もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

3 084 内田樹「街場のメディア論」(光文社;2010)感想4+

2014年03月30日 19時15分25秒 | 一日一冊読書開始
3月30日(日):

213ページ  所要時間 4:00   ブックオフ105円

著者60歳(1950生まれ)。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。

1回目 2:30で読み、2回目 1:30かけて線を引きながら、眺め直した。実のある「正論の書」、または上に“へ”の付かない「理屈の書」である。読みやすいのでストレスもたまらない。けっこうよいことが語られている。基本的に現代の政治、社会、経済、教育で横行する変なあり方に対して、「変だ!」と指摘するだけでなく、その理由をきちんと説明してくれる。だから、感想は「へーすごい!」ではなく、「やっぱりそうですよね。変だったんですよね。」という安堵感が大きい。

まず本書で語られる中心には、
「社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されたはならない」(経済学者宇沢弘文)
<社会的共通資本>とは、「人間が共同的に生きてゆく上で不可欠のものを指します。自然環境(大器、水、森林、河川、湖沼。海洋、沿岸湿地帯、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど)、制度資本(教育、医療、金融、司法、行政などの制度)がここに含まれます。こういうものは政治にも市場にも委ねられてはならないというのが宇沢先生の主張です。107~108ページ
という考え方が底流している。そこから、

安易に<市場経済>の論理に、医療、教育、マスメディアがさらされることによって、患者も、学生も、読者も、「消費者」と位置付けられ、クレイマー化、モンスター化することになり、<誰も幸せにしない倒錯した関係>をはびこらせてしまった。患者を「様付け」で呼び、学生や新聞読者が「消費者」となるとき、彼らは「消費者的に振舞うこと」を義務付けられる、すなわち最低の代価で、最高の商品を手に入れることになるが、それはもはや医療、教育、報道・言論現場での秩序、相互協力関係を破壊し、クレイマー化、モンスター化して「恥知らずで仮借ない批判」が溢れだして、大切な制度資本が崩壊していく。そして、メディアは、「弱者の味方」という「とりあえずの正義」「定型」に胡坐をかいて存在意義を失い、衰退・自滅していく。
という指摘が行われている。

◎キャリア教育について:*みなさんの中にもともと備わっている潜在能力があって、それにジャストフィットする職業を探す、という順番ではないのです。そうではなくて、まず仕事をする。仕事をしているうちに、自分の中にどんな適性や潜在能力があったのかが、だんだんわかってくる。そういうことの順序なんです。略。/自分が何に向いているか知らないままに就職して、そこから自分の適性を発見する長い長い旅が始まるんです。就職というのはその点で「結婚」と似ています。略。/「まず結婚する」んです。そこから話が始まる。18ページ
僕は今の行政主導で行われているキャリア教育というのは、まったくキャリア教育として役に立たないと思います。略。/いま支配的な教育観は「自分ひとりのため」に努力する人間のほうが「人のため」に働く人よりも、競争的環境では勝ち抜くチャンスが高いという判断の上に成り立っています。私利私欲を追求するとき人間はその資質を最大化する。隣人に配慮したり、「公共の福利」のために行動しようとすると、パフォーマンスは有意に低下する(「嫌々やらされているから」)。それが現代日本において支配的な人間観です。略。/でも、やってみたら、そうはならなかった。なるはずがないんです。繰り返し言うように、人間がその才能を爆発的に開花させるのは、「他人のため」に働くときだからです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。それが「自分のしたいこと」であるかどうか、自分の「適性」に合うことかどうか、そんなことはどうだっていいんです。/略。宗教の用語ではこれを「召命」(vocation)と言います。神に呼ばれて、ある責務を与えられることです。でも、英語のvocationにはもう一つ世俗的な意味もあります。それは「天職」です。callingという言葉もあります。これも原義は「神に呼ばれること」です。略。これにも「天職」という訳語が与えられています。/「天職」というのは就職情報産業の作る適性検査で見つけるものではありません。他者に呼ばれることなんです。中教審が言うように「自己決定」するものではない。「他者に呼び寄せられること」なんです。自分が果たすべき仕事を見出すというのは本質的に受動的な経験なんです27~31ページ

◎テレビ報道批判:*テレビの中でニュースキャスターが「こんなことが許されていいんでしょうか」と眉間に皺を寄せて慨嘆するという絵柄「決め」のシーンに多用されます。その苦渋の表情の後にふっと表情が緩んで、「では、次、スポーツです」というふうに切り替わる。僕は、自分が狭量であることを認めた上で言いますけれど、この「こんなことが許されていいんでしょうか」という常套句がどうしても我慢できないのです。「それはないだろう」と思ってしまう。略。/「こんなこと、私はまったく知りませんでした。世の中ではこんなにひどいことが行われているなんて……」という、その技巧されたイノセンスに僕はどうも耐えられないんです。略。/「知らなかった」ということを気楽に口にするということは報道人としては自殺行為に等しいと思うのです。略。/責任逃れのためとはいいながら、ジャーナリズムが「無知」を遁辞に使うようになったらおしまいじゃないだろうか。略。/このようなメディアが好んで採用する「演技的無垢」は、それを模倣する人々の間に社会的な態度として広く流布されました。そして、おのれの無垢や未熟を言い立てることで責任を回避しようとする態度。それはいまや一種の社会的危機にまで肥大化しつつあります。略。/それは「クレイマー」という存在についてです。56~59ページ  ※報道ステーションの古舘伊知郎に対する違和感は俺も全く同感だ。「131225 報道ステーション古舘伊知郎キャスターの勇退を勧告する。出処進退は自分の意志で!」

◎教育:*市場原理を教育の場に持ち込んではいけない。そのことを僕はずっと言い続けています。けれども、メディアはそのような説明を上手く呑み込むことができません。相変わらず、教育崩壊の「犯人」探しと、「根本的な制度改革」の喫緊であることだけを言い続けています。「社会制度は絶えず変化しなければならない。それがどう変化すべきかは市場が教える」という信憑そのものが教育崩壊、医療崩壊の一因ではないのかという自問にメディアがたどりつく日は来るのでしょうか。122ページ

◎電子書籍と「書棚の意味」について:*電子書籍は書棚に配架することができない。略。/僕は書籍というのは「買い置き」されることによってはじめて教化的に機能するものだと思うのです。略。/僕たちは「今読みたい本」を買うわけではありません。そうではなくて「いずれ読まねばならぬ本」を買うのです。それらの「いずれ読まねばならぬ本」を「読みたい」と実感し、「読める」だけのリテラシーを備えた、そんな「十分に知性的・情緒的に成熟を果たした自分」にいつかはなりたいという欲望が僕たちをある種の書物を書棚に配架する行動へ向かわせるのです。156~157ページ  ※おっしゃる通り!

◎サイト管理:*僕が自分のサイトの管理のために投じているコストはたぶん年間で二〇万円くらいです。当り前ですが、別にそれを回収するために発信しているわけではありません。最初から「持ち出し」のつもりです。自分のお金と時間を使って書かせてもらう。その代わり、「それは私と意見が違うからそんなこと書くな」とか「お前の話はわかりにくいから簡単にしろ」というような「消費者」的デマンドにはいっさい配慮しない。語彙についての規制もしないし、新聞が「自粛」する言葉もどんどん使う。場合によっては、話が尻切れトンボになっても、前に書いたことと整合しなくても、構わない。何を書いても、誰にも怒られない(怒っている人がいるのかもしれませんけれど、その声は幸いに僕には届きません)。それがミドルメディアの書き手であることの最大の利点だと僕は思います。196ページ  ※全く同感!勉強になる。最近、俺のサイトにもたまにだが、嫌がらせのコメントが入る。その際は、相手の知的レベルが俺より明らかに劣っている場合は、即刻消去している。多少、高い知性を感じたときは、しばらく残しておく。

目次:第一講 キャリアは他人のためのもの/第二講 マスメディアの嘘と演技/第三講 メディアと「クレイマー」/第四講 「正義」の暴走/第五講 メディアと「変えないほうがよいもの」/第六講 読者はどこにいるのか/第七講 贈与経済と読書/第八講 わけのわからない未来へ

3 083 石井光太「日本人だけが知らない日本人のうわさ」(光文社新書;2010/2)感想3

2014年03月29日 17時45分16秒 | 一日一冊読書開始
3月29日(土):副題:笑える・あきれる・腹がたつ

294ページ  所要時間 2:50   図書館

著者33歳(1977生まれ)。

既視感のある内容が多く、特に、印象が残らない内容だった。著者の作品としては駄作だろう。読み流したという感じ。著者の強みは、本書のように、下ネタ・セックスネタも含め、「どぶさらい」のようなレベルの仕事をベースにしているので、ある種の自由自在さ、フリーハンドをもってあらゆることに取り組めるところだろう。低い目線から、弱者に寄り添い、観察しつつ、上を仰ぎみつつ批判する姿勢は、著者の最大の強みだ。

目次:プロローグ/ 一章 日本企業vs.デマ/ 二章 ジャパン・セックス/ 三章 反日感情/ 四章 ゆがんだ日本文化/ 五章 在日外国人の流言/ 六章 日本人から見るガイジン/ エピローグ

3 082 上原善広「路地の教室 部落差別を考える」(ちくまプリマー新書;2014/1)感想4

2014年03月29日 03時03分16秒 | 一日一冊読書開始
3月28日(金):

201ページ  所要時間 3:30       図書館

著者40歳(1973生まれ)。大阪府松原市更池の“路地”出身。ノンフィクション・ライター。

まず結論から、「この著者の志しは評価すべきだが、力不足だ。この著者の提示する事実や歴史認識を俺自身は評価し、(結論の得られない)考える材料にできる。しかし、本書は場合によっては、若い読み手たちを混乱させ、“路地”に対する新たな間違った認識を広め、差別意識の解消にはつながらないのではないか。この著作を感想5にはできない。3+が精一杯だが、それも寂しい。せめて支持の表明として感想4にしておこう。それにしても筑摩書房は、差別を生まないための記述・情報の最低限のすり合わせを著者としたのだろうか…。出版社としての責任はとれてるつもりなのだろうか?「出版することに意義がある」では済まないだろう! でも、少し間を開けてもう一度読み直すべきかなあ…」           鳥取ループって誰やねん?

目次:
はじめに―路地からの視点
一限目 路地とは何か:私の故郷/幼い頃/差別はまだあるのか/結婚差別の対処法/路地の人が本当は困ること/路地は怖いか/てっとり早い解決法/情報公開/どうすれば路地は無くなるのか/路地を知る
二限目 路地を書くこと:なぜ路地を書くのか/路地を書く難しさ/ある政治家のルポ/ルーツとしての路地/ルーツが全てではない/人物ルポの作法/路地への取材/立場を越えて
三限目 路地のルーツ:ルーツ/渡来人説/人々の合流/集合体としての路地/系/系/さまざまな呼び名/教養としての路地
四限目 同和教育と解放教育:各地の同和教育/学校に行けなかった路地の子/融和教育/同和教育/学力保障/解放教育/人権教育へ/同和教育の理念
五限目 利権:発端/路地の運動団体/三つの解決方法/同和対策事業/路地は儲かるか/エセ/路地とヤクザ/逆差別
六限目 差別とは何か:差別する人間/差別と病気/差別をコントロールする/底辺の視点/他者への気づき/男女の関係/多様性と気づき/多様性への嫌気/オンリーワン/オレオレ時代/若い時にしておくこと/素朴な疑問/イチから考える/路地の将来/良き日のために
あとがき

著者は、地区、被差別、さらに差別も含めて、まとめて“路地”と本書中では呼ぶ。着想は、作家中上健次が、を“路地”と呼んだのを参考にしている。

感想4は、俺からのエールである。本書の危険性を考えれば、3+が本当は妥当なところだ。

久しぶりに差別問題を取り上げた一般向け最新刊を発見して、俺は興奮した。「2011年8月23日 角岡伸彦著「被差別の青春」(講談社;1999) 評価5」以来である。しかも、著者は2010年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しているのだ。図書館で見つけて、即、借りた。中上健次を引き合いに出し、を“路地“と呼び変えるセンスもなかなか正鵠を射ている! 

著者自身、大阪の“路地”で生まれ、精肉店を営む父親と外から嫁いできた母に育てられ、6歳で隣町に引っ越すまで“路地”に育った。父母も兄弟3人も皆、中卒だが、著者だけ大阪体育大学を卒業。10代は解放同盟の解放運動にも参加していたが、20代の半分は外国で暮らし、ライターとしての中立を保つため、解放同盟、全解連、会など、どこの組織にも属さない「一匹狼」として歩みながら著作を続けている。

読み始めたときの印象は、勿論感想5である!「一限目 路地とは何か」では、現在の“路地”の人々との交流や現状への目線は確かさを感じた。「いいぞいいぞ!その調子で、同和問題の現状、同和問題をどう捉えるべきなのか、俺に教えてくれ!」と思ったものである。

しかし、この後、「ニ限目」「三限目」でとたんに論点や表現が抽象的になり、理屈っぽくなるにつれて説得力が減殺していった。ここから本書に対する俺の評価は大波を打つように上下した。読んでいてこんなに不安定な気分にさせられた読書はあまり経験がない。差別問題を、取り上げた勇気と苦労は評価したいのだが、それにしては議論があまりにも疎漏過ぎるのだ。

著者自身が、“路地”出身だから、1969年同和対策審議会答申以後の同和問題の経緯と実態、および限界・問題点に対する記述はなかなか良いセンスが発揮されているのだが、それ以外の歴史認識や理屈の部分になると、とたんに玉石混交、石ころがたくさん混じってくるのだ。記述も方向性が見えず、散漫で、何を言いたいのか分からない部分が増えた。「これを読む、ふつうの高校生・大学生らの若者は混乱するに違いない。」と考えると、すごく不安な気分になった。

特に「三限目 路地のルーツ」(要するに被差別や、、に関する歴史認識)では、ウンザリするほど「私は~と思う」「~と考えることもできるだろう」「~ということになるかもしれない」のような客観性・実証性を欠いた著者の主観的判断・推測が繰り返されるのだが、その内容がどうにも聞きかじり、読みかじり、思い込みで、整合性に欠けていて俺の歴史認識とかみ合わない、というか「そういうことは誤解や偏見を助長するから軽々しく思いつきで言っちゃダメだ! 最低限、きちんとした論拠と実証的裏付けを示すべきだろう…」と思わせられるものだったのだ。著者には、“路地”出身であることと、このような話題に取り組む者が稀であることへの(大目に見てもらえるという)<甘え>があるように思える。それは、筑摩書房についても言えることだ。出版社としてもう少し内容に責任のとれる検証をすべきではなかったのか?

いくら良い意図の下に書かれても、誤解や差別・偏見を助長するような虚偽を書いてはいけないだろう!ここでは感想3(本当は2)であった。その後「四限目」「五限目」「六限目」と感想は5になったり、3に下がったり、著者は自らの取材姿勢を<一匹狼>と位置付けているが、著者自身の問題処理能力を同和問題・差別問題は大きく超えているため、著者が背伸びをしてつま先立ち状態に陥ってふらふらしているのが、読んでいてわかるのだ。

140327 一年前 0048 秋元康「自分地図を描(か)こう」(大和書房;2000)感想3+

2014年03月28日 00時16分38秒 | 一年前
3月27日(木):

0048 秋元康「自分地図を描(か)こう」(大和書房;2000)感想3+
3月26日(火):157ページ  所要時間2:30         図書館著者44歳(1956生まれ)。作詞家。先日NHKで、AKB48を生み出し、大成させた著者の一瞬も休...

140327 一年前 0047 加賀乙彦「小説家が読むドストエフスキー」(集英社新書;2006) 感想5

2014年03月28日 00時12分53秒 | 日記
3月27日(木):

0047 加賀乙彦「小説家が読むドストエフスキー」(集英社新書;2006) 感想5
3月24日(日):217ページ  所要時間3:00 図書館本著者77歳(1929生まれ)。精神科医。表紙裏「19世紀ロシアを代表する作家ドストエフ...

140326 閲覧22万超えました。 27日の朝日・素粒子が良い。

2014年03月27日 18時05分17秒 | 閲覧数 記録
3月26日(水):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から900日。

アクセス:閲覧 302 PV /訪問者 134 IP

トータル:閲覧 220,127PV /訪問者 91,474IP

ランキング:日別 15,834位 / 2,002,429ブログ中 /週別 12,743位

3月27日(木):朝日新聞夕刊の「素粒子」が良い。
 *「復興を支援する五輪か、じゃまをするする五輪か。資材は高騰、現場の人材は足りず。34理事に被災地代表もおらず。」 今の安倍晋三極右自民党による日本政治の歪みと異常さが集約した姿だ。


3 081 やなせたかし「わたしが正義について語るなら」(ポプラ新書;2013/11) 感想 3

2014年03月26日 00時35分24秒 | 一日一冊読書開始
3月25日(火):

158ページ  所要時間 1:25    図書館

児童向け「未来のおとなへ語る わたしが正義について語るなら」(ポプラ社;2009)の新書版。著者の亡くなった翌月刊行。

著者90歳(1919~2013;94歳)。

1919年生まれ。高知県出身。5歳で父が亡くなり、母に捨てられ、二つ下の弟と一緒に医者の伯父夫婦に養育される。東京芸大と京都工繊大に落ちて、東京高等工芸学校・図案科(現千葉大)に進む。卒業後すぐ、1941年兵隊にとられる。1945年終戦は中国で迎え、27歳で帰国。勉強のできた弟は京都大学を卒業後、海軍特攻隊を志願して戦死していた。

高知の新聞社に1年勤め、上京、日本橋三越の宣伝部で働く。1953年(34歳)、自分を追い込むつもりで三越を退社、無名の不流行マンガ家となる。ランクでいえばABCDのDクラス。頼まれれば何でもする下積み生活で、宮城まり子と出会い、ステージの構成、司会、巡業手伝いなどをする。師を一人あげれば宮城である。「手のひらに太陽を」を作詞し、宮城まり子に提供。NHK「漫画学校」の先生役で出演。強力無比な影響力に驚く。

1969年、50歳、手塚治虫の依頼で長編アニメ「千夜一夜物語」に参加、美術監督とキャラクターデザインを務める。手塚は、恩人の一人である。当初、アンパンマンは、あんパンを配るおじさんだった。54歳の1973年、絵本「あんぱんまん」で自分の顔を食べさせる話しにするが、大変な悪評・酷評を受け、著者も全く自信がなかった。約5年後、変化は幼稚園・保育園での人気となって表われた。3歳から5歳の幼児に人気が出た。

1976年(57歳)、ばいきんまんを生み出し、ストーリーに芯ができた。基本的なキャラクター設定には映画「風と共に去りぬ」の影響があった。

スカーレット・オハラはドキンちゃん、おとなしいメラニーはバタコさん、しょくぱんまんはアシュレー、レッド・バトラーは「アンパンマンとばいきんまんを足して二で割る」。ホンマかいな?!他に、「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー著)も影響している。「ユニークで魅力のあるキャラクターができれば、それで七〇パーセントは決定です。作者は、キャラクターの後を追いかけていくだけでいい。103ページ」

1988年(69歳)、「それいけ!アンパンマン」の放映が開始されると、爆発的な人気を得、現在に至る。本当に遅咲きのマンガ家である。2013年10月死去。

アンパンマンのストーリーの背景には、「正義」と「善悪の共生」に対する著者の明確な哲学が存在する。本当に遅咲きの著者は、

「マンガ家なのに、コミック雑誌には一度も描いたことがない、漫画の単行本もない、絵本が約500冊、詩集50数冊、画集、エッセー、自伝、メルヘン集ととりとめもなく、整理したこともありません。「詩とメルヘン」の編集長もして、ばくが育てたのはイラストレーターですから、これでマンガ家といえるのかどうかあやしい。略。けれども人生はお金がすべてじゃありません。/人生の楽しみの中で最大最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。すべての芸術、すべての文化は人を喜ばせたいということが原点で、喜ばせごっこをしながら原則的には愛別離苦、さよならだけの寂しげな人生を誤魔化しながら生きているんですね。/略。人生なんて夢だけど、夢の中にも夢はある148~149ぺーじ」

と述べる。著者は、優れた詩人なのだと思う。また、著者の反戦の精神の根っこには、<飢餓の記憶>があるこれは、「はだしのゲン」にも通底する<戦争の記憶>だ。

目次: はじめに
第1章 正義の味方って本当にかっこいい?
正義の味方について考えてみよう/食べ物がないのは耐えられない/どっちが正義でどっちが悪?/正義のヒーローはいつもみんなの人気者なのか?/悪を見破るのって難しい/  ばいきんまんは良い人に弱いんだ/悪い人にも正義感はある/悪人は優しい心も持っている
第2章 どうして正義をこう考えるようになったのか
自然が溢れていた生まれ故郷の高知/ぼくと、そして弟と――伯父の家で住み始める/母の再婚。孤独を感じていた頃/東京高等工芸学校に合格して、東京へ/二十代・三十代は自分の将来を悩み続けていました/自分を励ますために書いた歌、「手のひらを太陽に」/キャラクターがなければ存在しないのと同じ/やってみると面白い――天才、手塚治虫と必死に取り組んだ仕事/誰にでも分かってもらえる絵を描いていきたい/絵本『あんぱんまん』が生まれた日/ステージの反応でばいきんまんが誕生/キャラクターが良ければ物語は面白くなる/「面白い」には怖さも必要だ/花火は消えるから美しい?
第3章 正義の戦い方
相手を殺してしまってはいけない/正義でいばってるやつは嘘くさい/自分なりに戦えばいい/とにかくやり続ける/好きなもの以外の武器を持て
第4章 ぼくが考える未来のこと
身近な人の幸せを願う

3 080-2 堤 未果「(株)貧困大国アメリカ」(岩波新書;2013/6) 抜き出しノート

2014年03月24日 18時00分47秒 | 一日一冊読書開始
3月24日(月):

気になった内容の一部を書き抜いてみました。

*「これも原発議論と同じで、GM(遺伝子組み換え)作物推進派は反対派の意見をまるっきり無視するか、非科学的だ、情緒的だ、といってばっさり切り捨てます。NPOを装ったロビイストがたまにテレビに出てきますが、論点をずらしたり、専門用語を多用して視聴者にわからないようにしたり、反対派の言動を過激だと騒ぎ立て被害妄想のようなイメージを植え付ける、といったテクニックを使う。これで一般の国民はどっちもどっちだとして煙にまかれてしまうのです」59ページ

*アメリカは先進国で唯一、遺伝子組み換え食品に表示義務がない。108ページ

*モンサント保護法の議会通過について:「今この国では大企業とマスコミが常に共犯関係にあります。あのときアメリカ中の関心は、完全に別なことにそれていました。六月に最高裁判決が出る、同性婚の是非です。どのマスコミもそのニュース一色で、国民はその裏で静かに通過した新法については知らされなかったのです。本当にくやしい。遺伝子組み換え作物の大規模な規制緩和という、取り返しのつかない法律だったのに」110ページ

*多国籍アグリビジネスは、政府を味方につけて大規模化を阻む国内法の改正を繰り返し、ウォール街の後押しで寡占化、市場を独占した結果、株主の顔ぶれも、市場も生産地も、あらゆるものが国境を越えたのだ。/生産効率と利益拡大を旗印に際限なく加速するこの流れのなか、生産者である農家もまた、末端で働く歯車としての労働者になりつつある。農業を取り巻く付加価値であった文化や伝統、地域社会や共同体といったものは、所有企業がその土地や国から遠く離れるほど、意味を持たなくなってゆく。127ページ

*多くのアメリカ国民のなかで、オバマ大統領の終結宣言でイラク戦争は過去になり、そこで今も続いていることへの関心は、時間と共に薄れていった。ちょうど、2011年3月に事故を起こし、今でも毎時1000万ベクレルの放射能を放出し続ける福島第一原発が、総理の収束宣言以降ニュースの中心から消え、多くの日本人の危機感が薄れてしまったように。129ページ  (超無責任な収束宣言をした総理とは民主党野田汚物佳彦である!絶対に忘れない!)

*1980年代の終わりになると、再生産しないGM(遺伝子組み換え)種子が開発される。[ターミネーター種子]だ。ターミネーター遺伝子が組み込まれた種子は、発芽した時点で枯れてしまう。特許料の支払いから逃れようと農家がこっそり種子を保存しても、実ができないため翌年使うことはできなくなる。こうしてターミネーター種子を一度でも使用した農家は、自動的にモンサントとの依存関係にからめとられる仕組みが誕生した。155ページ

*「ターミネーター種子」の特許成立は、世界のパワーバランスを大きく揺さぶることになるだろう。種子が手に入らなくなればその国の自給率はゼロになるからだ。アグリビジネスとともにこの政策を進めてきたアメリカ政府もまた、世界最強の軍事力に並ぶ、外交交渉の強力な武器を手に入れた。156ページ

*2012年3月施行された米韓FTAについて:安全審査の緩さから、世界各国が規制をかけているアメリカ産牛肉の輸出障壁を外すため、米韓FTAでは安全性に疑いを抱いた際は輸入国側に危険性の立証責任が課せられるようにした。BSE(牛海綿状脳症)検査実施率0.1%、輸出前の危険部位除去の実施もなしという今までの大勢を変えることなく、今後アメリカの牛肉は韓国市場に向けてスムーズに輸出されることだろう。米韓FTAは米国食肉協会を安心させた。科学的にその危険性を立証しない限り、韓国側から輸入拒否をするという選択肢は無くなったからだ。159ページ  正直、ムチャクチャだな!

*米韓FTA締結後、韓国国内ですさまじい勢いで進行した二極化拡大は、NAFTAのときと同じだった。投資家や多国籍企業、銀行などを含む上位「1%」の資産は上昇、それ以外の「99%」層は貧困におちてゆく。自由貿易条約とは、「1%」のための自由をさすのだ。161ページ

*「2012年の選挙は、大きな政府に反発するティーパーティ運動の存在に焦点があてられ、赤と青に分断されるアメリカというイメージで描かれていましたね」/「赤と青に分断されたアメリカ、そのとおりです。国民の意識は保守対リベラルにひきつけられる。けれどそれはバーターで、今のアメリカ民主主義は「1%」によってすべてが買われているのです。司法、行政、立法、マスコミ……「1%」は二大政党両方に投資し、どちらが勝っても元は取る。テレビの情報を信じる国民は、バックに巨大企業がいることなど夢にも思わずに、いまだに敵を間違えているのです」239ページ

*人々は今、首をかしげている。オバマ政権が大きな政府であれば、なぜ二極化はますます加速しているのだろう。株価や雇用は回復したはずなのに貧困は拡大を続け、医療、教育、年金、食の安全、社会保障など、かつて国家が提供していた最低限の基本サービスが、手の届かない「ぜいたく品」になってしまった理由について。かつて「善きアメリカ」を支えていた中流層や、努力すれば報われるという、「アメリカン・ドリーム」は、いったいどこに消えたのか。/民主党が批判した「ブッシュの新自由主義」と、共和党が批判する「オバマの社会主義」。/商業マスコミが差し出す一見分かりやすいこの構図は、過去三〇年で変質したアメリカの実体経済についての疑問には、決して答えてくれないだろう。/貧困は「結果」だ。/現象だけでなくその根幹にある原因を探っていくと、いまのアメリカの実体経済が、世界各地で起きている事象の縮図であることが分かる。/経済界に後押しされたアメリカ政府が自国民にしていることは、TPPなどの国際条約を通して、次は日本や世界各国にやってくるだろう。272ページ

*2013年2月28日。安倍晋三首相は、所信表明演説のなかで明言した。/「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します」/いま世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えた、ポスト資本主義の新しい枠組み、「コーポラティズム」(政治と企業の癒着主義)にほかならない。/グローバリゼーションと技術革命によって、世界中の企業は国境を超えて拡大するようになった。価格競争のなかで効率化が進み、株主、経営者、仕入れ先、生産者、販売先、労働力、特許、消費者、税金対策用本社機能にいたるまで、あらゆるものが多国籍化されてゆく。流動化した雇用が途上国の人件費を上げ、先進国の賃金は下降して南北格差が縮小。その結果、無国籍化した顔のない「1%」とその他「99%」という二極化が、いま世界中に広がっているのだ。/巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は、やがて効率化と拝金主義を公共に持ち込み、国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する新しい形態へと進化した。ロビイスト集団が、クライアントである食産複合体、医産複合体、軍産複合体、刑(務所)産複合体、教(育)産複合体、石油、メディア、金融などの業界代理として政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引きかえに、起業寄りの法改正で、“障害”を取り除いてゆく。/コーポラティズムの最大の特徴は、国民の主権が軍事力や暴力ではなく、不適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われることだろう。/略。法改正を見るとよく分かる。これらが実施されるたびに本来の国家機能が解体され、国民の選択肢が奪われてきたからだ。273~274ページ

*「1%」にとって、国家は市場の一つにすぎず、国単位で対抗できないという事実に気づかなければ、ナショナリズムやイデオロギー、宗教やささいな意見の違いなどに煽られて「99%」は簡単に分断されてしまう。略。しかけられているのは、多様性に対する攻撃なのだ。276ページ

*いったい本当に価値あるもの、守るべきものとは何だろう。国とは何か。「1%」に奪われようとしている、主権、人権、自由、民主主義、三権分立、決して数字で測れない価値について。市場のなかで使い捨てにされる「モノ」ではなく、たった一人のかけがえのない個人としてこれらの原点を問われたとき、私たちは自らの意思で、どんな未来を描くのか。/食、教育、医療、暮らし。この世に生まれ、働き、人とつながり、誰かを愛し、家族をいつくしみ、自然と共生し、文化や伝統、いのちに感謝し、次の世代にバトンを渡す。そんなごく当たり前の、人間らしい生き方をすると決めた「99%」の意思は、欲でつながる「1%」と同じように、国境を越えてつながってゆく。/意思を持つ「個のグロバリゼーション」は、私たちの主権を取りもどすための、強力な力になるだろう。277ページ

3 080-1 堤 未果「(株)貧困大国アメリカ」(岩波新書;2013/6) 感想 特5

2014年03月24日 01時50分21秒 | 一日一冊読書開始
3月23日(日):

278ページ   所要時間 7:20  アマゾン598円(348円+送料250円)

著者42歳(1971生まれ)。

どうしても読みたかった本である。図書館は何十人待ちで気が遠くなり、諦めざるを得なかった。アマゾンを覗くたびに、4.8という高評価に何とか手に入れたいが、定価にビビってしまっていた。1週間ほど前(3/18)、酔っ払って発作的に598円で注文を出した。嗚呼、貧乏臭い話から始まってしまった…。

しかし、やっぱり図書館の本ではなく、自分の本として入手して本当によかった。著者の本は、いつも別格だ。著者の本を読むと、アメリカを観る視野が広がるというだけでなく、アメリカを考える(すなわち世界を考える)思考の間口が、グググーッと広がる感じがするのだ。今まで思いもよらなかった事実に目を開かせられるのだ。

今回は、1980年代ぐらいからの変化を語りつつ、2013年現在のオバマ政権も俎上に載せて、まさにアメリカの現在を活写して提示してくれている。驚かされた内容を書き出すことはできないが、ページを折り、付箋を貼り、線を引きながら読んでいて、けっこう時間もかかってしんどかったが、メモ書きを振り返ると、

本書は、種明かしの読みものとしてすごく面白く書かれている。そして、広大な農場・牧場というアメリカの農業イメージはどんどん崩れ去り、独占的企業によって完全支配された見ざる・聞かざる・言はざるのすさまじい現状は、並みのホラーよりもはるかに恐ろしい現実が知らされる。「もう、(最近よく食べてる)アメリカのステーキは怖うて食べられへんなあ…」

俺はTPPに無関心だったし、「どっちかと言えば、TPPやった方がええんとちゃうかな」と思っていたが、本書を読んでると「絶対に反TPPだ!。アメリカという国が信頼できないのではなく、アメリカという国の皮を被った国内を支配する寡占状態の多国籍独占大企業の支配下に、日本の農業始め、医療制度、製薬業他が支配されることに絶対反対なのだ。」TPPを平気で推進する安倍政権や野田汚物を<売国奴>だ!と思わずにいられない。

今や国同士の善意を信じられない。アメリカの皮の下には、非人間的で非常に悪質な市場原理のみで「99%」の自国民も他国の経済も呑み込もうとする巨大多国籍企業が潜んでいるのだTPPは、日本の経済の健全さや美しい自然、国民の健康を無防備に提供することだ。

もう今のアメリカは、かつてのアメリカではない。日本では暴力団金融などによって「下流喰い」が行われているが、アメリカでは今や国家と多国籍企業とマスコミが一体となって1%が、残る99%の国民を徹底的に食い物にする構造ができあがっている(「コーポラティズム」という)。アメリカって、やっぱり頭おかしい。その後を一生懸命になぞって真似をして追随する安倍自民政権や野田汚物詐欺師民主党も全くおかしい。

ブッシュの新自由主義、オバマの社会主義という分かりやす対立の構図は全くウソのまやかしである。実際には、1%の支配層は、共和党にも民主党にも同じように手を回して、どちらになっても99%を搾取できる仕組みを政府、マスコミを完全支配下に入れて(コーポラティズム)、常に搾取による利益を生み出せるようになっている。

オバマが、リベラルだなんて完全に破綻している。彼の看板医療政策のオバマケアだって、実態はひど過ぎる内容になっている。

正直、本書の中に、書かれている恐ろしい事実の数々は、すでに日本でも始まっている。そして、今後急速に日本はこのあとを追いかけて行こうとしている。即ち、日本の社会が保持してきた良い仕組み、人間関係が雪崩を打って壊されていき、たった1%の企業がが、99%の国民・市民を農奴のように、家畜のように、搾取する社会になっていく。その1%は、アメリカのコングロマリット、多国籍独占企業である。

今は、日本の農業、医療制度、教育の機会均等、社会保障制度だけは、何とか守りぬきたい。そのためには、反TPPだ!俺がただのお題目を唱えてるだけだと思う人は、是非本書を読んで欲しい。きっとあなたも実感をもって同意してくれることと思う。本書を読んでる視点から観れば、日本の保守政治屋ども、とくに安倍晋三をはじめとする世襲議員どもの馬鹿さ加減と実力の無さを感じる。

政治家の実力というのは、結局不断の勉強と国民・市民の真の願いに耳を傾け、国民の厚い支持を受けているという実感・自信からくるものだろう。今の政治屋は、何とか国民を騙して知らない間に重要なことを決めてしまおうという<火事場泥棒>的行動をとっているからアメリカに対しても結局及び腰になる<腰ぬけ外交>しかできないのだ。

まあ、ひどい時代になった。絶望したいけれど、子どもたちのために絶望する訳にもいかない。

■著者からのメッセージ
新自由主義を進めたブッシュ政権,監視体制を強化したオバマ政権に続き,今回の完結編で取り上げたのは,「1%層」が合法的に統治権を手にし,株式会社化した新国家アメリカの姿です.この数十年で完成された驚愕の略奪型ビジネスモデルに国境はなく,信じられないスピードで,世界のパワーバランスまで組みかえてしまう.TPPは終わりではなく序章でした.国とは何か,人間らしく生きるために,決して失ってはならない自由とは?
主権を取り戻そうと立ち上がる世界中の99%と,加速する1%の欲望.
合わせ鏡のように日本の近未来を映し出すアメリカの実態を知ることが,私たちが未来を選びとる力にきっとなると信じています.
■目次 : プロローグ
第1章 株式会社奴隷農場
夢の退職生活のはずが……/デットトラップ(借金の罠)/「もっとたくさん、もっと効率よく」/独占禁止法解禁でよみがえる悪夢/骨抜きの食品安全審査/復活した農奴制/もう一つの波―遺伝子組み換え作物/「この実験結果は爆弾だ」/学会に入り込むバイオ企業関係者/「GM(遺伝子組換え)食品」と「原発」に共通する安全神話/つぶされる住民投票/合言葉は「言わざる・聞かざる」
第2章 巨大な食品ピラミッド
垂直統合ブームがやってくる/食品業界とウォール街の最強タッグ/業界関係者だらけのFDA/食の工業化で潤う抗生物質市場/企業は「オーガニック食品」という夢を売る/つぶされる小規模有機農家/ぎゅう詰め飼育のオーガニックチキン/「これはSFではない、現実だ」―GMサーモン/GM種子を野放しにする〈モンサント保護法〉の成立/食品安全近代化法―FDAが外国の「食政策」を管理する
第3章 GM種子で世界を支配する
自由化で消える中小農家/企業参入で無国籍化する農業/多国籍企業の夢の地―イラク/命令81号/「白い金塊」で綿の生産量が五倍に!―インド/インドとアメリカの「1%」が手を結ぶ/輸出用GM農地と化したアルゼンチン/被災地復興をGM種子で支援―ハイチ/アメリカは最強の外交武器を手に入れた/他国の食を支配するNAFTA・FTA・TPP/EUのGM規制はまだ崩せる
第4章 切り売りされる公共サービス
「ようこそ、全米一危険な町へ!」/全米の自治体の九割は、五年以内に破綻する/増えるのは低賃金サービス業ばかり/公教育を全面解体/消防署、警察、公園が消えてゆく/雇用を戻す魔法の杖―〈労働権法〉/デトロイトが非常事態宣言/民営化された夢の町
第5章 「政治とマスコミも買ってしまえ」
企業が立法府を買う/強力な力で州法を動かすALEC/企業のためのモデル法案/「これは子どものためではなく、教育ビジネスのための法案だ」/「移民排斥法」で花開く刑務所産業/ついに企業の政治献金が無制限に/世界中の富裕層がアメリカの政策に介入できる/選挙とは、効率の良い投資である/148万本のCM広告費で笑いが止まらないTV局/献金元をたどれば、当選後の政策がわかる/ティーパーティの陰のスポンサー/過激な人物が真の問題から目をそらさせる/寡占化するマスコミとソフトニュース/なぜ大統領公開討論会に第三党は出ないのか/企業が市民運動を利用する
エピローグ―グローバル企業から主権を取り戻す
企業はモラルより損得で動かせ/大手銀行に対し預金者の力を使う/「「1%」より、それを支えるシステムを攻撃せよ」
あとがき

3 079 佐々木正美・梅永雄二監修「高校生の発達障害」(講談社;2010) 感想3

2014年03月22日 01時18分08秒 | 一日一冊読書開始
3月22日(金):

98ページ  所要時間 1:30        図書館

監修者:佐々木75歳(1935生まれ)、梅永55歳(1955生まれ)。「こころライブラリー イラスト版」

分かっていたつもりだが、読み始めると、思っていた以上にパンフレットのような視覚・図式重視のページ展開であった。少し長時間か、複数回にわたるセミナーや研修会で、解説者の説明に添えられるパワーポイントの資料であれば優れていると思うが、内容云々ではなく、実際には読み難い形式だった。

「失敗読書と気付いても、一応最後までページをめくって眺めなさい。思わぬ拾いものがある」という立花隆の読書法に従って、最後まで目を通した。

期待外れと居直って、目を通すと、既知の知識を再度思い起こす契機にはなったし、「やっぱりそういうふうに考えるべきなんだなあ」と学ぶこともできた。悪い本ではないが、読書対象というよりは、図書館や学校、施設などに常備しておく<備品的な本>だと思った。

まえがきより:発達障害の特性をもった人は、平均的な人に比べて、優れているところと弱点をあわせもっています。その優れた部分を伸ばすことが重要です。劣っている部分をなくす努力を、しすぎないことが大切です。優れた特性は、努力によって発展しますが、苦手な部分は多少の努力ではどうにもならないものです。それを周囲に理解してもらい、成果があがりにくいことへの努力や苦労をしないように、心がけてください。

発達障害の子どもたちは、小学校・中学校で十分に傷つき、センシティブになっている。それだけに、高校で問題が生じた場合、過去の傷ついた経験がフラッシュバックして、より強く傷つき落ち込むことにつながる。一人一人の抱えている問題を一般化して捉えてしまうことは極めて心無い危険な対応である。一人一人の特性をよく見極めて、各自に合ったより丁寧な対応が必要である。と、感じた。

※以下、コピペ
内容紹介:
ボクにできることは何だろう?/高校でも広がりつつある特別支援教育。どの高校に通い、どのような支援を受けるのか。/充実した高校生活を送るための学校選び・本人の心構え・高校の支援態勢を徹底解説!
目次:
第1章 高校での特別支援教育
 Aくんの場合/入学前から相談し、安心して高校に入れた
 Bさんの場合/人間関係の悩みを、先輩や大学生が聞いてくれた
 Cくんの場合/工業高校で職場実習に参加、働く自信がついた
 Dさんの場合/勉強面の相談をきっかけに、発達障害に気づいた
 Eくんの場合/養護教諭や職員に支えられ、孤立せずにすんだ
第2章 安心感を重視して高校を選ぶ
 選び方/選択のポイントは「オープン」と「マッチング」
 選び方/見学して支援担当者に会うとホッとする
 高校の種類/安心感が強いのは、特別支援学校の高等部
 高校の種類/一般校ではある程度の主体性が求められる
 高校の種類/チャレンジスクールなど、地域別のとりくみ
第3章 入学前後の支援で緊張感をほぐす
 入学前/診断を受け、生きづらさのわけを知っておく
 入学前/相談の希望は支援担当者や校長、教頭に伝える
 本人の気持ち/「発達障害」という言葉には抵抗を感じる
 入学後/本人・家族・学校で特性をオープンにする
第4章 肯定感がもてることを高校で探す
 本人の気持ち/「どうせ勉強はできない」とあきらめている
 勉強/目標がみつからないが、将来への危機感がない
 学校生活/高校になじめず欠席が続き、進級が難しくなる
 学校生活/教師がいないところでいじめられ、苦しむ
 放課後の生活/部活動は環境があえば、自信につながる
 放課後の生活/悪友と付き合い、自己肯定感を満たす生徒も
第5章 進学するか、社会で働くか
 進路相談/大学、専門学校、就労などが選択肢に
 進路相談/手帳をとり、支援を得ながら就労する人も
 就労支援/職場体験や実習で、仕事とのマッチングをはかる

3 078 野中広務・野村克也「憎まれ役」(文春文庫;2007) 感想5 再読の価値あり!

2014年03月21日 02時00分33秒 | 一日一冊読書開始
3月20日(木):

243ページ  所要時間 4:15    ブックオフ105円

野中広務82歳(1925生まれ)。大政治家。
野村克也72歳(1935生まれ)。名選手・名監督

昨日、ブックオフで本を物色していて偶然見つけた本。野中広務の名だけで購入を決めた。俺は、反自民党だが、現在存命の政治家の中で最も尊敬している政治家が野中広務氏なのだ。野村克也はどうでもよかった。

読み始めると、やはり町会議員→町長→府議会議員→京都府副知事→衆議院議員(連続15回当選)のたたき上げ政治家である野中氏の話は実のある良い言葉が次々に出てくる。しかし、意外だったのが、野村氏である。苦労人であるのは仄聞していたが、三歳の時、戦争で父を失い、兄と体の弱い母親の三人で貧困の中、苦労を重ねながら、高校卒業後テスト生からはい上がった人だった。野村氏の言葉にも無尽の味わいがあった。

半ばぐらいまで読み進めて「けっこういい感じや。感想4ぐらいはつけられるな」と思っていたのだが、後半も実のある読みごたえは衰えることがない。江本孟紀の解説も含めて、最後のページまで読み応えがあった。やはり、この二人、ただ者ではない! 結局、戸惑いながら感想5とせざるを得なかった。野中広務氏だけでなく、野村克也氏も好きになってしまった。

阪神の金本と巨人の清原、どちらが偉いでしょう? 野村氏の結論は明快です!

本文は、二人が交互に発言する対談形式ではなく、互いの話を踏まえた二人のまとまった論が交互に繰り返されて一章を成している。双方が敬意を持ち合っているのが気持ち良い。もちろん、聞き取り、文字起こしで文章化されているのだが、ライターがなかなか上手い。二人の話を読みやすくまとめている。

とは言え、本書の読み応えの元は、たたき上げの苦労人の達人二人の滋味豊かな言葉の数々である。たくさん有り過ぎるので、「是非読んでみて下さい。損はさせません!」というしかないが、野中氏から入った人は、野村氏に驚くだろう。野村氏から入った人は、野中氏に驚嘆するだろう。何も感じない人は、まあそれだけの人ということで…。野中広務と野村克也の真髄・エッセンスが濃密に詰まった一冊である!

※担当編集者より:京都生まれ、血液型B型、お酒をたしなまず、甘いものが好き。カッとなりやすく、大学卒ではない。そして何より「仕事好き」。小泉純一郎と長嶋茂雄、圧倒的な人気を誇るスターの敵役を引き受けた2人は、異なる世界で、この世の不条理を糾弾し続けた。どん底から這い上がった弱者に優しい苦労人。野中広務と野村克也が、格差社会の問題点を喝破する。

※【目次】(「BOOK」データベースより)
序論 憎まれ役世に憚る(野中広務)/第1章 グローバリズムに屈した野球と政治ー危機論/第2章 小泉と長嶋 人気支配の落とし穴ーリーダー論/第3章 「這い上がり」だから言う、格差社会批判ー機会均等論/第4章 負けない野球、負けない政治ー戦略論/第5章 V9巨人軍こそ、日本と自民党の理想だったー組織論/第6章 地位に恋々とせず、すべてを擲つー人材論/終章 念ずれば花開くー人生論(野村克也)/解説 江本孟紀/文庫版あとがき

*小泉政権のハンセン病患者の国家賠償請求について、小泉さんの決断で国家が控訴を断念したという報道があったが、実は患者の声にはじめに耳を傾け、すべての根回しをしたのは野中氏である。53~54ページ
*野中:みなさん、親の選挙区・地元で生活せずに、若いころから東京で暮らしています。/厳しい選挙民の目から逃れて、青春を過ごしながら、選挙だけは地元で親の選挙区を継ぐ。/そこから、本当に、人々の暮らしが見えてくるでしょうか。最初から国会議員の息子として、周囲から尊重されている人間に、謙虚に人々の声に耳を傾けることができるでしょうか。略。二世ばかり、世襲ばかりの国会になったら、選挙民の声がきちんと国会に届かなくなるはずです。略。這い上がることに成功した人間だからこそ、格差社会になってはいけない、と言うことができる、いや、言わねばならない人間だと思うのです。78ページ
*野村:若い人が、「僕ってこういう人だから」と前置きして話しているのを、不思議な気持ちで聞いています。/人は、意識的か無意識かにかかわらず、死ぬまで変わり続けます。略。自分にレッテルを貼る行為は、相手を自分に合わせさせようとしたり、自分は相手との協調や妥協を拒否しようとする、傲慢な姿勢でもあるのです。103~104ページ
*野中:私にとって、加藤の乱は「負けない」戦いではありました。しかし、将来ある大器を失ったという意味では、私の敗北ともいえるのです。/彼が、あのとき、思い止まってくれれば、あるいは思い止まらせることができたら小泉旋風はなかったかもしれません。/私は勝負には勝ちましたが、政治という大局での勝負に勝ったのか、今でも自問自答しています。148ページ
*野中:戦後政治で、革新派と言われた社会党や共産党が、実際には、保守的、いや現状維持の政策しか出せず、自民党の方が革新的な政策、いや革新的な国家づくりをしてきたことも事実です。161ページ
党内、党外で信念に基づいた行動をとることができない議員が増えました。略。野党の民主党でも、変わりません。彼らのほとんどは、自民党の国会議員になりたいが、自民党の公認がとれないので、仕方なく小選挙区で民主党から立候補している人々です163ページ
*野村:金本知憲に対する評価は圧巻! 170~171ページ 清原には厳しい!
*野村:人の値打ちは、失敗するかどうかではなく、失敗から立ち上がるかどうかで決まる。185ページ
*野村:一流の証明は弁解しないこと。二流は、いつも責任を他人に押し付ける。211ページ
*江本:要するに、今の日本人は弱いころの阪神タイガースのように、守りをおろそかにし、個人プレーに走り、犠牲バントやカバープレーを怠り、バットをブリブリ振り回す民族になっているというのです。233ページ

◎読んでいて、政治の行き詰まりの原因が、苦労を知らずに政治家になった二世議員の瀰漫にあるのだと痛感させられるとともに、どうすればいいのか。少し絶望的気分になった。

3 077 阿部彩「子どもの貧困Ⅱ―解決策を考える」(岩波新書;2014/1) 感想5

2014年03月20日 01時59分25秒 | 一日一冊読書開始
3月19日(水):

254ページ  所要時間 2:30    図書館

著者 歳(  生まれ)。専門は、貧困、社会的排除、社会保障、公的扶助論、社会保障論である。活動家ではないので、あくまでも統計の分析・解説を行う学者?・アナリスト?である。しかし、批評家に多い数値を弄んで高みの見物の卑しさは微塵もない。統計・数値の分析を通じて、現代日本の危機的状況に対する「何とかしなければいけない」という志・まなざしを感じる。早い話が、熱いハートを感じさせてくれる人である。

俺の中では、湯浅誠、堤未果と比肩すべき注目すべき著者である。

2年前の2012年2月18日に読んだ「156冊目 阿部 彩「子どもの貧困―日本の不公平を考える」(岩波新書;2008) 評価5」の続編である。前著よりは随分読み易かった。

前著では「日本の貧困の現状」深刻な状況に陥っていることに警鐘を鳴らす内容になっていたが、その後、貧困への認識が急速に進み、2013年に「子どもの貧困対策法」が成立した焦りつつ著者は「今の問題は、略、何をすれば、子どもの貧困が解消できるのか、その解決の道筋を示すこと」、<具体的解決法>を提示することに問題の中心が移っていると述べている。

*「何をすればよいのか」の解答については、全然、煮詰まっていない。焦りに焦りながらも、とりあえず、自分の中の知見をさらけ出したのが本書である。/本書が「解答」となっていないことは、私自身、痛感している。あまりにも不十分なので、今の状況で人前にこれを出すのは恥ずかしいという気持ちも多々ある。しかしながら、この問題と日々闘っている数少ない研究者の努力だけでは、とうてい足りないところを、岩波新書の大勢の読者の方々と共有しながら一緒に考えることで、解答に一歩近づくことはできるかもしれない。略。その社会的議論のカタリスト(触媒)として、本書が機能してくれればよいとの判断で、あえて、本書を出すこととした。234ページ

著者は、謙虚に上のように述べているが、分析は非常に幅広くゆきとどいた視野で問題提議が満載され、それぞれに何が問題なのか、良い点、問題点が丁寧に指摘されている。詳しい説明を通じて、「子どもの貧困」を打開する支援の在り方を模索するが、現実にはそれぞれに一長一短があり、本当に効果的な支援策は何なのか、考えれば考えるほど出て来ないと正直に告げている。でも、我々は、その中からより良い。より効果的な支援策を選ばねばならない。容易ではないが、問題の深刻さを考えるとまごまごしてられないのだ。

「これが答えだ!」というのは示されないが、その分多様な視点と奥行きのある考察が提示されているので、「子どもの貧困」問題を考える上で、とても良いテキストになっていると思う。

例えば、支援策として、「現金給付」がよいのか、「現物(サービス)給付」がよいのかが具体的なプラス・マイナスが論じられる。

■目次: はじめに
第1章 子どもの貧困の現状 : 1 どれほどの子どもが貧困なのか/2 貧困が子どもに及ぼす影響/3 貧困の社会的コスト/4 景気回復は貧困対策となり得るか
第2章 要因は何か : 1 連鎖の経路/2 どの経路が重要なのか/3 経路研究を政策につなげるために
第3章 政策を選択する : 1 政策の選択肢/2 政策の効果を測る/3 政策の収益性を見る/4 日本への示唆
第4章 対象者を選定する :1 普遍主義と選別主義/2 的を絞る/3 年齢を絞る/4 タ-ゲティングの罠
第5章 現金給付を考える : 1 「現金給付 対 現物給付」論争/2 現金給付の利点/現物給付の利点/3 現金給付の現状/4 現金給付の設計オプション
第6章 現物(サ-ビス)給付を考える : 1 子どもへの支援/2 親への支援
第7章 教育と就労 : 1 教育費の問題/2 学力格差の縮小/3 学校生活への包摂/4 教育のセ-フティネットの強化/5 教育から就労への移行支援/6 子どもと接する大人たちへの教育・支援
終 章 政策目標としての子どもの貧困削減 : 1 子どもの貧困対策法/2 子どもの貧困を測る/3 優先順位/4 さいごに
あとがき/ 主要引用・参考文献
参考資料 子どもの貧困対策の推進に関する法律

*「景気対策」「経済成長」を目指すトリクルダウン理論は先進国ではナンセンス34ページ
*支援における普遍主義と選別主義の是非。101ページ
川上対策と川下対策の是非。102ページ
*どの年齢の子どもを貧困対策の対象とすべきか。123ページ
*「児童手当をもらって、パチンコをする親」の事例を過大評価するかどうか。133ページ
*定時制高校・通信制教育・夜間中学校の教科の必要。207ページ
*「帰れる家」の提供。182ページ
*現代の貧困は、みえにくい。たとえ、子どもを相手とする専門家であっても、目の前に貧困の子どもがいても気がつかないということがある。子どもの六人に一人が相対的貧困であるという事実さえも知らない教師や保育士が多い。214ページ
*筆者の考える現金給付の優先順位は二つである。一つは、貧困率の逆転現象(再分配の逆転現象は日本だけで、恥ずべきこと!)を解消すること。「子どもの貧困率の逆転現象」を解決することは、福祉国家の名において必要であろう。そして、逆転現象を解消する戦略の中には、是非、ひとり親世帯貧困率の削減を組み込むべきである。/母子世帯の貧困率は、OECD諸国の中でも最悪であり、五割を超えている。父子世帯の貧困率も三〇%以上である。まさにもっとも不利な状況におかれている子どもたち」の中に、ひとり親世帯に属する子どもたちは含まれる。ここをタックルしない限り、日本の子どもの貧困対策が進んだとはいえない。232ページ

3 076 佐藤優・手嶋龍一「動乱のインテリジェンス」(新潮新書;2012/11) 感想4

2014年03月18日 01時40分59秒 | 一日一冊読書開始
3月17日(月):

221ページ  所要時間 1:00

著者:佐藤優52歳(1950生まれ)/手嶋龍一63歳(1959生まれ)。

仮眠後、夜半に目覚めたので、1ページ15秒の縁結び読書をした。

民主党内閣時代の外交を取り上げている。細かな内容を云々するほど、読み込めた訳ではないが、この本のレベルだけは十分に分かった。「読む価値あり!」である。位置付けとしては、池上彰を読んで、もう一歩踏み込んだ外交の深い議論を聞きたいと言う人にとって良いテキストになるだろう。今後、機会があれば、もう少し余裕を持って読み返したいと思う。ただ、世の中には、あまりにもたくさんの本が溢れ過ぎている。

目次: ※コピペ
第1章 日本の周縁で噴出するマグマ
新・海国兵談/竹島をめぐる「日韓密約」疑惑/偏狭なナショナリズムに立ち向かう勇気/周辺国の外交攻勢に怯む日本/辺境のインテリジェンス/民族とインテリジェンス/沖縄入りを果たせなかった黄門さま/亜民族のマグマ/民族のシンボルをめぐる闘争/資源大国としての沖縄/中国を喜ばせた石原構想/沖縄の眼に映る尖閣問題/独立琉球国という作業仮説/北海道独立論/領土交渉の独創的アプローチ/未解決の領土問題、その密かな戦略/プーチンのニュー北方領土戦略
第2章 中国、そのモラルなきインテリジェンス
英国“ビジネスマン”の怪死/赤い貴公子たち/盗聴ネットワークが聞いたもの/重慶製ミサイル運搬車の密輸/中国外交官の三流スパイ事件/戦略の海に乗り出す中国海軍/洋上カジノが空母に化けた/ロシア・パブのウクライナ女性
第3章 イランの鏡に映る日本外交
会見写真から消えた男/二元外交の様々な顔/よい二元外交、悪い二元外交/鳩山外交の罪と罰/熟練のプロの手に落ちた鳩山/操られた鳩山発言/イランが狙い撃ちした鳩山家のDNA/インテリジェンス大国イラン/一歩間違えば、日本発金融恐慌/ラスプーチン事件の陰にイランあり/対イラン独自外交の幻想
第4章 イランの核、北朝鮮の核
核開発、それぞれの狙い/北朝鮮・イランの密やかな絆/アサド政権が存続している理由/ミサイル発射情報はなぜ遅れたか/サード・パーティ・ルール/サード・パーティ・ルールを遵守した日本/せめて猫のインテリジェンスを
第5章 アジア半球の新たな勢力地図
「トモダチ」がやってきた/海兵隊は大型ヘリに乗って/インテリジェンス・サイクルは回っているか/アメリカの介入、その喪われた機会/ナルシシズムは情報センスの大敵/情報都市としてのTOKYO/黄昏れゆく日米同盟/ギリシャ危機の深層/TPPの政治経済学/アメリカは東アジアに回帰するか/プーチンを驚かせた日本の選択






3 075 水木しげる「コミック昭和史 第2巻 満州事変~日中全面戦争」(講談社文庫;1988)感想3

2014年03月17日 01時52分43秒 | 一日一冊読書開始
3月16日(日):

259ページ  所要時間 2:05    図書館

著者66歳(1922生まれ)。

風呂で睡魔と闘いながら読んだ。

昭和史の出来事が、章ごとに、水木氏の当時の様子と代り番こに綴られている。水木氏の昭和史は、臨場感がある。当時を生きていた本人の体験が、漫画として具体的に描かれ、リアルさを与えている。これは、他の歴史書ではほぼ不可能な気がする。水木しげるの歴史マンガの評価は、戦争を知らない世代がほとんどになってしまった現代にあってますます輝きを増している気がする。例えば、日中戦争前後の日本社会が意外と景気がよくて明るい雰囲気の中で軍国主義に飲み込まれていく様子なんかは、なかなか通常の歴史書では読み取れない事実だ。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)