もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

140629 「たゆたえど沈まず」で生きるのみ :一年前 笑うべし!東京都。 ここは何国、今は何時代、私は誰?

2014年06月29日 17時17分31秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
130627 笑うべし!東京都。 ここは何国、今は何時代、私は誰? 頑張れ実教「日本史」教科書!
6月27日(木):すごいニュ-スを発見した。耳を疑う内容だ。あまりの夜郎自大の馬鹿さ加減に笑えてくる! <都教委>は自己を正当化するという超矮小な目的のために、東京都民の思想・...


6月29日(日): 知恵の無い愚か者を為政者に持つことの怖さ。身に沁みる日々だ。

この国はもう終わりかけている。東京で起こったことは、必ず全国で起こりうる。本当に<いやな時代>になった。思想・良心の自由、言論・表現の自由は、民主主義の基本中の基本であり、<最後の砦>だ。1938(昭和13)年前後の印象と重なる。権力とマスゴミの癒着(※:特に読売新聞)。格差拡大の中、不安が煽られ、発言すべき人間たちは自分の現在の立場を守るのに汲汲として黙りこむ。世の中の権力への批判精神は急速に擦り切れて失われていく。国民精神総動員運動。国家総動員法。大政翼賛会まであと少し。日本の将来の見通しはとても暗い。そして、破局がきても、きっと誰一人も責任を取らないのだろうな…。シニシズム(死に沈む:冷笑主義)の瀰漫の中を「半分あきらめて生きる」しかないのだろう。そう、「たゆたえど沈まず」で生きるしかない。

(※)新聞社は、消費税の<軽減税率>の適用を受けるために、政府に都合悪い報道を控えるようになる。これでは、社会の木鐸としての役割を果たせない。嗚呼。


*本日、久しぶりに満員御礼m(_ _)m。
閲覧数549  訪問者数119  順位:11,548位 / 2,034,016ブログ中

140629 さすが内田樹先生! 抜群の現状分析、引用させて頂きます。

2014年06月29日 14時38分17秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
6月29日(日):

民主党の前原詐欺師・野田汚物・長島昭久戦争屋は、これ以上国民を欺くな! 正々堂々と1分、1秒でも早く海江田の民主党を出て、橋下徹の待つ“維新”と合流しろ! 国民に対して「100%合流する」と言明したのだから、わかりやすい政治行動をとれ!

自民党の石破茂幹事長が集団的自衛権について、5月18日のNHK番組で「アメリカの若者が血を流しているのに、日本の若者が血を流さなくていいのか?」というような発言をしていたそうである。自衛隊員なら死んでもいいのか? この男は、以前に「軍事法廷も検討している」と発言しているそうだ。何をか言わんである。

以下、「内田樹の研究室―みんなまとめて、面倒見よう」から引用です。読まれた方は、是非このサイトを訪問して下さい。 もみ

2014.06.22
Japan Times の記事から
安倍、デモクラシーをハイジャック、憲法を空洞化。
JEFF KINGSTON

民主的プロセスを簡略化することで、安倍晋三首相は有権者からの負託を濫用している。憲法九条の解釈変更によって日本の軍事行動への制約を解除し、集団的自衛権を容認しようとする彼の動きは安倍が日本のデモクラシーを破壊しつつあることの直近の実例である。
日米両国における彼と彼の支持者たちは、憲法九条は時代遅れであり、増大しつつある地域の脅威に対処すべく、日本はより断固とした軍事的役割を果すことが重要であると主張している。
日本が安全保障においてよりマッチョな役割を演ずべきだと主張しているこれらの人々は、日本は危険な隣国に囲まれており、日本の軍事的行動への制約が日米同盟を傷つけていると指摘する。
それゆえ、日本は集団的自衛権を含む軍事行動に参加する喫緊の必要性があるというのが彼らの所見である。
なるほど。だが、ほんとうに安倍がそう確信しているなら、あらゆる手段を使ってでも憲法の改定を進めるべきではないか。
憲法改定の手続きは憲法に規定してある。両院の三分の二以上の賛成と国民投票での過半数の支持である。このようにハードルが高く設定されているのは、日本のデモクラシー・システムの基幹的なルールが不当に政治問題化されたり、恣意的に変更されたりすることがないようにするためである。
改憲というのは重い仕事なのだ。
そこで改憲に代えて、安倍は憲法の解釈変更で乗り切ろうとした。これは法律と憲法のルールを歪めるものであり、夜陰に乗じて盗賊が裏口から忍び込むようなやりかたであり、憲法についての正当な手続きを回避し、憲法を愚弄する危険な前例を作る、非民主的なふるまいである。
安倍は自民党の歴代内閣が30年間にわたって維持してきた「憲法九条は集団的自衛権を認めていない」という解釈を覆そうとしている。
安倍と彼の支持者たちは目的は手段を正当化すると考えており、改憲のための時間のかかる手続きを回避する方法を探している。
彼らは憲法を出し抜くための怪しげな理屈を考え出した。それはアメリカの責任ある同盟国であるためにという名目のもとに憲法の意味をねじまげるトリックである。
逆説的なことだが、安倍はアメリカが起草した憲法は日本を弱小な従属国たらしめるためのものだと久しく主張し、改憲をめざしてきた。
ではなぜ彼は、高い支持率に支えられ、自民党が国会を支配している今改憲を企てないのか。
それは安倍が国民投票におそらくは敗れると思っているからである。だが、これは彼が自分の信念を守る勇気があるなら、回避してはならない戦いである。

当初安倍は反対派をなぎたおすようなことをせず、さまざまな勢力と忍耐づよく合意形成をはかっているかのようにふるまってきた。
彼は彼の賛同者たちだけを並べた有識者会議なるものを指名した。驚くべきことに、この有識者会議が用意したサプライズは自衛隊の制約を解除する安倍の計画を支持する勧告を行うことだった。
政治ショーの舞台はそのあとワシントンに移る。安倍が派遣した国会議員は、このプログラムに日本を巻き込むことを長く画策してきたワシントンのインサイダーたちと談合し、彼らは全員集団的自衛権について安倍を支持していると恭しく報告したのである。
かくして安倍はすでに彼に賛同していたすべての人々の承認を獲得した。
しかし有権者はこの笑劇を受け入れておらず、彼の手品まがいの憲法解釈変更につよく反対している。
自民党内部でも、岐阜県連は安倍の性急なやりかたや党内議論の欠如に対して苦情を申し立てた。この批判は安倍の支持基盤も一枚岩ではないことを示している。
「チーム安倍」はまた連立与党のパートナーである公明党とも合意のためにあれこれ努力しているふりをしている。公明党は参院での多数派形成に必要だからである。
この見え透いた政治ショーにおいて、意外にも公明党は集団的自衛権の必要性のために挙げられたあれこれのシナリオについて疑念を表明することで安倍の性急な動きを牽制しようとしている。
この政治ショーを通じて、国民は自衛隊の活動を抑制するルールについて、自民党が説明を二転三転している様を見つめてきた。
公明党の支持母体である宗教組織創価学会は、安倍に憲法を尊重し、解釈変更によってすり抜けるのではなく、むしろ改憲をめざすように進言している。
しかし、公明党がこの「論争」の最初から、この問題で連立政権から離脱することはないと明言している以上、公明党がはじめから譲歩するつもりでいることはあきらかだ。
安倍の側近の一人飯島勲は、ワシントンで、創価学会と公明党の関係は政教分離を定めた憲法20条に違反しないとしたこれまでの裁定について内閣法制局に再調査させる必要があると述べて公明党を恫喝した。
彼は安倍のアジェンダとその不正な手続きに同意しないという理由で安倍の足をひっぱっている政党に恫喝を加えているのであろうか。しかし、これはデモクラシーのやり方ではない。それにいつから内閣法制局は身元の疑わしいラフプレイヤーからの作業命令に従う組織になったのであろうか。
安倍は法律の合憲性を決定する内閣法制局を取り込むために、去年その長官のポストに彼の支持者である大使を任命した。しかし、この長官が健康上の理由で退職したために局内の繰り上げ人事を行わざるを得なかった。法制局はその独立性を重んじており、前例をときの首相の恣意によって覆すことに懸念を抱いている。
安倍はここに来て集団的自衛権についての閣議決定を急いでいるが、それは彼がメディアと国民の間に彼の計画に対する敵意が急激に高まっていることを感知しているからである。そして、次の国会における増税議論が始まる前に問題を片付けたいと思っている。
それに11月には沖縄知事選があり、その前にこの問題についての怒りを鎮める必要もある。集団的自衛権をめぐる論争は世論に再び火を点け、反基地候補に有利に働くことが見込まれているからである。
憲法を事実上改定しながら国民投票は回避するという術策をめぐらせることで、安倍は2013年末に特定秘密保護法を通したときと同じく、国民を信じていないということを明らかにしている。
安倍のデモクラシーの「ダウンサイジング」は、また米軍基地に対する沖縄県民の感情を無視し、原発再稼働に対する国民的反対を踏みにじることをも意味している。

権力者たちに対してある程度の臆病なご機嫌取りはあろうとはいえ、嫌がらせを受けているような気持ちにさせる最近の国際的なジャーナリストたちの安倍に対するすり寄るような働きぶりは、その程度の低さにおいて最低記録を更新している。
安倍の断固たる政治姿勢についてこれまでうれしげに報道してきた記者たちは、そうすることで安倍の反民主的な手法と実現されることのない誓言と約束の山から眼を逸らそうとしているのだ。



※さらに別の記事を追加します。


NewYork Times 「日本の平和憲法」

5月8日付けのNew York Times の社説Japan's Pacifist Constitution が、日本の民主制がいよいよ危機的状況に直面していると報じた。
改憲の動きにアメリカはこれまでもつよい警戒心と不快感を示してきたが、官邸はアメリカの反対をかわす意図で、「憲法をいじらずに解釈改憲で実質的に九条を空洞化する」戦術を選択した。
これまでのところ、ホワイトハウスは解釈改憲が専一的にアメリカの軍事戦略への協力をめざすものであるという説明を受け入れてきたが、ニューヨークタイムズに代表されるアメリカのリベラル派の世論は安倍内閣の「積極平和主義」路線がその本質においてアメリカの国是である民主主義そのものを否定するモメントを含んでいることを指摘している。
アメリカの政治理念を否定する政権がアメリカの戦略的パートナーであるということは、開発独裁や対露、対中戦略を見るとありうることである。
ニューヨークタイムズの懸念は理解できるが、「あの国は嫌いだけれど、利用できるなら利用する」というマキャベリズムをホワイトハウスはいずれ採用するだろう。その点、アメリカはドライである。
ただ、アメリカの知識階級から日本は「自ら進んで成熟した民主主義を捨てて、開発独裁国にカテゴリー変更しようとしている歴史上最初の国」とみなされつつあることは記憶しておいた方がいいだろう。

記事は以下のとおり。

日本の安倍晋三首相は日本軍の役割を拡大して、領土外で同盟国とともに戦う方向に突き進んでいる。彼のいわゆる「積極的平和主義」によってより広汎な地球規模での安全についての責任を担うことをめざしている。
しかし、彼の前には巨大な障害がある。憲法九条である。この条項は今年ノーベル平和賞候補にノミネートされたばかりであるが、「国権の発動たる戦争を永久に放棄する」と謳っている。軍事力行使の変更という安倍氏の目的は憲法の改定を必要とするが、これは両院での三分の二の賛成と、その後の国民投票を意味している。きびしい注文である。それゆえ、改憲ではなく安倍氏は憲法の内閣解釈を変えることで憲法九条を空文化することをめざしている。しかし、このような行為は民主的なプロセスを根底的に掘り崩すことになるだろう。
安倍氏の最終的な目標は第二次世界大戦後に米軍によって起草され、日本国民に押しつけられた憲法を別のものと置き換えることである。過去67年間、憲法はその一語も改定されていない。憲法が日本の主権にとって邪魔くさい制約であり、時代遅れのものだと感じてる。しかし、批判勢力が指摘しているように、彼は憲法の第一の機能が行政府の力を制御することにあるということを知るべきである。憲法というのはときの政府の恣意によって改定されてよいものではない。それで構わないというのであれば、そもそも憲法などという面倒なものを持つ理由がなくなる。
このままことが進むなら連立政権の相手であり、平和主義的傾向の強い公明党だけしか安倍氏の野心を抑制することはできない。公明党抜きでは安倍政権は参院での過半数を制することができないからである。安倍氏が公明党にも受け入れられるような憲法解釈を必死で探っているのはそのためである。他の八野党は混迷のうちにある。
安倍氏は強い政治力を発揮しており、日本は民主制の真の試練に直面している。(Japan is facing a genuine test of its democracy)

ここまで。

文中で興味深いのは「積極的平和主義」を記事がwhat he calls proactive pacifism と訳している点。「彼のいわゆる先取り的平和主義」。まだ何も起きていないうちに「これはいずれ平和を乱すことになるかもしれない」と判断したら他国への武力攻撃を含む干渉を行う立場というニュアンスがこのproactive pacifism にこめられている。 語の選択に安倍政権が東アジアで戦争を始めるリスクファクターになりつつあることへの懸念が表明されている。

140628 所感 憲法崩壊・滋賀県知事選:<日本の政治構造>前門の橋下徹・前原詐欺師、後門の日本共産党…。

2014年06月28日 15時19分50秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
6月28日(土):民主党は早く100%分裂しろ!

現在の最大の危機は、安倍内閣ではない。この極右政権の後に、それを是正(できれば否定)し、立憲主義を回復してくれる見込みのある政治勢力が存在しないことだ。

安倍は愚か者だ。だが愚か者なりに精一杯小賢しく、ずる賢く振る舞おうとして努力し、周りの権力亡者どもに支えられて、戦後の平和国家日本の破壊に邁進している。

今の政治状況をつくった最大の背景は、大阪市長の橋下徹の登場だろう。大阪府知事・市長W選挙を興業的に成功させた彼は、「選挙で選ばれた者が絶対的正義を持つ」という間違った理解・風潮を広げた。愚者の安倍晋三もその風潮に便乗した。そして、本来の法の支配、弱者・少数者の声の尊重が軽視・無視されていった。

戦後69年間、特に小泉政権以来のこの10数年間、新自由主義による受益者負担主義の声とともに大量の自殺者が出続け、貧富の格差は拡大・固定化していった。自民党では、世襲が当然のこととなり、自民党に入れない保守系の非世襲議員の多くは、民主党に入った。民主党は、中道・リベラル勢力と保守勢力の野合集団となり、そのことを自覚し、解消する努力をする前に空中分解した。

民主党の前原詐欺師は、安倍自民を「観念的」保守と呼び、自らを「現実的」保守と呼んで政権批判をしているが、公明党と与党グループを維持している安倍自民の強かさを見れば、前原の言葉がどれほど空疎でお笑い草かは明白だ

万が一、維新と「100%合流する」前原・野田・長島グループが、政権を取れたとして、どんな「現実的」保守政治ができるのか? 断言するが、「そんなものはもうたくさんだ。政治屋どもの自己主張のための保守・新自由主義競争など断じて見たくない!

今必要なのは、民主党内にスキルスのように隠れている中道・リベラルの立場を受け入れられない前原詐欺師・「大きな音だね」の野田汚物、集団的自衛権大賛成の長島昭久戦争屋たちが、前原が「維新と100%合流する」と言明したとおり、1分でも1秒でも早く民主党を出ていくことだ。その上で、民主党は中道・リベラル色を鮮明にして、集団的自衛権に真正面から反対を表明して、生活や社民や滋賀県嘉田知事らと統一会派を組んで、維新・結・前原らの勢力を超えて、衆参で第2勢力を確保し、我々の眼に見える形で<反原発・護憲>の支持・投票の受け皿を示すべきである。

民主党海江田代表は、新たな中道・リベラル勢力結集の捨て石になる覚悟で努力すべきだ。「党の分裂を避ける」という国民に対する詐欺的態度はかなぐり捨てるべきだ。

それにしても共産党だ…。この党は、滋賀県知事選挙で、我々に東京都知事選の轍を踏ませようとしている。共産党の存在は、ある意味「哲学的」だ。市民社会の反自民党の中道・リベラル派すべてが共産党を支持できたとき初めて共産党は市民社会の発展に大きく寄与することができる。しかし、「民主集中制の独裁政治」を内包し、無謬性を掲げる共産党が、中道・リベラルの全てを取り込むことは絶対にあり得ない。すると、独自候補に拘り、他の運動団体との協力を拒む日本共産党は常に主張内容の近い中道・リベラルの市民運動と支持のパイを食い合い、結局「自民党に<漁夫の利>を保障する安全装置として機能し続ける」のだ。「日本共産党は、自らの存在を確保し続ける限り、同様な立場の市民運動の邪魔となり、常に<自民党を利する補完勢力>であり続ける」という「逆説的」存在なのだ。

今回の滋賀県知事選の構図をみると、都知事選に全く学んでいない日本共産党の姿が、またもや<卒原発>の嘉田知事の後継者と票を食い合うのが予想されて暗澹たる気分になるのだ。まるで共産党は、市民運動を潰して、自らも自民党に潰されることを目的(快感でも感じているのか?)としているのではないか? そんなことを繰り返せるほど、われわれの市民運動には時間も余力も残っていない。今回も自民党候補が<漁夫の利>を得れば、間違いなく大飯原発再稼働への追い風となる。

宇都宮健児が、完全に日本共産党の走狗になり下がってしまっているのにも驚いた。自立した市民運動家であるならば、どうして嘉田知事と話し合い、良い結果が出るように協力することができないのか…? 自らの都知事選での虚名を利用して、共産党候補を支持している姿には、上品な表現ではないが「どの面下げて…? 何を考えてるのか…?」という言葉が頭に浮かんでしまった。

ああ前門の橋下徹・前原詐欺師、後門の日本共産党…。日本の軍国主義化は、単に安倍晋三だけの仕業ではない。愚か者を安心してのさばらせる構造が日本の政治にはあるのだ。

140626 月末の高橋源一郎さんの朝日新聞<論壇時評>はとても良い。

2014年06月26日 21時41分34秒 | 考える資料
6月26日(木):

毎月末の木曜日は、高橋源一郎さんの朝日新聞<論壇時評>が楽しみである。今日の記事も良かった。歪んだ社会の中で、流されておかしくなりそうだった思考の曇りを正気に晴らしてくれる感じがした。「こういう考え方をしっかり深めていくのが大切なことなのだ。必要な時に、必要な言論が提供される状況は本当に大切なことだ」と思った。

(論壇時評)「アナ雪」と天皇制 ありのままではダメですか 作家・高橋源一郎 2014年6月26日05時00分  朝日デジタル

 数日前、大ヒット中の映画「アナと雪の女王」を見た〈1〉。公開されて数カ月を経てなお、空席はなかった。

 若くして王である父と母を亡くした姉エルサは、その国の女王として即位する。けれど、エルサには、大切な妹アナにもいえない大きな秘密があった。すべてを凍らせる魔法の力を持っていたのだ。中森明夫は、こう書いている。

 「あらゆる女性の内にエルサとアナは共存している。雪の女王とは何か? 自らの能力を制御なく発揮する女のことだ。幼い頃、思いきり能力を発揮した女たちは、ある日、『そんなことは女の子らしくないからやめなさい』と禁止される。傷ついた彼女らは、自らの能力(=魔力)を封印して、凡庸な少女アナとして生きるしかない。王子様を待つことだけを強いられる」〈2〉

 その上で、中森は、幾人かの、実在する「雪の女王」を思い浮かべる。その一人が「雅子妃殿下」だ。彼女は「外務省の有能なキャリア官僚だった」が「皇太子妃となって、職業的能力は封じられ」「男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され」「やがて心労で閉じ籠(こも)ること」になると記した上で、さらに映画のテーマ曲「ありのままで」に触れながら「皇太子妃が『ありのまま』生きられないような場所に、未来があるとは思えない」と書いた。この原稿は、結局、依頼主である「中央公論」から掲載を拒否されたのだが、その理由は定かではない。

     *

 戦後社会と民主主義について深く検討する本が続けて現れた。いまの時期にこそふさわしいこれらの本の、大きな特徴は、どちらも、女性によって書かれ、天皇制について言及があることだ。

 上野千鶴子は、いわゆる「改憲」でも「護憲」でもなく、憲法を一から選び直す「選憲」の立場をとり、その際には、天皇の条項を変えたい、とした〈3〉。象徴天皇制がある限り「日本は本当の民主主義の国家とはいえ」ないからだ。いや、理由はそれだけではない。「人の一生を『籠の鳥』にするような、人権を無視した非人間的な制度の犠牲には、誰にもなってもらいたくない」からだ。

 赤坂真理は「雅子妃」の娘である「敬宮愛子様」について、深い同情をこめて、こう書いている〈4〉。

 「生まれてこのかた、『お前ではダメだ』という視線を不特定多数から受け続けてきたのだ。それも彼女の資質や能力ではなく、女だからという理由で。(略)ゆくゆくは彼女の時代となることを視野に入れた女性天皇論争も、(略)秋篠宮家に男児が生まれた瞬間に、止(や)んでしまったのだ! (略)彼女は生まれながらに、いてもいなくてもよくて、幼い従兄弟(いとこ)の男児は、生まれながらに欠くべからざる存在なのだ。なんという不条理! それを親族から無数の赤の他人に至るまでが、(略)ごくごく素朴に、信じている。この素朴さには根拠がない。けれど素朴で根拠のない信念こそは、強固なのだ」

 この二つの本からは、同じ視線が感じられる。それは、制度に内在している非人間的なものへの強い憤りと、ささやかな「声」を聞きとろうとする熱意だ。制度の是非を論じることはたやすい。けれども、彼女たちは、その中にあって呻吟(しんぎん)している「弱い」個人の内側に耳をかたむける。それは、彼女たちが、男性優位の(女性であるという理由だけで、卑劣なヤジを浴びせかけられる)この社会で、弱者の側に立たされていたからに他ならない。彼女たちは知っているのだ。誰かの自由を犠牲にして、自分たちだけが自由になることはできないと。

     *

 なぜ、天皇の後継者は「世襲で、かつ男系の男子」でなければならないのか。多くの人たちが「素朴に信じている」このあり方の奥深くまで、膨大な資料を駆使し、メスを入れたのが、2年近く連載され、来月完結を迎える原武史の「皇后考」だ〈5〉。天皇制について考えようとするなら、今後、この画期的な論考を無視することは不可能だろう。

 わたしたちが知っている「天皇制」は近代に生まれたもので、たかだか百数十年の歴史しかなく、それに先立つ2千年近い「天皇制」の中に、近代のそれとはまったく異なる原理が混じっていた、と原は指摘している。

 原によれば、そもそも女神であるアマテラスを始祖とする古代天皇制には、現在のそれとは正反対の「女性優位」ともいうべき思想が底流としてあった。それを象徴するのが、神であるアマテラスと人間である天皇の中間にいる「ナカツスメラミコト」とも呼ばれる存在だ。その、ある意味では天皇より上位の存在に、皇后はなることができるのであり、実際に、歴代の皇后の中に、いや近代になっても、それを強く意識し、その地位に上ろうとした者もいたのである。

 「男系男子」のみを皇位継承者とする「皇室典範」の思想は、「男性優位」社会のあり方に照応している。だが、その思想も、人工的に作られたものにすぎない。人工的に作られたものは変えることができるのだ。どのような制度も、また。

 皇太子の移動のための交通規制で足止めを食った堀江貴文が「移動にヘリコプターを使えば」とツイートした。それに対して、皇室への敬愛が足りないと批判が殺到した。皇太子のことを何だと考えているのかという質問に、堀江は簡潔にこう答えた〈6〉。

 「人間」

 いいこというね、ホリエモン。

     *

 〈1〉映画「アナと雪の女王」(監督=クリス・バックほか)
 〈2〉「『中央公論』掲載拒否! 中森明夫の『アナと雪の女王』独自解釈」(ネット掲載、サンデー毎日7月6日号にも)
 〈3〉上野千鶴子『上野千鶴子の選憲論』(4月刊行)
 〈4〉赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』(5月刊行)
 〈5〉原武史「皇后考」(雑誌「群像」で連載中)
 〈6〉堀江貴文(@takapon_jp)によるツイッターでのつぶやき(今月17日)
     ◇
 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。『街場の憂国会議』(内田樹編)への寄稿で、百田尚樹さんや長谷川三千子さんの「ことば」を論じた。


先月のも良かった。

(論壇時評)僕らの民主主義 少数派からの「ありがとう」 作家・高橋源一郎     2014年5月29日05時00分 朝日デジタル

 3月18日、台湾の立法院(議会)は数百の学生によって占拠された。学生たちは、大陸中国と台湾の間で交わされた、相互に飲食業、金融サービスなどの市場を開放するという内容の「中台サービス貿易協定」に反対していた。占拠の直接のきっかけは、その前日、政権を握る国民党が協定発効に関わる審議を、一方的に打ち切ったことだった。

 立法院を占拠した学生たちは、規律と統制を守りつつ、院内から国民に向けてアピールを続けた。中国に呑(の)み込まれることを恐れる国民の強い支持を受け、占拠は24日間にわたって続いた。

 この運動について、中国に批判的な立場からの、彼らを支持する意見(WiLL6月号〈1〉)を、それから、運動に共感しつつも、学生たちの思想の未熟さを指摘する意見(atプラス20号〈2〉)を、読むことができる。けれども、わたしは、もっと別の感慨を抱いた。

     *

 占拠の一部始終を記録したNHK・BS1の「議会占拠 24日間の記録」に、こんな光景が映し出された〈3〉。

 占拠が20日を過ぎ、学生たちの疲労が限界に達した頃、立法院長(議長)から魅力的な妥協案が提示された。葛藤とためらいの気分が、占拠している学生たちの間に流れた。その時、ひとりの学生が、手を挙げ、壇上に登り「撤退するかどうかについて幹部だけで決めるのは納得できません」といった。

 この後、リーダーの林飛帆がとった行動は驚くべきものだった。彼は丸一日かけて、占拠に参加した学生たちの意見を個別に訊(き)いて回ったのである。

 最後に、林は、妥協案の受け入れを正式に表明した。すると、再度、前日の学生が壇上に上がった。固唾(かたず)をのんで様子を見守る学生たちの前で、彼は次のように語った後、静かに壇上から降りた。

 「撤退の方針は個人的には受け入れ難いです。でも、ぼくの意見を聞いてくれたことを、感謝します。ありがとう」

 それから、2日をかけ、院内を隅々まで清掃すると、運動のシンボルとなったヒマワリの花を一輪ずつ手に持って、学生たちは静かに立法院を去っていった。

 この小さなエピソードの中に、民主主義の本質が浮かび上がったようだった。

 民主主義は「民意」によって、なにかを決定するシステムだ。だが、「民意」をどうやってはかればいいのか。結局のところ、「多数派」がすべてを決定し、「少数派」は従うしかないのだろうか。

 学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム」だという考え方だった。彼らが見せてくれた光景は、彼らが勝ち取った政治的成果よりも、重要だったように、わたしには思えた。それは、わずか数百の参加者で、たまたま「直接民主主義」が実現されていた場所だから可能だったのだろうか。

     *

 フィンランドの、原発からの廃棄物処理施設を描き、大きな話題をよんだ映画「100000年後の安全」〈4〉に、忘れられないシーンがある。その地下施設の中心部で、急進的な反原発派でもある監督が、インタビュアーとして、施設の責任者たちに直接、質問をぶつける。厳しい質問に、時に、彼らは絶句し、苦悩し、それでも逃げることなく答え続けようとしていた。この映画が可能になったのは、「すべて」を見せることを、フィンランド政府がためらわなかったからだろう。

 わたしが、原発に反対するフィンランド国民だったとしても「あなたたちの考え方には反対だけれど、情報の公開をためらわず、誠実に対応してくれてありがとう」といったと思う。そこに存在していたものが民主主義だとするなら、わたしたちの国には、まだ民主主義は存在していないのである。

 台湾の学生たちの運動に前後して、日本の学生たちが、「特定秘密保護法」に反対するデモを計画した。ふだん、政治とほど遠かった学生たちは、ツイッターやフェイスブックで連絡し合いながら集まり、デモのためのCM動画を作った。一つは、まるで青春映画の予告編のようで、もう一つは、ミュージックビデオのようだった〈5〉。どちらにも、楽しさとユーモアが横溢(おういつ)しているように思えたが、そのCMを見て「デモは『楽しみ』ですか」と疑義を呈する人がいた。

 政治(に参加すること)は、苦しみばかりでつまらぬものだ、という「常識」がある。そうなのだろうか。わたしたちの中で、「民主主義」は、一つの、固定した「常識」になっていないだろうか。

 CMの最後に、画面の外から「民主主義どっち?」と問いかける声が聞こえてくる。画面の中の女の子は、自分を指さし「こっち!」というのである。

 民主主義の原理を記した、ルソーの『社会契約論』〈6〉には、不思議な記述がある。ルソーによれば、「一般意志」(「民意」と考えていいだろう)は、意見の違いが多ければ多いほど、その真の姿を現すことができるのである。そこに垣間見える民主主義の姿は、わたしたちの「常識」とは異なっている。

 もしかしたら、わたしたちは、「正しい」民主主義を一度も持ったことなどないのかもしれない。「民主主義」とは、ドイツの思想家、ハーバーマス〈7〉の、想像力を刺激することばを用いるなら、一度も完成したことのない「未完のプロジェクト」なのだろうか。

     *

 〈1〉金美齢「台湾の運命は学生が変える!」(WiLL6月号)
 〈2〉丸川哲史「台湾『反サービス貿易協定』運動の可能性と限界」(atプラス20号)
 〈3〉「議会占拠 24日間の記録」(NHK・BS1で5月10日に放送、6月4日17時に再放送予定)
 〈4〉映画「100000年後の安全」(マイケル・マドセン監督、日本公開は2011年)
 〈5〉特定秘密保護法に反対する学生有志の会(http://aikihon123.wix.com/students-against-spl)
 〈6〉ルソー『社会契約論』
 〈7〉ユルゲン・ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』

     ◇

 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。内田樹編の新刊『街場の憂国会議』に「安倍さん(とお友だち)のことば」を寄稿した。

140624 BSで映画「阪急電車 片道15分の奇跡」(2011年)を観た。“佳品“である。感想4

2014年06月25日 00時04分30秒 | 映画・映像
6月24日(火):

帰宅して遅い夕食の後、BSで映画「阪急電車 片道15分の奇跡」(120分:2011年)を見るともなく見始めた。以前、原作の小説をすごく気に入っているという人の話を新聞か何かで読んだことを思い出したことも理由だった。

見始めると、世の中とうまく関係を結べず居心地悪く生きている人たちが次々に登場してくる。みんなそれぞれに事情は違うが、一様に気が弱くて心優しい。卑劣な連中を相手に精一杯の嫌がらせをしてみても、結局一番傷つき涙を流すのは当の本人である。そんな要領の悪い人たちが、阪急電車の短い区間(宝塚線?)で、電車を介して多生の縁を結び、少しだけエールを送り合って、少しだけ勇気をもらって前を向いて生きていこうとする。

一方、車内では傍若無人に大声をあげて騒ぎ続けるおばはん軍団がアンチ的悪役として登場し、場を引っ掻き回す。おばはん役の俳優さんたちは、ちょっと気の毒だが本当にうざったくて憎たらしく見える名演技だった。敢闘賞を与えたい。でも、こんな人たち大っ嫌い。できれば関わりたくない。

別に俺に似た登場人物がいたわけではないが、目を離せなくなった。俺だって職場その他で日々居心地悪さを強く覚えながら、仕事で味わう少しの生きがいと愛妻と過ごす何でもない時間をよすがになんとか毎日を送っているのだ。家内と一緒に見始めて、二人とも結局最後まで見通してしまった。

頭の中では、大きく心を波打たせて消耗し切っているけれど、実際に外に出る態度や姿は控え目で、気弱げな言葉しか出せない人たちが、阪急電車を介して、ふと思いがけず強い態度や意思表示をしてしまう。そして、すぐまた元の控え目な、気弱さに戻る。しかし、前の自分とは違う。何かが変わっている。小さな奇跡が起こっているのだ。

達者な脚本だった。そして、興奮してまくし立てる中谷美紀さんの姿が、突然「続・最後から二番目の恋」の吉野 千明(キョンキョン;小泉今日子さん)とオーバーラップしてしまって驚いた。「続・最後から二番目の恋」は、今クールのドラマで俺が唯一大きく嵌まっているドラマである。俺は中井貴一の大ファンであり、キョンキョンの中ファンである。他の視聴者は、どう感じてるか知らないが、俺は毎回録画して二人の延々と続く絶妙の掛け合い漫才?に大いにカタルシスを覚えて楽しんでいるのだ。

映画のエンドロールを見て、疑問は氷解した。脚本家が、岡田惠和で、「続・最後から二番目の恋」の脚本家と同じだったのだ。道理で、達者な物語展開だったはずである。本映画作品は、大作ではないが、人情の機微を丁寧に描き切った“佳品”であった。原作の小説も、手に入れて読んでみようかな、と今は思っている。

140624 一年前:0080 重松清「トワイライト」(文芸春秋;2002) 感想5

2014年06月24日 01時13分54秒 | 一年前
0080 重松清「トワイライト」(文芸春秋;2002) 感想5
6月22日(土): 読み終わったのは、23日am4:30391ページ  所要時間6:50     ブックオフ105円 近頃、職場の人間関係でとても粗雑で嫌なことがあって気分...


この日の感想は、自分でも少し気に行っている。

140623 「貧しい家の子は無視」:麻生太郎の酷薄な差別意識は、もはや病気であり、公職に堪えない。

2014年06月23日 22時59分58秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
6月23日(月)

 日本の子供の6人に1人が貧困である。学びたくても学べない子どもたちが半端でなく大勢いる。麻生の貧しい子どもたちといじめ問題を茶化したこの発言は、子供の貧困問題の深刻さを全く理解できていない酷薄な言葉だ。人間らしい温かな眼差しのかけらもない。「子どもの貧困対策の推進に関する法律(平成二十五年六月二十六日法律第六十四号)」の趣旨がわかっているのか!これが国会議員と言えるのか。それどころか副総理兼財務相だ。この国は完全にイカレている。アホウ太郎も世襲議員だ。「ナチスにならえ」発言とともに絶対に許せない。

麻生氏「弱い、勉強できない、貧しい子は無視される」   2014年6月23日11時29分 朝日デジタル
 麻生太郎副総理兼財務相は宇都宮市で21日に開かれた自民党の会合で、「勉強のできない」子のうち、「貧しい家の子」は無視され、「金持ちの子」はいじめの対象になるという趣旨の発言をした。集団的自衛権をめぐる例え話の中で語った。
 TBSのニュース映像によると、麻生氏は「学校で一番いじめられるヤツはどんなヤツかと言えば、けんかは弱い、勉強もできない、しかも貧しい家の子と、三つそろったらまず無視。いじめの対象になりません。しかし、勉強はできない、けんかは弱い、だけど金持ちの子、これが一番やられる」と述べた。ある状況が重なるといじめにあうと受け取られる発言で、いじめが深刻な社会問題になる中、波紋を呼びそうだ。
 菅義偉官房長官は23日午前の記者会見で「麻生氏はいじめを許容、正当化する意図は全くなかったと考えている」と述べた。

☆「子どもの貧困対策の推進に関する法律(平成二十五年六月二十六日法律第六十四号)」
第一章 総則
(目的)
第一条  この法律は、子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図るため、子どもの貧困対策に関し、基本理念を定め、国等の責務を明らかにし、及び子どもの貧困対策の基本となる事項を定めることにより、子どもの貧困対策を総合的に推進することを目的とする。
(基本理念)
第二条  子どもの貧困対策は、子ども等に対する教育の支援、生活の支援、就労の支援、経済的支援等の施策を、子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのない社会を実現することを旨として講ずることにより、推進されなければならない。
2  子どもの貧困対策は、国及び地方公共団体の関係機関相互の密接な連携の下に、関連分野における総合的な取組として行われなければならない。

(国の責務)
第三条  国は、前条の基本理念(次条において「基本理念」という。)にのっとり、子どもの貧困対策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。
(地方公共団体の責務)
第四条  地方公共団体は、基本理念にのっとり、子どもの貧困対策に関し、国と協力しつつ、当該地域の状況に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する。
(国民の責務)
第五条  国民は、国又は地方公共団体が実施する子どもの貧困対策に協力するよう努めなければならない。
(法制上の措置等)
第六条  政府は、この法律の目的を達成するため、必要な法制上又は財政上の措置その他の措置を講じなければならない。
(子どもの貧困の状況及び子どもの貧困対策の実施の状況の公表)
第七条  政府は、毎年一回、子どもの貧困の状況及び子どもの貧困対策の実施の状況を公表しなければならない。

3 116 齊藤貴男「ちゃんとわかる消費税」(河出書房新社;2014) 感想 特5

2014年06月22日 18時41分43秒 | 一日一冊読書開始
6月22日(日):「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。

212ページ  所要時間 2:35    図書館

著者56歳(1958生まれ)。

テキスト。告発の書。楽しい読書ではなかった。読んでいて息苦しくなり、この国で生きるのが辛くなった。<消費税という窓>を通して観た日本は、ふだんとは違った意味で絶望的な国に見えた。みんな騙されている。日本に住むのが恐ろしくなった。この国に希望は無い。

自殺者が大幅に増加し、初めて3万人を超えた1998年の前年(1997年)に消費税率が3%から5%に引き上げられた。2014年も再び3万人台に激増するかもしれない。

「消費税は、平等な税ではありません。社会の中の弱い立場の人を苦しめる税制です。テレビや新聞が伝えようとしない問題点を、読み解いていきます。」 *この言葉は「逆進性の強い税だ」という議論をはるかに超えた指摘である(為念)

「なぜ今、増税するのか、本当の理由を教えます。政治家はウソをつき、マスコミは黙りこむ…… 国民が騙され続ける「悪魔の税制」の問題点とは?」

目次:はじめに
■第1章 平等な税ではありません
税金を説明するのは難しい/誰もが知っている税金/消費税は平等にかかる税なのか/誰が負担するのか決められていない?/消費税=消費者負担ではない/「消費」ではなく「付加価値」税/小売店は正しく納税できるのか/値引きできないはずの消費税/商売同士の力関係/値下げを繰り返すとどうなるか/従業員カットと下請け泣かせ/再販売価格維持制度/転嫁できる・できない
■第2章 消費税のしくみ
益税とは何か/お客の消費税を懐に入れている?/「消費税を導入すると皆さんは儲かる」/「消費税はいただきません」というスローガン/サラリーマンと事業者の違い/役所のナワバリ/税の種類を知ろう/景気を冷え込ませる増税/「どうせわからないし」と思っている/「逆進性」とは何か/マイナンバー制度の強引さ
■第3章 滞納される消費税
消費税だけが滞納が減らない/「自営業者=脱税」のイメージ作り/税制はすべてサラリーマンの論理/源泉徴収はナチスのしくみ/年末調整は会社の仕事ではない/いくら取り立てを強化しても/税務署の差し押さえ
■第4章 消費税増税で喜ぶ人たち 
諸外国に比べれば低いのか/消費税がないアメリカ/世論を誘導するアイテム/「法人税が高い」は本当か/応益負担の残酷さ/輸出は消費税が免除される/輸出が笑い、下請けが泣く/優先されるグローバル企業/社会はゲーム盤ではない
■第5章 消費税と政治家のウソ
ウソにウソを塗りかためて生まれた/待望だった大型間接税/増税後、景気が落ち込んだ/公約を破った民主党/もてはやされる新自由主義/「女性の労働者だから関係ない」/どうせ利権政治に使われる/アベノミクスの正体/国内は外需のためのショールーム
■第6章 見捨てられていく弱者  
「財政危機」という言葉のカラクリ/これまでの増税で社会保障は充実したか/「日本がギリシャのようになるわけはない」/ギリシャの付加価値税は23%/「国家あっての個人」でいいのか/自殺者の増加は想定済み?/消費税増税を苦に自殺/「俺はちゃんと儲かっていたはずなのに……」/税務署の「優良物件」/インボイス方式とは
■第7章 なぜマスコミは黙りこむのか 
軽減税率でマスコミを誘導する/フォアグラとキャビア/身内だけを守るのがジャーナリズムなのか/広告代理店による国策PR/広告スポンサーに従順なマスコミ/推進派に転じて会長ポスト
あとがき

140622 集団的自衛権解釈改憲強行を前に、正しい証言の記憶を残しておく。その2

2014年06月22日 12時18分59秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
6月22日(木):

※何故、当たり前の原点を忘れたのか…。愚か者の浅薄な世襲議員の下品な強引さに、貴重な戦争体験を語る声や誠実さや上品な知性が押し切られて、取り返しのつかない世の中がこの日本で現出しようとしている。格差社会の到来が戦争を求めている。安倍晋三は決して戦場には行かない。戦場で殺し殺されるのは、就職難で自衛隊を選んだ貧しい若者たちだ。安倍晋三が、インパール作戦の第15軍(林)の牟田口廉也軍司令官と重なって見える。自己陶酔のなか、机上の無謀な作戦によって多くの若者たちが死ぬ。彼らには、妻も子も老親もいるのだ。戦後、牟田口は生き残り、死ぬまで言い訳を続け、自らの過ちと罪業深さを認めることは無かった。
 今回の集団的自衛権行使容認には、防衛省よりも外務省が前のめりなのだそうだ。日本の外務省の自己否定、無能ぶりはここに極まったというべきだろう。
 我々が切所として立ち上がり闘うべきは今しかない。その後は、長い長い、今よりも苦しい闘いが延々と続くだろう。そして、挽回できたとしても、それは再び多くの血が流された後だろう。今できる、何か有効な手は無いのか…。繰りごとの愚痴になるが、かえすがえすも都知事選が恨めしい…。宇都宮・共産党が悪かったのか…、細川・小泉が悪かったのか…。今ほど選挙の大切さと、恐ろしさを痛感したことはない。鳩山総理の時の、民主党のマニフェストが懐かしい…。

以下、朝日新聞記事より

(集団的自衛権を問う)借金1000兆円、戦争できる? 高村薫さん      2014年6月22日05時00分

 ■作家・高村薫さん(61歳)

 戦後69年間、日本は戦争で人を殺していないし、殺されていない。集団的自衛権を使う国になれば、その誇りを失う。私には耐え難いし、全ての日本人に覚悟があるとは思えません。

 私の育った時代は戦争が身近でした。3、4歳のころに親と行った大阪駅前。手足を失った軍人が座っていました。前にはお金を入れてもらう缶。戦争の悲惨さは、心に刻みつけられています。

 毎年のように若者が戦場に行き、大けがをするか、棺(ひつぎ)に入って帰ってくる。そんな殺伐とした国になるかもしれない。国のあり方が根本から変わるかもしれないのに、一つの内閣だけで決めるのは言語道断です。

 集団的自衛権の行使は限定的に、と安倍晋三首相は言います。でも、銃弾を一発撃てば戦争の当事者。戦場で若者の命が失われ、国内でテロが起きる可能性もある。「国民の命を守る」という首相の言葉は間違った事実認識に基づいています。特定秘密保護法で肝心な情報が出ず、検証の仕組みがないまま戦争に関わることにもなりかねない。

 私は大阪人。何が得なのかを合理的に考えると、結論は「戦争をしない」。1千兆円の借金を抱える日本に戦争ができますか。力を入れるべきなのは、平和のための外交なんです。

 「武力が使える」という選択肢ができれば、独自の外交を展開する力が弱まります。「戦争放棄」をうたう憲法9条には、まだ利用価値がある。合理的に考えれば分かるはずです。
 (聞き手・佐藤達弥)

*たかむら・かおる 1953年、大阪市生まれ。商社勤務を経て、90年に「黄金を抱いて翔(と)べ」で作家デビュー。93年に「マークスの山」で直木賞を受賞。


(日曜に想う)決意と能力の欠如、戦争へ続く道 特別編集委員・星浩          2014年6月22日05時00分

 150日の通常国会の会期が22日で終わる。集団的自衛権や経済政策、社会保障など懸案は山ほどあるというのに、これほど論議が低調だった国会は珍しい。圧倒多数の自民党に乗る安倍晋三首相に対し、野党は、すり寄ったり、迫力不足だったり、という体たらく。それでも、強いて注目すべき論争をあげるなら、集団的自衛権をめぐる安倍首相と民主党の岡田克也前副総理との応酬だろう。5月28日の衆院予算委員会でこんなやりとりがあった。

 岡田氏 集団的自衛権が行使できない、あるいは非常に限定する場合と、行使できると期待を持たせておいて、できないと言った時と、どちらが日米同盟にとって大きなマイナスになるか。私はできると言って、結局できないと断る方が影響は大きいと思う。

 安倍首相 米国は我々が集団的自衛権の行使について検討することを支持、歓迎している。年末に新ガイドライン(日米防衛協力の指針)を作成し新しい観点で安保政策を構築する。

    *

 簡単に解説しよう。日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、米国はこれまで以上に、自衛隊の海外派遣や米軍との共同行動を求めてくるだろう。長い間、日本は「憲法の条文やその解釈による制約があるので、できません」と断ってきたけれど、これからはそうはいかなくなると岡田氏は懸念する。それに対して、首相は「心配無用」と答えたのだ。

 実際はどうか。長い目で見れば、米国は財政赤字を減らさなければいけないし、多くの米兵が死傷するような軍事行動には、国内世論の反対が強い。だから「世界の警察官」を続けることはできないだろう。自衛隊の役割分担を増やすよう迫ってくる可能性は大きい。集団的自衛権が認められれば、かつての「ショー・ザ・フラッグ」とか「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」といった声が高まるに違いない。

 平和憲法を盾に、防衛力を強化しろという米国の圧力をかわしつつ、日本国内では「必要最小限」の自衛隊を維持していく――それが吉田茂元首相以来の保守政治の底流にあった手法だ。具体的には、内閣法制局がまとめて歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈を、自衛隊の活動に対する「歯止め」としてきた。集団的自衛権行使は憲法上、許されない。従って、米軍と一体となる行動はできない――という理屈だ。

    *

 集団的自衛権が認められれば、その「歯止め」はなくなり、米国への攻撃を日本への攻撃と見なして反撃するかどうかの判断は、時の政権が下すことになる。いわば「歯止め」の役割は、憲法解釈から政治家に移るのだ。その意味で安倍・岡田論争は(1)米国の軍事的要求に応じられるのか(2)政治が「歯止め」の役割を担えるのか、という重大な論点を含んでいる。

 ところで、ことしは第1次大戦勃発から100年。多くの論考が発表されている。雑誌「アステイオン」最新号も第1次世界大戦を特集している。

 細谷雄一慶応大教授が書いている。「第1次世界大戦前夜のヨーロッパの大国にみられた、慢心と、自尊心と、慎慮の欠如と、熾烈(しれつ)な愛国心が火に油を注ぐように、各国の総動員を後押ししていった」「戦争へと向かう巨大な歴史の奔流のなかで、その危険性を熟知して、それに立ち向かう決意と勇気そして能力を兼ね備えた指導者が多くはなかった。その結果として、ヨーロッパの大国は自らが望まず、想定していなかった『大戦争』へと突入していったのだ」。指導者に「決意、勇気、能力」が欠けていたことが大戦争につながったという指摘が重い。

 集団的自衛権という国の針路を左右する課題を抱えているのに、指導者たちは「与党協議」と称して、密室の字句修正を続けている。骨太の外交・安保論は聞かれない。国民への説明の場となる国会は、早々に閉じてしまう。そこからは「歯止め」を担う決意も能力も、見いだせない。

3 115 奥野宣之「読書は1冊のノートにまとめなさい」(Nanaブックス:2008)感想3

2014年06月22日 01時17分07秒 | 一日一冊読書開始
6月21日(土):3冊目

211ページ  所要時間 0:50    図書館

副題「100円ノートで確実に頭に落とす インストール・リーディング」

著者27歳(1981生まれ)。27万部突破の「情報は1冊のノートにまとめなさい 100円でつくる万能「情報整理ノート」(1300円)の著者である。

今どき、読書ノートを手書きでつくることには全く納得はできない。とくに俺には、寿命という意味で20代の著者のような時間はない。しかし、大人気なく若い著者に噛みつく気にはなれない。それなら読まなければいいのだ。読んだのは、伝えたい趣旨は分かるので、読みやすそうでもあり、読書ブログ作りにも役立つアイデアや発想が得られれば儲けものだと思い手に取った。

眺め読みだが、ページはどんどん進むし、いくつか役に立つ考え方も得られたので、悪い印象はない。たいした本ではないが、読み易かったのでそれで良しとする。

目次:
第1章(情報をノートに一元化してサポートツールにする方法)
第2章(情報収集術と探書リストの作成&活用法)
第3章「読書ノート」で本と対話する(著者との対話型「ねぎま式読書ノート」の作成&活用法)
第4章(デジタル検索術。読書ノートを組み合わせるアイデア術)
第5章(レファ本、古典活用法、ツンドク術、引きちぎり読書術)
第6章インストール「グッズ」(23個の文房具を写真と一緒に紹介)

3 114 黄文雄・石平「中国はもう終わっている」(徳間書店;2013) 感想 1(昨夜の感想2から変更)

2014年06月21日 23時28分00秒 | 一日一冊読書開始
6月21日(土):夏至

215ページ  所要時間 1:35    図書館

黄文雄75歳(1938台湾生まれ)。1964(26歳)来日。
石平 51歳(1962四川省生まれ)。1988(37歳)来日。2007帰化。

ふだん手にしない範疇の著者の本に手を出した。背景には、やはり国際関係における閉塞感がある。日本に住む台湾の代弁者と、中国を捨てた日本帰化者が、中国を擁護する言論をする訳がないのは分かっている。ただ彼らの立場もひとつの勢力ではある。金美齢のババアの醜い言論には耐えられないが、同じ範疇の連中が今の中国をどう論じるのか。少し怖いもの見たさがあった。

結論から言えば、前半(1・2章)は感想3、その後(3章)感想1となり、終盤(4章)に感想2となった。(※22日(日)、一晩寝ても、“後味の悪さ”が治らないので、感想1に変更する。連中は本当に日本のことを考えていない!)予想通りの「結論ありきの無責任な談論風発」と日本(安倍晋三)に阿る「歴史の捏造」と「反中国の扇動」だった。はじめは、中国の経済の行き詰まりが統計とともに示され、習近平体制の内部対立の深まりが論じられて、正確な記述の装いをしていたので注意深く読んだ。その後、中韓だけが日本に厳しく当たっているが、そんなものは経済的にも政治的にも何の問題もない。安倍政権は正しい、うまくやっている。
・中国と韓国は「ドラエモン」のジャイアンとスネ夫であり、共倒れ同士がお互いを慰め合って、連携して日本に無理な要求をしている。彼らが生き残る道は、頭を下げて日本といい関係をつくるしかないのに、変な意地を通している。とくに、韓国を待っているのは、中国の属国になって中国と共倒れになるという、哀れな将来です。147ページ
と、著者らの中での日本人一般によいしょをしている。これで本が売れるのだろう。

しかし、安倍晋三はもっともっと靖国参拝をするべきだ。鳩山元総理は中国共産党の手先だ。従軍慰安婦は全くの事実無根だ。琉球新報と沖縄タイムスは中国寄りの新聞で、まるで中国政府の代弁者だ。沖縄に集まってきた反日言論人や地元の左翼メディア云々(なぜおまえらがそんなことを言う資格があるのか!)。など、統計を見せて客観的な本であるという印象を与えた上で、随所に全く根拠のない無責任きわまる言説や嘘言(ウソ)が織り込まれていて日本人を唆そうとする意図が見え透いている。

百歩譲って、著者らの言説に乗れたとして「中国も韓国も自分勝手でたいしたことないし、自滅するさ」と考えたあとに、議論の未来がない。「中国の大崩壊に備えろ」といわれて、それの何が嬉しいのか。そういうことにならないようにどうするべきか。日本の軍国主義化に反対し、本当に中国や韓国との信頼関係を再構築することを考える人間から見れば、中韓を悪者にして、馬鹿にするだけのこの本の内容には、日本がとるべき未来の道が全く示されていない。この著者らから見れば、俺は左翼の、例外的存在の日本人ということなのかもしれないが、少なくとも俺は日本人として、より良い日本の未来を考えているが、著者らからは、日本への阿りは聞こえるが、本当に日本のことを考えている印象は全く感じられない。この本には理想が示されていない。後味がよくない。

他人の悪口というのは、はじめは楽しいが、その先に何もない虚しさで終わる。その意味で、建設的でない本書には、下品で嫌な感じが残る。ただ…、それにしても中国はともかく、最近の韓国の日本に対する反発の常軌を逸した過剰さには、韓国好きな俺もどうしてよいのかわからない。途方に暮れて、戸惑うばかりだ。韓国の人々も、自分で自分を制御できなくなってるのではないか。

目次:
第1章 中国経済の崩壊でこれから何が起こるのか:・中国の株価下落でなぜ世界が大騒ぎしたのか/・いまごろリーマン・ショックのつけが表面に/・中国でシャドーバンキングはなぜ生まれたのか/・中国の不良債権は300兆円/・地方政府の崩壊が秒読み/・ますます信用できなくなっている中国の統計/・続々と撤退する外国資本と大量失業者の発生/・中国社会を崩壊させる2つのグループ
第2章 習近平体制は間もなく破綻する:・身内を攻撃する習近平/・習近平と江沢民派との闘いが始まった/・習近平は「大政奉還」を狙っている/・毛沢東路線に回帰する習近平/・習近平が煽るウルトラ・ナショナリズム/・憲政をめぐって分裂する中国/・中国で民主化は可能なのか/・李克強は習近平に取って代わるか/・胡錦濤と習近平の「最終戦争」
第3章 日中はこうして激突する:・アベノミクスを執拗に攻撃する中国/・中国とともに沈没する韓国/・オバマに「宿題」を突きつけられた習近平/・スノーデン問題で冷え込む米中関係/・着々と進む安倍政権の「中国包囲網」/・TPP経済圏の出現に焦る中国/・中韓接近で変化する朝鮮半島情勢/・中国と接近した国の末路/・中国は尖閣問題をどうしたいのか/・中国の本当の狙いは南シナ海か/・習近平が恐れる軍部の暴走/・靖国問題はもう中国のカードにならない/・沖縄問題と反原発に媚中派が結集/・沖縄は中国に飲み込まれるか/・台湾も香港も中国離れが進む
第4章 2014年世界から見捨てられる中国:・偽りの経済成長で深刻化する大気汚染と疫病蔓延/・350年前の人口爆発から始まった環境汚染/・環境悪化が中国の経済成長を不可能にする/・ウイグル問題の爆発が迫っている/・世界から締め出される中国/・日本は中国崩壊に備えよ

3 113 若宮啓文「新聞記者 現代史を記録する」(ちくまプリマー新書;2013) 感想3+

2014年06月21日 12時12分08秒 | 一日一冊読書開始
6月21日(土):

237ページ   所要時間 1:40     図書館

1ページ15秒の流し読み。

著者65歳(1948生まれ)。1970年、朝日新聞入社、2013年、主筆で退職。

1970年、日航「よど号」ハイジャック事件から始まり、2013年退社までの記者人生と、出会った世の中の政治、事件・事故を重ね合わせて語る。毒にはならないが、大した薬にもならない無難な内容。若い時の「差別」取材も著者なりに迷いつつ誠意を持って取り組んだと記されてるが、経験に裏打ちされたすそ野の広い知恵や提言はなかった。

よく言えば良心的でバランスが取れているが、悪く言えば上滑りで深みがなくあまり残るものが無かった。

目次:
第1章 震災報道の現場から―ニュース報道の原点(三月十一日のこと、八十八年前は東京本社が焼失 ほか)
第2章 「差別」の中を歩く―長野で体験したこと(偶然の出会い、これぞ「いじめ」 ほか)
第3章 ロッキード、消費税、冷戦後―永田町の内と外(「総理番」は疲れる、夜討ち、朝駆け、ハコ乗り ほか)
第4章 アジアの戦争は終わったか―分断と領土・歴史と(初めての韓国、北朝鮮で見たもの ほか)

140617 閲覧24万超え:一年前 0078 ユン・チアン「ワイルド・スワン 土屋京子訳」(講談社;1993) 特5

2014年06月18日 23時12分30秒 | 閲覧数 記録
6月17日(火):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から983日。

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※いま読みたい本は、新井直之(NHKディレクター)「チャイルド・プア~社会を蝕む子どもの貧困~」(ティー・オーエンタテインメント;2014/3/15)1620円 NHKの「子供の貧困」関係番組が充実している理由がわかった。こんな人がディレクターだからだ。 とても読みたいけれど、高価過ぎるし、まだ図書館にも入っていない。いつになったら読めるかなあ…。

0078 ユン・チアン「ワイルド・スワン 土屋京子訳(単行本・下)」(講談社;1993) 感想特5
6月16日(日):389ページ  所要時間10:55     ブックオフ105円 15日(土) 257ページ  6:35 第十五章~第二十三章 16日(日) 132ページ ...




140614 ETV特集「本当は学びたい~貧困と向き合う学習支援の現場から~」 感想5

2014年06月15日 02時03分41秒 | 映画・映像
6月14日(土):

 現在日本の子供の6人に1人が貧困の中にいる。彼らの多くが学びたくても学べない厳しい現実と向き合っている。NPO「さいたまユースサポートネット」(たまり場)の活動と若者や子供たちの関わりがとても良かった。本当に有意義な活動だ。感動できた。いま、本当に必要なドキュメンタリーだと確信する。俺も定年退職したら、こういうボランティアをしてみたいと心から思った。
【再放送】2014年6月21日(土)午前0時00分 ※金曜日深夜

NHKのHPの番組解説:
「いま、子どもや若者の「貧困」が、学力格差や不登校、高校中退などを引き起こし、「学び」に深刻な影響を及ぼしていることが分かってきています。
塾、携帯電話、インターネット・・・。現代では、「平均的な家庭」が、いろいろな物を手に入れられるようになりました。
しかし、経済的に苦しい家庭の子どもはどんどん取り残され、やがて挽回できないほどに、差が開いていきます。
この「差」に苦しめられる、いわゆる「相対的貧困」の子どもが今、増え続けています。
そんな中、元高校教師の青砥恭さん(65歳)は3年前、子どもや若者たちに、無料で「学び直しの場」を提供するため、NPO「さいたまユースサポートネット」を設立しました。
不登校、高校中退などのさまざまな理由で学校から去った子どもや若者に、ボランティアたちが勉強を教えます。
ここに集まる若者の半数以上が、貧困の家庭に育っています。勉強できる十分な環境が無く、学びの場からこぼれ落ちた子どもたち。生活のために日雇いの現場で働く学生、夜の仕事をする高校生・・・。
ここには、貧困の中、ますます学びの場から遠ざかっていく若者たちの姿がありました。
学ぶことを通して、「居場所」や人とのつながり、そして自信を取り戻してもらいたいと願う青砥さんの取り組みと、そこに集まる若者たちの思いを見つめました。

語り:山本耕史   (内容59分)         」

※NPO「さいたまユースサポートネット」(たまり場)代表の青砥恭さんの著書を以前に読んで大変感動した覚えがある。アマゾンで取り寄せて、蔵書にした。

86冊目 青砥恭「ドキュメント高校中退―いま、貧困が生まれる場所」(ちくま新書;2009) 評価5
                 2011年11月30日 05時01分09秒 | 一日一冊読書開始
11月29日(火):

237ページ  所要時間3:45

 著者61歳。定年退職直後の県立高校教諭。はじめ「進学校は進路指導、底辺校は生活指導、でもその生活指導に乗らないで、生徒の半分が卒業までにやめてしまう高校も珍しくなくなってきている。高校中退した彼ら彼女らに行き場はない。大量の貧困層が再生産されている。」「そりゃ、高校中退も結構あるだろうな、俺も結構見聞きしてるよ。」「やめる彼・彼女の側に立って語り過ぎるのもなあ…、でも学校現場の、多くの生徒たちの中退に到る事例が臨場感と真実味があって、さすがは元現場の教師だな」と思っていた。しかし、半ばあたりを過ぎても変わらず、次から次へとあまりにも際限なく、さまざまな事例が、さまざまな深刻な背景で、あまりにもたくさんの実例として提示されていく。

 DV、離婚による母子家庭、未成年での性暴力被害、未成年出産によるシングルマザー、親の持つ教育資源の乏しさ(九九できない、漢字読めない、活字のない生活)、子どもの知的障害、親の知的障害・人格障害、育児放棄(ネグレクトは虫歯でわかる)、育児能力なし、親に捨てられる、児童養護施設etc.多くが複合型で現れる。ひたすら笑い事ですまされない事例がこれでもかと提示され続けると、「これは、一体どこの途上国の話なんだ。洒落ですまないぞ。」と心の奥が引きつってくるのを覚えた。「もう中退していく生徒たちや保護者の自己責任を批判・非難しても、この大量の貧困層予備軍が生まれてくる<現実>は、全く解決できない。もっと、根本的に日本社会全体の<貧困>対策の問題として捉えなおす必要があるぞ」と思い知らされる。  

 貧困層のさらなる貧困化と中間層の崩壊が進む中で、著者は「中退した若者たちの目から日本社会はどう見えるのか、それを考えながら一年が過ぎた。略。貧しさは人間を壊すことであることを知った。若者の貧困への処方箋は日本社会には今、何もない。しかし、私はこれからも、どうすれば貧しい若者に支援ができるか考えていきたい。」と著者は結んでいる。   

 貧しくても、頑張っている高校生も家庭も当然存在する。しかし、日本社会が階級化して、多くの貧困層を生み出していく大きな構造的流れの中で、自分自身と子どもの世代に可能性を拓く能力を保障すべき高校教育を放棄せざるを得ない多くの若者が生み出されている現実は絶対に看過できない。解決しなければいけない。さもなければ、日本に健全な未来はないと思う。

 だが、多くの日本人が余裕と自信を失っているのは、先日の大阪W選挙の結果でも明らかだ。橋下新大阪市長を悪いとは決して思わないが、全国学力テストの結果に異常にこだわる姿勢からは、中退していく高校生の貧困問題への理解ある取り組みは望めそうにない。全国で最悪とされる大阪市の生活保護受給率にも厳しいメスが入るだろう。それ自体は否定しないが、願わくば、そのメスが適切に処置され、社会の不公平感を少しでも減らし、一方で真に社会で支えられるべき弱者に対しては十分な配慮が払われることを祈りたいと思う。     

 ※この本を読んで、民主党が2010年度から実施した<高校授業料無償化>政策がどんなに意義深い政策であったかが、よく分かった。著者は、さらに<高校の義務教育化>まで踏み込め!と主張されている。    

 ※埼玉県では定時制、通信制高校に在籍する生徒の給食費一食への52円、及び教科書費補助予算をカットして、総額1500万円に満たない補助金を切ったそうだ。「定時制の生徒にとってこの補助がどれほど貴重な彼らを支える機会になっていたか!。このわずかな補助金のカットでどれほど意義深い教育的取り組みができたのか、埼玉県はしっかりと説明責任を果たせ!」と著者は憤る。    

 ※内容目次:<第一部 高校中退の現実>一底辺校に集中する高校中退:SA高校の苦悩/C高校の問題/大阪の底辺校とその背景/二中退した若者たちに聞く 13人にインタビュー/三子どもの貧困:貧困に直面する保育所/障害児通園施設で/子どもの貧困対策―学校と地域の連携は欠かせない/大阪府北河内地域の保育所 <第二部 高校中退の背景>四なぜ高校をやめるのか:やめる原因は複合的/文科省は高校中退をどう見ているか/やめた後から現実を知る/高校中退が人生の分岐点/五高校中退の問題点:なぜいままで高校中退が問題にならなかったのか?/特定の高校に集中する中退者/授業料減免と学校間格差/大阪の増え続ける授業料減免/授業料の減免者を減らしたい教育委員会/授業料だけではない公立高校の集金/高額な教育費用が家庭を襲う/囲い込まれる生徒たち/進む貧困層のさらなる貧困化と中間層の崩壊/六就学援助から中退へ:就学援助/就学援助率(貧困)と学力テストの平均点(低学力)には強い相関/不登校と貧困の新たな連鎖/増える中学の不登校、戦後の貧困時代を再現/七終わりに―労働、地域、そして若者たちの生きがいを結ぶ教育:子どもを貧困から守るために/貧しいとは選べないこと/低学力は生活能力の問題 /あとがき

 ※図書館で借りて読んだ本だが、私は今、アマゾンで購入を発注した。この本は、お金を出して買っても惜しくない!

3 112 湯浅誠「岩盤を穿つ 活動家湯浅誠の仕事」(文藝春秋;2009) 感想5

2014年06月15日 00時11分39秒 | 一日一冊読書開始
6月14日(土):

238ページ  所要時間 3:05     アマゾン

著者40歳(1969生まれ)。

体調がいまいち良くなかったので十分な読書にはならなかった。もっとしっかり読めればよかったと思うが、そういう完全主義は結局挫折を前提とする“甘え”だと考える。また機会があれば、再読でもしよう。

本書は、どうしても欲しくてアマゾンで取り寄せたものである。小泉政権末期の2006年以来・安倍・福田・麻生自民党政権で貧困の問題化が起こり、2009年の政権交代で鳩山内閣に対するエールと戒めで終わる。鳩山内閣のマニフェストと施政方針演説には、本当に心ふるわせて期待したものである。まさか、野田汚物のような糞野郎(失敬!)が出てくるとは、思いもよらなかった。我々が民主党に期待したのは、自民党と異なる政治だったのだ。

本書をものの見方・考え方の規範としたいと思う。

目次:第1章 NOと言える労働者に―派遣切りに抗して
第2章 生活保護と野宿者の現実
第3章 貧困は罪なのか?
第4章 自己責任論が社会を滅ぼす
第5章 ぼくは活動家
最終章 政権交代で問われること

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)