もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

231009 折々の言葉「NGリストは手元にあったが使わないことにしたので使ってません。」(松本和也)

2023年10月09日 13時28分23秒 | 徒然・雑感
10月9日(月):

「NGリストは手元にあったが使わないことにしたので使ってません。」(松本和也)

先日のジャーニーズ会見司会者の松本和也の言葉に強い違和感を覚えてきた。
今朝、ふと“NGリスト”を“カンニングペーパー“に置き換えたら、違和感が氷解した。
学校の定期テストで、大学受験の会場で、
「カンニングペーパーは手元にあったが使わないことにしたので不正行為はしていません。」
と胸を張って学生から言われたらどうだろう。それで済まされるのか?
NGリストを手元に持っていた時点で、不正は成立している!当然、会見は無効である!
松本の言葉はあり得ない感性であり、居直り以外の何物でもない。絶対に許されない!

自民や維新の政治屋の発言としては、聞き慣れてしまった感があるが、
そもそも松本和也とは何者か?!
政治屋以外の人間が平気でこのような言動をとることは、日本社会の劣化にさらに拍車を
かけたことであり、断じて許してはいけない。破廉恥の責任を糾弾されるべきだと思う。

210223 雑感:読書と人生を守るために、テレビを何とかすること。

2021年02月23日 08時53分46秒 | 徒然・雑感
2月23日(火):

このブログを始めた10年前に比べて、体力、気力、特に視力が明白に衰えてきている。右目がひどく、眼鏡をはずした裸眼で活字が読みにくくなっているのは、本を読めない言い訳にはもってこいである。

定年を間近に控えて、仕事は益々無意味に忙しくなっている。ICT,オンラインなど訳が分からない。時間があっても周囲の目が気になり、「何かやっておくべきことがあるんじゃないか」という思いに囚われていつも落ち着かない。

帰宅後も家庭でやるべきことが増えた。要は、健康面(視力)、職場、家庭いずれも状況は良くない。昔より便利になったはずなのに意味のない忙しさが余裕を奪っている。

ただ、今後の人生で最も確かなのは「今が一番若くて元気な時だ」ということ。俺にとって現在も、今後も最も強い願いは「少しでもたくさんの本を読み続けたい」「読書のある人生を最後まで送りたい」といことに尽きる。

ならば無理をしてでも読むしかないのだが、ここで最大の障害がある。テレビ録画だ。生ではほぼ見ないが、大量のテレビ録画をCMカットしながら見てしまう。本を読むのに障害となった老眼も、テレビの視聴には問題ない。テレビのスイッチを入れるのは簡単だが、スイッチを切るのは困難を極める。アヘンのようなものだ。

読書生活の立て直しのためには、テレビとの関係整理が絶対に必要だ。断絶することは無理だが、相当の覚悟を持ってテレビをつけたままで生活の空白を埋めることを断じて拒否すべきだと思う。言うは易く、行うは難しだが、やるしかない。

200425 何様?!、橋下徹とホリエモンがキャンキャンとうるさ過ぎる。※間違っても訂正・謝罪無し&弱者たたき・権力すり寄り。

2020年04月25日 12時23分59秒 | 徒然・雑感
4月25日(土):    
 ◆なんと体温「36度8分」! そりゃ一大事、なわけあるかーい
ぼうごなつこさん作


Business Journal (2020.04.20 11:51)より抜粋:
先月24日に発熱し、すべての仕事をキャンセルしていた元大阪府知事の橋下徹氏が、4月18日放送のテレビ番組『新・情報7Days ニュースキャスター』(TBS系)にスタジオとは別の場所から中継で生出演した。
 病院で感染が疑われる症状を訴えても検査が受けられず、何日も自宅待機を余儀なくされる例も数多く、専門家の間でもPCR検査を受けるまでのハードルの高さを問題視する声もあるなか、番組内では司会の安住紳一郎アナウンサーは橋下氏に次のような質問を投げかけた。
“PCR検査をなかなか受けられない”っていわれてましたけど、橋下さん、受ける経緯はどうだったんですか? やっぱり元大阪府知事だから優先してみたいなことあったんですか?
 これを受け橋下氏は「それね、安住さん生放送でやめてください。みんなが思っていることなんですから。腹の中でみんなが思っていることなんです」と反論した。


※いくら達者に理屈を大声でまくしたてても、俺たちは結果でしか判断しない。(もみ)

190904 池澤夏樹:<老いの自覚>は74歳か。俺はあと何年だろう。

2019年09月04日 23時09分26秒 | 徒然・雑感
9月4日(水):  
朝日デジタル(終わりと始まり)身に染みる衰え 老いては若きに席を譲ろう 池澤夏樹  2019年9月4日05時00分
 まずは個人的な話。
 自分が老いたと思う。それが日々実感される。
 身体能力が少しずつ失われる。
 基礎代謝が減るとはどういうことか。食物として入ってくるエネルギーを活動に変える機能が低減する。身体の方がもうそんなに働くなと言っているかのよう。無理に食べても無駄に肥(ふと)るだけ。
 我が血流は消化か歩行か思考の一つにしか行かない。二つのタスクが同時に実行できない。
 足元がおぼつかない。駅の階段を下りる時は一歩ずつ決意して踏み出す、歩道のわずかな起伏に躓(つまず)きかねない。長く坐(すわ)っていた後で立つとふらつく。万事ゆっくり。万事慎重。つまり愚図(ぐず)。
 視力が落ちる。以前は乗り物の中ではいつも何か読んでいたのに、最近はたいていぼんやりしている。
 いつか車の運転を止(や)める日がくるだろう。
 キーボード入力が遅い。ぼくの右手の人差し指はヘバーデン結節で少し左に曲がった上にねじれている。スマホを打っていて、指先のどの部分が画面に触れるかわからないのでミスが多い。何度もやりなおす。
 小さな字が読めない。振り仮名の濁点と半濁点の区別にルーペが要る。イタリアの「ベニス」なんて間違えたら大変だ。
 しゃれたレストランの暗い店内でメニューを貰(もら)って、さて、気取った長い料理名が読めない。老眼鏡に装着する小さなLEDを作って売ったらどうか。名付けて「メニュー・ライト」。
 小さな字が書けない。
 遠方の身内に毎月送金している。相手も老いているので口座振込ではおぼつかない。現金書留という古典的な方法に依(よ)るわけだが、この封筒の「お届け先」の欄が小さい。住所の部分は二行だけ。実質六九mm×二四mmでは長いマンション名が書ききれない。封筒そのものは大きいのだから周囲には空き地がいくらでもある。なんとかしろ、とぶつぶつ言うのが我ながら老人めいている。
 (冗談として言うけれど、先日行った京都のさる店は「京都府京都市東山区高台寺北門前通下河原東入ル鷲尾町○○○」という住所であった。さて、この二十八字を「お届け先」欄にどう書く? こういう住居表示を今も使っている京都人をぼくは尊敬するものであるのだが。)
     *
 身体能力が足りないからエネルギーを節約する。つまりすべてにおいて横着になる。すぐにしなくても済みそうなことはさぼる。身辺が散らかっていわゆる汚部屋に近づく。
 不義理が増える。メールの返信が遅れる。みなさんごめんなさい、と言いながらも手が動かない。
 カレンダーが頭に入っていないから、スケジュールの話が空(そら)でできない。
 スマホは使っているがアプリの類は最小限に抑えている。新しいものを入れてその用法を身につけるのが面倒くさい。
 藤永茂さんに『おいぼれ犬と新しい芸』という名著があった。海外に出た科学者のエッセーだが、三十五年前のこの本の表題が今になって身に染みる。新しい芸は身につかないのだ。
 知的好奇心が衰えた。
 新しいものに飛びつかなくなった。
 旅に出る時、昔ならば事前にずいぶん予習をしたのだが、最近は着いてからインターネットに頼る。ものの見かたが浅くなっていないか。
     *
 ぼく個人のことはどうでもいい。愚痴ないし繰り言と聞き流していただいて結構。
 しかし社会の高齢化というのはつまりぼくのような老人がどんどん増えるということである。申し遅れたがぼくは今は七十四歳と二か月。来年は後期高齢者。その後は晩期高齢者で、やがて末期高齢者。
 新しいシステムは若い人が作る。それを次々に覚えて使って遅れないようにする。四十代の友人が、今はまだいいけれど六十代になったらたぶん追いつけないと言っている。
 フェイスブックやインスタグラムなどは、飾り窓のまぶしい商品を見ている思い。いつか苛(いら)立って、筒井康隆の小説に出てくる不逞(ふてい)老人のようにテロに走るかもしれない。
 冗談半分に書いてきたが、高齢化でこの国は活力を失うだろう。あらゆる面で生産力が落ちる。あとは衰退の一途、とか。
 社会の平均年齢が年々上がる。若い世代を準備しなかったのだから当然である。我々は商業資本とテクノロジーが提供する目の前の悦楽にうかうかと身を任せ、出産・育児・教育という投資を怠ってきた。国の無策は今さら言うまでもない。
 と書きながら、悲憤慷慨(ひふんこうがい)でもない。いずれ退場する身とは承知している。では若い人に席を譲ろう。
 年下の諸君、幸運を祈る。

190101 確かにアベ自公は「大政翼賛会」化している。後でいろんな奴が、いろんな言い訳をするだろうが、罪は深重だ。

2019年01月02日 01時31分32秒 | 徒然・雑感
1月1日(火):

言われてみて、確かに今のアベ自民・公明・維新政権には、空疎な金ぴかの大看板「大政翼賛会」のにおいがプンプンする。後でいろんな奴がいろんな仕方でいろんな言い訳をするのだろうが、歴史に対する罪の深さは取り返しがつかないほど深い。

181127 日本政府、IWC脱退表明。夜郎自大、無知蒙昧、ここに極まれり!松岡洋右を思い出した。

2018年12月27日 14時04分42秒 | 徒然・雑感
12月27日(木):      

日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)脱退を表明したそうだ。アメリカのそれも、あのゲスのトランプのどんなに汚い理不尽な要求でも、日本国民の<血税>をどぶに捨てるように犠牲にして平気で受け入れてきた売国奴のアベ政権。それが、いきなり世界の潮流に真っ向から反対してIWCを脱退するのは、アメリカ以外の<国際社会の日本を観る目>、「世界にどんな印象を与えるのか」が見えていないということだ。

アメリカの汚いケツの穴を舐め続けながら、今さら大国としてふるまいたいというのか?。わがまま勝手が大国としてのふるまいだと勘違いしている。あまりの愚かさに、「理解に苦しむ」としか言えない。日本の伝統文化として<捕鯨>を護りたいのであれば、あくまでもIWCに留まって、その枠組みの中で精一杯、全力で日本の立場を主張し続けるべきだろう。

トランプに強制されて買わされる超高額な戦闘機一機分の予算を削ってでも、国際社会に日本の立場をアピールすべきである。それをしないで、いきなりIWC脱退というのは、日本国内の一体どの勢力の顔色を見て決めたというのか。そこまでの勢力がいるわけがない。今の日本人の関心は、全体としてそこまで捕鯨に向いていない。日本の世論の動向は、全く無視されている。あまりの突然さにわけがわからない。 

大局が見えていない!。この感度の悪さは一体全体どういうことか?夜郎自大で無知蒙昧、勉強嫌いの低能児が今の日本の為政者だということ。1933年の国際連盟脱退の松岡洋右を思い出す。一体全体、日本政府はこんなところで粋がって何をしたいんだ?喫緊の守るべきものは他に数えきれないほどあるだろう。

※夜郎自大:自他の位置関係を正確にはかれない視野の狭さから、世間知らずとなり、自分が偉いのだと錯覚してみだりに尊大に振舞うことのたとえです。因みに、これに似た諺に ”井の中の蛙(かわず)”があります。




180902 「日記をつける習慣がほとんどない」と臆面もなく表明する天声人語子、素朴に軽蔑する。バカじゃないのか。

2018年09月02日 14時37分13秒 | 徒然・雑感
9月2日(日):
 今朝の朝日新聞の「天声人語」で「日記をつける習慣がほとんどない。毎日のように書いたのは中学生時代だけだった。」と臆面もなく書いていることに正直驚いた。俺は、ほぼ40年間日記を書き続けている。それは相当エネルギーを要することだったが、書かずにいられなかったのだ。

 「日記をつける習慣がほとんどない」と表明する人間が、日本を代表する新聞の一面コラムを書いている
というのは、俺には衝撃だった。さらに、その人間が上から目線の思い付きで「いいこと(だけ)日記」を提案しているのだ。こいつ、バカじゃないのか。素朴に軽蔑してしまう。

【天声人語(9月2日)】:日記をつける習慣がほとんどない。毎日のように書いたのは中学生時代だけだった。実家に帰ったときに開いてみて、恥ずかしくなった。級友たちに対する劣等感や、女の子への片思いのつらさばかりがつづられていた▼とても読んでいられなかったが、あの頃は書くことで救われていたのかもしれない。そんな「つらいこと日記」とは、180度違うやり方があることを最近知った。(以下略)

180828 逆立ちの国ニッポン ※大飯原発、高浜原発<避難訓練ニュース>のナンセンス。

2018年08月28日 18時43分24秒 | 徒然・雑感
8月28日(火):

最近のこの国の様子をぼんやり見ていると「オワッテルなあ・・・」としみじみ感じる。木の葉が沈んで、石が泳ぐ時代だ。物事の道理が完全に本末転倒で逆立ちをしている。それを強く指摘する者もいない。諦める以前に肝心なことを考えること自体を否定的に捉え、無関心の深い海に沈みこんでいる。

メディアは報道すべき一番大事なことを報道せず、全く盛り上がっていないし、関心も持たれていないスポーツのアジア大会を、二年後の誰も関心のない東京オリンピックの予行演習のつもりか、不必要に熱くなって報道しているが、俺の持つリモコンはそのチャンネルを素通りしていく。

先日、福井県で行われた大飯原発、高浜原発の事故を想定した<避難訓練>なるもののニュースを見た。傍目から見ても明らかにやる気のない住民がだらだらと歩いて、小学校などの緊急避難想定施設に集まってくる。映像からこいつら「こんなことしても何の意味もない」ってわかってるんだということがよく伝わってきた。

洪水や地震、台風に避難訓練は意味を持つ。なぜならば、災害後の復旧が可能だから極力被害を小さく抑える努力が肝心だからだ。しかし、原発事故に、復旧はあり得ない。福島第一原発事故の6年半後の現状を見ていれば明白だ。原発事故が一度でも起これば、放射能汚染によって非常に広範な地域にわたって廃墟となる。本当に安心のできる除染まで何百年かかるかわからない<帰還困難地域となった故郷>を待つことは現実にはできない。また、待つことができたとしても、<避難民>として「故郷に帰還すること」だけが目的の人生になり果てる。つまり、当たり前の状態に戻すことが人生の目標になるって、どうよ?

要するに、事故直後にだらだらと避難場所に避難して、ヨウ素剤の投与を受けて生きながらえても、それで被災した人々の人生は、大きく狂わされてしまうか、人生そのものが終わっているのだ。

さらに原発事故の被害を受けるのは、周辺数十キロの地域ではない。放射能汚染被害の観点から見た場合、その影響下にある被災地は周囲250キロである。原発事故当時、新聞に各原発を中心に半径250キロの円が描かれた地図が掲載されていた。手も足も出せず、全くアンダー・コントロール化できない原発事故で何が起こるかわからないのだ。

そして、大飯原発、高浜原発から西にわずか50キロほど離れて<近畿の水がめ>琵琶湖がある。本州を吹く風は偏西風だ。琵琶湖が放射能汚染被害を受ければ、いったいどれほどの被害が出るのか。最悪、近畿地方の中央部の水資源壊滅、そうでなくとも毎日琵琶湖の水の放射能を検査して「本日の琵琶湖水系河川の放射能は、どこそこが〇〇ミリシーベルト、どこそこが〇〇ミリシーベルト、またどこそこが〇〇ミリシーベルトで、飲料には適さないでしょう」などというニュースに日々おびえながら生きることになるのだ。

こんなの本末転倒としか言いようがない。確かに放射性廃棄物の最終処分場すら見当がついていない事実や一度でも事故が起これば取り返しがつかないという深刻な事実に目をつむって、今現在の目先の電気料金だけ見れば、「原発で電気料金が安くできている」と能天気に言えるかもしれない。しかし、原発が動いていなくても、ハード面・ソフト面両方で工夫すれば猛暑の夏を乗り切ることは出来る。多少の電気料金の値上げで原発以外の火力や自然エネルギーで十二分に電力は賄える。

なんでそんなにビクビクしながら原発の電気を使わなあかんねん!どあほ!

避難にすらなっていない避難訓練のニュースを見せられて、原発事故を想定してびくびく毎日を送らなければいけない理由が俺にはわからない。一度の事故で広大な国土を喪失し、膨大な数の国内避難民を生み出す原発に「どうしても頼らなければならない」理由があるなら教えてほしい。理由を説明できないならば原発を再稼働させるべきではない。少なくとも<原発の避難訓練>などという無意味なニュースを流す暇があったら、そこの根本的な矛盾を突くべきだ。まさに本末転倒だ。

自民党国会議員が、「LGBTは、子どもを産まないから非生産的だ」と言い切る。国民(市民)のために国家があるのか、国家のために国民(市民)がいるのか。答えは明白だろう、それとも俺が受けてきた教育が間違っているのか。LGBTの人々は、人間ではないのか。まさに本末転倒だ。

東京医科大学は、女性の医者は将来役に立たないからという理由で、裏で隠れて女子受験生を差別し減点していた。それに対する責任者の処分、平等な試験を当然と信じて落とされた女子受験生に対する謝罪及び補償金支払いの問題も寡聞にして聞こえてこない。これは明らかに女性差別であり、詐欺罪という犯罪である。本来であれば、東京医科大学という法人の死活にかかわる問題に発展するはずだ。それがなしのつぶてかよ!

女性の医者は将来役に立たないからという理由になってない理由を盾にするなら、女性の医者が活躍できない社会の有り様自体を変えていくべきであって、弥縫的に、しかも裏で隠れて減点するとは、まさに本末転倒だ。

あまりにも多すぎる私利私欲とウソの塊の総理大臣が、将棋で言えば「完全に詰んでいる」状態で、投了(辞職)を待つばかりなのが、恥知らずにも自民党総裁の三選を目指すと言ってはばからない。それを面と向かって批判する勢力もわずかしかいない。メディアはむしろその胡麻をする。まさに本末転倒だ。


(2018年)8月28日(火): ※再掲させていただきますm(_ _)m。

150214 腰抜けの朝日の社説。琵琶湖への言及なし。原発の地元は250km圏内だ!
                   2015年02月14日 10時22分49秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2015年2月14日(土):

 今朝の朝日新聞の社説を読むと高浜原発再稼働がまるで議論のできる対象・段階であるが如き、話し合いで微調整すれば再稼働できるが如き印象で論じられている今だ終息の見通しの立たない福島原発事故以後、原発が絶対悪であり、関西の水がめ琵琶湖のそばにある若狭湾の原発銀座が再稼働することなど絶対にありえない。また福井地裁が示した「原発の地元が250km圏内」という判断にも、<棄民>化しつつある12万人の福島避難民の存在にも朝日新聞の社説は全く言及していない。これではまるで朝日新聞は少しだけ反対のポーズをとりながら、実際には負けを受け容れているとしか言えない。お話にならない恐るべき弱腰だ。

高浜原発の再稼働など、絶対にありえない!断固拒否する!
              福井地震(1948年(昭和23年)6月28日発生)    
関西電力高浜原発―再稼働前に地元を見直せ    2015年2月14日(土)付 朝日デジタル

 関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)について、原子力規制委員会が「新規制基準を満たしている」と正式に認めた。九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)に続いて2例目となる。
 今後の焦点は地元自治体の同意だ。その範囲に法的な定めはない。川内原発では鹿児島県知事の判断で、県と薩摩川内市に絞られた。安倍政権はこれを基本としており、今回も関電と福井県知事は福井県と高浜町のみを同意の対象にする方向だ。
 原発事故が広大な地域に被害を及ぼすことは、東京電力福島第一原発事故が示した現実だ。事故前と変わらぬ枠組みで原発を動かしていいはずがない。
 同意対象を県と立地の1自治体に限る方式を既成事実化するのではなく、再稼働の前に地元の範囲を定め直すことを改めて求めたい。
 高浜原発は、事故時に住民の即時避難が必要な5キロ圏に京都府舞鶴市が含まれる。国が避難計画策定を義務づけた30キロ圏内だと京都、滋賀両府県の8市町が入る。人口は12万人を超え、福井県側の約5万人を上回る。
 大飯(福井県)、玄海(佐賀県)、伊方(愛媛県)、島根(島根県)、志賀(石川県)。規制委の審査が進むこれらの原発も、近隣に他府県を含む。
 高浜原発での地元同意は、試金石となってこよう。

■立地の権限共有を
 地元同意の根拠は立地自治体が事業者と結ぶ安全協定だ。
 全国に原発が増えた70年代以降、トラブルも多発した。しかし情報は事業者と国に握られ、地元はしばしばかやの外に置かれた。住民の立場から安全を監視しようと、立地自治体は協定を結び、情報を求めてきた。
 福井県が各事業者と結んでいる協定には、事故後の再稼働の事前協議に加え、自治体が原発の運転停止を求めることができる条項もある。事故やトラブルのたび、事業者と粘り強い交渉を重ねて得てきた権限だ。
 一方で福島の事故後、周辺市町村の住民も事故に不安を抱き、「立地並み」の協定を望む声が各地の自治体から相次ぐ。
 関電はこの求めに否定的だ。京都府と協議中の新たな協定案でも、同意権は認めない方向だ。福井県知事も「立地自治体は責任を持ち、リスクを負ってきた経緯がある」と強調する。
 かかわりの薄い地域にカギを握られることには、警戒感もあるだろう。
 しかし周辺自治体が再稼働の判断に加わることは、より多くの目で安全性を広く監視していくことにつながる。安全性を独自にチェックし、不十分であれば再稼働にノーと言う。立地自治体が勝ち取ってきたこの成果を周辺自治体と共有することで、同意を得る地元の範囲を広げていきたい。

■避難と同意をセットで
 福井、京都、滋賀3府県と関係市町は、国の原子力災害対策指針にもとづき広域の避難計画をつくった。しかし計画通りに避難できるのか、細かな調整は緒に就いたばかりだ。
 福井で原発事故が起きれば、3府県の十数万人が主に関西方面へ避難する可能性がある。
 渋滞で混乱が生じる恐れもある。避難者用のバスの確保など、詰めるべき課題は多い。
 2府5県と4政令指定市でつくる関西広域連合は今年1月、広域避難の実効性確保などに、国が主体的に取り組むよう申し入れた。「実行されなければ、高浜の再稼働を容認できる環境にない」とくぎを刺している。
 住民の安全に責任を負う自治体からは、再稼働前の了解を得るのが筋だ。避難対象という側面から、当面は原子力災害対策指針が定めた30キロ圏を同意対象にすべきだ。そのうえで協定で位置づけている地元同意を、将来的には法に明記することを考えてもよい。それほど重いプロセスであることを、事業者側に認識させる意味もある。

■「地元」を結い直す
 12年の大飯原発再稼働の時には消費地・関西の首長らが一時反対を表明し、福井県が孤立感を深めたことがあった。電力を使う側の一方的な主張に、福井県では不信感が根強くある。
 対立を乗り越え、広い意味での「地元」の関係を結い直す取り組みが不可欠だ。
 国主導で、福井と関西各府県の知事、原発30キロ圏の首長に集まってもらい、新たな地元の範囲や権限について、合意形成を図ってはどうだろう。
 原発内のプールにたまった使用済み核燃料をどこで貯蔵するか。老朽原発を廃炉にする場合、経済の柱を失う地域をどう支えるか。立地地域と、電力消費地が手を携えて解決しなければならない課題は数多い。
 手間はかかる。だが、福島原発事故が残した宿題に向き合う時間を惜しむべきではない。
 原発をどうするかは、国民全体で決めていくべきテーマだ。福井と関西とで、それに向けた一歩を踏み出してほしい。


この朝日の弱腰は、犯罪的であり、<転向>すら臭わせるものだ。どこまで堕ちる朝日新聞?! 安倍の犬、曽我豪の署名コラムがまた出ていた。もうウンザリだ。権力の犬が、釈明もせず、何をほざくか。読まない権利を行使するが、その分新聞代を返せ!結局、こういう奴が、出世なんかして朝日の社長になったりするのか…。見たくない世の中の縮図を見せる朝日新聞。「これぞ想像を絶する美の極み!」

180617 <日韓併合の歴史>を認識しようとしない無恥なアベに「日朝首脳会談」は不可能。総裁3選のためだけの嘘言劇がまた始まる。アベを支持する無知で愚か者の日本国民万歳!

2018年06月17日 23時45分24秒 | 徒然・雑感
6月17日(日):
日刊ゲンダイ支持率下落が続く安倍政権 今度は対北外交でも国民にウソ  2018年6月17日 
  どうりで慌てて拉致被害者家族と面会したワケだ。時事通信が8~11日に実施した6月の世論調査で、安倍内閣の支持率は前月比2.6ポイント減の35.5%となった。2012年の第2次安倍政権発足以降、昨年7月の29.9%に次ぐ低水準で、4カ月連続の減少。不支持率は同0.4ポイント増の43.4%で、不支持率が支持率を上回ったのも4カ月連続だ。 
  支持しない理由(複数回答)は「首相を信頼できない」が31.1%で最多。1年以上続く「モリカケ問題」を通じて、ウソにウソを重ねて国民をダマし続ける安倍首相の人間性に対し、多くの国民が怒りを抱いている実態が明らかになった。
  そんなレームダックの安倍首相が総裁3選と支持率回復のために利用しようと必死になっているのが「日朝首脳会談」の開催複数の日本メディアは、14日にモンゴルで開かれた国際会議「ウランバートル対話」で、外務省の志水史雄アジア大洋州局参事官が、北朝鮮のキム・ヨングク軍縮平和研究所所長と意見交換し、拉致問題についての日本政府の立場を伝えた――と報じたがどこまで本当か怪しいものだ。
  というのも、14日にウランバートルの国際会議場の様子を報道したテレビ朝日系「報道ステーション」の映像を見る限り、とてもじゃないが「意見交換」するような雰囲気じゃなかったからだ。映像では、北朝鮮の関係者に対して、中国の関係者が笑顔で話しかけたり、欧州の関係者が名刺交換をお願いしたりする中、日本政府関係者だけが遠くから物欲しそうな顔で眺めているだけ。あまりに情けなくて恥ずかしい姿だった。
  対照的に余裕シャクシャクだったのが、北朝鮮の関係者だ。メディアから「日本の代表団と会談しないのか」と問われても、「会っても話すことがない」「話すことがないのに会ってどうするのか」とケンモホロロ。こんな状況で、どう考えても日本が北朝鮮と「水面下の交渉」など出来るはずがない。要するに安倍政権は対北外交でも国民にウソをつき続けているのだ。ウソつき安倍首相を引きずり降ろさない限り、北朝鮮問題は進展しないのだ。

180610 西園寺公望「大臣に人を得ないかぎり、次官以下、どんなに人材を集めてみたところで、大したことは出来ツこないよ。」(磯田道史「日本人の叡智」より)

2018年06月10日 13時00分18秒 | 徒然・雑感
6月10日(日):       西園寺公望(1849~1940)   

昨日は昼頃起きて、深夜まで、仕事で必要な書類をまとめるためにパソコンと向かい合っていた。途中,BGM代わりに久しぶりにドラマ「コウノドリⅡ」の録画を流し続け、全11話をコンプリート!した。途中、気持ちの良い涙も流れたが、何よりも仕事が捗った。ほぼ書類をまとめ切り、あとは細かな点検をするばかりである。

今朝目覚めて頭にすぐに浮かんだのは、最近の俺が漠然と考えていることを少しわかりやすく文章に書き留めておきたいということだ。昨日の「コウノドリⅡ 全11話」の影響かもしれない。

俺はこのブログで割合本音を語っている。見に来てくれている人は俺が大切にしている価値観を大体理解してくれていると思う。すなわち、第一に「過去に目を閉ざすものは、現在・未来に対して盲目である」という歴史への誠実さ、第二に弱者・マイノリティの基本的人権を守り、保障する必要性である。

そのために何よりも「日本国憲法を護り、活用し切ることが大事だ」と考えている。しかし、「一切、憲法改正に触れてはいけない」と教条的、硬直的に考えているわけではない。環境権、プライバシー保護と知る権利、社会保障の充実、地方自治の充実、自衛隊関連であれば特別裁判所の設置など今の憲法の精神を発展的に改正することにはむしろ前向きである。ただ、今行われている憲法の精神を踏みにじる「戦後レジームの改正」「憲法9条破壊」という非常にレベルの低い憲法軽視、破壊のたわ言に対して断固反対するということだ。

天皇制に対してもこの平成の時代を生き抜く中で現天皇の姿を通して象徴天皇制に対する俺の意識は相当大きく変わった。前向きに受け入れる意識が芽生えている。もし皇室典範が、現天皇の意志を尊重して「女性天皇を認める」方向で改正が行われていれば、俺は天皇制を強く支持するだろう。

一方で、俺は戦後体制の維持のために「日米同盟の大切さ」を十分に認めている。20世紀の前半、日英同盟を結んだことが日本の国際的地位を高め、どれほど大きく支えてくれたか、そしてそれを失った時に難しい協調外交のかじ取りを求められ、結局失敗して、外交を過ち破滅した。その時、どれほどの大きな犠牲を国内外に出したか。日本国民は被害者であると同時に途方もない加害者にもなった。

俺が言いたいのは、日英同盟及び協調外交失敗の轍を踏まないために、やはり日米同盟は大切だが、日英同盟で日本はイギリスの子分ではなかった。従属国ではなかったということだ。それに比して日米同盟をアメリカに従属し、何を言われても自分の意見を言えずに、沖縄を始め自国の国民の人権を踏みにじって、自国の国民の血税でアメリカから人殺しのための武器を大量購入して、「何があってもアメリカにすがりつき続けるのが正しい外交の道だ」というような<隷属的>日米関係に納得がいかないのだ

人権の問題で言えば、すべての人権を護ることはまだまだ厳しい状況が続くだろう。俺だって身近に「障害」者や移民の外国人、LGBTの人々がいれば、自然にふるまい彼らと仲良く手を携えて生きることに戸惑いを覚えるだろう。また、税金とともに高い社会保険料を日々取られて「辛い!、痛い!」と感じ続けている我が身に振り返って生活保護や「障害」者福祉、親の年金に頼って生活するミッシングワーカーなど社会的弱者へのケアの話などを聞くとやはり戸惑ってしまう。

ただ、俺が求めているのは、その戸惑いを社会的弱者、マイノリティの人々をヘイトする方向に誘導されることでは断じてない。逆に、そういった人たちへの配慮・ケアが如何に大切なことであり、日本の未来の明るい展望につながることであるかを上の人間から示して、俺の偏見や誤解を正し、将来への展望を持って納得させてほしいのだ。北欧型の魅力ある社会に導いてほしいのだ。端的に言って、俺だって、俺の家族だっていつ社会的弱者の立場になるかわからない。その違いは紙一重の違いだ、と俺は感じている。

社会福祉・社会保障・社会保険制度の充実は結構しんどくて重い課題ではあるが、今政府が一度に数千億円単位でアメリカから買わされている武器購入額をしっかりと抑えれば、相当多くの分野で問題が改善されるはずだ。特に保育所不足や年金・介護などの緊急性を要する分野で改善が見込まれるだろう。

それを不平等なアメリカとの関係に疑問を持たせずに隷属的に盲従して、国民の血税で莫大な人殺しの武器を買わされ、沖縄の人々の「米軍基地反対」の意志を強制力だけで踏みにじり切っている。こんな日米同盟関係は明らかに間違っている。好きな言葉ではないが、これこそが<国益(=国民益)>に反する<売国奴>的行為であり、我々に自分の払っている血税・社会保険料に対する納得いかない思いを生んでいるのだ。

被差別、社会的弱者、マイノリティの人々への人権を大切にすること、そして戦争と原発だけは絶対に許さない難しいかじ取りを全力で上に立つ人間にやってもらいたい。

俺が、世の中のおかしさを指摘するのではなく、「人権を大事にする社会が当たり前の社会なのだ。それが結局俺自身や俺の大切な人々を大事にすることにつながるのだ。だから、戸惑いはあっても、「障害」者と自然に付き合えるようになるべきだし、生活保護をはじめ社会保障制度は現役世代を安心させ、次世代を担う若者をきちんと育てるとても大事な制度であり、同時に彼らの再就職できる環境を社会全体が責任をもって、支え、用意していくことが大事なのだ。外国からの移民についても、手探りだがまず彼らが基本的人権を持つ人間なのだということから考えていくべきなのだ。」

「何よりも戦争だけは断じてしてはならないし、平和を維持する努力が大切であり、その際憲法で保障された人権を真ん中に据えて、アメリカの奴隷ではない<自立した日米同盟>と中国・韓国をはじめとする<近隣諸国との平和的関係構築>に最大限の努力をすべきなのだ。そして、そのためには<過去の負の歴史(加害者としての歴史)>についてしっかりと国民的記憶を根付かせておくことが大前提になるのだ。」
と、むしろ政治の側から理想を掲げて国民の偏見や誤解をたしなめて、教え導いてほしいのだ。それができない政治に存在価値はない、どころか百害あって一利なしであって、一日でも早く退陣すべきなのだ。

そんな時代が来るわけないという人には、俺の記憶で二度だけあった気がすると言いたい。1990年代から2000年代初頭にかけて、戦後世界史の大きな変わり目で多事多難な時代だったが、河野談話(宮沢内閣)が出され、村山内閣の頃、戦後50年の村山談話が出され、沖縄米軍基地問題が真剣に論じられたことがあった。この時、政治の中心で活躍していたのが野中広務である。また、2000年代末の一瞬ではあったが、鳩山内閣のマニフェストと施政方針演説の中にそれ(理想・理念)はあった。これを台無しにしたのは野田汚物前原詐欺師。改めて考えてみれば、政治に理想が掲げられたのは、いずれも「政権交代」が背景にあった時の気がする。

この国の仕組みと社会の有り様は、この5年間で取り返しがつかないほど破壊されてしまった。その意味で政治家の資質が国家にいかに影響するか」、「愚かな政治屋に権力を握らせ、その愚か者が国家権力をかさに着て私利私欲で地位に居直った時に国家がどれほど大きくミスリードされ、ダメージを受け破壊されてしまうのか」を本当に目の当たりにさせられ、国民の責任を残念な方で思い知らされる日々である。

以上2900文字、約2時間の手遊びのなぐり書きです。乱筆、ご無礼。今後、訂正箇所があれば、少しずつ直していきます。m(_ _)m

180428 「国民民主党」は生まれる前から終わっている。「前原詐欺師と一緒にやれる」というセンスが有権者をなめ切っていることの証明!

2018年04月28日 13時45分07秒 | 徒然・雑感
4月28日(土):  
今度できる「国民民主党」(略称「国民党」)は、「国民党」が蒋介石の中国国民党をイメージさせることを軽視する歴史的無知と、理念なく「国民」という言葉にしがみつく心根の卑しさが露骨に出過ぎていることに気が付かないのだろうか。

そもそもこの<国際化と多様性の時代>に、「国民(限定!)」という言葉は、<外国籍市民>を平気で切り捨てる、古臭くてあまり筋の良くない言葉だ。女性、「障害」者、被災者、LGBTなど<マイノリティの人権>にもあまり配慮できない冷酷でにぶいセンスを思わせる。世話になった在日朝鮮人のおばさんを平気で切り捨てて、恥をかかせられるご立派な保守政治屋の前原大先生には喜んでもらえるかもしれないが、俺はごめんだ!

あまりにも命名センスが悪過ぎると思っていたが、その上に前原詐欺師を受け入れるそうだ。おそらく、前原の子分で独り立ちできない立命館大学卒の泉健太あたりが(京都大学卒の前原の)忠臣ぶって後押ししたのだろうが、お里(おつむのレベル)が知れるとはこのことだ。もうこの政党は生まれる前から終わっている。同じ京都選挙区でもリベラルで京都大学卒の山井和則はもったいないので、何とか立憲民主党に移ってもらいたい。

「前原詐欺師と一緒にやれる」という精神構造が有権者をなめ切っていることの証明以外の何物でもない、といことになぜ気づかないのだろう。見たくない現実は見えないふりをするような政治屋集団を信用できるわけがないだろう。俺は、前原詐欺師がいなければ、今のところ俺の住む選挙区に社民党や立憲民主党の候補がいないので、「国民党」に投票をしてもいいかな…と思っていたが、これでさっぱりと野党共闘路線をとる「共産党」に投票することができる。

センスの悪い、卑しい名前の「国民党」さん、前原詐欺師と忠犬ケンタとともにさようなら。紛らわしいので、維新の党とともに早く消えて無くなってください。

岩上安身  @iwakamiyasumi 9:56 - 2018年4月26日
前原氏が、国民民主党⁉︎ さすがに、どのツラ下げて、と思う。民進党分裂劇を仕掛けた張本人が、その傷の修復のために合併しようという時にヌケヌケと加わるとは。国民民主党をどう評価するかは、この反共の権化を入れるか入れないかで決まる。前原氏のいる政党に、野党共闘は不可能。


京都新聞前原氏・泉氏、国民民主党に参加意向 希望の党分党  4/26(木) 23:09配信
 希望の党の両院議員総会で26日、民進党と「国民民主党」を結成するグループと、松沢成文参院議員らが新たに設立する「希望の党」への分党が了承されたことを受け、京都の所属衆院議員4人のうち、前原誠司氏(京都2区)と泉健太氏(京都3区)が国民民主党に参加する意向を示した。
 山井和則氏(比例近畿)は「地元の支持者と相談して決める」と態度を明らかにしなかった。
 井上一徳氏(同)は総会で「安全保障分野で公約に掲げた政策、理念を守っていくべきだとの思いで、(松沢氏らの)希望の党を選ぶことにした」と語った。

180401 再掲:180317 124万PV超:「前原詐欺師を排除すること!」これが“合流”をめざす「希望の党」と「民進党」に対する<唯一の注文条件>である!

2018年04月01日 17時15分18秒 | 徒然・雑感
4月1日(日):   ※本当にこれが日本の政治の分かれ目だ。過ちを改めざることが本当の過ちである!


(2018年)3月17日(土):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2352日。  

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もみさん「前原詐欺師を排除すること!」これが“合流”をめざす「希望の党」と「民進党」に対する<唯一の注文条件>である!

頽勢挽回のために、「希望の党」と「民進党」が“合流”を目指しているそうだ。政権交代を目指す野党の大同団結にとって、民進・希望の“合流”による「旧民進党」の復活は悪い話ではないと思う。しかし、唯一の条件は、「その中に前原詐欺師を入れるな!」ということだ。これは、小さくない、非常に重要な観点だ!。

「希望の党」が信用されない最大の要因は、国民を騙して平然としている前原詐欺師や細野某、長島戦争屋といった<アベ自民党別動隊>がいるからだ。特に、前原詐欺師の存在は致命的だ。昨年秋の総選挙で野党共闘の足を引っ張り、旧民進党を解体して国民の期待を根底から裏切り、アベ自民にあり得ない大勝利を提供した張本人だ。あれほどの背信行為を行っていながら、この男は反省も無く、小池百合子すら去った「希望の党」に恬として素知らぬ顔で居座っている。前原詐欺師がいる限り「希望の党」が政党として信用されることは絶対にない。

その「希望の党」と「民進党」が前原を残したまま“合流”しようというのは、理念も反省も無い数だけを求める野合集団のレッテルを貼られる覚悟をすることだ。来年の参議院選挙で大敗し、立憲民主党に吸収されて消滅してしまうだろう(本当は、その方が良いのだが…)。俺は前原詐欺師が所属する政党には絶対投票しない。

本当は「野田汚物も取り除け!」とかいろいろ注文したいことはあるが、この際他は何も求めない。ただ一つだけ「希望の党」と「民進党」の“合流”に要求をする。「前原詐欺師だけは排除すること!」この男が所属する勢力が何を言っても信用できない。そしてこれは今の自民党・公明党の政治に苦しむ国民の多くに共通する要求条件だろう。 

国民の期待を裏切った前原詐欺師を取り除けば、小沢一郎、枝野幸男の指導力のもとで「共産党」まで含めた<野党共闘>の大同団結が一気に進む。アベ・アソウ・スガ・アキエ・コウメイのインチキ政治を倒し、<政権交代>が実現し、アベらの私利私欲まみれの政治的犯罪を断罪することができる。今まさに倒壊寸前にまで陥っている日本の官僚制、戦後民主主義政治をなんとか立て直し、正常化する道が開けるのだ。

そのためには、新しい野党共闘勢力の中に断固として前原詐欺師を入れてはならないのだ!前原詐欺師さえ取り除いてくれれば、俺の住む選挙区には「社民党」も「立憲民主党」の候補もいないので「希望の党」の候補に投票する。前原詐欺師が残れば、俺は「共産党」の候補に投票する。投票の基準は明確だ!。

最後に、話は変わるが、そろそろ公明党は、平和・生活の党として自民党と手を切ったらどうだ。大阪維新の会(もう日本じゃない)と希望の党にいる<自民党アベ別動隊>の前原・細野・長島らが一緒になって自民党と合同すればいい。それでスッキリする。今の政治を分かりにくくしているのはこの連中だ。

共産党は野党の<大同団結>という難しい選択にかじを切ったのだから支持できるが、前原詐欺師や大阪維新の連中が国民を混乱させ、国民の選択権を奪い、自民党を甘やかせ、アベのような歴代最低の愚劣で幼稚な私利私欲まみれの政権を長期にわたって野放しにしてきたのだ。

再掲「170815 前原詐欺師は、安倍晋三以上に<日本政治の癌>である!民進党と自民党の違いをわからなくしている!」
                    2017年08月15日 16時51分10秒 | 時代の記憶
(2017年)8月15日(火):  

ステイツマンの河野洋平氏は自民党の政治家である。河野氏に比べて、民進党の前原詐欺師の方がはるかに”右翼・憲法軽視、好戦的・新自由主義的”であり、民進党ではなく自民党に所属しているべきなのは誰の目にも明らかだろう。代表選挙に負ける前原グループが枝野民進党に残留すれば、俺たち有権者は民進党を信用できない。野党共闘に否定的な前原詐欺師グループが残留する民進党には投票ができない。

民進党は、枝野と前原が「経済政策で同調、すり合わせ」なんて下らない”まやかし”で誤魔化さず、安倍ファシズム政権によって荒廃した立憲主義の再建を高く掲げ、社会保障重視>、<護憲>、<日米安保堅持>、<沖縄重視>、<反戦平和外交>、<反核・反原発>、<多文化共生>、<中韓アジア外交重視>を明確に示して闘えばよいのだ。

一見矛盾した政策内容を含むが、それを調節して何とかやり繰りして維持するのが政治家の役割だ。純化路線ばかり叫ぶのであれば政治家は要らない。枝野民進党は、
前原詐欺師グループと妥協せずに分党して、野党共闘による政権奪取の意志をしっかり覚悟を決めて示せば、先日の都議会議員選挙と同じように、一時的に減った議席よりもはるかにあまりある議席を獲得できるだろう。要は、覚悟を決めることである!

好戦的で新自由主義的な前原グループを切り捨てて、小沢一郎氏に三顧の礼を尽くして野党共闘するしか枝野民進党には道はないのだ!さもなければ、前原詐欺師のいる民進党と、安倍よりもずっと知的で穏健そうに見える岸田自公政権とを見比べれば、俺も含めて6割近い無党派層の票が路頭に迷うのは間違いない。河野洋平の流れを汲む岸田が総理大臣を務める自公政権の方がリベラルなイメージを持ってしまうのだ。前原グループを切らなければ、岸田自公との差別化ができない。違いを示せなければ政権政党の方が勝つに決まっているのだ。

結果、岸田自公政権が勝ち、背後にいる従米ファシズム勢力がさらに強化され、政治への容喙を強め日本は破滅する。前原詐欺師は、ある意味、安倍晋三ファシズム政権の最大の協力者にして、安倍晋三以上に<日本政治の癌>であると言える。代表選に負ければ、前原グループは潔く細野のように民進党を出ていけ。民進党は一時的にダメージを受けるかもしれないが、リベラルとしての政党のかたちが明確になることでかえってあまりある大きな勢力に発展できるだろう。

但し、決断できず日和見して、代表選後に前原グループと未練がましく同居すれば、間違いなく枝野民進党に未来はない。岸田自公政権に必ず国政選挙で負ける。憲法が改変される。そしてそれは民進党をはじめとする野党の敗北ではなく、戦後民主主義の敗北であり、日本国民(外国籍市民を含む)にとっても致命的敗北になるのだ。 俺は、若い時に世話になった在日コリアンのおばさんを公衆の面前で切って捨てた前原詐欺師の恥知らずなふるまいを絶対に忘れていない。

171129 日馬富士の引退を残念に思う。貴ノ花と安倍晋三は視野・料簡の狭さがよく似ている。マスコミもずるい。賢くない国ニッポン!

2017年11月29日 19時59分38秒 | 徒然・雑感
11月29日(水): ※炎上すれば、すぐに消します。

帰宅すると夕刊に日馬富士引退の見出し。正直、最悪の展開。今の日本の最も嫌なところが出た事件だ。その中心に、頑なな貴ノ花と弱い者いじめのマスコミがいる。話の内容はよくわからないが、今回の一件は安倍政権下の日本をよく体現していると感じた。

一面的な正義を握った者が、それを金科玉条に振りかざす。そして、周りのマスコミが一斉に弱い者いじめをした挙句にその真の弱者の功績を無視して潰してしまった。

先場所、一人横綱の孤塁を護って優勝して大相撲の看板を護ったのは日馬富士だったではないか!これまで、日本人の上位陣がそろわない中で、白鵬とともに大相撲人気を支えてきてくれた恩人ではないか。それをマスコミはみんなで寄ってたかって外国人横綱の上げ足をあげつらって潰しにかかった。日馬富士を引退に追いやって満足か?!俺は寂しい。

今回の一件の真の被害者は貴ノ岩だけだ。その貴ノ岩が表舞台から隠し込まれて、その声が最後まで聞けないままだった。師匠の貴乃花親方は、被害者の正義という立場にしがみついて、相撲協会も大相撲ファンのことも全く見ようとせず、結局日馬富士の横綱引退に追い込んだ。

貴ノ花が、自分の弟子貴ノ岩のことを本当に考えているとも思えない。貴ノ岩は、日馬富士と同じモンゴル人力士であり、部屋は違えど非常に近しい関係の後輩なのだ。もっと穏便な処理の仕方があったはずだ。いや、貴ノ岩と日馬富士両方の現在から未来につながる良い処理の仕方を探してでも見つけるべきだった。それをしないで、暴力を振るわれたという今回の事実だけをあげつらい、自らの立場の正義だけを振りかざし、周りを全く見ない視野・料簡の狭さと冷酷さには既視感を覚えた。横綱引退という破局を呼び寄せたのも似ている気がして不安だ。

既視感とは、安倍首相と重なるのだ。貴ノ岩を拉致被害者家族、日馬富士を北朝鮮とする。拉致事件が起こるまで、北朝鮮や韓国に対して、韓国併合・36年間の植民地支配、従軍慰安婦、強制労働、関東大震災での朝鮮人虐殺など日本はずっと加害者の立場にあった。その事実は、今もって全く変わらないのだが、ここに北朝鮮による拉致被害者の問題が明らかになるとアベはこの事実にしがみつき、それを振りかざして過去の加害者の立場を意図的に忘れて、「こちらこそ被害者である!」と外交的に攻勢に出た。そして、拉致問題を金科玉条にして、国内、国外の問題を棚上げにできたと思い込んでいる

一見、拉致被害者家族のことを常に気にかけているふりをしながら、現実にはアベ政権になってから拉致問題は、一歩も前に進んでいない。むしろ後退している。アベ政権が被害者家族を政治利用して消費しているだけであるのは、少し意識的に観れば全くもって明らかだが、日本のマスコミはわざとそれを見て語ろうとしない。アベ政権を恐れているのだ。頭の悪い、料簡の狭いアベの尻馬に載って、安全な北朝鮮非難だけを繰り返している。

過去の植民地支配や朝鮮戦争の遠因などに目をつむり、北朝鮮をここまで無策の限りを尽くして、核ミサイルの暴発一歩手前まで追い詰めてきたのは、安倍政権と日本のマスコミだ。北朝鮮に大きな問題があることは事実だが、「人間の国だ!」。そして、実は弱い存在だ。日本が韓国併合をした加害者の立場から拉致被害者の存在によって被害者の立場の正義を奪い返した気になってどんな口汚い悪口でも許される存在に仕立て上げられているのは異常だ。

そもそも北朝鮮とは、日本と比べてはるかに小さい経済規模しか持たないいわば弱い弱い”こびと”のような国だ。それを強大な悪の帝国の印象にすり替えて、北風政策だけで追い詰めてしまっている無策さ。これで核ミサイルがどこかに当たれば、日馬富士のもったいな過ぎる横綱引退と同じだ。

貴ノ花は本当に貴ノ岩のことを思っていない。アベシンゾーも拉致被害者のことを思っていない。自分の信念の手段にしてしまっている。それを無批判に弱い者いじめに加担する堕落したマスコミがいる。戦後日本が、本当に腐り果てて、イヤな時代になったな、と思う。

全くまとまりのない文章になったが、日馬富士がこんな形で引退に追い込まれたことが残念で仕方がない。そして、最大の原因は、貴ノ花の視野の狭い、かたくなな浅慮と、安全なところにいて弱い者いじめをするマスコミの堕落したズルさに腹が立つのだ。そして、貴ノ花とアベシンゾーには、頭の悪さ、知恵の無さで既視感を覚えたのだ。

最後に、日馬富士と貴ノ岩二人の復帰を願って言明した白鵬を支持するし、白鵬を好きである。ある意味、彼が一番ことの真相をよくわかっているはずだ。それを安易に批判するマスコミを全く信用も支持もできない。

乱筆御免。正直な感想を記した。きちんと整理できれば、書き直すかもしれない。炎上すれば、すぐに消します。馬鹿な批判に付き合う気はないので。

171111 座間市の猟奇殺人事件<報道のあり方>に、ぬぐえぬ疑問がある。なぜ実名や写真を公表するのか。

2017年11月11日 12時43分43秒 | 徒然・雑感
11月11日(土):

神奈川県座間市の猟奇殺人事件報道のあり方について、ぬぐえぬ疑問がある。被害者全員の名前が確認できた事実の報道は必要だが、なぜ実名や写真を公表するのか。あまつさえ、被害者や家族の人間関係・プライバシーまで暴露して騒ぎ立てるのか。異様な風景だ。

世間の目を自民党の公約違反やモリ・カケをはじめとする政治の本質的な問題からそらすために、政府の意思を<忖度>してやっているのか。「死人に口なし」。この問題なら、どんなに騒ぎ立てても文句は出ないし、金もかからないで話題を呼べるってか。

被害者や家族・近しい人々の悲しみに寄り添い、そっと人権に配慮する感性はないのか。もっとやるべきことがあるだろう。もっと闘うべき相手がいるだろう。もっと投げかけるべき大事な問題があるだろう。日本の報道・マスコミはそこまで腐り果てているのか?! ご臨終だね。チーン…。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)