もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

アーカイブ 山崎豊子著「白い巨塔(1)~(5)」(新潮文庫;1965と1969) 評価5

2011年10月31日 03時52分03秒 | 一日一冊読書開始
1月5日(水)の分: 422ページ  所要時間7:00
(1)ドラマのシナリオのように読みやすく、たくさんの登場人物の描き分けが出来ていて、リアルに映像が頭に浮かぶ。すごい筆力にあきれる。

1月7日(金)の分: 403ページ  所要時間4:30
(2)TVドラマよりも原作の内容が濃くて面白い。登場人物の科白・しぐさもよく練られている。田宮次郎版の作品DVDも観てみたくなった。

1月8日(土)の分: 377ページ  所要時間4:30
(3)著者は文豪だ!。複雑な医学用語、裁判の原告被告双方の微妙なやり取りのずれ、何よりも退屈させずに読み続けさせる筆力がすごすぎる。壮絶な裁判の闘いの果てに一審で敗れ去る原告被害者、そして大学を追放される里見助教授。医療裁判の限界。

1月14日(土)の分: 526ページ  所要時間7:30
(4)大学を追われた里見のその後。控訴審。学術会議選に立つ財前の権力乱用と医局の腐敗。控訴審での神学論争的推移。逆転への予感。

1月20日(日)の分: 416ページ  所要時間7:00
(5)さまざまな種類の人々を、時々に自由自在に描き出して世界を創造する造物主のような錯覚を覚える。作家ってすごいと素直に認めてしまう筆力。


59冊目 姜尚中著「ナショナリズム」(岩波書店;2001) 評価3

2011年10月31日 03時06分35秒 | 一日一冊読書開始
10月30日(日):

161ページ  所要時間3:25

1300円の定価で買って、以前挫折した本への再挑戦。論文形式?で、難解な学術用語やアポリア(行き詰まり)、アプリオリ(自明的事柄)、エピゴーネン(模倣者)他カタカナ語が溢れている。ページに目を這わせ、投げ出さないのが精一杯だった。一体どんな読者層を想定しているのか。正直言って、読みづらいし、意味わからんし、苦しいだけだった。「何で俺、こんな本読んでんねやろ?(読まなければ良かった)」という気分になった。テーマは、戦前戦後の「国体」をめぐる考察が中心で、本居宣長、小林秀雄、和辻哲郎、南原繁や江藤淳、丸山真男らの批判を展開している。目次;一ナショナリズムの近代 二「国体」ナショナリズムの思想とその変容 第1章 基本的な視座 第2章「国体」思想のアルケオロジー(考古学) 第3章「国体」の近代 第4章「国体」の弁証法 第5章戦後「国体」のパラドクス

58冊目 ドナ・ウィリアムズ著「自閉症だったわたしへ(『NOBODY NOWHERE』)」(新潮文庫;1993) 評価5

2011年10月30日 04時50分23秒 | 一日一冊読書開始
10月29日(土):

496ページ  所要時間6:20

自閉症者自身による自らの半生の内面生活を具体的かつ正確に描き切った<奇跡の書>である。外部からの観察ではなく、まさに当事者の内面から見た「外の世界」に対するレポートなのだ。著者は26歳、秘書の仕事をしながら四週間で書き上げた文章は、気負いはないが、リアルな迫力を持って一気に読ませてしまう強さを持っている。

出だしはこうだ。「これはふたつの闘いの物語である。ひとつは、『世の中』と呼ばれている『外の世界』から、わたしが身を守ろうとする闘い。もうひとつは、その反面なんとかそこへ加わろうととする闘い。どちらも心の内側の、『私の世界』の中で繰り広げられた。さまざまな戦線であった。傷つき倒れた者たちもいた。そんな闘いはもう休戦にしたくて、わたしはこの自伝を綴った。もちろんわたしの側の言い分を曲げないことが、休戦の条件だ」。

自閉症の発症と家庭環境は無関係とは言うものの、著者は幼くして家庭崩壊とともに、母親の育児放棄、障害を持つ我が子への憎悪、虐待の下におかれた。必然として真の自我である小さな女の子ドナを守るために、闘争する論理的人格ウィリーと逃走する社交的人格キャロルが防御者として生み出され、多重人格化したドナの内面の三人が一緒になって、臨機応変、子どもから大人への多難な人生の歩みをすすめる。

自分のことを「わたし」ではなく、「彼女」としか呼べず、「きちがい」「ばか」「異常」「情緒障害」「変人」と呼ばれ、いじめと虐待と無知による無理やりな矯正に苦しめられ続けた彼女が「自閉症」という言葉を初めて知ったのは22歳の時である。

オーストラリアからイギリスに渡った著者が、26歳で何とか、ウィリーとキャロルを自己の中で少し統合して、ドナが自我の前面に出始めた時、この書を一気に書き上げるまでの、波乱万丈と大切な人々との邂逅(人との関係が困難な自閉症者にとっては、本当にかけがえのない出会い!)の物語を伝える力は私にはない。この間の歩みは、ぜひ本書を読んで欲しい。

ただ、時間が無い人は、417ページ「最後の闘い」から読んでも良いだろう。もっと忙しい人は、441ページ「終わりに」と452ページ「エピローグ」を読むだけでも、所謂「自閉症」解説の類書では得られない臨場感とともに、他では得られない価値ある知識を得ることが出来ることは保障する。

私も、もう一度、読み直すつもりだ。この本は、手元に置いておいて、折に触れて読み返すべきテキストなのだと思う。「光とともに…~自閉症児を抱えて~」を現在読み進めている私には、光くんの内面と将来をイメージする上で、随分参考になった。ただ、このドナ・ウィリアムズさんは、光くんよりも随分、攻撃性の高い、激しい人生を、しかも自らの独力で切り開いているのは、物語よりも現実は奇なりということなのか。それとも、ドナさんが高機能自閉症で、光くんとはまた違うということなのだろう。

57冊目 藤田紘一郎著「笑うカイチュウ 寄生虫博士奮闘記」(講談社文庫;1994) 評価5

2011年10月29日 04時54分36秒 | 一日一冊読書開始
10月28日(金):

243ページ  所要時間3:30

脂ののった55歳の第一線の寄生虫学者が、肩の力を抜きながら、寄生虫に心からの尊敬と愛情を注ぎつつ本気で書綴った本。圧倒的な面白さだった。興味深くて面白いが正直洒落にならない話が次々と展開していく。深刻だけども、とほほな話。紳士・淑女も腹の中の虫が相手では締りがないのは仕方がない。体内から出てきた30センチのカイチュウを握り締めて泡を噴いて卒倒した淑女の話。外国旅行も要注意、特に東南アジアは楽しそうだが、レッドゾーンだ。一方で、寄生虫の保有率激減とアトピー性皮膚炎と花粉症の反比例的増加は客観的事実。犬・猫・人間のウンコ拾い・ウンコ収集に情熱を燃やす寄生虫学者たちの優しくも常人を逸脱した奇行・奇怪な生態は何と言っても楽しい。このあたり、必ずしも救いの無いような、一方通行の内容ではないのだ!。でも、「○○キュウチュウって吸虫だよな…」、「○○ガッコウチュウって顎口虫だよな…」、「○○ジョウチュウって条虫でサナダ虫のことだよな…」、「カントンジュウケツセンチュウって何やいなぁ」、とどめに「アニサキスって、鯨のカイチュウの幼虫なのかよ…マイッタナ…」。どじょう、さわがに、蛇の血、雷魚、ツキノワグマ、ヒグマとエゾシカのルイベ(冷凍肉の刺身)、馬、生の豚肉、自家製ソーセージ、ナメクジ他、「ゲテモノ食い」に天罰のように、さまざまな寄生虫の名と症状が次々宣告されていく。かと思うと、普通の生活をしていても意外なルートで寄生虫の進入を許す場合が多々ある。生魚中心のヘルシーな日本料理も寄生虫の視点から見ればかたなしだ。日本食のグルメの多くが寄生虫に関してはNGなのだ。もう回転寿司を平和な気分で食べられる日は来ない気がする。生きていくだけでも大変やなぁ、と思わずディープ・サーイ…。移動する瘤の話。北海道のキタキツネとエキノコックスをめぐる文明論。猫と妊婦とトキソプラズマ水頭症。熊のふんどしサナダ虫を痩せ薬にどう?。内容が豊富過ぎてまとめられないが、文庫版の最後に付された平田オリザさんの“解説”が、これまた本当に秀逸!すばらしいかった。他者に寄生し、また他者の寄生を許し、そのぶつかり合いの中からしか、民主主義の欠陥を補い、建て直す道は無い。寄生虫のもつ「誇り高く、ひっそりと」という宿主と妥協する寄生の論理は日本と日本人の未来にとって一つの大きな指針となるはずだという主帳に大いに共感した!。

56冊目 林則行著「「銅メダル英語」をめざせ! 発想を変えれば今すぐ話せる」(光文社新書;2011)評価3

2011年10月28日 01時19分05秒 | 一日一冊読書開始
10月27日(木):

270ページ  所要時間1:35

眺め読みだが、ページをめくって字面を追いかけてるだけ。評価3も、自信なし。もっと高い評価をすべき本なのかもしれない。著者は1959年生まれ。印象としては、「自らの経験に基づき、世に流布する建前を排して、本音を語る内容」という感じ。勉強法も、正攻法はきちんと尊重しつつ、意外な視点もたくさん提示する感じだった。上達の方法論よりも、著書の後半を中心に展開される、外国と日本をめぐる比較文化論的内容が面白かった。読み・書き・聞き・話すの中で、話すを重視するが、それは単語並べでよい。英会話もコミュニケーション能力が大切!その際に、相手に語らせる。アクセントは大切に。ニコニコ笑顔とYES&NOの相槌で十分。[good]と[get」は大変有効。グローバル化での日本の最大の強みは、現場を支える人々のレベルの高さである。英語の流しっぱなしでリスニングが伸びるは真っ赤なうそ。英語力より仕事の能力が大事なのは当然。多読(自分が関心を持てるものにすること!)で5年続けば必ず成果は出る。名前・誕生日を覚える大切さ。日本的謙譲や真心は意外と外国人の心を動かす有効な手段。※きちんと読めてないので、無意味な羅列になってしまった。やっぱり今さら英語は無理かなあ…。でも…。

番外 戸部けいこ著「光とともに…~自閉症児を抱えて~(3)(4)」(秋田書店;2002/03)評価4

2011年10月27日 04時15分02秒 | 一日一冊読書開始
10月26日(水):漫画は、ノルマとしては0.5冊扱い。

(3)257ページ  所要時間1:40

小学校高学年編。光くん4年生。一年生の後輩美羽ちゃん登場。交流学級の石田くんとの共同作業が、石田くんの成長にもつながる。成長にともない光くんの世界は広がるが、問題のスケールも大きくなるし、周囲から目立つようになる。初めて学校に一人で登校できて、少し解放されたと感じたのもつかの間で、大きな騒ぎが巻き起こる。悪気はなくても、相変わらず、騒動に驚いた相手から先ずはじめに、無理解で手厳しい言葉が発せられて、傷つけられなければ、事情をわかってもらうことも出来ない。どこまで続くぬかるみぞ。ご両親がんばれ。※巻末投稿:子どもの成長に合わせて、「支援者のネットワーク」を作っていった明石洋子さんはすごい母親だ。でも、すごくなれない保護者の方々も大勢いるのだろうと思うと…。


(4)257ページ  所要時間1:35

小学校高学年編。光くん4年生から5年生となる。担任の青木先生の結婚による転勤に際して、吉沢校長先生が言った「私にできることは子供たちの立場にたって担任を決めること。たとえ、自閉症を知らなくても、知ろうという気持ちのある人を選ぶこと」という言葉が、教育に限らず、あらゆる問題に対する答えなのだろう。それにしても、その理解ある校長先生を突然亡くならせて、5年生に定年間近の郡司先生を担任としたのは、なかなかあざとい荒技だった。作者の思う壷だとわかっていながら、青木先生と郡司先生との落差にイライラさせられてしまった。ただ、郡司先生を、本当の悪キャラとすることは、作者の本意ではなく、ただこれまでにも何度も繰り返されてきた、悪気はないが、無知(無関心?)による無理解と戸惑いを、担任の先生(専制?)のケースで少しスケールアップして描いてみることで、保護者(特に母親)の成長ぶりと、幼なじみの友達たちの大切さを再確認しようとしたのだろう。終盤、郡司先生が自らの誤解と子供たちとの正しい接し方に気が付き、教師魂に火がついた時には、不覚にも目元がグッときてしまった。要するに、郡司先生も、気がつくのが少し遅かっただけなのだ。韓国の諺に「シジャギパニダ(始めれば、もう半分できたのと同じ)」というのがあるが、関心を持つことさえ出来れば、既に問題の半分は解決しているのだ。そう信じて次の第5巻での展開に期待したいが…、やはりちょっと不安だ。

55冊目 松岡正剛著「17歳のための世界と日本の見方」(春秋社;2006)評価4

2011年10月26日 03時27分15秒 | 一日一冊読書開始
10月25日(火):

363ページ  所要時間4:45

「千夜千冊」サイトでいつもお世話になっている松岡先生の帝塚山学院大学人間文化学部での「世界と日本をめぐる人間文化」という視点の講義録を元にした書。語り調のせいか、やや緻密さと正確さに欠ける印象を受ける部分もあったが、全体としてはさまざまな雑学や視点が盛りこまれたサービス精神の旺盛な内容だった。流し読みでは、編集工学の意味がいま一つよく理解できず、まとめ方のとらえどころがなくて、ぴんとこなかった。「第一講 人間と文化の大事な関係」「第二講 物語のしくみ・宗教のしくみ」「第三講 キリスト教の神の謎」「第四講 日本について考えてみよう」「第五講 ヨーロッパと日本をつなげる」。雑談は、どんどん広がる。例えば、「here=ここ→此岸」と「there=むこう→彼岸」対比の視点。イランの名前が“アーリア人”の意味。”アフラ・マズダ”がインドで悪に転化されて、阿修羅となって日本に伝わった。1947年「死海文書(エッセネ派?)」発見と処刑された「善の教師」復活信仰の存在。大地母神(ex.ディアナ)のキリスト教による魔女化。万葉仮名の『古事記』、ほぼ完全な漢文の『日本書紀』。日本語の「もの」とは、「物」と「霊的なもの」の二義性→ものすごい、もののあはれ、ものがたり。見えないことで、いっそう、かってあったはずのそのことが、心のなかにあはれに思われてくる、という感覚が「幽玄」「余情(よせい)」で、引き算の美学である。。貴族の“あはれ”と武士の“あっぱれ”。『教行信証』の最後のところが、『正信偈』。桃山文化の主人公は「禅」から「法華」に移った。編集工学とは「関係を編集すること」である。そして、この点にこそ日本文化の創造性の本質がある。たらこスパゲッティの妙味こそ日本文化。明治の近代化と敗戦後のアメリカナイズは日本文化の伝統を断ち切る邪道である!。二つの中心をもつ楕円の世界、「ゆがみ」と「ねじれ」の宇宙がバロック。音楽のバッハ、彫刻・建築のベルニーニ。デカルトが30歳下のパスカルに憧れて会いに行った話。ルネサンスの利休とバロックの織部の対比、二人に共通した切腹という死のあり方。etc.etc.たくさんの楽しい雑談があった!。

番外 戸部けいこ著「光とともに…~自閉症児を抱えて~(1)(2)」(秋田書店;2001)評価4

2011年10月25日 03時42分50秒 | 一日一冊読書開始
10月24日(月):漫画は、ノルマとしては0.5冊扱い。

(1)257ページ  所要時間1:15

光くん誕生から保育園の終りまで。読んでいて、時折目元がグッとくる。世間の冷たさの中で、時折訪れる理解しようとしてくれる人との出会いの有難さ。保育園のユミ先生「光くんにとって安全なことは、他の園児にとっても安全なんですよ」の視点は大切にしたい。

(2)257ページ  所要時間1:30

小学校低学年編~妹花音(かのん)誕生まで。「知らんぷりするだけで、人が死んじゃうこともあるんだね。そんなこと、知らなかった。知ってたらもうちょっと勇気出せたのに…」。(花音誕生後)「我が家はいつの間にか笑いの絶えない家族になっていました」。最後の「ノブの世界」の「もし他のお母さんたちの中で、ご主人の理解が得られず、つらい思いをしている人がいたら、知って欲しい。ぼくも息子といて楽しく思えるようになるまでに15年かかった。だから、あきらめないで。関わりあい方がわかれば、コミュニケーション方法がわかれば、父親はきっと変わるから」という父親の言葉は、良かった。将来のことを心配して考え過ぎることが、人間を不幸にするのかもしれない。「未来も、きっと精一杯生きてみせるさ」という覚悟さえ決めれば、今をもっと大切に生きられるのかもしれない。笑い多き人生とは、未来への覚悟をもって、今目の前にいる人との関わりを大切にするってことかもしれない。日日是好日。

54冊目 司馬遼太郎著「梟の城」(新潮文庫;1959)  評価4

2011年10月24日 03時13分42秒 | 一日一冊読書開始
10月23日(日):

517ページ  所要時間3:20

習慣維持の流し読み。司馬が直木賞を取った作品。忍者をこれ程、人間臭く、エロチックに描いた作品は初めて。体温や体臭まで感じられるようだった。人間らしい感情を全く除いて、利益と報酬しだいで敵味方どちらにでも味方する冷徹さを持つ一方で、自らの任務に関しては、守秘と非情に徹するプロ集団として描かれている。信長による伊賀の里殲滅は大きな事件。信長への恨みを、秀吉暗殺に転化して生きる目標とする葛籠重蔵と忍者の履歴をクールに捨てる出世主義者風間五平、彼らをめぐるくノ一小萩と木さるとの関係はロマンスのようでロマンスになりきれない宿命。甲賀ノ摩利洞玄との死闘。ラストの伏見城の秀吉寝所に忍び込んだ重蔵が、老残の秀吉を殺さず、殴打ですませる。五平が犯人と間違われ、石川五右衛門として釜で煎られる展開の妙。ゆっくり読めば、もっと面白かったのだろうが、一日一冊のノルマでは、仕方がない。※閑話休題:ニュースで見た京都時代祭りの“秀吉”様のお姿はあまりにもちゃっちかったなあ。頭の形に全く合わないちょん髷のカツラを、女の子(!)にかぶらせて、従者に仕立てているのにはあきれてしまった。高校の文化祭かよー!、

53冊目 シェイクスピア著「マクベス(福田恆存 訳)」(新潮文庫;1606?) 評価3

2011年10月23日 02時23分19秒 | 一日一冊読書開始
10月22日(土):

158ページ  所要時間3:00

本編は118ページ。残りは解説。シェークスピアの四大悲劇の一つだそうだが、あまり感動はしなかった。裏切りでスコットランド王に成り上がったマクベスの心の闇、人間不信、不安がテーマのようだ。「もう眠りはないぞ!マクベスが眠りを殺してしまった」。ダンカン王殺害直後に鳴り響く門を叩く音で我に返るマクベス夫妻のシーンなど、やはり実際の舞台で見ないと感動がわからない部分がたくさんありそうだ。マクベスは1040年~1057年の17年間スコットランド王だった実在の人物。ダンカン1世をを殺し、後にマルコム3世に復讐されたのも史実らしい。ただ、これくらいの下剋上なら、日本でも戦国の松永久秀・斎藤道三などとんでもない連中がたくさんいたのでマクベスを特別な悪(わる)といわれても、ぴんとこない。「このマクダフは生まれるさきに、月たらずで、母の胎内からひきずりだされた男だぞ。」は、帝王切開のことらしい。魔女の予言で「バンクォーの子孫が王になる」という話は、うやむやで終わった。    ※シェークスピアの酒に関する下ネタ発見!門番の科白「(略)だがね、あの道となると、さかりもつくが、さがりもする。気ばかり逸って、ちっとも出来ねえ。だからよ、あの道に酒は二枚舌のいかさま師、つまり、けしかけの、ぶちこわし、唆しては、ひきずり倒し、その気にさせて、がっかりさせ、意気ごみだけの、意気地なし、(略)」

52冊目 水野俊平著「韓国の若者を知りたい」(岩波ジュニア新書;2003)  評価3

2011年10月22日 06時21分08秒 | 一日一冊読書開始
10月21日(金):

212ページ  所要時間2:30

韓国の大学で日本語を教える35歳の青年教師のレポート。「受験競争社会の高校生たち」「就職準備と兵役でたいへんな大学生たち」「「否定」と「肯定」のあいだでゆれ動く対日感情」「韓国人と日本人、ここがちがう」「韓国人とのつきあいかた」。俺にとっては、それほど新鮮な内容ではなかったのと、アンケートの答えを実例として多く掲載し過ぎだという難点はあるが、初めて日韓関係を考える人には、非常にオーソドックスで真っ当なテーマ建てであり、内容のまとめ方もバランスの取れた適切な内容だった。「最大の反日国にして最大の親日国」「(好きだが)好きになってはいけない国、日本」など韓国の人々の複雑な対日感情にきちんと向き合おうとしていない日本・日本人の問題も丁寧に指摘しつつ、両国のより良き関係の構築に資する道をさぐる著者の姿勢は大変好ましい。ただ、この本が出た直後に、「冬のソナタ」による韓流ブームが起こり、今も地デジ放送を中心に韓国ドラマが、日本で溢れ返っていることを考えれば、わずか8年ほどで日韓関係は、おそらく当時よりも劇的に変わっっているのだろう。著者による続編の出版が望まれる。それにしても、日本文化の開放を断行した金大中大統領は偉大な政治家だったと改めて思う。

51冊目 夏川草介著「神様のカルテ2」(小学館;2010)  評価5

2011年10月21日 05時24分20秒 | 一日一冊読書開始
10月20日(木):

317ページ  所要時間6:10

習慣維持のためだが、寝る時間が大きく削がれてしまった。会話や困った状況下での洒落たやり取りや展開を味わう作品なので、むやみに速く読めない。明け方読み終わり、完全に寝不足だった。ただ内容は、面白かったので許せる。まず、この小説を映画化したのは失敗だったかもしれない。先に、テレビのドラマ化で視聴率を稼いでから、映画化したほうが良かっただろう。TVでドラマ化すれば、よほどひどい脚本家(ex.某大河ドラマ)でなければ、新しい医療ドラマとしてほぼ間違いなく高視聴率を取れると思う。この作品は、映像化に向いているのだ。地方都市で「24時間 365日無休」の理想を掲げる民間総合病院の現場の最前線が舞台だ。「君子も窮するか」「君子も窮する。小人は窮すれば乱れる」(だったかな?)的に、主人公の若い内科医師が漱石風の高踏的な雰囲気を堅持しつつ奮闘する物語だ。少ないスタッフで忙殺される戦場のような医療現場の厳しさを、抑制的に描いているが、少し人生経験を経た読者ならその大変さは十分に伝わってくる。医療用語も、医療処置・施術その他も、現場の医師でなければ書けないリアルさと臨場感がある。医療をめぐる問題も、記述は多くないが、病院の今を現場にいる医師自身が記しているので、少しの記述で正鵠を射て、さりげなく激辛である。そんな中、「世の中は回るべくして、回って行くのだ」と達観して前進(漸進?)していく青年医師の姿が風景として良い。他にも多くの良い風景が現れては消えていく。例えば、留川トヨさんと孫七さん夫婦の死。古狐先生と千代夫人の絆と別れ。フランクルの『夜と霧』、もう一度読んでみようかな。著者は絶望を絶望のまま終わらせず、必ず救いを含ませる優しさを忘れない。「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である」(セオドア・ソレンソン)、もう若くない俺も残りの人生、もう一度、こう言って仕事をしたいものだ。

50冊目 夏川草介著「神様のカルテ」(小学館;2009)  評価4

2011年10月20日 03時23分57秒 | 一日一冊読書開始
10月19日(水):

205ページ  所要時間3:30

最近話題になった映画の原作で、期待せずに読み始めた。文体は、漱石の『草枕』をベースにした主人公の若い医師の独特の語りと空気感が中心に据えられており、適度に肩の力が抜けていて、いつかその表現が破綻するんじゃないかと心配だったが杞憂だった。これがデビュー作という31歳の著者は意外と達者だ。内容は、決して複雑な展開ではないが、なにか優しい気分になれてホッコリとした癒し感を与えてくれるストーリーだった。また、読んでいて、映像が頭の中に浮かびやすく、良いシーンのカット割りも出来上がっていて、読み終わったときには、気持ちの良い映画の佳品を一本観終わったような充実した満足感があった。このまま、映画に作り直しても問題ないほど完成度は高い。そういう意味で、映画化されるべくして映画になった作品と言えよう。期待していなかった分だけ、大きな収穫に思えた。  ※アマゾンのレビューでは2作目の評価がずいぶん高いが、さて…。

49冊目 斎藤貴男著「強いられる死 自殺者三万人超の実相」(角川学芸出版;2009)評価3

2011年10月19日 03時55分33秒 | 一日一冊読書開始
10月18日(火):

270ページ  所要時間2:45

習慣維持のための眺め読み。著者は、俺が、最も信頼するジャーナリスト。この本の内容をまとめる力はない。ただ年間自殺者3万人超という異常事態が10年以上続いている問題について、いろいろと具体例によって考える材料を提示してくれる本にようやく出会えた。男女問題で死ぬのは、わずか4.1%に過ぎない。多くは健康、経済・生活、家庭、勤務など詩的でない散文的原因が中心だ。また自殺の原因は、決して一つだけでなく、たいてい4つぐらいの原因を抱え込んで、自殺に追い込まれるのが現実。今の事態は1998年ごろが出発点。パワハラと過重労働によるうつ病・クモ膜下出血の発症、多重債務、学校と自衛隊のいじめ。「死人に口なし、死んだら負けよ」の現実。企業も、学校も、自衛隊も、組織防衛のためなら平気で嘘をつき、決して自らの過ちを認めることはない。障害者自立支援法など一連の弱者切り捨ての政治。東京都知事石原慎太郎による大衆の嫌悪の扇動発言、一方でパワハラと乱脈経営を告発した元社員に対する新銀行東京による告訴という圧力・弾圧。つくづく荒んだ世の中に我々は生きさせられているのだと再認識した。ただ、意気込みは見られないが、内閣府が「自殺総合対策大綱」を出したのは、かすかな希望か…?。また、それぞれの分野と場所で、自らの信念で無償の自殺者救済の問題に取り組んでられる方々がいることは、本当に大きな希望だ。


48冊目 尾木直樹著「学校を元気にする50のルール」(三省堂;2008) 評価3

2011年10月18日 01時14分15秒 | 一日一冊読書開始
10月17日(月):

255ページ  所要時間1:50

尾木ママのハンディ教育実践論。古き良き時代の教育の理想を守る古風な教育論。応援したい気持ちは非常に強いが、「自分は現場の教師だ」と言いながら、現場から離れて久しいせいか、自分で語った言葉に酔っている感じが強くする。自画自賛。「言われてることはよく分かりますが、それは一体どこの理想郷の話をされているのですか。そんな素直な子供たちはそんなにたくさんいませんよ、むしろ指導に乗らない子供たちの存在をどこにやってしまったのですか。棚上げですか。」「先生の残業や過重労働について考えてるんですか」と突っ込みたくなる。反論のできない正しいことであればあるほど、足もとを見て注意深く語るべきだ。教育基本法の問題などで、著者の基本的立場を強く支持するだけに、自慢話が現実と乖離して滑って行くのが残念だ。



150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)