もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

131030 馬っ鹿じゃねーの!福井県の原発事故で綾部市が、田辺市と避難協定を結ぶんだって!

2013年10月30日 22時53分03秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
10月30日(水):

 今、テレビのニュースを一瞥した。「福井県の原発事故に備えて、綾部市が、田辺市と避難協定を結ぶんだって!」

 呆れ返って、開いた口がふさがらなかった。原発事故を想定する前に、全力で原発に反対するべきだろう。一時的に綾部市から和歌山の田辺市に避難をさせてもらったとしても、結局原発事故が起これば、福井県の周辺自治体は壊滅的な被害を受けるのは間違いない。年単位の避難生活を余儀なくされ、みんな<棄民>化するだろう。それどころか、綾部市が被災する場合、琵琶湖は間違いなく、放射能汚染を受けて関西広域が水不足で麻痺してしまうのだ。そんな中で、他の被災地を睥睨して綾部死だけが「備えあれば憂いなし!俺たちだけは避難場所を確保してるぜ!えっへっへ!」とでも言いたいのだろうか??? 

馬っ鹿、馬っ鹿しい! 全くナンセンスだ!。 受け入れ側の田辺市はともかく、避難申し入れ側の綾部市の愚劣さは度し難い。綾部死長は、原発事故が起こってしまったら、もはやすべて終わりだということがわかっていない。それで自分たち綾部死だけが、うまく立ち回れると思っているのか…、糞っ糞っ糞っ糞っ糞っ糞っ、恥知らず!

 もう一つ言えば、綾部市民の避難先を田辺市に限定すれば、結局万一の際、綾部市民自身の臨機応変な避難活動、避難地選択を縛ってしまい、自縄自縛に陥る愚を犯すだけだという簡単な論理もわかっちゃいないこの綾部死長の抜け駆けの愚劣さは、全く持って度し難いとしか言いようがない。

 そんな暇があれば、どうして全力を挙げて、大飯、高浜などの原発再稼働に反対しないのか。綾部死長おまえも原発村の一員なのか? 一体いくらもらった? いくらもらうつもりだ? 選挙の支援をしてもらうのか? 

 原発事故が起こってしまえば、福島の二の舞をするしかないことになぜ気付かない? 原発事故が起これば、綾部市民は<棄民>化するしかないのだ。 ええい、胸糞悪い! 原発村の毒牙とどうして闘わないのか! どうして原発事故を想定して、したり顔のバカづらを晒しているのか


再度言う! 綾部死長は、本っ当に馬っ鹿じゃねーの!

3 019 中沢啓治「はだしのゲン 第3巻」(汐文社;1973) 感想5

2013年10月30日 00時43分34秒 | 一日一冊読書開始
10月29日(火):

260ページ  所要時間 2:05      図書館

風呂でマッタリと入浴読書。

最後の数ページで一挙に数週間が経つが、基本的に1945年8月11日から8月18日ごろまでの一週間ほどの話である。

絵描きの被爆者政二さんの話は、確かに覚えている懐かしい話である。

広島に原爆が落とされた直後から、<ピカの毒>が語られ、被爆者に対する容赦ない差別と冷酷が広島の周辺町村で繰り広げられていたのは、ある意味再認識した。

広島で被爆者や二世に対する差別があるという話は聞いたことがあるが、具体的なイメージを結ばなかった。しかし、今回初めてその差別意識や被爆者に対する冷酷があったことを実感を伴って理解できた。

広島県は全体が原爆被害者の県だ、と思っていたが誤解だった。広島県は広島市の原爆被害者を差別し、冷遇し、見殺しにしてきた周辺市町村も含んでいるのだ。そうすると、8月6日の原爆ドーム前での式典の風景も輻輳して見えてくる。<原爆被害者を悼む>と同時に、<原爆被害者を差別してきた歴史を反省する場>でもあったのだ。そうでなければいけない、と思う

「はだしのゲン」の表現のすべてが適切かと言えば、それは「乞食」「きちがい」他たくさんの適切とは言い難い表現も、1973年という時代を反映して存在する。ただ、だからと言って、この作品を非公開にすることは断じて赦されることではない。この作品がめざす、戦争や原爆被災の実相・真実に迫ろうとする志操の高い精神を覆い隠すことは断じて許されることではない。この作品は、隠すよりも公開され続けることにはるかに大きな意義がある。

この作品と、日本国憲法のイメージが重なるのは、偶然ではないと思う。この作品を公開し、子どもたちが自由に読める環境を保障する精神は、間違いなく日本国憲法を守ろうとする精神と通底するものだ。青臭いと笑う奴は笑え! 俺はこの作品を支持する。天皇制も厳しく指弾されているが、現天皇夫妻は決してこの作品に異議を持たないだろうと信じる

3 018 中沢啓治「はだしのゲン 第2巻」(汐文社;1973) 感想5

2013年10月29日 01時49分25秒 | 一日一冊読書開始
10月28日(月):

254ページ  所要時間 1:30     図書館

とりあえず読み続けてます。内容は、原爆投下の8月6日から一週間ほどの広島の惨禍と被爆者の苦難。被害を受けなかった日本人が、早くも被爆者に対して冷酷さを発揮し、差別と迫害を始めている。戦争は、まだ終わっていない。

もう寝ます。

3 017 中沢啓治「はだしのゲン 第1巻」(汐文社;1973) 感想5

2013年10月28日 00時52分44秒 | 一日一冊読書開始
10月27日(日):

275ページ  所要時間 2:05      図書館

著者34歳(1939生まれ)。全10巻の内の第1巻である。

子供の頃の断片的な話題でなく、本格的に本書を読むのは初めてである。入浴しながら、感慨にふけりつつ読んだ。読みながら、不思議な気分になった。この本の内容を、たしかに俺は子供の頃、当然のこととして話題にして受け止めた記憶がある。

しかし、感慨としては、忘れかけていた感覚を「思い出した」という感じだ。強制連行で日本に連れて来られて差別を受ける朝鮮人の人々、非国民とされた人間に対する家族・親族におよぶ村八分・いじめの構造、沖縄戦や特攻・玉砕をはじめ、どんなにしても美化することのできない戦争の実像をいつの間に、忘れさせられていたのだろう。子供のころよりも時代の右傾化が激し過ぎるのを痛感した。間違ったことでも堂々と声高に言う石原、詭弁モンスター橋下や安倍らの歴史修正主義者の影響の大きさを思い知らされた。

本書を読むことで、危うく忘れそうになっていた戦争反対・非戦の思いにしっかりとした足場・スタンダードを与えてもらった気になれた。この「はだしのゲン」のラインまでもう一度しっかりと立ち戻って考えるべきなのだ。また、読みながら日本国憲法のことがしきりに想起された。そして、今我々が立っている位置が如何に後退しているのかがよくわかった。

戦争に「どちらでもよい」は通じない。戦争は決して我々を放っておいてはくれない。始まれば、戦争の方からどんどん我々の生活の中に踏み込んでくるのだ。我々の生活はどんどん戦争に絡め取られて、自由を奪われてしまうのだ。それが嫌であれば、そして人間らしく生きたいのであれば、戦争に向かう動きに対して断固反対するしかないのだ

「はだしのゲン」を非公開にした島根県と鳥取県のレベルの低さ、見識の低さに改めて軽蔑の思いが募った

第1巻では、1945年4月から物語が始まり、反戦・非戦の思想を固く持つゲンの父親が、非国民とされ、身重の母、姉、2人の兄、ゲン、弟など家族みんなが非国民の家族として地域社会でイジメ抜かれ、食糧事情の悪い中、飢餓に苦しむ姿が描写され、やがて8月6日の朝、原爆投下を迎え、父、姉、弟の焼死を身重の母とゲンの二人が見届けるところで終わる。

下駄の絵付けをしているゲンの父親が、どうしてあれほどの確固とした反戦思想と、世界市民主義的視点を持ち得ていたのかは、多少謎めくが、ゲンの父親を作者中沢啓治の分身としてみれば、それはそれで納得はいく。

解説の尾崎秀樹:現代の若い世代は、戦争を知らない。うっかりすると西部劇の延長のようなゆがんだ戦争観をもっている。戦争のおそろしさは直接原爆が落ちたり、弾丸が飛んできたりすることだけではなく、戦争にたいする批判や反対はもちろん、積極的に協力しない者はすべて疎外してしまうようなところにある。しかもその傷は戦後にもおよび、三十年を経た現在(1988年)でも痛々しい傷口をさらしている。274ページ

3 016 池上彰「池上彰と考える、仏教って何ですか?」(飛鳥新社;2012) 感想3+

2013年10月22日 01時28分55秒 | 一日一冊読書開始
10月22日(月):

222ページ 所要時間 2:45      図書館
(107ページ 所要時間 1:20/115ページ 所要時間 1:25)

著者62歳(1950生まれ)。

前半で、日本仏教の概説・話題を整理。葬式仏教の弊を指摘。
後半で、仏教を生の哲学として再生する可能性について提案。答えは日本国内の仏教ではなく、インドのダラムサラに亡命政府を作って指導するダライ・ラマ14世への直接取材録を掲載することで、チベット仏教の精髄を紹介する。そして、多宗教(無神論ですら)とも共生できる生の哲学、生の心理学としての仏教の可能性を追求する。

俺は、仏教の本が好きなので、前半に関しては、正直読まなくてもかまわない内容だった。しかし、一方で俺はダライ・ラマ14世の大ファンである。以前、彼が来日して京都の精華大学で講演しているNHK報道番組を観て、落涙したことがある。今でもその時のビデオは手元にある。あれから随分経った。本書148-149ページの見開きにお元気そうなお姿が写っていて、東日本大震災の時、来日して被災地を慰問して頂いたことを思い出すとともに、日本に対して強い敬愛と慈悲の思いを持って頂いていることを知ることができて、素直に「有難いことだ」と思えた。今回の読書の良かった点は、まあその点だけだった。

勿論、池上さんの解説はいつも通りわかりやすいのだが、最近少しくどくなってきていると感じ始めているのも事実です。特に、こういう既知の部分では…。

本来、仏教は輪廻転生を前提に成立している。葬式ではなく、生の哲学・心理学であるべきなのだ!

・法王:日本人はもっと英語を勉強するべきだと私はいつも言っています。/特に、日本の若者たちは、英語の能力を身につければ、開発途上国で本当にすばらしい貢献ができますし、それによってもっと自信を持つことができるからです。略。小さな島国の中で縮こまって暮らしていては、人生に意義を見出すことはできません 笑。167ページ

・法王:仏教的観点からいうと、心には始まりも終わりもありません。死とは、ただ衣服を着がえるようなものなのです。私たちの肉体は古くなっていくので、古い身体を捨てて新しい身体をもらうわけです。/死の恐怖を軽減するために何よりも大切なことは、私たちが生きているこの人生を意義深いものにするということです。意義ある人生とは、他の人たちを助けるということであり、たとえそれができなくても、少なくとも他の人たちに害を与えるようなことことはしない、という実践をすることです。179~180ページ


※記録です:10月22日、何故か、アクセス400超えました。閲覧 411PV、訪問者 129IP 有難いことです。

3 015 小林公夫「東大生・医者・弁護士になれる人の思考法」(ちくまプリマー新書;2010) 感想 2

2013年10月20日 14時07分35秒 | 一日一冊読書開始
10月20日(日):

186ページ 所要時間 2:00   図書館

著者54歳(1956生まれ)。
裏書:「試験に成功する人と失敗する人の差は一体どこにあるのか。30年間、予備校や大学で指導してきた著者が、数え切れないほどの受験生を観察した結果見えたことは? 勉強法を示しつつ、難関に立ち向かうことの意味をも考える。」

読んでいて、「選択の失敗」に気が付いた。著者は、誰に対して書いてるのか。高校生が相手なら、そんな高校生はいないか、ごく少数だ。社会人を相手なら、「何が言いたいの?」である。いずれにせよ、本の出版にはふさわしくない。

著者が、自分自身を読者にして語り、自己満足に浸っているような内容である。書かれていることが、悪いという訳ではないが、裏書の内容目的は、全く果たされていない。非常に癖のある形でズレている。

東大受験の話、医者の話、弁護士の話、すべてが中途半端である。それなら別の本を読むほうが良い。三つをつなぐつもりで書かれている著者の一橋大学博士課程進学、学位取得の苦労話も正直どうでもよかった。

何か気真面目そうには書いているが、読者を見ずに、自分の方ばかりを見ている感じの内容だった。そもそも「試験に成功する人と失敗する人」という分類をその後の人生全体に被せる考え方自体、相当に癖のある偏見だと思う。

3 014 石井光太「僕らが世界に出る理由」(ちくまプリマー新書;2013) 感想4

2013年10月20日 00時49分31秒 | 一日一冊読書開始
10月19日(土):

この数日、苦しんでいた風邪が夜になってようやく快方に向かっている感じになった。関節のだる重さ、寒気(さむけ)で体温調節がうまくいかず、常にべとべとの冷や汗をかいていて不快極まりない日々だった。特に痰の出る咳にひどい頭痛をともなったのがしんどかった。

頭は冴えていたので、pm10:55からリハビリ遊書を始めた。

218ページ  所要時間 1:15         図書館

著者36歳(1977生まれ)。三日前、図書館で借りた本。全く知らない作家。読んでみると、若いのに割りあい達者な文章を書くノンフィクション・ライターだった。

内容は、表現者をめざす若者を中心に、「君が変われば、世界が変わる」「Be ambitious !」とそそのかす内容だ。まず、俺みたいな年寄りをオミットしていること。若者をそそのかす姿勢に無責任さを感じたこと。の2点で反感を覚えたので当初、感想は3であった。

ただ、眺め読みを進める中で、著者が日大芸術学部で、一日3冊読書を実践していたのと、それを表現者をめざす若者たちにも勧め、「柔軟に考えろ」「その上で目的に向けて果敢に挑戦せよ」「常識を疑え」「メジャーにできないことはたくさんある」「メディアリテラシーを逆手にとれ」など総じて、具体例を豊かに挙げながら、無責任な印象を与えないで語り得ているのがわかってきて印象は好転した。

やはり学生時代の膨大な読書が文章表現を達者にしているのだろう。最後の方では、好感を持ったが、やはり若者向けを強調し、年寄りを排除する内容に納得がいかないので感想は4である。10代の人には是非読んでみて欲しい。

目次: ※コピペ
第1章 海外へ飛び出すために(なぜ旅に出たのですか/外国へ行くメリットってなんでしょう ほか)
第2章 個を創造する学び方(何をどう勉強してきましたか/うまくいく人といかない人はどこが違うのですか ほか)
第3章 知っておきたいメディアの現実(メディアが報じることは事実なんですか/現場へ行かなければ、現実を知ることはできないのですか ほか)
第4章 世界のためにできること(有意義な募金ってあるのですか/なぜ全員に当てはまる支援がないのですか ほか)

3 013 養老孟司「養老訓」(新潮社;2007) 感想3+

2013年10月17日 00時00分54秒 | 一日一冊読書開始
10月16日(水):

※現在、風邪のひき始めです。夕方から鼻はずるずる、顔は熱ぼったい。症状は確実に悪化の一途をたどっている。「木口小平は死んでもラッパを話しませんでした!」みたいに、何とか一冊読み終わりました。現在pm11:20。しかし、感想を書く体力が残っていない。頭もズキズキしてきた。

191ページ  所要時間 2:20 図書館

著者70歳(1937生まれ)。久しぶりに「身も蓋もない」養老節を聞きたくなって、今日図書館で借りてきた本だ。

相変わらず、身も蓋もない鼻白まされる内容だった。多少ムカッともきた。ただ、さすがに東大医学部解剖科の教授である。浮付いた印象はなく、世間に媚びる風も微塵もない。へそ曲がりな言葉の中に何度か、ハッとさせられた。特に死生観にまつわる部分は良かった。ページを折れないので、付箋をいっぱいした。

目次: ※コピペ
訓の壱 不機嫌なじいさんにならない
苦虫じいさん、現る/老人文化を取り戻す/外されて喜ぶ/土をいじる/国を考える
訓の弐 感覚的に生きる
感覚とは何か/現代人は音痴である/いい年こいてテレビを信用しない/言葉のありがたさを知る/言葉は現実を切る/幸せの定義はできない
訓の参 夫婦は向かい合わないほうがいい
正面はあぶない/他人とは直角に交わる/合力は強い/贈るなら要らないものを
訓の四 面白がって生きる
若い人を気味悪がらない/本ばかり読まない/つまらない本はない/好き嫌いはなくす/細かいことを気にする/健康法を信じない/柔らかい地面を歩いてみる
訓の五 一本足で立たない
「何でもあり」は結構なこと/「仕事は自分のため」ではない/仕事は「預かりもの」/「自分のために生き」ない/自分の定年を考える/定年後は早くから考える/滅私奉公は危ない/格差よりメシ/ほんものの「市民」とは/まずは身の回りから/何でも昔がいいわけではない/常識をひっくりかえす/まだやることがある
訓の六 こんな年寄りにはならないように
仕方がないで片付けよう/世の中は思い通りにならないもの/下手な物知りにならない/きちんとする/団体行動はさける
訓の七 年金を考えない
年金に期待しない/社会的コスト/年金で得をする唯一の方法/家は広いほうがいいか/「お金を使わない」という幸せ/不信は高くつく/最悪の事態を考える/最大の資産は体力/終の棲家問題/まばらに住む/日本は面白い/地元を知る/田舎でケチらない/プッツンと逝く
訓の八 決まりごとに束縛されない
約束事を知る/憲法改正なんかどうでもいい/ビリや欠点を大事にする/スパッと決めるのは危ない/抜け道は悪くない/お人よしでいい/制度を過信しない
訓の九 人生は点線である
ボケの恐怖/安楽死のやっかいなところ/余命を信じない/ガンから考える機会をもらう/人生は点線である/美田を残せ/笑うしかない


また書けたら書きます。

3 012 太宰治「人間失格」(新潮文庫;1948)感想5

2013年10月16日 01時44分18秒 | 一日一冊読書開始
10月15日(火):

仕事から帰って夕食後寝てしまい、今日の読書を諦めかけたが、pm10:00から読み始めた。選んだ理由は、本文ページ数の少なさのみである。本棚の肥やし。文庫本自体はきれいだったが、俺が中学3年の時、ん十数年前のものだった。

1ページ30秒を原則に読み出したが、ストーリーは追えるが、文学的風味を味わうのは、相当割愛せざるを得なかった。「読む」を重視して「縁」を失うか。「縁」を結べるだけ有難いことと割り切るか。俺は「縁結び」を選んだのだ。常々不断に自分に言い聞かせるべし!

本 文127ページ  所要時間1:45
解説他 25ページ  所要時間0:25  ん十数年前の蔵書

著者39歳(1909~1948)。

間違いなく読んだことがあるはずだが、読み始めると冒頭の<美しいが嫌らしい表情の男の3枚の写真の記述>以外は、ほぼすべて記憶が失われていた。その意味では、まっさらな読書だった。

本書を書きあげた直後に太宰は妻と幼い一男二女を残して、ある意味行きずりの山崎富栄と6月13日深更、玉川上水に入水自殺している。ただ年譜を読むと、太宰はこの年、しばしば喀血しているのでいずれ寿命は対して変わらなかっただろう、と思う。

小説の内容は、聡明だが、物心ついたときから家族・社会と自分の関係に違和感と恐怖を覚え、家族・社会に適応したふりをするために<ウケル自分>を演じ続けた男の物語りである。この男、女にはもてる。

周りを気にして、自分を凝視し続ければ、当然身動きできなくなる。酒と女に溺れるが、不思議と女たちは優しく溺れさせてくれる。一方で、近づいてくる男は下世話で下らない奴ばかりである。ケチくさく、つまらない庶民の心の根っこも見え過ぎるほどに見えるが、それを表出はできない。

最初の心中自殺に失敗した後、女を次々に替えながら、自暴自棄と酒に逃げ道を求める日々。無垢な処女性に魅かれた妻が、疑うことを知らない無垢の故に性的暴行を受けるのを目撃する。モルヒネ中毒になり、脳病院に入れられ、迎えに来た兄に故郷に連れ帰られ、茅屋で3年の間に老女中に奇妙な侵され方を数度した。今、27歳です。で終わる。

本書の解説(奥野健男)では、ドストエフスキーの「地下室の手記」を超えているらしい。俺は、自意識過剰の社会的疎外者の姿が、とても悲惨である一方で、とても滑稽である点は共通していると思った。

まあ、筋を書いてもあまり意味がないのは、太宰治の小説ではいつものことだ三島のように絢爛豪華ではないが、研ぎ澄まされた言葉遊び・ユーモアがリズムよく、鋭いアイデアとともに繰り返し展開される。

途中、酒に溺れた主人公の心象を表現するためにオマル・ハイヤームのルバイヤートが引用されていて面食らった。

喜劇名詞(コメ:コメディ)、悲劇名詞(トラ:トラジディ)の当てっこ遊び

対義語(アントニム)の当てっこ遊び(同義語(シノニム)になってはいけない!)
黒のアントは、白。けれども、白のアントは赤、赤のアントは、黒。

解説者によれば、谷崎・川端・三島の作品は、外国人にまず日本的エキゾチシズムを感じさせるが、太宰の作品は、作者が日本人であることを忘れ、まるで自分のことが書かれているような切実な文学的感動を与えてしまうのだそうだ。

たしかに太宰の作品は、読者に「自分のことを書いてくれている」と思わせる気がする。太宰の文学的評価は未だ確定していない。その理由は、太宰に対する読者は全肯定か、全否定かしか許されないからなのだそうだ。そういえば、三島由紀夫が太宰に対して近親憎悪を抱いていたとドナルド・キーンさんが書いていた。

3 011 伊藤真「“司法試験流“勉強のセオリー」(NHK出版新書;2012)少し甘いが感想4

2013年10月15日 00時37分04秒 | 一日一冊読書開始
10月14日(月;祝日)

※1ページ30分厳守で読んだ。最近、本が読めなくなっていたのは仕事の忙しさが大きいが、知らぬ間に「読む」ことに拘りが強くなり、その分だけ「読む」ことが重くなり、覚悟が要るようになり、その覚悟がまた重くなっていたのだ。本来の「一日に必ず一人の優れた人格の謦咳に触れる贅沢な日々を過ごしたい」「ご飯を食べるように、歯を磨くように、本を読みたい」「本の無い日々、本の少ない人生は寂し過ぎる」という原点を忘れていたのだ。完全主義は、「甘え」だ。不完全さに耐えて、継続する読書こそ厳しいが正しい生き甲斐の道だ

201ページ  所要時間 1:55     ブックオフ105円

著者54歳(1958生まれ)。言わずと知れた護憲の弁護士。市井の司法試験予備校伊藤塾塾長。

NHK「仕事学のすすめ“司法試験流”知的生産塾」(2011年9月)の放送とテキストをもとに、大幅に加筆・修正・再構成したもの。俺は、この放送を見ていた。録画もあると思う。

憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される」をこよなく愛する著者は、護憲の俺ににとって大変頼もしい存在だ。真っ直ぐで真っ当な法律家の印象は、今回も全く変わらなかった。

予備校の先生だから、勉強方法は厳しく書かれているが、本書全体からは、むしろ司法試験を突破した後の法曹家のあるべき姿や、憲法を護って日本を少しでもより良きコモン・センスの国にしたいという著者の思いが、全体から伝わってくる。

・まず憲法は、13条で「すべて国民は、個人として尊重される」と保障しています。これは、誰もが人として命を持っているだけで等価値であるということです。もっと簡単に言えば、人間性を個として尊重するということ。人は皆、同じように大切であり、同時に人は皆違います。つまり、ここでは多様性を認め合いながら生きていくことの大切さを伝えているわけです。/さらに、憲法13条ではこれに続けて、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という条文があります。いわゆる「幸福追求権」というものですが、憲法は、個人の尊重の次にこの権利を保障しているのです。/特筆すべき点として憲法が保障しているのは、「幸福権」ではなく「幸福追求権」であるということがあげられます。つまり、幸せは自分が決めるものであり、その中身は人それぞれ違っていてよいという考え方です。お金や名誉を持つことが幸せだという人もいますし、家族と一緒にいられるだけで幸せだという人もいます。/「自分の幸せは自分で決めて下さい」「国は、あなたが決めた幸せを追い求める過程を保障します」。これが憲法の考え方なのです。/そして、自分の幸せを自分で決めるというのは、主体的に生きることに他なりません。略。憲法は、その人らしい生き方、その人にしかできないミッションを追求することで、みんなが共生していけるような社会を目指しています。人の意見や世間の波に流されずに、自分の価値観で意思決定をし、その結果に責任を取るという姿勢は、人生を送る上で非常に大切な基準になるのだと思います。/それに、幸福という結果ではなく、追い求めるプロセスを人権として保障しているのは、やはりそこに価値があるからです。自分が設定した幸福に向けて頑張っていく過程にこそ、価値や意味がある。190~192ページ 

目次:
第一章:最短最速勉強法
第二章:思考力を高める記憶術
第三章:“部品”で作る文章術
第四章:相手に伝わるプレゼン術
第五章:確実に成果をあげる時間術
第六章:スランプを味方にする自己管理
終章:自分を高める生き方

131014 徒然ノート:辻本清美へのエール! 130908の追加部分。また書き足します。

2013年10月14日 13時29分30秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
10月14日(月;祝日):

今朝(9月8日)の朝刊「民主、9条改憲へ素案 集団的自衛権を明記」という記事も出ている。「解釈改憲に反対し、明文改憲にする」のだそうだ。この政治屋さんたちは、改憲に道を開いた後、どう責任をとるというのか!自民と連立を組む公明党ですら改憲に慎重だというのに、無責任極まりない本末転倒だ。民主党もアイデンティティを自民党のお先棒を担ぐ<改憲>に据えた。もはや、自民党との違いは目糞鼻糞でしかない
(※10/14月、追加。こんなところに辻本清美はしがみついているのだ。どこまでも付いていきます下駄の雪。もう滑稽を通り越して哀れだね。昔、強く支持していただけに俺も哀しみを覚える。そんな腐った野合集団、速く仲間を連れて飛び出しちゃえよ!今日本で最も必要とされているのは、しっかりとした<社会民主主義勢力の結集>だ!集団的自衛権の連中と一緒にいて野田・前原・枝野ら馬鹿どもを改心させられるとでも思っているのか。甘すぎるぞ辻本清美!それとも、あんた自身もそこまで堕ちてしまった、ということか? 今はやりの土下座をしてでも個人的なしこりを超えてあんたがやるべきことは、バラバラの<社会民主主義・リベラル勢力の結集>だろう!)

131012 ETV特集「僕は忘れない~瀬戸内 ハンセン病療養所の島~」 感想5+

2013年10月13日 00時21分40秒 | 映画・映像
10月12日(土):2013年10月12日(土) 23時00分~24時20分 の放送

本当に素敵な若者(18歳)を目にすることができて、本当によかった。とっても良かった! 

内容について安易に評価・コメントするのは慎む。

以下、コピペ。できるだけ多くの人に観て欲しい。

※再放送予定は2013年10月19日(土)午前0時45分~(金曜深夜)

瀬戸内の大島にあるハンセン病療養所の入所者は隣接する小学校の子供達と交流を続けてきた。島を巣立ち今年大学生になった青年が再び“島の記憶”と向き合う姿を見つめる。

番組内容

瀬戸内の離島にあるハンセン病療養所・大島青松園。職員の子どもで小学校時代をこの島で暮らした吉田昂生さん(18歳;神戸学院大学)は入所者たちの人生を聞き取り、島外の人に伝える活動をしてきた。3年前、島の海岸に捨てられていた「解剖台」が発見された。昂生さんは改めて“島の歴史”に向き合うことを決意し、親しい入所者の話を聞くことにした。“島の記憶”を受け継ごうとする若者と、過酷な人生を歩んだ入所者たちの心の交流の物語。


3 010 磯田道史「江戸の備忘録」(朝日新聞出版;2008) 感想4+

2013年10月10日 01時25分08秒 | 一日一冊読書開始
10月9日(水):

230ページ  所要時間 2:45     図書館

著者38歳(1970生まれ)。今、一番脂の乗った歴史の語り部の一人である。本書は朝日新聞土曜「be」連載の「昔も今も」を改題、加筆・再構成したもの。

リハビリ読書として、1ページ30秒の眺め読みをめざしたが、45秒ぐらいのぺーすになった。付箋でヤマアラシ状態になった。

内容は、前半は感想5だったが、後半ややだれた気がしたので4+にした。いずれにしても語りの上手い書き手である。コンパクトにまとめられた歴史エッセーが、多種多様な角度から内容豊かにたくさんの話題が書きこまれている。贅沢で楽しい歴史の時間だった。

目次:
・織田信長再考:好奇の人/占いを糾す/その死にざま/殺された理由
・豊臣秀吉の艶書:そもじをもそばに寝させ/絶世の美女/明日の晩に御越しを/稲荷大明神を恫喝
徳川家康の庭訓:人事と「安心の力学」/秀忠の誠実/信長以上の合理主義/八丁堀に飛び込んだお殿様
・戦国武将たちの真実:伊勢早雲―戦国武士の生活/竹中半兵衛―天才の異常/太田美濃守資正―軍用犬の祖/宇喜多秀家―関ヶ原の落武者
・関ヶ原合戦・女たちの戦争体験:戦国女性は語る/大垣城籠城戦/生首と寝る/戦場で出産
上杉鷹山の遺言:治者の徳とは/細井平洲/平洲が吹きこんだ魂
江戸のお殿様たち:細川重賢―苦労人の勝ち/徳川光友―仮設トイレの祖/松平容保―殿様顔/殿様の通信簿―『土芥寇○記』/池田綱政―子作りの最高記録70人/内藤忠興―恐妻家の殿様
・坂本龍馬は手紙好き:姉に楽しい手紙/父の心得を胸に江戸へ/新婚旅行とピストルと/「心の公明」暗殺避けられず
・西郷隆盛は犬好き:狗犬の大群と同居/銅像の秘話/犬に鰻丼
山岡鉄舟と武士道:妻の気概/武士道と貧乏/無私に生きる
二宮金次郎と2人の妻:はじめの妻/金次郎の離婚/幼な妻との再婚
幕末の発明王・からくり儀右衛門:一見、幼児の作にあらず/寝食忘れて研究/天才は無理解に苦しむ/「東芝」の元祖
大田垣蓮月・幕末の尼僧が祈ったもの:美しすぎた/この世は夢/春のあめりか/西郷を動かした和歌
・維新と青年:水戸藩士瀧口六三郎/斬首ののち
・夏目漱石と猫と朝寝坊:「猫」の前史/漱石夫婦/人が変わった漱石/俳句とは/漱石の教え二つ
江戸時代の出産:赤ちゃんに優しい国/産科医療大国/貧乏人の子だくさんはウソ/江戸期の「少子化対策」
・日本人と「へその緒」:江戸期にすでに保存/薬として服用/4点セットの保存
・医療問題の今昔:医者が多かった江戸/江戸期の治療代/江戸の医者は無免許/医療事故も多かった
・日本史に見る子育てと教育:苦労した左利きの子供/日本人の識字率なぜ高いか/「識字」支えたこの100年/戦国の犯罪、ひらがなで減る/中世の英才教育「寺入り」/朝から晩まで修行は厳しく/体罰もあった/お遊戯のはじまり
・江戸の学びを探る:江戸の家庭教育/寺子屋はマンツーマン教育/女の師匠も多かった/教育費を惜しまず/理想の家庭教育とは/実篤の父のことば/盗賊諭した子供/吉田松陰の陽気論
・江戸の宮仕え:武士の単身赴任率/留守中の心得/武士の「介護問題」/江戸初期の選挙違反/平らかに成れ、格差
・家族とのふれあい:古文書にみる孫との会話/男女別々の武士家族/豆腐―京都の味、江戸の味
・江戸の年末年始:武士も年末残業/江戸時代は大人にもお年玉/年賀状の先祖は年賀名刺
・相撲今昔物語:八百長の真相/力士の大恥辱/人情相撲になった八百長/正直者の宮城野
・動物と人間のかかわり:犬の戒名/亥年は「ブタ年」/なぜ猫年はないのか/猫好き天皇(宇多)/化け猫
結婚と離婚の日本史:「妻問婚」のころ/再婚重ねた夫たち/戦乱が男社会を作る/明治まで離婚は普通/100年前の結婚式/短くなった披露宴
・男色の物語:「男色木芽漬」を読む/児小姓という美少年/美少年の前世/気のながいが、とく
日本人の名前:衛門、兵衛は朝廷の官名から/女子に子をつける/「初太郎」の多さ/公儀名の襲名/外様大名も「松平家」/戒名と身分/名字をもっていた江戸庶民
・江戸の人相学:『正忍記』の人相論/水野南北の研究/若ハゲは運気強し
・貧乏神の研究:稼ぐに追いつく貧乏神/江戸人には身近な存在/貧乏神の祠
・日本での最初の蚊帳:応神天皇の量産計画/陰陽師を呼んでつる
・怪異百物語の世界:住職が見た亡霊/品格のある幽霊/恩返しされた弥右衛門
この国の政府の大きさ:公務員の数/武士の数/あきらめの納税文化/終戦時は100人あたり13.5人/秀吉の巨大政府/武士リストラで経済発展
歴史から税を語る:現代は江戸時代より重税?/江戸の不公平税制/政治を握った農村納税者
江戸人に学ぶ相場哲学:相場の知恵を蓄積/本間宗及の秘伝書/安易に手を出すな/もうけたら休め
江戸の鉄砲:銃管理の伝統/村と鉄砲/違法所得の処罰/吉宗も苦慮した隠鉄砲
・あとがき
・索引

131009 美延映夫は議員辞職せよ!「大阪維新の会」は異常。ヒトラーのナチスと同じ。怒りがおさまらない。

2013年10月09日 19時05分20秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
10月9日(水):

 自らの政治資金パーティーに大阪市立高校の吹奏楽部に演奏をさせて問題になって大阪市議会で戦後初の不信任決議を突きつけられたのに居直って辞めない美延映夫議長(大阪維新の会)のことは知っていた。大阪維新の会の有象無象に何の期待もしていないし、関心を持つこと自体時間の無駄だと思っていた。

 しかし、帰宅して見た朝日新聞の夕刊で高校生たちに演奏させたのが「君が代」などの2曲であることを知り、堪らないほどの怒りを覚えた。此の愚劣さは、一線を越えている。もはや看過できない。あまりにもひど過ぎる。この精神のガサツさは危険である。君が代・日の丸に対するさまざまな問題が存在していることは周知のことである。保守・革新などの立場を超えて「やってはいけないこと」「やらないでおくほうがいいこと」があるはずだ。

 大阪には全国的に見ても非常に多数の在日コリアンをはじめ外国籍市民が居住している。大阪市立の高校には大勢の韓国・朝鮮籍の生徒たちが在籍しているはずだ。大阪市立の高校の吹奏楽部に「君が代」を演奏させることの罪深さは少しの知性があれば簡単にわかることだ。そして、わかる人間は、いたたまれないような痛みを覚えさせられる。「君が代」演奏は、これだけは赦してはいけないという一線を超えている。

 美延映夫のサイトを見た。人相の悪い脂ぎったヤクザのような顔をして、気持ちが悪いほど肥満した男の写真には確かに粗雑で乱暴な人間性を覚えた。こんな奴が、見たままの低劣なナショナリズムを振りまわすのは、本当に恐ろしいし、強い怒りを抑えられない。

 これが大阪維新の会だ。詭弁モンスターの橋下を取り巻くグループの姿は、そのまま政権を取る前のヒトラーのナチスと同じだ。こんな集団が、もし政権を取ったら、どんなに恐ろしい国家権力が生まれるかと思うと、日本に絶望しそうになる。

 「今回の問題を政争の具にするのはいかがなものか。子どもたちへの配慮が必要だ」として不信任決議に反対した共産党の感覚にも今さらながらに驚かざるを得ない。何が<政争の具>だ! 根本的な問題ではないか! 何が<子どもたちへの配慮>だ! 高校教育の政治的中立を侵す活動に巻き込まれた高校生たちの人権は、間違いを徹底的に糾弾することによってしか回復されないだろう! やっぱり共産党は異常だ。人間らしい反応ができない政党だ。昔から生理的に嫌いな政党だったが、今回の件でますます共産党の感性を信じられなくなった。公明党がすごくまともに見えてしまうぞ! やっぱり、おかしいやろう!共産党!

 今回の件は、美延映夫議長(大阪維新の会)を断じて赦してはならない! 議員辞職すべきだ!

3 009 姜尚中・中島岳志「日本(にっぽん)」(河出文庫;2008、2011) 感想5

2013年10月06日 00時52分13秒 | 一日一冊読書開始
10月5日(土):

268ページ  所要時間 7:30    ブックオフ250円

姜尚中58歳(1950生まれ)。中島岳志33歳(1975生まれ)。

最悪の読書だった。3週間ほど前に入手したものの、速読では歯がたたない内容であった。意外にも風呂でゆったりした状態で読むと心地よい読書になった。ただ、俺はあまり風呂には入らない。断続的に2hずつぐらいの読書を重ねて読み上げる結果になった。これは一冊を一日で読むという基本原則を大きく破ることであり、読書習慣の維持にも大きな悪影響だった。

内容は、トポス、パトリ、ネオリベ、パトス、ネーション、ステート、ナショナリズム、ネオコン、レガシー、右翼、左翼、保守、革新、宮崎滔天、大川周明、北一輝、西田哲学、三木清、丸山真男、北一輝、石橋湛山、岸信介、三島由紀夫、他難しい言葉・用語・人名のやり取りが行われて、容易には理解ができないが、二人の論者のパトリへのパトスが強くて、読んでいるその時だけは、何となく面白いと思い続けられた。岸信介を左翼だと論じているのは、鋭くかつ面白い指摘だった。

難しい言葉が飛び交っていても、二人の論者の熱い思いが伝わってくるので、単なる言葉遊びではなく、実のある充実した内容の読み物になっていた。従って、嫌々読んでいたわけではないのだが、なにぶん気軽に読める内容ではないので、仕事の忙しさに追われて弱っている気力、体力、視力ではやや長期にわたるバラバラ読書になってしまったのだ。

内容は、終始一貫して「真の保守とは何か」「真の右翼とは何か」という右側の立場から日本近代史・戦後史と日本の現状を論じあっている。読み進むと、世間の常識的見方をひっくり返すような内容がたくさん出てくるが、いずれも納得のいく説得力を持っていて腑に落ちるのが心地よい。

共感も、理解もそこそこできるのだが、むちゃくちゃ面白いというところまでは行かない気がしていたのだが、終りまで読み終わってみると、半分以上のページの角を折ってあった。そうなると、感想は5以外をつけることはできないだろう。

もう一度読み返したいか? と問われれば、「是非読み返したい」と言いたいところだが、自分の残された人生の時間を考えると一期一会で満足すべきかとも思うのである。

本書では、久しぶりに姜尚中先生の一流の政治学者としての熱気が伝わってきて心地よかった。一方、中島岳志氏については、詭弁モンスター橋下徹への有効で力強い批判者としては認識していたが、33歳でこれほどの充実したバックボーンを持っているとは「お見逸れしました」という感じだ。中島岳志氏は、保守の論客とされるそうだが、これほど実質の充実した保守の論客を初めて知った。彼の論説に対して俺は好意的に感じた。

*中:改めて今の現実政治にも話を広げると、新自由主義をきちんと潰すためには、一方では保守思想をちゃんと立てないといけないし、もう一方で社会民主主義をしっかりと確立しなければならない。この両者の対立が常にあり、バランスを取りあうのが、あるべき二大政党政治だと思いますが、今は下手をすると新自由主義内で二大政党ができそうになっている。これは非常に危ないと思いますね。略。やはり着実に二つの道を、保守と社会民主主義をちゃんと立てないといけない。174~175ページ

*姜:岸たちは、しきりに「日本の日本」を言いながら、やっぱり「アメリカの日本」を立ち上げた。そのアイロニーに、彼は気付いていたと思うけれど、その道をあえて選んだわけです。でも、安倍さんとかは、そういうのに気付かない。本当に子供っぽいんだよね。そういう人たちが、ここのところの日本を牛耳っていたわけ。222ページ

*中:(天皇の人間宣言をめぐって)その「かのように」をすべてひっくり返して、「王様は裸だ」と言った奴が偉い、という戦後に、三島は抗った。「王様が裸なのは、知っている」と。権力は見えないことにしている。あの王様は裸だという物語とは違ってみんな王様は裸だと分かっていながら、それを着ているかのごとく振る舞うことこそが、文明なんじゃないのか。略。役割を演じながら生きる、それが人間なんじゃないのか。そういうことがわからなくなった日本が、三島にとっては薄っぺらく見えてしまったのではないか。224~225ページ

※また書けたら書き足します。お休みなさいませ。

【目次】※コピペ
文庫版のためのまえがき
まえがき ──思想としての保守と右翼 中島岳志
第一章
■地方:松岡利勝氏の死、鈴木宗男氏の生/地方から根拠地の思想を/かつて、右翼は民衆の側にいた/農村が潰される前に/左右をばらして読み替える/参院選に噴出した恨み/地方の反乱は起きるのか?
■熊本:近代日本を産んだ“熊本”/パトリ再興の時代/「支配層」の欺瞞的保守/負けに殉ずる思想/熊本という思想のるつぼ/反東京、反国家/右翼ロマン主義の陥穽/熊本の悲劇から、可能性へ
■天皇:ネーションに回収されない在日/「歯止め」としての天皇制/記号としての天皇/公定ナショナリズムの危険/天皇制の奪還/主権のプリズム/なぜ国のために死ぬのか?/多民族国家・日本の天皇/いろんなパトリがあっていい
・・・間奏 花岡山から
第二章
■右翼:征韓論の「希望」と限界/右翼は自由民権運動に生まれた/伝統右翼と革新右翼/ロシア革命と右翼の変質
■保守:一国民主主義と反アジア主義/丸山眞男の位置/ネオコンの元祖は八紘一宇?/戦争と向き合う知識人/大川周明の諦念/ボースの「万歳!」と竹内の「万歳!」/「有事」の直観力がカギ
・・・間奏 早稲田の杜で
■民族:湛山的センスの特異さ/「すれっからし」の議論/近代貫く大衆の反逆(?)/保守と社民の再構築を/煩悶青年姜尚中の学生運動/東京への違和感、劣等感/戦争反対と言える愛国者
第三章
■文学:文学こそ最大の政治勢力/美学的政治の危うさ/私小説と新自由主義の直結
■戦後:北一輝、レーニン、岸信介の共通項/岸に流れるドイツ型前衛の血/満州を父、アジアを母として/革新vs革新としての六〇年安保/反米から従米の逆説/原爆という躓きの石/「アメリカ製の日本」という物語/三島が全共闘に言いたかったこと/三島の悲劇と喜劇
■根拠:ポストモダンでは生きられない/バブルと千尋の自分探し/根拠なきナショナリズムに国民はいない/根拠地から現状を打破せよ!
追加対談 2011年6月
■未来:リーマン・ショック後の日本/既得権益を敵視することによる連帯/依拠する場所を見失う人々/生きる現場に着床させる/新しい共同体へ
あとがき ──パトリの井戸を掘る 姜尚中

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)