を覚えた。関ヶ原で、わずか1500人ほどであっても島津の軍勢は一騎当千であった。

今まで、関ヶ原での島津のスタンドプレーに対する違和感があったが、裏の事情がわかると、結局、島津義弘は関ヶ原を「島津の武威を示す」死に場所と位置付けていたことがわかってすっきりした。

関ヶ原における石田三成像は、「相手はこうあるべき」(116ページ)という硬直した官僚的発想で自縄自縛状態になり、島津義弘や立花宗茂などの老練な名将たちや、若くても実践経験豊富で信頼できる宇喜多秀家らの意見を容れることができず、結局、自滅していく姿は見苦しく無残だった。まあ、関ヶ原に至る前の展開と結果を見れば、その評価もいた仕方ないか…。三成は、総大将としては官僚的愚将だった、としか言えない。

ただ三成は、自家では、島左近・舞兵庫・蒲生郷舎など優れた武将や足軽・小者に至るまで恩沢を施し優遇したために、あるじである三成自身は、中堅の家臣より収入が少なかった。結果、関ヶ原では、石田勢は意外な強さを発揮し、黒田長政、細川忠興、加藤嘉明らの東軍を圧倒して、周囲を驚かせた。

あと宇喜多秀家の軍勢の強さも目覚ましかった。知将大谷吉継の補佐もあったが、東軍福島正則勢を完全に圧倒し、前半戦の西軍の圧倒的優勢を築きあげた。

南宮山の毛利の大軍勢が、小賢しい吉川広家の内応で身動き取れなくても、西軍が圧倒的に優勢だった。著者は、よほど吉川広家のことが嫌いなようで「吉川広家の高慢・増長は、史上に醜悪の名を残した。(307ページ)」をはじめ、この人物については、かなりの分量を取って辛辣で否定的評価を下している。

やがて、愚物中の愚物にもかかわらず、関ヶ原最大の重要地松尾山に大軍勢を擁しながら、日和見していた小早川秀秋が西軍を裏切ることにより戦いの帰趨はあっという間に決着してしまう。

しかし、味方にも敵にも接近を許さず、静謐を保ち続けていた島津義弘・島津豊久・長寿院盛淳の薩摩軍六、七百が、合戦の決着がつき、戦場に喊声が止み、銃声も納まった未の刻(午後二時頃)、「薩摩島津の退却は、前に進む事しかない。内府の本陣の前を突っ切って、烏頭坂を降る」「目的は、ここを死に場所にして島津の武威を天下に知らしめる、島津義弘だけは必ず薩摩に生還させる」として、おもむろに五、六万の東軍の中心に居る家康本陣に向かって、鋒矢の陣形で死兵となって死に狂いで突進してゆく。家康本陣の直前まで来て、家康を戦慄させた。その上で、家康に「命は助けておいてやる」というそぶりで、方向転換し突っ切って退却して行く。本多忠勝、井伊直政の追撃を受け、島津豊久、長寿院盛淳の殿(しんがり)の英雄的死、さらに死を決した<ステガマリ>戦法で、井伊直政の右腕を砕く。

とにかく島津の敵中突破の退却行はその後の凄絶な展開も含めて圧巻である。一つ意外だったのは、島津が恐ろしく多くの鉄砲を頻繁に使用し続けていることだった。島津は、当時の大名の中でも、最も鉄砲使用に長じた大名だったのだ。

敵に背を向けて逃げれば、間違いなく全滅していた薩摩軍が、多くの家臣の島津義弘を薩摩に帰すために、信じ難い献身的な犠牲を重ねたとはいえ義弘が、薩摩に帰り着いてしまったことには、もう呆れて脱帽するしかない。家康も、惟新義弘がいる薩摩には容易に手が出せない。家康と島津の交渉は、一方的な降伏交渉ではなく、いつの間にか対等な和睦交渉へと切り替わっていた。本領安堵どころか、領地の返還、恩賞として琉球の領有を、家康に認めさせ、義弘の息子で次期藩主の忠恒に家康の偏諱「家」を与えて、島津家久と名乗らせる、ところまで譲歩させたのだ。もう見事としか言いようがない!
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0088 池宮彰一郎「島津奔る(上)」(新潮文庫;1998) 感想4+

2013年08月10日 01時24分12秒 | 一日一冊読書開始
8月9日(金): ※久しぶりの本格的読書だ! 本来、こっちが本道だ!

456ページ  所要時間7:45    ブックオフ105円

8日 274ページ  所要時間5:05
9日 182ページ  所要時間2:40

著者75歳(1923~2007)。著者のあまりの高齢にちょっとビックリ! 初めて読む著者の作品である。骨太のどっしりした作風で読み応えがあるので二度ビックリ!であった。

ただ、視力・体力の衰えで速く読む力が相当に衰えている。また、得意な戦国時代の話が、島津氏の目を通して異なる角度から描かれてるのと、有名な時代とは言え微妙な話の展開を読みとろうとすると、つい立ち止りそうになり、読む速度がどんどん遅くなっていった。

以前BS歴史館で「島津家」の歴史が語られた秀吉・家康時代を生き抜いた島津龍伯義久(兄)と惟新義弘(弟)の話、特に関ヶ原の敗戦で当時人々の度肝を抜いた家康本陣に向けた突撃退却で有名な島津義弘が、全く意外な英明な豪傑であったことを知り、この作品に注目していた。

一昨日偶然に、ブックオフで上下巻を一度に発見。下巻「あとがき」を、「嫉妬の世界史」著者の山内昌之が、この作品が「地方志向で保守的兄義久の、中央志向で革新・英雄的弟義弘に対する嫉妬を軸にして展開している」という指摘を見るといやが上にもボルテージが上がって「読みたい! 買っておこう!」となり、多少劣化と汚れの目立つ古本を購入したのだ。

話は、慶長の役の負けいくさの中、太閤の死を知り撤退をする豊臣軍にあって、島津義弘の薩摩軍が、兄義久から援軍を断られながら、豊臣全軍の殿(しんがり)を引き受ける。泗川の戦いで、わずか7千の手勢で三十倍の敵、明・朝鮮軍二十万余を完膚なきまでに打ち破り、さらに無敵を誇る朝鮮水軍の名将李舜臣を撃破した。島津の威名は、石曼子(シーマンズ)と呼ばれ、鬼人の如く敵を畏怖せしめ、豊臣軍の撤退を成功させる。というところから始まる。、

その後、秀吉死後の豊臣政権にあって、前田利家という重鎮の死を境に、家康と石田三成の対立が激化の一途をたどる。そんな中、秀吉の九州征伐で引退させられた国元の龍伯義久に代わって、島津家当主となった惟新義弘の上方での活動ぶりが、義弘の明晰な情勢判断などとともに描かれる。65歳前後の義弘は豊臣から徳川に権力が移る複雑な情勢の中で、独特の存在感と異彩を放ち続ける。そんな、義弘に対して、国元の兄義久は、あくまでも冷淡で十分な兵も全く送らない。

やがて、関ヶ原へと大きな流れができ上がり、家康はあくまでも小心な臆病者として描かれているが、成り行きで奥州の雄、不敗の武神の家柄上杉との戦いのために関東に下向する。この辺の話は、通説が手堅く折り込まれるとともに、意外な解釈もたくさん盛り込まれていて、目が離せない。ただ、国元から十分な援軍を送ってもらえない島津義弘の存在感は小さくならざるを得ず、この辺は家康や三成他諸将の話が多くなる。そして、関ヶ原の一歩手前、少しだけ風雲急を告げるところで上巻は終わる。

あと、太閤秀吉の朝鮮侵略を考え主導したのは石田三成であり、その真意は、領土的野心というよりも、100年以上続いた戦国の武器産業バブルが太平の世の到来により終わった後の、急激な経済のシュリンク、<戦後不況>の問題を解決するためだった、という解釈は、けっこう新鮮だった。

※下巻に、すぐ移れるかは、体力・気力との相談でのびるかもしれません。


※追記記録:本日もまたまた何故か…? 341 PV/139 IP で閲覧数が最近では異常に多かったです! 正直、とまどっています。まことに感謝に堪えません。本当にありがとうございます m(_ _')m
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130809 所感「非正規社員の増加は、正社員の安泰にあらず! むしろ連帯こそ肝要だ!」

2013年08月10日 01時16分32秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月9日(金):

話が飛ぶようだが、俺の職場でも、俺の若い頃には考えられなかったほど非正規社員が増えている。同じ職場の仲間である非正規の若者たちを見て、「今の時代に社会に出なくてよかった」と思っていた。

しかし、ふと気が付けば、もうかれこれ5年以上、俺だって昇給は止められてるし、最近一律に給料も減額となった。震災復興予算その他の増税政策により、手取り給料はまさに減額の一途である。昔の方が、給料は明らかに多かった。

何のことはない、非正規社員の増加は、正社員の安泰・安寧ではないのだ。正社員としての仕事量・責任の増加の一方で、「正社員なんだから有難く思え!」という論理のもと、昇給停止・給料削減を容認せざるを得なくなっているのだ。

この論理は、一般化できる当り前と言えば、当たり前の論理だ。戦前日本が、朝鮮・満州を植民地支配していた時、植民地の人々から収奪した安い穀物が移入されることによって、日本国内の米価が安く抑制されて、貧しい農家の貧困がむしろ助長されてしまっていたのと構造的には、全く同じだ。

逆に冷静に考えれば、非正規社員の労働条件改善が、結局正規社員の労働条件の改善につながっていくのだ。非正規、正規に関わりなく連帯・協力することが正しい道だと、最近実感として本当に感じる。
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130809 もはや、ポピュリスト橋下を放置してはおけない! 民主主義の核が傷つき、戻れなくなる。

2013年08月09日 19時40分03秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月9日(金):

橋下大阪市長、市立大学長選認めず 「選ぶのは市長」  朝日新聞デジタル 8月9日(金)13時30分配信

 かつても歴史はこんな風に転落していったのか…。戦前の1937年頃、日本は日中戦争の深みにはまり込んでいたが、意外と庶民の生活は軍需による好景気で明るかったそうだ。そんな中で、どんどん仮想敵の悪者が作られ、大衆扇動が推進され、政府・軍部による統制が強まり、人々はファシズム体制に絡め取られいった。

 詭弁迎合の橋下も、そろそろ看過できない悪質な存在になってきた。弁護士としての法律知識を、自己の権力顕示のために駆使する非道な確信犯になってしまった。こんなに危険な存在はない。

 大阪市立大学の先生方と一緒に、マルティン・ニーメラー牧師の詩『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』を読もう。そして、ファシズムとの闘いに備えよう!

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は多少不安だったが、自分が共産主義者でなかったから何もしなかった
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、自分が社会主義者ではなかったから何もしなかった
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた


 今の日本は、本当にこんな状態になっている。長いデフレのトンネルの中で、十二分に熟成・発酵した日本人の不安感&不満足を原動力にして、基本的人権を軽視し、強い差別意識を糧にする勢力を勢い付かせ始めている

 今回の事案は、従軍慰安婦問題の扱いに失敗した橋下が、頽勢挽回のために行う<見世物>である。エリートの大阪市立大学の先生方を慌てふためかせて、大衆の溜飲を下げて、<強い指導者>を印象付けるのが目的だ。これほど、権力を私物化する地方公共団体首長は、身内・自己愛慎太郎以外に知らない。橋下は、結局二匹目の慎太郎を目指してるのだろう。

 ただ、橋下が唯一見逃してるのは、大阪や関西は、東京のような<田舎者の集合体>ではない。威張ったり、叱りつけたりする<お上(支配者)>を有難がるような風土ではないのだ。

 そろそろ<橋下の田舎芝居>は見飽きた。これ以上は、野放しにはしておけない。そもそも今なぜ、大阪市長が、大阪市立大学の学長選に口を出す必要があるのか? 府立大学と市立大学を統合するよりも先に、府市の水道局の統合はどうしたんだ? 大阪府市の財政赤字は改善したのか? 大阪都で本当に庶民は幸せになれるのか? 大阪の人間は、そのことに気づき始めている。<堺市長選挙>が、試金石だ。笛吹けど踊らされぬ大阪庶民の力を、ポピュリスト橋下に見せつけてやる時期だ。


※記録:本日も何故か…? 319 PV/110 IP で閲覧数が300を超えた! 小生の拙い社会批判に賛成・反対はあると思いますが、関心を持ち、参考にして頂けいていることには感謝に堪えません。本当にありがとうございます m(_ _')m


◎ 130811 8月11日(日)追加:過去、120313のブログで引用していた記事を再掲載しておきます。

秋原葉月さんのブログで以下のような橋下批判を発見した。世の中、捨てたものじゃないですね。
【ニーメラーの警句、日本バージョン 】(2010/04/18)
「彼(橋下大阪府知事)が保育園の芋畑を無惨に掘り起こし、母子家庭の女子高生を泣かせたとき、彼を拍手喝采した人々がいたが、なにもしなかった。/ ついで彼は公務員を攻撃し、君が代を強制した。私は前よりも不安だったが、公務員ではなかったから何もしなかった。/ ついで地方主権の名のもとに道州制が導入され、地方は財界と新自由主義の食い物になり、貧困層が増大してどうしようもなくなった。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。/ ふくれあがった彼らははついに憲法を攻撃した。私はついに動いた―しかし、それは遅すぎた。」

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130805 東京電力社長の顔は、人間の顔ではない。柏崎市と刈羽村は原発交付金に魂を売って、恥を知れ!

2013年08月06日 02時15分12秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月5日(月):

福島原発の汚染水問題にすら見通しも立たない中で、この国は何をしてるんだろう。東京電力社長の顔は、人間らしい感情を塗り潰した能面の化け物だ。こんな「蛙の面にしょんべん」顔を国民にさらしてることの醜汚さに気が付いてない振りをできること自体が恐ろしいことだ。同じ言葉しか吐かないのも感情の無い機械のようで恐ろしい。

柏崎市と刈羽村も原発交付金欲しさに自分たちだけのことしか考えてない姿が、ニュースで国民の目にどれほど醜く映っているか気がつかない振りをできることが恐ろしい。柏崎市と刈羽村は、もしも事故が起こった時には、今度は最大の被害者づらをするのだろう。原発交付金欲しさに、自分たちだけのことしか考えない姿の醜さに気がつかないのだろうか?! 柏崎市と刈羽村は恥を知れ!

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130805 念願のBSシネマ「青い鳥」(2008)の録画ができた! 横目で観終わった。 感想5

2013年08月06日 00時17分08秒 | 映画・映像
8月5日(月)

5月に録画し損ねたNHKのBSシネマ「青い鳥」(2008)を録画できた。嬉しい。

いじめで自殺未遂の転校者を出したクラスに代用教員として赴任した吃音者の村内先生が、クラスの生徒も学校もみんなが忘れようとしている転出した生徒の机を教室に戻し、その机に向かって生徒の名前を毎日HRで呼びかけ続ける。そして、生徒たちの心の深い所に変化が起こり始める。

今、横目で観終わった。原作を読んだ直後であれば、アレンジに少し批判的な感じを持ったかもしれないが、読んでから日が経って適度に忘却した目で見ると、これは良い作品になっている。<佳品>と言える。

阿部寛さんの村内先生が案外とうまい!(何でもこなせる人だな。この人は…)良い味を発揮している。また、クラスの生徒たちが、自分たちの役の意味をよく理解していて良い演技をしている。

重松清の連作集『青い鳥』(2007)では、最後の「カッコウの卵」が、内容的に直球過ぎて臭くって、落涙必至の一番良い作品だ。この作品もいつか良い役者さんと監督さんで映画化して欲しいと心から思う。
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130804 「のだめカンタービレ」アニメ、全3シリーズ(15時間ぐらいか?)を一気見をした。感想5

2013年08月04日 17時06分07秒 | 映画・映像
8月4日(日):

以前に録画してあった「のだめカンタービレ」のアニメ、全3シリーズ(15時間ぐらいか?;全45話(第1期:23話、第2期:11話、第3期:11話))を一昨日、昨日と二日間続けて、一気見をした。既に何度も見ているが、久しぶりに見直すと文句なしに面白い。原作コミックにはない、クラシック音楽の音を聞くことができるのは堪らない魅力だ。

ふだん縁の無いクラシック音楽の世界に、若い音大生たちの青春群像を通して、その世界をまるごと視聴者に提示してくれている。よくできているストーリーと、気の利いたセリフ(エスプリ?)、音楽や人生に対する深い洞察を感じさせる言葉の数々など全く退屈しない。シュトレーゼマンのモデルは、カラヤンなのか…? 

この作品のすごみは、国内編の第1シリーズが、上々の出来で終わった後に、ヨーロッパ編の第2、第3シリーズでさらにパワーアップしたことだろう。クラシックの本場がヨーロッパなのだから、当然と言えば当然なのだが、当り前を当り前にみせることの難しさは、実は至難である。

なんにせよ、縁のない別世界を細部にわたって垣間見させてくれるこの作品は、とても価値ある存在だ。

てことで今日は、昼ごろ起き出してから、買い揃えてある原作のコミック全25巻+1巻(キャラクターBook)を終盤の第20巻から第26巻までを先行して読み直した。

気付いたことは、このアニメシリーズの出来の良さは、原作コミックの並はずれた出来の良さによるものだ、ということ。勿論、多少の編集はなされているが、ほぼ原作に忠実なカット割りやセリフが行われている。また、原作では曲名とカット割りだけで、その曲の雰囲気を伝え、読者を引き込んでいるのだ。

それにしても、音大生の実家のシーンは、ほとんどが一定レベル以上の裕福さを感じさせるものだった。これも、音楽を子どもに学ばせるためには一定の資力が必要であることを表しているのだろう。嫌みでなく、それが現実なのだろう。

ロシア娘のターニャとオーボエの黒木くんの関係には、最も好印象を受けた。

ふだん政治・経済、人種・民族・言語の視点でしか見ていない国際関係が、音楽という芸術を通して見ることで、とても自由闊達?、柔軟な世界の広がりが存在していることに気づかされる。国境・言語という敷居とは別に、芸術・文化には独自の人と人を結ぶつながりがあるという当り前のことを再確認できるとともに、そういう<国境を越えたつながりをもつ人生>を送れる人々に強い憧れを持ってしまう。
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130803 ナチス発言問題は、歴史修正主義に関わる国際信用問題だ。Too little too lateを繰り返すの?

2013年08月03日 12時26分34秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月3日(土):

正直、安倍内閣なんてどうでもよい。むしろ潰れて欲しいのだが…。コモン・センスの問題としてひと言言わずにおれない。

昨日の国会で「アホウ副総理兼財務相の『憲法改正はナチスに学べ』発言の審議要求が一蹴」されたそうだ。審議すら自分たちでできないのか…。

安倍内閣の視野の狭い夜郎自大ぶりには驚くしかない。この問題は、世界中が注視している問題だ。延ばせば延ばすほど、日本はボディブローのようにダメージを受ける。時には、カウンターパンチにもなりうる。間違いなく日本のイメージは地に堕ち、これまで国際社会で積み上げてきた無形の信用を失い、国益を毀損していくだろう。

国内の国会を頬かぶりできても、世界中の目をごまかすことなど不可能だ。安倍政権により、日本が自浄作用の無い歴史修正主義者の国というイメージを定着させることになるだろう。

それにしても今回も外務省の反応の鈍さと無能ぶりには、今さらながらに呆れ果てる。政府の危機意識の低さを見ればわかる。

この前のジョーユー橋下や自己愛慎太郎らのように、国益優先を叫んで人権を疎かにする連中ほど、国益に致命的ダメージを与えるという逆説的皮肉がまた繰り返されていくのか。



※記録:本日久しぶりに300PVを超えた。317PV 99IP。驚いた。
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130801 歴史修正主義者の烙印は致命的。アホウ(麻生)財務相は辞めるしかない。安倍内閣も倒れろ!

2013年08月01日 19時49分34秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月1日(木):

またアホウ(麻生)が、洒落で済まない深刻な失言をした。この男による、この手の悪質な発言は、初めてではない。俺から見れば、「やっぱり」「またか」のレベルでしかない。小渕総理の急死前後にも野中広務氏に対する「差別」発言をして、アメリカの有力新聞にまで報道され日本社会の恥を世界に晒した男だ。

ただ、今回の「憲法改正のためにナチスに学べ」は、完全にアウトだ! これは言い間違いでは済まされない。こんな発言をしてしまった以上、閣僚としてとどまることは不可能だ。人間としての深みなどない世襲の愚か者に過ぎないのだが、歴史修正主義者の本質(レッテルではない!)をもつ者が国際社会で信用を取り戻すことはあり得ない。

森喜朗の「(有権者に対して)選挙で寝ていてくれればよい」発言と同根だが、今回の場合、はるかに悪質で国際的に致命的な影響を持つ内容の発言だ。「誤解を招いたのは遺憾」で済まされるものではない。真意が伝わってないのではなく、過去の歴史に対する致命的な無自覚・無知と人間としての下劣な品性がみごとに露呈した状況だ。

自民党の<改憲の本音>が、「民主主義を否定すること」にあるのをよく教えてくれるとともに、それを姑息に市民をだまして進めようというさもしい心根、志操の低さが露見したということだ。

財務大臣は辞めるしかないだろう。アホウが辞めなければ、日本の国際的信用が地に堕ちる。こんな下らない世襲の愚か者と日本を心中させるわけにはいかない。アホウは、財務大臣を辞めるしかない。できれば、議員辞職して欲しいが、<矜持の無いゲス野郎>だから、できないだろう。まあ、<日本の恥>だ。

※NHKニュース9で、この問題が全く報じられなかったのには驚いた。直後のテレ朝の報道ステーションでは冒頭10分に渡って、内外の反応をとり上げているのとは対照的だ。NHKの報道姿勢には、時おり驚かされるが、副総理・財務相という重要閣僚の国際的失言に対して、どうして報じられないのか? 公共放送の立場として、<権力寄り>と考えざるを得ない。今日の、<報道無し>はNHKに対して不信感を生む。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)