もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

180228 NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」(1990)DVD全13巻を落札、届いた!やっぱり司馬遼太郎原作の作品はスゴイ!

2018年02月28日 23時02分54秒 | 日記
2月28日(水):    
NHK大河ドラマ『西郷どん』をぼちぼち観始めたが、何かチマチマしている。貧乏臭さばかりで現実感もない。一方で、西郷隆盛は俺が最も好きな歴史上の人物である。俺の西郷隆盛、大久保利通像の原点は、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」(1990)の西田敏行、鹿賀丈史である。これまで録画した総集編を数えきれないほど繰り返し観てきたが、先日思い切ってヤフオクでレンタル落ちの全13巻を2万円以上で落札し、今日届いたそのDVDを眺めている。

やっぱり司馬遼太郎原作の作品は格別である。重厚で本格的なストーリー展開に大満足である。これから全46(27+19)話を順番に観ていけることを思えば少し値段が張ったが良かった。今後の日々が楽しみで幸せである。

とりあえず、加山雄三の島津斉彬はカッコイイ! / 義を言うな! / じゃっどん、おまんさあも腹を据えんといかんぞ。
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180227 途中までだが…:御厨貴 東京大学名誉教授 私が見た政治家・野中広務の神髄

2018年02月27日 21時17分27秒 | 時代の記憶

WEBRONZA御厨貴 東京大学名誉教授 私が見た政治家・野中広務の神髄
孤高のケンカ師政治家が弱者救済、平和追求、差別解消の政治を求めるようになったわけ
  2018年02月27日

◇「巨星落つ」の感慨     インタビューに答える野中広務氏=2014年5月21日、京都市南区
  1月26日、野中広務さんが亡くなった。享年92歳。大往生といっていい。
  最後に会ったのは一昨年の12月。私が司会者をつとめるTBSの「時事放談」に古賀誠(自民党衆院議員)さんと一緒に出てもらった時だ。
  当時、私は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の座長代理を仰せつかり、会議の仕切りやメディア対応でそれなりに苦労をしていた。それを知ってか知らずか、野中さんは番組の最後で、大事なお働きをしていただいてありがとうございました、と言った。その声音が今もありありと耳底に残る。
  訃報(ふほう)を耳にした時に感じたのは、「巨星墜つ」という思いだった。そんな感慨を抱く政治家はもう最後かもしれない。
  首相をつとめたわけではない。中央政界で活躍した期間も実はそれほど長くはない。にもかかわらず、かくも確固たる存在感を持つ不思議さ。
野中という政治家はいったい何者だったのか。

◇遅咲きの国会議員、90年代に活躍
  国会議員としては遅咲きだ。半世紀にわたる政治家歴のうち半分以上を地方政治家として過ごした後、国政に転身したのは1983年。すでに57歳。二世三世の若い議員が増えつつあった政界にあって異色である。
  だが、野中はそれから権力の階段を急ぎ足で駆け上がる。55年体制が幕を下ろし、政治改革の嵐が吹き荒れる激動の90年代、ある時は連立政権を仕掛け、またある時は舌鋒(ぜっぽう)鋭く相手をやり込め、実力者の一角を占める。村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗の4政権を支え、官房長官や自民党幹事長などの要職も歴任した。
  引き際も潔かった。世紀をまたいだ2003年、小泉純一郎首相の絶頂期に突然の引退。その後は「言論元老」として、メディアを通じて政治に厳しく注文をつけ続けた。

◇初対面で感じたすさまじい「風圧」
  そんな野中は、90年代以降、小沢一郎と付き合うことが多かった私には縁遠い政治家だった。「反小沢」であることはわかるが、ではいかなる政治家なのか、見定められなかったからだ。
  野中と初めて会ったのは、政界引退から2年がたった2005年秋。郵政選挙の後、「時事放談」のコメンテーターに私が呼ばれた時であった。急逝した後藤田正晴・元副総理の生前の思い出を、野中と、後藤田のオーラルヒストリーを手がけた私とで語り合うという内容だった。
  会った瞬間に感じたのは、野中が発するすさまじいばかりの「風圧」だ。小沢も人を威圧するタイプではあったが、それとは比べものにならない、尋常ならざる風圧。背後に何ものかがひそんでいるかのような強烈な印象を受けた。
  ただ、その後、「時事放談」のコメンテーターとしてしばしば同席するようになると、そうした風圧は影を潜めた。こちらが話しやすいようにという配慮か、政治家にありがちな「一発かまして従わせる」という風もなく、私の意見にも耳を傾け、納得できると賛意も示す。そんなきめの細かさがみえた。
  それと同時に感じたのは、「土の香り」でだった。京都の北の地方の生まれという出自、地方政治家出身という経歴のゆえだったかもしれないが、中央よりも地方、強者よりも弱者という野中の政治姿勢と響き合う気がした。

◇民主党政権に抱いた葛藤
  前任者から「時事放談」の司会役を引き継いだ2007年4月以降、数カ月に1度の頻度でコメンテーターをお願いした野中との付き合いは深まっていった。足かけ10年近くになる司会者とコメンテーターとの関係のなかで、わけても興味深かったのは、小泉政権以後の自民党政権に対する冷ややかさと、民主党政権についての葛藤、苦悩であった。
  小泉政権以降の自民党、小泉的なるものが支配する自民党に対し、野中は明らかに異なる気分を抱き続けた。
  小泉政治は、野中からすると、世論受けを狙ったポピュリズムであり、改革の方向も弱者切り捨て以外のなにものでもない。野中にはとうてい許されない政治であった。小泉の後、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と1年ごとに交代を繰り返した政権に対しても、基本的に冷めた目線であり続けた。
  それゆえ、自民党から政権を奪取した民主党政権には、自民党ではなし得ないことをしてもらいたいという期待を、野中はひそかに持っていたように見える。自民党の野中にすれば、政権自体は否定、運営も稚拙だと難詰したのは当然だが、それでも民主党が打ち出した、国民との関係を仕切り直す発想それ自体は、今の自民党にはないが、本来留意すべき事柄と考えていたフシがある。

◇自民党を丸ごと受け入れない
  換言すれば、自民党そのものを、野中は決して丸ごと受け入れてはいない。日本の政治がよって立つ唯一の基盤政党であるのは確かだが、それにしてはあまりにも目線は上向きで、国民に対して「非情」であり過ぎると感じていた。それが野中の自民党観であった。
  だからこそ、自民党が従来やってきたことを繰り返すだけでは足りず、それ以外にも広く目を向けなければならないという思いが野中にはあった。では、それは具体的には何だったのか。
  風圧のある政治家・野中は、権勢の政治家でもある。権力を握ると、それを存分に行使した。ただ、ウラ工作には無類にたけていたが、真正面から勝負にいどむ姿も多かった。それは彼の政治の目的が「権力を握ること」そのものにあったからではないからだ。権力を握った時に「何を」するかが大事なのだ。野中にとっての「何を」は、弱者の救済であり、差別の解消であり、平和の追求であった。自民党に求めたのも、それであった。

◇弱者救済の信条を再認識    関係閣僚会議に出席した村山富市首相(左)、野中広務国家公安委員長=1994年11月29日
  こうした政治信条はおそらく自らのルーツに根差すものではったが、政治家としてそれをあらためて強く認識したのは、細川護熙、羽田孜両政権のもとで野党時代を体験した自民党が、社会党、新党さきがけと組んで政権復帰を果たした、自社さ連立の村山富市政権での経験からではないか。 ・・・続きを読む (残り:約3108文字/本文:約5546文字)


……誰か、この続きを教えて…
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180226 良い記事だ:【政治断簡】編集委員 高橋純子 野仏と、泡盛のヨーグルト割り

2018年02月26日 23時00分54秒 | 沖縄と共に生きる
2月26日(月):        
朝日新聞 書き起こし:【政治断簡】編集委員 高橋純子 野仏と、泡盛のヨーグルト割り  2018年2月26日朝刊
  沖縄県読谷村、ガジュマルの木が茂る浅い谷の底に「チビチリガマ」はある。73年前の沖縄戦で83人が「集団自決」に追い込まれた洞窟。その周囲に1月、高さ1メートル弱の野仏12体が安置された。
  うつむいたりほほえんだり、どこかとぼけた表情だったり。肉親相互が殺し合った場所の重みに過度なしかめ面を崩せずにいた私だが、つい表情が緩んだ。救われた。
  彫刻家の金城実さん(79)がぐるり見渡し、つぶやく。いい場所になったねえ。事件が起きなかったら、こうはなっていなかった、そういう風にも考えられるねえ――。
  事件。昨年9月、ガマが荒らされ遺品は粉々にされた。県内の16~19歳の少年4人が逮捕され「心霊スポットでの肝試し」だったと供述した。
  野仏は、保護観察処分を受けた4人が作った。金城さんや遺族会会長の與那覇徳雄さん(63)らと一緒にセメントをこね、3日間をかけた。
  ◇ ◇
  チビチリガマで何が起きたか。戦後40年近く遺族らは口を閉ざした。酒に溺れる人、自殺を図ろうとする人……。87年、金城さんと遺族が共同制作した「世代を結ぶ平和の像」がガマの入り口に置かれたが、7カ月後、右翼に破壊される。沖縄国体の読谷村会場で日の丸が焼かれたことへの報復で、現場に残されたビラには「国旗燃ヤス村ニ、平和ハ早スギル」。遺族は再び心を閉ざし、像を埋めてしまおうという話まで出た。再建まで7年余の歳月を要した。
  そんな歴史を何も知らずにやったという少年たち。被害者たる遺族は怒り、悲しみ、あきれ、でも、向き合った。
  課題を出した。チビチリガマのことを調べてリポートを書くこと。そして、野仏。なぜ野仏? 金城さんは少年にこう説いたという。「犯した罪は一生背負っていくしかない。でも、『申し訳ない』という気持ちで作った野仏が、その道のりに寄り添ってくれる。弔うのではなく、死者とつながるための野仏なんだ」
  まだ子どもだし、いろんな事情も抱えてるんでしょう。同情はしません。ただ話をしたり相談に乗ったり、関わり続けていくつもりですと、與那覇さん。「この子たちは、逆に、平和を伝える一番手になれる。そう思ってます。」
  大丈夫。人は変われる――って、そのキラキラした自信はどこからくるんですか?
  そう質問したかったけど、泡盛をヨーグルトドリンクで割って杯を重ねる金城さんと、忙しい、時間ないと言っていたのに、いつの間にか飲み始めていた與那覇さんがとても楽しそうに「これから」を語り合っていたから、なんとなく、聞きそびれてしまった。
  ◇ ◇
  「絶望しないですか?」
  沖縄から戻って3日後、人に聞かれた。国会で朝日新聞が哀れだ惨めだ言われていた折。「ま、そういう気分になる時もありますよね」と応じ、<特に最高権力者たる御仁の、被害者モードの言い散らかしには>をのみ込んで、うん、でも絶望は全くしてないな、してらんないなと思った。
  泡盛のヨーグルト割り。どんな味がするんだろう。
  今度、飲んでみるか。
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7 036 吉田直樹「子どもを育てる碁学力」(集英社:2009) 感想4

2018年02月26日 00時22分40秒 | 一日一冊読書開始
2月25日(日): 副題「「ヒカルの碁」から始める教育術」 

190ページ    所要時間4:10     アマゾン455円

著者35歳(1974生まれ)。現在、財団法人日本棋院に勤務。月刊誌『囲碁クラブ』、『碁ワールド』の編集を経て、現在、週刊囲碁新聞『週刊碁』記者。かねてから囲碁の持つ子どもへの教育効果に着目。各方面からの声をリポートするなど、長年、現場の情報収集に努める。元埼玉県小学生および中学生囲碁名人。23世本因坊栄寿に師事し、日本棋院のプロ養成機関である院生に約5年間在籍

約1年ぶり、2度目。感想は、昨年の「内容すべてに納得がいった。囲碁を打つ者にとって常識に属する道理が説かれている。重ねて言うが、内容すべてに賛同する。」とほぼ同じ。終盤少し間延びしたが、中盤までは特によかった。

【目次】 第1章 「碁」は子どもを育てる/第2章 「碁」は思考力を育てる/第3章 「碁」は集中力を育てる/第4章 「碁」は自立心を育てる/第5章 「碁」は品性を育てる/第6章 「碁」は精神力を育てる/第7章 「碁」は心を育てる/特別対談 子どもたちに伝えたい「碁」の魅力

【内容情報】 幼少のころから囲碁に親しみ、プロを目指すが記者に転身した著者が説く、囲碁の驚異的な教育効果!囲碁を学ぶことで、子どもの脳と心がグングン育つ!漫画『ヒカルの碁』原作者ほったゆみさん、監修者梅沢由香里女流棋聖のスペシャル対談も収録。
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180225 一年前:170225 読者無視。権力の犯罪を糾弾もせず阿諛追従する天声人語。書いた奴の名前を教えてくれ!

2018年02月25日 19時20分36秒 | 一年前
2月25日(日):
170225 読者無視。権力の犯罪を糾弾もせず阿諛追従する天声人語。書いた奴の名前を教えてくれ!
2月25日(土): 時間を割く価値もないので、書きなぐりご免こうむる。        今朝の朝日新聞天声人語を読むともなく読んだ。安倍晋三の国有財産横領・利益供与の犯罪を糾弾す......

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180224 121万PV超:(論壇時評)移民と自衛隊 現実、追認せず合意形成を 歴史社会学者・小熊英二

2018年02月25日 19時14分01秒 | 閲覧数 記録
2月24日(土):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2331日。  

アクセス:閲覧 1,042PV/訪問者 145IP

トータル:閲覧 1,210,615PV/訪問者 317,480IP

ランキング:7,661位 / 2,810,166ブログ中   週別 5,584位

朝日デジタル(論壇時評)移民と自衛隊 現実、追認せず合意形成を 歴史社会学者・小熊英二   2018年2月22日05時00分
  日本はどういう国か。かつては「単一民族国家」とか「平和国家」とか言われたものだが、いまの現実はどうだろう。
  「週刊東洋経済」は、「隠れ移民大国ニッポン」という特集を組んだ〈1〉。OECDの人口移動調査によれば、日本は2015年時点で先進国4位の「移民大国」。在留外国人は年々増え、昨年は247万と1990年の約2・4倍だ。
  そしてストックホルム国際平和研究所の報告では、日本の16年の防衛支出は世界8位、東アジアでは2位だ〈2〉。これを根拠に「軍事大国」と呼ぶかはともかく、かなりの支出はしている。
  だが日本では、こうしたランキングを意外に思う人も多い。なぜなら移民と自衛隊は、その位置づけが混乱したままの状態で、実態が拡大してきたからだ。
  実は日本の外国人労働者のうち、就労ビザを持つ人は18%にすぎない。残りは技能実習生、留学生、日系外国人といった人々だ。しかし実態としては、繁忙期の村民の4分の1が技能実習生だった長野県川上村(日本一のレタス出荷量で知られる)のように、外国人なしに成り立たない地域や産業も少なくない〈3〉。
  つまり、公式には移民労働者は認められていないが、いわば「裏口」から入れている。そして移民の是非をめぐる対立や議論が盛んだったのに比べ、技能実習生の人権侵害などは注目が低かった。
  そして日本の憲法は「戦力」の保持を禁じている。自衛隊の位置づけも、様々な議論がある。だがそうした議論が盛んだった一方、兵士の人権を守るオンブズマン制度や労働組合など、他国の軍隊にある仕組みが自衛隊にはない〈4〉。自衛隊内の「いじめ・しごき」やセクシュアルハラスメントなどの人権状況は、あまり目が向けられてこなかった〈5〉。
  移民と自衛隊。そこに共通してみられるのは、それをどう位置づけるかの合意がないまま、実態の方が大きくなり、人権侵害などが生じていることだ。
  自衛官の人権弁護をしてきた佐藤博文は、ドイツと日本の再軍備の経緯の違いを指摘する〈5〉。ドイツでは、民主主義と軍隊をどう両立させるか議論して再軍備し、第2次大戦期の軍隊とは違う組織を作る合意を築いたことが、兵士の人権擁護につながった。だが日本では、再軍備が「日米両政府によって国内外でのオープンな議論を避けて進められた」ため、そうした合意が作られなかった。
     *
  合意がないまま実態が拡大している状況は、別の問題も招いている。それは政治の対立軸の混乱だ。
  冒頭で述べたように、日本は「単一民族国家」や「平和国家」と考えられてきた。そして移民を認めるか否か、自衛隊を認めるか否かは、日本が「単一民族国家」「平和国家」であるか否かという問題と直結する。つまり移民と自衛隊をめぐる「保守」「革新」の対立は、労働政策や防衛政策の対立という以上に、日本の国家像をめぐる対立だったのだ。
  だがここまで実態が変化してくると、移民や自衛隊の是非をめぐる対立の意味がなくなってくる。保守が「移民のいない日本」を守ろうとしても、革新が「自衛隊のない日本」を守ろうとしても、リアリティーがなくなってきた。それとともに「保守」も「革新」も足場を失い、対立軸が揺らいできている。
  最近の論壇では、「保守とリベラル」をめぐる議論が盛んだ。旧来の対立軸が無効化し、政治的立場の足場が揺らいでいるからだ。このテーマを論じる論者に共通しているのは、「保守」と「リベラル」の双方ともに、「守るべきもの」がみえなくなってきたという認識である。論者によって主張や論点が違っても、この認識だけは共通している〈6〉。
  つまりいま求められているのは、実態の変化に即した国家像と、新たな政治の立脚点だ。移民と自衛隊についてどんな合意を形成するかは、新しい日本の国家像を作るにあたっての試金石である。
  だがこの問題は、現実の変化を追認するだけでは解決しない。外国人や自衛官の人権状況にしても、ただ移民労働者を公認したり、ただ憲法に自衛隊の存在を書き込んだりするだけでは改善しない。何よりも必要なのは、ドイツで行われたといわれるような、新しい合意を作るための「オープンな議論」だろう。
     *
  とくに改憲は、そうした議論なしに行われるべきではない。改憲とは、国の立脚点を作り替えることだ。議論と合意形成をないがしろにして、ただ現実を追認するような改憲は望ましくない。
  現在、9条2項を維持したまま、自衛隊の存在を追加する改憲が議論されている。だが思うに、「自衛隊の存在はこれを認める」と追記するだけでは、自衛隊にどの範囲での武力行使が認められているのか不明だし、自衛隊は2項が禁じた「戦力」ではないかという素朴な疑念は残り続ける。それでは現実を追認し議論に蓋(ふた)をするだけで、新しい立脚点と合意を作ることにならない。また「前項(9条2項)の規定に関わらず、自衛隊の存在はこれを認める」と書くなら、阪田雅裕がいうように「『自衛隊』という名前である限り、何をやっても、どんな装備を持っていても、憲法で認められる」ことになり危険すぎる〈7〉。改憲をいうなら、安保法制で懸念が残った事項も含め議論し、幅広い合意を作るべきだ。
  現実の変化に対応することは大切だ。大切だからこそ、次の時代の立脚点を作るための、建設的な議論が欠かせない
     *
 〈1〉特集「隠れ移民大国ニッポン」(週刊東洋経済2月3日号)
 〈2〉ストックホルム国際平和研究所の報告「TRENDS IN WORLD MILITARY EXPENDITURE,2016」(英字、https://www.sipri.org/sites/default/files/Trends-world-military-expenditure-2016.pdf別ウインドウで開きます)
 〈3〉安田浩一「長野県川上村の反省」(週刊東洋経済2月3日号)
 〈4〉三浦耕喜『兵士を守る 自衛隊にオンブズマンを』(2010年刊)
 〈5〉佐藤博文 インタビュー「自衛隊のセクハラ・パワハラ訴訟から問う軍隊の『民主的統制』の可能性」(POSSE第29号、15年)
 〈6〉宇野重規・大澤真幸 対談「転倒する保守とリベラル」/北原みのり「不正義との戦い」/中西新太郎「若者の保守化という錯視」(いずれも現代思想2月号)
 〈7〉阪田雅裕 インタビュー「憲法を考える・自衛隊を明記するとは」(本紙2月7日朝刊)
     ◇
 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞、『社会を変えるには』で新書大賞など受賞多数。
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180224 一年前:170223 「ヒカルの碁」DVDで棋力上昇!13路盤白二段に先番中押し二連勝!初段に回帰!

2018年02月25日 01時19分11秒 | 一年前
2月24日(土):
170223 「ヒカルの碁」DVDで棋力上昇!13路盤白二段に先番中押し二連勝!初段に回帰!
2月23日(木):              先日超格安7500円で買った逆輸入版「ヒカルの碁」DVD(全75話)をBGMのように連日延々と繰り返し観ている。囲碁に対する思いが......

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180222 一年前:6 037 三浦綾子「塩狩峠」(新潮文庫:1968)感想4

2018年02月23日 01時00分34秒 | 一年前
2月22日(木):
6 037 三浦綾子「塩狩峠」(新潮文庫:1968)感想4
2月22日(水):  459ページ   所要時間2:25    古本93円俺が読んだことのある三浦綾子の作品は「道ありき」「旧約聖書入門」が思い出される。前から名前だけ......
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180221 一年前:6 036 山口誠「グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園」(岩波新書:2007) 感想5

2018年02月21日 23時51分01秒 | 一年前
2月21日(水):
6 036 山口誠「グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園」(岩波新書:2007) 感想5
2月18日(土):  205ページ    所要時間5:50     アマゾン265円(8+257)著者34歳(1973生まれ)。関西大学社会学部准教授。専門、メディア研究、......

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180219 言論の府は完全崩壊 新聞が書かないデタラメ国会の惨状/憲政史上最低首相の最悪国会

2018年02月19日 15時43分24秒 | 時代の記憶
2月19日(月):

日刊ゲンダイ 文字起こし:言論の府は完全崩壊 新聞が書かないデタラメ国会の惨状  2018年2月17日 
◇大マスコミは1行も書かない/憲政史上最低首相の最悪国会
  まったく信じられない話だ。微増ではあるが、安倍内閣の支持率がアップしているのだ。時事通信の調査では、支持率は前月比2.1ポイント増の48.7%。不支持率は1.7ポイント減の31.9%だった。
  多くの国民は、国会でどんな審議が行われているのか分かっていないのではないか。大新聞テレビは伝えようとしないが、国会では安倍政権のヒドさ、デタラメが次々に暴露されている。
  アベノミクスの失敗も証明された。政府は生活保護費のカットを決め、その理由を「生活保護を利用していない低所得世帯の生活水準が下がったからだ」と釈明している。そのことについて共産党の志位委員長はこう問いただしている。
  総理は『安倍政権になって貧困は改善』と宣伝してきたが、『低所得世帯の生活水準が下がった』のなら、貧困は改善は嘘で、アベノミクスは失敗と自ら認めたことになりませんか
  痛いところを突かれた安倍首相はグウの音も出なかった。しかし、このやりとりを知る国民は皆無に近いのではないか。大手メディアは、ほとんど取りあげなかったからだ。
  もし、国民が国会審議の中身をすべて把握したら怒り狂うに違いない。安倍政権の対応はヒドすぎるからだ。なかでも「森友疑惑」に対する答弁は、醜悪もいいところだ。
  もはや、佐川宣寿国税庁長官が国会で虚偽答弁をしていたことは明らかだ。
  森友学園との面会記録を「すべて廃棄した」と言い募り、賃料についても「先方に賃料を示すことはない」と明言していたが、財務省の内部資料に「学校法人を訪問し、貸付料の概算額を伝える」「貸付料の水準は1月に伝えている」と、ハッキリ明記されていることが分かった。
  ところが、麻生財務相は、屁理屈をこね回して絶対に虚偽答弁を認めない。野党をバカにするようにニタニタと笑いながら質問を聞き、答弁席に立つと「あくまで省内での法律相談であって面会記録ではない」「具体的な金額は提示していない」と、佐川答弁は問題なしと強弁しているのだから信じられない。

■野党の鋭い質問は報じられない
  かと思うと、豪華な“外相専用機”を要求している河野太郎外相は、国会審議中にグーグーと爆睡する始末である。完全に国会を軽視している。
  とにかく、この国会は異常だ。野党の質問時間は大きく削られ、質問時間が増えた与党議員はヨイショ質問をつづけている。しかも、野党が安倍政権の急所を突く質問をしても、大マスコミは報じようとしない。
  驚いたのは、立憲民主党の枝野代表が「安保法制」について、衝撃的な事実を明らかにしたのに、ほとんど伝えられなかったことだ。
  昨年11月、政府が「存立危機事態」について裁判所に提出した書面を持ちだして、こう追及している。
  「いまにも北朝鮮からミサイルが飛んでくると危機があおられているド真ん中で、政府が裁判所に提出した書面には『現時点で存立危機事態は発生しておらず、国際情勢にかんがみても、将来的に発生することを具体的に想定し得る状況にない』と書かれている
  なんと、国民の反対を押し切って「安保法案」を成立させておきながら、安倍政権は「存立危機事態」は、将来も発生しないと裁判資料で明言しているのだ。あれだけ危機をあおっておきながら、二枚舌もいいところだ
  ところが、大新聞テレビは、このビッグニュースを伝えようともしない。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。
  「本来、この国会は、もっともっと注目されていいはずです。なにしろ、森友疑惑はクライマックスに差し掛かっている。サスペンスドラマだったら、犯人が崖の上に追いつめられた状態です。誰が考えても、佐川長官の虚偽答弁は明らかですからね。佐川長官の虚偽答弁が証明されたら、いよいよ次は昭恵夫人にターゲットが移る。ところが、国会に対する国民の関心が予想以上に低い。理由は、大手メディアが詳細を伝えないからですよ
  「働き方改革」に関して、安倍首相が偽データに基づいて答弁した問題も、「撤回します」の一言で許されそうなムードだ。
   立憲の枝野代表が衝撃的な事実を明らかにするも(C)日刊ゲンダイ

「国会の無力化」に手を貸す大マスコミ
  大新聞テレビは、自分たちがなにをやっているのか、分かっているのか。なぜ、破廉恥国会の一部始終を伝えないのか。
  安倍首相が総選挙で大勝した後、一番最初にやったことは、野党の質問時間を大きく削ることだった。慣例だった<野党8割・与党2割>の時間配分を、<野党64%・与党36%>に変えている。
  もちろん、モリカケ疑惑を追及される時間を減らしたいという思いもあったのだろうが、隠れた狙いが「国会の無力化」にあったのは間違いない。大手メディアのやっていることは、安倍首相に手を貸すのも同然である。立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)が言う。
  「安倍首相は、国会を官邸の下部組織にするつもりなのでしょう。政府が提出した法案をベルトコンベヤーのように成立させる機関にする。議会の骨抜きは、必ず独裁者がやることです。議会が無力化すれば、国会審議がつまらなくなり、国民の政治に対する関心が低くなる。独裁者には好都合というわけです。それでも、メディアが権力を監視し、批判をつづければ、国民の政治への関心は維持されます。ところが、日本の大手メディアは批判精神を完全に失っている。野党が鋭い質問をしても取り上げようとしない。国民の政治への関心は低くなり、結果的に権力者が発信するニュースばかり耳にするようになるだけです
  これでは、安倍内閣の支持率も上がるというものだ。憲政史上、最悪の国会となっている。

■「働き方改革」のウソも許すのか
  いい加減、大手メディアは目を覚ました方がいい。欧米先進国のメディアだったら、意地でも破廉恥国会の実態を報じているはずである。
  アメリカのメディアは、トランプから「フェイクニュース」と攻撃されても、「OK、かかってこい」とファイティングポーズを取り、記者を増員してトランプ発言の“ファクトチェック”を続けている。
  なのに、日本の大手メディアの幹部は、夜な夜な、安倍首相とうれしそうにグラスをかわしているのだから話にならない。
  政治評論家の森田実氏が言う。
  「ジャーナリズムが立脚すべきなのは“健全な常識”と“正義”です。必要なのは、権力者の嘘は許さないという態度です。権力者の嘘を許したら、必ず国は傾きます。安倍首相は偽データに基づいて“働き方改革”を押し進めようとした。“撤回します”の一言で許される問題ではありませんよ。しかも、与党議員にわざと質問させ、アリバイ的に“撤回します”と答弁し、すぐに他のテーマに移っている。やり方が姑息すぎる。ところが、大手メディアは“撤回”したことで、終わりにしようとしている。なぜ、首相の責任を追及しないのか。10年前、20年前だったら、森友疑惑にしろ、働き方改革にしろ、連日キャンペーンを張っていたはず。このままでは、いずれ大手メディアは存在意義を失い、国民から信頼されなくなるだけです
  大新聞テレビは、自分で自分のクビを絞めていることに気づいた方がいい。
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180215 120万PV超: ※二年前:160215 61万PV超:被害者意識が増殖している(蓮池透さん)

2018年02月16日 10時43分46秒 | 閲覧数 記録
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180215 高校の新指導要領案について

2018年02月15日 21時48分01秒 | 時々刻々 考える資料
2月15日(木):
朝日(社説)高校指導要領 木に竹を接ぐおかしさ  2018年2月15日05時00分
  「多面的・多角的な考察」が全体の基調なのに、こと愛国心や領土問題となると政府の立場を強く押し出す――。2022年度から実施される高校の学習指導要領の改訂案は、木に竹を接いだような内容だ。
  これまでの「現代社会」を再編した新科目「公共」は、目標に「自国を愛し、その平和と繁栄を図る大切さについて自覚を深める」をかかげる。
  「地理歴史」の目標にも「日本国民としての自覚、我が国の国土や歴史に対する愛情」を深める、と明記された。
  国際協調の大切さにも言及してはいる。しかし、いまの指導要領の「良識ある公民として必要な能力や態度を育てる」といった記述に比べると、かなり踏み込んだ表現である。
  教科を学ぶうえで大切なのは、学問的・客観的な事柄について理解を深め、追求する姿勢を養うことだ。そこに人の内面に関わる問題を紛れ込ませるべきではない。再考を求める。
  小中学校の「道徳」をめぐっても同様の議論があった。それでも道徳の評価は教員によるコメント方式だが、公共や地理歴史は点数制だ。まさに心に点数をつけることにならないか。
  この疑念に対し、文部科学省は「知識の理解や考察力を評価し、内面は問わない」と言う。であるならば高校現場にその趣旨を徹底するべきだ。
  領土問題に関する書きぶりを見ても、たとえば「尖閣諸島は我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しないことも扱うこと」などとなっている。
  政府見解を知識として生徒に伝えることは大切だ。だが「これを正解として教え込め」という趣旨なら賛成できない。相手の主張やその根拠を知らなければ、対話も論争も成り立たない。他者と対話・協働して課題を解決する。それが新指導要領の理念ではなかったか。
  いま、政権批判や在日外国人の存在そのものを「反日」と決めつける風潮がはびこる。それだけに、日本の立場をひたすら強調する方向での記述の変更には、危うさを覚える。
  全体のボリュームは現行要領のざっと6割増しになった。取り上げる題材や実験例などを細かく書き込んだためだ。経験の浅い先生も増えており、丁寧な説明が求められる面はある。しかし細かく書けば書くほど、現場の裁量や工夫は狭まる。
  新指導要領がめざすのは、主体的に考え、行動できる若者の育成だ。ならば、もっと生徒と教師を信じ、その自主性に任せていいはずだ。
毎日社説 高校の新指導要領案 「探究する授業」の創造を  2018年2月15日 東京朝刊
  議論を中心に思考力を育む。だが教える内容は減らさない。この難題に高校は取り組むことになる。
  文部科学省が、2022年度から実施する高校の新学習指導要領案を公表した。今回は9年ぶりで、55科目中、新設や見直しが27科目に上る大幅な改定となる。
  新指導要領案では「思考力・判断力・表現力」の育成を重視する。従来の知識偏重からの脱却が狙いだ。
  そのために全ての科目で「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)による授業改善を求めている。新設科目でも、それを象徴する「古典探究」や「日本史探究」などが設けられている。
  20年度から実施される「大学入学共通テスト」は思考力や表現力を重視する方向だ。今回の改定はそれも見据えた大きな改革といえる。
  昨年改定された小中学校の指導要領も同様の理念が掲げられている。小学校から大学まで、日本の学校教育を貫く大きな理念の転換である。
  気になるのは、学校がその理念を受け止め、知識を基に議論して学びを深める授業を作れるかどうかだ。
  新指導要領案は、総じて教える内容を削減していない。英語の単語数は最大で700語増えてもいる。
  アクティブ・ラーニングは、準備も授業も、手間と時間がかかる。知識を身につける時間も必要だ。
  教員が今の授業時間でこなすことができるのか。生徒が消化不良になるようでは意味がない。
  新設科目では、18世紀以降の日本と世界を関連付けて学ぶ「歴史総合」や、主権者教育に力を入れる「公共」などが必修で設けられる。
  これらは、現実の国際問題や政治的テーマを扱う。教え方に迷う教員もでてくるだろう。研修などで教員の力量を上げる努力が不可欠だ。
  さらに、授業の指針になる教科書など、教材も工夫が必要だ。アクティブ・ラーニングにおける生徒の評価も多様な視点が求められる。
  文科省は、指導要領の解説書を作り、授業を先取りする研究開発校での実践で理解を広めていくという。
  もっとも、その授業モデルの提示が、教員の裁量をしばるようでは逆効果だ。指導要領はあくまで標準であり、現場の創意工夫こそが生徒に響く授業につながる。
東京【社説】高校の指導要領 社会に通用する力を  2018年2月15日
  グローバル化や高度情報化、少子高齢化の流れが速い。不確実な時代を生きる力をどう身に付けるか。高校の新しい学習指導要領案が公表された。大学受験のための教育から抜け出すことが肝要だ。
  文部科学省は昨年度の小中学校に続き、高校の現行指導要領をほぼ十年ぶりに改定し、二〇二二年度から順次導入する。高校と大学の教育を円滑につなぐための「高大接続改革」の一環でもある。
  これまで高校と大学の教育は、入学試験という障壁で隔絶されてきたといえる。大学は知識偏重の入試を課し、高校はその傾向と対策に振り回されがちだ。
  かつて全国各地の高校で進学実績を優先させるあまり、大学入試とは無関係として必修の世界史や情報科などを履修させていなかったことが発覚した。生徒の卒業認定を巡って政治問題化し、校長の自殺が相次いだ。
  高校が単なる受験勉強の場になっている実態が露呈した事件だった。指導要領を改定しても、教育に対する現場の心構えが変わらなくては再び空回りしかねない。
  選挙権年齢にとどまらず、成人年齢そのものを世界標準の十八歳に引き下げる動きがある。高校は予備校ではない。社会の担い手を育て上げるという本来の役割と責任を自覚し直さねばならない。
  大学もその成果を的確に把握する入試の在り方を工夫し、多様な個性を伸ばす環境を整えてほしい。高校までの教育の流れを断ち切るような入試は自重すべきだ。
  高校の新指導要領の案は、小中学校と同様に主体的に学びに向かう態度を養うことを重視する。
  そのために大切なのは、生徒の「なぜ学ぶのか」という素朴な疑問に対して気づきや示唆を与える授業だろう。よく耳にする大学受験に必要だからという皮相的な動機付けでは血肉になるまい。
  その意味では、日常の暮らしや現実の社会が抱える諸課題と、学ぶべき事柄との関わり合いに着目して多面的、多角的に考えさせる場面が多いのは望ましい。
  もっとも、生徒に主体性を持たせるべく、講義から討論や発表を取り入れた授業への転換が求められる。教師の負担は大きい。手厚い支援が欠かせない。
  最も気がかりなのは、小中学校から連続して道徳教育の強化を促す点だ。道徳は科学ではない。自国に対する愛情の大切さを説きつつ、領土や歴史を学ばせては危うい。社会を担うには、批判精神をよく培うことこそが大事だ。
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180215 寂聴 残された日々 32みんな先に逝く 「野中広務さん、今ごろ筑紫哲也さんと」

2018年02月15日 11時15分36秒 | 時代の記憶
2月15日(木):      
以下の記事を発見したので、転載させていただきますm(_ _)m。
朝日新聞 書き起こし:寂聴 残された日々 32みんな先に逝く「野中広務さん、今ごろ筑紫哲也さんと」  2018年2月8日朝刊
  野中広務さんがどうも御病気らしい。どこの病院に入院していらっしゃるのか知りたいと、ひとりであせっていたのが昨年末からであった。私は長い文筆生活の中で、政治に出ろと、ほとんどの政党から度々、声をかけられたが、それだけは、がんとして一度も心を動かしたことなく断り通してきた。
  それでも長生きしたせいで、政治家と対談したり、テレビに一緒に出演したりして、親しくなった人も少なくない。
◇ ◇
  政界を引退されていた野中さんとは、私の行きつけの和食屋「天ぷら松」を、野中さんが私よりずっと前からの御ひいきの店だったので、そこで顔をあわせて挨拶するようになった。私は1階のスタンドの隅を定席としていて、野中さんは2階の椅子席と決まっていたので、一緒に盃を合わせたことはなかったが、お互い会えば、やあと、手をあげて笑顔で挨拶を交わしていた。そのうち、野中さんが主役のテレビ番組に時々呼ばれるようになり、親しさを増していった。いつでも野中さんは紳士的な言動で、すっきりしていた。
  そのうちニュースキャスターとして一世を風靡した筑紫哲也さんが京都に住むようになった。自分の番組のテレビの中で、肺がんであると公表して、人気テレビ番組も休業していた。
  筑紫さんとは度々彼の番組に呼ばれたり、芝居や音楽界で偶然会ったり、筑紫さんの故郷の大分県の日田市へ講演に招かれたりして、聡明で魅力的な房子夫人とも仲よくなっていた。京都に住むようになった筑紫さんは髪を剃り、毛糸帽子をかぶるようになっていたが、顔色はよく、口調も健康当時のままだった。
◇ ◇
そんなある日、突然野中さんから筑紫さんと私の2人が、天ぷら松の小室に招待された。3人でいっぱいになる部屋に落ち着いた瞬間、涙ぐんだ表情になった野中さんが、乾杯の盃を置くと、いきなり、自分の身の上を語りだした。私たちは大方のことは知っていたが、野中さん自身の口から、小学5年の時、親友の母から、出自についてののしられた経験を聞かされて、身を固くしてしまった。
  「私は彼女の言っていることがよくわからず、家に帰って父親に言われたことを告げ、何のことかと聞きました。その時、父が、実に学術的にそのことをきちんと話してくれたのです。私ははじめて、事の次第を理解すると同時に、それまで抱いていた未来へのすべての夢や希望を自分から打ちくだいてしまったのです。大学へゆくことも学問をつづけることも、すべての希望を捨ててしまったのです。官房長官や自民党幹事長になりましたが、この私が首相になるなど、この国でなり得るはずがない。200%の割合で、私は首相になどなり得ませんでした」
  毛糸の帽子をかぶった筑紫さんの頭が垂れていた。その日から野中さんと筑紫さんは少しの時間も会うようにしていた。2人で散歩をしたり、寺の庭に座りこんで話したり、呑みに行ったり。誘われても、とても私のつきあえる頻度ではなかった。
  筑紫さんは2008年11月7日に亡くなった。まだ73歳の惜しい命だった。
  最近私が老衰で病気になる度、野中さんは必ず病院へ見舞って下さったのに、私はついに野中さんの入院中の病院さえ、つきとめ得ないままお別れもできなかった。今頃筑紫さんと2人で朝早くから浄土を歩きながら、寂聴もそろそろ呼んでやらなければなどと話し合っていることだろう。
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180215 (ザ・コラム)野中氏、鋭さの裏に 限りない優しさのバトン 秋山訓子

2018年02月15日 09時43分49秒 | 時代の記憶
2月15日(木):
朝日デジタル(ザ・コラム)野中氏、鋭さの裏に 限りない優しさのバトン 秋山訓子  2018年2月15日05時00分
  野中広務氏が92歳で亡くなった。
  彼が権力の絶頂にあった頃、私も自民党を担当していた。こわもての実力者で、震え上がりそうな鋭い視線を覚えている。
  でも彼の顔は決してそれだけではなかった。どんな政治家だったか、よく引用される話の一つとして、1997年の衆院本会議での発言がある。沖縄の駐留軍用地特別措置法の改正の時のことだ。自身が62年に沖縄を初めて訪問したときのことを引き合いに出した。乗ったタクシーの運転手がサトウキビ畑の前で止まって「妹がそこで殺された」と泣き始めた。しかもやったのは米軍ではなかった、と。自分はこの出来事が忘れられない。国会の審議が大政翼賛会的にならないように――と続く。
  私が書きたいのはここから先である。
  当時、これを聞いて感動のあまり、矢も盾もたまらず野中事務所に走っていった国会議員がいた。社民党の1年生議員だった中川智子氏だ。連立与党の一角だったとはいえ、新米議員と自民党の大幹部。普通ならおいそれと口はきけないが、気にしないで押しかけたのが「おばさんパワー」を掲げていた彼女らしいところだった。
  ちょうど野中氏も自室にいて、中川氏の勢いに驚かれながらも会うことができた。中川氏は手土産にと自室から持参した乾燥糸こんにゃくを渡すと言った。
  「私は、今日の野中さんの発言に涙が出ました。あなたみたいな政治家に会えてよかった。本当に素晴らしかった。私も沖縄には同じ思いです」
  夜、中川氏が議員宿舎に帰ると郵便受けに野中氏からのメモが入っていた。「これから困ったことがあったら、何でも相談しなさい」。携帯電話の番号があった。
  その言葉通りに以降、彼女は困った時には何でも野中氏に相談するようになる。

     ◇
  なぜ中川氏は乾燥糸こんにゃくを持って行ったのか。彼女はそれをインドネシアから輸入していた。彼女の父は第2次大戦中、通訳としてインドネシアに赴任していた。父の晩年の94年、その地に一緒に行った。「父が非常にお世話になったという男性が、もともと残留日本兵で現地の国籍をとり、すごく苦労しながら企業を起こし財をなした人だったんです。おみやげに乾燥糸こんにゃくをもらって。『自分はこのこんにゃくに平和への思いをこめている。日本に広めてください』と言われて。日本で販売することを思い立ったんです」
  商売は初めてだったが、スーパーや生協に果敢に売り込み、軌道に乗りかけたところで阪神淡路大震災が起きた。
  兵庫県宝塚市に住んでいた彼女は救援に走り回る。資金が尽きたら、「こんにゃくをチャリティーで売りまくって」原資とした。
  活動も一段落し、ほったらかしていた商売をどうしようと思っていたら、チャリティーでこんにゃくを買ってくれた人から次々に注文が舞い込んだ。「おいしかった」「平和への思いがあると知り、注文したい」……。ビジネスがまわり始めた。
  後にインドネシアから創業者が来日したときには、野中氏はもてなしてくれた。かの地のこんにゃく工場には野中氏と創業者が並んだ写真が飾ってあるそうだ。
     ◇
  中川氏は薬害ヤコブ病の患者救済や介助犬といった身体障害者補助犬法などに取り組んだ。野中氏だけでなく多くの与党の実力者に声をかけて巻き込んで、辛抱強くことを進めて法律を作った。2期務めて2003年の選挙で落選後、国政を去る。
  09年、宝塚市長選に出馬した。市長が連続して収賄で逮捕という前代未聞の出来事の後だった。野中氏に相談すると「やりなさい」と背中を押してくれ、応援にも来てくれた。今は3期目だ。市民との対話集会を行い、同性カップルを結婚と同等の間柄とする要綱づくりなどに取り組んだ。
  2人の政治家に共通するのは、弱い立場にある人に寄り添う限りない優しさと平和への強い思いだ。多面的な顔も持っていた。根底には人を信ずる力があり、その力は伝播(でんぱ)していく。政治の基本だと思う。
  野中氏の遺伝子は確かに受け継がれ、地方で息づいている。国政ではどうだろう。それを思う時、私は少し暗い気分になる。(編集委員)
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180214 一年前:170213 「ヒカルの碁」アニメ全75話DVDボックスが届いた。

2018年02月15日 02時44分04秒 | 一年前
1月14日(水):
170213 「ヒカルの碁」アニメ全75話DVDボックスが届いた。
2月13日(月):  「ヒカルの碁」アニメ全75話DVDボックス(Import版)が届いた。届くの速すぎる!ちょっとびっくりした。すぐに鑑賞開始。20話以上を延々と観た。期待以......

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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)