もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

160529 69万超:普通の感覚が小気味良い高橋純子記者の『政治断簡』こすれ合って、成り立っている

2016年05月30日 23時41分40秒 | 時々刻々 考える資料
5月29日(日):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1695日。 

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朝日デジタル(政治断簡)こすれ合って、成り立っている 政治部次長・高橋純子  2016年5月29日05時00分
  摩擦がなければ、机の上の物は滑り落ち、紐(ひも)は結べず、人は歩けず、車も進まない。しかし摩擦が大きければ、スケートは滑らず、車輪は回転しない。(「ブリタニカ国際大百科事典」)
  なんの気なしに「摩擦」を引いたら、深遠なる世界の一端に触れてしまった。美しい詩の一節のようではないか。やるな、ブリタニカ。
  大きな摩擦は困る。だが、なければいいというものでもない。そんなことを考えたのは、駅ビルの中の飲食店が看板の脇に貼っていた「WAR IS OVER!(戦争は終わった)」のポスターに、「政治的過ぎる」とのクレームがついたと聞いたからだ。
    *
  東京・JR新宿駅東口改札を出て48歩、ルミネエスト地下1階にカフェ「ベルク」はある。天然酵母パンのトースト、ポテトサラダ、コーン、ゆで卵(半熟卵も可)にコーヒーの「モーニング」は税込み410円。カウンターで立食しているサラリーマン、朝からワインでゴキゲンな女性客らで15坪の店は満杯だ。
  クレームが入ったのは5月初旬。ルミネに直接申し入れがあったという。店長の井野朋也さん(55)は、「店に言ってくれればいいのに」。
  火がつく。ブレーキがかかる。身体が温まる。何かと何かがこすれ合って生まれる、エネルギー。クレームは拒否するしかない。でも相対すれば、「何か」が生まれたかもしれない。ツイッターでクレームを公表した。みんなに考えてほしかった。
    *
  井野さんは2014年6月末、安倍首相のツイッターにメッセージを送った。「はじめまして。井野碩哉の孫の井野朋也と申します。祖父の臨終の際、岸さんはわざわざいらっしゃって祖父の手を握りしめて下さいました」
  井野碩哉(ひろや)。東条内閣の農林相で、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘禁。第2次岸信介内閣で法相に就く。
  「祖父の自伝によれば、東條英機を総理に担いだのは、総理になれば様々な立場の意見に耳を傾けなければならないから、戦争に突っ走らないだろうという狙いがあったそうです。その狙いは裏目に出ました」「総理、明日、私は官邸前での集団的自衛権行使可能の閣議決定への抗議行動に参加します。日本の進むべき道、私たちの命運を勝手に決めないで頂きたいのです」
  安倍首相はつるんとしている。政治手法は強権的だが、相手と組み合うのではなく、ものすごいスピードで勝手にコロコロッと転がってゆく。こすれないからいつもピカピカ。それが首相の魅力であり、政治家としての欠点でもある。ならば対峙(たいじ)する側が、摩擦係数を高めていくしかない。さて、いかにして。
  「WAR IS OVER!」。その下には、小さくこう添えられている。「IF YOU WANT IT(きみがそう望むなら)」
  自分が真に何を望むか見定める。それと誰かの望みがこすれ合う。快も不快も痛みもある。でもそうやって成り立っているのだ、この世界は。

160528 一年前:150528朝日新聞は「慰安婦」問題に関する日本の歴史学界の公式見解を掲載していない

2016年05月29日 00時40分30秒 | 一年前
5月28日(土):
150528 目を疑う驚き!朝日新聞は「慰安婦」問題に関する日本の歴史学界の公式見解を掲載していない。
5月28日(木):「150527 日本の歴史学界の公式見解!:「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明」に関する記事を朝日新聞で26日、27日、28日の朝刊・...


「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明
  『朝日新聞』による2014年8月の記事取り消しを契機として、日本軍「慰安婦」強制連行の事実が根拠を失ったかのような動が、一部の政治家やメディアの間に見られる。われわれ日本の歴史学会・歴史教育者団体は、こうした不当な見解に対して、以下の3つの問題を指摘する。
  第一に、日本軍が「慰安婦」の強制連行に関与したことを認めた日本政府の見解表明(河野談話)は、当該記事やそのもととなった吉田清治による証言を根拠になされたものではない。したがって、記事の取り消しによって河野談話の根拠が崩れたことにはならない。強制連行された「慰安婦」の存在は、これまでに多くの史料と研究によって実証されてきた。強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(インドネシア・スマラン、中国・山西省で確認、朝鮮半島にも多くの証言が存在)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである。
  第二に、「慰安婦」とされた女性は、性奴隷として筆舌に尽くしがたい暴力を受けた。近年の歴史研究は、動員過程の強制性のみならず、動員された女性たちが、人権を蹂躙された性奴隷の状態に置かれていたことを明らかにしている。さらに、「慰安婦」制度と日常的な植民地支配・差別構造との連関も指摘されている。たとえ性売買の契約があったとしても、その背後には不平等で不公正な構造が存在したのであり、かかる政治的・社会的背景を捨象することは、問題の全体像から目を背けることに他ならない。
  第三に、一部マスメディアによる、「誤報」をことさらに強調した報道によって、「慰安婦」問題と関わる大学教員とその所属機関に、辞職や講義の中止を求める脅迫などの不当な攻撃が及んでいる。これは学問の自由に対する侵害であり、断じて認めるわけにはいかない。
  日本軍「慰安婦」問題に関し、事実から目をそらす無責任な態度を一部の政治家やメディアがとり続けるならば、それは日本が人権を尊重しないことを国際的に発信するに等しい。また、こうした態度が、過酷な被害に遭った日本軍性奴隷制度の被害者の尊厳を、さらに蹂躙することになる。今求められているのは、河野談話にもある、歴史研究・教育をとおして、かかる問題を記憶にとどめ、過ちをくり返さない姿勢である。
  当該政治家やメディアに対し、過去の加害の事実、およびその被害者と真摯に向き合うことを、あらためて求める。

2015年5月25日

歴史学関係16団体:日本歴史学協会/大阪歴史学会/九州歴史科学研究会/専修大学歴史学会/総合女性史学会/朝鮮史研究会幹事会/東京学芸大学史学会/東京歴史科学研究会/名古屋歴史科学研究会/日本史研究会/日本史攷究会/日本思想史研究会(京都)/福島大学史学会/歴史科学協議会/歴史学研究会/歴史教育者協議会      <英語版>

160528 一年前:4 086 「井沢元彦の学校では教えてくれない日本史の授業」(PHP研究所:2011) 感想2

2016年05月29日 00時26分55秒 | 一年前
5月28日((土):
4 086 「井沢元彦の学校では教えてくれない日本史の授業」(PHP研究所:2011) 感想2

5月27日(水):381ページ   所要時間 2:00    図書館著者57歳(1954生まれ。) 著者のことを知らなかったわけではないが、汚ない物に触れて自分が穢れる...


160528 オバマの広島訪問の陰で、沖縄を完全に無視・黙殺できる日本のマスコミは異常の極み!

2016年05月28日 19時57分42秒 | 時々刻々 考える資料
6月28日(土):

  オバマの広島訪問は歴史的に重要な出来事ではあるが、沖縄の若い女性が元海兵隊員の米軍軍属に凌辱・殺人された事件は全く解決していないのに、テレビも新聞も一切見向きもされなくなっているのは異常な光景だ。この国は異常だ。特にマスコミが異常すぎる。沖縄を孤立させる国の在り方が恐ろしい舛添なんて鼠賊のことは沖縄の問題に比べればはるかに小さく本質から逸れている。鼠賊の悪行は見逃さないが、しかるべき司法に委ねればよいだけのことだ。国民全体が大騒ぎさせられる問題ではない。

  沖縄の米軍基地の問題日米地位協定の問題はより本質的な大きな問題だ。

  今朝の朝日新聞38ページ中で、沖縄の事件について触れているのは「お客様オフィスから」というスミくたのベタ記事42行だけだった。夕刊10ページにはたったの1行も載っていない。この感性の鈍さは異常だ。琉球新報や沖縄タイムスの内容との落差は深刻かつ恐ろしい光景である。

琉球新報<社説>首相「辺野古唯一」 被害者の命をも軽んじた  2016年5月28日 06:01
  安倍晋三首相が日米首脳会談で、米軍普天間飛行場の移設問題は名護市辺野古への移設が「唯一の解決策との立場は変わらない」との考えを、オバマ大統領にあらためて伝えていた。
  米軍属の男が20歳の女性の遺体を遺棄する痛ましい事件が起きたばかりである。事件は米軍基地あるが故に起きたことに、安倍首相はまだ気付かないのだろうか。
  安倍首相の発言は、女性の死を悼む多くの県民に冷や水を浴びせただけではない。無念の死を遂げた女性の命をも軽んずるものであり、断じて許されるものではない。
  国民の命を守れなかった自らの責任を、安倍首相が重く受け止めているならば、辺野古新基地建設の推進を首脳会談で持ち出すはずはなかろう。事件直後のこの時期に「辺野古が唯一の解決策」と発言したことで、安倍首相の沖縄に対する冷淡な姿勢がさらに鮮明になった。
  安倍首相は「身勝手で卑劣極まりない犯行に、非常に強い憤りを覚える」とオバマ氏に抗議した。憤りがあるのなら、オバマ氏に明確に謝罪するよう求めるべきではなかったか。
  オバマ氏に対し「日本国民の感情をしっかりと受け止めてもらいたい」とも要請したが、安倍首相自身も県民感情を受け止める必要があることを自覚すべきだ。
  安倍首相は米軍再編を前に進めていくためには「沖縄の皆さんの気持ちに真に寄り添う」ことが必要だと述べた。県民の気持ちに「真に寄り添う」のであれば、新基地建設が「唯一の解決策」になるはずがない。県民の気持ちと相反する新基地建設を推し進める。この矛盾を県民に押し付けことはやめるべきだ。
  看過できない発言はまだある。安倍首相は共同記者会見で「日米が深い絆の下に、これからも『希望の同盟』として力を合わせ、地域そして世界の平和と繁栄に貢献をしていく」と述べている。
  20歳の女性の犠牲の上に成り立つ同盟を「希望」と呼ぶ神経が理解できない。女性の「希望」が奪われたことへの配慮さえない。
  翁長雄志知事は政府が繰り返す「法治国家」について「今のありようでは県民を放っておくという意味での『放置国家』と言わざるを得ない」と指摘した。その通りである。安倍首相は反論できまい。

琉球新報<社説>日米首脳会談 事件防ぐ意思感じられない  2016年5月27日 06:02
  元海兵隊員の米軍属による女性遺棄事件の責任の一端は、米軍の最高司令官であるオバマ大統領、基地を提供する安倍晋三首相にもある。その認識が両首脳には決定的に欠けている。
  一体何のために今回の事件を日米首脳会談で話し合ったのか。県民を失望させる結果になったことを両首脳は重く受け止めるべきだ。
  オバマ氏は「お悔やみと遺憾の意を表明する」と述べたが、謝罪はしなかった。謝罪する立場にないと考えているならば、問題である。
  ケリー米国務長官は「犠牲者の遺族や友人に深い謝罪の意を表明する」と岸田文雄外相に伝えている。国務長官が電話で謝罪すれば済む問題なのか。大統領が謝罪するほどの事件ではないと考えているのではとの疑念さえ湧く。
  事件の再発防止策でも、何ら成果はなかった。オバマ氏は再発防止のために「できることは全てやる」と述べた。「できること」は米側の恣意(しい)的な判断で決まる。これまでの経緯からして、米側が「できること」に期待はできない。
  米軍の綱紀粛正や米軍人・軍属教育の徹底、基地外飲酒制限、外出規制はこれまでも示されてきた。その結果が今回の痛ましい事件である。これまで以上の「できること」を提示しないとあっては、再発防止に真剣に取り組む意思がないと受け取らざるを得ない。
  県民が求めているのは、日米両政府が過去に示した実効性のない再発防止策ではない。もうこれ以上、一人の犠牲者も出さないことを、県民に保証する凶悪事件の根絶策である。オバマ氏に再発防止を求めただけの安倍晋三首相には、その視点が欠けている。
  県民の命や安全に関わることは結果が全てである。再び凶悪事件が起きた場合には在沖米軍の撤退、在沖米軍基地の撤去を約束する覚悟で取り組まなければ、凶悪事件はまた起きるだろう。
  事件が後を絶たない背景には日米地位協定の存在がある。「事件を起こしても守られる」との米軍人・軍属の特権意識を取り除くことが必要だ。だが、両首脳とも「運用の改善」にとどめ、県民要求を一蹴した。
  協定を抜本改正しないとあっては、凶悪事件の発生を根絶する意思を感じることはできない。全在沖米軍基地の撤去でしか、県民を守る手だてはない。そのことを首脳会談は証明した。

琉球新報<社説>県議会抗議決議 海兵隊撤退で人権を守れ  2016年5月27日 06:01
  残忍な事件に対する県民の激しい怒りと苦悩を込めた決議だ。日米両政府、特に伊勢志摩サミットに出席している安倍晋三首相とオバマ米大統領は沖縄の民意を正面から受け止めるべきだ。
  県議会は米軍属女性遺棄事件に対する抗議決議と意見書を可決した。普天間飛行場の県内移設断念、在沖米海兵隊の撤退と米軍基地の大幅な整理縮小、日米地位協定の抜本改定を求めている。
   中でも海兵隊の撤退を初めて盛り込んだことは重要だ。否決された自民の抗議決議案も海兵隊の大幅削減を盛り込んでいた。在沖米海兵隊の撤退要求は県民の総意だ。
  米軍基地から派生する重大事件・事故による人権侵害の多くは海兵隊駐留に起因している。暴力装置である軍隊と県民生活は到底相いれない。海兵隊は県民と真っ向から対立する存在だ。
  1993~96年に駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏は、米側が海兵隊の沖縄撤退を打診したのに対し、逆に日本政府が引き留めたという事実を本紙インタビューで明らかにしている。
  そもそも海兵隊はアジア太平洋を巡回配備しており、沖縄を守るために駐留しているのではない。森本敏元防衛相は「海兵隊が沖縄にいなければ抑止にならないというのは軍事的には間違い」と明言した。在沖米海兵隊の「抑止力」の虚構性は明らかだ。
  90年代に海兵隊撤退が実現していれば、今回の事件は起きなかったのではないか。米側の打診を断った日本政府の責任は極めて重い。
  海兵隊撤退は県民の人権を守るため、譲ることができない要求である。両政府は県民要求の実現に向けて直ちに協議に入るべきだ。
  採決で自民などが退席したのは残念だ。「事件と普天間飛行場移設問題は切り離すべきだ」というのが理由である。しかし、新基地建設断念は県民要求だ。自民は沖縄の民意に寄り添ってほしい。
  嘉手納基地第1ゲート前で開催された緊急県民集会で採択した緊急抗議決議も米軍基地の大幅な整理縮小と合わせて、新基地建設断念と普天間飛行場の閉鎖・撤去をうたっている。
  県民の生命・財産を守るための最低レベルの要求だ。大会に参加した4千人は犠牲となった女性を悼み、悲しみの中で要求を突き付けたのである。それに応えるのは日米両政府の責務だ。

沖縄タイムス:【金平茂紀の新・ワジワジー通信(15)】オバマ大統領 沖縄訪問を 変わらぬ理不尽 悲劇再び  2016年5月26日 11:02
 金平茂紀(かねひらしげのり)TBS報道記者、キャスター、ディレクター。1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。
  よくよく考えてみると、異常だし、決して通常ではないし、正当な理由が見当たらない理不尽きわまりない状態であっても、それがあまりにも長く続いてしまうと、そのこと自体にしだいに感応しなくなり、ああこれが普通のことなんだという麻痺(まひ)状態に陥るのが私たち人間の悲しい性(さが)だ。
  たとえば、百年ほどの近現代の歴史を振り返ってみても、いわゆる先進国においてさえ、女性に参政権が認められていなかったり、人種差別が制度化され、有色人種が入れないレストランや、黒人が乗れないバスや列車があったりした。さらには、奴隷制が当たり前のように存在していたり、植民地が世界各地にあって、宗主国の人間たちが、植民地の人間たちを「二等国民」扱いするような差別的な振る舞いを当たり前のように行っていた。
  インド独立の父と言われるガンジーは若い頃、南アフリカの駅で乗車券を購入し、列車の1等席に乗車しようとしたら、駅員につまみ出され、荷物もろともホームに放り出された経験があった。1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会の「学術人類館」で、異民族のサンプルということで「琉球人」が生きたまま展示されていた。これらは今からみれば随分と異常なことである。だが一定の時間続くとそれが普通になる。
  それで問いかけてみる。そもそもアメリカという国は、21世紀の今に至るまで、何だって自分の国の外の、別の国々の領土に軍事基地を持っているのか? なぜそれが当たり前のようなことになっているのか? それを今の日本という国でみたとき、なぜ独立国である自分たちの国の領土に外国の軍の基地が当たり前のように居すわっているのか? 僕らはそれをなぜ当たり前のように受け入れているのか? 
  ウオーキングをしていた沖縄の20歳の女性が、見ず知らずの男に、いきなり襲われ、凌辱(りょうじょく)され、殺害され、その遺体を雑木林に捨て去られるむごい出来事が起きた。発見された遺体は損傷が激しく言葉を失うような状態だったという。
  その男は、沖縄に当たり前のように居すわっている米軍事基地の海兵隊員だった男で、今は除隊して軍の基地内で軍属として働いているアメリカ人だった。逮捕連行される際のテレビ映像をみると黒人兵だったことがわかる。どのような人生の来歴を、アメリカや海外の戦場でたどってきた人物なのだろうか。被害者の無惨(むざん)な遺体が見つかった場所に足を運んだ。鬱蒼(うっそう)とした恩納村の森があった。こんなところに捨てられていたのか。言葉にできない感情に支配された。「基地がなければこんなむごい出来事は起こらなかった」というのは論理的に正しい。
  実は、僕は1995年に沖縄で起きたもうひとつの悲しい事件のことを思い出していた。あれも実にむごい出来事だった。日米地位協定でまもられた海兵隊員3人の身柄を米軍当局は沖縄県警に引き渡そうとしなかった。沖縄県民の怒りは沸点に達して、8万5千人の県民抗議集会が開催された日に、当時、普天間高校3年生だった女性が次のように訴えた。「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な沖縄を返してください」
  その訴えから21年。一体何が変わったというのだ。日米地位協定はどうだ? あの95年の事件が直接的なきっかけになって、普天間基地の返還を、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使が合意して大々的に記者会見したのは翌96年のことだった。けれども、あれだって冷徹に考えてみれば、沖縄県民の反米感情・反基地感情を押さえこむために、当時の橋本内閣が、大田昌秀県知事らが策定していた「基地返還アクションプログラム」の最優先項目を借用しただけのことだったのではないか?
  世界一危険な米軍基地・普天間の移転が「はじめにありき」というのはウソである。1995年の出来事があって、沖縄県民の怒りの声をおそれたからあのような「成果」が必要だったのだ。
  先週、訪米した翁長雄志沖縄県知事と会談したモンデール氏は、その当時のいきさつについて本紙の取材に対し「ハシモトが電話で『普天間を閉鎖したい。手助けしてくれないか』と聞いてきた。その日の午後にペリー国防長官に電話で打診したところ『よし、やろう』と言ってくれた。2日間で大枠をまとめた」と証言したそうだ。橋本首相の言葉には「移設」の言葉は見当たらない。だとすれば、辺野古に新基地をつくらせようとしている真の主人公は誰なのか。もうそろそろ気づいてもいい頃だろう。
  伊勢志摩サミットと、それに続くオバマ大統領の歴史的な「広島訪問」を前に、今度の出来事は「最悪のタイミング」で起きたと評論するコメンテーターや記事にこれでもかというほど接した。何とも言えない不快感がこみ上げてくる。これらの人々にとっては、政治日程をそつなくこなすことの方が、ひとりの人間の生命が理不尽に奪われたことの意味を考えることよりもはるかに重要だと言わんばかりだ。
  かつて沖縄サミットの際に平和祈念公園を訪れたビル・クリントン大統領(当時)は、沖縄のことを「太平洋の要石」とさらりと言ってのけた。その「要石」の立場を強いられている沖縄の社会で、どのような出来事が起きているのかに微塵(みじん)たりとも想像力も働かせまいとするチカラが働いているかのようだ。オバマ米大統領は、何も個人的な遺産づくりのために広島を訪問するのではあるまい。広島と同じ比重で、もうひとつの不条理の地、沖縄をいつの日か訪問されてはいかがか?
  そのためには、沖縄の置かれている理不尽な状況について、僕らはもっともっとアメリカに伝えなければならない。あなたの国の軍事基地は沖縄の地元の人々からは、もはやのぞまれていないのだ、と。(2016年5月25日付 沖縄タイムス文化面から転載)

160528 一年前:4 084「プロブレムQ&A 性同一性障害って何?増補改訂版」(緑風出版:2011)感想5

2016年05月28日 00時04分41秒 | 一年前
5月27日(金):
4 084 「プロブレムQ&A 性同一性障害って何? 増補改訂版」(緑風出版:2011) 感想5
5月25日(月): 副題「一人一人の性のあり様を大切にするために」 294ページ   所要時間 2:40    図書館野宮 亜紀(著), 針間 克己(著), 大島 俊之(著)...


160522 NHK「ポアンカレ予想」と「リーマン予想」をめぐる数学者の物語はむちゃくちゃ面白い!各感想5

2016年05月22日 14時23分14秒 | 映画・映像
5月22日(日):  ポアンカレ(1854~1912)   ペレリマン(1966~)   リーマン(1826~1866)

 これまで何度も繰り返し観てきた録画を昨日・今日と延々と繰り返し観ている。俺は家で仕事を集中的に行うときには気に入っている録画をBGMのように流し続けるのだが、今回の選択は大正解だった。超難問に取り組む天才数学者たちの物語は数学理論が理解できなくても天才たちの叙事詩としてすごく興味深くて楽しめる。

「NHKスペシャル 数学者はキノコ狩りの夢を見る~ポアンカレ予想・100年の格闘~」(2007年)番組紹介:宇宙はどんな形をしているのか。近年、この謎に迫る数学の難問「ポアンカレ予想」が、ロシアの天才数学者、グリゴリ・ペレリマン博士によって証明された。ところが、博士は数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞の受賞を拒否し、数学界からも姿を消したのである。世紀の難問はなぜ解けたのか。彼はなぜ失踪(しっそう)したのか。博士の行方を追いながら、世紀の難問に魅せられた数学者たちの100年間の闘いに迫る。語り:小倉久寛、上田早苗

「NHKスペシャル 素数の魔力に囚われた人々 リーマン予想・天才たちの150年の闘い」(2009年)
番組紹介:「リーマン予想」はドイツの数学者・リーマンが1859年に提起し、150年たった今も解かれていない数学史上最大の難問である。「リーマン予想」は、「一見無秩序な数列にしか見えない“素数”がどのような規則で現れるか」という問いに答えるための重要な鍵である。「創造主の暗号」とも言われる素数の謎をCGや合成映像を駆使して、わかりやすく紹介し、その魔力に取りつかれた天才数学者たちの格闘を描く。語り:小倉久寛、上田早苗

160521 報道ステーションをほとんど見なくなった。理由は後藤謙治のコメントを数回聞いたこと。

2016年05月21日 12時43分09秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月21日(土):   

  報道ステーションをほとんど見なくなった。理由は後藤謙治のコメントを数回聞いたこと。穢れたコメンテーターを降ろさない限りテレビ朝日は相当数の比率で視聴者を失うだろう。俺もよほどのことがなければ、今後後藤謙治の出ている報道ステーションは見ないし、チャンネルを変える。
  よもつへぐいした後藤謙治はジャーナリストの命が言葉であることを忘れた醜悪な下種野郎だ。報道ステーションはこの下種と一緒に墜落、消え去るつもりなのか。矜持という言葉はこういう時に使う言葉だ。

リテラ沖縄事件で暴言!報ステ後藤謙次の正体  2016.05.20. 
沖縄・米軍属の事件を「封じる」と問題発言!『報ステ』後藤謙次に共同通信時代、大物政治家の追及を封じた過去

  米軍属男性が沖縄県うるま市の女性死体遺棄容疑で逮捕された事件に対し、沖縄では怒りの声が広がっている。だが、この事件が基地問題や米オバマ大統領の広島訪問、7月の参院選へ影響を及ぼすことは必至であることから、官邸は事件の火消しに躍起。安倍首相は昨日、事件をどう受け止めているかを問う記者を無視し、無言で背を向けて立ち去った。
  さらに本サイトで既報の通り、“本土”のメディアはそんな官邸の意向を忖度して、18日にはすでに琉球新報が重要参考人としてこの男が任意の事情聴取を受けていることをスクープしていたのにもかかわらず報道を尻込みし、逮捕が確定的になってからも読売新聞と日本経済新聞(全国版)は男が米軍関係者であることに触れなかった。
  今回のような残忍な事件はこれまでも沖縄で繰り返されてきたことであり、当然、不平等すぎる日米地位協定の見直しや基地の問題追及は免れない。しかし政府が事件そのものを矮小化しようとし、それに追随するマスコミの姿勢を見ていると、沖縄を捨て石としか考えていないと思わざるを得ない。
  それは、この男も同様である。昨日、『報道ステーション』(テレビ朝日)のコメンテーターで、共同通信社客員論説委員の後藤謙次氏が、番組内で信じられない言葉を吐いたのだ。
  まず、米軍属男性の逮捕を報じた『報ステ』では、富川悠太キャスターや取材記者が「政府は事件のことよりも選挙を気にしているのでは」「大きな事件と認めたくないという冷たい印象」「なぜこの事件が起きたかを考えるべき」と言及するなど、政府の対応に批判的な見方だった。コメントを求められた後藤氏も、最初は「政府は早急にアメリカ政府に対して厳重抗議をするべき」ともっともなことを述べていたが、しかし、コメントの最後にはこんなことを言い出した。
  「必ず明日の朝から大きな怒りの炎が沖縄全土に広がるんではないか。となると、あらためて沖縄の怒りが日本外交、政府の政治全体を大きく揺さぶると。その前に政府は果敢に動くことが、とても大切なことだと思うんですね」
  外交や政治問題に波及する前に政府は「果敢に」動くべき。これだけだと前半のコメントから考えて、アメリカに対して強く出ろと言っているようにも聞こえる。だが、このあと番組中に岸田文雄外相とケネディ駐日米大使の会談が開かれるという速報が入ったとき、ついに後藤氏は本性を露わにした。
  「政府はやっぱり早く初動しようということだと思うんですね。この問題を封じるということだと思うんですね」
  後藤氏が「政府は果敢に動くことが大切」と述べていたことの真意は「問題を封じる」こと、つまり事件への怒りの声が沖縄で広がり、外交や政治問題へと発展する前に、政府は事件を「封じ」るべきと述べたのだ。
  ひとりの女性が亡くなっているこの重大な問題を、なかったことにするべき──。これはもはや「暴言」と言ってもいいコメントだ。
  後藤氏は先月も、国際NGO「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度」ランキングで日本が72位という過去最低の順位となったニュースの際も、「ちょっとこの数字については我々、実感があまりないんですけどね」ととぼけた顔で言い放って視聴者を唖然とさせたばかりだが、今回の発言といい、まるでその立ち位置はさながら“安倍政権に黙従し、政権の不都合はテレビで火消しに回る実働隊”だ。そうでなければ「問題を封じる」などという政権内部の人間であるかのような言葉は出てこないだろう。
  しかし、後藤氏のこうした“本性”は、昔から政治記者のあいだでは有名なものだ。というのも、じつはこの後藤氏こそ共同通信社の政治部長時代、不都合な報道を「封じ」た過去があるからだ。
  時は遡って2003年、当時、自民党総裁選で小泉純一郎が再選を果たしたが、この総裁選の直前に、共同通信は自民党の重鎮・野中広務氏にかんする疑惑を追及していた。それは野中広務氏の元秘書に世間を騒がせたニチメン手形詐欺事件の被告から5000万円がわたっていた、という疑惑だ。
  しかも、じつは共同通信はさらに野中事務所がゼネコンと一緒に立体駐車場利権に関与していた疑惑も取材していた。当初、共同通信はすでに野中氏に疑惑を直撃しており、総裁選前にキャンペーンを張る態勢だったという。
  ところが、これに政治部長の後藤氏が横槍を入れてきて、記事は結局、お蔵入りになってしまったのだという。
  じつは、後藤氏は長きにわたって竹下登や野中広務といった経世会議員の番記者を務めていた。なかでも野中とは昵懇の仲で、1999年に出版された野中の著書『私は闘う』(文春文庫)では解説を担当しているほど。ようするに後藤氏は、親密な関係の政治家に成り代わって部下たちが掴んだスクープを「封じ」てしまったのだ。
  しかも、野中氏や経世会と親しかったはずの後藤氏はこのところ、安倍首相と急接近している。今年1月や昨年5月にも安倍首相と会食に繰り出しており、こうした馴れ合いの番記者体質を、今度は安倍官邸に対して発揮しているようなのだ。事実、アベノミクスの失敗はあきらかなのに、いまだに「財政出動がアベノミクスの再活性化にもつながる」(5月5日放送)とエールを送る始末だ。
  今回の後藤氏の発言は、視聴者ではなく官邸の視点に立つというコメンテーター失格のものであり、同時に、沖縄県民の思いを踏みにじるものだ。『報ステ』は後藤氏の存在を官邸圧力の防波堤にしているのかもしれないが、そんなことでは報道への信頼は得られない。電波を使って政権を擁護して媚びを売るコメンテーターなど、一刻も早く降板させるべきだろう。(田部祥太)


俺は本当に野中広務氏を尊敬しているので、こんな下種野郎を糾弾するのに引き合いに出されるのは大変残念だ。

160515 68万PV超:(高橋源一郎の「歩きながら、考える」)沖縄が声一つに、求め続けた憲法

2016年05月16日 22時44分16秒 | 閲覧数 記録
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朝日デジタル(高橋源一郎の「歩きながら、考える」)沖縄が声一つに、求め続けた憲法  2016年5月14日05時00分
写真・図版
米軍の新しい飛行場建設が計画される沖縄・辺野古の周辺を歩く。重低音を響かせて、頭上にヘリコプターが飛来した=沖縄県名護市

  3月まで「論壇時評」を連載していた作家の高橋源一郎さんが、憲法記念日に合わせて沖縄県を訪れました。米軍基地と向き合ってきた人々の歴史、日本国憲法の意味を問う市民の声。沖縄で憲法を考える旅から見えたものは……。寄稿をお届けします。
  天気予報ははずれて、抜けるような青空が広がっていた。
  憲法集会に出席した翌日、世界遺産にもなった、古琉球のグスク(城)の遺跡の一つ、勝連城跡に登った。13世紀前後に作られた城の壁は、優雅な曲面を描き、目にしみるほど赤い花に彩られたその姿は、どこか異国の建物を思わせて、息を呑(の)むほど美しかった。
  城の頂上に登ると、遙(はる)か遠くまで海が見えた。太古の時代、その海を通り「やまと」まで北上していった人たちがいたのだろうか。
  柳田国男は晩年、日本人の祖先は、遠い南方から、沖縄の島づたいにやって来たのではないかと書いた。その中で、島に残った人たちは、そこで生き、やがて日本本土とは異なる歴史と文化を持つ一つの王国を作り上げた……その仮説は、いまも不思議な魅力をたたえて存在している。
  わたしが出席したのは、毎年、憲法記念日に開かれる大きな集会だった。その中で、一場の寸劇が演じられた。途中、役者たちは、日本国憲法について論じ合う。
  「『憲法第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する』。けれども、憲法制定を議論した国会に沖縄の代表はいなかった。米軍の統治下にあった沖縄は、議員を送ることができなかったからだ」
  あるいは、こういうことばも。
  「もし、日本が憲法9条を捨てるなら、沖縄はその9条を掲げて独立したほうがいい!」
  こんなセリフが役者の口から出るたびに、場内から、大きな拍手や口笛が、あるいは、ためらいがちな拍手が起きた。
  沖縄について考えるとき、たとえば、基地問題は保守と革新で対立しているのだ、というように思われがちだ。
  だが、実際には、保守が基地依存派で革新は基地反対派、と単純に分類することはできない。そして、ときに、政治的な立場を超えて、沖縄は一つの声になろうとする。
  2007年、沖縄戦における「集団自決の強制」という記述が、高等学校歴史教科書から、「日本軍の命令があったか明らかではない」として削除・修正させられた。この検定結果を撤回するよう求める決議は、沖縄のすべての市町村で可決された。
  あるいは、沖縄の本土「復帰」を目指した「沖縄県祖国復帰協議会」にも、初期には、保守的な性格の団体も加わっていた。
  当時の記録を読むと、敗戦で日本から切り離された彼らが共に目指したのは、なにより、本土に「復帰」し、日本国憲法が自分たちにも適用されること、そのことで、奪われていた平和と人権を獲得することだったことがわかる。沖縄の人たちが、党派を超えて戻ろうと願ったのは、単なる祖国日本ではなく、「日本国憲法のある日本」だったのだ。
  1972年の本土復帰の数年前、突然、うるま市の昆布という地域の土地を接収する、と米軍が通告した。数年にわたる反対闘争が起こり、やがて米軍は土地の使用を諦めた。当時まだ二十歳(はたち)そこそこだったある女性は、忘れられないこんな光景を話してくれた。
  あるとき、アメリカ兵たちが行軍してきて、反対派の小屋に向かって、石を投げ始めたのだ。その頃、沖縄は「ベトナム戦争」への米軍の出撃拠点だった。まるで、その「戦争」が、直接、持ちこまれたかのようだった。
     *
  いま、米軍の普天間飛行場の辺野古移設をめぐって、大がかりな反対運動が起こっている。辺野古のゲート前で座りこみを続けるある男性は、こんなことをいった。
  「米軍は表には出てきません。わたしたちが反対のために座りこむと、機動隊が排除のために出てきます。当初は沖縄県警の機動隊でした。最近では、東京の警視庁から来た機動隊がその役目を担っています」
  なにより印象的なのは、東京から来た機動隊は、ときに「笑いながら」、反対派を排除してゆくことだ、と男性はわたしに呟(つぶや)いた。それは沖縄の機動隊員には見られない表情だった。
  「アメリカ」の代わりに、自分たちの前に立ちはだかる「日本」。その「日本」は、戻りたいと切望した「日本国憲法のある日本」なのだろうか。
  鶴見俊輔がアメリカに留学中、日本とアメリカの間で戦争が始まった。鶴見は、敵性外国人として捕虜収容所に入れられていたが、そこで、日本に戻るか、と問われ、「戻る」と答えた。鶴見は、戦争を遂行しようとしている祖国日本に反対していた。それでも戻ろうとした理由について、こう書いている。
  「日本語……を生まれてから使い、仲間と会ってきた。同じ土地、同じ風景の中で暮らしてきた家族、友だち。それが『くに』で、今、戦争をしている政府に私が反対であろうとも、その『くに』が自分のもとであることにかわりはない。法律上その国籍をもっているからといって、どうして……国家の権力の言うままに人を殺さなくてはならないのか。……この国家は正しくもないし、かならず負ける。負けは『くに』を踏みにじる。そのときに『くに』とともに自分も負ける側にいたい、と思った」
  鶴見は、「国(家)」と「くに」をわける自分のこの考えは、なかなか理解されにくいだろうと書いている。鶴見が戻った戦争中も、そして、現在でもなお。
  だが、沖縄にいると、鶴見の、そのことばが、わかるような気がする。
  沖縄の人たちが守ろうとしてきたのは、そこで生きてきた、自分たちの土地、そこで紡がれてきた文化だろう。それは、彼らにとって「くに」と呼ぶべきものなのかもしれない。けれど、彼らが「くに」を守ろうと立ち上がると、その前に立ちはだかるのは、「アメリカ」という「国」、そして、彼らを守るべきはずの「日本」という「国」だったのだ。
  沖縄で見せる、この「国」の冷たい顔は、わたしたちに、「国」とは何か、ということを突きつけているように思えるのである。
  ベトナム戦争が続いていた60年代半ば、合衆国憲法で保障されているはずの黒人の権利、とりわけ参政権を求めて戦っていたアメリカ公民権運動の活動家、フェザーストーンは日本中を講演して回った。アメリカ軍政下にあった沖縄にも渡った。旅の感想を訊(き)かれた彼は、簡潔にこう答えた。
  「日本は、沖縄と沖縄以外の部分と、その二つにわかれている。それだけだ」
  彼は、遠い異国を歩き、考えたのだ。アメリカの黒人たちと同じように、抑圧される人たちがここにいる、と。それから半世紀、いま生きて、彼が沖縄を再訪したなら、どんな感想を抱くだろう。
     ◇
 「沖縄が日本の一部でなかった時代も想像したい」という高橋さんの発案で訪ねた古城。この地は誰のものか、考えさせられました。シリーズ「歩きながら、考える」(随時掲載)は、高橋さんが現場を訪ねつつ時代を考察する寄稿企画です。(編集委員・塩倉裕)

160515 ジョン・フォード監督「駅馬車」(1939:モノクロ:日本語字幕)感想4+

2016年05月16日 00時29分30秒 | 映画・映像
5月15日(日):    

 立ち寄った図書館で偶然上映会に出くわして「これも御縁だ」と思い参加した。題名だけは聞いたことがあったが、文字通りの鉄道の走る前のアメリカの大平原の交通手段「駅馬車」のありようを知ることができた。99分間。時代は1885年ティピカルなアメリカン西部劇だった。先住民への差別・偏見はもちろんあるが、登場人物の造形やストーリー展開がとてもよくできていた。スタントのアクションもなかなかのものだ。フランスなんかの映画と違って、アメリカの映画はつくづくわかりやすい。

ウィキペディアより:【ストーリー】

ジェロニモがアパッチ族を率いて居住地を出たという情報が飛び交っていた頃、アリゾナ州トントからニューメキシコ州ローズバーグに向かう駅馬車が出発した。乗客は町から追放された娼婦ダラス(クレア・トレヴァー)、アルコール中毒の飲んだくれ医者ブーン(トーマス・ミッチェル)、はるばるバージニアから来て夫のマロリー騎兵隊大尉に会いにいく貴婦人ルーシー(ルイーズ・プラット(英語版))、小心者の酒商人ピーコック(ドナルド・ミーク)であった。出発の際に南部出身の賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)が「マロリー夫人の護衛」として乗り込んだ。御者のバック(アンディ・ディバイン)とカーリー・ウィルコック保安官(ジョージ・バンクロフト)が加わり、合計7名で駅馬車は出発する。

さらに出発してすぐにトントの町はずれで銀行家ヘンリー・ゲートウッド(バートン・チャーチル)が駅馬車に乗り込んできた。彼は5万ドルを横領し、ローズバーグへ逃げて雲隠れするつもりであった。駅馬車が砂漠にかかる時、突然銃声がして馬車が止まった。ライフルを軽々とクルリと回して現われたのは脱獄囚のリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)であった。保安官カーリーと御者バックはリンゴ・キッドとは旧知の間柄であった。リンゴが脱獄で500ドルの懸賞金がかけられていることも知っていたが、彼が父と兄弟を殺したプラマー兄弟に敵討ちをするためにローズバーグへ行くことも予知していた。そしてカーリーはリンゴがローズバーグに行くことを予想してこの駅馬車に乗ったのだった。「リンゴがプラマー兄弟と決闘しても殺される」に決まっていると考え、ライフルを取り上げてリンゴを逮捕した。リンゴの父とは同じ牧童仲間で父親代わりであったカーリーにとって、逮捕することがリンゴを安全にする方法であった。また皮肉なことに同乗した飲んだくれ医師ブーンは、かつてリンゴの殺された弟を治療したことがあった。

駅馬車は最初のステーションであるアパッチウェルズに到着する。ここでトントから随行してきた護衛の騎兵隊との交代の部隊がいなかった。ジェロニモがアパッチ族を率いて居住地を出た情報がある中、護衛なしで前進してローズバーグを目指すか、引き返すかの投票が行われ、ローズバーグに向かうことに決定する。

道中の馬車の中で、賭博師ハットフィールドはさかんにルーシーのために気を使い、ルーシーに銀のカップを差し出す。ルーシーはそのカップを見て「これはグリーンフィールド家の紋章では?」[2]と問う。ハットフィールドはどこかで賭けて儲けたものと云う。ダラスに対しては皆の目は冷たく、無視されている。そのことでリンゴが怒ったりしていた。また酒商人ピーコックが販売拡大の営業のため持ってきたサンプルの酒が、飲んだくれ医師に飲まれてしまう。

次のステーションであるニューメキシコのドライフォークに到着するが、ここでメキシコ人のクリスから「マロリー大尉が負傷してローズバーグに運ばれた」と伝えられてルーシーは倒れる。ルーシーは妊娠していてショックで産気づいてしまう。メキシコ人の牧童たちがジェロニモの襲撃を恐れて夜のうちに逃げ出し、クリスの妻も姿をかくしてしまう。飲んだくれ医師ブーンがコーヒーを浴びるように飲んで正気に戻り、ダラスの助けもあって無事にルーシーは女児を出産する。リンゴは道中親しくなったダラスにプロポーズし、一緒にメキシコに住もうと誘うがダラスは答えなかった。そしてダラスに励まされ、リンゴは敵討ちを諦めメキシコに逃げようとして、アパッチの狼煙(のろし)を発見する。狼煙は襲撃の合図であった。リンゴはメキシコ行きを諦める。そして駅馬車はドライフォークから川の渡し場に行き、川を渡ってローズバーグを目指そうとした。

だがすでに渡し舟を含め川の渡し場全体が焼討ちにあっていた。そこで駅馬車に筏をつけてそのまま浮かして川を渡りきり、難関を突破した。渡っている間にアパッチの襲撃はなく、一同は安堵するが、渡し場でアパッチの光信号のようなきらめきを見たハットフィールドは警戒を続けていた。危機が去ったとして終着駅がもうすぐだとしてブーンが祝杯を挙げようとしたその瞬間、突然弓矢が飛び込みピーコックの胸に突き刺さった。ついに総攻撃をかけてきたアパッチ族に、駅馬車の男たちは必死に応戦する。バックは腕を打たれ、リンゴが先頭馬まで飛び移り手綱を引いた。やがて弾薬が底をつき、ハットフィールドは最後の一発をルーシーに向けた時、アパッチの流れ弾に撃たれて命を落とす。その直後にラッパの音が聞こえ騎兵隊が到着し、危機一髪で駅馬車は難を逃れた。結局一人の犠牲者と二人の負傷者と共にローズバーグに到着する。

ローズバーグに着いてから、リンゴはカーリーに「10分だけくれ、絶対に戻るから」と云う。カーリーはライフルを渡して「弾は無いぞ」と云う。しかし実はリンゴは3発だけ隠し持っていた。ダラスにも「きっと戻ってくる」と言い残してプラマー兄弟のいる酒場に一人向かった。酒場ではルーク・プラマーがポーカーをしていて、リンゴ・キッドがやって来たと知らされて、その場に捨てたポーカーのカードはAと8の黒のツー・ペア[3]であった。ルークを筆頭とするプラマー三兄弟はリンゴと酒場の前でにらみ合う。一瞬の銃撃戦の末、酒場に再びルーク・プラマーが戻ってきた。ルークはカウンターに近付いた瞬間に床に倒れた。 リンゴは無傷でダラスの元に戻ってきた。カーリーとブーンが馬車を用意していて、リンゴはカーリーにダラスを牧場まで送るように頼む。カーリーはダラスもリンゴも馬車に乗せて送っていくことにすると言う。そういった後にブーンと馬車から降りる。カーリーとブーンは馬に石を投げ、「彼ら(リンゴとダラス)を文明から逃がす」のだった。カーリーはブーンに「一杯おごるよ」と誘い、ブーンは「一杯だけな」と答え、ダラスとリンゴの二人が乗った馬車は荒野へ去って行った。




160515 何度目だろう?山田洋次監督「学校Ⅱ」(1996) 感想4

2016年05月15日 21時49分53秒 | 映画・映像
5月15日(日):  

久しぶりに観た。学校シリーズの中では、一番出来が悪い作品だと思うが、高等養護学校という存在と、そこで働く教師の考え方を世の中に広げる大きな意味のある作品だ。「男はつらいよ」や「釣りバカ日誌」などの喜劇のシリーズを多作しながら山田洋次監督は、世の中に必要なメッセージをたくさん送り届け、世の中に必要な作品もたくさん作り続ける。正しいことは、たくさんの笑いを送り届ける中で一緒に伝える。真面目な顔で正しいことを話すのは不粋の極み。伝わるモノも伝わらない。どこかに遊びが必要なのだ。志の高い喜劇作家こそが最も良き存在なのだと思う。井上ひさしを思い出した。二人には通底するところがある。

ウィキペディアより:高等養護学校を舞台に、重い障害を持つ生徒と軽い障害を持つ生徒の交流・葛藤、就職問題等を入学から卒業までの、3年間の出来事を描いた作品。
ストーリー
留別(りゅうべつ)高等養護学校では、様々な障がいを持つ生徒たちが寮生活を送りながら教育を受けている。2年前この学校に入学してきたのは、いじめに遭って以来一言も話さなくなった高志や言語障害と歩行障害がある佑矢たち。彼らを受け持つのは、クラス担任の竜平とそれをサポートする玲子、それに新人教師・小林の3人。佑矢は特に手のかかる生徒で、すぐに暴れ回るため小林はつきっきりでその対応に追われる。竜平たちは長い月日をかけて生徒との関係を築いていく。しかし3年生になった高志はある日、佑矢を連れて「買い物へ行く」と寮を出たまま失踪する。
Amazonレビュー:
北海道の小さな町にある養護学校。リュー先生(西田敏行)のクラスには、知恵遅れで心を閉ざした高志(吉岡秀隆)や、障害の重い佑矢(神部浩)などがいて、新任の小林(永瀬正敏)はノイローゼ気味だが、そんな彼らを玲子先生(いしだあゆみ)は常に優しく見守っている。やがて高志たちは差別に満ちた厳しい世間の現実を思い知らされていくのだが……。名匠・山田洋次監督が『学校』の好評を受けて、舞台を養護学校に移して描いたヒューマン映画シリーズの第2弾。ここでは障害児問題という重いテーマに真正面から取り組んでいるが、最後には気球を用いてファンタジックに映える設定も用意されている。公開時はそこに賛否が分かれたが、あくまでも映画は娯楽であるという基本を崩すことなくテーマ性を揺るがすこともない山田監督の姿勢は認めていいだろう。障害児という難しい役柄を吉岡秀隆が熱演し、新境地を開いている。(増當竜也)


・あれ、佑矢、おまえちょっと、ケツ濡れてる? おしっこした? ちょっとお尻上げてごらん
 よいしょ よいしょ よいしょ ああしてるわ ああ (苦笑) ま ウンコよりましか
 ウンコもしてんだ? (がっくり)

・(学校の教育というのは)与えるとか、教えるとかじゃないんだよ。子どもたちから学んだことを返してやる。そういうことなんだよ。俺たちの仕事は。

・(離婚して暮らす妻にあてて)僕たちは由香に多くのことを期待してはいけないと思う。僕たちだけではない。おばあちゃんや学校の教師がこの娘に独り善がりな期待を抱くことが、本人にとってどんなに大きな負担であるかを思ってやるべきだ。僕たちができることは、あの娘に寄り添ってやることだと思う。どうかあの娘に過大な期待をかけて苦しめないでほしい。あの娘にどんな花が咲き、どんな実がなるのかを知っているのは、親や教師ではなく本人なんだから。離れて暮らす父親の心からのお願いです。

160510 一年前:150510日本人はなぜ戦争へと向かったのか第3回「“熱狂”はこうして作られた」桐生悠々

2016年05月10日 21時37分33秒 | 時々刻々 考える資料
150510日本人はなぜ戦争へと向かったのか第3回「“熱狂”はこうして作られた」感想5 桐生悠々と無恥曽我豪
5月10日(日): NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回「“熱狂”はこうして作られた」(初回放送:2011年2月27日放送 49分)を観た。現在のNHKで...


160510 新屋英子さん、逝去。その死を悼み、ご冥福をお祈り申し上げますm(_ _)m。

2016年05月10日 21時21分38秒 | 日記
5月10日(火):       

 若い時に、新屋英子さんの一人芝居「身世打鈴(シンセタリョン)」を観たことがある。映画「学校」のハルモニ役も素晴らしかった。この人にしかできない仕事を貫いた人だ。偉い人だと思う。心からご冥福をお祈り申し上げますm(_ _)m。

朝日デジタル俳優の新屋英子さん死去 在日コリアンの一人芝居  2016年5月10日13時27分
 新屋英子さん(しんや・えいこ=俳優、本名鶉野英子〈うずの・えいこ〉)が2日、肺炎による心不全で死去、87歳。葬儀は近親者のみで営んだ。後日、「偲(しの)ぶ会」を開く予定。
 代表作の一人芝居「身世打鈴(シンセタリョン)」は、植民地支配下の済州島から日本に渡った在日コリアンのおばあさんの身の上話で、上演回数は2千回を超えた。94年に劇団野火の会を創立。大阪府富田林市を拠点に活動し、「戦争はあかん」「差別はあかん」のメッセージを発し続けた。昨年には女優生活70周年記念の舞台に立った。


5 055 成田龍一「近現代日本史と歴史学」(中公新書:2012)感想3、評価4+

2016年05月09日 23時46分36秒 | 一日一冊読書開始
5月9日(月):   副題「書き替えられてきた過去」

296ページ   所要時間 1:45    アマゾン 295(38+257)円

著者61歳(1951生まれ)。

著者は俺が信頼する歴史家の一人。鹿野政直の系列の歴史家だが…、

歴史とは結局歴史家の選択を含めた解釈の問題だから、敗戦のような劇的な変化ではなくても、戦後日本の歩みの中で近現代の日本史の枠組み(パラダイム)が変化しているのだから歴史像も変わってきているはずだ、という問題意識に基づいて近現代の日本史解釈の変遷を幕末から現代にいたるまで順番に点検していった「史学史」の労作である。

そう、確かに労作だが、今回1ページ15秒は厳しかった。ところどころ飛びつこうとして隙間を捜したが、取りつく島がなかった。辞書のようにできるだけ広くコンパクトに叙述するのが徹底していて、眺めるだけでは掴まれない。結局、著者の言いたいことを味わえたのは、わずか7ページの「あとがき」だけだった。逆に、このあとがきを先に読んでおくべきだった。本書には、またの機会にきちんと時間をかけて再度挑戦してみようと思う。

著者によれば戦後少なくとも近現代史の枠組み(パラダイム)は3度変わっている。それは、教科書、大学での専門の講義、歴史家たちの研究に対応しているそうだ。

紹介文:近代日本の始まりは、ペリー来航ではなく、かつては天保の改革とされていた。高度成長期の公害問題が起こるまで、田中正造は忘れられた存在だった――。歴史は、新史料発見・新解釈により常に書き替えられる。特に近現代史は、時々の政治・社会状況の影響を受けてきた。本書は、マルクス主義の影響下にあった社会経済史をはじめ、民衆史、社会史という三つの流れから、近現代の歴史がどのように描かれ、修正されてきたかを辿る。

目次 : 序章 近現代日本史の三つのパラダイム/ 第1章 明治維新1―開国/ 第2章 明治維新2―倒幕/ 第3章 明治維新3―維新政権/ 第4章 自由民権運動の時代―変わる評価の主体/ 第5章 大日本帝国論―国家と天皇制の解明/ 第6章 日清・日露戦争の時代―一八九四~一九一〇年/ 第7章 大正デモクラシー期―一九一〇年代~二〇年代/ 第8章 アジア・太平洋戦争の時代―一九三一~四五年/ 第9章 戦後社会論―同時代史の解明

160508 気が付けば一週間、是枝裕和監督「海街diary」DVDをずっと繰り返し観ている。感想5

2016年05月09日 02時07分15秒 | 映画・映像
5月8日(日): 
    
 気が付けば、この一週間様々な作業をしながらBGM的に映画「海街diary」DVDをずっと繰り返し観ている。まだ谷崎潤一郎の「細雪」は読んでいないが、現代版の四姉妹作品である。細やかな感情の機微が丁寧に描き込まれている。観ているとじんわり気持ちがほぐされていくようですごく良い作品である。優しい気分になれる。本当にすごくいいです。

 是枝裕和監督って「そして父になる」しか観てなかったけれど、冷酷なトカゲ顔の高市総務相によるTV局への不法な恫喝発言をBPO委員としてしっかり批判したことも含めて、今一番信頼できる表現者のひとりだと思う。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)