もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

210530 一年前:9 051 司馬遼太郎「竜馬がゆく(六)」(文春文庫:1963)感想5

2021年05月30日 22時56分18秒 | 一日一冊読書開始
5月30日(日):
9 051 司馬遼太郎「竜馬がゆく(六)」(文春文庫:1963)感想5

5月29日(金):  421ページ       所要時間9:40         蔵書著者40歳(1923~1996:72歳)。キングダム実写版の放送録画(感想3+)を......

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210527 再掲:150914 日刊ゲンダイ:評論家・森田実氏が指摘「橋下徹氏は極右幼児性ニヒリスト」 「150808」も読んで!

2021年05月27日 22時35分47秒 | 一年前
5月27日(木):

150914 日刊ゲンダイ:評論家・森田実氏が指摘「橋下徹氏は極右幼児性ニヒリスト」 「150808」も読んで!
2015年09月14日 22時56分46秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」


(2015年)9月14日(月): 賛成議員を落選させよう!」(SEALDs)

「150808 諸悪の根源は、橋下徹だ!次いで慎太郎、次いで野田と前原の民主党 下っ端安倍ガキと一緒に消えろ!」と読み比べて下さい。  
  沖縄に学ぶべきと森田実氏(C)日刊ゲンダイ
日刊ゲンダイ評論家・森田実氏が指摘「橋下徹氏は極右幼児性ニヒリスト」  2015年9月14日
■気に入らないものを手当たり次第に破壊
 安保法案の審議が大詰めを迎える中、路線対立の末、維新の党から“創業者”の橋下徹大阪市長が離党した。今後、橋下氏は安倍首相に近い新党をつくるとみられるが、政界引退を表明しながら新党とは言動がメチャクチャだ。長年政界を見てきた政治評論家の森田実氏は既に3年前、著書「『橋下徹』ニヒリズムの研究」でズバリ、橋下氏の危うい本質を言い当てていた。
――維新の党の分裂騒ぎでは橋下さんの発言が毎日のように変わり、一体、何が起きているのか訳がわかりませんでした。
 あれほど無責任に発言がくるくる変わる政治家は、普通は大手マスコミから叩かれ、潰されるものです。ところが橋下さんだけは別格扱い。マスコミが許してきたので、言いたい放題が助長され、今回のように分裂する、しないで前言撤回しても批判されない。おかしなことです。
――橋下徹という政治家はどんな人物だとお考えですか。著書では「ニヒリズム」とおっしゃっていましたが。
 橋下さんは「極右」で「幼児性」を伴った「能動的ニヒリスト」だと思います。ニヒリズム(虚無主義)の圧倒的多数は「受動的」なんです。何もせずに、世の中なんて潰れてしまえばいいとひねている。歴史的には「左翼」が多く、一般大衆が虐げられている状況を改善するため、虐げている者たちをやっつけようというのが出発点でした。社会主義者や共産主義的な思想の人たちの一部が「左翼ニヒリスト」になったのです。一方、「能動的ニヒリスト」は、積極的に自ら秩序をブチ壊そうとする。「右翼ニヒリスト」は、絶対平和主義や戦争をしない戦後体制を壊す。民主主義や国民第一はけしからんという考え方。これに橋下さんの場合は「幼児性」が加わります。
――幼児性とはどういう特徴ですか。
 第1に、わがまま。前言を簡単に撤回する。発言とは別のことをどんどんやってしまう。子供が「あれが欲しい」と泣きわめくようなもので、欲しいものは我慢しない。第2に、礼儀を知らない。礼儀の根底にあるのは、自分以外の周囲の人に対する最低の思いやりです。礼儀は形だけのものじゃないかと言うけれども、少なくとも対人関係を重視する思考が伴う。つまり礼儀というのは、大人にだけ備わっているもので、子供にはありません。幼児が権力を握って、極右になり、手当たり次第に自分の気に入らないものを破壊している。それが橋下さんです。併せて、橋下さんに同調し、味方しているマスコミも幼稚化が著しい。
――マスコミも幼稚化している?
 マスコミは社会にとって一種の教育機関です。文化や学問、理想など、さまざまな考え方を供給する役割がある。ところが、ある時期からマスコミはその使命を放棄した。理想を失い、行き当たりばったりになり、権力の流れに身を任せるようになった。自分の力で立つことをやめ、幼児の特徴である「甘え」の論理がはびこるようになった。大新聞の社員は会社に甘え、会社は広告を出稿する企業や政府に甘える。その構造の中で育ってきた人たちが、マスメディアを支配している。そこに、橋下さんの幼児性を見抜けないメディアの堕落もあると思います。
――堕落したメディアが橋下さんを「カリスマ」にしてしまったということでしょうか。
 それに加えて、社会の欲求不満が橋下さんを押し上げた面もあります。日本全体が衰退していく中でも、大阪は衰退の色が濃い地域です。豊臣秀吉の時代は、大阪は日本の中心だった。大阪の人には、関東大震災の後は大阪が東京を支えたんだ、という誇りもある。だから、今はそれがないがしろにされているという、何ともいえないフラストレーションが大阪の人にはあるのです。特に主婦層や中小企業の経営者などが橋下さんの強力な支持者です。
■安倍首相と橋下市長は“双子”の同志
――そんな橋下さんに、安倍首相はエールを送り続けています。
 橋下さんと安倍首相は同質だからでしょう。2人は“双子”ですよ。私は安倍首相も橋下さんと同じ「能動的極右幼児性ニヒリスト」だと思います。やりたい放題、言いたい放題。戦争もいとわず、戦後の安定した秩序を破壊しようとしているのですから。安倍首相の「積極的平和主義」は戦争をしたいというのを隠すための“包装紙”にすぎません。もうひとり、石原慎太郎さんも橋下、安倍の2人と共通項がある。「目の寄るところへ玉が寄る」という昔の古い言葉がありますが、同類は集まるのです。橋下さんが政治の世界に出てきて、まず結びついたのが石原さんですが、彼は元祖極右ニヒリスト。戦争をやれ、中国はけしからんというのが石原さんの主張。右翼のキーワードである反共を強く打ち出し、平和共存という戦後体制の考え方を壊そうとした。石原、安倍、橋下という系譜です。
――彼らのような極右ニヒリストが、日本社会で権力を持つのはなぜでしょう。
 本質的には日本がいまだ米国の植民地になっていることと関係が深いと思います。左翼を嫌いな米国が極右的な思想を持った政治家を育ててきた。安倍首相は米国の対日政策の産物ですよ。戦争をしたがる政治家を育てることによって、半永久的に自衛隊を米国の下請け軍隊にさせる。集団的自衛権の解釈改憲と安保法案で、いまそれが成功しつつある。米国では共和党と民主党で政権交代がありますが、対日政策に関わっている連中はずっと代わっていないのです。アーミテージ(元国務副長官)、ジョセフ・ナイ(元国防次官補)、マイケル・グリーン(米戦略国際問題研究所アジア日本部長)ら、いわゆるジャパンハンドラーズが、もう30年くらいずっと携わっている。米国が対日政策の中で育て上げたのが安倍首相や橋下さん。そして、いまや安倍・橋下は同志の関係です。
――12月に大阪市長の任期が満了したら引退すると言っている橋下さんに対し、安倍首相は国政進出を促しています。
 橋下さんは今度は国政の場に出てくると思います。結局、橋下さんがこの時期に維新分裂に動いたことは、安保法案成立への援護になりました。与党は維新の対案の扱いで頭を悩ませていましたが、維新の混乱で対案を無視する理由ができ、原案のまま通すことができるようになった。これはすごい恩義です。だから安倍首相は橋下さんを利用するとともに、橋下さんに借りができたわけです。その借りにどう報いるか。来年の参院選での連携です。安保法案で支持率が下がった安倍自民党にとって、参院選は最大のピンチになる可能性もありますからね。連携とともに、橋下新党は安倍別動隊になり得る。例えば自民党が議席を15減らしても、橋下新党が15議席を取ればつじつまが合う。“双子の兄弟”が同志として連帯していく。そういう流れになるのは必然だと思います。
――極右幼児性ニヒリストの2人が連携し、この国のリーダーとして君臨するなんて恐ろしいことです。
 彼らは幼児ですから、指導者としての本質が備わっていない。ニヒリズムだから理想がない。日本人としてよって立つものがなく、米国の対日政策の手先になって戦争をしかねない人たちです。日本にとって大変な危機です。そこで、参院選に向け、いまモデルにすべきは沖縄なんですよ。
――沖縄ですか?
 沖縄では自民党が、これまで通り東京の政府と米国にぶら下がって生きていこうとする勢力と、革新を含めた草の根に支持される翁長知事を中心とする勢力に割れた。そして翁長さんら「オール沖縄」はいま、米軍基地の辺野古移設反対の一点に絞って戦っている。争点を複数にすると分裂のもとですから、一点でまとまるのは賢い。しかも「沖縄アイデンティティー」を強く打ち出している。同じことを日本全体でやれるかどうかです。「ジャパンアイデンティティー」の下で、「オール日本」を形成し、民主党も解党して、安倍・橋下政権を拒否するという一点で結集する。全選挙区で「オール日本」の候補者を立てれば、参院選で自民党をコテンパンにやっつけることができると思います。そうすればこの国は救われます。
▽もりた・みのる 1932(昭7)年、静岡県伊東市生まれ。東大工学部卒業。日本評論社出版部長、「経済セミナー」編集長などを経て、73年に政治評論家として独立。精力的な評論、執筆、講演活動を続けている。現在、東日本国際大学の客員教授も務める。
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210526 【社説】夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める

2021年05月26日 19時23分52秒 | 時代の記憶
5月26日(水):

朝日デジタル【社説】夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める
2021年5月26日 5時00分


 この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない。人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む政府、都、五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ。

 冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める。


生命・健康が最優先
 驚くべき発言があった。

 国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長が先週、宣言下でも五輪は開けるとの認識を記者会見で述べた。

 だが、ただ競技が無事成立すればよいという話ではない。国民の感覚とのずれは明らかで、明確な根拠を示さないまま「イエス」と言い切るその様子は、IOCの独善的な体質を改めて印象づける形となった。

 選手をはじめ、五輪を目標に努力し、様々な準備をしてきた多くの人を考えれば、中止はむろん避けたい。だが何より大切なのは、市民の生命であり、日々のくらしを支え、成り立たせる基盤を維持することだ。五輪によってそれが脅かされるような事態を招いてはならない。

 まず恐れるのは、言うまでもない、健康への脅威だ。

 この先、感染の拡大が落ち着く保証はなく、むしろ変異株の出現で警戒の度は強まっている。一般へのワクチン接種が始まったものの対象は高齢者に限られ、集団免疫の状態をつくり出せるとしてもかなり先だ。

 そこに選手と関係者で9万を超す人が入国する。無観客にしたとしても、ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり、活動し、終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ、また各地に散っていく可能性は拭えない。

 IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい、この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う。


「賭け」は許されない
 選手や競技役員らの行動は、おおむねコントロールできるかもしれない。だが、それ以外の人たちについては自制に頼らざるを得ない部分が多い。

 順守すべき行動ルールも詳細まで決まっておらず、このままではぶっつけ本番で大会を迎えることになる。当初から不安視されてきた酷暑対策との両立も容易な話ではない。

 組織委は医療従事者を確保するめどがつきつつあると言う。では、いざという場合の病床はどうか。医療の逼迫(ひっぱく)に悩む東京近隣の各知事は、五輪関係者だからといって優遇することはできないと表明している。県民を守る首長として当然の判断だ。

 誰もが安全・安心を確信できる状況にはほど遠い。残念ながらそれが現実ではないか。

 もちろんうまくいく可能性がないわけではない。しかしリスクへの備えを幾重にも張り巡らせ、それが機能して初めて成り立つのが五輪だ。十全ではないとわかっているのに踏み切って問題が起きたら、誰が責任をとるのか、とれるのか。「賭け」は許されないと知るべきだ。

 こうした認識は多くの市民が共有するところだ。今月の小紙の世論調査で、この夏の開催を支持する答えは14%にとどまった。背景には、五輪を開催する意義そのものへの疑念が深まっていることもうかがえる。

 五輪は単に世界一を決める場ではない。肥大化やゆきすぎた商業主義など数々の問題を指摘されながらも支持をつなぎとめてきたのは、掲げる理想への共感があったからだ。五輪憲章は機会の平等と友情、連帯、フェアプレー、相互理解を求め、人間の尊厳を保つことに重きを置く社会の確立をうたう。


憲章の理念はどこへ
 ところが現状はどうか。

 コロナ禍で、競技によっては予選に出られなかった選手がいる。ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ、それは練習やプレーにも当然影響する。選手村での行動は管理され、事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した、各国選手と住民との交流も難しい。憲章が空文化しているのは明らかではないか。

 人々が活動を制限され困難を強いられるなか、それでも五輪を開く意義はどこにあるのか。社説は、政府、都、組織委に説明するよう重ねて訴えたが、腑(ふ)に落ちる答えはなかった。

 それどころか誘致時に唱えた復興五輪・コンパクト五輪のめっきがはがれ、「コロナに打ち勝った証し」も消えた今、五輪は政権を維持し、選挙に臨むための道具になりつつある。国民の声がどうあろうが、首相は開催する意向だと伝えられる。

 そもそも五輪とは何か。社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典を強行したとき、何を得て、何を失うのか。首相はよくよく考えねばならない。小池百合子都知事や橋本聖子会長ら組織委の幹部も同様である。
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210523 「学校は混乱極めた」 現職校長、実名で大阪市長を批判 「提言」全文 ※同感、100%正しい!

2021年05月23日 15時05分37秒 | 時代の記憶
5月23日(日):  ※チンピラ維新。現場を知らずに思い付きの浅知恵で目立とうとはしゃいでは迷惑な失敗を繰り返す。吉村も松井も、こんなのばっかり。

朝日デジタル「学校は混乱極めた」 現職校長、実名で大阪市長を批判
2021年5月20日 21時30分


大阪市の松井一郎市長に「提言」を送った市立木川南小学校の久保敬校長。取材中はマスクをし、記者との間についたてを置いた=2021年5月18日、大阪市淀川区木川東1丁目、宮崎亮撮影

 大阪市立小学校の校長が、市の教育行政への「提言書」を松井一郎市長(57)に実名で送った。今回の緊急事態宣言中、市立小中学校の学習を「自宅オンラインが基本」と決めた判断について「学校現場は混乱を極めた」と訴える内容。全国学力調査や教員評価制度などにも触れ、子どもが過度な競争に晒(さら)され教師は疲弊していると訴えた。松井市長は20日、報道陣に「子どもの命を守ることを最優先にコロナ対応の手段としてオンラインを活用した」と反論した。(宮崎亮、加藤あず佐)

 現職の校長が実名で市長を批判するのは異例だ。提言書の筆者は大阪市淀川区の市立木川南(きかわみなみ)小学校(児童数140人)の久保敬(たかし)校長(59)。17日朝、松井市長宛てに封書で郵送し、山本晋次・市教育長にも同じ内容を送った。

 提言は、オンライン学習を基本とした松井市長の判断を「子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出している」と批判している。久保校長自身はSNSに投稿していないが、内容を聞いた知人が本人の許可を得て投稿し、広がっている。

 松井市長がこの判断を報道陣に表明したのは、府内で新型コロナウイルスの感染者が増えていた4月19日。これを受け市教育委員会は市立小では3限または4限から給食までを「登校時間」と決めた。家庭の要望がある場合、それ以外の時間も児童生徒を校内で預かることも求めた。今月17日、松井市長は宣言下で子どもが重症化した例がないとして、24日に通常授業を再開すると発表した。

 一方で小中学校の現場は、オンライン学習への対応や児童ごとに異なる登校時間の把握に追われた。保護者にも不安が広がっていた。久保校長の提言は「通信環境の整備など十分に練られること(が)ないまま場当たり的な計画で進められ」「保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」と書いた。

久保校長の「提言」を読んだ大阪市・松井一郎市長は「言いたいことは言ってもいい」としつつ、「ルールに従えないなら、組織を出るべきだと思う」などと述べました。記事後半で詳報します。

 久保校長の木川南小学校は独自の運用を続けてきた。緊急事態宣言が出る2日前の4月23日、「通常通りの時間で集団登校をし、オンライン学習の練習もしながら午前に4時間の学習をし、給食後の午後2時ごろ帰宅」との方針を決めた。市教委の方針では、預かりを希望するか否かで登校時間が異なるため集団登校ができなくなり「交通安全や不審者へのリスクが高まる」と考えたからだ。

 運用を始めた4月26日にアンケートしたところ、回答した保護者128人の約9割が「いつも通りの集団登校」に「賛成」と答えた。「家庭でのオンライン学習が始まったらお子さんは1人で学習できるか」との問いには「できない」が約51%、「わからない」が約24%だった。

 久保校長の提言書は、より広い教育行政の問題にも言及している。

 虐待や不登校、いじめ、10代の自殺増加にも触れ、「子どもたちを生き辛(づら)くさせているもの」に大人が真剣に向き合うべきだと書いた。「『生き抜く』世の中ではなく、『生き合う』世の中でなくてはならない」と訴えている。

 全国学力調査などについては、「子どもたちは、テストの点によって選別される」として危惧している。教職員の人事評価制度も「教育を活性化するものとしては機能していない」と批判し、教職員は「やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある」とも記した。

実名を出した理由は
 久保校長は取材に「(松井)市長が市長として仕事してはることに対しては敬意を持ってます」と話す。

 ただ、現場への意見聴取をせずトップダウンで「オンライン学習が基本」と決めたことについて、「テレビで(松井市長の発言を聞いて)僕らが知ることは、どうなんだろう?と思う」「プロセスが『これは民主主義なのかな』って。大げさに言うたらそんな風に思います」と疑問を呈した。

 5月中旬までに3回、大阪市の「市民の声」窓口に実名・肩書を出してメールで意見を伝えたが、方針が変わらないため手紙で市長らに提言書を送ったという。実名で送った理由を「37年間大阪で教員として育ち、本当に思っていることを黙ったままでいいのかなと。お世話になった先生方や保護者、担任をした子どもを裏切ってしまう感じがした」と語った。「今まで黙ってきた自分はどうなんやろうっていうのを、自分自身に問いかけた」とも述べた。

 大阪市立学校の人事権を持つ市教育長だけでなく、市長にも提言書を郵送したことについては、「教育長さんが(「オンラインが基本」の判断を)言ったわけじゃないので。言った人に言わないと」と話した。

大阪・松井市長「従えないなら、組織を出るべき」
 松井市長は久保校長の提言書をSNS上で読んだという。20日、報道陣の取材に対して自らの考えを語った。

 提言書が「競争社会」を批判した点については「校長だけども、(社会の)現場がわかってないというかね、社会人として外に出てきたことあるんかな」と言い、「今の時代、子どもたちはすごいスピード感で競争する社会の中で生き抜いていかなければならない」として、小中学校時代にそのための力を培うことが大事だと述べた。

 提言書にある人事評価制度への疑問や「教職員の疲弊」については「民間の会社であろうと、必ず評価のシステムがある。先生として、それは耐えられないと言うなら、仕事を変えたほうがいい」と話した。

 久保校長が実名で提言書を出したことは「言いたいことは言ってもいい」としつつ「(市教委の教育振興基本計画の)ルールに従えないなら、組織を出るべきだと思う」と述べた。

 自身が大阪府知事だった時代に府教育基本条例を成立させ、教委でなく首長が教育目標を決められる形を作ったことも説明した。

 提言書がSNS上で広まっていることについて、市教委は今後、市職員基本条例4条の「職務や地位を私的利益のために用いてはならず」に反するかどうかを確認するという。担当者は取材に「事実を確認して厳正に対処する」と話した。

 他の校長や教員たちは提言書をどう受け止めたのか。大阪市校長会と、久保校長の木川南小がある淀川区の校長会はいずれも「ノーコメント」としている。

 別の区の60代の市立小学校長は「声を上げにくい中でよく言ってくれた」と提言書の内容を支持した。区内の校長の間でも共感する声が多いという。「これまでも教育現場の声を聞かずに色んなことが決められてきた」。今回のオンライン学習の方針も同じだと感じるという。

 この校長の小学校では家庭の事情で8割強が1限目からの登校を希望。オンライン学習では集中力が続かない児童も多くプリントの答え合わせが精いっぱいだ。「多くの先生が、この混乱を予想していたはずだ」

 阿倍野区の市立小学校の50代男性教諭は通信環境が整わない中でオンライン学習を進めざるを得ず、児童の学習に遅れが出ていることに危機感を抱く。「私たちは決まった方針に対して何も言えず、従うしかない。諦めていたが、この提言に心から賛同したい」と話した。

 松井市長は20日、報道陣の取材に「僕は現場の声は、それぞれの部署の責任者からきちっと聞いています」と述べた。

 同日夕の市議会の委員会でも取り上げられた。かつて松井市長が代表を務めた大阪維新の会の議員からは提言書が広く出回っていることに対して、「あるまじき行為」とする批判の声が上がった。一方、市議会野党の会派「自民くらし」の議員は「先生一人ひとりの叫び声を、教育委員会は我がこととしてとらえるべきだ」と述べた。


大阪市立木川南小学校・久保校長の「提言」全文
2021年5月20日 21時30分

 大阪市淀川区の市立木川南小学校(児童数140人)の久保敬校長が、市の教育行政への「提言書」を松井一郎市長(57)に実名で送った。全文は以下の通り(原文ママ)。
     ◇

大阪市長 松井一郎 様

大阪市教育行政への提言

豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために

 子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。

 学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。

 今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないかとの思いが胸をよぎる。持続可能な学校にするために、本当に大切なことだけを行う必要がある。特別な事業は要らない。学校の規模や状況に応じて均等に予算と人を分配すればよい。特別なことをやめれば、評価のための評価や、効果検証のための報告書やアンケートも必要なくなるはずだ。全国学力・学習状況調査も学力経年調査もその結果を分析した膨大な資料も要らない。それぞれの子どもたちが自ら「学び」に向かうためにどのような支援をすればいいかは、毎日、一緒に学習していればわかる話である。

 現在の「運営に関する計画」も、学校協議会も手続き的なことに時間と労力がかかるばかりで、学校教育をよりよくしていくために、大きな効果をもたらすものではない。地域や保護者と共に教育を進めていくもっとよりよい形があるはずだ。目標管理シートによる人事評価制度も、教職員のやる気を喚起し、教育を活性化するものとしては機能していない。

 また、コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う一人一台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場では今後の進展に危惧していた。3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。

 つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛(づら)くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

 「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。世界の人々が連帯して、この地球規模の危機を乗り越えるために必要な力は、学力経年調査の平均点を1点あげることとは無関係である。全市共通目標が、いかに虚(むな)しく、わたしたちの教育への情熱を萎(な)えさせるものか、想像していただきたい。

 子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ。テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか。

 あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

 間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない。

 「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

 コロナ禍の今、本当に子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障していくかは、難しい問題である。オンライン学習などICT機器を使った学習も教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、それが子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもたちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。

 根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。

令和3(2021)年5月17日

大阪市立木川南小学校 

校 長 久保 敬
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210523 再掲:130517 共感!転載。 朝日新聞朝刊「声」欄「人を傷つける橋下氏の発言」 精神科医 山本裕子(松江市 46)

2021年05月23日 00時57分33秒 | 一年前
5月23日(土):

130517 共感!転載。 朝日新聞朝刊「声」欄「人を傷つける橋下氏の発言」 精神科医 山本裕子(松江市 46)
2013年05月17日 21時26分39秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

2013年)5月17日(金)

 先日来、ポピュリスト橋下と利己主義慎太郎の極右発言に胸くそ悪さが高じていた。公の場で、TPOをわざと無視して、「俺は本音で話してるんだ」と粋がって偉ぶり、ズボンどころかパンツまで下ろして陰部を見せて回っている露出狂の変態を見ているような気分だった。

 見たくもないし、見てはいけないものを、無理やり見せられた不快感に似ている。この期に及んで、どうしてこんな戯言(たわごと)を聞かせられないといけないのか。世の中には、言ってよいことと悪いことがある。ほんと馬鹿じゃないのか。

橋下が頭を下げるのは強者アメリカのみ、そのアメリカにも見放され橋下維新はお終いだろう。

 そんな中、本日の朝日新聞朝刊「声」欄に強く共感する投稿があったので転載する。


「人を傷つける橋下氏の発言」      精神科医 山本裕子(松江市 46)

 心の痛む事件は毎日のように耳にする。しかし日本維新の会共同代表で大阪市長を務める橋下徹氏の旧日本軍慰安婦をめぐる発言は、それらのニュースとは違う。戦時中の慰安婦を「必要」と発言し、批判を浴びたが撤回しない。憤りを通り越して不快だ。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状を持つ女性は、このようなニュースを聞くと病状が悪化する。心理的に再被害を受けるのである。

 橋下氏も維新の会共同代表石原慎太郎氏も、買春行為が合法的であったとしても性暴力であることが根本的にわかっていない。戦争中には合法的に人を殺す、だから人を殺すのは皆がやっていることで必要だと言っているのと同じではないか。「間違ったことであっても必要なら人を傷つけてもよい」という思想だと私には思えてならない。

 恐ろしいのは、明らかに間違っていると思われることを彼らが堂々と発言し、高圧的な態度で相手に無力感を与え、思考を停止させ、何も言えなくさせることだ。もし私が対談してもやり込められるだろう。

 発言は世界に発信され、日本の政治に影響している。放っておくわけにはいかない。一人一人が声を上げなくては大変なことになると感じ、初投稿した。


            (※すみません。一部写し間違えてました。訂正しました。5月25日)


 全く同感である。<人権>・<歴史>を軽んじる橋下ら右翼・保守政治屋らが一番好きな言葉が<国益>だが、その<国益>を今まさに冒しているのが、こいつらの妄言だ!

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210509 一年前:200508 一事が万事だ!:内田樹「『マスクを配る』って言ってからもう5週間。検査件数一日2万件にすると言ってからももう4週間。」

2021年05月09日 22時55分48秒 | 一年前
5月9日(日):

200508 一事が万事だ!:内田樹「『マスクを配る』って言ってからもう5週間。検査件数一日2万件にすると言ってからももう4週間。」

5月8日(金):   神戸女学院大名誉教授の内田樹氏 朝日新聞を熟読しても時代の問題点が漠然としてあやふやになるだけだが、日刊ゲンダイやリテラ、他スポーツ紙などのコラム記事を読......

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210506 【政界地獄耳】立憲民主党の国民投票法対応、付和雷同ではダメだ

2021年05月07日 01時29分46秒 | 時代の記憶
5月6日(木):  

日刊スポーツ【政界地獄耳】立憲民主党の国民投票法対応、付和雷同ではダメだ
2021年5月5日8時0分 

★ポリシーや筋とは、それが見当外れでも言い続けることが成果になることがある。自民党は憲法改正を党内の一部や、支持勢力の顔色を見るために訴え続けていた。安倍政権当時が、改正の機運が一番高まった政権だったが、党内には本気で改正する覚悟などなかったといえる。ところが北朝鮮からミサイルが飛んでくるとあおり選挙に勝ち、今回はコロナ禍を抑えるためとか台湾海峡波高しと言い続けると、また国民は憲法改正が必要なのではないかと考える。

★今回はそれだけではない。自民党が右派へのリップサービスを続けることで効果があるとみるや、立憲民主党も選挙で共産党の支持は黙っていてもついてくるが、自民党嫌いの保守層を取り込みたいがために、国民投票法の審議に応じる構えを見せた。自民党がポリシーや筋をかなぐり捨ててもウイングを広げていくことは国民政党としての宿命かもしれないが、今の立憲がやるべきことは基本政策を固めることだ。

★ウイングは徐々に広げることができるが毎回言うことが変わる政党は信用されない。または党首が変わることで、方向性に変化があるならばともかく、これでは合流協議をして多くが吸収された社民党の面々が浮かばれない。加えて国民は立憲が選挙のために魂を売り、目先の動きに右往左往する政党とみるだろう。党代表・枝野幸男は自らと党を過大評価している。本人は柔軟に対応していると考えているようだが支持者は変節漢ととるだろう。問われるのは筋とアプローチの仕方だ。国民投票法に条件付き賛成で一体幾人の支持者が増えるのか。若い政党は時流に乗るために結党時の理念から変節する場合があるが、それが党内の試行錯誤と切磋琢磨(せっさたくま)から生まれてくるならともかく、付和雷同ではダメだ。(K)※敬称略
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210505 映画「ベン・ハー」(1959)を観た。感想5

2021年05月05日 22時02分45秒 | 映画・映像
5月5日(水):  

若い時以来、数十年ぶりに、この映画を最後まで通して観た(3h36m)。
最後のイエスの死によるハンセン病者救済のシーンだけは、印象として残っていた。
「もののけ姫」の最後の癒しのシーンがこのシーンと重なって見えた。
壮大な叙事詩ではあるが、宗教色の非常に強い映画だったのだ改めて認識した。
アメリカが最も自信にあふれていた当時、ティベリウス帝のローマ帝国は、
アメリカそのものであり、それを批判するユダヤの指導者ベン・ハーは
より強くキリスト教への回帰を求めるアメリカのもう一つの面なのかもしれない。

時間数だけで言えば、わずかなはずのイエスの存在と彼が生きたローマ時代が印象的で
わかりやすかった。キリスト教とローマ帝国の関わりをイメージするのによかった。
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210504 れいわ新選組 2021.5.3 山本太郎 代表談話「憲法記念日」 

2021年05月04日 12時54分00秒 | 考える資料
5月4日(火):  

2021.5.3 山本太郎 代表談話「憲法記念日」
2021年5月3日 れいわ新選組


言うまでもないが、憲法はこの国の最高法規である。
憲法を遵守しない政治は存在自体許されない。

憲法第九十九条 
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

しかし、数十年にわたり、憲法違反上等の政治が続いている。

改革の名の下に利益は特定の者に流れ、
労働環境は破壊、税の取り方を歪めるなど、
この国に生きる人々への搾取によって、
一部の者は利益が拡大する一方、
多くの人々は一生懸命働いてもまともに暮らせない状態がスタンダードとなった。

厚生労働省・令和元年度(2019年)実施の最新の国民生活基礎調査では、
生活が「苦しい」「やや苦しい」と 感じている世帯の割合が、
全世帯で54.4%、母子世帯では86.7%。

所得の低い人から高い人までを順番に並べた中央の値では、
1995年調査で545万円。
2019年調査では437万円に。
約25年のデフレによって中央値は約108万円も低下。
社会全体で貧しくなった。

憲法15条を無視し、
一部のみの奉仕者となった政治が、憲法25条も守られない現実を作り、
25年以上デフレが続く異常な国となり、衰退国家へと転落した。

憲法第十五条 ② 
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

憲法第二十五条 
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、
社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

そこに加えて新型コロナの到来。
さらに需要が減り、仕事や所得を減らす、失うものは増えている。

「野村総研」の調査では
パート・アルバイトの中で「実質的失業者」は、
女性で103万人、男性で43万人と推計。

「労働政策研究・研修機構(JILPT)」の調査では、
女性の収入が1割以上減った家庭では、
5世帯に1世帯が食費の切り詰めを行い、
1割弱が公共料金の滞納をしているという。

終わりの見えない疫病に対し、救済策を絞り、
緊急事態発令を鑑みての今年度補正予算も組まないと宣言。
つまりは、力のない者は倒れろと言う通告である。
恐らく選挙が近くなれば、買収感覚で補正予算を組む動きにもなろうが、
それでは遅すぎる。

人々の救済が目的ではなく、
自分たちに有利となるバラマキはどのタイミングか、
今ではない、と言うだけの話なのである。
勘違いされては困る。

権力者気取りのようだが、
総理や大臣や国会議員など、ただの公僕にすぎない。
期間限定の店長や従業員の集まりである。

勝手な国の運営を行うならば、やめていただく他ない。
その選択の場が選挙である。

間違った政策の積み重ねにより25年以上に及ぶデフレに加えて新型コロナ。
徹底した疫病対策は行わず、混乱に乗じた火事場泥棒を続け、
オリンピックまで決行するという狂気。
これらを正気に変えていくのは、この国のオーナーであるあなた、
この国に生きるひとり1人である。

憲法第十二条 
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない。

この大災害を前に、プライマリーバランスの黒字化、
財政規律、コロナ後の増税の必要性を訴える政治家は退場させていただきたい。

加えて、多くの人々が苦しむコロナ災害の中で、
優先順位もつけられない間抜けたちにも退場願わなければならない。
人々への救済も十分に行わない上に、
守られてもいない憲法を変えるための段取りを進めようとする政治勢力、
そこに足並みを揃えて懐の深さを示そうとする与党仕草の野党勢力もである。

今、政治に必要なのは、貴族ではなく、この国を守るためにはまずあなたを守る、
という徹底した財政出動を始めなければならない、と理解する者である。

大胆な政府支出と徹底したコロナ対策によって、
25年以上のデフレと疫病に傷ついた社会の手当をみんなでやっていこう。

年200兆円規模の通貨発行であれば、インフレ率2%にも達せず、
毎年の財政出動可能であることはハッキリしている。

ひとり1人に対して大胆に経済的な底上げを行いながら、
まずは憲法が守られる政治、社会を作っていこう。
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210502 一年前:9 043 東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇跡」(角川文庫:2012)感想4+⇒やっぱり5

2021年05月03日 01時23分05秒 | 一年前
5月2日(日):

9 043 東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇跡」(角川文庫:2012)感想4+⇒やっぱり5

5月1日(金):      413ページ       所要時間8:40       古本市場86円著者54歳(1958生まれ)。大阪府出身。年齢、仕事、体力、視力、子育......

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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)