もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

6 021 エマニュエル・トッド「問題は英国ではない、EUなのだ」(文春新書:2016、9月)感想4

2017年01月31日 01時09分32秒 | 一日一冊読書開始
1月30日(月):   副題「21世紀の新・国家論」、堀茂樹(訳)

254ページ    所要時間1:40     図書館

著者65歳(1951生まれ)。フランスの歴史人口学者・家族人類学者。

 1ページ15秒の眺め読み。細かいことはわからないし、知る必要もないが、大筋で言いたいことは分かった。ゆっくり読めば、感想5だが、眺め読みではこの程度だった。

 要するに、日本の知識人が見ている国際社会への見方を国際人としての意識を持ったフランス人から見てひっくり返す内容だった。しかし、そのひっくり返し方は、バランス感覚と相応の痛みに裏打ちされたものであり、全か無か、善か悪か的なひっくり返し方ではない。

 イギリスがEUを飛び出したのは身勝手ではない。むしろドイツが暴走気味だ。イギリスの次にEUを出るのはフランスだ。ロシアの人口は1億4000万程度、いまさら恐れるほどのこともない。1世紀遅れのナショナリズムの中国の未来はむしろ不安定であり、恐れるよりは支える方がよい。先進国の多くが移民問題で困難にぶつかっているが、一方で人口減少の深刻な日本は多少の汚れをかぶっても移民受け入れに取り組んだ方がよい。イスラム教シーア派はプロテスタントだ。ドイツでナチスが拡大したところはルター派が崩れたところと重なる。etc.

 眺めながら、世界を空間的に俯瞰し、時間軸から眺め直したり、視点が新鮮だった。特に量は多くないが、日本に対する見方、提言は「なるほど」と思った。

【目次】日本の読者へ――新たな歴史的転換をどう見るか?
1 なぜ英国はEU離脱を選んだのか?
2 「グローバリゼーション・ファティーグ(疲労)」と英国の「目覚め」
3 トッドの歴史の方法――「予言」はいかにして可能なのか?
4 人口学から見た2030年の世界――安定化する米・露と不安定化する欧・中
5 中国の未来を「予言」する――幻想の大国を恐れるな
6 パリ同時テロについて――世界の敵はイスラム恐怖症だ
7 宗教的危機とヨーロッパの近代史――自己解説『シャルリとは誰か?』

【内容紹介】大ベストセラー『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』に続く第2弾! 現代最高の知識人、トッドの最新見解を集めた“切れ味抜群”の時事論集。テロ、移民、難民、人種差別、経済危機、格差拡大、ポピュリズムなどテーマは多岐にわたるが、いずれも「グローバリズムの限界」という問題につながっている。英国EU離脱、トランプ旋風も、サッチャー、レーガン以来の英米発祥のネオリベラリズムの歴史から、初めてその意味が見えてくる。本書は「最良のトッド入門」でもある。知的遍歴を存分に語る第3章「トッドの歴史の方法」は、他の著作では決して読めない話が満載。「トッドの予言」はいかにして可能なのか? その謎に迫る! 日本オリジナル版。
 「一部を例外として本書に収録されたインタビューと講演はすべて日本でおこなわれました。その意味で、これは私が本当の意味で初めて日本で作った本なのです」(「日本の読者へ」より)
 「今日の世界の危機は『国家の問題』として捉えなければなりません。中東を始めとして、いま真の脅威になっているのは、『国家の過剰』ではなく『国家の崩壊』です。喫緊に必要なのは、ネオリベラリズムに対抗し、国家を再評価することです」(本文より)
「イギリスのEU離脱は、『西側システム』という概念の終焉を意味しています」(本文より)


【メディア掲載レビュー】
  アングロサクソンの世界に変化がはじまった
  日本で自分の本がこんなに売れるなんて信じられませんが、その後の動きを見ると、英国EU離脱を評価し、これをネオリベラリズムとグローバリズムとの決別と見た私の見解は、基本的に間違っていませんでした。ところが変化のスピードは、私の予想をはるかに上回っています。
  10月5日の保守党大会でのメイ英首相の演説は驚くべきものでした。「特権と権力のある人々によって労働者が無視されている」「過去の保守党は国家の市場介入を控えてきたが、政府として雇用を守り、適正に機能しない自由市場は修理するつもりだ」「そして保守党こそが『普通の労働者階級の人たちの党』になるべきだ」と。まるで左翼政党の主張です。私は本書で「イギリスでは、『右』のエリートの一部分が、エリート層に反発する民衆の指導者になり得る」という期待を表明しましたが、英国保守党の変貌は期待以上です。
  歴史家として2016年をこう定義したい。「英米仏という民主主義の三大国において左派が右派でしかなくなった年である」と。英国の労働党、米国の民主党、仏国の社会党という左翼政党は、グローバリゼーション――ヒトとカネの移動の自由――から恩恵を受ける高学歴のエスタブリッシュメントの声を代弁し、これに反発する大衆を「ポピュリズム」として批判する。各国のリベラル派メディアもこれに追随しています。どの先進国でも高等教育の進展に伴う階層化によって社会が分断され、そこで「高学歴の左派」が「アンチ大衆」の態度を取っている。英国EU離脱とトランプ旋風は、グローバリズムとネオリベラリズムにこれ以上耐えられないという大衆の「民意」の現われです。
  英米におけるこの“左右"転換は、グローバリズムとネオリベラリズムの終焉を意味します。英国では、右派であるはずの保守党が大衆の声を受け止め、見事に変貌している。私はトランプ礼賛者ではありませんが、グローバリズムとネオリベラリズムに固執する民主党のエスタブリッシュメントに反発するトランプの支持者は、トランプ本人以上にリーズナブルです。変化にすばやく柔軟に適応できるのが、アングロサクソン社会。またもや英米社会は、世界に先んじて変化を遂げようとしているのです。
  これに対し、ドイツに支配された大陸ヨーロッパには死があるのみ。当初、遅れていたヨーロッパは、経済的グローバリゼーションの上に、諸国家の政治的廃止というイデオロギー的な夢を重ねることでグローバリゼーションの作用をいっそう悪化させています。
  それに比べて、日本は「国家」として機能している。政治的に何ら決断できないEU諸国と異なり、貿易の依存度も適正水準で、独自の通貨政策もある。
  しかし、そんな日本にも問題はある。それは経済問題ではありません。むしろ問題は「人口」と「安全保障」です。高度なロボット技術でも人口問題は解決できない。より多く受け入れるべき移民も根本的な解決策にはならない。女性が仕事と育児を両立できるよう国家が介入し、出生率を上昇させなければ日本は存続できない。愛する日本の消滅など見たくありません。
評者:西 泰志(週刊文春 2016.11.06掲載)

170128 佐藤優;琉球新報&朝日新聞【社説】悪質なデマ拡散する東京MXテレビ

2017年01月29日 02時03分07秒 | 時々刻々 考える資料
1月28日(土):


琉球新報【社説】沖縄ヘイト告発 辛淑玉さんを支持する  2017年1月28日 06:01
  デマを拡散し、基地のない平和な島を望む市民に対する憎悪を扇動するような番組を、看過するわけにはいかない。
  東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)の番組「ニュース女子」が米軍北部訓練場のヘリパッド建設に反対する市民を中傷した問題で、名指しされた市民団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉(シンスゴ)さんが、放送倫理・番組向上機構(BPO)に対し、訂正放送や謝罪など人権救済を申し立てた。辛さんの申し立てを全面的に支持する
  「ニュース女子」は1月2日の放送で沖縄の基地問題を特集し、ヘリパッド建設に反対する市民を「過激派デモの武闘派集団『シルバー部隊』」とレッテルを貼り、「テロリスト」呼ばわりした。「反対派が救急車を止めた」と虚偽の放送をし、危険でもないのに現場を取材せず「反対派の暴力で近寄れない」と印象操作する。辛さんについては「反対運動を扇動している黒幕」「反対運動参加者に『日当』を出して『雇い入れ』ている」などとやゆした。
  「ニュース女子」は16日の放送の最後にテロップで「様々なメディアの沖縄基地問題をめぐる議論の一環として放送致しました」と開き直った。制作したDHCシアターは、番組への批判について「誹謗(ひぼう)中傷」と反論し、「基地反対派の言い分を聞く必要はない」と居直っている。
  対立した見解がある場合、双方の言い分を取材するのは報道のイロハである。東京MXテレビはそれを怠り、取材を受けていない辛さんを公共の電波を使って誹謗中傷した。同時に新基地建設に反対する人々を事実に基づかず中傷し、おとしめた。まさに「沖縄ヘイト」である。
  辛さんが指摘するように番組が「『まつろわぬ者ども』を社会から抹殺するために、悪意を持って作られ、確信犯的に放送された」のであれば、報道機関として一線を越えている。権力の監視こそ報道の使命であるはずなのに、70年以上も基地を押しつけられ構造的差別にさいなまれてきた沖縄と向き合う姿勢が全くみられない。
  BPO放送人権委員会の厳正な審議・審理を望む。東京MXテレビに対して、あらためて番組の訂正および辛さんと誹謗中傷された人々への謝罪、損なわれた人権の回復を求める。

朝日新聞【社説】「偏見」番組 放送の責任わきまえよ  2017年1月28日(土)付
  事実に基づかず、特定の人々への差別と偏見を生むような番組をテレビでたれ流す。あってはならないことが起きた。
  地上波ローカル局、東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)が、今月2日放送の「ニュース女子」という番組で、沖縄・高江に建設された米軍ヘリパッド問題を特集した。
  驚くのはその内容だ。
  軍事ジャーナリストを名乗る人物の現地報告は、建設に反対する人たちを遠くから撮影し、「テロリスト」「無法地帯」などと呼んだ。「過激な反対運動の現場を取材」とうたいながら実際には足を運ばず、約40キロ離れたところからリポートした。
  不可解きわまりない「取材」であり、論評である。
  反対運動を支援してきた市民団体「のりこえねっと」の辛淑玉(シンスゴ)さんは、番組で「運動を職業的に行っている」などと中傷されたとして、放送倫理・番組向上機構(BPO)放送人権委員会に人権侵害を申し立てた。
  当事者の動きとは別に、放送番組の質の向上をめざしてBPO内に設けられている放送倫理検証委員会も、MXテレビに報告を求めている。
  権力の介入を防ぎ、放送・表現の自由を守るためにNHKと民放連が設立した第三者機関のBPOにとっても、存在意義が問われる案件だ。視聴者・国民が納得できる対応を求めたい。
  問題の番組は化粧品会社DHC系列の制作会社がつくった。動画サイトでも公開されてはいるが、周波数が限られ、公共性が高いテレビ電波が使われた点に見過ごせない問題がある。
  放送法は、報道は事実をまげないですることや、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることを定めている。MXテレビは、番組の意図や放送までの経緯、社内のチェック体制などを早急に検証し、社会に広く説明すべきだ。
  抗議に対し制作会社はウェブサイト上で、反対派を「犯罪や不法行為を行っている集団を容認している」などとして、「言い分を聞く必要はない」と述べた。開き直りというほかない。
  気になるのは、反基地運動に取り組む沖縄への、根拠のない誹謗(ひぼう)中傷が、この数年、高まっていることだ。舞台はネットから街頭に広がり、今回はテレビで公然と語られた。
  放送は健全な民主主義を発展させるためにあり、番組は明らかにその逆をゆく。対立をあおり、人々の間に分断をもたらすことに放送を使う行いは、厳しく批判されなければならない。

170126 朝日【社説】退位の論点 結論への誘導が過ぎる

2017年01月26日 00時55分01秒 | 時々刻々 考える資料
1月25日(水)

朝日デジタル【社説】退位の論点 結論への誘導が過ぎる   2017年1月25日(水)付
  天皇陛下の退位をめぐり政府が設けた有識者会議が、論点と考え方を整理して公表した。
  事実上、退位を認める前提に立ち、「将来の天皇も対象とする法制度とするか、今の陛下に限るか」について、それぞれの積極論と課題を並べている。
  実際は、将来の天皇も対象とする場合の課題をことさら多く挙げる一方、「一代限り」の利点を詳述しており、後者を推しているのは明らかだ。
  朝日新聞の社説は、この会議の姿勢に疑義を唱えてきた。
  一代限りとは、次代に通じる退位の要件や基準を示さず、対応をその時どきの状況にゆだねることを意味する。すると、どんな事態が起きるか。
  容易に考えつくのは、政権や国会の多数を占める与党の意向で、天皇の地位が左右される恐れが高まることだ。決まりがないまま、退位の前例だけが存在する状況は好ましくない。
  ところが論点整理では、逆に「一般的な要件を定めると、時の政権の恣意(しい)的な判断が、その要件に基づくものであると正当化する根拠に使われる」との見解が示されている。
  ルールがあると権力の勝手を許すという主張で、理解に苦しむ。この論法に従えば、世の中に法律や規則はないほうがいいという話にもなりかねない。

  衆参両院の正副議長、首相、最高裁長官らで構成される皇室会議の位置づけも不明だ。
  周囲の強制や天皇の自由意思で退位が行われるのを防ぐ策として、多くの専門家が皇室会議の議決を要件のひとつとする案を示している。これについて論点整理は「三権分立の原則にかんがみ不適当」との意見を対置し、消極姿勢をにじませた。
  皇室会議は皇位継承順位や皇族の結婚、身分の離脱、摂政の設置などを審議する機関だ。
  退位に関する手続きにかかわることが、なぜ三権分立を侵すのか。皇室会議の議によって決める事項と天皇の退位とは、本質において、どこが、どう違うのか、詳しい説明はない。
  このように論点整理には、理屈や常識、これまでの歩みに照らして首をひねる記述が散見される。「一代限り」で事態を収束させたい政権の意向を尊重するあまりの結果ではないか。
  いま提起されているのは、象徴天皇の役割とは何か、その地位を高齢社会の下で安定的に引き継いでいくにはどうしたらいいか、という重い問題だ。
  論点整理がもつ欠陥や思惑を見抜き、多くの国民が納得できる結論に向けて議論を深めることが、国会には求められる。

170125 元慰安婦問題 NHKは最後の矩をこえた。

2017年01月25日 18時14分25秒 | 徒然・雑感
1月25日(水)
 昨夜、クローズアップ現代+「韓国 過熱する”少女像”問題~初めて語る元慰安婦たち~」を観た。NHKは、やはり最後の矩をこえてしまったようだ。
 まず、視聴者の中で従軍慰安婦が、どういうものであったかしっかりとイメージできる者が何%いるのか。従軍慰安婦の悲惨さが説明されることなく、2014年の日韓合意違反ばかりが強調される。
 実際には、元慰安婦たちは90歳を超えていて、認知症や寝たきりで自分自身の意志をきちんと語れている人はほとんどいない。家族が代わりに語る形が、「初めて語る」ことになるのか? 問題を長引かせている責任を韓国側の一部の運動家、学生たちに帰してしまって、彼らこそが元慰安婦とその家族を苦しめている、という本末転倒の図式を作って見せていた。しかも、女性の人権問題を誤魔化す番組内容の司会を女性の鎌倉千秋アナウンサーにやらせている。

 この番組内容を韓国側のテレビ局が作ったのであれば何とか理解できるが、日本側のテレビ局が作ったのでは意味は逆転する。問題は解決に向かうどころか全く反省の意志がないことを示し、全く許されない内容のドキュメンタリーと言えるだろう。こういう内容の番組を作りたくなる気持ちはわかるが、安易に作らないで踏みとどまっているのがメディアとしての良識だったはずだ。そういう一線を越えた内容だった、と思う。

170124 <退位>学友ら、一代限りに懸念 「陛下の真意置き去り」(毎日新聞)

2017年01月24日 20時27分34秒 | 時々刻々 考える資料
1月24日(火):

毎日新聞<退位>学友ら、一代限りに懸念 「陛下の真意置き去り」  1/24(火) 6:01配信

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に出席した安倍晋三首相(左から3人目)。同4人目は座長の今井敬経団連名誉会長=首相官邸で2017年1月23日午後6時16分、西本勝撮影

  安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の論点整理が公表され、天皇陛下の退位に向けた動きが前進した。だが、今の陛下に限り退位を認めるとの方向性が強まっていることに、元側近や学友から「陛下の真意が取り残されているようにみえる」との声が上がっている。【高島博之、山田奈緒】
  陛下を身近で支える侍従や侍従次長などを1995~2012年に務めた佐藤正宏さん(75)は、退位を認める流れについて「象徴としての活動を全身全霊でなさることができる状態で、途切れることなく次の世代につなげられる」と安堵(あんど)する。一方で、論点整理が一代限りの退位を実現する方向に傾いている点は「必ずしも議論が万全ではないように思う」と指摘する。「陛下は積極的に人々と言葉を交わし、心を通わせることを大切にされ、象徴天皇の在り方をそこに求めてこられた。いまの議論は、象徴天皇の在り方といった本質的な議論が深まらないまま進んでいる」
   <ご高齢で大変そう><ゆっくりしていただきたい>……。陛下へのこうした声は、「感情論」に聞こえると佐藤さんは言う。「陛下は感情論ではなく、国民の要請に応えながら安定した皇位継承を確保するため、制度はいかにあるべきかを考えてこられたと思う」
   学習院高等科まで陛下の同級生だった明石元紹(もとつぐ)さん(83)は、「皇室典範の改正で退位を制度化することを望んでおられると思う」と話す。陛下は昨年8月8日のおことばで「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」と述べた。このことを明石さんは「自分が疲れたから辞めさせてほしいと言っているのではない」と受け止めている。
   明石さんは昨年7月21日夜、陛下と電話で話した。陛下は退位について「国のための制度がある以上、合理的でいつも変わらない形にならないと意味がない」と述べたという。明石さんは「こうした考えが理解されないまま議論が進むことへの危機感」を抱き、電話の内容を報道機関に明らかにした。「今回も、次の天皇の時も、一代限りで対応すればよいというのではあまりに皇室の存在を軽視している。将来に向けて皇室のあり方を真剣に考えてもらいたい」と話した。
   ジャーナリストの田原総一朗さんの話 高齢化は今の天皇陛下に限った問題ではなく、皇室典範改正で対応すべきだが、実現には時間がかかる。特別立法で対応しながら改正に向けた準備をする二段構えの議論が必要ではないか。有識者会議は、陛下の意向を受けて直接政府が動いたとの形にしないための議論の場だ。「一代限りの退位容認」という流れは予想されたが、今後も安定した皇位継承には女性天皇などを含めた議論が必要だ。
   横田耕一・九州大名誉教授(憲法学)の話 有識者会議では、憲法に規定された天皇の公務と、実際の活動内容について、国民に理解が広がらないまま識者それぞれが望ましい天皇像を語っている。現行制度と現状のずれについて議論を尽くしてこそ制度をどうするかの検討に進めるはずで、今の議論は拙速だ。このまま一代限りの退位を認めることになると「陛下のわがまま」という印象が残り、陛下に失礼だ

170122 自戒のために:(政治断簡)怖い強いコワい 政治部次長・高橋純子

2017年01月22日 15時16分42秒 | 時々刻々 考える資料
1月22日(日): 自戒のために。

朝日デジタル(政治断簡)怖い強いコワい 政治部次長・高橋純子 2017年1月22日05時00分
  新年明けましていまさらおめでとうございます。14字×90行、この「政治断簡」なる土俵に立つこと11回目、気分はいつも土俵際のカド番次長です。どすこい。
  大相撲初場所はきょう千秋楽。昨年の初場所で優勝した琴奨菊は7度目のカド番をしのげず大関陥落が決まった。
  肉体と精神と。しのぐことの難しさと大切さを説いたのが、作家・色川武大だ。
  10代でばくちの世界に身を投じ、徹夜麻雀(マージャン)明けの「朝だ、徹夜」にかけた阿佐田哲也のペンネームで「麻雀放浪記」を著した色川。独特の人生観がつづられた「うらおもて人生録」を読むと、「強い」の捉え方が変わってくる。
     *
  「本当に一目おかなければならない相手は、全勝に近い人じゃなくて、九勝六敗ぐらいの星をいつもあげている人なんだな」「十四勝一敗の選手を、一勝十四敗にすることは、それほどむずかしくないんだ。ところが、誰とやっても九勝六敗、という選手を、一勝十四敗にすることは、これはもう至難の技だね」
  一発全力主義のアマチュアと違い、プロは持続を旨とすべし。そのために大事なのは六分勝って四分捨てること。適当な負け星を選んで、大負け越しになるような負け星を避けること。「この神経がフォームとして身についたら、ばくちに限らず、どの道でも怖い存在になるんだけどね」
  なるほどそうかそうかもねと縦に振った頭にふと浮かんだのは安倍晋三首相。我ながら、少しく意外だった。
  一強かつ強権。イケイケドンドン太鼓を好き放題打ち鳴らしている感のある首相だが、色川色の眼鏡で色々見直すと――。
  1次政権の時は全勝を狙い、力任せに勝つには勝つがロスも多く、1年でポキッと折れて大負け越し。
     *
  翻って今、とにかく長く首相でいるために、捨てられるものは捨てる。戦後70年談話や慰安婦問題をめぐる日韓合意、昨年の真珠湾訪問。従来の主義主張に照らせば齟齬(そご)があるはずのこれら、勝ち星としてではなく、大きく負け越さないための星として積まれているのかも。一世一代の大勝負、憲法改正で勝つために……怖い? いや、手強(ごわ)い。
  しかし本当にコワいのは、そんな首相と相対する側の「負け癖」だ。色川は、負け続けると身体の反応が違ってくると言う。「感性がにぶくなって、負けを負けとして認識できなくなる。これが怖いんだ」
  例えば先の国会、「カジノ法」をめぐる民進党の迷走や蓮舫代表のどうにも芝居がかった語り口は典型だろう。本気で怒っている、その熱が伝わってこない。野に在る者が野性味を手放したら、ナメられるだけだぜ。現に首相は施政方針演説で「国会の中でプラカードを掲げても、何も生まれません」。
  だが、言論の府をおとしめているのはそもそも誰か。「何も生まれない」なんて首相に言われる筋合いは、ない。
  負け癖を払って野性を取り戻せ。まずは腹から声を出すのだ。ワタシもアナタも、はい、ハッケヨイ、ノコッタ。

170121 (高橋源一郎の「歩きながら、考える」)皇居で手を振る、人権なき「象徴」

2017年01月22日 00時37分57秒 | 時々刻々 考える資料
1月21日(土):
朝日デジタル(高橋源一郎の「歩きながら、考える」)皇居で手を振る、人権なき「象徴」
                                      2017年1月19日05時00分
  国家や社会の中で天皇をどう位置づけるのか。退位をめぐり、改めて問い直されています。作家・高橋源一郎さんが、皇居へ足を運んだうえで考察しました。寄稿をお届けします。
  12月23日、わたしは朝から、天皇の一般参賀を待つ人たちの長い列の中にいた。観光客と思われる外国人の姿も多かった。定刻になると、係の警官たちに促されるように、わたしたちは、皇居の中に入っていった。皇居に入るのは初めての経験だった。
  午前10時を過ぎて、広場に面した宮殿のベランダに、「その人」が現れた。一斉に、日の丸の小旗が振られたが、それは、もしかしたら、写真を撮るために向けられたスマートフォンの数よりも少なかったかもしれない。
  「その人」は、小さな紙を取り出して、静かに読みあげた。
  「誕生日にあたり寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。ニュースで伝えられたように、昨日は新潟で強風のなか、大きな火災がありました。多くの人が寒さのなか避難を余儀なくされており、健康に障りのないことを願っています。冬至が過ぎ、今年もあとわずかとなりましたが、来年が明るく、また穏やかな年となることを念じ、みなさんの健康と幸せを祈ります」
  「その人」とその家族は、何度も手を振り、やがて、ベランダを背にした。その姿を見ながら、わたしは表現し難い感情を抱いた。そして、半世紀以上も前に書かれた、ある文章を思い出した。
  1947年1月、「進歩派」の代表的な作家・中野重治は「五勺(しゃく)の酒」という文章を雑誌に発表し、大きな話題となった。中野は、憲法公布の日、それを告げる天皇の姿を皇居前で見たある中学校長の思い、という形でその文章を書いた。それは、奇妙な文章でもあった。天皇(制)批判が「進歩派」の普通の感覚であった時代に、中野はこう書いていたのだ。
  「僕は天皇個人に同情を持っているのだ……あそこには家庭がない。家族もない。どこまで行っても政治的表現としてほかそれがないのだ。ほんとうに気の毒だ……個人が絶対に個人としてありえぬ。つまり全体主義が個を純粋に犠牲にした最も純粋な場合だ。どこに、おれは神でないと宣言せねばならぬほど蹂躙(じゅうりん)された個があっただろう」
  個人の人権を尊重した憲法の公布を告知する天皇の姿に触れながら、誰も、その天皇自身の「人権」には思い至らない。その底の浅い理解の中に、中野は、民衆の傲慢(ごうまん)さと、「戦後民主主義」の薄っぺらさを感じとったのである。
  わたしが、手を振る「その人」たちを見ながら感じた思いも、中野のそれに近いものだったのかもしれない。中野の指摘に、誰よりも敏感に反応したのは、実は、いまの明仁天皇だったのではないか。わたしには、そう思える。明仁天皇が、中野の文章を読んでいるのかどうかはわからないが。
  明仁天皇は、天皇即位後、25万字にのぼる「おことば」を発表している。明仁天皇の、第一の「仕事」とは、「おことば」を発することなのだ。ここしばらく、わたしは、その、膨大な「おことば」を読んで過ごした。そこには、迷い、悩み、けれども愚直に世界とことばで対峙(たいじ)しようとしている個人がいるように思えた。
  美智子妃と結婚する直前、皇太子時代に、こんなことを友人にしゃべった、と伝えられている。
 ――ぼくは天皇職業制を実現したい。毎日朝10時から夕方の6時までは天皇としての事務をとる。そのあとは家庭人としての幸福をつかむんだ――
  その願いが完全に実現することはなかったが、少なくとも、中野が案じた「家庭」をつくることはできたのだ。
  「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」(2013年・80歳の誕生日会見)
  では、その「孤独」と思える「天皇という立場」とは何なのだろうか。
  昨年8月、明仁天皇は「象徴としてのお務め」に関しての「おことば」を出された。
  「……天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」
  憲法は天皇を、日本国と日本国民の統合の象徴としている。
  では、「象徴」とは何だろうか。国旗や国歌がその国の象徴とされることは多い。だが、わたしたちの国のような形で生身の人間をその国の象徴と規定する例を、わたしは、ほかに知らない。そんな、個人が象徴の役割を務める、きわめて特異な制度の下にあって、その意味を、誰よりも真剣に、孤独に考えつづけてきたのが、当事者である明仁天皇本人だった。「個人」として、「象徴」の意味を考えつづけた明仁天皇がたどり着いた結論は、彼がしてきた行いと「おことば」の中に、はっきりした形で存在している。
  「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」
  「その人」が訪れるのは、たとえば被災地だ。そこを訪れ、被災者と同じ「目線」でしゃべることができるように、「その人」は跪(ひざまず)くのである。「その人」は、弱い立場の人たちのところに行って励まし、声をかける。それから、もっと大切にしている仕事がある。それは「慰霊」の旅だ。「その人」は、繰り返し、前の戦争で亡くなった人たちの「いる」場所に赴き、深い哀悼の意を示す。
  弱者と死者への祈り。それこそが「象徴」の務めである、と「その人」は考えたのだ。
  戦後71年。この国の人々は、過去を忘れようと、あるいは、都合のいいように記憶を改竄(かいざん)しようとしている。だが、健全な社会とは、過去を忘れず、弱者や死者の息吹を感じながら、慎(つつ)ましく、未来へ進んでゆくものではないのか。個人として振る舞うことを禁じられながら、それでも、「その人」は、ただひとりしか存在しない、この国の「象徴」の義務として、そのことを告げつづけている。だが、70年前、中野重治が悲哀をこめて書いたように、その天皇がほんとうには持つことのなかった「人権」について考えられることはいまも少ないのである。
    ◇
  社会の様々な現場を高橋さんが訪ねる寄稿シリーズ「歩きながら、考える」(随時掲載)は今回、皇居を行き先に選びました。退位の意向をにじませる「おことば」を表明して初となる、天皇誕生日の一般参賀です。平成で最多の3万8千人が訪れました。
  入場開始の1時間前に現地へ。写真は皇居前で撮りました。「その人」の声を聞き終えると高橋さんは「新潟の話が出たね」と言いました。すばやく前日の火災に触れたことが印象深かったようです。 (編集委員・塩倉裕)

170118 卓説:(インタビュー)退位のルール 元最高裁判事、東北大学名誉教授・藤田宙靖さん

2017年01月19日 00時44分51秒 | 時々刻々 考える資料
1月18日(水):
朝日デジタル(インタビュー)退位のルール 元最高裁判事、東北大学名誉教授・藤田宙靖さん            2017年1月18日05時00分
 天皇陛下の退位をめぐり政府が設けた有識者会議は、23日の会合で「論点整理」を公表する見通しだ。いまの陛下に限って退位を可能にする特別法の制定が軸になるとみられるが、元最高裁判事の藤田宙靖さんは疑問を投げかける。陛下と接する機会もたびたびあった藤田さんに、憲法と天皇の関係や退位のあり方について聞いた。

 ――これまでの議論をどのように評価しますか。
  「最初におことわりしておきますが、私は天皇制の専門家ではありません。ただ、公法学者や裁判官としての50年の経験に照らして、いま伝えられている政府および有識者会議の方向性には、大きな違和感を覚えています。法律家にとっての常識からすればこう考えるべきではないか、というところをお話ししたいと思います」

 ――大きな論点は立法の方式です。皇室典範を改正して退位に道を開くのか、それとも今の陛下限りの特別法によって行うか。
  「憲法は『皇位は(略)国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する』と定めています。退位を認めるには典範改正が必要だという主張がありますが、私は特別法でも可能であろうと考えます。憲法がいう『皇室典範』とは一種のカテゴリーであって、特別法やそれ以外の付属法令を含めたものをさすとの理解は不可能ではありません。また、そもそも今の陛下の退位という個別事例に限った立法が許されるのかとの議論もありますが、この点についても、平等原則など憲法がほかに定める規範に抵触しない限り、対象が個別的であるからといって、そのことだけから違憲だとは言えないでしょう」
  「ただ、私が強調したいのは、退位を特別法によって実現しようとするのであれば、その法律は必ず、今後の天皇にも適用されうる法的ルールを定めたものでなければならないということです」

 ――なぜでしょうか。
  「憲法がわざわざ『皇室典範』と法律名を特定して書いている背景には、安定的な皇位継承のためには明確な法的ルールが必要であり、政治状況や社会状況に応じて、時の政権や多数派の主導による安易な代替わりがあってはならないという意味が込められていると考えるからです。皇位継承のあり方は政治にとって最もセンシティブな問題の一つです。かりに特別法が、『今上天皇は何年何月何日に退位する』といった内容の規定にとどまる場合、憲法の趣旨に反するものとして、違憲の疑いが生じると思います」
  「退位に至る陛下固有の事情を説明した後に『よって退位する』という構成の特別法にするとの報道がありました。しかし、そのような『歴史の叙述』は『ルールの設定』ではあり得ません」

 ――どんな「ルールの設定」が考えられるでしょうか。
  「欠かせないのは、(1)天皇の退位の意思(2)高齢・健康など象徴としての務めを果たすことが困難な客観的事情(3)その事情の存在を認めるための皇室会議などの手続きです。このほか、(4)皇嗣(跡継ぎ)の年齢など皇位継承の準備が十分に整っていることも考慮されるべきでしょう。典範改正に先立ち、これらを特別法で定めることが難しいとは思えません。定年のように『退位させる』ための要件ではなく、『退位を可能にする』ための要件設定なのですから」

 ――有識者会議では「要件を書くと強制退位や恣意(しい)的退位の根拠として硬直化し、象徴天皇制と政治のあり方を動揺させる」などの指摘があったようです。
  「その意味が全く理解できません。常識から考えれば、むしろ、その逆ではないかと思います。公表されているのは議事の概要にとどまり、詳細はわかりませんが、ともかくルールは定めないという結論が先にあっての、ためにする議論ではないでしょうか
     ■     ■
 ――最高裁判事のころ、長官代行として宮中の行事に出席し、天皇陛下や皇族方と話す機会もたびたびあったそうですね。
  「直接お目にかかるようになって、天皇の公務とはこういうものなのかと初めて知りました。『高裁長官のお話と午餐(ごさん)』の会に同席した際は、天皇陛下が前もって準備され、鋭い質問をされることに驚きました。すべての会合に同じように対応しておられると聞き、公務に誠心誠意臨んでおられることがよくわかりました」
  「最高裁判事を退任する際、ごあいさつする機会がありました。退官後何をするかについてご質問がありましたので、『どこにも勤めず、やりたいことをやろうと思います』とお話ししたところ、陛下が『あなたのような人がそれではいけないのではないですか』とおっしゃったのには恐縮しました。ご自身の一存では辞められない、天皇という地位の厳しさを垣間見たような気がいたします」
     ■     ■
 ――「天皇は存在するだけで価値がある」などとして、退位に反対する意見があります。
  「日本国憲法下における『象徴』の意味についての理解の違いなのでしょうが、私の眼(め)からすれば、退位を認めないとは、職責を果たせなくなっても、また本人の意に反しても、象徴として世にあり続けるのを強いることです。人道的な問題が生じるのではないでしょうか。天皇は神ではなく、ひとりの人間なのですから」

 ――昔から天皇に人権はあるのかという議論がありますね。
  「公務員がその地位に伴って活動に一定の制約を受けるように、天皇という地位にある方の基本的人権も制約されざるを得ません。しかし、最低限度の人権、つまり人間の尊厳、個人の尊厳まで奪われていいはずはありません。陛下の近くにうかがう経験を得て、天皇の地位を生身の人間が務めることの大変さを、いささかなりとも感じられた気がします」

 ――昨夏のお言葉でも、「個人として考えてきたことを話す」という箇所が印象に残りました。
  「法的地位と、その地位にある個人とは分けて考えるべきです。お言葉は、憲法に定められた天皇という地位にある明仁という方が、象徴とはどのようなものかをご自身として考え、お気づきになった問題点について説明し、国民に理解を求めたものだった。そう受けとめています。天皇としての説明責任を果たされたと言うこともできるのではないでしょうか。お言葉に対し、憲法が禁じる天皇の国政への関与につながりかねないとの批判もありますが、そのようにとらえるのは法理論的には全くの筋違いというべきです
  「そして、『陛下の問題提起をきっかけに国民自身が考え、今後のために退位の法的ルールを定めた』ということであれば、お言葉と退位との間にワンクッション置かれたことになり、国政関与の問題も起きません。しかし『陛下が辞めたいとおっしゃるから、一代限りで退位を認める』という、いま政府や有識者会議がとろうとしているルール不在の議論では、クッションが外され、お言葉と政治が直接結びついてしまいます。その意味でも禍根を残すのではないでしょうか
     ■     ■
 ――陛下が大切だという「象徴としての務め」に関しては、たとえば被災地訪問にしても、あそこまでやる必要はない、世襲である天皇制に能力主義を持ち込むことになるとの疑問もあります。
  「憲法によって、天皇は国民統合の象徴と位置づけられました。しかし、象徴の地位にある者が具体的に何をすべきかの明確な定めはなく、陛下は自らそれを探り、判断し、実行しなければならなかったのです。ある法的地位にあることに伴う必然的な行動でした。それを、憲法は何も要請していないのに勝手に仕事を広げていったなどと批判はできません
  「そうして積み重ねられた陛下のおこないを、国民の多くは天皇の公的行為の一部として支持してきました。市井の人びとと直接、積極的に触れあい、戦災や震災で亡くなった人の慰霊・追悼をし、現地で被災者の手をとって寄り添う。その姿は、国民主権の下で民主制を採用する憲法にマッチするものでした。国家はさまざまな『罪』を抱えこんだうえに成り立っていますが、陛下は『象徴』として、それを自ら原罪として背負い、いわば贖罪(しょくざい)の旅を続けてこられたように、私には見えます

 ――「全身全霊で公務に当たってこそ」という陛下の天皇観は、次代の天皇への過剰な期待と重圧を招かないでしょうか。
  「最高裁の判例も、時代に応じ、世に応じて変遷するものです。裁判官はその時どきの具体的状況や事案を踏まえて判断します。先例は参考にするものの、金科玉条とすることはありません。それと同じです。むろん、いまできあがっている象徴天皇像がありますから、すぐに大きく変わることはないでしょう。しかし、たとえば国民のために祈ることが最も重要な務めであるという同じ前提に立ったとしても、その方法は天皇お一人お一人によって多様な形やスタイルがあり得ますし、おのずからそうなっていくだろうと思います」(聞き手 北野隆一、渡辺雅昭)
     *
 ふじたときやす 1940年生まれ。専門は行政法。東北大教授を経て2002~10年、最高裁判事を務める。著書に「行政法総論」「最高裁回想録」など。

170115 84万PV超:

2017年01月16日 22時16分41秒 | 閲覧数 記録
1月15日(日):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1926日。  

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170115 センター試験「世界史B」92点(3問×)。冷や汗、90点台死守するも少し悔しい。

2017年01月15日 23時23分33秒 | 日記
1月15日(日):

  夜になって、センター試験の問題「世界史B」を解いてみた。新聞掲載の問題活字をかろうじて裸眼で読み取ることができたが、すごく読み辛かった。所要時間は60分中の50分だった。例年、そうなのだが、今回はいつになく問題内容のわけが分からなかった。かすかな記憶と雑学と山勘と消去法と居直りを総動員して、脇目も振らずに最後まで駆け抜けた。途中、頭の中は????マークで一杯になり、「70点ぐらいでもおかしくないなあ。今回はあかんわ。今までなんでできてたんやろう。さっぱりわからん。」と挫けそうになりながら解いた。

  しかし、採点してみると意外なことに36問中で間違いは3問のみで、点数は92点だった。それどころか、間違った3問中2問も考え過ぎて最初の答えを変えたものだった。変えてなければ、95点以上だったと思うと妙に悔しくもある。まあ、とりあえず、今年も90点以上は取れたので、満足しておくことにしよう。

  でも、そろそろ高校の世界史Bの教科書を再読しないとやばいぞって思う。

170115 センター試験「日本史B」100点!、でも100均の老眼鏡で時間オーバーの67分。

2017年01月15日 16時26分17秒 | 日記
1月15日(日):

 正午に起きて、早速、新聞に掲載された昨日の「日本史センター試験問題」に取り組んだ。冒頭、大変戸惑ったのは新聞掲載の問題の字が小さくて読めないことだった。随分前から老眼が進み、普段から動き回る時はゆるめの安物の眼鏡をかけるようにし、事務仕事や書見のときは裸眼で読むことにしていたのだが、最近はその裸眼で本が読みにくく、事務仕事がしにくいと感じることが多くなっていた。特に調子が悪いのは、目覚めてすぐの2時間くらいである。目覚めて数時間経つと何とか目が外界に慣れてくるのか、裸眼の作業もそれなりにはかどり始めるようになる。

 しかし、眼鏡をかけた状態で書見や事務仕事をすることは現段階では不可能である。「安物の眼鏡をかけてるからだろう!」とのご批判が聞こえてきそうだが、これまで、遠近両用メガネをはじめとして、百円均一で買った老眼鏡をかけてみたり、いろいろ試行錯誤を重ねてきたのだが、結局「事務仕事や書見は裸眼でしかできない。行動時は、安物の多少緩めのメガネが最適である。100円均一の老眼鏡は短時間なら使えるが、5分以上の作業は無理である。」と結論に達していたのだ。

 言い訳ばかりが先に立ったが、話を戻すと目覚めてすぐ「気力のあるうちにやってしまおう!」と取り組んだ新聞掲載のセンター試験問題なのだが、裸眼で全く読めないのだ。こんなことは人生で初めてのことである。仕方なく100均の老眼鏡をかけてみると何とか読めるが読みにくい。特に、視野の問題があって一目で問題全体を捉えるのができない。本来日本史の問題は、ただでさえ解答に時間がかかり、俺でも例年60分中で50~55分を目安に解いているが、百均の老眼鏡をかけながら問題を解き始めるとまず気持ち悪い状態を我慢しなければならず、30分経過した時点で明らかに例年よりも遅れてることがわかった。「このままだと60分を越えてしまう」「でも、できる問題をきちんと読まずに間違うのは無念だ」そして、結論を言えば、「新聞の活字が小さすぎて裸眼で読めない」というハンディのために、初めて解答時間の60分をオーバーしてしまった。67分かかった。新聞社には、高齢の読者に配慮して、今後は通常の大きさの活字で問題を掲載することを強く求める!

 さて、点数であるが、全問正解の100点!であった。当然のこととは言え、点数の結果には大変満足している。ってことで、今年の問題傾向について少しコメントをする。

 難易度は、例年並みか、やや易だろう。少し意外だったのは、本格的な資料読み込み問題が無くなったことだ。それに伴って数年前と比べて、問題文の量が極端に減っている。見かけだけかもしれないが世界史問題と同じ1ページの紙面に収まっている。目の調子さえ良ければ、例年より速く50分程度で解けただろう。出題は、相変わらず記述問題に対する選択問題の弱点を補う「正確な知識と理解ができてるか」をしっかり問う良問が出されている。確かな知識による歴史常識が無ければ、特に資料や地図問題などで勘違いさせられる。さすがに何十万人が受験する試験の問題である。それにしても公営田(9世紀)って、入試問題の王様だよな。やっぱり今回も出されている。特に10世紀でなく、9世紀ってのがポイント!

 出題傾向の大きな変化としては、原始古代の大幅な減少、江戸後期から近現代史への大幅なシフトチェンジがみられる。特に、旧石器・縄文・弥生・古墳は、ほぼ切り捨てられている。今後多少の揺り戻しがあるかもしれないが、この傾向は今後定着していくものと思われる。今後は、飛鳥・白鳳以降~戦後史(高度経済成長、沖縄復帰、日中共同声明)までが出題の中心になるのだろう。原始~古代初は、もはや<趣味の範疇>になっていくのだろうか。この出題傾向の変化は、確かに妥当だとは思う。邪馬台国論争は、纏向遺跡で決着がついたとは言え、それをセンター試験で問えば、やっぱり九州説の方々からいちゃもんがつけられ続けるだろう。「邪馬台国って、やっぱりロマンだよねー」っていう人が増えれば増えるほど、センターには出しにくいのだ。

 次いで、文化史については、今年に関して言えば、基本的(過ぎる)問題ばかりが出題されていた。難関私大も一緒に目指して「日本史は文化史が勝負だぜよ!」と考えて取り組んできた受験生の中には、「たまらんぜよ!ええ加減にせえよぜよ!」と戸惑ったものが多かっただろう。まあ、今年はひどすぎたが、ここら辺が5教科(7科目?)のセンターと多くて3教科受験の難関私大との受験勉強のあり方の違いだろう

 俺に言わせれば、難関私大向けの勉強が日本史学習の王道だろうが、受験対策として「センター試験8割以上を確実にとること」だけを目指すならば「日本史全体の実質3分の1弱を占める文化史との付き合い方」は、いろいろと工夫してみることは必要なことではあるのだろう。

 ただ、「神は細部に宿る」ことを考えれば、「難関私大に対応できる細かい文化史にこそ歴史の醍醐味はある」とも言えるので、「どう考えるかは、難しい問題だよなあ」と思う。この辺で、各人の生きざま、人生観の違いが出てくるのだろう。人間の能力・価値は、センター試験で何点取れたかで判断されるものではない。高い点を取ったからえらいわけでもないし、低い点を取ってしまってもすごい人はいるのだ!当たり前のことだ!

170113 【社説】野党の選挙共闘 小異残して大同に付け(東京新聞)

2017年01月14日 02時54分41秒 | 時々刻々 考える資料
1月13日(金):
東京新聞【社説】野党の選挙共闘 小異残して大同に付け  2017年1月13日
  年内にも想定される衆院解散・総選挙。「安倍一強」の政治状況に野党はどう臨むべきか。政権批判の民意集約には、野党候補の絞り込みが必要だ。小異を残しつつも、大同に付かねばならない。
  第二次安倍内閣発足から四年。昨年十二月の内閣支持率は54・8%と、前回十一月より5・9ポイント下がったとはいえ依然、高水準だ。自民党総裁としての任期は三月の党大会で「連続三期九年」に延長され、次の総裁選に勝てば、長期政権も視野に入る。首相にはまさに「わが世の春」である。
  しかし、安倍政権の下での国会は、惨憺(さんたん)たる状況だ。
  昨年の臨時国会では年金支給額を抑制する法律の採決を、議論を打ち切って強行した。現行の刑法が賭博として禁じるカジノを合法化する法律の審議も強引に進め、会期を延長してまで成立させた。
  さかのぼれば、多くの専門家らが憲法違反と指摘した「集団的自衛権の行使」を認める安全保障関連法の成立も強行した。
  今月二十日に召集予定の通常国会では、問題点が多く、過去三度廃案になった「共謀罪」を盛り込んだ法案の成立も目指す。
  反対意見に耳を傾けない国会運営がまかり通るのは、与党が衆参両院で圧倒的多数を占めているからだ。状況を変えるには、野党が選挙で議席を増やすしかない。
  昨年夏の参院選で、民進党など野党四党は、三十二の改選一人区すべてで候補者を一本化して選挙戦に臨み、一定の成果を上げた。
  暴走する安倍政治に歯止めをかけるため、民進、共産、自由、社民の野党四党は次期衆院選での共闘に向けた協議を急ぐべきだ。
  多くの候補者を擁立する民進、共産両党間では二百近くの小選挙区で候補者が競合する。
  民進党の支持組織である労働組合の連合では、共産党との共闘に慎重論が根強いが、野党候補が競合したまま衆院選に突入すれば、与党が漁夫の利を得るだけだ。
  どうしたら政権批判票を最も多く集約できるのか、という観点から候補者の絞り込みを進めてほしい。
  衆院選は政権選択選挙である。与党側は、野党共闘を「理念も政策も違う選挙目当ての野合」と批判するだろう。
  野党の議席を増やし、政権の暴走に歯止めをかけることは共闘の大義に十分なり得るが、主要政策では可能な限り、安倍政治に代わる選択肢を示すことが望ましい。その努力こそが、野党共闘をより力強いものとする。


170112 一年前:160111 ちょっと無理してアマゾンで買い物。「さびしんぼう」「真田太平記 完全版 第壱集・第弐集」

2017年01月13日 01時59分19秒 | 一年前
1月12日(木):
160111 ちょっと無理してアマゾンで買い物。「さびしんぼう」「真田太平記 完全版 第壱集・第弐集」
1月11日(月):      ◎「さびしんぼう」[東宝DVD名作セレクション]  2160円 配送料無料             富田靖子 (出演), 尾美としのり (出演),......


170111 政治の貧困。偶然知った81歳老院長の死。原発被災地医療の不備、疲労困憊の末の事実上の自死か。

2017年01月12日 02時58分52秒 | 時々刻々 考える資料
1月11日(水):  

  下の東京新聞社説を読んで、録画してあったETV特集「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」(10月8日23:00、58分)を観直した。やっぱりあのよれよれの老院長さんだった。さらに、福島県の新聞記事で詳しい状況を確認した。火事と言って燃えていたのは、この老院長のベッド周辺だけである。立派な老医師の最期を、自死とするのは、無粋の極みと承知しながら、日本の政治の貧困、行政の不作為、被災地に対するネグレクトを指摘するために敢えて感想・印象を述べるならば、これは老医師が自らの体の限界を自覚し、選んだ覚悟の死としか言えない。たとえ事故であっても意味は変わらない。本来介護を受けるべき側の老人が医師として年末も病院近くのワンルームにたった一人で詰めている中で起こったことなのだから。

  東京オリンピックのばか騒ぎの一方で、原発事故の尻拭いの医療体制をこんな老医師の献身に頼っている日本の政治の貧困は十二分に指弾され、世界中から笑いものにされるべきだ。どぶの目をした安倍の政治の笑止千万さはこんなところにもむき出し状態になっている。こんなことを考えてると、安倍晋三って一体何なんだ。これほど醜い物体が他にあるか。

  本当に偉い”地の塩”のような人はいるのだ。こういう人が本物の人だ。心よりご冥福をお祈り申し上げますm(_ _)m。

東京新聞【社説】原発被災地の医療 病院長の死が問うもの  2017年1月11日
  福島県広野町の高野英男・高野病院長(81)が昨年末、亡くなった。老医師の死は、避難指示解除や地域医療など、被災地が抱える問題を明るみに出した。
  高野院長は昨年十二月三十日、火事で亡くなった病院は福島第一原発から南に約二十二キロ。二〇一一年三月の原発事故後、院長は患者は避難に耐えられないと判断し、患者やスタッフと共に病院にとどまった。おかげで震災関連死を出すことはなかった。三十キロ圏内で唯一、診療活動を継続している病院となった。
  院長の死は、八十一歳の老医師の活躍で隠されていた不都合な真実を明らかにした。そのうちの三点について書いていきたい。

◆常勤医ゼロの非常事態
  政府は今春、富岡町、飯舘村の大部分で避難指示を解除する方針だ。浪江町も一部が近く解除される見通しである。政府は解除の要件として(1)年間の放射線量が二〇ミリシーベルト以下(2)インフラの整備、医療・介護などがおおむね復旧(3)県、市町村、住民との十分な協議-を挙げている。住民の間では特に医療環境と商業施設の充実を望む声が強い。
  だが、医療の実情は、おおむね復旧とは言い難い。
  福島県が昨年九月に公表した医療復興計画によると、双葉郡内の八町村では原発事故前の一一年三月一日現在で、六つの病院が診療活動をし、常勤医は三十九人いた。それが一昨年十二月には、病院は高野病院だけ、常勤医は高野院長一人だけになった。
  精神科が専門の院長は、救急患者の診察や検視までやっていた。院長の死で、双葉郡は常勤医がいなくなった。
  国や県は「一民間病院の支援は公平性を欠く」という理由で、これまで積極的な援助をしなかったと病院関係者は話す。県内の他の病院と差をつけられないという発想だが、民間企業の東京電力には巨額の税金が投入されている。民間だから、というのは役所が得意の「できない理由」でしかない。
  院長の死後、病院の存続が危うくなり、国も県も町もやっと支援を表明した。

◆高齢者を支える
  二つ目は少子高齢化、人口減の地域での医療についてだ。
  原発から三十キロ圏内を中心に、原発事故後、国や自治体が住民に避難指示を出した。双葉郡の場合、ほぼ全員が避難した。患者がいなくなれば、病院の経営も成り立たず、医療も崩壊する。
  すでに避難指示が解除された地域で、帰還しているのは比較的高齢の人だ。しかも「自分で軽トラックを運転できる」など自立して生活できる人が多いという。
  三世代、四世代が同居していた避難前であれば、お年寄りの体の異変に家族が気づき、適切な医療ができた。今は一人暮らしか、老夫婦だけとなり、病気の発見が遅れているという話もある。
  この問題は被災地に限らない。過疎地でも高齢者を支えないと、医療機関の整っている都市部へ移動する。政府は医療や社会福祉の支出削減を目指しているが、地方の医療が壊れれば、過疎を加速させる可能性がある。
  三つ目は、原発事故に病院は耐えられないということだ。
  院長は町が出した全町避難の指示に従わなかった。その方が寝たきりの患者らにはよかった。政府は再稼働に際し、原発から五キロ以遠は屋内退避とした。教訓を生かしたように見える。
  しかし本当の教訓は「とどまることは無理」である。スタッフの中には、子どもを連れて避難しなければならない人もいた。医薬品だけでなく、入院患者の食事、シーツの交換なども必要だが、継続できたのは善意や幸運が重なったことも大きかった。事故が起きれば、医療は継続できない。医療がなければ、人は住めないということである。

◆明日の日本の姿
  原発事故からもうすぐ六年。関心が薄れ、遠い出来事のように感じている人が少なくない。
  院長の死は「原発事故は終わっていない」と訴えているようだ。「被災地の現状は、明日の日本の姿」と警告している。
  政府や自治体は一病院の存続問題と事態を矮小(わいしょう)化してはならない。被災地に真摯(しんし)に向き合えば、将来、日本が必要とする知恵を得ることができるはずだ。

  
福島民友「病院長宅」火災、1遺体発見 広野・高野病院、院長が不明
                                      2017年01月01日 08時44分
  12月30日午後10時25分ごろ、広野町、高野病院の院長高野英男さん(81)方から出火、木造平屋の一部を焼き、室内から男性1人の遺体が見つかった。高野さんと連絡が取れなくなっていることから、双葉署は、遺体が高野さんとみて身元の確認を急ぐとともに出火原因などを調べている。
  同署によると、高野さんの自宅は病院の北側に隣接しており、高野さんは1人暮らし。ワンルームタイプで、ベッド付近の燃え方が激しく、遺体はベッド付近の床に横たわった状態で見つかったという。病院の警備員が火災に気付き、119番通報した。
  同署は31日、遺体を福島医大で司法解剖したが、身元や死因を特定できなかった。今後、DNA鑑定などを行い、確認を進める。
  高野病院は、東京電力福島第1原発から約22キロの距離にあり、原発事故で広野町が緊急時避難準備区域に指定されても、寝たきりの患者がいたため、双葉郡内の病院で唯一避難せず、診療を続けてきた。診療科目は精神科、神経内科、内科、消化器内科。常勤の医師は高野さん1人で、非常勤の医師も業務に当たり、町民のほか、廃炉や復興事業に従事する作業員を診療している。


お知らせ

高野病院病院長死去につきまして
      2017/01/03    

みなさまへ

  先日テレビ、新聞等で報じられましたように、平成28年12月30日夜間の火災により高野病院病院長 高野英男が死去いたしました。
  ここに生前のご厚誼を感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申しあげます。
  院長高野英男は、昭和55年に高野病院を開設以来、地域医療にその身をささげてきましたが、平成23年3月11日の福島第一原子力発電所事故以降は双葉郡にたった一つ残った医療機関として、まさに身を削るように地域医療の火を消してはいけないと、日々奮闘してまいりました。
  院長 高野英男が私たちに遺した、「どんな時でも、自分の出来ることを粛々と行う」この言葉を忘れずに、院長の意志を受け継ぎ、職員一丸となり、これからも地域の医療を守っていく所存です。今後も高野病院への温かいご支援、そして時には厳しいご指導をよろしくお願い申し上げます。
  なお、葬儀等は、生前の本人の強い希望によりとり行いません。また、誠に勝手ながらご弔電、ご供花、ご香典等の儀は固くご辞退申し上げます。

平成28年1月3日
医療法人社団養高会
理事長 高野 己保(もみ注:ご息女です)

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)