goo blog サービス終了のお知らせ 

もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

220101 ストップ維新!6月20日住んでよかったまち大阪をつくる市民連帯オンライン集会

2022年01月01日 14時20分58秒 | 考える資料
1月1日(土): 

 年の初めに、YouTube「ストップ維新!6月20日住んでよかったまち大阪をつくる市民連帯オンライン集会」をご覧ください。「維新の会」に対するもやもやが晴れます。
2.中山 徹「アフターコロナ、アフター維新を展望する」 https://youtu.be/dd1Pv5bhiT8
3.スライドで見る維新の政治 西谷文和 https://youtu.be/cBQ0vGYMFFo
4.講演 内田 樹「維新政治を乗り越えてコモンの再生を」 https://youtu.be/n4DUYE8R034
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

210504 れいわ新選組 2021.5.3 山本太郎 代表談話「憲法記念日」 

2021年05月04日 12時54分00秒 | 考える資料
5月4日(火):  

2021.5.3 山本太郎 代表談話「憲法記念日」
2021年5月3日 れいわ新選組


言うまでもないが、憲法はこの国の最高法規である。
憲法を遵守しない政治は存在自体許されない。

憲法第九十九条 
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

しかし、数十年にわたり、憲法違反上等の政治が続いている。

改革の名の下に利益は特定の者に流れ、
労働環境は破壊、税の取り方を歪めるなど、
この国に生きる人々への搾取によって、
一部の者は利益が拡大する一方、
多くの人々は一生懸命働いてもまともに暮らせない状態がスタンダードとなった。

厚生労働省・令和元年度(2019年)実施の最新の国民生活基礎調査では、
生活が「苦しい」「やや苦しい」と 感じている世帯の割合が、
全世帯で54.4%、母子世帯では86.7%。

所得の低い人から高い人までを順番に並べた中央の値では、
1995年調査で545万円。
2019年調査では437万円に。
約25年のデフレによって中央値は約108万円も低下。
社会全体で貧しくなった。

憲法15条を無視し、
一部のみの奉仕者となった政治が、憲法25条も守られない現実を作り、
25年以上デフレが続く異常な国となり、衰退国家へと転落した。

憲法第十五条 ② 
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

憲法第二十五条 
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、
社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

そこに加えて新型コロナの到来。
さらに需要が減り、仕事や所得を減らす、失うものは増えている。

「野村総研」の調査では
パート・アルバイトの中で「実質的失業者」は、
女性で103万人、男性で43万人と推計。

「労働政策研究・研修機構(JILPT)」の調査では、
女性の収入が1割以上減った家庭では、
5世帯に1世帯が食費の切り詰めを行い、
1割弱が公共料金の滞納をしているという。

終わりの見えない疫病に対し、救済策を絞り、
緊急事態発令を鑑みての今年度補正予算も組まないと宣言。
つまりは、力のない者は倒れろと言う通告である。
恐らく選挙が近くなれば、買収感覚で補正予算を組む動きにもなろうが、
それでは遅すぎる。

人々の救済が目的ではなく、
自分たちに有利となるバラマキはどのタイミングか、
今ではない、と言うだけの話なのである。
勘違いされては困る。

権力者気取りのようだが、
総理や大臣や国会議員など、ただの公僕にすぎない。
期間限定の店長や従業員の集まりである。

勝手な国の運営を行うならば、やめていただく他ない。
その選択の場が選挙である。

間違った政策の積み重ねにより25年以上に及ぶデフレに加えて新型コロナ。
徹底した疫病対策は行わず、混乱に乗じた火事場泥棒を続け、
オリンピックまで決行するという狂気。
これらを正気に変えていくのは、この国のオーナーであるあなた、
この国に生きるひとり1人である。

憲法第十二条 
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない。

この大災害を前に、プライマリーバランスの黒字化、
財政規律、コロナ後の増税の必要性を訴える政治家は退場させていただきたい。

加えて、多くの人々が苦しむコロナ災害の中で、
優先順位もつけられない間抜けたちにも退場願わなければならない。
人々への救済も十分に行わない上に、
守られてもいない憲法を変えるための段取りを進めようとする政治勢力、
そこに足並みを揃えて懐の深さを示そうとする与党仕草の野党勢力もである。

今、政治に必要なのは、貴族ではなく、この国を守るためにはまずあなたを守る、
という徹底した財政出動を始めなければならない、と理解する者である。

大胆な政府支出と徹底したコロナ対策によって、
25年以上のデフレと疫病に傷ついた社会の手当をみんなでやっていこう。

年200兆円規模の通貨発行であれば、インフレ率2%にも達せず、
毎年の財政出動可能であることはハッキリしている。

ひとり1人に対して大胆に経済的な底上げを行いながら、
まずは憲法が守られる政治、社会を作っていこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200609 【傾聴すべし!】 外国籍の子に学びを 臨床心理士・中川郷子さん

2020年06月09日 20時52分47秒 | 考える資料
6月9日(火): 

今の日本で最も傾聴すべき視点、見解が示されている。是非お読みください。
 
朝日デジタル:【インタビュー】外国籍の子に学びを 臨床心理士・中川郷子さん
2020年6月9日 5時00分

  中川さんは来日のたび、日系ブラジル人が多く住む地域を訪れ、子どもや親の声を聞く=愛知県豊田市、平山亜理撮影
 日本の公立小学校で、発達障害などと診断され特別支援学級に入る外国人の子どもが目立つ。なぜそんなに多いのか。ブラジル人が多く暮らす地域を毎年訪れ、「デカセギ」の子どもの教育問題を調べてきたブラジル在住の臨床心理士中川郷子さん(63)が、この問題のからくりと、日本の将来にもたらす影響について語った。

 ――「発達に問題がある」とされる、外国籍の子どもが特別支援学級に多くいるそうですね。
 「私は、日本からブラジルに帰国した子どもの教育や心理面を支援する『カエルプロジェクトのコーディネーターをしています。そのため毎年来日し、日系ブラジル人がたくさん住む地方都市を訪れ、親や子ども向けのセミナーを開いています。活動するうちに、特別支援学級に日系ブラジル人の子どもが不自然に多くいるのが気になりました。調べてみると、日本人の子どものうち特別支援学級に在籍する生徒の割合は全体の2~3%なのに、外国人の子どもでは5~6%にのぼることがわかりました」
 ――なぜそんなに高いのでしょう。
 「実態を調べるために、特別支援学級にいた日系人の子どもたちに、日本語とポルトガル語がわかる私が知能検査などを行いました。すると、発達障害の疑いがない子が半数ほどいたのです」
 ――なぜ、そんなことが?
 「文の構造が理解できるなど、学習言語が身についていないと思考力が育たないことや、ポルトガル語で覚えたことはポルトガル語でしか答えられないなどの事例があります。親の中には『大勢で学ぶより、4、5人で個別に先生にみてもらえる教室があると先生に言われた』と喜ぶ人もいます」
 「日本語の指導が必要な子と発達障害を一緒に扱い、必要なケアを受けさせていません。私がみた子どもの中には、ただ、ひたすら花に水やりをしている子もいました。これは外国人の子の『隔離』であり、人権侵害といえるケースもあります。日本語の指導教員が日本語を教え、授業がわかるよう支援すべきなのに、通常学級でほかの子の邪魔にならないように、特別支援学級に入れている面もあります」
 ――どういう解決策が考えられますか。
 「知能テストを受けさせるなら、両国の言語や文化を理解して診断ができる専門家を育てる必要があります。そして、日本語教育の態勢を整えるべきです。いちど特別支援学級に入った後に通常学級に戻って学ぶのは難しく、勉強の遅れも出ます。将来の可能性をつぶしてしまい、日本社会の負担にもなります」
    ■     ■
 ――なぜこの問題に関心を持つようになったのですか。
 「私自身も、特別支援学級に入ったことがあるからです。私は東京で生まれ、生後5カ月でブラジルに渡りました。母は日本人、父は中国人で中華料理店を経営していました。サンパウロ市の日本人コミュニティーで育ちましたが、数年経ったら日本に戻るつもりで、家庭では日本語を話していました。現地の小学校に入ると、特別な学級に入れられました。何もポルトガル語で答えられなかったため、言葉を発せられない障害児と思われたのです」
 「いつも学校から白紙のノートを持ち帰る娘を不思議に思った母は、学校に問い合わせ、初めて状況を知りました。『娘はポルトガル語を話せないだけなので、通常学級に入れてほしい』とかけ合ってくれました。最初は授業が全く分からず、同級生にからかわれました。ただ、先生は辛抱強く隣に座って繰り返し教えてくれ、少しずつ分かるようになりました。大学に入学して、サンパウロ・カトリック大学で博士号もとりました」
 ――日本でも同じような成功談が可能でしょうか。
 「教育制度によると思います。私は、ブラジルで学費を払ったことがありません。もし高い学費を払わねばならなかったのならば、今の自分はありません。移民が無料で言語を学べ、教育を受けられれば、活力ある社会の役に立てると思います。ブラジルの仕組みはそうなっています。移民の子は、二つの文化と言語のはざまにあり、最初は成績も悪いという傾向があります。でも適切に指導すれば、その後、能力を生かせる可能性があるのです」
 ――ただ、日本で成功している日系ブラジル人の若者もいます。
 「うまくいった人たちの話を聞くと、たまたま、いい先生や友達に恵まれたということが多いのです。でも、運任せにしてはいけません。大学に進学した、弁護士になった、と話題になることがありますが、数が少ないからニュースになるのです。日本にいる日系ブラジル人の子どもと青少年は約4万人と言われていますが、大卒は200人程度という試算もあります。いい人と巡り合ったからうまくいった、というのではなく、外国人を受け入れる社会の仕組みを作ることが必要です
 「米国の学校を訪れたとき、ニューカマー(新入生)としてやってきた外国人が、地元の生徒たちと同等に学べるようになるまでにどのくらいかかるか尋ねると、『7年かかる』と言われました。日本では『来日して1年も経っているのに、まだ日本語を覚えていない』などとせかされますが、外国の子どもが社会に溶け込むには、時間がかかります
    ■     ■
 ――このままの状況が続くと、何が心配ですか?
 「約30年前に、デカセギ第1世代として来日した人たちは大卒の人が多く、開業のための資金などを数年で稼いでブラジルに戻りました。でも、その次の世代は高卒も多くいます。彼らの子どもたちは、どちらの言葉も読み書きが出来ない『ダブルリミテッド』と呼ばれる状況です
 「一般的には、移民の第2世代は親より良い仕事に就くことが多いのに、日本にデカセギに来たブラジル人の子どもは、工場労働者のままです。さらに次の世代の子どもたちは、発達に障害があるとされ、世代を経るにつれ社会階層も学歴も落ちています。このままでは、深刻な社会問題を引き起こします。社会に貢献できる人材を育てることは、高齢化で労働者が不足する日本社会にとって重要なのに、です」
 ――子育ての様子も心配だそうですね。
 「両親が一日中工場で働き、ブラジル人用の認可外保育施設などに預けられている子どもが多くいます。おもちゃもなく、必要な年齢に必要な刺激を受けておらず、十分な食事もとれていないので発育が遅れています。親たちも望ましい教育を受けておらず、子どもの扱いも分かっていません」
 ――ブラジルに移住した日系移民は違うのですか。
 「日系移民は2世、3世になるにつれ、高学歴になり、社会階層も上がっていきました。第1世代は農業移民として働きながらも、子どもたちにはいい教育を受けさせようと、親たちは教育に熱心でした。公立学校の門戸が開かれ、無料であったことも大きく、大学に進学し、弁護士や医者、政治家として活躍している日系人もたくさんいます」
    ■     ■
 ――多様性を認めることで、社会の活力となっているのですね。
 「日本政府は、外国人を単なる労働力としか考えていません。技能実習生に、家族帯同を禁止しているのもその表れです。日本に来る外国人は単身でくればいい、なんて理屈は世界では通用しません。外国人は血の通った人間で、結婚もすれば子どもも生まれるし、教育だって必要になる。デカセギとして来日したブラジル人は日本に定住し、ブラジルに戻りません。日本で生まれ育ち、ブラジルに行ったことさえないブラジル人もいます。いくら日本政府が認めたくなくても、彼らは『移民』なのです。それなのに政府は『移民ではない』と言い張り、制度を整えず、問題を放置しています」
 「保育園や幼稚園、小学校などをいくつも見てきましたが、『外国人の子どもを受け入れよう』という制度もマインドもありません。教室に座っていれば自然に日本語を覚え、日本社会に溶け込めるわけではありません。第2外国語として日本語を教えられる先生を置くなど、外国人の子どもを受け入れるインフラ整備が必要なのに、外国人は義務教育の対象にさえなっていません

 ――このままだと、どんな未来が待ち受けていますか。
 「将来的に生活保護を受ける外国人が増え、日本社会の負担となっていくでしょう。社会の隅に追いやられ、非行に走り、犯罪も増えるかもしれません。いちど生活保護になったら、そこから抜け出すのは容易ではありません。魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えるべきです。『外国人のためにやってあげる』と考えるのではなく、日本社会のために受け入れが必要なのです。外国人の子どもが学び、力を発揮できるような制度を整えることは、活力ある社会にするのに不可欠だということに、社会が気づいてくれればと思います」 (聞き手・平山亜理)
    *
 なかがわきょうこ 1956年、東京生まれ。ブラジル・サンパウロでクリニックを構える。年1、2回来日し、日系ブラジル人の子どもの教育現場を調査する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200523 9月入学は是か非か @火事場(泥棒)の9月入学論!反対(もみ)

2020年05月23日 12時45分31秒 | 考える資料
5月23日(土):

朝日デジタル9月入学は是か非か
元文科次官・前川喜平氏「失政隠しの『教育の政治利用』 時間とお金をかけて議論を」

2020.05.04 山下 知子

多くの学校で休校期間が2カ月に及ぼうとしている。緊急事態宣言の解除の先延ばしで、休校は一体いつまで続くのか。先が見通せないなか、「9月入学」を求める声が現役高校生らから噴き出し、その是非をめぐり賛否両論が白熱している。自身のツイッターで「9月入学については、無責任な議論が横行している」などと発信した元文部科学事務次官の前川喜平氏に、5月初め、その真意を聞いた。(写真は、9月入学をめぐり賛否が割れた4月29日の全国知事会ウェブ会議)

話を伺った人
前川喜平さん 元文部科学事務次官
(まえかわ・きへい)1955年生まれ。東京大学法学部卒業。79年、文部省(当時)入省。官房長、初等中等教育局長などを経て、2016年に文部科学事務次官に就任、17年に退官。現在は現代教育行政研究会代表。
大学と義務教育は区別して議論を
――「9月入学制」の議論が盛り上がっています。どう受け止めていますか?
いま優先するべき話ではありません。失政を隠すための「教育の政治利用」ではないでしょうか。
9月入学論は、10年に1度ぐらいの周期で出てきます。中曽根康弘内閣の時の臨時教育審議会の答申(1987年)で提言があり、中央教育審議会の答申(97年)、2000年の教育改革国民会議でも出ました。12年には東大で秋入学導入の提言が出て、大きな議論を呼びました。文部科学省はすでに何度も検討しているのです。わかったのは、国民の合意を得たうえで、時間とお金をかけないとできないということです。
――9月入学制には反対の立場ということですか?
いま議論するのは反対という立場です。白紙から考えるなら9月入学には賛成ですよ。
学年の真ん中に夏休みがあるよりは、学年末にあるほうが子どもの生活リズムの点からもメリットがあります。海外では9月入学が多く、国際スタンダードにも合わせられます。入試も、インフルエンザが流行し、雪で公共交通機関が止まる冬より、夏のほうがずっといい。会計年度とずれても難しいことはありません。
――9月入学制を考える時、どんな視点が必要なのでしょうか。お金と時間をかけて議論すべきだと先ほどおっしゃいました。
大学の9月入学制と、義務教育を含めた学校全体の9月入学制は区別して考えるべきです。高校と大学の接続部分だけだったら、今も多くの大学が秋季入学を導入しており、さらに拡大していけばいいと思います。しかし、義務教育となると話は違ってきます。影響が大きいので国民的議論が不可欠です。
学校教育法では、義務教育開始の下限年齢は「6歳0カ月」となっています。その考え方のまま9月入学にすると、初年度は6歳0カ月から7歳5カ月で構成される、いびつな学年が生まれてしまいます。小学1年生で17カ月の違いは大きすぎるので、同じ学年にくくるのは無理です。
今年の4月2日から9月1日までに6歳になる子だけで一つの学年を作る手もありますが、同年齢の子を二つの学年に分けることになるので、これもかなり無理があります。
では、どうするか。
幼稚園・保育園の段階から、1学年で1カ月ごとスライドしていく方法があります。初年度は4月2日から翌年5月1日までの子どもを入学させ、2年目は5月2日から6月1日までの子どもを入学させる。そうすると、5年たてば9月でそろいます。半月ずつ10年かけてもいい。無理なく実施するには時間をかける必要があるのです。

優先すべきは学校の再開
――休校が続く中、いま優先すべき議論は何だと考えていますか?
学校再開に力を注ぐことです。首相は2月、一斉休校要請を行いましたが、学校は「休業補償」がいらないからと安易に考えているように感じます。休校は、憲法26条の教育を受ける権利が侵害されている状況。お金に換えられない損失が発生しています。学校は閉めるのは最後、開けるのは最初であるべきなのです。
学校保健安全法は、子どもたちの健康のために「休校」を規定しています。大人のためではなく、子ども自身の生存権を守るために学習権を停止することを認めているわけです。休校は、子どもの健康が危ないときにだけ、学校ごとに行うべきものです。緊急事態宣言が延長されたら休校も延長するというのはおかしい。政府専門家会議も学校再開の必要性を認めました。
地域や学校種によって状況は違います。感染者が多い地域なのか少ない地域なのか。電車通学が多い高校なのか、近隣から徒歩で通う公立小中学校なのか。各地の教育委員会も学習権を守るとりでとして、子どもの学習権を停止していい状況なのか、もっと主体的に判断し、開けていい学校は開けるべきです。
もちろん、感染リスクを下げる工夫は必要です。時差登校や分散登校に加え、何より先生が学校に持ち込まないようにしないといけない。消毒液やマスクを用意し、PCR検査も優先的に受けられるようにしたらいいと思います。
来年は7月にも大学入試を
――受験や就職を控えた高校3年生の一部から9月入学制を求める声が出るなど、不安は切実です。
この学年の気持ちに応える必要はあります。これについては、大学の秋季入学枠を拡充するのが策の一つとして考えられます。大学全体を秋季入学にする必要はありません。4月に進学したい生徒もいます。全体を秋季入学にすると半年間、新1年生がいないことになり、収入が半年途絶えます。その補償や補塡(ほてん)となれば、何百億円か必要でしょう。
今の高校3年生のみ7月末なり8月末なり、大学が始まるまで高校生活が続けられるようにするのはどうでしょうか。高校には別科や専攻科を設置できるので、臨時に設けて在籍させます。もちろん、3月に卒業し、4月から働いたり、大学に入ったりする選択肢も残しておきます。
そして、秋入学用の大学入学共通テストを7月ごろ行います。大学入試センターにとって試験を年2回行うのは大変ですが、やってできないことはないでしょう。長い目で見れば、こうした仕組みを恒常的に構築してもいいかもしれません。


朝日デジタル(社説)9月入学論 訴えの原点を大切に
2020年5月13日 5時00分

 新型コロナウイルスの影響で、学校の始まりを5カ月遅らせる「9月入学・始業」案が浮上している。積極的に支持する知事もいて、政府は6月上旬をめどに論点を整理する考えだ。
 背景にあるのは、長引く休校による勉学の遅れ、そして経済力や学習環境の違いによる教育格差の拡大への懸念だ。オンライン授業ができている自治体は全国で5%しかなく、「どっさり宿題が出たきりで、学校からほとんど連絡がない」などの不満が各地で聞かれる。
 朝日新聞が全ての都道府県や指定市、県庁所在市など121の自治体を取材したところ、約7割が今月末まで休校を続けると答えた。休校期間は実に3カ月に及ぶ。夏休みを短くして授業時間を確保することを考えているところが多いが、子どもたちが消化不良を起こさないか。教職員の過労も心配だ。
 9月入学にすればこうした問題の解消が期待できるとはいえ、ハードルは高い。たとえば一時的に17カ月分の児童生徒を受け入れる学年が生まれることになるが、その数に見合う教室や教員を確保するのは難しい。加えて「留学しやすくなるのでこの際9月入学に」といった、いわば便乗論への反発も持ち上がり、議論は錯綜(さくそう)している。
 思い起こすべきは、9月入学論が注目される直接の契機になった高校生たちの声だ。授業や友人と過ごす日がどんどん減っていくことに対する痛切な思いが込められたもので、だからこそ多くの人が共鳴した。
 この訴えの原点に立ち返り、授業や学校生活の時間をどうやって取り戻すかという視点から善後策を考えるべきだ。
 9月入学への大変革か、現行制度の維持かの二者択一ではないはずだ。まずは、指導要領によって定められている学習内容を削減できないか、文部科学省が検討する。それにも限界があるというなら、来春の始業時期を遅らせて今年度分の授業時間を確保し、2年間かけて影響を解消する。それくらいの柔軟な対応を考えてはどうか。
 どの子も困惑の中にいるが、とりわけ受験学年の不安は大きい。入試の実施時期などの基本方針を早急に示す必要がある。
 事態の長期化も考え、並行してオンライン学習の環境整備も急ぎたい。在宅勤務の広がりなどからIT関連機器が品薄になっており、準備が思うように進んでいない。必要な機材が子どもたちに速やかに行き渡るよう、政府はメーカーや自治体に働きかけてほしい。
 教育の機会均等は憲法に基づく国の責務だ。非常時でも、いや非常時だからこそ、不公平を放置することは許されない。


朝日デジタル(社説)学びの再建 受験学年への対応早く
2020年5月20日 5時00分

 コロナ禍による授業の遅れをどうやって取り戻すか。文部科学省が先週、基本的な考え方を全国の自治体に示した。
 積み残した学習内容を次年度以降に繰り越してもよい旨を明記した。年度内の完了が原則としつつも、柔軟な運用に道を開く内容だ。かねて社説で主張してきたこととも重なる。
 大半の自治体が夏休みの短縮を考え、なかには2週間程度にまで削る予定のところもある。真夏の教室で感染症と熱中症の双方に備えるのは容易ではないし、児童生徒や教職員の疲労も気がかりだ。今回の通知の趣旨を踏まえ、無理のない授業日程を組んでもらいたい。
 土曜授業や7時間授業を検討している自治体もある。やむを得ない場合もあろうが、過度な詰め込みは子どもたちの理解の深まりを害する。所定のコマ数を消化することを目的とするような編成は避けるべきだ。
 今回の措置でも残る大きな問題がある。「繰り越し」の利かない最終学年への対応だ。通知は、分散登校を行う場合には他学年より手厚くするよう求めるが、それにも限界がある。
 入試も立ちはだかる。文科省は高校入試について、▽地元の中学の授業進度をふまえて出題範囲を定める▽生徒が解答する問題を選べる出題形式を採り入れる、などの工夫を例示している。大学入試にも何らかの指針が必要ではないか。
 実施時期はどうか。窓を開けられない冬に密閉・密集を避けて長時間の試験を行うのは難しく、感染の第2、第3の波の到来もありうる。会場が用意できるかを早急に調べ、春先にずらすことも検討すべきだ。それは授業時間の確保にもつながる。
 大学の推薦入試などについては、萩生田光一文科相が選考を遅らせる必要性に言及した。そうでなくても現高3生は入試改革の迷走に振り回され、大きな負担を強いられた。一般入試を含む全体方針を速やかに示し、落ち着いて準備できる環境を整えるのが大人の責務だ。
 先週の文科省通知には、もうひとつ大きな特徴がある。
 授業は実習や協働学習に重きをおき、個人でできるものは家庭学習に回すとの考えを打ち出したことだ。時間数が限られるなか、内容の取捨選択が必要なのはわかる。だが、自学自習できるかどうかは家庭環境に大きく左右される。コロナ禍は経済の低迷をもたらし、多くの保護者は余裕を失っている。
 退職した教員や教育NPOの力を借り、インフラ整備を急いでオンライン学習も活用する。厳しい境遇にいる子を中心に、「学びの保障」を確実に実現しなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200517 【社説】検察庁法改正 やはり撤回しかない ;【意見書全文】東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書

2020年05月17日 15時18分00秒 | 考える資料
5月17日(日):    

このまま、コロナ問題を前に茫然自失で有効な対処を何もできない、保身しか考えていない愚か者を頂いて、”第1波”よりも圧倒的に致死率の高いコロナ・ウイルスの”第2波”を迎えて、地獄絵図を目の当たりにするつもりなのか? アベの自民党と創価学会、インチキ維新を支持できる大勢?の連中は人生を台無しにされて、死ななくてもよかった病死、死ななくてもよかった経済破綻・自殺に追い込まれて、まだ支持してアベと創価学会を延命させるのか? 今は政権交代がどうしても必要な時だ、と思う。

朝日デジタル【社説】検察庁法改正 やはり撤回しかない
2020年5月16日 5時00分

 いったい何のために、そしてどんな場合を想定して、法律を変えようとしているのか。市民が抱く当然の疑問に、政府はまったく答えようとしない。いや答えられない。こんな法案は直ちに撤回すべきだ。
 検察庁法改正案を審議する衆院内閣委員会に、きのう森雅子法相がようやく出席した。
 検事長ら検察幹部を、その職を退く年齢になっても政府の裁量でとどめ置けるようにする。そんな規定を新設することの是非が、最大の焦点だ。
 野党は、法改正が必要な事情や政府が判断する際の基準を明らかにするよう求めた。だが法相から中身のある説明は一切されなかった。用意したペーパーをただ読み上げるだけで、約束したはずの「真摯(しんし)な説明」にはほど遠い答弁ぶりだった。
 戦後つくられた検察庁法は「検事総長は65歳、その他の検察官は63歳で退官」と定め、年齢以外の要素を排除している。政治が介入する余地を残すことで、職務遂行の適正さや検察の中立性が損なわれるのを防ぐためだ。このルールは、1月末に安倍内閣が東京高検検事長の定年延長を決めて留任させるまで、例外なく守られてきた。
 法案は今回の「特例」を制度化するもので、検察官のありようの根源的な見直しとなる。政府はその詳しい理由とあわせ、延長を認める具体的な基準も示して、国会の審議を仰ぐのが筋だ。だが法相は「これから適切に定める」と繰り返し、理解を求めた。そんな白紙委任のようなまねができるはずがない。
 法相に限らない。安倍首相は「検察官も行政官であることは間違いない」と述べ、内閣の統制に服するのを当然のようにいう。司法と密接に関わり、政治家の不正にも切り込む検察の使命をおよそ理解していない。
 時の政権が幹部人事への影響力を強めることが、検察をどう変質させ、国民の信頼をいかに傷つけるか。きのう松尾邦弘・元検事総長ら検察OB有志が、改正案に反対する異例の意見書を法務省に提出したのも、深刻な危機感の表れだ。
 与党の対応も厳しく批判されねばならない。答弁に不安がある法相を委員会に出席させず、野党欠席のまま審議を進めたり、「国民のコンセンサスは形成されていない」とツイートした泉田裕彦議員を、内閣委員会から外す措置をとったりした。
 国会は議員それぞれの視点をいかして法案を精査し、国権の最高機関として内閣を監視する責務を負う。異論をもつ者を排除し、政権に追従する姿は「言論の府」の正反対をゆく。
 このまま採決を強行するようなことは、決して許されない。


朝日デジタル【意見書全文】首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿
2020年5月15日 16時14分

(写真)検察庁法改正案に反対する意見書を手に、法務省へ向かう松尾邦弘・元検事総長(右)と清水勇男・元最高検検事=2020年5月15日午後3時2分、東京都千代田区、林敏行撮影

 検察庁法改正に反対する松尾邦弘・元検事総長(77)ら検察OBが15日、法務省に提出した意見書の全文は次の通り。
    ◇
 東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書
 1 東京高検検事長黒川弘務氏は、本年2月8日に定年の63歳に達し退官の予定であったが、直前の1月31日、その定年を8月7日まで半年間延長する閣議決定が行われ、同氏は定年を過ぎて今なお現職に止(とど)まっている。
 検察庁法によれば、定年は検事総長が65歳、その他の検察官は63歳とされており(同法22条)、定年延長を可能とする規定はない。従って検察官の定年を延長するためには検察庁法を改正するしかない。しかるに内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した。これは内閣が現検事総長稲田伸夫氏の後任として黒川氏を予定しており、そのために稲田氏を遅くとも総長の通例の在職期間である2年が終了する8月初旬までに勇退させてその後任に黒川氏を充てるための措置だというのがもっぱらの観測である。一説によると、本年4月20日に京都で開催される予定であった国連犯罪防止刑事司法会議で開催国を代表して稲田氏が開会の演説を行うことを花道として稲田氏が勇退し黒川氏が引き継ぐという筋書きであったが、新型コロナウイルスの流行を理由に会議が中止されたためにこの筋書きは消えたとも言われている。
 いずれにせよ、この閣議決定による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない。この点については、日弁連会長以下全国35を超える弁護士会の会長が反対声明を出したが、内閣はこの閣議決定を撤回せず、黒川氏の定年を超えての留任という異常な状態が現在も続いている。
 2 一般の国家公務員については、一定の要件の下に定年延長が認められており(国家公務員法81条の3)、内閣はこれを根拠に黒川氏の定年延長を閣議決定したものであるが、検察庁法は国家公務員に対する通則である国家公務員法に対して特別法の関係にある。従って「特別法は一般法に優先する」との法理に従い、検察庁法に規定がないものについては通則としての国家公務員法が適用されるが、検察庁法に規定があるものについては同法が優先適用される。定年に関しては検察庁法に規定があるので、国家公務員法の定年関係規定は検察官には適用されない。これは従来の政府の見解でもあった。例えば昭和56年(1981年)4月28日、衆議院内閣委員会において所管の人事院事務総局斧任用局長は、「検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されない」旨明言しており、これに反する運用はこれまで1回も行われて来なかった。すなわちこの解釈と運用が定着している。
 検察官は起訴不起訴の決定権すなわち公訴権を独占し、併せて捜査権も有する。捜査権の範囲は広く、政財界の不正事犯も当然捜査の対象となる。捜査権をもつ公訴官としてその責任は広く重い。時の政権の圧力によって起訴に値する事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態が発生するようなことがあれば日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊することになりかねない。検察官の責務は極めて重大であり、検察官は自ら捜査によって収集した証拠等の資料に基づいて起訴すべき事件か否かを判定する役割を担っている。その意味で検察官は準司法官とも言われ、司法の前衛たる役割を担っていると言える。
 こうした検察官の責任の特殊性、重大性から一般の国家公務員を対象とした国家公務員法とは別に検察庁法という特別法を制定し、例えば検察官は検察官適格審査会によらなければその意に反して罷免(ひめん)されない(検察庁法23条)などの身分保障規定を設けている。検察官も一般の国家公務員であるから国家公務員法が適用されるというような皮相的な解釈は成り立たないのである。
 3 本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
 時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。
 ところで仮に安倍総理の解釈のように国家公務員法による定年延長規定が検察官にも適用されると解釈しても、同法81条の3に規定する「その職員の職務の特殊性またはその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分の理由があるとき」という定年延長の要件に該当しないことは明らかである。
 加えて人事院規則11―8第7条には「勤務延長は、職員が定年退職をすべきこととなる場合において、次の各号の1に該当するときに行うことができる」として、①職務が高度の専門的な知識、熟練した技能または豊富な経験を必要とするものであるため後任を容易に得ることができないとき、②勤務環境その他の勤務条件に特殊性があるため、その職員の退職により生ずる欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な障害が生ずるとき、③業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき、という場合を定年延長の要件に挙げている。
 これは要するに、余人をもって代えがたいということであって、現在であれば新型コロナウイルスの流行を収束させるために必死に調査研究を続けている専門家チームのリーダーで後継者がすぐには見付からないというような場合が想定される。
 現在、検察には黒川氏でなければ対応できないというほどの事案が係属しているのかどうか。引き合いに出される(会社法違反などの罪で起訴された日産自動車前会長の)ゴーン被告逃亡事件についても黒川氏でなければ、言い換えれば後任の検事長では解決できないという特別な理由があるのであろうか。法律によって厳然と決められている役職定年を延長してまで検事長に留任させるべき法律上の要件に合致する理由は認め難い。
 4 4月16日、国家公務員の定年を60歳から65歳に段階的に引き上げる国家公務員法改正案と抱き合わせる形で検察官の定年も63歳から65歳に引き上げる検察庁法改正案が衆議院本会議で審議入りした。野党側が前記閣議決定の撤回を求めたのに対し菅義偉官房長官は必要なしと突っぱねて既に閣議決定した黒川氏の定年延長を維持する方針を示した。こうして同氏の定年延長問題の決着が着かないまま検察庁法改正案の審議が開始されたのである。
 この改正案中重要な問題点は、検事長を含む上級検察官の役職定年延長に関する改正についてである。すなわち同改正案には「内閣は(中略)年齢が63年に達した次長検事または検事長について、当該次長検事または検事長の職務の遂行上の特別の事情を勘案して、当該次長検事または検事長を検事に任命することにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日において占めていた官及び職を占めたまま勤務をさせることができる(後略)」と記載されている。
 難解な条文であるが、要するに次長検事および検事長は63歳の職務定年に達しても内閣が必要と認める一定の理由があれば1年以内の範囲で定年延長ができるということである。
 注意すべきは、この規定は内閣の裁量で次長検事および検事長の定年延長が可能とする内容であり、前記の閣僚会議によって黒川検事長の定年延長を決定した違法な決議を後追いで容認しようとするものである。これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。これは「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている(元検事総長伊藤栄樹著「だまされる検事」)。検察庁法は、組織の長に事故があるときまたは欠けたときに備えて臨時職務代行の制度(同法13条)を設けており、定年延長によって対応することは毫(ごう)も想定していなかったし、これからも同様であろうと思われる。
 今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図していると考えられる。
 5 かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。
 振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバスにからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。
 当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないのではないかという懐疑派、苦労して捜査しても(1954年に犬養健法相が指揮権を発動し、与党幹事長だった佐藤栄作氏の逮捕中止を検事総長に指示した)造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。
 事件の第一報が掲載されてから13日後の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道されるやロッキード世代は歓喜した。後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅にお邪魔したときにこの発言をされた時の神谷氏の心境を聞いた。「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。
 この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田中角栄氏ら政財界の大物逮捕に至るご存じの展開となった。時の検事総長は布施健氏、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官は塩野宜慶(やすよし)氏(後に最高裁判事)、内閣総理大臣は三木武夫氏であった。
 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。
 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯(たて)に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。
 しかし検察の歴史には、(大阪地検特捜部の)捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。
 しかしながら、検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘(せいちゅう)を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。
 正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。
 黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。

 【追記】この意見書は、本来は広く心ある元検察官多数に呼びかけて協議を重ねてまとめ上げるべきところ、既に問題の検察庁法一部改正法案が国会に提出され審議が開始されるという差し迫った状況下にあり、意見のとりまとめに当たる私(清水勇男)は既に85歳の高齢に加えて疾病により身体の自由を大きく失っている事情にあることから思うに任せず、やむなくごく少数の親しい先輩知友のみに呼びかけて起案したものであり、更に広く呼びかければ賛同者も多く参集し連名者も多岐に上るものと確実に予想されるので、残念の極みであるが、上記のような事情を了とせられ、意のあるところをなにとぞお酌み取り頂きたい。

 令和2年5月15日
 元仙台高検検事長・平田胤明(たねあき)
 元法務省官房長・堀田力
 元東京高検検事長・村山弘義
 元大阪高検検事長・杉原弘泰
 元最高検検事・土屋守
 同・清水勇男
 同・久保裕
 同・五十嵐紀男
 元検事総長・松尾邦弘
 元最高検公判部長・本江威憙(ほんごうたけよし)
 元最高検検事・町田幸雄
 同・池田茂穂
 同・加藤康栄
 同・吉田博視
 (本意見書とりまとめ担当・文責)清水勇男

 法務大臣 森まさこ殿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200505 湯浅誠 在宅リスク 見落とさないで

2020年05月05日 13時59分21秒 | 考える資料
5月5日(火):  
朝日デジタル外出自粛に「在宅リスク」 湯浅誠さん(51)が心配する副作用
コロナ社会を生きる  聞き手・室矢英樹
2020年5月5日 12時00分

困難な子 支援の手立てを
 「ステイホーム」に象徴されるように、外出自粛や休業要請といった感染を抑える力が強く働くほど、経済は萎縮し、失業や休業によって生活困難が起きます。2008年のリーマン・ショックで開いた「年越し派遣村」は1カ所の公園に集まることで、派遣切りされた労働者がいるという事実が見えました。今は人と人とがつながるのが難しく、困難な状況が見えにくくなっています。
 今回の問題は三つのフェーズ(段階)で考える必要があります。緊急事態宣言が今月末まで延長された今の段階と、次に来る移行期。解除されてもすぐに以前のような状態には戻らず、地域や業種で段階的に解除されていくことになるでしょう。そして収束後の「アフターコロナ」です。
 阪神大震災は大変な経験でしたが、数年後には「ボランティア元年」と呼ばれるようになりました。そうした芽が生まれるよう、社会に種をまいていきたいと思っています。

「行き過ぎた萎縮の副作用が心配」
 感染拡大の抑止策は経済や生活を直撃するため、応急手当てが必要になります。今、見逃してはならないのが「在宅リスク」です。家にいることがマイナスになる人たちがいます。DVを受けかねない妻、虐待されかねない子ども……。親の失業や収入減が加わると高いリスクになり得ます。10万円の給付では生活が立ちゆかなくなる人たちにも目を向ける必要があります。
 そのためには相談支援が重要です。相談支援にはこちらから出向く「アウトリーチ」と、来てもらう場を作るという二つの手法があります。今はどちらも困難ですが、それゆえ、わずかな接点でも積極的に活用していく柔軟な発想が求められます。
 私は今、生活に困っている人たちに食料を配る「フードパントリー」や「子ども食堂」を支援しています。弁当や食料を配るだけではない、いわば相談支援付きの無料スーパーです。食材の受け渡し時に言葉を交わしたり、情報提供したりすることで、相談支援の場となりえます。
 相談支援というと難しく聞こえるかもしれませんが、愚痴、不安を口にできるだけでもいいんです。何げないことですが、とても大事なことです。自分の抱えていることは、なかなか自分では整理できない。コミュニケーションを取ることで、自分の考えが整理されたり、助言を受けたりできます。在宅リスクを緩和してくれる場所なのです。
 私が運営に携わるNPOで4月、全国の子ども食堂にアンケートをしました。回答した35都道府県の231団体のうち食堂を開けていたのは1割。ただ、半数近くが弁当や食材を取りに来てもらったり、配ったりしていました。
 子ども食堂の人たちは全国で生活が大変な人たちとの接点を持ち続けています。アンケートには「みんなのことを応援しているよ、という心も届けたい」「不安な感情に安らぎを持たせ、孤立感を防ぐサポートになる」という皆さんの思いも書かれていました。
 自粛は必要ですが、行きすぎた萎縮になってしまうと副作用が心配です。外出も人と距離を取れば問題がないはずですが、外に出てはいけないと受け取っている人も多い。フードパントリーにも「こんな時期にけしからん」という批判があります。でも、必要としている人にとってはスーパーと同じライフラインです。恐れることは必要ですが、過敏に反応していかなる接点もつぶしてしまうと、見えないところで悲惨なことが起こりかねません。個々人のニーズを丁寧に見極め、感染リスクとともに生活リスクにも配慮する必要があります。

「官民連携しないと、こぼれ落ちる人たちがいる」
 緊急事態宣言が解除された後の移行期は「3密」に気をつけながら、地域の居場所を速やかに開く。私たちは感染症にくわしい医師と連携し、子ども食堂の開設へ向けたハンドブックの準備をしています。学校再開とタイムラグ(時間差)が生じないようにしたい。
 その際、自治体に求めたいことがあります。民間とはいえ、子ども食堂などは公共的な役割を担っています。大人数の会食と、社会的に必要だから継続している保育園での食事。その中間的な位置づけが必要だと思います。この小学校区に「こういう場所があります」と周知することは、自治体にとっても重要な住民サービスです。
 今の状況はある種の災害です。子ども食堂のような居場所は民間避難所で、地域と子どもたちがつながる大事な接点になります。官民が連携しないと、こぼれ落ちる人たちがいるとの意識を持ってほしい。
 今年のこどもの日は異例ずくめです。それでも、困難な子どもたちとつながっている人たちがいる。そうした人たちを支えていきたいと考えています。(聞き手・室矢英樹)
     ◇
 ゆあさ・まこと 社会活動家、東大特任教授。NPO「全国こども食堂支援センター・むすびえ」理事長。著書に「『なんとかする』子どもの貧困」(角川新書)など。長年、生活困窮者を支援し、リーマン・ショック時の「年越し派遣村」で村長を務めた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200503 その国の7年半 憲法を考える 憲法学者・蟻川恒正

2020年05月03日 20時12分41秒 | 考える資料
5月3日(日):   
朝日デジタル(寄稿)その国の7年半 憲法を考える 憲法学者・蟻川恒正  
2020年5月2日 5時00分


脱法厭わぬ権力中枢/従う「配下」も共犯/法秩序ほとんど破壊
現政権が滅しても病巣は根治しない


 さる国のお伽話(とぎばなし)である。
 詐欺師Aが、その国の政治を取り仕切る最高責任者を名乗るXに不埒(ふらち)な知恵を吹き込んだ。「この国の法ではできないことになっていることも、法を変更することなく、できるようにしてみせます」
ここから続き
 それを聞いて、Xは喜んだ。それが本当なら、この国の政治は自分の思いのままになると考えたからである。だが、そんな夢のようなことが本当に可能なのか、自分では判断がつかなかったXは、側近のBに、そんなことが本当にできるのかと尋ねてみた。Bは、そんな夢のようなことができるのか、本当はわからなかったが、できないと言えばXの機嫌を損ねると思い、よく考えもせず、「できますとも」と答えた。
 それを聞いて、Xは喜んだ。だが、実は小心なXは、もっと確かな保証がほしいと考えた。そこで今度は、Xの「配下」の者ではあるが、この国の法をつかさどる機関の責任者であるCに、保証はできるかと尋ねてみた。Cは、そんなことができるはずはないと考えたが、保証をしなければXの機嫌を損ねると思い、Bと全く同じように答えた。「できますとも」
 こうしてXは、法が妨げとなって自分の思い通りにならないことがあると、Aの甘言に従い、また、Bに背中を押されて、理の通らない法解釈をひねり出しては、その法解釈にCのお墨付きを得て、難局をしのいできた。
 Xらのしていることはおかしいのではないかといぶかる者がいなかったわけではない。けれども、それらの人々の多くは、繰り返される同種の事態に感覚を鈍麻させられ、口をつぐんでいた。
 そうした時代が長く続いていたある時、「空気」を読まない一人の馬鹿者が人々の前に進み出て、満場に轟(とどろ)く声で言い放った。「法ができないと言っていることを、法を変えもしないでできることにするなんて、いかさまじゃないか」
 アンデルセンの童話「はだかの王様」は、美しい布を織っていると偽って、空(から)の機織(はたお)り機に向かっていた詐欺師の言葉を、大臣も、側近も、嘘(うそ)だと言えなかったために、王が市中を何も身に着けずに行進する羽目になった物語である。沿道の子どもが「王様は何も着ていない」と言ったのをきっかけに、ようやく王は、わが身に起こったことの意味を理解する。
 さる国のお伽話は、この「はだかの王様」によく似ている。だが、二つの物語には重要な違いがある。それは、「はだかの王様」の哀れな王と違い、このお伽話のXは、Aとぐるだったという点である。
 「王様は何も着ていない」という言葉が効果を持つのは、王が騙(だま)されている場合である。詐欺師と通じ、わかってやっている者には、「いかさまじゃないか」という告発の言葉は少しも響かない。告発を意にも介さなかったその国の政治の最高責任者は、同国の歴史上稀(まれ)なことに、7年半にわたり、その地位にとどまったという。

     ■     ■
 この7年半近くの日本の政権を振り返ってみよう。
 2014年7月、歴代の内閣法制局答弁により憲法9条違反であることが確立した政府解釈となっていた集団的自衛権の行使を、同条改正に言及することなく、閣議決定のみで合憲へと解釈変更した。20年1月、検察庁法22条の下で検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されないとする39年間疑われなかった政府解釈を、新たな政府見解を発しただけで変更し、一人の検察官の定年延長を強行した。「法ができないと言っていることを、法を変えもしないでできることに」したのである。
 集団的自衛権の行使を容認した現政権の閣議決定は、何が問題か。自衛隊の武力行使を求める国際社会の一部からの圧力を押し返す憲法9条の力を弱めた。その通りである。だが、より問題なのは、憲法ができないとしていることを一内閣でできるとしたことにより、憲法改正規定(憲法96条)を裏から侵犯したことである。
 閣議決定による検察官の定年延長は、何が問題か。内閣総理大臣をも訴追しうる権限を持つのが検察官である。検察官の定年規制を政府見解のみで反故(ほご)にすることを許せば、政権の言うことを聞く検察官は定年を延長し、聞かない検察官は延長しないとすることができる。政権の存亡にかかわる刑事事件が、その政権の手に落ちる。
 この二つの法解釈変更は、単なる違憲や違法の法運用ではない。政治権力を法で拘束する立憲主義それ自体を骨抜きにする、違憲や違法の法運用なのである。
 しかも、それだけではない。
 一方で内閣法制局の人事慣行を破って、長官の首を集団的自衛権行使容認論者にすげ替えた。他方で「一強」となった首相が法務大臣の、事実上首相の息のかかった内閣人事局が法務省幹部職員の、それぞれ首根っこをつかんだ。それにより、内閣法制局と法務省が長年とってきた立場とは矛盾する前記の法解釈変更をそれぞれの機関に迫り、おのおのの「国の法をつかさどる機関の責任者」が、唯々諾々とこれに従ったのである。
 法の秩序は、ほとんど破壊されたといっても言い過ぎではない。
 この消息を、政権中枢とその「配下」の者たちとの関係という観点から考察しよう。
 法の制定と法の適用は、異なる機関に振り分けるのが、権力分立の根本である。安定的に行われてきた法の解釈は、法それ自体とほぼ同視されるから、その解釈を変えるのであれば、法改正によるのが本道である。これを解釈変更のみで代替するのは、法の適用者が法の制定権を行使するに等しい。
 憲法改正によらなければ認められないとされた集団的自衛権の行使を閣議決定で合憲としたことは、国民が保持する憲法改正権を内閣が簒奪(さんだつ)したことを意味する。検察庁法改正案の提出前に検察官の定年延長を実現したことは、国会が有する法律制定権を内閣がかすめ取ったことを意味する。
 現政権は、権力分立の根本を掘り崩したのである。
 翻って「法ができないと言っていることを、法を変えもしないでできることにする」政権中枢の政略は、無理筋の法解釈と知りつつその正当化をしなければならない「配下」の者たちに過度の負担を強いる。先の両例で内閣法制局長官と法務大臣の答弁がその場しのぎのつじつま合わせに堕したのも、同じく両例で通常の場合と同様の協議文書(前者)や決裁文書(後者)が残せなかったのも、無理に無理を強いられたこの国の官僚機構がとうとう限界に達したことの痛ましい症例である。
     ■     ■
 だが権力分立の破壊を目指すのが独裁者なら、政権中枢は独裁者ではない。その「配下」の者たちも、政権中枢のハラスメントに喘(あえ)ぐだけの単なる被害者ではない。
 政権中枢についていえば、先の両例でのその振る舞いを、法律制定権はもとより憲法改正権までをも手中に収めたかのごとき、首相の高揚した全能感の発露と見ることは、この政権の本質を見誤らせる。真相はむしろその逆であり、憲法改正はおろか検察庁法改正さえ容易ならぬと見て、裏道を選んだのである。目的を達するのに必要な法制定を待たずに抜け道を探る現政権中枢は、(その頂点にある者が時に自らに用いる「立法府の長」という誤称が連想させる万能の立法者とは対極の)脱法行為さえ厭(いと)わない政略家の集団に近い。
 政権中枢から無茶(むちゃ)な法解釈変更を求められ、身体的にも精神的にも疲弊の底に突き落とされた「配下」の者たちもまた、その代償として組織防衛なり人事上の利益なりを暗黙に期待した限りで、結果的に政権中枢との間に不純な共犯関係を築いている。
 憲法の基本原則を壊しているという大それた意識もなしに権力分立の根本を掘り崩すことができる政権中枢と、何らかの見返りを期待するが故に政権中枢の求めとあらば多くの法律家が不可能と考える法解釈変更の正当化さえ甘んじて行う「配下」の者たち。前者を主犯とし後者を従犯とするこの共犯関係なくしては、1947年5月3日施行の日本国憲法の下で着実に法の歩みを積み重ねてきたわが国に、法の秩序の破壊と呼ぶべき事態が襲うことはなかった。
 これまでにも、時の首相が違憲や違法の疑いのある行為(靖国神社公式参拝など)に手を染めたことはあった。けれども、長く確立した政府解釈により違憲や違法であることが明らかな事柄を「新しい判断」ひとつで合憲や適法にしてしまう政権は、現政権以前にはなかった。法が政権の枷(かせ)になっているとき(だが法が政権の枷でなくて何であろう)、その枷を外すために正面から法を改正する手続きを履行するか、それとも、そうした手続き自体が枷であるとして法解釈変更でお茶を濁すかは、決定的な違いである。法を守るということの中核は、手続きを尊重することのうちにあるからである。
     ■     ■
 現在の日本の政治を取り仕切る最高責任者を自称する首相は、冒頭のお伽話のAからCに相当する人物を自分に近いところに置き、政権中枢の思惑に「配下」の者たちを丸ごと巻き込む(巻き込まれない個人は徹底的に追い詰める)政治の型を作り上げてきた。憲法に合わせて政権の都合を抑制するのではなく、反対に政権の都合に合わせて憲法の意味を伸縮自在に「解釈」する大小の政治実例が近年目に余るのは、この型の政治支配がいよいよ完成に近づきつつあるしるしでもある。
 憲法は99条で公務員の憲法尊重擁護義務を定めている。個々の違憲行為であれば憲法各条項に対する違反として追及すれば足りる。しかし権力の発動を権力者の自由にはさせないという法の存在意義そのものをうやむやにする現政権の政治に一貫する違憲性は、憲法99条違反をもって刻印するのでなければその問題性を十全には表現できない性質のものである。
 政治の型は政権の生滅を超えて稼働し続ける。ましてその基礎が民主党政権以来の政治主導、小泉純一郎政権以来の官邸支配にあるとしたら、型の完成が導く法の秩序の破壊を現政権と結びつけるだけでは病巣の根治には至らない。
 お伽話の続きを書くのは、その国に現に生きている人々である。
     *
 ありかわつねまさ 1964年生まれ。日本大学大学院法務研究科教授。著書に「憲法解釈権力」「尊厳と身分」「憲法的思惟」など。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200427 「人文知」軽視の政権は失敗する 藤原辰史さん寄稿

2020年04月27日 15時09分37秒 | 考える資料
4月27日(月):   寄稿 藤原辰史・京都大学准教授(農業史・環境史)

朝日デジタル「人文知」軽視の政権は失敗する 藤原辰史さん寄稿
2020年4月26日 7時00分

新型コロナ  人文知を軽んじた失政 /歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉
 ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。言葉がなければ、激流の中で自分を保てない。言葉と思考が勁(つよ)ければ、視界が定まり、周囲を見わたせる。どこが安全か、どこで人が助けを求めているか。流れとは歴史である。流れを読めば、救命ボートも出せる。歴史から目を逸(そ)らし、希望的観測に曇らされた言葉は、激流の渦にあっという間に消えていく。
 宮殿で犬と遊ぶ「ルイ16世」の思考はずっと経済成長や教育勅語的精神主義に重心を置いていたため、危機の時代に使いものにならない。IMFに日本の5・2%のマイナス成長の予測を突きつけられ、先が見通せず右往左往している。それとは逆に、ルイとその取り巻きが「役に立たない」と軽視し、「経済成長に貢献せよ」と圧力をかけてきた人文学の言葉や想像力が、人びとの思考の糧になっていることを最近強く感じる。

【防護服を脱げずへたり込んだ医療従事者の写真(もみ注)】
3月19日、イタリア・ペーザロ市のサンサルバトーレ病院で。本来は総合病院だが、今は新型コロナ患者のためのICUとなっている。医療従事者は12時間交代のシフト勤務。防護服を脱げないため、その間は飲まず食わずでトイレにも行けない。アルベルト・ジュリアーニ氏撮影

 歴史の知はいま、長期戦に備えよ、と私たちに伝えている。1918年から20年まで足掛け3年2回の「ぶり返し」を経て、少なくとも4千万人の命を奪ったスペイン風邪のときも、当初は通常のインフルエンザだと皆が楽観していた。人びとの視界が曇ったのは、第1次世界大戦での勝利という疫病対策より重視される出来事があったためだ。軍紀に逆らえぬ兵士は次々に未知の疫病にかかり、ウイルスを各地に運び、多くの者が死に至った。
 長期戦は、多くの政治家や経済人が今なお勘違いしているように、感染拡大がおさまった時点で終わりではない。パンデミックでいっそう生命の危機にさらされている社会的弱者は、災厄の終息後も生活の闘いが続く。誰かが宣言すれば何かが終わる、というイベント中心的歴史教育は、二つの大戦後の飢餓にせよ、ベトナム戦争後の枯葉剤の後遺症にせよ、戦後こそが庶民の戦場であったという事実をすっかり忘れさせた。第1次世界大戦は、戦後の飢餓と暴力、そして疫病による死者の方が戦争中よりも多かったのだ。
 スペイン風邪のとき、日本の内務省は貧困地区の疫病の悲惨を観察していた。1922年に刊行された内務省衛生局編『流行性感冒』には、貧困地区は医療が薄く、事態が深刻化しやすいことが記してある。神奈川県の事例を見ると、「日用品殊ニ食料品ノ騰貴ニ苦メル折本病ノ襲激ニ因リ一層悲惨ナルモノ有リ」(原文ママ)とある。
 封鎖下の武漢で日記を発表し、精神的支えとなった作家の方方(ファンファン)は、「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は(中略)ただ一つしかない。それは弱者に接する態度である」と述べたが、これは「弱者に愛の手を」的な偽善を意味しない。現在ニューヨーク市保健局が毎日更新する感染地図は、テレワーク可能な人の職場が集中するマンハッタンの感染率が激減する一方で、在宅勤務不可能な人びとが多く住む地区の感染率が増加していることを示している。
 これが意味するのは、在宅勤務が可能な仕事は、「弱者」の低賃金労働に支えられることによってしか成立しないという厳粛な事実だ。今の政治が医療現場や生活現場にピントを合わせられないのは、世の仕組みを見据える眼差(まなざ)しが欠如しているからである
 研究者や作家だけではない。教育勅語と戦陣訓を叩(たた)き込まれて南洋の戦場に行き、生還後、人間より怖いものはないと私に教えた元海軍兵の祖父、感染者の出た大学に脅迫状を送りつけるような現象は関東大震災のときにデマから始まった朝鮮人虐殺を想起する、と伝えてくれた近所のラーメン屋のおかみさん、コロナ禍がもたらしうる食料危機についての英文記事を農繁期にもかかわらず送ってくれる農家の友人。そんな重心の低い知こそが、私たちの苦悶(くもん)を言語化し、行動の理由を説明する手助けとなる。

 これまで私たちは政治家や経済人から「人文学の貢献は何か見えにくい」と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンスを提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。
 だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱させているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。
 危機の時代に誰が誰を犠牲にするか知ったいま、私たちはもう、コロナ前の旧制度(アンシャン・レジーム)には戻れない


 ふじはら・たつし 1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史・環境史。2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、19年『分解の哲学』でサントリー学芸賞、『給食の歴史』で辻静雄食文化賞
     ◇
 藤原さんの論考「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」はウェブサイト「B面の岩波新書」に掲載中。https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic



ルイ16世がアベなら、マリーアントワネットがアキエということか。「食べ物がないならお菓子を食べればいいのに」ってか?!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200421 現政権が支持されているのは「日本が落ち目だから」(内田樹) 

2020年04月21日 09時35分22秒 | 考える資料
4月21日(火):

コロナ対策という<世界共通の問題>を通じて世界各国の<政治指導者の偏差値>が出た。それは支持率の上昇、失墜で明示される。ドイツ(メルケル)や韓国(ムン・ジェイン)、台湾は偏差値70以上、イギリス、フランスは65、中国は60、アメリカは45、そして日本のアベの偏差値は35以下。もともと首相になってはいけないクズが権力にしがみついてるだけだから仕方がない。それでも各紙の内閣支持率は今だに40%前後だそうだ。ネット上の何十万という膨大な母数で見た内閣支持率はとっくに10%未満なので日本はマス(本当か?)・メディア自体の偏差値も相当に低いと言わねばならない。そして、何より所謂<日本人>の偏差値も相当低いとしか言いようがない。落ち目のいじましい国に成り下がったものだ。

週刊文春 2020年4月9日号:内田樹の緊急提言「サル化する日本」から抜粋

 それにしても、どうしてこれほど無能無策な政権が40%を超える支持率を維持し続けているのでしょうか。イデオロギー的に安倍政権を支持しているという人は自民党支持層の半分以下だと思います。では、あとの支持者たちは何を支持しているのか。

自分より「上位」の人を批判してはいけないという風潮
 世論調査ではしばしば「他にいないから」というのが支持理由の第1位に挙げられます。それは言い換えると「安倍晋三が総理大臣に適格なのは現に総理大臣だから」というトートロジーに他なりません。
 コラムニストの小田嶋隆さんが、前にツイッターで麻生太郎を批判したことがありました。すると「そういうことは自分が財務大臣になってから言え」というリプライが飛んできたそうです。財務大臣以外に財務大臣の政策や資質の適否について論じる資格はない、と。このロジックは実はこの10年ほど日本社会に広く蔓延しているものです。僕も政治について意見を言うと「だったら自分が国会議員に立候補しろ」というふうに絡んでくる人がいます。国会議員以外は国政について議する資格はないらしい。同じロジックをあちこちで聴きます。ユーチューバーが他の人のコンテンツを批判したら「フォロワーが同じくらいになってから言え」と言われ、ネットで富豪の言動を批判したら「あれくらい金持ちになってから言え」と言われる。権力者や富裕者を批判することは、同レベルの権力者や富裕者だけにしか許されないという不思議な論法が行き交っているのです。自分より「上位」の人間を批判する動機は嫉妬であり、羨望である。そうなりたくてもなれない人間のひがみである。見苦しいから止めろ、と。それは要するに「絶対的な現状肯定」ということです。貧乏人や弱者は「身の程を知れ」「分際をわきまえろ」ということです。

「桜を見る会」のどこが悪いのかと不思議がる人もいる
 そういう言葉を口にするのが、実際にはお金もない、地位もない、社会的弱者であるというのが不可解です。
 「桜を見る会」の問題でも、総理大臣が自分の支持者を呼んで税金で接待することのどこが悪いのか、と本気で不思議がっている人がいます。別にいいじゃないか、何が悪いのか? 権力者というのは「何をしても罰されない人」のことではないのか? 法の支配に服しない人のことではないのか? 安倍晋三は権力者なのだから、何をしても罰されないし、法の支配に服さないでいいはずだ。そういうポストに就くために久しく努力してきて、その甲斐あって権力者になったのだから、下々の者にそれを批判する権利はない。批判したかったら自分が安倍晋三のポストに就いてみろ、と。そういうロジックがリアリズムだと本気で信じている。

「身の程を知れ」という“死語”が甦ってきた日本
 僕の少年時代には「身の程を知れ」と言って叱りつける大人がまだあちこちにいました。でも、高度成長期を境にそんなことを言う大人はきれいにいなくなった。当然です。高度成長というのは、国民全員が「身の程知らず」の欲望に焼かれ、「分際を知らず」に枠をはみ出し、「身の丈に合わない」仕事を引き受けて、それによって経済大国に成り上がった時代だからです。国力が向上し、国運に勢いがある時には誰も「身の程」なんか考えやしません。真空管を作っていた町工場がハリウッドの映画会社を買収し、神戸の薬局が世界的スーパーになり、宇部の紳士服店が世界的な衣料メーカーになる時代に「身の程を知れ」というのは死語でした。でも、その死語がまた甦ってきた。それは日本の国力が低下し、国運が衰微してきたことの徴(しるし)です。

現政権が支持されているのは「日本が落ち目だから」
 人間はパイが大きくなっている時には、分配比率を気にしません。自分のパイが前より増えていればそれで満足している。でも、一度パイが縮み始めると態度が一変する。隣の人間の取り分が気になる。いったいどういう基準で分配しているのか、査定基準を開示せよ、格付けのエビデンスを出せというようなことを言い出す。生産性がどうの社会的有用性がどうの成果がどうのとうるさく言い出すのはすべて「貧乏くささ」「けちくささ」の徴候です。「落ち目になった国」に固有の現象です。
 現政権が支持されているのは端的に日本が落ち目だからです。貧乏くさい国では、人々は隣人の「身の程知らず」のふるまいを規制することにはずいぶん熱心だけれども、創意工夫には何の関心も示さなくなる。隣の人間の箸の上げ下ろしにまでうるさく口を出すのは、限られた資源を奪い合うためです。国を豊かにするためではない。
 今は船が沈みかかっている時です。積み荷の分配で議論している暇はありません。この船の船底のどこかに大穴が空いている。それを見つけて、穴を塞ぐのが最優先です。そのための時間はもうあまり残されていません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200406 れいわ新選組のコロナ緊急提言 ※枝野は連合というインチキ集団にしがみついて憲法と国民を信じられないのか!?

2020年04月06日 23時51分50秒 | 考える資料
4月6日(月): 

アズミという<隠れ自民党>は全く信用できない。エダノは一体何を考えてるのか?連合というインチキ集団にしがみついて、日本国憲法と国民・市民を信頼できない立憲民主党は惑星化し、軌道を離れてしまっている。そんな立憲民主党に存在価値はない!そろそろエダノを信頼できなくなってきている。それでも俺は信頼したい。れいわ新選組の消費税5%(今は0%)で共闘して、俺に立憲民主党を信頼させてくれよ!

れいわ新選組のコロナ緊急提言
投稿日: 2020年4月6日 投稿者: れいわ新選組

れいわ新選組として新型コロナウイルス対策緊急提言を行う。
政府はそれに対し適切な措置を講じることを以下の通り求める。
コロナ恐慌対策として
100兆円規模の財政支出を行うこと。
出歩くな、自粛しろの代償は国が補償しなければならない。
コロナの爆発的感染を防ぐため、
人々に活動の制限を求める代わりに、
最低でも3ヶ月、最大で1年、
政府は人々に対する損失補填を徹底的におこなう必要がある。
人々が活動を自粛している間の時間を有効に使い、
検査体制の拡充はもちろん、
軽症者の隔離も充分にリーチできる医療体制を、
大幅に整えることを求める。
① 消費税はゼロ%に
消費税を1年間ゼロ%にする消費税法の特例法を制定。財源は国債発行でまかなう。
(特例法には経済条項を入れ、期間延長も視野に入れる)
なお、新型コロナウイルスの影響による事業者の消費税を含めた納税猶予(現在1年間猶予)については、ウィルス感染者の有無に関わらず柔軟に認める。猶予期間中の延滞税については免除する。
② 1人あたり20万円の現金給付
お見舞い金として、この国に生きる者全てに一律、
20万円給付する予算措置を行う。
※給付に際して、世帯宛ではなく個人宛にすること。
DV被害などで避難している場合、世帯宛に現金給付されると、
避難者の手元に給付金が行かないことが考えられる。
③イベント自粛や飲食店
中小零細・個人事業主と労働者への損失補填
イベントに関してはキャンセルに掛かる費用を国が補償する。
事業者に関して、前年度同時期の売上と比較、損失分は政府が補う。
労働者に関して、給与の全てを補償する。
大型店舗などに掛かる家賃について、
免除等の判断を行う大家、事業者については、
別途税制優遇などを与える。
その他の事業者についての家賃についても同様とするが、
免除等が難しい大家、事業者に対しては、国が財政措置を行う。
④社会保険料の免除
国民健康保険、国民年金、労働保険料などを免除。
厚生年金保険料、労働保険料など法改正が必要になるものも順次免除に。
⑤水道、光熱費の免除
水道、光熱費、通信費(携帯含む)の料金の免除。
事業者に対し財政支援を国が行う。
⑥家賃免除、生活保護の要件撤廃
公的住宅ストックの活用
経済状況が改善するまでの一定期間(当面は最長1年とするが状況により延長も)、
家賃滞納者への立ち退き行為を禁止。
(生活保護の資産要件の緩和)
資産に関わらず、
保有する現金が乏しい場合には、生活保護を利用できるものとする。
(生活保護・住宅扶助の上限撤廃)
住居喪失をさせないことを第一に考え、
現在の住まいが住宅扶助基準を上回る家賃額である場合であっても財政的支援を講ずる。
公的住宅(公営・UR・公社)の空き室を住居喪失者に無償提供。
民間住宅の空き家・空き室を行政が借り上げて、
DV被害者、ネットカフェ難民、ホームレスなど住居喪失者に積極的に無償提供する。
手続きに時間が掛かる場合は、繋ぎとしてホテルなど宿泊施設を準備。
⑦ローンなど債務の猶予、国による利息の補填
政府が、仕事を失ったり、収入が激減した人に関する住宅ローン・自動車ローン・カードローン等の各種借入債務の元本の支払猶予を銀行等の金融機関に対し行うよう、早急に要請する。猶予期間の利息は国が補填する。(参考 ホームレス総合相談ネットワーク提言)
⑧全ての教育、授業料免除
奨学金返済は1年間猶予
加えて、有利子奨学金については、国が借り換えて奨学金利子払いを免除。
授業料については、1年間の期間限定で、
全国の国公立・私立を問わず、初等・中高・大学・大学院について、
現在無償化されていない部分も含めて、
誰でも授業料を無料とする。
⑨医療従事者などの手当て
新型コロナ感染症の医療現場で勤務する医療従事者、
介護従事者や、供給に関わる食料品販売、輸送などに対して、
給与とは別に「危険手当」2万4千円を給付するとともに、
マスクや防護服などの必要な物資を優先的に供給する。
※(参考) 通常の賃金に上乗せされる「危険手当」は、
南スーダンPKO隊員は日額1万6千円の「国際平和協力手当」を支給。
駆け付け警護を実施すれば、計2万4千円と規定。
⑩生産者への支援・食料供給網の維持(就農支援等)
生産物の買い取りを含めた積極的な経済的支援を生産者に行う。
一時解雇などにより仕事がなくなった人々に所得保障を行い、
就農いただくなど労働力の移転で、生産者を支える。
⑪医療体制の拡充と災害時への対処
自衛隊・米軍基地の滑走路などを利用、プレハブ、コンテナハウスを敷き詰め、
コロナ軽症者の隔離にも充分リーチできる準備を進め、
元医療従事者や医学生なども参加する医療体制を拡充する。
検査体制も大幅に拡充。
毎年のように起こる豪雨、台風、地震。
災害が発生した場合、避難所がクラスター感染の発信源になる可能性があるため、
災害に備え徹底した調整が今から必要である。
避難所に代わる全国の宿泊施設、仮設住宅、プレハブ・コンテナハウス、
キャンピングカーやトレーラーハウス、テント、寝袋等の確保を今のうちに行う。
また、炊き出し時に活用できる自衛隊のキッチンカーが迅速に出動できるよう法整備を進める。
⑫DV被害者への対応
メールやSNS等による相談体制を早急に整えること。
テレワークや自宅待機等で、家族が同じ空間にいる時間が増えたことで、
DVや虐待の悪化による相談が増えている。
電話による相談はままならず、外出することも難しい状態から、
民間機関にはメール、LINE等SNSによる相談が増えている。
電話や来所相談以外の相談手段を広報し、
既にSNS等の相談手段を持っている民間機関と連携すること。
子どもの学力低下に対する対策、
居場所やエネルギーの発散についての対策を講じること。
母親は通常通り仕事に行かねばならないが、
子どもたちは慣れない留守番をせねばならず、
特にDVから逃げてきている家庭の子どもたちは、
ひとりで留守番することに大きな不安を感じて、
精神的に不安定になっているという相談も寄せられている。
感染拡大の不安もあるが、子どもたちの精神的健康面での対策も早急に講じること。
⑬海外邦人への対応
海外で居住、もしくは一時的に居住している日本人(ワーキングホリデー等)のうち、
現在収入もなく、帰国便など目処が立たず、
渡航先国での支援も受けられないまま滞在を余儀なくされる者たちに、
経済的支援を行うこと。
滞在ビザの延長などを該当国政府と調整を行うこと。
⑭障害者関連施策の提言
●物品・人の不足等に関すること
1、障害・高齢・児童の福祉施設及び訪問系事業所、各種障害者に対応している支援者(意思疎通支援者、ガイドへルパーなど)、在宅の人工呼吸器利用者への消毒用アルコール、マスク、使い捨てガウン、使い捨て手袋等、感染対策に必要な物品を優先的に支給すること。
現場まで物品等が行き渡るまでに時間がかかることにかんがみ、
物品等が行き渡るまでの代替え案などの情報提供もすること。
2、職員一人の感染から院内感染、施設内感染が広がっている事例が全国でも出てきている。そのため、濃厚接触が避けられない介護者・障害者については、新型コロナウイルス感染の擬似症状がある場合はもちろんのこと、それに当てはまらない場合であってもPCR検査を優先的に受けることができるようにすること。
3、通所・短期入所施設の利用が制限もしくは停止された場合、代替え策としてホームヘルプが想定されている。通所・短期入所施設の職員が代替え策で自宅を訪問するとしても、施設と自宅では環境も違う上に必要なスキルも異なるのでそのまま即、代替要員とはならない。もともと恒常的にヘルパー不足がある現状を鑑み、ヘルパーの待遇改善等、ヘルパー不足に対する緊急対応策を打ち出すこと。
●休業補償・減収に対する支援策
就労継続支援A型・B型事業所などの障害者総合支援法に基づく事業所の減収に対する適正な補填をすること
訓練等給付費を日払いでなく月単位で一定額の補助金を支払う月額払い制度へ変更すること
●研修について
新型コロナウイルスの影響で、各地で喀痰吸引等第3号研修等ヘルパー養成研修の研修が中止されている。感染拡大収束の目途が立たないので、この状態が長期化すると、元々の人材不足に加え、研修ができないために現場で働けず、在宅介護崩壊が一気に来てしまう。やみくもに研修を中止するのではなく、どのようにしたら研修会を開けるか、規模の縮小、感染対策等のガイドラインを早急に示すこと。
●政府の指示・対応について
厚生労働省の事務連絡はあるものの、発熱(37.5度以上)がある場合などに福祉サービスの利用停止をする事例が生じているため、その他の症状がない場合は、感染対策を取ったうえで利用を受け入れることをよりいっそう周知徹底すること。
(参考 れいわ舩後・木村提言(3月25日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200402 小泉元首相、安倍首相は「辞めざるを得ない」 森友問題

2020年04月02日 09時41分16秒 | 考える資料
4月2日(木):
朝日デジタル小泉元首相、安倍首相は「辞めざるを得ない」 森友問題
2020年4月1日 17時52分

 小泉純一郎元首相は週刊朝日(4月10日号)のインタビューで、森友学園をめぐる公文書改ざん問題に対する安倍晋三首相の責任について「十分にある」とし、「責任を取って(首相を)辞めざるを得ない」との認識を示した。
 小泉氏はインタビューで、改ざんを苦に自殺した近畿財務局職員の手記について「財務省、ひどいじゃないか」と指摘。公文書改ざんにつながった理由では「安倍さんが『自分や妻が関わっていたら総理も国会議員も辞める』と国会で言ったことから始まっている」とし、「誰が見たって(森友学園問題に首相が)関わっていたのはわかる」と言い切った。
 安倍首相は1日の参院決算委員会で認識を問われ、「コロナウイルス感染症対策を全力でやっている。放り投げることを毛頭考えていない」と述べ、引責辞任を否定した。(石井潤一郎)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200331 記憶のための抜粋:弐キ参スケ国を誤る<本澤二郎の「日本の風景」(3641A)

2020年04月01日 00時10分35秒 | 考える資料
3月31日(火):
記憶のための抜粋:<「弐(二)キ参(三)スケ国を誤る」は歴史の再現>
 弐キ参スケとは、日本の傀儡政権「満州国」を支配、それによって日中戦争と、次いで日米戦争を誘引した戦争犯罪者を指す。
 関東軍参謀長の東条英機、満州国総務長官の星野直樹、満鉄総裁の松岡洋右、満州国次長の岸信介、そして財閥代表の当時、満州重工業開発会社総裁・鮎川義介である。
 このうち岸、松岡、星野は長州連合で知られる。岸と松岡は姻戚関係に当たる。佐藤栄作や安倍も、この一族である。弐キ参スケは今も生きている。
 5人ともA級戦犯の容疑者として巣鴨刑務所に留置されたが、岸の実弟・佐藤が、吉田茂内閣の官房長官だった関係で、巧妙な政治工作の結果、岸は占領軍総司令部(GHQ)に寝返って復権した。CIA支援によって、政権を奪取することにも成功、ワシントンの期待に応えて、60年安保の改定を強行した。
 かくして岸政治は、佐藤栄作を経由、ついで森喜朗、そして遂に小泉の露骨な支援で、現在の安倍晋三に継承。すでに弐期目にして政権を8年目へと継続、来年には4選目標を定めている。問題は、難破してしまった日本丸が、安倍の言うことを聞いてくれるのかどうか?
 いえることは、国民が奴隷化してしまうと、歴史は繰り返される、そして亡国へと突き進むことになる。怖い怖い夢はまだ続くのか?
 満州国を操った悪党の後裔の野望は尽きない!


以上、弐キ参スケ国を誤る<本澤二郎の「日本の風景」(3641A)  2020年03月30日 jlj0011のblog
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200331 わかりやすい解説:補償を救済と考えるのではなく、感染予防策の一環として位置づけるべき

2020年03月31日 13時35分43秒 | 考える資料
3月31日(火):
朝日デジタル【天声人語 3月31日】:経済学者の飯田経夫(つねお)さんは、「経済学の教えをひとことで言ってほしい」と求められたことがある。著書『経済学誕生』によると、しばらく考えて、こんな言葉をひねり出した。「およそ人間は、命令では動かない」▼政府が旗を振っただけでは経済は回らない。利益に基づいて行動する人間に、まかせた方がいい。そんな考え方を言い換えたのだろう。このところの外出自粛要請も命令の一種だと考えると、興味深い言葉だ▼先週末を見る限り、それなりに多くの人が要請に応じた。大型店舗などの自主休業の影響もあろうし、何より人々が周りの空気を読んだのかもしれない。しかしウイルスとの闘いが長期に及ぶなら、こうした行動は続けられるだろうか▼飲食店を開く人、催し物をやめない人を非難するのは簡単だが、日々のお金が途絶えれば、従業員を解雇するか倒産する以外にない。休業の見返りがない以上、やむにやまれず店を開ける人もいるだろう▼英国のやり方が参考になる。企業の大小を問わず、休業せざるをえない従業員の賃金の8割を補償する。上限は月33万円でフリーランスも対象だ。休業補償はフランスなどにも広がる。日本政府は自主休業という形式に甘えていないか補償を救済と考えるのではなく、感染予防策の一環として位置づけるべきではないか。補償のお金が見込まれるなら、自主的に店を閉じやすくなる。夜の繁華街に出る人が減り、若者をことさらに非難する必要もなくなるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200313 やまゆり園事件について 偏見や差別、被告だけじゃない=れいわ・木村英子議員 ※最重要提議!

2020年03月14日 02時50分04秒 | 考える資料
3月14日(金):  

我々は特別な異常者を作ることで、自分自身にもある異常性・差別心・偏見の存在を見ないで済まそうとする。(もみ)

朝日デジタル偏見や差別、被告だけじゃない やまゆり園事件判決を前に れいわ・木村英子議員
2020年3月10日 5時00分

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者19人の命が奪われるなどした事件の判決が、16日に予定されている。元職員である被告の言葉をどうみるか。事件が繰り返されないためには――。重い身体障害があり、18歳までの大半を施設で暮らした、れいわ新選組の木村英子参院議員(54)に聞いた。
 ■施設で公園で、私も浴び続けた排除の視線 障害ある子の誕生、祝福される社会を望む
 《裁判で被告は「意思疎通のとれない人は社会の迷惑」「重度障害者がお金と時間を奪っている」などと語った》
 彼の言葉は心の傷に触れるので集中して公判を見ることができませんでした。施設にいたころの気持ちに戻っていくのです。
 同じような意味のことを施設の職員に言われ続けました。生きているだけでありがたいと思えとか社会に出ても意味はないとか。殺されていたのは私かもしれないという恐怖が今も私を苦しめます。
 私は生後8カ月のときに歩行器ごと玄関から落ち、首の骨が曲がる大けがをして重い身体障害を負いました。小学5年から中学3年の5年間を除き、18歳までの大半を施設で暮らしました。
 入所は親が決めました。私に医療や介護を受けさせたいという責任感と、施設に預けなければ家族が崩壊しかねなかった現実からです。私には24時間の介護が必要です。親は疲弊し、一家心中をしようとしたことも何度かあった。親が頼れるのは施設でした。
 やさしい職員もいましたが、私にとっては牢獄のような場所でした。施設が決めた時間に食事してお風呂に入って、自分の暮らしを主体的に決めることがない。食事を食べさせてもらえないことも。一番嫌だったのは「どうせ子どもを産まないのに生理があるの?」という言葉です。全ての施設がそうとは思いませんが、私がいたのはそういう施設でした。
 自由のない環境で希望すら失い決まった日常を過ごす利用者を見た人たちが、「ともに生きよう」と思えるでしょうか。偏見や差別の意識が生まれたとしても不思議ではありません。
 私は、被告だから事件を起こしたとは思えない。
 《事件に及んだ動機や真相は十分には解明されなかった》
 被告を罰しただけでは社会は変わらない。第2、第3の被告を生まないためには、子どものころから障害者とそうでない人が分け隔てなく、地域で暮らせる環境をつくることが必要です。
 私が望むのは、障害のある子どもが生まれたとき、「おめでとう」と言える社会。私は親から施設に捨てられた、歓迎されない命だという思いを抱いて生きてきました。歓迎されない命などない、と気づいたのは19歳で地域に出てからです。
 23歳で結婚し、息子を出産しました。不安だったのは、子どもをかわいいと思えるかでした。母に抱かれた記憶があまりない私は、母に対する愛情が持てなかった。でも出産した時は、子どもへのいとおしさがこみあげました。
 公園デビューをしたときのことです。息子と子どもたちが砂場で遊んでいるのを、車いすに乗った私が近くで見ていました。私が母親だとわかった瞬間、周りのお母さん方が自分の子どもを抱き上げて帰ってしまった。
 私と関わると厄介なことになるといった意識が働くのでしょう。本人たちは差別とは思っていませんが、あからさまな差別です。障害のある人とそうでない人を分けることによってお互いが知り合う機会を奪われることから差別は生まれます。社会から排除することそのものが差別なのです。
 地域で暮らして35年。福祉サービスは増えましたが、重度訪問介護が就労中などに公的負担の対象外だったり、移動支援が自治体により差があったり。普通学校への入学が障害を理由に認められない例もある。こうした課題をみんなで解決できたとき、障害のある子が生まれて「おめでとう」と言える社会になる。それが事件を乗り越えることになるのではないでしょうか。(聞き手・森本美紀)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200221 広がる新型肺炎 弱者の視点に立つ契機に 神里達博

2020年02月22日 01時09分16秒 | 考える資料
2月21日(金):  
朝日デジタル(月刊安心新聞plus):広がる新型肺炎 弱者の視点に立つ契機に 神里達博
2020年2月21日 5時00分

 新しい病が、世界を揺るがしている。日々増える患者数に、私たちは不安を禁じ得ないが、「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」の基本に立ち返り、大局的に考えてみたい。
 まず、「彼」は何者か。起源は、まだはっきりしない。だが、なんらかの動物からやってきたとされる。コロナウイルスの仲間は昔から、さまざまな哺乳類や鳥類に、それぞれ「お気に入りの居場所」を確保してきた。人類に「風邪」と呼ばれるありふれた病気を起こしてきた連中の一部も、そこに含まれている。
 そもそも、「生命」の定義にもよるが、ウイルスは生き物とはいえない。なぜなら、自力で生きていくための「細胞」を持たないからだ。そのためウイルスは、常に他の「一人前の生き物」に、どっぷり頼って暮らす。例えば、風邪のコロナウイルスは、上気道、つまり鼻から喉(のど)までの、粘膜が古くからの住処(すみか)だ。
 従って、ウイルスの立場から考えれば、居場所を提供してくれる宿主にダメージを与え過ぎるのは、愚かな選択だ。宿主が適度に元気で、次の宿主のところまで自分を連れて行ってくれるのが、望ましい。殺してしまうなど、愚の骨頂である。
 しかしそれは、「馴染(なじ)みの相手」であることが条件だ。新型コロナウイルスも、そういう「良い関係」の動物が存在していたはずだ。だがなぜか、これまで縁のなかった「人類」にとりついてしまった。勝手の分からない相手に対しては、暴力性を発揮してしまうこともある。具体的には、新型コロナは、呼吸器系の比較的奥の細胞にとりつく傾向があるらしい。これが重篤な肺炎をもたらしているとも考えられる。
 では今後、どうなっていくのか。一般にウイルスは、遺伝子を変えながら、できるだけ宿主に「優しい」方向に進化していく。そういう性質を獲得した株の方が、より多くのコピー(子孫)を作り出すことができるからだ。重い肺炎を起こすよりも、3日だけ鼻水が出る、くらいの方がウイルスにとっても都合が良い。
 現段階では、このウイルスを完全に制圧しようと各国が奮闘中だ。当然、まだ諦めるべきではない。だが、もしそれができなかったとしても、ウイルスは将来、人類と「そこそこの関係」を保てるように進化し、また人類の側も徐々に免疫を獲得して、一般的な風邪の病原体の一つに落ち着く可能性もあるだろう。
     *
 考えるべきは、そういう段階になるまでの間に、このウイルスが私たちに及ぼす悪影響を、どうしたら最小化できるか、である。ここからは、「己を知る」ことも大事になる。
 まず確認しておくべきは、疾病との闘いは常に、リスクや利益のトレードオフになる、という点だ。
 たとえば、熱が出れば、解熱剤を使うのが当たり前になっている。だが、体温が上がるのは免疫力を高めるための自然な反応だ。実際、解熱剤を使わない方が、風邪の治りが早かったという研究報告もある。
 しかし、ならば解熱剤を全く飲まなければ良いかといえば、必ずしもそうではない。高熱は体力を消耗し治癒力を弱める効果もある。要するに程度問題、バランスが重要であり、名医はその見定めが上手なのだ。
 このような、さまざまな価値やリスクの比較・交換に注目すべきであることは、公衆衛生的な対策のシーンでも、本質的には同じである。
 極論すれば、全ての社会活動を停止し、人の動きを止めれば、ウイルスは次の宿主が得られず、自然消滅するだろう。だがそれは、私たちの社会システムが「窒息」することでもある。そうなれば結果的に、感染症以外の原因で犠牲者が出ることもありうる。さまざまな条件を比較考量し、適切な選択肢を随時見つけていくことが、あるべき対策なのだ
 もちろん、その判断が難しいこともあるが、たとえば感染制御学という分野の専門家は、その道のプロである。クルーズ船への対応に批判が集まっているが、大切なのは、そのような専門知を適切かつ迅速に、ポリシーに反映させる仕組みだ。
 その点で、米国の疾病対策センター(CDC)のような、強力な組織を持たない日本は、今回のような事態に対して脆弱(ぜいじゃく)と言わざるを得ない。2009年には新型インフルエンザの流行もあり、必要性の認識はあったはずだが、実現されていない。これを機に、必ず具体化すべきだ。
     *
 いずれにせよ最も重要なのは、患者が同時に集中発生して、医療資源を超過するような事態を避けること、そして私たち一人一人が「弱者」の視点に立って考えることである。
 最新のデータでは、患者の約8割は軽症だが、5%程度が呼吸困難などで重体となっているという。
 もし、「熱があっても休めないあなた」が、解熱剤を飲んで活動し、ウイルスを拡散させてしまうと、とりわけ、重症化しやすい高齢者や基礎疾患のある人の命を、結果的に危険に晒(さら)すことになる。
 そもそも体調が悪いのに無理して働く人、働かせる人が、この国には多すぎる。現実には、大抵の仕事は「代役」でもこなせる。だからこそ、世の中はなんとか回っている。
 同時に、休んでも不利益にならないよう、労働者を守るルールを徹底させることも大切だ。これを契機に、立場の弱い者への理不尽な要求や、陰湿な同調圧力を、この社会から無くそうではないか。テレワークにも注目が集まっているが、どんどん活用すべきだ。「禍(わざわい)を転じて福」となれば良いのだが。
 難局を、理性的に乗り切りたい。
     ◇
 かみさとたつひろ 1967年生まれ。千葉大学教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。「ブロックチェーンという世界革命」など
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)