もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

200129 作・ぼうごなつこ(大石秋子原作):リテラ 安倍応援団をぶった斬るマンガ連載『スシローと不愉快な仲間たち』第8話

2020年01月29日 01時32分44秒 | 時代の記憶
1月28日(火):
リテラ安倍応援団をぶった斬るマンガ連載『スシローと不愉快な仲間たち』第8話  2020.01.27


安倍首相の心の声を代弁する御用評論家、陰謀論全開で政権批判者を攻撃するネトウヨ文化人、中立のふりしてこっそり政権の味方をするどっちもどっちコメンテーター……。メディアを跋扈する安倍応援団を、ツイッターでも人気のまんが家・ぼうごなつこが、笑い飛ばすマンガ連載。
今回はなんと、「御用コメンテーター養成講座」を開講します。
でも、スシローやネトウヨ文化人のような露骨な安倍応援団はもう古い。「どっちもどっち」と中立のふりをして、こっそり安倍政権を応援するのがメディアで売れる秘訣です。テキストはもちろんあの人。さあ、あなたも鉄板のテンプレを学ぼう。
(編集部)










今回のマンガは大石あきこさんの昨年11月12日のツイートをもとにマンガ化しています。大石さんは、橋下徹氏が大阪府知事就任後初の朝礼で、サービス残業について抗議したことで知られる元大阪府職員。2018年末に退職し、「音くらし解決研究所」を設立、騒音トラブル・介護・保育・子どもの貧困など社会問題に取り組んでいます。
公式サイト:https://www.oishiakiko.net   ツイッター:oishiakiko

【作者プロフィール】ぼうごなつこ 1974年、神奈川県生まれ。まんが家・イラストレーター。
『子どもの心に寄り添って~被災した子どもの心のケア』『よくわかる緊急事態条項Q&A』『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』『女政治家の通信簿』などでまんが・イラストを担当。
ホームページ:http://bogonatsuko.blog45.fc2.com    ツイッター:nasukoB

 汚らしいメディアの糞ども

200127 賛成!支持!:朝日新聞(社説)「日本人」を広げる 桜のジャージーが語るもの

2020年01月28日 01時16分36秒 | 考える資料
1月27日(月):
朝日デジタル(社説)「日本人」を広げる 桜のジャージーが語るもの  2020年1月27日 5時00分

 ラグビー・トップリーグが開幕した今月12日、東京・秩父宮ラグビー場には「リーチ!」のかけ声が幾度となく響いた。代表チーム主将を務めたリーチ・マイケル選手への、すっかりおなじみとなった声援だ。
 その1週間後、同じ秩父宮ラグビー場で、W杯日本代表として最多出場記録を更新したトンプソン・ルーク選手の現役最後の試合があった。下位リーグとしては異例の1万4千人を超す観客が名残を惜しんだ。
 昨年のW杯。外国出身者がほぼ半数を占めるチームに違和感を抱いた人も、試合を重ねるに従い、彼らが日本を代表することに疑問を持たなくなり、空前のラグビーブームを呼んだ。
 多彩な出自の、能力も持ち味もさまざまな人々が協働し、可能性に挑む。その魅力に気づかせてくれた大会だった。天皇の代替わりがあった年に、そんなことが起きた。この事実を心に留めておきたい。

 ■単一民族の幻を超え
 天皇制とは血統に基づく権威の継承制度だ。明治期に確立した万世一系の考えは、民族の特殊性や優秀性を唱える思想と結びつき、侵略戦争の支柱となった。戦後も、先日の麻生副総理の発言が示すように、単一民族意識は抜きがたく残り、その中心に天皇を置く人もいる。
 だが北海道にはアイヌ民族が住み、大陸や南の島々からも含め、多くの人、技術、文化、制度が流入して形づくられたのが日本だ。新元号の典拠とされる万葉集もその産物の一つだ。上皇さまは天皇在位中、桓武天皇の生母は百済からの渡来人の子孫であることに何度か言及し、朝鮮半島との長い交流の重みを人々に思い起こさせた。
 ただ一つの民族によって構成された均質な日本など、もとから存在しない幻想なのだ。
 そしていま、人の動きはますます活発になっている。
 在留外国人の数は昨年6月末の時点で約283万人。前年末からの半年間で約10万人増えた。一方で、国内で生まれた日本人の赤ちゃんは、昨年ついに90万人を割り込んだ。単純計算すれば、この列島で昨年新たに生活を始めた人の2割近くは外国人だという話になる。
 いやもおうもない。これが現実の姿である。

 ■許されぬ身勝手政策
 「様々な人間が切磋琢磨(せっさたくま)することで新しい価値を創造する」「日本人は、『多様な民族との共生社会』を実現する潜在能力を持っている」――。
 自民党の外国人材交流推進議連が08年に出した「人材開国!日本型移民政策の提言」にある言葉だ。そのうえで議連は「50年間で1千万人規模の移民受け入れ」を提唱した。
 だが同じ自民党でも、安倍政権のスタンスはこれとは異なる。首相は「いわゆる移民政策はとらない」と繰り返し表明したうえで、18年末に改正出入国管理法を強引に成立させた。
 透けて見えるのは、人手不足に悩む経済界の要望に沿って外国人労働者にとりあえず門戸を開くが、用が済んだら速やかに母国に帰ってもらおうという、身勝手な考えである。
 だから、新たに設けた在留資格を取得する者に家族の帯同を許さず、日本語習得の支援や社会保障制度など迎え入れる態勢の不備を指摘されても、真摯(しんし)に向き合おうとしなかった。
 町なかのコンビニ、飲食店、建設現場、工場などで、外国人が働く姿は当たり前になっている。受け入れの是非を議論する段階は過ぎた。移民と呼ぶかどうかはともかく、その存在を前提に、共に社会をつくっていく意識を共有し、必要な仕組みをすみやかに整備・充実させていかなければならない。

 ■W杯経験どういかす
 もちろん簡単な道のりではない。日本と同じように「移民国ではない」としていたドイツもスペインも、21世紀に入る前後に方針を転換した。その後どちらの国も、共生と統合に向けて施策に骨を折り、試行錯誤を続けている。この先もあつれきや曲折はあるだろうが、もはや以前の姿に立ち返ることはできない。それは日本も同じだ。
 外国出身者がラグビー日本代表として活躍できた背景には、一定期間その土地に住めば、誰でも代表になれるという、この競技特有のルールがあった。
 ルーツは違っても同じスタートラインに立ち、互いに敬意を払い、同じ条件で競う。かつて世界中に植民地をもっていた英国発祥のスポーツならではの決まりだが、そのおかげで日本社会は昨年、得がたい体験をすることができた。
 この体験をいかせるか、どういかすかが、今後試される。
 異なる経歴や意見を尊重し、ぶつけ合い、合意を探り、結果を受け入れる。多くの努力が必要だが、だからこそその営みは組織を活性化させ、強くする。企業にも国にも通じる話だ。
 少子高齢化で縮こまりがちな世の中に、元気を取り戻すヒントと覚悟を、桜のジャージーは教えてくれた。そう思う。

9 010 高濱正伸「わが子を『メシが食える大人』に育てる(廣済堂出版:2010)感想2+

2020年01月28日 01時08分49秒 | 一日一冊読書開始
1月27日(月):  

206ページ     所要時間2:05      古本市場88円

著者51歳(1959年生まれ)。学習教室「花まる学習会」代表。

感想2+は少し厳しいかもしれないが、じっくり読んでも3を超えることはない。何か、当たり前のことが大げさなしぐさで繰り返されている感じだった。間違いはないが目新しさもない印象だった。

【目次】1 「メシを食っていける力」が危ない!/2 ことばの力ーすべての学力と知性のベース/3 自分で考える力ー思考のエンジンをぐんぐん回す/4 想い浮かべる力ー魅力的な大人にするために/5 試そうとする力ー人生を切り開いていく底力/6 やり抜く力ー力強く、たくましく生きるために!/付 メシが食える力と受験突破力ー入試問題は学校からのメッセージ

【内容紹介】子育ての最終的な目的は、わが子を「自分でメシを食っていける大人」に育てること。そのためには、「ことばの力」「自分で考える力」「想い浮かべる力」「試そうとする力」「やり抜く力」を育むことが大切。
経済的、社会的、精神的に自立し、受験や社会に出てからのさまざまな苦労を自分で乗り越え、より幸せな将来を生きていくためのパスポートを手に入れるために必要なこととは! ? 10歳までに育むべき5つの力が、社会人としてメシが食える力にどう結びついているのか、どう育めばいいのかを丁寧に解説。

9 009 出口治明「『働き方』の教科書 人生と仕事とお金の基本」(新潮文庫:2014、2017)感想4

2020年01月26日 23時24分36秒 | 一日一冊読書開始
1月26日(日):  

318ページ    所要時間4:20     ブックオフ108円

著者1948生まれ(66歳、69歳)。

2度目。著者を俺は嫌いではない。ただ再読してみると、いろいろと同意できない部分がある。「50歳代で起業すべき」「プライマリーバランスのために消費税を増やすべき」など。悪意でとれば、「ただの著者の自慢話か?」と思えることが多かった。ただ著者がそんなにせこい人間でないのもわかるので「やはり著者はあくまで生命保険(金融)業界の人としての目で見て世の中を語っているのだ。意見は合わないが、一応読んでおこう」という感じだった。

こだわりを持たなければ、それなりに教えられることは多かった。

【目次】序章 人生は「悔いなし、遺産なし」/第1章 人間と人生をどう考えるか/第2章 仕事と人生の関係/第3章 二〇代の人に伝えたいこと/第4章 三〇代、四〇代のうちにやっておくべきこと/第5章 五〇代になったら何をするか/第6章 あなたが生きるこれから三〇年の世界/終章 世界経営計画のサブシステムを担って生きる/文庫特別対談 朝井リョウ×出口治明ー「年齢フリー社会」の仕事と働き方

【内容紹介】人生に占める仕事の時間は3割程度。だからこそ自由に、勇気をもって仕事をしよう―。60歳で起業した異色の実業家にして当代随一の読書名人が語る、ふつうだけど大事なこと。「仕事は人生のすべてじゃない」「失敗して当たり前なのだから恐れることはない」「自分が楽しく働くことこそがお客さまのためになる」。読めば20代から50代まで、各々の世代でやっておきたいことが見えてきます。

200125 原点回帰:170811 改めて 祝?100万PV超 m(_ _)m :自省録?自分の立ち位置について。

2020年01月25日 23時40分54秒 | 一年前
1月25日(土):
170811 改めて 祝?100万PV超 m(_ _)m :自省録?自分の立ち位置について。
2017年08月11日 15時02分55秒 | 徒然・雑感

2017年8月11日(金):

100万PVを超えたことには、それなりの感慨を覚えている。
1年目 222冊 /2年目 99冊 /3年目 130冊 /4年目 103冊 /5年目 68冊 /6年目 88冊  
現時点2132日目(100万PVの8月9日時点)で710冊。日数を冊数で割ると、3.00日に1冊を読んできたことになる。

そもそも一介の個人ブログとして100万PVというのは、当初想像もしていなかった。元々、妻に勧められて唯一の趣味(と思いたい)と言える読書の意欲促進及び読書記録が俺の手元だけで消えていくメモで終わらせたくない。

備忘録の公開、そこに徒然の日々の思いを少し書くこともあればいいかという軽いつもりで始めたのだ。見に来てくれる人など期待していなかった。

「一日一冊読書録」という言葉は、「本当に毎日一冊の本を読む。年間200冊以上は読むぞ!」というつもりで”遅読”の戒めを込めた表題であった。ところが、実際には、定年退職(と言っても別の働き口を見つけねばならない)を意識する年齢でも仕事はますます忙しくなっていく。

職場はICT環境を使って仕事の効率化を図っているというが、一方で逆に無意味な雑用を背負いきれないほど増やし続けて、根本的な仕事自体は疎かになり、形式を整えるためにキュウキュウとしている。「昔はもっとおっとりしていて良かった」と言えるのが年寄りの特権だとすれば、「本当に昔は良かった…かな?」。忙しいのは今と変わらないが、少なくとも今よりは本質的な部分に集中できていたように思う。生産性という言葉を使うならば、ICTによって仕事はよくできるようになったのか。むしろ、ICTが増殖して、人間に途方もない幻想を見させることによって人間をICTの家畜化しているのではないか。妙な気分である。

毎日1冊は、不可能だったが、発見として「どんな形であっても1冊の本は1日で最後まで読み(眺め)切るべきだ。ページ数が多すぎるなど、よほどの事情が無ければ次の日にまわすべきではない。結局、忘れるし、諦めるし、読み切れない。挫折する。」「どんなに不完全な読書になってしまってもいいから、とにかく1冊を1日のうちに最後まで行ってしまい、低レベルな感想しか残せなくて、どんなにもったいなくてもブログ更新までその日のうちにやり切ってしまう(思い出したり、書き継ぎたいことがあれば翌日書けばいい)のがいい。」ということが明確に分かった(はずである)。

不完全な読書は、元々仕方がないことで、本来”遅読”の俺がまともな読書をしようとすれば、どんな本でも8時間前後かかる。多忙な仕事を持つ身で、老眼がきつくなっている身で、「読書」を毎日続けるのは不可能なのだ。採るべき道は、自分がその日、その時関わりたいと思う著者の著書に毎日一定の時間コミットメントすることだけで満足する「遊書」にするしかない。

毎日続けるならば、240~320ページぐらいの本1冊2時間、最大3時間が限度だ。そこからページを繰る速度を逆算するしかない。1ページ30秒の鉄則を守り、付箋は10秒でおさめ切る。「読む」行為へのこだわりを捨て、「眺める」行為を意識的に受け入れる。まともな読書にはならないだろうが、とにかくできる限りのたくさんの本に接することだ。

<質(読み)>ではなく、<量(冊数)>にこだわる原点を徹底的に意識化することだ。それでも、どんなに不完全な読書に終わっても最後まで行った本は、それなりの深い感慨を与えてくれる。考えてみれば、当然のことで、現実世界で自分が尊敬し学べる人間と語り合い、謦咳に触れる機会なんて皆無に等しいのに対して、自分が選んだ本の著者は、自分が尊敬できる存在だ。そんな著者が、本気で考え、全力で書き記した著書を読む(眺める)という行為は、たとえそれが対話として、短時間であり、一方的な形であっても、現実世界では出会えない一流の人たちと他から邪魔されることもせかされることもなく、一対一で時間を共有できるのだ。何も残らないはずがないのだ。

今後より一層<質>より<量>にこだわって、一日一冊の<遊書>を励行しようと思う。「これほどの本をこんな読み方でもったいない…」と思う場合には、「じっくりではなく、何度も読み返す。そしてそれを何冊にもカウントする」というスタイルを徹底的に意識化し、実践していくのだ。

数字には魔力がある。冊数が増えれば、やはり嬉しく大きな励みになる。経験的に言えば、大体7割以上まで読めた本は、既読感が生まれる。今後、読み切りにこだわらず、7~8割ぐらいに行けば、読み切れなくても、それで1冊とカウントしようと思う。今までなかなか手を出せなかった「短編集」については、表題作だけ読めればそれは読んだことにする。「オー・ヘンリー短編集」のように表題作が示されない「短編集」ならページの半分を目安に1冊とカウントすればよい。数十ページでもよい。そうすれば、いままで手を出せなかった多くの短編集にも手を出せるようになる!」

「<生き抜く>という最重要の一点を護るためならば、一切の批判も反論も受け付けない!。逃げるのは恥だが生きるために役に立つ」という”逃げ恥”風に言えば、「どんなに不完全な読書であってもいいじゃないか!!。<読書習慣を維持する>という本質的な最重要目標を貫徹するためであれば、どこまででも大いに自分の読書を甘やかせばいいのだ。」

「漫画」も既に実践しているが、自分なりに実のあるものと判断できれば1冊とカウントする。実際、下手な小説や新書よりも内容の充実した「漫画」は多い。映像化されてる分、情報量が圧倒的に優れている場合が多いので、印象にも記憶にも残りやすい。昔は、漫画に対する後ろめたさから、内容の梗概を整理して載せたりしていたが、実際の読書よりずっと時間がかかった。今後はそういうことを義務感を持ってやることはやめる。

実はこのブログ、更新に結構時間がかかっている。最短で40分ぐらい、普通で1時間超、2時間以上もよくある。3時間の読書の後に、1時間半もブログに時間をかけていれば、本末転倒である。夜、「今なら1冊読めそう」と思っても、その後のブログ更新を考えて「諦める」という<逃げの選択>を無数に繰り返してきている。活字が自分の体を流れるのを常態化したい。そのためには、ブログ自体へのこだわりも捨てるべきだろう。

今後、老眼が進み、目がかすみ、本を読めなくなるまで、「一日一冊遊書録」を続けるつもりだが、もっともっと<遊書>に関しては自分を甘やかしていくつもりです。「逃げるは恥だが役に立つ」(ハンガリーのことわざらしい)は、物事の本質を見誤らないためのけだし名言だと思う。大事なのは「生き抜く」ことであり、本ブログに関して言えば、大事なのは「本と関わりを持ち続け、それを通して尊敬する先人や同時代人の謦咳に触れ、心豊かに生き抜くこと」なのである。

このブログをご訪問頂いている人たちには本当に不思議な奇特な人たちだと深く感謝しております。ただ、本を読み続けるためなら私は自分をとことん甘やかせていきたいと思っておりますこと、ご承知おきくださいませ。

とここまで書いて約2時間半、こんなことを自分が書こうとしていたとは全く考えてませんでした。指任せで考えてるというのが、日々の実態であります。こんなこと義務なら、大変な人生の無駄ですが、好きでやってるので趣味ということになります m(_ _)m

200120 センター日本史97点…。迷った末に難しく考えてしまう。二科会は大正だろう!悔しい。

2020年01月21日 01時14分04秒 | 日記
1月20日(月):

今年もセンター試験「日本史B 」を解いてみた。所要時間55分。見直し5分。そして、今年も恒例の見落としの減点3点による97点だった。もはや不愉快になるためにやってるようなものである。

第5問の問4(3点)で1885年頃の出来事で、二科会創立、文展に対抗と日本郵船会社設立に迷ってしまった。日本郵船会社を日清戦争(1894)頃と思い込み、「これだ!」と違和感が残っていたのに思考が固定してしまった。そもそも二科会なんて大正時代だろう。日本郵船会社の設立は1885年で、ボンベイ航路(1893)、欧州・北米・豪州航路(1896)だった。

余裕のない中で、迷って考えが凝り固まってしまうとなかなか簡単な事実に立ち返れなくなってしまう。まず前提として、「たかだかセンター試験でそんなにレベルの高いことを問われるわけはないのだ」ということにいつも失敗した後で気付かされるのだ。もう一度言う「そもそも二科会なんて大正時代だろう!」ウンザリ。

第6問の問7、未婚の女性の女子挺身隊の正誤問題にも少しあわてた。「“未婚”って部分が問題なのか?何を聞きたいのだ?」。ただ「所詮センター試験レベルだ」と割り切って正解を得た。

問題全体の印象は、受験生たちにとって難しいのか易しいのかよくわからない感じだった。出題された4つの史料の内、教科書の史料は1つだけ。それほど難しい史料ではないので、冷静に読めば大したことはない。ただし、勉強が不十分な受験生が読むと「中世の湯屋」の話や「鳥取藩の鉄穴流し」の話など何やら恐ろしげでうろたえてしまう者がいただろう。

結局、一定レベル以上の実力のある受験生には冷静に対処すれば8割は軽く取れる。満点はともかく9割も可能だと思う。ただ基礎力を固めきれてなければ6割程度になってしまうだろう。

200119 久しぶりに大河ドラマ「真田丸 全50回」(三谷幸喜:2016)コンプリート 感想特5

2020年01月19日 22時49分12秒 | 映画・映像
1月19日(日):  
            

先週1月12日(日)から観始めた大河ドラマ「真田丸 全50回」を今日で最終回まで観終わった。三谷幸喜は大河ドラマの魅せ方を知っている。コメディタッチも含めて、物語にたるみがなく最後まで魅せられた。前に観た時、不満に思えた部分も含めて今回は堪能できた。

全体の構成は、①武田氏の滅亡・本能寺の変後の争乱から秀吉の時代、②秀吉死後の石田三成と徳川家康の対立・関ヶ原(犬伏の別れ)、③九度山から大坂入城・冬の陣(真田丸)・夏の陣とざっくり三部構成になっていた。いずれも面白さにあふれ、ついつい次を観たくなるようにできていた。また、映画作品をはるかに凌駕する膨大な予算で作られる大河ドラマならではの贅沢なキャスト陣をこの大河ではほぼすべてに所を得た配役でしびれさせてくれた。

中でも、真田昌幸役の草刈正雄の演技と存在感は群を抜いていた。役を全て知り抜いた者にしかできない出色の出来栄えだった。次いで石田三成役の山本耕史が印象的で良かった。何か、とても良かった。真田氏という北信濃・上野の国衆上がりの頭脳集団から観た戦国・織豊・関ヶ原・江戸初期の風景は格別だった。そして最後に、大坂の陣における豊臣方の人材不足、牢人集団にこそ義がある構図を再確認した。これは寂しいifの世界だ。もう少し大坂方の人間に人物がいれば、豊臣はひとかどの名門大名として残れたものを…。残念だが、自業自得である、としか言えない。

ウィキペディアで人間関係を調べまくってしまった。例えば、真田幸村が嫡子大助以外の妻子らに同い年の伊達政宗を頼らせた意外な関係など非常に面白かった。

9 008 ライフサイエンス研究所の本「にんげんはなにでできているの?」(ごま書房:2001)感想4

2020年01月19日 15時57分38秒 | 一日一冊読書開始
1月19日(日):   副題:ビタミンがスンナリわかる本

47ページ      所要時間0:50(音読)      古本(リサイクル)

絵本の形式をとっているが、中学生以上の難しい漢字にルビはない。読み聞かせを前提とした絵本と言える。イラストはとても楽しく、説明も例えがわかりやすく書かれているが、取り上げている内容自体は非常に高度で、子どもには難解過ぎる。それでも、幼児の好奇心は面白がることができるようだ。絵本の編集・制作というのは存外難しくかつ、興味深いものだ、と思った。

【内容紹介】ビタミンやミネラルの働きが、こんなにやさしくわかるなんて!お母さんといっしょに学んでほしい絵本。 いつも元気で若々しく、丈夫で健康に生きる秘訣を、身体の仕組みと栄養素で教えてくれる健康バイブル。からだの最小単位・細胞を作っている、ビタミンやミネラルといった大切な栄養素の働きを、わかりやすく解説。

200117 新選組が与野党馴れ合いを斬る京都市長選(植草一秀の『知られざる真実』)

2020年01月18日 01時02分16秒 | 考える資料
1月17日(土):  
植草一秀の『知られざる真実』新選組が与野党馴れ合いを斬る京都市長選
2020年1月17日
 
「2020年「政策連合」による日本政治刷新」のゆくえを占う最重要選挙が告示日を迎える。令和2年2月2日、西暦2020年2月2日に投票日を迎える京都市長選挙が1月19日に告示される。立候補が見込まれるのは
門川大作氏(69)=公明、自民府連、立憲民主府連、国民民主府連、社民府連推薦
福山和人氏=共産、れいわ新選組推薦
村山祥栄氏=無所属            の3名だ。

京都では非共産で国政与野党が相乗りしている。2018年4月に行われた京都府知事選では
西脇隆俊氏 402,672票  自民・民進・公明・立憲・希望推薦
福山和人氏 317,617票  共産推薦
で西脇氏が当選した。

国政で自公と対決する野党勢力が京都では自公と共闘している。京都では共産党が強い支持基盤を有しており、反共産で自公と旧民主系が連携している。「敵の敵は味方」ということなのか。国政において反自公で共産党を含む共闘体制を築こうとしているのに、京都では自公と、共産を除く野党が共産党と敵対している。

京都は旧民主の前原誠司衆院議員、福山哲郎参院議員の地元で、この二人が選挙で生き残るために反共産戦術が採用されているのだと見られる。自分都合、自分の利益優先なのだ。2018年の知事選でも反自公の共闘が形成されていれば福山氏が野党共闘候補として勝利を収めたはずだ。このような共闘さえできないのが旧民主党の実態だ。

国政において立憲、国民の合流を主権者が冷め切った目で見ているのは、この両勢力のなかに「隠れ自公」が潜んでいるからだ。「隠れ自公」の見分け方は簡単だ。原発稼働即時ゼロ  消費税率5%  への賛否を問えばよい。明確に賛成の意思を表示できる者は「隠れ自公」ではない。あいまいな回答しか示さない者は「隠れ自公」と見て間違いないだろう。「隠れ自公」が多く潜む勢力が政権を樹立しても、自公と大差のない政策しか実行しない。これでは政権交代の意味がない。

日本の二大勢力体制を「守旧」と「革新」の二大勢力体制にしなければならない。どちらを選択するのかを決めるのは私たちだ。私たち市民が主権者で、決めるのは私たち市民なのだ。「守旧」と「革新」の二大勢力体制にならなければ、私たちの前に選べる選択肢がなくなる。和食を食べたいのにアメリカ料理とイギリス料理しか提示されないようなものだ。日本の体制を固定したい既得権勢力は、どっちに転んでも何も変わらない「自公」と「第二自公」の二大勢力体制を築こうと全力を挙げている。これが立憲と国民の再合流話の背景だ。

1月19日に告示される京都市長選では「れいわ新選組」が福山氏の推薦を決めた。これこそ「政策連合」である。基本的な政策を共有する勢力が連合を構築する。政策を基軸にした「政策連合」が形成される。この「政策連合」が勝利を収めると大きな衝撃が走る。京都市民の叡智が問われる局面だ。国政において最重要の争点は 1.消費税率5%への回帰 2.原発稼働即時ゼロ である。さらに 3.最低賃金全国一律1500円政府補償 だ。京都において「政策連合」が勝利できるかどうか。2020政治決戦を占う最重要の選挙が始動する。




190112 一年前:8 031 井筒和幸・李鳳宇「愛、平和、パッチギ!」(講談社:2007)感想5

2020年01月13日 02時42分26秒 | 一年前
1月12日(日):
8 031 井筒和幸・李鳳宇「愛、平和、パッチギ!」(講談社:2007)感想5
1月12日(土):  231ページ     所要時間4:10     アマゾン258円井筒和幸 55才(1952生まれ)。李鳳宇  47才(1960生まれ)。妻と息子......


150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)