もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

131130 パンドラの箱は開かれた。野田佳彦前民主党内閣の責任だ!絶対に野田・前原をゆるさない!

2013年11月30日 13時38分42秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月30日(土):寝起きの頭が冴えているうちに、最近の世相に対する感慨を記しておく。

アベノミクスというトリクルダウン経済理論の幻影で我々の生活は本当に、豊かに、楽になったのか? 答えはまったく否だ。確かに1年前から、株価はほぼ倍増した。しかし、我々庶民の給料はまったく増えていないどころか、競争を煽られ、まだ削られる続けるだろう。そして、消費税増税、医療介護・福祉政策の削減、TPP参加による保護の必要な第一次産業の切り捨て、そして東日本大震災被災者のことは忘れられようとしている。特に福島第一原発の放射能による被災者は<棄民>化が決定的となって国内ディアスポラとなった。

安倍晋三は今どこを見ているのか? いまだに原発推進の意識を転換できないまま、国内で稼働できない原発をアジアの途上国に売り歩いて日本の良識・誠実に対する国際的信用を根源的に貶めている。国内でも、原発の推進議連(会長細田某)と一体化し原発再稼働のチャンスを狙っている。

沖縄では、これまで歴代の政権が心を砕いてきた普天間米軍基地移設問題を、国民の支持なき国会の数の力で一気に辺野古移設を強行しようとしている。これは、沖縄の<棄民>化の固定化である。4月の主権回復の式典では、臨席の天皇夫妻に対して「天皇陛下万歳」の三唱を軽率にも首相が観衆と一緒になって行った。その時、天皇の顔から血の気が引いたそうだ。主権回復の日は、同時に<日本が沖縄を切り捨てた『屈辱の日』>でもある。万歳三唱は沖縄に対する深い思いを持つ天皇の気持ちを推し量らず、踏みにじる行為そのものである安倍晋三こそ<君側の奸>である。

安倍の中では、弱者は怠け者にしか映らない。世襲議員として何不自由なく育ち、まともに勉強もせず、社会の真相を知らず、関心すら持てず、エスカレーター式に神戸製鋼、父である代議士の秘書、代議士、官房長官、総理大臣、蹉跌、しかしその蹉跌を経て安倍が身につけて来たのは、国民への信頼ではなく、国民を欺くためのずる賢さだった。話し合いの大切さがわからないから、いくらでも強行採決ができる。

特定秘密保護法案という法律は、新聞、雑誌、テレビ他で内容を理解すればするほど、思っていた以上に民主主義に対する破壊力が大きいことに、俺は呆然となり始めている。中国の脅威が喧伝され、アメリカとのより高次の同盟関係が必要だと言ってみても、まず自由にものを見、聞き、発言できる社会が前提だ。国家のために国民がいるのではなく、国民のために国家があるという当り前の道理が先だろう。昨夜のニュースで、「原発に関わることは、ほとんど安全保障に関わるので特定秘密ですよ。事故でどこに放射能のホットスポットがあるのかも秘密ですね」というのを聞いて正直ゾッとした。この法律が成立すれば、憲法の外堀が埋められることにもなる。ただでさえ三権の中で、行政権力が強過ぎる傾向があるのに、この法律によって決定的に行政府独裁秘密国家になってしまうだろう。

安倍晋三は、すべて信念と善意でやっている。しかし、愚か者の信念と善意によって国家の本質が変えられることは正直洒落にならない恐怖である。安倍晋三というパンドラの箱を開いたのは、松下政経塾の野田汚物・前原詐欺師らの前民主党内閣だった。そして、安倍晋三という愚者が、その意味も理解せず、特定秘密保護法案というパンドラの箱を開いてしまった。

それにしても、安倍内閣を支持する52%の有権者のほとんどが敗者のはずなのに、どうしていまだに支持しているのだろう。それとも、安倍を支持して利益になるお金持ちが日本社会には52%もいるということか?

いったい誰が、得をするんだ! エスタブリッシュメント(既得権益者集団)か? 強烈にうざい顔の日経連のタヌキおやじか? 中央官庁の官僚たちか? 既得権を持つ電力会社連合か? 

みんなの党の渡辺喜美にも正直心底失望した。もっともらしいことを言ってきたがこいつも所詮世襲議員で安倍と同じ穴の貉だった。家業として政治屋をしている世襲議員というのは、結局日本の政治に対してなんの責任感も理想も目的もない。ただひたすら国政をかき回して見せて、注目を集め続けること自体が自己目的化した集団だ。こんな連中が、過半数もいる自民党に何の期待ができるだろう。

残る3年間、待っているのはただ<絶望>しかない。3年後の総選挙までに民主党から野田・前原を排除するか、民主党が完全分裂を遂げて、老骨の横路・江田五月らにもうひと頑張りしてもらって、真のリベラル軸を形成するしかない。護憲、反原発、反秘密保護法、沖縄・福島・弱者・マイノリティの反<棄民>政策、多文化共生、日米同盟・自衛隊堅持(ただし集団的自衛権は認めず)、アジア外交重視などでまとまるべきだ。

小泉元総理の反原発、今すぐ原発ゼロ発言が、大きな波紋を呼んでいる。原発推進派は全力で抑え込んでしまおうとしているが、原発ゼロの大きなウェーブが起こるとのみ込まれはじき出される恐れがあるからびくびくしているそうだ。小泉元総理の発言の真意はわからないが、今はこの人の発言と行動力に期待したいし、支持もしたい。故障中の維持費だけで一日に5000万円かかるという高速増殖炉もんじゅは廃炉し、安倍がしがみつく核燃料サイクル計画を即廃止して、原発ゼロを実現して欲しい。原発立地自治体への経済対策なんて、桁がまったく違う小さな問題だ。自民党政調会長の高市早苗の夫の自民党原発推進派の山本拓が福井県選出だなんてブラックジョークでしかない。

ここまで書いて来て、自民・公明与党326に、下駄の雪のようにくっついた維新53とみんな18を合わせると397議席、残る野党が83で、衆議院480議席の3分の2である320議席をはるかに超えている。この数字が、日本国民の願いを反映しているとは到底考えられないが、我々は今まさに「戦争の惨禍によって得た最大の財産である<日本国憲法という宝物>」を失おうとしている、というおぞましい現実を目前にしている。息の詰まるような冷たい監視社会で、戦争の恐怖が日常化する社会がこの3年間で一気に作りあげられようとしているのだ。

もう一度問う。いったい誰が、得をするんだ! そして、国家は誰のために存在するんだ。

3 034 山本譲司「獄窓記」(新潮文庫;2003) 感想4

2013年11月24日 21時43分44秒 | 一日一冊読書開始
11月24日(日):

534ページ  所要時間 3:00      ブックオフ105円

著者41歳(1962生まれ)。元衆議院議員。2期目当選後の2000年9月(38歳)、政策秘書給与の流用事件を起こし、2001年2月に一審で実刑判決を受ける。執行猶予を求める控訴をせず、433日(1年4カ月)の獄中生活を送る。出所後、その体験を記したのが本書である。漢語が多くて、やや鼻につく文体は、刑務所での筆記字数制限によるものとのこと。

一昨日ブックオフで買ったうちの一冊。ページ数が多いので、速読練習にと、1ページ15秒を厳守で読んだ。目玉の上下運動で目が回りそうになるのに耐えて、終盤減速したものの読み通せてよかった。とりあえず、話の概略は追って、それなりに興味深く読むことができた。もっと時間をかけて読めば、感想5もあり得たかもしれないが、逆にゆっくりであれば、他の本を読んだか、本を読まない。いずれにせよ本書とは縁がなかったと思う。でも、いつかまた読み返しても良いかな、と思う。

内容的には、やはり刑務所の中を、囚人としてまさに臨場感を持って書いた作品は、他に類を見ないわけで、新鮮だった。獄中生活がきついのは当たり前だが、本書で仮釈放の日を指折り数えて待つ著者の耳目を通して見ると、やはり3K(きつい、きたない、きけん)の極致だ。看守の刑務官も、人によりけりだが、血気の若手などがどなり散らしてる描写はやはり息が詰まる。一方で、使命感を持って受刑者にもそれなりに丁寧に接する刑務官も多い。ただ、慢性的な受刑者数に対する刑務官数の不足は深刻な問題だ。

また著者が任された触法障害者受刑者の「指導補助」の役割が、精神病院の看護スタッフそのものであり、精神病院の一部が行き場のない障害者の「終(つい)の住まい」になってるのと同じように、刑務所もまた障害者の「終(つい)の住まい」になっている、と解説で指摘されていた。この体験を通して、著者は福祉・介護に目覚めていく。

遅れて辻本清美が、秘書給与流用事件を起こした時に、自己保身のために「私的流用をした著者とは違う」と著者の身に覚えのない虚偽の「私的流用」発言をマスコミで繰り返すのを知って怒った著者が、妻や弁護士と連絡をとり、獄中から辻本清美を訴える場面では、読む速度が遅くなった。辻本清美には失望した。

著者の仮釈放が、2カ月近く遅れたのは、辻本清美を獄中から訴えたことが、マスコミに取り上げられ、また田中真紀子の秘書給与問題も起こり、刑務所側が著者の存在にマスコミの注目が集まるのに神経質になったことがある。仮釈放のようなデリケートな問題には、世間の目が影響するのだ。辻本清美の著者への誠意無き謝罪はやはりイメージが悪い。

著者は、本書を書くことで社会復帰を見事に果たす。これは芸は身を助ける典型だろう。今のところ著者は、政界に復帰していない。


3 033 読書ノート:土田直鎮「日本の歴史 5 王朝の貴族」(中公文庫;1965) 感想5+

2013年11月24日 14時49分36秒 | 一日一冊読書開始
11月24日(日):書きぬきノートが多くなり過ぎたので、こちらに移します。

*冷泉天皇や花山天皇の記述を読んでいて、少し古い陽成天皇も含めて、もし今なら「学習障害」「ADHD」「自閉症スペクトラム」などの症状として記されるかもしれないなあ、と思った。。

*「以上が安和の変の概略の経過である。菅原道真の左遷の場合と同様に、この事件についても、密告の内容がどんなものだったのか、また、高明の罪状がどの程度の事実だったのか、具体的なことは一向にわからない。」37ページ。「高明の無実は当時の世評の一致して認めるところである。略/かれは大宰府に二年余を送って赦免にあい、流されてから満三年目の九七二(天禄三)年四月、帰京した。その後は、葛野に隠棲して九八二(天元五)年十二月、六十九歳の一生を終えた。略、かれはやはり悲劇の人であった。その出生・境遇・学才などからいって、かれも源氏物語の主人公、光源氏のある部分の有力なモデルと考えられている。」43ページ  光源氏の須磨配流の件か?

*「父たる者は、娘夫婦とは一緒に生活するが、息子夫婦とは決して同居しない。貴族の邸は多く娘に伝えられる。」背景にある母系を主とするかまどの禁忌(タブー)。102~103ページ

*藤原実資について、「当時全盛の道長にたいして、かれほどに堂々と対抗しえた者はなく、それもたしかに学識があり、言うことも筋が通っているのだから、道長にしてももっとも煙たい存在だったようで、道長もかれにたいしてはいろいろと気をくばったあとが見える。」138ページ。但し、女にはだらしなかった。

*「この機会にわたくしは一条天皇が英名の天子であったことを強調しておきたい」(161ページ)「実に一条天皇の宮廷は日本の宮廷の代表であり、そこに花開いた幾多の学芸は、王朝文化の精粋であると言える。」(175ページ)⇒後の大江匡房が、20の分野にわたって総計86人の名を挙げ「皆これ天下の一物なり」と記す。しかも、そこに紫式部と清少納言がまだ欠けている。

*道長の最晩年、彼の栄華を実現した親孝行な娘たちが次々と先立って行く中で「御ともにゐておはしませ(一緒に連れて行って下さい)」と号泣する道長の姿に深い人生の真理(諸行無常、盛者必衰、生者必滅、会者定離か?)を覚えた。436~437ページ

*「清少納言は、宮廷生活の徹底した賛美論者であった。略。いったいに彼女は上をあがめ、下をさげすむ気分をじつに率直に表明しているのであって、宮廷の身分秩序に、なんの疑問もいだかずに完全に同化してしまっている。」182~183ページ

*『古事談』に清少納言の末路に関する信頼度の高い逸話がある。「やれやれ、清少納言もひどいことになったものだなあ」の声に、簾をかき上げて鬼のような尼姿をつき出し、「駿馬の骨を買わないの」と言い捨てた。これは「まず隗よりはじめよ」の一節である。清少納言さん、負けん気は健在!197~198ページ

*平安時代の子供の教育に「九九」が既に存在していた。

*陣定では、下級の者から順番に意見を言っていく。

とかく公式的に歴史を理解したくなる読者に、「そうは言ってもやっぱり人間同士、うまの合うのもいれば、合わないのもいるのよ」と著者は言い、道長と一条・三条両天皇との相性について語る。

具注暦…ああ懐かしい響きだ!

アマチュアとプロの違いは、多少の程度の差こそあれ、自分で原史料を読解し、操作する能力である。

*『御堂関白記』の解読の難解さ。群書類従の「弁官補任」、「公卿補任」

*刀伊の入寇について、「(現地で大変な被害を出した)この事件が朝廷に与えたショックは、おそらくきわめてわずかなものだったであろう。374ページ」「そこには、いわゆる政治理念というようなものはない。中央と地方の将来を考え、国政全般の動向を見ようとするような、政策もない。あるのはただ、そのときそのときに応じて、先例に従い、手続きをふんで、しかるべく処理し、あとの始末はやかましくいわないという現象だけである。375ページ」「摂関政治などといえばことごとしいが、わたくしは端的にいって、当時の政治はだらしのない、しまりのないものだと感ぜざるを得ない。摂関の権威は一見高いようだが、そこには専制的な威圧感はまったなく、いくらでもごまかしが通用する。中央は地方を軽んじ、地方は中央をあこがれつつもごまかしおおせようとする。人の行動にはそれぞれの立場があるから、後世から軽々しく是非の論ををもてあそびたくはないが、やはり当時の政治が拙劣なものであったことは、事実として認むべきであろう。376ページ」 やっぱり学者の目を通しても「やれやれ…」ってことなんだなあ。

*「そもそも大宰府の長官というものは、大宰帥であるが当時は帥には親王が任ぜられるのが例になっていた。しかしこれは名ばかりで、赴任せず、現地におもむいて実際の長官となるのは権帥か大弐であった。大宰府というのは、いわば九州全体を統率する小朝廷であり、外国の貿易の利得も多く、都落ちの形とはいえ景気のよい官であった。/大宰権帥と言うと、略、大臣を左遷するときの官名として使われるほうが有名であるが、略、左遷のときの権帥任命には、ちゃんと、実務には関与すべからずという但し書きのついた命令が出るのであって、その待遇も罪人扱いになるのである。」359~360ページ。藤原隆家の大宰権帥は、本人の希望によるものであり、しっかり実権のある職であった。大宰権帥の任期は五年で、隆家は善政を施し、おおいに人望を集めていた(大鏡)らしい。権帥の最終年に刀伊の入寇があり、「この隆家が大宰府官人や豪族をひきいて賊に当たったことは、当時としては最良の条件をそなえていたといえよう。361ページ」   藤原隆家って、単なる政治的敗者だと思い込んでいたが、復権してるし、けっこう中央でも、地方でも活躍して存在感を示してるし、全くそんな敗者的存在だけではなかったんだ! 勉強になった。

女房装束を、十二単とよぶのは不適切で間違いである

*「摂関政治なる者が、けっして専制的な強圧的なものではなく、むしろだらしのない、ゆるんだ投げやりな姿のものであったことは、このような集団陳情の流行や、これにたいする朝廷のやりかたを見てもわかる。つまり、陳情があった場合、頭からこれを却下することはなく、いちおう言いぶんは取り上げるが、さりとてけっして国司の責任をギリギリまで追求することもないのである。最悪の場合でも国司が交替すればそれまでのことで解任された国司もその後この一件が長く尾を引いてたたるような形跡がまったくないという、いたって中途半端な処置をとっている。このようなやりかたからも察することができよう。」429ページ

*「これら百姓の訴えによって国守が交替させられたことは、事実まれなことではないから、このよう集団陳情がまったく効果がなかったわけではないし、訴状が出ればこれを受理するのが、朝廷の一貫した方針でもあった。ただし、訴え出た百姓が処分を受けないのはいうまでもなく、訴えられた国司のほうも、けっきょくはたいしたしってんにもならずに、すべて諸事穏便にすまされてしまうのだから、度胸さえきめれば、受領は相当な荒かせぎができるはずである。そしてできるだけのものを集め、中央に出すものは極力口実を設けてごまかし、一方では直接権門に取り入って心証をよくし、将来の栄達をはかるというのが、当時の受領全般の風潮であった。」430ページ

*「往生要集はこんにちのことばになおせば、さしずめ『極楽往生の理論と実際』とでもいうような手ごろな書物であろう。けっして厖大な著作ではないけれども、その内容の充実、記述の要領よさはまったくみごとなものであるだいたい、むやみに大きな本を書くよりは、よく精粋をつかんで手ごろにまとめ、内容の充実した、しかも読みやすいものを作るということのほうが、はるかに確実で該博な知識と、明敏な頭脳とを必要とする仕事であることは、多少とも文章を書いた者ならば、だれでもおぼえがあろう。その点からすると、なるほど源信という人はたいした学僧であったに相違ない。」450ページ

3 033 土田直鎮「日本の歴史 5 王朝の貴族」(中公文庫;1965) 感想5+

2013年11月24日 04時12分21秒 | 一日一冊読書開始
11月23日(土):

488ページ  所要時間 10:35     ぼろぼろの蔵書
 22日(金) 187ページ  所要時間 3:35
 23日(土) 301ページ 所要時間 7:00

著者41歳(1924~1993;69歳)。東大名誉教授。当時の通説であった摂関家の政所が政治の中心であったとする「政所政治」論を否定して、依然として太政官を中心とした政務が行われていたことを立証したことで知られている(ウィキペディア)。確かに、本書中でも強調してそう書いてあった。

本の後ろに「1982.10.11(月) 読了」とメモがある。折に触れ、何度も見返してきたが、通読は31年ぶりである。1973年の文庫本初版を古本で買って読んだので、40年前の本ということになる。湿気と歳月のため、ページは黄ばみ、しわが寄り、相当傷んでいたが、読んでる途中表紙が外れてテープで修理するはめになったのにはマイッタ。

しかし、買い換えて読まなくて良かった。黄ばんでぼろぼろの文庫本だが、若かりし頃の俺が引き重ねて来た傍線があちこちにあり、懐かしさだけでなく、思考の跡がたどれて実際の理解にも大変役に立ったのだ。

昨日立ち読みした山本博文『歴史をつかむ技法』(新潮新書;2013)に、本書と第9巻「南北朝の動乱」(佐藤進一)が今なお歴史書の基本テキストだ、と紹介されていたのが、再読のきっかけだった。そして、結論から言えば、山本博文氏は正しかった。元々、第9巻が名著中の名著なのは知っていたが、本書も名著中の名著だとしっかり確認できた。内容は、ほとんど古くなっていないし、今なお汎用性の高さが十分に維持されている。

理屈はともかく、10時間を超える読書となったが、そんなに苦痛ではなかった。新たな傍線を引きつつ、無数の付箋を貼りながら、懐かしくて楽しい読書になった。そして、いくつかの思い込みの間違いなどにも気付かされた。例えば、刀伊の入寇の時、大宰府権帥藤原隆家は、左遷ではなかったこと。また、都はパニックになったのではなく、無理解・無反応だっただけであることなど多数あった。

内容は、藤原道長(966~1027;62歳)の時代を中心に据えて、1053年平等院完成まで。まさに<摂関政治>のど真ん中を豊富なページ数でゆったり興味深く描いている。

著者41歳というのは、一番脂の乗り切った時期の著作である。『源氏物語』、『紫式部日記』、『蜻蛉日記』、『更級日記』、『小右記』、『御堂関白記』、多数の「郡司百姓等解文」、『大鏡』、『栄華物語』、『往生要集』他、当時の厖大な史料を駆使しつつ、エピソードもむき出しの史料ではなく読み易く噛み砕いた形で加工して掲載されている。

そして、戦後初めての?本格的歴史シリーズ(全26巻)の特権としてその後のスタンダードになる話題を前出書に気兼ねすることなく、思う存分に使用されていて、とにかく面白い。小難しい歴史の本を読んでいる、と言うよりは「楽しい読みもの」を読んでいる気分になれる本である。本書は、単に日本史の本にとどまらず、国文学で古典・古文を学ぶ人間にとっても時代背景を理解する上で基礎的参考書となると確信する。

目次:
源氏物語の世界/安和の変/道長の出現/家族と外戚/身分と昇進/中宮彰子/一条天皇の宮廷/清少納言と紫式部/儀式の世界/日記を書く人々/栄華への道/望月の歌/怨霊の恐怖/公卿と政務/刀伊の襲来/盗賊・乱闘・疫病/平安貴族の衣装/法成寺と道長の死/浄土の教え/欠けゆく月影

◎ウィキペディアにちょっと良い感じに面白いエピソードがあったので、載せておく。
1980年4月進学生歓迎会の三次会において、「これから遺言を話す。俺が死んだら紙に書いて国史の研究室に貼っておけ」と語ったという。
一、現代人の心で古代のことを考えてはならない。
二、古代のことは、古代の人の心にかえって考えなくてはならない。
三、俺は長い間、そうしようと思ってやってきたが、結局駄目だった。お前らにできるわけがない。ざまぁみろ。
古代のことを古代人の心で考えるというのは研究者として当たり前の態度であるが、土田ほどの碩学が駄目だったと正直にこぼした意味は深い。また、常々「俺は道長なんかと酒は飲みたくない」と語っていたという。

131123 「強者に阿り、弱者を理解できないまま切り捨てる」政治。3032「世襲議員のからくり」感想に加筆。

2013年11月23日 14時51分50秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月23日(土):以下、加筆・修正の上で再掲載しました。

ちなみに、世襲でない議員が<斬り込み隊長>のように痛々しいほど過激で非常識な言動を敢えてして自民党に忠誠心の強さを示し、世襲政治屋どもの露払いをするシーンをよく見かけるが、そんな時、「この人は、もっと知的で、ものが見えているはずなのにどうしてこんな過激な保守的言動をわざわざするのか。その姿を誰に見せてるつもりなのか。少なくとも国民ではないな…」「国民ではない誰かとは…?」と不思議でしかたなかった一世の政治屋さんの言動への疑問も解けた気がする。わかりやすい例としては、高市早苗だ。彼女は、安倍や麻生の苦労知らずのボンボンよりも、はるかに頭は良いのに、耳を疑うようなひどい保守的言動を繰り返し、政調会長まで上りつめた。高市は、女性という不利な条件も背負いながら、バックの無い中、自民党内でのし上がることだけが自己目的化して、自民党内の保守派長老たちに忠誠心を繰り返し示し続けることで、今では<保守・新自由主義モンスター>化してしまっている。それに比して、世襲政治家の野田聖子の言動には、自然なリベラル色と弱者へのまなざしが感じられる。これが地盤・看板・かばんを持つ者と、持たざる者の差だろう。

結局、一世の政治屋は、さまざまなしがらみの中、自らの意志で踏み絵を踏んで、絡め取られてがんじがらみの状態になることでしか、のし上がれない。女性の場合は、ハードルは一段と高くなるだろう。結局、良質な保守政治家が、一世の中から出てくるのは極めて難しい。

これも<世襲の弊>の最たるものだ。

一方で、民主党の<松下政経塾>出身の一世政治屋たちは、本人たちの志向によるのか、松下政経塾の教育方針によるのか、幼稚な新保守気取りで<第二自民党>化して、国民とのマニフェストを破り、逆進性の高い消費税増税、近隣外交失敗、原発の再稼働など、国民を<失望のどん底>に陥れた。

俺は、野中広務氏を尊敬している。京都の同和地区出身で地方議会から出発し、蜷川虎三の京都府で共産党王国と闘い続け、鍛え上げた政治家としての強靭さは半端ではない。一方で、保守の立場からの弱者への優しいまなざしを両立できている。村山・橋元・森・小渕内閣の頃、野中広務氏のバランス感覚と誠実さは、自民党と社民党の連立を支え、創価学会に恐れられ、公明党を味方につけ、日中・日韓外交でも、沖縄基地問題でも、国旗・国歌法問題でも、大政翼賛会への危機発言でも、当時はあまりよくわからなかったが、今振り返れば<保守政治の王道>を見せてくれた気がする。

野中広務氏に総理大臣の可能性が出た時、麻生太郎が自民党総務会で「部落出身の者が、総理大臣なんてありえないよなあ」と放言したことが、アメリカの新聞で驚きを持って取り上げられ、日本にいまだに<出自による差別>が濃厚に残っていると、大々的に報道された。その後、小泉・竹中政権の新自由主義に舵を切った自民党で、良質な保守本流の流れは全く影を潜め、ひ弱な世襲政治屋たちの時代が、民主党の中断を経て、継続している。特徴は、「強者に阿り、弱者を理解できないまま切り捨てる」政治だ。今、副総理を務める麻生太郎の「ナチスにならって憲法改正」発言は、断じて言い間違いではない。確信犯だ。世襲政治屋の歪んだ本質をさらけ出したものだ。

世襲政治屋どものことを考えると、何か、「出口の無いトンネルの中を歩き続けている」気がする。政治って、これほど希望の無いものだったのかなあ…。保守でも、革新でも、どちらでもよい。世の中を弱肉強食ではない方向に、少しずつでよいから前に進めてくれる政治家が欲しい。マッチョな維新は要らない。「日本を世界で一番企業が活動・投資し易い国にします」という安倍晋三は明白に日本をミスリードしている。新自由主義、弱者切り捨て、格差拡大、経済的徴兵制への道が見えている。

◎日本は一日も早く、原発という満州国から撤退すべし!

131122 本って高いなあ…。800円の新書にビビってしまう自分が悲しい。

2013年11月23日 04時26分35秒 | 日記
11月22日(土):

午後の出張が早く終わったので、大きな本屋さんに寄った。最近、ブックオフと街中の公立図書館しか利用しない俺にとって、選び放題の膨大な本の中で幸せな気分になれるのだが、やっぱり本って高いなあ…、一冊800円から1200円くらいするので、たくさん読みたい俺には手が出ない。でも、二冊の本がどうしても欲しくて仕方なかった。

山本博文『歴史をつかむ技法』(新潮新書;2013)798円

堤未果『(株)貧困大国アメリカ』(岩波新書;2013)798円

の二冊である。どちらも内容は折り紙つきである。図書館で予約すれば、時間はかかるが読むことはできるだろうが、自分の本として欲しいのだ。立ち読みと長い逡巡ののち、結局手が出なかった。その後、新しくできたブックオフ大型店に行って、1220円で7冊の本を買った。でも所詮、「今読みたい本」ではない。コストパフォーマンスで買っておく本である。短い人生、本ぐらい定価で買えばいいと思うのだが、ケチくさい、吝嗇になって萎縮している自分が悔しい。

帰宅後、年甲斐もない長時間の本屋のはしごに疲れて、家内の作っておいてくれた夕食を一人で食べて。すぐに眠りこけてしまい、11時頃目覚めた。

山本博文『歴史をつかむ技法』の立ち読みで、60年代の中央公論社「日本の歴史」(全26巻)の中で、第5巻「王朝の貴族」(土田直鎮)第9巻「南北朝の動乱」(佐藤進一)、70年代の小学館「日本の歴史」(全32巻)の中で第10巻「蒙古襲来」(網野善彦)第19巻「元禄時代」(尾藤正英)が、今なお歴史のスタンダードとして価値ある書であると紹介されていたが、俺は4冊とも蔵書として所有している。特に、前の二書は、何十年も前に読んでいる。

11:30から第5巻「王朝の貴族」(488ページ;土田直鎮)を読み始めた。3:05まで3:35読んだが、まだ187ページである。しかし、たしかに読み易くて面白い。まさに、今もこの分野の基本テキストであることに疑いはない! 歴史上のエピソードは、古くならない! のを実感した。最後まで読めるかは、わからないが、楽しもうと思う。

3 032 上杉隆「世襲議員のからくり」(文芸春秋;2009)感想4  

2013年11月22日 00時49分58秒 | 一日一冊読書開始
11月21日(木):

173ページ  所要時間2:10    ブックオフ105円

著者41歳(1968生まれ)。

丁寧に本書を読めなかったのは、著者に対して随分失礼なことをしてしまったと思う。安倍・麻生・福田政権を徹底的に批判していた頃、著者のメディアでの発言には、随分と楽しませてもらい、政治の裏を見る目を開かされたものである。最近は、あまりマスコミに出て来られないのが、随分と不満であり、また心配をしている。著者が、今後もっと活躍されることを願ってやまない。

本書の内容は、書名によって十分予想できるものだ。日本が、先進国とされる国々の中で異常に世襲議員が多い。例えば、自民党であれば現議員の40%―これでも大半が非世襲の「小泉チルドレン」によって以前より大幅に下がっている―。親が地方政治家や首長まで含めれば、自民党議員の51.6%が世襲だ、との数字もある(2003年)。

その後、世襲議員規制の問題はうやむやになり、自民党が、衆参両院で圧倒的数を占める2013年時点での世襲議員の比率は、さらに伸びていることだろう。アメリカの世襲議員の比率は5%、イギリス下院議会での比率は3%にも満たないそうだ。

常々、政治屋さんたちの感覚が、どうしてこれほど我々庶民とかけ離れているのか、弱者への思いやりと想像力の欠如など、不思議でしかたなかった

消費税、年金、生活保護、医療・介護、原発、集団的自衛権、特定秘密保護法、歴史に対する無知、庶民生活への無知、金太郎飴のようにステレオタイプの感覚。それらすべてを象徴する安倍晋三のとろんとした張りのない表情、こちらをハッとさせる新鮮さの全く無いガキっぽい視野の狭さ、マッチョを求めながら覆い隠せないひ弱さ。これらすべてが、圧倒的な世襲率の高さで納得できた。北朝鮮の金王朝を笑えない。一党独裁の腐敗した中国共産党政権を笑えない。日本の政治も、<55年体制>を上まわる<世襲の弊>を抱え込んでいるのだ。

「すべては有権者の責任」と言って済ませられないのだ。政治システムにぶ厚い世襲権益の壁が構造化しているのだ。現在の日本の政治家は、真の日本国民の代表ではない。ごく一部の世襲既得権益集団の代表なのだ。こんな連中に、国民の思いが理解できるわけがないのだ。

政治屋とそれを批判すべきテレビ局も共存関係にある。政治屋の子女が異常にテレビ局のアナウンサーに採用されている一事を見てもメディアに政治屋を根っこから批判できない裏のつながりがあることは間違いないのだ。

ひ弱な二世・世襲の政治屋集団は、日本をどこに連れて行こうとしているのだろう。現実は、極めて深刻で危うい所に我々は立たされているのだ。

本書の内容は、精読すれば、もっと高い評価もできる、と思う。

目次:
第1章 二世の投げ出しはなぜ続く/第2章 民主党の二世たち/第3章 からくりその1-政治資金管理団体の非課税相続/第4章 からくりその2-後援会組織の世襲/第5章 からくりその3-どんな無理もする「看板の世襲」/第6章 世襲大国日本/第7章 国民の意思が世襲を断ち切る

寝ます。

※11月23日(土):以下、加筆・修正の上、再掲載しました。

3 031 養老孟司・太田光「人生の疑問に答えます」(NHK出版;2007) 感想3

2013年11月19日 01時47分01秒 | 一日一冊読書開始
11月19日(月):

222ページ  所要時間 2:05        図書館

養老孟司70歳(1937生まれ)・太田光42歳(1965生まれ)。

図書館の返済期日が過ぎていて優先的に読んだが、久しぶりに毒にも薬にもならない印象の薄い本を読んだ気分である。

人生相談をネタに対談が行われている。養老さんは、ふだんより穏やかな語り口だし、太田さんも偉そぶる訳でもなくふつうに話している。違和感も覚えず、印象は、そんなに悪くないが、とりあえず心に響かないし、記憶にも残らなかった。

逆説的なようでいて、実は真っ当で、良いことを話してる気もするが、俺の頭の状態が悪かったのか…。目次を見て、ページをパラパラとくるとそこかしこに良いことが書かれている。読み難いわけでもなく冊数は稼げたのでこれも良しとするか…。感想3は少し申し訳ない。

目次 : ※コピペ
第1部 「自分」という壁を破るために(ダイエットに振り回された私/ 「夢」を捨てられない自分/ 不愉快なことがあると、家族に当たってしまう自分 ほか)
第2部 家族、子どもとどう向き合えばよいのだろうか(家族のために生きてきた私が突然、家族を他人に感じたとき…/ 子どもの教育に熱心になり過ぎてしまう私/ 子どもの育て方で夫と意見が合いません ほか)
第3部 本当に住みやすい社会・働きやすい会社とは(意見を聞いてくれない上司とのつき合い方/ 会社に振り回される家族の生活/ 定年後、仙人のような引退生活を楽しんではいけないのか ほか)

131118 福井原発事故、琵琶湖汚染予測。倒錯、馬鹿げている!なぜ、怯えながら原発に頼る必要があるのか?

2013年11月18日 20時49分25秒 | 日記
11月18日(月):備忘と思考のための記録。

琵琶湖面の2割汚染 滋賀県、福井で原発事故想定【 2013年11月18日 13時50分 】京都新聞

滋賀県は、福井県で原発事故が起きた際の琵琶湖への放射性物質の影響を初めて詳細に予測し、18日発表した。気象条件が最悪の場合、湖面の2割が飲料水基準を超える濃度で約10日間汚染されることが分かった。水道原水の基準はないが、琵琶湖は滋賀、京都、大阪、兵庫の4府県約1450万人の水源で、水道水に影響を与える恐れがある。放射性物質は浄水場で一定除去できるが、県は今後、実際の除去率の調査や対策を検討していく。

 県地域防災計画の見直しで県琵琶湖環境科学研究センターが予測した。大飯原発か美浜原発で福島第1原発と同規模の事故が起きたと想定。2010~12年度の風向きと雨で四季ごとに琵琶湖に最も影響が大きい日を選び、放射性物質のセシウム137とヨウ素131が、そのまま落ちたり、雨などと降下する量(沈着量)を計算した。

 最悪のケースは北西の風で雨が降った12年12月10日の気象条件で大飯原発が事故を起こした場合。高島市南部や琵琶湖の一部などで事故1日後のセシウム累積沈着量は1平方メートル当たり3千~5千キロベクレルと推定した。

 湖岸の各浄水場の取水口が多い表層(水深0~5メートル)で最も濃度が高くなるのは事故6時間後だった。セシウム濃度が国の緊急時の飲料水摂取制限基準(1リットル当たり200ベクレル)を超える面積が湖面の18%に達する。ヨウ素も同基準(1リットル当たり300ベクレル、乳児100ベクレル)を超える面積が20%になった。セシウムは10日後、ヨウ素は8日後に多くが沈み、面積は1%以下になる。

 飲料水基準は水道原水ではなく、浄水後の数値となっている。セシウムやヨウ素は浄水場で一定除去できるが、福島第1原発事故では、国が全国の水道事業者に降雨後の取水を一時停止したり抑制するよう通知。福島県や東京都で基準を超えるヨウ素が検出され、乳児の摂取制限が一時行われた。県内には琵琶湖を水源とする浄水場21カ所と琵琶湖疏水があり、県内14市町計約100万人と京都市145万人に水道水を供給している。

■嘉田知事「大変重たい」

 予測結果について滋賀県の嘉田由紀子知事は「最悪の事態での予測だが、大変重たい影響。浄水場で放射性物質がどの程度除去できるかを検討するよう県企業庁に指示した。関西広域連合とも情報を共有し、一番の関心事である水道水の浄化をどうするか考える」と述べた。





3 030 堤未果「アメリカから〈自由〉が消える」(扶桑社新書;2010) 感想4

2013年11月18日 01時36分32秒 | 一日一冊読書開始
11月17日(日):

200ページ  所要時間 3:00   ブックオフ105円

著者39歳(1971生まれ)。

帯文:「ここは中国?」と見紛うくらいアメリカは自由を失ってきている。/突然逮捕される! 言いたいことが言えない! まるで警察国家のようなことが、〈自由の国〉で頻繁におきている。『ルポ 貧困大国アメリカ』の著者が明かすその驚愕の実態。

本書は著者の著作の中では、ややまとまりに欠ける散漫な出来栄えである。感想は3が妥当かと思った。しかし、最後まで読むと、「特定秘密法案」「歴史教科書への政府介入」「解釈改憲による集団的自衛権」「原発再稼働」他、日本社会の右傾化、「言論・表現の自由」の危機的状況に対する問題意識がピッタリと重なっている。本としては、やや散漫でも、3年前によくもまあ現在の日本に対する予言的内容を提議できているものだ。すごい!、という思いを込めて感想4にした。

著者の感性と取材力のすごさは間違いないが、別の見方をすれば、如何に日本の政治がアメリカの政治の後追い・追随しているかの証明だ。日本の政治の将来の課題を考える場合、アメリカの政治状況を調べることが結局一番有効だということだ。安倍バカ自民を知るには、むしろアメリカ政府の意向を観るべきなのかもしれない。

憲法改正による集団的自衛権の承認という路線が、解釈改憲にトーンダウン(と言っても、断じて許せないが…)したのも、東アジアの中国・韓国と日本の緊張が高まるのを、親分であるアメリカが望まなかったからだという噂も、あながちデマではないのかもしれない。

本書の中で、2001年の9・11テロの直後に「愛国者法」が拙速に通過して以降、アメリカでは監視カメラが激増し、急速に「言論の自由」が封殺され、「特別軍事法廷法」「諜報活動取締法」が制定され、その流れは、オバマの時代になっても抑制されるどころか、そのままむしろ拡大強化されていった。そして、「令状なしの盗聴許可法」「海外情報監視法(FISA)改正案」、Eメール、ファックス、電話の盗聴は日常茶飯化し、マイケル・ムーアの政府批判もガス抜きにしか過ぎない。監視社会化の進行、米国内どころか海外にも盗聴の動きは強化されていっている。これなどは、ドイツ、日本といった同盟国にさえ盗聴が行われていたことで話題になった最近の事件を裏付けるものだ。

オバマは正義の味方ではない。ブッシュよりははるかにましであっても、合衆国大統領は権力者なのだ。そして、その権力に立ち向かう草の根運動の存在を紹介して、本書は終わる。アメリカでも大多数の国民は「愛国者法」の弊害・危険さにに気づいていないようだが、草の根の抵抗運動も確実に進められている。日本は、アメリカほど深刻ではない分、よけいに現在進められている「特定秘密法案」や「集団的自衛権」に対する危機意識が浸透していない。でも諦めてはいけないのだ!

*民主主義にとって最大の脅威とは〈戦争〉や〈安全保障〉の名の下に、司法、立法、行政などすべての権力が一箇所に集中することだ。(第4代大統領ジェームズ・マジソン)194ページ

*歴史を振り返れば、〈言論の自由〉は、それが最も必要とされる時に抑え込まれてきたということが見えてくる。196ページ。

〈愛国心〉というものは、星条旗を掲げることや大統領の言葉を鵜呑みにすることでは決してなく、政府に憲法の理念を守らせることに主権者として責任を持つことなのだと。198ページ

目次:
クリスマス・テロと拡大する警備・搭乗拒否リスト/乗客を裸にする「ミリ波スキャナー」/「過度なセキュリティ・チェックは単なるショーだ」/欧州諸国も次々に「ミリ波スキャナー」を導入/増え続ける監視カメラ/拙速に通過した「愛国者法」/安全保障への脅威から戦争へ/拷問のアウトソーシング/オバマ大統領の拷問禁止宣言/拷問には社会全体を沈黙させる効果がある/「特別軍事法廷法」/市民団体や学生、集会やデモが標的になる/教会や団体職員、学校がターゲットに/ナショナル・セキュリティ・レターズ(令状不要の召喚状)/科学者、大学教授が口を封じられる/子供たちもテロ容疑者に/逮捕されるジャーナリストたち/ネット世界が狙われる/政府の広報担当と化したジャーナリストたち/メディアのスクープに「諜報活動取締法」は適用されるか?/政府に雇われた偽軍事評論家たちとメディアの責任/政権交代後も続くEメール、ファクス。電話の盗聴/「政府の政策に反対する者がいたら通報してください」/「戦争VS平和」という図ではもうない/“言論の自由”を取り戻そうとする人々/「落ちこぼれゼロ法」と「リアルID法」に対する反対決議/ネット業界や書店による抗議運動/「抵抗の原動力は建国者たちの精神です」

3 029 石井光太「東京千夜」(徳間書店;2013) 感想4+

2013年11月17日 18時56分29秒 | 一日一冊読書開始
11月17日(日):

283ページ  所要時間 3:30       図書館

著者36歳(1977生まれ)。作家を志した大学(日大芸術学部)で、毎日3冊の本を読み、小説やシナリオを筆写し、文章を書くという修行を徹し、祖父の通夜にも出なかったそうだ。

帯文:人は、それぞれの物語を抱えて生きていくことしかできない。自殺、死後結婚、最後のセックス、ハンセン病、HIV、津波―。日本の悲しみの現場を歩く中で見つけた人生の結晶を、気鋭のノンフィクション作家が柔らかな視線ですくい取る。

読んでいて、圧倒的ではないが、沁み入るような味わいがある。晴れがましさの中で騒いでる人々とは、距離をとって静かに人間の悲哀に寄り添い、体験として自らの目で見た真実を大切に物書きをしている印象を受ける。当然、文章は身の程を知る謙虚さと、派手派手しい狂騒に踊らされない厳しさももつ。権力志向の百田尚樹とは対極の作風と見えたが…、どうだろう。感想は5でもよかったが、4+にしておく。

文章のうまさは、学生時代の修行の成果がよく表われている。静かに流れるように書かれた文章は、なめらかさとともに落ち着きがあり、純文学のような詩情を湛えている。36歳のルポライターの文章とは思えない。

問題を提示するが、切り開いて前に進む力強さはない。しかし、問題の存在を丁寧に指摘し、寄り添うことしかできないのが人間だ。知ろうとする、知らせようとすること自体が意味あることだ。

目次:
第1話 愛の渇望
 ステンドグラスの少女(全身入れ墨女性)
 屋敷のたに江(ごみ屋敷のADHD女性)
第2話 自ら命を絶つ日
 樹海の陽だまり(青木ヶ原樹海)
 死ぬ日はいつですか(自殺老人)
第3話 亡き人のための結婚式
 婚礼人形(青森)
 ムカサリ絵馬(山形)
第4話 ある家の幻
 冬に飛ぶ蠅(東大卒、ゼロ戦乗りだった著者祖父の死)
 夜光の川(子供の頃の、憑霊遊び)
第5話 愛と哀しみの病
 ポニーの指輪(HIVで別れた夫婦を繋ぎとめた犬)
 梅田、午前二時(両性具有のHIV患者の若者の売春)
第6話 隔離者の告白
 祭りの陰(三社祭で浅草寺に集うハンセン病の乞食たち)
 四国遍路(香川県大島青松園でカッタイ道他取材)
第7話 最後に抱いて
 生涯最後のセックス(脊髄損傷女性のセックス願望)
 処女で死ぬということ(17歳白血病少女の処女メール)
第8話 津波に遺されて
 妻として(消防団の英雄は、妻を助けようとしていた)
 夫として(優し過ぎる追悼文の真相)


*坂本さんは地面にもどした泥だらけのバッグを見下ろして言った。/「自殺を決めた人って不思議なんです。影が消えてしまうほど存在感がなくなるんですよ」61ページ

*「坂本さんは、ここで誰かが自殺したと知っていたんですか」/「いいえ、なんとなく、そう思ったからです」/「なんとなく思った? どうしてですか」/「陽だまりがあったからです。樹海に来た自殺志願者の多くは、せめて光の届く場所で死にたいと願うものなんです。だから、森で自殺遺体を捜す時は、一カ所だけ陽だまりになっているところをへ行ってみる。そうすると、大抵自殺遺体か、その痕跡が見つかるものなんです」68ページ

131116 大河「利家とまつ」総集編&第32回「炎上、勝家と市」を観た。

2013年11月16日 15時17分19秒 | 映画・映像
11月16日(土):

賤ケ岳の戦い後、秀吉(香川照之)が単独で越前府中城の城門前に現れ、利家(唐沢寿明)の府中城に入り、まつ(松嶋菜々子)の給仕するみそ汁を飲む。そこで改めて秀吉が利家と「五分と五分の友」の誓いを結び直す、と同時に利家が秀吉に臣従を誓うシーンは圧巻だった。

※自分の中の大河ドラマ観を振り返りたくなったので、2012.01.21.に書いた大河ドラマの記事を再掲載します。

しかし、大河ドラマで「室町時代」は、随分冷遇されている。1994年の「花の乱」は、主役の市川団十郎がプーで、ダメだったが、1991年の「太平記」では、あまりの出来栄えの良さに毎週日曜日齧りつく様にして観ていた。「南北朝正閏論は、NHKはん、どう描かはりますねん?」、「後醍醐天皇はやっぱりええでえ!、そやけどなんで正成の言うことちゃんと聞いたらへんのや」、「あんなに仲の良かった尊氏と直義兄弟やったのに、<観応の擾乱>は厳しいなあ」「陣内さんの佐々木道誉、洒落てて、いかしてる!」、終わった後も、録画した「総集編」は、何十回も見直してほとんど頭に入っている。

ここまで書いたので、ついでに、もみさんの歴代大河ドラマ・私的ベスト10を紹介させて頂きます。

第1位1977年「花神」
第2位1991年「太平記」
第3位1992年「翔ぶが如く」
第4位1987年「独眼竜正宗」
第5位1995年「八代将軍吉宗」
第6位2000年「葵徳川三代」
第7位1980年「獅子の時代」
第8位1978年「黄金の日々」
第9位1979年「草燃える」
第10位2002年「利家とまつ」
他の力作:1997年「毛利元就」
1976年「風と雲と虹と」
1993年「琉球の風」&「炎立つ」
1994年「花の乱」
2008年「篤姫」
etcである。
他にも概ね、1990年代までの作品は粒ぞろいだった。改めて順位付けするとなると、結構難しい。1位~4位は、ほぼ鉄板だが、それ以下は気分によって上下しそうである。

こうして振り返れば、一目瞭然で1970年代~90年代のNHK大河ドラマは、骨太の開拓者精神に富む制作を成し遂げていた!!!、ということが分かる。NHKには、現在の視聴者に迎合し、阿る制作では結局、後世に評価される仕事は残せない、ということと、資料収集・時代考証的に困難ではあっても、「飛鳥・白鳳」、「奈良・天平」、「平安(弘仁・貞観、摂関政治、院政期)」、「室町」、「大正」、「暗い昭和前期」などを、NHK自らが発掘して歴史のスタンダードを創造するんだという気概を持って欲しい

顔よりも、演技力で勝負して下さい。顔や、嘘くさいスウィーツストーリーもすぐメッキが剥がれます。日本の歴史は、視聴率の取れる「戦国」と「幕末」だけでは断じてない!、ということを、率先して表現して下さい。


今なら、2001年「北条時宗」、2012年「平清盛」、2013年「八重の桜」がまずまずだと思う。決め手は、有名でない部分を丁寧に再現していることだ。

S131116 現在1銘柄所持中。資金総額 147万6057円。4月の127万円から半年で20万円。下手の極み(;_;)

2013年11月16日 14時41分37秒 | 96万円からの株式投資
11月16日(土):

現在1銘柄所持中。資金総額147万6057円。4月の127万円から半年で20万円の増加。

1年前の12月27日に96円で売った5480冶金工10000株が、今や342円である。何もしていなければ、342万円になっていた。それを思えば、これほど不自然な上昇相場の中で半年もかけて20万円増というのは、もう下手の極み(;_;) 才能がありません。

131116 韓国の朴クネ大統領、日中韓を念頭に共同歴史教科書を提唱。小手先の政治はやめろ!

2013年11月16日 12時52分25秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月16日(土):

今朝の朝日新聞によれば、韓国の朴クネ大統領が、日中韓を念頭に共同歴史教科書を提唱したのだそうだ。この朴クネ大統領には、政治家としての資質に疑問を持たざるを得ない。日本の安倍バカを信用できないのは当然として、その後ろに親韓国の政治家、親韓国の日本国民が大勢いることを全く念頭に置いていない。非常に表面的な国際認識としか言えない。安倍などはほんの一時期日本の表面に付着してるゴミに過ぎない。背後の日本国民の韓国を見る悲しい目が見えないのだろうか。中華意識と崩壊寸前の共産党独裁下で格差・官僚腐敗を是正できない中国人が、韓国と本当に対等な信頼関係を結んでくれるとでも思っているのか。韓国内で、さすがに朴クネ大統領の対日政策の表面的な浅薄さに批判が出てきたことで追いつめられたのであろう。

日中韓を念頭に共同歴史教科書を韓国側から提唱することで、自らの体面を保ちながら日本との国交改善のきっかけとしたいのであろうが、なぜそんな小手先の猿芝居を演じる必要があるのか。日本の下村文科相は早速賛意を表し、韓国の顔を立てているが、そんな共同歴史教科書がこの自民党政権との間で実現できる訳がないのは、誰の目から見ても明らかだ。まさに侮辱的な猿芝居を、安倍バカの後ろに広がる親韓国の日本国民に見せて白けさせている。この提案であれば、共同歴史教科書作成に日本側が不誠実だとひと言言えば、すぐに逃げ出すことができる。韓国の人々だって、その程度の猿芝居の仕掛けはわかっているだろう。

朴クネ大統領の振る舞いは、誠心外交とはとても言えない。ずるい猿芝居だ。本来正義を持っていると考えるならば、堂々とそれを主張しながら、安倍バカ政権と交渉し、主張してゆけばよいではないか。安倍バカしか見えずに、日本国民の対韓国のまなざしとその変化に目を向けない朴クネ大統領は、小手先の弱い政治家であり、この程度の政治家しか持てない韓国は、安倍バカ程度の首相しか持てない日本と同じくらい不幸だと思う。そして、中国はそもそも現共産党独裁体制に全く未来はない。中国崩壊時の大混乱の波を、平和・無事に乗り越えるために日本と韓国、アメリカの同盟関係の結束がどれほど大切かを考えるべきだ。

朴クネ大統領は、日本を悪者にして、国内の批判から逃れようとするずるい小手先の政治を即時にやめて、正々堂々と主張すべきは主張して、日本との関係改善に向かうべきである。

3 028 藤原聖子「世界の教科書でよむ〈宗教〉」(ちくまプリマー新書;2011) 感想3+

2013年11月16日 02時32分22秒 | 一日一冊読書開始
11月15日(金):

191ページ  所要時間 2:25        図書館

著者48歳(1963生まれ)。東大の先生。

感想3+は、評価ではない。評価はもっと高いはずだ。しかし、夜10:40から読み始めた(~1:05)読書は、睡魔はなんとか凌げたが、書かれた内容にその場で反応するので精一杯、すぐ忘れるのを続けるばかりだった。

付箋を少ししたが、「読んだけれども、読んでない気分」なのと、少し感情が枯れてきているのか、新知識に感動できない。

キリスト教5カ国、イスラム教2カ国、仏教1カ国、キリスト教・仏教1カ国(韓国)の「宗教」教科書を分析し、「宗教」教科書に込められた各国の宗教事情と少数派の宗教との融和をはかる宗教政策を推し量る。

教科書という題材自体の安直さと、「十字軍」の評価比較をはじめ著者の日本での社会科教育・歴史教育に対する不完全だという偏見・思い込みが強く感じられ、本書の分析全体に少しバイアスがかかった感じの不信感を拭えない。しかし、全く異なる言語の国々の教科書を翻訳分析するのは、やはり労作として有用性に目を向けるべきだろう。

*日本人に限ったことではないのですが、祖国を離れ、全く別の文化・社会のなかに飛び込むと、逆に先祖伝来の伝統文化や習慣を守りたくなる。37ページ

イギリスは、すべての宗教を受け入れることにより教育の中立を保障し、フランスは、すべての宗教を学校から排除することにより教育の中立を守ろうとする。

フランスの政教分離は特に厳格で、「ライシテ」とよばれる。

旧東ドイツ地域は、無宗教の人が圧倒的に多い。

カトリックは公然と女性差別している。例えば、女性の神父を認めない。しかし、逆に韓国では、儒教による封建制から身分差別・女性差別をなくすのにカトリックが役立った。

トルコの政教分離は、やはりすごい。

*フィリピンの国土面積は総計では日本の0.8倍ですが、7000異常の島にわかれており、(教科書によれば)87の言語が話されています。方言ではなく、異なる言語として認識されているほどの多様な言葉が、その広さの中に存在しているのです。それに加えてミンダナオ紛争のような宗教対立もあるため、フィリピンの学校教育の大きな課題は、多様な人々を一つの国民としてまとめることにあります。略。宗教科はないため、日本の社会科に近い教科の教科書をとりあげますが、これは2002年から始まった新科目で、「愛国心(マカバヤン)」という名称です。144ページ

目次:
第1章 アメリカ―イスラムを敵視しているのか?
第2章 イギリス―となりの○○教徒と学び合う
第3章 フランス―スカーフ禁止の国の宗教の教え方は?
第4章 ドイツ―ホロコーストへの反省の上に
第5章 トルコ―イスラムは特別かワン・オブ・ゼムか?
第6章 タイ―日本の仏教をどう見ているのか?
第7章 インドネシア―ソフト・イスラムとクルアーンの関係
第8章 フィリピン―宗教のサラダボウルはどうできたのか?
第9章 韓国―3分の1がクリスチャン。そのライバルは?

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)