もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

160228 一年前:150227拡散希望!安倍の鮨友だちを、『宦官・去勢ジャーナリスト』と呼ぼう!『去勢豚』

2016年02月29日 01時10分36秒 | 一年前
150227 拡散希望! 安倍の鮨友だちを、『宦官・去勢ジャーナリスト』と呼ぼう!『去勢豚』でもいいですよ!
2月27日(金): 安倍極右政権は確かにひど過ぎるが、実は安倍のような幼稚で危険な極右勢力はいつの時代も存在するものだ。それをしっかりチェックし歯止めをかけるのがマスコミ報道の...


160228 一年前:150227 内田樹師匠のお言葉:日本はアジアの次の独裁国家になるのか?

2016年02月29日 01時09分11秒 | 一年前
150227 内田樹師匠のお言葉:

2月27日(金):傾聴しましょう。日本はアジアの次の独裁国家になるのか? 2015.02.25 内田樹の研究室Bloomberg Viewという海外メディアに安倍政権の改...


160227 62万PV超:

2016年02月29日 00時21分13秒 | 閲覧数 記録
2月27日(土): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1604日。 

アクセス:閲覧 710PV/訪問者 206IP

トータル:閲覧 620,422PV/訪問者 176,642IP

ランキング:5,802位 / 2,400,480ブログ中 週別 5,973位


160227 【世相の記録】 はてな匿名ダイアリー:■保育園落ちた日本死ね!!! 2016-02-15

2016年02月27日 00時07分30秒 | 日記
2月27日(金): 「今こんな時代を生きてます」という世相の記録です。

はてな匿名ダイアリー■保育園落ちた日本死ね!!!  2016-02-15
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が子供産ませないでどうすんだよ。
金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
まじいい加減にしろ日本。

160225 (論壇時評)メディアのいま 縮こまっているのは誰? 作家・高橋源一郎

2016年02月26日 00時32分45秒 | 時々刻々 考える資料
2月25日(木):

朝日デジタル(論壇時評)メディアのいま 縮こまっているのは誰? 作家・高橋源一郎  2016年2月25日05時00分
  優れた映画というより、観(み)る者を深く問いただす映画であるように思えた。
  「ヤクザ映画」というジャンルがある。ファンも多い。そこには「ヤクザ」が出てきて反社会的な行為をするが、しょせんフィクションなので、わたしたちは安心して観ることができる。けれども「ヤクザと憲法」(〈1〉)は違う。ドキュメンタリーだから、出ているのは「ほんもの」のヤクザだ。殺人罪などで約20年服役した会長がしゃべる。組員たちが怪しげなふるまいをする。それが彼らの「日常」だ。だが、彼らは同時に追い込まれてもいる。様々な法によって。
  会長がカメラの前に分厚い紙の束を置く。全国のヤクザたちからの悲鳴にも似た「人権侵害」の訴えだ。親がヤクザなので幼稚園に通うことを拒否された。銀行に口座を開くことを拒まれた。だが、反社会的な集団である彼らは人権など主張できないのではないか。ふと、そう思う。すると、画面に唐突に、こんな文字が浮かび上がるのである。
 「日本国憲法第14条
  すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又(また)は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
  もう一度書く。彼らのような反社会的集団には憲法が保障する人権は適用されないのか。そのことを考えたくなる。そして、憲法や人権が何なのかも。だが、それはいまとても難しい。論じる場所がないからだ。当事者であるヤクザを登場させるだけで、便宜供与をしたと批判される。ならば、そんな厄介なものには手を出さない。メディアが逃げ腰になりがちなテーマを掲げたこの挑発的な作品が、一テレビ局によって作られたことに、わたしは感銘を受けた。
     *
  この春のテレビの番組改編で、安倍政権に批判的な看板キャスターやコメンテイターが同時に降板する。川本裕司の綿密な取材(〈2〉)が明らかにしているように、政治的な圧力のせいなのか、それとも「自主規制」なのか。
  毎日新聞は、海外メディア東京特派員の声をとりあげた(〈3〉)。「利用価値のあるメディアの取材には応じ、批判的なところには圧力をかける『アメとムチ戦略』。そうやってリベラル勢力の排除を徹底しているのが安倍政権だと思います」という声。あるいは、総裁再選直後の会見で、質問が自民党記者クラブの所属記者だけに限られたことについて。
  「外国人記者外しは、逆に言えば、日本人記者の質問は怖くないと政権・与党になめられているということ。それに対して、なぜもっと怒らないのですか」
  「世界報道自由度ランキング」で、民主党政権時11位だった日本は、昨年3月61位と先進国で最下位にまで落ちこんだ。だが、そのことに対する危機意識は、意外なほど乏しい。メディアはもう「萎縮」してしまっているのだろうか。
     *
  去年のノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの受賞記念講演が雑誌に掲載された(〈4〉)。タイトルは「負け戦」。旧ソ連時代のウクライナに生まれたベラルーシ(白ロシア)の作家である彼女の主著は文庫化され、手に入りやすくなった。権力の好まぬ彼女の物語を、いまこそ読みたい。
  最初の本は『戦争は女の顔をしていない』(〈5〉)。旧ソ連は、第2次大戦時、他国と違い、百万を超える女性が従軍し、ときに兵士として戦った。そんな女たちの声を集めた。それから『ボタン穴から見た戦争』(〈6〉)。ドイツに占領されたベラルーシでは実に人口の4分の1が亡くなったが、その戦争を目にした子どもたちの声を集めた。そして『チェルノブイリの祈り』(〈7〉)。チェルノブイリ原発事故でもっとも甚大な被害を受けたのは、彼女の母国、人口1千万の小さな国ベラルーシだった。その一帯では、多くの人間が亡くなり、故郷を追われ、家族を失った。そんな人びとの間に入り、彼女は声をひろいつづけた。
  アレクシエーヴィチが書くのは小説ではなく、「『大きな歴史』がふつう見逃したり見下したりする側面」「見落とされた歴史」だ。彼女は「跡形もなく時の流れの中に消えていってしまう」無数の声を丹念に一つ一つ、ひろい上げてきた。
  「それは文学ではない、ドキュメンタリーだという意見を何度も耳にしました……では今日、文学とはいったいどういうものを指すのでしょうか? この問いに答えられる人はいるでしょうか?……あらゆるものが自分のいた岸辺を離れます。音楽も、絵画も。ドキュメンタリーでも、言葉がドキュメンタリーの枠を超えてほとばしります」(〈4〉)
  いま、独裁化の進む母国ベラルーシにあって、アレクシエーヴィチは「萎縮」も「自主規制」することもなく「大きな歴史」が見逃してきた人びとの声に耳をかたむけつづけている。誰かが、その仕事を担わなければならないのだ。
  アレクシエーヴィチはこういう。
  「私が関心を持ってきたのは『小さな人』です。『小さな「大きな人」』と言っても構いません。苦しみが人を大きくするからです」(〈4〉)
  歴史から忘れられてきた無名の「小さな人」たち。だが、彼女の本の中で、彼らは大きく見える。自分の過去と向き合い、何が起きたかを、勇気をもって自分の言葉で語りはじめているからだ。
  「萎縮」や「自主規制」していたのはメディアだけではなかったのである。
     *
〈1〉映画「ヤクザと憲法」(土方宏史監督、東海テレビ制作)
〈2〉川本裕司(朝日新聞記者)「NHK『クロ現』国谷キャスター降板と後任決定の一部始終」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawamotohiroshi/20160213-00054354/別ウインドウで開きます)
〈3〉毎日新聞「特集ワイド 海外メディア東京特派員らが語る 日本『報道の自由』の危機」(2月12日夕刊、堀山明子)
〈4〉スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「負け戦」(世界3月号)
〈5〉同『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫、今月刊)
〈6〉同『ボタン穴から見た戦争』(同)
〈7〉同『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫、2011年刊)
     ◇
 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。論壇時評をまとめた著書『ぼくらの民主主義なんだぜ』の抜粋版が、スマホなどで聞けるオーディブル版でも公開中(声は大竹まことさん)。

160225 とっても当たり前のこと「「無難」な報道機関は役割放棄で無用。」(小熊英二師匠)

2016年02月26日 00時06分54秒 | 時々刻々 考える資料
2月25日(木):  

朝日デジタル(あすを探る 思想・歴史)「無難」な報道機関、必要か 小熊英二  2016年2月25日05時00分
  体調が悪く、医者に診断してもらったとする。そのさい医者が、「××製薬の薬はどれもよく効きます」と言ったらどう思うか。「この医者は公正ではない」と考えるだろう。
  では医者が「発疹が出てますね」「熱が39度ありますね」としか言わなかったらどう思うか。「そんなのは医者失格だ」と考えるだろう。
  それでは、期待される医者の姿勢は何か。「症状を総合すると、△△病と考えられます」「症状を抑えるにはこの薬が効きます」といった提言をしてくれることだろう。
  最近、総務大臣が、不公正な報道に対しては電波停止もありえると述べた。だが不公正とは何だろう。「公正」とは単なる「横並び」ではなく、社会に共有されている「正義」の観念にかなうことである。報道機関もそのために期待される役割を果たすことが「公正」だと言える。
  上の医者の例えから考えてみよう。まず、「××党の政策は、すべて正しい。迷わず支持すべきだ」という報道姿勢は「公正」とはいえない。これは誰でも同意するだろう。
  次に、「政府はこう述べています」「野党はこう主張しています」といった報道姿勢はどうか。確かに「無難」ではあるが、これは報道機関の役割放棄といえないだろうか。
  報道関係者は医者のような専門職ではない、もっと「謙虚」であるべきだ、という意見もあろう。しかし人間は誰しも、何らかの専門職として、それぞれの役割を果たすことを期待されている。それは、医者や弁護士などに限った話ではない。
  例えば八百屋は野菜を、電器屋は家電製品を扱う専門職である。もし電器屋が「××社の製品はどれもお買い得です」と言えば、それは公正ではない。しかし「この冷蔵庫は色が白で、高さは何十センチです」としか言わないなら、「ネット通販で十分だ」とみなされるだろう。
  報道機関の人々は、幅広く情報を集め、それを理解しやすく提示するための専門的訓練を受けている。これが専門職でなくて何だろうか。ならば、専門職にふさわしい仕事をするべきだ。情報をただ流すだけで、専門職としての役割を果たしているといえるだろうか。
  「文句がつかない」ことだけを重視するなら、政府広報と天気予報だけを流すのが、いちばん「無難」であるだろう。ふた昔前の、広範に情報を届ける機関がなかった時代なら、それでも一定の役割を果たしているといえたかもしれない。しかしネットが発達した現在、そんな報道機関は、誰も必要としていない。
  現代の報道機関は、情報を広範囲に届けるだけでは十分ではない。情報を総合し、何が起きているかを診断し、放置すれば悪化することを警告するのは、社会に必要な役割であり、報道の「公正」なあり方である。いわゆる「権力の監視」という役割も、ここに含まれる。
  あるいは、各分野の専門職と協力して、状況を改善するための対策を提示するのも、「公正」な報道のあり方だ。もちろん特定の政治勢力を、何の根拠もなく支持する報道は、「公正」の範囲を逸脱するだろう。しかし、社会が必要とする対策を実現しようとしている政治的動向を重視した報道をするのは、「公正」の範囲に含まれると思う。
  医者にも誤診があるように、報道機関も間違うことはある。しかし現代の視聴者や読者は、特定の報道機関の言うことを何でも信じるほど愚かではない。疑問を感じれば、医者の場合と同じく、セカンドオピニオンを求めて他の機関の報道に接するだろう。それを判断するのは国民であって、政府ではない。そうした意味で、報道の多様性を保障することは、何よりも重要である。狭量な姿勢は国家百年の計を誤りかねない。

  日本の将来は多難である。医者や八百屋や電器屋と同様に、報道に携わる人々も、自信と自覚を持ち萎縮せず職務にあたることを期待する。
 (おぐま・えいじ 62年生まれ。慶応大学教授・歴史社会学。『生きて帰ってきた男』『平成史』など)


 去勢豚の宦官曽我豪朝日新聞編集委員よ「斎藤美奈子の反骨の爪の垢でも煎じて飲ませて頂き、自分が汚い権力の幇間・手先であることに恥を知れ!」一定以上の知性をもつ購読者は、みんながおまえのようなコソ泥・道化記者を軽蔑して、笑って(怒って)いるぞ!もう一度言う「恥を知れ!」「朝日新聞を辞めろ!」

160224 一年前:150222東京新聞は生きている:首相はネトウヨと同じ?予算委で「日教組」やじ

2016年02月24日 20時32分03秒 | 一年前
2月24日(水):
150222 東京新聞は生きている:首相はネトウヨと同じ? 予算委で「日教組」やじ
2月22日(日):これが我が国の総理大臣。首相はネトウヨと同じ? 予算委で「日教組」やじ 2015年2月21日 東...


160224 一年前:150222 映画「そして父になる」(監督・脚本・編集是枝裕和:2013) 感想4

2016年02月24日 20時28分27秒 | 一年前
2月24日(水):
150222 映画「そして父になる」(監督・脚本・編集是枝裕和:2013) 感想4
2月22日(日):感想4は否定的な評価ではない。“佳品”として好感を持っている。6年間育てた息子は、他人の子でした。 福山雅治 尾野真千子 真木よう子 リリー・ フランキ...


160223 映画「アラビアのロレンス 4Kレストア版」(1962:3:47)感想 特5

2016年02月24日 02時20分52秒 | 映画・映像
2月23日(火):
        

2日ほど前に録画した映像を観るともなしに見始めていた。この作品は10年に一度くらいのペースで繰り返し観てきたと思う。intermissionをはさんで3時間47分の大作である。半ば過ぎても全編を見切るとは思ってもいなかった。俺も公私ともにそれなりに忙しい日々を送っている。しかし、中断できなかった。まず、リマスター版の画像があまりにも鮮明で美しかった。知ってる方はよくお分かりだろうが、本作品ほど砂漠の映像で美しい作品はない。それを再現するのに、今回録画した映像は、おそらくかって俺が目にしたどの映像よりも美しかった。生々しい肌触りを覚えさせるほどに鮮明な色彩が出ていた。

次いで、ストーリーにはまった。時は第一次世界大戦、カイロ駐在の一情報将校(中尉)に過ぎなかったロレンスが、メディナ周辺に潜むファイサル王子の動向を調べるために単身で辺境のアラブに派遣される。ロレンスの活動は、正規の任務から逸脱し、アラブの立場に立った行動が目立ち始め、あげくにアラブの2部族の対立をまとめ上げて、死のナフド(ママ)砂漠を越えてトルコの軍港アカバを奇襲・陥落させてしまう。一度は、カイロに戻るが、狡猾な英軍アレンビー将軍により少佐に昇進され、アラブ軍を率いたトルコの後方撹乱を命じられる。アラブの部族社会の対立はひどいもので、「アラブなんて知らない。あるのは部族間の恩讐だけ」という状態だったが、アラブの文化を深く理解し、数々の奇跡(的勝利)を演じ、大英帝国を背後に持つロレンスの存在はすでに”預言者”に準ずるもので、対立するアラブの部族もロレンスの指示には従い、アラビアでのトルコの活動はかなりダメージを受ける。しかし、一方でロレンスは、戦後のアラブの支配をもくろむ英仏の意志(サイクス・ピコ協定)と、独立を目指すアラブの旗頭になっている自己との矛盾に引き裂かれ、さらに自らの手で繰り返す殺人によって心を壊していく。

アラブを離れて平穏な生活を求める心と、アラブの民族運動の先頭に立ち、戦場を求める心の間でふらふら動揺しながら、ロレンスが最後に求めたのは、英国軍よりも1日も早くダマスカスに入場することだった。それを果たしたロレンスは、自ら中心になってアラブ民族会議を起こしてダマスカスを占拠するが、いまだ中世の部族社会に生きるアラブ人たちに、大都市のインフラを維持できるわけもなく、次々に部族がダマスカスを後にし、ロレンスが一人取り残される。見せかけではあってもアラブの大義を実現させようとしたイギリス人ロレンスは、残された2000人のトルコ傷病兵たちのアウトレイジャスな惨状に打ちのめされる。

ダマスカスで大佐に昇進したロレンスは、英国政治家ドライデン、将軍アレンビーとファイサル王子がアラブの今後について話し合う席に呼ばれるが、すでに廃人のようであった。その後、イギリスに帰り、約17年後の1935年オートバイ事故で47歳で亡くなる。なまじ有能で型破りであったがために利用され、大国の意志の前にもみくちゃにされ、擦り切れていった哀れな人間の一生のように感じた。事実上の自殺のようにも思えた。

今回は、映像がすごく美しかったが、もう一つ今までで一番ストーリーがよく理解できた。長く生きているので世界史の知識もずいぶんついていたようだ。

・英語の映画なので「アッラー」というところが「ゴッド」になっていた。
・ピーターオトゥール、オマーシャリフ、アンソニークィン、他、存在感抜群の役者ぞろいだったのと、CGでないスケールの大きな本物の映像に満足度120%だった。特に砂漠が美しい。美し過ぎる!
・ロレンスの立場(ウィキペディアより):オスマン帝国軍から解放されたアラビアは、もはやロレンスを必要とはしていなかった。フサイン=マクマホン協定を信じてイラク・シリア・アラビア半島を含む大アラブ王国(汎アラブ主義) を構想する老練な族長ファイサルにとって、白人のロレンスがアラブ反乱を指揮した事実は邪魔となっていた。また、サイクス・ピコ協定によりアラブをフランスとともに分割する方針を決めていたイギリス陸軍の将軍にとっても、大アラブ王国を支持し奔走するロレンスは政治的に邪魔な存在となっていたからである。

160221 一年前:150219 34万PV超え:古賀茂明さん&室井佑月さん We Japanese citizen are not Abe!

2016年02月21日 23時26分11秒 | 一年前
150219 34万PV超え:古賀茂明さん&室井佑月さん We Japanese citizen are not Abe!
2月19日(木):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1230日。 アクセス:閲覧 542 PV/訪問者 95 IP トータル:閲覧 340,110PV/訪問者 121...


160219 一年前:4047 石井光太「蛍の森」(新潮社:2013) 感想 特5

2016年02月19日 23時03分32秒 | 一年前
4047 石井光太「蛍の森」(新潮社:2013) 感想 特5

2月18日(水):412ページ   所要時間 8:30   図書館 著者36歳(1977生まれ)。 これくらいの厚い単行本に対しては「読み切れるか…」「読む価値があるか...


160219 リテラ:「私が責任者ですから」安倍首相と東条英機は口癖まで同じだった! 野中広務師匠も証言

2016年02月19日 22時32分15秒 | 時々刻々 考える資料
2月19日(金):

リテラ「私が責任者ですから」安倍首相と東条英機は口癖まで同じだった! 野中広務も「安倍は東条と全くかわらない」 2016.02.19. 
  「自制心が利かない。だから議論ができない。反対されると、我一人それを突き破っていくのが信念だと思い込む。そういう錯誤のもとに、国益に対して軍事によって解決しようとする
  これは、安倍晋三首相と東条英機の共通点だという。そう指摘するのは昭和史研究の第一人者である作家・保阪正康氏。「サンデー毎日」(毎日新聞社)2月14日号に掲載された半藤一利氏、青木理氏との座談会で、保阪氏は、“歴代の自民党政党と現政権を比べたときの差異は?”という質問に対して、“占領期、戦後の総理はバランスや自制をわきまえていた”、“二度と戦争を繰り返すまいという共通認識があった”とした上で、こう述べているのだ。
  戦前回帰的政策をつぎつぎと打ち出す安倍首相と、1941年に近衛内閣の後を継いで日米開戦に突っ込んだ“A級戦犯”の東条には、しばしば類似性を指摘する声があがってきたが、保阪氏によると、両者は言葉遣いまで似ているという。
  保阪氏は「日刊ゲンダイ」(2月19日付)のインタビューでも、こう語っている。
  「安倍さんは国会の答弁でよく“私が責任者ですから”と言うでしょう? あれは東条の言い方と同じなんですよ。政治権力の頂点にいる者が威張り散らすときの言葉で、東条は“俺に逆らうな”という恫喝の意味を込めてよく使いました。あんな言葉、普通の政治家は使いませんよ
  たしかに、振り返っても見ると、安倍首相は国会で何度も「責任者は私です」と発言している。とりわけ、集団的自衛権など国の根幹を変更しようとするときに野党から追及されると、そう頑として突っぱねていた。
  「最高の責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ」(14年2月12日)
  「憲法解釈については、三権分立、いわば私と法制局は同じ行政府でありますから、その責任者は私であるということを明確にしなければならない」(同20日)
  「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」(15年5月20日)
  しかも、である。安倍首相と東条英機の言動の類似を指摘するのは、保阪氏だけではない。実は、首相時代の東条英機を知るあの自民党の重鎮も、そう証言しているのだ。それは野中広務・元官房長官。昨年、TBSの座談番組『時々放談』に出演した際、野中氏はこう語っていた。
  「(安倍首相の)国会における施政方針演説で、私にしたら私が中学生のころ、昭和16年に東条英機首相が、大政翼賛会の国会で施政方針演説をやっている、あのラジオ放送を耳にしたときの感じと、まったくかわらないんじゃないかという心配を、私は感じました」
  「(安倍首相は)重要な部分には触れないで、非常に勇ましいような感じで発言をされますと、国民はついそういう発言に十分な理解ができないまま、支持率に結びついたんじゃないかと考えております」
  これは、単に野中少年の印象にすぎないのだろうか。いや、事実として、安倍と東条の演説を比較してみると、そこにはいくつかの共通点がはっきりとあらわれていた。
  具体的に、東条の演説を東照二『歴代首相の言語力を診断する』(研究社)から、いくつか取り上げてみよう。たとえば、1941年11月17日、組閣後初の施策方針演説で、東条はこう述べている(なお、引用者の判断で旧字体等については改めた)。
  「私がここに衷心より希望いたしますることは、全国民が、帝国は今や一大飛躍の秋に際会をし、前途に洋々たる発展を期待し得べきことを確信して、相共に今日の苦を分かち、国民一丸となって堅業の翼賛に邁進せんことであります」
  おわかりのとおり、やたらとポジティブな言葉を使って国民に協力を要請しているわけだが、安倍首相の演説にも根拠不明の「発展への確信」や「国民一丸となって」というような表現が見られる。たとえば、野中氏が指摘した15年2月の施政方針演説では、安倍首相は大好きな維新志士の弁を引用しながらこう語っている。
  「明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。『日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない』。明治の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。今こそ、国民と共に、この道を、前に向かって、再び歩み出す時です」
  驚くほど内容がない演説だが、さらに注目すべきは、さまざまな苦難や課題を前にした両者の演説内容だろう。以下に挙げるのは1944年1月、同盟国イタリアの降伏やカイロ宣言など日本に不利な戦況が続く時期の東条の演説である。
  「私の特に強調いたさんとするものは、われら一億国民に一貫して流るる必勝の信念であります、大東亜戦争の勝利獲得の確信であります、申すまでもなく戦争はひっきょう意志と意志との戦いであります」(1944年1月21日、東条総理施策方針演説)
  ようするに“苦境に瀕しているが精神でなんとかしろ”というアジテーションだ。そして、やはり安倍首相も同様に“強い「意志」で苦難を乗り越えよ”と号令をかけている。
  「今の日本が直面している数々の課題。復興の加速化、長引くデフレからの脱却、経済の再生、財政の再建、社会保障制度の改革、教育の再生、災害に強く安全・安心な社会の構築、地域の活性化、そして、外交・安全保障政策の立て直し。これらも、『意志の力』さえあれば、必ず、乗り越えることができる。私は、そう確信しています」(2013年10月15日、安倍総理所信表明演説)
  「やれば、できる。人口減少や超高齢化など、地方が直面する構造的な課題は深刻です。しかし、若者が、将来に夢や希望を抱き、その場所でチャレンジしたいと願う。そうした『若者』こそが、危機に歯止めをかける鍵であると、私は確信しています」(2014年9月29日、安倍総理所信表明演説)
  「意志の力さえあれば」「やればできる」などという空虚な精神論は、一国の宰相として無能であることをさらけだすようなものである。しかし、これを自信満々で述べてしまうところが、まさに安倍氏の本質を表しているとも言えよう。
  そして、こうして両者の演説を比較してみると、安倍晋三と東条英機はそっくりと言わざるを得ない。安倍首相が一貫してA級戦犯を擁護し続けてきたのも、自分と似ているからじゃないのか、と考えたくなるほどだ。
  しかも、この類似性が恐ろしいのは、たんに個人の考え方や口癖ではとどまらないことだ。
  前出の「サンデー毎日」の座談記事で保坂氏と半藤氏は、戦中日本と安倍政権下で進行していることを重ね合わせて、こう警鐘を鳴らしている。
  「昭和18年1月1日、首相官邸で東條は『朝日新聞』朝刊で中野正剛の「戦時宰相論」を読んだ。戦時の宰相は強くあれと、東條を煽るようなことが書かれていた。東條は激高する。そして司法大臣に電話をかけ、中野の逮捕を命じる。しかし法的に該当する罪科がないため、中野は釈放される。すると東條お抱えの憲兵隊長である四方諒二が中野を脅す。中野は自殺してしまった。僕が許せないのは、内閣総理大臣が不愉快だからといって、司法大臣に逮捕を命じるというやり口です。資料によっては、命じたのは逮捕ではなく事情聴取だと書かれているものもあるが、いずれにせよ、いかに戦時下であれ、内閣総理大臣が司法大臣にそんなことを命じる権利などありはしない。行政が立法、司法と直結してしまったんです。さらに東條は、中野を釈放した判事たちまで懲罰召集した。こんなことが許されるものか。しかし安倍首相はやりかねない人物です」(保坂氏)
  「同時に日本にも戦前の教訓がある。昭和13年の国家総動員体制です。昭和12年7月に日中戦争が始まり、翌年の1月には国家総動員法が提出される。先読みのしすぎではと思われるかもしれませんが、実は第一次世界大戦後の大正7年、永田鉄山を中心とするグループがすでに人事刷新などとともに、国家総動員法を具体的に練り始めていた。おそらく現政権はすでに準備を始めていると考えたほうがいい」(半藤氏)
  戦前に生まれ、戦前・戦中軍部の内実を研究してきた半藤氏と保阪氏だが、ふたりは決して「左翼」ではなく、むしろ穏健保守派と評価されてきた知識人だ。そんな両氏の目からも、安倍首相は相当危険な存在として写っているのだ。
  1941年10月、軍人として総理に就任した東条英機は、同年12月1日の御前会議で英米蘭との開戦を提案、同8日に海軍は真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まった。その約2週間後、帝国議会は政府提出の「言論・出版・集会・結社臨時取締法」を成立。これは、国民やメディアの諸々の表現を官憲の許可制にし、自由な言論の一切を封じ込める目的でつくられたものだった。
  翻っていま、安倍政権は、この国の安全保障を180度転換する安保法制を、解釈改憲で強行可決させただけでなく、メディアへの圧力を強め、ついには国会でも高市早苗総務相が“政治的に公平ではない放送をするなら電波停止を行う”旨の発言を行うまでになった。もはや、ただの偶然ではないだろう。
  “日本が自ら戦争をするわけがない”“安倍首相が戦争指導者なんていうのは妄想だ”なんて楽観的に考えていると、あっという間に取り返しのつかないことになってしまうのではないか。(小杉みすず)

2016年2月19日 日刊ゲンダイ

160219 野党、安保法廃止法案きょう提出、「違憲法制」正す:東京新聞&朝日新聞の【社説】

2016年02月19日 21時20分57秒 | 時々刻々 考える資料
2月19日(金):

東京新聞【社説】廃止法案きょう提出 安保の根幹 正さねば  2016年2月19日
  いくら積み重ねたとしても土台が揺らいでいれば、いつかは崩れてしまう。憲法違反と指摘される安全保障関連法。今こそ根幹を正さなければならない。
  昨年九月十九日未明、安倍政権が「平和安全法制」と呼び、採決を強行した安全保障関連法が参院本会議で可決、成立した。
  あれからちょうど五カ月。政権のおごりか、ほころびか、閣僚や議員の相次ぐスキャンダルで、国会はすっかり政府・自民党の釈明の場と化し、安保法をめぐる議論は隅に追いやられた感がある。
  しかし、安倍政権の安保関連法をこのまま放置し、既成事実化させるわけにはいかない。他国同士の戦争に参加する「集団的自衛権の行使」を可能にし、多くの憲法学者ら専門家が「憲法違反」と指摘する法律だからである。
  民主、共産、維新、社民、生活の野党五党はきょう安保関連法を廃止するための法案を提出する。
  野党側には安倍政権による安保政策の是非を、夏の参院選で争点化したい狙いもあるのだろうが、あえてその意義を認めたい。
  廃止法案に先立ち、衆院で統一会派を組む民主、維新両党はきのう、安保関連法の対案となる領域警備法案など三法案を提出した。
  安倍晋三首相が「全体像を一括して示してほしい」と野党側に求めていた対案の提出である。与党側は、廃止法案と合わせて、真摯(しんし)に法案審議に応じるのが筋だ。
  安倍政権が成立を強行した安保関連法の最大の問題点は、主に自民党が担ってきた歴代内閣が踏襲してきた、集団的自衛権の行使をめぐる政府の憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変更してしまったことにある。

◆専守防衛、本来の姿に
  おさらいしよう。
  戦後制定された日本国憲法は九条で、国際紛争を解決するための戦争や武力の行使、武力による威嚇は行わないと定めた。
  日本国民だけで三百十万人の犠牲を出し、交戦国にとどまらず、近隣諸国にも多大な犠牲を強いた先の大戦に対する痛切な反省に基づく、国際的な宣言でもある。
  その後、日米安全保障条約によって米軍の日本駐留を認め、実力組織である自衛隊を持つには至ったが、自衛権の行使は、日本防衛のための必要最小限の範囲にとどめる「専守防衛」を貫いてきた。
  一方、集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する、国連憲章で認められた国際法上の権利だ。
  歴代内閣は、日本が集団的自衛権を有していることは主権国家である以上、当然だが、その行使は専守防衛の範囲を超え、許されない、との見解を貫いてきた。
  国際法との整合に挑んだこの憲法解釈は、国権の最高機関である国会や政府部内での議論の積み重ねの結果、導き出された英知の結集でもある。
  自国に対する武力攻撃は実力で排除しても、海外で武力を行使することはない。日本国民の血肉と化した憲法の平和主義は、戦後日本の「国のかたち」であり、安全保障政策の根幹である。

  安倍内閣が二〇一四年七月に行った、集団的自衛権の行使を一転認める閣議決定は、憲法の法的安定性を損ない、安保政策の根幹をゆがめるものだ。この閣議決定に基づく安保関連法に対して、多くの憲法学者が「憲法違反」と断じるのは当然だろう。
  日本の安保政策を、専守防衛という本来の在り方に戻すには、集団的自衛権の行使を認める閣議決定を撤回し、安保関連法を廃止する必要がある。
  野党側による安保関連法廃止法案の提出を、専守防衛を逸脱しつつある安保政策の根幹を正す第一歩としたい。与党側も逃げずに、堂々と論戦に応じるべきだ。安保関連法は三月末までに施行されるが、とりあえず施行の延期を検討してはどうだろうか。

◆無関心が暴走を許す
  憲法を逸脱しつつある安保政策を根幹から正すには、世論の後押しが必要だ。国会周辺をはじめ全国各地できょうも行われる路上の訴えに、安倍政権はあらためて耳を傾けるべきだろう。
  そして何よりも、専守防衛という戦後日本の国是を守り抜く決意を、国民が自ら選挙で示すことが重要だ。諦めや無関心は、政権の暴走を許すだけだ。
  私たちの新聞が、平和主義を貫こうとする国民の側に立つのは当然だ。政府の言い分をうのみにせず、自らの判断力で問題提起を続ける。新聞として当然の役割を、この機にあらためて自任したい。

朝日新聞【社説】安保・野党案 「違憲法制」正す議論を  2016年2月19日(金)付
  幅広い専門家らの「憲法違反」の指摘に反し、安倍政権が安全保障法制を成立させたのは昨年9月19日のことだった。
  それからちょうど5カ月。
  民主党と維新の党がきのう、対案として、領域警備法案、周辺事態法改正案、国連平和維持活動(PKO)協力法改正案の3法案を国会に共同提出した。
  さらにきょう、共産党、生活の党と山本太郎となかまたち、社民党も加えた野党5党が「違憲」の安保法制を廃止する2法案を国会に提出する。
  予定通りなら安保法制は3月に施行される。法制成立から5カ月後の対案提出は、遅きに失した感は否めない。
  それでも、「違憲」法制をこのままにはできない、もう一度議論を巻き起こしたいと野党各党が一致した意義は大きい。
  政府の安保法制は、憲法9条の縛りを解き、地球規模での自衛隊の派遣と、他国軍への支援を可能にするものだ。
  これに対し、民主党は「専守防衛に徹し、近くは現実的に、遠くは抑制的に、人道支援は積極的に」と主張する。
  日本の安全に資するには、海外での武力行使に道を開くよりむしろ、日本防衛や日本周辺での活動を中心に、憲法の枠内での法整備を考えるべきだ、という指摘だろう。

  維新の党と共同提出した対案も、その線に沿っている。現実的な考え方として国会で議論する価値はある。
  与党多数の国会では、野党の対案はなかなか審議されず、たなざらしにされがちだ。
  だが、多くの疑問や反対を残したまま法制を施行することは、安保政策を安定的、継続的に運用する観点からも望ましくない。政府・与党も、すすんで議論に応じてはどうか。
  夏には参院選がある。安保法制が本格的に運用されるのは、そのあとになりそうだ。
  PKOに派遣する自衛隊への「駆けつけ警護」任務の追加や、米軍への弾薬提供など後方支援を広げる日米物品役務相互提供協定(ACSA)改定案の国会提出は参院選後に先送りされる。反発を再燃させたくないという判断だろう。
  こうした政府の動きに、野党がどう向き合うかが問われる。
  憲法が権力を縛る立憲主義を守っていく。安保政策に違いはあっても、「違憲」法制を正す議論には党派を超えて粘り強く挑み、市民とともに幅広い連帯を育てていく。
  それが安保法制に疑問や不安を抱く民意に対する、野党の責任ではないか。


160218 一年前:150218野中広務師匠:安倍の演説は大政翼賛会の東条と同じ。政府の沖縄差別は許せない!

2016年02月19日 00時38分56秒 | 一年前
150218 野中広務師匠のお言葉:安倍の演説は大政翼賛会の東条演説と同じ。政府の沖縄差別は絶対許せない!
2月18日(水):野中元自民党幹事長「安倍首相の施政方針演説は東条英機首相が大政翼賛会の国会演説と変わらない」http://ameblo.jp/takumiuna/entry...


160218 楽観しないが、一つの見識!(インタビュー)慰安婦問題の明日 京都大学教授・小倉紀蔵さん

2016年02月18日 19時17分08秒 | 時々刻々 考える資料
2月18日(木):  ">「右でも左でも、不純物のない主張は魅力的だが、それでは問題は解決しない」=京都市左京区、高橋一徳撮影

朝日デジタル(インタビュー)慰安婦問題の明日 京都大学教授・小倉紀蔵さん  2016年2月16日05時00分

 日韓両政府が昨年末の外相会談で、懸案だった慰安婦問題の政治的解決に合意した。だが日韓ともに、賛否の声が出ている。この問題をどう考え、これからどうしていけばいいのか。日韓文化交流会議などで、両国の関係をいかに構築していくのかという問題にかかわってきた小倉紀蔵・京都大学教授に聞いた。

 ――日韓の政府間合意をどう見るべきでしょうか。
  「日本と韓国の共通の財産と考えるべきです。1991年に1人の女性が、韓国で初めて慰安婦だったと名乗り出てから25年がたちました。日韓はそれぞれの主張をしてきて、多くの対立や摩擦がありました。そんな日韓に、今回の合意で初めて接点が生まれた。これまでのすべての論点の蓄積も含めて私は財産だと思っています」
  「戦時の女性の人権蹂躙というのは、何も日本だけではなく、米国や欧州なども抱えている問題です。いずれ欧米諸国も直面するでしょうが、パンドラの箱を開けまいと避けてきた。日韓は今回の合意で、二度とこんなことが起きないように一緒にやっていこうとしている。この問題を日韓がリードしていると言えます」

 ――安倍晋三首相は昨年夏に出した談話で「21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため世界をリードしていく」と言いました。
  「まさにあの安倍談話の延長線上に、今回の合意はあると考えられます」
    ■     ■
 ――しかし、韓国では市民団体や元慰安婦の女性たちの中からも反発の声が出ています。
  「元慰安婦の思いも様々なようです。何よりも日本の謝罪を求める人もいれば、国家賠償を重視する被害者もいるでしょう」
  「たとえば、裁判で判決が出れば勝ち負けがはっきりする。負けた方は賠償しますが、反省どころか不快な思いを抱き続けます。でも和解ができれば、加害者側には申し訳なかったという気持ちが残ると思います」
  「韓国で国家賠償を求める市民団体などは、国家対国家の勝ち負けを強く意識しているのだと思いますが、それを続けると日本人の思いはさらに離れてしまう。謝罪をより重視するか賠償か、今の韓国では意見が真っ二つに割れていますが、どうすべきなのかを国内で整理しなければなりません」

 ――韓国の人たちは、慰安婦問題をどんな風にとらえているのでしょうか。
  「儒教、とりわけ朱子学を重んじる韓国では、民の『生』がちゃんと保たれていることが道徳的とされます。現代では生の意味に命や人生だけでなく、人権も含まれるようになりました。誰かの生が深く傷つけられているのなら、たとえお上が決めたことでも覆すべきだと考えるのです。法治や民主主義のとらえ方が日本と違うのはそのためです」
  「慰安婦問題には、生の毀損(きそん)だけでなく、加害の主体が植民地支配をした日本であること、家父長制の意識が強い韓国にあって、男たちが守るべき女性が被害にあったことなども加わっており、さらに重い問題なのです」
  「それほどリスクが大きな問題なのに、朴槿恵(パククネ)大統領はよく決断したと思います。もう一つ大事なのは、正統性の問題です。朴大統領はこれを最も心配していると思います。就任以来、日本に対して『正しい歴史認識を』と呼びかけてきたのはそのためでしょう」

 ――正統性ですか。
  「韓国には、支配国・日本に抵抗した勢力には正統性があるが、それを断ち切ったのは日本と妥協して国交を結んだ朴槿恵氏の父、朴正熙(パクチョンヒ)元大統領だという歴史観が強く残っています。確かに韓国は経済的には北朝鮮よりはるかに豊かになったが、民族の正統性は北朝鮮に負けているのだ、と」
  「現在、歴史問題で日本に最も厳しい要求をしているのは北朝鮮です。韓国からすれば、今回の合意も北から正統性を批判されるのではないかと落ち着かない。そのためにも私は、日朝の国交正常化が必要だと思います。正常化交渉の中で北朝鮮と歴史問題に決着をつけられたら、韓国もある程度、安心できるでしょう
    ■     ■
 ――北朝鮮は核・ミサイル開発をやめようとしません。日本社会で理解が得られるでしょうか。
  「もちろん、北朝鮮の主張にそのまま従うというわけではありません。ただ、朝鮮民族が日本にどういう思いを抱いているのかは分かった方がいい。対話を通して相手の主張との接点を見つけるべきであり、頭ごなしに相手を否定しても何も変わりません」

 ――日本の世論調査では日韓合意を評価する声が過半数です。
  「合意を機に、日本人の韓国に対する厳しい心がとけ始めた感じがします。これから大切なのは教育でしょう。せっかくの合意なのに次の世代に伝えないのでは、長年やってきた意味がない。この間に多くの論争があったことも伝えるべきです」

 ――合意では日韓双方が「最終的かつ不可逆的な解決」を確認しました。しかし、合意にある謝罪と反省を、安倍首相は自らの口で語ろうとはしません。
  「最終的かつ不可逆的というのは、政治的なラインはもう動かさないということであって、謝罪や反省を二度と繰り返さないということではないはずです」
  「岸田文雄外相は、日本が政府予算から出す10億円について『賠償ではない』と話しましたが、むしろ『賠償より、もっと日本人の心を表しているお金です』ぐらいに言った方がよかった」
  「1990年代に日本の官民が協力して、元慰安婦に償いをしようとした『アジア女性基金』が韓国でうまく行かなかったのは、実際にはたくさんの国家予算が入っているのにもかかわらず、政府がそれを隠そうとしたことが責任回避と受け取られたためです。そして韓国のかたくなな姿勢に、多くの日本人の心も離れてしまうという悪循環を招いた。私たちは女性基金の教訓から学ぶべきです」

 ――一方で岸田外相は、旧日本軍の慰安婦問題への関与を認めたほか、法的責任という言葉こそないものの「日本政府は責任を痛感している」と踏み込みました
  「この問題の経緯を知る人は、『日本政府の責任』という部分を見て、よく安倍政権はこれを了承したと驚いたでしょう。また今回の合意は、日本政府として『慰安婦は売春婦にすぎず、何ら強制性もなかった』との主張を排除したと言えるのではないですか」

 ――ネット上では、安倍首相でさえも右側の人たちから厳しい批判を受けています。
  「売国的な合意だという見方は日本でもくすぶっているのでしょう。でも、これまで人類が正視できなかった問題に日韓が一緒に取り組もうとしている。これを恥じてどうするのかと思いますね」
    ■     ■
 ――合意では、韓国政府が元慰安婦の支援にあたる財団をつくることになっています。
  「この財団は、ある一つの考え方で仕切るのではなく、認識の幅を広げる必要があります。特定のナショナリズムに支配されない多様な歴史観を包摂できるかがカギです。たとえば、日本の保守派でも、事実に基づく研究をしている人なら意見を聞くべきです」
  「互いに議論を交わらせ、深める場が必要です。財団を外から批判するだけでは、『20万人の強制連行』とか『奴隷狩り』などという認識だけが独り歩きし、それを認めない人はみんな歴史修正主義者であるかのようなレッテルを貼られてしまう。そうではなく中に入って、凝り固まりつつある認識を解きほぐすことが重要です」

 ――多様な意見といえば、植民地支配がもたらす構造的問題を指摘した「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河(パクユハ)さんが韓国で民事、刑事の両方で訴えられています。
  「『支配する側』と『される側』という単純な二分法では、決して解明できない複雑な統治の様相を研究した本です。日本の法的責任を追及したい人たちが、自分たちと異なる学問的認識にふたをして抑圧しようとするなら、それは間違ったふるまいです」
     *
 おぐらきぞう 1959年生まれ。東アジア社会を哲学的に分析・解釈し、互いの関係性を形づくる作業を続ける。著書に「韓国は一個の哲学である」など。

 ■取材を終えて: 東アジアの哲学が専門の小倉さんは長い間、慰安婦問題を見つめてきた。今回の日韓合意を前向きに評価し、「接点」「土台」と表現する。いずれもスタートという意味が込められている。慰安婦問題には、多くの人たちが心を痛めてきた。合意の受け止めは多様だが、そんなさまざまな思いを、より中身を充実させるためのエネルギーに変えられないものか。(編集委員・箱田哲也)

 ◆キーワード:<慰安婦問題をめぐる日韓合意> 日本政府は慰安婦問題が旧日本軍の関与の下で起きたことを認め、責任を痛感しているとし、韓国政府が作る財団に10億円を拠出することになった。それらを前提に、両政府はこの問題が「最終的かつ不可逆的」に解決されることを確認。韓国政府は、ソウルの日本大使館前の少女像の問題が適切に解決されるよう努力すると表明した。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)